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2005年6月13日 (月)

久しぶりの生演奏鑑賞

近所の公会堂でオーケストラのコンサートがあったので、子ども達と聴きに行って来た。

指揮 : 松沼俊彦
オーケストラ : 神奈川フィルハーモニー管弦楽団。

曲目 エルガー「愛の挨拶」(管弦楽編曲版)

    ロッシーニ「セビリアの理髪師」序曲

    ドヴォルザーク スラブ舞曲ホ短調

    ヘンデル(ハーティ編曲)水上の音楽(全六曲)より五曲の抜粋

    モーツァルト 「フィガロの結婚」序曲
    
    モーツァルト 交響曲第40番ト短調

    アンコール モーツァルト ディヴェルティメントK.136から第二楽章

こちらに引っ越してきてからは生活に追われて、折角首都圏というコンサートゴーアーにとっての宝の山に住んでいながら、逆に生演奏に触れる機会がめっきり少なくなってしまっている。独身やダブルインカムだったときには、コンサートチケットが1万円程度でも自分の趣味の金額として必ずしも高いとは思わなかったが、シングルインカムで四人分を賄おうとすると子ども1500円、大人3000円でも高いなーと感じてしまう。

そんなわけで生のオーケストラを聴いたのは、昨年の夏休みに県立音楽堂で聞いたアマの横浜交響楽団のサマーコンサートくらい。こちらでのコンサート経験は少なくて、そのほかにみなとみらいホールでブレンデルとキーシンを聞いた程度だった。

平土間の会議椅子を含めて収容人員約800人程度で、舞台も狭く、真後ろに反響板もなく、管打楽器用のひな壇も作れないような公会堂(この区には10万人以上が居住しており、その住民規模の地方都市なら市民の生活圏内にもっと立派なホールを持っているのが多いのだから、複雑な心境)のホールなのと、神奈川フィルを聴くのも初めて、指揮者もこれまで聞いたことのない人なので、事前にはそれほど期待をしていなかった。曲目も一部しか分からなかったし。それでもひな壇式の固定椅子は、開場2時半で2時40分頃に着いたというのに中央部は既に半分以上埋まっていたので、一番後ろから3番目くらいの中央に座る。最終的には平土間はほとんど埋まらなかったので聴衆は500人程度か?

子ども達に生のオーケストラの音楽を聞かせることができればいいという気軽な気持ちで聴き始めたのだが、第一曲目のエルガーから、なんとも言えずしっとりしたいい音がして、思わず身をのり出した。このホール自体には残響はあまりないが、とりわけヴァイオリンの音がしっとりと滑らかで快い。

ロッシーニは、指揮者の松沼氏のキビキビしたメリハリのある音楽性と、オケのアンサンブルの巧みさが味わえた。ヴァイオリンけではなく、木管のソロも巧みだ。特にフルート。(なお、主部の「ヤメテケレ」という歌詞が付きそうな第一主題の第二フレーズ目の弾き方が少々耳馴染みとは違っていたように思ったが、CDを2種類聞きなおしたところ、自分の聴き方が間違っていたことが分かった。自分の記憶しているメロディーを歌いながら聞いていたようだ。普段いかに集中していないかということだろう。)ところでロッシーニ、37歳で作曲の筆を折ったというが、早書きの多作家として知られる。その秘訣としての、簡素(ながら効果的な)なオーケストレーションが目で確認できた。第一ヴァイオリンと木管のソロは歌うが、その他の弦楽器はいわゆるブンチャッチャ的な刻みが主だ。これがイタリア風のオーケストラの作法なのだろうが。2回あるロッシーニクレシェンドは爽快だった。松沼氏も自ら語っていた(前半はトークコンサートだった)が、この後のトークでは息切れしていたほどの熱演だった。

ドヴォルザークはプログラムに10番となっていたので、プログラムを見てすぐにどんな曲か頭にメロディーが浮かばなかったが、優美なホ短調の私の好きな曲だった(帰宅後クーベリック指揮のバイエルン放送響を取り出して聞いたが、テンポが緩やかで驚いたし、トライアングルもあまり聞こえなかった)。

ヘンデルは、ハーティ編曲(セルとロンドン響が録音の存在を知っている)の「水上の音楽」から5曲の抜粋。この抜粋は今日の舞台スペースの関係だろうか?松沼氏はあまり「突っ込み」を入れないでと笑っていたが。

オケの編成は、第一ヴァイオリンが4プルトで、金管はホルン、トランペットのみ。木管はフルート一本?のニ管編成。他に大太鼓とトライアングル。多分、省略されたその曲だけしか使わない楽器が含まれていたからだろう。トロンボーンだろうか?ハーティ編曲は、ラジオで聞いたことはある程度で耳馴染みがなかったが、結構面白かった。フィナーレ?の「アラ・ホーンパイプ」でトランペットが登場したが、突き抜ける透明な音色が凄かった。(子ども達は、ピノック指揮のオリジナルを聞いているので、その違いが結構楽しめたらしい)

これまでの曲目は、子ども達も耳にしたことのあるものだが、次男は少々退屈だったらしく、前の席を無意識に蹴ってしまったようで、ヘンデルのあとの休憩時間にその席の中年婦人から叱責されてしまった。子ども連れはなかなか気を使う。自分たちに落ち度があるのは確かなのだが、どうにも不愉快なのと気まずいので、休憩中に、平土間に席を移した。音が頭の上を素通りする恐れはあったが、仕方がない。

ところが、これが今回は成功だった。音が素通りせず、直接音がよく耳に入るし、弦楽器奏者の動きや表情が見えるのはもとより、指揮者のブレスまでも聞こえた。管打楽器奏者はまったく視界に入らないというハンディはあったが、それでも指揮者が聞いているのと近い音響を耳にできたような気がする。

後方の席で聴いていたときには第1ヴァイオリンに比べて少し音色的な魅力がないと思っていたヴィオラやチェロ、コントラバスだが、前方のこの席ではよく耳に入ってくる。ヴィオラの音は地味なので耳に入っていてもどうもあいまい模糊とした存在なのだが、ヴィオリストたちの動きを見ながら聴くと、「ああヴィオラの穏やかな音が合いの手を入れているな」と確認できるし、コントラバスがモーツァルトの早いパッセージを演奏するため猛烈な速度で左手を動かしているのも迫力があった。

フィガロの結婚序曲とセビリアの理髪師序曲を比較するのは野暮だが、この席で「見ている」と、全盛期のモーツァルトの腕の冴えがよく「見えて」くる。ロッシーニのようなオーケストレーション上の省力化(手抜き)がなく、オケをフルに使っている。

圧巻は、次のモーツァルトのト短調。第1楽章の再現部の第一主題と第二主題との経過句にホルンに一瞬現れる短いモチーフの強調で思わず涙が出そうになった(ワルター、セル、アバド、ケルテス、ホグウッドと聞きなおしたが、ワルターではまったく聞こえないほど、他の演奏でも旋律的に扱う例は少ないようだった。)この聞き込んだ曲でこんなことは珍しい。オケの音色的な魅力としてホルンの安定性が重要だと思うと以前書いたことがあるが、今日の演奏では四人のホルン奏者が安定していて安心して聞けた。第3楽章のトリオのホルンの三重奏も美しかった。全体としてキビキビした誠実な演奏で、休日の午後の地方公演なのでどうかなと心配していたプロオケ特有のダルな演奏ではなかったようだ。35歳という松沼俊彦氏(ググったところ氏のエッセイを発見)(芸大でトロンボーンを専攻し卒業後、指揮者を目指し修業、ヴィーンでは湯浅氏にも師事し、国際コンクールでも好成績を得ており、今後の有望株かも知れない)の若々しい、真剣な指揮が功を奏したのかも知れないと思う。

第1楽章の冒頭、ヴィオラの刻みに乗ってポピュラー音楽にまでなった有名なメロディーが奏でられるが、これがずれると嫌だなと身構えていたが、その部分からアンサンブルが良好だった。第1楽章展開部や第3楽章、第4楽章に表れる対位法的な部分が指揮者の明快な指示出しで克明に演奏され、特に第4楽章の展開部冒頭の例の12音列の部分は劇的だった。第4楽章の第1主題が、同じト短調の弦楽五重奏曲の同じくアウフタクトで始まる第1主題冒頭と深いつながりがあるのがよく分かるような演奏だった。これは上向音のスラーの掛け方が私がよく聴いているスメタナ四重奏団とスークによる演奏に似ているせいだと思う。

クラリネット入りの通常版による演奏だったが、第3楽章のトリオではそのクラリネットは黙り込む。あとからクラリネットをフィーチャーしたモーツァルトの改作の過程が見えるようだった。その意味で、口幅ったいけれど、あえて言うと、自分のト短調体験の中でもトップクラスの演奏だったと言える。(実演では、以前学生オケの演奏で聞いたことがあるくらいだったか。録音では、最近のピリオドアプローチの一連の録音ではあまり聴かなくなったが、一時期集中的に聞き比べをしたことがあった。)

ホールの後ろの方で鑑賞するとどうしても遠望する感が強いが、かぶりつきに近い場所では音に包まれる。席によってここまで違いがあるとは思わなかった。取り澄ましたモーツァルトではなく、活き活きと劇的で、小編成ながらパテテックな迫力はたいしたものだった。

(長男が、松沼氏の指揮は、踊っているようだったと感想を話してくれた。夏のコンサート会場は奏者のためもあり相当冷房が効いているのを忘れていた。羽織るものを持参すべきだった。)

追記:2006/9/30

narkejpさんの電網郊外散歩道の 山形交響楽団第175回定期演奏会を聴く の記事で指揮者 松沼俊彦さんが指揮されたということを読みトラックバックを送った。

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コメント

望 岳人さん、生では楽譜を見ていても気が付かないような些細にも目が?行きますね。それもTVなどの強制的な視点でなくて。

「短いモチーフで思わず涙が出そうになった」を読んでト短調を改めて注目すると、なるほど同音進行や動機の対照付け、弱強、強弱の律動の付け方も従来の交響曲と変わらないとは言え、特にホルンなどの中声部に味付けがされて気宇が大きくなっていることに気が付きます。

それでもこの作曲家が筆を走らせていた心境などが想像出来て、非常に人間的なものを感じます。この作曲家については海老沢敏講座の思い出なども伺いたいです。

主観を押し出した「生演奏体験報告」の文章の意図を幾らかでも理解した心算です。

投稿: pfaelzerwein | 2005年6月14日 (火) 16:08

pfaelzerweinさん。コメントありがとうございます。

住宅事情から最近はもっぱらヘッドフォンやイアフォンという貧しい音楽鑑賞が多いので、そのような耳が生演奏の迫力に幻惑されたかも知れないとの危惧を留保しながらの感想なのですが、率直に書いてみました。

海老澤敏氏の講義は文学部「美学特講」という集中講義でしたが、他学部の学生も聴講可能で参加することができました。ほんの一週間程度でしたが、モーツァルト研究の概要を案内してもらいラッキーだったと思います。ことにモーツァルトの生涯に興味を掻き立てられました。ちょうどアルノンクールの「イドメネオ」がリリースされた頃で、講義中にLPの一部を聴きいたことも思い出されます。

投稿: 望 岳人 | 2005年6月14日 (火) 17:59

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