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2006年7月 3日 (月)

モントゥー サンフランシスコ響の「幻想」1950年録音

Berlioz_monteuxベルリオーズ 幻想交響曲作品14
「ベンヴェヌート・チェッリーニ」序曲作品23
「ラコッツィ行進曲」作品24
モントゥー指揮 サンフランシスコ交響楽団 
<1950年2月27日録音> モノーラル

幻想交響曲は、ベートーヴェンの逝去直後に現れた破天荒な音楽(1830年作曲初演)。内容的にも楽器法的にも、より後世の作品に聞こえる。

ベルリオーズ自身は、それまでの多くの作曲家(音楽家)とは違い、楽器の演奏に早くから才能を表したタイプではないそうで、その意味ではヴァーグナーに少し似ているのではあるまいか?いずれも文学的、ストーリー的、描写的な音楽を得意としたという意味でも。アイルランド出身の女優に(今でいうストーカー的な)一方的な恋愛をして、彼女をを固定楽想というモチーフ(メロディー)で示すという着想、その若き芸術家の退廃的(アヘン吸引の夢うつつ)で私小説的、妄想的な恋愛ストーリー=「幻想」を器楽の最高峰である交響曲という形式で表現したという点で、同時代、後世への影響も大きく、また独創的で熟達した管弦楽法により、近代オケでの鳴りが非常によいことも特徴だ。

シューマンは、この交響曲について、評論文を書いている。岩波文庫「音楽と音楽家」P.52-P.77 「ベルリオーズの交響曲」に非常に詳しい解説、批評があり、大変参考になる。なお、ここでシューマンが素材にしているリスト編曲のピアノ盤は録音があるようだ(ニコライ・ペトロフ, NAXOSでもビレットが録音しているとのこと)。


第1楽章 夢と情熱 

第2楽章 「舞踏会」の場面のワルツは、シュトラウス二世のヴィーナー・ヴァルツよりも前の時代の作曲だが、非常に流麗で優雅なメロディーは、BGMなどによく使われるほど。

第3楽章の「野の風景」は、ベートーヴェンの田園のような親近感のある風景ではなく、疎外感・孤独感を覚えさせる音楽だ。ドビュッシーの「小さな羊飼い」の寂しげな情景を連想する。

第4楽章「断頭台への行進」の勇壮なマーチは私の学生時代、ステレオセットか何かのCF音楽に使われて当時人気が出た。

第5楽章は、「ワルプルギスの夜の夢」と題され、ムソルグスキーの「禿山の一夜」と並んで、いわゆる「悪魔趣味」の奇怪な音楽になっている。片思いの恋人殺しの罪でギロチン(革命後の恐怖政治の悪夢が生々しい時代!)で命を絶たれた作曲家が、サバト(魔女の狂宴)に招かれ、そこで自らが殺し魔女と化したかつての恋人と狂乱的な舞踏を踊る。グレゴリオ聖歌の中では有名な「怒りの日」のメロディーが主要主題として用いられている。cf)マーラーの巨人のフィナーレにもこの引用が隠されているという。第一主題部の後半だろうか?

(ベルリオーズは、同時代のバイロンから影響を受けていたらしく、彼の詩劇に基づき「イタリアのハロルド」も作曲している。バイロンの知人シェリーの夫人が「フランケンシュタイン」を執筆するなどおどろおどろしいホラー的ゴシックロマン的な雰囲気は当時の風潮だったのだろうか。「ファウストの劫罰」にも悪魔メフィストフェレスとの地獄の場面が登場。)

自分の盤歴としては、「幻想交響曲」は「決定盤」といわれたミュンシュ/パリ管盤をLP時代に入手してしばしば聴いた。特にこの音盤の終楽章の熱狂的なフィナーレをしのぐものはあまりないと言われているが、これが刷り込みだったため、その凄さというのがそれほど把握できていない。(凄演、猛演は、鑑賞という意味では、初物にはふさわしくないのかも知れない。音楽の喜びという意味では別だが。)オーマンディ/フィラデルフィア(CBS)盤もLP時代に入手して聞いた。CD時代になってからは、「幻想交響曲」への興味は次第に薄れてしまい、初期にクリュイタンス/フィルハーモニア管弦楽団(EMI)盤を購入し、ごく最近中古店で1960年代のカラヤンへの関心からカラヤン/BPO(DG)盤を購入して聞いてみた程度。

このモントゥー/サンフランシスコ響のCDは、最近のモントゥーへの関心から中古店で目に留まり求めたもの。「レコード芸術」が限定復刻した「名盤コレクション 蘇る巨匠たち」シリーズからの一枚。出谷啓氏が解説を書いている。(現在では、これRCAの通常盤として入手可能のようだ。)紹介記事を読むと、モントゥーの「幻想交響曲」はもとより、多くの録音の中でも屈指の名演とされるものだという。モントゥーはこのほかにも多くのオーケストラとこの曲を演奏しているそうで、晩年にVPOと録音したものもあるという(ステレオ録音)。

この音盤は、録音方式の関係か、ホールの関係か、モントゥーの解釈の関係か、これまで聴いたものと比べて楽器バランスがユニークに感じられる。また冒頭楽章からしなやかさよりも、剛直で緊張感に満ちた印象を受ける演奏。ストレートな表現という意味では最近聴いたハイドンやベートーヴェンに通じるものがあるが、こちらは晩年のデッカ録音に聞かれる「幸福感」を感じることはあまりなく、この音楽の本質をえぐったかのように少々粗野で冷え冷えとしたものを感じさせる演奏になっている。

さらにモントゥーへの関心が高まってきた。次は、ドビュッシーの音盤を聴いてみよう。

参考:
モントゥー/SFO盤<1950>   12:56/5:40/15:37/4:42/9:11
クリュイタンス/PO盤<1958>  13:53/6:23/16:24/4:41/9:20
カラヤン/BPO盤<1964>    14:13/6:08/16:41/4:39/10:28


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