カルロ・マリア・ジュリーニ逝去
昨日の夕刊で知った。結構大きい扱いだった。既に引退していたが、90歳を越えていたというから天寿をまっとうしたと言えるだろう。
このイタリアの指揮者の存在を知ったのも、学生時代からの座右の書である吉田秀和著「世界の指揮者」(新潮文庫)からだった。トスカニーニの引退後、交響楽分野ではサバタなどの名匠はいたが、カンテルリの航空機事故による急逝などもあり、イタリアからは交響楽の指揮者がしばらく出なかったとされる。その後、アバド、ムーティ、シノーポリ、シャイーなどオペラもシンフォニーもこなす新進気鋭が出るまで、ジュリーニこそがイタリアオペラだけでなく、独墺系のシンフォニーも立派に奏でられる世界的に唯一のイタリア指揮者と評されていた。
イタリアはオペラの国で、私のような普通の音楽ファンには、近代のオーケストラ作品の作曲家としては、レスピーギくらいしか思い浮かばない。器楽の国ではなく、歌唱の国であることは言うを待たないだろう。もちろんバロック以前にはむしろ多くの器楽作家がいたのだが、その後のイタリアが器楽をないがしろにしてオペラ一辺倒になった(?)ように見えるのはどのような理由によるのだろうか?音楽史の初歩的な問題だが(石井宏氏の「反音楽史」など)。そのような国の出身者が、主として独墺系のオーケストラ作品を演奏するのは、イタリア本国ではあまり評価されないのではないか?現に、イタリアには、オペラ劇場付属の優秀な管弦楽団は多いとはいえ、いわゆるシンフォニーオーケストラでメジャークラスはないと言っても過言ではないお国柄なのだ。
私がジュリーニの録音を最初に買ったのは、まだLP全盛の時代で、シカゴ交響楽団とのマーラーの第9番だった。この当時、ドボルザークの9番(新世界から)やブルックナーの9番もシカゴと録音しており作曲家の最終交響曲シリーズを指揮者が企画していたのだろう。ところで、マーラーの第9番だが、いまだ自分の鑑賞力が達しないのだが、その当時はとにかく曲を知りたいという意欲であの長大なLP2枚組みの録音を何度も聴いた。変な記憶だが、冒頭のすすり泣きのような楽想の部分で、カートリッジが異様に震えるのが気になった。そのため音楽もビブラートが掛かっていたように聞こえた。
次にジュリーニの録音に触れたのは、現在ではCDでの再発もなくてトンデモ盤の一種に祭り上げられていると聞く、ロサンゼルスフィル(LAPO)とのブラームスの2番だった。新録音・新発売だったはずだ。今手元になく、しばらく聴いていないのだが、どこがどうトンデモだったのだろうか?(やはり当時録音が発売されたLAPOとのベートーヴェンの第五番は、エアチェックしたものをよく聞いた。)
ジュリーニの録音で一番聴いたのは、ヴィーンフィルとのブルックナーの7番だっただろう。ブルックナーの交響曲の中で一番歌に満ちている曲でもあるが、ジュリーニとVPOはそれこそ空にかかる虹のように多彩な響きでブルックナーを奏でている。VPOにとっては独墺系の巨匠と数え切れないほど演奏したオハコの曲だろうが、悠然とした大河のような流れが美しい。ホルンと弦のユニゾンの響きはマイフェイバリットの一つだが、それがこのように繊細かつおおらかに奏でられるのはなかなかないのではなかろうか?
その後、ベートーヴェンの第九を集中的に収集していた頃、ベルリンフィルとの第九が発売され、早速求めたのを思い出す。ホームページにも短いコメントを書いたが、第1楽章から第3楽章までは、自分の聴いたこの曲の演奏中、最も感激したものの一つだった。しかし、惜しいかな、第4楽章がそれまでの充実度とは異なるように聞こえた。他の多くのこの曲の演奏、録音が、このフィナーレを頂点に上り詰めようとしているのと違い、妙に醒めた演奏になっているのだ。音楽による祭典として、指揮者、オケ、コーラス、聴衆が、このフィナーレで感情的に高揚するのが普通なのだが、この演奏は違っていた(と記憶する。しばらくお蔵入りとなっていたが、また聴き直す必要があるだろう)。この違い(が確かなものとした場合)録音日が第3楽章までと第4楽章は相当の間を置いているのも外的な要因の一つと想像されるし、この第九のフィナーレこそが初演後長らく失敗作と評価されていたヨーロッパにおける受容の伝統及びジュリーニの批評精神と通じるものがあるのかも知れないとも思う。
トスカニーニは、「カンターレ、カンターレ」とオケを鼓舞したというが、そのフレージングの短さゆえにか自分にはあまり歌を感じさせてくれることがないが、ジュリーニこそは、高雅で非感傷的な歌を聞かせてくれた名指揮者だったと思う。
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コメント
早速のTB有り難うございました。後年、常任のポストを持たずに活動をしていた指揮者ということで、世代は違いますが幾分カルロス・クライバーを思い出します。それゆえに数少ないながらも氏の音楽の体験は印象に残っています。
数年前に最後に演奏会で聞いてから、氏の消息が気になっていました。ああいう肯定的で真摯な歌心をふりまいた芸術家の存在は、録音などを通しても各々の聴衆に格別な意味を持ちますね。
南のアプリ地方バルレッタ出身で南チロルで育ったと訂正しておきました。ですからドイツ語は上手だったということです。
投稿: pfaelzerwein | 2005年6月17日 (金) 13:52
コメントありがとうございます。
ボルツァーノを調べてみましたら、インスブルックからブレンナー峠でアルプス越えをする街道が通っている土地ですね(BOZEN)。
モーツァルト父子がイタリア訪問時にブレンナー峠でアルプス越えで数度利用した道で、ここで育てばオーストリアは指呼の間という感じですね。彼のブルックナーやモーツァルトが素晴らしかったのもそのような背景があったのかも知れないと思いました。
バジェットプライス好きの私としては珍しく、枚数は少ないですが、なぜかジュリーニのディスクはほとんどがフルプライスの初出盤での購入でした。
BLOGでのリンクを辿ると、本当に多くの音楽ファンが彼の逝去を悼んでいるのが分かりました。
投稿: 望 岳人 | 2005年6月21日 (火) 15:32
ジュリーニ氏お亡くなりになりましたか、最近名前を聞かないなぁとは思っていたのですが、引退しておったのですね。へぇ、でも90歳を超えていたとは....。若手とか中堅とか思っていたアバドもいつのまにやら70代中盤ですから、時の経つのは早いもんです。ジュリーニ氏指揮の演奏というと、最近、ひょんなことからロッシーニの序曲ばかりを聴いてますが、そのきっかけとなったのが彼がフィルハーモニアを振ったロッシーニ序曲集です。ブログにも書きましたが、モーツァルト的な軽さに富んだロッシーニで、他の演奏を聴きこむほどに、この演奏の良さが分かってくるという感じです。後は問答無用の名盤シカゴ響とのマーラー第9番に、激遅だが歌心充満なので遅さを忘れるVPOとのブラ一とか、細身でストイックな身振りで歌ったフランクの交響曲など印象に残ってます。合掌。
投稿: webern | 2005年6月27日 (月) 16:14
webernさん コメントありがとうございます。
ジュリーニは引退前までモルト・カンタービレの芸風を深めて行きましたが、若い頃は颯爽としたブッフォ的軽快さもあったようですね。挙げられているロッシーニやモーツァルトのフィガロ、ドン・ジョヴァンニなどは是非聞いてみたいと思っています。
投稿: 望 岳人 | 2005年6月29日 (水) 15:56
数日前の朝日夕刊に、ジュリーニの追悼記事が掲載されていた。ジュリーニのスカラ座監督時代を懐かしむ内容だった。ただ、そこを強調するあまりその後の交響楽指揮者としての意義を少々軽んじる内容で残念だった。
投稿: 望 岳人 | 2005年7月 6日 (水) 17:32