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2006年2月の22件の記事

2006年2月28日 (火)

3月の音楽史カレンダー

歴史データベース on the Web のデータによる

3/1/1810 ポーランドの作曲家ショパン(Chopin.Fryderyk)誕生
3/2/1824 チェコの作曲家スメタナ(Smetana.Bedrich)誕生
3/2/1900 ワイル(Weill.Kurt) 誕生 ドイツの作曲家
3/3/1706 ヨハン・パッヘルベル(Pachelbel.Johann)がニュルンベルクで没52歳(誕生:1653/09/01)ドイツの作曲家でオルガン奏者
3/4/1678 イタリアの作曲家ヴィヴァルディ(Vivaldi.Antonio)がヴェネツィアに誕生
3/5/1887 ヴィラ=ロボス(Villa-Lobos.Heitor) 誕生 ブラジルの作曲家
3/5/1947 カセラ(Casella.Alfredo)没63歳(誕生:1883/07/25)作曲家「オルフェオの伝説」を作曲した
3/5/1953 プロコフィエフ(Prokofiev.Sergei)没61歳(誕生:1891/04/23)ソ連の作曲家
3/6/1890 サラサル(Salazar.Adolfo) 誕生 音楽批評で作曲家「スペインの音楽」
3/6/1932 スーザ(Sousa.John Philip)没77歳(誕生:1854/11/06)アメリカの作曲家
3/6/1967 コダーイ(Kodaly.Zoltan)がブダペストで没84歳(誕生:1882/12/16)ハンガリーの作曲家
3/7/1809 アルブレヒツベルガー(Albrechtsberger.Johann Georg)没73歳(誕生:1736/02/03)作曲家で音楽理論家「作曲への基礎的手引」を著した
3/7/1875 フランスの作曲家ラヴェル(Ravel.Maurice)がシヴールに誕生
3/8/1858 レオンカヴァレロ(Leoncavallo.Ruggero) 誕生 イタリアの作曲家
3/8/1869 ベルリオーズ(Berlioz.Hector)没65歳(誕生:1803/12/11)フランスの作曲家
3/8/1876 アルファーノ(Alfano.Franco) 誕生 イタリアの作曲家
3/8/1957 シェック(Schoeck.Othmar)没70歳(誕生:1886/09/01)作曲家「ペンテジレア」を作曲した
3/8/1983 ウォルトン(Walton.William)没80歳(誕生:1902/03/29)イギリスの作曲家
3/9/1910 バーバー(Barber.Samuel) 誕生 作曲家「弦楽のためのアダージョ」を作曲した
3/10/1832 クレメンティ(Clementi.Muzio)没80歳(誕生:1752/01/23)作曲家、指揮でピアニスト楽譜出版を行い、「ピアノ教則本」を著した
3/10/1844 スペインの作曲家サラサーテ(Sarasate.Pablo de)誕生
3/10/1892 オネゲル(Honegger.Arthur) 誕生 スイスの作曲家
3/10/1900 ハルトマン(Hartmann.Johann Peter Emilius)没94歳(誕生:1805/05/14)作曲家でオルガン奏者
3/10/1910 ライネッケ(Reinecke.Karl)没85歳(誕生:1824/06/23)ピアニストで指揮者、作曲家ライプチッヒでメンデルスゾーンやシューマンに師事したゲンヴァントハウスの指揮者
3/13/1860 ウォルフ(Wolf.Hugo) 誕生 作曲家「ゲーテ歌曲集」を作曲した
3/13/1883 トゼルリ(Toselli.Enrico) 誕生 作曲家「嘆きのセレナータ」を作曲した
3/14/1681 ドイツの作曲家テレマン(Telemann.Georg Philipp)誕生
3/14/1804 ヨハン・シュトラウス(父)(Strauss.Johann) 誕生 作曲家でワルツの父といわれた
3/15/1842 ケルビーニ(Cherubini.Luigi)没81歳(誕生:1760/09/08)イタリアの作曲家
3/16/1968 カステルヌオーヴォ=テデスコ(Castelnuovo-Tedesco.Mario)没72歳(誕生:1895/04/03)作曲家「マンドラゴーラ」を作曲した
3/16/1985 セッションズ(Sessions.Roger)没88歳(誕生:1896/12/28)作曲家で理論家「和声の実習」を著したハーヴァード大教授
3/17/1800 ツェルナー(Zoellner.Cark Friedrich) 誕生 作曲家ライプチヒ男声合唱団を創設した
3/17/1901 ニューマン(Newman.Alfred) 誕生 映画音楽作曲家「王様と私」の音楽を作曲した
3/18/1844 ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフ(Rimsky-Korsakov.Nikolay)誕生
3/18/1882 マリピエーロ(Malipiero.Francesco) 誕生 イタリアの作曲家
3/19/1850 ジーロヴェッツ(Gyrowetz.Adalbert)没87歳(誕生:1763/02/20)作曲家「眼医者」を作曲した
3/19/1873 レーガー(Reger.Max) 誕生 ドイツの作曲家
3/20/1812 ドゥシェク(Dusik.Jan Ladislav)没52歳(誕生:1760/02/12)ピアニストで作曲家
3/20/1918 ツィンマーマン(Zimmermann.Bernd Alois) 誕生 作曲家「プレザンス」を作曲した
3/21/1685 ドイツの作曲家バッハ(Bach.Johann Sebastian)誕生
3/21/1839 ムソルグスキー(Mussorgsky.Modest Petrovich) 誕生 ロシアの作曲家
3/21/1936 グラズノフ(Glazunov.Alexander.Konstantinovich)没70歳(誕生:1865/08/10)ロシアの作曲家
3/21/1937 ヴィドール(Widor.Charles-Marie)没93歳(誕生:1844/02/21)オルガン奏者で作曲家「オルガン交響曲」を作曲した
3/22/1887 作曲家の中山晋平が長野県に誕生
3/22/1985 米山正夫没72歳(誕生:大正1(1912)/10/03)作曲家
3/23/1811 タウベルト(Taubert.Wilhelm) 誕生 指揮者で作曲家「愛の歌」を作曲した
3/24/1654 シャイト(Scheidt.Samuel)没66歳(誕生:1587/11/03)作曲家でオルガン奏者「新譜表」を著した
3/24/1916 グラナドス(Granados.Enrique)没48歳(誕生:1867/07/29)スペインの作曲家
3/25/1881 ベラ・バルトーク(Bartok.Bela) 誕生 ハンガリーの作曲家
3/25/1918 ドビュッシー(Debussy.Claude Achille)没55歳(誕生:1862/08/22)フランスの作曲家
3/26/1827 ベートーヴェン(Beethoven.Ludwig van)がウィーンで没56歳(誕生:1770/12/16)「諸君、拍手したまえ喜劇は終わったのだ」ドイツの大作曲家
3/26/1918 キュイ(Cui.Cesar)没83歳(誕生:1835/01/18)作曲家「ウィリアム・ラトクリフ」などを作曲したロシア五人組
3/27/1851 ダンディ(D'Indy.Vincent) 誕生 作曲家「異邦人」を作曲した
3/27/1892 アメリカの作曲家グローフェ(Grofe.Ferde)誕生
3/27/1943 セルゲイ・ラフマニノフ(Rachmaninov.Sergei)がカリフォルニアのビヴァリー・ヒルズで没69歳(誕生:1873/04/01)ロシアの作曲家
3/27/1975 ブリス(Bliss.Arthur)没83歳(誕生:1891/08/02)作曲家「朝の英雄たち」を作曲した
3/28/1881 ムソルグスキー(Mussorgsky.Modest Petrovich)がペテルスブルグの陸軍病院で没42歳(誕生:1839/03/21)ロシアの作曲家
3/29/1616 キンダーマン(Kindermann.Johann Erasmus) 誕生 宗教歌曲、劇音楽の作曲家
3/29/1902 ウォルトン(Walton.William) 誕生 イギリスの作曲家
3/29/1924 スタンフォード(Stanford.Charles Villiers)没71歳(誕生:1852/09/30)作曲家で教育者
3/29/1937 シマノフスキー(Szymanowski.Karol)没54歳(誕生:1882/10/03)ポーランドの作曲家
3/29/1982 オルフ(Orff.Carl)没86歳(誕生:1895/07/10)作曲家「賢い女」を作曲した
3/30/1727 トラエッタ(Traetta.Tommaso) 誕生 「アンティゴネ」の作曲家
3/30/1757 シュターミツ(Stamitz.Johann)没39歳(誕生:1717/06/19)作曲家「6つのシンフォニア」を作曲した
3/31/1684 ドゥランテ(Durante.Francesco) 誕生「踊れ踊れ」の作曲家
3/31/1732 オーストリアの作曲家ハイドン(Haydn.Franz Joseph)誕生
3/31/1920 山田耕筰・石川義一・近衛秀麿らが日本作曲家協会を設立する

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アルトゥール・シュナーベルのシューベルト

schnabel_schubertSchubertiade シューベルティアーデと称するHistoryの10CD BOXセットには、シューベルトの器楽曲の名曲が、まさに「歴史的な」録音により収められている。シュナーベルのシューベルトは、ここにスキャンした2枚。

ピアノソナタ ニ長調 D.850
ピアノソナタ イ長調 D.959
ピアノソナタ 変ロ長調 D.960
楽興の時 D.780 (6曲) 

いずれも1930年代の録音で音は相当貧しいが、ストレートに訴えかける音楽を聴くことができる。

一時期、CDの量販店などではよく見かけたが最近はあまり目にしなくなったが、相当貴重な録音を驚くほどの廉価で聞くことができる。

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2006年2月27日 (月)

「即評」という音楽会批評blog

最近、「即評」という音楽会の翌日に評論を載せるblogを発見した。

2月26日の記事は、アシュケナージとN響による、スクリャービンのプロメテウス〈火の詩〉の完全版のコンサートの模様が紹介されていた。これは、先日NHKのニュースが取り上げていたもの。その際、色彩ピアノを使った演奏のリハーサルの模様を映していた。

また、先日のコンヴィチュニー演出の「魔笛」も、立体批評的に同時にいくつかの評論が読めるので大変面白い。生演奏に触れる機会はあまりないが、新聞評が少し時間をおいてから掲載されるのよりも速報性の点でずっと面白い。

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2006年2月26日 (日)

「チャーリーとチョコレート工場」(邦訳「チョコレート工場の秘密」)

charliechocolatefactoryスタジオジブリアニメの「天空の城ラピュタ」の話を子どもたちとしていて、ラピュタは有名な「ガリバー旅行記」に登場する空を飛ぶ島のことで、その中には江戸時代の日本も登場するという話をしたところ、子どもたちが興味を持ったので、本屋で子ども向きの「ガリバー旅行記」にそのようなものがないかを探したが、児童書コーナーにはいまやあまり世界名作全集というシリーズものは揃っておらず、子ども向きの文庫で子どもには少々難解な「ガリバー旅行記」完訳版上下巻がようやくあり、購入した。

その折、このところ時代、歴史小説ばかり読んでいたので、久しぶりにと思って、ハリーポッターシリーズの最新刊のペーパーバックがないかと探したが店頭にはなく、最近映画が評判だと聞いている「チャーリーとチョコレート工場」のペーパーバックが置いてあり、少し目を通してみたら子ども向けでそれほど読むのに苦労がなさそうだったので購入してみた。

ところが、読み始めないうちに、妻がレンタルビデオ店から、最近DVD化された Charile and the Chocolate factory を借りてきてしまった。まずは、本よりもこちらの方が面白そうなので、家族で楽しんだ。「シザー・ハンズ」(Scissor hands) という寓話的な映画に主演した エキセントリックな演技が面白い ジョニー・デップ Johnny Depp が、チョコレート工場主を演じていた。

原作は、ロアルド・ダール Roald Dahl の児童向けの小説で、1960年代に出版されたものだという。知る人は知っていたようだ。今回まず映画を見たが、こんなに奇想天外な話だとは思わなかった。

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2006年2月24日 (金)

「誰も寝てはならぬ」で荒川静香選手 トリノ五輪 女子フィギュアで金メダル

"Nessun dorma" の器楽演奏版に乗って、プッチーニの描いた心を固く閉ざした東洋の神秘のごとき冷たく美しい姫君 Cool beauty 荒川静香が、圧倒的な演技で、金メダルを手にして、満面の笑みを浮かべた。ロシアのイコンの慈母のごとき絶えざる微笑のイリーナ・スルツカヤ、陽気で勝気なヤンキーガールのサーシャ・コーエンを下し、完璧で丁寧な演技を披露した情熱の大和撫子 村主章枝(すぐりふみえ)をも寄せ付けなかった。

プッチーニの死により未完となった歌劇「トゥーランドット」は、皇帝のいた頃の中国を舞台にした歌劇で、残酷で美しい姫君トゥーランドットが、さすらいの王子カラフの求愛により人間性を回復するという寓話的な筋を持っている。「誰も寝てはならぬ」とは、姫による皆殺しの宣言の文句なのだが、これを求婚者カラフが姫の言葉を引用する形でアリアとして歌う。そして最後に"Vincerò! Vincerò"と高らかに勝利を誓う。このアリアは、このトリノの開会式で、ルチアーノ・パバロッティによって歌われたそうだが、残念ながら見逃してしまった。荒川は、この演出を知ったときに、幸運な偶然を感じたという。この曲は、2004年のドルトムントで世界チャンピオン、女王になったときに使った曲で、全日本選手権のときにはショパンの幻想即興曲のオーケストラ編曲版を使っていたが、今大会直前にこの「誰も寝てはならぬ」に変えたのだという。

黄金のトランペット マリオ・デル・モナコの十八番として著名なアリアだったというが、日本では、コーヒー会社のコマーシャルで、錦織健によって歌われ我々にも親しいものになった。

karajan_turandot
私が所有しているCDは、カラヤン/VPOの「トゥーランドット」全曲録音の抜粋版。カラフを歌うのは、三大テノールの一人、プラシド・ドミンゴ。トゥーランドットにはリッチャレッリ、カラフの父ティムールにはライモンディ、召使でカラフに献身的な愛をささげるリューにはヘンドリクスと豪華な歌手陣。

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DVDでは、北京の紫禁城で行なわれた歴史的な公演を収めたメータとフィレンツェ五月音楽祭よる映像。ここにはあまり著名な歌手は登場しないが、中国皇帝の住居、世界文化遺産の建築物の前で繰り広げられたチャン・イーモウの演出は見ごたえがある。

P.S. 2006.03.02
荒川静香の使用した「トゥラーンドット」の器楽編曲版は、ヴァネッサ・メイの「チャイナ・ガール」という録音だったという。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000002SMT/503-2070649-6123911

1. バタフライ・ラヴァース・コンチェルト(何古豪・陳康)
2. 歌劇「トゥーランドット」のヴァイオリン・ファンタジー(ヴァネッサ・メイ)
3. ハッピー・ヴァレー・1997年香港返還記念序曲(ヴァネッサ・メイ&アンディ・ヒル)

p.s. 2007年9月にこのCDを中古店で入手し早速聴いてみたが、2の「トゥーランドット」は、荒川静香のときのようなアピール力を持っていなくて意外だった。

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2006年2月23日 (木)

オイストラフのブラームス

oistrakh_brahmsブラームス Brahms Excellence Seraphim 4CD box
 1. ヴァイオリン協奏曲 オイストラフ、クレンペラー/フランス国立放送管弦楽団 P1961
  二重協奏曲 オイストラフ、フルニエ、ガリエラ/フィルハーモニア管弦楽団   P1956
(いずれも録音データはなし)

4枚組みの外盤でブラームスの名曲集が入手できた。その他の3枚はこれ。
 2. ピアノ協奏曲第2番 アラウ、ジュリーニ/フィルハーモニア管弦楽団
 3. 交響曲第1番、悲劇的序曲、大学祝典序曲 クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団
4. ドイツ・レクィエム トモワ・シントウ、ヴァン・ダム カラヤン/BPO

まったく曲目解説もなにもない廉価版のCD。ただし、いずれも定評のあるいわゆる名盤ぞろいだ。

1枚目のオイストラフとクレンペラーの珍しい組み合わせによるブラームスは、学生時代エアチェックでカセットテープに録音して愛聴していたもの。古い録音だがFM放送をラジカセでエアチェックしたものに比べると段違いの音質なので、十分オイストラフの美音を楽しめる。(この後に行われたセル/クリーヴランドとの録音も名演の誉れが高いが残念ながら未聴)。また、クレンペラーの指揮がすばらしい。フランス国立放送管弦楽団というこれまた珍しい他流試合的な組み合わせだが、恰幅がよくかつ明晰で透明なブラームスを聞くことができる。これまで音盤では、クレーメルとカラヤン/BPO、ミルシュテインとヨッフム/VPO, ムターとカラヤン/BPOを聞いてきたが、懐かしさもあるが、やはりこのオイストラフとクレンペラーが一番の気に入りだ。オイストラフの美音はそれだけ聞いていても爽快だが、曲そのものに語らせるかのような演奏はスリリングさはないが安心して浸れる。

ドッペルコンチェルトは、フルニエとの共演という贅沢なもの。50年代後半の録音のようだが、ステレオ録音。私のこのドッペルコンチェルト入門は、オイストラフ、ロストロポーヴィチ、セル/クリーヴランド管弦楽団による名盤だったが、あまり親しめなかった。しかし、このガリエラ/フィルハーモニア管とフルニエとの共演盤は非常に分かりやすく親しみやすい演奏になっているのが不思議だ。

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2006年2月22日 (水)

天満敦子 望郷のバラード

tenma_balada◎望郷のバラード/天満敦子 1993年録音

ヘンデル ヴァイオリンソナタ作品1の13
コレルリ「ラ・フォリア」(ダヴィード、エネスコ編曲)
プニアーニ 「ラルゴ・エスプレッシーヴォ」
ベートーヴェン メヌエット ト長調
ゴセック ガヴォット
ヘンデル ヴァイオリンソナタ作品1の15
ヘンデル ラルゴ(有名なオンブラマイフとは違う)
ブラームス ハンガリー舞曲から 第17番(クライスラー編)、第2番、第1番(ヨアヒム編)
クライスラー ベートーヴェンの主題によるロンディーノ
サラサーテ アンダルシアのロマンス
ポルムベスク 望郷のバラード

天満敦子と言えば「望郷のバラード」、「望郷のバラード」と言えば天満敦子といわれるほどの組み合わせ。

このCDに添付のライナーノートを読み、即座に高樹のぶ子の「百年の孤独」ならぬ「百年の預言」のネタがこれだったのかと思いいたった。新聞連載当時、相当きわどい恋愛描写もあったこともあり、天満敦子をモデルにしているのは明らかなので、本人の了承が取れているのかどうかと新聞社に投書したほどだった。担当記者からわざわざ電話が来て驚いたが、作者とヴァイオリニストは親しく、きちんと了解が取れているとの説明だった。ポルムベスクという作曲家とこの曲の発見の筋書き、登場人物は、ほとんどこのCDのライナーノートの通りだった。

さて、このCD、いろいろな意味で面白い。宇野氏とトリオを組んでのCD紹介で知ったケンウッドの元重役中野雄氏がプロデューサーを務めている。

初めて聴いたが、ヴァイオリンは粗いが魅力がある。しかし、ピアノはベーゼンドルファーを使っているというが、無味乾燥でヴァイオリンとかみ合っていない気がする。ヴァイオリンとチェンバロで聞きなれたヘンデルのソナタは、ピアノの色彩のなさにしばし空虚感を味わった。

CDのタイトルになっているポルムベスクのバラード C.Porumbescu Balada は、ルーマニアの作曲家ポルムベスクによる民謡風の小品だった。確かに印象的なメロディーだった。

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2006年2月21日 (火)

ショスタコーヴィチ ピアノ協奏曲第1番、他 ルディ、M.ヤンソンス/BPO

shostakovich_pc12_s1jansons◎ショスタコーヴィチ 
ピアノとトランペット、弦楽合奏のための協奏曲(ピアノ協奏曲第1番)Op.35 1994年録音
ピアノ協奏曲第2番ヘ長調Op.120 1997年録音
交響曲第1番Op.10 1994年録音

ミハイル・ルディ(ピアノ)、アントンセン(トランペット)、マリス・ヤンソンス/BPO,LPO(ピアノ協奏曲第2番)

ディズニーの名作アニメーション、「ファンタジア」の後を襲うものとして「ファンタジア2000」が制作されたが、前作ほどの評判を呼ばなかったようだ。オーケストラは、シカゴ交響楽団、指揮者はジェイムズ・レヴァイン。ピアノでは、イエフィム・ブロンフマン(ラプソディー・イン・ブルー)などが参加し、音響もすばらしく、アニメーションも質が高いのだが、二番煎じの故だろうか?

中では、「ラプソディー・イン・ブルー」が面白く、またアンデルセンの「錫の兵隊」が傑作だと思う。後者に用いられたのが、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番の第1楽章。ファンタジア2000でこの曲に親しんだ子どもたちがその演奏をCDで聞いてみたいというリクエストがあり、いくつかあったCDの中からこれを購入した。EMIのENCOREという廉価盤だが、マリス・ヤンソンスとベルリンフィルによるショスタコーヴィチの第1交響曲までが聴けるというおまけもついているお徳用盤だ。ピアノとトランペット、弦楽合奏のための協奏曲も、ユニークな編成でショスタコーヴィチらしい不気味な哄笑も聞ける。

なお、ピアノ協奏曲第2番は、ショスタコーヴィチの息子、マキシムのために作曲されたもの。

参照:2004年9月5日の自分の記事。

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2006年2月18日 (土)

ショパン マズルカ集 フー・ツォン

fou_chopin_mazurka◎ショパン
マズルカ集 (2枚組み)
 フー・ツォン( Fou Ts'ong)  1984年初出(録音年不詳) 1993年発売 

以前から一度聴きたかった、中国出身のピアニスト Fou Ts'ong 傳 聰 によるショパンのピアノ曲。ショパンのマズルカ集。全部で57曲収録されているようなので、全曲だろうか?いわゆる輸入盤。

マズルカは、有名な曲が、リサイタルのアンコールでやられたり、ショパン名曲集の中にいくつか聴ける程度しか知らないので、ほとんど全曲を聞くのはこのCDが初めて。

録音年代は分からないが、ステレオ録音。収録順は、大雑把には作品番号順だが、その中に遺作や作品番号なしのものが挟まれている。

ピアノの音色は、私好みの美しさではない。いわゆる滲みのある音だ。少々古めのピアノの音とでも言おうか。音色的にはそのような少々うるさい音だが、いわゆる沸き立つような民族舞踊にはなっておらず、知性的な静謐な音楽になっているものが多い。

フー・ツォンといえば、ショパンコンクールの入賞者でもあり、昨年のショパンコンクールにも審査員として参加し、別府アルゲリッチ音楽祭などで日本にも来日しているらしい。

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冬季オリンピック トリノ大会 2006

スキー、スケートとウィンタースポーツを少したしなみ、1998年の冬季オリンピック長野大会にボランティアとして少しは関わった者として、今回のトリノ大会について何か書きたいと思いつつ、素朴なナショナリズム的な渇望があまり満たされないためか、なかなか言葉が浮かんでこなかった。

今日土曜日で折り返しの中間点にきて、テレビでは前半戦のハイライトを放送していたが、日本は惜しいところでまだメダルゼロにとどまっている。期待のスピードスケート男子500メートルでは、現世界記録保持者の加藤選手が、メダルに届かず(及川選手は健闘して4位に入ったが、直前のレースで好結果を獲得してて上り調子だったのが効いているように思う。直前の調子はやはり重要だ)、気分的に落ち込んだ。女子の岡崎は34歳という選手としては高齢でそれもヘルニアの手術を経ているのだから、惜しくも0.05秒差で、長野以来のメダルを逃したが立派なものだった。

長野の大会では、コンピュータシステムを某米系大企業がサポートしており、所属企業から「ボランティア」に「派遣」され、そのシステム要員として秋ごろから日曜日ごとに訓練を受け、モーグル男子のテレビ放送の裏方を務めた。コースを正面に見下ろす審判員席についてリザルトシステムを動かした同僚もいたが、自分は、審判員席からの出走情報など選手情報をヘッドセットで受け、競技場を直接見られないテレビルームでオフィシャル映像スタッフに連絡をする役割だった。米系のテレビスタッフだったので、会話は英語で、結構大変だったし、秋ごろからのトレーニングは、あまり意味がなかった^^; 

男子は米国人が金メダル、そして女子は今回も出場の里谷がまさかの金メダルだった。(上村愛子は、入賞)。
競技後は、コースの近くに行くことができ、生の里谷や上村の姿も見ることができた。モーグルコースは、とんでもない急斜面とコブで、私のような下手なスキーヤーでは、斜面を斜滑降ですべり降りるのがやっとのようなコースだった。テレビ観戦では分からないが、実物を目の前にすると世界レベルのアスリートの技術能力のすごさをまざまざと思い知らされる。

今回のトリノでは、上村のメダルが期待されていたが、惜しくも入賞とまりだった。上村の2回目のエアは世界一だと思ったが、採点競技であるモーグルでは、スピードも大きい比重を占める。スピードを維持しながら、高速で確実なターンをすることが本来のmogul (スキー斜面の固いコブ)競技なので、縦横の3次元(3D)回転を確実にこなすためには、そのスピードを制御せざるを得ないところに、今回の上村の得点が伸びなかった要因があったようだ。逆に長野のときの里谷のスピードとターンは見事だった。ただ、モーグルの恐るべきコース、ジャンプするだけでなく、回転を加え、さらにひねりを加えるということはほとんど人間わざではないことだけは強調しておきたい。


今回の日本選手団がメダルに届かないのは、いろいろ原因があるのだろうが、少なくとも、長野の直前のワールドカップでは、ノルディックジャンプにしても船木や原田、岡部、斉藤など、またスピードスケートでも清水が圧倒的な強さを誇り、地元大会ゆえのプレッシャーはあったとは言え、彼らが金メダルの大本命だったことは確かだ。今回は、加藤の世界記録はあったにしても、連勝街道を走っていたわけではなく、また上村にしてもその他の選手たちもオリンピックシーズンの今季の成績はあまり芳しいものではなかった。その意味でスポーツイラストレーティッド誌が直前予想で、日本は加藤と荒川の銅2個としたのが残念ながら相当見事な予想だったといえる。

ただ、出場選手たちはメダルに絡まなくても、その時点での世界最高峰の一人なのだから、メダル騒ぎに狂奔することなく、もっと暖かい目で競技をじっくりと放送、報道してもらいたいものだ。

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2006年2月16日 (木)

ザンデルリング SKDのブラームス1番

brahms_1_sanderlingいつも訪問させてもらっている「電網郊外散歩道」さんのブラームスの第1交響曲の記事を読み、ザンデルリングとドレスデン・シュターツカペレのブラームスについてすごく感心した感想を書いたことを思い出し、以前ホームページにアップしていた日記を検索してみたところ、以下のような記述を見つけた。

◆ブラームスの1番。ザンデルリンク/ドレスデンSKは今回聞いても脱帽ものの凄さだった。特に低弦が雄弁であり、克明だ。木管や金管もすばらしい。対位法的な楽句が立体的なのが凄い。ポリリズムの先駆としての評価もある曲だが、それを実感できる各パートの充実だ。(2003年12月4日 最近聴いたCD)

◆ベーム/BPOに優るとも劣らない素晴らしい演奏。古くから店頭で目にしていたが、これまで聞く機会がなかった。残念。(2003.08.28購入後ホームページにアップした記事)

◆ザンデルリンクのは、デ「ノ」ンのクレスト1000でリマスター盤が最近発売されたばかりだったようで少々コストパフォーマンスが悪かったが、その演奏は十分満足いくものだった。ドレスデンはヨッフムのブルックナーの8番のCDのアンサンブルの乱れなどで印象はあまりよくなかったが、このブラームスでは最上のオーケストラ演奏のひとつではないかと思った。弦も管も打楽器も音がすばらしい。1973年の来日公演のこの曲の名演によって、この録音が収録されたLPの日本での評価が決定的になったらしいが、宣(うべ)なるかな、と思う。(2003/08/29)

後に、ザンデルリングは、ベルリン交響楽団と90年にブラームスの全曲を録音しており(カプリッチョレーベル)、現在ではそちらの人気が高いようだが、名門、シュターツカペレ・ドレスデンの名に恥じない名演奏と言えば、このブラームスをまず第一に挙げるべきだと思う。

なお、ドイツ語ではRingの発音はリンクかリングか調べたことがあった。

以下は以前の記事「この夏休みに実家に帰省したときに学生時代のドイツ語参考書を持ち帰り発音を確認したら、語尾のgは確かにBergベルクのようにkと発音するのですが、ngの場合には英語同様 ングと発音するのが原則とのことでした。これだと、リング、ニーベルングが正しいことになります。 」

Ring が リング だから、 Sanderling も ザンデルリング が正しいようだ。

cf) ショルティ/CSOのブラームス 第一交響曲の記事

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2006年2月14日 (火)

シューベルト ピアノソナタ 第19番、第20番 ケンプ

kempf_schubert_piano_2◎シューベルト
ピアノソナタ ハ短調D.958(第19番)
ピアノソナタ イ長調D.959 (第20番)
ヴィルヘルム・ケンプ 1968年、1970年発売
 (Schubert Meisterwerke の中の1枚)

ハ短調とイ長調の二曲の晩年のソナタ。同じくヴィルヘルム・ケンプ(ケンプフ)による演奏。2曲とも4楽章形式で約30分ずつを要する大ソナタ。まだ聞き込めたわけではないが、なかなか魅力的だ。

なお、先に投稿した第21番と同じ絵画を使っている。
Cover Painting : Johann Heinrich Wilhelm Tischbein "Weidennymphe" Landesmuseum Oldenburug とある。
「柳の精」という意味だろう。シューベルトかケンプかが好んだのか?

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2006年2月13日 (月)

上野動物園 「絶滅したニホンオオカミ展」

昨日の日曜日、先週行けずに映画「アマデウス」でお茶を濁した「絶滅したニホンオオカミ展」に行ってきた。近所の天神さんの紅梅はようやく咲き始めたが、風が冷たく強かった。

昼飯時に上野駅に着いたので、飴屋横丁方面に食事に出かけたが、日陰に入ると寒くて閉口した。景気は上向きとは言え、まだまだ人々の表情は不景気な感じだ。

西郷隆盛像の前を過ぎ、左手に行くと、小山の上にパゴダ(仏舎利塔)があり、その傍らに「上野大仏」の頭部の前面がお面のような状態で安置されている。江戸時代越後村山の堀家の殿様が寄進したものだという。震災か戦災で焼けたものだろうか?そこを過ぎると、精養軒があり、しばらく進むと上野動物園の入り口になる。普段は文化会館と西洋美術館の間の大通りからまっすぐ歩いてくるのだが、昨年の「出没アド街っく天国」で上野公園を特集したときの記憶が多少役に立った。先日読んだ司馬遼太郎の「花神」では、この上野の東叡山寛永寺の広大な境内に彰義隊が立てこもり、当時の幕府追討軍(いわゆる官軍)が不忍池を隔てたあたりからアームストロング砲を打ち込んだのだと思うと感慨が深いものだった。現在、寛永寺の広い境内の中に、上野公園があるわけだ。

オオカミ展は、ポスターは貼られていたが、あまり大々的ではなく、案内所で場所を尋ねて初めて分かったほどだった。イソップ橋という東園と西園を結ぶ歩道橋をわたるとすぐに左手に見える不忍池のほとりの建物の一階で開かれていた。ボランティアらしい人たちが警備を兼ねて数人いたが、見物客はまばらだった。さすがにこれを目当てに訪れる人はそれほどいないようだ。我が家では長男がオオカミマニアなので、これが今回の目当てだったのだが、以前小田原の生命の星・地球博物館で開かれたニホンオオカミ展のような図録・論文集のようなものはなかった。(この展覧会の頃は知らずに行けなかったのだが、昨年博物館を訪れた際、図録が販売されていた)

ニホンオオカミのものとされる剥製、毛皮は現在世界に10指に満たない。そして日本には三体しかない。そのひとつが、上野の国立科学博物館のもの。そしてもう二つが、今回上野動物園で特別展示された和歌山大学所蔵(和歌山県立博物館展示)のものと、東京大学農学部所蔵(東大博物館展示のはずが、この展示のパネルに最近では一般公開していないと書かれていた)のもの。今回は、これで、上野に三体が揃ったことになる。この展示室にも国立科学博物館の剥製の写真がパネル展示されていた。海外には、オランダのライデンに剥製があり(昨年の愛・地球博で展示された)、毛皮がロンドンにあり、また最近ベルリンでも毛皮が発見されたという。今回、朝日新聞の記事に書かれていた、上野動物園でのオオカミの飼育記録の件は返す返すも惜しいと思った。

wolf_wakayamaunv和歌山大学のものは、写真のほとんどが真横から撮られていたので、今回顔立ちなどが見られて興味深かった。剥製については、以前国立科学博物館のボランティアの人に教わったのだが、剥製師が描くイメージによって作られることが多いため、実物がいない場合には、姿勢や顔立ちが明確に分からず、そのため非常に奇異な顔立ちや姿勢になることもあるらしい。肉付きなどももちろん中の詰め物次第だろう。そいういう意味で和歌山大学のものは、目が正面で大きすぎ、また口も裂けすぎていた。尻尾が短かったのは、毛皮の損傷だろうか?オスらしい。姿勢のためか、雄雄しい。

wolf_tokyounivまた、東大のものは、足は他のイヌ科の動物のものを付け足したらしい。メスだったらしく、和歌山大学のものに比べて小柄だ。背中がまったいらなのは、先述したとおり、剥製師のイメージだったのだろう。送りオオカミを連想させる表情だ。

1905年に絶滅したといわれるニホンオオカミ。北海道のエゾオオカミ(タイリクオオカミの亜種)はそれより早く絶滅している。今回はニホンオオカミの展示だったが、エゾオオカミも一緒に展示されたらもっと興味深かっただろう。

展示は2/26まで。

P.S. 2006/08/02 追記 埼玉県秩父市の三峯神社には2002年に相次いで発見されたニホンオオカミのものと認定された剥製(毛皮)が二体展示されているという(Wikipedia)。

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2006年2月12日 (日)

シューベルト ピアノ曲集 ヴィルヘルム・ケンプ

kempf_schubert_piano1◎シューベルト
ピアノソナタ 変ロ長調 D.960
楽興の時 D.780 (op,94)
即興曲集 D.899 (op.90)
即興曲集 D.935 (op. post.142)
ピアノソナタ イ長調 D.664 (op.post.120)

リヒテルによるシューベルトのピアノソナタ第13番(イ長調 op.120 D.664)のことを昨日書いたが、今日になって以前から所有している、ケンプのこの2枚組みのCDに含まれていることに気がついた。聞きなおしてみたところ、リヒテルのCDで気に入った曲とまったく同じだったことに愕然とした。何で気がつかなかったのだろう、と。

リヒテルのCDの場合は第一曲でもあり、期待して聞いたこともあるだろう。一方、ケンプの場合には、2枚目の最後の曲で、あまり聞くことがなかったということもある。

これまで、D.960(第21番 変ロ長調)を聞く機会が多かったのだが、これからはもう少しシューベルトのピアノ曲の範囲を広げてみたい。思わぬ発見があるような予感がする。

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2006年2月11日 (土)

シューベルト ピアノソナタ第13番、第14番 (リヒテル、東京ライブ1979)

richter_schubert_1314◎シューベルト 
ピアノソナタ第13番 イ長調 Op.120 D.664
ピアノソナタ第14番 イ短調 Op.143 D.784
スヴャトスラフ・リヒテル 1979年2月ライブ録音 東京

 

ちらっと目に留まったので、聴いて見たくなり購入した。

シューベルトのピアノソナタはそれほど親しいものではなく番号でメロディーが浮かぶのは最後のソナタくらいなので、この2曲も聴いてみるまではどんな曲かは思い浮かばなかった。ところが、第13番は、非常に懐かしい曲だった。優美な歌に満ちた第13番をどこで聴いたのだったか?

リヒテルのこの演奏は、来日時の東京の厚生年金会館でのもので、ピアノは彼のお気に入りのヤマハだという。非常に音色が鮮明に捉えられており、我が家の装置で聴くCDには珍しく、会場の空気感も味わえるほどだ。気に入って何度も聴いてしまった。

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2006年2月 7日 (火)

ミニ氷河期(小氷河期)が到来するのだろうか?

Yahoo 海外ニュース - 2月7日(火)7時1分

地球は「ミニ氷河期」に=太陽活動が停滞-ロシア天文学者

【モスクワ6日時事】ロシアの天文学者、アブドサマトフ天体観測研究所研究員は6日、太陽活動の停滞から、6~7年後に世界の気温が次第に低下し始め、17~18世紀に続く「ミニ氷河期」に入る可能性があると予測した。ロシア通信とのインタビューで語った。今冬ロシアなど欧州全域を襲った寒波も地球冷却化現象の可能性がある。 
(時事通信) - 2月7日9時1分更新

この記事を読み、昨年のちょうど今ごろ、自分で「2005年2月25日 (金) 第四間氷期と温暖化ガスの削減」 という記事を書いたことがあったことを思い出した。

温室効果ガスによる地球温暖化説と第四間氷期の関係はどうなのだろうか?日本でも将軍吉宗の時代の享保の飢饉は、このミニ氷河期が原因だと言われているようだが・・・ もし地球温暖化を上回る寒冷化が進行するとなると冷害による食糧危機が心配になるのだが。

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「ミニ氷河期 OR 小氷河期」での検索で関心を持ったリンク

太陽黒点が語る文明史―「小氷河期」と近代の成立    中公新書

CO2温暖化脅威説は世紀の暴論
― 寒冷化と経済行為による森林と農地の喪失こそ大問題 ―

「地球温暖化は悪いこと」は自明の理か TBを送信。

追記: 2009年6月3日になって、急にこの記事へのアクセスが増えたのがアクセス解析でわかった。どうやらマスメディアが「弱る太陽 活動200年ぶりの低水準」 2009年6月3日14時30分 (朝日新聞)という記事を発信したのがきっかけのようだ。 以前からこの件には興味を持っていたが、このブログでも 2008年9月17日 (水) この夏 太陽黒点が消えた! 地球寒冷化と太陽黒点  や、太陽活動と寒冷化の関係とは異なるが、2007年8月27日 (月) 南極の氷によりミランコビッチ仮説が実証という記事を掲載したこともあった。太陽活動、地球の公転軌道や自転軸の傾きの微妙な変化など、人間活動からは隔絶した原因によって生じる気候変化に対しては人類はほとんど無力ではあるが、温室効果ガスが温暖化に対して「有効」であるならば、今度は温室効果ガスの大量排出が寒冷化対策案として打ち出されるなどということもありうるかも知れない。

追記:2009年6月9日
まだ「ミニ氷河期」検索でこのページを読んでくださる方が多いようだ。ただ、この記事自体太陽活動の大小と氷河期の開始と終了が短い時間的なスパンで起こるような想定で書いているが、実際はもっとスケールが大きいので、仮に影響があったとしても数年とかではなく少なくとも数十年という単位の話だと思う。また、最近日本では私のような地球温暖化人為説への懐疑論がなぜか流行しているというが、実際の趨勢はどうなのかを自分なりに、

2009年6月 9日 (火)地球温暖化人為説への懐疑論は低調となっているようだ

にまとめてみたので、興味のある方はご覧いただきたい。

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モーツァルト 交響曲「パリ」、ト短調、「ジュピター」(ベーム、ベルリン・フィル)

boem_bpo_k

◎モーツァルト
交響曲第31番ニ長調K.297(300a) <<パリ>> 1968年2月録音
交響曲第40番ト短調K.550           1961年12月録音
交響曲第41番ハ長調K.551 <<ジュピター>> 1962年3月録音
カール・ベーム指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 

昨年夏に実家に帰省した時、デジカメで自分にとって特別な思い入れがあるLPレコードのジャケットを撮影してアップしたが、その中にベーム/BPOによるモーツァルトの第40番、第41番の交響曲がある。それと同じ音源のCDが入手できたので聞いてみた。(この録音は、ベーム/BPOによるモーツァルト交響曲全集の中の1枚で、ラインスドルフによる先駆的な業績の後に、決定盤としてDGにより録音発売されたものだった。ベームは、後にヴィーンフィルともモーツァルトの交響曲を数曲レコーディングしている。)

さて、この第40番と第41番は、それこそ少年時代から何度も耳にした録音で、別の場所で聴きながら、実家のリスニングルームの情景が浮かぶようだ。

第31番「パリ」は、この組み合わせでは初めて聴くもの。クリップスとACOの組み合わせの録音をよく聞いたが、それよりもさすがに渋い音色。モーツァルトがパリの聴衆の好みをリサーチして、それに合わせて作曲したことが、彼の書簡集により知られている。その手紙を読むと、当時の聴衆は、曲の演奏中でも気に入ったパッセージなどがあると歓声をあげたようで、ちょうど現代のスポーツ観戦のようなものを想像してしまう。

この第40番ト短調K.550の録音は、私が聞いたあらゆる録音の中で、通算すればこれまでにもっとも聞いた回数が多いものかも知れない。今回改めてヘッドフォンで聴き直す。(LPだとスクラッチノイズのためあまりヘッドフォンで鑑賞することはなかった。)一言で言えば、非常に生真面目な演奏だ。ベームは、「もし自分がベートーヴェンに出会ったら、最大の敬意を込めてお辞儀をするだろうが、モーツァルトに会えたら卒倒してしまうかも知れない」と語っていたらしいが、それを連想させるように、実に丁寧に音楽を作り上げている。それがこの演奏に、気品を与えながら、一方では無骨で少々堅苦しい雰囲気を漂わせる要因になっているようだ。クラリネットなしの初版による演奏。この録音は私にとって大切な「刷り込み」盤ではあるが、いろいろな演奏を聞いて来た今となっては、柔軟な表情の変化や音色の多彩さなどの点に物足りなさを感じる。ただ、第二楽章の淡々とした風情や、第三楽章の立体感、第四楽章の少々遅めのじっくり奏でられる演奏には味わいがある。

第41番は、LPレコードではト短調の裏面に収録されていた。しばらくト短調の余韻に浸りながら、おもむろに盤を裏返してターンテーブルに載せ直し、針を落とす。ハ長調の晴朗な上昇モチーフによるトゥッティでの開始だ。これもト短調同様に序奏部がなく、いきなり第一主題をポンと提示される。しかし、焦燥感のあるヴィオラの刻みの上にト短調の下降音型が繰り返されるのとはいかにも対象的だ。この録音は、ト短調で感じた欠点が逆に長所となり、堅固で壮麗な雰囲気を感じさせてくれる。特に素晴らしいのは第四楽章の多様な対位法的な処理の克明さ。まさに磐石の基礎の上に建つ構造物だ。R.シュトラウスではないが、コーダの三種類のテーマによるフガート処理は、まさにいつまでも続いてほしいと思わせる素晴らしさだ。

【追記】 ベーム/BPOの同じ交響曲全集の中に含まれている曲ということで、mozart1889さんのベーム/BPO モーツァルト交響曲第39番にトラックバックさせてもらった。

【追記】 2009/05/21(木)narkejpさんの 1960年頃のベームのモーツァルト にトラックバックさせてもらった。後期のいわゆる三大交響曲を一枚のCDに収録とのこと。ただ、第40番ト短調、第41番ハ長調のベームには縁があるが、第39番変ホ長調にはあまり縁がなく、2006年10月 1日 (日) モーツァルト 交響曲集 ベーム、アバド指揮のライヴ盤のあまり録音のよくないBPOとのライヴ録音の音盤が手元にある程度。なかなか第39番には縁がない。

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2006年2月 5日 (日)

昨年後半から読んでいる司馬遼太郎の著作

読書に気晴らしを求める気分が強く、エッセイや対談集を読み始めたところ気軽に読め面白いので次々に購入してしまった。また、その中に言及されたようなこれまで読めなかった小説にも手が伸びた。この後、読んだことのなかった作家の歴史小説にも守備範囲が広がった。童門冬二、隆慶一郎。そして先日は、ハードカバーの新刊で、加藤廣著「信長の棺」も購入してしまった。加藤廣は、新聞のインタビューで、「勝者の立場からの歴史小説は好まず。司馬遼太郎の小説は読まないが、エッセイや対談は面白い」と語っていた。子母沢寛の「新撰組始末記」も購入。

二十世紀末の闇と光 司馬遼太郎歴史歓談Ⅱ

対談 中国を考える 陳舜臣

歴史を紀行する

歴史と風土

余話として

歴史を考える 対談集

時代の風音

ロシアについて 北方の原形

司馬遼太郎の日本史探訪

歴史の中の日本

手掘り日本史

日本人を考える 司馬遼太郎対談集

日本の朝鮮文化 座談会

酔って候

峠 上中下

ペルシャの幻術師

一夜官女

言い触らし団右衛門

関ヶ原 上中下

播磨灘物語 1,2,3,4

城塞 上中下

新史 太閤記 上下(再読)

義経 上下(再読)

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2月の音楽史カレンダー

2月の音楽史カレンダー

歴史データベース on the Web のデータによる

2/1/1859 ハーバート(Herbert.Victor) 誕生 作曲家「シラノ・ド・ベルジュラック」を作曲した
2/2/1996 柴田南雄が肝臓がんのため東京の病院で没79歳(誕生:大正5(1916)/09/29)コンピュータ音楽や12音音楽を導入し、新分野を切り開いた作曲家で、文化功労者
2/3/1736 アルブレヒツベルガー(Albrechtsberger.Johann Georg) 誕生 作曲家で音楽理論家「作曲への基礎的手引」を著した
2/3/1809 ドイツの作曲家メンデルスゾーン(Mendelssohn.Felix)誕生
2/3/1904 ダラピッコラ(Dallapiccola.Luigi) 誕生 イタリアの作曲家で12音音階
2/4/1892 キルピネン(Kilpinen.Yrjo)誕生 作曲家「カンテレターレ」を作曲した
2/5/1864 タイケ(Teike.Carl) 誕生 吹奏楽用行進曲作曲家「剛毅潔白」を作曲した
2/5/1962 イベール(Ibert.Jacques)没71歳(誕生:1890/08/15)作曲家「アンジェリク」を作曲した
2/5/1968 阿部武雄、没65歳(誕生:明治36(1903)/01/04)「国境の町」や「裏町人生」などの流行歌を作曲した作曲家
2/6/1497 ヨハンネス・オケヘム(Ockeghem.Johannes)がトゥールで没(誕生:1410)カノンと対位法の技法を発展させたフランドル楽派の作曲家
2/7/1871 ステンハンマー(Stenhammer.Wilhelm) 誕生 作曲家「カンタータ『国民』」を作曲した
2/7/1994 ルトスラフスキ(Lutoslawski.Witold)がワルシャワで没81歳(誕生:1913/01/25)ポーランドの現代音楽の作曲家「織られた言葉」を作曲した
2/8/1709 トレリ(Torelli.Giuseppe)没50歳(誕生:1658/04/22)作曲家でヴァイオリニスト
2/8/1741 グレトリ(Gretry.Andre-Ernest-Modeste) 誕生「ユロン」の作曲家
2/8/1797 ドーレス(Doles.Johann Friedrich)没81歳(誕生:1715/04/23)ドイツの作曲家でオルガン奏者
2/8/1810 ブルクミューラー(Burgmueller.Norbert) 誕生 ドイツの作曲家
2/9/1960 ドホナーニ(Dohnanyi.Ernst von)没82歳(誕生:1877/07/27)ハンガリーの作曲家
2/11/1939 シュミット(Schmidt.Franz)没64歳(誕生:1874/12/22)作曲家「ノートルダム」を作曲した
2/12/1728 ステッファニ(Steffani.Agostino)没73歳(誕生:1654/07/25)聖職者で外交官、作曲家
2/12/1760 ドゥシェク(Dusik.Jan Ladislav) 誕生 ピアニストで作曲家
2/12/1894 ハンス・フォン・ビューロー(Buelow.Hans Guide.Freiherr von)没64歳(誕生:1830/01/08)ドイツの作曲家・指揮者・ピアニストでワーグナーに傾倒した
2/12/1896 トーマ(Thomas.Ambroise)没84歳(誕生:1811/08/05)「ミニヨン」を作曲したフランスのオペラ作曲家
2/12/1898 ハリス(Harris.Roy) 誕生 作曲家「ゲティスバーグの演説」を作曲した
2/12/1933 デュパルク(Duparc.Henri)没85歳(誕生:1848/01/21)作曲家「ミニョンのロマンス」などを作曲した
2/13/1874 ブルクミューラー(Burgmueller.Johann Friedrich Franz)没67歳(誕生:1806/12/04)作曲家「ピアノ教則本」を著した
2/13/1883 ワーグナー(Wagner.Richrd)がベニスで心臓発作にため没69歳(誕生:1813/05/22)ドイツの作曲家
2/13/1968 ピッツェッティ(Pizzetti.Ildebrando)没87歳(誕生:1880/09/20)作曲家「デボラとヤエーレ」などを作曲した
2/14/1602 カヴァリ(Cavalli.Francesco) 誕生「ジャソーネ」を作曲した作曲家
2/14/1813 ダルゴムイシスキー(Dargomizhsky.Alexander Sergeyevich) 誕生 作曲家「ルサルカ」を作曲した
2/14/1893 草川信 誕生「ゆりかごの歌」などを作曲した童謡作曲家
2/15/1857 [ロシア暦2月3日]グリンカ(Glinka.Mikhail Ivanovich)没52歳(誕生:1804/06/01)ロシアの作曲家
2/16/1816 マルティーニ(Martini.Johann Paul Aegidus)没74歳(誕生:1741/08/31)作曲家・教師でオルガン奏者
2/16/1829 ゴセック(Gossec.Francois-Joseph)没95歳(誕生:1734/01/17)作曲家「6つの交響曲」を作曲した
2/16/1915 ワルトトイフェル(Waldteufel.Emil)没77歳(誕生:1837/12/09)「スケーターズワルツ」「女学生」を作曲したドイツの作曲家
2/17/1653 コレリ(Corelli.Arcangelo) 誕生「コンチェルト・グロッソ集」のイタリアの作曲家
2/17/1820 ヴュータン(Vieuxtemps.Henry) 誕生 ヴァイオリニストで作曲家「ファンタジー・カプリース」を作曲
2/17/1901 ネヴィン(Nevin.Ethelbert Woodbridge)没38歳(誕生:1862/11/25)作曲家
2/17/1970 ニューマン(Newman.Alfred)没68歳(誕生:1901/03/17)映画音楽作曲家「王様と私」の音楽を作曲した
2/17/1987 カバレフスキー(Kovalevskii.Dmitri Borisovich)没82歳(誕生:1904/12/30)ソ連の作曲家で「道化師」を作曲した
2/18/1956 シャルパンティエ(Charpantier.Gustav)没95歳(誕生:1860/06/25)フランスの作曲家
2/19/1605 ヴェッキ(Vecchi.Orazio)没54歳(誕生:1550/12/06)聖職者で「音楽の饗宴」を作曲した作曲家
2/19/1743 イタリアの作曲家ボッケリーニ(Boccherini.Luigi)がルッカに誕生
2/19/1841 ペドレル(Pedrell.Felipe) 誕生 作曲家で音楽学者マドリード音楽学校教授
2/19/1894 バルビエリ(Barbieri.Francisco Asenjo)没70歳(誕生:1823/08/03)「パンと闘牛」の作曲家
2/19/1975 ダラピッコラ(Dallapiccola.Luigi)没71歳(誕生:1904/02/03)イタリアの作曲家で12音音階
2/20/1763 ジーロヴェッツ(Gyrowetz.Adalbert) 誕生 作曲家「眼医者」を作曲した
2/20/1908 サラサーテ(Sarasate.Pablo de)没63歳(誕生:1844/03/10)スペインの作曲家
2/20/1929 黛敏郎 誕生「涅槃交響曲」などを作曲した作曲家で、テレビ「題名のない音楽会」の司会で才能を発揮した
2/20/1996 武満徹がぼうこう癌のため東京の病院で没65歳(誕生:昭和5(1930)/10/08)「弦楽のためのレクイエム」などの現代音楽の作曲家
2/21/1836 ドリーブ(Delibes.Leo) 誕生 フランスの作曲家
2/21/1844 ヴィドール(Widor.Charles-Marie) 誕生 オルガン奏者で作曲家「オルガン交響曲」を作曲した
2/22/1817 ガーゼ(Gade.Niels) 誕生 作曲家、指揮者でヴァイオリニスト「魔王の娘」を作曲した
2/22/1903 ウォルフ(Wolf.Hugo)没42歳(誕生:1860/03/13)作曲家「ゲーテ歌曲集」を作曲した
2/23/1662 クリューガー(Crueger.Johannes)没63歳(誕生:1598/04/09)オルガン奏者で作曲家「イエスわがよろこび」を作曲した
2/23/1685 ヘンデル(Haendel.Georg Friedrich) 誕生 ドイツの作曲家
2/23/1934 エルガー(Elgar.Edward)没76歳(誕生:1857/06/02)イギリスの作曲家
2/24/1929 メサジュ(Messager.Andre)没75歳(誕生:1853/12/30)作曲家「二羽の鳩」を作曲した
2/26/1770 ジュゼッペ・タルティーニ(Tartini.Giuseppe)没77歳(誕生:1692/04/08)バロック時代のイタリアの作曲家・ヴァイオリン奏者
2/26/1981 ハワード・ハンソン(Hanson.Howard)がロチェスターで没84歳(誕生:1896/10/28)「ベオウルフの哀歌」を作曲したロマン主義的傾向のアメリカの作曲家
2/27/1887 ボロディン(Borodin.Alexander Porfiryevich)没53歳(誕生:1833/11/12)ロシアの作曲家
2/29/1792 ロッシーニ(Rossini.Gioacchino) 誕生 イタリアの作曲家

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映画「アマデウス」とK.361「グラン・パルティータ」

映画「アマデウス」は、K.361の魅力を印象的に私に開示してくれたことでも忘れがたい映画だ。この冬最も寒い寒気団に覆われた快晴の関東地方ではあるが、子どもの流行性感冒にまだ咳が残っており、外出は手控えた。天気もよかったので、今行けば日本に現存するニホンオオカミの剥製三体を見ることができる機会だったのだが、次週に持ち越しだ。もともと国立博物館にある剥製はそのままらしいが、東大博物館のものと、和歌山大学のものが、上野動物園に2/4から2/26まで「絶滅したニホンオオカミ展」で見られるというのだ。

この展示会を報じた朝日新聞 2006.1.31(火) 夕刊によれば

 ニホンオオカミは1905年の捕獲を最後に絶滅した。上野動物園では1881年7月、国立科学博物館の前身の東京教育博物館からオオカミの子どもニ頭を引き継いで飼育した。一頭はすぐに死んだが、残る一頭は1892年6月まで生きた。だが、写真も残っていない。 
 小宮輝之園長は「当時は岩手などにオオカミがいて、まさか十数年後に絶滅すると思わなかったようだ」と話している。

と非常に興味深い談話が載っていた。

そんなわけで、土日はごろごろして過ごした。昨日は「平成狸合戦 ポンポコ」を見たのだが、今日は、子どもたちにモーツァルトが生まれて今年が250年目なので、モーツァルトが登場する映画を見てみないかと誘って見始めたのだが、少し難しいといわれて モーツァルトがレオポルト二世に謁見する場面で止めてしまった。

さて、この映画で、サリエリがモーツァルトの天才を初めて実感するザルツブルク大司教のヴィーン邸での音楽会の場面で、通称「グラン・パルティータ(グランパルティータ)」 13管楽器のための「セレナード第10番」変ロ長調の第3楽章 Adagioが演奏される(途中で終楽章のロンドのにぎやかなコーダに接続されてしまうのが、もったいないのだが)。この映画公開は1985年ごろで、その前にこの映画の原作である戯曲の評判が伝わってきてはいたのだが、こうも見事にモーツァルトの音楽の魅力を提示してくれるとは思っていなかった。(もうひとつは、コンスタンツェがサリエリに夫の自筆譜を持参して、その楽譜が開かれる度に奏でられる魅力的なフレーズの数々)。

この曲は、古くは、フルトヴェングラーとVPOの奏者による録音でオールドファンにも知られていたようだが(今では,NAXOSのネット音源でこの演奏を聞くことができる)、この映画を見るまでは、これほど魅力的な音楽だとは不明にして知らなかった。このアダージョは、ミサ曲ハ短調の"et incarnatus est"ほど浮世離れした美しさではないが、モーツァルトの長調の緩徐楽章の中でも愛好曲のひとつになっている。

その後求めたのが、パイヤールによる演奏。これは、モーツァルトの原作通り「12管楽器とコントラバス」による演奏になっている。

もう一枚は、知人夫妻が地元の小ホールに来日した演奏団体がこの曲を演奏し、その折に私への土産に買ってくれたもの。Blaeserakademie Berlin という団体名で、自主制作盤のようだ。こちらは、コントラファゴットが用いられ、実際に13管楽器による演奏になっている。

paillard_k361blaeserakademie_berlin_k361

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2006年2月 3日 (金)

小澤征爾氏 4~5ヶ月療養のため指揮活動中止

ヴィーン国立歌劇場の音楽監督としての仕事を2006年一杯休むということで、回復が見込まれる8、9月のサイトウ・キネンフェスティバル松本には参加の予定とのこと。

1/16共同通信ニュースで、「ウィーン国立歌劇場(オペラ座)の報道担当者は16日、同劇場音楽監督の小沢征爾氏がモーツァルト生誕250周年を記念して27日からウィーン市内のアン・デア・ウィーン劇場で予定していたオペラ「イドメネオ」の指揮を「体調不良」を理由に辞退したことを明らかにした。」ということで、その後2/1付けで、「【フランクフルト1日時事】ウィーン国立歌劇場は1日、音楽監督を務める指揮者、小澤征爾氏(70)が病気療養のため、年末までの全公演の指揮をキャンセルすると発表した。」というのが、発表としては正確のようだ。

USAのタングルウッド音楽祭では2/1の発表に関わらず、この夏の小澤の参加を期待しているという。(Boston Herald)

(少々事情通ぶって書けば、ヴィーン国立歌劇場といえば、以前、ベーム、カラヤン、マゼールという大物を辞任に追いやった「伏魔殿」のイメージが強いので、そちらの方面でも心配なニュースではある。)

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Wiener Staatsoperの公式ページより

Ioan Holender Direktor der Wiener Staatsoper Director of the Vienna State Opera  Director

Seiji Ozawa   Seit der Saison 2002/2003 Musikdirektor der Wiener Staatsoper Principal conductor of the Vienna State Opera since the 2002/2003 season  Music Director 

小澤氏のポストの英語名が首席指揮者というのがどうかと思う。

----2/2深夜投稿-----------------
「小澤征爾氏 今年いっぱい療養のため指揮活動中止」

朝のラジオで、「ウィーン国立歌劇場音楽監督の指揮者小澤征爾氏が、病気療養のため、今年いっぱい指揮活動を中止するとのことです。」という短いニュースが読み上げられ驚いた。普段少々批判的なことを書いてはいるが、素人のこのようなたわ言などではまったく影響のないバイタリティのある人物として、失礼は承知の上で、磐石な岩に向かっているように安心して言わせてもらっていたので、その人物が一年もの長い間、指揮を休まざるを得ないというのは正直ショックだ。

万年青年的な小澤征爾氏もすでに70歳の古希を迎えたのだから、いくら精神的には若々しくても、体力的には相当きつくなっているのではないかと危惧してしまう。若い頃からジェット機で世界中を飛び回り、世界一流のオーケストラ、ソリストと音楽を作り上げることは、それこそ超人的な体力が必要だろう。

先般、ゲルギエフとマリンスキー歌劇場(旧キーロフ : ソ連時代の名称で、セルゲイ・キーロフという人物に由来するらしい)歌劇場が、日本で「ニーベルングの指環」を全四夜、ほとんど連続で公演したというが、プロの音楽家はまさに超人しかなれないのかも知れない。

小澤氏の指揮は、二度生演奏に接したことがある。

一度目は、1980年ごろだったと思うが(ちょうど東京国立博物館では正倉院展が開かれておりそれを見てから、激しい秋雨の中、文化会館に行ったことを覚えている)、ボストン交響楽団の来日公演を東京文化会館で聴くことができた。ヴェーベルンの短いオーケストラ曲と、シューベルトの未完成、バルトークのオケコンだった。今から20年以上も前で、自分もまだ学生だったし、小澤氏も50代でまだ指揮者としては若い部類で、颯爽とした演奏が魅力的だった。後に、初版の短いほうのフィナーレのコーダにより(クーセヴィツキーのライブもこれだが)CDでも発売されたが、このときのオケコンはどうだったのだろうか?ちょうどその頃は、オケコンの録音や演奏会ライブ放送が多く、オーマンディ、ショルティ、マゼールなどのエアチェックテープで盛んに聞き比べを楽しんだ頃だった。小澤氏のオケコンは特にフィナーレの爽快でアクロバティックな運動性が魅力だった。金管も(その後、暴露本で読んだ小澤とボストンのブラスとの軋轢をよそに)非常に透明で輝かしいアンサンブルを聞かせてくれた。未完成は、弦楽器の柔らかい音色が耳に残っている。ヴェーベルンはそのときに初めて聞いた曲で、それ以来耳にしていないのでなんとも言えないのだが。このときの公演では、確か「春の祭典」も別のプログラムにあったようだ、朝日新聞で吉田秀和氏が賞賛していたのを覚えている。

追記:海外オーケストラ来日公演記録抄で改めて確認したところ下記の通りだった。

1981年11月2日:東京文化会館 ウェーベルン/五つの小品 シューベルト/交響曲第7番「未完成」 バルトーク/管弦楽の為の協奏曲

二度目は、1993年9月の、松本市で行われた斎藤記念フェスティバル第二回のオペラ公演。オネゲルの劇的オラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」だった。徹夜でチケット売り場に並び、ようやく手に入れたチケットで、結婚前の妻と観に行った。松本は残暑で暑かったのを思い出す。ロビーでは、ヘネシー?か何かの協賛で、ブランディーを振舞っており、少し試飲したせいかそのアルコールに少々火照りながらの鑑賞だったように記憶している。

この独特のオラトリオをオペラ的に舞台化して、衣装をつけたジャンヌや主要人物、ソリスト、黒子的な合唱団のコーラスによって演奏された。オケは、ホルンが確か登場せず(代わりにサキソフォーンの独特の響きが珍しい)、サイトウキネンオケの水野氏の姿を見られないのは残念だった。演奏については、予習もできず、まったくの初物だったので云々できないが、飽きることはなかった。

ジャンヌ役のマルテ・ケラーがやはりジャンヌを演じるCDがDGから発売されており、この公演後ロビーで求めた。このCDはフランス革命200年の記念演奏会のライブレコーディングということで、小澤以外はフランス国立管弦楽団などフランス人で固められている。このような演奏会に、いくらブザンソンの優勝者でフランスに縁があるとは言え、小澤を指揮者に起用するというのはフランス人も太っ腹だと思った。(なお、小澤は古くはCBSに英語版のこの曲を録音しており、個人的にも得意な曲なのだろう)

ozawa_jeanne

その超人的な体力で、ぜひ早く回復して、また活躍してもらいたいものだ。

 

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インフルエンザとタミフル

【ご注意】

この記事は、医薬の素人の試行錯誤した経験や調査をつづったものであり、内容的に混乱しております。また2006年当時の古い情報です。インフルエンザの季節には、検索サイトからアクセスして読んでいただいている方もいらっしゃるようですが、その点ご注意いただけますようお願いします。

---以下原文-------

昨年12月までに家族全員で、防腐剤として?水銀が使われていないインフルエンザワクチンの予防接種を受けていたのだが、今週、次男が学校で流行しているインフルエンザA香港型をもらってきてしまった。

月曜日に発熱しかかりつけの家庭医に行ったが、普通の風邪という診断だったが、その晩少々発熱。翌日再度同じ家庭医に行き診断を受けたところインフルエンザとの診断で、金曜日まで登校取りやめとのこと。治療薬として「タミフル」(子ども用のタミフル・ドライシロップ)の処方を受けて帰ってきた。

妻がタミフルの副作用を気にして仕事場にメールをよこしたので、タミフルのことを調べてみると、先日新聞で報道された錯乱により青少年が2名事故死したことを始め、特に子どもに副作用らしい症状が相当出ていることを知り、妻にはタミフルを使用しない方がいいと伝え、服用させなかった。特に、事故死につながった事例では、初回の服用後、すぐに異常行動が起きてしまったというので、ためしに飲ませてみるということ自体が相当のリスクを伴うのだというのだ。

火曜日の夕方から晩にかけては、相当発熱して、悪夢を見たらしくうわごとを口走ったりして心配したが、子どもにも比較的安全だというアセトアミノフェンの座薬を入れてやったところ、比較的落ち着き、水曜日の朝には相当熱も下がってくれた。数年前、インフルエンザと急性脳炎の関係がマスコミで大きく取り上げられて、インフルエンザは怖いというイメージが強くなっていたが、それもアスピリン系の解熱剤を子どもに処方したことや、アセトアミノフェンよりも効果の強い解熱剤をやはり用いた副作用の可能性があるという。それらの処方が禁止された今では、世界的にもライ症候群というような事例は激減しているらしい。

ちょうど、昨日のNHKの「ためしてガッテン」は、インフルエンザを取り上げていた。特効薬タミフルも当然取り上げられていたし、異常行動のような副作用についても厚生労働省の安全宣言で否定していた。ただし、タミフル服用で熱が下がってもウィルスは消滅しておらず感染力は衰えていないので、熱が下がったからと言って安心してはいけないということは言っていた。

タミフルについては、日本がロシュ社世界生産の内なんと6割りないし8割りを消費しているという。タミフル備蓄などが新聞をにぎわしているが、タミフルの効果に疑問を呈している意見もある(「タミフルは決して特効薬ではありません。症状を少し抑えられることがある程度です。A香港型や昨シーズンのB型には効きませんでした(学会でもそういう報告が多数あります)。喘息を持った子供では逆に治りが遅くなる子が増えました(詳しくは『薬のチェックは命のチェック』No12改訂増補版参照)。」)が、一般的にはA型にも、B型にも効くとされているようだ。(2/13佐藤さんという方からコメントで指摘をいただいて調べ直してみた。ただし、効くと言ってもウィルスの増殖を抑制するだけで、ウィルスを絶滅させるわけではない。)新型が発生した場合聞くかどうかは判らないらしい。また、日本でのタミフルの乱用気味がもたらすものとして、タミフル耐性ウィルスがすでに出現しているという。タミフルは、合併症のある患者や老人などには使うべきだが、通常の抵抗力や体力のある患者にはむやみに処方すべきではないらしい。

それが、気軽に処方されるところに、日本の医療・薬事行政の欠点があるのだろう。

インフルエンザは怖い風邪ではあり、新型インフルエンザの恐怖はあるが、それに打ち勝つのはまずは免疫力だということを忘れずにいたいものだ。

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「タミフル関連」のリンク集

薬のチェックは命のチェック』インターネット速報版No62 よくある質問への緊急回答:タミフルの害と利益 そのバランスをどう考える? 副作用について強い懸念を表明している

タミフル副作用の投稿 非常に痛ましい報告。哀悼の意を表したい。

タミフルの副作用岡空小児科医院 穏やかな語り口

タミフルが不足したのはなぜか?

タミフル副作用報道雑感

お子さんのインフルエンザ治療(タミフル服用)

タミフルはインフルエンザを治さない ワクチン接種を薦める

話題のインフルエンザ治療薬「タミフル」とは? 普通の解説記事

タミフル服用後の死亡例について(厚生労働省の報道発表)

医薬品医療機器情報提供ページ  副作用情報など

◆解熱剤について(リンク切れだが、有用なのでgoogleキャッシュから転用)

解熱剤の使い方

 ●まず、熱が出る理由について(発熱のメカニズム)

 感染症は、ウィルスや細菌などの病原体が、ひとの体内に侵入しておこります。侵入した病原体を体の中から追い出すために、白血球やマクロファージ(大食細胞)などと呼ばれる、ひとの体の防衛=免疫を担当する細胞が病原体と戦います。これらの防衛(免疫担当)細胞は、戦いを有利にはこぶために、「内因性発熱物質」(サイトカイン、インターフェロン、腫瘍壊死因子など)という物質を放出します。この発熱物質は、体温を調節する中枢がある、脳の視床下部(ししようかぶ)近くの細胞を刺激して、プロスタグランディンEという物質を作らせ、まき散らかせます。このプロスタグランディンEが、体温調節中枢の体温設定を上げるため、ひとは発熱するのです。熱が出ると、病原体を食い殺す白血球やマクロファージの働き、病原体を破壊するミサイルである抗体の働きが、何倍にも強くなることが分かっています。また、病原体であるウイルスは、高温(38℃~40℃)環境だと増えることができないといわれています。このように熱が出るということは、病気を早く治すため、体にそなわっている防衛反応なのです。病気が快方に向かえば、熱は自然に下がってくるのです。

 ●解熱剤の働き(薬理作用)

 解熱剤は、発熱を引き起こす物質プロスタグランディンE(上記)を、細胞が作ることを抑えます。そのため、プロスタグランディンが作られなくなり、体温調節中枢の体温設定が下げられるため、熱は下がってきます。 

 ●解熱剤の副作用について

 長期にわたり、頻回に解熱剤を使用した場合、病気を治そうとする自然治癒力を弱める可能性が指摘されています。また、解熱剤を乱用すると、体温が上下することにより、体力の消耗を早める可能性もあります。解熱剤の種類(ボルタレン、ポンタール)によっては、まれに低体温やショックをおこすことがあります。

 ●解熱剤の種類

アセトアミノフェン(カロナ-ル、アンヒバ、ナパ、ピリナジン)は安全性が高く、世界中で広く使用されています。日本小児科学会も2000年12月に、インフルエンザの発熱に対しては、アセトアミノフェンが適当だという、理事会見解を発表しました。他の感染症でも安心して使用できます。当院でも10歳以下の小児の発熱には原則として、アセトアミノフェンのみを処方しています。

ジクロフェナクナトリウム(ボルタレン)はインフルエンザ脳炎・脳症では、死亡率が有意に高いことがわかり、インフルエンザ脳炎・脳症患者には使用禁止になりました。また、小児のウイルス性疾患(水痘、インフルエンザ等)でも、原則的には使用してはいけないことになりました(医薬品安全対策部会)。

メフェナム酸(ポンタール)も、インフルエンザ脳炎・脳症では死亡率が有意に高い、という報告もあり(因果関係は未確定)、医薬品安全対策部会は、インフルエンザの発熱にはポンタールは基本的に用いないほうが良い、という見解で合意しました。ポンタールは抗炎症作用も強く、まれに低体温でショックを起こす可能性もあります。

アスピリン(小児用バッファリン=後述、ミニマックス、EAC)は、インフルエンザや水痘で使用した場合、ライ症候群(急性脳症)を引き起こす可能性があり、子どもには使用できません。「小児用バッファリン」という商品名の薬剤は、薬局で買う薬はアセトアミノフェンが主成分ですが、病院で出される薬はアスピリンが含まれていました。これは非常に紛らわしいため、2000年11月、病院用の「小児用バッファリン」(内容はアスピリン)は「バッファリン81mg」という名前に変わり、小児の解熱剤としては使用できなくなりました。

イブプロフェン(ブルフェン、ユニプロン)は、プロピオン酸系の非ステロイド系消炎剤ですが、アメリカではアセトアミノフェンとともに解熱剤として広く用いられています(アメリカではイブプロフェンとアセトアミノフェンしか、解熱剤として使われていない)。インフルエンザ脳炎・脳症は、欧米ではほとんどみられないため、この薬はインフルエンザ脳炎・脳症、ライ症候群を誘発しないと考えられています。また、この薬はアセトアミノフェンより解熱効果が強いため、当院では小学校の高学年以上に錠剤で処方しています。

 ●解熱剤はどんな時に使うか

 熱が高くても、お子さまが元気で,水分もとれ食欲もあり、よく眠り機嫌も悪くなかったら、解熱剤を使う必要はありません。38.5℃以上の高熱の時、元気がない、けいれんをおこしそうだ、不機嫌で食事をとらない、嘔吐しぐったりしているという症状が加わると、そのままでは全身状態が悪化し、場合によっては入院加療が必要になるかもしれません。ある程度熱が下げれば、お子さまは楽になり、ゆっくり休め、食欲が多少出てくることが期待されます。このような時に、脱水を予防し、体力(自然治癒力)を保つために使用されるものが解熱剤です。 

 解熱剤は38.5℃以上で症状が強いとき、頓服で使いましょう。1日3回、他の薬と一緒に定期に飲ませる必要は全くありません。このような使用法は、かえって病気を長引かせると考えられています(副作用の項を参照して下さい)。1回使用したら、最低6時間は間隔をあけます。高熱が続くようなら、もう一度、使用しても良いでしょう。ただし使用は1日に2回までとします。

 ●坐薬と飲み薬(粉薬、錠剤)の選択について

 赤ちゃんには坐薬,もう少し大きい子は粉薬が良いと思います。同じアセトアミノフェンという薬なので、効き目は同じです(坐薬のほうが吸収は速い)。坐薬をいやがったり下痢をしている場合は粉薬が良いし、吐いていたり大きな子でも薬を飲めない子の場合は坐薬で良いでしょう。要は確実に服用できることが大切だと思います。小学校高学年以上のお子さまには、効きの良い錠剤の解熱剤(ブルフェン)をお出しすることもあります。

 ●解熱剤を使っても熱が下がらない場合

 急激に発熱している状態の時は、アセトアミノフェンはほとんど効かない場合もあります(もともと解熱作用は弱い)。このような時は、解熱剤を何回も使うのではなく、薄着にして風通しを良くし、水分をまめに与え、脇の下やソケイ部をアイスノンや氷嚢(氷水を入れたビニール袋をタオルで包む)などで冷えすぎない程度に冷やして、様子をみましょう(「発熱について」を参照して下さい)。解熱剤は6時間以上間隔をあければ、もう1回使用しても良いでしょう。

 また、熱性けいれんのあるお子さまは、けいれん止めの坐薬(ダイアップ坐剤)の使用を優先して下さい(アンヒバ坐剤=解熱剤は、ダイアップ坐剤を挿入して30分以上あけてから、使用して下さい)。解熱剤の使用のみでは、熱性けいれんは予防できないと言われています。

ワハハ・誰でもわかる解剖生理学  解熱剤関連 
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相互リンクさせてもらっている Wein, Weib und Gesang さんの 2005年12月の記事を拝見し、リンク集をまとめてみた。

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