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2006年9月の11件の記事

2006年9月30日 (土)

グルダ、アルノンクールのモーツァルト ピアノ協奏曲No.23&26

Mozart_pc2326_gulda モーツァルト 

ピアノ協奏曲第26番 ニ長調 K.537 『戴冠式』
ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488

  フリートリヒ・グルダ:ピアノ
  ニコラス・アルノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団


グルダによるモーツァルトのピアノ協奏曲は、スワロフスキーとの第21&27番、アバドとの第20,21,25&27番を愛聴してきた。このアルノンクールとの共演盤は評判は知っていたが、CDで聴くのは今回が初めてだ。

アルノンクール(ハルノンクール)は先年ヴィーンフィルのニューイヤーコンサートにも出演するなど以前のエキセントリックなイメージを一掃しすっかり大家としての扱いを受けるようになっているが、グルダとのこの共演の頃は、『イドメネオ』や交響曲の録音においてもそうだったがまだまだ奇矯な印象が強かった頃だ。

先に入手したクレーメル、カシュカシアンとのモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全集にしても、今回この録音を聴いてみても、その個性・アクの強さが結構鼻(耳?)につくことがある。

第26番のニ長調の曲は『戴冠式』と呼ばれ、日本でも昭和30年代ごろまではこのピアノ協奏曲がモーツァルトの代表的なピアノ協奏曲だとして知られていて人気のある曲だったという。それがいまやこれ以外の多くのピアノ協奏曲の魅力が再発見され、その地位はがた落ちになってしまった。この前後の傑作に比べて機会音楽的で内容が薄いとされるようだ。

コンセルトヘボウ管とは言えアルノンクールの独特なアクセントが耳に痛かったりもするのだが、『戴冠式』のグルダのピアノは興に乗っていて心地よい。ピアノの音はドイツグラモフォンの無色透明な音に比べてこのテルデック録音の方は少々華やぎがある音になっている。なお、オーケストラトゥッティの部分に書き込まれているピアノ低音部(左手)をグルダは目立たないようにだが弾いているのが聞こえる。(つとにスワロフスキーとの共演でも同じ試みをしていたが、アバド盤ではそれを控えていた。モーツァルトの新全集のスコアではトゥッティの左手は演奏可能なよう表記されているが、ピリオドアプローチ以外のピアニストはあまりこの試みをしないようだ。)

一方、モーツァルト自身カデンツァを楽譜で完全に残したK.488イ長調は、以前から愛好する曲で、LP時代はポリーニとベーム/VPOの共演盤でよく聴いた。第1楽章、第2楽章は曲想的にもスタティックな印象が強いこともあり、磨きぬかれた彼らの演奏は楽興には少し欠けていても模範的なモーツァルト演奏のひとつだと思った。このグルダ、アルノンクール盤は、意外にもアルノンクールのクセが控えられているようだ。トランペットもティンパニもない曲ゆえ、きついアタックが無いせいでそう感じるのかも知れない。グルダはこちらでもトゥッティでの左手を弾きながら、興にに乗った演奏を繰り広げている。ところどころで即興的な装飾音が入るし、彼の鼻歌も聞こえたりもする。

P.S. mozart1889さんにも 23番を取り上げた記事のあるのを拝見し、トラックバックさせてもらった。

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2006年9月29日 (金)

小児科、産婦人科にみる医師減少は医療行政の無為無策ではないか?

少子化対策が叫ばれる一方で、小児科医、産婦人科医の数が減り続けており、特に現役産婦人科医一人ひとりへの負担は莫大なものになりつつあると報道されている。中でも地方では、次々と産科医院が閉院し、また総合病院でも産科医が減り続けており、残された産科医の勤務時間の長さはすでに「労働基準」どころの話ではなくなっているようだ。な理由は分からないが大学の医局が派遣している医師を引き上げるという動きもあるのだという。小児科や産科の状況がこのようでは、安心して子どもを産むことができないと考える適齢世代は多いことだろう。

この間、厚生省(厚生労働省)はいったい何をやっていたのだろうか?傍目には、無為無策としか映らない。

医は仁術の時代から算術の時代になっていることは世間一般の常識であるので、小児科医、産婦人科医になろうとする医学生の意欲を掻き立てるためにも、行政的な金銭・待遇・法的保護インセンティブをつけて増員を後押しするような政策は取れなかったものなのだろうか?

素人考えに過ぎないが、医療保険の点数制を変えるだけでも小児科医、産婦人科医の金銭的な見返りは多くなるのではなかろうか?また、多発する医療訴訟についても、医療過誤については厳罰が必要だが、それにあたらないものについては、法的整備により、医師が尻込みしないような体制を整えることもできるのではなかろうか?ただ、農村・過疎地医療の医師不足の例をみても、医師とは言え人間で、楽な仕事、目立つ仕事、収入の多い仕事、刺激の多い仕事を求めるのだから、自由放任政策ではなく、ある一定の制限を伴うような施策も必要なのかも知れない。

次世代の再生産は、生物の本能に根ざした宿命というべきものだが、現代人はどうもその本能的な動きが弱体化しつつあり、また社会体制の上でも意図してかどうかは分からないがそれを阻害しようとする潮流があるように思われる。これも種としての人類の宿命かとも言えるが、子どもを持つものとしてはそう達観してばかりいられない。

医療行政の抜本的な改革はこのような面に最も注力されるべきではなかろうか?

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2006年9月28日 (木)

小学生の音楽鑑賞 横浜市の場合

長男が先日、みなとみらいホールでの学校音楽鑑賞に行ってきた。

パンフレットを見せてもらったが、『平成18年度心の教育ふれあいコンサート』(2006子どもゆめはまコンサート)というプログラム。

演奏は神奈川フィルハーモニー管弦楽団、指揮は上野正博氏、オルガン演奏はみなとみらいホール付のオルガニスト・インターン(野田美香氏と柳澤文子氏)。

横浜市中の小学生(一つの学年だけだが)を招待するため、日程は9/11,12,13,14,15,19,20,25,26,28でそれぞれ午前と午後の公演なので合計20回も同じプログラムを演奏したことになる(オルガニストは、5日ずつ交代だが)。演奏者の方々はさぞお疲れだったっことだろう。

プログラムは下記の通りで、全曲演奏がないのがせっかくの機会としては勿体ないが、それでもオルガンとオーケストラの魅力を味わえる内容になっている。(表記はプログラムに基づく)

○ 交響詩『ツァラトストラはかく語りき』より冒頭(R.シュトラウス)

○『カルメン』第1組曲(ビゼー)

 ・前奏曲 ・アラゴネーズ ・間奏曲 ・アルカラの竜騎兵 ・トレアドール

○セレナード第13番 『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』より第1楽章(モーツァルト)

○バレエ音楽『白鳥に湖』『くるみ割り人形』『眠れる森の美女』より(チャイコフスキー)

 ・『白鳥の湖』より 情景

 ・『くるみ割り人形』より こんぺい糖の踊り、トレパーク

 ・『眠れる森の美女』より ワルツ

○主よ人の望みの喜びよ(J.S.バッハ) オルガン独奏

○交響曲第3番 『オルガン付き』より フィナーレ (サン=サーンス)

(アンコール は J.シュトラウス一世『ラデツキー行進曲』だったとのこと)

中では、長男は『こんぺい糖の踊り』が楽しかったという。チェレスタの音が家のステレオで聴くよりもはっきり大きい音で聞こえたとのこと。みなとみらいホールのような素晴らしいホールで生オーケストラを「ただ」で聴けるのはなんと贅沢なことだろう。長男は今回のプログラムはすべて耳なじみだったので楽しかったそうだが、中には居眠りをした子どもも多かったようだ。(なお、電車の切符を自分で購入するなど、社会勉強も兼ねていたようだ)。

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2006年9月27日 (水)

DVCの映像をDVD化

9月9日の土曜日に妻の弟の結婚式に出席してきた。その折、デジタルビデオカメラで披露宴の模様を撮影したので、PCに取り込んで編集しDVDに書き出してみた。

昨年のPC購入当初はデジタルビデオカメラ(DVC)で撮影した映像をDVDに取り込むのに、手古摺った。

バンドルソフトがあるのに気がつかず、ソースネクスト版の廉価なDVD編集ソフトを買い込み試行錯誤を繰り返した。特に、DVDへの書き出しがエラーの多発でうまくいかずすっかり嫌になったほどだった。その後付属のCD-ROMにWin DVD Creatorが含まれているのに気がつき試しにインストールしたところ、DVDへの書き出しもほとんどエラーなく比較的簡単にできるようになった。

ソフトを立ち上げ、DVCをIEE1394ケーブルでPCに接続すると、ソフトがDVCを認識し、今度はPC側でDVCの再生、停止などを制御できるようになる。いったんHDDに取り込んでから編集を加えるのだが、取り込み時間はテープ側のx1での再生が必要なため記録時間そのままの時間を要する。最高画質、最高音質だとテープ40分で2GB程度になるだろうか?

また、直接DVDへの書き出しはできるのだが、これはいったんテンポラリ領域にデータを格納してからDVDへ書き出すようで、非常に時間がかかる。

このように映像のHDDへの取り込みや、編集した映像のレンダリング(映像の変換)に時間は相当かかるのが難点だが、これはCPUの能力にも依存するようなのでノートPCではやむをえないだろう。

それでも、場面場面の区切れを自動的に検出してインデックスができるし、それを並べ替えて演出を加えたり、アフレコを入れたり、画面に効果を加えたり、冒頭のメニューを加えたりして、映画DVD的な家庭DVDを作ることができる。

現在は、DVC自体にHDDやDVDが使えるようになっているため、これらのデータのPCへの転送、取り込み作業は非常に簡単になったのではなかろうか?

数十本に渡るデジタルビデオカセットテープを全部DVD化するのはまだまだこれからだし、8ミリビデオテープをDVD化するためのキャプチャーデバイスは未入手なので、前途迂遠だが地道にやっていこう。

アプリケーション名:Win DVD Creator 
http://www.intervideo.co.jp/products/wdc3/
http://www.sbcr.jp/vwalker/review/art.asp?newsid=6596

以前てこずったときの記事はこれです。

P.S. このようなスピーカーが開発されたとのこと。
呼吸球式スピーカー開発(日本ビクター)

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2006年9月25日 (月)

臥せりながらの読書

9/9には親戚の婚礼で強行軍の帰省、9/16には子どもの小学校の運動会で一日立ち詰めで応援するなど夏の暑さ疲れとこれらの疲労が蓄積したためか、先週の敬老の日に外出中に突如ものすごいダルさに襲われ、帰宅後体温を測ったところ38度C近くあり、すぐに風邪薬を飲み横になった。いつもの夏風邪なら翌朝には熱も下がり、一日休めば大丈夫なはずが、夜中に腹痛に襲われ一時間おきにトイレに30分ずつすごすというようなひどい目にあった。食中毒かと心配になったが、家族には症状は出ず、自分も吐き気はなかったので大丈夫そうだった。そこでこの下痢は多分夏風邪の症状なのだろうと思いながら、それ以前から服用していた乳酸菌の胃腸薬で治そうと考えて服用を続けたが、2、3日下痢が続いた。熱は3日目くらいから下がったのだが、下痢が治まらないため出勤することもできず、また食欲もまったくなく(空腹感がおきない)食事もおじやや素うどん、ヴィターインゼリーなどの胃腸に負担のかからない食事しかとらなかったため、体重が数キロ減るほどで体力もガタ落ちになり、とうとう先週一週間仕事を休む羽目になってしまった。(稼働日4日を休んだのだが、前後の土日、祝日を含めると何と9連休!)

熱が下がってからは、とにかく胃腸を治そうとしたのだが、なかなか効果が表れず、臥せっていた。そこでその間退屈しのぎに、買いためてあった文庫本を何冊か読んだ。

◆先に亡くなった吉村昭の『白い航跡』。東京慈恵会医科大学を創立した高木兼寛という医学者の生涯を吉村昭らしく綿密に淡々とたどったもの。確かこの小説により、森鴎外の『脚気細菌説』の誤謬が有名になったのではなかったか。医学においても経験主義のイギリスと、観念主義のドイツの違いがこの事例ほど明らかになったことはあまりないのではなかろうか?文明開化から日露戦争にいたる日本の医学史としても大変面白かった。また、今は根絶した脚気が、江戸時代から明治、大正期まで日本では難病として恐れられていたということ、それが精白米によるビタミンB1の欠乏に起因するということは知っていたが、その根絶に力を尽くした高木という軍医のことはこの小説で初めて知った。大変ためになった。

◆続けて以前読んだことがある同じ著者の『戦艦武蔵』を再読。『男達の大和』などの映画でヤマトブームだが、その兄弟艦武蔵は、三菱重工長崎造船所で建造された。大艦巨砲主義の極致である大和と武蔵(信濃は急遽航空母艦に改造され、4番艦は建造中止)だが、一方は呉の海軍工廠で、他方は産軍複合体とは言え民間企業で建造された。長崎での武蔵は、市民にとってはオバケであり、最終的には軍にとってもオバケだった。レイテ沖で「不沈戦艦」武蔵は撃沈され、助かった乗組員の多くは武蔵の撃沈の証拠隠しのためにむごい扱いを受けその多くが戦死した。徹底的な秘密主義の下計画され、建造段階からの詐欺的な国家予算流用を行い、当時の最先端技術により作られた鋼鉄のオバケ。その計画から建造までの過程は非常に長く、昭和12年頃から計画されようやく完成したのが昭和17年とすでに太平洋戦争が開戦し、戦況が不利になっていた時期だった。世界に冠たる大戦艦ではあるが愚挙でもあった。徹底的な秘密主義、全貌が分からないがままに遮二無二困難をものともせずに完成に突き進む人々、場当たり的な愚かしさ、市民生活との隣り合わせ、まさに戦艦武蔵は巨大な近代戦を象徴するものだった。

◆山本周五郎『樅ノ木は残った』。仙台で学生生活を送りながら、伊達騒動についてはほとんど知らず、おそらくこの小説を実際に読むのは初めてだと思う。読んだような気がするが、ほとんど覚えていなかった。初読の面白さがあったので、多分初めてだろう。子どもの頃、NHKの大河ドラマでこの小説がドラマ化されたのを見たことがある。冒頭のテーマ音楽が流れる部分の、能面が次々に現れる映像はこのドラマのものだと記憶するが、子供心に非常に恐ろしかったものだ。歌舞伎の先代萩などにより悪役とされる伊達家の宿老原田甲斐を再評価したことで知られる歴史小説というが、私などはどのように悪役視されていたのかを知らず先入観がないので、山本周五郎の原田甲斐像がそのままストレートに伝わってくる。この後読んだ『青べか物語』でもそうだったが、山本周五郎は比較的男女のことについて筆が進むようで、この『樅ノ木』にしても、結末の描写がやや官能的過ぎるように感じられた。何かでこの描写のことで論争があったようなことを読んだ記憶があるのだが、何だったろうか?

◆池波正太郎の『鬼平犯科帳』シリーズ(文庫本で24冊)も読んだ。まだ第11巻が未入手だが、臥せっている間に、それまで未読だった第20巻あたりから第24巻(絶筆)まで読み終え、また第1巻から再読を始めた。短かいインターバルで再読してもまた面白く読める。筋や描写が単純な小説はなかなか再読して楽しめるまでには時間を要する(『ハリー・ポッター』など)のだが、短編連作(一部長編も含むが)全24巻という大長編ということもあり、またこちらの短期記憶の衰えもあるのだろうか、とにかく『鬼平』は読ませる。震災と戦災とその後の開発で昔の面影などはないだろうが、墨田区方面の下町を訪れたいという気分が高まってきた。

◆結局この間、音楽はほとんど聴かなかった。土曜日の夜にモーツァルトの第40交響曲の第一楽章は数種類聴き比べした程度だった。古い録音のトスカニーニ/NBC響、ワルター/VPOライヴ、ベーム/BPO、セル/クリーヴランド管ライヴ、アバド/LSO、ホグウッド/AAMと録音年代順に聞いてみた。やはりというか、セルは凄かったが、録音の加減か、オケの編成が大きいのか、このように聞き比べてみると音響的に少々うるさく感じられたのは意外だった。それだけ弦楽器群の鳴りがよいのかも知れない。

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2006年9月14日 (木)

マーラー 交響曲第9番 ノイマン/チェコ・フィル

Neumann_czechpo_mahler9 ヴァーツラフ・ノイマン指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

1982年1月12日から16日 プラハ芸術の家

25:11/15:06/13:25/23:17
ノイマン逝去直前のポニーキャニオン盤の評判が高いようだが、スプラフォンとデンオンの制作によるCDが入手できたので聞いてみた。

これまで聞いてきたマーラーの第九番は、ジュリーニ/CSO、バーンスタイン/BPO(ライブ)、テンシュテット/LSO(スタジオ)、シノーポリ/PO(スタジオ)。今回のノイマンの録音はそれほど期待しないで聞き始めた。ところが、この録音は何と美しい演奏になっていることだろうか。これまで聞いてきたマーラーの第九番は、マーラーの完成された最後の交響曲ということで力が入っていたり、先鋭さを狙っていたりで、音楽としての美しさを感じさせてくれることはそれほどなかったのだが、このノイマンの指揮するチェコフィルは、同郷人のマーラーの音楽を自分たちの手元に引き寄せて美しい響きでたっぷりと演奏しているのが聞いていて好ましい。チェコフィルの弦は上手いと言う評判をよく耳にするのだが、正直これまでピンと来なかったのだが、この録音で宜なるかなと思った。

子守唄ともいわれる第1楽章が不気味な音楽ではなくこれほど穏やかで安らぎに満ちた音楽になっているのは初めて聞くし、普段は第2楽章のレントラー、第3楽章ロンドブルレスケの皮肉っぽくエキセントリックな音楽が、よりまろやかな音楽に変身している。そして、終楽章の長大なアダージョも、この世との決別の悲痛な響きというよりも、人生を穏やかな気持ちで振り返ったような音楽に聞こえた。

そして何より音楽の響きに透明感があり美しいため、すんなりと耳に入ってきた。これま
で聞いてきた悲痛な音楽もこの交響曲の一つの真実なのだろうが、チェコ生まれのユダヤ系ということではマーラーと同じ指揮者ノイマンの作り出す音楽は、悩める分裂的な20世紀人マーラーよりもボヘミア生まれの歌謡性や通俗性を豊富に持ち合わせた交響作家像を描き出すかのようだ。

このノイマンによる交響曲全集は廉価で入手できるらしい。他の交響曲たちがどのように
演奏されているか聞いてみたいと思った。

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2006年9月13日 (水)

シューベルト 交響曲第5番、第6番 アバド/ヨーロッパ室内オーケストラ

Abbado_eco_schubert56
シューベルト 交響曲第5番、第6番 アバド/ヨーロッパ室内オーケストラ

お盆などの連休明けには近所のブックオフには自宅の掃除などで結構新しいCDなどが並ぶようだ。8月23日には聞きたいと思わせるCDがいくつか並んでいたので、数枚購入したのだが、その中の一枚がこれ。

第5番 変ロ長調の方は、ブルーノ・ワルター指揮のコロンビア交響楽団によるLPで親しんだ曲。第4番の『悲劇的』という曲を聴いたことがないのだが、平野昭氏のライナーノートを読むと、第4番でベートーヴェンとの対決を終え、それを乗り越えた融通無碍な境地というようなことが書かれてあった。それを知るまでは、モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンの初期の古典派交響曲に習った習作的な位置づけかと想像していたのだが、どうやらそうではないらしい。ワルターの演奏はロマンチックだが折り目正しい古典交響曲という風情だったが、こちらのアバド盤は1986年の演奏ということで、ピリオドアプローチの影響はあまりないとは言え、颯爽としたスリムな音楽だ。ただ、少し気になったのは、自分の気のせいかも知れないがテンポが不安定に聞こえたところだ。小編成のオケの中では、フルートのソロがストレートで心地よい。

第6番 ハ長調は、後の第8番(9番)『ザ・グレート(大ハ長調)』に比較されることで小さいほうとされるが、シューベルト自身は大交響曲として位置づけていたもののようだ。この曲は聞き込んでいないので、印象が散漫なのだが、とりわけフィナーレの繰り返しの多さには少々うんざりしてしまった。この交響曲の後に、いわゆる『未完成』交響曲がくるわけだが、まったく別の世界の音楽だ。また、同じハ長調と言っても、『ザ・グレート』やモーツァルトの『ジュピター』の輝かしさ、躍動は聞かれないようだ。

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2006年9月 7日 (木)

サンサーンスの音楽 デュトア指揮で

Sainsaens_pc45_roger ピアノ協奏曲第4番、第5番 パスカル・ロジェ(ピアノ)


Dutoi_saintsaens_s3_carnavalanimaux交響曲第3番 オルガン付き モントリオール交響楽団

交響詩『死の舞踏』 フィルハーモニア管弦楽団

組曲 動物の謝肉祭 ロンドン・シンフォニエッタ ロジェ、オルティス(ピアノ)

指揮:シャルル・デュトア


サンサーンス(サン・サーンス)は長生きした作曲家で、ピアノの神童としてのデビューはモーツァルトに比肩し、非常に多くの作品を残したが、現在演奏される曲は非常に限られており、評論家の吉田秀和氏などは『LP名曲300選』では、サンサーンスの作品を『動物の謝肉祭』以外はほとんどバッサリと斬り捨てているほどだ。

サンサーンスの音盤は、このほかにバレンボイム指揮の交響曲第3番とオーケストラ曲集、ベーム/VPOの「動物の謝肉祭」、チョン・キョンファによるヴァイオリン協奏曲第3番を持っている程度で、このほかの作品と言ったら、ほとんど知らない。

いつの間にかなぜかデュトワ指揮のCDが集まったので、まとめて聞いてみた。

吉田氏が、先の文庫本で、サンサーンスのことを「安易すぎ、俗っぽすぎるメロディーを使っている」というようなことを書いているが、私などは高雅なものだけに心を動かされるのではないので、俗っぽいことは結構好みで悪いことではないように思える。

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2006年9月 4日 (月)

ブラームス 交響曲第1番 ジュリーニ/フィルハーモニア管弦楽団

Giulini_po_brahms_s1 ブラームス 交響曲第1番  〔1961年1月録音〕                     14:11/9:28/4:55/18:08
      悲劇的序曲〔1962年10月,11月録音〕 13:11
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 

ジュリーニならではの歌謡性に満ちた表現を聞くことができる。

小澤/サイトウキネンの演奏も第一ヴァイオリンによる歌謡性重視と書いたが、演奏から受ける印象は相当異なる。

ジュリーニとPOと言えば、先にアラウとのブラームスの第2ピアノ協奏曲のオケを務めたCDで言及したものだが、静謐でうるさくなく、しかしスケールの大きい独特のブラームスを楽しんだ。

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2006年9月 3日 (日)

エプソン品川アクアスタジアム

以前から聴いていたベーム指揮VPOのサンサーンスの『動物の謝肉祭』と最近入手したデュトアのCDを子どもたちと一緒に聞き比べ、『水族館』の演奏を楽しんだので、日曜日の行楽は水族館に行こうということになった。

これまで比較的近いところにある八景島、新江ノ島、品川、池袋サンシャイン、東京タワー、相模川の各水族館は行ったことがあるし、葛西臨海は少々遠いしということで考えた末、昨年開館したエプソン品川はどうかということになり、行ってみた。

品川駅からは徒歩5分程度で、品川プリンスホテルの裏側にある。水族館はどこも入場料金が高いのだが、ここも大人1800円、小中学生1000円という結構な値段だった。それにも関わらず、都心に近くて手ごろということもあるのだろうか、押し合いへし合いに近いほどの観客が詰め掛けていて驚いた。この画像は、入り口の海中トンネルで、サメとエイが飼育されていた。
P9030002


珍しいのは、マンボウ(学名 Mola mola)が飼われていることで、巨体がのんびりと浮き沈みしていた。マンボウが水槽の硬いガラスに接触すると弱ってしまうとのことで、水槽内にベールのような幕が垂らしてあった。
P9030015


カリフォルニアアシカのショーは定員が少ないのと大人気で入場はできなかったが、イルカショーは非常に広い円形の専用プールの周りに観客席が取り囲む形式で収容人員もたっぷりあり、新江ノ島や八景島よりもくつろいで見ることができた。ただ、イルカショーの技術や構成はまだこれらの水族館には一歩遅れを取っているようだった。なお、普通のバンドウ(ハンドウ)イルカのほかに、珍しいカマイルカもショーに参加しており、オスのラッキー君というカマイルカが運動能力の低さにもめげないで、懸命に演技をしているというMCの紹介があった。この写真は、ショーの後のトレーニングの模様。水族館全体としてはサンシャイン水族館同様、市街地のビルの中部にあるため、スペースは狭く、これら以外にリピーターになるほどの見ごたえのあるものは少なかった。
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この後、神奈川に住んでいながら一度もお参りしたことのなかった川崎大師にお参りした。日曜日の夕方で、参拝客は多くはなかったが、大きな本堂や立派な五重の塔があり、山門には、ジゾウコウタの四天王が寺を守護していた。この画像は、多聞天。
P9030079

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2006年9月 1日 (金)

ホグウッド、シュレーダーのモーツァルト 交響曲No.25,38,40,41

Hogwoodmozarts25 すでに同じ録音のNo.40ト短調,No.41ハ長調は持っていたが、No.25ト短調,No.38ニ長調『プラハ』が聴けるので、ブックオフ廉価で購入した。

モーツァルト四大交響曲という副題が付いていたが、どうなのだろうか?普通は、No.35,36,38,39,40,41 を後期六大交響曲というような気がするが。

以前購入した第40番、41番のホグウッド(コンティヌオ、実質的な指揮)、シュレーダー(コンサートマスター)によるアカデミー・オヴ・エンシェント・ミュージックの録音は、発売された当時全集の評判を読むにつれ聞きたいと思っていたもので、その後大分たってから分売になったときに入手したものだ。ピリオド楽器の響きは面白かったが、フレージングが硬く直線的なためか、セルとクリーヴランド管などに代表される現代オーケストラによる細部まで神経のゆきとどいた緻密な音楽に比べてしまうとあまり魅力的に感じられないものだった。

第25番ト短調は、映画『アマデウス』で有名になった曲だが、これまで気に入った演奏にはあまりめぐり合えなかった。ワルター/VPOライヴはあまりにも主観的過ぎた。ケルテス/VPOの演奏は引き締まっていて結構好きなものだ。デッカ録音のVPOの音もまたよい。小学館全集に入っているマリナー指揮ASMFの、モダン楽器の室内管弦楽団による先駆的な録音も録音もなかなかいい。No.25の交響曲をホグウッドたちの演奏で聞くと、少々荒々しいピリオド楽器の音色と硬く直線的な音楽があいまって結構聞かせてくれる。この演奏は気に入った。

ところが、同じCDにカップリングされている第38番『プラハ』に移ると、前に第40番、41番で感じた不満が再出してくる。作曲家10代の若い頃の音楽と、完全に彼独自の音楽語法を駆使できるようになったヴィーン期の音楽では質が違い、それが同じようなアプローチだと違和感を生じさせるのかも知れない。この演奏によってそのことがはっきり分かったような気がする。その意味で面白いCDだった。

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