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2005年2月18日 (金)

ベートーヴェンの生地

ベートーヴェンの祖父や祖母について調べていたら、そういえば、彼の生地であるボンは、彼の生まれ育った当時は、なんと言う国に属していたのだろうと思いついた。ボンには当時選帝侯の宮廷があり、彼の祖父はその楽長を務め、父もそこで歌手、彼自身も宮廷音楽家としてオルガニストなどを務めたという知識はあった。

さて、選帝候といえば、神聖ローマ帝国の皇帝を選挙する資格のある貴族で下記7名がそれに該当するらしい。

教会諸侯 : マインツ大司教、ケルン大司教、トリエル大司教
世俗諸侯 : ライン宮中伯(ライン・プファルツ伯)、ザクセン公、ブランデンブルク辺境伯、ボヘミア王(ベーメン王)

ボンは、ケルン大司教である選帝候の宮廷があった場所(ケルン大司教は、帝国自由都市となったケルン市と争い、ボンに宮廷を置いたらしい)なので、広い意味では神聖ローマ帝国領だったのだろう。当時の選帝候マクシミリアン・フランツは、マリア・テレジアの息子(つまり、あのマリー・アントワネットの弟だった。この人に3つの選帝候ソナタを献呈した)。ただし、これにあるように

ドイツは、その歴史の長い期間にわたり統一国家ではなく、「ドイツ民族の神聖ローマ帝国」の中において多くの領邦国家がゆるやかに結びついたものだった。1871年のドイツ帝国建国までは、長い道程であった。   

とのことで、実質上は、ケルン選帝候領と言うべきかも知れない。

神聖ローマ帝国は1806年まで続く。ベートーヴェンが1792年に移り住んだころのヴィーンは、まだ神聖ローマ帝国の首都だった。ナポレオンが1805年にヴィーンに入城し、1806年にベルリンを占領することで、神聖ローマ帝国は崩壊した。なお、1867年のオーストリア・ハンガリー(二重)帝国の成立までの間を、オーストリア帝国と呼ぶそうだ。

 

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