LINUXと電車男とネットの善意と(改稿)
後ろから撃たれるスレ被害者友の会 記帳所というのを見つけた。電車男ログをまとめた「中の人」の立ち上げたBBSだ。これを読んでいると、ふと、タイトルのようなことを思いついた。LINUXがネット界の互いに名前も知らぬ善意の人々が寄り集まって生成され、されつつある「無償」OSであるように、電車男のログの生成及びそこから派生しているブログやBBSでの反響の広がりは、ネットに接続しコミュニケーションを交し合う多くの人格によって生成されているものだろう。
ネットの匿名性にはエログロ暴力犯罪的な負の側面が現れやすいが、その一方で、人々は無償の善意の発露を求めているのではなかろうか?ふとそんなことを考えさせられた。
・・・と、昨日(6/16)書いたが、本日とんがり帽子をくれたムーミンというコラムを見つけ、「まとめログ」と「生ログ」の格差を認識しなくてはならないものだと思い返した。(トラックバックを返しました。)
「まとめログ」は上澄みで、実際の生ログには闇鍋的に雑多な材料が投げ込まれているのがネット、2CHだよな。「まとめログ」は、著者「中の人」の作品であるということはいろいろ指摘されてるが、まさにそういうことなのだろう。
「まとめログ」では、「ムーミン」エピソードは出てくるが、たまに他のブログ等で言及される「とんがり帽子」が何を表しているのか分からない。さらに、中年婦人3人組からの礼状についても触れられていない。
「荒らし」のような「ノイズ」はほとんどカットされているが、そのような嫉妬、悪意、罵詈暴言のたぐいもネット参加者の本質ではある。そういう意味で「電車男」物語を、「ネットの光と影」の「光」の典型だと二者択一的に断ずるのは、表面的な見方だ。反省した。
エルメス子さん視点からのノベライズ版では、脚色者(と呼ぶべきか)の asagi さんによる取捨選択、補筆追加が行なわれている。そして、そのノベライゼーションを多くの人が読み、自分自身もよく書けていると関心している。
小学校時代に多くの人が実験的に体験したと思われる「伝言ゲーム」という遊びがあるが、それは伝言というものの不正確さを実体験させるものだった。しかしそれが情報伝達の本質のひとつだろう。神話、昔話、伝説などフォルクローレの類は、(このような文字伝達ではなく、口承がその特徴ではあるが)核になる物語からこんなふうにして換骨奪胎されて生成されていくものなんだろうな、という現場に立ち会っている気がする。
ネットの文字というのは、配付されるために印刷された文字とは違い、口承的であり、流れに浮かぶうたかたのようなものだよな。
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なお、7/6に確認したら 八丈島から発信!にこの記事が紹介されていた。
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コメント
ここしばらく忙しさにかまけてココログを放っておいたので、随分間の抜けたコメントになっちゃいましたが、初トラックバックでした。ありがとうございます。
電車男の話自体は既にブームも去ったのであえて特にコメントしませんです(^^;)。
投稿: cedar | 2004年7月 8日 (木) 01:19