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2005年4月の27件の記事

2005年4月28日 (木)

5/2から5/8の音楽史カレンダー

5/1/1904 ドヴォルザーク(Dvorak.Antonin)没62歳(誕生:1841/09/08)チェコの作曲家
【追記】 当初のデータでは5/5となっていたが、5/1が正しいので修正

5/2/1660 イタリアの作曲家アレッサンドロ・スカルラッティ(Scarlatti.Alessandro)誕生
5/2/1864 マイアベーア(Meyerbeer.Giacomo)没72歳(誕生:1791/09/05)作曲家フランス・グランド・オペラを創設した
5/2/1969 キルピネン(Kilpinen.Yrjo)没77歳(誕生:1892/02/04)作曲家「カンテレターレ」を作曲した
5/3/1704 ビーバー(Biber.Heinrich Ignaz Franz von)没59歳(誕生:1644/08/12)作曲家でヴァイオリン奏者「ロザリオのソナタ」を作曲した
5/3/1708 シャイベ(Scheibe.Johann Adolph) 誕生 作曲家で音楽理論家「理論的・実践的音楽提要」を著した
5/3/1856 アダン(Adam.Adolphe Charles)没52歳(誕生:1803/07/24)フランスの作曲家
5/3/1886 デュプレ(Dupre.Marcel) 誕生 オルガン奏者で作曲家「受難交響曲」を作曲した
5/3/1955 エネスク(Enescu.George)没73歳(誕生:1881/08/19)作曲家「ルーマニア狂詩曲」を作曲した
5/4/1745 シュターミツ(Stamitz.Carl) 誕生 作曲家51曲の交響曲の作曲を行った
5/5/1837 ツィンガレリ(Zingarelli.Nicola Antonio)没85歳(誕生:1752/04/04)作曲家「ジュリエッタとロメオ」を作曲した
5/6/1949 橋本国彦、没46歳(誕生:明治37(1904)/09/14)作曲家で指揮者
5/7/1793 ナルディーニ(Nardini.Pietro)没71歳(誕生:1722/04/12)作曲家でヴァイオリニスト
5/7/1800 ピッチンニ(Piccinni.Niccolo)没72歳(誕生:1728/01/16)オペラ作曲家「ディド」を作曲した
5/7/1825 サリエリ(Salieri.Antonio)没74歳(誕生:1750/08/18)イタリアの作曲家
5/7/1833 ブラームス(Brahms.Johannes) 誕生ドイツの作曲家
5/7/1836 ブルクミューラー(Burgmueller.Norbert)没26歳(誕生:1810/02/08)ドイツの作曲家
5/7/1840 チャイコフスキー(Tchaikovsky.Pyotr Ilich) 誕生 作曲家
5/8/1944 スマイス(Smyth.Dame Ethel Mary)没86歳(誕生:1858/04/22)歌劇「ファンタジオ」を作曲したイギリスの女流作曲家
5/8/1990 ノーノ(Nono.Luigi)没66歳(誕生:1924/01/29)「中断された歌」などを作曲したイタリアの作曲家

歴史データベース on the Web のデータによる

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2005年4月27日 (水)

CD購入 2005.04.26

1.ヴァイオリン 名曲集 (Carmen Fantasie)
ツィゴイネルヴァイゼン、ツィガーヌ、タイスの瞑想曲など
ムター(Vn),レヴァイン/VPO(ウィーンフィル)1992年 ムジークフェライン大ホール 
¥1,000.-

 このジャケットをどこかで見たと思ったら、表題曲を「のだめ」の前コンサートミストレスがムターそっくりのポーズで弾く場面があった。
 アンネ・ゾフィー・ムターのヴァイオリンが取り立てて好きなわけではないが、ツィゴイネルヴァイゼンのオケ伴と、カルメン幻想曲が聞けるので、中古盤を購入した。少々盤面に擦り傷が目立ちやばいと思ったが、問題なく聞けた。録音は相当アップでヴァイオリンを録ってあるようで、ヴァイオリンの低音と高音で、音像が左右に少し動く感じがする。カラッと割り切った名技性を表に立てた演奏の方がこのような曲集には合うのだろうが、ムターは彼女独自のテンポや解釈の刻印をそこここに残しているようだ。タイスの瞑想曲はムターのお気に入りらしいが、こってりしている。

その他、ヴィエニャフスキ「伝説曲」、タルティーニ(クライスラー編曲、オケ版)「悪魔のトリル」、サラサーテ「カルメン幻想曲」(表題にもなっている)、フォーレ「子守歌」

オーケストラの伴奏は、レヴァインとヴィーンフィルという非常に豪華なものだが、ライナーノート(渡辺和彦)では演奏者紹介の欄もないのは非常に寂しいものがある。

P.S このCDと同じ内容のCDをmozart1889さんが取り上げられたので、トラックバックを送りコメントを付けさせてもらった。2005/12/20

schubert_lied

2. シューベルト 歌曲集
  音楽に寄せて、野ばら、鱒、アヴェ・マリアなど
  F=ディースカウ、ヤノヴィッツなど ¥1,000.-

シュミット(Br)による セレナーデ、漁師の娘、さすらい、どこへ、菩提樹
ターフェル(Br)による さすらい人、音楽に寄せて、シルヴィアに
F=ディースカウ(Br)による ます、魔王、死と乙女、野ばら
シュトライヒ(S)による 至福、子守歌
ルートヴィヒ(A)による 夕映えの中で、糸を紡ぐグレートヒェン
ヤノヴィッツ(S)による 若い尼、ズライカ第1、アヴェ・マリア(エレンの歌 第3)

DGの SUPER BEST 101というシリーズもの。著名な歌手によるオムニバスでシューベルトのよく知られたドイツ・リートが聞ける。表現がそれぞれに濃厚で聴き疲れがする。

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横浜 阪神 4/24(日)横浜スタジアム

先週の日曜日に初めての野球観戦に出かけた。

野球場やサッカー場が生活圏にあり、プロの公式戦が日常的に行なわれているのに、子どもが幼かったせいもありこれまであまりスポーツ観戦に行く機会がなかった。今年あたりからそろそろ野球やサッカーの試合にも興味を持ち始めたので「見に行くか」と尋ねると「行きたい」というので、今シーズンのいつ行こうかと機会を見ていた。

すると先日、新聞の年間契約の更新時に、販売員の人が今回は大変気をきかせてくれて、野球やサッカーのチケットはどうですかと聞いてくれたので、いろいろ見せてもらったらちょうどいい日に横浜・阪神戦があり、その試合の内野の自由席のチケットを2枚もらった。

先の日曜日がちょうどその試合日で、子どもを連れてスタジアムに向った。少年時代からこれまでプロ野球も高校野球も野球観戦は結構好きだったが、田舎住まいが長かったため気軽に球場まで行くことはなく、自分にとってもこれが球場デビューだった。

内野自由席は、人気カードの場合開場後すぐに満員になることもあるという情報をネットでもらい、13時の試合開始の1時間半前の11時半が開場時刻なので、その1時間前に球場に着こうと家を出た。結局着いたのは11時前だったが、すでに球場周辺はファンが大勢並んでいる。最初に内野自由席の案内があったのでそこに並んだら、係員に「阪神ですか?」と聞かれ「いいえ」と答えると「横浜側に行って下さい」と言われ、あわてて入場口を探すとすでに入場が開始されていた。内野自由席とは言え、実際にはライトの守備の選手の背面を見る位置で完全な外野なのだが、それでも熱心なファンは早くから詰め掛けていて、座りやすい席は相当埋まっていた。何とか席を確保できた。日曜日なので家族連れも多く、結構女性の姿も見かけた。多分米国系だろうと思う外国人の姿も結構見た。

気温はあまり高くはなかったが、快晴で日差しが強く、座っていると直射日光で非常に暑い。試合開始までには2時間もあったので、早めに昼食を摂ることにした。子ども達には前日から約束していたマックのハンバーグのセット。自分はシウマイ弁当とビール。市価より高いが、ハレの日なので我慢。田舎育ちの人間にとってはプロ野球の試合はお祭りと同じに見える。食事をしながら阪神の打撃練習を見物。あまりいい当たりが出ない。打撃練習なんだから派手にホームランぐらい打って欲しいものだ。「ファウルボールにはご注意を」とのアナウンスや大画面のメッセージが時折流れる。日曜日の晴天で客の入りがよいためか球場の売り子も大勢やってきてここぞとばかりに弁当、飲み物を売りまくる。若い女性の売り子も重い飲み物を担当していたのには驚いた。試合がなかなか始まらないので、子ども達はこの時点で既に飽き気味。売店に行くとミニメガホンがあったので、購入。少し満足。12時頃には自由席はほぼ満席になった。

12時半頃から選手紹介。事前に(?)申し込んで当選した観客によるスピードボール競争。中学校野球部員が100km/hを突破。いよいよ13時からプレーボール。阪神の先攻なので、阪神側の応援が組織的に始まる。ほとんどの観客が立って応援している。阪神席に行かなくてよかった。

内野自由席は観戦には遠い。ピッチャーとバッターの対戦が野球の醍醐味の主要部分なのだが、テレビ観戦と違い、球種や左右のコースも分からず(高低は分かるが)、バットに当たって飛んだ打球の方向もよく分からない。

試合結果はこれです。1回表、阪神の1番バッターの赤星がいきなりセーフティーバント成功。これでほぼ試合の流れは決まってしまったように思う。横浜のピッチャー加藤は浮き足立ち、得点こそさほど入らなかったが、安打数では5回までに10安打もされた。逆に横浜はトップの石井が調子が悪いようで凡打でスタート、昨年40本もホームランを打った多村からも快音なし。阪神のルーキー能見に5回まではほぼ完璧に抑えられていた。

子ども達はメガホンを使って、応援の掛け声に乗って「カットバセーオー」を叫び、「阪神倒せ」など大声を張り上げて楽しんでいたが、さすがに段々飽きはじめ、5回終了で球場を後にすることにした。

球場の外に出ると、それまでの暑さが嘘のように風があり爽やかだったのにはびっくりした。球場の周囲の横浜公園には様々な種類と色のチューリップがそれこそ色とりどりに植えられ、多くの人々がその眺めを楽しんでいた。

春先に行って時間切れで最後まで見られなかった県立歴史博物館の常設展示が見たいというので、球場の喧騒から離れたところ、馬車道に向って歩く途中大歓声が球場から聞こえてきた。後で確認したら、横浜の金城選手が6回の裏に2ランをかっとばしたのだった。見たかった。惜しかった。

のんびりと古代から中世、近世、近代、現代までの歴史博物館の展示を見学しながら、一番面白いと思ったのは、近代の民俗展示だった。

子どもと一緒に球場でじっくりと野球観戦できるのはもう少し先になるようだ。

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2005年4月25日 (月)

4月25日から5月1日の音楽史カレンダー

4/26/1924 ヘンリー・マンシーニ(Mancini.Henry) 誕生「ムーン・リバー」や「シャレード」などの映画音楽の作曲家
4/27/1915 スクリャビン(Skriabin.Alexander)没43歳(誕生:1872/01/06)ロシアの作曲家
4/28/1992 メシアン(Messian.Olivier)没83歳(誕生:1908/12/10)作曲家「トゥランガリラ交響曲」を作曲した
4/30/1852 [ロシア暦4月18日]ロシアのピアニストで作曲家のアントン・ルビンシテインのオペラ「ドミトリー・ドンスコイ」がサンクト・ペテルブルクで初演される
4/30/1855 ビショップ(Bishop.Henry)没68歳(誕生:1786/11/18)作曲家で指揮者「埴生の宿」を作曲したスタンフォード大教授
4/30/1870 レハール(Lehar.Franz) 誕生 オーストリアの作曲家
5/1/1978 ハチャトゥーリアン(Khachaturyan.Aram Iliich)没74歳(誕生:1903/06/06)ソ連の作曲家

歴史データベース on the Webによる

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ゴッホ展を諦め替わりに科学技術館

土曜日は午前中に銀座に用事があり、4月2日と同様、折角出掛けたのだからということで、今度は大人向けの北の丸公園の国立近代美術館で開催中のゴッホ展に行くことにした。東京駅の丸の内南口に無料のシャトルバスの乗り場が設けられており長蛇の列ができていたが、それでも1回待っただけでギュウギュウ満員の小型バスに乗れたので北の丸公園まで行ってみた。大人気ということは聞いていたが、入場までに45分から1時間待ちだという(ちなみに、ティラノサウルス・レックスのスーが展示されている恐竜博も1時間待ちとのこと)。もともと子どもは気乗り薄だし、パリのオルセーに展示されているゴッホの作品は間近に見たことがあるしということで、今回はパスしようという相談になり、子ども優先でその近所にある科学技術館に行くことにした。途中、国立公文書館なるミュージアムがあり、徳川幕府の文書類を無料公開していたが、今回はパス。

科学技術館は中学校の修学旅行で訪ねたことがあり、面白い形の建築物だという記憶はあったが、展示についてはあまり覚えていなかった。今回改めて訪ねてみたが、最近の田舎にもある科学館や先日の国立科学博物館の新館の新しさに慣れていることもあり、その古びが気になった。ただ、どういう経緯か入場料が無料の日にあたっており(企業の招待日だったようで一般人もそのおこぼれに預かったのかも知れない)、ちょっと得をした。期待していたロボット関係の展示はほとんどなかったが、技術分野ごとにそれなりの展示がしてあったので、子ども達には結構好評だった。

バスで東京駅から堀端をぐるっと回って来るときに、どうも皇居方面への門に一般人が普通に入っていくのをみていたので、もしかしたら帰りに散策できるかと期待していたのだが、科学技術館を出るのが少し遅くて、入門は締め切られていた。後で調べたところ、あの徳川幕府の江戸城の本丸のあった「東御苑」(ひがしぎょえん)という江戸城の中枢部が、曜日と時間帯を決めて一般公開されているのだという。惜しかった。それでも立派な石垣と深い堀の景色が見事なコースを東京駅まで小一時間掛けて散策しながら帰り結構楽しかった。毎日新聞社、気象庁などの建物を見ながら、丸の内方面に向かうと遥か南には桜田門の警視庁、東京タワー、六本木ヒルズなども望めた。皇太子のご成婚記念で作られたという噴水公園で少し遊び、丸ビルの地下を見物して東京駅に着いた頃は脚が棒のようだった。

ちょっと疑問に感じたのは、国立近代美術館の建物。あまり建築家の意思を感じさせないもので、口が悪いがその辺の学校の体育館のような屋根と形だった。上野公園の博物館やホールなどの建築物群はそれなりの由緒のあるものだが、この国立近代美術館の杜撰さにはどういう背景があるのだろうか?

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2005年4月22日 (金)

Spybot Search & Destroy

Spybot Search & Destroy というフリーウェアがある。インターネットで何らかのサイトを表示すると、そのサイトの中に仕組まれたプログラムがアクセスした本人の同意なしにそのPCのブラウザ(インターネットエクスプローラーなど)にインストールされる「スパイウェア」というソフトを発見し、駆除するものだ。

スパイウェアは、サイト運営者側からはアクセス解析などに使うものらしく、特にアダルトサイトで多く使われているという。Spybotは、世界的に使用されており、日本語表示もできるようになっている。

ところで、著名な新聞サイトを開いたところ、Spybotの検疫機能でSpybotがスパイウェアとして登録しているソフトが検出された。数年前、米国で訴訟まで起こされた著名なネット広告会社のソフトらしい。ただ、試しに他のいくつかの新聞サイトを開いてみたがそのようなソフトは検出されなかった。

非常に著名な全国紙だが、サイトの管理者は、このようなソフトの使用は問題ないと考えているのだろうか?(cookieの問題と同レベルなのだろうが)

新聞社のサイトは無料運営されているので、ネット広告の重要性は理解できないではないし、実害がどの程度なのかは分からないが、Spybotなどで保護していない閲覧者は、常にそのソフトによって監視されているとするとあまりよい気分ではない。

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2005年4月20日 (水)

ベネディクト16世

システィーナ礼拝堂でのコンクラーベにより、新法王が選出された。ドイツ人のラツィンガー枢機卿78歳。ベネディクト16世を名乗る。

前法王 ヨハネ・パウロ2世を長年支えてきた人物で、前法王の葬儀のミサも取り仕切り、枢機卿会の会長という実力者だという。教義的には前法王同様「超保守」とされるようだ。78歳と高齢であること、人間の生死に関する教義解釈の点で「超保守」であることが注目されるという。この二点がつとに指摘されていたので、コンクラーベ2日目という比較的早い時期での選出には、意外感を抱く向きもあるようだ。ドイツ人法王は1000年振りだという。

ドイツのプロテスタントによるナチズムへの抵抗はよく知られているが、カトリックの側はどうだったのか。ヒトラーユーゲントであり、ドイツ軍に徴兵されアメリカ軍の捕虜になった経歴は、同年代のドイツ人としては決して異例なものではないだろう。ただ、同じく「超保守」とされるが、前法王のようにナチスによるユダヤ人・ロマ・スラブ民族への迫害をローマ教会が看過したことなど、率直に罪の許しを請う「謝罪外交」的な寛容さを発揮できるか、注目される。

ドイツは、ルターによる宗教改革の総本山として新教の勢力が強いような印象があるが、悲惨な宗教戦争の30年戦争を戦った地域でもあり、特に南ドイツでは旧教徒が多く、人口比率はそれぞれ3割でほぼ同じだという。新法王はミュンヘン大学出身とのこと。

(ちなみにW.A.モーツァルトの父レオポルトはバイエルンのアウグスブルクの出身で、大司教領のザルツブルクには法律を学ぶために遊学したが、音楽家として一家をなした。従姉妹ベーズレなどバイエルン地方には親戚縁者が多かった。オーストリア西部とドイツ南部は人の交流も多く、文化・宗教的な一体感は強いという)

夜のニュースで、ドイツでの人々の反応が伝えられたが、中には、今回彼が法王に就任したことで、カトリックから離れるかもしれないと語っていた人(翻訳テロップだが)がいたのには驚いた。ここが、神の代理人を介するカトリックと、直接神と向き合うプロテスタントの違いなのだろうか?

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昨日買ったCD ハルサイ、カサドシュ&セルのモーツァルト

昨夕会社帰りに横浜駅まで出てタワーレコードでCDを選んだ。

ほしいものはいくつもあったが、購入したのは次の2点。

◎カサドシュとセルのモーツァルトの23,24番(併録にカサドシュ夫妻とオーマンディによる2台のピアノのための協奏曲)輸入盤。790円

セルとカサドシュの組合せによるモーツァルトのピアノ協奏曲は、吉田秀和氏の推奨などもあり以前から是非聞きたいものでLP時代には結構出回っていたのを見かけたが、CD時代になってからあまり見かけなくなっていた(セルのハイドンもそうだ)。ネットショップで入手すれば何のことはないのだが、どうも現物主義なのであまり通販は好きになれないでいる。(通販や小口宅配便は便利だが、これが都市部の渋滞や深夜トラック便の速度超過などにに及ぼす影響はどの程度なのだろう?)

セルのモーツァルトはまさに楷書だ。第23番のイ長調の優美さと闊達さ、その平行短調の嬰へ短調の第2楽章を一点一画ゆるがせにせずに演奏している。また、24番は特に木管が大活躍する曲で、かつて名盤とされたハスキル、マルケビッチの共演盤より昔ラインスドルフの指揮とグルダの共演をFMで聴いたときにその真価に触れたと思ったが、オケの面ではセルとクリーヴランドはさすがにすごい。

期待のカサドシュのピアノは玲瓏たる粒の揃った音色を期待していたのだが、期待が大きすぎたのか、あまり美しさは感じられなかった。

カサドシュ夫妻のピアノデュオは音楽界の名物だったようだが、オーマンディとのモーツァルトはセルとの厳しい演奏とは違い、寛いだ気分がただよう。(先入観かも知れないが)

◎ドラティとデトロイト響による「ハルサイ」「ペトルーシュカ」のカップリング。国内盤。1200円。

1980年代初めのクラシック音楽界が活気のあった頃の録音。ドラティと言えば、フィルハーモニア・フンガリカとのハイドンの交響曲全集という偉業を思い出すが、著名楽団の常任をあまり務めなかったようで、その他には散漫な印象が強かった。しかし、この「春の祭典」は、発売当時録音の明瞭さと演奏の迫力で有名になったもので、いつか聞きたいと思っていたもの。ハルサイ歴だが、以前はエアチェックしたブーレーズとクリーヴランドのCBS盤を聞いたり、LPのコリン・デイヴィス指揮を聞いたり、雑誌プレゼントで当たったフェドセーエフ盤を聞いたりしてきたが、最近は小澤とゲルギエフだけだった。長男がこの曲の演奏の違いを指摘するほどファンになって来たので、いわゆるスタンダード系の演奏として購入した。「ペトルーシュカ」はこれまでなぜか録音を入手する機会がなかったので、今回のドラティ盤がマイ・ファースト・ペトルーシュカだ。

デトロイト響は今はどうなっているのか分からないが、晩年のドラティとデッカにより結構の数の録音をしていたように思う。この「春の祭典」の演奏、フルートが日本の祭囃子的な非西欧を感じさせる吹き方をしていたのが特に印象深い。小澤録音も結構達者な演奏なので、オーケストラの機能面で特別な巧さを感じることがなかったが、楽器のバランスによりメロディーが浮かんだり消えたりの細部での比較が面白かった。

「ペトルーシュカ」は、これまでたびたびFM放送では聴く機会があったが、CDでじっくり聞いたのはこれが初めて。非常に耳なじみのよい民謡風メロディーが頻出する曲なのでどの演奏でもあまり差を感じられない(ような気がする)。

なお、ハルサイでは、欲しかった、モントゥー盤、ブーレーズのフランス国立放送管版は見つからなかった。ティルソン=トーマス盤、サロネン盤、シャイー盤なども聴いてみたい。作曲者指揮の自作自演盤は店頭にあった。なお、先日記事に書いたビルスマ70歳アニバーサリーセットが再入荷ということで大量に陳列してあった。

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「もう一枚のモナリザ」発見のまとめ記事について

3/31にもこんな記事を書いたが、4/20朝日朝刊にモナリザについてのまとめ記事が出ていた。アイルワース版を「発見」したビートたけしの番組についての田中東北大学教授の批判も紹介されていたが、記事でリンクしたBLOGでコメントされていた日本テレビの番組を元に相当以前に出版された本にアイルワース版のモナリザがの画像紹介されている件についても言及はされていた。(このリンクで、アイルワース版の画像をみることができます。ただし、画面の両側がカットさているため、「ラファエロの円柱」を見ることができません。)

ちなみにルーヴル美術館で、モナリザの展示室が大幅に模様替えされたが、これは日本テレビからの寄付7億円によるものだという。その返礼として、今横浜美術館で開催中のルーヴル展が開かれているのだという。古来金のあるところに美術品は集まるが、これもその例に漏れないようだ。

その後書いた関連記事

*ギャラリーフェイク完結(「もう一枚のモナリザ」がテーマ)

アイルワース版モナリザ画像のリンク

*この番組より前の日本テレビの番組を元に、相当以前に出版された本

*ネットの画像のアイルワース版と、たけしの番組をキャプチャした画像(ラファエロの円柱が見える)

*海外のモナリザ特集ページ(ラファエロの模写の小さい画像が見られる)

*Wikipedia 英語版の アイルワース版モナリザ (記事最下部の外部リンクで、白黒ながら解像度の高いイメージを見ることができる。)

追記:2010/7/19  昨日から急にこの記事へのアクセス数が増加しているようなので、またテレビ番組でモナリザ特集でもあったのかと思い調べてみたが見当たらなかった。そこで、グーグルニュースでモナリザを検索してみたところ、

「モナリザ」のぼかし技法、X線スキャナーで精査     * 2010年07月17日 18:33 発信地:パリ/フランス というニュースが配信されていたのを見つけた。

「モナリザ」が肖像画として今日までこれほど評価されているのは、まるで生きている人物であるかのような陰影が、その謎めいた微笑みを浮かべる女性の顔に 奥行きと写実性を与えているからだ。そしてその陰影は、透明な絵具の層をグレーズ(塗り重ね)するスフマート技法によって生み出されている。

ということのようだ。

ただ、"もう一枚のモナリザ"のキーワードで多く検索されているのだが、その話題はどこから来たものか?

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2005年4月19日 (火)

上海での反日デモ

中国最大の経済都市で、長江デルタ地帯の窓口でもある上海でも、反日デモが起きた。

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2005年4月18日 (月)

ガーディナーの「メサイア」を聴く

gardiner_messiahメサイア初演は、4月13日だったが、自分で記事を書いておいてうっかり忘れていた。現代ではクリスマスの12月に演奏されることの多い「メサイア」だが、ダブリン初演の1742年4月13日のあとのロンドン再演は3月に行われた。これは、受難節および復活祭の時期にあたるのだという。

その記念すべき4月13日にはこの曲を聞き逃したが(その日出張帰りにあるCD店を覗いたらピノック指揮のヘンデルが目についた)、今夜ガーディナー指揮イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団によるCDの録音(1982年)を通して聴いている。

只今、第22曲の And with His stripes we are healed. を聴いているが、モーツァルトのレクィエムのキリエのフーガにそっくりなのをいまさらながら気がついた。

メサイアとモーツァルトで検索したらこれに関するコメントあり。

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春の陽気に誘われて

日曜日は、近所の森林公園に子ども達と出かけた。里山が都会人フレンドリーに整備された公園だが、鳥類、昆虫や両生類、爬虫類などの小動物はまだまだよく見かけられる。カワセミのつがいが見られるし、マガモなどが池に留鳥として住みついている。またアメリカ原産のミドリガメの成長したアカミミガメが在来種のクサガメ、イシガメを押しのけて?我が物顔で池で動き回っているし、巨鯉が何匹も悠々と泳ぎ回っている。

こども広場で野球の真似事をした帰りの尾根道で、センチコガネを発見し、ちょっと振動を与えたところ、仮死状態になった。そこで子ども達を呼び(先日子ども用に買ったが自分が楽しんでいる「ファーブル昆虫記」の抜粋版で読んだ知識を呼び出して)、この仲間はスカラベ(糞転がし)の仲間で、驚かすとすぐに仮死状態になり、しばらくすると動き出すから見ていてご覧と観察していたところ、3分程度でそろそろと動き出した。ところで、センチコガネのセンチとは何かと国語辞典で調べたところ、「雪隠黄金・雪隠金亀子」と言う字が当てられていた。昔の日本人?の観察眼と命名には脱帽だ。

小丘陵を下り、湿地に来たところ、子どもが「マムシだ」と言うのでよく見てみると、ほっそりしたシマヘビが、菖蒲田の浅い水の中を這っていた(ちなみに、湿地の周辺には本当にマムシが出るらしく、マムシに注意の看板が何箇所かで立てられている)。大声でヘビの存在をしゃべると、周囲の人が過剰に反応して石を投げるような輩も出るかも知れないので(なぜ人はヘビやトカゲの類を嫌うのだろうか?)静かにしようと約束してしばらくじっと観察した。ヘビは非常に静かで優美に這い草陰に消えていった。

なお、周囲の湿地ではカエルの鳴き声が聞こえ、帰宅後鳴き声の入った図鑑のCDで確認したら、どうやらトウキョウダルマガエルが一番似ているという結論が出た。このトウキョウダルマガエル、他のカエルはもとよりヘビさえも食料にしているのだという。

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2005年4月15日 (金)

4月18日から4月24日の音楽史カレンダー

4/18/1604 カリッシミ(Carissimi.Giacomo)誕生 イタリアの作曲家

4/18/1819 スッペ(Suppe.Franz von) 誕生 オーストリアの作曲家

4/18/1936 レスピーギ(Respighi.Ottorino)没56歳(誕生:1879/07/09)イタリアの作曲家

4/19/1982 大中寅二、没85歳(誕生:明治29(1896)/06/29)「椰子の実」を作曲した作曲家

4/19/1986 ヴィレーン(Wiren.Dag)没80歳(誕生:1905/10/15)作曲家

4/22/1658 トレリ(Torelli.Giuseppe) 誕生 作曲家でヴァイオリニスト

4/22/1776 シャイベ(Scheibe.Johann Adolph)没67歳(誕生:1708/05/03)作曲家で音楽理論家「理論的・実践的音楽提要」を著した

4/22/1858 スマイス(Smyth.Dame Ethel Mary) 誕生 歌劇「ファンタジオ」を作曲したイギリスの女流作曲家

4/23/1715 ドーレス(Doles.Johann Friedrich) 誕生 ドイツの作曲家でオルガン奏者

4/23/1891 プロコフィエフ(Prokofiev.Sergei) 誕生 ソ連の作曲家

4/24/1706 マルティーニ(Martini.Giovanni Battista) 誕生 作曲家「対位法譜例集」を著した

4/24/1721 キルンベルガー(Kirnberger.Johann Philipp) 誕生 音楽理論家で作曲家

 

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春めいた信州への出張

昨日は、信州への出張だった。出張続きは疲れる。

信州としては早春の時期であるこの四月に訪れるのは、関東に転居してからは久しぶりだ。めっきり春めいた暖かい日だったが、吹く風は冷たかった。

しばらく離れていたので、浅間山の残雪、芽吹く直前の里山を背景に車窓から一瞬のぞく飛騨山脈の険しくも神々しい真っ白い峰峰、とりわけ鹿島槍の猫の耳のごとき双耳峰が一瞬見えたときには異世界を覗いたかのような衝撃めいたものを感じた。

軽井沢は、まだ冬の様相。落葉松の芽吹くのは5月だろうか。八ヶ岳は逆光になり見えにくいが、佐久の平は早春の気配がただよう。上田に入ると既に桜が3分咲きにまでほころんでいる。そして、長いトンネルを過ぎて、善光寺平に入ったとたんの北アルプス。善光寺平の桜はちょうど開花日にあたっていたらしく、梅の盛りと並んで短い春を謳歌しようという気構えが見えるようだった。遠望する志賀の山々は残雪が多く、まだスキーを十分楽しめるようだ。

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2005年4月14日 (木)

多摩川の川床

今日、電車で出張に出かけたが、八王子から八高線で多摩川を渡ったときに、多摩川の川床の地形が非常に独特で印象に残った。写真でも撮れればよかったのだが、赤土状の色の土または岩が川の水流でところどころ削られているのが露出していた。

なお、両岸の桜並木は、ここ3日の寒さと雨にも負けずにまだ散らずに咲き誇っていた。

東京も奥多摩方面まで来ると本当にのどかな風景だ。

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2005年4月13日 (水)

モーツァルト?の新発見の交響曲

4/12の午後10時のNHKニュースを見ていたら、ザルツブルクの旧家で最近見つかった筆写譜の中に、Wolfgang Mozartと書かれた Sinfonia の楽譜が見つかり、4/12に東京で初演された様子が一部放送された。海老沢敏氏もインタビューという形で登場し、モーツァルトの最初期の交響曲(8歳頃作曲)よりも更に以前の作品かも知れないと語っていた。楽譜は、パート譜とスコアの両方があったように思う。

一部を聞いた限りでは、早いパッセージなど、モーツァルトの最初期のものよりは緻密に書かれていたような感じだった。

新ランバッハ、旧ランバッハの取り違いに見られるように、初期の古典派の作品は、楽器法的にも形式的にも和声的にも後年のロマン派以降のように個性を露わにしないため、作曲家を特定しにくいようなので、今回の作品も、自筆譜が出てこない限り、作曲者の鑑定は困難なのではなかろうか?

ただ、筆写譜が後世のフェイクではなく、それなりに古い年代の楽譜だったりして、その旧家とモーツァルト家との交際などの記録があれば、状況証拠的には有望ということになるのだろうか?

それにしても、NHKの記者氏は、「モーツァルトの交響曲は41曲ありますが」という原稿を書いたようで、その半可通振りが、半可通の自分をも苦笑に誘ってくれた。(我ながらいやみな言い方だ)

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2005年4月11日 (月)

4月11日から4月17日 音楽史カレンダー

歴史データベースからの引用(修正あり)により、音楽史カレンダーをアップ。

4/11/1904 ブリアン(Burian,Emil Frantisek) 誕生 作曲家で演出者
4/11/1916 ヒナステラ(Ginastera,Alberto) 誕生 作曲家
4/12/1716 ジャルディーニ(Giardini,Felice) 誕生 ヴァイオリニストで作曲家
4/12/1722 ナルディーニ(Nardini,Pietro)誕生 作曲家でヴァイオリニスト
4/12/1880 ヴィエニアフスキー(Wieniawski,Henryk)没44歳(誕生:1835/07/10)ヴァイオリニストで作曲家
4/13/1810 ダヴィッド(David,Felicien) 誕生「砂漠」を作曲したフランスの作曲家
4/14/1655 キンダーマン(Kindermann,Johann Erasmus)没39歳(誕生:1616/03/29)宗教歌曲、劇音楽の作曲家
4/14/1759 ヘンデル(Haendel,Georg Friedrich)がイギリスで没74歳(誕生:1685/02/23)ドイツの作曲家
4/15/1651 ガブリエーリ(Gabrielli,Domenico) 誕生 チェロ奏者で作曲家
4/17/1741 ナウマン(Naumann,Johann Gottlieb) 誕生 作曲家で指揮者
4/17/1774 トマーシェク(Tomasek,Vaclav Jan) 誕生 作曲家
4/17/1882 シュナーベル(Schnabel,Artur) 誕生 ピアニストで作曲家

今週は大物ではヘンデルの命日が4月14日にある。すでにモーツァルトは3歳の誕生日を迎えていた頃。

シュナーベルはピアニストとして著名だが作曲家としては通常の音楽史ではどのように評価されているのか興味あり。

歴史データベース on the Web( http://macao.softvision.co.jp/dbpwww/ ) データによる

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粘土遊び

4/9(土)にちょっとした機会があり、陶芸教室とバーベキューの集いに家族で参加してきた。

粘土を捏(こ)ねて器を作成するのは自分の小学校の図工の授業以来かも知れない。子ども達は粘土から器を作るというと、すぐに縄文土器を連想するようで、土器作りだねと喜んでいた。日常生活で使っている陶磁器は、土器ではあるのだが、土を捏ねて形を作り、釉薬をかけて、窯で焼き上げたものだという実感が得られないものが多いから、粘土と陶磁器の間に連想作用が働かないのも無理はない。

50人ほどが参加、講師は3人。半分以上が初参加ということで、まずは轆轤(ろくろ)を使って、円形の底を作り、その上に紐状に伸ばした粘土を丸く重ねていき、形を作るというあらましの説明があった。使った土は、信楽の粘土。室内ではなく、快晴の屋外で行なわれたので、粘土の乾きが早く、子どもが作るのを手助けしながらの作成だったので、なかなか念入りには作れなかったが、1時間程度で、それなりに抹茶茶碗めいた器が出来上がった。非常にシンプルなもので、高台も作らなかった。さて焼いてもらったらどうなることか。妻は縦型のマグカップで、色粘土で模様をつけ、講師に指導してもらい取っ手をつけてもらった。長男は、私と同じような器で、ご飯茶碗のイメージ。次男は、手仕事が早く素早く作っていたが、紐粘土同士の間のつなぎをしっかりやれず、母親と講師に手助けをしてもらって何とか完成していた。

その後はバーベキューパーティで、予め用意された肉、野菜、焼きそばなどの食材を、炭火焼のコンロで鉄板焼きと網焼きにして食べた。炭火は火力調整が難しく、すぐに焦げてしまうが、網焼きした豚のバラ肉はすこぶる美味だった。家族四人分としては、結構ボリュームがあり、残すのはもったいないので、頑張って食べたおかげで、帰宅後、腹をこわしてしまった。残念!野外料理は、2年ほど前に行った「こどもの国」での秋刀魚焼き以来だが、野生の血が騒ぐようで、たまには面白い。

この行事は、本社所有の広い野球場で行なわれたので、食前、食後には、時間をみては野球遊びもできて、子ども達は満悦だった。

4月4日から突然気温が上昇し、本当に一気に春が訪れた。山の木々は萌黄色の若葉を日に輝かせ、電車やバスの車窓から眺める道々の桜も満開でまさに春爛漫の風情。日差しが非常に強かったので、帰宅後、日焼けに悩まされたほどだった。

こんな風に、たまには粘土遊びも面白い。陶芸といえば、このような造形に加えて、うわぐすり、窯で焼くという高度な技術を要する作業があるが、初心者でも無心に粘土と取り組むのはいいストレス解消になる。

なお、講師の先生の 窯は、 ゆいり陶房 。ホームページがあるから開いてみてと言われたので、検索したらヒットした。ここです。

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中国での反日運動について

2004年8月9日の自記事「中国で行なわれたサッカーアジアカップの日本での報道について」で、中国における反日の動きについての、日本のマスコミの取材力不足についてコメントしたことがあった。

最近、北京、広州などで繰り広げられている反日デモについてのマスコミ報道は、どうか?通常、中国寄りと批判されることが多い朝日新聞も今日の社説では、「中国政府 なぜ暴力を止めないのか」と題して、中国政府のデモへの警察権力による規制を求めている。(明示的には書いていないが、要するに投石を暴力行為として、見て見ぬ振りをするのではなく、警察官がデモ隊を押さえつけろというのだろう)。

日本のマスコミが報道する今回の反日報道の映像を見る限り、中国の若者たちの行動、表情は非常に不愉快なものだ。投石、卵投げ、ペットボトル投げによって、日本大使館の前庭は汚れ、ガラスは一部が割られている。デモ行進の道沿いの日本料理店は、やはり投石などによりガラスを割られ営業停止をよぎなくされているという。また、広州あたりでは、日系のスーパー、ジャスコやイトーヨーカドーに群衆が押し寄せている。また、教科書問題に関係して一部の日本企業製品がボイコットを受けているらしい(アサヒビールなど)。ただ、暴力的と言っても、日本人の関係者にけが人が多く出たというレベルではなく、日本の60年代の学生運動よりもおとなしい。

ただし、在留邦人の安全上は、憂慮すべき事態だとは思うし、中国政府による「この事態の原因は、日本政府にある」というコメントは、自らの責任放棄に近いものだろう。この中国政府の弱腰の姿勢に今回の事態の謎を解くカギがあるのではなかろうか?

日本側の識者のコメントでは、江沢民政権による10年間の愛国(反日)教育の影響が、特にネットでコミュニケーションをとっている若者層を中心にして、中国にとっての戦勝60年の今年、噴出したものだと解説をしている。ただ、今回の学生を中心として若者は、そのような政治教育下で育ってきたとは言え、ネットを使いこなす能力が、あり、自由主義圏の多様な情報を得られる能力を持っているはずではないのだろうか?いわゆる「無知蒙昧」な愚かな群衆とは違うように思う。警察隊が塀の前に陣取り、その前にカメラマンが屈んで、デモ群衆を撮影している。その前で、何人かが、順々に定められた演技を行なうように投石を行なう。ひどく不自然だ。

今回の反日運動で、標的にされているのは、1.日本の歴史教科書が戦前の日中史で反省していないこと、2.日本が国連の常任理事国入りをもくろんでいること 3.尖閣諸島の領土問題、東シナ海のガス田開発など。目新しい問題としては、2と3だが、それでもこれまでは政府レベルの対応が多かったのに、昨年夏のアジアカップの頃から急に民衆レベルでの反日運動が盛り上がっているように見えるのは、どうしてだろうか?中国に赴任している知り合いに聞いても、アジアカップ時には上海でも江蘇省でも周囲の人々の様子にはほとんど変わりがなかったという。今回はまだ問い合わせていないが、どういう状況なのだろうか?

中国人の鬱憤が溜まっているのは、実感できるような気がする。改革開放の前には、一部の共産党特権階級とその他大勢がいた単純な社会構造だったが、今では沿岸部と内陸部の経済格差、個人の経済格差は膨大なものになり、これまでにない活気とともに不公平感による多大なストレスが人々にかかっているような気がする。よく指摘されているが、反日教育により、反日運動は政治的に公認されており、これを旗印にしている限り、当局も手出しはできない。明治維新で、攘夷が、幕藩体制打倒の合言葉だったように、反日も体制批判的な意味合いを持っているのかも知れない。これだけの経済的な大変動に見舞われている中国だ。これから何が起こるか目が離せない。

また、韓国での竹島問題を発端にした反日運動についても、マスコミは一部の跳ね返り的な集団をクローズアップして取り上げたキライがある。日常の交流、商取引は日々変わらずに行なわれており、全員が全員、反日に変わったわけでもないのに、一挙に全韓国国民が反日に豹変したような報道をする(ただし、盧武鉉大統領の親日政策からの急激な転換の背景についての突っ込んだ報道はされていない)。

どうも最近のマスコミは、一律に付和雷同的になっている。現地の特派員の質が低下しているのか、まず結論ありきの世論に迎合しているのか、報道姿勢に安定性がないように思う。冷戦時代のように、自分の位置をGPS的にナビできるそれなりに秩序のある状況でなくなっており、カオス化しているからだろうか?

アジアカップの時にもリンクした松永さんというライターのBLOG記事が、今回の反日騒動の規模、反日の青年層について参考になる。

 

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2005年4月 8日 (金)

ビジネスメルマガでクラシック音楽コラム発見

情報収集のためにいくつかのビジネス関連のメルマガ(メールマガジン)の配信を登録しているが、いつのまにか配信元数が多くなってしまい、なかなか全部に目を通す時間がない。

その中でタイトルに時節ピッタリの「春爛漫!桜満喫のススメ」なるメルマガを見つけ開いたところ、「バロックオーボエ」の記事が出ており、なんとマニアックなと思って読み始めたら、結構面白い。この記事を書いた人は?と経歴をみると加藤浩子さんという人で、Casa Hirokoというホームページを運営されていることも分かった。結構以前からこのページでコラムを連載されているようで、バッハ・コレギウムジャパンの鈴木雅明氏とも共著を出版するなどしているようで、なかなか面白い記事も多い。ただ、ビジネスマン系のメルマガでもあり、あまり目立たないので、これまで知る機会がなかったのは残念だ。

自分のLINK集にも追加した。

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音楽版今日は何の日データ

本BLOGでもリンクを張らせてもらっているが、歴史データベース ON THE WEBという優れたサイトがある。管理人の方が残念ながらお亡くなりになったので、現在は更新されていないが、相当使い勝手がよい。

「中年会社員の観察日記」さんの今日は何の日シリーズに刺激を受けて、歴史データベースのデータを元に、自分なりに「音楽版今日は何の日」データを整理し、エクセルのオートフィルタ機能を使って、今日が何の日か分かるようにした。

音楽史データではなく、歴史データなので、著名な作曲家が落ちていたり、逆にまったく知らないような作曲家が登場したりで、結構面白い。

ちなみに4月8日から4月10日は下記の通り。

    • 4/8 タルティーニ 生まれる 1692年
    • 4/8 ドニゼッティ 没する 1848年
    • 4/9 クリューガー 生まれる 1598年
    • 4/9 トスティ 生まれる 1846年
    • 4/9 ドラティ 生まれる 1906年
    • 4/10 黛敏郎 没する 1997年

珍しい名前としてはクリューガーで、指揮者として著名なドラティが指揮者兼作曲家で登録されていた。

3月21日から3月末までのめぼしいところでは、3/21/1685のバッハと同じ日3/21/1839にムソルグスキーが生まれ(没は3/28/1881)ている。またバルトークが3/25/1881に生まれている。同じ3/25/1918にドビュッシーが亡くなり、 3/26/1827ベートーヴェン没。3/27/1943ラフマニノフ没。3/30/1732 F.ハイドン誕生、など結構有名音楽家の記念日が目白押し。

また4/1から4/7の間では、

4月1日 1873 ラフマニノフ誕生、1917スコット・ジョプリン没

4月3日 1897 ブラームス没、1950クルト・ヴァイル没、1972グローフェ没

4月6日 1971 ストラヴィンスキー没

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2005年4月 7日 (木)

記事の編集機能が追加

4月7日メンテナンスが行われ、記事の編集昨日機能が追加された。

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  1. HTMLの編集もできるようになった。
  2. IMGの位置決めが難しかったが自由にできるようになった。
  3. ファイルもアップできるようになった。
  4. 日時も変更できるようになった。

ココログは、比較的先発だったが、各種BLOGサービスが雨後の筍のように発生してきて、機能的には見劣りしていたのでよいことだ。

これでレスポンススピードがあがればうれしい。

ファイルのアップロードの例

「one_giri.txt」をダウンロード

P4040024

イメージのアップロードの

今回の変更の背景が分かった。TYPEPADのアップグレード版がリリースされたのだ。

http://www.sixapart.jp/000207.html

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2005年4月 6日 (水)

新年度と夏時間

新年度が始まった。

欧では、3月の最終日曜日の午前2時、北米では4月の第1日曜日の午前2時をそれぞれ午前3時にすることにより、夏時間が始まるのだという。

日本では4月を年度の初めとする慣行が長いようだが、いつ始まったものだろうか。欧米では、学校は9月、企業は(さまざまだが)1月を年度の初めとすることが多いようだ。特に欧州は、高緯度に住む人口が多く、太陽の光を蓄えるために Day Light Saving を行うが、中緯度の日本ではその恩恵はあまりないのだろうか?夏ともなれば4時ごろから明るくなるのだから、実施する意味はあると思うのだが。

日本も、月の旧名 睦月、如月、弥生などの呼び名があるが、現在では数字で呼ぶのが普通だ。その点、欧米ではいまだに古めかしいローマの伝統を継ぎ、ヤヌスの月、Januaryなどとやっている。

中国では、曜日も月火水ではなく、第一星期、第二星期などとやっている。

所変われば品変わる。

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2005年4月 5日 (火)

カリンバ (親指ピアノ)

先週の土曜日に妻が手作りキットを購入した。1500円+消費税。(なお後で調べたら学研から1000円のキットが売っていたのを見つけた。)

途中から、結局私が製作することになった。といっても、木工用ボンドと金鎚、錐、ドライバーで簡単にできあがった。それでも時間的には半日を費やした。彩色をすればいいのだろうが、ベニヤ板仕様なのでどうも見栄えはよくない。

音色は、素朴で癒される音だ。一応箱型の共鳴箱に共鳴するようになっているが、共鳴孔上部のキーの音はよく拾うが、外れたところのキーはあまり響かない。

タンザニアの民族楽器というが、アフリカの多くの国々に分布しているらしい。

調律は金鎚でキーの長さを調整するだけで簡単にできるので、自分が心地よい音律を作ればいいらしいが、アフリカ音階 ドレミソラドや、沖縄音階 ドミファソシドなどが面白いようだ。8キーあるので、一応西洋音階も調律できるが、これで西洋的なメロディーを奏でてもあまり面白くない。即興的にペコペコ鳴らしてみるのが結構面白い。構造的にもともと他人に聞かせるものではなく、自分で楽しむための楽器という紹介もあった。

ネットで検索すると、多くのサイトがヒットする。まったく多様な趣味の世界があるものだ。

P.S.
同じキットを購入して作成した方からTBとコメントをいただいた。TBを返した。

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2005年4月 4日 (月)

ヨハネ・パウロ2世 逝去

4月3日(日)の早朝、夢現でラジオを聞いていたら、5時の定時ニュースで、ローマ法王の容態が危篤であると伝えるニュースの途中で、緊急ニュースが入り、日本時間午前4時20分頃息を引き取ったということを伝えていた。84歳、四半世紀を越える在位だったという。

音楽史の上でもローマ・カトリックの存在は抜きにして語れず、グレゴリウスやパレストリーナ、ビクトリア、天正遣欧使節のことを調べたいと思っていた矢先、7,8年前に、ちくま新書から「ローマ法王」(竹下節子)というコンパクトな概説書が発行されたので、すぐに購入した。今回の逝去にともない、一般向けとして注目される本になるだろう。この本では法王は当時9億の信者のトップに立つとされていたが、昨今の報道では10億人を超えるとされている。

宗教思想(キリスト教他宗派、イスラム教、ユダヤ教など)、科学思想(ガリレオ、ダーウィンなど)的には寛容、政治的には民主化を推し進めたヨハネ・パウロ2世の功績は歴史的にも大きな評価が与えられるだろう。今朝TBSラジオで、森本キャスターが毎日新聞の記者と話していたが、あの最後のソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフが、歴史的なマルタ会談の直前か直後にヨハネ・パウロ2世と会談したことがあり、その際にゴルバチョフが「実は私は4歳の時にカトリックの幼児洗礼を受けています」と告白したところ、法王は「それはバチカンの記録にあります」と答えたというという秘話を披露していた。バチカンの記録には凄みがある。

「ローマ法王」で竹下女史は、バチカンを情報ネットワークを通じたバーチャル国家という指摘していたが、バチカンの情報収集力は巨大かつ綿密だ。冷戦の終結への動きの背後には常にヨハネ・パウロ2世がいたという。

また、この日本では、カトリック信者は決して多いとは言えないが、幼稚園から大学までカトリック系の教育機関に何らかの形で関係を持ち学んだ日本国民は相当な割合になるという。とりわけ、ミッション系の女子大には、いわゆる「お嬢様たち」が学ぶことが多く、それらの女性たちが、将来社会的に重要な地位を獲得する(予定の)男性と結婚する機会が多いことも指摘されている(日本国の皇后陛下もミッション系の大学を卒業されていることも書かれていた)。また、プロテスタントが建国したUSAでも、私立教育ではプロテスタント系より圧倒的にカトリック系の教育機関が多く、プロテスタントであっても多くはカトリック系の教育機関で学んでいるのだという。

ローマカトリックのプラス評価の反面、カトリックが神父の妻帯を認めず、女性聖職者も認めていないことにも原因があるのだろうが、数年前から北米を中心に、神父による児童の性的虐待などのスキャンダルが相次いで報道され、ヴァチカンが単なる遺憾の念を表明しただけだった(ように記憶している)のは、問題の根深さを想起させるものだった。器具による避妊(荻野式は認められているらしい)、人口中絶、同性愛など、性愛、生殖に関することについては、ヨハネ・パウロ2世はずっと保守的な立場を崩さなかったようだ。これが、カトリック教徒の多い開発途上国での人口爆発に通じていることをローマカトリックはどのように考えるのだろうか?

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「アメリカ」「アンダンテ・カンタービレ」

BOOK OFFに スメタナ四重奏団のEMIへの録音の「アメリカ」と「アンダンテ・カンタービレ」が陳列してあった。昨年発売時には1300円だったものが、750円。チャイコフスキーの弦楽四重奏曲第1番は、全曲通して聞いたことがなかったのと、CDでドヴォルザークのこの名曲を所有していなかったので、迷わず購入。(ボロディンの「ノクターン」の含まれる弦楽四重奏曲もwish listに入っている)

リマスターは、日本人のディレクターが行ったようだ。その所為か、定位と分離がよい代わりに、音色的な魅力が多少失われているように感じる。【5/18】cocohore! で見つけた「新 ・ 音 物 語  確 変 中 !」を読んだところ、このリマスタリングへのより厳しい評価がありトラックバックを送った。

ドヴォルザークの曲は、自分で所有しているスメタタ四重奏団の神戸ライブ盤のLPで第4楽章を聞くと、機関車の疾走する光景が脳裏に浮かんだのだが、この古い録音ではそこまで快調な演奏ではない。年月の経過により解釈が変わったのかも知れない。アメリカのボヘミア人集落で、短期間で完成したこの曲は、全楽章とも非常に魅力的な曲だ。中でも第二楽章はしみじみと訴えかける。

チャイコフスキーの曲は、その第二楽章のアンダンテ・カンタービレという発想記号が、そのまま曲名に転用されたほど、有名な楽章で、他の楽章はほとんど聞かれる機会がない。解説によると、チャイコフスキーの若い頃の作品で、作曲技法に未熟な部分があるために、あまり愛好されていないのだという。今回一度通して聞いただけなので、第二楽章以外はほとんど記憶に残らなかった。

アンダンテ・カンタービレは、あの文豪レフ・トルストイが、実際のこの曲の生演奏を聞いて、涙を流すほど感動したというエピーソードを持つ。まさに、しみじみとした曲である。白樺の葉が黄色く色づいた初秋の宵を思い浮かべる。これこそ「アダージョ・カラヤン」ではないが、癒し、慰めの音楽だと思う。ロシア民謡の昇華とでも言うべき曲で、変に編曲されるより、原曲通りに弦楽四重奏曲で聞くのがいい。

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東京都恩賜上野動物園

土曜日に、5年ほど前に出かけて以来、しばらくご無沙汰をしていた上野動物園に行って来た。午前中に銀座に用事があったので、その後どこへ行こうかという相談をしたところ、パンダやサイ、カバを見たいということで、出かけた次第。(銀座の歌舞伎座では、五代目中村勘九郎改め十八代目中村勘三郎の襲名披露公演をやっていた。また、山野楽器で妻がタンザニアの「親指ピアノ」カリンバの手作りキットを購入した。)

前回は子どもも幼く、加えて夏の暑い日だったので、十分に動物たちを見ることができなかったのだが、今回は花見時と春休み最終土曜日ということで家族連れが多かったとは言え、正門から不忍の池方面まであまり省略せずに一通り見物できた。

メスパンダは、室内を悠々と歩き回っていた。インド象の排泄は豪快だった。ゴリラ舎にはシルバーバックが悠然と座っていた。「夜の森」という夜行生物の展示が面白かった。長男は、コウモリ類に興味を持っており、剥製や模型ではないコウモリをじっくり観察したいという希望をもっていたが、ここでかなえられた。コウモリたちが、逆さにぶら下がったり、えさをついばんだり、音もなく飛び回ったりしていた。ここには、ヤマネコも飼育されていたが、非常に可憐だった。

不忍池の近くにある小獣館でもコウモリの展示が見られた。また、ムササビやモモンガ、カヤネズミ、アブラコウモリなど妖精のごとき繊細でかわいらしい小動物たちを数多くみることができたので子ども達は大喜びだった。珍しい動物としてはタテガミオオカミが非常に長い脚で闊歩していたのが面白かった。

アフリカゾーンの動物たちは、ほとんどが室内に入っていた。サイ、コビトカバ、カバ、キリン、オカピ。日本では、横浜動物園ズーラシアのみにいると思っていた 珍獣オカピが上野動物園にいたのには驚いた。唯一ズーラシアでのみ見られると思っていたので、自分としては少々ショックだった。 (これがひそかな横浜市民共通の誇りだったらしいのは、翌日次男が友達に話したところ、友達が一様にショックを受けていたという話から分かる)

爬虫類館は16時半に閉館なので、滑り込みで入館できた。水族館的なディスプレーで結構面白かったが、私が小学校入学前の昭和30年代に始めてこの動物園に来たときの数多く展示されていた爬虫類はどこへ行ってしまったのだろうか?ヘビやトカゲの繁殖もしていたように記憶しているのだが。(当時、私は爬虫類に興味を示し、目を皿のようにして、多くの展示物を見て回ったらしい)。

月間来園者数では、旭川の旭山動物園に抜かれたこともある上野動物園だが、年間では今でも圧倒的な全国一の来園者数らしい。圧倒的な地の利と中学生以下無料というサービスから、このままでも来園者はそれほど減ることはないだろうが、小獣館のクマネズミ、ドブネズミなど日本の普通の動物ならここで見られるという展示が望まれる。また、日本の絶滅動物(オオカミ、エゾオオカミ、ニホンアシカ、ニホンカワウソ、トキなど)と世界の仲間との比較などがケージでできるような展示説明書などもあれば面白いと思う。

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