« 2005年12月 | トップページ | 2006年2月 »

2006年1月の11件の記事

2006年1月30日 (月)

ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番(五嶋みどり アバド/BPO)

midori_tchai_shosta
モーツァルトイヤーということで、ついモーツァルトのCDを取り出し勝ちだが、その気持ちを抑えて敢えて対照的な音盤を取り出してきた。

先日中古盤で購入したもの。

同じ奏者のチャイコフスキーの協奏曲も収録されている。いずれも、ベルリンのフィルハーモニーホールでのライブ録音。チャイコフスキーは10年近く前になるが、NHKでライブが放映されたことがある。ソロの演奏は非常に集中度の高い熱の入ったものだが、オケも聴衆も何か疎外感があるような不思議な雰囲気だった。また当時のソニーのトップの大賀氏夫妻がコンサート後のみどりを迎えるシーンなどがあり、公共放送が企業宣伝をしているような違和感を抱いたことがある。また、このときの録音はリリース予定だとアナウンスされたが、なかなか発売されなかったことを覚えている。現在の録音は1995年の3月7日から11日に渡る数回のコンサートを編集したもののようで、一発録りではない。

さて、ショスタコーヴィチの曲だが、みどりのオフィシャルサイトには彼女自身による楽曲解説があるが、この曲は残念ながらない。有名な曲なのでFM放送をよく聴いた時代には耳にしたことのある曲ではあるが、CDとして聴くのはこれが初めて。予備知識は、吉田秀和氏の「音楽時評」か「音楽展望」かに出ていた、スターリンによる恐怖政治の最中に作曲された曲だということ。そしてスターリン死後、D.オイストラフに献呈され、あのムラヴィンスキー指揮のレニングラードフィルハーモニー(現、サンクト・ペテルブルグ・フィルハーモニー)によって初演されたこと。20世紀、ヒトラーと並び自国民を多数殺戮したスターリンではあるが、最近の研究報道では、粛清を恐れた側近により毒殺されたという説が出ているという。政治学の課題図書で、そのスターリン後の政治体制を描いたメドベジェーエフの「フルシチョフ、権力の時代」を学生時代に読み、例のボルコフの「証言」も少し目を通したことがあるが、20世紀はそのような時代だった。

どうも20世紀は政治の時代というだけあり、20世紀の音楽で政治の翳を感じない音楽はあまりないのだが、その中でも、モーツァルトに比すべき神童で、ソ連の誇りであったショスタコーヴィチの音楽は、非常に苦い音楽が多い。比較的大衆好みに作られ表面的には分かり易い第5番の交響曲は別にして、ショスタコーヴィチを聴くにはその訴えるメッセージが何かを絶えず意識しなくてはならなくなってしまっている。純音楽的に楽しめない作曲家の極北かも知れない。(シェーファー=フォアマンの「アマデウス」で描かれたように、モーツァルトも決して政治とは無縁ではなかったのだが。)

そのようなわけで、このCDは聴くには聴いたが、何がなんだか分からないというのが本音だ。
ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 作品99(77)

第1楽章 夜想曲:アダージョ
第2楽章 スケルツォ:アレグロ・ノン・トロッポ
第3楽章 パッサカリア:アンダンテ
第4楽章 ブルレスカ:アレグロ・コンブリオ

1997年12月5日から8日録音。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2001年に聴いたリサイタル(ブレンデル)

アルフレート・ブレンデル
2001年11月2日(金)19時 横浜みなとみらいホール
◎ハイドン:ソナタ ト短調 Hob.XVI-44
◎モーツァルト:幻想曲 ニ短調 K.397
◎モーツァルト:ソナタ イ短調K.310
◎ベートーヴェン:ディアベリの主題による33の変奏曲 ハ短調

ブレンデルのディアベリ変奏曲の記事を読み、コメントさせてもらったが、そのリサイタルのメモを今更ながらだが、アップしておこうと思う。

-------
いわゆる一線級のプロフェッショナルのピアニストのリサイタルを聞いたことはあまりない。このブレンデルは数少ない経験の中の一つだ。(数少ないが、ツィメルマンがダントツに素晴らしかった。デムスは面白かった。また、キーシンは見事だった。)

ブレンデルは、私が盛んに音楽を聞き始めた高校生の頃、次々に録音を発表して、日本の批評界でも非常に評価の高いピアニストだった。知的であり、音色は美しく、「ピアニストが最も注目しているピアニスト」という評を読んだことがある。ベートーヴェンのソナタ、モーツァルトのピアノ協奏曲、シューベルトのソナタをレパートリーの三本柱として君臨し、吉田秀和氏もブレンデルのモーツァルトのピアノ協奏曲をエスプレッシーヴォのピアニストとして好意的に評論していた。

ブレンデルのベートーヴェンを聞く機会はあまりなかったが、シューベルトのソナタ21、「さすらい人」幻想曲、マリナーと入れたモーツァルトのピアノ協奏曲集は座右のCDだった。

ブレンデルは何度も来日しているが、2001年で何度目になったのだろうか?90年代にはブレンデルについての音楽界の評価も70年代、80年代からは相当落ち着いてしまい、むしろ発見がないピアニストというマイナスイメージを持たれていたように思う。2001年に来日して横浜で聞けるという話があっても、自分としてはあまり聴きたいとは思わなかったのだが、4月に聴いたキーシンのリサイタルに感激していた妻が、コンサート案内で先行申込をしてチケットを入手していたので、会社帰りに待ち合わせて聴きに行った。(子ども達はまだ未就学だったので、託児室に預かってもらった)

プログラムの期待は、なんと言っても難曲の「ディアベリ」変奏曲。いわゆる晩年の少々誇大妄想的なベートーヴェンの一連の曲の一つで、「ミサ・ソレムニス」、弦楽四重奏のための「大フーガ」や「第九」「ハンマークラフィーア」ソナタなどと同じ系譜に属するように思う。

この作品は、CDではアラウの晩年の録音のものを所有していた。高名な作品ではあるが、あまり聴く機会もなかったため、知識欲が優先した「お勉強」のために求めたものだったが、いざ聴いてみると、いわゆるピアノ譜や詳細な解説を参照せずに全曲を聞き通すのは非常に大変な曲だということが分かった。何度挑戦しても最後まで集中力を保つことができず、途中で止めてしまったり、居眠りしてしまったり、どうしても最後まで行き着けない。ブルックナーやマーラーの大交響曲などで1時間を越える器楽曲には慣れているし、ピアノ独奏曲でも、ハンマークラフィーアやシューベルトの大ソナタなどでも集中力が途切れることはあまりない。ましてや、めまぐるしく楽想が変わる変奏曲はむしろ飽き難い作品のはずだ。どうしてこうなるのだろうか。(この曲をネット検索すると、ベテランリスナーにして、結構最後まで聴き通せないという率直な感想が多いようだ。)

しかし、貧乏根性を発揮して、このリサイタルのブレンデルの演奏を味わい尽くすためにも、という気持ちで、アラウのCDを何度となく聞くうちに、次第にそれぞれの変奏を聞き分けられるようになってきた。

聴衆は、広いみなとみらいホールがほぼ満員の盛況だった(ように思う)。子ども達を預けに行くと、横浜在住の外国人の子どもも数人いた。いまだに西洋人にしてみれば、日本人がこのようにかの国の音楽を愛好し、その名匠の演奏会に詰め掛けるのは奇異には思わないだろうか、感想を聞いてみたいものだなどと考えたりもした。

プログラムは、シューベルトはないが、いわゆるヴィーン古典派の三巨匠の作品を時代順にまとめたもの。ハイドンには珍しい短調のソナタ。モーツァルトも短調作品で、未完のニ短調のファンタジー、そして傑作イ短調ソナタ。ハイドンのソナタには疎いので初めて聞くようなものだったためあまり印象が残っていないが、モーツァルトのファンタジーとソナタは、正統派ブレンデルとはまったくスタイルの違う個性派グールドの録音で早くから親しんできたもの。また、ソナタは、ブレンデルと同じく東欧出身のルーマニア人リパッティの名演奏(のエアチェックテープ)で長らく聴いてきた。グールドやリパッティの低音部の軽い疾走するような演奏に比較して、ブレンデルの実演はより身振りの大きいもので、ピアノ協奏曲で親しんだ透明な音色よりも丸みを帯びたやや不透明な音色だったが、じっくりと聴かせる演奏だった。

休憩の後はメインプログラム、ディアベリ変奏曲。50分はかかるこの長大で複雑な曲をリサイタルで聞かせる力量は、このような巨匠でなくては持ち得ないものだろう。私では、順番さえ覚えきれない。しかし、ブレンデルはもちろん楽譜も持たずに、身一つで登場し、おもむろに椅子に座り、また無造作に少々滑稽なディアベリによるワルツのテーマを弾きだす。アラウの録音は、変奏曲間の間は、録音技師により設定されたものだろうが、実演では変奏の間はブレンデル自身のもので、意外に思えるほど間を空けて弾いたように記憶している。

予習の効果のせいか、実演にのめりこめたせいか、ブレンデルの演奏が素晴らしかったせいだろうが、この長大な曲を最後までほとんど飽きることなく聞きとおすことができたのは、うれしかった。このピアノ曲は、それこそベートーヴェンが陳腐なディアベリの主題をもとに、自らの作曲技法、演奏技法の全てを投入したもので、中ではほとんどバッハのフーガかと思うような対位法的な変奏もあれば、スケルツァンドな哄笑もあり、瞑想的な楽章もある。シューマンの謝肉祭は、短いモチーフを基本にしたいわゆる小曲集だが、そのようなものの先取りとして捉えれば、この破天荒さが理解できるような気もした。当時のベートーヴェンとしては遺言のつもりはなかっだろうが、それまでの集大成的な作品だったという自負はあっただろう。そのようなことを思わせるリサイタルだった。
arrau_diabelli_1arrau_diabelli_2

| | コメント (6) | トラックバック (0)

N響 ロシア公演 2003年 「展覧会の絵」

昨日 2006年1月29日のN響アワーは、畑正憲をゲストに迎えたものだったが、ロシア音楽好きのゲストのためにタイトルの曲の全曲が放送された。指揮は当時の音楽監督 シャルル・デュトア。サンクト・ペテルブルクのフィルハーモニーホール?での演奏だった。

このホールはあまり残響がないのか、それともマイクセッティングのせいか、デュトア/N響の華やかなヴィルトゥオーゾオケのイメージとは全く逆に、どうもせせこましい痩せた演奏に聞こえた。

ところで、改めて海外のホールでN響を眺めると、ついこちらも客観的になるのか、子どもが「これは日本人ばかり?」と言ったのがきっかけか、なぜ日本のオーケストラには、いわゆるガイジンがほとんどいないのだろうかと、非常に素朴な疑問が頭に浮かんだ。

黎明期には、N響(新交響楽団)にもコンサートマスターには「お雇いガイジン」的なリーダーがいたようだが、現在多数存在するオケにもあまりガイジンはいないようだ。

西洋音楽をやるというのに、単に日本の楽壇が閉鎖的なのか、それともガイジン奏者にとって日本の楽団が魅力がないのか?野球にしろ、サッカーにしろ、助っ人と呼ばれるガイジン一流プレーヤーは多い。また、いわゆるオケでもそれらスポーツでも、本場には日本のみならず才能のあるプレーヤーが世界中から集まるのが、国際化された世界の趨勢だ。その点、改めて日本のオーケストラ活動が特殊なのかと思ってしまう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月27日 (金)

W.A. Mozart の250回目の誕生日と G.Verdiの命日

音楽界はモーツァルトの250回目の誕生日を盛大に祝っているが、今日は1901年にVerdiが亡くなった日でもある。昨年来音楽史カレンダーなる記事をアップしているが、この史上最大のオペラ作曲家の記念日をつい忘れがちだ。

自分自身Verdiについてはとんと疎く、昨年アダージョ・ヴェルディを購入したときにも同じようなことを書いたが、いまだにその魅力に開眼できないでいる。

開眼できないと言えば、先日「クラシック音楽のひとりごと」 mozart1889さんのベルグルンド/ヘルシンキ・フィルのシベリウス 交響曲第1番ホ短調の記事にコメントしたのだが、シベリウスの第3番から第7番の交響曲はどうにもとっかかりがなくてまともに聴いたことがない。

大学時代頃まではマーラー、ブルックナー、ヴァーグナー、バルトークなどは好奇心で聴いたが音楽を愛好しているかという点では苦手な部類だった。しかし今では非常に親しい作曲家になっている。そのように次第に親しくなっていける作曲家もあれば、どうもピンと来ない作曲家がいる。ヴェルディやプッチーニなどのオペラ作曲家もその中に含まれる。これらの作曲家は多くの愛好家がいるし、シベリウスなどは非常に深遠な魅力があるという感想などを読んだりすると、感性や能力のベクトルや守備範囲にはやはり違いがあるなと感じる。

koopman_k136

flq_obq

さて、最近空想的なことを書き連ね、音楽をまともに聴いてこなかったが、250年前に誕生した作曲家の音楽を久々に落ち着いてきくことができた。ひとつは、トン・コープマン指揮のアムステルダム・バロック・オーケストラによるディヴェルティメントK.136,137,138とセレナードK.525。100番台の3兄弟は、3楽章形式だが、なぜこれらがディヴェルティメントと名づけられたのか。ホグウッド張りに弦楽合奏によるジンフォニーという名前の方がふさわしいと思う。また、有名なアイネ・クライネ・ナハト・ムジークも第二楽章のメヌエットが失われた今の四楽章形式では、これも弦楽合奏によるジンフォニーというべきだと思う。先にピリオドアプローチによる軽さが気になるようなことを書いたが、これらの演奏は少々ノンヴィヴラートと中膨らみの奏法が気になるとは言え精緻で見通しがよくはつらつとした音楽になっている。(1988,1989年録音)

また、かつてのベルリンフィルのフルート奏者 アンドレアス・ブラウとオーボエ奏者 ローター・コッホ に アマデウス・クァルテットのメンバーが加わったフルート四重奏曲、オーボエ四重奏曲も、久しぶりに聞いた。ブラウのフルートの音色はあまり冴え冴えしていないが、K.285のアレグロ、アダージョ、ロンドーを楽しめた。音楽的な充実度から言えば、K.370のオーボエ四重奏曲ヘ長調が凌ぐだろうが、魅力的なのはK.285の方だ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年1月26日 (木)

隆慶一郎「捨て童子 松平忠輝」「花と火の帝」

先日出張の往復の折に気軽に読めながら内容的に充実している小説がないかと書店を探していたところ、「捨て童子 松平忠輝」の書名が目にとまった。非常に面白い小説だった。

歴史的な登場人物・事件の大筋を大きくは外さず、主人公に異能を持たせたり、脇役に異能の持ち主を配したりして、事件・出来事の新たな解釈・説明を物語として説き起こすいわゆる歴史伝奇小説のジャンルに入るのだが、スーパーマン的な登場人物の活躍の面白さはもとより、他の歴史小説などで自分なりのイメージが固定化している徳川家康や秀忠の人間像などが、もしかしたらこうだったのではないかと思われるほどよく描きこまれているのが素晴らしい。文庫で上下中三巻本だが、一息に読み通せる。

余談:その余勢を駆って、後水尾天皇を主人公とする「花と火の帝」二巻(作者逝去のため未完という)を読み始めたところ、「官女密通」(P.77)のエピソードを読み進めていくと、「あれ、これはもしかしたら」と思いついた新聞記事があった。

確認してみると、朝日新聞の土曜版に連載されている「愛の旅人」という記事の中に2005年の秋頃掲載された名門公家と高級女官 後陽成宮廷の猪隈事件(猪熊事件という記述もあり)というのがあり、先の「官女密通」事件と全く同じ事件を扱っていたのだった。

小説では、この事件が徳川将軍による宮中支配のきっかけとなる政治的な事件の一つとして重要視されているようでなるほどと思ったのだが、新聞記事の方は「流罪」をメインにしていてそちらについてはあまり興味が湧かなかった。しかし、プロローグとして書かれたこの事件の末裔が意外な人だという部分が非常に印象に残った。

その方自身がエッセイにこの事件に関係する「大炊御門頼国」のことを記しているのを見つけた。もう一編。
このエッセイなど、この筆者の連載の初めの頃で熱心に読んだものだが、墓碑に残るようなご先祖の名前についてはさすがに覚えていなかったがそれとなく記されていた。めぐり巡ってパズルが解けたような不思議な感じがする。

なお、大炊御門藤原頼国は、同罪の貴族とともに最初は鹿児島県の硫黄島(鬼界ヶ島:俊寛僧都が流された島がこれだとされるが薩南諸島全体を鬼界ヶ島という説もあるという)に流罪になったが、その後甑島(こしきじま)に移されたという。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

井上太郎「モーツァルトと日本人」

「モーツァルトと日本人」。書店でたまたま目についた。この著者は、「モーツァルトのいる部屋」で全曲の感想をまとめており、あまり学究的ではないモーツァルティアンとして親しい感じがする人だ。

目次をパラパラと見て、小林秀雄から河上徹太郎、大岡昇平、吉田秀和という人文系の知性によるモーツァルト受容史がまとめて読めるのが面白そうだと思って購入した。

クラシック音楽との出会い
モーツァルトとの出会い
日本人の西洋音楽受容
初期のオーケストラ活動
クラシック音楽の普及
昭和戦前のモーツァルト像
モーツァルトのSPレコード
小林秀雄の『モオツァルト』
河上徹太郎の『ドン・ジョヴァンニ』
モーツァルティアン大岡昇平
吉田秀和とモーツァルト
遠山一行とモーツァルト
モーツァルト文献の邦訳
戦後のコンサートとオペラ
LP・CDによるモーツァルトの普及

著者のモーツァルト論は「いき」とモーツァルトなどで披瀝されているので、この著書では繰り返されてはいない。日本におけるモーツァルト受容史として簡易ながら面白くまとめられている。ただ、演奏面、研究面では少々物足りない。海老沢敏氏を筆頭にした日本におけるモーツァルト研究についてももう少し触れてもよかったのではなかろうか?

また一般に日本人はモーツァルトを聞くのは好きだが、演奏するのは苦手とされる問題についても演奏論的に書いてほしかった。たとえば、日本育ちの小澤征爾のモーツァルトはヴィーン・シュターツ・オーパーの音楽監督になった今でもあまり好評を得ていないのにかかわらず、ヴィーン育ちの内田光子のモーツァルトは先のモーツァルトイヤー頃から欧州でも評価が高いのはなぜか?何か呼吸のようなものが関係しているのではないかとディレッタント的には思うのだが。人為の極致でありながら自然な呼吸が感じられないモーツァルトには聞く者として容易に違和感を覚えるのだから難しい。

21世紀の今、モーツァルト以前の作曲家の作品はピリオドアプローチがあたりまえになってしまい、オペラ以外は現代の一線級の指揮者、オーケストラはモーツァルトのシンフォニーを真っ向から演奏・録音しなくなってから久しい。セル、ベームなどの往年の名匠のモーツァルトをいまだに愛好する身としてはどうもしっくりこない。

なお、小林秀雄の「モオツアルト」にも引用されてその代名詞ともなった 「疾走する悲しみ」の種本、アンリ・ゲオンの「モーツァルトとの散歩」(ここで tristesse allante という言葉が用いられた) は、父の蔵書だが何度読み直しても素晴らしい。

この言葉は一人歩きをしてト短調の弦楽五重奏曲の第1楽章や同じくト短調の交響曲第40番の形容というように誤解されることが多い(前者については、小林秀雄が原因だ)のだが、「今日モーツァルトを聴くヒント」のフルート四重奏曲ニ長調K.285にあるように、この言葉が用いられたのは、この曲の晴れやかなニ長調の第一楽章に対してだった。ゲオンは、この印象的な単語を弦楽五重奏曲ト短調K.516の第一楽章に対しては「直接」は用いていない。

《第二楽章では、蝶が夢想している。それはあまりにも高く飛び舞うので、紺碧の空に溶けてしまう。ゆっくりとしてひかえ目なピチカートのリズムに支えられながら流れるフルートの歌は、陶酔と同時に諦観の瞑想を、言葉もなく意味も必要としないロマンスを表している。魂を満たすきわめて赤裸な、いとも純粋な音・・・。第一楽章は(アレグロ)は、1787年の無二の傑作《弦楽五重奏曲ト短調》K516の冒頭部のアレグロの最高の力感のうちに見出される耳新しい音をときとして響かせている。それはある種の表現しがたい苦悩で、《テンポ》の速さと対照をなしている足どりの軽い悲しさ(tristesse allante)言いかえれば、爽やかな悲しさ(allegre tristesse)とも言える。この晴れやかな陰翳という点からみれば、それはモーツァルトにしか存在せず、思うに、彼のあるアダージョやアンダンテなど…をよぎるもっとはっきりした告白よりもずっと彼らしいものである。》

晴れやかで軽やかで飛翔するかのような元気のよいフルート四重奏曲第1番のアレグロニ長調こそ、ゲオンにとっては「足どりの軽い悲しさ(tristesse allante)言いかえれば、爽やかな悲しさ(allegre tristesse)、晴れやかな陰翳」であり、これを「弦楽五重奏曲ト短調K.516のみに」適用したのは小林秀雄の深読み若しくは誤読なのではないだろうか。(K516の第1楽章に見出される耳新しい音をときとしてK.284の第1楽章が響かせており、その耳新しい音こそが、「足どりの軽い悲しさ」なのだから、K516がそれを含んでいるということは間違いがないのだが。)

ゲオン自身、特にその弦楽五重奏曲ト短調K.516については一章を設けてその筆舌に尽くしがたい音楽の魅力について語っているので、短調のモーツァルトへの理解は非常に深いものがあった。ヨーロッパではこのようにモーツァルト死後の時代には、むしろ短調のモーツァルトのロマンチックなデモーニシュな魅力の方が重視されていたのではなかろうか?ニ短調のピアノ協奏曲や「ドン・ジョヴァンニ」はロマン派にも愛好されたという。(ただ、シューマンがト短調交響曲K.550を古典的で晴れやかで均整の取れたものと評したのは吉田秀和による訳書で読める(*)。堀内敬三がこの曲について多分シューマンを参考にしてほとんど同じ傾向の解説をしているのが、井上太郎の著書で読めるが、今日からみると唖然とする)。

(*)追記:シューマンの『音楽と音楽家』では無かったようだ。シューマンのこの交響曲に対する評価は全音のポケットスコアの解説に書かれていた。

しかし、ゲオンはむしろこのニ長調の軽やかな音楽にこそモーツァルト独自の悲しみを嗅ぎ取ったのではあるまいか。

小林秀雄による「モオツアルト」は、それとは逆に、古典的で均整の取れた明朗な作品を作曲した永遠の神童として日本で受容されてきた従来のモーツァルト像に対して、同じtristesse allanteを用いながら、短調のロマンチックなモーツァルト像を突きつけたということなのだろう。

この言葉を支点として、洋の東西のモーツァルト受容の差異がここに顕著になっているといえるのではなかろうか?

仏語    英語
tristesse sadness   
allante     initiative,(active)
allegre     cheerful, merry

| | コメント (3) | トラックバック (0)

モーツァルトとアインシュタイン

物理学者のAlfred Albert Einstein アルフレートアルベルト・アインシュタインが、「死とは何か」との質問に対して、「死とはモーツァルトが聴けなくなることだ(死とはモーツァルトを聞けなくなることだ)」と答えたという話は有名だ。白水社の「モーツァルト頌」に収められてから広まった賛辞ということだが、その典拠が何かについては、当の「モーツァルト頌」の編者自身がその原典を所有していないということで、長らく謎になっている。

物理学者アルフレートアルベルトの従兄弟に、音楽学者のAlbert アルベルトAlfred アルフレートという人物がおり、モーツァルトやシューベルトの研究家として第一級の人物で、大部の「モーツァルト その人間と作品」という素晴らしい評伝を残しており、なおかつ、ケッヘルカタログの改訂を行ない、第3版(ケッヘル・アインシュタインカタログ)を出版しているほどの人物だ。この音楽学者も、物理学者の従兄弟同様、ヨーロッパからアメリカに亡命(移住)している。そのようなモーツァルトの専門家であるが、従兄弟の物理学者ほどの知名度はなく、ファーストネームが同じAで始まり、A.アインシュタインと表記されるため、アルベルトアルフレートの方の発言の方ではないかという推論も成り立つのでややこしい。(もっとも、実証的なモーツァルト学者がそのようなキザな賛辞を贈るかどうかは疑問なのだが。)

何しろ、「モーツァルト頌」の編者自身がこの賛辞を知ったのは、どこかの本屋での立ち読み!で、その後どの本の記述だったか忘れてしまったという、嘘か誠か、作り話かというほどの、眉唾ものでお粗末な裏話がnifty-serveのクラシック音楽の掲示板で報告された。その辺のいきさつは「レコード軽術」というサイトに詳しい。

ヘブライ大学に「アインシュタイン・アーカイブ」(http://jnul.huji.ac.il/einstein/)というのがあることがわかり,そこに問い合わせてくれた人もいた.

 「問い合わせてくれた人」というのはは恐らく私だろう。下手な英語でメールを発信したのだが、その後何も音沙汰がない。もう6年以上も昔のことだ。

ところが、今日久しぶりに Google で検索してみたところ、 読書遍歴 「アインシュタイン・ロマン」というページ
が見つかり、その中に

NHK「アインシュタイン・ロマン」(全6巻)
第1巻 「黄泉の時空から」  天才科学者の肖像
isbn 4-14-008768-4 C1342 1500円
著者 NHKアインシュタイン・プロジェクト

第三章 自在なポップスター
 それから、音楽について。死とはなにかと言う問いに対して、アインシュタインが「モーツァルトが聞けなくなること」と答えるくだりが、P125に書かれている。

とコメントされていた。これも孫引きになってしまうのだが、どうやらこの本には、物理学者アインシュタインが明確にこの言葉を言ったことが書かれているようなのだ。いつ頃、誰とのインタビューかが書かれているかが分かればさらに確実性は増すだろう。

どうやら、物理学者アインシュタインが、この有名な言葉の発言者であるようだ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年1月19日 (木)

のだめカンタービレ第14巻

2006/1/16のだめカンタービレ第14巻を購入。「のだめ」の活躍が再び始まったのが自分的には効いて、第13巻に比べたら結構面白かった。のだめはどんなピアニストになるのだろう。相変わらずテクニックは凄く、ロマン派張りの編曲癖はあるようだが。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年1月 7日 (土)

1月の音楽史カレンダー

-------------------

歴史データベース on the Web のデータによる

1/2/1837 バラキレフ(Balakirev.Mily Alexseyvich) 誕生 ロシアの作曲家
1/2/1915 ゴルトマルク(Goldmark.Karl)没84歳(誕生:1830/05/18)ハンガリーの作曲家
1/3/1785 ガルッピ(Galuppi.Baldassare)没78歳(誕生:1706/10/18)作曲家「捨てられたディドーネ」を作曲した
1/4/1786 モーゼス・メンデルスゾーン(Mendelssohn.Moses)没56歳(誕生:1729/09/06)ドイツのソクラテスと称せられた哲学者で作曲家のフェリックス・メンデルスゾーンの祖父
1/4/1903 阿部武雄 誕生「国境の町」や「裏町人生」などの流行歌を作曲した作曲家
1/4/1942 イェッセル(Jessel.Leon)没70歳(誕生:1871/01/22)オペレッタ作曲家「シュヴァルツヴァルトの乙女」を作曲した
1/4/1956 グレチャニーノフ(Grechaninov.Alexander Tikhonovich)没91歳(誕生:1864/10/25)作曲家 交響曲や童謡を作曲した
1/6/1831 クロイツェル(Kreutzer.Rodolphe)没64歳(誕生:1766/11/16)フランスのヴァイオリニストで作曲家
1/6/1838 ブルッフ(Bruch.Max) 誕生 作曲家「フリトヨフ」を作曲した
1/6/1872 作曲家スクリヤビン(Skriabin.Alexander)がモスクワに誕生
1/7/1891 タウベルト(Taubert.Wilhelm)没79歳(誕生:1811/03/23)指揮者で作曲家「愛の歌」を作曲した
1/7/1899 プーランク(Poulenc.Francis) 誕生 フランスの作曲家
1/8/1713 コレリ(Corelli.Arcangelo)没59歳(誕生:1653/02/17)「コンチェルト・グロッソ集」のイタリアの作曲家
1/8/1830 ハンス・フォン・ビューロー(Buelow.Hans Guide.Freiherr von) 誕生 ドイツの作曲家・指揮者・ピアニストでワーグナーに傾倒した
1/11/1801 チマローザ(Cimarosa.Domenico)没51歳(誕生:1749/12/17)作曲家喜歌劇「ロンドンのイタリア女」を作曲した
1/11/1856 シンディング(Sinding.Christian) 誕生「グロテスクな行進曲」を作曲したノルウェーの作曲家
1/11/1875 グリエール(Glier.Reyngol'd Moritsevich) 誕生 作曲家「青銅の騎士」を作曲した
1/11/1902 デュリフレ(Durufle.Maurice) 誕生 作曲家でオルガン奏者「レクイエム」を作曲した
1/11/1979 ディミトリ・ティオムキン(Tiomkin.Dimitri)没79歳(誕生:1899/05/10)「真昼の決闘」のテーマを作曲したアメリカの作曲家
1/12/1674 カリッシミ(Carissimi.Giacomo)没69歳(誕生:1604/04/18)イタリアの作曲家
1/12/1674 カイザー(Keiser.Reinhard) 誕生「ハンブルクの歳の市」を作曲した作曲家
1/12/1837 イェンゼン(Jensen.Adolf) 誕生 作曲家「スペイン歌曲集」を著した
1/12/1876 「聖母の宝石」のイタリアの作曲家ウォルフ=フェラーリ(Wolf-Ferrari.Ermanno)がヴェネツィアに誕生
1/13/1864 フォスター(Foster.Stephan Collins)没37歳(誕生:1826/07/04)アメリカの作曲家
1/13/1971 トマジ(Tomasi.Henri)没69歳(誕生:1901/08/17)作曲家で指揮者「アトランティード」を作曲した
1/14/1676 カヴァリ(Cavalli.Francesco)没73歳(誕生:1602/02/14)「ジャソーネ」を作曲した作曲家
1/14/1949 トゥリナ(Turina.Joaquin)没66歳(誕生:1882/12/09)作曲家「ロシーオの行列」を作曲した
1/15/1926 トゼルリ(Toselli.Enrico)没42歳(誕生:1883/03/13)作曲家「嘆きのセレナータ」を作曲した
1/16/1728 ピッチンニ(Piccinni.Niccolo) 誕生 オペラ作曲家「ディド」を作曲した
1/16/1891 ドリーブ(Delibes.Leo)没54歳(誕生:1836/02/21)フランスの作曲家
1/16/1920 ルイ・デュレ、ダリウス・ミヨー、フランシス・プーランク、アルチュール・オネゲルら6人の作曲家が「6人組」と命名される
1/17/1734 ゴセック(Gossec.Francois-Joseph) 誕生 作曲家「6つの交響曲」を作曲した
1/17/1751 アルビノーニ(Albinoni.Tomaso)没79歳(誕生:1671/06/14)「アルビノーニのアダージョ」のイタリアの作曲家
1/17/1857 キーンツェル(Kienzl.Wilhelm) 誕生 作曲家で評論家「遺言」を作った
1/17/1869 ダルゴムイシスキー(Dargomizhsky.Alexander Sergeyevich)没55歳(誕生:1813/02/14)作曲家「ルサルカ」を作曲した
1/17/1886 ポンキエルリ(Ponchielli.Amilcare)がミラノで没51歳(誕生:1834/08/31)イタリアの作曲家でオペラ「ジョコンダ」を作曲した
1/18/1835 キュイ(Cui.Cesar) 誕生 作曲家「ウィリアム・ラトクリフ」などを作曲したロシア五人組
1/18/1841 シャブリエ(Chabrier.Emanuel) 誕生 フランスの作曲家
1/19/1833 エロルド(Herold.Ferdinand)没41歳(誕生:1791/01/28)作曲家「ザンパ」を作曲した
1/20/1586 シャイン(Schein.Johann Hermann) 誕生 詩人で作曲家「音楽の饗宴」を作曲した
1/20/1894 ピストン(Piston.Walter) 誕生 新古典主義作曲家「不思議な笛吹き」を作曲した
1/20/1930 作曲家いずみたく誕生
1/20/1931 「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」の作曲家中村八大誕生
1/21/1848 デュパルク(Duparc.Henri) 誕生 作曲家「ミニョンのロマンス」などを作曲した
1/21/1851 ロルツィング(Loetzing.Albert)がゼルリンで没49歳(誕生:1801/10/23)ドイツの作曲家
1/21/1948 ウォルフ=フェラーリ(Wolf-Ferrari.Ermanno)没72歳(誕生:1876/01/12)作曲家「聖母の宝石」を作曲した
1/22/1727 バルバートル(Balbastre.Claude-Benigne) 誕生 オルガン奏者で作曲家「フランスのクリスマス・カロルによる変奏曲の4つの組曲」を作曲した
1/22/1871 イェッセル(Jessel.Leon) 誕生 オペレッタ作曲家「シュヴァルツヴァルトの乙女」を作曲した
1/23/1752 クレメンティ(Clementi.Muzio) 誕生 作曲家、指揮でピアニスト楽譜出版を行い、「ピアノ教則本」を著した
1/23/1879 イェンゼン(Jensen.Adolf)没42歳(誕生:1837/01/12)作曲家「スペイン歌曲集」を著した
1/23/1981 バーバー(Barber.Samuel)没70歳(誕生:1910/03/09)作曲家「弦楽のためのアダージョ」を作曲した
1/24/1918 ゴットフリート・フォン・アイネム(Einem.Gottfried von) 誕生 オーストリアの作曲家
1/25/1913 ルトスラフスキ(Lutoslawski.Witold) 誕生 ポーランドの現代音楽の作曲家「織られた言葉」を作曲した
1/26/1833 イタリアの作曲家のドニゼッティのオペラ「ルクレツィア・ボルジア」が、ミラノのスカラ座で上演される
1/27/1756 モーツァルト(Mozart.Wolfgang Amadeus) 誕生
1/27/1901 ヴェルディ(Verdi.Giuseppe Foutunio Grancesco)没87歳(誕生:1813/10/10)イタリアの作曲家
1/27/1969 イェリネク(Jelinek.Hanns)没67歳(誕生:1901/12/05)作曲家で教師「12音による作曲入門」を著した
1/28/1791 エロルド(Herold.Ferdinand) 誕生 作曲家「ザンパ」を作曲した
1/28/1875 カリリョ(Carrillo.Julian) 誕生 作曲家13番目の音発見
1/28/1935 イッポリトフ=イワーノフ(Ippolitov-Ivanov.Mikhail)没75歳(誕生:1859/11/19)ロシアの作曲家
1/29/1782 オーベル(Auber.Daniel Francois) 生誕 歌劇作曲家/「マノン・レスコー」を作曲した
1/29/1862 ディーリアス(Delius.Frederick) 誕生 作曲家「ハイヤワサ」を作曲した
1/29/1924 ノーノ(Nono.Luigi) 誕生「中断された歌」などを作曲したイタリアの作曲家
1/30/1697 クヴァンツ(Quantz.Johann Joachim) 誕生 フルート奏者で作曲家
1/30/1963 プーランク(Poulenc.Francis)没64歳(誕生:1899/01/07)フランスの作曲家
1/31/1797 オーストリアの作曲家シューベルト(Schubert.Franz)誕生
1/31/1905 万城目正 誕生 作曲家
1/31/1989 芥川也寸志、没63歳(誕生:大正14(1925)/07/12)作曲家で指揮者

---------------

| | コメント (1) | トラックバック (1)

年末年始のあれこれ

◆年賀状は2005年に新調したPCとプリンタで、12/26夜と12/27夜にそれぞれ午前2時までかけて住所録整理、作成印刷をした。約100枚。写真印刷が綺麗にできるというふれこみの写真印刷用官製年賀状1枚60円なりを早々と11月に注文して購入しておいたのだが、プリンタ付属ソフトと大量のデジカメ写真を前にして、写真やレイアウトの選択肢が多くなりすぎ、つい決断するのが面倒になりギリギリまで放っておくという悪い癖が出てしまった。それでもやり始めると面白くなり、家族用、恩師や会社関係用、妻用、子ども用2種類と裏面を作って楽しんだ。

ただ、以前の住所録を読み込んで駆け込みで宛名印刷をしたため、住所ミスが2件ほど発生してしまったのを帰省から戻って気が付き、年始早々お詫びの言葉を書いて出し直すはめになった。

◆帰省もなかなか仕事の予定が確定しなかったため、指定席は売り切れ、やむを得ず自由席で帰省。東京駅の新幹線のホームの混み方は凄かった。東海道新幹線では、下りの自由席に乗ろうと行列している人が多くて、上りで東京に着いた自由席の降車客は5号車より前の車両から降りなければならないほど。

行きも帰りも始発駅のため少し並んだら座れたのは助かったが、混雑具合が気になり、やはり気分的には落ち着かないものだ。

◆音楽は、実家のオーディオを置いてある部屋が寒すぎてクラシックのLPはほとんど聞けず。子ども向けのアニメソングを聞いた程度(ウルトラマン、スーパージェッター、宇宙少年ソラン、オバケのQ太郎、怪獣ブースカなど)。子ども達もすっかりこれらの40年近く前の古いアニメソングに親しんでしまったほど。

久しぶりに少し調律のはずれた自宅のアップライトピアノを弾いた。国産の普通のピアノだが、自分が音楽鑑賞をするときの基準の一つにはなっている。毎日キーボードを触っているため、指はそれなりに動いたが、フレーズの切り替わりやポジションチェンジがやはりうまくいかずつっかえてばかりだった。モーツァルトの「トルコ行進曲」は古典的な端正な演奏にはならず、主観的でテンポの揺れとダイナミックの幅の大きいロマンチックな演奏しかできなかった。(-_-;)

◆紅白歌合戦も見ずに早々に就寝。年末の多少の睡眠不足が響いたらしい。食べては読みの寝正月だったので、体重が3キロも増加!読書は司馬遼太郎の「花神」。海音寺潮五郎の「武将列伝」の悪源太義平、清盛が面白く読めた。

◆恒例のヴィーンフィルの新年音楽会は、ロシア出身でレニングラードフィルを指揮したアルビド・ヤンソンスの息子、マリス・ヤンソンスが初登場。ヤンソンスはバイエルン放送交響楽団の常任を務め昨年も来日して非常に高い評価を得るなどしており、比較的若い世代では最も活躍している指揮者の一人だろう。ロシア出身者としてはもしかしたら初めての起用だろうか?

モーツァルト生誕250年のモーツァルトイヤーということもあり、ヴィーンゆかりのレントラー、ワルツ系の音楽家以外に当のモーツァルトの「フィガロの結婚」序曲が奏でられた。時代、スタイルが違うので比較しても意味がないが、音楽の密度がシュトラウスやランナーなどとはまるで違う。またこのモーツァルトのメドレー的な作品が二曲ほど演奏されたのだが、つなぎ方も順番も粗雑で呆れてしまった。

ヤンソンスの指揮する音楽はそれほど聞いたことがなかったが、指揮者の顔の表情のにこやかさとは違い、暖かさはほとんど感じず、切れや鋭利な印象が強かった。このところ、2002年の小澤、アルノンクールと初登場の指揮者が登場したが、ヤンソンスの作り出すヴィーンの音楽はどうも自分には馴染めないものだ。小澤の時には、コンマスが小澤の指揮を見なかったなどという楽壇雀の観察評が喧しかったが、今回もコンマスはヤンソンスの指揮をほとんど見なかったよう映っていた。

いまや世界的な行事となってしまったが、いわゆるヴィーン地方の伝統芸能的な音楽だと思うので、クラウスやボスコフスキーのような生粋のヴィーン子(オーストリア子)によるヴィーナーヴァルツを聞きたいと思う。もう売れっ子スター指揮者でのニューイヤーはあまり聞く気がしないな。来年はメータ。

◆父母に携帯電話を買って上げようという昨年からの希望をようやく叶えたのだが、携帯電話のファミ割ワイド契約 のわかりずらさに閉口した。60歳以上の方も気軽に入れるファミリーワイドとう謳い文句だったので、これに加入しようとしたが、私が父母の代わりに入る場合にこの適用を受けるためには戸籍謄本などの続き柄を証明する書類、仮に父母が名義人として加入する場合には父母の公的な証明書(免許証や公共料金の支払い書)などが必要ということで、結構ややこしい。謳い文句は簡単だが実際の手続きは煩雑という携帯電話の不便さを十分味わった。また、店頭表示では最大割引きで315円になる端末本体だったが、結局いくつかの余計なオプション機能契約を外したため5000円程度の価格になった。(それでもドコモショップなどよりも相当安いが)

機種は らくらくホンⅡ  各種設定をしてみたが、自分の使っている機種より動作が軽快で使いやすい。すべからく携帯電話はかくあるべし、と思えるようなものだった。ただ、シニア世代にはこれでもハードルが高いか?同じらくらくホンで、さらに簡単な端末が三菱から出たが、これはメールや写真などの機能なしの超シンプルだったが、プリセットボタン(短縮登録はできるようだが)がないので、ついパスをしてしまった。

◆風邪の予防には紅茶うがいの効果はあるようだ。 実家でも携帯用ポットにティーバッグを放り込み熱湯を入れて洗面所に常備しておいた。冷水で体温程度に薄めて使えるので便利。

◆凧揚げ。奴凧は子どもの頃は父親に調整してもらって弟や従弟と高く高く揚げたものだが、2年前の正月に子ども用に買っておいたやっこだこを揚げようとしたが、うまく調整してやれなかった。

西洋凧は強風をはらむと高くあがったが、弱風には弱く、すぐに落ちてしまうのが難点。ただ、青空に久しぶりの凧揚げを楽しめた。最近は凧揚げを楽しむ子どももほとんど見かけない。鳶(トンビ)が凧の近くに寄って来たのは面白かった。

◆長野県高原地帯の冷え込みと長野県北部の大雪はすごかった。長野北部では道路によっては除雪車が入らないところがあり、ひどい悪路になってしまっていた。またリンゴの木に積もった雪で枝が折れそうだった。

◆母が蕎麦打ちをしてやるというので、妻と子ども達と手打ち蕎麦を打つのを手伝った。包丁で蕎麦切りにする感触は心地よく、面白かったが、ゆであがりは短く切れてしまい舌触りはボソボソだった。美味しかったが難しいものだ。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2006年1月 3日 (火)

2006年が始まった

この年末年始は、実家に帰省。現在の住まいもこの冬の厳しさに見舞われているが、山国にある実家は約一月早い厳寒に見舞われていた。真冬日と大雪。厳しい年の開幕である。

昨年来の課題だった実家の老親に携帯電話をプレゼントすることができたのはかず少ない収穫だった。

年賀状は、今日3日に故郷から帰宅してチェックしたが、出した人の半分程度からしか届いておらず、逆に出さない人から10名ほど届いているなど、結構ちぐはぐだ。郵政民営化の影響なのか、この世相の反映なのか、届くべき人から届いていない。伯母からは、住所を正確に書いた私宛の年賀状が31日にあて先人不明で戻ってきたという。元日に私から届いた年賀状と何度確認しても間違いがなく、郵便局にクレームを申し入れたというが、当然くるべき人から来ないとそのあたりも心配になる。27、28日に出した年賀状は届いたようだが、29日に出したものはまだ届かないものもあるようだ。

またこちらもパソコンの住所録が古く、届いた住所をチェックしたところ、古い住所のまま出してしまった知人が2名いたが、それはあて先人不明では戻ってこない。不思議だ。

民営化騒ぎで信頼性の高い郵便事業までがガタが来ているのではなかろうかと不安になってくる。

さあ、明日は仕事始めだ。海外の取引先は年末年始の連休がないところが多いので、たまった業務が心配ではある。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2005年12月 | トップページ | 2006年2月 »