現地時間の昨夜2005年10月21日、第15回ショパンコンクールの本選が終了した。その公式ページにファイナルオーディションの順位と各賞が掲載されていた。
第1位と各賞(ポロネーズ、マズルカ、協奏曲)はポーランドのブレハッチ(と表記するのだろうか、ブレチャク?)が独占という結果になった。
第1位
Mr Rafał Blechacz – Poland
第2位
Not awarded 授与されず
第3位
Mr Dong Hyek Lim - South Korea
Mr Dong Min Lim - South Korea
(Lim 兄弟)
第4位
山本貴志 日本(長野県)
関本昌平 日本(大阪府)
第5位
Not awarded 授与されず
第6位
Ms Ka Ling Colleen Lee - China-Hong Kong
and six equivqlent mentions (そして6人の同順位者)
Mr Jacek Kortus - Poland
Ms Rachel Naomi Kudo - USA
Ms Rieko Nezu - Japan
Ms Yuma Osaki - Japan
Ms Yeol Eum Son - South Korea
Mr Andrey Yaroshinskiy - Russia
(ファミリーネームのアルファベット順のようだ)
Special Prizes have been awarded
for the best performance of polonaise:
Mr Rafał Blechacz – Poland
for the best performance of mazurkas:
Mr Rafał Blechacz – Poland
for the best performance of a concerto:
Mr Rafał Blechacz – Poland
ショパンの命日の関係で、そういえばと思いつき、いろいろ調べたら、オフィシャルサイトで実況中継をやっていることがわかり、本選第一日目と三日目のみだったが、朝方の4時ごろまで鑑賞してしまった。
全部で12人のファイナリストだったが、半分の6人しか聞けなかった。その中で一番気に入った山本と香港のリーが4位と6位の入賞を果たしたので、自分なりには納得した感じだ。2位なしで、韓国のLim兄弟が3位。4位が日本の男性二人。5位がなく、6位に香港の女性が一人という結果だった。空位が2位、5位で、同順位が2組も出た審査結果は珍しいのではないだろうか。普通に考えると、1位はダントツで圧倒的だったが、3位、4位はあまり差がなく、そこと大きく差がついて6位一人ということなのだろう。残念ながら1位と韓国の二人は実況では聞けなかった。
さて、今回は書類審査ではなく、予備予選からの勝ち抜き戦で、出場者が多かったとはいえファイナリストを12名としたのは多すぎたのではなかろうか?というのもオーケストラ的には難しい曲でなないとは言っても楽団員にとっては集中力の維持が大変だったと思うからだ。ライヴで6人聞いた中でも、ソリストの出来に影響されることもあったのだろうがオケ自体の演奏にも結構ムラがあったように聞こえた。アントニ・ヴィトは、私が所有しているNAXOSスのブラームスの第1ピアノ協奏曲の指揮者で、オケもカトヴィツの表記がないが、ポーランド放送交響楽団なので同一の団体かも知れない。ヴィトはカラヤンコンクールで優勝し、タングルウッドで小澤やスクロヴァチェフスキ(ポーランド出身)にも指導を受けたようで、それなりの経歴の持ち主だが、今回通して聞いてみると、協奏曲指揮者としてはあまり上手ではないように感じた。世界的に名を上げるチャンスだったのに、オケともども惜しい。(ただ、PCのスピーカではなく、きちんとステレオで聞いてみるとオケも結構健闘していたように聞こえたことを付け足しておきたい)
ここ数回のショパンコンクールについてはそのレベルの低下が憂慮されているようだ。今回のWinnerのポーランド人の男性(ブレハッチ)も、どのようなピアニストになるだろうか?数十年に一人の才能という大げさな評もあるようだが、あのツィメルマンもショパンコンクール後しばらくしてから、ポリーニがコンクール直後に失踪したかのように研鑽したのと同様に、ショパン弾きの枠に留まるまいと求道者的にその音楽を磨き上げて大成したようだが、その先例に倣うことができるだろうか。前回の優勝者の中国人の李やかのブーニンのように消費されてしまわないことが肝心だろう。
私が最も感心した日本の山本貴志のコンチェルトは、ときどき危なっかしい部分もあったが、これが日本人の演奏かと思うほど、完全に音楽と一体になった(齟齬がない)そして表現意欲のあるものだった。後で調べると、日本音楽コンクール第3位を獲得した頃からすでに彼のことを評価していたピアニストや愛好家もいたようだが、普通の愛好家にとっては新たなピアニストの発見だ。インターネットで聞くことのできた彼の一次、二次予選のソロも大層面白かった。コンクール用に慎重に誠実に弾くというのではなく、挑戦的なテンポを取り、多彩な表情や感情をその見事なタッチにより表現している。指捌きがいいのかペダリングの上手さか音色も透明で鮮烈だ。
やはりピアノはプレーヤーによって大きく音が違う楽器だということを今回のコンクールで認識を新たにした。ヤマハのピアノでもファイナリストの日系アメリカ人のレイチェル工藤と山本ではまったく違う楽器に聞こえた。赤ん坊や猫が弾いても同じ音というのはまったくの冗談としかいえない。音響的には同じだろうが、音楽というメッセージとなればまったく次元の違う話ではないか。山本はまだ22歳と若い。研鑽を重ね、その見事な音楽を発信してもらいたい。ここで気になるのは、現地レポートの評論家が触れた独特の姿勢のことで、コンクールの時には音楽とは無関係だからその指摘は言いがかりに近いのではないかと反発を覚えたが、今後レパートリーを広げていく上での足かせにならなければいいだろうと心配になる。しかし、ネットの記事で見事なシューマンを弾いていたことを読み、杞憂かも知れないと思った。
今回のネットによる生中継は、まったく画期的だった。遠い国で行なわれ、めったにその演奏に触れることのできないコンクールを全世界の多くの愛好家が同時に視聴して、感想をライブで述べ合えるというのだから。同じ演奏を聞いた批評家やピアニストの評論・感想をすぐに読めて、自分の感想と比較できるのも大変刺激的だった。プロにはプロなりの見方、聞き方、批評のし方、採点方法があることは理解しないではないが、プロならではのしがらみや先入観により、バイアスがかからざるをえないということもあるのだろうということが想像された。
芸術活動自体、大雑把に言って主観の表現であるが、クラシック音楽の場合には、作曲者の残した楽譜、作曲者直伝の演奏の伝統、民族的な感覚(ショパンの場合、ポロネーズやマズルカのリズムなど)というものが、ある種客観性の基準として用いられるようで、他のコンテストのように審査員の恣意的な主観にゆだねられることは比較的少ないだろうが、主観や様々な思惑の占める要素は非常に大きいのではないか。それは非常に知性的だったピアニストの故 園田高弘氏のコンクールの審査員としての記録を読んでも実感される。
参考:故 園田高広氏のコンクール審査員としてのメッセージ
-------------------
追記:山本貴志氏を含む 入賞者記念コンサートが日本各地で開かれており、みなとみらいにも来たので聴きに行きたかったのだが、残念ながらいけなかった。その後、ネット検索をしたところ、地元長野での公演が盛況だった模様がBLOGで詳しく読めて参考になった。ここ と ここ (TBをお送りした)。やはり同じピアノを同じ会場で聞き比べても、山本氏の音色は美しいようなのだ。ネットの貧しいオーディオ環境でもその違いは感じられたように思ったのだが、それが必ずしも錯覚や思い込みではなかったようだ。(ちなみに県民文化会館の駐車場の問題は10年前と変わりないのが嘆かわしかった。駐車場整理もいないとは。)
また、某掲示板の「応援する」サイトにも「みなとみらい」や東京での演奏会の感想が載っていた。
ところで、1/18に長野に出張したその帰りの新幹線の自由席の隣に、ネットで見た山本氏と似た容貌の小柄な青年が、大きい黒い平べったいかばんと普通の旅行カバンを持って座ってきた。その青年は長野駅で買った駅弁を平らげると、携帯音楽プレーヤーで音楽を聞き始め、東京駅で下車した。ショパンコンクールの時の長いもみ上げがあれば確信をもてたのだが、あのトレードマークがなかった。後でスケジュールを調べてみたら翌日が和歌山公演のはずだったから時間的には長野の実家に帰省していざ出陣ということも考えられるのだが・・・(少々妄想モード)。
最近のコメント