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2006年7月の31件の記事

2006年7月31日 (月)

ブログの果たす役割

今日、yahooニュースを見ていてこの記事が目にとまった。

[WSJ] 紛争下で交流を続けるイスラエルとレバノンのブロガーたち

まだ、blogという言葉になじみがなかった頃、一番印象に残っているのが、イラク駐在の米軍兵士のブログに大勢の読者がいて、コメントやトラックバックを送っているというものだったのを思い出した。

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チャイコフスキー 交響曲第4番 セル指揮ロンドン交響楽団

Szell_tchaikovsky4チャイコフスキー 交響曲第4番 ヘ短調 作品36

ジョージ・セル指揮 ロンドン交響楽団 〔1962年9月〕 17:41/8:41/5:33/8:45

併録 大序曲『1812年』作品49〔1958〕 (14:55) ケネス・オルウィン Kenneth Alwyn指揮ロンドン交響楽団
     (協力 ハリス少佐指揮グレナディア・ガーズ軍楽隊)

各地に豪雨被害をもたらした長かった梅雨も、関東甲信までようやく明けた。東北地方はまだ数日かかるようだが、太平洋高気圧が張り出してきたのでそう時間は掛からないのではなかろうか。この20年で降水量の年毎の増減の較差が大きくなっているそうで、今年のような大雨の年があり、また数年前のような極端な水不足の年も訪れるようだ。

人間の生活はこのBLOGに代表されるようにますます便利になっているが(このBLOGにしても、膨大なステップ数を要する複雑なソフトウェア、大量の電子部品の塊であるサーバー、光通信技術、絶えず電力を供給し続ける原子力、火力発電というインフラストラクチャーが背後にあること忘れがちだ)、自然環境は日々傷ついている。鈍感な私のような人間が、その変化を実感したときにはすでに修復できないのだという。ただ、この数十年で失われたものもあるが、時折テレビで取り上げられる多摩川の鮎の遡上には勇気付けられる。人為で壊したものは人知で戻すこともある程度なら(自然の自然治癒力の範囲内なら)可能なのだ。

閑話休題。narkejpさんのBLOG『電網郊外散歩道』の記事に刺激を受け、先日の仕事帰りにDECCA BEST100シリーズに入っているものを購入して早速聴いてみた。

1962年のロンドンでの録音という。ロンドン響はあのモントゥーが1964年に逝去するまで常任指揮者を務めていたので、モントゥー時代のロンドン響ということになる。先日記事を書いたベートーヴェンの2&4番が1960年、5&7番が1961年、またドビュッシーの「映像」「聖セバスチャンの殉教」は1963年の録音となっているので、ちょうどその間の録音にあたる。

先の『電網郊外散歩道』BLOGの記事にもあったが、デッカの名プロデューサー カルショウの手記には、「そのころ、ロンドン交響楽団は世代の交代期にあった。そのために秋にセルが戻ってきたときには、最高の状態ではなかった」とあり、この録音にはロンドン響の演奏に編集ではどうしても修正できないミスが何箇所か残され、セルの意志でお蔵入りになっていたのだが、セルの逝去後未亡人の許可により現在のように販売されるようになったものだという。

冒頭の「運命動機」を奏でるブラスからして少々音色的にムラがあるようなのだが、ミスとはそのような部分を指しているのだろうか?先に挙げたモントゥーの指揮によるロンドン響の前後の年の録音に比べて細部の仕上げに粗さが残るように感じるような部分もミスなのだろうか?はたまた、音程のことだろうか?

セルのクリーヴランド管の演奏があれほど透明に聞こえるのは、彼がフレージングやリズムのみならず音程にも非常に厳しかったこと理由があったのだという。セルのクリーヴランド管との別の曲のCDのライナーノート(SONY)に載っている当時のトランペッターのインタビュー記事がその傍証になるだろう。彼によれば同じ音程を出す指使いが二種類あり、そのトランペッターに対してセルが「その音程を出すなら、その指使いではない。」とプローベ中に指示を出したほど楽器の運指による音程の微妙な差のコントロールまでに通暁していたのだという。そのようなエピソードから考えると、音程上の微妙なミスという可能性は強いかもしれない。(残念ながらというか幸運というか私には聞き取れないが・・・)

とは言え、出来上がった音楽は、セルの音楽らしく非常に締まったものだ。響きが拡散せずに凝集している。さらに、他流試合でデッカ録音ということもあり、表現のメリハリが手兵のクリーヴランド管よりも大きいように感じる。その分がコントロールの不足でセルにとっては不満なのかも知れないのだが、クリーヴランド管以外のオケがその個性を残しながらセルの活気のある指揮により引き締まった演奏を繰り広げるのを聴くのは、黄金コンビの演奏とは別にまた非常に楽しいものだ。ある時期以降のクリーヴランド管は、トスカニーニ没後のNBC響同様(ワルターとシンフォニー・オヴ・ジ・エアの『英雄』)、自分たちのシェフの音楽を相当の程度までシェフなしで繰り広げることはできただろうが、他のオケの場合にこそ多少の粗はあってもセルの当時のナマの意志が聞こえる場合があるように思う。

手持ちの『交響曲第4番』CDのタイミング比較をしてみた。
ムラヴィンスキー/レニングラード管〔1960年9月〕 18:46/9:18/5:50/7:58
セル/ロンドン響 〔1962年9月〕           17:41/8:41/5:33/8:45
小澤/BPO〔1988年5月〕               18:30/9:48/5:42/8:53

際立つのが、セルの前半2楽章の速さと、ムラヴィンスキーの終楽章の速さ。

セルの第1楽章はタイミング的には速いが、それほど急速という感じは受けなかった。もともとテンポ変化が大きい楽章だからだろう。第2楽章もタイミングとして速めだが、やはりせかせかした感じはない。

終楽章は、ムラヴィンスキーが凄い。フルシチョフ時代の雪解けによる西欧楽旅での録音だが、いまだスターリン時代の「鉄の規律」が残存しているかのような猛烈な演奏だ。セルもクリーヴランド管との実演ならあのシューマンの2番のフィナーレのようにこのような即興的な猛スピードがあり得たかも知れないと想像してみるのも面白い。

なお録音だが、終楽章はシンバルや大太鼓の活躍などもあり音響が飽和しがちだが、このセルの録音も強奏時には音が濁り勝ちになっているのは残念だ。

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音楽史 初演 カレンダー

音楽史 初演 カレンダー

歴史データベース on the Web のデータによる

このデータベースに登録されている「初演」を抽出して、西洋音楽史に関係するものを日付別に整理してみた。
意外にも7月の初演記録がまったくなかった。


1/2/1843 ワーグナーの楽劇「さまよえるオランダ人」が、ドレスデンでワーグナー自身の指揮で初演される。
1/4/1881 ブラームスの大学祝典序曲が初演される。
1/7/1849 サン=サーンスの「ハバネラ」が初演される。
1/10/1828 シューベルトの「冬の旅」の第1部が初演される。
1/14/1900 ローマのコンスタンツィ劇場でプッチーニのオペラ「トスカ」が初演される。
1/19/1906 ベルリンで、ハウプトマンの「そしてヒッパは踊る」が初演される。
1/25/1909 ドレスデン宮廷歌劇場でリヒャルト・シュトラウスの「エレクトラ」が初演される。
1/26/1911 ドレスデンで、リヒャルト・シュトラウスのオペラ「ばらの騎士」が初演される。
1/29/1916 ペトログラード・インペリアルマリインスキー劇場で、プロコフィエフの「スキタイ組曲」が初演される。
1/**/1908 この月、モスクワでラフマニノフの「交響曲第2番」が初演される。
2/1/1896 トスカニーニが、プッチーニの歌劇「ボエーム」を世界初演する。
2/8/1874 [ロシア暦1月27日]ムソルグスキーのオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」がサンクト・ペテルブルクのマリインスキー劇場で初演される。
2/10/1881 前年死去したオッフェンバックのオペラ「ホフマン物語」がオペラ・コミックで初演される。
2/12/1797 ハイドンが、神聖ローマ皇帝フランツ2世の29歳の誕生日を記念して皇帝賛歌「神よ、皇帝フランツを護りたまえ」をブルク劇場で初演させる。
2/12/1924 ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」が初演される。
2/15/1867 ワルツ王ヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」がウィーンで初演される。
2/17/1859 ヴェルディの歌劇「仮面舞踏会」がアポロ座で初演される。
2/18/1904 プッチーニの歌劇「蝶々夫人」がミラノ・スカラ座で初演される。
2/20/1816 ローマで、ロッシーニの「セビリャの理髪師」が初演される。
2/21/1765 モーツァルトの交響曲第1番が初演される。
2/24/1876 イプセンの「ペール・ギュント」が、グリーグの音楽付きで初演される。
2/28/1854 スタニスワフ・モニュシュコ作曲のオペラ「ハルカ」が初演される。
2/28/1862 グノーの歌劇「シバの女王」が初演される。
3/3/1842 メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」が、ライプチヒ・ゲヴァンドハウスで初演される。
3/3/1875 ビゼーのオペラ「カルメン」がパリのオペラ・コミック劇場で初演される。
3/4/1877 [ロシア暦3月4日ママ]チャイコフスキーのバレエ「白鳥の湖」がボリショイ劇場で初演される。(BLOG記事投稿:西暦3月4日かロシア暦3月4日か?)
3/6/1853 ヴェルディの歌劇「椿姫」が初演される。
3/12/1832 オペラ座でバレエ「ラ・シルフィード」が初演される。マリア・タリオーニが空気の精を演じる。
3/13/1845 メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調が、ライプチヒのゲヴァントハウスで初演される。
3/15/1911 モスクワのボリショイ劇場でスクリャービンの「プロメテウス-火の詩」が初演される。
3/16/1894 マスネーのオペラ「タイース」がパリのオペラ座で初演される。
3/21/1801 ベートーヴェンの序曲「プロメテウスの創造物」がウィーンで初演される。
3/23/1792 ハイドンの交響曲第94番「驚愕」が初演される。
3/25/1924 ヤン・シベリウスの交響曲第7番が自身の指揮で初演される。
3/31/1841 シューマンの「交響曲第1番『春』」がライプチヒのゲヴァンドハウスで初演される。
3/**/1807 この月、ベートーヴェンの「コリオラン序曲」が初演される。
4/2/1800 ベートーヴェン(29)の交響曲第1番が初演される。
4/5/1803 ベートーヴェンの交響曲第2番が初演される。
4/5/1874 ヨハン・シュトラウスのオペレッタ「こうもり」がウィーン劇場で初演される。
4/7/1805 ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」が初演される。
4/13/1742 ヘンデルのオラトリオ「メサイア」がダブリンで初演される。
4/15/1729 バッハの「マタイ受難曲」がライプチッヒで初演される。
4/29/1798 ハイドン作曲のオラトリオ「天地創造」が初演される。
4/30/1852 [ロシア暦4月18日]ロシアのピアニストで作曲家のアントン・ルビンシテインのオペラ「ドミトリー・ドンスコイ」がサンクト・ペテルブルクで初演される。
4/30/1902 ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」がパリで初演される。
4/**/1918 この月、プロコフィエフの「古典交響曲」がペトログラードで初演される。
5/1/1786 モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」がブルク劇場で初演される。
5/2/1936 プロコフィエフの「ピーターと狼」が初演される。
5/7/1824 ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」がウィーンのケルントナートーア劇場で初演される。
5/13/1833 メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」が、ロンドンのハノーヴァー・スクエア・ルームズで初演され、成功を収める。
5/18/1917 パリのシャトレ座で、エリック・サティ作曲のバレエ「パラード」が初演される。
5/19/1911 パリのオペラ・コミックで、ラヴェルの「高雅にして感傷的なワルツ」と歌劇「スペインの時」が初演される。
5/21/1892 トスカニーニが、ミラノでレオンカヴァルロの歌劇「道化師」を初演する。
5/22/1874 ヴァルディの「レクイエム」がミラノのサン・マルコ教会で初演される。
5/24/1918 ブダペストで、ベラ・バルトークの「青ひげ公の城」が初演される。
5/25/1870 ドリーブのバレエ「コッペリア」がオペラ座で初演される。
5/25/1918 東京音楽学校で、ベートーヴェンの「交響曲第5番」が日本初演となる。
5/27/1906 マーラーの交響曲第6番が作曲者自身の指揮で初演される。
5/29/1913 パリで、ストラヴィンスキーのバレエ「春の祭典」がニジンスキーの振付けで初演される。
6/8/1912 パリのシャトレ座で、ラヴェルの「ダフニスとクローエ」がディアギレフのロシア・バレエ団により初演される。
6/10/1865 ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」がミュンヘンの宮廷劇場で初演される。
6/18/1821 ウェーバーのオペラ「魔弾の射手」がベルリンで初演される。
6/19/1926 パリで、飛行機のエンジン音などを使ったジョージ・アンタイルの前衛音楽「バレエ・メカニック」が初演される。
6/21/1868 ワーグナーの「ニュルンベルグの名歌手」が初演される。
6/25/1910 パリ・オペラ座でストラヴィンスキーの「火の鳥」が初演される。
6/28/1841 アダンのバレエ「ジゼル」がオペラ座で初演される。
8/13/1876 バイロイト祝祭劇場が開場する。ワーグナーの「ニーベルグの指輪」が初演される。
8/15/1865 リスト作曲のオラトリオ「聖エリザベートの物語」が初演される。
8/16/1876 ワーグナーの「ジークフフリート」が初演される。
8/28/1850 ワーグナーの楽劇「ローエングリン」がリストの指揮で初演される。
8/31/1928 ベルリンで、クルト・ワイル作曲「三文オペラ」が初演される。
9/6/1910 グロスター大聖堂で、ラルフ・ヴォーン・ウィリアムズの「タリスの主題による幻想曲」が初演される。
9/12/1910 ミュンヘンで、グスタフ・マーラーの交響曲第8番が初演される。
10/1/1872 アルフォンス・ドーデーの「アルルの女」が、ビゼーの付随音楽によりパリのテアトル・ド・ボードヴィルで初演される。
10/10/1935 ニューヨーク、ブロードウェイのアルヴィン劇場で、ガーシュウィンの「ボギーとベス」が初演される。
10/14/1843 メンデルスゾーンのオペラ「真夏の夜の夢」がポツダム新宮殿で初演される。
10/19/1845 ドレスデン宮廷劇場で、ワーグナーの楽劇「タンホイザー」が初演される。
10/21/1858 オッフェンバックのオペレッタ「天国と地獄」がパリのブッフェ・パリジャン劇場で初演される。カンカン踊りが披露される。
10/28/1893 [ロシア暦10月16日]チャイコフスキーの交響曲第6番「悲創」がサンクト・ペテルブルクで初演される。
10/29/1787 モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」がプラハ国民劇場で初演される。
10/31/1866 オッフェンバックのオペレッタ「パリの生活」がパリで初演される。
10/**/1901 この月、ラフマニノフがモスクワで「ピアノ協奏曲第2番」を自ら初演し、好評を博する。
10/**/1905 この月、ドビュッシーの「海」がパリで初演される。
11/4/1876 ブラームスの交響曲第1番が初演される。
11/4/1890 [ロシア暦10月23日]故ボロディンのオペラ「イーゴリ公」がサンクト・ペテルブルクで初演される。
11/16/1900 市民が創設したフィラデルフィア管弦楽団の初演奏会が開かれる。
11/17/1888 チャイコフスキーの「スラブ行進曲」がモスクワで初演される。
11/20/1805 ベートーヴェンの「レオノーレ」が初演されるが、聴衆の多くがドイツ語の分らないフランス兵士だったため失敗に終わる。
11/20/1911 マーラーの交響曲「大地の歌」が、ミュンヘンでブルーノ・ワルターの指揮により初演される。
11/21/1937 ショスタコヴィッチの「交響曲第5番」がムラヴィンスキー指揮のレニングラード・フィルハーモニーの演奏で初演される。
11/23/1942 藤原歌劇団が、歌舞伎座で「ローエングリン」をグルリットの指揮で初演する。
12/5/1830 ベルリオーズの「幻想交響曲」が初演される。
12/6/1841 シューマンの「交響曲第2番ニ短調(第4番)」が初演される。
12/8/1813 ベートーヴェンの交響曲第7番がウィーン大学講堂で初演される。
12/9/1913 リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」のニューヨークでの初演が行われる。
12/13/1895 マーラーの交響曲第2番「復活」が自らの指揮で、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団により初演される。 1895年3月4日、声楽の入らない第1楽章から第3楽章までをベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演。演奏会全体の指揮者はリヒャルト・シュトラウスであるが、この曲については「作曲者指揮による」との断り書きがあり、マーラーが指揮したものと見られる。
12/13/1928 ガーシュインの「パリのアメリカ人」が初演される。
12/16/1893 ドヴォルザークの交響曲第9番ホ短調「新世界より」がカーネギーホールで初演される。
12/17/1892 [ロシア暦12月5日]チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」が、サンクト・ペテルブルクのマリインスキー劇場で初演される。
12/22/1808 ベートーヴェンの第6交響曲「田園」と第5交響曲「運命」がウィーンで初演される。しかし惨憺たる失敗に終わる。
12/22/1894 ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」がパリで初演される。
12/23/1806 ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲が初演される。
12/24/1871 カイロのオペラハウスで、ヴェルディの「アイーダ」が初演される。
12/24/1898 ヘルマン・ハイエルマンスの「ゲットー」がアムステルダムのオランダ劇場で初演される。
12/26/1931 ジョージ&アイラ・ガーシュウィンのミュージカル「わが歌君がために」が初演される。
12/30/1877 ブラームスの交響曲第2番が初演される。
12/**/1905 この月、ドレスデンで、リヒャルト・シュトラウスのオペラ「サロメ」が初演される。
12/**/1905 この月、レハールのオペレッタ「メリー・ウィドウ」が初演される。
12/**/1953 この月、レニングラードで、ショスタコヴィッチの「交響曲第10番」が初演される。

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2006年7月30日 (日)

ジュリーニ指揮ロス・フィルの「悲愴」

Giulini_pathetiqueチャイコフスキー 交響曲第6番 ロ短調 作品74 『悲愴』 18:41/8:08/ 9:25/10:12
カルロ=マリア・ジュリーニ指揮 ロサンゼルスフィルハーモニー管弦楽団 〔1980年11月〕

昨年6月14日のジュリーニの逝去から一年以上経った。

この『悲愴』は、ロス・フィル時代のジュリーニの録音。

ロス時代の録音の中では、ブラームスの第2番をLPで聴き、ベートーヴェンの第5番はエア・チェックしたテープ録音でよく聴いたものだった。毎日の生活が大学での講義と乱読と乱聴(という言葉があるのか)だった学生時代は、ちょうどジュリーニがメータの去った後のロス・フィルの音楽監督と意外にも引き受け、DGから次々に録音をリリースしていた時期だった。前記の2枚は結構印象深く、特に後者はジュリーニとしても意外にも求心的に引き締まったものだったという印象が強いのだが、この『悲愴』の録音は聴いた覚えがないものだった。たまたまセット物の分売で出ていたので、聴いてみた。

ジュリーニの持つカンタービレとチャイコフスキーの美しく深沈たるメロディーが相乗効果を示して、大変メロディアスで美しい『悲愴』交響曲になっていると感じた。第1楽章第2主題の美しさ、第2楽章の優雅さ、第4楽章の情緒纏綿たる弦の歌は特に素晴らしい。第3楽章のAllegro molto vivaceのマーチは、少々テンポが遅いのだが、細部までくっきりと演奏させながら、決然とした壮大な音楽になっている。

全体的には細部までよく磨き抜かれた音色で、ロスフィルも好演していると思う。

1960年代録音のカラヤン/BPOの『悲愴』がいわゆる刷り込みなので、どうしてもそれとの比較になってしまうのだが、あのベルリン・フィルの豪華で分厚い響きと比べると少々響きが薄手というのは否めないところが残念だ。

なお HMVのサイトで、ジュリーニについてのよくまとまった記事があった。

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2006年7月28日 (金)

百万ドルトリオ 「大公」、シューベルト第1番

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ルービンシュタインのピアノ、ハイフェッツのヴァイオリン、フォイアマンのチェロによる1941年だけ存在したピアノ三重奏団。その豪華さから「百万ドルトリオ」と呼ばれた。現在の円換算(115円としても1億1500万円だし、360円時代には3億6千万円となる)でも、膨大な金額だが、その価値を金銭で表そうというところにアメリカらしさが出ているともいえようか。

このトリオによるベートーヴェンのピアノ三重奏曲「大公」は、村上春樹の小説「海辺のカフカ」で言及されたことで、アマゾンのユーザーレビューでは「海辺のカフカ」を読んでこの曲(この演奏)を知ったという投稿でいっぱいなほどだ。

音質は改善されてはいる(高域も伸びているし、分解能も向上している。また音の歪やにごりも少ない)が、針音めいた雑音(マスターテープ起こしのはずだが)がバックグラウンドに常駐するのがやはり気になる。

各名手の音楽性の違いも、ライナーノートで詳しく解説されているように大きいようだ。

フォイアマンの夭折により、たった一年しか存続しなかったトリオで、名手たちの共演ということでは貴重なものだが、「大公」の音楽的な感銘という点では、LPで所有しているスーク・トリオによる演奏の方が上だったように思う。

P.S.チェロがピアティゴルスキーに代わった後のトリオの同じ曲目の映像を見た覚えがあるのだが、HMVではヒットしなかった。

シューベルトの第1ピアノ三重奏曲の同じメンバーの演奏は、『シューベルティアーデ』に収録されており一度聴いたことがあることに気がついた。いわゆるダブリ買いをしてしまったようだ・・・
(-_-;)

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ミシェル・ダルベルトのスーパーピアノレッスン

先日までミシェル・ベロフによるフランス近代ピアノ音楽のレッスンが放映されていたが、今度は8月から同じフランスのピアニスト ミシェル・ダルベルトによる ロマン派のピアノ曲のレッスンが始まる。

昨日書店でレッスン用の楽譜が販売されているのをみてパラパラ立ち読みしたところ、CDで愛好している曲が多く、非常に面白そうなので購入した。

シューベルトでは、即興曲から1曲 変ホ長調 D.899 第23連符が縦横無尽に活躍する曲。そして、最後のソナタ第21番 変ロ長調。この曲がこんな譜面づらだとは思わなかった。特に第一楽章の右手は和音の連続なのには驚いた。

リストでは、『愛の夢第3番』と あの難曲 ソナタ ロ短調! 単一楽章の「ソナタ」だが、そのユニークさは譜面からも感じられる。

最後にシューマンの『謝肉祭』。スフィンクスの楽譜はこうなっているのか!

CDとこの楽譜で相当楽しめそうだ。

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2006年7月27日 (木)

WIKIPEDIAを読むだけでなく

今朝の朝日新聞朝刊の第一面「ウェブが変える」という特集連載記事で、WIKIPEDIAのことが紹介されていた。

「無料百科事典」 「誰でも執筆」 「刻々改良」 「時に編集合戦」 「正確さ『互角』」(これは、アルキメデスの定理などについてのブリタニカとWikipedia を比較した結果)という見出しが見られ、ざっくりとした解説記事になっている。

第二面は、「書き込み自在共同編集の輪」 「誤用発見 すぐ修正」 「専門家も参加」 「広がる『助け合い』」 「Q&Aサイト活況」(これは「教えてgooの記事)という見出しがある。

実際私も最近になってから何度か編集を試みてみた。あの荒川静香の金メダルで話題になった「トゥーランドット」の項目が、金メダル獲得直後にあれほどタイムリーに詳しく解説されていた理由が分かった。実に簡単に編集ができるのだ。

自分の興味関心のある分野や身近な地域のことなどを調べると明らかな間違いや補足が必要な部分も意外に多いので、時間のあるときには、編集に加わっていきたいと思っている。

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パブリック・ドメインについての違和感

著作権については、いつも分からないことが多い。今度は最近よく目にするようになったパブリック・ドメインについて。

別の記事でもこのパブリックドメインの映画について取り上げたが、考え方がどうもすっきりしない。誤解もあるだろうが、違和感をそのまま書いてみる。

ネットでは有名な「青空文庫」や、野口悠紀夫Onlineのインターネット情報源からたどれる電子図書館など、著作権切れの文学作品をときおり享受している。まずは、これらのテキストが、例えば新潮社の全集だとか、岩波書店の全集だとかの「信頼性」のある底本を利用しているというのに少々違和感がある。というのも、作家自身が書いた原稿が出版されるにあたっては、まずは編集者や校正者の手を経ており、全集などに収録される場合には文学研究者などの専門家が様々な原稿、テキストを比較参照してルビ振りなども行い、定本を作っていて、それを出版しているはずなので、その成果をそのまま利用してテキスト化するのは、何らかの権利を侵害しているのではないのかと違和感を覚える。本来なら(入手利用困難だろうが)作家の原稿をテキストから、読めるように清書する作業から始めることが必要なのではなかろうか?そうでなければ、現在の形にした編集者や研究者の努力自体が無視されてしまうことになりかねない。(この件について、岩波文庫の「風姿花伝」について青空文庫の運営者の考え方を知ることができ参考になった。やはり、校訂者の校訂という余人にはなしがたい専門的な知的行為については保護が与えられるべきだ。)


音楽の録音についても同様で、1950年以前の録音を集めた「シューベルティアーデ」などの超廉価なCDの恩恵を被っているのでえらそうなことはいえないのだが、録音時期がたとえ50年前、70年前だとしても、現在のCDフォーマットに変換したり、リマスタリングしたりしたものを、オリジナルの録音時期だけを基準にすべてパブリックドメインとするのにも違和感がある。現在なら、ディジタル化されたそれらのデータを容易にコピーして「パブリックドメイン」としてウェブ上で公開することも素人でも可能なのだが、その場合にしても録音直後の音盤から公開者が板起しでディジタルデータ化したものならまだしも、雑音除去など他者が絡んでいるものは「パブリックドメイン」とは呼べないのではないかと考える。このところ、いわゆる校訂、編集、リマスタリングを職業としている人もいるのだから、上記の「風姿花伝」のような問題が生じるのではなかろうか?

パブリック・ドメイン WIKIPEDIA

著作権には創造性が必要だというが、原稿の清書、校訂作業にしても、SP盤の雑音除去にしても相当の専門知識が必要とされ、他者では替えがたい結果が出る場合もあるのだから、その部分は保護されるべきではないのだろうか?

ちなみに、ディズニーの名作「ファンタジア」も現在はパブリックドメインとして入手可能だというが、その映像はVHSテープからのダビングものだそうで、このようなパブリックドメイン化がむしろ過去の遺産への杜撰な扱いを助長する例のような気もする。

一番の懸念は、このように、貴重な原盤やオリジナルの保存企業や保存者が、パブリックドメインになって儲けにならないということで、粗悪なコピーのみが幅を利かせてしまい、そのことで良質なものが一般に出回らなくなったりすることだ。

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2006年7月26日 (水)

Mozart Best 50

Mozart50Mozart50back

モーツァルトの生誕250年にあたる今年2006年は、前回のモーツァルトイヤー、没後200年の1991年のときほどクラシック音楽業界、出版界も盛り上がっていないように感じるのは、自分の関心が低下したせいだろうか。

1991年のときには、バブル経済がはじけた直後で、その前の経済界の活況もあり、小学館、フィリップスの共同企画、DG, DECCAそれぞれの全集など大型企画が目白押しだったように記憶しているが、それに比べればおとなしいように思う。今回はそのときの企画の焼き直し(巨大ユニバーサルミュージックによるDG,DECCA,PHILIPSをまたいだ全集の発売など)はあるが、音盤としては今回のような一般向けのオムニバスCDなどが多いようだ(ただ、旅行業界は時間的経済的に余裕のある熟年層を中心に活況のようで、モーツァルトツアーなどが多く組まれていると聞く)。ちょうど前回から今回の間に、クラシック音楽産業の状況が大幅に変わってしまったことも影響はしているだろう。

さて、このCDボックスは5枚組みで、主にDENONレーベルの録音からジャンル別に抜粋された名曲が楽章単位で聴けるもので、実家の母が、孫(我が家の長男)の誕生日プレゼントに贈ってくれた。

交響曲、オーケストラ曲は、指揮者はクリヴィヌ、コシュラー、ブロムシュテット、ハーガー。

協奏曲では、ソリストはシュミット、モラヴェツ、アンダ、バドゥラ=スコダ、カントロフ、アドリヤン、ゴールウェイ、ミルドニアン、メイエ、ティルシャル、ビドロ。

アンサンブルでは、プリンツ、ニコレ、シェレンベルガー、スーク、スメタナ四重奏団、パネンカ、オイストラフ、ヘブラー、ピリスなど。

オペラ、合唱曲、歌曲では、プライ、鮫島、プライ、ゲスティ、ドナート、シュライアー、デムスなど。

この中でCDで所有しているのは、プリンツのクラリネット五重奏曲、スイトナーの「魔笛」くらい。

一通り聞いてみたが、シェレンベルガーのオーボエ四重奏曲などこれまで聴いたことのない演奏家や録音を結構楽しめた。

惜しいのは解説にはこのオムニバス盤の制作時点での入手可能な音盤の番号が記載されていない。そのようなものがあれば販売促進にも役に立つのにと感じた。(調べる方法がないわけではないが、このCDを聞いて、この曲のこの演奏家のものを購入したいと思う人もいるだろう。)

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2006年7月25日 (火)

J.S.バッハ 「ピアノ」による小品集 高橋悠治 ケンプ

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セット物の分売。ブゾーニ、ケンプ、高橋悠治の編曲によるピアノでのJ.S.バッハ 小品集。

高橋悠治は今でも活躍中で、先般もCDショップで新録音の「ゴルトベルク変奏曲」のCDが発売されているのを見た。

高橋悠治による編曲は、マタイ受難曲 "Erbarme dich,mein Gott"のアリアが心に沁みる。高橋自身のピアノ演奏は情緒的ではなくそっけないのが少し物足りないが。

このリストの中では、なんと言ってもケンプによる「カンタータ147番」からの「主よ、人の望みの喜びよ」の編曲、自演が自分にとっては懐かしい。(マイラ・ヘスによる編曲でも知られている。)ケンプはピアノでも「ゴルトベルク変奏曲」や「平均律」を録音しているし、このケンプ編曲の小曲集の楽譜も入手可能だが、音盤の方はこれこれで聴くことができるようだ。また、ケンプによる編曲はケンプの弟子、オピッツによる演奏でも聴くことができる。

フルッチョ・ブゾーニによる、「トッカータとフーガ ニ短調」、「シャコンヌ ニ短調」の編曲を高橋のピアノで聴けるのも面白い。ただ、後者は録音の関係がステレオのはずが音像が中央に結ばれ、それが右左に揺れ動くのがヘッドフォンで聴いていると少々つらい。

追記:2007/09/16 mozart1889さんの「J・S・バッハのコラール前奏曲集 ウィルヘルム・ケンプ(Pf) ~バッハ名演集~ 」にトラックバックとコメント。

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池波正太郎「鬼平犯科帳」シリーズを読み始める

池波正太郎の時代小説は、古くからテレビドラマ化されていて人気を誇っていたようで新聞のテレビ欄では見かけたことはあったが、これまで視聴する機会がなかった。時代小説というといかにも通俗的過ぎるような印象がして若い頃は敬遠していたというのが本当かもしれない。しかし、地元に近い松代藩の真田十万石関係の「真田騒動」(恩田木工が主人公)や真田町、上田市が舞台となっている「真田太平記」(まだ全巻読破ではないが)は読んだこともあるし、長野県の上田市にある池波正太郎記念館にも足を運んだことがあったが、前述のような印象が深く、より人口に膾炙している「鬼平」「梅安」「剣豪」シリーズは書店の棚ではよく見たが読んだことがなかった。

しかし、今年になって隆慶一郎の時代小説を読む機会を得て、伝奇的な時代小説の面白さを知り、時代小説への抵抗感が薄れていたり、東京を散歩した経験などのおかげで江戸の地名にも多少実感が沸いてきたこともあり、ブックオフで「鬼平」シリーズの第1巻を入手してみた。

今回も先入観に捉われた食わず嫌いは損ということを痛感した次第である。

未だ入手できていない第7巻をのぞいて、すでに第10巻まで一息に楽しんでしまった。

【火付盗賊改】ひつけとうぞくあらため
江戸幕府の職名。老中の支配に属し、江戸市中および近郷を巡邏(じゅんら)し、放火・窃盗・博打(ばくち)の取締りとその犯人の裁判をもつかさどった。Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988

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2006年7月24日 (月)

モーツァルト ピアノ・ソナタ集 リリー・クラウス (CBS盤)

Kraus モーツァルト ピアノ・ソナタ
第11番イ長調 K.331 〔1967年10月〕
第8番 イ短調 K.310 〔1967年10月〕
第15番 ハ長調K.545 〔1968年5月〕
第10番ハ長調K.330 〔1968年3月〕

リリー・クラウス Lili Kraus

リリー・クラウスも、音楽雑誌やレコードカタログなどで名のみ知っていた演奏家の一人で、ようやく最近CDを入手し、その演奏に触れることができた。私がクラシックを聴き始めた頃のCBSソニーのLPに封入されていたカタログには、このクラウスによるモーツァルトのピアノ協奏曲が何曲か掲載されていた。モーツァルト弾きとして、クララ・ハスキル、イングリット・ヘブラーなどの女流ピアニストとよく並べて語られていた。その中では、優美な演奏だが、ムラがあるなどとされていたのを記憶している。(なお、このクラウスは、1904年生まれ、ハンガリーでバルトーク、コダーイに師事したいわゆるハンガリー派の先駆け的なピアニストでもあり、第二次大戦中インドネシアで日本軍の捕虜になったことでも知られている。)

イ長調 「トルコ行進曲付き」は、最も有名なソナタだが、まったくソナタ形式を含まず、冒頭に優美なアンダンテの当時としては長大な変奏曲を持っており、第2楽章はメヌエット、そして、第3楽章は有名なロンド形式のトルコ風行進曲。クラウスのピアノは、丸く粒立ちがよい音でピッタリとつぼにはまった趣がある。ギーゼキングの(私にとっては)無味乾燥な演奏、最近の内田光子やピリスの少々神経質な演奏に比べて、テンポがよく、健やかで、聴き疲れがしない。

他の曲もおよそ上記のような特徴を備える。ただ、惜しいことに最後の第10番が録音の保存状態のせいか、一番新しい録音の割りに音割れがするものになってしまっている。

クラウスのモーツァルトは、一般的にはEMI盤のモノーラルの方がこのCBS盤よりもさらによいという評判なので、そちらもいずれ聴いてみたいものだ。

2009/05/23 追記:このCDの音質について、"And die Musik" という著名なクラシック音楽ページで言及されているのを見つけた。多分同じ抜粋盤についてだと思うが「あまり良い音質のCDとは言い難いです。アナログ全盛期、1967年から68年に録音した割に、ノイズがひどく、高音がきついため、長時間はとても聴いていられません。」ところが、その後に発売された全集盤では音質はまったく改善されている。「スピーカーから流れてきた音は抜粋盤とは全く別物でした。『最新録音盤にも引けを取らない音質の良さ』だとは必ずしも思わないのですが、全く別の音です。」

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2006年7月23日 (日)

バロック・コンサート オルフェウス室内管弦楽団

Orpheus_baroque_concert

まだ鬱陶しい梅雨が継続中。気まぐれな梅雨前線は素直に北上して消滅せずに、中部に居座ったあと、また南下して、熊本、鹿児島などに局地的な豪雨を降らせているようだ。

さて、そのような梅雨の日曜日の朝、つい寝過ごして、遅い朝食のときに聞いたCDがこれ。

指揮者なしのオルフェウス室内管弦楽団。現代楽器によりヘンデル、パッヘルベル、アルビノーニ、バッハ、パーセル、コレッリ、ヴィヴァルディとバロック時代の巨匠たちの名曲を演奏、録音も明快でBGMにもってこい。パーセルの「シャコンヌ」ト短調はこのCDで初めて聞いたが、素晴らしい曲だった。

なお、ライナーの曲目解説は、リンクを張らせてもらっている音楽評論家の加藤浩子さんによるものだった。

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長過ぎる?夏休み

少々暴論を。

北海道や長野などの寒冷地の地方を除き、ほとんどの地方の小中学校が夏休みに入ったようだ。この夏休みは8月の末まで続く長いものだ。

私などが就職を決める頃は、学校の教師のメリットとして夏休み、冬休みなど長期の休みが取れる点が知られていたような気がする。少し前までは教職員は、自宅研修という名の下に実質的な長期休暇を取れたようだが、少し前に「公務員」としての教師の勤務について世間の目が厳しくなったためか、今では子ども達が休みでガランとした学校に、教職員はよほどのことがない限り出勤しているという。しかし、授業もなく、何を研修しているのか、疑問ではある。

そして、子ども達といえば、中学受験を目指す子どもは小学校から学習塾の夏季講座に通って朝から晩まで勉強漬けとなり、一方のんびりした子どもたちは学校から「宿題帳」も出ないのでほとんど勉強もすることなく、一ヶ月以上も家でダラダラする毎日となる。7月の下旬など、学校によっては補修授業的な対応をすることもあるようで、希望者は一週間ほど学校に通うことになる。

教師は学校で研修しているというのに、子ども達は千差万別というのは、本末転倒ではあるまいか。土曜日全休にして授業時間が短くなったと言って、学校行事をこまごま調整しているようだが、このような無意味に長い夏休みを短くするだけでも、学習時間の不足は補え学力向上に資するし、夏季の非行なども防げるのではあるまいか?現在の夏休みは、教師にとっても、子どもにとっても時間的にも税金的にも非常に非生産的なものだ。

また、親といえば、短い夏休みを苦労して取り、里帰りだ旅行だと気も心も休まらない。ヨーロッパ並にバカンスでもあれば別なのだが。

ハード的な問題としては、公立学校の冷房が全国的にまったく普及していないことがある。しかし、これこそ政策次第でどうにもなる話だろう。

これについても、WIKIPEDIA の 「夏休み」が結構参考になる。

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2006年7月22日 (土)

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調作品27-2「月光」 アシュケナージ

Beethoven_sonata_81423_ashkenazyベートヴェン ピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調 Op.27-2 「月光」

ヴラディーミル・アシュケナージ (6:07, 2:10, 7:32) 〔1977年9月録音〕 

相当前に書こうとしていて、まとまらず、アップしそびれていた記事。

6/21朝、梅雨に入り湿度が高く鬱陶しい満員電車の中で押し合いへし合いしながら通勤している途上、なぜか「月光」ソナタの第2楽章が脳裏に浮かんできた。

何度も聴き過ぎたこともあり食傷気味でずっとプレーヤーに掛けることがなかった曲だ。「二つの深遠をつなぐ妖精の架け橋」(一輪の花だったか?)と評される淡く優美な第2楽章の冒頭が急に思い浮かんだ。(いわゆる「通俗的」になりすぎると心が離れるということは、不思議な心理現象だ。吉田秀和「私の好きな曲」の「ドヴォルジャーク 交響曲第八番」の項で、吉田さんが「新世界」交響曲はあまりに通俗化したため聴く気になれないという旨のことが書かれており、結構驚いたのだが、通俗化したのとしないので作品の価値に変わりが出るものだろうか?)

さて、先日セルとクリーヴランド管弦楽団の最後のドヴォ8のCDの記事を書いたが、それが6/22のことで、そのとき同時に購入したのが、これまで聴いたことのなかったこのアシュケナージによるいわゆる「三大ソナタ集」だった。

その「月光」を聴いてみた。先日も、ゲルバーのEMI盤を聴いたし、この曲と言えば例のクライバーン、次に正統派のバックハウスのステレオ盤、それからグルダのアマデオ盤、R.ゼルキンとホロヴィッツのCBS盤、それからグールド盤などを聴いてきたのだが、それらと比べてアシュケナージのピアノは、それほど魅力的なものとは感じなかった。

第1楽章は、素人が格好つけて弾くときのように、冒頭をゆっくり入りそれから普通のテンポに移るような弾き方をしている。また、フレーズの前でタメを作っているのが気になってしまう。高音部と低音部の音色は悪くないのだが、中音部の例の3連符のあたりがコツコツするような音が聞こえるのも気になる。

第2楽章は、それほど違和感はないが、スタッカート音符が付点的になるようで少しリズム的に重いのがどうも気になる。

第3楽章のプレスト・アジタートは、比較的違和感はない。ただ、左手の16分の伴奏音型の音量に幾分ムラが感じられる。75小節からの展開部や167小節からのコーダの左手の第二主題の付点音符の弾き方がどうも野暮ったい。

全体的に誠実で、充実した音楽ではあるのだが。

どうもアシュケナージのピアノとは相性が悪いようだ。このことについては別に書いてみたい。

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長野水害と「脱ダム宣言」の田中知事

まずは今回の水害の被災者の方々にお見舞いを申し上げます。

さて、梅雨末期の大雨は、近年各県で猛威を奮い、印象に残っているのでは、栃木県の北部での水害や、昨年の新潟地方の水害が記憶にあるが、今年は7月中旬、長野県の西部での総降水量が膨大だったようで、諏訪湖の湖岸の岡谷市での土石流災害、諏訪湖から流れ出す天竜川が増水により決壊と、近年にない水害に見舞われた。降水量としては記録的と言われる豪雨であり、いわば未曾有の災害だったとも言えるのかもしれないが、このような梅雨時の大雨は地球温暖化の影響ではないかと指摘する向きが多いようだ。

さて、現在長野県の県知事である田中康夫氏は、建設省→国土交通省の土木工事による治水事業に対して「脱ダム宣言」をぶつけて守旧派の副知事を退けて知事に当選した経歴をもっている。森林の保水力を維持、復活させて土石流、洪水を防ごうという思想で、巨大な治水ダムを建設して短期間無理やり洪水を防ごうという技術至上主義を否定しようとするもので、その考え方自体は悪くはないと私は思う。

しかし、人為による全地球規模での気象変動により、このような洪水が相次ぐことになったとみなす向きが多い今、悠長なことは言っていられないという考え方も当然出てこよう。

この8月に、自民党の長野県選出の国会議員だった村井氏と一騎打ちで3選目(途中、議会不信任のため任期途中で選挙があった)の知事選を戦うことになったが、今回の災害についての両者の総括の内容が選挙結果に大きな影響を及ぼすものと思われる。

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ブラームス 交響曲第1番 セル/クリーヴランド管弦楽団

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ブラームス 交響曲第1番 ハ短調 作品68 (13:05 = 提示部繰り返しなし、9:22, 4:41, 16:20)  
ジョージ・セル指揮 クリーヴランド管弦楽団
 併録 大学祝典序曲 作品80 (10:56)

先日相互リンクをいただいたいるBlogoutさんによる上記録音の記事を拝見しコメントさせてもらったのをきっかけに久しぶりに聴きたくなり、CDを取り出した。これはいわゆるセット物でもう6,7年前ブックオフで購入したもの。セルの正規盤はメガストアでもあまり在庫していないことが多く目に留まるとこのようなセット物もつい買ってしまう。

さて、今晩は、この五月連休に実家から持ってきたポケットスコアを見ながら聴いてみたところ、先日のコメントで触れた「冒頭の速さから続くすわりの悪さ」もそれほど気にならず(ブラームスのスコアは、結構追いにくく、そちらに神経が集中されていたこともあるのだが)、逆に実に精緻にスコアを音化しているものだと感心しながら最後まで聴き通してしまった。

スコアを参照しながらのリスニングはこのところずっと遠ざかっていた。というのも、木を見て森を見ず的な聴き方になりがちなのと、スコアからの音符の情報の補足により細かい部分が実際に聞いているよりも聞けているような気になりがちなので、全体の流れやmassとしての響き、音楽像がつかめなくなることがあるためだった。

このセルのブラームスの第1番は、名演とされる第3番、意外にも寛いだ雰囲気で気に入っている第2番そして私にとって非常に大切な第4番に比べて、同曲異演盤の比較対照も多いこともあり、どちらかと言うと個人的には影が薄いものだった。しかし、今晩はスコア効果もあり、非常に楽しめたし、改めてクリーヴランド管弦楽団の弦楽器群の優秀さを思い知った。

どうも安定感がないというのも、この演奏・録音が、楽譜のダイナミック指示、テンポ、アーティキュレーション、フレージングを精緻に行いすぎてかえってぎこちない流れやバランスのあまりよくない響きをもたらしていたという風にも捉えられるのかも知れない。ただ、冒頭のティンパニのテンポが微妙に揺れるのだけはまったく惜しいと思う。

なお、前に記事にしたショルティ/シカゴ響の同曲も、傾向としてはセル盤と同じくザッハリッヒな演奏なのだが、全体の響きやフォルムはセル盤よりもかっちりしているように思う。むしろセル盤はこの曲に内包されているラプソディックな要素を強調しているし、ショルティ盤よりも音色やリズムが柔軟だ。

cf)同曲の記事
ザンデルリング/SKD
ショルティ/CSO

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2006年7月21日 (金)

昭和天皇の発言メモの発見

「昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示し、自らの参拝を中止したとする当時の宮内庁長官のメモが見つかった」

昨日のニュースで、昭和天皇の晩年の発言を当時の宮内庁長官がメモしたものが「発見」され、その中に靖国神社へのA級戦犯合祀に関する昭和天皇の所感が記されていたとのことで、政治的に波紋を広げている。

この発言は、非常に重大なものではあるが、内密に所感として側近に漏らされたものではないのだろうか?現憲法下で、政治的な存在であってはならないとされる天皇の、言動は非常に公的なものではあるとは言え、その個人的な記録のようなものを現在のようにマスコミが騒ぎ、それに対して政治家が論議するというのは、どうも憲法的に異常な事態ではないかと思う。一種の「天皇制」の政治利用に近いのではなかろうか?

ことの是非を問わず、この同じ論法を使うことによって、天皇が後世の政治に大きい影響を与えることが可能となる恐れもあるという意味で二重に懸念される。

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2006年7月20日 (木)

ディズニーリゾート訪問記2 ディズニーランド、イクスピアリ

7月16日(日) 天気 曇り。ディズニーシーの翌日は、2DAYパスポートという入園券で入場予約済みのディズニーランドへ。

睡眠不足だったが、それなりに前日の疲れも取れ8時頃シャトルバスでホテルを出発した。バスの座席にも座れて幸先よし。曇り空で昨日ほど暑くはなさそうだ。バスはディズニーシーで3分の1ほどの乗客を降ろし、8時半ごろディズニーランドの5番バス停に到着。8時開園のはずだが、すでに大勢の来客者が詰め掛けていた(後で調べると開門の何時間も前から並んでいる来園者もいるのだそうだ!)。

すぐに入場。入園してすぐキツネのロビン・フッドの着ぐるみに出会い独占記念撮影。

妻が「バズライトイヤー」のアトラクションのファストパスを取りたいというのに付き合って、わき目も振らずに向かうとすでに長蛇の列。その間の時間繋ぎのため内容は分からないがとりあえず子どもたちと隣にある「ミクロアドヴェンチャー」というアトラクションに並んでみた。途中で「バズ」の昼過ぎのファストパスを獲得した妻も列に合流。

「ミクロアドヴェンチャー」は3Dメガネ装着のコメディー風SF映画なのだが、その出来栄えは恐ろしくリアルで、立体映像が刺激的なため悲鳴を上げて泣いている幼児もいたほど。蛇が苦手な人はショックが強すぎるかも知れない。

次は、前回5年前に来演したときに乗ったことのあるロケットの回りをブンブン飛び回る乗り物アトラクション。こちらはファストパスの設定はなく、妻がやはり並んでいるからというので、その間、前回幼児だった子どもたちが結構気に入った「トゥーンタウン」に子どもたちと行ってみる。曇り空ながらさすがに暑い。連休の中間日ということもあり、人手も昨日のディズニーシーに比べて非常に多いようだ。子どもが遊んでいる間、日陰で汗をぬぐう大人の姿が多いこと。

40分ほどして「ロケットのアトラクション」に乗車。「宇宙船」は二人乗りで次男と一緒に乗り操縦桿を任せたのだが怖かったようで最上部までは上昇しなかった。

ファストパスは一回予約を入れると次回の予約を申し込めるまでに約1時間ほど制限がかかるシステムのようで、今度も是非妻が乗りたいと行っていた「プーさんのハニーハント」のファストパスの順番待ちの間に、子どもたちをつれて蒸気船「マークトゥエイン号」に乗船。前回来たときに「ウェスタンリバー鉄道」で周回したトム・ソーヤー・アイランドの周囲を船で巡るもの。船内の案内放送によると「マーク・トゥエイン」(Mark Twain)とは水深2尋 約3.6メートル)という河川航行の水先案内人の掛け声なのだという。このエリアはその作家マーク・トゥエイン(本名Samuel Langhorne Clemens)の「トム・ソーヤー」「ハックルベリー・フィン」の世界を模したもの。ミシシッピ川などのアメリカ南部の河川を外輪(後輪だったが)船で15分ほどかけて巡る。ネイティヴ・アメリカン(インディアン)のキャンプや、合衆国の連隊(レジメント)基地、トムソーヤーの小屋などが離れ小島に点在している。

下船すると妻が待っており、昼食をとる場所を探す。昨日の食事は少々変わったものだったのに加えて大量の水分の取りすぎで私が下痢気味になったこともあり、今回は胃腸が驚かないようなそれなりの内容の食事が取れる食堂を探したところ、アメリカの南部の邸宅風のレストランを見つけ、食事を取る。結構お高い。概算的にはファミレスの倍くらいする。園内では持ち込んだ食事はできないシステムなので、どうしても食堂、売店頼みになるが、どこも混んでおり、そして高価だ。その上、基本的には(片付けは別だが)セルフサービス方式。

食事後は、ランドマークであるシンデレラ城に向かい、そこを抜けて、子どもが入りたがった「ホーンティドマンション」のファストパスを妻が取っている間少し待機してから再合流して、トムソーヤーの船着場から筏でトムソーヤー島に渡り、島の中を探検。先ほどマークトゥエイン号から眺めた基地やインディアンキャンプなどを巡り、子どもたちはしばらく島の中のフィールドアスレチックで遊び、トムソーヤーのツリーハウスなどを巡って、また筏で戻り、「バズライトイヤ」ーのアトラクションに向かう。

「バズのアトラクション」は、「トイ・ストーリー」というディズニー系のピクサーのCGアニメーションに登場する脇役の宇宙飛行士が主人公となったシューティングゲームで、コースをひとめぐりする間に何ポイント上げられるかを競うもの。結果は妻がダントツで、男三人はレベル2だった。なお、このアトラクションの後には、ちょうどミュージアムショップのようにアトラクションで登場したキャラクターたちのお土産ショップが待ち構えており、ここで「リトル・グリーンメン」なるサブキャラクター的な宇宙人の人形を購入。次第に逞しい商魂に乗せられてしまっている。

次には「スターツアーズ」という映画「スターウォーズ」系のアトラクションで宇宙旅行をするもの。プロムナードでは、C3POやR2D2などのロボットが待ち構えているのだが、ちょうどパレード中ということもありこのアトラクションはあまり列ができておらず、すぐに乗車できた。妻は以前に一度乗ったことがありそのときの衝撃を急に思い出したということで乗車前にリタイアして外で待機。立体映像ではないのだが遠近法を駆使した大画面映像(宇宙船の前面のウィンドウにあたる)と乗り物の動きが完全にリンクしており、どういう仕掛けなのか物凄い前進時のG(加速度)が加わったり、上昇・下降感覚が実際に感じられるので、落下や衝突寸前の急旋回、狭い空間のすり抜けなどでは大変なスリルを味わった。しかし後で聞いてみると子どもたちは平気の平左だったそうで、驚いた。大人と子どもでは恐怖のツボが違うようだ。

その間パレード(我が家はみなあまりパレードには関心がない)が行われていて、そのパレード後の大混雑の中をシンデレラ城に向かい、今度は先ほど取得したファストパスで、ホーンティド・マンションに入り、トロッコに乗って不気味な洋館内の次々に現れる趣向を凝らしたさまざまな仕掛けを楽しんだ。次男は結構怖かったらしいが、長男は面白かったのでもう一度入りたがっていた。スップラッター風のドギツイ演出はなかったこともあるし、西洋風の幽霊はあまり恐怖のツボをくすぐらないようだ。

カキ氷を食べながら一休みをして、前回訪れたときに楽しめた「ジャングルクルーズ」と「ウェスタンリバー鉄道」に向かった。(これで相当園内を動き回ったことになる)。ただ、行ってみると残念ながらウェスタンリバー鉄道は調整中で運行していなかった。(後で確かめると、設備のメンテナンスのために、相当の期間アトラクションが運行休止になることは普通のようだ。)この途中、ウェスタンスタイルのミッキーマウスや「トイ・ストーリー」のカウボーイウッディーに遭遇、運良く記念撮影ができた。

「ジャングルクルーズ」は前回も乗船したのだが、まったく同じ演出、船長の台詞ながら趣向が凝らされていて楽しめた。陸上探検隊がサイに追われているシーンの木の天辺に白人の「旦那」が登りその下でサイに襲われそうになっているアフリカ現地人ポーター・ガイドの姿、首狩族の滑稽な姿は、ディズニー的な人種観をはしなくも示しているようだった。また、ゴリラの群れが探検隊のキャンプを襲っているシーンも動物の生態的にはひどい通俗的な誤解を撒き散らすものではなかろうか?

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再びショップで買い物をしてから(アフリカの楽器 カリンバの本物も陳列されていた)、「カリブの海賊」の荒んで陰惨なシーンをボートの上から眺めた(あの映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」の人気の影響で、このアトラクションも人気再燃のようだった)。七つの海を荒らしまわったアングロ・サクソンの暴力的で破廉恥な光景だが、もし日本人が作るとすれば「倭寇」だろうか?

海賊関係ショップには大砲や短銃、海賊旗などが売られており興味深く見物した後、午前中に予約してようやく取れた18:40から入場可能の「プーさんのハニーハント」に向かうと、ファストパス以外のスタンバイという通常の行列は相当長く続いていた。(ただ、これまでの経験上所要時間の表示は相当割り増ししており、50分待ちが実際には30分だったりしていたので、スタンバイでも辛抱すれば結構見られる)。

「プーさんのハニーハント」は、ディズニーアニメ映画の「蜂蜜泥棒」を主題にしたアトラクションのようで、結構よくできていた(家族の反応はいまいちで妻は期待はずれと言っていたが)。なお、プロムナードには、A.A.ミルンの息子クリストファー=ロビン・ミルンの部屋がアニメ風に再現されていたりしてゆっくり見たかった。(別記事で書いたが、例の著作権紛争は、ミルンの子孫とディズニー側の敗訴に終わったのだが、今後ディズニーでの「プー」はどうなるのだろうか?)

続いて、その近くにある「アリスのハートのクイーンのレストラン」(前回来場したときにはここで昼食を食べた)でやはりファミレスの倍はする値段の食事をして(その間にエレクトリカルパレードは終わったらしい)、「コーヒーカップ」(アリスのマッドティーパーティー)でめまいを楽しみ、「スモールワールド」(単純だが結構見ごたえがある演出だった。ただ国の特定ができないものが多かった)の船に乗り(この間に花火は終わったようだ)、いくつか乗りたいアトラクション(ピーターパンアドヴェンチャーなど)もあったが、8時を過ぎていたので、そろそろホテルに帰ることにした。

帰路シンデレラ城の夜景で撮影したり、巨大なアーケード式の商店街で妻が買い物をするのを待ち、その間ディズニーギャラリーの展示物(アニメーションの中の犬と猫)を見たり、夜景撮影をしたりして、ホテル行きのバス乗り場5番に行くとすでにホテル客が相当並んでいた。子どもたちは何とか座れたが妻と私は立ってホテルまでバスで帰った。(なお、夜景の撮影は、SLOWフラッシュモードを使えば、人物とその背景のネオンや電飾などがうまく写る。ブレには注意)

この日も朝からの歩き続き、立ち続け、蒸し暑さで疲れたが、ホテルの部屋に慣れたこともあり(冷房の調整や寝る位置の調整、窓を少し開けて空気の入れ替えをした)ので、全員熟睡ができた。

翌日の「海の日」は、チェックアウトの10時までゆっくり過ごし、ディズニーランドまでシャトルバス利用で移動し(遠路はるばる来た人たちも多かったようで大きい荷物やお土産を抱えた人が多かった)、宿泊用荷物や土産物をコインロッカーに預けてイクスピアリへ。妻がウィンドウショッピングの間、イクスピアリ探検やリゾートラインのモノレール乗車を楽しみ、舞浜地ビール工房Roti's House付属のレストランで(旅行会社の割引券が使えたので、地ビールハーヴェストムーンが四杯も無料だった!相当な賞も受賞しているという旨い地ビールだった)食事をして早めに舞浜駅を後にした。

帰宅してから感想を述べ合ったが、子どもたちは断然ディズニーランドの方が楽しめたという。逆に私はキャラクターが前面に出ないで様々な趣向が凝らされたディズニーシーの方が比較的楽しめた。妻も同じ意見だったが、最終日にイクスピアリでウィンドウショッピングできたのも結構ポイントが高かったという。当初の目論見とは異なり、子どもたちには約束以上のおもちゃ類を買い与えてしまったのには大反省である。

以下は拗ね者的な観点からの感想を少々。

これはどこかで耳にしたことがあったのだが、ディズニーランドでは夕暮れになるといわゆる「ドブ」臭い異臭がそこはかとなくあたりに漂っていた。これにはせっかくの別世界ムードが損なわれる。市街地でも夜更けになると下水の臭いが漂うことがあるので、おそらく外気の温度と下水の温度差などが関係する現象なのだろうと思う。(近隣のマンションの掲示板に臭いについてのコメントが多かった

ただ、その別世界ムードの演出のためだろうが、園内では昆虫やその他の小動物の姿をほとんど見かけなかった。いわゆる蝶やトンボのような好感度の高い虫も、夏の夜の風物詩である光に群がる蛾や嫌われ者の蚊もいない。日中は蝿もいない。またカルガモの類はときおり見かけたが、スズメを見た記憶はないし、カラスや海辺では上空を旋回するトビの姿もなかった。さらに池や水路には金魚や鯉、蛙、アメンボなどの姿もない。シンデレラ城の周囲の池の蓮の花と葉もよく見るとイミテーションだった。いわゆる害虫類や害鳥類の侵入をどのような手段でコントロールしているのか知らないが、よくよく考えると恐ろしいほどの「清潔」な人工空間である。(蝿などの発生をふせぐためもあるだろうが、園内の食べこぼしのゴミの清掃やゴミ箱のゴミ袋の入れ替えを相当頻繁に実施していたのが目についた。)

なお、蚊については同じようなことを感じた人もいるようだ。蚊がいない? また、害虫駆除についてはこのディズニーについて詳しいBLOGにも関連記事があったがこれはジョークだろうか。


さて、この東京ディズニーリゾートは、世界的にはディズニーランド3番目のディズニー遊園地なのだそうだが、当時ディズニー本社の経営が思わしくなかったため、日本資本のオリエンタル・ランドがフランチャイズ方式で経営することになったとのこと。ディズニー本社はその後立ち直ったので、いまや全世界ディズニー施設(アメリカ2箇所、日本、パリ、香港)で儲け頭の東京ディズニーリゾートが直営でないことを悔やんでいるという。そして現在でも東京ディズニーリゾートの施設は拡張を続け、現在3つ目の直営ホテルが建設中で、何番目かのオフィシャルホテルもほぼ完成されていた。オリエンタルランドの本社社屋はディズニーランドとディズニーシーの間にあるのがシャトルバスから見えた。

オリエンタルランドは現在東証一部上場企業で、そのサービスの質の高さを売り物にしている(アルバイト従業員のリピート率も高いという)のだが、今回訪れてみるとさすがにディズニーランドの方は開業20年を過ぎ、施設もところどころ老朽化し始めている(特にトイレなど)し、従業員の士気も多少落ちているようで、レストランのウェイターやショップの店員が来客の見えるところで雑談しているような場面もみかけた。もちろん、炎天下で働いている園内巡回の従業員に写真撮影などを頼むと気軽に応じてくれるのは、よくトレーニングされているとは思う。

現在、株式市場の全体的な低落傾向も影響して、この会社の株価も最近年初来安値をつけているようだ。またホームページを見ると入場者数も頭打ちになってきており、2003年をピークに2004年、2005年と減少しているという。それでもものすごい入場者ではある。それを補うためか、この9月から入場料も値上げされるらしい。今後の日本の少子化による人口減を見込んで入場者数が増えなくても収益確保できる体質になることが必要なのではあるまいかと、ひとごとながら気になった。サービスの質を落とさずにいかに収益を上げるかが課題だろう。

なお、前から聞いていたが、アジア諸国からの来客者が結構めだった。統計では海外からの入場者は3%程度らしいが、韓国、中国本土、台湾などからの来訪者が多いように感じられた。その割には場内の案内はハングルや漢字はほとんど見かけることがなく、映画アトラクションの字幕に繁体字の漢字が用いられたり、中国語、英語の同時通訳ヘッドフォンのサービスがあるのが目立つ程度で、少々片手落ちではないかと感じることもあった。 英語のアナウンスはときどき聞こえた。

また、前記の入場者統計で目をひくのは、男女比率で75%が女性だという。感覚的には多いのは家族連れだったが、その中でも少女が多く少年は少ないように見えた。また、女性だけのグループは多くみかけたが、男性だけは少なかった。地域別では関東圏からの入場者が他を圧して70%近くで、関東隣接の中部甲信越を含めると約80%にもなり、意外にも来場者構成からは地方的なテーマランドだということもでできるようだ。

なお、今回浦安市という地方自治体に滞在したので、少し興味をもった。今回、宿泊したホテルは、幕張寄りの広大な埋立地が整然と碁盤の目状に整備された区画にあった。埋立地だけあり真平らで道路は非常に広い。東京湾の一番奥まった地にある浦安近辺は、エッセイストの椎名誠の故郷が幕張だったこともあり、彼の自伝的短編小説(「土星を見る人」に収録)を読むと、少年の頃は遠浅の干潟が広がっている土地だったという。また、さらに有名な山本周五郎の「青べか物語」は漁村だったころの浦安を舞台にしたもの。そこからの変貌はまさに別世界の出来事のようだ。


参考図書:「ディズニーランドという聖地」(岩波新書) 書評より「ディズニーランドがいかに隅々まで統制・計画された空間なのか。ディズニーランドへの訪問方法、入場、アトラクションへのアプローチと分析が進むにつれ、薄ら寒いほどの管理体制と計算が明らかになり、アメリカンドリームの恐ろしさが見えてくる。」
なるほど!

「東京ディズニーランド 暗黒の奇跡」紹介より「開園から22年を迎えた東京ディズニーリゾート。子供や若者たちが楽しげに行き交う「夢の国」は、浦安の海を埋め立てたものだった。そして、怪物たちが利権争いに暗闘した場所でもあった。著者の丹念な取材によって、語られることのなかった「秘話」の数々が、いま、明かされる。」利権、恐るべし。ディズニー社が熱心なCopyrightという権利も創作者個人の手を離れた利権のひとつではあるように思う。

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2006年7月19日 (水)

ディズニーリゾート訪問記1 ディズニーシー

海の日の三連休を利用してディズニーリゾート(ディズニーシー、ディズニーランド)を訪れた。

2001年の6月に子どもたちがまだ幼稚園生だったころ、試しにという気分で日帰りでディズニーランドに行ってみた。そのときは快晴だったこともあり関東地方の入梅前の猛烈な暑さに閉口し、またアトラクションに乗るための長蛇の列と、当時は入園券と乗り物券が別だったこともあり乗り物券の高価さにも閉口、さらにあまりにもアメリカナイズされた異空間に違和感を覚えてしまった。

その後ディズニーシーが2001年9月に開園したり、近所の知り合いから毎年のようにディズニー土産をもらったりしたこともあり、2001年以来妻が時折行きたいと言っていたのだが、私の方といえば前回のトラウマで行きたいとは思わず、子どもたちもその間成長してディズニーアニメの世界(ファンタジア、プーさん、アリス、ロビン・フッドなどは何度見たことか!)からは相当離れてしまったので彼らも積極性を見せず、妻はフラストレーションをためていたが、今年になってひそかに旅行代理店で宿泊予約までしておいて最近になってディズニーリゾート行きを宣言し、今回の急激な猛暑での熱中症もしくは梅雨末期の大雨を心配しながらの一家揃ってのディズニー・リゾート行きとなった。

7/16(土)起床6:00! 最寄駅発8:00 大井町--りんかい線--新木場 舞浜 9:30頃

大崎から新木場までお台場の地下を行く「りんかい線」が開通したので、それまで千葉方面に行くのに利用していた東京駅での京葉線乗換えよりもショートカットで便利になり、これを利用した。ただ、りんかい線の大井町の駅は地下深く(数十メートル?)、乗り換えに10分程度かかるのと、JRのほとんどの路線からは連続切符を買えないのでいちいち大井町-新木場の切符を330円も出して買わなければならないのが難点だった。(その意味では東横線-日比谷線で八丁堀乗り換えの方が便利なのだが。)また、室内の冷房が効きすぎていた。

さて、この日は雨空どころか朝から快晴で、気温は9時頃には30度を越えていたものと思う。(最高気温は35度だったそうだから炎天下では軽く体温をオーバーだっただろう)

宿泊予約先が非常にリーズナブルなファミリー向けパートナーホテル(東京ディズニーリゾートを経営するオリエンタルランドの子会社が運営しているファウンテンテラスホテル)で荷物運搬サービスが受けられるとのことで舞浜駅最寄のウェルカムセンターに行ったところオフィシャルホテルの受付のみで、パートナーホテルは「ボンボヤージュ」というショッピングセンターの一階が受付とのこと。炎天下を徒歩で移動して荷物を預けて(2個まで500円、追加1個につき100円なので、コインロッカー利用よりもお得)、再度リゾートラインという跨座式一方通行、周回型のモノレール乗り場へ引き返す。大人200円、子ども100円料金。ディズニーシーへと向かう。

途中東京湾の景色が見られる。船の航跡がくっきりと鮮やか。ディズニーシーの客船、イタリア風の建物群や人工火山が目に飛び込んでくる。ディズニーシー駅で降りて入場口へ。クーポン券を「パスポート」(魔法の王国への旅券という意味らしい)という「入場券+乗り物券」のセットに引き換えて入場。今年でこのディズニーシーは開園5周年とのことで、5周年の掲示がところどころで見られた。

ディズニーシーの建築物は非常に凝ったものが多い。入り口から続く町並み(ホテルと土産物店)はイタリア風。そしてその奥の池の周囲の風景はいわゆる地中海の入り江、ヴェネチアなどを模したものだという。人工的に古びを演出しておりその凝りようには驚かされる。人工環境の極致か。

炎天下の中、中央の高さ数十メートルの人工火山島(向かいの羽田空港からもその姿が確認できる)に向かって進み、最初のアトラクション「海底2万哩(マイル)」を約40分待って体験する。乗り物に乗るまでの待ち行列の慰みにヴェルヌの潜水冒険の世界を再現したさまざまな器具、部屋、地図などなどが陳列されていて驚かされる。このようにこのディズニーシーは、特にディズニーキャラクターやアニメーションにこだわることない演出が多いようだ。

次に向かったのは、アラビアンナイトの世界。モスクや宮殿を再現したアラビア、イスラム風の建物群が非常にものめずらしく、少し感激した。朝食が早かったため早めのお昼をここのカレー類を中心にしたレストランで採る。入り口向かって右側が宮殿のダイニングルーム、左側が庶民的な食堂のイメージだという。カレー類、インドネシア風ナシゴレン、中国風チャーメンなどがメニュー。二階建ての回転木馬(メリー・ゴーラウンド、カルーセル)に二階、一階と乗車後、マジシャンのショーを見物。登場人物が立体映像と組み合わされ面白かった。周囲の町並みもアラビア風にそれらしく作られており、バザールの風景とはこんなものかと異国を旅しているような不思議な感覚を味わえた。P7150012_1


アラビアの世界で楽しんだ後は、人魚姫リトルマーメイドの水中世界へ。その前にヤドカリの乗り物に乗り急速回転を楽しむ。水中世界は地下空間に広大に繰り広げられている。照明も工夫されており、これも別世界へのトリップを味わえる。ここは子ども向きのアトラクションが多く、フグの回転アトラクションの乗ってから子どもたちはフィールドアスレチック風の施設でも楽しめたようだ。

地下を出ようとしたところ、大勢が駆け込んで来たのでもしやと思ったら雨が降り始めていた。折りたたみ傘持参だったので、ここから、中南米の密林を模したエリアに行ったが、インディー・ジョーンズアトラクションは次男が嫌がったのでパスして、ニューヨークの港に行く高架鉄道まで進んだ。(このSFエリアのアトラクションは後回しにしたところ、結局時間がなくどれにも乗れなかった。)

高架鉄道の周辺の未来風の風景からフィレンツェのポンテヴェッキオやアメリカのケープコッドの風景を両側に見て進むと終点は「20世紀初頭のニューヨーク港の風景、町並み」を模した一角。「SSコロンビア号」なる架空の大型豪華客船に乗船し、船首デッキからの風景を楽しみ、冷たいものでも飲もうと、3階の一等ダイニングに入った。もう食事時間が過ぎていたので、飲み物だけにしたのだが、豪華な雰囲気は味わえたがさすがに周囲はコース料理を食べている人が多く、少々引け目を感じて居心地が悪く、少し涼んでから退出した。ただ、ソフトドリンクだけで一人500円!もしてしまった。(なお装飾としてガレ風のトンボをあしらったガラス器が展示されていたが、本物だろうか?)

ここを出てニューヨークの町並みを過ぎ、フィレンツェのポンテヴェッキオを過ぎて右に見えるフォートレス・エクスプロレーションズの城塞に入ってみた。ガレオン船には白地に赤十字のコロンブスのサンタマリア号風の旗が挙がっており、要塞自体は中近東に進出した十字軍兵士たちのたてこもる城塞風のようだったが、後で解説を読むと大航海時代、ルネサンス時代を表現したものだという。ここは電動式のアトラクションこそないものの見ごたえのあるものだった。時代考証などはどうかは分からないが、いわゆる海賊船風帆船(ガレオン船だという)の内部を見学できた。また、船や城塞から備え付けの大砲から沖行く船を「攻撃」する真似をできるのも面白いものだった。中世風の要塞城郭の内部を巡りながらさまざまなルネサンス的新発見の興味深いアトラクションを見ることができた。中でも、地動説の巨大模型は自ら惑星を運行できる仕組みになっており、装飾の美しさも素晴らしいものだった。この公式サイトを見ると日本ユニシス社がスポンサーをしているらしく、フーコーの振り子などもあったようだが、見逃してしまったのは残念。

P7150023_1

次に、乗り継ぐと園内を一周できるスチームボートに乗り込み(この船は園内のところどころで見かけて是非乗りたいと探したのだが船着場がなかなか見つからなかった。内部はイタリア風)、先ほどは通りすぎた中南米の密林で下船した。

今度は次男も「インディアナ・ジョーンズ」のアトラクションに挑戦してみてもいいということで、「クリスタル・スカル(水晶髑髏)」という恐らくアステカ文明を模した奇怪な宗教遺跡の中を進む。アトラクションに乗る前のこのようなプロムナードの凝りかたにはまったく驚かされる。ただ、非常におどろおどろしいムードのプロムナードは雰囲気の盛り上げにはいいのだが、地震とか火事とかの事故が起こった場合などの避難路はどうなっているのだろうかと現実的な心配が頭をよぎる。(調べたところ「非常口」についての解説ページが見つかった。なるほど。)さすがに大人向けのアトラクションだけあり、家族連れは少なく若者のグループが多い。(身長制限があり、次男はパスした。)

このアトラクションは、ジープ型のトロッコに乗車して映画インディー・ジョーンズ張りの様々はアクションシーンに巻き込まれるというジェットコースター的な受身型のもので、相当刺激の強いものだった。大人にとっては右に左に相当の加速度が掛かるので脱線しないかという現実的な心配をする程度で、歓声や悲鳴をあげて無事帰還できたときにはストレス解消で気分的にもすっきりできた程だったが、幼い少年にとってはガタガタするほどの怖さだったらしく、表情が強張っており、下車した後は少々興奮して機嫌が悪くなったほどだった。なだめるために入ったジャングルショップでお土産を買い、メキシカンなタコス風の夕食をとったのだが、子どもにはあまり合わなかったようだった。

レストランを出るとまた雨が降り始め、薄暗くなってきた。早朝起床と蒸し暑さで疲れ果てたので、水上ショーや花火も見ずに妻がご近所へのお土産などの買い物を済ませたら、ホテルに行くことにした。

巨大地球儀の噴水の前で20分ほど待ち、出口のすぐそばにあるホテル直通の5番バス停に行くと、すでに専用の無料シャトルバスが着いており、15分ほど乗車して浦安市の郊外の、周辺は新興マンションが多く建てられている住宅街に建てられたファミリー向け「パートナーホテル」に着いた。

このホテルは、室内は広く、ソファー兼用の補助ベッドを入れると4人が眠れるようになっており、アメニティーや設備はビジネスホテル並みだが、昨年開業したばかりのため新しく、風呂のバスタブは大きく、トイレは別になっており、結構快適だった。しかし暑熱の名残もあったのだろう、エアコンの吹き出し口の関係で室内の温度にもムラができ、夜間はエアコンの効きすぎを用心して止めたので蒸し暑く、長男と私は睡眠不足になってしまった。(なお、早期予約と連泊特典で、ホテル内のローソンで使えるQUOカードがプレゼントされ、翌朝の食事はこれで購入できたのはお得だった。)
(2日目に続く)

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2006年7月16日 (日)

モーツァルト ピアノ五重奏曲変ホ長調 ブレンデル、他

Mozart_beetohoven_pquintet_esdur_brendelピアノ五重奏曲 変ホ長調
モーツァルト K.452 ピアノ、オーボエ、クラリネット、ホルン、バースンによる
ベートーヴェン Op.16 編成は同上

ブレンデル(p), ホリガー(Ob), ブルンナー(Cl), バウマン(Hrn), トゥーネマン(Fg) 〔1986〕

日曜日の朝8時からNHKラジオ第一放送で、今も「音楽の泉」という歴史ある番組が続いている。何週間か前、夢うつつでこの放送を聴きながらまどろんでいたら、ちょうどモーツァルトのこのクインテットが放送されていて、聴いているうちに次第に目が覚めてきた。

このCDは、モーツァルトが自ら自信作とその手紙で述べた曲を目当てに購入したのだが、若きベートーヴェンがまったく同じ編成、同じ基本調性で書いた曲の方がはじめは気に入っていた。

先日聞きなおしてみたところ、改めてモーツァルトの曲に魅力を感じた。

これは、ブレンデルとマリナーによるモーツァルトのピアノ協奏曲全集の補遺にあたるようなもので、内田光子も同じようにピアノ協奏曲とこの曲を録音している。

モーツァルトは本当に管楽器の扱いが上手いと思う。ハ短調ミサの「エト・インカルナートゥス」やハ短調協奏曲でも同様に素晴らしい管楽器の扱いを見せるが、この曲はそれらが主役ということもあり、実に多彩で繊細な絡み合いを聞かせてくれる。

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2006年7月15日 (土)

バルトーク ヴァイオリン協奏曲第2番 チョン(Vn) ショルティ/LPO

Chung_bartok_stravinskyバルトーク ヴァイオリン協奏曲第2番 Sz.112(1937/8)
ストラヴィンスキー ヴァイオリン協奏曲 ニ長調(1931)
チョン・キョンファ(Vn) ショルティ/ロンドン・フィル (バルトーク) 〔1976〕
              プレヴィン/ロンドン交響楽団(ストラヴィンスキー) 〔1972〕

このバルトークの傑作と評されるヴァイオリン協奏曲第2番は、これまでNaxos盤(ハンガリー生まれの名ヴァイオリニストのジョルジ・パウクのヴァイオリン、ショパコンの指揮者とオケであるアントニ・ヴィト指揮ポーランド国立放送交響楽団 カトヴィツ、第1番と第2番を収録)を入手して何度となくトライした曲だったが、他のバルトークの難曲たちと同様、難攻不落を誇っていた。トライしてもはね付けられることが多く、どうにもなじめないでいた。(この演奏のほかに、五嶋ミドリとメータ盤も聞いたことがあったが、こちらもなじめずにいた。)

ところが、このチョンとショルティによるこのCDが入手でき、それほど期待せずに聞いてみたところ、パウク盤よりもなぜか耳に入りやすく、なぜかずっと理解しやすく感じた。理解できるからと言ってこちらが名演で、あちらが名演ではないとは言えないのだし、どこが違うと要領よく文章化するのは困難なのだが、なるほどと思った指摘は、パウクはなるほど名手だがソリストとしての身振り手振り(表現力の大きさ)がそれほどある方ではないので、大向こうを唸らせるようなアピール力があまりないというものだった。そういう点で聴いてみれば、チョンのヴァイオリンは、ソリストとして生まれてきたと言えるほど集中力が高く激しいものだし、ショルティの指揮するロンドンフィルは、バルトークを得意とするショルティだけあり、ヴィトのオケよりも明瞭であいまいさが少ないように聞こえる。

このCDの記事をいつかアップしようと思っていたところ、blog「音に巡る思い」のエントリーを読ませていただき、ようやく記事にすることができた。

バルトークの難解な曲たちは、弦楽四重奏曲でもようやくその複雑なリズムと独特なメロディ、不協和音になれて、ところどころのパートを諳んじられるようになるほど聞き込むと、突然魅力を現してくれるようなところがある。そういう意味で、協奏曲という分野は大勢の聴衆向けのアピールをする曲種でもあり、この曲も盟友セーケイからの委嘱によって作曲されたものだから、セーケイのヴァイオリニストとしての実力を示すものだろうとは思うが、一度聴いた程度ではまったくなじむことができなかった。(今でもピアノ協奏曲の第1番、第2番にはなじめないでいるのだが)

なお、相互リンクをいただいている「トロンボーン吹きによるクラシックの嗜好」のシャハム ブーレズ盤の記事は、この曲の見事な解説記事になっていて参考にさせてもらっている。

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2006年7月14日 (金)

映画「トラトラトラ」

現在、長男は小学校で「ガラスのウサギ」や「後ろの正面だあれ」など、先の大戦での戦災を扱った小説などを読んでいるようで、ときおり学校図書館から借りてきて、話題にしている。小学校での平和学習は、戦争中子どもたちがどのように苦労をしたか、という観点が多いようで、どのような原因で戦争が起きたかとか、戦争がどのように行われたかについてはあまり情報がないようだ。

先日、旧日本海軍の軍艦「長門」と「朝霜」のプラモデルを組み立てた際、子供たちと話していて、映画「トラトラトラ」を見せれば軍隊や戦争について参考になるのではないかと思いつき貸しビデオ屋から借りてきて鑑賞した。

この映画は、少年の頃公開されたもので、戦中に少年時代をすごした父親が私と弟を連れて、田舎の映画館でのロードショーに連れて行ってくれたものだった。

さて、家族で見直してみるとほとんど細部については覚えていないことに気がついた。またもっと戦闘場面の時間が長かったと記憶していたが、日米開戦直前の外交折衝、暗号解読、日米両軍の戦争準備、だまし討ちの汚名を着る原因となった「宣戦布告」文書の作成の稚拙な遅れなどが結構丹念に描かれていた。

この映画は一応日米合作だが、配給はアメリカ側の映画会社が行っている。(企画当初は、黒沢明が監督に指名されたこともあったというが、すったもんだの末黒沢はその役割から降りてしまった。この辺の経緯は、コミック「黒沢明」に詳しい。)その割には、米政府、米軍側の準備不足と警戒心の欠如を批判的に描き、日本による意図的な「だまし討ち」説に酌みせず、淡々と描いているように思う。

日本軍は、「奇襲」成功後の第二次攻撃を諦めたのだが、その理由として南雲中将が語った「大切な連合艦隊、乏しい貴重な燃料」というのが、その後の戦争の行方を示唆していた。また、山本司令長官による「米太平洋艦隊に完膚なき打撃を与え士気をそぎ、和平交渉に持ち込む」という軍略は、結果的なだまし討ちと米空母艦隊にまったく損害を与え得なかったことで、水泡に帰した。「緒戦の勝利こそ得たが、米国民を怒らせてしまった」と米軍の反攻を示唆しながら唐突に映画は終わった。

この映画をみながら、ちょうどあの頃の日本は、その前史こそ異なるものの現在の北朝鮮に比べられるほどの国際的な四面楚歌により孤立し追い詰められていて、ついに暴発したので、北朝鮮を追い詰めすぎるのはいかにその体制に問題があるとしてもまずいのではと思った。

零戦に代表される戦闘機の発艦、着艦の場面、旗艦戦艦長門、真珠湾攻撃の場面など「映像的には」楽しめるものだった。ただ、真珠湾の軍艦、軍施設や軍人たちが攻撃に遭う場面は非常に破壊的で悲惨で、子どもたちも爆弾が投下され爆発する場面では思わず「ヒエーッ」と声を上げるほどだった。

しかし、よくまあこのような映画が日米合作で作られたものだ。

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2006年7月13日 (木)

一日の始まりと終わり 午前と午後の境目

ココログは、今日14時までの48時間のメンテナンスが、予定を前倒しして13:30には無事完了したという。心配したがよかった。結構軽くなった。

さて、「一日が切り替わる瞬間 0:00 はどちらの日になるのか? 」はよく分からない。これは0という「不思議な数」が関係しているのではないかと思う。瞬間とか点とか線とかそのような現実にはありえない(?)数学的な概念も関係するのではなかろうか?(境界についても難しい)

ところで自分の同級生や親戚にもいたのだが、4月1日生まれの児童は自分の生まれ年の前年の4月2日から同じ年の3月31日にうまれた児童と一緒に、小学校に入学することになる。いわゆる究極の「早生まれ」となる。これは次の法律を根拠としているという。

WIKIPEDIA の年齢計算ニ関スル法律の解説は分かりやすいが、これによると、「毎年、誕生日(「起算日ニ応答スル日」)の前日をもってある年齢は満了するから(本法2項、民法143条2項本文)、誕生日の前日が終了する瞬間(誕生日の午前0時00分の直前)に1歳を加えることになる。」と述べられている。

しかし、よくよく考えると終了する瞬間は同時に誕生日当日が開始する瞬間とも考えられるのではないか?つまり、誕生日の前日が終了する瞬間は、午前0時00分の「直前」とは言えないだろうということだ。法律上の話としては、どうも立法者が0というあいまいな概念を考慮せずに、十分な定義をしていないことが問題なのだと思う。どのように規定すればいいのか分からないが、要するに、「X日24時00分00秒JUSTはX日に属する」とでも規定すればいいのではなかろうか?公式解釈など必要ないように厳密な規定はできないものか。諸外国の法規も気になる。

参考:「4月1日生まれは、なぜ早生まれか?」「ここで3月31日24時は4月1日0時のことですから,「4月1日から満1歳」という理解も成り立ち得るわけですが,法律上加齢される日は3月31日,その翌日は4月1日という解釈になるのです。」とあるが、0時00分00秒000000000・・・は、厳密に考えればどちらの日にも属さない瞬間なのだろうと思うのだが。

これに関係して、数日前、1953年制作の映画について、2004年1月1日施行の新しい保護期間70年が適用されるかどうかについて東京地裁の決定が出てニュースになった。この決定が上記についての考え方の争いを典型的に示しているのではなかろうか?下記の決定を公示するPDFファイルを読むと何が何だか分からなくなるが、要するにこの数直線上でマイナスとプラスの領域を区切る0という一点(瞬間)がどちらに属するかを議論しているのだろう。

この決定の要旨は、言うなれば終了=開始について否定し、非連続性の考え方を適用し、0についての議論を退けたのではないかと思う。むしろ文化庁、差し止め請求申し立ての映画会社側が終了=開始 つまり 0を基本とした解釈によっている。ただ、これにより、自らに有利となり過ぎる論理を組立てて、1953年の映画も70年の保護期間が与えられると主張したようだ。

参考:
決定前の状況
仮処分申請毎日新聞解説記事
弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」

決定についての記事

平成18年(ヨ)第22044号著作権仮処分命令申立事件 (PDFファイル)

決定後の反応
ローマの休日祭り
[ローマの休日]著作権はもうない?まだある?

なお、これと同列の問題については、正午、午前、午後の言葉遣いの問題の方がポピュラーのようだ。午前12時、午後12時という言い方があるのかどうかという問題だ。ネットで検索すると大量に出てくる。

"00時00分" 正午 午前 午後 でググった結果

昼の12時00分00秒は、「正午」という言い方がある。この正午より前の領域が午前であり、後の領域が午後なのだから、正午は0ポイント、境界を示しているというのが自分の基本的な考えなのだが。

政府機関として 情報通信研究機構(NICT):2004(平成16)年4月設立
(NICTは、周波数や時間の「基」となる国家標準値を定める公的機関です。
その精度は、百兆分の一に達しており、時刻や計測機器などの較正用として標準値を提供しています。)がこののサイトでこの問題について解説しているが、結論から言えば非常に不満足なものになっている。

-------引用開始------------------------------
午前12時00分00秒 = 午後00時00分00秒
午後12時00分00秒 = 午前00時00分00秒

との考え方で統一するのが良いのではなかろうか。
---------引用終わり---------------------------

参考 
午後12時についてのQ&A集

http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=2000545

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=661523

http://matsuri.site.ne.jp/standard/std111.htm

WIKIPEDIA 時刻 

WIKIPEDIA 0

これに似た問題に、世紀の起点をどこに置くかという問題があり、21世紀がいつから始まるかについて、ちょうど世紀末頃に議論が起こったことも記憶に新しい。この西暦自体キリスト教に関係がある年号なので、キリスト教的にも相当議論が起こっていた。要するにキリスト生誕2000周年がいつかを議論していたわけだ。

西暦(だけでなくいわゆる年号)は、いわゆる数え年的に(0を含めない序数的に)年を数えるので、西暦0年というものはない。西暦1年は、第1年ということで、起点からは満1年は経過していない年になる。そして西暦1年の初めから西暦100年の終わりの満100年を単位としてこれを第一世紀とするので、第21世紀は当然2001年からとなるのだろう。

その一方で、日本では年齢は満年齢を使い、うまれた年の年齢は満0歳何ヶ月と数えられる。この満年齢と数え年という考え方の両立が起きているのも、マジカルナンバー0のもたらしているものなのだろう。

「期間」というもの「期限」というものは社会生活上非常に重要なものだが、言葉の定義の問題や0の概念の問題で結構分かりにくくなっているのではないかというのが実感だ。

p.s. 2006/11/08  このページがアクセスされていたので、もう一度グーグルで調べてみたところ、2004年の記事だったがコメントのやり取りによりこの問題が分かりやすく解説されたblog発見。トラックバックさせてもらった。

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2006年7月10日 (月)

ミサイル発射について考えた

マスコミでもいろいろ憶測が述べられているが、このサイトがよくまとまっている。

蓋然性が相当高いように思われる。

韓国が声高に脅威を叫ばないのと、日本の温度差は相当の違いがある。

この「ショーダウン」のような予測シナリオを実現させない外交努力が必要だ。

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2006年7月 8日 (土)

ドビュッシー 「映像」,他 モントゥー/LSO

Debussy_monteux_1
ドビュッシー 「映像」
 1.ジーグ
2.イベリア
  (1)「街の道と田舎の道」
(2)「夜の香り」
  (3)「祭りの朝」
 3.春のロンド

交響的断章「聖セバスチャンの殉教」
 1.ゆりの園
 2.法悦の舞曲と第1幕の終曲
 3.受難
 4.良き羊飼いキリスト

モントゥー指揮 ロンドン交響楽団 <1963年5月録音>

@nifty cocologはアナウンスの通り不調続きで、昨夜も記事のアップができなかった。大々的な2日に渡るメンテナンスが予定されているが、以前触れたように設備増強、データベースの整理では追いつかなくなってきているのではあるまいか?多くのblogサービスでも不調が報じられているので、その感が強い。

さて、先日来 モントゥーの指揮する音楽を聴いているが、今日は、ドビュッシーの「映像」だ。マルティノンとフランス国立放送局管弦楽団のEMI盤だけでときおり聴いた曲だが、これまでのハイドン、ベートーヴェン、ベルリオーズとは違い、曲そのものを記憶しているというほどは親しんではいないので、マルティノン盤と聞き比べをしながら、モントゥー盤を味わった。逆にモントゥー盤を聴くことによって、マルティノン盤の特徴が分かった。

イギリス(古層ヨーロッパのケルト)起源の第1曲ジーグ、第2曲はそのままイベリア(半島)、スペイン(とポルトガル)、そして第3曲「春のロンド」は、フランスだという。

モントゥーは、ロンドンの交響楽団を指揮しながら、柔らかな雰囲気の表現が巧みだと思った。点描的な淡い魅力が出ている。率直ではあるがそれにとどまらない。それに比べて、フランスのオーケストラを指揮したマルティノンの音楽は、これまで気が付かなかったがしっかりとしたデッサンと絵の具の厚塗りのような色彩をもった演奏だという印象を受けた。マルティノンは、フランス音楽だけではなくVPOを指揮した「悲愴」の情熱的な演奏でも知られるが、意外にロマンチックな音楽作りをする人なのかも知れない。

モントゥー/LSO<1963/5>      7:15/7:13,8:06,4:49/8:01
マルティノン/ONORTF<1973/3>  7:05/7:14,9:03,4:18/7:25

CDジャケットにある「聖セバスチャンの殉教」については別の機会に書きたい。

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2006年7月 6日 (木)

チャイコフスキー 「ジーズニ(人生)」交響曲日本初演ツアーについて

相当旧聞に属する話だが。

昨年の2月にもチャイコフスキーの未完成の交響曲「人生」について書いたが、そのとき触れた当の指揮者が、2004年に就任したというロシアのオーケストラを率いて、現在、初演ツアーを行っていたようだ。(長崎新聞の紹介記事

NHKの総合放送で6/3土曜日に朝の週間ニュースをまとめた番組で15秒ほど紹介していた。

これについては、前回も紹介したThe web kanzaki というサイトを訪れるとこれに関する新しい記事がアップされていた。ロシア語のサイトまで参照しての詳しい記事になっている。

なお、blog で ジーズニを検索すると、結構この公演を絶賛する内容の記事が多いようだ。日によって「悲愴」や第五番と一緒に演奏したとのことだが、これらの有名曲をよく知らないで「人生」交響曲に感動したという感想が見られるのは興味深い。

初めて聴くクラシックの大曲の場合、ある程度その作曲家の様式や特徴を知っていてもその真価が分からない者としては、その指揮者と交響楽団の演奏がよほど魅惑的だったのだろうと想像を逞しくしてしまう。一度は聴いてみたいので、CD化され「市場」に出回るのを期待したい。

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2006年7月 5日 (水)

電動シェーバーを購入して思ったこと

本体が5,000円。1年で交換の外刃、3年で交換の内刃を一緒に購入したらこれが4,000円ほどした。資源の無駄遣いを防ぐためには、自分で交換して長く使うことに意味があるが、単純に損得で考えれば、3年ほど使って同じ程度の値段の新品を買う方が得なようだ。

以前礼服に虫食いを発見して、洋服修理専業店に持っていったところ、まずは端切れが必要だし、そこの店員さんが商売気があるのか「丁寧につくろうと一万円以上の手間賃がかかりますよ」と言われて諦めた。それだけの値段を払えば、スーパーなどのバーゲンで安い吊るしの礼服なら買えてしまう。

PCなども10万円程度で一式買えるのが、修理をすれば一度に数万円をかかることもある。

現在の大量生産、大量消費の社会構造ではやむをえないのだが、スペアや修理代が高すぎるのではなかろうか。保障や保険などが網の目のように張り巡らされているのにも関係があるのだろうが、「もったいない」精神を発揮しようとしても、相当の努力をしなければ実現できない世の中なのだろうか。どうも本末転倒になっている。

P.S. 21時から翌1時ごろまでのレスポンス低下がアナウンスされているが、相当悪化しているため、満足に記事がアップできなくなっている。

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2006年7月 4日 (火)

あるプロサッカー競技者の引退表明をきっかけに考えた

中田英寿(ひでとし)というサッカー競技を職業としている若手競技者がプロ競技からの引退を自分のインターネットサイトで発表し、マスメディア、ネットが大騒ぎになっている。今日の日本の全国紙も一面に大きな写真入りで記事を掲載し、スポーツ面、社会面でも紙面を相当費やして、経歴、各界の反応を記事にしている。

マスメディアの扱いに違和感を抱いた。彼は、一般紙が一面トップで引退を惜しむほどの、それほどの選手だったのだろうか?そこまで凄い実績を残した競技者だったのか?それほど大きい社会的な意味があるのか?

今回の彼の引き際を潔いとたたえる向きもある。しかし、ドイツワールドカップの最終戦敗戦後に大勢の観衆の前でグラウンドに大の字で寝転がり号泣したというのは、彼の真意は分からないが、潔くない惨めな情景だった。何を意図したパフォーマンスだったのか?異様なアピールだった。

1970年代にドイツのブンデスリーガーで活躍した奥寺氏を別とすれば、彼は近年外国の一流リーグでもっとも活躍した日本人競技者だったことは誰しも否定できないだろう。イタリアのセリエA(アー)のペルージャに移籍後、素晴らしい活躍を遂げたことは記憶に残っている。そして、ローマに移籍したシーズンには、久しぶりにローマがチャンピオンになる(スクデットを獲得するというらしい)のに尽力した。一時期はローマの王様とまで称されたほどだった。しかし、その後は、次第に存在感を失い、故障もあり、ワールドカップ前にはイングランド・プレミアリーグのボルトンにレンタルされ、鳴かず飛ばずの状態だったようだ。

日本代表としては、77試合に出場し、11得点を挙げたというのが数字的に残っている。節目節目のアトランタオリンピック、フランスワールドカップ、シドニーオリンピック、日韓ワールドカップ、そして今回のドイツワールドカップ、その間のコンフェデレーションカップなど大舞台にも出場している。中田がいなければ、どうなったかというゲームも多かったかも知れない。

29歳というまだ現役続行が可能な時期に現役を引退するのは本人の自由ではある。しかし、これまで蓄えた人脈、財産をテコに次の人生に踏み出そうとする部分はもはやスポーツ競技とは無関係だ。大学に入り、実業界に乗り出すというが、それはそれでいい。マスメディアはその部分をなぜちやほやもてはやすのか?競技で大きな結果を残せず、単に競技に見切りを付けるだけではないのか?サッカーという競技を本当に愛していたのだろうかという疑問はぬぐえない。

また特に最近の言動は解せなかった。確かに本人は懸命にプレーしたのだろうが、チームメートに対して、「これでは勝てない」、「真剣さが足りない」とマスコミを通じてアピールするというのは、誠実さの不足を感じさせた。客観的な立場にいる人物の発言ならば分かるが、その渦中にいる者がすべき発言ではない。それも、本人たちに直接語りかけるならばいいが、それを外部に漏らすのはおかしい。「それでは、あなた一人が勝つ能力があり、真剣さが欠けていなかったということに聞こえるが、チームの一員として責任はないのか」と聞きたいほどだ。キラーパスも結構だが、チームメイトが追いつかないようなパスを出さないと勝負にならないのか?意欲は分かるのだが、周囲を生かすという大きさは見られなかった。自らも語っていたようだが、チーム競技向きの性格ではなかったのかも知れない。

彼に比べれば、自力でUSAのメジャーリーグに乗り出し、大活躍をし、その後ベテランとなり故障を抱えながら競技者生命の続く限り競技を続けようと苦闘する野茂英雄投手の方に共感を覚える。それは愚直とも言える生き方だが、小利口な生き方に比べてどちらが価値があるか。人生観の問題だ。

ただ、マスメディアが今回のように彼を大きく取り上げることには、直接彼には責任はないと言うこともできることを言っておかねばフェアではないだろう。これは、日本のマスメディア(国民性)の問題だろう。

なお、中田英寿氏がマスコミへの不信感を持ったのは、某新聞がアトランタオリンピックのときに掲載した記事により、日本国内で政治団体の圧力を受けるようになったためだという。それがきっかけで、ネットのホームページで自ら情報発信をするようになったとされる。

以下余談だが、今回のワールドカップサッカー大会で、日本チームと優れたチームとの動きを見ていると、日本の場合には、いわゆる有機的な連携がとれていないように思う。それに役割分担も明確ではない。ボールを受け取るととすぐに誰かに渡そうとするが、局面を打開しないような苦し紛れのパスが多い。得点シーンでも、誰かが勇気をもってディフェンス陣に切り込みをかけ、それを起点に周囲のプレーヤーが連携的に動き、細かいパスをつなぎ得点を挙げるというシーンが見られたが、日本は中盤でパスを回してゴールに迫っても、そこから突進するような動きとそれに連携する攻撃陣の動きがほとんど見られなかった。実力差といえばそれまでだが、どうも全体と個の動きの質というものが、意志のある動きという点で大きな違いがあるように思えた。近代社会の組織的な動きという点では、日本国に住む人々はそれなりに優れていたために、企業組織としての活動が世界的に活発なのだろうが、その点少々ルーズだと思われる中南米、アフリカなどの諸国のチームがチームとして有機性を持った組織で動いているのには、その先入観とのギャップがあり、驚いた。

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2006年7月 3日 (月)

モントゥー サンフランシスコ響の「幻想」1950年録音

Berlioz_monteuxベルリオーズ 幻想交響曲作品14
「ベンヴェヌート・チェッリーニ」序曲作品23
「ラコッツィ行進曲」作品24
モントゥー指揮 サンフランシスコ交響楽団 
<1950年2月27日録音> モノーラル

幻想交響曲は、ベートーヴェンの逝去直後に現れた破天荒な音楽(1830年作曲初演)。内容的にも楽器法的にも、より後世の作品に聞こえる。

ベルリオーズ自身は、それまでの多くの作曲家(音楽家)とは違い、楽器の演奏に早くから才能を表したタイプではないそうで、その意味ではヴァーグナーに少し似ているのではあるまいか?いずれも文学的、ストーリー的、描写的な音楽を得意としたという意味でも。アイルランド出身の女優に(今でいうストーカー的な)一方的な恋愛をして、彼女をを固定楽想というモチーフ(メロディー)で示すという着想、その若き芸術家の退廃的(アヘン吸引の夢うつつ)で私小説的、妄想的な恋愛ストーリー=「幻想」を器楽の最高峰である交響曲という形式で表現したという点で、同時代、後世への影響も大きく、また独創的で熟達した管弦楽法により、近代オケでの鳴りが非常によいことも特徴だ。

シューマンは、この交響曲について、評論文を書いている。岩波文庫「音楽と音楽家」P.52-P.77 「ベルリオーズの交響曲」に非常に詳しい解説、批評があり、大変参考になる。なお、ここでシューマンが素材にしているリスト編曲のピアノ盤は録音があるようだ(ニコライ・ペトロフ, NAXOSでもビレットが録音しているとのこと)。


第1楽章 夢と情熱 

第2楽章 「舞踏会」の場面のワルツは、シュトラウス二世のヴィーナー・ヴァルツよりも前の時代の作曲だが、非常に流麗で優雅なメロディーは、BGMなどによく使われるほど。

第3楽章の「野の風景」は、ベートーヴェンの田園のような親近感のある風景ではなく、疎外感・孤独感を覚えさせる音楽だ。ドビュッシーの「小さな羊飼い」の寂しげな情景を連想する。

第4楽章「断頭台への行進」の勇壮なマーチは私の学生時代、ステレオセットか何かのCF音楽に使われて当時人気が出た。

第5楽章は、「ワルプルギスの夜の夢」と題され、ムソルグスキーの「禿山の一夜」と並んで、いわゆる「悪魔趣味」の奇怪な音楽になっている。片思いの恋人殺しの罪でギロチン(革命後の恐怖政治の悪夢が生々しい時代!)で命を絶たれた作曲家が、サバト(魔女の狂宴)に招かれ、そこで自らが殺し魔女と化したかつての恋人と狂乱的な舞踏を踊る。グレゴリオ聖歌の中では有名な「怒りの日」のメロディーが主要主題として用いられている。cf)マーラーの巨人のフィナーレにもこの引用が隠されているという。第一主題部の後半だろうか?

(ベルリオーズは、同時代のバイロンから影響を受けていたらしく、彼の詩劇に基づき「イタリアのハロルド」も作曲している。バイロンの知人シェリーの夫人が「フランケンシュタイン」を執筆するなどおどろおどろしいホラー的ゴシックロマン的な雰囲気は当時の風潮だったのだろうか。「ファウストの劫罰」にも悪魔メフィストフェレスとの地獄の場面が登場。)

自分の盤歴としては、「幻想交響曲」は「決定盤」といわれたミュンシュ/パリ管盤をLP時代に入手してしばしば聴いた。特にこの音盤の終楽章の熱狂的なフィナーレをしのぐものはあまりないと言われているが、これが刷り込みだったため、その凄さというのがそれほど把握できていない。(凄演、猛演は、鑑賞という意味では、初物にはふさわしくないのかも知れない。音楽の喜びという意味では別だが。)オーマンディ/フィラデルフィア(CBS)盤もLP時代に入手して聞いた。CD時代になってからは、「幻想交響曲」への興味は次第に薄れてしまい、初期にクリュイタンス/フィルハーモニア管弦楽団(EMI)盤を購入し、ごく最近中古店で1960年代のカラヤンへの関心からカラヤン/BPO(DG)盤を購入して聞いてみた程度。

このモントゥー/サンフランシスコ響のCDは、最近のモントゥーへの関心から中古店で目に留まり求めたもの。「レコード芸術」が限定復刻した「名盤コレクション 蘇る巨匠たち」シリーズからの一枚。出谷啓氏が解説を書いている。(現在では、これRCAの通常盤として入手可能のようだ。)紹介記事を読むと、モントゥーの「幻想交響曲」はもとより、多くの録音の中でも屈指の名演とされるものだという。モントゥーはこのほかにも多くのオーケストラとこの曲を演奏しているそうで、晩年にVPOと録音したものもあるという(ステレオ録音)。

この音盤は、録音方式の関係か、ホールの関係か、モントゥーの解釈の関係か、これまで聴いたものと比べて楽器バランスがユニークに感じられる。また冒頭楽章からしなやかさよりも、剛直で緊張感に満ちた印象を受ける演奏。ストレートな表現という意味では最近聴いたハイドンやベートーヴェンに通じるものがあるが、こちらは晩年のデッカ録音に聞かれる「幸福感」を感じることはあまりなく、この音楽の本質をえぐったかのように少々粗野で冷え冷えとしたものを感じさせる演奏になっている。

さらにモントゥーへの関心が高まってきた。次は、ドビュッシーの音盤を聴いてみよう。

参考:
モントゥー/SFO盤<1950>   12:56/5:40/15:37/4:42/9:11
クリュイタンス/PO盤<1958>  13:53/6:23/16:24/4:41/9:20
カラヤン/BPO盤<1964>    14:13/6:08/16:41/4:39/10:28


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2006年7月 2日 (日)

マーラー 交響曲第1番ニ長調 若杉弘 SKD 1986年録音

Mahler1_wakasugi_skdマーラー 交響曲第1番 ニ長調 (「巨人」)
若杉弘 指揮 シュターツ・カペレ・ドレスデン (ドレスデン・シュターツ・カペレ/ドレスデン国立管弦楽団)

15:11/7:50/10:22/19:49 <1986年8月録音>

2004年11月 8日 (月)の記事で触れたCDだが、なぜか聴きなおしたくなり聴いてみた。

名門ドレスデン・シュターツ・カペレを、かつてその常任を務めたことがあった若杉弘が指揮したCD。

現在、同曲の手持ちのCDは、テンシュテット/LPOのスタジオ録音盤、小澤/BSOのフィリップス盤。LPでは、ワルター/コロンビア響盤だが、再発盤を数度聴いた程度。

マーラーブームの周縁をうろついていただけで、いわゆるメインストリームの音盤や実演にはあまり触れたことがないため、比較する基準がほとんどないのだが、この若杉/SKD盤は、オーケストラの演奏が非常に魅力的で聴いていて楽しい。SKDは素晴らしいと言われるのを読んだり聞いたりしてきたが、そのオケの録音を素晴らしいと思ったのは、ザンデルリングのブラームスの1番と並んで、この若杉盤のマーラーの1番が筆頭に挙がるかもしれない。(そうは言ってもそんなにSKDの音盤を聞いたことがあるわけではないのだが。)この演奏もマッスの響きが美しい上に、各パートが魅力的で、細部まで大切に克明に演奏されているのが聞き取れる。

同時期の小澤のフィリップス盤は、第四楽章のみに空元気をぶっつけたような妙に味が薄い演奏に聞こえるのだが、若杉盤は同じ日本出身の指揮者とはいえ、味付けも薄すぎず雄弁なオケを充分鳴らして非常に初々しい健康的なマーラーの青春交響曲を現出してくれている。

以下余談:それにしても、こうしてタイミングを並べてみると、指揮者の傾向も、オケも違うのにそれぞれの楽章のタイミングがほとんど1分以内なのには驚かされる。たとえば、第四楽章の第一主題部と第二主題部のテンポの差のつけ方など部分的なテンポの変化などそれぞれの演奏で相当違うはずなのだが。

  若杉盤       15:11/7:50/10:22/19:49<1986/8録音>

  小澤盤       15:51/7:22/10:33/19:56 <1987/10録音>

テンシュテット盤  15:52/7:45/10:48/19:18<1977/10録音>

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