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2006年6月の28件の記事

2006年6月30日 (金)

新種の汚染物質を検出 摂南大、市販の魚から

社会ニュース - 6月20日(火)7時24分

新種の汚染物質を検出 摂南大、市販の魚から

 毒性が強く世界的な環境汚染が問題になったポリ塩化ビフェニール(PCB)と似た新種の臭素系の汚染物質が、市販の魚の中に蓄積していることを、摂南大学薬学部の太田壮一助教授らのグループが19日までに、世界で初めて確認した。・・・

(共同通信) - 6月20日7時24分更新

カドミウム、有機水銀、PCB、 環境ホルモンといわれる化学物質。「沈黙の春」にも読み直しが始まったとは言え、気になるニュースだ。工業文明によって、大量の化学物質が大気圏、水圏に放出されていることは紛れもないことだから。

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発見!?身体の色を変えるヘビ ~ボルネオ島で新種

発見!?身体の色を変えるヘビ ~ボルネオ島で新種
2006年6月27日

 東南アジアのボルネオ島で、カメレオンのように体色を変化させる新種のヘビが発見されました。このヘビをはじめ、ボルネオ島で過去10年間に発見された新種は361種。しかし、これらの野生生物の生息地である島の熱帯林は、伐採やアブラヤシの植林などによって激減し、現在も深刻な森林破壊が続いています。・・・
 

森林破壊により、未知の生物が発見されるという。HIVウィルスもアフリカの熱帯雨林の奥に隠れていたというのだから、自然の人類へのしっぺい返しだろうか?

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2006年6月29日 (木)

馬は犬猫やコウモリの近縁…東工大がDNA分析

Yahooニュースより

社会ニュース - 6月20日(火)11時2分

馬は犬猫やコウモリの近縁…東工大がDNA分析

 

馬、牛、豚などの「ひづめ」を持つ哺乳類のうち、馬だけが別の起源を持ち、牛や豚よりも、犬猫やコウモリに近い動物であることが、岡田典弘東工大大学院教授らによる遺伝子(DNA)分析でわかった。

 19日付けの米科学アカデミー紀要電子版に掲載された。・・・

 (読売新聞) - 6月20日11時2分更新

他紙にも掲載。

有袋類の進化をみると、フクロの名が付く、オオカミ、キツネ、モモンガなどなど、様々な形態、性質があるのだから、さもありなんと思った次第。

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2006年6月28日 (水)

ゲルバーのベートーヴェン 「悲愴」「月光」「熱情」 EMI盤

Beethoven_sonata_81423_gelberベートーヴェン
ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 作品13「悲愴」
        第14番 嬰ハ短調 作品27-2「月光」
        第23番 ヘ短調 作品57「熱情」
         ブルーノ=レオナルド・ゲルバー <録音 1970年代>

「月光」ソナタの第2楽章が聴きたくなり、久しぶりにいわゆるベートーヴェンの「三大ピアノソナタ」を取り出して聴き比べをしたのだが、ゲルバーの古い方の録音(EMI盤)を聴き始めたら最後まで止まらなくなってしまった。この著名な三曲とも音といい技術といい、まったく間然とするところのない演奏だと感じる。

今回改めて比べたのは、ホロヴィッツ、R=ゼルキン、グールド、グルダ、アシュケナージと言った面々の録音。以前「熱情」の終楽章を聞き比べしたときにも同じ感想だったのだが、この中で一番好みに合うのが今回もゲルバーの録音だった。次点がグルダだった。(どこが好みに合ったのか細かく書ければいいのだが、筆力の不足が嘆かわしい。シュナーベル、ナット、ケンプは未聴。バックハウスはLPなので今回は聴けず。また、ゲルバーの新しい方のCDも未聴。)

HMVのサイトでゲルバー GELBER で検索しても、比較的最近のDENON録音盤が数点ヒットするのと、かつてのEMIへの録音が数点、ゲルバーを楽壇の寵児としたブラームスの協奏曲やベートーヴェンの協奏曲、ソナタなどが数点あるだけで、寂しいかぎりだ。ソナタでは、現在DENON盤の途中で保留状態になっているらしいソナタ全集では比較的最近の演奏を聴くことができるようだが、今回取り上げたEMI盤は、上記の協奏曲とのカップリングで一部は聴くことができるようだが、ソナタ集としては廃盤のようだ。

かつてゲルバーのドイツデビュー時には、ピアノの大家、批評家、聴衆こぞって未来の巨匠の誕生を祝っていたというのに、時折来日もしているようだが、ゲルバーは、すでに忘れられつつある演奏家なのだろうか?

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2006年6月27日 (火)

プーさんの商品化権戻らず 原作者一族の敗訴確定

Yahoo ニュースより

経済総合ニュース - 6月27日(火)10時22分

プーさんの商品化権戻らず 原作者一族の敗訴確定

 【ニューヨーク26日共同】「クマのプーさん」の原作者、英作家ミルンの孫らが、プーさんの商品化権の返還を求めていた裁判で、米連邦最高裁は26日、原告の上告を棄却、ミルン家の敗訴が確定した。(共同通信) - 6月27日10時22分更新

長男が幼かった頃、ディズニーのクマのプーさんのビデオに夢中で、自分も刺激を受けて、A.A. ミルンの原作本を購入して、岩波の石井桃子訳では意味の取りにくい部分を自分で調べてみたことがあったほど。この著作権の複雑さについてもその頃知り、自分のホームページにも項目としてあげたことがあった。

どういう経緯か分からないが、クリストファー・ロビンの娘さんだろうか、孫が敗訴したという。今回最高裁での判決ということで、これまでの著作権者がそのまま権利を維持したということのようだ。ディズニーと遺族側が敗訴というが、ディズニービジネスには関係があるのだろうか?

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2006年6月26日 (月)

モントゥー/LSOのベートーヴェン 交響曲第2,4,5,7番

Beethoven_2457_monteux_lso_1<1960,1961年録音>

先日目に留まって購入したモントゥーとサンフランシスコ交響楽団の「幻想交響曲」に続いて、彼の音盤を2種類購入した。タイトルのベートーヴェンの2枚組みと ドビュッシーの「管弦楽のための映像」「聖セバスチャンの殉教(交響的断章)」のCD。(前者は、第九と、VPOとの残りの番号を合わせたベートヴェン交響曲全集として発売中のようだし、後者はフィリップスのモントゥーの遺産に収録されているもののようだ)

最近まで名のみ知るばかりだった指揮者モントゥーとはVPOとのハイドンでようやく出会うことができた。その音楽に感激し、興味を持ったことは以前書いた。VPOの魅力的な音と細かいニュアンスが感じられる演奏、ヴァイオリンの対抗配置、デッカの生々しい録音もあいまって、非常に活気に溢れるハイドンの音楽を聞かせてくれた。

モントゥーは、なんとラヴェルと同年生まれだということだが、その晩年、来日してその音楽を披露してくれたとのことで、オールドファンには実演を聞いた人も多いようでうらやましい。ドビュッシーのCDや、このベートーヴェンのように鮮烈でストレートな音楽を当時生で聴けるのはまさに驚倒するほどの体験だったのではあるまいか。

フランス系指揮者のベートーヴェンは、クリュイタンス/BPOという珍しい組み合わせでの全集も古くからあるし、ミュンシュ/BSOのベートーヴェンもテンポの速い男性的な魅力のある演奏といわれている。逆にドイツのシューリヒトがパリ音楽院管と入れた全集も評判がよいらしい。ベートーヴェンの交響曲演奏史の上では、フランスのアブネックが「第九」の普及に努めたことは知られているが、意外とフランス人はベートーヴェンが好きなのかも知れない。聴衆にしても「第五」の終楽章の高らかな勝利の凱歌を聴いたナポレオン時代を経験した老兵が「皇帝万歳」と叫んだというエピソードも知られている。(またもや血筋の話になるが、ベートーヴェンの祖父はフランドルの出身であり、ボンはラテン+ケルトのフランスと、ゲルマン+ケルトのドイツの境目でもあり、両者の要素をそれぞれ兼ね備えているのかも知れない)

この2枚組みのCDで聞けるベートーヴェンも素晴らしかった。第五の第一楽章展開部の冒頭など、モットーを非常に遅く提示するなど、ユニークな解釈もあるが、全体としてストレートな表現であり、幸福感にあふれている。モントゥーの作り出す音楽には、よく明朗とか暖かいとか評されることが多いようだが、同じ作曲家の同じ楽譜から得られる物理的音響にそう違いはないだろうに、なぜ彼の作り出す音楽にそのような感触を得ることが多いのだろうか。不思議だ。

ベル・エポックを代表するような人生や、美しい方の性(女性のこと)に愛された(吉田秀和)といわれる指揮者の人生、人柄がこのような音楽を成し遂げたのだろうか?(人格が音楽に反映するということの不思議さ。やはり人音楽というものは人間(の集団)の感情が作り出すものなのだろう)

同じく吉田秀和「世界の指揮者」によると、あの長い指揮棒を使いながら、非常に精緻な指示を行っていたのだという。即物的というと感情の通わぬ物質的な冷たさを連想させるが、彼の音楽はストレートではあるものの、それが非常な音楽的洗練によって昇華され、知的で明朗な表情を取るのかも知れない。

録音は少々古い年代のものなのでテープの伸びで左右チャンネルがぶれるような部分もあるが、ロンドンのオケとは思えないほど輝かしく透明な音響になっているのには驚かされる。

これらの録音でも、ハイドンと同様ヴァイオリンの対抗配置が実に効果的だ。また、木管のソリスティックな活躍も楽しい。

曲目の中で特に印象に残ったのは、第4番だった。ランキングなどではカルロス・クライバーのあのライヴ(Orfeo盤)が圧倒的な支持を集めているようだが、このモントゥーの作り出す第4番も、北方の巨人に挟まれたギリシャの乙女のたおやかさや慎ましやかさよりも、溌剌として快活な音楽になっている。これまで自分がなんとはなしにモントゥーに抱いていたイメージは、洗練された穏やかな音楽を作る人というものだったが、先のハイドンでも感じたように、各パートの音楽が明瞭に奏でられる緻密さをもちながら活気あふれる音楽だ。

このCDに含まれる演奏は みー太の音楽日記のみー太さんが 
音楽日記245 モントゥー(2) ベートーヴェン 交響曲 第5番 運命 で取り上げられている。(モントゥー/ACOの英雄も別記事にある。) モントゥーはいまだに人気が衰えないようで、ブログでも取り上げる方が多いようだ。

【追記】今晩、第7番を終楽章まで聞いてみた。これは、すごい。まったく暑苦しくなく、明晰で光彩陸離たる演奏だ。フィナーレは相当のアップテンポだが、ディオニソス的な饗宴ではなく、アポロン的に均整が取れながら、颯爽と突っ走るすごい音楽になっている。

p.s. 2006/10/28 ピースうさぎさんのブログでこのCDに含まれている4番7番の記事を拝見しトラックバックさせてもらった。

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リオ地球サミット 伝説のスピーチ

セヴァン・スズキというカナダ生まれ日系4世の12歳の少女が、1992年のリオデジャネイロの地球環境サミットで、各国代表を前にスピーチを行った。地球環境問題に関する「伝説のスピーチ」と呼ばれるようになり、紹介されている。

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2006年6月25日 (日)

日本の管弦楽曲 黛「舞楽」、小山「木挽歌」 岩城/N響など 

Japanes_orchestra_iwaki

故・岩城宏之氏を偲ぶために彼の指揮が収録されているCDを探して職場の近隣のディスクショップをのぞいてみたら、追悼盤ではないが、DENONから「ノヴェンバー・ステップス~日本の管弦楽曲 岩城、他」というタイトルのCDが発売されており、買いもとめた。

武満徹「ノヴェンバー・ステップス」(1967) 若杉弘指揮 東京都交響楽団 <1991年、武満徹の監修による録音>

黛敏郎 バレエ音楽「舞楽」(1962) 岩城宏之指揮 NHK交響楽団 <1967年>

小山清茂 「管弦楽のための木挽歌」(1957)指揮 岩城宏之 NHK交響楽団 <1977年>

外山雄三 「管弦楽のためのラプソディ」(1960) 尾高忠明指揮 読売日本交響楽団 <1980年>

子どもたちとは、長野県出身の小山清茂の「木挽歌」と親しみやすいと思った「ラプソディ」を一緒にステレオで聴いたが、いつも西洋クラシック音楽を聴いている父ちゃんが、急に和風のお囃子やメロディーを聞き出してびっくりしようだった。

黛敏郎の 舞楽は、初めて聴いた曲だが、聴きなれた他の三曲と比べても一番聞き応えがあった。高校時代、ラジオ放送で民族主義者として建国記念の日にパトリオティックな行動をとった彼のことを報道しているのを聞き、驚いたことがあった。なぜあのような目が据わった表情をするのかもいつも不思議に思っており、これまで彼の作品をあまり聴く機会がなかったのだが、今回聞いた曲は非常に興味深かった。

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ゲド戦記 第5巻 「アースシーの風」

原題 The other wind もう一つの(あの世、別世界)の風 とでも訳すのだろうか?

日本語訳が出版された頃、それまでハードカバーをすべて購入していたのに、このときだけは妻が図書館の順番待ちで借りてきてしまったのでそれを借りて流し読みしただけなので、すっかり細部を忘れてしまっていた。先日、「ゲド戦記 外伝」を読み返してみたので、この巻も購入してじっくり読んでみたいと考えたのだが、最近ゲド戦記シリーズもアニメ映画公開に併せて全巻ペーパーバック化され、書店の中には高価なハードカバーを置かない店も増えてきて、なかなかハードカバーが見つからなかったのだが、ようやく先週見つけて購入した。

先日、「ゲド戦記 外伝」を読み返してこの「アースシーの風」の前提になるエピソードを把握できたこともあり、比較的容易にこのストーリーに没頭できた。大地の力、太古の言葉、竜と人の起源、魔法、辺境の人々、愛、不死願望と死などが語られ、大団円では少々読みこなせない部分もあったが、壮大なファンタジーの終結にふさわしい幕切れだった。

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戦艦のプラモデルを作製

駆逐艦 朝霜 ウォーターラインシリーズ 

次男がプラスチックモデル(プラモデル、プラモ)に興味を持ち出し欲しがった。
図書館でプラモデルの工作ガイドブックを借りてきて熱心に読んでアピールしている。連休に妻の祖母に会いに行ったときに、すでに物故した祖父が第二次世界大戦で、旧日本海軍の軍人で横須賀や横浜に勤務しており、祖母と妻の母たち子どもも一緒に神奈川で育ったことが話に出たこともあり、旧軍の戦艦に興味を持ったようで、長男のモーターでの航行が可能な「長門」と一緒に、駆逐艦 朝霜を購入したのだが、とうとう雨の日曜日に作ることになってしまった。

700分の1とかのスケールで、精密モデルのためあまりにも細かすぎてて非常に苦労した。別売りの専用の液体接着剤(タミヤの「セメント」有機溶剤入り)を使ったため、以前プラモを作製するときに苦労した接着は結構うまくいったが、老眼気味の目では細かい部品の切断、接着は大変だった。結構バリがあるし、差込穴の太さも合っていないものが多い。昔のプラモはもっとよく出来ていたイメージがあるのだが、どうなのだろう。

さて、この朝霜という駆逐艦は、戦艦大和の最期の戦闘で、大和を護衛しながら1945年沖縄へ向かう途上で撃沈されたと、このモデルの箱やネット上の資料にも出ている。

しかし1942年にガダルカナル沖で撃沈されたという朝霧と混同する情報もある。どちらが本当なのだろうか。

◆朝「霧」が大和と行動をともにして戦没したというもの

http://www.gene.ne.jp/~lagoon/essey/yamato.html
沖縄特攻突入作戦命令を受け、徳山沖で燃料4000トン搭載
軽巡洋艦矢矧、駆逐艦8隻(朝霧・浜風・磯風・霞・涼月・冬月・雪風・初霜)とともに徳山沖出撃

◆朝「霧」は1942年に戦没したというもの。
http://homepage2.nifty.com/nishidah/stc0423.htm
朝霧
(第47号駆逐艦) Asagiri
(ex-DD-47) 昭 2 佐世保工廠 1928.12.12 1929.11.18 1930. 6.30 一等駆逐艦 1942. 8.28 戦没
(航空攻撃/ガ島附近)
[08S, 160.10E]
1942.10. 1 除籍

http://military.sakura.ne.jp/navy/d_hubuki.htm

「朝霧」(2代目)
1930年 6月30日 佐世保工廠にて竣工。建造途中までは「第四十七号駆逐艦」と呼称
1941年12月~ 太平洋戦争に参加。マレー攻略、エンドウ沖海戦に参加
1942年~ ベンガル湾機動作戦、ミッドウェー作戦などに参加
      8月28日 ガダルカナル輸送作戦に従事中、米軍機の攻撃を受け沈没
     10月 1日 除籍

結論:やはり大和と行動をともにしたものは、朝「霜」で、朝「霧」ではないようだ。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3853/yamato.htm

霧と霜が似ているので、間違ったものと思われる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E6%B0%B4%E4%BD%9C%E6%88%A6

この関係で、旧日本海軍のホームページを見ていたところ、大学時代講義を受けたことのある池田清教授のことを思い出した。国際関係史の講義を受けていたころは知らなかったが、その後司馬遼太郎のエッセイで、教授は海軍兵学校を卒業後、イギリスのオックスフォード(またはケンブリッジ?)に留学したことがあったのだという。学寮での立ち居振る舞いにまったく不自由を感じず、周囲の学生にも、なぜあなたは小難しい起居動作がそれほどスマートにできるのかと尋ねられ、海軍兵学校時代に身につけさせられたもののことに思い至ったというエッセイだった。イギリス海軍の訓練方式を導入した明治日本の軍隊教育が、時代を超えて終戦後の学者の起居動作に生き残っていることを、その本家で実感するという不思議さが面白かった。現在は旧日本海軍関係の一般書も書かれているようだ。

追記:2010/7/21(水) 本屋で、池田清教授の『海軍と日本』(中公新書632)が数冊並べて置かれており、購入した。後付を見て驚いた。上記の記事を書いた2006年の、4月に逝去されていたことが書かれていた。御冥福をお祈りしたい。この『海軍と日本』は1981年発行であり、教養部から学部に進学した年で池田教授の講義を聴講した年だったのに、その発刊を知らなかった。当時の生協書籍部では、原理主義的な反戦平和が唱えられていた時代でもあり、このような著書は自分の大学の教授の著書であったもあまり話題にならなかったのかも知れない。当時読んでいたら、どうだっただろうか?政治学史のゼミで一緒で、後に大学の教授になった人物は確か池田教授のゼミにも属していたはずなので、彼などは読んでいたかも知れない。

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映画「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」(シリーズ第4作)

昨年映画公開され、最近DVD発売されたものが近所のビデオ屋で通常値段でレンタルしていたので借りて見た。

原作は第4巻から急激にボリュームが増えて冗長度が増したが、映画では原作のその点をほどよく端折ってほぼ1時間半程度の長さにまとめていた。先日日本語版が発売された第6作「不思議な王子」を読んだばかりで、その後第5作、第4作と逆の順で読み直していた最中だったので、原作の長さと映画の要領のよさの対比が余計際立った。

原作が、ハリーたちの生活の細部や錯綜する人間関係を描きこもうとするのは分からないではないが、くどさは免れがたい。第5作「不死鳥の騎士団」も第6作「不思議なプリンス」も同じく長すぎるし、その長さを受け止めるにしてはクライマックスの緊張感が不足しているのではなかろうか?ストーリーテリングに特化していて、情景・心理描写が乏しいのもいっそう気になる。

映画の少年・少女の俳優たちは、事前の宣伝では急激に大人びたような様子に見え、14歳の設定にしては年齢的に無理なのではと危惧したが、映画本編では14歳頃のローティーン的な幼さも残っており安心した。赤毛のウィーズリー兄弟の毛色があまり赤くないのは気になるしロンの妹ジニー、ボーバトンのフラーはもっと美少女の方がよいか。ヴィクトール・クラムは原作ではそれほどmachoではないはずなのだが、相当の筋骨隆々の俳優が演じている。マダム・マクシームはどのように撮影したのか、2メートル以上ありそうな巨大さが凄いが、少々年齢が高すぎるのではなかろうか?

それにしても、マッド・アイ・ムーディーに、バーティー・クラウチ・ジュニアがずっと化けていて、それをダンブルドアやマクゴナガル、スネイプ等が気が付かないというのは設定としてはあまりにもおかしい。原作を初めて読んだときには驚いたが、再読してみるとあざとい設定過ぎて、ハリーたちの周囲の大人たちがうかつすぎ無力すぎるのではなかろうかと感じてしまう。このシリーズ全体に言えることだが、遡行して読み進めることにより設定の粗がよく見えるようだ。シリウス・ブラックが、アズカバン送りになったことは、周囲があまりにもおろかだったことを示すものでしかない。あまりにも魔法省がチープすぎる。

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2006年6月22日 (木)

セル/CLO ドヴォルザーク 交響曲第8番 EMI盤

Dvorak8_szellドヴォルザーク 交響曲第8番 ト長調 作品88

スラヴ舞曲ホ短調 作品72-2
スラヴ舞曲変イ長調 作品46-3

ジョージ・セル指揮 クリーヴランド管弦楽団 <1970年4月 クリーヴランド>


ジョージ・セルを愛好しているなどと言っておきながら、彼の最も人気のある彼の音盤のひとつ ドヴォルザークの交響曲第8番 1970年録音のEMI盤をこれまでLPでもCDでも所有していなかった。FM放送などでは聴いたことがあるとは思うのだが、これまで店頭で見かけても持ち前の天邪鬼さが頭をもたげて購入することはなかった。理由のひとつには、以前購入したCDで、すでにホームページにもこのBLOGにも書いたが、セルが逝去の年1970年に同じEMIに録音したシューベルトの大ハ長調の録音が部分的にビリツキなどが聞こえるもので、その悪夢を再現させたくないというのもあったかも知れない。

今回、セルに対して礼を失してしまうようだが、中古店のいわゆるセットものの分売に収録されていたCDを見つけて、はずれでもいいと少々気軽に構えて購入してみた。

これまで聴かなかった不幸を嘆くべきか、それとも今日聴くことができた幸運を言祝ぐべきか。

このEMI盤の録音は、CBS録音の比較的残響の少ない音響に比べて段違いにふくよかな演奏になっている。

吉田秀和が、「私の好きな曲」で「ドヴォルジャーク 交響曲第八番」を取り上げた際に、クーベリック/BPOによるドヴォルザーク交響曲全集盤の第8とともに、このセル/CLOのEMI盤を推薦している。

「セルの整然と一糸乱れぬ中にやさしさを込めた演奏」

「クーベリックのは、もっとダイナミックな動きにアクセントがおかれた、たくましい、そうして人間くさい演奏」

交響曲もスラヴ舞曲もそれまで聞かれなかったゆとりのある音響であり、表情の付け方、テンポの揺らし方も禁欲的ではなくなっている。セルの演奏というCREDITを知らずに漫然と聞けば、CBS盤の1958年録音とは別人の録音のようだ。楽曲を俯瞰的にそして細密にヴィヴィッドに描き出すスタイルをもっているというイメージの強いセルの指揮だが、このディスクでは、融通無碍の境地にいるかのように柔らかな表情が印象に残る。

この演奏を取り上げたBLOGは数多いようだが、相互に訪問させていただいているBLOGでも賞賛が多い。

先年、セル/VPOのザルツブルクライヴを購入したとき、それこそ続けて何度聴いても飽きなかったのと同じ轍を踏みそうだ。

電網郊外散歩道

クラシック音楽のひとりごと 

コンポーザーXのクラシックCD批評

当BLOG CBS盤の記事 


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ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界から」 ノイマン/チェコフィル

Dvorak_neumanドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 「新世界から」 作品95

ヴァーツラフ・ノイマン指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 <1981年録音>

ノイマンは、ソ連崩壊、東欧の自由化まで、東側で活躍した指揮者で、名門ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団なども指揮したことがあった。クラシック音楽が活況を呈していた黄金の1970年代、チェコフィルと言えば、このノイマンだった。古い向きでは、ターリヒだとかの名前が挙げられていたが、田舎で普通に入手できるのはこのノイマン盤だった。LPレコードで持っているのは、この録音か、もしこの前に録音しているとすれば、そちらかも知れない。このCDは、まだCDが発売された初期のものらしく3300円という値段がついているもの。

刺激の強いケルテス/VPOや、精密なセル/CLOなどいろいろな新世界を聞いてきたが、久しぶりに聞いたノイマンとチェコフィルは、少々管楽器がくすんで聞こえるのが気になる程度で、刺激的でもなく、精緻でもないが、しっくりくる音楽になっている。ふるさとに戻ったような気安さが感じられる。(演奏そのものが緊張感を欠いたのんきなものというわけではないのだが)。

録音は、少々音量レベルが低いように感じた。

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2006年6月20日 (火)

ショルティ シカゴ響 ボレロ 春の祭典 牧神の午後への前奏曲

Solti_bolero_

ラヴェル ボレロ <1976年5月>
ストラヴィンスキー 「春の祭典」<1974年5月>
ドビュッシー 「牧神の午後」への前奏曲<1976年5月>
サー・ゲオルク・ショルティ指揮 シカゴ交響楽団

ブックオフで最初見たときはなんと珍妙なコンピレーションか、と思ったのだが、よく考えてみると、すべてバレエ音楽で、さらに考えてみると、これはロシア・バレエ団(バレエ・リュス)の委嘱曲だと思い至った次第。ナイス!(と思ってよく調べたら、ボレロバレエ・リュスからの委嘱作ではない模様。残念!)

前にも書いたが、1970年代、ショルティ/シカゴがデッカの看板として全盛の頃は、敢えてショルティで聞きたいとも思わなかったため、ほとんどショルティの音盤は買ったことがなかった。LP時代では、ロンドンフィルとの「惑星」、マーラーの8番程度しかなかった。CDでは、「ヴァルキューレ」、ブルックナーの第九程度。そんなわけでショルティの指揮するものを聴くのは、ほとんどが初めてなので、結構新鮮だ。

微妙な中間色的ニュアンスには乏しい音楽を作り出した人で、その微妙なニュアンスにこそ非常に大切な音楽的な意味がある場合には、それこそショルティの音楽は無味乾燥になりがちだが、逆にソフトフォーカスで雰囲気的に演奏されがちな音楽が、ピントがシャープに合った極彩色の写真のようにくっきりとしたコントラストをつけてたち現れるのもある意味で面白い。このCDでは、その意味で最も面白く聞けたのは、「牧神の午後」への前奏曲だった。また、ボレロの方も、名人オーケストラの精密さが全開で、ショルティの精密なクレッシェンドの妙技を聴くことができる。ショルティは自ら音程の正確さとともに音量の大小もディジタル的な感覚で把握できたらしい。

「春の祭典」は、第二部が面白かった。

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2006年6月19日 (月)

のだめカンタービレ第15巻

税込み410円

のだめ「初リサイタル」の巻、真一マルレオケ オーディションの巻。

モーツァルト尽くしで趣向がこらされており面白かったけど、このまま進むとフィナーレはどうなるのだろう?


追記
酒とばらばらの日々のかにさんからTBをいただいた。


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2006年6月18日 (日)

ベートーヴェン チェロ作品集 フルニエ(Vc) ケンプ(P)

Beethoven_fournier_kempf
アンナー・ビルスマの生演奏によってその魅力に開眼?したベートーヴェンのピアノとチェロのための作品だが、何度聞いても感激し面白いので、いつの間にか音盤が集まってきて、以前にもチェロ・ソナタ第3番の聞き比べをしてみた。ロストロポーヴィチ&リヒテル、フルニエ&グルダ、ビルスマ&インマーゼール、ローズ&グールドなど。

今回は、評判の高いこのディスクが、2枚組みでなんと1500円ほどで入手できた。チェロソナタ全5曲、変奏曲3曲。1枚に約70分収録。

1965年のパリでのライヴ録音だということで少々危惧したが、ほとんど雑音はなく、拍手も収録されていない。楽譜がないので、細かくチェックしたわけではないが、聴覚上では演奏ミスもほとんどないようだ。いや、むしろ相当興が乗った演奏を相当透明で迫力のある音色で聴くことができる。晩年のケンプが来日したおりには、相当ミスタッチが多かったということを読んだことがあったが、ここではそのようなことはまったく耳にすることはなく、音楽に浸ることができる。

現在所有している上記のディスクはどれも聴き応えのあるものだが、ことにこのフルニエとケンプのものは心に沁みる。

録音も古い録音とは思えないほどで、フルニエのチェロの低音の雄弁さ、高音の繊細さ、ケンプのピアノの透明な響きがよく捉えられている。名盤ランキングなどで必ず上位に来る音盤のようだが、なるほどと思った。

(このディスクの第3番のソナタを聴いて、グルダとの録音を聞きなおしてみたら、音程が微妙に違うように聞こえた。)

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プリンタが突然不調

Hpprintertrouble
昨年9月に購入したPC&オールインプリンタだが、昨夜から突然プリンタが不調になった。書類をコピーしていたところ、二重に印刷されたり間があいたりする。どうやら用紙のフィードがうまくいかないようで、トビが起こっているようだ。メンテナンスをいくつかやってみたが症状は治まらない。

おそらく湿度の問題だとは思うのだが、この程度の湿度で不調になるようでは実用性が低い。超格安機なのであまり贅沢はいえないのだが。

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2006年6月15日 (木)

今年の我が家の昆虫館

現在飼育している昆虫。

カブトムシのオス。幼虫から育てたが、蛹化するときなぜか上手く蛹室を作れなかったためか、羽の羽化がうまくいかずかわいそうな格好になってしまったが、元気。

カイコ。こどもが小学校の観察学習で三匹もらってきた。今の時代、桑の葉はなかなか入手困難だが、いまだ自然が豊かな地帯なので、子どもが幼稚園時代に保母さんに連れられて幼稚園の近所に桑の実を食べに行ったことを覚えていて、その場所に探しに行った。葉だけでは見分けがつかなかったのだが、桑が緑色の実をつけていたので、桑の木だとわかって収穫できた。与えたところ元気に食べている。感激した。冷蔵庫に保存すると一週間は保ってくれる。

オオクワガタの幼虫。昨年購入したもの。菌糸瓶で飼育中だがどうなることか。大阪府出身。

コクワガタ。昨年マンションのベランダや玄関などで運良く採集できたものが一年経っても生き延びている。

昨年は、鈴虫の二世代目が孵化したのだが、今年はだめなようだ。

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2006年6月13日 (火)

指揮者 岩城宏之氏逝去 哀悼の意を表します

YAHOOニュースを先ほど見たところ、岩城宏之氏が逝去したとのニュース見出しを見つけ、愕然とした。

最近、入院されたとのことで、pfaelzerweinさんが心配されていたが、その後、復帰したというような報道に接していたし東京混声の記念演奏会にも出演していたとの記事も読んでもいたので、安心していた。

先日、バルトークの2台のピアノと打楽器のためのソナタの記事で、岩城宏之氏の打楽器を思い出したばかりだった。

中学生以来、「岩城音楽教室」など彼の著書に触れる機会があり、その後岩波新書のエッセイ「楽譜の風景」などで親しい存在だった。週刊朝日のショートコラムも愛読していたこともあった。

生演奏には触れる機会はなかったが、N響正指揮者として、テレビやFMでその指揮に触れる機会は多かった。N響とは、早い時期にコロンビアにベートーヴェンの交響曲全集を録音している。

故・山本直純氏とは、芸大出身で親しかったようだ。「森の歌」にその頃の愉快なエピソードが書かれていた。

日本人としてはじめてヴィーンフィルの定期に出演するなど、同世代の小澤征爾氏と張り合うように活躍し、海外ではオーストラリアのメルボルン響で活躍、金沢でオーケストラ・アンサンブル金沢を立ち上げるなど実績を積んだ。最近のベートーヴェン交響曲連続演奏が、キャリアの最後を飾ることになった。

昨年だったか、テレビの夫婦が出演するトーク番組で、夫人の木村かをり氏と一緒に出演したのを思い出す。

同時代の指揮者として、朝比奈隆氏のようなカリスマ的な名声や小澤征爾氏ほどの世界的なスターとしての名声はなかったと思うが、病床で木琴の魅力に取り付かれた少年がその後研鑽を積み、芸大の打楽器科に入学し、その後、数奇な運命を経て、日本を代表するNHK交響楽団の指揮者に就任、その後ベルリンフィルやヴィーンフィルまで指揮をするという実力を備え、現代日本の音楽演奏に大きな功績を残された。庶民的な親しみやすい人柄で、文章も巧みだった。

【追記】1 Wikipediaでは、すでに逝去という記述になっている。ドイツのあのバンベルク響の常任も務めたこともあったという。また、ヴィーンフィルの定期は、ハイティンクの代役で、そのときの模様は、岩城氏の「フィルハーモニーの風景」で語られていた。何が何でもという決死行でヴィーンに駆けつけたのだという。また、ハイドンのテンポ設定についてヴィーンフィルの古参奏者にアドバイスを受けたことも書かれていた。

【追記】2 yahoo blog検索で、マエストロ日記というBLOGで「訃報・指揮者岩城宏之氏死去
を拝見。著書「岩城音楽教室」、バルトーク「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」の記載に共感して、TBを送信させてもらった。

【追記】3 6/16(金)の深夜 NHK BS2で追悼番組として、岩城氏が最後に登場した?1997年のN響の定期公演での「悲愴」交響曲の演奏を放送しており、ビデオに収録して聴いた。池辺晋一郎氏が喪服で出演されていた。オーボエの小島葉子氏やフルートの小出信也氏など懐かしいメンバーも演奏していた。この曲は、岩城氏がN響デビューで演奏した曲とのことで、その記念ということもあったのだろう。以前はよく耳にした曲だったが最近はあまり聞かなくなっている曲のひとつで、それもあってか非常に新鮮だった。現代オケを十分に鳴らした恰幅のいい演奏だった。

【追記】4 6/18(日)夜には、ちょうどサッカーワールドカップの裏になってしまったが、NHK総合で、「振るマラソン」コンサートを中心にして、岩城氏の追悼番組を放映していた。ビデオに収録してみた。

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2006年6月11日 (日)

バルトーク 2台のピアノと打楽器のためのソナタ アルゲリッチ、コワセビッチ

Bartok_2piano_percussion_argerich_kovaceバルトーク 2台のピアノと打楽器のためのソナタSz.110(1937/1938初演)*
モーツァルト 4手のためのアンダンテと5つの変奏曲ト長調 K.501(1786) (1台ピアノの連弾)
ドビュッシー 白と黒で (2台ピアノ))(1915/1915出版)

*打楽器: Willy Goudswaard, Michael de Roo
<1977年5月録音>

おかしなジャケットだが、英国の「グラモフォン誌」による年度賞を受けたものをユニバーサル・インターナショナル(に属する フィリップス、デッカ、ドイツグラモフォン)が Awards Collection というタイトルで売り出しているものしか見つからなかったので、これを購入した。中古でないCDの買い物は久しぶり。次男と妻がキャンプに出かけて、参加しなかった長男と二人で町まで買い物と食事に出かけた。他に、フルニエ&ケンプのベートヴェンのチェロソナタ集(2枚組み)、ABQによるベートーヴェンの初期弦楽四重奏曲作品18の6曲セット(中期と後期はスタジオ録音だったので、これで同じ録音が全部揃えられたと思ったらこの初期のものはその後のライヴ録音のものだった)、それにこれまでまともに聴いたことのなかったシューベルトの「白鳥の歌」シュライヤーとシフによるもの。これらについては、おいおい書いてみたいと思う。

さて、バルトークの曲だが、最初に聴いたのは、高校の音楽の授業だったと思う。鑑賞教材にこの曲が入っていた。そのときはエネルギッシュな音楽だとは感じたと思うが、古典派からロマン派に夢中だった当時は、この曲の面白さはあまり分からなかった。(音楽の先生は、ツトム・ヤマシタという打楽器奏者が、通常二人で担当するこの難曲を一人でこなしたことがあると賞賛していたのを覚えている)。大学になってこの曲に触れたのは、指揮者の岩城宏之がパーカッションを担当(彼は芸大の打楽器科の出身)、夫人の木村かをりがピアノを弾いた演奏会をFM放送でエアチェックしたときだった。それ以来、バルトークの曲としてはオケコンと並んで親しんできた作品だが、これまで音盤を入手する機会がなかった。

アルゲリッチは、DGにネルソン・フレーレと組んで録音したものもあるようで、彼女の好きなレパートリーのようだが、コワセビッチとのフィリップス盤は、1977年5月に録音されたもの。

バルトークの作曲年表を見ると、代表的な傑作、弦チェレとヴァイオリン協奏曲第2番にはさまれて作曲されている。

1936 弦と打楽器とチェレスタのための音楽
1937 2台のピアノと打楽器のためのソナタ (1940 同管弦楽付き)
1937/38 ヴァイオリン協奏曲第2番

弦チェレ、弦楽オケのためのディヴェルティメントと並んで、バーゼルの国際現代音楽協会からの委嘱により作曲されたもので、初演はバルトークと彼の2番目の妻ディッタがバーゼルで行った。

打楽器:3台のティンパニ、シロフォン(木琴)、2台のサイドドラム(一台はスネア:響線付き、もう一台はスネアなし)、シンバル、宙吊りシンバル、バスドラム、トライアングル、タムタム。(いくらツトム・ヤマシタでも一人ではこれは無理ではなかろうか?)

【追記 ツトム・ヤマシタ 2台のピアノ でGoogle 検索したところ、ツトム・ヤマシタが一人で演奏したという記事を発見した。shinchanという打楽器奏者の方の日記 2003年01月24日(金)

第1楽章:Assai lento の序奏部を持つソナタ形式。主部はAllegro molto。ピアノと打楽器が多彩に交錯する。第2楽章のLent, ma non troppo の緩徐楽章は、「夜の音楽」的な音楽になっている。Allegro non troppoの終楽章の爽快な運動性は、ちょうど「弦チェレ」「オケコン」や、弦楽四重奏曲第四番のフィナーレと同じ性格を持っている。鹿爪らしい難解さだけではなく、彼の音楽には心を浮き立たせるリズミカルな運動と、質朴な民謡性があるのが、やはり生命力を失わない要因のひとつではなかろうか?(自分の好みがそうなのだが)。

なお、このようなユニークな編成の曲を同時代の他の作曲家たちは書かなかったのだろうか?

アルゲリッチと組んでいるスティーヴン・(ビショップ)・コワセビッチは、一時アルゲリッチと結婚したこともあったアメリカ生まれのピアニストで、先日読んだジャクリーヌ・デュプレの本にも、一時期デュプレと同棲していたこともあったと書かれていた。優れたピアニストという評判を聞いたことがあるが今はどのような活動をしているのだろうか?この演奏は、左から聞こえるのが第1ピアノで右が第2ピアノだろうが、やはりクレジットで先に書かれているアルゲリッチが第1だろうか?

HMVの現行盤は10種類ほどあるようで、なかには作曲者、初演者バルトークとディッタによる演奏も入手できるようだ。

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ソコロフのラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 

ツィメルマンのリストを聴き、それから彼のレパートリーとしては意外な「ラフマニノフ」の録音を聴いてみて、少々記憶がよみがえった演奏があった。

グレゴリー・ソコロフがソ連のオケと来日したときのラフマニノフだ。彼は、このときの紹介でも、チャイコフスキーコンクールを弱冠10代で制覇したと書かれていたが、そのような才能の持ち主が、なぜ(言っては悪いが)1991年の(ムラヴィンスキーが指揮した団体とは異なる)レニングラード・フィルハーモニー交響楽団の(またまた言っては悪いが)少々ドサ回り的な強行軍に同行してきたのだろうかと不思議に思った。コンクール後、スランプに陥ったか何かで、西側に名前が売れなかったのかも知れないとも考えた程度でソコロフについては、その当時はまったく知識がなかった。

その後、ソコロフのことを思い出すことはなかったが、最近、ネットであるピアニストのBLOGを読み、その人が非常にソコロフを高く評価していることを知った。ネットで検索してみても、一部では「最高」との評価を得ているようだ。パリでのリサイタルのDVDが発売されているようだし、CDも何枚か出ているようだ。

1991年の彼らのコンサートツアーは、このサイトの情報では、この通り。今から思うと、1991年8月にソ連が崩壊したばかりで、指揮者、楽団員、ソリストとも、以前に結ばれた契約に基づくとはいえ、非常に不安定な状況下での演奏だったのではないか。

長野県須坂市のメセナホールは、この年か前年に完成したばかりの、地方都市には贅沢なほどのホールだが、100人を超すフルオーケストラとピアノを舞台に並べると狭いほどで、また音響的に残響時間が長めなのが特徴なのだが、これだけのオケの大音量だと特にブラスの強奏では響きが飽和してしまい、少々聞き苦しくなることがあった。

このときソコロフではなく、1990年にチャイコフスキーコンクールで優勝したばかりの諏訪内晶子もソリストとして同行していたので、自分自身も諏訪内が来てくれればなどと思っていた。

さて、そのソコロフだが、丸々とした体型の40代の壮年のピアニストで、100人を超すような大オーケストラをバックにラフマニノフの2番という有名曲を演奏してくれたのだが、残念ながら正直あまり印象に残っていない。(そういえば、この曲、小林研一郎がモスクワフィルと長野に来演したとき、ダン・タイ・ソンがソリストで弾いたのだが、そのときもあまり印象に残らなかった。)

印象に残らないのは理由がある。実演で聴くこの曲は、録音とは異なり、ピアノの音が分厚いオケに埋没しがちで、そう細かい部分までは聞き取れない。だから、そういう意味では、ツィメルマンの録音のようにあれほど細かい音がちりばめられているのは実演では聞き取れるほうがまれだと思う。

とはいえ、ソコロフを実演で聴けたのは、今となっては貴重な体験だったかも知れない。


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1991年
レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
(指揮者:アレクサンドル・ドミトリエフ)

12月11日:須坂メセナホール
ムソルグスキー/はげ山の一夜
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番(P/グレゴリー・ソコロフ)
チャイコフスキー/交響曲第5番

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2006年6月 8日 (木)

リスト ピアノ・ソナタ ツィメルマン

Liszt_zimermanリスト ピアノ曲集 ツィメルマン (DG POCG-1467 431 780-2) <1990年録音>

☆ピアノソナタ ロ短調、灰色の雲、夜、悲しみのゴンドラⅡ、葬送曲

自分のホームページからの引用。今宵も、昨夜から聴いているリストのピアノ曲集を。

1993.07.14(水)コメント:このところ、リストのピアノソナタが著名ピアニストの間でブームであるようで、ポリーニ、ポゴレリッチ、そして以前からリストのスペシャリストであるブレンデルもあいついでレコーディングをしている。このCDは5月のツィメルマンのリサイタル(長野県岡谷市 カノラホール ショパン ピアノソナタ第3番、ドビュッシー映像、シマノフスキ?)を聞いたあと、記念にと購入したもの。パンフレットにその素晴らしさがつづられていて興味を持った。以前にFMラジオをよく聞いていたころ何回か耳にしている曲だが、今回初めてじっくり耳を傾ける。7:53あたりの右手のパッセージはすごい。しかしもっとレガートの方が快い。この曲は盛期ロマン派の産んだラプソディックかつ構成的な曲である。19:50からフガート的な部分に入る。リストの白髪の肖像が思い浮かぶ。25:00からのきらめくようなパッセージ。「灰色の雲」は本を読んでいるうちにうっかりとききのがすような静かな曲。「夜」には、ハンガリアン・ラプソディーの反響がきこえる。「悲しみのゴンドラ」はワーグナーの死と関係があるのだという。その意味で、ブルックナーの交響曲第7番の第2楽章と兄弟のような関係。ブルックナーの方が美しいが。「葬送曲」は余りに有名なショパンと比較してしまう。レチタチティーヴォ風。ショパンの英雄ポロネーズのパロディーが後半に聞こえる。

結婚前の妻と一緒に聞きにいったリサイタルの日付があいまいになっていたのだが、長野県岡谷市のカノラホールのホームページを見つけて調べたところ、1993年5月16日(日)が クリスチャン・ツィメルマン ピアノリサイタル だったことが分かった。ドビュッシーの「映像」、ショパンのピアノソナタ3番、シマノフスキ?、何度も呼び出された末の最後のアンコールは誰とは知らない単純なスケールの練習曲のようでくつろいで弾いていたようだったが、このピアノの響きが絶品だった。

ちょうど今、クリスティアン・ツィメルマンが来日しており、今夕の夕刊に、岡田暁生氏による京都でのリサイタルの評論が掲載されていた。写真を見て驚いたが、ツィメルマンも風貌に年季が加わった。完璧主義は相変わらずらしい。今回もおそらく自ら調律したピアノを弾いたのだろう。モーツァルト10番、ベートーヴェン「悲愴」、ラヴェル「高雅で感傷的なワルツ」、ポーランドの女性作曲家のソナタ2番、アンコールにガーシュイン。

「細部の完璧さにこだわりなおかつそれを実現するがゆえにベートーヴェンやショパンではベルカント的な興に乗って一気呵成に奏でる音楽の魅力が損なわれたという」趣旨の評を読み、なるほどと思った。レガートで音をつなげて弾く能力など当然過ぎるほどもっているのだが、全体の流れを阻害しても敢えて彼は細部の明瞭さを求めてなのか(グールドほど極端ではないが)ノンレガート的に弾くように解釈する傾向があるように思える。

自分でも「7:53あたりの右手のパッセージはすごい。しかしもっとレガートの方が快い。」のように感じたし、シューベルトの即興曲集でも同じような印象を持った。ただ、小澤とのラフマニノフの2番などは、逆にそのような細部へのこだわりが、曖昧模糊とした響きの曲かと思い込んでいたこの曲を、力技で見通しのよい響きの透明さを持つ楽曲に変えてくれてもいた。複雑な構成で、響きが濁り勝ちな曲ほど彼の力が発揮されるとも言える。

P.S. いつも迷うのだが、Zimerman のカタカナ表記はどれがポーランド語音に一番近いのだろうか? 私はツィメルマンを使っているがDGの表記はツィマーマンとなっているし、ジメルマンというのもある。英語風の読み方ではジマーマンもありそうだ。この件で、この「赤・白・緑 ハンガリー」というブログのコメント欄に参考になる書き込みを発見した。

マゼールも マーツェルとか呼ばれた時期もあったようだが。

6/16には 東京大学の安田講堂で、東京大学医学部の招きによりツィメルマンが演奏会とディスカッションを行うという情報がネットにあった。「ツィマーマン東大コンサートのおしらせ

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2006年6月 7日 (水)

リスト 超絶技巧練習曲集 抜粋 キーシン

Kissin_schumann_liszt

シューマン 幻想曲 ハ長調 Op,17
リスト 超絶技巧練習曲集より No.12 変ロ短調「雪かき」 No.11変ニ長調「夕べの調べ」 No.10 ヘ短調、No.5 変ロ長調 「鬼火」 No.8 ハ短調 「狩り」 1995年8月22日-25日 フライブルクでの録音

2001年4月29日に横浜のみなとみらいホールで、エフゲニー・キーシン リサイタルを聞いたおりに妻が購入したCD、これまでリストはまともに聴いたことがなかったが、昨夜のフジ子・ヘミングのリストの意味を確認するためにも、超絶技巧を持ち安定感のあるキーシンのリストを聴いてみた次第。

いずれも「超絶技巧練習曲」というだけあり、音の数がやたらに多くダイナミックも極端に幅広い曲が多い。胸苦しくなるほどのピアニズムを聞かせてくれる。ピアノも底鳴りがするほどよく響いている。テクニック、メカニックや音響的な面ではまったく間然とするところのない演奏であるが、聴いて何かが残ったかという、いつものリストのごとく、「あー、すごい音響ですね。それで何を言いたかったのですか?」という空虚が残されただけ。

リストは、少々瑕があっても楽譜通りの演奏より、フジ子の演奏の方が面白いように感じる。今晩も「泉のほとりで」「ます(シューベルトの歌曲をトランスクリプション)」、「ハンガリー狂詩曲第2番」を聞いたのだが、どれも面白かった。むしろキーシンのように洗練されるよりも、少々崩した方がリストは面白いのではなかろうか?

ハンガリー狂詩曲でも、生真面目にやられても内容の空虚さが浮き彫りになるだけだが、ストコフスキー張りに思い切りデフォルメするのは悪くないように思う。リスト自身、ピアノですべてを表現しつくそうと、清冽な「ます」までもきらびやかな衣装をまとわせてしまったほどの人物なのだから、必ずしもオリジナル偏重の必要はないのではなかろうか?

(ただ、今ツィメルマンの演奏で聞いている ピアノ・ソナタ のようなシリアスな曲もあるのだが)

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2006年6月 6日 (火)

フジ子・ヘミング 「奇蹟のカンパネラ」

Fujiko_campanella
帰宅時に最寄の本屋で「ピアニストの名盤―50人のヴィルトゥオーゾを聴く 」(平凡社新書 本間 ひろむ 著)という本を見かけ、ざっと立ち読みしてみた。CDで入手できる第一次大戦前後のE.フィッシャーあたりから現代のファジル・サイあたりまで50人のピアニストを概観した手引き書だが、めずらしく、日本のピアニストとしてフジ子・ヘミングが取り上げられていたのが興味深かった。リンクしたアマゾンのユーザー評では、これに異論を唱えている人もいるが、ミーハー的、ワイドショー的に取り上げられることが多いためか、いわゆる正統的な音楽評論の対象となることの少ないフジ子・ヘミングについて、綺羅星のごとき大ピアニスト、名ピアニストと並べてどのような紹介をしているかが興味があった。技術的な面での批判と、このようなピアニストがもてはやされるようになった日本の音楽市場の成熟?のようなことが書かれていた。

ちょうど推薦のCDが、長野でのリサイタルの記念に妻が買ったベストセラーCDだったので、今晩改めて聞いてみた。

曲目は、リストの7曲とショパンの3曲。リストには他の演奏のCDがないので、単独で聴くことになるのだが、ショパンは、ルービンシュタインとポリーニにリファレンスになってもらった。まずは、ショパンのエチュードOp.25-1,25-7をポリーニの有名なエチュード集から聴いてみた。その次にフジ子・ヘミングの演奏を聴いたのだが、フジ子の演奏の方が好みだと感じた。

「エオリアンハープ」と呼ばれるOp.25-1は、素朴なメロディーをアルペジオ風の細かい和音が彩る形の練習曲で、ポリーニはさすがにその細かいアルペジオを一点一画ゆるがせにせず楷書で演奏するのだが、メロディーラインの魅力はフジ子・ヘミングの方に軍配があがるように思う。また、Op.25-7はゆったりとしたレントのメランコリックな曲でチェロのソロがレチタティーボ的に語るような表現の幅の広い曲想だが、これもポリーニのは激情的な部分も極度の洗練で精密に弾けているという以上のものはあまり感じないが、フジ子・ヘミングの訥弁の方に訴えかける力を感じる。それに、音色はポリーニの国内盤の再発CDの音質があまりよくないのもあり、フジ子の録音の方がピアノの音の魅力を感じる。確かにピアニシモからフォルテシモまでのいわゆるピアノのダイナミックスの幅は狭いかも知れない。さすがに夜想曲Op9-2はルービンシュタインに軍配か?

私は、どうもピアニストの上手い下手というのがよく分からない(オーケストラもそうだが)ようで、ケンプの演奏が下手と言われても、少しの指のもつれが感じられるくらいなのを下手と言うのだろうかと思ったり、ハンマークラフィーアのあの複雑怪奇なフーガを明瞭に構成しているように聞こえるのだが、そういうのを幻想的で自由きままな演奏というなのだろうかと思ったりしている。だから、どうもフジ子・ヘミングの上手い下手もよく分からないのかも知れない。

リストは、有名な「ラ・カンパネラ」はよく聞くと、非常にたどたどしい演奏ではあるのだが、このいわゆるbravuraな曲を超絶技巧の持ち主といわれるピアニストの演奏で何度となく聴いたが、あまり急速に演奏するとピアノの鳴り方も充分でなく、音響的にも不満が出てしまい満足したことはほとんどなかったが、このユニークな「ラ・カンパネラ」は、単なるアクロバットではなく、きちんとしたメッセージをもった曲を聴いたという感想を持たせてくれるような気がする。他のリストの曲も、それまでリストは騒々しくつまらないと思い勝ちだったが、フジ子・ヘミングの演奏で初めて面白いと思った曲(小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ)もあるほどで、彼女のリストをもっと聴いてみたい気がする。

P.S. 2006/10/3  BLOG 今日の音色♪の ピアニストの論評♪ に コメント欄で付記した 青柳いづみこ氏の「フジ子ヘミング」の演奏への正面切っての評論について書かれているのをYAHOO BLOG検索で見つけて、トラックバックを送らせてもらった。

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2006年6月 5日 (月)

「風のジャクリーヌ」 

日曜日は読書にいそしんだ。

原題: "A genius in the family"

ブック・オフで目に留まり、購入。おそらく映画「本当のジャクリーヌ・デュプレ」の原作として興味をもった人が購入してから売ったものだろう。

ジャクリーヌ・デュプレ Jacqueline du Pre (eにアクサンテギュが付く)の姉と弟による回想録。

この回想録によるとデュプレ家は「英王室領のチャネル諸島」ジャージー島出身とされる。Wikipedia  によると、「オルダニー島(英国系)以外のジャージー島やガーンジ-島の住民はノルマン系フランス人で、今なお農村部ではフランス語ノルマン方言を話す。」とのことで、フランス系の姓 du Pre やフランス系の名前Jacquelineも出身地に由来するのだろう。アイルランドを訪れた際に、ヒースローでアイルランドに乗り換えするのに、英国のパスポートチェックがあって不愉快さを覚えたが、そのときに channel island という看板があり、どういう場所だろうと不思議に思っていたが、ようやくどのような場所かが分かった。

デュ・プレは英国生まれの弦楽器奏者では例外的にワールドクラスの名声を勝ち得た音楽家だったが、その出自からすると、多くの世界的チェリストを生み出したフランス、スペインに近い血統を持っているのではなかろうか?

デュプレの多発性硬化症(Multiple sclerosis, MSと略される)の悲劇はつとに聞き知っていたし、バレンボイムへのデュプレのファン側からの批判記事はいくつか読んでいたので、その点ではこの回想録の内容はショックではなかったが、ビショップ=コワセビッチ、リチャード・グードとの交際は知らなかった。

またカザルスのマスタークラスに参加し、パリでトルトリエ、モスクワでロストロポーヴィチに師事した。カザルスに対しては手厳しいしトルトリエも同様。チェロの音や弾き易さのために楽器に相当手を入れるということも初めて知った。ソ連留学では忌まわしい事件にも遭遇したという。

ジャクリーヌや姉弟が遭遇したイギリスの小中学校での「いじめ」についても言及されている。このような事例を読むと、いわゆる変わり者を「いじめる」というのは洋の東西を問わず、ヒト集団の特性なのではないかと思ってしまう。

非常にスキャンダラスな告白もあるが、全体としてジャクリーヌ・デュプレやバレンボイムのイメージを傷つけるような内容ではなかった。人間デュプレの赤裸々な姿が描かれていた。また、バレンボイムについては、比較的好意的に描かれていたのは意外だった。

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2006年6月 4日 (日)

多摩動物公園を見学

昨日6月3日は、新聞店のチケットプレゼントに当選したため多摩動物公園に行く予定だったのだが、前日の天気予報で小雨が降るとのことで躊躇していたところ、当日午前中になって降ってもたいしたことがないようなので、電車とモノレールを乗り継いで訪れた。

モノレールの始発駅、多摩センター駅(京王、小田急駅もあり)の駅前は、こういうのが郊外の計画都市の駅前の典型というのか、丘の頂上(まるで神殿でもありそう)に向かって広い歩道が通り、その両側にショッピングセンターなどが軒を並べるようなつくりだった。一見すごいが、駅前で食事をしようと思ったのに、駅前食堂群などはなく妙に寒々しさを覚えた。

Wikipediaで調べたところ、たまに名前を聞く文化施設の「パルテノン多摩」があるのだという。文化施設と商業施設が現代の神殿ということになるのだろうか!

モノレールも跨座式というのに妙に動きがギクシャクとしていた。昨年久しぶりにのった同じ方式の東京モノレールも結構ギクシャクしていたのだが、それより以前の東京モノレールはもっとスムーズだったように記憶しているので、何か違ってきているのだろうか?

モノレールから眺めるとところどころ鬱蒼とした森が小島のように住宅地の中に残されている。アニメ映画「平成狸合戦ポンポコ」はこの多摩ニュータウンの開発を舞台にしていた。このような人工物が建造される前のかつての多摩丘陵はほとんどが森に覆われていたのだろうなどと考えてしまった。

モノレール沿線の明星大学という大学のキャンパス内に建物が建設中だった。はるか昔、完成したばかりの中央大学の新キャンパスには受験で訪れたことがあった。その頃に比べて変貌したと言えば変貌したのだが、そう変わっていないのかも知れない。明星大学・中央大学という駅から学生が相当乗車してきた。

多摩動物公園で下車後、駅前で軽く食事をした後、入場。妻と子どもたちは、幼稚園時代のバスハイクで5年ほど前にこの動物園を訪れたことがあったと聞いていたが、正門を見たら子どもは二人とも記憶がよみがえったようだ。

小学生以下は無料。雨の予報が出ていたためか入場している人はあまり多くないようだ。

案内図には縮尺が入っていなかったので距離感はつかめなかったのだが、坂が多く広大な動物園のようだ。曇り空で涼しいほどの気温だったので、汗はかかなかったが、暑い日ならばててしまうだろう。老人、身体の不自由な人用に園内巡回バスが走っていた。

前回の来園時は、アフリカ園しか見学できなかったとのことで、アジア(ユーラシア)、オーストラリア園方面から見ることにした。

このような郊外型の動物園としては、身近にある横浜ズーラシアには何度も訪れているので、ついそことの比較になる。同じような南関東の丘陵地帯にあるのだが、多摩動物公園の方が傾斜が急で、樹林も深いようだ。また、ズーラシアには入り口から出口までがほぼ一方通行で、近道がほとんんどなく、途中から引き返すにしても大変なのだが、多摩は、多くの散策路が設けられ、迷いやすい複雑なルートにはなっているが、こちらの方が途中で引き返したい来場者にとってはいいのではなかろうか?また、自然に近い飼育という点では共通だが、多摩の方が動物の姿を来場者がよく見られるように工夫されており、ズーラシアのように「今日は見られなかった」というようなことはあまりないようだ。動物にとっては当然ズーラシアの方が快適だとは思うが、やはり動物園という性格上、最近よく言われる「ディスプレー」(動物の展示方法)をズーラシアは工夫すべきだと思う。

動物たちでは、以前から本物を見たかったオオカミが楽しみだったのだが、順番に印象に残ったものを書いてみる。

マレーバクは熟睡していた。珍しいインドサイ。インドにもサイがいたとは知らなかった。結構涼しいのに、プールに入っていたのはどうしてだろう?

全体がよく見えるゴールデンターキン、活発なレッサーパンダ、初めてみるユキヒョウを見たあと、なにやら前方に鉄骨とケーブルでできた高圧線の鉄柱のような構造物が見えた。近寄ってみるとこれが、例のオランウータンのスカイウォークだという。オランウータンの飼育舎からケーブルを伝って、飛び地まで高い場所を移動できるように設置したもののようだ、設置後しばらくは「渡り」が見られなかったようだが、ニュースで渡りが始まったという話を聞いていたので、期待していた。「飛び地」まで行くと、地上と樹上に三頭のオランウータンがくつろいでおり、しばらく見ていたところ、子どもオランウータンが鉄柱を登り、スカイウォークのケーブルに両手でつかまって、ちょうど子どもが雲梯で懸垂して移動するような方法で上手に渡り始めた。地上にいたその母親らしいメスオランウータンもスルスルと鉄柱を登り、子どもの後を追いかけて途中までスカイウォーク渡りを披露してくれたのは面白かった。結局、途中からまた飛び地に戻ってきたのだが。
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オランウータン舎は非常に豪華な施設だった。ズーラシアのも悪くはないが、いつも悲しげに座っている姿を思い出す。オランウータンにクレヨンを与えて描かせた絵が展示されていたり、オスのオランウータンが気に入っているという女性誌のグラビアページなどが面白かった。チンパンジーとヒトの遺伝子情報の違いはほんのわずかだというのだから、類人猿たちと我々「裸のサル」の共通性はもっとあるのだろう。

子どもたち、特に長男が以前から見たいと言っていたヨーロッパオオカミを間近で見ることができた。今年の春先、上野でニホンオオカミの数少ない剥製の内、二体を見てきたのだが、多摩の灰色オオカミ(その亜種がヨーロッパオオカミで、ロボとモロの番はモスクワ動物園から来園したのだという)は、容貌といい姿勢といい、ニホンオオカミの剥製とは相当受ける印象が違っていた。展示場では無気力そうなダルそうな姿勢で横になり、見物客を見ているのだが、後でオーストラリア園側から裏側の飼育室に回るとエサを待ちかねた2頭が飼育室内に来ており、毛足が長く細身の身体とピンと立った耳、小さいが鋭い目、長い尾が印象的だった。現在、すべての多様な犬種の先祖とされるオオカミ。隣の飼育場のアムールトラが吠えていたので、それに釣られてオオカミたちも遠吠えを披露してくれた。思ったよりか細い悲しげな鳴き声だった。
(なお、昨年、今年とオオカミは出産したとのことで、ニュース 2005/4/22 と 2006/4/20 に ヨーロッパオオカミの仔が産まれたニュースあり。特に 2005/4/22の写真がなんとも言えず愛らしい。同じ頃多摩動物公園を訪れた方のブログでは、見られたようなのだが、私たちは仔オオカミは確認できなかった。)

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アジアゾウ(スリランカゾウ)のオスは50歳を越える高齢だそうだが、展示場から飼育室に入りたいのか身体をゆすってアピールしているかのようだった。長野の動物園のアジアゾウもそうだが、リズミカルに巨体を揺するのが癖なのか好きなのか、不思議な光景だ。それもいつまでも繰り返すのだから。

コアラ舎は立派過ぎるほどの建物だった。1985年に日本に来たばかりのコアラを鹿児島の平川動物園で見たときはもっと普通の動物の檻で生活していたように記憶するのだが、多摩は驚くほど気を使った人工的な環境で飼育していた。コアラたちは木の幹に掴まり寝入っているようで、顔を見せてくれなかった。

動物園で一番高いところにあるらしいワライカワセミのケージを見に行ったところ、突然けたたましい鳴き声(笑い声)を聞くことができたのはラッキーだった。

もうここまで歩くと相当疲れたのだが、今度は最後の目的地アフリカ園を目指して歩いた。途中トナカイや猛禽類、タヌキたち、モウコノウマ(蒙古野馬、ズーラシアには蒙古野ロバがいる)、コウノトリ(繁殖に成功しているようで相当数が飼育されていた)を過ぎると、ようやく広々した場所に出る。チンパンジーたちも立派な展示場で遊んでいた。さまざまな道具類(空き缶回収機に空き缶を入れると褒美がもらえる仕組みや、シロアリのアリヅカを模したもの、鏡、などがあった)。少々時間が押してしまい、16時を過ぎたので、ライオンバスには乗れず、シマウマ、キリン、アフリカゾウは飼育室に入れられるところだった。また20頭ほどいるライオンたちも、鉄柵で防護したパジェロに追い立てられて飼育室に戻されていた。それを見物できるサファリ橋を渡ると、サーバル、チーターが展示されていた。サーバルの可憐な姿、チーターの優美な姿は感動的だった。

昆虫館本館と生態館が残っており、入館締め切りの4時半に近かったので、子どもの希望で本館を見学した。グローワーム(glow worm 光り虫)という洞窟の中で光を発して獲物を狙う昆虫の幼虫の展示は非常に珍しいものだった。(最近テレビの自然番組で取り上げられたらしい)

最後に、サル山を見て、イノシシの勇姿、モグラ、トウキョウトガリネズミ(日本最小の哺乳類?)を見て、出口に戻ってきた。恒例のヌイグルミ選びだが、ズーラシアや上野ほど種類も豊富でなく、展示動物のオオカミやチーター、モグラ、ウォンバットなども置いてないらしい。残念だった。

参考書籍:みんなのかお (日本全国のマイナーな地方動物園も含めていろいろな動物たちの顔写真集。同じ種類の動物といってもこんなにいろいろな容貌、表情、色をしているのか改めて驚かされる)

動物園関係の本

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2006年6月 2日 (金)

6月2日は横浜開港記念日

昨年の今日書いた記事はこれ

数年前こちらに引っ越して来たのがこの日だった。当時は、みなとみらいのロイヤルパークホテル当時はニッコーが付いていた)が勤務先との契約割引料金があり、格安で事前予約ができていたので、家族で横浜引越しの第一日目を少々贅沢に過ごせた。

ちょうどこの日は横浜市民(市内勤務者、通学者も含む)ならランドマークタワーの展望台普通大人1000円のところ中学生以上なら一律300円、小学生(普段なら500円)以下はフリーだったのだが、まだ住民票を移動する前だったので、登るのをあきらめた。

しかし、ロイヤルパークホテルに泊まると展望台のその上の階(ランドマークの最上階)にあるレストランが利用できるので、窓際の席に座り、ちょっと上からみなとみらいの風景を楽しめたのだった。

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2006年6月 1日 (木)

6月の音楽史カレンダー

6月の音楽史カレンダー

歴史データベース on the Web のデータによる

6/1/1804 [ロシア暦5月20日]ロシアの作曲家グリンカ(Glinka.Mikhail Ivanovich)誕生
6/2/1857 エルガー(Elgar.Edward) 誕生 イギリスの作曲家
6/2/1973 近衛秀麿没74歳(誕生:明治31(1898)/11/18)指揮者で作曲家
6/3/1875 ビゼー(Bizet.Georg)没36歳(誕生:1838/10/25)フランスの作曲家
6/3/1899 ヨハン・シュトラウス2世(Strauss.Johann)没73歳(誕生:1825/10/25)作曲家でワルツ王といわれた
6/4/1933 日本作曲家協会が、放送協会との放送料値上げ交渉が決裂して会員作品の放送拒否を決議する
6/5/1816 パイジェロ(Paisiello.Giovanni)没76歳(誕生:1740/05/09)「偽の伯爵夫人」の作曲家
6/5/1826 ウェーバー(Weber.Carl Maria von)がロンドンで没39歳(誕生:1786/11/18)「魔弾の射手」などを作曲したドイツの作曲家
6/5/1885 ベネディクト(Benedict.Sir Julius)没80歳(誕生:1804/11/27)作曲家で指揮者「キラニの百合」を作った
6/6/1861 コンコーネ(Concone.Giuseppe)がトリノで没59歳(誕生:1801/09/12)トリノの作曲家で声楽教師
6/6/1869 ワーグナー(Wagner.Siegfried) 誕生 作曲家で指揮者バイロイト音楽祭主催
6/6/1881 ヴュータン(Vieuxtemps.Henry)没61歳(誕生:1820/02/17)ヴァイオリニストで作曲家「ファンタジー・カプリース」を作曲
6/6/1903 ハチャトゥーリアン(Khachaturyan.Aram Iliich) 誕生 ソ連の作曲家
6/7/1863 グルーバー(Gruber.Franz Xaver)没75歳(誕生:1787/11/25)「聖しこの夜」を作曲したオーストリアの作曲家
6/8/1612 ハッスラー(Hassler.Hans Leo)没47歳(誕生:1564/10/26)ヴェネツィア派のドイツの作曲家
6/8/1796 ジャルディーニ(Giardini.Felice)没80歳(誕生:1716/04/12)ヴァイオリニストで作曲家
6/8/1810 ドイツの作曲家シューマン(Schumann.Robert Alexander)がツヴィッカウに誕生
6/9/1361 ヴィトリ(Vitry.Philippe de)没69歳(誕生:1291/10/31)詩人で作曲家、理論家「Ars nova」を著した
6/9/1810 ニコライ(Nicolai.Carl Otto Ehrenfried) 誕生 作曲家で指揮者
6/9/1865 ニールセン(Nielsen.Carl August) 誕生 作曲家
6/9/1886 作曲家の山田耕筰が東京に誕生
6/10/1934 ディーリアス(Delius.Frederick)没72歳(誕生:1862/01/29)作曲家「ハイヤワサ」を作曲した
6/11/1924 デュボア(Dubois.Theodore)没86歳(誕生:1837/08/24)フランスの作曲家で理論家、オルガン奏者
6/12/1897 タンスマン(Tansman.Aleksander) 誕生 作曲家「ポーランド狂詩曲」を作曲した
6/13/1899 チャベス(Chavez.Carlos) 誕生 作曲家で指揮者「インディオ交響曲」を作曲した
6/14/1730 サッキーニ(Sacchini.Antonio) 誕生 作曲家でオペラの作曲を行った
6/14/1744 カンプラ(Campra.Andre)没83歳(誕生:1660/12/04)作曲家「優雅なヨーロッパ」を作曲した
6/14/1911 スヴェンセン(Svendsen.Johan)没70歳(誕生:1840/09/30)ヴァイオリン奏者で作曲家、指揮者
6/14/1994 ヘンリー・マンシーニ(Mancini.Henry)が肝臓・すい臓がんのためビバリーヒルズの自宅で没70歳(誕生:1924/04/26)「ムーン・リバー」や「シャレード」などの映画音楽の作曲家
6/15/1843 ノルウェーの作曲家グリーグ(Grieg.Edvard Hagerup)誕生
6/17/1818 フランスの作曲家グノー(Gounod.Charles-Francois)誕生
6/17/1882 ストラヴィンスキー(Stravinsky.Igor Feodorov) 誕生「ペトルーシュカ」「春の祭典」などを作曲した近代作曲家
6/18/1986 デュリフレ(Durufle.Maurice)没84歳(誕生:1902/01/11)作曲家でオルガン奏者「レクイエム」を作曲した
6/19/1717 シュターミツ(Stamitz.Johann) 誕生 作曲家「6つのシンフォニア」を作曲した
6/20/1819 オッフェンバック(Offenbach.Jacques) 誕生:1819/06/20「天国と地獄」を作曲したフランスの作曲家
6/21/1892 ローゼンベリー(Rosenberg.Hilding) 誕生 作曲家で指揮者「ヨハネ黙示録」を作曲した
6/21/1899 チェレプニン(Tcherepnin.Alexander) 誕生 ピアニストで作曲家
6/21/1908 リムスキー=コルサコフ(Rimsky-Korsakov.Nikolay)没64歳(誕生:1844/03/18)作曲家
6/22/1974 ミヨー(Milhaud.Darius)没81歳(誕生:1892/09/04)作曲家「世界の創造」を作曲した
6/22/1989 ソゲ(Sauguet.Henri)没88歳(誕生:1901/05/18)作曲家
6/23/1824 ライネッケ(Reinecke.Karl) 誕生 ピアニストで指揮者、作曲家ライプチッヒでメンデルスゾーンやシューマンに師事したゲンヴァントハウスの指揮者
6/23/1888 ナウマン(Naumann.Emil)没60歳(誕生:1827/09/08)作曲家で音楽批評家「楽劇か歌劇か」を著した
6/23/1956 グリエール(Glier.Reyngol'd Moritsevich)没81歳(誕生:1875/01/11)作曲家「青銅の騎士」を作曲した
6/24/1724 タイレ(Theile.Johann)没77歳(誕生:1646/07/29)「アダムとイヴ」を作曲した作曲家
6/24/1908 ディストラー(Distler.Hugo) 誕生 作曲家でオルガン奏者
6/24/1983 ヒナステラ(Ginastera.Alberto)没67歳(誕生:1916/04/11)作曲家「ボマルソ」を作曲した
6/25/1767 テレマン(Telemann.Georg Philipp)没86歳(誕生:1681/03/14)ドイツの作曲家
6/25/1860 シャルパンティエ(Charpantier.Gustav) 誕生 フランスの作曲家
6/26/1945 チェレプニン(Tcherepnin.Nikolay)没72歳(誕生:1873/05/15)作曲家「アルミードのあずまや」を作曲した
6/27/1789 ジルヒャー(Silcher.Friedrich) 誕生 音楽教育家で歌曲作曲家
6/28/1815 フランツ(Franz.Robert) 誕生 作曲家「ドイツ民謡による歌」を作曲した
6/28/1831 ヨアヒム(Joachim.Joseph) 誕生 作曲家でヴァイオリニスト
6/28/1902 リチャード・ロジャーズ(Rodgers.Richard) 誕生「南太平洋」「サウンド・オブ・ミュージック」などを作曲したアメリカのミュージカル作曲家
6/28/1979 デッサウ(Dessau.Paul)没84歳(誕生:1894/12/10)作曲家で指揮者「ルクルスの判決」を作曲した
6/29/1896 大中寅二 誕生「椰子の実」を作曲した作曲家
6/29/1903 滝廉太郎が大分の父母の家で没25歳(誕生:明治12(1879)/08/24)「荒城の月」の作曲家
6/29/1908 ルロイ・アンダーソン(Anderson.Leroy) 誕生 作曲家「タイプライター」などを作曲した
6/29/1941 パデレフスキ(Paderewski.Ignacy Jan)がニューヨークで没80歳(誕生:1860/11/06)ピアニストで作曲家「メヌエット」を作曲した再生ポーランドの初代首相を務めた
6/30/1846 ドリゴ(Drigo.Ricardo) 誕生 イタリアの作曲家で指揮者
6/30/1892 作曲家の弘田龍太郎が高知県に誕生

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これで、月別の音楽史カレンダーのアップはちょうど一年になった。

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