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2005年1月17日 (月)

大河ドラマ 「義経」を見始める

先週から「義経」が始まり、見始めた。

視聴率の記事にも書いたが、少年時代、まだほとんどのテレビが白黒だったころ、同じ「義経」が放映された。祖父は、信州の農家の出だが、歌舞伎のファンで、勧進帳の安宅の関の下りなどを我が家に遊びに来た折などにうなっていたこともあり、義経は子ども心にも、悲劇の英雄として親しい存在だった。

ところで、保元の乱の一方の主役である、崇徳上皇(*)の皇子に、重仁親王という方がいて、その方が、乱の後、信州は佐久の川上村に逃れられ、住まわれた場所が、御所平といい、皇子を祀る神社もあるという記事を2003年の夏に、ネットで読んだことがあり、このウェブログにも残してある南北朝の頃の皇子の残した伝承とは違い、あまり史跡や伝承が残されていないようだが。

*崇徳天皇
第七五代の天皇。鳥羽天皇の第一皇子。母は中宮藤原璋子。名は顕仁。永治元年、父上皇の寵妃美福門院の子近衛天皇への譲位をしいられて退位。のち保元の乱を起こしたが、敗れて讃岐国(香川県)に配流。讚岐院。(一一一九~六四) Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988

さて、今回のドラマ義経だが、初回と第二回をみる限りまあまあ面白そうだ。原作が、宮尾登美子ということで、司馬遼太郎の「義経」のような斬新な義経観(生涯の途中で筆を止めているのは残念)は見られないが、いわゆる伝説、伝承を忠実に辿っている感じだ。

ドラマとしては親子関係、女性の子育てをCLOSE-UPしている。清盛の正妻、時子が、長男重盛の実母でないというのは、新説であろうか。 清盛も頼朝助命に力のあった池禅尼は継母で、頼朝助命は、生さぬ仲の継母からの圧力という設定はなるほどと思った。(この池の禅尼が、保元の乱の重仁親王の乳母であった!)

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「義経」ブームにあやかって書店には、保元・平治の乱から鎌倉幕府成立の時期の各種の書籍が集められている。「平家物語」「義経記」の現代語訳も文庫で出ているし、一般向けの歴史書もある。それらを立ち読みして、池の禅尼と重仁親王のことを索引などで調べると、多くのことが掲載されていた。その点、ネットは便利ではあるが、やはり信頼の置ける多くの書籍情報に比べると少し落ちるかも知れない。その中で、池の禅尼が 藤原摂関家の出身であり、清盛の父、忠盛にとっては、むしろ家柄上、正妻と呼べる夫人であったこと。池の禅尼が乳母(めのと)ということは、その夫忠盛は重仁親王にとって守役(傅)であったことが容易に分かった。また、重仁親王に触れた記述では、乱の後、仁和寺に入れられ、若くして逝去したと明瞭に記してあった。(崇徳天皇の呪いは、明治まで恐れられたことも記されていた)。歴史通説上、重仁親王の生涯がこのように記されているということは、川上村の伝承、伝説の「御霊社」(一般に高貴な人や功績のあった人で生前恨みをのんでなくなった人をたたりを恐れて祀る社)が重仁親王のものだということを否定することになるのだろうが、それでは、その伝承、伝説はどこから来たものかということだ。1156年の保元の乱の項を読むと、乱の後の混乱は非常に大きいもので、有力貴族、武将たちも少なからぬ人々が京から地方に逃げたようだ。前にも書いたがその辺が手がかりになろう。親王に縁の人が祀られているのかも知れない。御霊社の創立年代や伝承の始まりの年代の手がかりを調べることは、現地調査によって可能だろう(小学校時代の友人の家の墓地がこの社の近くにあり、カブトムシ取りに行ったときに案内されたことを思い出した。また、親戚が持っている畑がやはり比較的近くにある。それらの伝を面倒がらずに頼れば何かはわかるだろう。オオゲエトオ(大海道)と呼ばれる地籍だ)が、それなりに知られている伝承なので、かつてそのような試みは行なわれたことだろう。しかし、そこから明確になったことが少ないのではないかと想像する。ただ、御霊社という山奥の村には似つかわしくない社の存在、御所平という地名、藤原を名乗る一族の存在など、はるか彼方の過去にそれを後世まで伝えるだけの何かがあったことは確かだろう。なお、4月15日が祭日(縁日)になっている。

なお、ところどころ校正されていないが、結構面白いページを見つけた。保元・平治の乱のあたりを読んだが、面白くかけている。

なお、歴史データーベース参照のこと。
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義経の母常盤御前は、義朝の寵愛を得ていたがその敗死後、清盛に見初められ義経は助命され、その後大蔵卿に嫁ぐ。(大蔵卿からは義経の鞍馬山入山に援助があったようだ。)絶世の美女だったようだが、本当の所どういう女性だったのか。幼子三人を連れての平治の乱の後の雪の山中の逃亡は迫真的で哀れを催した。

牛若は、後に戦うことになる平家の若き公達たちと仲良く遊ぶ。これは、前回非常に不評だった、新撰組の初回の、近藤勇、土方歳三と坂本竜馬、佐久間象山が黒船来襲時からの知己であるという不自然な設定よりも、寵愛を得た母の連れた幼子が、パトロンの多くの子ども達と接触があった(むしろいじめられたかも知れない)のは考えられることだ。なお、清盛と常盤の間に生まれた女児はその後どう成長したのだろうか?(歴史書にある)

配役では、稲森いずみの常盤は適役だ。彼女は、キムタクと山口智子と松たか子が絡んだドラマの脇役で不思議な雰囲気の女性として知ったが、その後あまり活躍に触れることはなかった。しかし、京美人の誉れ高く、楚々として薄幸そうだが、したたかな常盤にピッタリの容姿と演技だと感じた。牛若は、最近話題作の「ハウルの動く城」で名子役声優ぶりを発揮して、その後最年少芥川賞作家の処女作「インストール」を原作として映画でも、すごい小学生として出演している、神木隆之介(?)が、なかなかの名演だ。

平安時代の京都のCGやセットの京都市街はまあまあだが、屋敷内は狭苦しく少々残念だ。特に清盛の屋敷などはもっと広かったのではなかろうか?(つい、京都御所の広広とした内裏を想像してしまうからだが)

合戦場面での馬は、やはり現代のアラブ、サラブレッド系の馬を使用していた。平安時代の騎馬武者の合戦は絵になるが、その当時の馬は、木曾馬のように短足で小型の丈夫な馬種だったらしいと家族と話して面白かった。子どもたちは、まだそこまで理解していないので、へーそんなものという感じだったけど。

平治の乱では、義朝の長子 悪源太義平も奮戦したはずだが、彼は登場しなかったようだ。ところで、頼朝は尾張の熱田神宮の神官藤原氏の娘が母というが、頼朝が総領と定められたのは、それが原因なのだろうか?(正妻:身分の高い母親の子が総領となることが多かった。)

なお、毎回のドラマのあらすじをシナリオ風にうまくまとめてあるサイトを見つけた。うまいものだ。

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コメント

TBありがとうございました。わざわざリンクまで張って頂き恐縮です。
ここまでの牛若、常盤、清盛の関係は良い感じで描かれていますね。これまでには無い設定だと思うのですが、新選組!の時の様にバッシングが無いのは、いかにも自然な演技が出来ているからでしょうか。特に、神木君の好演が光りますね。
主役が代わる次回から、雰囲気がどう変わっていくのか注目したいと思っている所です。

投稿: なおくん | 2005年1月28日 (金) 00:55

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