« 2005年4月 | トップページ | 2005年6月 »

2005年5月の26件の記事

2005年5月30日 (月)

カリヨンとメッヘレン

昨日、NHK総合テレビで、アニメ「雪の女王」と大河ドラマ「義経」の間に放映されている「世界遺産」の短編紹介番組で、カリヨンが特集されていた。カリヨンは、フランス語の4分の1、つまり15分が語源になった言葉とのことで、特にフランドルの教会や公会堂のカリヨンが紹介されていた。カリヨン学校なるものもあるという。鍵盤楽器ではないが、操作方法は、鍵盤楽器的だ。

カリヨン
(フランスcarillon)〈カリロン・カリオン〉旋律打楽器の一つ。音程を異にする多数の鐘をつるし、手または機械じかけの装置で打ち鳴らして奏するもの。組み鐘。ベル。Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988

その、カリヨンのある街の一つとして、メッヘレンが紹介された。Mechlin also Mechelen or Malines
A city of north-central Belgium north-northeast of Brussels. Founded in the early Middle Ages, it enjoyed its greatest prosperity during the 15th and early 16th centuries. Population, 77,010.  

この町は、以前無料でアクセスできたBritanica.comによると、大作曲家ベートーヴェンの祖父の出身地だということだ。「この町は、ベートーヴェンの祖父の出身地だよ」と子どもに教えたら、突然、以前買っておいた子ども向けの伝記「ベートーヴェン」を読み始めた。(ただ、この伝記、火の鳥人物文庫という講談社の出版のものだが、相当フィクションを交えてあるようで、こんなエピソードがあったのかというものが結構含まれていたので、少々心配)

なお、Mechelen Beethoven でググった結果はこの通り

| | コメント (0) | トラックバック (0)

郵便配達バイクの疾走

昨日の日曜日、近所に用事があり車を運転したのだが、行きも帰りも、郵便配達のバイクが猛スピードで疾走していたのを見かけた。制限速度50km/hの道路で、車の流れは約60km/hなのだが、そのバイクはそれよりも速かった。恐らく70km/h程度出していたのだろうと思う。ちなみに50ccのバイクの制限速度は30km/hのはずだ。何が彼らを駆り立てていたのだろうか?郵政公社の民営化か?日曜日だというのに、そのような猛スピードを出して配達に駆けずり回っているのは、民間の宅配業者との激しい競争のせいだろうか?現場へのしわ寄せがこのような形であらわれているとしたら問題だ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

のだめカンタービレ第12巻

妻が購入。

パリ編ということだが、カバー裏の作者の言葉では「第2楽章」?がそろそろ終わりというような意味不明のコメントがあった。まだ、パリのコンセルヴァトワールでの修業が始まったばかりでは?

さて、登場した曲では、
 ラヴェルの「マ・メール・ロワ」(オーケストラ版)
 武満徹「遠い呼び声の彼方へ!」
 シベリウス 交響曲第2番
  以上、千秋関係。

 バッハの平均律クラヴィーア曲集第2巻から第5番と第14番、ベートーヴェンの「悲愴」ソナタ、リストの「超絶技巧練習曲」。これは のだめ関係。

私のシベリウス鑑賞は、第1番と、この第2番、ヴァイオリン協奏曲、フィンランディアどまりで、ベルグルンド/ヘルシンキフィルの全集を所有していながら、クレルボ交響曲と第3番以降はまだまったく馴染めないままでいる。第2番をジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の1970年来日公演ライヴ盤で久しぶりに聴いた。ライヴとは言え、細部まで緻密、明晰で、隅々までライトアップされたような印象の音楽になっている。フィナーレは、音楽そのものが少々仰々しい作りになっているため、さらに粘着質な演奏の方が効果的ではないかと感じた。

ところで、気圧の低い飛行機内で音楽鑑賞をするとどういうわけか、音楽への感激度が高くなるとかいうことをあの野口教授がどこかで書いていたが、以前この交響曲をヨーロッパ出張から日本へ戻ってくるバージンの機内でエンジンの騒音交じりのヘッドフォンのひどい音で聞いたときに、その非常にラプソディックな演奏に感激したことを思い出した。その感激が飛行機内の要因によるものかも知れないという保留があるのだが、いわゆるドイツ的、構築的な演奏ではなく、テンポやデュナミークの変化の幅が大きいものだという印象を持った。誰の指揮だったのか思い出せないのだが。そのときには、シベリウスを、LPで親しんだザンデルリンクやこのセルのように演奏してはいけないのではないかと思ったのだが・・・

WIKIPEDIA にラヴェルの「マ・メール・ロワ」の解説があった。フランソワのラヴェル&ドビュッシーのピアノ曲集のCDにも収録されているが、このピアノ版はやはり連弾用だけらしい。のだめがこの曲をアナリーゼしているらしいのは、連弾の課題用なのだろうか?オケ版ではクリュイタンスとパリ・コンセルヴァトワール(音楽院)管の定評のある名盤を所有しているが、印象が薄い。むしろ、フランソワによる連弾版の方が、逆説的だが、色彩的に感じられて面白かった。

のだめが、リュカ少年(音楽院の同級生、ベロフのような天才少年!)の祖父に対位法の極意を質問する場面で、その人物(音楽学者)が、バッハのフーガは、「教会旋法、長音階、短音階のどれを使っているのか分からなくなったり、声部のつながりを途中で見失ったのを適当にまとめたりしている場合もあり、結構適当な部分もある。そんな面を含めてバッハが好きだ」とのたまうところがある。私のようなディレッタントには、バッハのフーガ(平均律曲集だけではないだろうが)のそのような面は全く分からないのだが、そのような指摘をしている文献などはあるのだろうか?お堅いバッハ学者のものではなく、グールドやその他演奏家サイドのコメントとか?

ところで、のだめの主任教授のオクレール教授、「遅れる」教授という冗談のような名前(スケヴェニンゲンというオランダの地名のようだ)だが、ミシェル・オークレールという女流ヴァイオリニストが実在する。

Conservatoire について調べてみたいと思い、ネットで探していたら、パリのコンセルヴァトワールを卒業してコンサートピアニストとして活動している島田彩乃さんという女性のサイトを偶然見つけた。コンセルヴァトワールへの入学試験についても触れてあり参考になる。また、この関連で、ベルギー在住のピアノ学生のこのBLOGが面白い。エリザベート王妃コンクールのことが詳しい。最新のレビュー、成績も出ており、ハチャトリアンという若手ヴァイオリニストが優勝とのこと。このヴァイオリニスト以前テレビ放送で見た記憶あり。
ところで、wikipedia では このように書かれている。

コンセルバトワール を デジタル辞書で調べたら、次のような少々混乱気味の説明があった。
(フランスconservatoireもともとは保護施設の意、そこで音楽を教えていたところから)音楽学校。特に、フランスのパリ音楽院の通称。一七九五年設立。近代的な音楽学校の最初といわれる。
Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988
 これによれば「保護施設」という一般名詞的な施設がパリにあり、そこで音楽を教えたから音楽学校がコンセルバトワールと呼ばれるようになったとも読み取れる。そうなると 伝統的な技芸を保存するという目的で作られた教育施設だからコンセルバトワールと名づけられたという説はどうなるのだろうか?

補足:トラックバックをいただいたので、そのサイトへトラックバックを返した。

| | コメント (3) | トラックバック (2)

2005年5月27日 (金)

5/28から6/3の音楽史カレンダー

歴史データベース on the Web のデータによる

今週土曜日から来週金曜日にかけての生没年データ。結構盛り沢山。

5/28/1787 レオポルド・モーツァルト(Mozart.Leopord)没67歳(誕生:1719/11/04)作曲家「オモチャの交響曲」を作曲した
5/28/1805 ボッケリーニ(Boccherini.Luigi)没62歳(誕生:1743/02/19)イタリアの作曲家
5/28/1922 タイケ(Teike.Carl)没58歳(誕生:1864/02/05)吹奏楽用行進曲作曲家「剛毅潔白」を作曲した
5/29/1860 スペインの作曲家アルベニス(Albeniz.Isaac)がカンプロドンに誕生
5/29/1897 コルンゴルト(Korngold.Erich Wolfgang) 誕生 作曲家「雪人形」を作曲した
5/29/1910 バラキレフ(Balakirev.Mily Alexseyvich)没73歳(誕生:1837/01/02)ロシアの作曲家
5/29/1922 ギリシアの現代音楽作曲家クセナキス(Xenakis.Iannis)誕生
5/30/1971 デュプレ(Dupre.Marcel)没85歳(誕生:1886/05/03)オルガン奏者で作曲家「受難交響曲」を作曲した
5/31/1656 マレー(Marais.Marin) 誕生 作曲家
5/31/1809 ハイドン(Haydn.Franz Joseph)没77歳(誕生:1732/03/31)オーストリアの作曲家
6/1/1804 [ロシア暦5月20日]ロシアの作曲家グリンカ(Glinka.Mikhail Ivanovich)誕生
6/2/1857 エルガー(Elgar.Edward) 誕生 イギリスの作曲家
6/2/1973 近衛秀麿没74歳(誕生:明治31(1898)/11/18)指揮者で作曲家
6/3/1875 ビゼー(Bizet.Georg)没36歳(誕生:1838/10/25)フランスの作曲家
6/3/1899 ヨハン・シュトラウス2世(Strauss.Johann)没73歳(誕生:1825/10/25)作曲家でワルツ王といわれた

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月25日 (水)

映画「ドン・ジョヴァンニ」(監督 ロージー、指揮 マゼール)のDVD

dongiovanniドリームワークスという会社から特価発売されているものを購入。税込み2,940円と安かった。(最新版のカタログからは落ちているようだが、通常価格は1万円ほどだったらしい) (画像は左がDVD、右がCD)

この映画は、スタジオ録音されたマゼール指揮のパリオペラ座管弦楽団とライモンディ(ドン・ジョヴァンニ)、ファン・ダム(レポレロ)、モーザー(ドンナ・アンナ)、テ・カナワ(ドンナ・エルヴィーラ)、ベルガンサ(ツェルリーナ)という豪華な歌手陣の歌唱に合わせて、歌手たち自身が17世紀、18世紀風の扮装をして恐らくイタリアと思われるロケ地で演技するというスタイルで撮影された劇場用の映画。音楽と映画の歌手たちの演技での口パクはよく合っていた。

この音楽の部分はCDでも発売されており、私がCDプレーヤーを初めて入手した1985年頃に購入して、初「ドン・ジョヴァンニ」として、いろいろ不満を覚えながらよく聞いた。CDには、通常添付されているはずのリブレットが当時のCBSソニーのおかしな企画(このオペラシリーズを数巻購入した人に豪華対訳本をプレゼント)のために初めから付属していなかったので、やむを得ず音楽之友社のオペラ対訳「ドン・ジョヴァンニ」を購入した。リブレットの対訳以外の「ドキュメント」と称する資料的な部分(E.T.A.ホフマン、キェルケゴールなど)やアッティラ・チャンパイによるディスコグラフィーのコメントが面白かったのでお買い得だったが。

さて、DVDをセットしてイントロダクションの映像が始まると、どうも普通のDVDソフトより滲みやチラツキ、ノイズが気になる。また字幕切り替えボタンを押しても反応がない。これはしたりと思っているうちに、序曲が始まる。この序曲演奏と歌手陣特にテ・カナワはチャンパイが特に評価していたもの。なお、指揮者、オーケストラは画面にはまったく姿をあらわさず(ちょうどベーム指揮、ポネル演出のフィガロと同じ)。序曲に映画の効果音が重なり耳障り。しばらくして歌手登場。なんと字幕は、DVDのデータではなくオリジナルの映画画面に日本での上映用に字幕としてプリントされたものだ。白抜きの手書きの日本語なので、背景が白いと読みにくいのは少々つらい。どうやらこの映画は、マスターデータをデジタルリマスターでDVD化したのではなく、アナログデータ?から、DVDにコピーされたようなものらしい。なんだか海賊版的で少々画質や音質が低く残念。上記の書籍によるとこの映画版も当時、ソニーからLD,VHD,VHS,ベータの各メディアで発売されていたようだが、その音質、画質などはこれよりましではなかったのだろうか?

5/24夜は、ドン・ジョヴァンニとツェルリーナのデュエットのあたりまで見たところだが、CDで聞くよりも、歌唱に比較してオーケストラのパートもバランスが強めにしっかり入っており、上記の本でチャンパイがマゼール盤について指摘していた「オケがBGMになっている」というような欠点は少々補正されているのではないかと思った。ただ、このDVDの音質はCDよりも大きく落ちる。CDは、ディレクターなどの趣味なのか、歌唱がクローズアップされて大きく、オケは伴奏的に収録されているためか、広がりが感じられない音響になっていた。そのため、密室での演奏を聞いているようで、息苦しさを覚えることがあった。それが、このDVDでは前述のような音響的な違いに加えて、ロケーション撮影が多いため、風通しがよいように感じる。

モーザーのドンナ・アンナは、CDではただヒステリックなキンキンした高音域が気になったが、演技と一緒に見聞きするとあまり違和感を覚えない。ドンナ・エルヴィーラのテ・カナワは、ベームのフィガロで演じた伯爵夫人を彷彿とさせる気品のあるその容姿のおかげで、ニュージーランンド風の発音の癖と低い音域の苦しさもあまり気にならなかった。ベルガンサのツェルリーナは、さすがに容姿としては若々しい村娘とは言えないが、歌唱はさすがだ。続きを見るのが楽しみになる。

さて、この「ドン・ジョヴァンニ」という作品は、モーツァルトの最高傑作とする専門家も多い。モーツァルト自身、わざわざDrama giocoso (滑稽劇と訳されることが多い)と呼んだ作品だ。Giocosoとは〔楽〕ジョコーソ,楽しい[楽しく],陽気な[に]ということで、直訳調では「陽気なドラマ」となる。これがいわゆるopear buffa (喜歌劇) や opera seria (正歌劇) と異なるのは、異様な短調と半音階の序奏部を持つ序曲(K.466ニ短調のピアノ協奏曲のエコーだろう)、冒頭のドンナ・アンナの父(騎士長)と主人公ドン・ジョヴァンニの争闘(決闘ではない)と騎士長の死、ドンナ・アンナとドン・オッターヴィオによる復讐の誓い、騎士長の亡霊の登場、そしてフィナーレ直前のドン・ジョヴァンニの地獄落ちなど陰鬱で不道徳な設定が多いため、決してハッピーエンドの喜劇とは言えず、また勧善懲悪的でもあることから悲劇とも言えない点にあるのではなかろうか? 

陽と陰が複雑に交錯する。レポレロの活躍など滑稽な部分もあるが、決して「滑稽劇」とは言えない。登場人物の性格設定も複雑で把握しがたい不安定な傾向が強い。それに地獄落ちの後に表れる、18世紀の枠組み劇的な無理やりのハッピーエンド風な音楽で終結する違和感(19世紀にはフィナーレはカットされたという)。弦楽五重奏曲ト短調のフィナーレやピアノによるニ短調のファンタジーが唐突に長調の「陳腐」なフィナーレで終結するのとパラレルな関係性があるように思われる。(ところで、ドラマ・ジョコーゾはモーツァルトのこの歌劇以外にも使用されている分類用語なのだろうか?)

「ドン・ジョヴァンニ」は「フィガロの結婚」を聞くときのように単純に主人公フィガロに感情移入しながら鑑賞するわけにも行かず、めまぐるしく混乱を招くような多様な様式の音楽と感情の変化についていくのが大変で、気楽な鑑賞はできない。そのため、この作品は自分にとって難解な作品のままの状態が長く続いている。

ベートーヴェンは、その潔癖な倫理感から モーツァルトが不道徳なドン・ファン伝説をオペラ化したことは許しがたいことだと考えたという。また、恋愛遊戯的な「コシ・ファン・トゥッテ」は好まなかったと伝えられる。(「魔笛」を好み、そのメロディーを用いたチェロとピアノによる変奏曲は楽しい)

-------
ドン・ファンというと女誑しの題名だが、ファンとは、 ヨハネ のバリエーションだという。

Don Giovanni ドン・ジョヴァンニ(イタリア語)
Don Juan  ドン・ファン(スペイン語)、ドン・ジュアン(フランス語 モリエールの戯曲はこの表記。Jeanになるはずだが?)
モーツァルトを崇拝した、R.シュトラウスが、「ドン・ファン」という交響詩を書いたのは、モーツァルトへのオマージュだったのだろうか?

-------
モーツァルトの歌劇についてよくまとまったサイトを見つけた。多くの情報が細かく記述されており参考になる。
MOZART OPERA モーツアルトの歌劇

-------
DVDでは、フルトヴェングラーの指揮姿がカラーで見られるザルツブルク音楽祭の上演を映画化したものが、現在容易に入手できるようになっている。これはいつか見てみたい。

-------
ところで、このような映画版のオペラとしては、同じくマゼール指揮による「カルメン」をVHSで保有しているが、これもDVD化はどうなのだろうか?

また、レンタルビデオで ゼッフィレリの演出による確かドミンゴ主演の映画版「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」を見たことがあるが、これなどは今でも入手可能だろうか?そのままオペラの舞台を撮影したものより、オペラ入門には最適だと思うのだが。

----------

2005年10月13日 「ドンナ・アンナの謎」について 音楽評論家 加藤浩子さんのBLOG記事が大変参考になったので、TBを送らせてもらった。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005年5月24日 (火)

ズーラシアは小中高生 土曜日無料

1月の末に真冬のズーラシアを訪ねたが、先週土曜日に久しぶりに家族で見物に行った。妻と次男は別の行事で3月頃訪問しているが、私と長男は4ヶ月ぶりだ。黄金週間の連休中は、最寄の中原街道と称する県道はズーラシア見物の車で大渋滞だったらしいが、この土曜日も好天だったせいか客足は好調だったようで、駐車場に10時頃着いたときには半分以上のスペースが埋まっていた。また、幼稚園の遠足もあったようで、大型バスが数台着いていて父兄と園児が園内に大勢いて賑やかだった。ところで、小中高生の土曜日入場無料はいつから始まったのだろうか?これまで知らずに過ごしていたのだろうか?受け付けで、無料券を発行してもらえば入場できるので、そんなことはないのだろうが。

初夏並みの日差しと気温で動物たちのご機嫌も様々だった。やはり熱帯出身(とは言え、希少種保護のため世界各地の動物園産まれが多いので必ずしもオリジナルな生息環境の出身は少ない)の動物たちは、この陽気にご機嫌だったようだが、冷涼な気候の出身や夜行性の動物たちは、ぐったりしていたり、熟睡しているものが多く見られた。よく見られずに残念だったのは、ユーラシアカワウソ(木の陰で眠っていたらしいく毛皮は見えた)、初めて見えたのはキュウシュウノウサギ。活発だったのは、ツキノワグマ、オオアリクイ、メガネグマ。ヤブイヌは最近ようやく展示場所をトコトコ歩く姿が見られるようになっていたが、今回は展示中止。オセロットは木のうろの中で眠っていた。このオセロットは、マーキング(尿による臭い付け)が活発で、いわゆる猫の尿独特の刺激臭が檻の近くに行くと強烈に漂う。すぐ近くのコモン・ウーリー・モンキーたちは不快ではないのだろうかと思うほど。

現在、オカピやヤマアラシのいるアフリカの熱帯雨林の奥で、アフリカのサバンナの動物エリアが建設中とのことだが、いつ頃開園するのだろうか?展示される動物は?

ところで、この前の記事でも書いたが、この動物園は、少々近道は設定されているが、入り口から出口まで一方通行で、フルに歩くと最後の方では相当疲労する。どのくらいの距離なのだろうと調べてみたら約4kmほどのようだ。散歩コースとしては適当な変化もあり歩きやすいので面白い。

園内にはアラースの谷(寒帯樹林)やアマゾンの密林などに浅い池があり、アメンボやシオカラトンボの姿は見るのだが、カエル類は卵もおたまじゃくしも見かけない。少々不自然だが、動物管理上の必要で地元ガエルたちの繁殖を抑制しているのだろうか?木陰の遊水池には真っ赤な錦鯉の姿は見られたし、ナベヅルやキツネなどの池にはオタマジャクシの卵も見られたのだが・・・。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

5/21から5/27 音楽史カレンダー

歴史データベース on the Web のデータによる

5/21/1871 オーベル(Auber.Daniel Francois)没89歳(誕生:1782/01/29)歌劇作曲家/「マノン・レスコー」を作曲した
5/21/1895 スッペ(Suppe.Franz von)没76歳(誕生:1819/04/18)オーストリアの作曲家
5/22/1795 マールプルク(Marpurg.Friedrich Wilhelm)没76歳(誕生:1718/11/21)音楽批評家で作曲家
5/22/1813 ドイツの作曲家ワーグナー(Wagner.Richard)がライプチヒに誕生
5/25/1934 ホルスト(Holst.Gustav)没59歳(誕生:1874/09/21)イギリスの作曲家
5/26/1773 ネーゲリ(Naegeli.Hans Georg) 誕生 作曲家音楽出版
5/26/1924 ハーバート(Herbert.Victor)没65歳(誕生:1859/02/01)作曲家「シラノ・ド・ベルジュラック」を作曲した
5/27/1840 パガニーニ(Paganini.Nicolo)没57歳(誕生:1782/10/27)イタリアの作曲家

(5/20アップ予定が、忘却により遅延)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月19日 (木)

モントゥーの「ロザムンデ」の音楽(抜粋)とハイドン

LONDONレーベルの セル/VPO「エグモント」への付随音楽の余白に、1957年録音のモントゥー/VPOによるシューベルト「ロザムンデ」の音楽の抜粋3曲が収録されている。この中の序曲が「魔法の竪琴」から転用されたものだ。録音時期は古くステレオ録音で左右に分かれた音像になっているのは分かるが少々ワウっぽく聞こえる。面白いことに、モントゥー/VPOのハイドンと同様にヴァイオリンが両翼配置になっているようだ。間奏曲はラジカセを買ってもらったときにFM放送でこの間奏曲の聞き比べ番組をやっていて偶然録音して何度も聴いた音楽で、私にとって音楽鑑賞の原点のような親しい曲だ。ピアノによる即興曲や、弦楽四重奏曲で同じメロディーが用いられているが、このオーケストラによる原曲?の魅力の方が勝っている。モントゥーの録音は、少々鑑賞には苦しいのだが、演奏は悪くないと思う。

ところで、モントゥーが優れた指揮者で、あの「春の祭典」のスキャンダラスな初演を受け持ったほど20世紀前半から活躍していた巨匠で欧米を股にかけて活躍したというのは知識としては知っているが、残念ながらこれまであまり聞く機会がなかった。 ただ、以前に別記事で書いたようにモントゥーとヴィーンフィルのハイドンは、それまで聞いたハイドン演奏のすべてを霞ませるほど優れたものだと思った。(アスキーによるウィーンフィル名曲集として書店で発売されていたもの。通常盤はネットで購入可)

ロンドンレーベルによる録音は上記のロザムンデの音楽とほぼ同時期なのだが、リマスタリングが成功しているのか非常に明瞭で安定した音質で鑑賞上まったく不満はない。「驚愕」と「時計」という耳にタコができるほど聞いたハイドンの有名曲なのだが、まずは両翼配置のヴァイオリンの掛け合いが非常に面白い。現代配置では第二ヴァイオリンがほとんと第一ヴァイオリンにマスクされてしまい聞き取りにくいのだが、これが相当独立して動いているのが聞こえる。編成はそれほど刈り込んではないようなのだが、木管楽器群も弦に隠れることなく音色的にも魅力的だ。それぞれのフィナーレなどは、ピチピチ活き活きしているのだが明晰であり、一本調子ではなくニュアンスも豊か、そして全体に気品がある。 (セルのハイドンはFMで聞いたり、録音状態の悪いエアチェックで聞いていたことがあるが、LPやCDではまだ聞いたことがないので評価は保留。)

この録音と手持ちのA.フィッシャーの全曲盤、C.デイヴィスとACO盤、カラヤンとBPO盤、アバドとECO盤と聞き比べてみるとその違いが歴然とする。近年のピリオドアプローチでは両翼配置は当然なのだろうが、比較的近年の録音であるアバド盤、そして全集録音までもしたA.フィッシャー盤が両翼配置を取らない理由が理解できない。以前音楽雑誌でハイドンの曲は、その見かけの親しみ易さから誤解されがちだが、相当高度なアンサンブル無しには成立し得ないものだと、ネヴィル・マリナーが語るインタビュー記事を読んだことがあるが、現代配置による録音は、アンサンブル上の妥協の産物ではないのだろうか?現代配置はハイドンの魅力を大きくスポイルものと言っても過言ではない。

A.フィッシャー盤は、モコモコした録音(録音場所はあのエステルハージ宮のハイドンザールというハイドンの中期までの交響曲の成立に深く関わったホールなのだが)とその録音のせいもあるのだろうが臨時編成による切れ味の不足と音色的な魅力の少なさで、愛聴には程遠い。カラヤン盤は、1980年代のカラヤン晩年の録音で、「豪華で鈍重な貴婦人の舞踊のようだ」と以前書いたが、自分の好みとは程遠い。アバド盤は、ヨーロッパ室内オケの緻密な演奏は評価したいが、愉悦感が不足する。生真面目で憂鬱そうなアバドの顔が思い浮かんでしまう。C.デイヴィス盤は、このモントゥー盤を聞くまでは最も気に入っていた演奏。隅々まで誠実できちんとしているのだが、余裕と弾力があるのが魅力になっている。 残念なことにモントゥーによるハイドンはこの2曲しか正規録音がないとのことで、非常に残念だが、それゆえに一聴の価値のあるものだと思う。

長老指揮者のハイドン その1・モントゥー編  このページのコメントは私の感想に非常に近い。

P.S. 2005.12.08 追記。ヨッフムのハイドンのロンドンセットの記事にTBを送った。

ヨッフムは、ロンドンフィルとロンドンセットを録音しているが、その内4曲がかつてLP2枚組で発売された折にもとめた。HPにも書いたが、気品のある音楽作りをしており、自分の聴いた限りでは現代楽器でのハイドンとしては、C.デイヴィスとACOとの録音とともに最も愛好するものだ。上記モントゥーは別格。また世評の高いセル(ハイドン学者のロビンス・ランドンが研究家を目指したのはセルとクリーブランドのハイドンを聞いたからだという)については音盤も所有していないため保留。

| | コメント (7) | トラックバック (1)

2005年5月18日 (水)

BLOGの意味

Blogで目指すべき「つながる」ことの意味という記事を読んだ。

なるほどと思う。

この私の拙い内容のBLOGでも、何人かの方にトラックバックやコメントをいただき、ほそぼそとHOMEPAGEを開設していた頃に比べたら格段にアクセス数が増え、それだけの人々と「つながっている」のだろう。自分自身も、主に興味のある分野については定期的に他のBLOGにアクセスして刺激やヒントを得ている。

BLOGが世の中をどのように変えていくのか。興味が尽きない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高裁の判決の影響力

諫早湾干拓事業、工事差し止め取り消し 福岡高裁
http://www.asahi.com/national/update/0516/SEB200505160004.html

つい最近、このような判決が下され、干拓工事が再開されることになった。既に重機の搬入が始まったという。

このような生態系に大きな影響を与える問題について、裁判長、陪席2名?程度の意見「関係は推定されるが、証明が十分ではない」というような非常に主観的な結論によって、今後数十年も継続する自然環境への影響、漁業の衰退を招くことが、世間の常識として妥当なのだろうか? 民主主義で運営されているこの国では、行政は、民意の多数を代表して行なわれているという擬制により実行されている。

しかし、あくまでも擬制であり、それが妥当という保証はない。人の数だけ正義はあるとは言え、このような重要な判断を少数の裁判官の意見(その形成が仮に非常に誠実に行なわれたものだとしても)に任せてよいものだろうか?非常に皮肉な言い方ではあるが、長沼ナイキ訴訟のようにこれは裁判に馴染まない高度に政治的な問題だとして、判決を避けるのがベターな対応ではなかったのではないだろうか?諫早湾沿岸地区で住民投票を行なうべき問題ではないか?

最近、「公共事業に影響を与えた司法判断としては、首都圏中央連絡自動車道の用地収用に執行停止を命じた03年10月の東京地裁決定や、小田急線の高架化工事の事業認可を取り消した01年10月の同地裁判決があるが、ともに東京高裁で覆された。」(上記 ashi.comの記事から部分引用)とあるように、 地裁レベルで、三権分立によるチェックアンドバランスの現れとして行政への制限をもたらす判決が出ているが、高裁ではそれが覆されるケースが多いようだ。

釈然としない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月17日 (火)

ジョージ・セル George Szell の ヨーロッパのオーケストラへの客演盤

久しぶりにHMVのサイトを覗いたら、デッカ・フィリップス録音のACO,LSO客演盤の集成や、ベルリンフィルライヴ、そしてグルダとVPOとの皇帝のDVD&CDセットなどが目にとまった。あのギレリスとVPOとのザルツブルクライヴや海賊盤のルガーノライヴの凄さに感銘を受けているので特にBPOとのライヴやグルダとの共演は食指をそそられる。また、ホロヴィッツとの怪演で名高いチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番も廉価で入手できるようだ。話題になったNPOとの第九なども。

セルがあそこまでCLOのアンサンブルを鍛え上げ得たのは、賛否はあるが彼の強烈な意志の賜物であろう。

それがヨーロッパのとりわけ名門楽団に客演した場合には、その意志の持つエネルギーがそのまま表現への意欲として転換し顕在化し得るのだろう。それゆえ概してセルの客演ライヴは素晴らしいのではなかろうか。上記の録音を入手して聞ける日を夢見つつ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年5月16日 (月)

観音崎県立公園を訪れる

P5150139子どものハイキングの付き添いで横須賀市の浦賀の東にある観音崎を訪れた。

横浜駅 からは、京浜急行の 三崎口行き の快速特急に乗車する。新幹線の座席のような進行方向2座のシートで快適だ(リクライニングかどうかは未確認)。京急は三浦半島を縫うように走るのだが、伊豆急と同じく山が海に迫る急峻な山の中を走るので、ほとんど展望は利かず海は見えず、迫る山肌やトンネルに三浦半島の険しさを感じる。司馬遼太郎の「三浦半島記」で六浦(横浜市金沢区のあたり)と横須賀市のあたりにこの半島としてはわずかな平地があるのみと書かれていた。このような険しい半島で、中世切っての豪族三浦氏が成立した不思議。

ほんの30分乗車して、乗り換え駅の 堀の内 で降りると、濃紺の学生服と学生帽を身につけた若者の姿が目につく。近くに防衛大学校があるからという。休日に街に出かけるときも制帽、制服らしい。非常に若く初々しく見えるのは自分が歳を取ったせいだろうし、現代の一般の若者の緊張感のない姿と違い彼らなりの目的意識をもっているその気持ちが若々しいためだろうと想像する。横須賀は幕末の小栗上野乃介による造船所の開設から昭和の敗戦まで日本海軍の町で、その後も米海軍と自衛隊が駐留しているのは知っていたが、日本国の防衛大学校がここにあったのは今回初めて知った(防衛医大が所沢にあるはずなのでその近隣かと思っていた)。近代戦争は、主にこのような若々しい若者が兵士として前線で戦い、多くが戦死したのだと思うと、その倍以上の馬齢を重ねている身としては、信じがたい気がする。

堀の内で浦賀行きの電車に乗り換え、浦賀へ約10分。浦賀駅からは観音崎行きの京急バスが出ており乗車。途中、鴨居の入り江などを眺めながら、約15分で観音崎のバスターミナルへ到着した。

 観音崎:三浦半島の東端にある岬。かつて走水観音があった。江戸末期、船見番所が置かれ、砲台(海堡)が設置され、また日本最初の洋式灯台が置かれた。仏崎。

 海堡(かいほう)海上に築造した砲台。大きな要港の入り口などに作る。東京湾に第二、第三海堡が残る。

 浦賀:神奈川県横須賀市の東部、三浦半島東端の地名。嘉永六年、日米通商を求めたペリーの来航地。

 浦賀水道:東京湾の入口にあたる房総半島と、三浦半島との間にある水域。

 浦賀奉行:江戸幕府の職名。相模国(神奈川県)浦賀に駐在し、江戸に出入する廻船の積荷および奥羽から大坂へ送る米穀を検査し、付近の幕府領ならびに浦賀町中の民政を扱う。享保六年二月に下田から浦賀に移る。定員は一人もしくは二人。

ということで、浦賀は幕末の開国と明治維新への動きの契機となったペリーの初回来航の地で、ペリーの艦隊は観音崎付近の海図作成のため、測量も行なったという。

横浜市青葉区の「子どもの国」もそうだが、ここも軍用地として一般人の立入が長い間禁止されており、そのため軍関係の人工の建造物の痕跡はあるが、原生林的な照葉樹林が残されたという皮肉な経緯があるようだ。5月にしては肌寒い日だったこともあり、来訪者はほとんどなく、静かな園内をリーダーに従って歩いた。ところどころに動植物の案内看板があり子ども達は競うように読みたがる。頂上付近には、花壇や子ども向けのアスレティック施設がありそこでしばらく遊んだ後、山を下り海岸に出る。途中、海難者慰霊碑が祀られていた。

自然博物館のある磯の付近で昼食。トビが数羽上空を旋回していたので気を付けていたのだが、昼食後のおやつのセンベイを食べながらぼんやりとしていたら、突然背後から羽音がして右手に持っていたセンベイが攫われてしまった。アブラゲではないがまさにトビに攫われたという不名誉を味わってしまった。

この付近の海岸は、関東大震災の際に海底が数メートル隆起したものだという。格好の磯になっており、釣り人も見られた。昼食後はこじんまりした博物館で、この観音崎を中心とした動植物や漁業の展示を見物。生息するというマムシなどのヘビも展示されていた。タッチプールでは、アメフラシ、ナマコ、タコ、ドチザメなどを触ることができた。アメフラシはヌルヌルしていると思ったら適度な弾力があり奇妙な感触だった。タコの吸盤の吸引力は強く、指を蛸壺の中に引っ張られた。浦賀水道は、船舶の銀座と言われるほど大型船が絶えず行き来している。山のように大きいコンテナ船、自動車運搬船も数隻見かけた。

岬の突端へは、海岸沿いの遊歩道が続く。途中、防衛庁の管理地があり、大きい字で「蝮に注意」と書かれた看板が立っていた。これはどうやら海堡のあたりのようだ。そこからしばらく行くと、洞窟があり、ここが仏崎⇒観音崎の由来になった洞窟らしい。この途中に岬の灯台に登る道があったが、今回は時間がなく登れず。詩人 西脇順三郎の 「燈台へ行く道」という詩の立派な碑が立てられていた。付近には野良猫たちが寝そべっていた。そこからバスターミナルへ向う途中の海岸は、磯遊びに最適な磯になっており、子ども達は濡れるのも構わず蟹と戯れていた。赤いテングサや薄黄色のもの、緑色のものなどのいろとりどりの海藻類が岩場に打ち寄せられており色彩的に非常に美しかった。バーベキューに興じる人たちも多かった。

磯遊びは、山国育ちの自分に取ってはほとんど縁のなかったもので、海への恐れとともに非常に魅力的に感じる。横須賀の海は、久里浜も城ヶ島も磯のメッカらしい。今度はゆっくり訪れてみたいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月13日 (金)

5/16から5/20の音楽史カレンダー

歴史データベース on the Web のデータによる

5/17/1866 エリック・サティ(Satie.Erik) 誕生 フランスの作曲家
5/17/1935 デュカ(Dukas.Paul)没69歳(誕生:1865/10/01)フランスの作曲家
5/18/1830 ゴルトマルク(Goldmark.Karl) 誕生 ハンガリーの作曲家
5/18/1901 ソゲ(Sauguet.Henri) 誕生 作曲家
5/18/1909 アルベニス(Albeniz.Isaac)没48歳(誕生:1860/05/29)スペインの作曲家
5/18/1911 マーラー(Mahler.Gustav)が連鎖球状菌性の咽頭カタルのため没50歳(誕生:1860/07/07)「大地の歌」などを作曲したオーストリアの作曲家
5/18/1975 ルロイ・アンダーソン(Anderson.Leroy)没66歳(誕生:1908/06/29)作曲家「タイプライター」などを作曲した
5/19/1964 アイヴス(Ives.Charles Edward)没89歳(誕生:1874/10/20)アメリカの革新的作曲家
5/19/1985 ローゼンベリー(Rosenberg.Hilding)没92歳(誕生:1892/06/21)作曲家で指揮者「ヨハネ黙示録」を作曲した

アルベニスとマーラーの命日が(年は違いますが)同じのには驚いた。ルロイ・アンダーソンも同じ日だ!

ゾゲとローゼンベリーは初耳。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

U2 "POP"

昨日の ENYA "WATERMARK" に続いて、珍しく Classical music のジャンルに含まれない分野のCDを購入した。POPは1998年頃発売されたもので、自分にとってはまだ新しいロックになる。

ビートルズ、サイモン&ガーファンクル、クイーン、ビリー・ジョエルなど少しは聞いてきたが、U2は名前をよくみかけるのにこれまでまったく聞いたことがなかった。

いつもの中古店を覗くと、廉価棚に U2 の "POP" が一枚だけ置かれており、ライナーノートも非常に分厚く、ディスコグラフィー付きだというので、さわりだけでも聞いてみようと購入。¥750.-

いきなりステレオで音を出すと、家人に「父ちゃんはいったいどうしたんだ?」と思われるので、こっそりヘッドフォンで聞いてみた。

(感想は別途)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月12日 (木)

Enya "Watermark"

watermark には第一番目の意味として「水位線」というものがあるが、その他に「水で出来た染み/汚れ」という直訳的な意味もあり、また「(紙の)透かし(模様)」というものがある。最近、HOMEPAGEの素材集などにも WATERMARK(透かし) という語が普通に出ているので、なじみのある言葉になった。

さて、この5月の初めに日本国の天皇と皇后が、アイルランド共和国を非公式訪問しその後現在ノルウェー王国を公式訪問していることを *astroblog の記事で知った。

アイルランドの著名文化人であるフルーティストのジェームズ・ゴールウェイ氏や、このエンヤ氏とも歓談したという別の記事を読み、急にエンヤの「ウォーターマーク」を聴きたくなった。中古屋で探したところ、見つかった。¥1,000.-

"Watermark" は、1988年に日本でもヒットしたアルバムで、当時貸しCD屋で借りてカセットにダビングしてよく聞いたものだった。その後しばらくして、縁があってアイルランドと仕事上の関係が生じ、いろいろ調べ物をしたおりに、音楽分野でエンヤの名前が、ロックグループの "U2"のボノなどと同様頻繁に出てきたのを覚えている。当時参加していたNiftyの海外旅行フォーラムでは、彼女の父親の経営するパブを訪れると彼女本人にも出会えることがあるというビックリするような情報もあった。

ところで、以前にも気が付いていたのだが、改めてライナーノートの歌詞対訳を見てみると、ラテン語の歌詞の楽曲をアイルランド語と誤解して訳出していなかった。ネットで探したところ、そのことに触れたサイトがあり、「Enya(エンヤ)の歌詞(英訳付き)」からこのラテン語歌詞とアイルランド語歌詞を英語に訳したサイトを見ることができる。

さて、肝心の音楽だが、シンセサイザーと彼女自身のボーカルの多重録音を多用した音楽作りが当時は非常に新鮮だったのだが、今となっては風通しの悪さを感じさせるようになった気がする。特に、非エレクトロニクス(いわゆるアコースティック)の楽器(ハープ、ホイッスル、フィドル、ドラムなど)を用いたトラディショナルなアイリッシュ音楽に少し馴染んでいる者にとって、民謡の繊細さとジグなどのエネルギッシュさを併せ持つトラディショナル音楽とのギャップを感じる。当時はシンセサイザー全盛でテクノというジャンルもありYMOなども活躍していた。現在そちらへの興味も薄れたので現状は分からないが、電子音は相当飽きられてきたのではないだろうか?アコースティック系では最終曲に、伝統楽器のバグパイプが使われているようだが、逆に新鮮だ。

このアルバムの曲はたゆたいや揺らぎを感じさせるものが多い。レオナルドのスフマート(ぼかし技法)や、ターナーの霧や靄のようなあいまいさも連想させる。自分のようにトラディショナルなケルト音楽に拘らなければ、非常に上質な音楽ではある。

大ヒットした Orinoco Flow はこのアルバムでは Storms in Africa と並んで数少ないリズミックな曲の一つだが、歌詞を読むとオリノコ川の流れそのものを歌ったのではなく、世界各地の地名の一つとして挙げられているようだ。以前、アマゾン川の大逆流ポロロッカ現象と混同して、このオリノコフローがオリノコ川の洪水ということを表しているのかと誤解していたことがある。

このアルバムの前に発売された THE CELTS や エンヤが属していたことのある 家族による音楽グループ「クラナド」に興味が湧いてきた。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ナポリタンソング集 ディ=ステファノ

中古店で何か面白そうなCDはないかと探していたら、先日イタリア料理を食べたこともあるのか、ナポリタン・ソング集が目にとまった。

ザ・ベスト・オブ・ナポリタン・ソング ジュゼッペ・ディ=ステファノ(テノール)
【曲名】
カタリ
帰れソレントへ
サンタ・ルチア
オー・ソレ・ミオ
フニクリ・フニクラ など

250円で購入。50年代の録音でモノーラルも多いが、開放的で少々センチメンタルなナポリの歌を堪能できる。カタリは高校時代の音楽の教科書に載っていて歌ったこともあるが、やはりこのくらい喉を開いて朗々と歌わなくては。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月11日 (水)

Mozilla Thunderbird

Spamメールが数多く届くようになった。ISP側のメーラーでフィルタを掛けていても、OUTLOOK EXPRESSで受信すると、迷惑フォルダに入っているものもダウンロードされてしまう。

タイトルのメーラー(フリーウェア)の評判がいいと聞いてダウンロードして試用してみた。しかし、ファイアウォール環境内ではどうもメーラーとRSSリーダーの同時設定はできないようだ。

ツールのオプションの詳細設定で、プロキシ設定があるが、メーラーは直接接続の時、RSSはプロキシ手動接続のときにしか使えない。

現在は、RSSリーダーとして試用している。自分のBLOGもRSSの意味が分からなかったので暫くRSS表示を不可にしていたが、ためしに復活してみたところ RSSリーダーで読み込めた。

SUBJECT名しか表示されない(要約が表示されるようにはなっていない設定が多い)だが、自分のBLOGに登録してしばしば記事を読ませてもらっているBLOGの更新状況が容易に分かるので、登録をしておくと結構便利だということに気が付いた。

ただ、RSSリーダーは結構沢山でているのだが、このサービスはいつまで続くのだろうか?以前プッシュサービスのPOINT CASTが便利だと感じて利用していたが、いつのまにか姿を消してしまった。マイサイトなどのISPのサービスはあるのだが、あのようにビジュアルも多用したサービス画面があればいいのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東洋人が西洋音楽を演奏すること、聞くこと

初稿:2005年4月1日 エントリー

(相当以前に書こうと思って下書きを書いていた記事ですが、とりあえずアップします。)

小澤征爾などの活躍により、日本人が海外で西洋クラシック音楽を演奏することは当たり前のようになり、商品としてのCDも全ジャンルの売り上げのたった1%程度とはいえ、コアなクラシック音楽ファンの存在により、メガストアのクラシック音楽スペースはかなり大きい。自分が関心があるからかも知れないが、ネット上でも多くのクラシックサイトが運営されている。また、新聞でもクラシック音楽のコンサートの広告記事など、相当のスペースを占めることがある。

もともと、文明開化以降の日本の音楽教育自体が、西洋音楽の輸入、消化によって成り立って来たわけで、その他の分野同様、追いつけ追い越せがスローガンだった。その精華が、サイトウメソッドとその門下生たちの活躍なのだろう。

産業革命以降、西洋文明が全世界を覆い尽くしている。(一方では、「文明の衝突」などということが言われ、西洋文明とイスラム文明の対立が激しくなっている。)その中で、西洋文明化した現代日本人は、自分が西洋文明を享受することはまったく不思議に思わない。欧州の都市を旅行すると、言葉の問題はあるにしても、日常生活ではほとんど違和感を感じないが、むしろ日本の田舎や中国の地方都市に行く方が、不便を感じる。それだけ、日常が西洋化しているのだろう。

音楽は世界の共通言語だという、楽天的な認識があるが、本当にそうだろうか?世界というのは、西洋文明のことではないのだろうか?文化大革命時代の中国はもとより、イスラム圏では、西洋音楽の演奏が、宗教的な理由から禁止されることもあると聞く。

近年、私の感覚では、小澤征爾、内田光子、ヨー・ヨー・マ、ズービン・メータ(インド系なのでコーカソイドだろうが)、五島みどりなどは、現代のクラシック音楽界ではビッグネームの東洋出身者であるが、彼らの演奏から受けるニュアンスが、同世代の西洋出身の代表的な演奏家からのニュアンスと微妙に異なるように感じるようになっている。内田光子などは、ヴィーン育ちでヨーロッパで教育を受け、ヨーロッパで大成した演奏家だが、彼女自身達者な日本語をしゃべることもあり、ニュアンス面では日本的なものを感じる。

音楽が含有するメッセージは多義的であり東洋人の解釈・演奏が間違っているとは言えないだろうが、多分ここで感じる違和感は非常に微妙なもので、例えば自分の母国語を、ネイティブではない外国人が達者にしゃべっているときに感じるような「バタ臭さ」のようなものだろう。

------
【追記】 5/11 「フランスに揺られながら」BLOGからトラックバックをいただいた。
このことに関していつも思い出すのだが、もう何年も前になるが、ヴィーンのピアニスト イエルク・デムスが来日して某地方都市でリサイタルを開いたのを聞いたことがある。デムスのピアノはLP時代にピアノ名曲集やパツァークの「冬の旅」のピアノで聞いていたのでその名前には親しみがあったし、吉田秀和の「世界のピアニスト」には技術的にはメロメロだが落語の名人を聞くような趣があると指摘されていたこともあり、期待して聞きに行った。曲目はシューベルトの即興曲集とベートーヴェンの第32番のソナタがメインだったと思う。

技術的な不安定さというのは、ときおり左手のコントロールがあいまいなのか急に強奏されたり、ぎこちない弾き方にあるのだろうかと感じたし、ベートーヴェンのソナタの第二楽章の変奏曲で、リズムがジャズ的になる部分など「頑張れ」と声援したくなるような個所もあったが、全体に非常にリラックスした雰囲気で、好々爺や孫にピアノで語りかけるような演奏だった。楽譜の再現演奏としての完成度から言えば、指捌きが達者な若手の方が優れているのだろうが、デムスは、完全に演奏曲を手中にしており、そこから自分の音楽を自然に表現しており、音楽と演奏の間の齟齬が感じられないのがよかった。素朴といえば素朴なのだが、意識的な解釈というものを超越したような音楽で、その面で「名人」的なのだろう。

落語の名人と言えば、放送アナウンサーの発声、発音、抑揚、スピードの標準的な話し方に比べて、相当デフォルメされた個性的な話し方をもっているものだが、音楽の再現演奏においても、似たようなことがあるのだと思う。例えば、前座噺の「寿限無」でも、アマチュア、前座、二つ目、真打、名人、大名人では相当異なるだろうし、これを放送アナウンサーがニュースのナレーションのように話した場合、日本語が達者な外人が話した場合では、大きくニュアンスの差が出てくる。伝統や文化的な背景への理解度、呼吸、間の差など、活字の落語台本に現れてこないものが表現の差となるように思う。

| | コメント (3) | トラックバック (1)

2005年5月10日 (火)

仕事の質と2007年問題

今、日本の企業では2007年問題というものが取りざたされている。あの空騒ぎ気味に終わったY2K西暦2000年コンピュータの繰り上がり問題があったが、今度のは人に関連するものだ。2007-60=1947ということで、敗戦後のベービーブーマー(団塊の世代)の大量退職が2007年頃から始まることにより、企業の業務に支障を来たすのではないかという懸念だ。

「西暦2007年問題」の解決策を募集します

2007年問題を笑い飛ばす人もいるが。

2007年問題のGoogle検索の結果

先日の母の日に女房サービスで、近くのファミレスで食事を取った。量や質もまあまあでこんなにリーズナブルな値段での食事はいいものだと思って、子ども達がデザートを食べているときに、何の気なしに請求書を眺めていたところ、注文していないものや、重複注文があるようだったので、係りの人を呼んで確かめたところ、間違いを認めて、レジで金額の修正に応じた。恐らく我が家が品数を多く注文したこと、何やかやと注文名を言い直したりしたことで、ウェイトレスが注文用の入力を間違えたのだろう。ただ、そのときに通常のファミレスでは必ずマニュアル化されている注文品目の復唱をしなかったので少々奇異に感じていたのだが、まさか間違えられるとは思わなかったので、そのままにしていた。また、運ばれた料理は、我が家で注文したものだけで、余分なものや重複は運ばれてこなかったので、厨房側では分かっていたのかも知れないという疑いは残る。

ファミレスのウェイトレスはほとんどがフリーター、アルバイトの若者だ。このような低料金でマニュアル化されているとはいえそれなりのサービスを受けられるのは、サービス大国の日本ならではだろう。(欧米などでは、それなりのサービスを求めるにはそれなりの対価が必要だし、チップも弾む必要がある)ただ、彼らにはその仕事への誇りはあまりないだろう。先日重大事故を引き起こした電車の運転手は23歳の若者だったという。JRの運転士の年齢構成は、団塊の世代クラスのベテランとそのような若年の2極化になっており、ベテランと若者のジェネレーションギャップもあり、コツや勘のような言葉にできないノウハウのような事柄の継承があまりうまく行っていないのではないか。(これは自分の職場での体験からも実感的なことだ)。そして一方で経験を重視しないマニュアル化された業務につかざるを得ない若者が多い。そのような仕事しか与えられない(与えられないという受身の姿勢ではいけないという批判は棚上げ)若者にNEET ニート、引きこもりが増加しているようだ。

国家による義務教育が、その国民性、その世代の性格をすべて規定してしまうということはないだろうが、現在定年を迎えようとしている団塊の世代(若い頃は学生運動、企業に入ってからはモーレツ社員)の性格は、エネルギッシュで責任感と競争心が強いという点にあると感じる。この世代的な特徴が、きめ細かなサービスの追求、秒単位の列車ダイヤの維持のような一種曲芸的な業務遂行を可能にしてきたのではなかろうか?

そして今やそれらが社会の各分野、各層で失われつつあるというのが、今の日本の置かれている状況ではなかろうか?社会の要請の方向は、スピード、巨大化、極小化、システム化ではあり、その勢いがとどまりそうもないが、自分の世代を含めてその社会の構成員からは責任感、プレッシャーへの耐性などが失われ次第にいい加減になってきており、その要請と社会の構成員の資質のギャップが噴出し始めているのではなかろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月 7日 (土)

5月7日 ブラームスとチャイコフスキーの誕生日

ブラームスは1833年、チャイコフスキーは1840年のこの日に誕生した。

聴いたのは、
◆ブラームスのハンガリー舞曲集 No.1,4,5,6  ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

◆チャイコフスキーの バレエ「眠りの森の美女」から組曲 レヴァイン/ヴィーンフィールハーモニー管弦楽団

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月 6日 (金)

5/9から5/15の音楽史カレンダー

歴史データベース on the Web のデータによる

5/9/1740 パイジェロ(Paisiello.Giovanni) 誕生「偽の伯爵夫人」の作曲家
5/9/1799 バルバートル(Balbastre.Claude-Benigne)没72歳(誕生:1727/01/22)オルガン奏者で作曲家「フランスのクリスマス・カロルによる変奏曲の4つの組曲」を作曲した
5/9/1959 梁田貞、没73歳(誕生:明治18(1885)/07/03)作曲家  ・・・ 「城ヶ島の雨」など
5/11/1791 ヴォルジシェク(Vorisek.Jan Vaclav) 誕生 ボヘミアの作曲家
5/11/1849 ニコライ(Nicolai.Carl Otto Ehrenfried)没38歳(誕生:1810/06/09)作曲家で指揮者 ・・・ウィーンフィル
5/11/1916 レーガー(Reger.Max)没43歳(誕生:1873/03/19)ドイツの作曲家
5/12/1842 マスネ(Massenet.Jules) 誕生 フランスの作曲家
5/12/1845 フォーレ(Faure.Gabriel-Urbain) 誕生 フランスの作曲家
5/12/1884 スメタナ(Smetana.Bedrich)没60歳(誕生:1824/03/02)チェコの作曲家
5/12/1931 イザイ(Ysaye.Eugene)没72歳(誕生:1858/07/16)ヴァイオリニストで指揮者、作曲家
5/12/1982 サール(Searle.Humphrey)没66歳(誕生:1915/08/26)作曲家「ハムレット」を作曲した
5/13/1842 サリヴァン(Sullivan.Sir Arthur) 誕生「ミカド」を作曲した作曲家
5/14/1805 ハルトマン(Hartmann.Johann Peter Emilius) 誕生 作曲家でオルガン奏者
5/14/1853 バイエル(Beyer.Ferdinand)没49歳(誕生:1803/07/25)ドイツの作曲家で、バオエル教則本を著した
5/15/1567 イタリアの作曲家モンテヴェルディ(Monteverdi.Claudio)がクレモナに誕生
5/15/1873 チェレプニン(Tcherepnin.Nikolay) 誕生 作曲家「アルミードのあずまや」を作曲した

5/14/1671 「アルビノーニのアダージョ」のイタリアの作曲家アルビノーニ(Albinoni.Tomaso)がヴェネツィアに誕生
となっているが、6/14が正しい。(他のサイトで確認済みです。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

5月1日 ドヴォルザーク 101回目の命日

1904/5/5 1 ドヴォルザーク(Dvorak.Antonin)没62歳(誕生:1841/09/08)ということで、去る5月1日は、昨日5月5日(日本や韓国では子どもの日)は、ドヴォルザークの命日だった。

ドヴォルザークの曲については、有名曲を通り一遍的に聞いている程度でそれほど強い思い入れはないが、それでも時折無性に聞きたくなることがある。

ペタントニックペンタトニック(pentatonic 形容詞、5音階法ならば名詞のpentatonismが適当か)を多用した彼のメロディーが郷愁を誘うからだろうか。
 (アメリカ国防省がペンタゴンなのだから五音階もペタントニックで当然なのだが、ついペタントニックと書いてしまうことが多い。冷や汗もの)

今夜は、弦楽セレナーデを聞きながら眠ろう。

【5/6追記】
歴史データベース on the webのデータでは 1904/5/5となっていたのだが、

>1904/05/05,明治37/05/05
>ドヴォルザーク(Dvorak,Antonin)没。62歳(誕生:1841/09/08)。チェコの作曲家。

他のサイト クラシックデータ資料館などを見たら、5/1が命日だった。
http://www.interq.or.jp/classic/classic/data/perusal/list/index.html

日付のようなデータは、やはり複数の資料にあたるべきだと自戒。

所有している(というか他の演奏はFM放送を聴かなくなってからほとんど耳にする機会がない)CDは、特に演奏者を選んだわけではなく、田舎のCD店で目について購入した パイヤール指揮の同名合奏団のもの(ERATO)。

いつもは恒例のカップリングであるチャイコフスキーから先に聞いて、ドヴォルザークを聞く頃にはおざなりになることが多いのだが、昨夜はドヴォルザークのみを聞いた。パイヤール合奏団は、ミュンヒンガーなどと並んでバロック音楽復興期に大活躍した団体で、ランパルとラスキーヌをソリストに迎えたモーツァルトのフルートとハープのための協奏曲は名盤の誉が高く、他にも録音が多かった。ロシア貴族はフランス語が話せたというほどフランスへのあこがれが強かったようだが、ドヴォルザークはどうだったのだろうか。ボヘミアの田舎に生まれ育ち、ブラームスの知遇を得てヴィーンでも活躍、アメリカに渡り帰国するなどした彼だが、フランスの指揮者、団体によるドヴォルザークは他にあまり耳にしたことがない。

他に比較する演奏がないので特徴を述べるのは困難なのだが、弦の微妙なニュアンスを生かした聴き疲れのしないものだと思う。「道」のジェルソミーナのテーマ(ニーノ・ロータ)に用いられたメロディーも可憐だし、フィナーレが「アメリカ」張りに汽車の快適な走行を連想させるのも楽しい。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年5月 5日 (木)

一夜城と地球博物館

P5040080この黄金週間は、2日と6日が通常の出勤日と登校日のため、我が家では最長10連休の可能性はまったくなく、実家への里帰りもできなかった。

ちなみに、中国本土は労働節(メーデー)を起点にした7連休が数年前から国の制度となっている。これは日本のゴールデンウィークを真似て内需拡大を図ったものだという。しかし、香港、台湾はメーデーは休日だが、それ以外は休まない。韓国は5月5日が日本と同様子どもの日の休日になっている。つまり、日本と中国本土以外は世界的にこの期間は特別な連休になっていないため、輸出入の関係する製造業、貿易関係ではさまざまな支障が出る。なお、台湾企業は猛烈に中国本土に進出しているが、相当高い休日割増しを払って工場を操業している企業も多いという。閑話休題。

さて、5月4日は国民の祝日で休み。以前から計画していた小田原市にある「神奈川県立 生命の星・地球博物館」に行くことにしたが、五月晴れになりそうだとの天気予報を聞き、室内ばかりでは惜しいと、そのすぐ近くに位置する豊臣秀吉の小田原攻めに使われた石垣山(通称 「一夜城」)までハイキングで往復した後に、博物館に立ち寄り、帰路鈴廣の蒲鉾博物館を見物し、最寄の地ビール工場に併設のビヤホールで食事をしてから帰るというスケジュールにした。

小田急も大山、丹沢、箱根方面への観光客で相当混んでいた。箱根登山鉄道へは箱根湯本まで小田急が乗り入れており、その入生田(いりうだ)という小さい駅で降り、歩道橋を渡るとすぐに立派な博物館の建物が目に入る。早川を隔ててその向こうに箱根方面から海岸に向けて伸びている尾根の一番海際の小さいピークが一夜城の旧跡で、入生田駅から約3kmで1時間の道のりとのこと(なお、歩道橋で跨いだ国道1号線は非常に込み合っており、小田原始発の箱根行きのバスは交通渋滞のため、箱根湯本からの始発に急遽変更とのアナウンスが電車内で流れていたほどだった)。

博物館で用を足し、早川にかかる太閤橋という古いコンクリート製の橋を渡る。その先にも舗装道路は続くが、工事中とのことでクルマの進入は禁止されていた。途中まで立派な舗装道路が続くがクルマを気にすることがないので非常にのんびりと歩くことができた。しかし、いずれ工事完成後にはこののどかな山道も車のガスと騒音にまみれるのだろうと思うと少々憂鬱になる。尾根の急斜面はこの土地の先人達の築いた立派な段々畑の石垣があり、主に蜜柑畑が営まれていた。蜜柑輸送用の農業モノレールが珍しく、子ども達は興味津々だった。途中に茶畑もあった。それにしても、この山奥にまで立派な道路を通し、山肌にがけ崩れ防止の巨大な胸壁が設けられているのは、いわゆる公共工事による税金の無駄遣いではなかろうか?途中、箱根ターンパイクをまたぐあたりで橋梁工事中でハイカー用に工事用の歩道が設けられていたが、なぜあんな立派な橋梁が必要なのだろう?

非常に好天で日差しが強く、子どもに合わせて10分歩き5分休みというペースだったので、標準時間のほぼ2倍の所要時間でお昼頃ようやく一夜城の城跡に着いた。展望台からは相模湾から相模灘と小田原市方面が望め、海浜に白い波が打ち寄せ、漁船がいくつか漂っていた。絶景だったが、この城の狙いだった小田原城跡は、ちょうどその方向に木が生い茂り、肉眼では見通せなかったのは残念だった。

本丸には木造の神社や相当古い石塔などもあった。小田原攻めの後は廃城になったのだろう。昔の栄華いまいずこ。本丸のはずれには天守台という小高い丘もあったが、天守閣が建造されていたにしては狭いもので、周囲の木々により展望は利かなかった。

本丸から一段小田原側に下ったところにある二の丸は結構広い芝生の広場になっていて、家族連れや若者が結構訪れて来て、昼食を取り、遊びに興じていた。我が家でもここで昼食にした。ゴムボールを持参してきていたので、子ども達とハンドベースボールごっこをやって楽しんだ。なお、この城跡には東海道線の早川駅方面からはクルマで登ってくることも可能で、結構広い駐車場があり、小田原周遊バスなどという100円で乗れるバスのルートにも入っているようだった。

秀吉はここに布陣している100日間、京都からの勅使を迎えたり、大坂から淀君や千利休を呼び寄せたり、仙台から秀吉に和を講じにやってきた伊達正宗に面会し、その威に服させたというような逸話があるという。

このような山城ゆえ水はどうしたのだろうと思っていたが、場内の案内札に井戸曲輪(いど くるわ)というものがあり、直接見には行かなかったが、後で調べてみると相当立派なもので今でも水が湧き出しているという。この山城は独立峰ではなく、箱根の方からの山の稜線にあるため、恐らく地下水が出やすいのだろう。(帰路、子ども達とあのような山で生活するのに苦労するのは何だろうと問答してみたがすぐには分からなかった。)

参考:いしがき‐やま【石垣山】 神奈川県小田原市内南西方にある山。明応四年北条早雲、天正一八年に小田原征伐の豊臣秀吉が陣を置いた。標高二四一メートル。笠懸山。(国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988)

国の史跡であり、この辺一帯は富士箱根伊豆国立公園に含まれるのだという。

下山にはそれほど時間を要さなかったが、登りには気がつかなかった山の荒れが目についた。ヒノキ林なのだが、細い倒木が結構目立つ。また風水害による倒木もあるようだ。ターンパイクを走るバイクなどの爆音がなければ、ヒノキの森林浴もでき、空気も新鮮でまったくの別天地なのだが。なお、下山前に駐車場のそばに近隣の農家の人が夏みかんなどの売店を出していた。新茶が安く売っていたので求めたが、帰宅後淹れると淡い色だが香りが爽やかで美味だった。

県立地球博物館は、もともと横浜の馬車道にあった県立博物館の科学部を1995年にここ移転させたものだという。ホームページからは想像もつかないような立派な建物と展示内容(検索したら詳しい感想が見つかった。視覚障害のある人にも触感により実感できるユニバーサル方式で有名なのだという。)だった。なお、科学部移転後の県立博物館は、県立歴史博物館という名称になった。

数ヶ月前、昨年の秋に新装なった国立科学博物館の新館(最大のティラノサウルス・レックス スーが来日している恐竜博2005にも前売り券があるので行く予定だが、結構混んでいそうだ)にも行って来たが、この生命の星・地球博物館の展示はそれに比べて規模は小さいとはいえ工夫が凝らされ充実している。特に、地質時代関係の標本はほとんどが手で触れることができ、2トンもある巨大鉄隕石や、39億年前の地球最古の岩石に触れることはもとより、その後に控える動物の剥製類にも触ることのできるものが多い。その他の展示もコンパクトだが工夫されており、あえて言うならば、国立科学博物館よりも優れている。ディプロドクス、ティラノサウルス、マンモスなどの骨格標本もあり、オオカミなどの哺乳類、海獣類、霊長類の剥製もあった。子ども達も大はしゃぎだったし、巨大な水晶、アメジスト、トルコ石、砂漠のバラなどの標本には妻もうっとりしていた。昆虫類も国立科学博物館同様、多様性という視点でまとめられていたが、巨大昆虫のコレクションが面白かった。また、映像室では短編映画が上映されているが、コンパクトではあるが質の高い映画館になっていた。

3階(2階は実際は中2階でライブラリがある)には神奈川県にゆかりのある展示がされており、地質学的な展示から動植物の展示が結構充実している。アケボノゾウやナウマンゾウの骨格レプリカもあった。現在では北極圏に住むヘラジカがかつてこの神奈川にも生息していたというのが面白かった。日本オオカミの頭骨は丹沢山地の民家にいくつか伝わっており、丹沢にかつて生息していたのだが、残念ながら剥製展示は「模造剥製」というもので、恐らく柴犬などを元に作られたものだと思われ、絶滅動物のコーナーに展示されていた。長男は現在ニホンオオカミに非常に関心があり、ミュージアムショップに1998年にオオカミの特別展が開かれた際の図録があるのを見つけ、購入した。

なお、入場券を購入しなくても、3階の巨大図鑑の部屋や映像室、レストラン、ミュージアムショップ、トイレなどは利用可能のようだった。(2階はミュージアムライブラリ)

連休の中日なので非常に混雑するかと思っていたが、場所が辺鄙なせいもあり、訪問客があまり多くないのは、これだけ充実した(要するに税金を多く費やしている)博物館としてはもったいないものだと思った。

隣駅の風祭駅で降り(風祭駅はプラットフォームが非常に短く、箱根湯本方面の一両分のドアしか開かないので注意が必要)、近くにある蒲鉾博物館を閉館前の5分程度駆け込みで見学し(残念ながら蒲鉾作りの実習は次回以降に持ち越し)、道の向かいにある蒲鉾屋直営の大きなビアホールで夕食にした。ほとんどがクルマでの来客だったようだが、当然といったように皆さんビールを召し上がっていた。箱根コースというのをオーダーしたが、結構珍しい料理なども出たし、地ビールも旨かった。ただ、連休中で多忙なのだろうが、コースの料理が順番通りではなかったのと、料理のサービスの間が開き過ぎたようで、少々残念だった。

帰路の小田急も行楽帰りの人たちで混雑しており、ずっと立ち通しで疲れた。

このようなハイキングは、適度に身体に刺激を与えてくれるので、たまにはいいものだ。

【追記】
国語で擬人法というのを習っているというので、歩きながらその話をしたところ、山の木々が風に揺れているのを見て、「木が手を振って見送ってくれている」とか言っていたのを思い出した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月 3日 (火)

世界で?最も美しい50人 2005

ヤフーを見ていたら、「世界で最も美しい50人」が発表! という記事が目に入った。「世界で?」と思い、元記事を読んで見た。USAのPEOPLEという雑誌の恒例の特集なのだという。リストアップされたのはこの50人

ざっと読んでみたが、IN THE WORLD だとか GLOBAL だとかいう言葉は使われていないようだった。「世界で」というのは、どうやらヤフーニュースの解釈による意訳のようだ。

ただ、ヤフーの記事にもあるようにスポーツ界では英国籍のベッカムやロシア国籍のシャラポワなどがリストアップされており、いわゆる欧米人的な「世界」で選考されたようだ。欧米ゆえに、黒人系の俳優なども選ばれているが、東洋系はリストアップされていないようだ。

USAは、自国内のプロ野球の選手権を、ワールドシリーズなどと名づけるなど非常に臆面のないというか、厚顔無恥というか、鼻持ちならないというか、あちらの言葉で arrogant な国民性を持っているので、今回のもそうかと勘繰ったのだが、その辺はどうやらごまかしているようだ。

その点で、 アジアンビューティー を積極的にアピールしている花王のアジエンスのCMは、PEOPLEのような西洋一辺倒へのしっぺいがえしかも知れない。

参考:ASIENCE:あのCMが現実のものに!

まあ、「旧人」(ホモ‐サピエンス‐ネアンデルターレンシス,ネアンデルタール人)を滅ぼした「新人」(ホモ‐サピエンス‐サピエンス)の子孫たちが生物史的に非常に短い期間通用する「美的基準」で争っても仕方がないのだが。これも竹内久美子氏などに言わせると、セルフィッシュ・ジーンの戦略なのかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ギャラリーフェイク完結

アイルワース版のモナリザについて2度ほど書いた(*)が、もう一枚のモナリザの発見をライフワークにしていた贋物画商藤田玲司が主人公の「ギャラリー・フェイク」がとうとう完結になった。先日、コンビニで分厚い最終巻を目にして購入、一気に読んだ。

(*) 2005年4月20日 (水)もう一枚のモナリザ発見についてのまとめ記事

2005年3月31日 (木)「もう一枚のモナ・リザ」

ネタバレになるのであまり詳しくは書かないが、レオナルドの弟子で小間使い兼、稚児のサライ(小悪魔)の描いたモナリザの模写?が鍵になっている。

細野不二彦の絵柄はこの作品を通して、相当ころころ変化したが、最後はさすがに気合を入れて描いたように感じた。

それにしても「アイルワース版」の若きエリザベッタ夫人は美しい。ルーブル版の謎めいた微笑はないが。

isleworth "mona lisa" で google って見た結果。 いくつかのサイトで Isleworth 版 Mona Lisa を確認できる

このサイトでは、レオナルドの文献がリストアップされているが、この中に

Eyre, J. R. (1923). The two Mona Lisas : which was Giacondo's picture? : ten direct, distinct, and decisive data in favour of the Isleworth version, and some recent Italian expert opinions on it. London, J.M. Ouseley & son ltd.

Eyre, J. R. (1924). The two Mona Lisas; which was Giocondo's picture? Ten direct, distinct, and decisive data in favour of the Isleworth version, and some recent Italian expert opinions on it. London, J.M. Ouseley & Son Ltd.
なる1923、1924年付けのアイルワース版に関するレポートのようなものもある。恐らくこれが、学界で通説となっている論文なのではなかろうか?
【5/5追記】 改めてこの論文の題名をちゃんと読んでみると、これはアイルワース版を有利としているので、元東北大教授の言う「学界の通説」とは違うもののようでした。「二枚のモナリザ。どちらがジョコンダ(夫人)の絵だったのか?10件の直接的な、明白な、決定的なデータがアイルワース版の有利を示す。かつこれについてのイタリア人の専門家の最近の意見のいくつかがある。」というようなもの。

また、Isleworth は アイルワース版モナリザで知られるという 紹介もある。

日本テレビの番組での紹介に関してはこのblogがテレビ画像をキャプチャーしていて面白い。

「ギャラリー・フェイク」で言及されていたラファエロによるモナリザの模写(円柱が両側にあり、これがラファエロの円柱と称され、アイルワース版には確認できる。)は、このモナリザを特集したページで小さい画像ながら確認できる。ただ、ラファエロの模写とされているものは、ルーヴル版ともアイルワース版とも顔の向きの角度や画面の中での人物像の縮尺(というのだろうか、占める割合)が異なる。腕の組み方も、髪飾りも違う。また眉毛が認められる。

このblogは美術の教師の方のものだが、その螺旋物語シリーズ(75から)はモナリザについて詳細にコメントされていて参考になる。

また、このページのモナリザの考察も面白い。

なお、アイルワースという場所は、画家になる前のイギリス時代の画商見習だったフィンセント・ファン・ゴッホがかつて暮らしていた土地でもある。

英語版wikipediaには Isleworth Mona Lisa という記事があり、画像へのリンクもある。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年5月 2日 (月)

相模川ふれあい科学館

このところ恒例になっている近所の博物館めぐりで、日曜日に 相模川ふれあい科学館 に行って来た。

少々交通の便が悪いのでクルマで出かけたが、我が家は電車での移動の方が多いので子ども達もドライブには飽きてしまい、自分も運転姿勢のままでいるのがあまり好きではないため、少々の移動でも文句が出てしまい大変だった。それでも行きは地図を参照しながらだったが、午前中だったこともあり渋滞もなくスイスイと目的地についた。途中高台から泳げ鯉のぼり相模川が見えた。その関係か少々相模川に近づくと車が込み始めたが、科学館は何とか駐車もできた。

科学館とは謳っているが、実質は淡水系の水族館。今回は、ネットで遊びに行く場所を探していたところ、世界のカエル展をやっているということで、爬虫類・両生類好きの子ども達が飛びついた。

料金は大人300円、小中学生100円と安い。

建物は周囲に浅い池をめぐらせ(これは後で調べると相模川から昔ながらの堀で引いた水を使っているのだという)、非常にユニークなもの。入り口を入ると、円筒形の水槽の中で小鮎の群れが涼しげに出迎える。メインは、相模川の上流から河口部までの魚類・水生生物を区画して展示した大水槽。河口部には、スズキやウナギ、下流部には鯉やソウギョ、カメ、中流部にはフナやウグイ、オイカワ、上流部にはニジマス、ヤマメ、イワナ、そして別の水槽だがカジカもいるなど、身近な魚たちをじっくり見られて非常に面白かった。最近、外国の珍しい生物を見るよりも、なかなか見る機会がない身近な生物を見る方が楽しい。そういう点で先日の江ノ島水族館の相模湾の魚たちと同様、地の生物を重視する姿勢は好感が持てた。このような水族館が全国各地の一級河川、湖水にもあればいい。その他珍しいものでは、岐阜県から貸与された特別天然記念物のオオサンショウウオ、同じく記念物を含むタナゴの展示が見物だった。

カエルは、世界各地のカエルたちが集められていた。以前、池袋のサンシャイン水族館で見たことのある、アマゾンの宝石のように美しいが猛毒の体液で身体を守る矢毒カエルたちものんびりと水槽の中でくつろいでいた。ただ、この展示も日本の関東地方で棲息している何種類かのカエルも見たかった。

この科学館を出てしばらく歩くと、相模川の堤防に出るが、どうも人出が多いと思ったら、上記の鯉のぼり祭りをやっていた。露店が数十も出ており、家族連れや子どもが大勢詰め掛けていた。鯉のぼりは5本のワイヤに1200匹ほどの鯉が縛り付けられ、広い川幅一杯に悠々と泳いでいた。風も強かったので壮観だった。

見物後は、かつての水郷地帯の名残をとどめる掘割に設けられた遊歩道を散策した。鯉や金魚、それとウグイ?のような小魚が悠々と泳ぎ、結構風情がある場所だった。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2005年4月 | トップページ | 2005年6月 »