リスト ピアノ・ソナタ ツィメルマン
リスト ピアノ曲集 ツィメルマン (DG POCG-1467 431 780-2) <1990年録音>
☆ピアノソナタ ロ短調、灰色の雲、夜、悲しみのゴンドラⅡ、葬送曲
自分のホームページからの引用。今宵も、昨夜から聴いているリストのピアノ曲集を。
1993.07.14(水)コメント:このところ、リストのピアノソナタが著名ピアニストの間でブームであるようで、ポリーニ、ポゴレリッチ、そして以前からリストのスペシャリストであるブレンデルもあいついでレコーディングをしている。このCDは5月のツィメルマンのリサイタル(長野県岡谷市 カノラホール ショパン ピアノソナタ第3番、ドビュッシー映像、シマノフスキ?)を聞いたあと、記念にと購入したもの。パンフレットにその素晴らしさがつづられていて興味を持った。以前にFMラジオをよく聞いていたころ何回か耳にしている曲だが、今回初めてじっくり耳を傾ける。7:53あたりの右手のパッセージはすごい。しかしもっとレガートの方が快い。この曲は盛期ロマン派の産んだラプソディックかつ構成的な曲である。19:50からフガート的な部分に入る。リストの白髪の肖像が思い浮かぶ。25:00からのきらめくようなパッセージ。「灰色の雲」は本を読んでいるうちにうっかりとききのがすような静かな曲。「夜」には、ハンガリアン・ラプソディーの反響がきこえる。「悲しみのゴンドラ」はワーグナーの死と関係があるのだという。その意味で、ブルックナーの交響曲第7番の第2楽章と兄弟のような関係。ブルックナーの方が美しいが。「葬送曲」は余りに有名なショパンと比較してしまう。レチタチティーヴォ風。ショパンの英雄ポロネーズのパロディーが後半に聞こえる。
結婚前の妻と一緒に聞きにいったリサイタルの日付があいまいになっていたのだが、長野県岡谷市のカノラホールのホームページを見つけて調べたところ、1993年5月16日(日)が クリスチャン・ツィメルマン ピアノリサイタル だったことが分かった。ドビュッシーの「映像」、ショパンのピアノソナタ3番、シマノフスキ?、何度も呼び出された末の最後のアンコールは誰とは知らない単純なスケールの練習曲のようでくつろいで弾いていたようだったが、このピアノの響きが絶品だった。
ちょうど今、クリスティアン・ツィメルマンが来日しており、今夕の夕刊に、岡田暁生氏による京都でのリサイタルの評論が掲載されていた。写真を見て驚いたが、ツィメルマンも風貌に年季が加わった。完璧主義は相変わらずらしい。今回もおそらく自ら調律したピアノを弾いたのだろう。モーツァルト10番、ベートーヴェン「悲愴」、ラヴェル「高雅で感傷的なワルツ」、ポーランドの女性作曲家のソナタ2番、アンコールにガーシュイン。
「細部の完璧さにこだわりなおかつそれを実現するがゆえにベートーヴェンやショパンではベルカント的な興に乗って一気呵成に奏でる音楽の魅力が損なわれたという」趣旨の評を読み、なるほどと思った。レガートで音をつなげて弾く能力など当然過ぎるほどもっているのだが、全体の流れを阻害しても敢えて彼は細部の明瞭さを求めてなのか(グールドほど極端ではないが)ノンレガート的に弾くように解釈する傾向があるように思える。
自分でも「7:53あたりの右手のパッセージはすごい。しかしもっとレガートの方が快い。」のように感じたし、シューベルトの即興曲集でも同じような印象を持った。ただ、小澤とのラフマニノフの2番などは、逆にそのような細部へのこだわりが、曖昧模糊とした響きの曲かと思い込んでいたこの曲を、力技で見通しのよい響きの透明さを持つ楽曲に変えてくれてもいた。複雑な構成で、響きが濁り勝ちな曲ほど彼の力が発揮されるとも言える。
P.S. いつも迷うのだが、Zimerman のカタカナ表記はどれがポーランド語音に一番近いのだろうか? 私はツィメルマンを使っているがDGの表記はツィマーマンとなっているし、ジメルマンというのもある。英語風の読み方ではジマーマンもありそうだ。この件で、この「赤・白・緑 ハンガリー」というブログのコメント欄に参考になる書き込みを発見した。
マゼールも マーツェルとか呼ばれた時期もあったようだが。
6/16には 東京大学の安田講堂で、東京大学医学部の招きによりツィメルマンが演奏会とディスカッションを行うという情報がネットにあった。「ツィマーマン東大コンサートのおしらせ」
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