2016年1月 3日 (日)

2015年暮れの第九(読響とN響)のテレビ放送を聴いてトスカニーニを聴き直した

ドイツのヴッパータールで指揮者を務めている日本人指揮者上岡敏之の指揮した読売日本交響楽団の第九と、パーヴォ・ヤルヴィが首席指揮者を務めているNHK交響楽団を指揮した第九がテレビ放送されたのを年末に立て続けで聴いた。

ほぼ同じ世代だと思われるこの二人の指揮者の第九は、テンポの速さという点でとても似通っていたように感じた。いわゆるピリオド演奏時代を経て当たり前になったテンポの速さをモダンオケで演奏している。

特に両者とも第3楽章の速さは、これまでピリオド演奏による第九を聴いてきた耳にとっても異例の速さに感じられた。

ジンマンやラトル、パーヴォ・ヤルヴィ、ノリントンらによってモダン楽器にピリオド的な発想、原典回帰(特にベートーヴェンのメトロノーム表記)が始まってからもう10年以上が経過するのだと思うが、特にウィーン古典派の音楽は、モダンとピリオドのハイブッリドが当たり前のようになった感がある。

そして、年も明け、モダンでテンポの速い演奏として古くから知られているトスカニーニの第九(1950年代)は、第3楽章も速かったはずだが、どんな演奏だったろうと思いつき、何気なしに聴いてみた。

すると、そこではすでに、現代の最先端の指揮者たちが取り組んでいるテンポや金管の強調、歯切れのよいダイナミクス、短いフレージングなどが高いレベルで達成されているではないか?!などという感慨を抱いてしまった。第3楽章は速めではあるが、今回の上岡やヤルヴィよりも速くはなく、フレージングが短いという印象だったのだが、トスカニーニ的なカンタービレによって、太い一本線が通ったような音楽で、とても高雅で気品高い音楽になっていた。

フルトヴェングラーなどの演奏スタイルはと対極的で、少々異端的な存在として屹立していたトスカニーニの引き締まったベートーヴェン演奏だが、それから東洋的な約60年の周期的な繰り返しなのだろうか?まさに、この演奏スタイルが改めて現代に蘇ったかのように感じられて驚いているところだ。

トスカニーニのその少々騒がしく荒々しいが、エネルギッシュで輝かしい音楽は、改めて凄いものだと思ってしまった。

時代の先取りというか、周期的現象というものなのか、現代スタイルのはるか上を行っているようにも感じてしまった。

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2016年1月 1日 (金)

明けましておめでとうございます

2016年、平成28年、丙申(ひのえさる)の年、明けましておめでとうございます。

よき一年になりますことをご祈念申し上げます。

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よこはま動物園ズーラシアで2008年頃まで飼育されていたキンシコウ(金絲猴、Golden Monkey)です。2007年に撮影しました。

これからもときおり書きたいことを書きたいように書いていきたいと思っております。

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2015年12月 7日 (月)

第6回音楽大学オーケストラフェスティバル(ミューザ川崎 2015/12/6 最終日)

○2015年12月06日 (日)15:00 開演(14:30開場)   会場     ミューザ川崎シンフォニーホール
◇東邦音楽大学 (指揮:田中良和)     シベリウス/交響曲第2番 ニ長調 作品43
◇東京音楽大学 (指揮:現田茂夫)     ムソルグスキー(ラヴェル編曲)/組曲『展覧会の絵』
◇国立音楽大学 (指揮:尾高忠明)     ラフマニノフ/交響曲第2番 ホ短調 作品27

どの演奏も素晴らしかった。先週の2大学の時(3Cの中央最前列)よりも、若干前よりの席(2CBの3列目中央)だったこともあるのか、作品自体の性格のせいか、弦楽器群が管楽器・打楽器にマスクされずよく音が伝わり、その点でも満足できた。

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シベリウスは、指揮者の田中良和氏の抑制された指揮振りと12型(?)と比較的小型な編成にもかかわらず、シベリウス的な壮大さが感じられるいい演奏だったと思う。第2楽章の沈鬱な表情もよかったが、やはり第3楽章スケルツォから第4楽章への盛り上がり、そしてコーダに向けての壮大な高揚感にはやられてしまった。最近はこの曲はオーディオでの視聴をすることは減ってしまったが、やはり生演奏はいい。

この交響曲が2管編成で作曲されていることを今回改めて意識したのだが、ベートーヴェンやシューベルト、シューマン、ブラームスらとそれほど変わらないオーケストラ編成で、これほどユニークな作品を作曲したのはすごい。シベリウス生誕150年の記念年でもあり、この演奏を聴けてよかった。

2曲目のムソルグスキー作曲ラヴェル編曲のこの人気曲は、ディスクや放送などで長らく親しんだおかげで細部まで耳に親しく、7・8年前にはファミリーコンサートでプロの生演奏を聴いたこともあった曲だったが、今日のこの演奏は本当に堪能できた。とてもまとまりがよく、一体感の強いオケだと思った。

トランペットが大活躍する曲だが、第1奏者の男性は、見事にこの大役を果たしていた。金管楽器群が大活躍する「キエフの大門」での輝かしく透明で豪快な演奏で、一瞬オーケストラの各楽器の溶け合いが、パイプオルガンの響きに聞こえるほど素晴らしいもので、耳の御馳走を味わった気分だった。指揮者現田茂夫氏の指揮は暗譜で、曲想をよく示し、奏者たちに安心感を与えさせるようなフレンドリーな指揮ぶりだった。前回聞いたプロオケとホールでの記憶よりも数段強い感動を味わえた。

先週の「春の祭典」もそうだったが、本来感涙を絞るような曲ではないのだが、一心不乱にクライマックスに向かう学生オーケストラの演奏に没入してしまい、完全に曲・演奏と一体になった感覚で、不覚にも熱いものがこみあげそうになった。魔術師ラヴェル的なソロの多いこの曲で、古城、ビドロなど各ソロの奏者たちや打楽器奏者たちも大活躍。本当にブラヴォー。

もうこのあたりで大満足だったが、休憩を挟んで、次の長大な交響曲。

3曲目のラフマニノフは、この曲の完全版の蘇演に貢献したプレヴィン指揮のものを含めて何種類かのCDを聞いてきた曲だが、前述の2曲に比べては親密度が低い。映画音楽にも多大な影響を与えたラフマニノフの真骨頂的な情緒的な美しいメロディーがふんだんに聞かれるのだが、素人の耳には統一的な交響曲作品として各楽章間の統一感が少ない印象であり、マーラーほどの構成力もないように思え、これを名指揮者の尾高忠明氏が学生オーケストラと一緒にどのように取り組むのかが関心事だった。

コントラバスが7本もそろい、16型(?)のフル編成の弦の響きはすごいものだった。暗譜で指揮棒を持たず、指揮台の上を軽く踊るように流麗に指揮する指揮者に率いられて、若い学生たちの演奏は濃厚ではあるものの爽やかさを感じさせてくれたものだった。(芥川也寸志、黒柳徹子によるNHKテレビの音楽番組でクラシック音楽に一層親しみをもつようになったが、その時の指揮者が若き尾高忠明氏だったが、隔世の感がある。)

退屈はしなかったものの、やはり自分にとっては少し長すぎる曲だった。一番面白いのは第2楽章のスケルツォなのだが、この形式もシンプルではなく、なかなか把握しにくい。ホルン群はよくそろって印象的な主部主題を奏で、効果的なグロッケンの奏者も上手だった。第4楽章では、循環形式的に先行する楽章の主題を引用したりするものの、いわゆる展開・変奏が行われず、たっぷりとした旋律がフォルテで延々と繰り返され続くので、次第に耳が麻痺状態になってくるような感に捉われた。そういう意味で同じく長大なブルックナー、マーラーの交響曲とは違い、なかなか親しめない曲なのだ。

感涙を絞ると言われる有名な第3楽章は、比較的早めのテンポで演奏されすっきりと優美に聞こえるものだった。この第3楽章は、ホール中が集中力を高め、楽章終了後にはしわぶきの音一つ立たない完全な静寂状態に包まれ、すごかった。フィナーレが終わると会場はブラヴォーの嵐だった。指揮者も結果に満足したようだったが、最後の異例の御礼とこのフェスティバルへの賞賛はよかったが、〇オーケストラ批判を交えたのは、口が滑ったとはいえ少々意図不明でもあった。

2日間とも、さすがに若い学生たちのパワーに中てられた感じで、一リスナーながら後半に疲れてしまったのは、まだ50代半ばとしては少々だらしないかも知れない。それ以上の年齢の指揮者たちの活力と、多くの比較的高齢なリスナーたちを見習わなくてはなるまい。

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2015年11月29日 (日)

第6回音楽大学オーケストラフェスティバル(ミューザ川崎 2015/11/28)

2014年の11月に第5回音楽大学オーケストラフェスティバルのミューザ川崎での2日目の公演を聴くことができ、その演奏にすっかり堪能して、来年の公演も聴きたいと思っていたが、その念願がかない、第6回のミューザ川崎の第1日目の公演を昨日11/28の晩秋の秋晴れ午後に聴くことができた。

今回は、このミューザの第1日目と来週12/6(日)に予定されている第2日目のチケットを8月にウェブ予約で入手したのだが、すでにその時点で、通常公演でのS席に当たる平土間席中央や2階席中央あたりはほとんど売り切れ状態だった。1回券でも1,000円。全4回通し券なら1回750円という破格のチケット価格もあり、安定した人気があるらしい。それでも今回はこのホールで初めて3階の真正面の席を長男と続き席で取ることができた。(夏の「復活」の時には、断崖絶壁のようなバルコニー席で慣れるまで少し時間がかかったが、今回は3階の最前列でもあり、前が手すりだけで見晴らしがよく、音楽だけに集中できた。)

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さて、今回の私の関心は圧倒的に「春の祭典」の初実演だった。おそらく私の個人的な視聴回数では、交響曲を除くオーケストラ曲では最も多いものだ。

ストラヴィンスキー 「春の祭典」 のマイライブラリ
このほかにLPでフェドセーエフ/モスクワ放送響

これまで是非一度実演を聴いてみたいと願っていたが、プロオーケストラでもなかなか演奏機会がなく(膨大な編成や著作権が存続している?ことによる各種費用がかさむこともあるだろうが、やはり演奏上難曲であることが一番大きな理由ではないだろうか?)、時折アマチュアオーケストラが演奏するというような話を伝え聞いていたが、ついぞ機会を失していた。(アマチュア世界初演は、1970年の早稲田大学交響楽団によるものらしい。)

1913年のピエール・モントゥーによる初演での大騒動は、クラシック音楽・バレエでは大事件の一つに数えられるものであり、1950年の日本初演では故・山田一雄とN響が数回の公演で、何度も途中で停まり、最難関の「いけにえの踊り」の変拍子では指揮者も演奏箇所を見失い、無理やり曲を閉じたことがN響の80年史にも書かれているという演奏上の難曲だが、現在では上述の早稲田を皮切りにアマチュアオーケストラも(どの程度の完成度か分からないが)演奏にチャレンジするまでになっている。

とはいえ、音楽大学の学生がこのような難曲に果敢にチャレンジするのは大変興味があった。おそらく演奏曲目を決定したのは、昨年のフェスティバルが終了してからのことだろうから、じっくりと1年間かけてこの曲に取り組んだことだろう。

恒例の参加大学からのエールとして、最初に桐朋学園の学生が作曲したファンファーレが奏でられた。パーカッションが入った曲で、3階席は残響音が豊富なためか、ブラスの音がかき消されるほどのバランスだった。音響としてはバルコニー席の方がクリアかも知れない。

さて、いよいよ「春の祭典」。3,4階最上部の側面のバルコニー席はチケットが売り出されていなかったのか完全に空席だったが、そのほかは舞台後方が少なかったほかはほぼ座席を埋めていた聴衆がシーンと集中力を高めるのが分かるような始まりだった。

冒頭からのファゴットのソロが難しいことは有名だが、多くのパートがソリスティックに活躍するため、それだけでも学生にとっては難曲だと思うが、昭和音大の学生たちはよく健闘していた。指揮の齊藤一郎氏は、以前テレビでセントラル愛知を指揮する姿を見かけたことがあるが、明快で迷いのない的確な指示で学生オーケストラを引っ張っていき、指揮姿だけでも見ごたえがあった。

中で特に印象的だったのは、女性のティンパニ奏者。5種類ほどある音程の違うティンパニを本当に魔術のように両腕を揮い、この曲を引き締め、推進させていて見事だった。このコンサートの予習のために見た数年前のデュトワとN響の演奏会の録画では首席フルートがアルトフルートを吹いていたのだが、この演奏のせいか録音のせいかあまり音が通らなく、実演ではそんなものかと思っていたのだが、この昭和音大の演奏ではしっかり芯のある音が聞こえて、印象に残った。

通常のコンサートでは、腕慣らしの序曲等が演奏されるのだが、フェスティバルということもあり、いきなりこの曲を演奏するのだから、緊張感は並大抵のものでは無かったと思う。それに打ち勝ち、それこそ若い学生たちが自らを「生贄」のごとく捧げ、懸命なリーダーに従って必死になって「クラシック音楽という儀式」を行い、曲のプログラムでは選ばれた乙女はその死によって春の到来に感謝をささげるのだが、若い学生たちは自己犠牲という没入を通じて、大きな達成感を得たのではなかろうか?この曲自体、通常は目頭を熱くするような曲ではないのだが、複雑なリズムでも途中で停まるようなことなく、最後の「生贄の踊り」の変拍子を一気呵成に、圧倒的な迫力をもって演奏する音楽に、こちらも完全にのめり込み、大団円を迎え、思わず涙がにじんだ。約30分強という短い音楽ではあるのだが、物凄く濃密な体験をさせていただいた。

この曲は録音では、長らくブーレーズ指揮のクリーヴランド管(1969)による精緻さにおいて画期的で迫力はありながらスマートな演奏が規範的になってはいるが、私自身の好みとしては、スヴェトラーノフフェドセーエフによるロシア的な少々原色的で豪快な演奏が好みということもあるし、最近大いに話題になったロトとル・シエクルによる初演当時のピリオド楽器による演奏のように楽器の個性がはっきりと発揮されたものの方が面白いと思う。

François-Xavier Roth  Les Siècles 2013 プロムスでの演奏

その観点からも、学生たちによる熱気あふれる演奏は心に染み入った。

ただ、意外にも「ブラボー」の声は掛らず、私も叫ぶ勇気が無かったのだが、心の中ではブラボーを何回も叫んでいた。

休憩をはさんで、今度は昭和音大からのエールであるファンファーレが奏でられ、桐朋学園大学による「火の鳥」全曲版の演奏が始まった。

高関健氏という経験豊富な練達の指揮者によって高水準の「火の鳥」を聴かせてくれた。弦も管も打楽器もハープも安定していて上手であり、ホルン(という楽器はどんなプロオーケストラでも難しいものだが)もよく健闘していたという印象を持った。桐朋学園は、特に弦楽器では日本でもトップクラスの奏者を輩出していることもあり、コントラバスによる冒頭部分から強い演奏力を示していたし、コンサートミストレスやチェロのトップ(女性)も高水準のソロを奏でていた。

ただ、作品そのものへの私の興味関心は、「春の祭典」の方が圧倒的に強いため、前半ですでにほぼ満足してしまい、私の中では少々おまけ的な聴き方になってしまってしまい、申し訳ない感じだった。

終演後のブラボーは、何度もかかり、その演奏をほめたたえていた。長男も数度ブラボーを叫んでいた。

なお、蛇足だが、この演奏会と今年6月のノットと東響の「ペトルーシュカ」により、ストラヴィンスキーの三大バレエ曲を実演で聴けたことになる。

さて、来週12/6は、昨年聞けなかった東邦音楽大学 東京音楽大学 国立音楽大学の三大学。「展覧会の絵」は実演経験済だが、人気曲のシベリウス2番と、これまた長大なラフマニノフの2番が一挙に聴けるお得なプログラム。楽しみだ。(残す東京芸大は、来年聴いて見たいものだ。)

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2015年 第6回音楽大学オーケストラ・フェスティバル概要

東京芸術劇場&ミューザ川崎シンフォニーホール共同企画
第6回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 2015

○2015年11月08日 (日)15:00 開演(14:00開場)  会場 東京芸術劇場コンサートホール
◆武蔵野音楽大学 (指揮:梅田俊明) シベリウス/交響曲 第2番 ニ長調 作品43
◆洗足学園音楽大学 (指揮:秋山和慶)  ムソルグスキー(ラヴェル編曲)/組曲『展覧会の絵』

○2015年11月15日 (日)15:00 開演(14:00開場) 会場     東京芸術劇場コンサートホール
◆上野学園大学 (指揮:下野竜也)     ストラヴィンスキー/管楽器のための交響曲(1947年版) 、ペルト/カントゥス ― ベンジャミン・ブリテンの思い出に、ブリテン/シンフォニア・ダ・レクイエム 作品20
◆東京藝術大学 (指揮:山下一史)     R.シュトラウス/交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」 Op.30, TrV176

○2015年11月28日 (土)15:00 開演(14:30開場)  会場     ミューザ川崎シンフォニーホール
◇昭和音楽大学 (指揮:齊藤一郎)     ストラヴィンスキー/バレエ音楽<春の祭典>
◇桐朋学園大学 (指揮:高関健)     ストラヴィンスキー/バレエ音楽<火の鳥>(全曲版)

○2015年12月06日 (日)15:00 開演(14:30開場)  会場     ミューザ川崎シンフォニーホール
◇東邦音楽大学 (指揮:田中良和)     シベリウス/交響曲第2番 ニ長調 作品43
◇東京音楽大学 (指揮:現田茂夫)     ムソルグスキー(ラヴェル編曲)/組曲『展覧会の絵』
◇国立音楽大学 (指揮:尾高忠明)     ラフマニノフ/交響曲第2番 ホ短調 作品27

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2015年10月 3日 (土)

セキュリティソフトの自動更新と手動更新

2011年9月 7日 (水) PCセキュリティソフトのランニングコスト で、3年契約のコストパフォーマンスに優れたセキュリティソフトのインストールができたのだが、更新時期の2014年にはうっかり自動更新の設定のままだったらしく、今度は1年契約の割高なものになってしまっていた。

そこで、2015年には自動更新設定をはずしておいたところ、しばらくPCを使わないでいるうちに、契約期限が過ぎてしまっていた。

そこで、前回の記事を参考に改めて、新規ソフトの導入を考えた。(登録した情報はかつてのものがそのまま存続してはいるのだが。)

マカフィーというセキュリティソフト企業の販売(ライセンス)形態は、少々わかりにくく、インストールしたソフトからつながるサイトは、

http://home.mcafee.com/

で、以下の個人のお客様向けの割引情報は出ていない。

マカフィーで検索して表示される個人のお客様向けサイトは

http://www.mcafee.com/japan/home/

で、こちらに最新ソフトの3年間、インストール台数無制限のとてもお得な情報が表示されている。

前者では、最新の最上位ソフトであるマカフィーリブセーフが1年契約で6,566円(20%割引)だが、後者では期間限定で9/3から10/15の間だけらしいが、

マカフィー リブセーフ™- 3年間加入料
マカフィー リブセーフ™ サービスを使用すると、ご使用のすべてのデバイス、データ、個人情報を保護できます。 ショッピング、バンキング、検索、共有を安心して行うことができます。
定価 ¥15,408 から ¥4,623 割引 ¥10,785

で、1年あたりではほぼ半額となる。

これは結構お得感があり、タブレットPCやスマートフォンにも適用できる。

3年契約のデメリットは、3年間同じソフトを使い続けることになるので、最新の性能が向上してソフトが登場しても切り替えるという選択肢が減ることになるくらいか。もちろんウィルス対策データは自動更新されるし、ソフトウェア自体も自動アップデートされるのだが。

今回のソフトは、脆弱性スキャナという機能が追加され、ブラウザやiTunesなどパッチがあたっていないものを管理し、自動アラームを挙げてくれるという結構便利なものが追加されている。

この時期にこのようなキャンペーンを行うのは、米国などの学校の新学期の開始に合わせたものだろうか?その意味で日本向けにカスタマイズされていないのかもしれない。

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2015年10月 1日 (木)

「コンサートは始まる」を20数年ぶりに再読

ボストン響の音楽監督の交代についてのブログ記事を拝見し、その流れでボストン響のWikipedia英語版を眺めていて、たまたま小澤征爾、ボストン交響楽団の項目が目に入った。英語版の記事の筆者は、他の音楽監督時代に比べて、ボストン響の小澤時代に対して相当手厳しい筆致で詳細に描写しており、改めて驚いた。

英語版 Boston Symphony Orchestra

Ozawa's tenure involved significant dissension and controversy.

A more basic concern involved perceived shortcomings in Ozawa's musical leadership; as Sandow wrote in the 1998 article, "what mattered far more was how badly the BSO plays."  He noted that a group of Boston Symphony musicians had privately published a newsletter, Counterpoint, expressing their concerns; in the summer of 1995 concertmaster Malcolm Lowe and principal cellist Jules Eskin wrote that in rehearsal Ozawa gave no "specific leadership in matters of tempo and rhythm," no "expression of care about sound quality," and no "distinctly-conveyed conception of the character of each piece the BSO plays."

英語版 Seiji Ozawa

Ozawa caused controversy in 1996/97 with sudden demands for change at the Tanglewood Music Center, which caused Gilbert Kalish and Leon Fleisher to resign in protest. A controversy subsequently developed over various perceptions of the quality of Ozawa's work with the BSO.

この手厳しい書き方に触発され、今から20年以上前に発刊された頃に図書館か何かで借りて一度読み、その後数年前にBookOffで目に留まり購入して積読(つんどく)にしておいた

コンサートは始まる―小澤征爾とボストン交響楽団  1989/12/1 カール A.ヴィーゲランド (著), 木村 博江 (翻訳)

が思い浮かび、再読した。1990年頃というのは、自分にとってつい最近のように考えてしまうが、省みればもう25年も前、ふた昔以上も前のことなので、改めて時の流れの速さに戸惑った。

1990年頃に読んだ時には、この本の縦筋の主題であるマーラーの「復活」についてもそれほど聴き込んでいなかった。それに、今回の再読時にも感じたが、多分英語の原著の未整理で気取った調子をそのまま日本語に翻訳しただろうと思われる訳文も、主張と理由の前後関係が曖昧だったり、時系列がすんなりと頭に入ってこなかったり、さらに音楽経験者の原著・訳書というのにトランペットのC管とF管の音程差が、三度関係と書かれているのも四度の間違いではないかと思ったりで、細かいところはいろいろ気にはなった。初読の頃にはこれらが邪魔になりあまり頭にすんなりと入ってこなかった。

このように読む側の知識不足や、原文・訳文の未整理、さらに小澤征爾がどちらかというとヒールとして描かれている部分が気になり、読み終えてからも、隔靴掻痒で、理解が追い付かないような印象が残っていて、爽快感がなく相当フラストレーションが溜まる本だったので、購入後に再読する気が起きなかったのだった。(そういう意味では、私は小澤征爾氏の「成功ストーリーのファン」ではある。)

その後、時折背表紙が目に入ったときなど、この本の内容を思い浮かべるときは、小澤征爾とトランペット奏者の対立関係が第三者的にも不愉快なものだったことくらいだった。読んでから入手して聴いたマーラーの第1、4番もそのトランペット奏者らが参加しているのだろうが、不愉快な人間関係でストレスを抱えながら演奏する指揮者と楽団員の不幸な関係をどうしても想起してしまったことも思い出す。小澤とボストンのマーラーは、その印象も多少影響しているのだろうが、あまり愛聴しているとは言えない。(1番4番

ただ、今回読んでみると、ボストン時代と、ウィーン国立歌劇場時代を過ぎ、さらにサイトウキネンフェスティバルが2015年にセイジ・オザワフェスティバルに名前を変えた今日からの視点でみると、さもありなんという感じになるから不思議だ。

それでも小澤征爾の業績を振り返ったときには、このノンフィクションの記載は相当重要であろうとは思ったりもする。

今回改めて読んでみて思ったのは、アメリカのオーケストラの「労働組合」の時間制限というものの、芸術的な意味での非効率さというものは凄まじいものだということだった。

小澤より一二世代前のトスカニーニ、クーセヴィツキー、ライナー、セル、オーマンディらの暴君的・専制君主的な圧政への反省が、そのようなシステムをもたらしたのだろうし、日本における日教組が唱えた「教師=労働者」と、「教師=聖職者」論の対立の構図と似通ったところがあるのだろうが、工場労働者が「製品」を作り上げるのとは違い、再現芸術としての音楽を創造しさらにまた人間を教え育てるというような「人間的な」任務・仕事に対してマルクス的な疎外された労働者像を押し付ける見方の間違いや非親和性、限界を感じる。

むろん、演奏力、創造力、教育力などのの能力には大きな差があり、それをオーケストラや学校という集団作業で行う時の軋轢によって、個々の奏者や教師、生徒に平等ではない軋轢が生じ、プレッシャーがかかることは避けられないが、それを「労働時間」として規制するという考えた方にそもそも矛盾がある。基本的人権たる部分は尊重され保護されながらも、突き詰めた仕事・任務というものがもたらす価値のようなものが見逃されがちとなるからだ。

オーケストラ奏者(いわゆる正規組合員)への手厚い保護の一方で、意外なのは同じ音楽に奉仕しながら、合唱団はアマチュア、ヴォランティアとして無償で参加するという習慣(これは、先日聴いた東京交響楽団の「復活」でも同じだった。)、いわゆる労働界においても、正規、非正規労働者の間の差別のような側面の要素もあるのではなかろうか。ただ、ヴォランティア合唱団の方が、音楽的訓練や能力は低くとも、献身性の点では価値があるようにも思ったりもする。(器楽と歌、特にコーラスの地位の差。)それが音楽的な実質とどうつながるかが難しいところだが。

この本は必ずしも「小澤批判本」ではないが、それまで順風満帆だと伝えられていた小澤ボストンの関係が必ずしもそうではなかったことを日本に伝え、衝撃を与えたものではあるだろう。このような人間臭い毀誉褒貶は、「出る杭は打たれる」という諺が洋の東西で変わらないものだということの再確認でもある。(バーンスタインの暴露的な伝記もヒドイものだったのを思い出す。)

さて、上記のWIKIPEDIAの記事に戻ると、その「主張」「批評」は、主に上記の書籍でも言及されたボストンの日刊紙の批評家による小澤批判をリライトしているように思われる。百科事典的には少々感情的すぎる文章である。小澤ボストンのフィリップスの「春の祭典」への一評論家の意見を引いて攻撃することもあるまいに。確かに「自発性」という観点からは、その批判ももっともかと思うが。

なお、Wikipediaの記事にあった、マルコム・ロウというコンサートマスターによる小澤批判は書籍ではまだ書かれておらず、さらにタングルウッドの運営についてのあのセルとの共演で知られるレオン・フライシャー等とのいざこざも書かれているが、まだ起きてはいなかった。小澤征爾のボストンからの2002年の音楽監督辞任までいろいろトラブルが沢山あったのだなあと思う。

そのためか、ボストン響史上最長の音楽監督にもかかわらず、「桂冠指揮者」 conductor laureate/ laureate conductor の称号は授与されていない。

追記:ボストン響のホームページにあたると桂冠音楽監督だった。まったく恥ずかしい!

Seiji Ozawa Music Director Laureate

                   

Seiji Ozawa is Music Director of the Vienna State Opera since the 2002/2003 season and is an annual and favored guest of the Vienna Philharmonic Orchestra. Prior to his Vienna State Opera appointment he served as Music Director of the Boston Symphony for 29 seasons (1973-2002), the longest serving music director in the orchestra's history. Mo. Ozawa is also Artistic Director and Founder of the Saito Kinen Festival and Saito Kinen Orchestra (SKO), the pre-eminent music and opera festival of Japan and in June 2003 it was announced that he would be Music Director of a new festival of opera, symphony concerts and chamber music called "Tokyo no Mori" which had its first annual season in February 2005 in Tokyo. The 4th season opera in April 2008 was Eugene Onegin. In 2000 he founded the Ozawa Ongaku-Juku in Japan, an academy for aspiring young orchestral musicians where they play with pre-eminent professional players in symphonic concerts and fully staged opera productions with international level casting. The Ongaku-Juku opera for July 2009 will be Hansel and Gretel.

 

In 2004, Maestro Ozawa founded the International Music Academy - Switzerland dedicated to training young musicians in chamber music and offering them performance opportunities in orchestras and as soloists. Its first season was at the end of June and beginning of July 2005 and its 6th season will be June 25-30, 2009. Since founding the Saito Kinen Orchestra in 1984, and its subsequent evolution into the Saito Kinen Festival in 1991, Mo. Ozawa has devoted himself increasingly to the growth and development of the Saito Kinen orchestra in Japan. With extensive recording projects, annual and world-wide tours, and especially since the inception of the Saito Kinen Festival in the Japan "Alps' city of Matsumoto, he has built a world-class and world-renowned orchestra, dedicated in spirit, name and accomplishment to the memory of his teacher at Tokyo's Toho School of Music, Hideo Saito, a revered figure in the cultivation of Western music and musical technique in Japan. The Saito Kinen Festival was from August 26-September 9, 2008 featuring concerts as well as staged performances of Cunning Little Vixen, with Maestro Ozawa as conductor.

 

During 2007/2008, Maestro Ozawa's appearances included: Far East tour of Le Nozze di Figaro with Vienna State Opera [Shanghai, Seoul, Taipei, Keohsiung and Singapore]; Orchestre National de France concerts in Paris and at Besançon, Pique Dame with the Vienna State Opera; followed by Tannhäuser with the Opera National de Paris; Berlin Philharmonic European tour [Berlin, Paris, Lucerne and Vienna]; Zauberflöte für Kinder in Vienna; Elektra with Teatro Comunale di Firenze; Berlin Philharmonic concerts for the Salzburg Easter Festival; Japan performances with Tokyo Opera No Mori [Eugene Onegin]; Ongaku-Juku performances of Die Fledermaus followed by Saito Kinen concerts and staged performances of Cunning Little Vixen. Maestro Ozawa will be at Vienna State Opera in the 2008/2009 season with Pique Dame in September and October, followed by a tour in Japan with the Vienna State Opera in a production of Fidelio. November and December marks his return to the Metropolitan Opera, conducting Queen of Spades, as well as appearing with the Boston Symphony Orchestra in late November. January 2009 he performs with the New Japan Philharmonic in Japan, returning to Europe for a performance with Vienna Philharmonic Orchestra at Salzburg's Mozartwoche on January 24, followed by concerts with the Berlin Philharmonic Orchestra. He appears with Orchestre de l'Opéra de Paris at the Bastille on February 7, returning to Vienna for Zauberflöte für Kinder on February 20 followed by Vienna State Opera's Eugene Onegin in March. During April he will be in Japan for performances with the New Japan Philharmonic, Ongaku Juku and the Mito Chamber Orchestra. Returning to Paris in May, he conducts the Orchestre de l'Opéra de Paris with Renee Fleming on May 7; then tours with the Berlin Philharmonic also in May. Maestro Ozawa returns to Vienna State Opera for Eugene Onegin in late May/early June and following this period he has concerts in June with the Vienna Philharmonic. He will conduct and hold classes at his Swiss Academy June 25-30, returning to Japan for Ongaku Juku performances of Hansel and Gretel at the end of July followed by the War Requiem and concerts during the Saito Kinen Festival between August 26 and September 9, 2009.

 

Born in 1935 in Shenyang, China, Seiji Ozawa studied music from an early age and later graduated with first prizes in both composition and conducting from Tokyo's Toho School of Music. In 1959 he won first prize at the International Competition of Orchestra Conductors in Besançon, France, where he came to the attention of Charles Munch, then the Boston Symphony music director, who invited him to Tanglewood, where he won the Koussevitzky Prize as outstanding student conductor in 1960. While working with Herbert von Karajan in West Berlin, Mr. Ozawa came to the attention of Leonard Bernstein, who appointed him assistant conductor of the New York Philharmonic for the 1961-62 season. He made his first professional concert appearance in North America in January 1962, with the San Francisco Symphony. He was music director of the Ravinia Festival, summer home of the Chicago Symphony (1964-69), music director of the Toronto Symphony (1965-1969) and music director of the San Francisco Symphony (1970-1976). He first conducted the Boston Symphony in 1964 at Tanglewood and made his first winter subscription appearance with them in 1968. He was named Artistic Director of Tanglewood in 1970, Music Director of the Boston Symphony in 1973, leaving a legacy of brilliant achievement evidenced through touring, award-winning recordings (more than 140 works of more than 50 composers on 10 labels), television productions (winning 2 Emmy awards), and commissioned works.

 

Through his many recordings, television appearances, and worldwide touring, Mo. Ozawa is an internationally recognized celebrity. In recent years, the many honors and achievements bestowed upon Mr. Ozawa have underscored his esteemed standing in the international music scene. French President Jacques Chirac named him (1999) Chevalier de la Légion d'Honneur, the Sorbonne (2004) awarded him Doctorate Honoris Causa and he has been honored as "Musician of the Year" by Musical America. February 1998 saw him fulfilling a longtime ambition of joining musicians around the globe: he led the Opening Ceremonies at the Winter Olympics in Nagano, Japan, conducting the "Ode to Joy" from Beethoven's Ninth Symphony with the SKO and six choruses located on five different continents - Japan, Australia, China, Germany, South Africa, and the United States - all linked by satellite. He received Japan's first-ever Inouye Award (1994), named after Japan's pre-eminent novelist, recognizing lifetime achievement in the arts. 1994 also saw the inauguration of the new and acclaimed Seiji Ozawa Hall at Tanglewood. Mo. Ozawa also has been awarded honorary degrees from Harvard University, the University of Massachusetts, Wheaton College, and the New England Conservatory of Music.

               

 

その間の録音はあまり聞いたことがないが、少なくともツィメルマンとのラフマニノフの「第1番」の協奏曲の伴奏などは見事なものだったが。

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同書に対する感想(ネット検索で見つけて読んでみたもの)

http://blogs.yahoo.co.jp/shimabunbun6944/30346959.html

http://blog.livedoor.jp/akiravich/archives/51095423.html

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2015年9月27日 (日)

丸山コーヒーと中秋の名月

今日は、中秋の名月。

(後記:この日がスーパームーンだと思い込んでいたが、翌日の9/28がスーパームーンだったとのこと、地球の別の地域では皆既月食も見られたらしい。9/28は旧暦8/15だが、月齢は14程度であり、翌日が月齢15にもっとも近かったらしい。)

弟からのお中元の丸山珈琲を楽しむ。雑味はなく、多彩な味わい。中秋にふさわしい。

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(後記)

写真の月の周囲はコンパクトデジカメの「いたずら」だと思われる。

ハレーションではないが、なんというのだろう? 

肉眼では虹色の輪は見えなかったのでの「月暈」ではないだろうし、「光冠」「光環」という現象とも違うと思う。

よくわからないがレンズの色収差というものだろうか。

更に調べると、「ブロッケン現象(ブロッケンの妖怪)」のページがあり、

右の写真は カメラとは別のレンズに息を吹きかけて薄く曇らせ、反射した光源と周辺を撮影したものです。ミー散乱は起こっていますが、 これはブロッケン現象にはなっていません。 次のセクションで述べる光冠(光環)になってしまいます。

と書かれている部分に該当するのだろうか。

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ピント無限大で、ISO感度を400程度にし、シャッター半押しであらかじめ室内の天井灯などの明るい部分に、シャッタースピード、絞り等の露出を固定して、満月の明るさに負けない状態にしてから、満月を撮影すると、虹色の輪は映らなかった(別途アップ予定)。

参考:このブログの満月などの撮影の記事

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これとは関係が無いが、このブログに書いた記事で、夜の列車内の窓ガラスが梅雨時や冬の雨の時に結露で曇ったとき、それを通して、列車外の街灯などの光源を見ると、光が放射状に見えることがあり、またぼんやりと光輪をまとっているようにも見えたりもすることがあるが、なぜか思い出した。

http://kniitsu.cocolog-nifty.com/zauber/2010/01/post-6b98.html

参考情報:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1077158185

Q:夜の街で光(街灯や車のライトやイルミネーションなど)を見ると光源から線がたくさん出ているように見えるのは一体何ですか?

A:眼球表面の僅かな凹凸涙による凹凸汚れによる凹凸による乱反射、眼鏡を掛けていればレンズの汚れ曇りによる乱反射で放射状に光のすじとして見えます。

http://fchem.4rm.jp/log/rika/1812.html

光条(光芒)

http://www.yakei-photo.jp/satsuei/chapter-05/contents-037.html

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2015年9月25日 (金)

ジョージ・R・R・マーティン「氷と炎の歌」シリーズ

昨年末、家にあったジョージ・レイモンド・リチャード・マーティン著、岡部宏之訳の「七王国の玉座」のハードカバー上下を手にとってみた。妻が入手したものだが、表紙イラストはヤングアダルト的で少々おどろおどろしい派手なもので、まずはあまり食指が動かなかった。さらに一頁が上下二段に分割してあり、相当小さいポイントの活字がビッシリ埋まっており、遠視(老眼)にはとても読みにくいこともあった。

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或る日手にとってみて読み始めたが、イントロダクションも、掴みがパッとしない始まりだった。ジェイムズ・P・ホーガンの「星を継ぐもの」ほどちんぷんかんぷんではなかったが。ただ、その後しばらく読み続けようという気にはならなかった。

その後、この大河小説を読むようになったのだが、本格的に読み始める前に、一昨年のBSで米国テレビドラマの「ゲーム・オブ・スローンズ」の無料放送の第1、2話を見る機会があった。その頃はまったく知らないストーリーだったのだが、妻は以前からこのシリーズを読み進めていたので、録画を頼まれた。それを或る日何の気なしに見たところ、ヴァイオレンス&セックスが満載で、そうとうエグイ外国ファンタジーだが、多彩さな群像劇でもあり、その続きを見てみたいと思わせるものではあった。その意味では映像から入門したようなものだ。

それから家にあった上記のハードカバーを改めて読み始めたのだが、再読を開始した時には、この本が上記ドラマの原作だとは知らなかった。読み進めるにつれて、その関係に気づき、妻に尋ねたところ、まさにその通りだという。

未だ、シリーズが完成されていないが、現在日本語訳は米国で出版されたものは全部訳されて出版されており、第3部からは初めてデジタルブックを購入して、半年以上かけて、日本語訳を読み通した。

  1. A Game of Thrones 『七王国の玉座』
  2. A Clash of Kings 『王狼たちの戦旗』
  3. A Storm of Swords 『剣嵐の大地』
  4. A Feast for Crows 『乱鴉の饗宴』
  5. A Dance with Dragons 『竜との舞踏』
  6. The Winds of Winter 『冬の狂風』(未完)
  7. A Dream of Spring (未完)

欧州と中近東、アフリカ北部を舞台にした中世的な混沌の世界とは、ドラマ「大聖堂」でも描かれたが、洋の東西を問わずこのようなものだったのではないかと思わせる、残酷苛烈な描写も多く、また(ネタバレではあるが)勧善懲悪や復讐劇は完全に捨て去れれているため、感情移入できるような人物が、ストーリー(出来事、歴史)の進展により、あっさりと舞台を去ることも多い。逆に、反感を覚えるような登場人物が長々と居残り続けることもあるし、次第に人物観が読み進めるにしたがって変わってくるようなこともある。

イギリスらしき島が主要舞台ではあるが、設定上はグレートブリテンよりもよほど大きく、規模は西ヨーロッパほどの南北の規模を持つ巨大な島が七王国の舞台で、その西にそれより大きい大陸が広がっている(らしい)世界である。南にはアフリカ大陸的な大陸は想定されていない。

ドラゴンが存在した世界であり、また季節の廻りは現実の地球世界とは異なり、さらに北方からは人類以外と思われる何者かによる脅威が迫る。超自然的な現象は描かれるが、「ロード・オブ・ザ・リングズ」とは異なり、魔術の存在は相当不確かだが、何らかの超自然力による殺人や死者の復活などが描かれるし、巨人も存在する。

他の名作と呼ばれるファンタジーが持っていたいわゆる道徳的、倫理的な枠組みは敢えて捨て去られており、その意味で非常に「現実的」で、リアリスティックなファンタジーとなっている。弱者は滅び、強者が生き残る、まさに弱肉強食の世界が繰り広げられる。

その意味で、最初見たり読んだりしたときは、より強い刺激を求める現代社会がこのようなファンタジーを要請し生み出したのかとも思ったものだが、よりリアルな古代社会、中世社会を描こうとすると、ある程度はこのような混沌と非倫理的、猥雑なものであり、その意味で人間の強さ、弱さが非情に描かれているのかも知れないと思う。

作者は、特別な話法を用いて、膨大な登場人物と広大な世界のストーリーを紡いでいく。この話法に慣れないうちは違和感があるが、慣れてしまうと、神の視点ではないこの話法は、とても合理的で素晴らしいと思うようになってきた。

趣味に合わない向きも多いとは思うが、興味があればWIKIPEDIAなどで調べてみてはいかがだろうか?

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2015年9月24日 (木)

いただいた栗を栗菓子にして食べた

妻が近所の知り合いから栗を沢山いただいた。ざっと数えて100個ほどはあっただろうか。すべて毬(いが)から外し、洗ってきれいにしたものをいただいたのでありがたかった。

栗は子どもの頃食べた生栗が美味しかった記憶もあるが、料理にはなかなか手間がかかる果実ではある。今回は外していただいたのだが、まずは硬い毬から取り外し、手ごわい外皮を外し、さらに剥きにくい渋皮を剥いて、初めて薄黄色の食用になる実の部分が現れる。それぞれ刃物が必要なので、慎重に扱わないと思わぬ怪我をすることがある。

今回は妻が虫出しのためしばらく水に漬けておいた後、茹で栗にした。特に目当てはなく、半分に割ってスプーンでほじって食べればいいと思っていたようだ。

食のジャンルのたびに登場するテレビの「ケンミンショー」だが、今回はこの番組ではなく、久しぶりに「アド街ック天国」をちょうど見たことで、茹で栗の「加工」法のヒントを得た。

このテレビ東京の名物番組だた、放送1000回を記念した後、司会の愛川欽哉氏が逝去し、その後この番組を見なくなっていた。今回は、新聞のテレビ欄でたまたま長野県上高井郡小布施町が特集されるというので、放送を録画しながら楽しんだ。

葛飾北斎と栗の里と知られる小布施町の特集なので、予想通りその二つがメインだったが、地元の人の栗の食べ方が紹介される場面があった。茹で栗を簡単に裏ごしして、布巾で絞って食べるという栗の茶巾絞りが紹介された料理で、特に砂糖を加えることなく、小布施栗のよさをそのまま味わう素朴なお菓子のようだった。

これを参考にして、5連休の4日目9/22の夕食後に、茹で栗の加工を始め、ほんの1、2時間で以下の菓子を作ってみた。

【栗の茶巾しぼり】

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①100個ほどの茹で栗を包丁で慎重に二つ割にして、スプーンで中身を穿(ほじく)り出す。

②そのままで食べても栗の味わいが美味しいが、少し砂糖を加えて、すりこぎ棒で潰す。

③それをラップに適量とり、茶巾絞り状に絞ると、意外に崩れずに軽くまとまった。食べてみるととてもおいしい。

④テレビ録画を見直すと、金笊で簡単に裏ごししてそれを茶巾で絞っていたので、妻に裏ごし器とゴムベラを出してもらい、初めて裏ごしなるものをやってみた。大根おろしとは違い漉すための繊維の裏側に茹で栗の湿った粉末が付くので、それをボールに慎重に取りながら、絵結構な時間をかけて裏ごしの栗を作る。

⑤ラップでまとめるのは妻に任せたが、しっかり絞っても硬くはならず、開いて食べると崩れはせず、口に入れるとホロホロと口中で崩れる、上品なお菓子ができあがった。あとはそれを緑茶などと一緒に味わう。

【栗餡】

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①上記②を適量小鍋に移し、少量の水と、適当な砂糖を加え、弱火で焦げ付かないように煮詰める。

②冷めたら出来上がりなので、あとはそれを緑茶などと一緒に味わう。

下拵えは大変だったが、そのあとは意外にも簡単に栗菓子の原型的なものを作り、楽しむことができた。

小布施の栗菓子は、信州土産の王様のような地位を築き、比較的高価ながら食べる機会はこれまで多かった。栗羊羹、栗かのこ(すべて栗と栗餡の金団)、栗らくがん(これには栗は入っていないらしいが)、栗おこわ、栗味のソフトクリームなど。

ビギナーズラックなので自画自賛しても仕方はないが、収穫されたばかりの地元の栗で作る素朴な菓子は、それら銘菓にも増してとてもおいしいものだった。特に栗餡は、裏ごしをしないままだったので、栗のかけらの大きさが不揃いのままでもあり、それがかえって野趣を感じさせ、また食感も楽しく、まさに砂糖以外には混じりけのない栗を十分楽しめたのだった。

一昨年だったか、ブルーベリージャム作りも意外に簡単で美味しかったのだが、身近な食材を自分で料理するというのは、すごく楽しいものだ。

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2015年8月10日 (月)

マーラー 交響曲第2番「復活」 秋山和慶指揮東京交響楽団 8月9日

この日は猛暑も少し収まったが、開演の15時前に川崎に着くには自宅を13時半には出なくてはならず、最寄り駅近くの時間貸し駐車場まで車で行き、その後200mほどを歩いただけだが、真夏の日盛りの中、妻と長男ともども大量の汗をかいてしまった。夏のコンサートや映画では、羽織るため(これはホールからのご案内メールにも書かれていたが)の長袖シャツが必須だが、それに加えて今回は用心のためにシャツの着替えをバッグに詰めて持参した。(その後、座席で羽織ったが、今回も正解だった。隣席の男性は、感極まったのか、エアコンの風で鼻がぐずったのか分からないが、鼻をすする音を立てていた。)

このコンサートは、この前の6月のコンサートの時にミューザのチケットカウンターで引き換えたので覚えているのだが、5月ごろウェブ予約で申込み辛うじて駆け込み的にチケットが取れた公演で、当日売りの合唱団席脇の40席ほどの追加販売も完売だったらしい。川崎駅のコンコースの電光掲示には、本日の公演完売御礼の赤い文字。とはいえホール入口では、チケットを求むの紙を持った人を一名見かけたほどだった。このフェスタ サマーミューザ KAWASAKIという音楽祭に来たのは初めてだが、はるか以前に訪れた松本市の「第2回サイトウキネン」(今年から名前が小澤征爾記念に変わるらしいが、小澤征爾氏の急な骨折のため本人の登場は期待できないことになってしまったらしい。第2回の時とは隔世の感がある)の華やかさはなく、逆に日常風景に溶け込むような気張らなさが感じられる親しみ深いものだった。

中学生の頃から音楽には親しんでいたが、田舎暮らしということもあり、本当に生演奏を聴いた経験が少なく、その少ないコンサート経験の記憶をたぐってみても、恥ずかしながら、多分マーラーの曲を生演奏で聴いたのは今回が初めての機会となる。最初から結論めいてしまうが、この「復活」のような強い魅力のある音楽を最初から耳にしてしまうような現代の青少年音楽ファンには、古典派やブラームスなどの渋い音楽が物足りなくなってしまうのもある意味理解できるような、それこそフルコースでてんこ盛りの豪勢なメニューを腹いっぱい食べたような経験だった。(あのサイモン・ラトルがこの曲を聴いて指揮者を志したという話を読んだことがあったり、この曲の専門とする指揮者ロバート・キャプランがいるなどのエピソードもこの曲のアピール力を示すものだろう。)

さて、このフェスティバルは在京とその周辺で活動するプロオケが日がわりで出演する夏の音楽祭で、リーズナブルな値段もあいまって人気が高いらしく、ようやく予約できたのがB席(3,000円)で舞台に向かって左側の4階席。席の移動の時にバランスを崩すのは本当に命の危険があるように思うし、高所恐怖症の人には絶対無理なような下をのぞき込むと怖いほどの天井桟敷さながらの場所。高所恐怖症ではないが心配症なので、この席に慣れるまで結構気を遣ってしまい、なかなか集中ができなかった。予約席で希望の席が取れないときの難点でもある。

これまで3回ほど聞いたミューザの比較的ステージに近い席とは大きく異なるため音響面では危惧していたが、第1ヴァイオリンを数えてみると16型の大編成のオーケストラの弦楽器群の各パート(俯瞰するので、その並びがよく見え、ボーイングの違いによってどこまでが第1でどこから第2ヴァイオリンかがよく分かったが、以外なほど入り組んでいた。)がほどよく分離して聞こえ、木管やハープ、金管、打楽器のソロなどは音が下から上ってくるので耳元で聞こえるような錯覚に陥るほどの良好な音響で、それこそ微妙なピアニシシモから、ホールが飽和してビリつく一歩手前の耳を劈くほどの大フォルティシシモまでをくっきりと耳にすることができ、マエストロ秋山和慶の「復活」を満喫することができた。(まだ正面エリアの2,3階では聴いたことはないが、このホールは今のところどの席で聴いても、どのパートの音もよく聞こえるし、かといってハーモニーや楽器の混じり合い、溶け合いがないというのではないため、音楽の形がよく「見える」ようだ。ステージ脇や後ろよりも高さと遠さを気にしなければこの4階席は音としては悪くない。)

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この曲は録音ではテンシュテット/LPOのスタジオ録音盤、昨年か一昨年購入したバーンスタイン/NYP、それと昨夏購入したクーベリック/バイエルン放送響でそれなりに親しんできたし、若いころはかのラトルがバーミンガム市響を振ったライブがFM放送されたものをカセットテープへエアチェックしたものでもよく聞いた。近年では、漫画「のだめ」のビエラ先生がライバルの急逝に捧げてこの曲を振るシーンが印象に残っている。前日には、2012年の7月に行われた仙台の県民ホールの東日本大震災復興祈念の飯森範親指揮仙台フィルと山形交響楽団合同演奏会の録画を長男と予習にじっくり鑑賞して、とても感動した。ただ、長い曲でもあり、魅力的・印象的なフレーズが各所に現れて結構耳に親しいのだが、楽曲分析的にはベートーヴェンの「第九」とは違いその筋書的なストーリーがもう一つつかめないため、鑑賞しながらもいつも隔靴掻痒的に感じる曲でもある。

この日の生演奏を聴いて、マーラーの魅力を満喫するには、オーディオでも相当の大音量で聴かないとこの音楽を味わったことにはならないのかも知れないと実感した。その意味では、普段、ステレオイアフォンで聴いている音楽は、まさに形骸でしかないかもしれない(これでも十分楽しめるのだが)。

コンサート感想と言っても、まず初マーラーであり、初「復活」だったので、細かい気づきはいろいろあったものの、他の演奏との比較をするような詳細な感想はなかなかものすることはできないが、終楽章の第5楽章、合唱が登場する前の部分の「怒りの日」のモチーフから始まるブラスのコラールで、突然感極まって涙が出そうになったことは書き留めておくべきだろう。

最近音楽を味わうにあたって「感動」や「感激」だけを追い求めるような姿勢がすべてではないように考えが変わってきてはいるが、8月9日という長崎原爆投下70周年のこの日に、「復活」というキリスト教的な観念やトルストイの「小説」を想起させるものではあるが、人の死生というものを考えたときに避けては通れないテーマに生涯正面から取り組んだマーラーが、その若き日に「生きるために死ぬのだ」とコーラスに歌わせた終楽章にいたったとき、まさに一種の宗教の祭儀に列席しているような幻影に捕らわれるような感を抱いた。

すでに80歳にも近いというのに、指揮者の秋山和慶氏はとても若々しく、音楽もその姿に似て、折り目正しく、明快で、高い気品が感じられた。昨年大学オケの公演でも輝かしい「ローマの松」を聞かせてくれたが、このマーラーも光り輝く「復活」とでも称すべきかもしれないと思う。

第5楽章までP席に陣取っていたコーラスは、第5楽章の直前に起立整列した。中央に男声で両脇に女声。無理のない発声でよく溶け合ったハーモニーと明瞭な子音が聞き取れて、優れたコーラスだと思った。男声によるクライマックスでもホールの美しい響きを生かして、威圧的ではない心の籠った歌だった。オーケストラは多彩で素晴らしいが、人の声の力はやはり心に沁みとおる。

ソプラノとアルトのソリスト(ソプラノ:天羽明恵、メゾ・ソプラノ:竹本節子)は、第4楽章では下手と上手の弦楽器群の後方に分かれて座り、第4楽章ではアルトのソロ。深々とよくホールに響く声質で、アルト的な魅力が十分だった。この曲ではソプラノの出番は少なく比較的損な役回りだが、第5楽章の途中に、しずしずと二人のソリストが指揮者の両脇に歩み寄り、そこでデュエットを聞かせてくれたが、見事なものだった。

舞台の両脇の袖に陣取ったブラスのバンダもよく合っていた。遠くから聞こえるファンファーレは何を示すのか?終楽章のみ登場するパイプオルガンも、長時間の待機に耐え、華を添えていた。

大団円の終曲が終わると万雷の拍手とブラボー。思わず、自分もブラボーを叫んでしまった。

リスナーとしてもこの80分にもならんとする大曲を聴き通すには気力・体力が必要だが、これを破たんなく演奏し通すだけでも、指揮者、オーケストラ、合唱団、ソリストともども大変な気力、体力の充実を要求されるだろうに、生演奏でここまで充実した演奏を繰り広げるというのは誠にすごいものだ。聞き終えた後は、一種の放心状態となった。

いつの間にか膨れ上がった録音のコレクション(通しで聴いても数十日かかる)をあれこれとっかえひっかえ、ステレオイアフォンで楽しむのか、それとも比較的身近で触れることができる生演奏で日常的な音楽鑑賞に比べて短いながらも充実した音楽体験の時間を過ごすか、別に二者択一的に選ぶ必要はないのだが、そんなことを考えさせられた演奏会でもあった。

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フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2015
東京交響楽団フィナーレコンサート
戦後70年、未来への祈り

指揮:秋山和慶
ソプラノ:天羽明恵
メゾ・ソプラノ:竹本節子
合唱:東響コーラス
オーケストラ:東京交響楽団
(コンサートマスターは遠目で若い男性だったので水谷晃氏だと思い込んでいたが、別の人だったようだ)

https://www.kawasaki-sym-hall.jp/festa/calendar/detail.php?id=1598

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演奏会に行く前に、ネット検索していたら、偶然、この演奏会のことにも触れた指揮者の秋山和慶氏へのインタビューを見つけた。
https://www.youtube.com/watch?v=KVrvl4KVR84

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