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2006年10月 8日 (日)

ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 バーンスタイン東京ライヴ、バルシャイ

ショスタコーヴィチ(1906-1975)  交響曲第5番 ニ短調 作品47

Shostakovich_s5_bernstein

レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック
 〔1979年7月2,3日録音、東京文化会館、ライヴ録音〕

モデラート 17:43/ アレグレット 5:23/ ラルゴ 16:02/ アレグロ・ノン・トロッポ 10:12


Shostakovich_s56_barshai

ルドルフ・バルシャイ指揮 WDR交響楽団
 〔1995年7月3日-8日, 1996年4月26日録音* ケルン〕

15:29/5:33/13:19/11:14

(* 3/8-7-1995 7 26-4-1996 という不思議な誤植?で表記されている)


かつて日本フォノグラムのフォンタナという廉価盤LPシリーズがあり、ショスタコーヴィチの第5交響曲は、そのシリーズの中のスタニスラス・スクロヴァチェフスキ指揮ミネソタ管弦楽団(ミネアポリス交響楽団)の録音(併録は、ロヴィツキ/ヴィーン響の『古典』交響曲だった)で初めて聴いた。それまでチャイコフスキーくらいまでしか聞いたことのない中学生の耳には小難しい音楽に聞こえたが、次第に親しめるようになった。その後、この録音が名録音のマーキュリーによるものだと知り、録音の明瞭さはそのせいだったかと得心がいった。現在はフィリップスの1000円のCDシリーズで発売されているがCDはまだ入手していない。

スクロヴァチェフスキはポーランド生まれで、クリーヴランドでセルのアシスタントを務めて薫陶を受けた指揮者だ。広い意味ではセルも職人的な指揮者に分類されるだろうが、弟子であるMr.Sもその仲間だろう。その彼がここ数年ザールブリュッケンとのブルックナーシリーズなどで俄然注目を集めてきているのは面白い。そのスクロヴァチェフスキのショスタコ5番は、非感傷的なアプローチで、曲に特に演出を加えていないのだが、音楽そのものを十分味あわせてくれるというもので、その意味でこの交響曲の本質は通俗的なこけおどしではないのだろうと想像させてくれる。1960年代というショスタコ受容としては比較的早い時期、USAの中部の田舎ミネソタ州(ミネアポリス)でポーランド指揮者によりこのような厳格なアプローチがなされていたのは興味深い。また、この時期のステレオ録音としては細部まで明瞭でありながら、トゥッティの迫力も失われていない素晴らしいものだと思う。

さて、バーンスタインの録音は、東京での1979年の演奏会のものでディジタル録音。バーンスタインがニューヨークフィルを率いてソ連を訪問し第7交響曲を作曲者の前で演奏し賞賛を受けたこともあり、バーンスタインのショスタコは作曲者お墨付き的な評価を与えられていたようだ。そのためニューヨークフィルとの古い方のスタジオ録音もよく聴かれたものだったらしい。その後、新時代のショスタコの第5番として発売されたのが、このライヴ録音で、レコード誌などでも高い評価を得ていた。確かに魅力のある音楽ではあるが、すっかりMr.Sに刷り込まれていたためか、この演奏との相性はもうひとつだ。

第1楽章はテンポが遅く瞑想的なモデラートになっている。アレグレットは、比較的明るい表情のスケルツォ。ラルゴは非常にねっとりと深沈とした音楽が奏される。CDではほとんどアタッカであるかのように、やや速めのアレグロの猛烈な行進が開始され、息をつがさぬ音楽が繰り広げられていく。中間部ラルゴ的な瞑想からコーダで「勝利」のティンパニと金管の雄たけびをあげる。ライヴとしてはバーンスタイン/NYP的な粗さもほとんど聴かれないが、この録音がそれほど伝説的な凄演の記録なのだろうか。自分の好みの問題だが、疑問だ。

バルシャイ盤は、例のボルコフの『証言』が1979年秋にニューヨークで出版されてから相当時間を経過し、ソビエト連邦も消滅してからの録音。あの『証言』の信憑性はまだ決着がついていないようだが、解釈や演奏とその受容への影響は大きかった。その影響下、初演以降賞賛された社会主義体制に迎合した「苦悩を突き抜けて勝利へ」の音楽、ではなく、「墓碑銘」であり、フィナーレは「強制された行進」とこの曲を規定する向きもある。作曲者の弟子でもあり、ソ連から亡命を余儀なくされたバルシャイの解釈はどうであろうか?鮮明な音色のカノンにより開始さいれる第1楽章モデラートは痛切なユニゾンが印象的である。克明な表現だ。第2楽章も管楽器群がソロイスティックに活躍するのが目立つ。サーカスティックな作曲家の自嘲が聞こえるようだ。第4楽章が有名な交響曲ではあるが、第3楽章のラルゴは、最も真正な音楽だろう。バーンスタインよりもダイナミックの振幅が大きく粘らずに感動的である。第4楽章は、駆け出さないテンポで着実に前進する音楽になっている。コーダもテンポは上げずに、恰幅のよい輝かしい金管とティンパニのコラールで終結する。

ソ連という難しい国だったということもあるが、現代に生きていた作曲家の作品のテンポがこの曲のコーダほど論議にのぼることはやはり異常なことだ。メトロノーム記号の四分音符にひげをつけて八分音符にすると、四分音符換算で一分間に半分の拍数、つまり倍速2倍に伸ばされた遅いテンポになるが、それが自筆譜ではどうなっていたのか。西側には、八分音符の印刷譜が流れてきたとのこと。鉄のカーテンと呼ばれた東側諸国の奥の院のマルクス=レーニン主義的な祭祀の音楽に二通りのテンポがあったということ、模範的な演奏とされるムラヴィンスキーは、テンポの間違いを知っていながら、速い方のテンポを取っていた節があること。どうしてこのようなことが起きたのか?

なお、余談だが、ショスタコーヴィチの交響曲がBGMに使われた映画『戦艦 ポチョムキン』だが、オリジナル版に使われたのではないという。

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