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2005年8月10日 (水)

横浜市歴史博物館と住居跡遺跡

土曜日の夜にはナイトズーラシアに行きたかったのだが、毎年8月の土日の夜に行なわれるこの企画は結構人気があり、クルマで行く場合には昼間の内にズーラシアに入っている必要がある(駐車スペースが埋まってしまうため)と聞いていたので、猛烈な日中の暑さにメゲて計画を先送りしてしまった。

その挽回として、日曜日に以前から行きたいリストに入っていた横浜市歴史博物館を訪れた。我が家からはJRと市営地下鉄を乗り継いで行くというと、最近列車にマニアックな関心を持っている子ども達も乗り気になった。もっとも神奈川県立歴史博物館も結構面白がっていたのでという背景もあった。

日曜日も暑い日だったが、夏休みの宿題を済ませてから出発。子どもたちによると、市営地下鉄では1000系、2000系、3000系が走っているらしい。そっけない車両デザインで私などはあまり興味が湧かないのだが子ども達には結構面白いらしい。新横浜駅から乗車し新羽駅を過ぎると高架を走る鉄道に早変わりする市営地下鉄に乗り「センター北」駅へ。パンタグラフ式でないためか、高架を走っていて反射音が少ないはずなのに走行音が相当けたたましい。防音性がよくないようだ。この地下鉄は現在中田市長の肝煎により全席「優先席」になっている。乗客に対する心理的な効果には疑問があるが、考え方は理解できる。JRの優先席のありさまを見れば、全席が優先席という方が弱者保護的であろう。ただ、市営地下鉄は料金が高いのが難点だ。

さて、センター北駅で下車し、センター南駅方面に向かい左側の、まだあまり駅前開発がされていない方面に出て、5分ほど歩くと立派な市立の歴史博物館の建物が鎮座している。ここは県立とは違い小中学生でも有料なのは「教育政策上」疑問。企画展があるというので、大人500円、小人100円を払い入場。先土器時代から縄文、弥生、古代、中世、近世、開国、明治から現代とブースが分かれて展示されており、歴史の流れが分かりやすい。ディスプレーも学習者フレンドリーな工夫がこらされている。しかし、少々展示物が少ないのが不満だ。縄文、弥生の土器については、横浜市内出土の土器類が関西から中部、東北の土器から文様、形態で影響を受けているという学説が提示されており面白かった。縄文時代の黒曜石が神津島産、長野の和田峠産のものが相当広い範囲で発見され、オオカミやクマが生息する広葉樹林が茂る列島内で流通していたというが、同じように弥生時代にもそのような東西の交流が意外なほどあったものらしい。

なお、ちょっと辛口になるが、企画展の縄文時代人の食生活は、内容的にあまりにも貧弱だった。パネルに縄文人の家族の狩猟、採集生活がマンガで描かれているのだが、これで特別展としての料金を払うほどの内容だとこの博物館は考えているのだろうか?縄文遺跡として著名な長野の尖石遺跡や井戸尻遺跡では縄文人の食生活の展示が素朴ながらも実感の湧くものとして常設展示されているのを見たことがある。縄文クッキーの実物なり、何らかの工夫が有りえると思う。あれでは子ども達も興味を持たない。

10分ほどの横浜史の映画も上映された。この辺りには弥生遺跡、都筑郡の郡衙(ぐんが)があった地だというので、どうやらこの市立博物館が作られたようだ。横浜村の砂嘴、関内近辺の江戸の末年に干拓された様子など、開国がなければ横浜は、草莽の地だったことがよく分かる。草深い武蔵の国の南外れの都筑郡、相模の国が今の神奈川県になったのだ。また夏休みの学習会も開かれていた。

入場口から入ったところにあるビデオブースは相当豊富な映像資料があり、自分たちの住んでいる地域の郷土史を見ることができて面白いものだった。他の土地からの流入人口が多い横浜市はあまり郷土という感覚がないのだが、これらの映像を一通り見ることができれば相当この地にも親しみが湧く。その内ビデオ・オン・デマンド方式で家庭でも見られるようになるといい。

体験ルームには、土器、石器のレプリカが置かれていて手で触れることができる。時々縄文式土器の製作会も開かれるという。土器と言えば、今年の春、陶芸体験をしたのだが、その経験から、子ども達も縄文式土器の薄さ・大きさ・模様、弥生式、土師器、陶器と進展する器の移り変わりにも実感が湧いたようだった。

屋上から通じる歩道橋が道路を跨ぎ、弥生時代の住居遺跡と墓地遺跡公園に繋がっている。30度を越える猛暑だったが、炎天下のその公園に行ってみた。竪穴式住居は、丸太で萱葺きの住居、倉庫が復元されていた。(釘などは使われていないようだった)。住居内部は風通しが悪かったが、ひんやりしており、かび臭く、小規模住居でも現代風の集合住宅(マンション)の一区画(3LDK)程度の広さがあるのだという。住居は全部で7から8棟ほどあり、その周囲は溝を掘って丸太の柵が周囲を厳重に囲んでいる。小規模の城郭都市のようだ。どうやら外敵を防ぐようにしてあったらしい。農耕文化の弥生人を、狩猟採集文化の縄文人が襲撃するとか、同じ弥生人同士で争うとか、何らかの争いがあったのだろう。

自分が生まれた村に5000年ほど以前の中期縄文遺跡があり、子どもの頃そこを訪れるたび、なんとなく親近感を覚えたものだが、今回はそのようなはるかな血縁に思いを致すことはなかった。まつろわぬ縄文の血の濃さのなせるわざだろうか?

P.S. センター北駅高架下のペットショップは規模が大きく珍種の爬虫類などが信じられないほどの高価で販売されていた。

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コメント

JR東日本の新幹線内で入手できる旅雑誌の8月版が、たまたま長野県の考古学、化石博物館の特集記事で、尖石遺跡や井戸尻遺跡が取り上げられており、偶然さに驚いた。この号は他に野尻湖のナウマンゾウ博物館が大きく取り上げられていたが、県内の小さい村にも結構縄文時代の遺物(特に土器)が展示されており、それらが網羅されていればと思った。特に、南佐久郡川上村の大深山遺跡の縄文式土器には名品がある。

投稿: 望 岳人 | 2005年9月 5日 (月) 13:08

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