隆 慶一郎 「影武者 徳川家康」
隆 慶一郎の小説は、いわゆる「伝奇小説」に分類されるという先入観から、これまで食わず嫌い(読まず嫌い)していたのだが、数ヶ月前の出張の折に、気軽に読める長編小説を物色していてたまたま「捨て童子・松平忠輝」」を手に取ってから、すっかりその世界にはまってしまった。この徳川家康の第六子の数奇な生涯をベースにした奇想天外な時代小説はまったく面白かった。
次に手に取ったのは「花と火の帝」。これは、江戸時代初期に即位された後水尾天皇を主人公にした時代小説で作者の逝去により未完となったもの。「禁中並公家諸法度」や「紫衣事件」など、中学高校の歴史教科書で少し触れられる法令や事件の持つ意味の大きさが描かれ、勉強になる。徳川時代にまったく衰退したように見えた朝廷がなぜ存続しえたのかということを考えさせるきっかけにもなる。何しろ、徳川幕府は、上野に東の叡山(東叡山)をつくり、駿府と日光には、家康を東照大権現(後水尾天皇による勅諡号)という祭神として祭り、皇室の祖神 天照大神 と対抗したという挑戦的な政権だったから。
「一夢庵風流記」は、前田利家の一族前田慶次郎利益のやはり数奇な生涯を描いたもの。上杉景勝、直江兼続ら、他の小説ですっかり親しい存在となった武将の登場も面白い。
そして、この「影武者 徳川家康」は、奇想天外ながらそれなりに蓋然性のある歴史的な推定に基づき、大技・力技でくみ上げられた長編小説。徳川幕府初期の様々な政策、事件の背後にある事件をきっかけとして、思いもよらぬ暗闘が続いていたという設定は、いろいろな意味でまったくはらはらどきどきさせられる。
詳しくは、ネタバレになってしまうが、全体として網野善彦等の新しい中世史学の研究成果を取り入れているのが、面白さでもあり、また何作も読み続けると少しくどいと感じるところではある。その意味では、初めて読んだ「捨て童子・松平忠輝」が一番成功しているように感じた。
しかし、そのようなくだくだしいことを言わずとも、視点の転換と血湧き肉踊る面白さがどの作品にもある。
作者は、東大でフランス文学を専攻、小林秀雄の創元社に入社後、中央大の助教授を務め、その後脚本家として活躍したのち、小説家に転進し、わずか6年ほどの短い期間に多くの時代小説を残してくれた。「花と火の帝」が絶筆となった。
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