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2005年8月の10件の記事

2005年8月29日 (月)

山梨へバスハイク

夏休み最後の日曜日、次男のバスハイクの付き添いで、長男と一緒に山梨県の富士山麓へバスハイクに行って来た。御殿場までは東名も空いていたが、インターでおりて山中湖方面に向う道路は渋滞していた。

巨大なFANUCの黄色い工場の脇を過ぎ、予定より30分ほど遅れて、忍野(おしの)村の忍野八海(おしのはっかい)に着いた。富士の伏流水が長い年月をかけて湧き出しているものらしい。ちょうど静岡の三島の伏流水群、有名な柿田川と南北に対称なものだろう。海とは言っても小規模な池で、その底から湧き水が湧き出している。非常に透明な池にはニジマスが放し飼いにされている。中には水深10メートルにも及ぶ円筒形のものもある。富士の雪解け水に手をつけてみましょう、と勧める流し台で手をつけると30秒もすれば手が痺れてしまうほどの冷たさだ。観光客が大勢押しかけてきており、最も水深の深い池の周囲には土産物屋が軒を連ね、興趣を削ぐようになっているのは、いかにも観光地だ。

この忍野の湧き水を利用しているのが、山梨県の水産センターらしく、淡水魚の養殖の研究をしているらしい。忍野八海からは、車で10分そこそこ。そこに淡水魚水族館が併設されており、見物した。今年の春に同様の淡水魚水族館である相模川のふれあい科学館に行って来たのでついそれと比較してしまうのだが、相模川の場合、上流、中流、下流と源流から海までが総合的に展示できており、そこに見ごたえがあったが、山梨は海無し県ということもあり、そのような展示にはなっておらず、少々散漫な印象を受けた。珍しい魚としては、チョウザメが飼われており、富士五湖でも観光と生態系の保護との間で問題になっているブラックバスやオオクチバスも展示されているのが興味深かった。懐かしいカジカにも対面できた。水族館の周囲は遊具などのある公園になっており、釣りもできるようで、家族連れで訪れれば一日過ごせる場所だ。

次に向ったのは鳴沢(なるさわ)の氷穴(ひょうけつ)。途中、富士急ハイランドの横を過ぎることもあり、道路は結構渋滞しており、時間がかかった。鳴沢の氷穴は、富士山麓の青木ヶ原の樹海の中にある。富士の溶岩流のガスの抜け出た穴らしいが、大人が入れるほどの大きさの穴が地底に続いている。(富士の樹海にはこの氷穴と、富岳風穴の有名な洞穴のほかにも未発見のものがあるようで、以前雑誌やテレビでcavingの記事を見聞きしたことがあった)。階段や青竹の手すりと照明灯で辛うじて内部を巡れるようになっており、ここでも観光客が多かった。小規模な地底探険だ。氷穴というだけあり、内部の温度は0度ほどだという。氷が多く残っていた。江戸時代には、夏場にここで取れた氷を「殿様に献上した」こともあるという。(相当大きい氷を夜間など比較的涼しい時間帯に運搬しなければ溶けてしまうだろうから、献上するにしても苦労がおおかっただろう)

車で数分のところに富岳(ふがく)の風穴(ふうけつ)があり、こちらはまさに青木ヶ原のど真ん中。東海遊歩道が通じている。遊歩道があるなら膨大な原生林の中を歩くのも面白そうだ。風穴は、氷穴ほど垂直方向に潜らず、横穴が続いている。明治初年に発見されたもので、まだ冷蔵設備がない時代には、蚕の繭や、種子などの保存倉庫としても実際に使われていたという。当時の状態が保存(再現)されていた。こちらも内部には氷(地下水が凍ったものだろうか)が多く残り、外気温が30度近くあるので、鳥肌が立ち、頭痛がするほど寒かった。

富士山の姿は、曇り気味だったこともあり、車窓から一瞬影が見えただけだったが、巨大だった。15年以上も前、スバルライン経由で登山したが、子どもがもう少し成長したら一緒に登ってみたいものだ。

予定よりも帰路の出発が遅れたので、東名の大渋滞時間帯にちょうどはまってしまい、帰宅は予定よりも2時間ほど遅くなってしまった。

自然の奇跡に直接触れた一日だったと言えるだろうか。

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2005年8月26日 (金)

夏休み後半に訪れたミュージアム

8/18(木)小諸懐古園

お盆明けの信州はまだ日差しは強いが、空気が次第に透明度を増していく。澄んだ空気を通して景色を見ると秋がすぐそこまで来ているのが感じられる。

久しぶりに訪れた懐古園は盆明けの平日ということもあり観光客は少ない。

小諸城の資料館に入ると旧藩時代の珍しい資料や展示物がある。神社に祭られていたという将軍家光と春日の局の等身大の坐像が珍しかった。。

小規模な遊園地で少しこどもを遊ばせ、動物園へ。ライオンの檻が新しくなりライオンのつがいが堂々と闊歩していた。

田切地形の空堀にかかる橋を渡り、馬場の広場を通り、島崎藤村の「千曲川旅情の歌」の碑を眺め、展望台へ。東京電力のダムが興を削ぐが、夕景はそれを補って素晴らしい。深くえぐれた千曲川の眺めは、旅情を誘うものがある。藤村記念館はまだ子どもには早いので今回は見学せず。

さらに空堀を渡って、小諸出身の故・小山敬三画伯(文化勲章受賞者)の美術館を見、郷土資料館の新しくなった展示を見てから帰宅した。郷土資料館に、遮光式土偶の断片があるのが気になる。なお、美術館には、茅ケ崎にあった画伯のアトリエが移設されていた。

8/19(金)JR横川鉄道ふれあい村、国道18号線旧道沿いの旧国鉄アーチ型眼鏡橋とトンネル 

1000mの高原から一気に600mも下り400m地点へ。非常に蒸し暑い。東山道、中仙道時代から交通の難所だった碓氷峠の関東側の上り口の横川。関所跡も保存されていた。帰路眼鏡橋を渡り、トンネル内を歩いてみた。

8/20(土)佐久こども未来館

実家に帰省するたびに訪れる。世界のカメ展をやっていた。地元色のない平凡な科学館だったが、地元の淡水魚の展示が小さいながら実現していた。以前訪れたときにアンケートに書いたことだが少しは役にたったのだろうか。

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2005年8月22日 (月)

実家でLPを聞く

PATHE

BR2 MA9 SHOS5 BR4 BEE9-2 BEE9
TCHAI1 BR1 WINTER MENTCHAI MO4041pathe_karajan BEE5
お盆明けに夏休みが取れたので実家に帰省した。家族とは向こうで落ち合った。それまでレコード針の磨耗でLPが聞けなかったが、一昨年、シェル付きカートリッジを購入し、LPが聞けるようになったので、懐かしいLPを何枚か聞くことができた。

上段の左隅は、トスカニーニ/NBC響によるチャイコフスキーの「悲愴」のSP。父が1950年代に当時の大枚をはたいて買ったもの。これは立派なケース入りだが、同じトスカニーニ指揮、ハイフェッツによるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、袋入りのバラ売りで買ったらしい。現在プレーヤーが78回転対応ではないので、しばらく聞けていない。

その左からに、先日亡くなったジュリーニ指揮ロスフィルによるブラームスの2番、ジュリーニ指揮シカゴ響によるマーラーの9番、先日フィリップスの1000円シリーズでも出たMr.Sことスクロヴァチェフスキとミネソタ管(ミネアポリス響)によるショスタコの5番、セルのブラームス4番。

順に左から、珍盤とされるクリップスの第9の帯とジャケット。次はリヒテルとカラヤンのチャイコフスキーの1番、ベームのブラームス1番、先日ワルターの「大地の歌」で触れたテナーのパツァークとピアノのデムスによる「冬の旅」(プライザーというレコード会社が原盤らしい)。

同じく左から、フランチェスカッティとミトロプーロス,ニューヨークフィルハーモニックによるメンチャイ。フランチェスカッティの音がすこぶるつきの美くしさ。ベーム/ベルリンフィルのモーツァルトの40番、41番。カラヤン/ベルリンフィルの悲愴。バーンスタインとニューヨークフィルハーモニックによるベートーヴェン5番とシューベルト8(7)番(未完成)。

これはホームページや以前にこのブログでも書いたような気がするのだが、実家のステレオは古い割に非常に分解能がよく、定位もよく決まり、ホールの残響が消えていく様子などもよく聞き取れるほどだ。音色的な魅力はそれほどないが、携帯電話のカメラで撮ってきたこれらのLPジャケット写真以外のLPでも非常に明晰な音楽を堪能できた。

中で非常に感心したのは、フェドセーエフ/モスクワ放送響による「春の祭典」だった(これはかつてレコ芸の特選盤読者プレゼントであたったものであまり聞き込んだ記憶のないもの)。長男がハルサイマニアなので、わが青春のC.デイヴィスのハルサイと聞き比べたのだが、C.デイヴィスの録音が重厚なルーベンス的な絵画だとするとフェドセーエフのものは、フォービズムのごとき色彩の乱舞だった。野蛮であり、生々しく、下品という言い方もできるが、ここまで原色的な演奏はこれまで聞いたことがなかった。刺激が強い演奏だが、長男も満足していた。

クーベリックによるマーラーの第4もくっきりと締まった演奏に聞こえ、聞き応えが十分だった。

これらを聞くと、現在の微温的な表情のCDでの音楽鑑賞に疑問が生じてしまう。音楽情報の量と質が格段に違うのだから。

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2005年8月17日 (水)

最近買ったCD

クラシック音楽の記事は久しぶり。

暑いとあまり重い曲を聴きたくないが、大分身体が暑さに慣れてきたのでそろそろ再開。

walter_mahler_lied_von_erdeブックオフで購入。ワルター/VPO, パツァーク(T)、フェリアー(A)によるマーラー「大地の歌」の定評ある名盤。1980年代に発売された英国デッカ盤。名曲、名盤などのリストには必ず上がる録音だが、1950年代のモノーラル録音でもあるし、バーンスタイン/VPO、キング(T)、F=ディースカウ(Br)の録音と、クレンペラー/PO、ヴンダーリヒ(T)、ルートヴィヒ(A)の録音で満足していたので、通常の店頭では食指は伸びなかったものだが、中古店はこういうところがありがたい。ヘッドフォンで聞く限り、モノーラルは少々気にはなるが、音質もそれなりに瑞々しく、解像度も比較的高いので、不満はあまり感じない。演奏を比較するほどの力量はないが、「大地の歌」のオーソリティであるワルターによるVPOの耽美的な音色が表現的だ。パツァークは、私にとってデムスと共演した「冬の旅」のLPで親しい歌手だが、宇野氏の言うほど厭世的な歌い方だろうか。フェリアーを聞くのは初めてだったが、英国出身ということで、ドイツ語の発音が独特だと感じた。

rimsky_celibidacheブックオフで購入。リムスキー=コルサコフ管弦楽曲集2枚組。オールライブ録音で珍しいものが収録されていた。チェリビダッケとシュツットガルトの「シェヘラザード」のライブが収録されていたので購入。多分チェリビダッケのCDはこれが初めて。激賞記事は読んだことがあるが、確かに凡百の演奏ではない。精緻なガラス細工によるアラベスクのような演奏だ。その他、マゼールやロジェストヴェンスキー、ムラヴィンスキーなどのライヴが入っていたが未聴。

フィリップスの1000円シリーズが発売されたようで、定価販売の普通のCD屋にずらりと並んでいた。その内いくつか触手が伸びたのだが、以前購入して知人にプレゼントしてしまったベートーヴェンのチェロソナタNo.3-5(ロストロポーヴィチとリヒテル)と、学生時代にLPで熱中したコリン・デイヴィス指揮 ACOの「春の祭典」(ペトルーシカがカップリング)を購入した。ステレオの調子が悪く、右チャネルの音の出がよくないので、楽器の定位がいまいちだったが、両方とも楽しんで聞けた。ロストロとリヒテルの演奏は、豪快で少々強引な演奏のような印象をもっていたのだが、結構力の抜けた余裕のあるものに聞こえた。デイヴィスの懐かしい録音は、最近よく聞いている小澤/ボストン、ゲルギエフ/キーロフ、ドラティ/デトロイトに比べてやはり力が抜けていて(悪い意味ではない)、余裕が感じられる演奏で、木管も金管も音色が美しく巧いし、ここぞというところで響く打楽器の迫力が決して下品ではなく素晴らしい。純音楽的な演奏だ。ペトルーシカも非常に上品な演奏で、表題のないオーケストラのための喜遊曲を聞いているような印象をもった。

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2005年8月16日 (火)

長野恐竜公園、自然史博物館、茶臼山動物園

子ども達が妻の実家に帰省しているので、この土日に義父母にお盆の挨拶に伺うついでに遊びに出掛けて来た。

妻の実家のある市に住んでいたころは、子ども達も幼く、小学校入学前だったので、そこに行ったのはあまり覚えていないだろうがと、長野市の茶臼山にある恐竜公園に行ってみようかと提案したところ、大変乗り気で、出かけた次第。(子どもも2歳になると結構口が達者になり一人前の受け答えをするようになるのだが、この時期に「お出かけ」して喜ばせても、その喜びの感情は残るのだろうが、具体的な記憶としてはあまり残らないものらしい)

この夏は、新潟から長野北部は昨年ほどではないが天候不順で雨模様の日が多いようだが、この日は午前中は久しぶりの好天で、盆地特有のうだるような暑さだった。

それでも、盆の里帰り中の子ども達を連れた祖父母と子ども達とか、親子連れとか、山の中の園内が寂しくない程度の人出だった。ここ茶臼山は、戦国時代の竜虎、上杉謙信と武田信玄との間に繰り広げられた数度の川中島の戦いの内、頼山陽の「鞭声粛々夜河を渡る」で知られる第4次の戦で、武田信玄が本陣を置いた場所だという。川中島平(善光寺平、正式には長野盆地というらしい)が一望の元に見下ろせる河岸段丘のような小高い丘陵の一角だ。ここに恐竜の実物大の模型が30体ほど設置され、無料で見学でき、一部は遊具として遊べる公園になっている。隣の敷地には、長野市の自然史博物館があり、その上方には、長野市の茶臼山動物園があるので、小学生低学年くらいの子ども達を遊ばせるにはよい所だ。(ただ、道路整備が進まず、篠ノ井という長野市南部の商店街からのアクセス道路が非常に分かりにくい)。

山の下手から急坂を登って行くと、時間を遡行することになる。中生代の白亜紀、ジュラ紀、三畳紀、古生代ペルム紀(二畳紀)の順に、恐竜たちが出迎えてくれる。

トリケラトプス、アンキロサウルス、ティラノサウルス、イグアノドン、プテラノドンなどが山の下方に雄姿を見せ、少し登るとジュラ紀の大型草食恐竜たちが巨大な姿を見せる。ディプロドクスもいる。(なお、もう30年近く前に出来た公園なのでブロントサウルスという懐かしい名前がそのまま残っている。ブロントサウルスで現在の恐竜図鑑を探しても出ていないものが多い。アパトサウルスと呼ばれることが多い。ティラノの姿勢も前かがみではなくゴジラ型の直立姿勢に近いのは時代を感じさせる)。アロサウルスも上方の藪の中から睥睨している。さらに登ると三畳紀となり、ディメトロドンなどがひっそりとたたずんでいる。途中、幼児が喜びそうな日本昔話の広場もあり、かちかち山、鶴の恩返し、おむすびコロリンなどの遊具が楽しい。

自然史博物館は、長野付近で発掘された首長竜、アケボノゾウ、ナウマンゾウなどの化石が展示されているのが、目玉だ。ここは初めての入館だったが、小規模だがそれなりに見ごたえがあった。ビデオコーナーでは今大流行のカブトムシ、クワガタムシの成長の姿を上映しており、子ども達でにぎわっていた。わが家の息子たちも熱心に見ていた。特別展として茶臼山に生息するタヌキの展示をしていたが、タヌキの糞に含まれる木の実をネズミが食べに来るというのが面白かった。

自然史博物館から10分ほど急な坂を登ると、動物園の恐竜口に出る。インドゾウのカップルがダンスをしながら出迎えてくれる。さすがに暑さに強い。タヌキやアライグマ、ハクビシンはぐったりと寝ている。意外だったのがキツネ。夜行性のはずがちょろちょろ動き回っていた。

レッサーパンダの飼育係のおじさんが、レッサーパンダを子ども達にタッチさせ、記念写真が取れる催しを今回もやっていた。ここのレッサーパンダ達は結構元気で活発だ。今年生まれのニホンザルの赤ちゃんは大変小さく、ラブリーだ。チンパンジーは相当体格がいい。檻に閉じ込められていることを嘆いているかのような表情をしていた。オランウータンもつがいで飼われているが、ストレス発散のためか見物客に唾を飛ばすということで、唾危険ゾーンが設定されていた! トラ、ライオン、と見て、アミメキリン、シマウマなどを見るとコースは終わり。次男がベビーカーに乗っていたころは、この傾斜のある動物園を見て回るのは時間がかかり、結構広いと思っていたが、成長した今は、ズーラシアや上野動物園の広さに比べると規模が小さく思えた。

久しぶりに大汗をかいたが、結構楽しかった。

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2005年8月10日 (水)

イメージバトン

相互リンクをしていただいている「みー太の音楽日記」のみー太さんから「イメージバトン」をいただいたのでトライしてみよう。

ミュージカルバトンと同趣向だが、今回の課題は、
 ① 受け取った人が、キーワードからイメージするものを思い 
 ② 浮かべて、他の3人につなげる。 
 ③ あと、紹介された人へのメッセージもつけるとです。
ということ。

これまでのイメージの流れは、
森→癒し→清流→魚釣り→湾→船→長旅→世界一周→飛行船→高所恐怖症→閉所恐怖症
→電話BOX とのこと。

「連想ゲーム」を懐かしく思い出した。

①キーワード 電話BOX

ここまでが12世代で、今度が第13世代になるわけだ。12世代までにバトンを受けたブロガーが全員イメージを思い浮かべたとすると Σ3^(n-1)で n=12なので、265,720ものイメージがサイバースペース(もうこの言葉も陳腐化してあまり使われなくなった?)に飛び交っているのだろうか?今度つなげると797,161個になる。ミュージック・バトンは5人に回すことになっていたので、13世代では3億を越えるような凄い数だった。(と、いつもながらとりとめがなくなってしまう。)

②イメージ
電話BOXという言葉から連想するイメージだが・・・。

携帯電話の普及が進み街角から姿を消しつつある公衆電話、電話BOX。

私が子どもの頃は現在のような四面とも透明なものではなく、三面は肌色(やや赤みを帯びた黄色)系の塗料の塗られた箱で、出入り口のドアの面が成人の顔の位置あたりに窓の付いたもので、確か赤い屋根だった。田舎でも鉄道の駅前などでも見ることができた。防犯上の理由からこのような形のBOXは見られなくなり今にいたっている。子ども時代にこのような旧式のBOXに入ると視界が閉ざされ、閉所恐怖を感じた記憶がある。

新横浜にあるラー博(ラーメン博物館)は昭和30年代の街を再現しているが、確かこのような旧式電話BOXも置かれていたように思う。

田舎の駅に夕闇が迫ると駅前広場の電話BOXに明かりがポツンと灯る。そんな心象風景からキーワードは「夕暮れ」。

③みー太さんへのメッセージ

みー太さんからはクラシック音楽関係の記念日でコメントをいただき、それ以来相互リンクしていただいている。私のBLOGはまさにまったくの雑録に堕しておりクラシック音楽から逸れてしまっているが、みー太さんのBLOGはテーマに忠実に作曲家、演奏家への尊敬・愛情・謙虚さが感じられ、参考にさせてもらうことが多い。

④次にバトンをお渡しする3名

残念ながらこのラインはアンカーとさせていただきたいm(_ _)m

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横浜市歴史博物館と住居跡遺跡

土曜日の夜にはナイトズーラシアに行きたかったのだが、毎年8月の土日の夜に行なわれるこの企画は結構人気があり、クルマで行く場合には昼間の内にズーラシアに入っている必要がある(駐車スペースが埋まってしまうため)と聞いていたので、猛烈な日中の暑さにメゲて計画を先送りしてしまった。

その挽回として、日曜日に以前から行きたいリストに入っていた横浜市歴史博物館を訪れた。我が家からはJRと市営地下鉄を乗り継いで行くというと、最近列車にマニアックな関心を持っている子ども達も乗り気になった。もっとも神奈川県立歴史博物館も結構面白がっていたのでという背景もあった。

日曜日も暑い日だったが、夏休みの宿題を済ませてから出発。子どもたちによると、市営地下鉄では1000系、2000系、3000系が走っているらしい。そっけない車両デザインで私などはあまり興味が湧かないのだが子ども達には結構面白いらしい。新横浜駅から乗車し新羽駅を過ぎると高架を走る鉄道に早変わりする市営地下鉄に乗り「センター北」駅へ。パンタグラフ式でないためか、高架を走っていて反射音が少ないはずなのに走行音が相当けたたましい。防音性がよくないようだ。この地下鉄は現在中田市長の肝煎により全席「優先席」になっている。乗客に対する心理的な効果には疑問があるが、考え方は理解できる。JRの優先席のありさまを見れば、全席が優先席という方が弱者保護的であろう。ただ、市営地下鉄は料金が高いのが難点だ。

さて、センター北駅で下車し、センター南駅方面に向かい左側の、まだあまり駅前開発がされていない方面に出て、5分ほど歩くと立派な市立の歴史博物館の建物が鎮座している。ここは県立とは違い小中学生でも有料なのは「教育政策上」疑問。企画展があるというので、大人500円、小人100円を払い入場。先土器時代から縄文、弥生、古代、中世、近世、開国、明治から現代とブースが分かれて展示されており、歴史の流れが分かりやすい。ディスプレーも学習者フレンドリーな工夫がこらされている。しかし、少々展示物が少ないのが不満だ。縄文、弥生の土器については、横浜市内出土の土器類が関西から中部、東北の土器から文様、形態で影響を受けているという学説が提示されており面白かった。縄文時代の黒曜石が神津島産、長野の和田峠産のものが相当広い範囲で発見され、オオカミやクマが生息する広葉樹林が茂る列島内で流通していたというが、同じように弥生時代にもそのような東西の交流が意外なほどあったものらしい。

なお、ちょっと辛口になるが、企画展の縄文時代人の食生活は、内容的にあまりにも貧弱だった。パネルに縄文人の家族の狩猟、採集生活がマンガで描かれているのだが、これで特別展としての料金を払うほどの内容だとこの博物館は考えているのだろうか?縄文遺跡として著名な長野の尖石遺跡や井戸尻遺跡では縄文人の食生活の展示が素朴ながらも実感の湧くものとして常設展示されているのを見たことがある。縄文クッキーの実物なり、何らかの工夫が有りえると思う。あれでは子ども達も興味を持たない。

10分ほどの横浜史の映画も上映された。この辺りには弥生遺跡、都筑郡の郡衙(ぐんが)があった地だというので、どうやらこの市立博物館が作られたようだ。横浜村の砂嘴、関内近辺の江戸の末年に干拓された様子など、開国がなければ横浜は、草莽の地だったことがよく分かる。草深い武蔵の国の南外れの都筑郡、相模の国が今の神奈川県になったのだ。また夏休みの学習会も開かれていた。

入場口から入ったところにあるビデオブースは相当豊富な映像資料があり、自分たちの住んでいる地域の郷土史を見ることができて面白いものだった。他の土地からの流入人口が多い横浜市はあまり郷土という感覚がないのだが、これらの映像を一通り見ることができれば相当この地にも親しみが湧く。その内ビデオ・オン・デマンド方式で家庭でも見られるようになるといい。

体験ルームには、土器、石器のレプリカが置かれていて手で触れることができる。時々縄文式土器の製作会も開かれるという。土器と言えば、今年の春、陶芸体験をしたのだが、その経験から、子ども達も縄文式土器の薄さ・大きさ・模様、弥生式、土師器、陶器と進展する器の移り変わりにも実感が湧いたようだった。

屋上から通じる歩道橋が道路を跨ぎ、弥生時代の住居遺跡と墓地遺跡公園に繋がっている。30度を越える猛暑だったが、炎天下のその公園に行ってみた。竪穴式住居は、丸太で萱葺きの住居、倉庫が復元されていた。(釘などは使われていないようだった)。住居内部は風通しが悪かったが、ひんやりしており、かび臭く、小規模住居でも現代風の集合住宅(マンション)の一区画(3LDK)程度の広さがあるのだという。住居は全部で7から8棟ほどあり、その周囲は溝を掘って丸太の柵が周囲を厳重に囲んでいる。小規模の城郭都市のようだ。どうやら外敵を防ぐようにしてあったらしい。農耕文化の弥生人を、狩猟採集文化の縄文人が襲撃するとか、同じ弥生人同士で争うとか、何らかの争いがあったのだろう。

自分が生まれた村に5000年ほど以前の中期縄文遺跡があり、子どもの頃そこを訪れるたび、なんとなく親近感を覚えたものだが、今回はそのようなはるかな血縁に思いを致すことはなかった。まつろわぬ縄文の血の濃さのなせるわざだろうか?

P.S. センター北駅高架下のペットショップは規模が大きく珍種の爬虫類などが信じられないほどの高価で販売されていた。

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2005年8月 9日 (火)

FOMA F700iを使いこなす その9からその14

FOMA F700iを使いこなす その9 リラックスモード
あまり期待していなかったが、結構よくできている。5種類の映像と音楽のセットから選べるので、出張先のホテルでの就寝前にでも5分モードや30分モードなどでセットしておけばくつろいで就眠できるような気がする。

なお、携帯の小技を集めたこの連載記事では、携帯機能の盛衰がよく分かる。
http://www.itmedia.co.jp/mobile/0308/26/n_kowaza.html

http://www.itmedia.co.jp/mobile/0210/15/n_iyasi.html

FOMA F700iを使いこなす その10 iモード(いわゆるインターネット)
パケット通信代は一番安いコースに入っているので、パケット代の使いすぎを懸念して、無料サイトのR25式などしか接続していない。(これで結構用は足りる)

なお、パケット通信代がどの場面で課金されるのかがいまいち分からないでいる。普通は、メールやインターネットのサイト閲覧、各種データのダウンロード、アップロードなどだろうが、テレビ電話などでは課金されるのだろうか

FOMA F700iを使いこなす その11 携帯ゲーム機
プレインストールされているZOOKEEPERは面白い。テトリスがプレインストールにないのは残念。

FOMA F700iを使いこなす その12 動画カメラ

既にソニーのハンディカムのDIGITAL VIDEOを使用しており、静止画カメラと同様専用機との比較になってしまい、少々評価が厳しくなる。

秒当りのコマ数の関係で、ギクシャクした動きにはなるし、撮影時間は45秒程度だが、音声はクリアだし、簡単なビデオレターとしては使えるだろう。

FOMA F700iを使いこなす その13 テレビ電話

毎日顔を合わせている家族間ではそれほど必要はないが、離れて住んでいる家族、知人、恋人同士なら結構有用だろう。ただ、画像は動画カメラよりも荒いようだ。辛うじて表情が分かる程度か。

FOMAを使ってPCでテレビ電話できるらしい
http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0507/11/news073.html

FOMA F700iを使いこなす その14 携帯音楽プレーヤーとして

最近iTMS (APPLEのiTune Music Store)が日本でもオープンしてたった4日間で100万曲を越えるダウンロードがあり、日本企業主催の他の音楽配信サイトを戦々恐々とさせているようだ。これもアメリカ的なグローバルスタンダードになってしまうのか?日本の著作権法整備などの対応が遅れているのも要因の一つだろうが、音楽から何からアメリカナイズされるのには抵抗がある。

ところで、レビューでは、他の700iに比べて APPLEの iTUNEとの連携が容易にできるように作られているらしい。

現在、自前のPCが非常に古く約10年前のノートPCで、iTUNEによるCDデータの切り出しには能力不足のため、まだこの機能は確認できていない。

音質は当然それほど期待できないが、試してみたい。ただ、そのためには、PCの買い替えと専用イアフォンが必要だから、今のところ日程には入っていない。

http://www.fmworld.net/product/phone/f901ic/music_play.html

 

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2005年8月 2日 (火)

iPodが揺さぶる著作権

著作権というものが最近どうもどんどん分かりにくくなっているような気がする。特に自分にとって。

素人考えではもともと情報という無形財産の創造者を保護する目的で設定された権利であるだろう。ただ、日本では著作権と称するが英米では、COPYRIGHT、複製権となっており、要するにコピーして頒布する権利のことだと良く分かる。

ところで現代デジタル文明の特徴は、高品質なコピーの容易さである。そこで保護されるべき利益、権利は誰のものか?販売会社(出版社、レコード会社、ソフト会社)、コンテンツを創造する個人、団体・・・。その団体が公益法人でいわゆる税金で運営されている場合は?

ハンディなHDD, 固体メモリーに容易にデジタルデータがコピーでき、それなりの音質、画質で手軽に持ち歩けるようになっている。

iPodが課金されるなら、類似機能を持つ携帯電話にも課金されることになるのだろうか?携帯電話にはそのような機能が付いていても使わない人も多いだろう。このようなマルチファンクション機器への課金ルール作りは非常に困難ではなかろうか?また、いわゆるメディア(CD-R, DVD-Rなど)にも私的複製料金を予めかぶせているのも問題視されている。

日本は、著作権法に関する各種条約の批准が遅れており、その面でも混乱が続いている。

自然法的には、著作権者と受容者・受益者・利用者とのパワーバランスによって権利の範囲も確定していくことが望ましいのだろうが、現在のようにグローバル化した経済では、グローバルな基準が求められることになるのではなかろうか?

参考
カナダ最高裁、「iPod税」を認めず--HDDへのファイルコピーは違法?
http://japan.cnet.com/svc/nlt2?id=20085952

「iPod課金」の方針,国民にゲタを預ける---文化審議会
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20050729/107211/

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2005年8月 1日 (月)

8月の音楽史カレンダー

歴史データベース on the Web のデータによる

8/1/1965 信時潔、没77歳(誕生:明治20(1887)/12/29)「海ゆかば」などを作曲した作曲家
8/1/1973 マリピエーロ(Malipiero.Francesco)没91歳(誕生:1882/03/18)イタリアの作曲家
8/2/1891 ブリス(Bliss.Arthur) 誕生 作曲家「朝の英雄たち」を作曲した
8/2/1945 マスカーニ(Mascagni.Pietro)没81歳(誕生:1863/12/07)イタリアの作曲家
8/2/1978 チャベス(Chavez.Carlos)没79歳(誕生:1899/06/13)作曲家で指揮者「インディオ交響曲」を作曲した
8/3/1823 バルビエリ(Barbieri.Francisco Asenjo) 誕生「パンと闘牛」の作曲家
8/4/1930 ワーグナー(Wagner.Siegfried)没61歳(誕生:1869/06/06)作曲家で指揮者バイロイト音楽祭主催
8/5/1811 トーマ(Thomas.Ambroise) 誕生「ミニヨン」を作曲したフランスのオペラ作曲家
8/8/1905 ジョリヴェ(Jolivet.Andre) 誕生 作曲家「ギニュールとパンドラ」を作曲した
8/9/1875 ケテルビー(Ketelbey.Albert) 誕生 イギリスの作曲家
8/9/1919 レオンカヴァレロ(Leoncavallo.Ruggero)没61歳(誕生:1858/03/08)イタリアの作曲家
8/9/1959 ブリアン(Burian.Emil Frantisek)没55歳(誕生:1904/04/11)作曲家で演出者「やぶ医者」を作った
8/9/1975 ショスタコーヴィッチ(Shostakovich.Dmitrii)没68歳(誕生:1906/09/26)ロシアの作曲家
8/10/1865 グラズノフ(Glazunov.Alexander.Konstantinovich) 誕生 ロシアの作曲家
8/10/1970 ツィンマーマン(Zimmermann.Bernd Alois)没52歳(誕生:1918/03/20)作曲家「プレザンス」を作曲した
8/12/1633 ペーリ(Peri.Jacopo)没71歳(誕生:1561/08/20)作曲家でメディティ家の宮廷音楽長
8/12/1644 ビーバー(Biber.Heinrich Ignaz Franz von) 誕生 作曲家でヴァイオリン奏者「ロザリオのソナタ」を作曲した
8/12/1992 ケージ(Cage.John Milton Jr.)没79歳(誕生:1912/09/05)前衛思想の作曲家「カートリッジ・ミュージック」を作曲した
8/13/1755 ドゥランテ(Durante.Francesco)没71歳(誕生:1684/03/31)「踊れ踊れ」の作曲家
8/13/1912 マスネ(Massenet.Jules)没70歳(誕生:1842/05/12)フランスの作曲家
8/14/1763 ソミス(Somis.Giovanni Battista)没76歳(誕生:1686/12/25)ヴァイオリニストで作曲家
8/15/1728 マレー(Marais.Marin)没72歳(誕生:1656/05/31)作曲家
8/15/1890 イベール(Ibert.Jacques) 誕生 作曲家「アンジェリク」を作曲した
8/15/1907 ヨアヒム(Joachim.Joseph)没76歳(誕生:1831/06/28)作曲家でヴァイオリニスト
8/15/1951 シュナーベル(Schnabel.Artur)没69歳(誕生:1882/04/17)ピアニストで作曲家
8/16/1863 ピエルネ(Pierne.Gabriel) 誕生 作曲家で指揮者「ラムンチョ」を作曲した
8/17/1901 トマジ(Tomasi.Henri) 誕生 作曲家で指揮者「アトランティード」を作曲した
8/17/1958 シュミット(Schmitt.Florent)没87歳(誕生:1870/09/28)作曲家「サロメの悲劇」を作曲した
8/18/1750 サリエリ(Salieri.Antonio) 誕生 イタリアの作曲家
8/19/1881 エネスク(Enescu.George) 誕生 作曲家「ルーマニア狂詩曲」を作曲した
8/19/1922 ペドレル(Pedrell.Felipe)没81歳(誕生:1841/02/19)作曲家で音楽学者マドリード音楽学校教授
8/20/1561 ペーリ(Peri.Jacopo) 誕生 作曲家でメディティ家の宮廷音楽長
8/22/1827 ヨーゼフ・シュトラウス(Strauss.Joseph) 誕生 オーストリアの作曲家
8/22/1862 フランスの作曲家ドビュッシー(Debussy.Claude Achille)誕生
8/23/1900 クルシェネック(Krenek.Ernst) 誕生 作曲家「予言者エレミアの嘆き」を作曲した
8/24/1837 デュボア(Dubois.Theodore) 誕生 フランスの作曲家で理論家、オルガン奏者
8/24/1879 「花」などの作曲家、滝廉太郎が大分県に誕生
8/26/1860 ジルヒャー(Silcher.Friedrich)没71歳(誕生:1789/06/27)音楽教育家で歌曲作曲家
8/26/1915 サール(Searle.Humphrey) 誕生 作曲家「ハムレット」を作曲した
8/26/1958 ヴォーン・ウィリアムズ(Vaughan Williams.Ralph)没85歳(誕生:1872/10/12)作曲家「海の交響曲」を作曲した
8/28/1733 イタリアの作曲家ジョヴァンニ・ペルゴレーシ(23)の喜劇「奥様になった女中」がナポリで上演される
8/28/1867 ジョルダーノ(Giordano.Umberto) 誕生 作曲家「アンドレア・シェニエ」を作曲した
8/28/1959 マルティヌー(Martinu.Bohuslav)没68歳(誕生:1890/12/08)作曲家「大騒動」を作曲した
8/29/1876 ダヴィッド(David.Felicien)没66歳(誕生:1810/04/13)「砂漠」を作曲したフランスの作曲家
8/31/1741 マルティーニ(Martini.Johann Paul Aegidus)誕生 作曲家・教師でオルガン奏者
8/31/1834 ポンキエルリ(Ponchielli.Amilcare) 誕生 イタリアの作曲家でオペラ「ジョコンダ」を作曲した

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