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2005年11月17日 (木)

弦楽器のヴィブラート奏法の始まりは?

昨晩、アンナー・ビルスマのチェロによるブラームスのチェロソナタ第1番をヘッドフォンで聞きながら就眠したが、そのノンヴィブラート奏法による少々滑稽で野暮ったく感じられる音色と語り口を聞きながら、そう言えば、弦楽器のヴィブラート奏法はいつ頃から一般化したのだろうと思った。

というのは、確かあるBLOGで、マーラーの第1交響曲をノリントンが初演当時奏法や楽器を用いるピリオドアプローチで演奏したというCDのことを読んだ記憶があるのだが、その記事に、マーラーのこの曲の初演当時は、ヴィブラートが用いられていなかったというコメントを読み半信半疑だった。19世紀後半のヨーロッパのオーケストラ演奏がそうであるなら、あの濃厚で官能的な弦楽合奏をベースにした音響で我々を酔わせるヴァーグナーやリヒャルト・シュトラウスの多くの曲もそのように演奏されていたのだろうか?当然ブラームスやブルックナーの管弦楽曲でもノン・ヴィブラートだったのだろう。たとえば、弦楽合奏が生命の営みのように無限旋律を奏でる「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲を、ノン・ヴィブラートでやればいったいどうなるのか?

現代の弦楽器奏法ではヴィブラート奏法が当然のようになっているが、その起源は相当新しいのだとすると、楽器の相違もあるだろうが、前述のビルスマのような音が盛期・後期ロマン派でも当たり前だったのだろうか?

現在、既に古典派以前ではモダンオケでもノン・ヴィブラートを用いるようになりつつあるが、20世紀以前のロマン派もそうなるとすると、音楽へのイメージが相当変わるような気がする。

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コメント

SWRのノン・ヴィブラートは実は良く知らないのですが、矛盾を示すようです。もし様式としてこれを進めるとなると、現代のフレンチの管なども使えない事になるのでしょうか?

表現の一つと考えて、表現の幅を広げるという事か。大管弦楽の機能が退行して、音量が落ちると云うのも終焉の一つと見て取っても良いのではないでしょうか?

投稿: pfaelzerwein | 2005年11月17日 (木) 16:43

コメントありがとうございます。

ピリオドアプローチの先の記事を拝見しましたが、音響や効果の面白さだけでそれがもてはやされる時代は疾っくに過ぎましたね。(さすがにオーセンティックという言い方はなりをひそめたようです)

場当たり的な奏法の取捨選択も衰退の徴でしょう。当時の独墺のオケではホルンのフレンチ管は使ってはいなかったでしょうね。

投稿: 望 岳人 | 2005年11月17日 (木) 17:33

別のコメントにも書きましたが、NAXOS JAPANのネット配信サイトで、ノリントンの巨人をつまみ聞きすることができました。

投稿: 望 岳人 | 2005年11月17日 (木) 23:19

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