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2005年5月16日 (月)

観音崎県立公園を訪れる

P5150139子どものハイキングの付き添いで横須賀市の浦賀の東にある観音崎を訪れた。

横浜駅 からは、京浜急行の 三崎口行き の快速特急に乗車する。新幹線の座席のような進行方向2座のシートで快適だ(リクライニングかどうかは未確認)。京急は三浦半島を縫うように走るのだが、伊豆急と同じく山が海に迫る急峻な山の中を走るので、ほとんど展望は利かず海は見えず、迫る山肌やトンネルに三浦半島の険しさを感じる。司馬遼太郎の「三浦半島記」で六浦(横浜市金沢区のあたり)と横須賀市のあたりにこの半島としてはわずかな平地があるのみと書かれていた。このような険しい半島で、中世切っての豪族三浦氏が成立した不思議。

ほんの30分乗車して、乗り換え駅の 堀の内 で降りると、濃紺の学生服と学生帽を身につけた若者の姿が目につく。近くに防衛大学校があるからという。休日に街に出かけるときも制帽、制服らしい。非常に若く初々しく見えるのは自分が歳を取ったせいだろうし、現代の一般の若者の緊張感のない姿と違い彼らなりの目的意識をもっているその気持ちが若々しいためだろうと想像する。横須賀は幕末の小栗上野乃介による造船所の開設から昭和の敗戦まで日本海軍の町で、その後も米海軍と自衛隊が駐留しているのは知っていたが、日本国の防衛大学校がここにあったのは今回初めて知った(防衛医大が所沢にあるはずなのでその近隣かと思っていた)。近代戦争は、主にこのような若々しい若者が兵士として前線で戦い、多くが戦死したのだと思うと、その倍以上の馬齢を重ねている身としては、信じがたい気がする。

堀の内で浦賀行きの電車に乗り換え、浦賀へ約10分。浦賀駅からは観音崎行きの京急バスが出ており乗車。途中、鴨居の入り江などを眺めながら、約15分で観音崎のバスターミナルへ到着した。

 観音崎:三浦半島の東端にある岬。かつて走水観音があった。江戸末期、船見番所が置かれ、砲台(海堡)が設置され、また日本最初の洋式灯台が置かれた。仏崎。

 海堡(かいほう)海上に築造した砲台。大きな要港の入り口などに作る。東京湾に第二、第三海堡が残る。

 浦賀:神奈川県横須賀市の東部、三浦半島東端の地名。嘉永六年、日米通商を求めたペリーの来航地。

 浦賀水道:東京湾の入口にあたる房総半島と、三浦半島との間にある水域。

 浦賀奉行:江戸幕府の職名。相模国(神奈川県)浦賀に駐在し、江戸に出入する廻船の積荷および奥羽から大坂へ送る米穀を検査し、付近の幕府領ならびに浦賀町中の民政を扱う。享保六年二月に下田から浦賀に移る。定員は一人もしくは二人。

ということで、浦賀は幕末の開国と明治維新への動きの契機となったペリーの初回来航の地で、ペリーの艦隊は観音崎付近の海図作成のため、測量も行なったという。

横浜市青葉区の「子どもの国」もそうだが、ここも軍用地として一般人の立入が長い間禁止されており、そのため軍関係の人工の建造物の痕跡はあるが、原生林的な照葉樹林が残されたという皮肉な経緯があるようだ。5月にしては肌寒い日だったこともあり、来訪者はほとんどなく、静かな園内をリーダーに従って歩いた。ところどころに動植物の案内看板があり子ども達は競うように読みたがる。頂上付近には、花壇や子ども向けのアスレティック施設がありそこでしばらく遊んだ後、山を下り海岸に出る。途中、海難者慰霊碑が祀られていた。

自然博物館のある磯の付近で昼食。トビが数羽上空を旋回していたので気を付けていたのだが、昼食後のおやつのセンベイを食べながらぼんやりとしていたら、突然背後から羽音がして右手に持っていたセンベイが攫われてしまった。アブラゲではないがまさにトビに攫われたという不名誉を味わってしまった。

この付近の海岸は、関東大震災の際に海底が数メートル隆起したものだという。格好の磯になっており、釣り人も見られた。昼食後はこじんまりした博物館で、この観音崎を中心とした動植物や漁業の展示を見物。生息するというマムシなどのヘビも展示されていた。タッチプールでは、アメフラシ、ナマコ、タコ、ドチザメなどを触ることができた。アメフラシはヌルヌルしていると思ったら適度な弾力があり奇妙な感触だった。タコの吸盤の吸引力は強く、指を蛸壺の中に引っ張られた。浦賀水道は、船舶の銀座と言われるほど大型船が絶えず行き来している。山のように大きいコンテナ船、自動車運搬船も数隻見かけた。

岬の突端へは、海岸沿いの遊歩道が続く。途中、防衛庁の管理地があり、大きい字で「蝮に注意」と書かれた看板が立っていた。これはどうやら海堡のあたりのようだ。そこからしばらく行くと、洞窟があり、ここが仏崎⇒観音崎の由来になった洞窟らしい。この途中に岬の灯台に登る道があったが、今回は時間がなく登れず。詩人 西脇順三郎の 「燈台へ行く道」という詩の立派な碑が立てられていた。付近には野良猫たちが寝そべっていた。そこからバスターミナルへ向う途中の海岸は、磯遊びに最適な磯になっており、子ども達は濡れるのも構わず蟹と戯れていた。赤いテングサや薄黄色のもの、緑色のものなどのいろとりどりの海藻類が岩場に打ち寄せられており色彩的に非常に美しかった。バーベキューに興じる人たちも多かった。

磯遊びは、山国育ちの自分に取ってはほとんど縁のなかったもので、海への恐れとともに非常に魅力的に感じる。横須賀の海は、久里浜も城ヶ島も磯のメッカらしい。今度はゆっくり訪れてみたいものだ。

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