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2006年5月の30件の記事

2006年5月31日 (水)

ミヨー、バルトーク、ストラヴィンスキー、ハチャトゥリアンのCl,Vn&Pトリオ アンサンブル・インカント

Milhaud_bartok_stravinsky_khachaturian_c
ミヨー         組曲(1936)
バルトーク      「コントラスツ」(1938)
ストラヴィンスキー 「兵士の物語」組曲(1919)
ハチャトゥリアン  トリオ(三重奏曲)(1932)
Ensemble Incanto Neftel(Vn), Manno(Cl) Klahn(P)

今日は、ヨーゼフ・ハイドンが197年前に亡くなった日。1809年、すでにモーツァルトの死から18年後、ハイドンは世を去ったわけだ。ベートーヴェンは、モーツァルトの死後、ヴィーンに行き、ハイドンに師事したのだし、ハイドンのロンドンセットなどの交響曲、オラトリオ「四季」「天地創造」は、モーツァルトの死後作曲されたもの。生まれが早いからモーツァルトの後期交響曲の方がハイドンのそれら傑作よりも後の作品のように思い勝ちだが、作曲年代から言ったら相当違いがある。

ところで、今晩はハイドンの曲ではなく、たまたま入手できた面白い曲集を聞いている。ブラームスのクラリネット三重奏曲は クラリネット、チェロ、ピアノの三重奏だが、このCDに収められたのは、チェロではなくヴァイオリンが入ったもの。

ミヨーの音楽を音盤で聴くのは初めてかも知れない(聴くともなしに聴いたFM放送は別にしてという意味だが、「世界の創造」あたりは多分聞いたことがあるとは思う)。こんなに平易な音楽を書いた人だとは思わなかった。

バルトークの「コントラスツ」を聞きたくてこのCDを買ったようなもの。シゲティとあのベニー・グッドマンのために作曲した、いかにもバルトークらしい激しくエネルギッシュな曲。第3楽章の冒頭はしばらく前の日曜日夜のNHK芸術劇場のオープニング音楽になっていたと思う。中間部のモチーフは、バルトークの他の曲で聴いたことのあるような気がする。

ストラヴィンスキーの「兵士の物語」は、原曲からの編曲だろうか?ライナーノートではその辺があいまいだった。コクトーの語り入りのマルケヴィッチ盤を先日入手して聞いたばかりだが、その中から5曲を抜粋したもののようだ。コクトーの激しい語りが入らないこちらの方が音楽を楽しめる。

ハチャトゥリアンの曲は、四曲の中で唯一伝統的なイタリア語による発想記号が使われている。アルメニア出身だけあって、カフカス地方の民謡を素材に用いているようだ。大変親しみやすい平易な音楽だ。(このようなトルコ的、ペルシャ的、とでもいうような音楽を聴くとついて「エキゾチシズム」という言葉が条件反射的に出てくるというのは、美学的に欧化してしまっているということなのだろうか?)

クラリネット、ヴァイオリン、ピアノの組み合わせは、音響的にも非常に面白い。20世紀の作曲家たちがこの編成でこのような曲を書いたのもうなずける。

初めて聴いたが、このアンサンブル・インカントというアンサンブルは、1988年ハノーバーのメシアン・フェスティバルで結成された団体だという。ヴァイオリンのネフテルはアメリカ生まれの女性でエリーザベトやチャイコフスキーコンクールの入賞者。クラリネットのマンノはドイツ生まれの男性で、ケルンやミュンヘンのオーケストラに所属、ケルンの音楽院の教授。ピアノのクラーンは、ドイツ生まれの女性。ハンゼンに師事とのこと。すごく上手いアンサンブルだと思う。

補記: メシアン・フェスティバルで結成とのことで、メシアンの「世の終わりのための四重奏」を録音している。これには、チェロが加わっている。というより、もともとアンサンブル・タッシのようにこの曲を演奏するために臨時で集まったメンバーにより結成されたのかも知れない。

なお、incanto とは イタリア語で、英語では spell となり、それを再度日本語にすると、呪文、魔法、魅惑のような意味があるようだ。魅惑のアンサンブル、魔法のアンサンブル、呪縛するアンサンブル?

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2006年5月29日 (月)

マーラー 交響曲「大地の歌」 テンシュテット指揮 ロンドン・フィル

Mahler_tennstedt_lied_erdeマーラー 交響曲「大地の歌」
アグネス・バルツァ(アルト)、クラウス・ケーニッヒ(テノール)
クラウス・テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 
1982年12月、1984年8月 アビーロードNo.1スタジオ

9'48" 9'55" 3'08" 7'30" 4'44" 31'26"

先日、実家から持ち帰ったバーンスタイン指揮VPOのデッカ録音の「大地の歌」は、まことに鮮烈でボリュームのある演奏で以前から愛聴していたもの。その後、クレンペラーの透徹した「大地の歌」に親しみ、ついで原点とも言うべきヴァルター/VPOの戦後録音の意外なモダンさに驚いた。

今晩は、マーラーの交響曲全集をスタジオ録音で残したテンシュテットが、同じロンドンフィルと入れた録音で「大地の歌」を聴いている。EMI CLASSICSの決定盤1300という、岡崎ヨシオ氏がリマスタリング・エンジニアを務めたシリーズ。(このシリーズ、定位などはよくなっているようだが、音としての艶や輝きが失せたように感じる)。スタジオ録音の全集は、1977年の第1番から1986年の第8番まで約10年の長きにわたり録音されたものだが、この録音はちょうどその録音期間に含まれる。いっそのこと、全集に入っていればと思うが、何か理由があったのだろうか?

ただ、演奏は、録音の音が丸みを帯びているせいもあり、少々微温的に聞こえることが多い。テンポもゆったりしているし、リズム的にも少々切れ味に物足りなさを感じる。ただし、それが第6楽章の「告別」では、逆にじっくりと聞かせる背景にもなっているようで、プラスマイナスを計ればプラスだろうか?

ただ、テンシュテットならばより集中力の高い劇的な表現ができたのではないかとないものねだりをしたくなるのも確かだ。

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2006年5月28日 (日)

マーラー 交響曲第9番 シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

Mahler_s9_sinopoliマーラー 交響曲第9番 ニ長調 
ジュゼッペ・シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団
1993年12月 ロンドン オール・セインツ教会での録音

シノーポリが2001年に急逝した後に再発売された追悼盤。第10番は含まれていないようだが、「大地の歌」を含めたマーラーの交響曲が「シノーポリ名盤コレクション」として再発売されていたようだ。カンタータ「嘆きの歌」もこのコレクションには含まれている。なお、演奏時間82分20秒を一枚のCDに収録したものでCDプレーヤーによっては再生できないこともあるという。

シノーポリは、精神分析だとか脳外科だとか、音楽以外にそのような精神・頭脳に関係する学門を修めたという話がいつもつきまとった指揮者で、リハーサルのときにも実際に音楽を奏で具体的に指示するよりも、作品の構造、作曲家の意図、心理、深層心理、病歴などの「講義」が長かったほどだとも言われている。それにより非常に分析的な知性というイメージが強い。それに加えて、イタリア人として、イタリアオペラをも振る幅広さも持っていた(急逝は、「アイーダ」の公演中だったという)。

さて、シノーポリについてもあまり熱心な聴き手ではなく、この交響曲第9番についても、ジュリーニとシカゴのLPで本格的に聴き始めて以来それほど集中的に聴いたことはなく、少々敬遠している音楽なのだが、今日は久しぶりにスピーカーから音を出して聴いてみた。

シノーポリについては、前述のような先入観があるせいか、ついこのマーラーの完成した最後の交響曲をどのような解釈をして、どのように音楽的に実現しているのだろうか、という関心から聞くような態勢をとり勝ちなのだが、この演奏の録音が、これまで聴いてきたバーンスタイン/BPO,テンシュテット/LPOに比べて格段に整っていて明晰なため、つい音響的な面白さに聞きほれてしまいがちだった。演奏については自分の筆に余るが、鋭敏な表現でありながら練り上げた音響だったと感じた。

マーラーのこの第9交響曲は、交響曲「大地の歌」、先日聞いた未完の第10交響曲と並んで、三部作的に作曲されていたようだ。作曲当時、マーラーは、メトロポリタンオペラ、ニューヨークフィルの指揮者として大西洋航路により(ドヴォルザークのアメリカ赴任は1892年、チャイコフスキーのアメリカ訪問は1891年、例のタイタニック号の遭難は1912年)アメリカとヨーロッパを往復していたようで、この指揮活動のストレスは大変なものだったとのことだ。また妻アルマとの仲もうまくいっていなかったという。自分自身の死への恐怖を振り払うためか、第9交響曲であるべき「大地の歌」を番号なしとしているのだという。厭世的とも言われる音楽ではあるが、死への恐怖をこの作曲によって昇華しているのか、これらの音楽を聴いて、来世、彼岸を思うことはあっても、絶望、抑圧、苦悶など心のマイナス面へ引き込まれることはないように思う。


参考:タイミング
テンシュテット/ロンドン・フィル<1979年5月> 30'42" 16'20" 12'59" 25'29"
バーンスタイン/BPO<1979年10月ライヴ>   27'37" 15'59" 12'04" 26'12"
シノーポリ/PO<1993年12月>          28'09" 15'12" 13'16" 25'54"

ところで、ちょうど今晩のNHK教育夜9時から同じ組み合わせによる1987年来日公演で、まだ若々しいシノーポリが「復活」を指揮している模様が(惜しくも)第3楽章から放映されている。最近NHKもそのアーカイヴの公演のDVD販売を開始したようだ。著作権などの絡みもあるのだろうが、多くの収録が公開されることを望みたい。

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金魚を今月になって2匹死なせてしまった。2匹とも不注意。1匹は慣れない環境なのに連休中面倒をみてやらなかった。もう1匹は、今朝。半年以上大切に飼ってきたのだが、うっかり昨日水替えを怠ってしまった。深く反省。

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ドイツでのサッカーワールドカップが近づいているが

日本代表がドイツへと旅立った。

ワールドカップアメリカ大会へのアジア予選での、あのカタール・ドーハでのロスタイムでのまさかの「引き分けによる予選敗退。

次のフランス大会アジア予選での監督交代、劇的なマレーシア・ジョホールバルでの延長Vゴールによる初の本大会進出と、三浦知良(カズヨシ)=カズ、北沢豪(ツヨシ)の貢献度抜群のベテランが岡田新監督によりフランスでの代表外し。

前回、日韓共催では、日本は開催国として予選免除で本大会参加。フランス人監督のトルシエが 中村俊輔を代表に選ばず。本大会、予選突破するが、決勝トーナメントでトルコに敗戦。なお、誤審による強国の敗退が目立った。

今回は、日本の本大会進出が当然というような雰囲気の中、苦戦しながら勝ち抜いたアジア一次予選、最終予選は非常に面白かった。今回本大会は日本は強豪揃いのFグループに属する。

前回王者で今回も優勝候補筆頭の座はゆるぎないブラジル。日本がフランス大会でも戦って負け、その大会でなんと3位にまで勝ち抜いた強豪 旧ユーゴのクロアチア。FIFAランキングでは日本よりも格下とされるが、英連邦の関係もあるのだろうか、サッカーの本場イングランドなど欧州リーグ所属選手が大多数で、監督も前回大会韓国を率いたヒディングということで、決して侮れないオーストラリア。日本の日程は、オーストラリア戦、クロアチア戦、ブラジル戦。なかには、ブラジルが早々決勝トーナメントを決め、日本戦ではブラジルの英雄ジーコへの温情を見せるのではないかという向きもあるが、決勝の相手次第では全力で叩くことにもなりかねないだろう。

日本チームは、3大会連続出場の中田英寿が近年所属チームでの評価が低くすでに落ち目ではないかという心配がある一方、前回大会はまさかの代表落ちだった中村俊輔は所属チームでも大活躍でのぼり調子で心強い。

大会情報を見ると、やはりというか、どうしてというか、旧東ドイツ地区での開催が非常に少ないことに驚かされる。全12会場のうち純粋の旧東地区は、ライプツィヒしかないようだ。ベルリンは、分断時代に西ドイツの陸の孤島だったこともあり、純粋の東側とは呼べないだろう。これを改めてみてあまりの西高東低に愕然とした。日本でも開催地決定まで紆余曲折があったものだが、ドイツ国内政策的に東側への配慮というものがあまり行われなかったのではないかと疑念を持ってしまう。

サッカーの国際試合は、サッカーに関心のない人々にとってはそんなことがあるのかと不思議に思うのだが、民衆レベルでは代理戦争的な位置づけがされるのだという。

ただ、まああまりそのような細かいことを考えずに、楽しめればいいのかも知れない。

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2006年5月27日 (土)

「ハリー・ポッターと謎のプリンス」を読了

すでに梅雨入りしたような天気で湿度が高く蒸し暑いのと肌寒いのが混じった少々不快指数の高い一日。

「ゲド戦記」の記事との関連で、「ハリポタ」のメディアコンプレックス戦略に批判的なことを書いてはいるが、ambivalentな「ミーハー根性」でついつい購入し、最新翻訳版を読み終えたところ。

これで第6巻だが、第1巻からの筋立てはそのままでマンネリ的。時間はこれで6年が経過したわけだが、学園ものとして同じように時間は流れるがスパイラル的にグルグル同じ場所を巡っていき、次第に最終巻に収束していくかのようだ。残念ながら深さや幻想性が増しているわけでもなく、次第に謎が解明はされていくが、すでに予定調和的な終末は見えるような気がする。その謎がどのように解かれて、どのような大団円を迎えるのかには興味があるので、おそらく最終巻も買って読むことになるだろうとは思う。

なお、帯には、世界3億冊、日本2100万部のベストセラーとなっている。私が購入したものは、近所の個人経営の書店に平積みになっていたもの。一応初版で、上下セットがビニールで包装されている。セット販売しか許されないとのこと。また、「特典」として専用袋に入れてくれる。オリジナル発売から約1年たってからの翻訳発売ゆえにか、少々メディアで話題にはなったが、ネットでの盛り上がりはどうなのだろうか?

書き忘れたが、原題は "Harry Potter and the half-blood pirnce" で、邦題が 「ハリー・ポッターと謎の王子」となっている。 half-blood は、通常は「父親だけ(または母親だけ)共通の兄弟姉妹のこと」を言うようなのだが、蔑称として「混血の」つまり、「半分だけ"まともな"血」(白人とアメリカ先住民との混血を白人側から呼ぶ蔑称)という意味もあるようだ。

当初の仮題としては「混血の王子」で流布しており、誰と誰の混血かという予測論議が巻き起こったようだ。要するに純血 pure-blooded (thoroughbred)に対する 混血ということで、生物的に見ればまことに愚かしい思想を有するこの物語のある側寄りの言葉を作者は敢えて使ったようなのだ。日本での訳者は、直訳では差しさわりがあるものと考えたのか、原作者の許可をとりつけ、the mysterious prince (謎の王子)をタイトルにしたもののようだ。

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携帯に久々のワン切り

自分に身に覚えのない電話番号から電話が来て、着信履歴に残っている場合には、その番号をGoogleなどで検索してみるといいようだ。最近かかってきた番号を、そのようにして調べたらまさに有名なワン切り番号だった。

0758032277

検索結果はこの通り

久々のワン切りだったので、すぐに思い当たらなかったのだが、調べてみてよかった。

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2006年5月26日 (金)

出張の往復に読了 「ダ・ヴィンチ・コード」文庫本3冊

東京八戸間は、はやて号で3時間強で、読書には絶好の環境なので、何を読もうかと思案していたが、今映画公開で話題が再燃している「ダ・ヴィンチ・コード」を読むことにして、文庫本を入手した。往復の車内で読むには、ちょうど適当な分量だった。

角川文庫から出版されているこの文庫本だが、少々文句がある。本の最初の方に内容に関係のある美麗な写真や地図が綴りこまれているのだが、この図版類が謎解きミステリーとしてのこの小説の興趣を少々削ぐ原因となっているのだ。図版を見れば、主人公がどこに行こうとしているかが分かってしまう。ゆえに、まったく白紙の状態でミステリーを楽しみたい向きは、図版を見ない方が楽しめると思う。

さて、宗教、信仰的な面から言えば、キリスト教への知的関心はあるものの宗教心のない人間にとっては、キリスト教以前の異教とカトリックのいわゆる「習合」のような歴史について強引に大雑把に要領よくまとめられていて結構面白いものだった。アジアなどのカトリック国では、信仰面からこの映画への反発が強いようだが、歴史的な解釈としてはそうもあるだろう程度ではないのだろうか。現代でもあのバルトークが信仰していたというユニテリアンのような三位一体、つまりイエスの神としての性質を否定する教派もあるのだから。WIKIPEDIAによると例のアイザック・ニュートンもユニテリアンだったとのことで、「ダ・ヴィンチ・コード」の出版、映画化自体、そのような教義解釈の重要問題が背景にあるのかも知れない(少々、陰謀史観的だが)。

題材と仮説の面白さに比べて、ミステリーとしての出来はどうなのだろうか?上中下と分かれた文庫では、下巻がもっとも退屈だった。謎が謎を呼ぶというジェットコースタームービー的な展開は悪くはなかったが。

大作曲家の名前がいくつか登場した。モーツァルト、ベートーヴェン、ヴァーグナー、ドビュッシーなどだが、少々文脈的に違和感を感じた説明もあった。モーツァルトの「魔笛」、ヴァーグナーなど。音楽史家、音楽学者などはこれらの記述について、どのようなコメントを述べるのか興味がある。

追記:5/29、5/30

作中、「イエスの笑い」に関しては、10年以上前に読んだウンベルト・エーコの「薔薇の名前」を思い出した。これによって、中世の異端審問の恐ろしさをおぼろげながら知ることができたように思う。特にカタリ派の記述が恐ろしかった。(大学生の書評でよくまとまったものがあった。)しばらく読んでいないので、もう一度読み返したいものだ。

さらに、この「薔薇の名前」が提起した「キリスト教の笑い」については、宮田光雄東北大学名誉教授が岩波新書で「キリスト教と笑い」を書かれて、詳しく解説されている。

笑いについて

類語 「声を出して笑う」と「うれしそうな表情をする」の二つの系統があり,laughとsmileがそれぞれの最も普通の語.前者の系統では,chuckleは特に何かおかしいことを考えているときなどのくすくす笑い.titterやsnicker《米》/snigger《英》は他人の場違いでおかしなふるまいや失態などをくすくす笑うこと.roar, howl, shriek (with laughter)は,おかしがって大声で笑うこと.cackleは,気が狂ったように高い調子の大声で笑うこと.後者の系統では,grinはおかしさやうれしさを表しての歯を見せての目立つ笑い.beamは本当にうれしそうににっこり笑うこと.smirkは他人のしたことに対してのいい気味だと言わんばかりの笑い.leerは脅迫的な意味合いや性的ないやがらせの感じを込めた笑い.

Progressive English-Japanese Dictionary, Third edition ゥ Shogakukan 1980,1987,1998/プログレッシブ英和中辞典  第3版  ゥ小学館 1980,1987,1998

また 「テンプル騎士団」については、同じくウンベルト・エーコ「フーコーの振り子」を思い出した。前著「薔薇の名前」も重層的な読み方ができる小説とのことだったが、娯楽ミステリーとしても普通に読めた。しかしこちらは何が何だかよく分からなかった。ようやくこの書評を読んであらすじが理解できたほど。

なお、「ダ・ヴィンチ・コード」の眼目である「シオン修道会」については、WIKIPEDIAに詳細な解説が書かれていた。先日のトリノオリンピック直後の「トゥーランドット」解説でも感じたが、カレント・トピックスについての追従性はすごい。恐るべし、WIKIPEDIA。もちろん、「テンプル騎士団」についても詳しい。「オプス・デイ」についても項目がある。参考:オプス・デイ広報室からの手紙

なお、マグダラのマリアは不当に貶められているとの趣旨だが、J.S.バッハの妻、アンナ・マグダレーナ・バッハの名前のようにマグダレーナは女性名としても用いられ、マグダラのフランス名「マドレーヌ」をつけたマグダラのマリアを祭るマドレーヌ寺院が実在することからも分かるようにその言い分は、必ずしも正しくないようだ。また、カトリックは、古層の女神信仰と習合したことから、フランスやスペインで盛んな聖母マリア信仰が成立したとも読んだことがある。その意味で、フェミニズム的なカトリック批判にはどういうものかと疑問に思った。

フィナボッチ数列、黄金比についての数学と美学に関するトリビアが披露されている部分は面白かったが、黄金分割を意識していたバルトークの名前がなかったこと、前述の作曲家以外になぜかJ.S.バッハの名前が見当たらなかったことが不思議に思った。

ユニテリアン ダ・ヴィンチ でGOOGLE検索したら、「新潮社」の波 2004年9月号より[対談]代理戦争!! ダ・ヴィンチ対ダンテ マシュー・パール『ダンテ・クラブ』 越前敏弥×鈴木 恵 がヒットした。「ジェットコースター」だの、「プロテスタントのユニテリアン」だの「ダ・ヴィンチ・コード」の翻訳者自らが語っている記事を発見できた。「ダンテ・クラブ」というのも結構面白そうだ。

グノーシス主義で検索したところ、やはりWIKIPEDIAに解説があり、興味深い記述もあった。「グノーシス主義の他宗教への影響」いろいろな背景が考えられる。

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2006年5月25日 (木)

東北地方へ出張

昨日からの一泊二日で八戸新幹線に乗って、八戸まで出張。7,8年前、まだ新幹線が盛岡止まりだった頃はよく出張したのだが、今回は本当に久しぶりだった。

栃木を過ぎ、盛岡までの車窓の風景は、けばけばしい看板もない落ち着いた田園風景が続き、また下り進行方向の左手に、多くの名山、日光、那須、安達太良、蔵王、鳴子、岩手山などが続き、まったく見飽きない風景だ。学生時代もこの路線を実家との往復によく利用した(東北本線時代から東北新幹線へのちょうど移行期だった)ものだが、何往復もしたため脳裏に刻まれた山間の家々がまだそのままの姿だったのには感激した。仙台のビル街は相当様変わりしていたが、関東以西と違って雑駁な感じを受けないのは、東北地方の品というものだろうか?

八戸駅は、新幹線開通前と相当様変わりしており、ホテルも二つほどでき、結構便利になっていた。居酒屋の魚介類は、さすがに美味く、それに安く、十分堪能できた。

帰路、久慈の琥珀でも買って帰ろうかと思ったが、少々値が張ったのであきらめ、銘菓やいちご煮などをお土産にした。

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2006年5月23日 (火)

ヤナーチェク「シンフォニエッタ」「タラス・ブーリバ」 クーベリック/BRSO

Janacek_sinfonietta_taras_bulba_kubelikレオシュ・ヤナーチェク(1854-1928)
シンフォニエッタ
「タラス・ブーリバ」(オーケストラのための狂詩曲)
ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団 1970年5月 ミュンヘン、ヘラクレス・ザール

セルのCDで愛聴している「シンフォニエッタ」だが、実に美しい弦楽合奏を作り出してくれるクーベリックの指揮によるこの曲と、未だ聴いたことのない「タラス・ブーリバ」がカップリングされているCDを見かけ迷わず購入した。

1970年といえば、セルがなくなった年だが、このクーベリックの録音は信じがたいほど鮮烈なものに仕上がっている。(その点、セルのシューベルト 大ハ長調は・・・)

おなじみの「シンフォニエッタ」は、いかにセルの指揮がカッチリしたものかを知らせてくれる演奏だった。と言っても、クーベリックによるこの曲が悪いわけではまったくない。これはこれで非常に魅力的な演奏だ。セルとクリーヴランド管の演奏が、非常に知的で洗練されているのに比べて、より融通無碍で解放的、自然の息吹が感じられる。クーベリックがスタジオ録音したDGのマーラー交響曲全曲録音はよく「草いきれのする」というようにたとえられているが、私自身はその批評がよく理解できずに来た。しかし、この「シンフォニエッタ」を聞いて、「自然の香り」がする演奏という意味が少し分かったような気がする。いわゆる、ラプソディックな演奏になっている。(とは言え、クーベリックのマーラーの5番など非常に洗練された演奏だと思うのだが)。

「タラス・ブーリバ」は、ロシアの文豪ゴーゴリによる小説「タラス・ブーリバ」によるオーケストラ狂詩曲だという。コサック民族(タタール人とロシア人の混血)の族長、タラス・ブーリバを主人公とする物語だとのこと。今回ほとんど初めて聴いてみたが、シンフォニエッタほど独創的な音楽ではないように思う。少し聞き込めば印象は変わるかも知れないが。

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2006年5月22日 (月)

意外な雑音 セル/クリーヴランドのドヴォルザーク交響曲第8番 CBS盤

Dvorak_s78_szell_clo_1
セルとクリーヴランド管弦楽団の最も人気のある音盤のひとつは、最後の録音となった1970年のドヴォルザークの交響曲第8番のEMI盤だと思うが、その陰に隠れた形になっている1958年録音のCBS盤もそれなりに優れた録音である (CBS SONY 22DC5591 カップリングは、同じドヴォルザークの交響曲第7番で、これがプロの指揮者など専門家筋に非常に評価の高い録音だと聞いたことがある)

さて、フルニエとセルのドヴォルザークを聞いた後、久しぶりにこの録音も聴きたくなり、ヘッドフォンでのんびり聞いていると、なんだか奇妙な音が聞こえた。空耳かと思い、何度か聞きなおしてみたのだが、どうやら「くしゃみ」が録音されているらしい。

問題の箇所は交響曲第8番 第2楽章(CD第6トラック)の 7:45 7:43 と 7:55のあたり。くしゃみが左チャンネルから聞こえる!2回目の方がはっきり聞こえる。 

1958年という比較的古い録音なのだが、きちんとしたステレオ録音。また10月25日、31日、11月1日の三日にわたって録音されている。ライブ録音ではない。それなのにこのような雑音が残ったのはなぜか? 他の音盤でもセルの気合の入った唸り声はときおり聞こえるのだが、さすがにくしゃみはない。誰のものなのだろうか?なぜその部分だけ取り直されなかったのか?1日のセッションでの一発録音なら分かるが、3日に渡るセッションなので、修正は十分可能だったと思うのだが?もっとも演奏自体すばらしく、そのような気が付かないほどの瑕はまったく問題ないのだけれど・・・

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連休の収穫8(LPをまとめて)

BachJ.S.バッハ カンタータ BWV18「天より雨と雪の落ちるごとく」、BWV62「来たれ、異邦人の救い主よ」 マウエルスベルガー指揮 ライプツィヒ・ゲバント管弦楽団員 ライプツィヒ・トーマス教会コーラス まさにバッハ直系による演奏。


Bach_organJ.S.バッハ オルガン曲集 ラインベルガー(Org)


Haydnハイドン 交響曲第94、100、101、104番 オイゲン・ヨッフム指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団


Cleiburnベートーヴェン ピアノソナタ 「悲愴」「月光」「熱情」 ヴァン・クライバーン(p) ジャケット表面

Cleiburn2 ジャケット裏面


Brahms_s5ブラームス 弦楽五重奏曲第1,2番 ブダペスト四重奏団 トランプラー(Va)


Brahms_s6ブラームス 弦楽六重奏曲第1番 バルトーク弦楽四重奏団 コンラード、バンダ(Va)


Harusai_1 ストラヴィンスキー 「春の祭典」 フェドセーエフ指揮 モスクワ放送交響楽団 

p.s. 2007/09/11 mozart1889さんのフェドセーエフ/モスクワ放送響の記事にTBを送らせてもらった。


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ドヴォルザークのチェロ協奏曲 フルニエ、セル/BPO

Fournier_szell_bpo_dvorak
ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、これまで実演を聞く機会には恵まれていないが、さまざまな録音や放送で楽しんで来た。何度も聴いた音源は下記の通り。

カザルス、セル指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団<1937>(エアチェック)

デュプレ、バレンボイム指揮シカゴ交響楽団<1970>(エアチェック)

ロストロポーヴィチ、ジュリーニ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団<1977>(LP)

ロストロポーヴィチ、小澤指揮ボストン交響楽団<1985>(CD)

フルニエ、セル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団<1962>(CD)

この中では、録音は古いがカザルスとセルのものは古くから名盤とされていたもので、カザルスのストレートで剛毅な表現と、当時まだヨーロッパで活躍していた若き日のセルが血縁でも関係浅からぬチェコフィルと、やはり率直で引き締まった演奏を務めている。繊細なニュアンスや瞑想的な面では不足するとは言え、今なおその演奏はすばらしい。某ディスク販売会社のコピーではないが、まさにエバーグリーン。

有名なロストロポーヴィチとカラヤン/BPOによる録音は今のところ音盤では聞いたことがない(追記:その後入手したが、どうもピンと来なかった)。同じロストロでは、ジュリーニ緒および小澤との競演盤を入手できたのだが、いずれも自分にとっては隔靴掻痒的な演奏・録音となっている。ジュリーニ盤は、カンタビーレの得意なジュリーニのゆったりとしたオケは面白いのだが、全体的に緊張感や前進感が不足するようだし、小澤盤はロストロ自身この録音をこの曲の打ち止めとすると宣言した自信作とのことだが、録音がオフマイクのこともあり、また日本料理のごとき小澤の粘らない淡白な表現により淡い夢想のようなつかみ所のない演奏に聞こえる。

ジャクリーヌ・デュプレは、夫君バレンボイムとシカゴ交響楽団がオケを務めたもので、デュプレの凄絶とも言えるソロに比べてオケが凡演とされるが、デュプレのソロはその通りとしても、オケはそれほどひどいだろうか?切々と訴えかけるようなソロには抗し難い魅力がある。

最後のフルニエ、セルについては、比較的最近CDを入手できて聞けたものなのだが、上記のような演奏と比較しても、そのあまりのすごさに聞きながらワクワクしてしまい、この耳なじんだ曲を飽きることなく最後まで集中力が途切れずに聞きとおしてしまった。どんな演奏・録音も無価値なものはないと思っているので、番付をするのはあまり好まないのだが、この演奏は心底すごいと思った。

これが、以前から評判の高い録音ということは知ってはいた。それに、narkejpさんの「電網郊外散歩道」を知ったきっかけとなった記事カール・ライスターの「一番印象深かった録音」を拝見して、さらに深くこの録音のもつ意味を知ることができた。カラヤンがセルを畏敬していたことは、1970年代の自分の高校時代の音楽室の書棚にバックナンバーが保管されていた「レコード芸術」の記事や、「1970年のセルの東京ライヴ」のブックレットに記されていた当時のCBS SONY ディレクター 京須氏 のセルとカラヤンが同時に来日した1970年万博でのエピソード(「マエストロ!」「やー、ヘルベルト」の会話)などでは知っていたが、BPOのライスターが語った言葉は、岩城宏之「フィルハーモニーの風景」に書かれたVPO,BPOの団員が互いに聞きあうという特性のBPOでの出発点や、カラヤンのその後の精緻精密指向が始まったきっかけなどが分かるような気がした。

貴公子フルニエなどと呼ばれるが、このセルとのコンビはまさにつぼにはまったものだったのか、セル/クリーヴランド管との「ドン・キホーテ」のCBS盤(これまたロストロ、カラヤン/BPOのEMI盤、DG盤では同じフルニエと共演しているものと競うようだ)も録音しており、こちらも素晴らしい録音になっている。他の演奏に比べて解像度が相当異なる映像を見ているかのような細密かつヴィヴィッドな演奏という点で、ニ巨匠の共演は共通しているようだ。

追記:この録音再鑑賞記

2011年10月 5日 (水) 以前音質的に不満だった音源を聴きなおしてみて(2) 管弦楽, 協奏曲(EMI セル)編 続き

追記:2013/3/11

narkejpさんの電網郊外散歩道の2013/3/8付けの記事で、この録音がブルー・スカイレーベルでパブリックドメインとして公開されたのを知った。私の上記の記事では、1962年録音としていたが、改めてドイツ・グラモフォンの詳細なカタログページのデータを見たところ、1961年6月にベルリンのイエス・キリスト教会で録音されたということが明記されていた。

http://www.deutschegrammophon.com/en/cat/single?sort=newest_rec&PRODUCT_NR=4238812&UNBUYABLE=1&per_page=50&COMP_ID=DVOAN&ART_ID=FOUPI&flow_per_page=50&presentation=flow

Track Details
DVORAK Cellokonzert Fournier/Szell

Artist & Repertoire Info
------------------------------------------------------------
Composer:Antonin Dvorak (1841-1904), Composer
Title:Cello Concerto in B minor, Op.104

Artists:
Pierre Fournier, Cello
Berliner Philharmoniker, Orchestra
George Szell, Conductor

First Release:1962
Recording Information

-------------------------------------------------------------
Recording date:June 1961
Live / Studio:StudioRecording
Location: Jesus-Christus-Kirche, Berlin, Germany
Produced By:Hans Weber, Recording Producer
Balance Engineer:Gunter Hermanns
Format:AAA Stereo 44 kHz 16 Bit

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2006年5月21日 (日)

マーラー 交響曲第10番(クック復元版) ザンデルリング

Mahler_s10_sanderlingマーラー 交響曲第10番嬰ヘ長調 (performing version prepared by Deryck Cooke)
Adagio 23:12
Scherzo 13:05
Purgatorio : Allegro Moderato 4:05
(Scherzo) Allegro pesante 11:15
Finale 21:52

クルト・ザンデルリング指揮 ベルリン交響楽団
1979年11月29,30日、12月13-15日録音 ベルリン キリスト教会にて
(Booklet 表紙写真は 1911?のマーラー本人)


マーラーの作品には興味があるのだが、ブルックナーと並んで今のところそれほど深入りはしていない。そういうわけで音盤として全曲を揃えたのは、このブログにもあるとおり中古盤で、テンシュテット/LSOの全集を揃えることができてようやくそれまでの欠番が埋まったほど。

第10番は、セル/CLOの録音で、第1楽章と第3楽章のプルガトリオ(煉獄:ローマ‐カトリックで、人間が、罪の償いを果たすまで、霊魂が苦しみを受け、それによって、浄化される所をいう。Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988)を聴き、テンシュテットの全集でやはり第1楽章を聞いた程度だった。

例のショスタコーヴィチ交響曲全集を超廉価で発表したルドルフ・バルシャイが、最近自身の手によりこの未完の交響曲の全曲版を編纂復元して自演したのが話題になったが、このザンデルリング盤は、従来最も普通に用いられてきたイギリスの音楽学者デリック・クックによる復元版に基づいている(HMVなどの情報では第4,5楽章はザンデルリングの手も入っているようだ)。録音は冷戦末期、まだ東西ドイツが分裂していた時代。

今回、ザンデルリングの経歴などを読んでみたら、彼自身、ユダヤ系の出身で、それゆえにナチの政権奪取の前後、ソ連に亡命したのだという。そのため、レニングラードフィルの指揮者を勤めたり、後日、シュターツカペレ・ドレスデンを指揮したりしたらしい。彼の指揮したシュターツカペレ・ドレスデンのブラームスの第1番を他の手持ちのCDと昨日聞き比べたのだが、改めて低音が雄弁な立体的な音楽に感動を新たにしたところだったが、たまたま、また中古盤でこのマーラーの10番を入手して、その指揮に感銘を受けているところだ。

ざっくり通しで聴いているのだが、第2、第4楽章のスケルツォなどは初期のマーラーに戻っているのではないかという印象がある。スケッチしか残されていないようだが、完成した第1楽章との落差は非常に大きいように感じる。第5楽章も第9番(昨日同時に非常に録音のいい シノーポリ/PO盤が入手できた)と比べてさらに深化しているはずの音楽が、後退しているように感じるというのは、復元としては少々疑問が残るのではなかろうか?特に調性の崩壊一歩手前までいっている第9の後を襲うはずのものとしては。

【追記】
バルトークの「弦チェレ」を検索していたら、横浜フィル ホルン奏者の方の解説記事
で素晴らしいものがあった。

マーラー 交響曲第10番 ものがたり 2004年10月24日作成

ここで紹介のあった HMVのサイト バルシャイ補筆完成全曲版マーラー交響曲第10番
解説にザンデルリング盤へのコメントも載っていた。

1979  11月、クルト・ザンデルリングが、自身による第4・5楽章の大幅な改訂とゴルトシュミットの改訂を含んだ クック第3稿第1版 により、ベルリン交響楽団を指揮してレコーディング。(ETERNA) 23:30+13:15+04:05+11:20+22:08=74:18

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「新世紀 エヴァンゲリオン」 を Yahoo動画で見た

1990年代後半に制作・放映されたが、表層的なうわさではジュヴナイル小説的であり、生命科学、精神科学、哲学、神学、その他先端科学、政治学などの薀蓄がいっぱい詰め込まれ,また「萌え」的な意味でのオタク文化の象徴のようでこれまでずっと敬遠していたアニメーションだったが、発表されてから10周年ということで、Yahoo動画で特集になっており、無料公開の総集編的な「映画」を見たのが運のつき、とうとう有料のアニメーションを見るにいたった。監督は庵野秀明という、私と同世代のアニメーターだ。

全26話と、最終第25、26話のalternative として作られた映画版を見たのだが、これはなかなかのものだった。

いわゆるロボット・軍隊アニメ、近未来的なArmageddon的SF、予言(預言)とその実現、青少年の学園生活、親と子の愛着と相克、極限状況の選択、さまざまなメタファー換喩法(子宮、羊水、へその緒など)のちりばめられた設定、いわゆる美少女による萌え的な設定、成人的な恋愛シーン、破壊と再生、謎解きと、これだけの雑多な内容のアニメーションをこれだけの短期間で毎週放映したということは、ものすごいことだと思う。連載小説的なエネルギーの集中。少々本筋から離れるが、連続ドラマもそうだが、アニメーションやドラマのプロジェクトチームというのはすごいものだと思う。

なお、宗教的な絡みでは、現在ちまたでは、「ダ・ヴィンチ・コード」という「キリスト教」外典ものが小説、映画とも流行っているようだが、このエヴァンゲリオンも、「死海文書」に記されているとされる預言をベースにしている。先日、イスカリオテのユダの裏切りを正当化する福音書の類が発見されたことがニュースにもなったが、このような非キリスト教圏(表層的には西洋文明圏)の日本でも、これらの話題が、テレビ、アニメーションなど庶民文化の中にまで降りてきているということは、なかなか興味深い。

なお、音楽の使い方としては、バッハ「主よ人の望みの喜びよ」(ケンプ編のピアノ独奏曲だろうか?)、ベートーヴェンの第九フィナーレなども使われていて面白い。(あるサイトでは、「歓喜の歌」の第一節の詩句「歓喜の柔らかき羽交のもと、人々なべて同胞となる」というのに基づいてこの 「2001年宇宙の旅」的な不可思議なalternative ending が設定されているのではないかと書かれており、なるほどと思った。)

なお、素材の枯渇に悩むハリウッド(日本発のホラーのリメイクの制作が続いている)だが、このアニメーションの実写版を企画しているのだという。

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連休の収穫7(MCをまとめて)

Eschenbac_inventionsinfoniaJ.S.バッハ インヴェンションとシンフォニア
クリストフ・エッシェンバッ(p) 日本ポリドール?のお手本用録音。この他に、この名ピアニストがブルクミュラーだとか、ソナチネアルバムだとかを弾いた。


Gould_inventionsinfoniaJ.S.バッハ インヴェンションとシンフォニア グレン・グールド(p) プリペアド・ピアノで弾いたような変な音がする録音。曲順も2声のインヴェンションと3声のシンフォニアを同じ調同士をペアにして、グールドの設定した曲順で演奏したもの。


Richter_mattaeus_passion_extract J.S.バッハ 「マタイ受難曲」抜粋盤
カール・リヒター/ミュンヘン・バッハ管弦楽団 ヘフリガー、F=ディースカウなど リヒターのマタイとして有名な旧盤の抜粋盤。


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2006年5月18日 (木)

連休の収穫6 マーラー「大地の歌」バーンスタイン/VPO ミュージックカセット

Bernsteinvpo_lied_von_der_erde マーラー 交響曲「大地の歌」
バーンスタイン ヴィーンフィルハーモニー管弦楽団、キング、F=ディースカウ

連休の収穫はまだ続く。


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2006年5月17日 (水)

心身ともに絶不調

絶不調という言葉があるのかどうか知らないが、そのような状態に陥っている。

この3日間は家で休養している。

このように、記事をアップできるようになったこと自体、回復の兆しなのかも知れない。

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2006年5月14日 (日)

司馬遼太郎「功名が辻」「箱根の坂」、「ゲド戦記外伝」

「功名が辻」は、現在放映中のNHKの大河ドラマの原作。「やまのうちかずとよ」と読んでいたが、ドラマでは「やまうち」と読ませているので、NHKに質問したところ、土佐の山内家では「やまうち」と読んでいるのだという。(似たような例では、浅井長政は、あざい と読み、甲賀は こうか と読むようだ) この原作は、文庫本4冊に渡るもだが、ドラマの多くのエピソードは、原作を大幅に脚色しているものが多いようだ。

「箱根の坂」は、伊勢新九郎長氏 後世の呼び名では、北条早雲と呼ばれた戦国時代を開いたとされる武将が主人公。80歳を過ぎるまで長生した人物。駿河に現れるまでの40歳過ぎまでの前半生は詳しくは分かっていないらしいが、近年の研究では、足利将軍家に近い家柄、職についていたらしい。いわゆる小笠原礼法に並ぶ伊勢礼法の宗家の遠縁のようだ。(ちなみに早雲の「妹」の嫁いだ今川氏も礼法の家系とのこと)。早雲は、年貢を四公六民とした点で、戦国、江戸時代を通じてももっとも民政に長けた行政家だったという。その元になった思想は、どうやら孟子だったと、司馬遼太郎は推測している。孟子といえば、上杉鷹山のバックボーンでもあった。なお、孟子を積んで中国から日本へ渡ろうとする船は難破するというジンクスがあったようで、それだけ孟子は革命的な書だとして危険視されていたとのこと。民政家と孟子の関係、民主主義、民本主義、人民主義との関係だろうか?

「ゲド戦記外伝」は、以前購入した際にも読んだが、昨日の記事を書いてから再読してみた。今回は比較的すんなり頭に入った。 

【2006/06/02追記】
Shoulder.jp さんから「巧妙が辻」のトラックバックをいただいたので、TBをお返しした。

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連休の収穫6 シューマン「音楽と音楽家」(岩波文庫)

シューマン著 吉田秀和訳「音楽と音楽家」(岩波文庫 33-502-1)
村上春樹の「海辺のカフカ」の読書感想文でも触れた「天国的長さ」について、「フランツ・シューベルトのハ長調交響曲」の章でp.149「その上この交響曲は、ジャン・パウルの四巻の大部の小説に劣らず、天国のように長い」と書かれている。ただし、吉田氏の注釈で「このよく引用される言葉は元々それ自体引用されたもので・・・・・クララ宛の手紙で使っている(1839年12月11日の手紙)」とされている。なお、問題のシューベルトのニ長調のピアノソナタについても、この本のp.81-p.85のメンデルスゾーンとシューベルトのピアノソナタを扱った評論で、第2大ソナタ(ニ長調)作品53として触れているが、「勇ましいニ長調ソナタ、一打一打が肝に徹し、心を奪う!迫力に富み、熱烈で底止すこところを知らない。終末楽章は・・・ひどくおどけたもの」と書いているのみだった。

学生時代、傍線を引き引き読んだものだが、その当時はこの本に書かれている多くの曲を実際に聴いたことがなかった。馬齢を重ねては来たが、音楽との接した量はその間相当増えており、この本の曲目にも親しいものが多くなり、また読み返すのが楽しみだ。

追記:
このシューベルトのハ長調交響曲といえばシューマンによるこの評言により必ず引き合いに出されるジャン・パウルという名前は、どこか別のところで聞いた名前だと思い調べてみたところ、マーラーの第1交響曲「巨人」 Titan の由来になった同名の小説を書いたというドイツの小説家のことだった。「巨人」のライナーノートや名曲解説書には必ず出ている名前なのだが、シューベルトの大ハ長調をシューマンが評したジャン・パウルと巨人のジャン・パウルが結びついていなかった。

まったく別の文脈の中で、まったく同じ固有名詞に接した場合などこういうことは時折あるのだが・・・


ジャンパウル
(Jean Paul)ドイツの小説家。本名ヨハン=パウル=フリードリヒ=リヒター。無限の世界への憧憬と現実の日常生活との分裂を題材とした。「巨人」「宵の明星」など。(1763-1825)

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988

生誕年的には、ちょうどモーツァルトとベートーヴェンの中間に位置する。ゲーテとも関わりがあったようだ。それにしても、ゲーテといい、ジャン・パウルといい、(モーツァルトもだが)、守護聖人の関係か、長いファーストネームだ!

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連休の収穫5 バッハ「音楽の捧げもの」レーデル ミュージックカセット

Redel_musikalischesopfer
J.S. バッハ 音楽の捧げもの BWV1079

マルシュナー(Vn), レーデル(Fl), シュネラー(Vc), ホカンソン(Cem)
レーデル指揮&リアリゼーション ミュンヘン・プロ・アルテ室内管弦楽団

録音年代不明だが、レコード芸術推薦盤リストによると 1965年6月号推薦盤
(解説:服部 幸三)

リアリゼーションとわざわざ断ってあるのは、バッハの遺した楽譜をどの楽器で演奏するのかという課題や謎のカノンの課題を演奏家自らが解決したことを指すものと思われる。

電網郊外散歩道さんのこの記事に、先にコメントさせてもらったもの。

カセットデッキを接続しているアンプの回路が不調のためラジカセで聞いているが、淡々とした質朴な演奏が懐かしい。

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2006年5月13日 (土)

連休の収穫4 ザンデルリングのシベリウス交響曲第2番 LP

Sanderling_sibelius

シベリウス 交響曲第2番 
クルト・ザンデルリング指揮 ベルリン交響楽団 
(ドイツ・シャルプラッテン原盤)
 (Brilliant レーベルで、この組み合わせによる交響曲全集が発売されている


Sanderling_sibelius_shitori_sign
AMラジオ放送のクラシック番組からのプレゼント(その番組をもっていた音楽評論家の 故・志鳥栄八郎氏のサイン)


p.s. 多分同じ音源だと思われるピースうさぎさんのblog記事にトラックバックさせてもらった。

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2006年5月12日 (金)

ファンタジー文学の映像化が相次ぐのは・・・ 「ゲド戦記」

子ども向きの本を読むなどと、少々貶めたような書き方をしたが、もともとファンタジー文学はマイ・フェイヴァリッツのひとつで、それほど多くはないが自分の子どもがそれらを読む年代になってからも折をみて読んでいる。

小学生の何年生のときだったか、いまや日本ファンタジーの傑作のひとつと評されるようになった、佐藤暁(さとる)「誰も知らない小さな国」を両親に買ってもらったのが、本格的なファンタジーへの入門だったかと思う。その後、続編を合わせての4部作を読み、しばらくそこから離れてはいたが、比較的最近エピローグを文庫本で入手して読み、少年時代への愛惜ゆえにか涙が出るほど感動してしまったのには、われながら狼狽えてしまった。日本神話に登場する少彦名命(すくなびこなのみこと)=アイヌのコロボックル伝説を素材としたファンタジーだが、ユートピアとしても国家内国家の物語としても読みうる。現代日本の激変する社会の中、「小さな国」が今でも人々の心の中には存続しているのだろう。

学生時代の政治学史ゼミの恩師は、プロテスタントの立場からリベラルな発言をされてきた方だが、当時の学生の読書経験の少なさを嘆かれて少年時代から読書の喜びを体験させる入り口として、良質なファンタジーを読むことを薦める岩波の少年向け新書などを書かれたこともあり、その影響下、当時話題となっていた、ドイツ人作家のミヒャエル・エンデ(その貴重な資料が日本でも見られる)の「終わりのないはてしない物語」「モモ」「ジム・ボタンの冒険」などを読み、そして、アメリカ人女流作家(「闇の左手」などでSF作家としても著名な)アーシュラ・ル・グインの「ゲド戦記」(当初は3部作だった)を読む機会を得た。恩師の読書観は、読書した後には、その世界観、人生観に何らかの変化があるのが、本当の読書であり、単なる娯楽のための読書とは一線を引くのがその主張の要点だった。(その観点から自分の読書、音楽への接し方を顧みると内心忸怩たるものがある。)その意味で、当時の「ゲド戦記」3部作の、人間の負の面との共存、因習的な生き方からの脱出、死を拒否することと死を受け入れること、そして全編を通じての「力の均衡」は、青年向けの「教養小説」として人生論的にも興味深いものだった。

学生時代から相当年数が経過し、2000年ごろから、ファンタジー文学ブームが、あのハリー・ポッターシリーズの刊行によって、堰を切ったかのように全世界的に巻き起こり、ハリー・ポッターの映画化(*)が開始され、その後、相次いでイギリス系のファンタジーの名作と言われている「指輪物語」が壮大なスケールで映画化され、その映画公開が終了した後、今度は「ナルニア国物語」が映画化された。また、近年イギリスで人気を集め、翻訳も出ているフィリップ・プルマンの「黄金の羅針盤」シリーズも映画化が決まったというニュースが出ていたのも記憶に新しい。(先日記事を書いた、「チャーリーとチョコレート工場」もファンタジーの映像化という点では同一線上にあるのだろう) このようなファンタジーの映画化の背景には、ディジタル技術による映像技術の進展があるのだろうが、そのまた背景には世界が人々がそのようなファンタジーを欲しているということもあるのだろう(ファンタジー映画の嚆矢としては、「オズの魔法使い」、「不思議の国のアリス」、「ピーター・パン」などがあるが)。

(*)映画化は、作者の当初の信念=テレビゲームの世界から読書の世界に子どもたちを呼び戻す=に反するのに、作者自身相当コミットしているらしい。さらにテレビゲームまで発売を許可しているのは、自らの信念を大幅に裏切った行為で、まさに金銭の亡者の群れのようで非常に不愉快だが、その高い翻訳本をつい購入してしまっている自分も少々情けない。

さて、日本では、「風の谷のナウシカ」「となりのトトロ」「千と千尋の神隠し」などオリジナルファンタジーアニメーションで一世を風靡した宮崎駿のスタジオ・ジブリが、先述した「ゲド戦記」をアニメ映画化するという。

丁寧に現在5部作(+外伝1作)をアニメ化するのかと思っていたら、オフィシャルサイトの情報では、前作の「ハウルの動く城」と同様、いわゆる原作を換骨奪胎するような制作になるのだという。商業的に成功するためにはそれもやむをえないことは理解しても、結構古くからの原作のファンとしては、せめて忠実にアニメーション化されることを望んでいたので、あまり納得がいかない。

あのいかにも魔法の世界であるアースシーと最果ての島々の壮大な物語世界を映像化できるのはアニメーションしかないとは思っていたが、5部作にもなるゲドの生涯をかけてのイサオシを、たった一本の映画にまとめるのは無理ではなかろうか?原作者のル・グインは、このことをどう考えているのだろうか・・・・・ 

映画は少々厳しい目で見ることになるだろう。

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cocolog フリー版

使い勝手がどのようなものかと「音盤上屋」なるBLOGを仮作成してみた。

また、現在のこのBLOGが移行できると聞いたので、記事を下記の要領でテキスト化して、新しいBLOGに読み込ませてみたところ、コメントやトラックバックはもとより、画像も(こちらのBLOGとリンクしているので)そのまま表示できた。(現在は、元に戻したが)

記事を書き出す(バックアップをとる) ココログで作成したブログを書き出すには、以下のリンクをクリックします。Windowsをお使いの場合、リンクを右クリックして「対象をファイルに保存」を選んで書き出しファイルを保存します。Macintoshをお使いの場合は optionキーを押しながらリンクをクリックしてください。

さて、有料BLOGは,その会員でなくなれば(会費の支払いを停止すれば)そのBLOGは閉鎖され、それまでアップした記事は消滅してしまうのだろう。他方、無料blogでは運用サービスが停止もしくは運用組織が消滅でもしない限り、そのまま相当期間ネット上に残されるのではなかろうか?(フリーblogは、一定期間更新がないblogを勝手に消去するということは現在行っていないようだが、そのまま放置状態が続けば、この先どうなるものか?)

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2006年5月11日 (木)

連休の収穫3 フランク 弦楽四重奏曲 パレナン四重奏団 LP

Franck_s4

フランスのエスプリシリーズ。ジャケット絵はミュシャ。

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2006年5月 9日 (火)

連休の収穫2 J.S.バッハ フランス組曲 ミュージックカセット

Bach_french
J.S.バッハ フランス組曲 第1番、第3番、第5番
 ユゲット・ドレフュス(チェンバロ) 1972年5月、10月 パリでの録音
  使用楽器 アンリ・エムシュ 1754年製 パリ

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2006年5月 8日 (月)

連休の収穫1 ヘンデル 作品1 ミュージックカセット

Handel_op1ヘンデル ヴァイオリン/フルート ソナタ集

ヴァイオリンソナタ 作品1-3,1-10, 1-13
エドゥアルト・メルクス(ヴァイオリン)、エドゥアルト・ミュラー(チェンバロ、オルガン)、カール・シャイト(リュート)、アウグスト・ヴェンツィンガー(チェロ) 1968年5月 ヴィーンでの録音

フルートソナタ 作品1-1a, 1-9
ハンス・マルティン・リンデ(フルート)、カール・リヒター(チェンバロ)、ヨハネス・コッホ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
 1969年12月 バーゼルでの録音

関連記事 
2006/4/14

2005/3/1

ヘンデルのヴァイオリンソナタ(天満敦子) 作品1-15 2006/2/22

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大型連休あれやこれや(まとめ)

生家に帰省した。

初夏のような気温で好天に恵まれた大型連休だった。

縄文早期の相木人の洞窟遺跡と博物館を見学。三滝を見物。93歳の妻の祖母(子どもたちにとっては曾祖母)に会う。東京電力の南相木ダム(ロックフィルダム)を見物。動物の姿は昆虫程度しか見られず。梅も桜も咲き誇る。

父(子どもたちにとっては祖父)より、縄文時代の石斧をプレゼントされる。

LP セルのブラームスの4番を聞く。記憶による美化ではなくすばらしかった。何枚かのLPジャケットを撮影。白い紙で古いものは少々染みが浮き出ていた。

楽譜を数種類持ち帰った。楽譜と名曲解説辞典のシューベルトの「未完成」の解説は、辻壮一氏だった。

吉田秀和 「レコードのモーツァルト」(中公文庫)、「モーツァルト」(講談社学術文庫)、「音楽と音楽家」(シューマン著、吉田秀和編訳)を持ち帰った。「海辺のカフカ」でのピアノソナタの形容に「天国的な長さ」が使われた点についてだが、シューマンは、やはり「大ハ長調」に対してこの言葉を、ジャン・パウルの大河小説のごとくという形容を用いながら使用しているようだ。ただし、その言葉自体に、もとのオリジナルがあるのだという。しかし、その原典は示されてはいない。

妻の実家に預かってもらっている荷物を整理していたところ、ヘンデルのヴァイオリンソナタなどのミュージックカセットが見つかった。(このことは別記事に書いた)。

耐久性のある日本製の自動車ではあるが、古い自動車はきちんとした整備が必要だということを痛感した。クラッチ板があれほど重要だとは!

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2006年5月 2日 (火)

日本のうた 鮫島有美子

Japanese_songs_samejima

◎日本のうた 鮫島有美子(ソプラノ) ヘルムート・ドイチュ(ピアノ)
<1984年 山梨県民文化ホール>

ソプラノの鮫島有美子と夫君ヘルムート・ドイチュによる 日本の歌曲 第一弾。鮫島の故郷、山梨県での録音。この種の音盤としては大ヒットした。当時の「レコード芸術」でも絶賛されていたと記憶している。明晰な日本語とベルカント的な発声の両立は困難だが、鮫島はこのCDで見事にそれを成し遂げた、云々。

いずれも名曲ぞろいだが、中では、北見志保子詩、平井康三郎曲の「平城山(ならやま)」が最も心にしみる。

------
明日から連休のため、しばらく記事の投稿を中断の予定。

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2006年5月 1日 (月)

隆 慶一郎「吉原御免状」「かくれさと苦界行」を読む

先日の「影武者 徳川家康」に続き、連作長編「吉原御免状」「かくれさと苦界行」を読んだ。これも非常に大胆な仮説を基にしたもので、内容的にもなかなかの問題作だと思う。特に、中世の自由民、その出自、徳川幕府による差別体制の固定化などなどの設定。家康影武者説は、この初期の長編に出現したもの。また二代将軍秀忠悪役説、裏柳生の暗躍のモチーフはこの初期長編に出現しており、これが後の長編に引き継がれているのが分かった。

ストーリーテリング的には、この作者の初期の長編だとは言え、息をつがさぬ面白さがある。あえて難を言えば、主人公があまりにも完全無欠過ぎることが次第に鼻についてくることくらいだろうか?

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鶴見川流域センター

ちょっと以前だが、今年の3月26日の子どもたちのボーイスカウト行事を迎えに行った後、お昼を食べながら、あまり車を走らせたことのない方面を走ってみた。


新横浜から第三京浜の港北インター方面に向かうと、左手の鉄塔の隣に「鶴見川流域センター」という建物があり、見学ができるという表示があったので車を止めて確認したところ入場無料とのこと。入場してみると、鶴見川に生息する生物(淡水魚、汽水魚、水中生物)の水槽や、鶴見川の流域情報など結構展示がある小規模な博物館になっており、結構ためになる施設になっていたのには驚いた。国土交通省 関東地方整備局 京浜河川事務所の所管らしい。

屋上での見学も係員の引率で定時にできるようになっており、鶴見川の遊水池が「日産スタジアム」の地下駐車場や周囲のグラウンド付近も含めて作られている様子がよく見えた。数年前の台風のとき、スタジアムの地下まで水が入ったそうだ。また、河川敷は現在整備が進められており、数年後には、野球場などになるという。

また、一日に一回程度小学生向けの簡単な講座が開かれ、我が家の子どもたちもそれに参加した。水の大切さがテーマだったようで、地球表面の水と陸の比率と、人体の水とそれ以外の比率がほぼ等しい 7:3ということをさまざまな工夫で説明してくれていたのが面白かった。理科の勉強としては結構上手な進め方だったと感じた。

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