マーラー 交響曲第9番 ノイマン/チェコ・フィル
ヴァーツラフ・ノイマン指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
1982年1月12日から16日 プラハ芸術の家
25:11/15:06/13:25/23:17
ノイマン逝去直前のポニーキャニオン盤の評判が高いようだが、スプラフォンとデンオンの制作によるCDが入手できたので聞いてみた。
これまで聞いてきたマーラーの第九番は、ジュリーニ/CSO、バーンスタイン/BPO(ライブ)、テンシュテット/LSO(スタジオ)、シノーポリ/PO(スタジオ)。今回のノイマンの録音はそれほど期待しないで聞き始めた。ところが、この録音は何と美しい演奏になっていることだろうか。これまで聞いてきたマーラーの第九番は、マーラーの完成された最後の交響曲ということで力が入っていたり、先鋭さを狙っていたりで、音楽としての美しさを感じさせてくれることはそれほどなかったのだが、このノイマンの指揮するチェコフィルは、同郷人のマーラーの音楽を自分たちの手元に引き寄せて美しい響きでたっぷりと演奏しているのが聞いていて好ましい。チェコフィルの弦は上手いと言う評判をよく耳にするのだが、正直これまでピンと来なかったのだが、この録音で宜なるかなと思った。
子守唄ともいわれる第1楽章が不気味な音楽ではなくこれほど穏やかで安らぎに満ちた音楽になっているのは初めて聞くし、普段は第2楽章のレントラー、第3楽章ロンドブルレスケの皮肉っぽくエキセントリックな音楽が、よりまろやかな音楽に変身している。そして、終楽章の長大なアダージョも、この世との決別の悲痛な響きというよりも、人生を穏やかな気持ちで振り返ったような音楽に聞こえた。
そして何より音楽の響きに透明感があり美しいため、すんなりと耳に入ってきた。これま
で聞いてきた悲痛な音楽もこの交響曲の一つの真実なのだろうが、チェコ生まれのユダヤ系ということではマーラーと同じ指揮者ノイマンの作り出す音楽は、悩める分裂的な20世紀人マーラーよりもボヘミア生まれの歌謡性や通俗性を豊富に持ち合わせた交響作家像を描き出すかのようだ。
このノイマンによる交響曲全集は廉価で入手できるらしい。他の交響曲たちがどのように
演奏されているか聞いてみたいと思った。
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コメント
ノイマンのマーラーは、虚飾のない自然体の演奏なのが好きです。
チェコ・フィルとのオイロディスク盤は、2番と4番を持っています。最近廉価盤で出ましたので、この全集、欲しいんです。でもダブリ買いになるんです・・・・。考え中です。
クーベリックのマーラーとともにTBさせていただきました。
投稿: mozart1889 | 2006年9月15日 (金) 05:05
こんにちは。マーラーの9番の交響曲は、LPの時代にワルターで刷り込まれた口です。CDではインバル盤を聞いています。ノイマンとチェコフィルのマーラーは、第4番と第5番をLPで聞いたことがあります。とてもいい演奏だと思いました。ノイマンのマーラーは、集めてみたい一つです。
投稿: narkejp | 2006年9月15日 (金) 19:39
mozart1889さん、narkejpさん コメントありがとうございました。お礼が遅くなり申し訳ありません。
季節の変わり目のためか体調を崩し、ずっとパソコンを開かずにすごしておりました。
またマイペースで書き込みをしたいと思っておりますのでよろしくお願いします。
ノイマンと言えば、ドヴォルザークやスメタナ、ヤナーチェクなどほとんどチェコの音楽しか聴いたことがなかったのですが、このマーラーには驚きました。
投稿: 望 岳人 | 2006年9月25日 (月) 22:23
健康回復で何よりです。どうしたものかと心配しておりました。
この記事についても、この間少し考えさせて貰い、他所でも一般論として書き込みました。この演奏を知らないのですが、クーベリック指揮の八番などを思い出して想像してみました。
現時点での仮説は、マーラーの音楽自体にボヘミアの「隠れ蓑」を必要とする作為があって、明らかに越えた生なユダヤ的な特徴を旨く西欧でも受け入れやすいようにしたのではないかと。またスラブ音楽に特徴の不安定感にそもそもこうした資質があったのではないかと。
結局はボヘミア文化の特異性というようなものに辿り着くような気がします。ロシア音楽は、その点ロシア正教会の聖歌に見るように西欧を導入した違う発展をしているようです。
敢えて言えば、チェコの伝統と言われるようなものが結構曲者ではないかと。
投稿: pfaelzerwein | 2006年9月26日 (火) 16:33
pfaelzerweinさん、ご心配いただきありがとうございました。
ボヘミアの特異性、チェコの伝統ということで思い出したのですが、東欧というとつい相当東を思い浮かべますが、プラハなどはヴィーンよりも西に位置し、ボヘミア盆地はドイツの東の横腹に結構食い込んでいるのをつい忘れがちになります。モーツァルトも「ドン・ジョヴァンニ」をプラハで初演したほどハプスブルク的には一体感のある地域ですから。
スラヴ民族の国チェコ(ボヘミア、モラヴィア)ですが、歴史的にも位置的にも相当ドイツオーストリア的な要素を持つのではないでしょうか?
ノイマンの指揮する演奏から感じたこととのつながりはどうも不分明ですが、ユダヤ的なものとボヘミア的なもの、ドイツオーストリア的なものの混交であるマーラーの音楽のどの要素を強調するかという視点が整理できるような気がしました。
投稿: 望 岳人 | 2006年9月27日 (水) 00:04
くれぐれもご無理を為さらないように。
ボヘミヤについて特に詳しいという訳ではありませんが、今でもドイツ語がいくらか通じる地域で、カールスバートなどはドイツ語圏の名所でもあります。もちろん、マーラー家はユダヤ訛りのドイツ語を話していたのですね。東のヴィーンだけでなくバイエルン州にも接していますね。
一つはボヘミヤ的なスラヴ音楽、一つはユダヤ的なボヘミヤの音楽、一つはボヘミヤ的なドイツオーストリア音楽でないかと思います。
以下のSonnenfleckさんのところでは、ショスタコーヴィッチを中心に議論されていますが、どうして上述のマーラーの解釈にも深く関わってきます。決して確定的なことが述べられるわけではないですが、 ブレインストーミングの感覚でご覧になると面白いと思います。
http://dsch1906.exblog.jp/d2006-09-21
投稿: pfaelzerwein | 2006年9月27日 (水) 04:47
pfaelzerweinさん、再びコメントありがとうございます。
ご紹介のブログ拝見しました。
投稿: 望 岳人 | 2006年9月27日 (水) 20:57