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2006年10月の41件の記事

2006年10月31日 (火)

ジョスカン・デ・プレ ミサ『パンジェ・リングァ』 タリス・スコラーズ 

ジョスカン・デ・プレ(c.1440-1521)

Josquin_des_pres

ミサ・パンジェ・リングァ (1539年出版)
 グレゴリオ聖歌「パンジェ・リングァ」がこのミサの前に歌われる

 ミサ・ラソファレミ (1502出版)

 タリス・スコラーズ ピーター・フィリップ指揮 〔1986年録音〕


ジョスカン(・デ・プレ)もやはりフランドル地方(その地方内の現在のフランス北部のサン・カンタンが生地だという)の出身で、フランドル楽派の最高峰として令名が高い。

1459-1474にはミラノでスフォルツァ家礼拝堂、1486-1499ローマで教皇礼拝堂に勤める。その後ミラノとフェラーラで過ごし、コンデで没。80歳を越える長寿をまっとうした。レオナルド・ダ・ビンチ(1452-1519)よりも少し年長だが、ミラノやローマで接触があったかも知れないと想像するのは面白い。

『ミサ・パンジェ・リングァ』は、皆川達夫『中世・ルネサンスの音楽』でも、吉田秀和『LP300選』でも絶賛されている。両書とも、このCDで録音されているこの曲をルネサンス音楽の典型、古来からジョスカンの最高傑作とされている、としている。

CDパンフレットのピーター・フィリップスの解説を読むと、やはり『ミサ・パンジェ・リングァ』はジョスカンの傑作のひとつとして広く認められているとある。ジョスカンの生涯の恐らく最後のミサ曲であるようだ。その高齢にしてこのような曲が書けたとは!

彼のミサ曲は、より後世のパレストリーナのミサに比べて、旋律の動きがより複雑(メリスマというのか?)で、浮遊感や飛翔感のようなものを感じさせる響きの明るさやリズムの軽快さがある。Sanctus&Benedicus"でのgloria tua" のソプラノとアルト(カウンターテナー)のデュエットなどはまさに天上の音楽という趣だ。このミサ曲では、自由な気分、解放された情緒が多分に感じられる。仏教的に言えば、解脱の境地とでも言えようか?

ジョスカンのミサで現存するものは20曲とも30曲とも言われるようだが、その中から「ラソファレミ」という音名が付けられたものも、このCDでは録音されている。こちらは、『パンジェ・リングァ』に比べては、前半はどちらかというと後世のパレストリーナを連想させる部分もあり、ジョスカン的な魅力に少し欠けるが、クレドなどの次々と各声部が模倣を繰り広げるのは素晴らしい。またSanctus&Benedictusの開始がゆったりと静謐な雰囲気で歌われるのもユニークで面白い。

なお、このCDは、古楽としては大変稀なことらしいが、英国『グラモフォン』誌のレコード・オブ・ザ・イヤーを受賞した録音で、それかあらぬか、このCDのパンフレットの上記の表紙には曲名、演奏者などがまったく印刷されていない。美麗な宗教画のみのパンフレット表紙だ。ただ、ヒンジ(?)の部分には"Gramophone Record of the Year" と誇らしげ?に印刷されている。

これとは別のCDだが、ジョスカンのモテット、四声の『アヴェ・マリア』は、タリス・スコラーズの『クリスマス・キャロルとモテット集』というCDに入っている。これが私のタリス・スコラーズ入門だ。同じCDに含まれる伝ビクトリア作曲の同名曲は混声合唱団で歌ったことがあり、このビクトリアのものと伝えられている曲も美しいが、ジョスカンはよりリズムが自由で(歌唱はより難しいだろうが)聴いていていっそう魅力を感じる。今度合唱をやるときには、是非ジョスカンを歌ってみたいものだ。

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2006年10月30日 (月)

TVドラマ『のだめカンタービレ』Lesson3 BGM

今晩は、子ども達の宿題も早めに終わったので、9時からの『のだめ』を皆で楽しめた。

今回のBGMは、それほど新しい曲は登場しなかったようだが、佐久桜のライトモチーフらしい『愛の悲しみ』のコントラバス・バージョンは面白いものだった。途中のモーツァルトの曲はヴァイオリン協奏曲だったか?どうも聞き分けできない。最後の方では、メンデルスゾーンの『イタリア』交響曲が出てきたがこれは"木既出" だっただろうか?

オープニングの下手なオケというのは、面白かった。普通のリスナーはそれなりに弾けるオケに接する機会の方が多いので、ベートーヴェンの第7の冒頭のハチャメチャな音響はかえって新鮮だった。Aオケは、原作でも何を演奏したのか分からないのだが、コンミスの三木清良が各パートに指示を出していたのは何の曲だったのか?

佐久家のヴァイオリンのエピソードは、原作の中でも好きな方だが、ロケのお屋敷(旧岩崎邸?)や隠し部屋、佐久桜の父親の輸入家具商などいい味を出していた。

もう少し詳しいBGMリストは、ビデオで見直してから作りたいが、今回はビエラ先生とチェコ組曲が登場せずさびしかった。なお、Lesson2では、「だっちゅーの」の場面でサティの珍しい曲が使われたらしい。blogで見かけたが、気が付かなかった。

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ハイフェッツのShowpieces(ツィゴイナーヴァイゼン)

Zigeunerweisen_heifetz ツィゴイネルワイゼン~ヴィルトゥオーゾ・ヴァイオリン ハイフェッツ 
(Jascha Heifetz Zigeunerweisen "Violin Showpieces with Orchestra") 
〔1946年、1951年、1952年、1953年録音、モノーラル〕

1.サラサーテ 『ツィゴイナーヴァイゼン』
2.サン=サーンス 『ハバネラ』
3.同上 序奏とロンド・カプリチオーソ
4.ショーソン 『詩曲』
5. ベートーヴェン ロマンス第1番
6. 同上 ロマンス第2番
7.ブラームス 『ハンガリー舞曲』第7番
8.ワックスマン 『カルメン幻想曲』

まだ、枯葉の季節ではないが、「秋の日のヴィオロンの・・・」を思い出すほどこのところヴァイオリンづいている。ミドリのエルガー、ハーンのパガニーニと来て、彼女達ヴィルトゥオーゾ・ヴァイオリニストとしての系譜上の(直接、間接は別にして)先達になるハイフェッツの古くから知られた曲集のCDを聴いてみた。

この中の『ツィゴイナーヴァイゼン』(直訳すると「ジプシーのメロディー」)は、ハイフェッツの超絶的な演奏の典型として古くから有名なもので、このRCAの赤盤シリーズとしてリマスタリングされたCDで聴いても、この前のハーンが注意深く避けていた胸がムカムカするようなヴィルトゥオーゾの妙技の誇示を聴く事ができる。ハイフェッツは、冷たく燃えないというような先入観をついもってしまうが、このツィゴイナーヴァイゼンは恐るべきアゴーギクを伴い縦横無尽に妙技を尽くしている。終楽章の部分などスタインバーグ指揮のオケが追いつけないということでも知られていたが、じっくり聴いてみるとそれほどひどくはなかった。(ただ、これを聴くと、先の『百万ドル』トリオが、このハイフェッツとわがままなルービンシュタインを組ませただけでも破天荒な企画だったことがよく分かる。)

冒頭でちょっと触れたヴェルレーヌの詩「秋の歌」(上田敏訳の『海潮音』所収では「落葉」)の「秋風のヴァイオリンの物悲しい単調な音」とは違うのだが、ハイフェッツの『ツィゴイナーヴァイゼン』のUn poco piu lento の物悲しさは独特のものがある

(この有名な詩をこのサイトで読むことができる。また様々な翻訳(解釈)も楽しめる。なお、BGMは画面からは切れないようなのでご注意を。)

この有名な曲・演奏の他、『のだめ』原作にも登場したサン=サーンスやショーソンの名ヴァイオリン曲も収録されている。『ハバネラ』や『序奏とロンド・カプリチオーソ』などは爽快とも言える演奏だ。(『のだめカンタービレ』の原作では、千秋真一の祖父が、60枚(実際には65枚)組みのハイフェッツ大全集を持っていたことになっていた。)ただ、ベートーヴェンになるといくばくかの違和感がぬぐえない。

音質は、聞きやすいものになっている。それでも1950年代のモノーラル録音だけあり、ハイフェッツの細身で切れのいいヴァイオリンの音(フラジオレットの高音も)は捉えられてはいるが、音だけの魅力で楽しめるものではないと思う。また、オーケストラもハイフェッツのヴァイオリンの引き立て役としての収録であるので、がっぷり四つに組んだ演奏とは言えないのが少々残念だ。

ワックスマンの『カルメン幻想曲』は、アメリカの映画音楽作曲家の作品とのこと。サラサーテの同名曲とコンセプトは同じだが、下記ムターのサラサーテの曲の方が面白かった。

◆Zigeunerweisen 
ハイフェッツ(Vn)、スタインバーグ/RCAso 8:12    (0:57+3:39+1:51+1:45)
グリュミオー(Vn)、ハイデュ(p)        8:07 (実測 1:02+3:23+1:47+1:53)
ムター(Vn)、レヴァイン/VPO         8:39 (実測 1:02+3:35+2:09+1:44)

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2006年10月29日 (日)

ニールセン 交響曲第4番『不滅』 バーンスタイン/NYP

カール・ニールセン(1865-1931,デンマーク)  Nielsen_24_bernstein_nyp

交響曲第4番作品29(『不滅』) 13:18/5:18/11:41/9:54
 レナード・バーンスタイン指揮ニュヨーク・フィルハーモニック

 カップリング:交響曲第2番作品16(『四つの気質』)
    10:18/5:25/12:16/6:31

  〔第2番:1973年2月12日、第4番:1970年2月9日〕

ニールセンのこの『不滅』と呼ばれる交響曲は、これまでインターネットの音楽情報ではよく目にしたのだが、これまでついぞ聴く機会がなかった。吉田秀和『LP300選』や柴田南雄『おしゃべり交響曲』やレコ芸の『300選』ものなどにも登場せず、店頭でもほとんど目にしなかった。

デンマークと言えば、ハムレットとアンデルセン程度しか知らず、このニールセンにしてもこれまで名のみ知り、作品には触れる機会がなかった。デンマークの中心民族のデーン人は、北方ゲルマン人ということで、ノルウェー、スウェーデンやドイツ北部と共通性を持ち、その言語もドイツ語やオランダ語などと相当共通性を持つのだという。ニールセンという名前だが、英語ではニルソンとなり、アンデルセンがアンダーソンとなるのと同じで、ニルスの息子という意味の姓だという。これは、古代ゲルマン人の母系社会(多夫一婦制)の遺産とも言われている。閑話休題。

ニールセンの交響曲も上記のように以前から脳内"WISH LIST"に入れてあったのだが、ようやく巡りあえたという感じだ。バーンスタイン没後の追悼盤ということで、彼がCBSに残した主にニューヨーク・フィルハーモニックによる録音のうちの一枚。

ニールセンについては、ライナーノートを読むと、非常に貧しい生まれだったがオーケストラのヴァイオリン奏者として就職し、その後、メンデルスゾーンの弟子として知られるデンマーク人のガーデ Gade(ビルスマの70歳記念盤で、師のメンデルスゾーンと同じ編成の八重奏曲を聴くことができる。そういえば、コンスタンツェ・モーツァルトが再婚した相手はデンマーク人のニッセンだった)に師事して作曲を学んだのだという。

早速『不滅』という題名のついた交響曲を聴いてみた。この曲は、これまでまったく聴いた記憶がなかった。親しめるまでには時間がかかりそうだ。

全体切れ目なく演奏される単一楽章だというが、はっきり四つの部分に分かれる。

第1の部分など結構よく鳴るオーケストレーションのようだが、どうにもとっかかりにくい。印象的なのは、第3の部分。弦楽合奏の響きに第一次大戦後に生まれた曲という雰囲気が感じられる。後年のショスタコーヴィチを連想させるようなところがある。第4の部分は、標題音楽的な捉え方をすれば、第3部分の悲劇を克服する勝利の音楽のような見方も可能かも知れない。ティンパニの乱れ打ちのような演奏が印象に残る。

なお、フィンランドの交響曲作家シベリウスもニールセンと同じ1865年生まれだという。

P.S. 先のラフマニノフのピアノ協奏曲の第2番もそうだったが、この曲も「のだめカンタービレ」に関係があるということが判明した。「のだめ」最新刊第16巻の最後の次巻予告に、交響曲「不滅」が取り上げられることが掲載されていたのだ。第16巻中のリハーサルにもニールセンの名前が出てくる。エルガーのヴァイオリン・ソナタなどは「のだめ」がきっかけで愛好者が増えているが、この「不滅」もそのうち人口に膾炙するかも知れない。

P.S. 2006.10.29 丘さんの同じ曲の同じ演奏のCDの記事からトラックバックをいただき、この記事からもトラックバックさせてもらった。

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2006年10月28日 (土)

TVドラマ『のだめカンタービレ」Lesson2 BGM

テレビドラマ『のだめカンタービレ』の第2回をビデオで録画してあった。授業参観日から帰ってきて時間があったので一人で見直し、BGMをメモしてみた。結構沢山あり驚いた。中には分からないのもあった。ニックネームなどを使用。
1.『月光ソナタ』第3楽章
2.モーツァルト2台ピアノのためのソナタ
3.『千人の交響曲』第1楽章冒頭
4.『ロミオとジュリエット』
5.ヴァイオリンソナタ『春』第1楽章
6.『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』冒頭(真澄ちゃんのライトモチーフ?)
7.『魔笛』よりパパゲーノのアリア『おいらは鳥刺し』
8.ベートーヴェン交響曲第7番第1楽章冒頭(序奏部)ビエラのCD
9.オープニング 同上 第1楽章主部
10.『愛の悲しみ』
11. ? クラリネットなどのアンサンブルによる『リパブリック讃歌』?
12.『熊蜂の飛行』
13.『アラベスク』第1番(ドビュッシー)? 〔バーのBGM〕
14.チャイコフスキー『弦楽セレナード』よりワルツ
15.第九第1楽章冒頭(Aオケのシーン)
16.ドヴォルザーク『チェコ組曲』(これが千秋のヨーロッパへの憧れのライトモチーフらしい)
20.スコット・ジョップリンのラグタイム?
21.モーツァルトの『セレナーデ』または『ディヴェルティメント』の何か?
22.『別れのワルツ』
23.モンティ『チャールダッシュ』(試験で使う曲だろうか?)
24.ラプソディー・イン・ブルー(長調の中間部)
25.ヴェルディ『レクィエム』
26.『ドン・ジョヴァンニ』騎士長の石像の招待と地獄落ち(第ニ幕第15場)
27.『フィガロの結婚』序曲
 

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モーツァルトの弦楽四重奏曲 ABQ

Mozart_sq1423_abq モーツァルト 弦楽四重奏曲第14番-第23番

アルバン・ベルク四重奏団(初期メンバー)

第1Vn: ピヒラー 第2Vn: メッツル、シュルツ(K.458,K421b)、ヴィオラ:バイエルル、チェロ:エルベン
〔1975-1978年 ヴィーン、テルデック・スタジオでの録音〕


モーツァルトの弦楽四重奏曲と言えば、第一に思い出されるのはハイドンに献呈された6曲のハイドンセットだろう。

第14番ト長調K.387
第15番ニ短調K.417b
第16番変ホ長調K.421b
第17番変ロ長調K.458(『狩』)
第18番イ長調K.464
第19番ハ長調K.465(『不協和音』)

楽譜に書きおろす前に頭の中ではすっかり全曲が出来上がっていて、ゲームやおしゃべりをしながら清書としての記譜するだけだったというモーツァルトにして、苦吟の跡がが書簡からも自筆譜からも読み取れるという作品がこれらで、いずれも非常に綿密な書法によっていながらも自然な流れを保ち、またいずれも個性的でありながらもそれぞれがモーツァルトの音楽を象徴するものになっている事実はすごいことだと思う。これらの曲が初演されたハイドンと父レオポルトを招いての内輪の演奏会も音楽史的には大事件だったと思う。

ハイドンセットの傑作ぶりを改めて言挙げする余地はないのでこれくらいにして1770年モーツァルト14歳の年に確かイタリア旅行中に書かれた彼の最初の弦楽四重奏曲K.80(73f)の第1番ト長調について少々。この曲を中学生の時か高校生の時か忘れたが、FM放送で聴いたときの衝撃を今でもときおり思い出す。夜何気なしに付けたステレオのスピーカーから非常に透明で美しい音楽が流れ出し聞き入った。音楽が終わった後で曲名が紹介されたが、それがこのモーツァルトの少年時代の曲だった。今聞いてみれば比較的単純な曲だとは思うのだが、それでもやはり非常に魅力的な音楽だと思う。モーツァルトの初期の多くの曲で驚かされるのはその年齢だけだとは言う辛口の批評があるようだが(そうは言っても孤児院ミサなどは奇跡的ではないかと思うのだが)、この第1四重奏曲はまさに若き天才の音楽だと思う。この中には後年のフルートとハープのための協奏曲の第2楽章を連想させるメロディーが登場するのも面白い。(ジュピター音型などはモーツァルトの固執低音のように生涯にわたって顔を出すのだが、あれだけの記憶力の天才が以前作った自分の曲にあまり似ていない多彩な曲を作りえたというのは逆に凄いことだと思う。)

さて、写真のCDは、アルバン・ベルク四重奏団がハイドンセット6曲、ホフマイスター(第20番,K.499 ニ長調)、晩年のプロシャ王セット3曲(第21番ニ長調K.575、第22番変ロ長調K.589、第23番ヘ長調K.590)の全10曲を録音したもので、初期メンバーによる演奏になっている。残念ながら『狩』の第2楽章の第1ヴァイオリンの音程が素人の耳に分かるほど乱れているようなテイクも含まれており、完璧な出来とは言えない部分もあるが、全体として小気味よい演奏が楽しめる。中ではハイドンセット第1番のト長調が曲、演奏とも素晴らしいと思う。特に、終楽章の『ジュピター』交響曲を先取りするかのような対位法的な楽章は一度聴いたら忘れられない。大げさな言い方をすれば、神品とでもたたえるべき曲だと思う。

先に書いたハイドンのエルデーディセットなどは、このモーツァルトのものよりもはるかに後年に書かれたのだが、弦楽四重奏様式の確立者ハイドンの物堅さの表れだろうか、このハイドンセットほど自由闊達ではないようだ。また、ベートーヴェンの作品18の6曲セットも、ベートヴェンの個性は表れているものの、魅力の面ではモーツァルトの特にハイドンセットの後塵を拝するだろう。

ただ、第7番のラズモフスキー第1番での、エロイカ的、チェロソナタ第3番的な飛躍以後の弦楽四重奏曲の世界は、モーツァルト、ハイドンの世界とは相当隔たってしまったようだ。モーツァルトの音楽は、そのような意味でも後世の音楽とは隔絶しているのかも知れない。

ABQを実演で聴いたのは、確か1981年頃だったと思う。ベルクの叙情組曲がプログラムの中心に入っていたが、鑑賞というには程遠かった。その他のプログラムが何だったか、調べればわかるのだろうが、今でも思い出すのは、アンコールにやってくれたモーツァルトのニ短調のメヌエットだ。

実家においてある小学館=フィリップスのモーツァルト全集の弦楽四重奏曲は、イタリア弦楽四重奏団の録音。初期から晩年まで歌心に溢れた美しい響きの演奏を楽しむことができる。(こう書いているとまた聴きたくなってしまう。)

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2006年10月27日 (金)

吉田秀和氏(93)に文化勲章

今日の夕刊に出ていた。吉田氏もレコード芸術の連載再開などすっかり元気を取り戻され、今度は朝日新聞の夕刊にも四季に一度ずつ『音楽展望』を掲載する予定だという。

その他の受賞者で名前を知っている人は、瀬戸内寂聴氏のみ。文化功労者では、丸谷才一氏、山崎正和氏、高倉健氏、黒川紀章氏くらい。オペラ演出家の栗山氏、舞台美術の朝倉氏は名前は聞いたことがある程度。

夕刊には、吉田氏の談話も掲載されていた。自らパイオニアとして切り開いてきたが「国から等閑視されてきたきらいのあるクラシック音楽とその音楽批評」がようやく認められたという安堵感があるようだ。

P.S. 2006/11/2

11/1の朝日新聞夕刊に秋の『音楽展望』が早速掲載された。懐かしい文章が読めてうれしかった。モーツァルトについてはワルターとアーノンクールの演奏を対比。ショスタコーヴィチの諸作品についても書かれていたが、シューマンへの言及がないのは、シューマニスト?吉田秀和氏の文章としては少々寂しかった。

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パガニーニ ヴァイオリン協奏曲第1番、他 ハーン,大植/スウェーデン放送響(新譜)

Paganini_vnc1_spohr8_hahnoueパガニーニ(1782-1840)
  ヴァイオリン協奏曲第1番 ニ聴調 作品6

シュポア(1784-1859)
  ヴァイオリン協奏曲第8番 イ短調 作品47『劇唱の形式で』

ヒラリー・ハーン(Vn)  大植英次/スウェーデン放送交響楽団
 〔パガニーニ:2005年10月、シュポア:2006年2月、ストックホルムでの録音〕

10月25日に発売されたばかりのフル・プライス(税込み2,548円)の新譜。新譜を買うことはめったにないのだが、以前からヒラリー・ハーンの音盤をじっくり聴いてみたいと思っていたのと、曲目がやはり落ち着いて聴いてみたいと思っていたパガニーニだったので、エイッと決心して購入。(先着?名様にポスターが付いていた。ちょうど『大草原の小さな家』に登場するような19世紀風の衣装を付けたハーンがヴァイオリンを弾いているもの)。

指揮は、現在大阪フィルの常任の大植英次。バーンスタインに師事し、あのスクロヴァチェフスキのミネソタ管(ミネアポリス響)で活躍し、昨年バイロイトで『トリスタンとイゾルデ』を指揮した指揮者。オーケストラは、どういう関係があるのかスウェーデン放送交響楽団。パガニーニのほかに、ルイ(ス)・シュポアの第8番のヴァイオリン協奏曲が録音されている。(シュポアのこの作品は『LP300選』には入っていないが、『歌の情景』としてかろうじて言及されている。)

ハーンのヴァイオリン演奏は、先日のミドリと同様非常に高度なテクニックと美しい音をもっているが、ハーンの風貌から醸し出される冷静で物に動じない雰囲気は、演奏にも表れているように思う。

悪魔に魂を売ったとまで噂され、死後きちんと埋葬もしてもらえないほどの大ヴィルトゥオーゾだったパガニーニが、その自分の演奏を公衆に聞かせるために作曲した作品がこのヴァイオリン協奏曲第1番だ。オーケストラがいわゆるロッシーニ的なブンチャッチャの作りで、構成的にもどことなくぎごちないのだが、ヴァイオリンパートだけはさすがに凄い。また、イタリア的な甘いメロディーもふんだんに出てくる。このような音楽をハーンがどのように料理するのだろうかというところが、このCDへの関心だった。

ハーンの技術も音も相変わらず冴えているが、以前のような鋭利さはこのようなショーピース的な曲にしては却って抑制されているように聞こえた。歌もやはり冷静に折り目正しく歌い、第三楽章の超絶技巧の花盛りのような部分もいとも容易そうに弾きこなしている。ただ、ゲップが出るような畳み掛けるような技巧の誇示はなく、音楽として品格を保っているように思う。贅沢を言うようだが、それが少々物足りない部分でもある。大植の指揮はこのブンチャッチャ的な薄くて打楽器がやかましいオーケストラをそつなく鳴らしているが、このような曲ではあまり活躍の要素がないようだ。

シュポアの曲は、初めて聴いた。"in modo di scena cantante" という題名がついているようで、これが「劇唱の形式で」と訳されている。シュポアも名ヴァイオリニストだったというでけあって、ヴァイオリンが雄弁に音楽を語っている。オペラの一場面で登場人物が朗々とアリアを歌っているように書かれているからわざわざあのような題名が付けられたのだろう。ここでも、ハーンはすっきりと安定した音楽を奏でている。大植はここでもあまり出番がない感じだ。

ブラームスやベートーヴェンなどシリアスな聴きなれた曲で、ハーンを聴く方が面白いかも知れない。

P.S. 2006/10/29追記。
 10/27はパガニーニの誕生日だとされる日だったことにようやく気が付いた。昨年の同じ頃、ミドリの『カプリース』を聴いていたのだった。

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2006年10月26日 (木)

キングズ・シンガーズ タリス『エレミアの哀歌』、バード『モテット集』

Tallis

トーマス・タリス Thomas Tallis (c.1505-1585)
  エレミアの哀歌

ウィリアム・バード William Byrd (1543or1544-1623)
  モテット集
  1.Gaudeamus Omnes  2.Ne Irascaris, Domine
  3.Domine, Salva Nos  4.Haec Dies
  5.Vide, Domine, Quoniam Tribulor 6. Ave Verum Corpus

キングズ・シンガーズ 
 アルト(カウンター・テナー):ペリン、ヒューム
 テノール:トムソン
 バリトン:ホルト、カリントン
 バス:ケイ 
   〔1977年6月録音、ロンドン〕

プロ・カンティオーネ・アンティクァタリス・スコラーズヒリヤード・アンサンブルモンヴェルディ合唱団など尚古的なコーラス団体はイギリスに多いが、キングズ・シンガーズは自分にとってはその中で最も親しみ深い団体だった。彼らの演奏では、愛唱歌集やビートルズなどに接する機会が多かったのだが、このCDは本格的なイギリス・テューダー楽派の宗教曲の録音。

時代は、イギリスのルネサンス期にあたる。イギリスのルネサンスというとシェークスピアだが、その生没年は1564-1616 で阿刀田高流ではヒトゴロシ・イロイロだそうだ。ほぼ同時代者なので、シェークスピアはタリスやバードの音楽を聴く機会もあったかも知れない。ちょうどヘンリー8世の離婚・再婚問題という最も俗っぽい問題に端を発したイギリス宗教改革の時代。カトリックからの破門、国教会(アングリカン・チャーチ)の成立、カトリックへのゆり戻し、そして再び国教会の確立など当時の音楽家、聖職者は一連の出来事に右往左往し、それにより命を落とした人も少なからずあった。

(なお、ルターの宗教改革のきっかけである「95箇条の意見書」にしても、ルター自身はそこまで事態が進むとは予見していなかったという説もある。とかく事件は意図せざるなにげない事柄から大きくなるものなのかも知れない。)

その時代、あのタリス・スコラーズの名前の元になったトーマス・タリスによる『エレミアの哀歌』と、イギリスの音楽の父と言われるウィリアム・バードの『アヴェ・ヴェルム・コルプス』などのモテットを聞くことができる。特に後者は、エリザベス一世(1558-1603)との関係が深いという。

『エレミアの哀歌』は、預言者エレミアがエルサレムの荒廃を嘆くの悲しみの歌だが、キングズ・シンガーズの歌唱は、アルト(カウンターテナー)が少々ハスキーな声質であることもあり、音色的にも悲哀に満ちた音楽になっている。それに比較してバードのモテットは、カウンターテナーに暗い響きはあまり感じられず、パートの溶け合いも美しい。1曲目の「いざ我らゆによりて喜べ」はリズミカルで非常に「喜ばしい」感情が表現されている。

ただ鑑賞面からだけ言えば、現在のタリス・スコラーズなどの女声の無理のない発声が加わった古楽の合唱を聞きなれた耳には、少々音色的な魅力の点で欲を言いたくなる。贅沢なものだとは思うが。

なお、古楽が丁寧に解説されているサイトは、Stock book というこのページ。以前ホームページの「音楽の茶の間」でもリンク集に登録させてもらったもの。初心者にとって非常に頼りになる。

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2006年10月25日 (水)

エルガー ヴァイオリン・ソナタ ミドリ(五嶋みどり)、マクドナルド

Elgar_fanck_sonata_midori

エルガー(1857-1934)
 ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 作品82 (1918年完成)
  7:47/8:03/9:32
     〔1997年6月2日-4日  イングランド
       スネイプ・モールティングズ・コンサート・ホールでの録音〕

 


10月23日のテレビドラマ『のだめカンタービレ』第2回も面白かった。

さて、私にとって漫画『のだめカンタービレ』に接しなければ恐らく聴く機会がほとんど無かった曲の筆頭が、このエルガーのヴァイオリン・ソナタだと思う。

エルガーと言えば、ポピュラーな『愛の挨拶』『威風堂々』、『エニグマ変奏曲』そして『チェロ協奏曲Op.85』あたりまでは親しいのだが、このようなヴァイオリン・ソナタがあることさえ知らなかった。この漫画はその曲を実に生き生きと魅力的に紹介してくれた。(第6巻の感想記事。

この曲の録音は比較的少ないようで、HMVで検索してもこのミドリ盤以外にヴェンゲーロフ盤など数種類が現役であるだけ。ミドリ盤は、ソニークラシカルの名曲シリーズCDに含まれているので、最も入手しやすいところから、のだめ効果で結構売れたのではないかと思うがどうだろう。

千秋真一の母方の亡き祖父は実業家だったが、自らチェロも奏するクラシック音楽の大の愛好家で、エルガーの音楽をこよなく愛し、真一にもこのソナタをよくヴァイオリンで弾かせたという。祖父が家族に語ったという「古典的だろうと単純だろうと これがオレの音楽だ!」というエルガーの気持ち。なかなか作者二ノ宮知子さんの知識は深い。

このCDを入手してから何度か聴いているが、次第に親しめてきた。聞き込むにつれて段々味がでてくるようだ。

第1楽章アレグロは冒頭からフォーレ的な情熱を感じる。第2主題(第1主題部後半?)が特にメランコリックで美しい。

第2楽章ロマンス(アンダンテ)の主部は、シューマンのピアノ曲『森の情景』から『予言の鳥』を思わせる不思議な雰囲気の音楽。作曲者自身「森の音楽」と語ったという。そして中間部はしんみりとしたブラームスを思わせる曲想。そしてまた主部が戻る。

第3楽章アレグロ・ノン・トロッポは、息の長い旋律によるロマンチックな音楽。これもフォーレやブラームスを連想させる。高揚感とともに、後ろ髪を引かれるような雰囲気を漂わす。

ほぼ同時代のバルトークなどの前衛性に比べると、これは第1次大戦前後の時期の音楽ではなく19世紀ロマン派時代の音楽の範疇で時代錯誤の感がするが、そうかと言って退嬰的というのでもなく、前衛性・革新性だけが音楽の本質ではないということを示しているのかも知れない。

エルガーの演奏については比較の対象がないためあまり演奏の特徴が分からないのだが、特にヴァイオリンは、イングランド的な取り澄ましたものではなく、かといって、ロマンチック過ぎることなく、エルガー的中庸をうまく表現しているように感じる。

併録は、これもマイ・フェイバリッツの一つ フランクの ヴァイオリン・ソナタ イ長調  (6:37/8:24/7:38/6:40)

カップリングされたフランクのヴァイオリン・ソナタは、これまでいくつかの演奏を楽しんできたので、それらとの比較で分かるのだが、ミドリのヴァイオリンはさすがに冴えている。音も磨かれていて美しく、不安定な部分はまったくない。ただ、フランス系の微妙な浮揚感のある演奏に比べて、音楽のつくりが優等生的に生真面目で、いわゆる微妙な部分が聞き取れないように感じる。第1楽章などポルタメント的な濃い表情もつけるのだが、どうも曲とかみ合わない。これは、ミドリとの共演が長いロバート・マクドナルドのピアノについても言えるようだ。

なお、スネイプ・モールティングズは、ロストロポーヴィチとブリテンがシューベルトのアルペジオーネ・ソナタを録音した場所で、デッカは、ブリテンの録音によく使ったのだという。

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2006年10月24日 (火)

ボロディン 弦楽四重奏曲第2番 ニ長調

Dvorak_borodin_shostakovich_sq アレクサンドル・ボロディン(1833-1887)
 弦楽四重奏曲第2盤 ニ長調 

  ボロディン四重奏団 Borodin Quartet
     〔1962年9月〕 7:51/4:45/8:09/6:51


ボロディンの「ノットルノ」(夜曲、ノクターン)は、チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」と同じくこの楽章だけ取り出して愛好される佳曲として知られている。オーケストラ編曲もあるようだ。

学生時代にラジオ番組でラフマニノフの『ヴォカリーズ』(モッフォとストコフスキー)をよく耳にしたが、このボロディンの『ノットルノ』もFM放送の夜の番組のテーマ音楽で、いつもそれを聴くのを楽しみにしていた。しかし、この曲がボロディンの弦楽四重奏曲の第2番の第3楽章だとは長いこと知らず、ボロディンのこの弦楽四重奏曲の全曲にもこれまで接する機会がなかった。今回ようやくCDを入手して聞いてみた。

第1楽章から非常に親しい音楽で驚いた。これはNHKのBSの金曜日深夜(土曜日早朝)のクラシック音楽番組の時間調整のためのインターバルに北欧らしい海辺の風景のBGMとして流されている音楽ではないか!この親しみやすく穏やかな曲調の室内楽は誰の作品だろうかとずっと気にかかっていたので、ようやく疑問が解決したという感じだ。ただ、刷り込みが映像付きだったので、しばらくはこの楽章を聞くと条件反射的に映像が浮かぶということになりそうだ。

第2楽章は、スケルツォ的な動きの早さはあるのだが、チャイコフスキーのバレエ音楽の中のワルツのようで、なじみやすい。

そして第3楽章がマイ・フェイバリットのひとつである『ノットルノ』。この楽章も通して聴くのは今回が初めてだが、まことに美しい。以前突発的にボロディンがこのような美しい音楽を書けたのはなぜかなどと書いたことがあった。しかしボロディンの他の曲『中央アジアの草原から』『イーゴリ公』などを聴いても感じるのだが、ロシア民謡調というほど素朴ではなく彼自身の創意によるものだろう、美しいメロディーとリズム、和声が多いのに改めて気づく。

第4楽章は、序奏部付きのヴィヴァーチェだが、まだ聴きなれない所為もあり、この楽章だけが全体から浮いているような感じがする。第3楽章までの叙情性の溢れた音楽とは異なり、この楽章がむしろスケルツァンドな楽想で、ベートーヴェンの後期の四重奏曲的な自由闊達な雰囲気だ。

ボロディン四重奏団は、さすがに作曲者ボロディンの名を戴いているだけあり、堂に入った演奏だと思う。録音も1960年代で古いものだが、鑑賞には不都合はない。(この録音当時はすでにメンバーではなかったが、あの指揮者のルドルフ・バルシャイはヴィオリストとしてこの四重奏団の創設メンバーの一人だった。またショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲の全曲録音で知られているという。)

なお、このCDには併録で、ヤナーチェク四重奏団によるドヴォルザークの「アメリカ」、そしてボロディン四重奏団によるショスタコーヴィチの第8四重奏曲も収められている。

p.s. このボロディンが聞きたたくなったきっかけのひとつは、「クラシック音楽のひとりごと」の記事を拝見したことで、トラックバックを送らせてもらった。電網郊外散歩道のnarkejpさんは、ボロディンの弦楽四重奏曲の第1番、2番を目覚まし音楽に使われているという。その記事にもトラックバックを送らせてもらった。確かに第2番の第1楽章はグリーグの「朝」に通じる穏やかな黎明を想起させる雰囲気がある。

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2006年10月23日 (月)

ノートルダム・ド・パリの『聖なる音楽集』

Musique_sacree_notre_dame_de_paris Musique sacree a Notre-Dame de Paris

パリ・ノートル・ダム聖堂の聖なる音楽

Chant gregorien et polyphonies
グレゴリオ聖歌とポリフォニー

Maitrise de la cathedrale, direction Michel-Marc Gervais
Aux orgues : Olivier Latry, Philippe Lefevre, Jean-Pierre Leguay, Yves Castagnet

〔1993年6月20,22,23,24日 パリ・ノートル・ダム聖堂での録音〕 MS001

パンフレットの解説によると"Musique sacree a Notre-Dame de Paris"は、そのような名前の音楽協会で、設立は1991年。1992年9月に活動を開始した児童・成人合唱団を含んでいる(パンフレット写真では全員で27名)。Maitrise de Notre-Dame de Paris  『パリ・ノートル・ダムの熟達者』 というのがこの団体の名前のようだ。この録音が彼らの初録音とのこと。

曲目(フランス語のアクサン記号などは表記せず)

Messe ミサ
1. Les cloches de la cathedrale 聖堂の鐘
2. Introit du Dimanche de la Pentecote  復活祭の第7日曜日の入祭文
3. Missa a quatro voci  de Bengt Johansson, ne en 1914  1914年生まれのベニグト・ヨハンソンによる 四声のミサ曲
4.Ave verum corupus Musique de Imant Raminsh, ne en 1943  1943年生まれのイマント・ラミンシュの音楽による アヴェ・ヴェルム・コルプス
5. Jubilate Deo Musique de Peter Philips (1560-61/1628) ピーター・フィリプスの音楽による ユビラーテ・デオ
6. Improvisation de Philippe Lefebvre フィリップ・ルフェーヴルによるオルガン即興

Office 聖務日課
7. Te lucis ante terminum de Thomas Tallis (1505/1585) トーマス・タリス(CDジャケットには、Diego Ortizとあるのが疑問)による テ・ルシス・アンテ・テルミヌム
8.Psaume 42 de Felix Mendelssohn(1809/1847) フェリックス・メンデルスゾーンによる詩篇42
9. Magnificat ton Ⅷ dialogue avec grand orgue (Olivier Latry)  オリヴィエ・ラトリの大オルガン即興を伴う対話による マニフィカート 8声?

Triduum Pascal  聖なる三日 4月13-15日
10. Jeudi saint : Ubi caritas  聖木曜日 ウビ・カリタス
11.Crux fidelis de Domenico Bartolucci  ドメニコ・バルトルッチによるクルックス・フィデリス
12-16. Vendredi saint : Improperes et Respon des Tenebres de Tomas Luis de Victoria(1548/1611) 聖金曜日: トマス・ルイス・デ・ビクトリアによる暗闇の(朝課の)イムプロペレスとレスポンソリウム
17.Dimanche de Paques : Victimae paschalie laudes de Raphael Passaquet ne en 1925
復活祭の日曜日 1925年生まれのラファエル・パスケによる ヴィクティメ・パスカリ・ラウデス
18. Jean-Philppe Leguay Improvisation ジャン・フィリップ・ルゲイによるオルガン即興

このように、カトリックの典礼の音楽なので門外漢には儀式内容がよく把握できないため、あまりコメントのしようがないが、16世紀から20世紀に渡る音楽家の作品が演奏されている。響きも美しく、コーラスの質も高いようだ。現代の演奏であることの刻印は、著名オルガン奏者による即興演奏。3のミサ、11、12-16などが素人の耳にも美しく響く。

1994年3月の新婚旅行のおりに、ノートルダム大聖堂内の売店で購入した記念品。

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2006年10月22日 (日)

ハイドン 弦楽四重奏曲『皇帝』『日の出』 東京クヮルテット

Haydn_sq_op7634_tokyo_quartet_1ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809) 
 作品76 エルデーディ四重奏曲集全6曲より

弦楽四重奏曲第77番ハ長調Op.76-3『皇帝』 "Kaiser" (The emperor) ,Hob.III-77

弦楽四重奏曲第78番変ロ長調Op.76-4『日の出』 "The sunrise",Hob.III-78

東京クヮルテット(東京カルテット):原田幸一郎、池田菊衛、磯村和英、原田禎夫

1969年、当時ジュリアード音楽院に留学していた4人(当初は、上記メンバーの池田氏が名倉淑子氏)の日本人によりニューヨークで結成され、1970年のミュンヘン国際コンクールで優勝し、国際的に最も先鋭な弦楽四重奏団とし一躍注目された。

この曲集は、1797年に出版された6曲セットのエルデーディ弦楽四重奏曲集に含まれるもの。ハイドン最円熟期のもので、すでにロンドンセット交響曲は書き上げ、弦楽四重奏曲も3曲のロプコヴィッツ四重奏曲集と未完のニ短調の作品を残すのみとなっていた。また大作としては『天地創造』『四季』があるだけだ。

東京クヮルテットの演奏は、その後の弦楽四重奏団の現代化、精密化の流れの最初期のものにあたるのだろうか?非常に歯切れがよく、各楽器のテクニック、アンサンブルの隙の無さ、そして躍動感も味わえる。ただし、少々音響的には現代の耳には粗い部分もあるように感じる。ただ、当時世界の先端を走っていた彼らの勢いが感じられる録音だと思う。

このCDには録音時期はないが、○Pが1981なので、おそらくこの直前の録音だと思われる。

P.S. なお10/21夜にホームページ「音楽の茶の間」からの通算アクセスが100,000件を越えた。1999年に開設したホームページが2003年ごろようやく1400件程度のアクセスだったことを思うと隔世の感がある。この8月にアクセス解析が導入して自分のアクセスをフィルタに掛けてアクセス件数に通算されないようにしたが、それ以前は記事作成やコメント、トラックバックなどで毎日最低30件は自分のアクセスがあったようだ。ただ、それを除いても毎日200アクセスほどいただいているのは、光栄なことだと思う。

P.S. 2006/11/18 mozrt1889さんの記事からトラックバックをいただいたので、この記事からもトラックバックさせてもらった。

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2006年10月21日 (土)

ラッソ 宗教音楽集 プロ・カンティオーネ・アンティクァなど

オルランド・ディ・ラッソ Orlando di Lasso (c.1532-1594)

Lasso

Missa super"Bella Amfitrit'altera"
Domine convertere
Miserere mei
Domine Luada Sion Salvatorem
In monte Oliveti
Tristis est anima mea
In convertendo
  レーゲンスブルク大聖堂合唱隊
 アルヒーフ・プロドゥクツィオン楽器合奏団
               ハンス・シュレムス指揮 〔1969年録音〕
Domine, ne in furore tuo (Penitential Psalm Ⅲ)
  アーヘン大聖堂少年合唱隊 ヘルムート・クレブス指揮
  ロッチュ(バス)、フーデマン(テナー)、楽器合奏団 ルドルフ・ポール指揮〔1959年録音〕

Miserere mei Deus(Penitential Psalms Ⅳ)
Domine, ne in fuore tuo(Penitential Psalms Ⅰ)
Ave Regina caelorum
Salve Regina
O mors quam amra est
  プロ・カンティオーネ・アンティクァ
  古楽のためのハンブルク管楽器アンサンブル ブルーノ・ターナー指揮〔1975年録音〕

もう10年以上前に混声合唱団に属していたときに『マトナ・ミア・カーラ』"Matona mia cara" を歌ったことがある。この有名な世俗曲は、ルネサンスの大作曲家 オルランド・ディ・ラッソ(オルランドゥス・ラッスス)の作曲したもので、ドイツの兵隊がドイツ語なまりのイタリア語でイタリア女性を一生懸命口説こうとする様子を描いているのだという。Matona は Madonna の訛りなどだという。このルネサンス・宗教改革時代に、なぜドイツ兵とイタリア女性の恋愛詩が生まれたのかを不思議に思い調べていくうちに、当時神聖ローマ帝国軍によるローマへの侵入・略奪(ローマ略奪)という事件のことを知った。(高校の世界史には登場したのかも知れないが、すっかり忘れてしまっていた。)リンクした解説にもある通り、統制を欠いた軍隊による住民の蹂躙、破壊だったようだ。この滑稽とも言える求愛の歌がそのような戦慄すべき歴史を背景にしているかどうかは確信がないが、ルネサンス・宗教改革時代の荒っぽさというものを端無くも教えてくれているようにも思える。

Youtube "Matona, mia cara" Hilliard Ensemble

さて、このラッソの世俗曲の模範演奏を求めて、東京出張の折に秋葉原のCD店でいろいろ探していたところようやく見つけたのが、このラッソの宗教曲集。先日取り上げたPro Cantione Antiqua(PCA)による歌唱も入っている。Archivレーベルへのラッソの宗教曲のアンソロジーらしく、いろいろな演奏、歌唱が含まれており、年代もスタイルもバラバラなので、結構通して聞くのはつらいものがあるのだが、ちょうどパレストリーナと同じ時代の、パレストリーナよりも知名度も影響力も高かった汎ヨーロッパ的な大音楽家の一端を知ることができる録音になっている。

中では、器楽合奏も加わったミサ曲やモテットの演奏が珍しい。古楽演奏としては、相当初期に属するもので、古い録音のレーゲンスブルクやアーヘンのものは、今となっては貴重かも知れないがソプラノ、アルトを少年合唱団が歌っている。

少し文句を言うならば、ラッソの宗教曲をあの「マトナ・ミア・カラ」の乗りで想像すると少し違う。古楽演奏としては古い時代の演奏の特徴にも原因があるのかも知れないが、少々単調なのだ。

私の鑑賞力がまだ追いつかないので、応援を。

吉田秀和『LP300選』では、p.85-p.87で「ラッソー」を取り上げている。中で、モテット"Tristis est anima mea"(わが心は悲し)を激賞している。

また、皆川達夫『中世・ルネサンスの音楽』では、p.141-143で同じく「ラッスス」を取り上げている。ここでは、「七つの懺悔詩篇(Penitential Psalm)」を賞賛している。

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2006年10月20日 (金)

J.S.バッハ 平均律クラヴィーア曲集 グールド

Jsbach_wohltemperierte_klavier_gould J.S.バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第1巻、第2巻全曲

グレン・グールド(p)

〔第1巻 1962-1965、ニューヨーク、ステレオ〕

〔第2巻 1967-1970、ニューヨーク&トロント、ステレオ〕


『指揮台の神々』によれば、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番をボストンで初演し、ヴァーグナーとブラームスの両陣営に深く関わった名ピアニストであり名指揮者のハンス・フォン・ビューローは、意外に虚弱な体質だったらしい。そのフォン・ビューローの名言に、この「平均律クラヴィア曲集は旧約聖書であり、ベートーヴェンのソナタは新約聖書である」というものがある。

原題の Das wohltemperierte Klavier は、英語では The Well-Tempered Clavier となり、直訳では「上手に調整された=適切に調律された鍵盤楽器」ということで、必ずしも「平均律」という調律法で調律された鍵盤楽器を用いろという意味ではないようだ。

調律法は、非常に複雑な理論で、素人である身にはよく分からないが、コーラスや合奏をやっていると純正律的なハーモニーの響きと平均律的なそれとの微妙な差異が少しは感じ取れるようになる。平均律は、オクターブを数学的に等しい12の部分に分割することで作り出された音組織だが、五度(たとえばド Cと ソGの音程差)の純粋な響きが犠牲になるのだという。それゆえ、純正律で調律した鍵盤楽器がある場合には、それによっては、ある調の音楽しか演奏できず、自由に転調しようとしてもできないという説明を読んだことがあるが、これについてはどうも実感を伴わずよく分からない。しかし、平均律に調律することで、このバッハの曲のように12音すべての長調と短調を用いた曲でも、自由に弾きこなせるのだという。

12音とは、半音階順に、ハ(C,c), 嬰ハ(Cis, cis),ニ(D,d),嬰ニ(Dis,dis),ホ(E,e),ヘ(F,f),嬰ヘ(Fis,fis),ト(G,g),変イ,嬰ト(As,gis),イ(A,a),変ロ(B,b),ロ(H,h)。バッハは12音それぞれの長調短調で24調の音楽を1セットとして、合計2セットを作曲し、第1巻、第2巻としてまとめた。なお、ショパンも24の前奏曲で12音すべての長調、短調を用いているが、Cとa,Gとeのように五度圏順で、長調とその平行短調が交代する順番になっている。

すべて、曲は前奏曲とフーガの組み合わせで作曲されており、前奏曲(プレリュード)は、大きく①アルペッジョ型、②器楽音型型、③トッカータ型、④アリア型、⑤インヴェンション型、⑥トリオ・ソナタ型に分類される。

なお、モーツァルトは、これらの内の数曲を「弦楽三重奏奏のための6つの序奏とフーガ」に編曲している(K.404a)し、「5つの四声のフーガ」K405も第2巻から4声のフーガを弦楽四重奏用に編曲したものだ。

また、ベートーヴェンは、ボン時代の師ネーフェにこの曲集全曲を習って、どの曲も自由自在に弾きこなせたという。よく知られたグノーの「アヴェ・マリア」は、第1巻ハ長調のプレリュード(アルペッジョ型の例)を伴奏として、その上にメロディーを付けたもの。

グールドは、バッハの鍵盤楽器の音楽はオルガン曲のほとんどを除き、そのおおよそを録音したのではなかろうか?このピアノによる録音も相当の期間に渡って録りためられたものの集成のようだ。

プレリュードなどは、独特なアーティキュレーションを用い、また歌声も盛大に入っている。特にアリア型の通常ならレガートで弾かれるプレリュードをポツリポツリと切りながら演奏するなど違和感を覚えることも多いが、ほとんどのフーガがその不満を解消してくれる。ピアノではリヒテルやグルダの優れた演奏もある。しかし、グールドの録音は私にとってはいつもながらの刷り込みで、実用的には眠気防止に役立つため自動車を運転するときにこの録音をカセットテープにダビングしたものをよく聴いたので、リヒテルの残響の多い響きの美しい演奏と比べるとプリペアードピアノ的な音色に閉口することもあるが、今のところ、唯一無二といっていいCDになっている。

弾けはしないのだが、ピアノ譜を参照しながらこの演奏を聴くのもまた一興だ。

CD初期の、まだSONY CLASSICALが、CBS SONYだった頃に購入したもの。4枚組み。

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2006年10月19日 (木)

パレストリーナ ミサ曲集 プロ・カンティオーネ・アンティクァ (Brilliant)

ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ Giovanni Pierluigi da Palestrina(c.1525-1594)
Palestrina
CD1 Missa L'Homme Areme 5vv / Missa Assumpta Est Maria
CD2  Lamentations of Jeremiah the Prophet
CD3  Missa Brevis / Missa Lauda Sion / Super Flumina Babylonis / Sicut Cervus
CD4  Missa Aeterna Christi Munera / Missa L'Homme Arme 4vv
CD5  Missa Papae Marcelli / Stabat Mater

                      Briliant レーベル Licensed by Pro Cantione Antiqua

合唱:プロ・カンティオーネ・アンティクァ (カウンター・テナー、テナー、バス:すべて男声)指揮:マーク・ブラウン (Mark Brown)

16世紀にローマの教皇礼拝堂で活躍した一群の作曲家たちを「ローマ楽派」と称する。その代表者がパレストリーナである。「ローマ楽派」は、トレント公会議で明文化された教会音楽に対しての「反宗教改革」の要請を実現したもの(図解音楽辞典 p.249)。

つまり、ルター等の宗教改革に対する反宗教改革、カトリック側からの巻き返しを象徴する音楽だった。それは、ローマの聖ピエトロ大聖堂、システィナ礼拝堂のミケランジェロによる天井画、壁画に比するものと言える。トマス・ルイス・デ・ビクトリアもこの楽派の一員とみなされる。

パレストリーナは、イタリアのパレストリーナという村の出身。それでダ・パレストリーナと呼ばれる。(レオナルド・ダ・ヴィンチのダ・ヴィンチと同じ用法)。1544年故郷でオルガニスト、1551年ローマの聖ピエトロ寺院歌手、55-60年ラテラーノ教会楽長、67年エステ枢機卿楽長、71年聖ピエトロ大聖堂第2楽長。ミサ曲90曲以上(多くのパロディーミサを含む)、モテット500曲以上、100曲以上の世俗および宗教マドリガーレなどを作曲。

タリス・スコラーズなどのソプラノ声部に女声が加わったものに比べて、男声だけのプロ・カンティオーネ・アンティクァのア・カペラ合唱は声質の同質性もあって非常に響きの溶け合いがよい。ただし、少々キーが低いので、重々し過ぎることもある。ミサの通常文のほかに、Introitusu, Graduale, Offetorium, Communio が必ず歌われるので、礼拝のミサにより近い雰囲気が味わえる。

パレストリーナが残した大量のミサ曲で7曲、モテットで4曲が聴けるだけだが、ときおり耳にすると感情と刺激に満ちた近代の音楽に疲れた耳を癒してくれるような気がする。

Timing 比較
◆Missa Brevis
Pro Cantione Antiqua
   Kyrie 2:35/Gloria 2:56/Credo 5:18/ Sanctus 1:41+ Benedictus 2:05/Agnus Dei 3:00
The Tallis scholars  2:52/3:07/5:24/4:34/5:33
◆Missa Papae Marcelli
Pro Cantione Antiqua 5:01/6:22/9:46/4:00+3:24/4:10+4:10
The Tallis scholars     4:49/6:15/9:54/7:38       /8:05
 

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2006年10月18日 (水)

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18

Tchaikovsky_rachmaninov_richter

スヴャトスラフ・リヒテル(p)

スタニスラフ・ヴィスロツキ指揮ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団 

〔1959年4月、ワルシャワ、ステレオ〕

11:07/11:52/11:35

(併録:チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 カラヤン/ヴィーン響)

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、古今のピアノ協奏曲の中でもトップクラスの人気曲だ。我が家でもいつの間にか音盤が増えてきた。あまり実演を聴く機会がないが、この曲には縁があり、これまでダン・タイ・ソン(Dang Thai Son *) と小林研一郎指揮モスクワフィルの演奏、それにグレゴリー・ソコロフのピアノで聴いたことがある。しかし、このリヒテルが西側に登場する前後の有名な録音をこれまで聴く機会がなかった。店頭ではよく見かけるのだが「今更こんな何枚もCDを持っている曲を買ってどうするんだ。それより聴いたことのない曲や演奏家のCDや新譜を買うべきではないか」と自問自答してしまったりしてこれまで入手することがなかった。

入手できたのはまたしてもブックオフのおかげだが、豪華なカップリングのこの少々古い盤が中古で陳列されており購入した。カラヤンとのチャイコフスキーは、LPでも古くから聴いたものだし、妻が独身時代に購入したCDもあるので、これで同じ音源の録音が3つも重複してしまったのだが、ラフマニノフを聞きたくて購入した次第。

さて、この曲には作曲者ラフマニノフ本人による自作自演という、普通で考えれば「規範的な」リファレンスが存在する。ただ、その録音時期は1920年代ととんでもなく古いため、資料的には非常に貴重だが、残念ながら常時鑑賞して楽しめるというものではない。それでも、針音がする貧しい録音ながら、ラフマニノフのすごさは十分わかる。豪快というよりも非常に繊細なのだ。ただ、そこにストコフスキーがせっかくの速いテンポを遅くしようとしているかのようにチェロのヌメヌメとしたレガートに象徴されるオーケストラ伴奏をつけるのが、様式的に合わないのが残念だ。

ラフマニノフは、中村紘子『ピアニストという蛮族がいた』にも書かれているが、巨大な手を持ったそれこそ巨人的なピアニストだったようで、それゆえ、自演用に作曲したピアノ曲も、その巨大な手で弾けるように作られているため、相当に幅広い和音などは普通の手の持ち主には弾きこなせず、音を抜かしたり、アルペジオで弾いたりとの苦労が多いのだという。有名な冒頭の鐘の和音でさえそうだという。細かい音はあまり聞き取れないが、この録音は恐らく楽譜に忠実な演奏なのだろうと想像する。ただ、そのような細かい部分よりも、とにかくこの録音ではテンポが速いのが特徴だ。これは、同じCDに併録されている第3番にも言えることなので、このような速いテンポがラフマニノフが想定していたテンポ感であることは間違いないだろう。それに比べると現代の代表的な演奏である今回のリヒテル、アシュケナージ、ツィメルマンのテンポはいずれも似たり寄ったりの遅さだ。

リヒテルの演奏は、聞く前にはもっと遅いのではないかと予想していたが、タイミングの数字だけを並べてみると他の録音とほとんど大差がないのには驚いた。下に挙げた音盤の中で最も感銘を受けたのは、ツィメルマンと小澤の録音だが、この録音は少々ピアノの音が明晰に収録されすぎていて不自然さを感じることがあるのが、ちょっとした難点だ。

リヒテルは、冒頭の和音を非常にかすかな音で始める。ものすごく雄弁だがメランコリックな音楽を聴かせてくれる。第1楽章の7分前後のクライマックなどは音楽に没入するリヒテルを感じることができるようだ。第2楽章の静謐なピアノによる弱音の歌。そして第3楽章の第2主題の名旋律の心を込めた歌い方。コーダの少し嵌めをはずしたかのような豪快な演奏。カラヤンとの共演のチャイコフスキーとこのラフマニノフは壮年期のリヒテルの記念碑なのかも知れない。

晩年、腕の故障で来日公演が中止になったのだが、そのときチケット予約が取れており残念ながら生演奏は聞けなかった。その頃のシューベルトの余計な力の抜けたソナタも美しいが、コンドラシンとのリストやこのような協奏曲の大曲、ロストロポーヴィチとの共演での迫力に満ちた明晰なピアノなど難曲を余裕を持って奏でる懐が深く細やかなヴィルトゥオーソとしてのリヒテルが、実のところ、気難しい繊細な天才肌の人物で、非常に教養もあったというけれども、好きだったりもする。

ヴィスロツキ/ワルシャワフィルの音は管楽器のソロが少々薄いのが残念だが、ところどころ、これまで聴いてきた音盤では耳にしなかったような楽器バランスの音が聞こえて結構面白い。ただ、もう少し一流のオケとこのリヒテルのピアノを共演させてやりたかった。

録音は、初期のステレオだけあり、少々プレゼンスに不自然な箇所があったりするが、ヘッドフォンで聴いても不満はない音になっている。

ところで、余談だが、この曲は、第1楽章、第2楽章は情緒的に憂愁の趣で間然とするところがない音楽なのだが、第3楽章の冒頭だけが、初めて聞いたときからどうも違和感がある。リズミカルなオケの掛け合いがどうも滑稽というか野暮ったく聞こえてしまうのだが。

Rachmaninov_plays_rachmaninov23 ◆セルゲイ・ラフマニノフ(p)

レオポルド・ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団

〔1929年4月10日、13日、モノーラル〕

 9:46/10:49/11:00


Ashkenazy_previn_rachmaninov2 ◆ヴラジーミル・アシュケナージ(p)

アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団

〔1970年4月?、ロンドン、キングズウェイホール、ステレオ〕

11:09/11:57/11:43 (LPでも同じ音源所有、妻購入)


Kissin_gergiev_rachmaninov_2 ◆エフゲニー・キーシン(p)

ワレリー・ゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団

〔1988年5月16日、17日、ワトフォードタウンホール、ディジタル〕

11:25/11:46/11:19 (妻、キーシンリサイタルで購入)


Zimerman_ozawa_rachmaninov_12 ◆クリスティアン・ツィメルマン(p)

小澤征爾指揮ボストン交響楽団

〔2000年12月、ボストン、シンフォニーホール、ディジタル〕

 11:46/12:15/11:34


P.S. 月曜日にテレビで放送された『のだめカンタービレ』の原作第5巻では、千秋真一が、ピアニストとしてこの曲をフォン・シュトレーゼマン(ミルヒー)に与えられ、自分を解放しないピアノを散々にけなされるが、本番ではSオケと名演を繰り広げるのが、前半のクライマックス。それを聴いた"のだめ"が刺激を受け、幼稚園の先生の夢を捨て、プロピアニストを目指し始める。千秋がオケパートをピアノで伴奏を受け持って"のだめ"がソロを弾いた共演は猛烈な速さだったというが、ラフマニノフなみだったのだろうか?

* ダン・タイ・ソン という名前は どこが姓(family name)で、どこが名(given name)なのかと調べてみたところ、wikipedia と そこからのリンク で大体分かった。間に挟まれるのは middle nameなのだそうだ。Dang というfamily nameは頻繁に見かけるものの一つのようなので、Dang が姓、Thai がベトナム独特のmiddle name、Sonが名前となるようだ(このサイトでは、父君の名前がDang で始まっているので Dangが姓のようだ。なお、母君の姓が違うのは、中国、韓国にの儒教文化圏にみられる夫婦別姓のためだろう)。また、中国文化の影響で、該当する漢字が存在するらしい(ホー・チ・ミン Ho Chi Minh は胡 志明)。ただし、HMVサイトなどでは、Dang-thai Sonなどと表記しているのだが、これは疑問だ。

中国系ピアニストの フー・ツォン(Fou Leiという学者の息子ということで、フーが姓だとわかった)や 韓国系のヴァイオリニスト チョン・キョンファ(鄭 京和)、弟のチョン・ミョンフン(鄭 明勲)も、当初どちらが姓か名か分からなかった。というのも、東洋系も欧米人にならって、名姓の順に表記することがあるからだ。ヨーヨー・マあたりも分かりにくい。馬 友友 というのが中国式の表記になるらしい。彼の場合は、中国系というだけで、欧米で生まれ育ったのだから、ヨーヨー・マでいいのだろうが、アイデンティティ的にはどうなのだろうか。洋の東西の文化の問題はややこしい。

  

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2006年10月17日 (火)

『のだめカンタービレ』 #16

月曜日のテレビドラマの中のコマーシャルで、講談社が『のだめカンタービレ』#16の宣伝をしており、妻が早速買ってきてしまい、帰宅してから夕食前に一気に読んでしまった。

以下多少ネタバレあり。ご注意を。

今巻は、前巻と違ってほとんど千秋真一編。マルレオケの奏者オーディションから定期演奏会までを一息に描ききってある。脇役達の人間模様も織り交ぜてなかなか面白かった。のだめの活躍はあまりない。最後にこれまで登場することがなかった重要人物が姿を現す。

ジョリヴェ「バソン協奏曲」。ロッシーニ「ウィリアム・テル序曲」、ブラームス「ハイドンの主題による変奏曲」、そしてバッハ(デプリースト指名?の曲名不明)。グリンカ「ルスランとリュドミラ序曲」、チャイコフスキー 「ヴァイオリン協奏曲」、メンデルスゾーン「イタリア交響曲」。

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マーラー 交響曲第4番を聴く

Walter_mahler4_1 ◆ブルーノ・ヴァルター/VPO、ヒルデ・ギューデン(S)
〔1955年11月6日、ヴィーン楽友協会大ホール、ライヴ・モノーラル〕
 16:41/9:01/19:59/8:49


Abbado_mahler_s4 ◆クラウディオ・アバド/VPO、フレデリカ・フォン・シュターデ(Ms)
〔1977年5月、ヴィーン楽友協会ホール、ステレオ〕
16:05/9:11/23:26/9:03


Tennstedt_mahler4◆クラウス・テンシュテット/LPO、ルチア・ポップ(S)
〔1982年5月5-7日、ロンドン、キングズウェイホール、ディジタル〕
15:43/8:51/21:09/9:10


Ozawa_mahler4_1 ◆小澤征爾/BSO、キリ・テ・カナワ(S)
〔1987年11月21-27日、ボストン・シンフォニーホール、ディジタル〕
16:20/9:04/20:24/8:35


narkejpさんのblogで教えてもらった山形交響楽団(飯森範親指揮)のマーラー交響曲第4番のテレビ放映を見て、意外(と言っては失礼)だがすっきりした好演だったので、これに刺激を受けて、以前に書いたこの交響曲の録音についてのコメントや、まだコメントを書いていないアバド/VPOの録音の記事をまとめてみようと思った次第。

私のそう広くも深くもないマーラー体験は、この曲から始まった。まだLP時代、高校の夏休みに、DGのレゾナンスシリーズという廉価盤シリーズに含まれたクーベリック/バイエルン放送響によるもの購入した。どういうきっかけだったかは忘れたが、その頃はまだマーラーと言えば難解な音楽かと思っており、家の名曲解説全集などで、最も古典的で小規模な作品と書かれていたことから、入門にいいと思ったのかも知れない。

まず最初の鈴の音に驚かされた。このようなそり遊びのような楽しげな交響曲があるのかと。第2楽章のスケルツォは悪魔のヴァイオリンとか言うがなんだか童話の世界のようだと感じ、第3楽章の美しさは最初は分からず、次第に親しんでいった。第4楽章は、歌詞カードを見ながら追っていったのだが、キリスト教か童話かよく分からないものだと思った。どうも交響曲としては全体のバランスが悪いが、管弦楽が小気味よく鳴り、親しみやすいメロディーもふんだんに現れるのですっかり気に入ってしまった。クーベリックのマーラーは後に「草いきれの香りがする」ような質朴なアプローチと言われているのを知ったが、このLPから流れてきた音楽はまだその他のマーラー演奏を知らない頃には、十分洗練された音楽に聞こえた。ピアノを習いながらロックに関心があり、あまりクラシック音楽を聴かなかった弟も結構この音楽を好み聴いていたようだった。また、題名は忘れたが、当時NHKでこの曲の第一楽章第二主題(チェロがメロディーを朗々と奏でる)を印象的なBGMに使った幻想的なドラマが放映されたのを記憶している。

ヴァルター/VPO 1955年ライヴ 「プラハ」、マーラー第4交響曲 は、先日このリンクの記事でコメントした。

また、小澤/BSO, テンシュテット/LPOのマーラー第4交響曲 は、最近更新を怠っているホームページに、以前簡単なコメントを書いたものがある。しかし、この二人のマーラーは、どうも録音の音量レベル設定が低すぎるようで、DGやデッカの普通のボリュームの位置で聞いていてはその真価が把握できないきらいがあるようで、もう一度聴きなおす必要があるかも知れないと今では思っている。

ということで、この記事では、アバドとVPOの録音について簡単にコメントしてみたいと思う。

1977年と言うと、最近ブラームスの第1番で書いたベームがまだ存命ポリーニとの協奏曲を相次いで録音し、、別記事でも書いたドホナーニによる「ペトルーシカ」と「マンダリン」が録音された年にあたる。

アバド盤の特徴のひとつは、他の三つの録音に比べて第三楽章が非常にゆっくりしているというところにあるようだ。マーラーの弟子であるがロマンチックな古典主義者ヴァルターの指揮する第四交響曲は、「透明で耽美的な音響(特に濡れたような艶のヴァイオリン!)を用いながら、突発的な強調やテンポの変化により、結構劇的で表現主義的な表現になっている。」と自分は感じたのだが第三楽章は比較的速い。新古典主義的アプローチの旗手と言える若きアバドの録音は、USA出身の当時人気の高かったメゾソプラノのフォン・シュターデを迎えての非常に緻密で着実な音楽作りになっている。当時アバドはシカゴ響とヴィーンフィルを振り分けて、マーラーの交響曲全集に取り組んでおり、シカゴとの交響曲第5番と「リュッケルトによる5つの歌曲」 とのカップリングはLPで求め、特に後者の微妙な音色の移り変わりに感銘を受けたことがあったが、このVPOとの録音も楽器の生々しい音色のブレンドの感触など感覚的な面での面白さを感じる演奏だ。ただ、着実で細部まで彫琢された演奏だが、流れの面で少々滞りが感じられないではない。第三楽章の長大な変奏曲がこの交響曲のクライマックスであるのは、他の演奏でもよく感じられるものだが、小澤はタイミング的にはヴァルターのライヴとほとんど瓜二つであるのに対して、アバドはこの第三楽章をとにかくじっくりと聞かせようとしているようだ。それはいいのだが、ほとんど止まりそうなのはやはり流れや動きという点で少々気になるところではある。第四楽章のフォン・シュターデは、『子どもの魔法の角笛』の素朴な世界を色濃く歌っている。

こうなると、しばらく、クーベリックの録音を聞いていないが、また聴きたくなってきた。

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2006年10月16日 (月)

「のだめカンタービレ」テレビドラマ第1回を見た

フジテレビ系で制作されているという噂を聞いていたが、今日夜9時が第1回目の放映だった。

のだめ役は、上野樹里。2003年度下期のNHK朝ドラ『てるてる家族』の三女秋子を演じ、最近では映画『スウィングガールズ』の主役を務めた若手俳優(女優)だという。てるてる家族では、確か秀才のしっかり者だったか。一緒に観ていた妻は、のだめ役としては少し美人過ぎると言っていたが、不思議な音大生のだめの雰囲気をよく演じていたと思う。千秋は、若手の美男俳優(玉木宏という俳優)が演じていたが、マンガの雰囲気そのままだった。なかなかのキャスティングだ。

冒頭のシーンはヴィーンではなくプラハで、ドヴォルザークホール?でオーケストラが演奏していた。エンドクレジットでチェコの指揮者ズデニェック・マーツァルの名前が出たようだが、千秋真一の子ども時代のヴィエラ先生は彼が演じたのだろうか?「モーツァルトは、スカトロが好きだった・・・」という台詞を言わされていたが、プラハっ子にとっては常識の範疇か?

竹中直人のミルヒーは個人的には少々無理があった(フォン・シュトレーゼマンはやはりドイツでしょう。エリーゼは登場するのか?)が、谷岡先生を演じた西村雅彦はいい味を出していた。学長の秋吉久美子にはびっくり。裏軒のオヤジが伊武雅刀なのも面白い。峰や真澄ちゃん、三木清良、佐久桜、マキちゃん、冴子、指揮科の「ハム(ソーセージ)」などの脇役もきちんとイメージ通りというところか。ハリセンの俳優(「電車男」でエルメスの幼馴染を演じていた)が少々若すぎたか?学生の父親くらいの年代のはずだ。真一の子ども時代を演じた子役、なかなか流暢に英語をしゃべっていた。帰国子女だろうか。

モーツァルトの「二台のピアノのためのソナタ」は、危なっかしげなデュオの様子を上手く弾けていてなかなかよかった。ただ、そうなると「ほら、とんだ」「ほら、はねた」という原作で千秋がのだめとのデュオの本番で心の中で言う感想を音楽で表現するのは難しかったようだ。「とんだ」「はねた」は、リズム的な特徴だろうか?

ピアノ演奏の演技はなかなか上手かった。山口百恵の「赤い」シリーズではないが、実際にピアノ演奏をしなければ音と演技が合わないのだが、相当演技指導があったのではなかろうか?俳優が演じるオケのシーンも結構しっかりした監修が付いている様子だ。

BGMも、原作とは関係ないが、プロコフィエフの「ロミオとジュリエット」、チャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」のワルツなどさすがに音楽ドラマだけあり多彩な音楽が使われていた。。「ラプソディー・イン・ブルー」は原作でも重要な曲だが効果的に使われていてエンディングテーマにもなっていた。ちなみにオープニングはベートーヴェンの第7番。冒頭のチェコフィル?のシーンはドボルザークのスラヴ舞曲の何番かだろうか?(後で調べたら、「チェコ組曲」という珍しい曲とのこと。)

原作ファンとしても十分に楽しめる出来だった。

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ヴィヴァルディ 弦と木管協奏曲集 ピノック/イングリッシュ・コンサート

Pinnock_vivaldi アントニオ・ヴィヴァルディ(1678-1741)
1.弦楽のための協奏曲 ト短調 RV156
2.オーボエ協奏曲 ハ長調 RV449(作品8の12、『和声と創意への試み』)
3.ファゴット協奏曲 へ長調  RV485
4.弦楽のための協奏曲 変ロ長調  RV166
5.ヴァイオリン、2つのリコーダーと2つのオーボエのための協奏曲 ト短調 RV577 『ドレスデンのオーケストラのために』
6.リコーダー協奏曲 ハ長調 RV444
7.2つのヴァイオリンと2つのチェロのための協奏曲 ト長調 RV575

トレヴァー・ピノック(指揮、チェンバロ、オルガン)、イングリッシュ・コンサート 〔1993年11月 ロンドン、ヘンリー・ウッド・ホール〕

多作家アントニオ・ヴィヴァルディによる多彩な編成の協奏曲集。ファゴットやリコーダーのための協奏曲も含まれている。まさに『和声と創意への試み』だ。ヴェネチアに生まれ、赤毛の司祭として女子孤児院で教職に就き、その音楽学生たちのために多くの協奏曲を作曲し、大バッハにも多大な影響を与え、最後にはヴィーンで客死したという。ダラピッコラやストラヴィンスキーには金太郎飴的な多産家として否定的に遇されたようだが、創意工夫の才は恐るべきものがあったことがこの多彩な協奏曲を集めた一枚のCDでも分かるような気がする。バッハのような深みやヘンデルのような壮大さを求めることはできないが、生命力の溢れるピチピチとした音楽を、あの有名な協奏曲集『四季』以外でも聴くことができる。

イタリアでは、イ・ムジチ以外にもシモーネとイ・ソリスティ・ヴェネティなどが数多いヴィヴァルディの作品に取り組んだが、このイギリス人たちの団体もバッハ、ヘンデル以外にもヴィヴァルディにも取り組んでいるようだ。キビキビして清潔な音楽が好ましい。

この土日は秋晴れの気持ちのいい休日だったが、家族ともども骨休めで特別に外出はしなかった。日曜日はCDと書籍の棚を整理して少し部屋の居心地がよくなった。増え続けるCDと書籍と各種パンフレット。子どものおもちゃ。「捨てる技術」は身につかず、もったいない症候群からはどうも抜け出せない。持つことよりもあることを目指しているはずなのだが・・・

P.S. 2006.11.23 ヒロノミンVさんのワンコインで豊かな時間を~クラシック、その他諸々~同じCDの記事にトラックバックさせてもらった。

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2006年10月15日 (日)

バルトーク 弦楽四重奏曲 第4番 Sz.91 ハンガリーSQ, ABQ,ジュリアードSQ

バルトーク・ベーラ(1881-1945) 弦楽四重奏曲 第4番 Sz.91(1928)

Bartok_sq_hungary ハンガリー弦楽四重奏団 (セーケイ、クットナー、コロマゼイ、マジャール) 

〔1961年6月,9月、ハノーファー、ベートーヴェンザール〕 

Allegro 6:02/ Prestissimo, con sordino 2:59/ Non troppo lent 5:40/ Allegretto pizzicato 2:46/ Allegro molto 5:41


Bartok_sq_julliard1963 ジュリアード弦楽四重奏団 (マン、コーエン、ヒリヤー、アダム)

〔1963年5月15日、16日〕

5:47/2:47/5:44/2:55/5:25


Bartok_sq_albanbergqアルバン・ベルク四重奏団(ピヒラー、シュルツ、カクシュカ、エルベン)

〔1983年-1986年、セオン、エヴァンゲリスト教会〕 

5:59/2:50/5:20/2:54/5:34


バルトークの弦楽四重奏曲は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の後継であり、傑作揃いだという話をよく目にしたものだった。学生時代にエアチェックを盛んにしていたときにたまたま録音したのは、ブランディス四重奏団による第6番だったと思う。同じバルトークでも「オケコン(管弦楽のための協奏曲)」には早くから親しんでいたのだが、当時弦楽四重奏曲ではベートーヴェンのラズモフスキー第1番(「第7番」)や七楽章の第14番にはぞっこんだったが、バルトークとなると歯がたたず、ずーっと(聴く上での)難曲の地位はゆらがなかった。

どんなきっかけかは忘れたが、バルトークの6曲の弦楽四重奏曲を初めて聴いたのは、ようやく2000年の秋だった。ちょうどCDプレーヤーを持ち歩いていたので、早速喫茶店でCDを開封して聴き始めたのだが、まったく耳に入って来ないのには閉口した。あまりに異質な音楽なので自分が何を聞いているのか、頭が理解できないのだ。その後、上記リンクのホームページにも書いたが、図書館でスコアを追いながらタカーチュQのCDを聴いたり、廉価盤のABQ、ジュリアードSQと購入して様々なアプローチを試み、聞き比べる内に次第にこの第4番が耳なじみになってきた。無調に近いと言われ、リズムも複雑で覚えにくい音楽ではあるが、それでも第4番などは、第1楽章に執拗なモチーフの繰り返しがあるので、そのモチーフを耳が自然に記憶したりしてきたし、第5楽章のバルトーク的な疾走感のある猛烈な音楽に共感を覚えたりもしてきた。

ハンガリー弦楽四重奏団のゾルタン・セーケイは、バルトークにヴァイオリン協奏曲第2番を委嘱したこともある名ヴァイオリニストで、この四重奏団員全員がハンガリー出身でバルトークの音楽への共感は非常に強くこれらの曲集の十字軍的な位置にいた団体のようだ。たまたま店頭で見つけて初めはこのCDから入門したが、その後特にジュリアードSQの録音を聴いてからは、このハンガリーSQの音程が少し甘いのではないかと感じられるようになった。初めの頃分かりにくいと感じたのはその辺りも関係しているのかも知れない。それでもジュリアード、ABQと聴いてきて、またハンガリーSQに戻ると、味のある演奏だという感想を持つ。

ハンガリーSQの次に聴いたのはABQ。これはレコードアカデミー賞を受賞するなど、一時期はバルトークと言えばまず第一に指を屈すべき録音として知られていた。それほど有名な録音だったが、FM放送などでも耳にした記憶がなく、このCDを買って聴いたのが初めてだった。これは、粗いほどの迫力を持つハンガリーとジュリアードに比べて、響きが豊かで微妙な音色の差異がはっきり聞き取れ、また各奏者とアンサンブルとしての技量も高度だということもあるのだろうが、不協和音も決して濁ってはおらず美しいバルトークになっている。もちろん音楽の性質上、アグレッシブで孤高な本質は変わらないのだが、色彩が感じられる音楽になっている。
 ABQは、学生の時に来日公演(仙台)を聴くことができた弦楽四重奏団で、この録音のメンバーはそのときのメンバーであり、非常に親近感がある。惜しくも近年ヴィオラのカクシュカ氏が逝去されてしまったが、宮城県の古い県民文化会館での演奏を今でも思い出す。

Bartok_sq_julliard_1963_cd最後に聞いたのは、ジュリアードSQの2回目の録音。ジュリアードSQの精密な表現により、バルトークの弦楽四重奏曲の本格的な演奏が始まったとも言われるほどで、音程やリズムなど今聴いてもビシっと決まっているようだ。この録音を聴いてから、バルトークの音楽の構造、形式のようなものがおぼろげながら分かって来たように思う。ヴェーグやケラー、エマーソン、近年のハーゲンなどの録音を聴いていないのだが、バルトーク演奏史上期を画すという意味で画期的な演奏だったという評もうなずけるものがある。なお、ジュリアードのCDは、Sony Franceが初CD化したもののようだ。なお、CDそのものは、CD番号は入っているが、曲目、演奏者情報がまったく記載されていない非常に珍しいものだ。

バルトークの弦楽四重奏曲は、親しめるようになった今でも決して聞きやすい音楽ではない。特にこの第4番は、バルトーク中期の傑作で、無調に近い調性。鏡像的な対称形式 ABCBA。特に第1楽章のモチーフが躍動的なリズムの第5楽章で効果的に再帰するのは印象的。第2楽章は、猛烈なテンポのスケルツォ的な音楽。第3楽章は、いわゆる夜の音楽。民謡的なモノローグが印象的。ここではハンガリーSQがいい味を出している。第4楽章は、チャイコフスキーの交響曲第4番と同様全曲ピチカートによる音楽だが、バルトークピチカートが効果的に用いられている。そして終曲はバルトーク的に疾走する曲。

漫然とは聴けず、猛烈な集中力と体力を要する曲だ。付き合いにくい存在だが、じっくり辛抱すれば音楽的に得るものがあるというところだろう。以前、前日に記事をアップしたヴァーグナーの『ニーベルングの指環』を聞いたあとで久しぶりにバルトークを聞いたところ、「ヴァーグナー以前と以後、ヴァーグナーの克服」というものが分かったような気がしたのも収穫のひとつだった。

*関連記事 2003年11月12日 第3番

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2006年10月14日 (土)

『ニーベルングの指環』全曲 指揮:ノイホルト バーデン・シュターツ・カペレ

Neuhold_ring

これが14枚組み 激安『指環』全曲。

ギュンター・ノイホルト指揮 バーデン州立歌劇場(カールスルーエ) 

独TIM Cz.BELLA MUSICA EDITION 205200-375 (14枚組) 2003年3月購入(Tレコード) (\1,790+税) 


Neuhold_rheingold

○序夜 ラインの黄金 205201-304 (2枚組) <ライヴ 1993/11/20,1995/4/14>

ヴォータン : ジョン・ウェーグナー
アルベリヒ : オレク・ブリャーク
ミーメ    : マイケル・ノウォーク
ファフナー  : マルコム・スミス


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○第1日 ヴァルキューレ 205202-351(4枚組) <ライヴ 1994/1/29,1995/4/17>

ジークムント  : エドワード・クック
ジークリンデ  : ガブリエレ・マリア・ロンゲ
ブリュンヒルデ : カーラ・ポール
ヴォータン   : ジョン・ウェーグナー


Neuhold_siegfried_1 ○第2日 ジークフリート 205203-351(4枚組) <ライヴ 1994/10/1,1995/4/23>

ジークフリート     : ヴォルフガング・ノイマン
ミーメ          : ハンス・イェルク・ヴァインシェンク
アルベリヒ       : オレク・ブリャーク
ファフナー        : サイモン・ヤング
さすらい人(ヴォータン):ジョン・ウェーグナー


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○第3日 神々のたそがれ 205204-351(4枚組) <ライヴ 1995/4/1,1995/6/25>

ジークフリート : エドワード・クック(ヴァルキューレでジークムント役)
アルベリヒ   : オレク・ブリャーク
ブリュンヒルデ : カーラ・ポール
グートルーネ  : ガブリエレ・マリア・ロンゲ(3人目のノルン役も。ヴァルキューレでジークリンデ役)


*関連記事: あずみ椋のコミックと新書館の翻訳

       :超廉価盤の『指環』を聴いて (ホームページ「音楽の茶の間」の記事)

           以下はこの記事からの引用

2002年春頃に同じTレコードでこの超廉価盤(確かブリリアント版)を見かけたが、あまりに安いので買うのを見送った。その後、クラシックCDのデフレ現象の象徴の一つとして新聞にも取り上げられた記憶がある(バルシャイのショスタコ全集などとともに)。今回横浜のCDメガストアをめぐって、超廉価ゆえに思わず手が出た。これまで主にブリリアントの超廉価が概ね「当たり」だったので、超廉価に対する猜疑心はなくなった。値札は2,590円だったが、レジで店員がセール価格の1,790円だと親切にも値下げしてくれた。その後ネットで見ると、これがこれまでの底値らしい。

さすがに台本と対訳はついていないが、各巻に、独英仏伊西の曲目解説(CDトラックナンバー付きで、ヴァーグナーのト書き付き)が付いている。ライヴ録音とは書かれているが、演奏中の客席雑音は聞き取れない。また、歌手の位置の移動も確認できない。ただ各幕の最後には聴衆の拍手、ブラヴォーが盛大に入っている。

ヴァルキューレは、ショルティ盤の対訳付き台本を参照しながら聞いたが、省略があるようないい加減な演奏ではない。あまりに安いのでつい心配になるが、雑音やエラーも今のところない。ネットでこのCDを取り上げたサイトでも書かれていたが、過度に劇的な演奏でないため、聴き疲れしない。ショルティ盤のヴァルキューレの一部を聴いてみたが、あまりにオーケストラが頑張っていたり、歌手の声にエコーがかかっていたり、ノイホルト盤に比べて煩く感じたほどだ。

他の曲は音楽之友社名曲解説全集の簡略(過ぎる)な解説を参照しながら聴いているが、この大曲に馴染みがあるわけではなく、FMのバイロイトライヴやザヴァリッシュ/バイエルンのビデオを多少かじって、いつも途中で挫折したくらいの経験しかないので偉そうな比較はできないが、このノイホルト盤はライヴでもあり、オーケストラの音がやや弱めに収録されているためか、過度な劇性が抑えられており、濃厚さやくどさへの拒否反応が起きにくい演奏の一つかも知れない。

歌手は、ブリュンヒルデ役にドラマチックソプラノ的な迫力が足りないというような評を読んだが、そのような役への適性は別にして、全体的に2回のライヴからの編集にしては非常にきちんと台詞間違いもなく歌えているし、発音も明晰で変なストレスを覚えない。むしろ個性的過ぎず聞きやすい。

ところで、この廉価だが、バルシャイ盤もそうだったが、製作にオーケストラ自体、歌劇場自体が関わっているというような秘密があるのではなかろうか?一種の宣伝盤として出しているのではないかということだ。これだけの廉価なら世界の多くの国である程度の販売が見込まれ、WDR(ケルン放送)とかバーデン歌劇場の名前がファンに浸透する。CDの製造原価は今や1枚数十円のレベルだというから、指揮者、オーケストラ、演奏者、歌手とCDに関して特別な契約を交しておけば可能なのかも知れない。

2003年3月24日(月)にようやく神々のたそがれまで聞き終わった。とは言え、リブレットを参照しながらは、ヴァルキューレと神々のたそがれのみ。ラインの黄金は解説書もみないで聞き流し(現在リブレットを未ながら2回目に挑戦中)。ジークフリートは解説書を見ながら。

長大なこの「オペラ」は確かに魅惑する部分と嫌悪する部分が入り混じっている。ライトモチーフが精巧に織り上げているため、音楽的に注意を払いながら聴くと言葉もあまり関係なく、音楽として面白い。しかし、いざ台本を参照しながら聞くと、荒唐無稽な筋書きのゲルマン神話に呆れることが多い。

ラインの娘たちの媚び、アルベリヒの欲情、ヴォータンの卑劣な契約破棄、巨人の愚かさ、ローゲの陰険さ、人間のいない神話時代なのにヴォータンはヴェルズングを誰に生ませたのかとか、ジークムントとジークリンデの近親相姦やヴォータンの恐妻、フリッカの身勝手。ブリュンヒルデはまあまともか?しかし、養子と養親の殺し合い、恐怖を知らぬ能天気なジークフリート、見掛け倒しで弱いファフナー、いやらしいハーゲン、阿呆のグンター、カマトトのグートルーネ、世界の平和より男との愛を優先するブリュンヒルデ、また忘れ薬、などなど。もともと神話はつじつまが合わないものだが、ヴァーグナーが脚色したゲルマン神話には、いわゆる神聖なものはほとんど感じられない。その意味でギリシャ・ローマ神話的だ。しかし、これが同時代と後の欧州世界に大きな影響を与えたのだから何をかいわんや。ヴァーグナー前と後というように。

あのショパン弾きで有名なコルトーが熱烈なヴァグネリアンで、愛好から一歩進み、ナチス占領下のフランスのヴィシー政権に協力するほどだったというのだから、まったくもって芸術というのは・・・。フランス人はガリア戦記にみるようにローマの支配下にあった時代があるため、自らをラテン系と称しがちだが、中世にはフランク王国の一部だったのだから血統的にはゲルマンの血も入っているのだろうし、その古層にはケルトの血もあるのだろう。その彼らがゲルマン神話への親近性を抱くことも異様ではないのだが・・・。

   

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2006年10月13日 (金)

ゴルトベルク変奏曲 グールド(新旧)、レオンハルト

J.S.バッハ アリアと種々の変奏(ゴルトベルク変奏曲) ト長調 BWV988
(1741/1742出版)

Jsbach_goldberg_gould_1955 グレン・グールド:ピアノ
  〔1955年6月10日、14日~16日、ニューヨーク、モノーラル〕
  Total Timing: 38:27
Jsbach_goldberg_gould_1981グレン・グールド:ピアノ
  〔1981年4月22日、25日、5月15日、19日、25日 ニューヨーク、ディジタル〕
Total timing : 51:18
Jsbach_goldberg_leonhardt1964 グスタフ・レオンハルト(チェンバロ)〔1964年頃、ステレオ〕
 Total timing : 47:41


お定まりのパターンで、この曲の入門は、グレン・グールドの1955年録音のLPからだった。私がクラシックに親しんで、バッハのこの曲が視野に入った1970年代は、ゴルトベルクと言えばグールドと相場は決まっていたようなものだった。それ以前のバッハ演奏の因習を打破したまったく新しいバッハ像を打ちたてたと言われて、そんなものかと思い込み、実のところ、それまでのバッハ演奏を知らずに、今度はグールドを逆に権威として崇め奉っていたように思う。その後、グールドが1982年逝去の直前に残した1981年の録音を当時のCDレギュラー価格3800円で入手し、ディジタルならではのピアノの透明な音とゆっくりしたテンポに驚いた。シフのピアノ録音などをFM放送で聴いたくらいで、やはりグールドは究極かと思っていた。

ところが、数年前、何の気なしにチェンバロによるゴルトベルク、グールドの打破した因習的な演奏とはどんな感じなのだろうという興味から、仕事帰りに立ち寄ったCD店の店頭にあったレオンハルトの旧盤のCDを購入して聞いてみて驚いた。グールドが絶対かと思っていたが、そうではないことに気づかされたのだ。確かに、グールドの即興的なテンポ、ピアノならではの多彩なアーティキュレーションとデュナミークの変化、声部の描き分けなど、素晴らしいものであることは否定できないが、このレオンハルトの比較的初期の録音を聴くと、グールドで馴染んだ音楽が別の装いで登場したかのようにまったく新しい表情を見せてくれた。

この曲は、カイザーリングという貴族が、バッハの弟子のゴルトベルクをお抱え音楽家として雇っており、睡眠不足に悩んだカイザーリングがバッハのこの長大な「主題と変奏」を睡眠薬代わりに弾かせて聴いたという伝説から、ゴルトベルク変奏曲というあだ名が付けられたといわれているが、グールドの刺激的な演奏はもちろんのこと、チェンバロ特有のダイナミックの変化の少ない少々単調に流れる恐れのある条件でもレオンハルトの演奏を聴いている分には、逆に覚醒してしまう。

以前にも書いたが、同じ大作曲家の大変奏曲でも、ベートーヴェンのディアベリ変奏曲こそ、集中力が次第に麻痺し、眠りに誘われる曲なのと対照的だ。

なお、このゴルトベルクのアリア(主題)は、バッハが二度目の妻 アンナ・マグダレーナのために書きとめた「音楽帳」に収録されている。この曲集には、当時流行していたり、バッハが気に入った小曲が書き込まれているのだが、一体誰が作曲したものなのだろうか?

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2006年10月12日 (木)

シューマンとグリーグのピアノ協奏曲 ルプー、プレヴィン/LSO

Lupu_schumanngrieg_pc

シューマン ピアノ協奏曲イ短調 作品54
    14:34/5:30/10:16

グリーグ ピアノ協奏曲 イ短調 作品16
    13:45/6:50/10:25

ラドゥ・ルプー( Radu Lupu) :ピアノ
アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団
          〔1973年1月、6月、キングズウェイホール〕

ラドゥ・ルプーも名のみ知り、演奏を聴いたことのない演奏家の一人だったが、CDが入手できたので聴いてみた。

シューマンとグリーグのピアノ協奏曲は、同じイ短調で規模も同じ、グリーグのピアノ協奏曲自体がシューマンのそれに影響を受けたというような背景から、LP時代以来しばしばカップリングされた曲。

この曲をじっくり聴いたのは、リヒテルのピアノにマタチッチ指揮モンテカルロ国立歌劇場オーケストラの共演という超弩級とされるが一風変わった取り合わせの録音だった。今から思うと、音楽的スケールは巨大だが不器用で知られるマタチッチが、モンテカルロと言うあまり技量が優れていない小規模なオペラ座のオーケストラで、合わせにくいとされるシューマンとグリーグをよく振ったものだと思う。この録音、最近は聞いていないので細部がどうだったかは思い出せないが、リヒテルのピアノ中心の演奏だった印象がある。(リヒテルは、この時期EMIで、カルロス・クライバーの指揮で、ドヴォルザークのピアノ協奏曲も録音しているし、マゼールともブラームスを入れていた。)

その後、シューマンでは、リパッティとカラヤンの古典的な名演盤、比較的珍しいR.ゼルキンとオーマンディの共演盤を聞いてきた。アルゲリッチとアーノンクールの共演盤は比較的最近購入したのだが、第一楽章でアルゲリッチが気ままにテンポを揺らしすぎるのが気になり、第三楽章のノリの良さはいいのだが、全体としてあまり好印象が残らない演奏だった。また、グリーグは、R.ゼルキン盤に併録のアントルモンとオーマンディの共演盤を聴いてきたが、どうもいまいちの感があった。

ルプーとプレヴィンの共演盤は、ルプーのピアノの音色の素晴らしさ、細やかで強靭なテクニック、プレヴィン指揮のLSOの細部までゆるがせにせずに、比較的ピアノ偏重で演奏されるところのあるこれらの曲でしっかり音楽を担うオーケストラの見事さ、それに録音の透明感で、まだまだ有名な録音で聴いていないものは多いのだが、これまで聴いてきたこの2曲の録音の中ではトップクラスのものだと感じた。

ルプーのピアノは細部まで明瞭でこれほどクリアな演奏は聴いたことがなかったほどだ。それにも増して面白かったのは、プレヴィン指揮のロンドン響のオーケストラ演奏。シューマンでは、引き締まったティンパニやホルンの強奏など、シューマンのオーケストレーションから実に雄弁な音楽を作り出していたのには感心した。(このほかにプレヴィンのシューマンの録音はあまり見かけないが本人の志向が理由だろうか?交響曲をVPOやSKD,ゲバントハウスなどと録音すれば面白いと思うのだが。)

プレヴィンはデッカレーベルの伴奏指揮者としても1970年代に大活躍だったようで、アシュケナージとのラフマニノフや、チョン・キョンファとのシベリウスのCDを持ってはいるが、前者の少々曖昧模糊とした演奏、後者の協奏曲のフィナーレでのチューバの調子外れな音のテイクをそのまま残していることなどで、あまりいい印象を持っていなかったのだが、このルプーとの共演盤で印象がガラっと変わった。

グリーグでも、ルプーのピアノの見事さは、形容する言葉が見つからないほどだ。アシュケナージやラローチャのデッカ録音のピアノの音色云々と文句をつけてきたが、このルプーのまさにクリスタルのように透明で多彩な響きは凄い。そしてここでもプレヴィン/LSOのオケも雄弁だ。やはりピアノ偏重になりがちなこの曲だが、単なる伴奏ではなく、モチーフのソロとオケの受け渡しなどきちんと表現されているのが素晴らしい。オーボエの音色が多少独特なのと、第一楽章コーダのテンポが聴きなれたものより少々遅いのが気になった程度で、そのほかはまったく満足した。

ルプーに付けられた「千人に一人のリリシスト」というキャッチフレーズに抵抗があり、これまで聴く機会を逸してきたのだが、いつもながらの固定観念に足を引っ張られたことに反省させられた。

いつもお世話になっている『クラシック音楽のひとりごと』に同じ音源の シューマンのピアノ協奏曲 の記事を発見して、トラックバックを送らせてもらった。mozart1889さんも絶賛されている。 

◆シューマン
・リパッティ、カラヤン/PO 〔1948/4/9&10〕         14:21/5:28/9:53
・R.ゼルキン、オーマンディ/フィラデルフィアO〔1964/3〕  14:53/5:20/10:32
・ルプー、プレヴィン/LSO〔1973〕               14:34/5:30/10:16
・アルゲリッチ、アーノンクール/ヨーロッパCO〔1992/7〕  14:24/5:13/9:56

◆グリーグ
・アントルモン、オーマンディ/フィラデルフィアO〔1958/2〕 12:13/6:00/9:29
・ルプー、プレヴィン/LSO〔1973〕               13:45/6:50/10:25

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2006年10月11日 (水)

東京都葛西臨海水族園で楽しんだ

Kasai004 10/8(日)の休日に続いて、10/9(月)は体育の日の祝日。秋晴れの行楽日和。最初の計画では箱根方面を予定していたのだが、日曜日に距離を歩いたため全員疲れ気味で遠出は無理ということになり、箱根行きは延期して以前から行きたかった葛西臨海公園の水族館(正式には、水族園)に行くことにした。

ディズニーリゾートからは江戸川(の放水路?)を隔てて、大観覧車が見えるが、そこが葛西臨海公園(写真は、葛西臨海公園からディズニーリゾート方面を見たもの)。その中にホテルシーサイド江戸川、鳥類園、西なぎさ、東なぎさ(立ち入り禁止)などの施設の中核施設として水族園がある。この水族園は、マグロを飼育していることで世界的にも有名だが、都立の水族館でもありそれほどの内容ではないだろうと当初は思っていた。しかし、各地の水族館を巡りながら調べてみると、リーズナブルな入園料(大人700円、小学生以下無料)の割りには充実した展示だということが分かった。

今回は、横浜方面からの最短・最廉ルートである東横線、地下鉄日比谷線、京葉線を使って行ってみた。自宅からのドア・ツー・ドアでほぼ2時間。好天に誘われて人出も非常に多く、園内放送で展示場内が混雑していることが伝えられるほどだった。

Kasai002

Kasai001立派なガラスドームは、ルーヴルのガラスのピラミッドのようで、そこが入り口でその地下が2層あり、相当規模の大きい展示スペースになっている。まず出迎えは、シュモクザメ、そこを過ぎると巨大水槽の中にマグロやカツオなどの大型回遊魚が泳ぎ回っている。マグロは絶えず泳ぎ続けることにより酸素を取り入れているので、水族館での飼育は非常に困難とされてきたが、この水族館はその困難をものともせず、達成したことで知られる。そこを過ぎると、世界の海の展示。太平洋、インド洋、大西洋、カリブ海、深海、北極・南極の海など展示範囲は広く、珍しい魚類も多い。観客の混雑はここが一番だった。


Kasai003 その後、マグロ類の給餌をドーナツ型の水槽のアクアシアターで見物。写真は、クロマグロ(ホンマグロ)の雄姿。巨大なマグロが普段は使わない背びれとはらびれを使いすばやい動作で餌を食べる様子は圧巻だった。また悠々と泳ぎ回る姿には威厳があった。昨日食べたマグロの刺身はこのような巨大な魚がもたらしてくれたものだったのだ!


Kasai005

このほか、渚の生物、フンボルトペンギンとイワトビペンギン、東京湾の海の様々な魚類、生物。実験展示室では、ウミホタルの発光実験。海鳥の生態では、珍鳥ウミカラスやエトピリカが間近で見られる。最後は、お決まりのミュージアムショップに立ち寄り、外に出るとすでに夕日。帰路は、園内の淡水生物館に立ち寄り、駅へ向かった。(右の写真は、水族園のテラスを覆う屋根。ヨットの帆のように見える。)

次は是非なぎさでの浜遊びをしてみたいし、日の出桟橋や両国方面を結ぶ船も出ているようなのでそれを利用するのも面白い。ディズニーリゾートもいいけれど、ここはそれとは別にゆったりと過ごせるのがいい。

ディスプレー的には、八景島、新江ノ島、品川、サンシャイン、エプソンなどの水族館もここより優れている場合もあるが、とにかくこの葛西はリーズナブルでゆったりしているのがいい。海獣ショーがないのは公立で学術展示を目的とするものとして当然だと思うし、このために料金設定が安いともいえる。家族も大満足だった。

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2006年10月10日 (火)

ブラームス 交響曲第1番 クレンペラー/フィルハーモニア管

Klemperer_brahms ブラームス 交響曲第1番 ハ短調 作品68 

オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団 
 14:05/ 9:23/ 4:40/ 15:54
〔1955年7月、1956年10月-11月、1957年3月〕

併録 悲劇的序曲 作品81 (12:27) 〔1956年10月〕
    大学祝典序曲 作品80 (10:02)〔1957年3月〕  
     ロンドン、キングズウェイ・ホール  

学生時代から吉田秀和『世界の指揮者』を愛読している割に、そこに登場する指揮者たち(その当時は多くが存命だった)の紹介されている音盤をなかなか聞く事ができていない。興味関心があちこちに飛ぶせいと吝嗇なのが理由の一つだ。そんなわけで、最近音盤をいくつか入手し聞き始めたモントゥーと同様、クレンペラーは名のみ知るだけでこれまでそれほど聴く機会がなかった。

LP時代は、しかつめらしい雰囲気や古色蒼然などという言葉が先入観となって馴染みにくく感じてしまい、結局一枚も購入したことがなかった。ブラームスの交響曲などはクレンペラーの横顔のジャケットがEMIから廉価盤で出ておりよくレコード店で見かけたものだったのに。

これまで聞いたクレンペラーのCDでは、地元のアマチュアコーラスでベートーヴェンの第九を歌った際に第九の音盤を集中的に集めた頃に目に留まって買ったフィルハーモニア管弦楽団との『第九』や、以前から名盤の誉れ高い『大地の歌』、高い評判は聞いていたがユニークな演奏とのことで購入に二の足を踏んでいて比較的最近買ったメンデルスゾーン『スコットランド』と『イタリア』程度。ようやく最近このブラームスの第1交響曲、オイストラフとのブラームスのヴァイオリン協奏曲を入手できて聞いている。(モーツァルト、ベートーヴェン、マーラーなどそのほかにも聞きたいものは多いのだが。)

ただ、聞いたことのある録音は少ないが、どれも強烈な手ごたえを感じさせてくれたように思う。

第1楽章序奏部のテンポが堂々としており、ティンパニの強打が実にいい音で鳴っているのが好ましい。それに続く主部も流れるのではなく、細部をゆるがせにせずに進むという感じを受ける。第2楽章も管楽器群を埋もれさすことなく、ヴァイオリンやホルンのソロも美しい。祈りの感情を感じさせてくれた。第3楽章もいわゆるクレンペラー的な遅さはないが、ブラームスが特に意識していたというベースの支えがしっかりと響いているため安定した音楽になっている。クレンペラーのテンポは一般に遅いといわれているが、このブラームスの曲については、全体的に速めであり、特に終楽章の速さは異例なほどだ。また、下記の録音の中では唯一ヴァイオリンの対抗配置を取っており、掛け合いが左右から聞こえてくる効果がユニークだ。楽器バランス的にクレンペラーは管楽器のソロイスティックな浮き立たせを用いる傾向があるようで、そのため全体の音色が明晰で見通しのよいものに聞こえることが多い。終楽章序奏部のアルペンホルン主題をフルートが提示する部分などはソロイスティックな目覚しさが素晴らしい。(マーラーの『大地の歌』などもそうだった。)そして、テンポが速い終楽章でもその速さをあまり意識させず、スケールの大きい音楽を作り出している。

なお、録音は、パンフレットの詳しいデータによると、1955年から1957年に掛けて行われている。相当古い時期だが、プレゼンス的に違和感のないステレオ録音になっているのが驚異だ。録音年代が分かれているのは楽章ごとに別に録音したのか、それとも最初録音した全曲に対して細部の修正用の追加録音をしたのか。通して聴いても不自然さは感じられないので、細部の修正なのかも知れない。

◆クレンペラー/PO〔1955-1957年〕         14:05/9:23/4:40/15:54
◆セル/クリーヴランド管弦楽団〔1960年代〕   13:05/9:22/4:41/16:20
◆ジュリーニ/PO 〔1961年1月〕           14:11/9:28/4:55/18:08
◆ザンデルリング/SKD〔1971年3,6,11月〕     14:22/9:50/5:05/17:15
◆ベーム/VPO〔1975年5月〕             14:13/10:41/5:05/17:52
◆ショルティ/CSO 〔1978年5月〕           16:45/9:48/4:40/17:19
◆バーンスタイン/VPO〔1981年10月〕        17:31/10:54/5:36/17:54
◆小澤/サイトウキネンオーケストラ〔1990年8月〕 13:02/8:16/4:50/16:30

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2006年10月 9日 (月)

横須賀で戦艦三笠を見学し鮪を食す

10/6(金)の低気圧は、台風以外の低気圧としては思いもよらぬ爪あとを東日本に残した。山では紅葉の時期に猛吹雪で遭難が多発し、海では大規模な海難事故も起きた。台風並みの低気圧だったにも関わらず、報道も一般人の受け止め方も、低気圧ならたいしたことがないという気分が多かったのかもしれないと思う。

さて、土曜日からは少し風が強かったが、晴天特異日の体育の日の近くらしく、抜けるような青空に恵まれた。子ども達は二学期制の前期が先週金曜日で終り、1週間もの秋休みに入った。授業時間を確保するための二学期制と聞いているのだが、なぜこの時期に1週間も休ませるのか意味が分からないのだが。

10月8日の日曜日は、学校で戦争のことを学び始めた子ども達も興味があるというので、司馬遼太郎『坂の上の雲』と『街道をゆく 三浦半島記』を読んで以来私が是非訪れたいと思っていた横須賀の三笠公園、戦艦三笠を見に行こうかと誘ったところ、家族で見に行くことになった。横浜駅から京急の快速特急に乗ると30分もかからずに横須賀中央駅に着く。そこで降りて、市街案内図に従って、大通りを歩く。途中、外人の家族連れが多い。国道16号に突き当たったところで右折し、その後10mほどで左折すると三笠公園のアーチをくぐる。そのまま進むと、そこは米軍の海軍基地で、外国人家族の多くは基地の米国人関係者だったようだ。ゲートを進む車には "Y"のナンバーが多い。そこを右に折れ歩道を行くと、前方にマストが見えてくる。

Pa080089 しばらく進むと大きな銅像が目に入る。東郷平八郎司令長官の銅像だ。そして、その後ろに戦艦 三笠が地面に固定されて保存されている。大人500円の入艦券を購入して、デッキにあがる。デッキから上に行ってもいいのだが、船室に下りて、多くの展示資料を見る。日本の開国から日露戦争にいたる世界情勢、この三笠が旗艦として戦った日本海海戦の詳細な解説、東郷元帥の衣服や、秋山真之参謀などの紹介日露戦争の講和条約であるポーツマス条約の写し(小村寿太郎のサイン入り)などの資料が見られた。また、艦前方の講堂では、日本海海戦を扱った『海ゆかば』のダイジェスト版で、この戦艦の戦いの模様を映していた。(映画中、海軍軍楽隊がドヴォルザークの交響曲第9番『新世界から』の第2楽章を演奏する場面があった。1905年の日本海海戦の時期にドヴォルザーク?と思ったが、帰って調べると1893年世界初演の曲なので、史実かどうかは知らないが三笠艦上で演奏されることは時代考証上は間違っていなかった。)艦後部には、司令官室や慰霊室などが残されていた。

Pa080111デッキに上がると、秋の晴天がまぶしく、後部ブリッジ、東郷司令長官等が指揮を取った前部ブリッジ(司馬遼太郎氏が訪れた際には整備があまり進んでいなかったのか、下が見えるようで高所恐怖症のものにはそこに立つだけで恐ろしいと書かれていたが)にも上ってみた。

全体的に、いわゆる軍国主義を鼓吹するような展示内容ではなく、至極客観的な歴史的事実を伝えてくれる展示内容になっていた。『ドクトルマンボウ航海記』だったと思うが、フィンランドには東郷ビールというものがあり、ロシアの圧迫を絶えず受け続けたかの国では、ロシアを破った東郷元帥は国民的に知られる英雄だったということが書かれていたように記憶している。帝政末期で、バルチック艦隊自体の地球を半周する大遠洋航海とその士気の低さにも大きな要因があるというが、大ロシア帝国を新興国日本が破ったことは世界史的なニュースであり、米国のニミッツ元帥が敵国日本のこの戦艦三笠の保存に協力した背景には、彼が東郷とその戦法を尊敬していたことも背景にあるのだという。黒船による開国からたった50年後に世界帝国ロシアと戦い、この日本海海戦の勝利もあり、かろうじて講和を結べたことは世界史的に見れば奇跡的なことだった。またそれが、その後の日本の針路に大きな影響を与え過ぎたということも言えるのだが。

旧日本海軍の横須賀基地(鎮守府)、そして今は在日米海軍司令部のある横須賀海軍施設の町であり、その海に向かって、三笠が鎮座しているという図は、なかなか興味深いものがある。

Pa080113 Pa080114 時間があれば、三崎まで出て本場の三崎の鮪を食べようと思っていたのだが、三崎にも本店があるという横須賀の店で、鮪寿司を食べた。少々値が張ったが大トロ寿司とジャンボ寿司を注文して、時間が時間だったので、お八つ代わりに食べた。

帰りにその店の小売部で鮪の柵とネギトロを買い、夕食は鮪丼にした。海尽くしの一日だった。

p.s. 2006/10/26 東郷ビール 後日談。うろ覚えで「フィンランドの東郷ビール」のことを書いたのだが、このように綿密に調査したウェブページがあった。これによるとアドミラル(提督)ビールのラベルの一つに東郷司令長官の肖像が使われていたというのが本当のところらしい。また、『ドクトルマンボウ航海記』にそのようなことが出ていたかどうかも未確認。

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バーンスタイン/VPO ブラームス 交響曲第1番

Brahms_1_bernstein ブラームス 交響曲第1番ハ短調作品68
 レナード・バーンスタイン指揮
  ヴィーンフィルハーモニー管弦楽団
   (ソロ・ヴァイオリン:ゲルハルト・ヘッツェル)

〔1981年10月1-12日 ヴィーン、ムジークフェラインザール、編集ライヴ録音〕
       17:31/10:54/5:36/17:54

1979年のバーンスタイン/NYPによるショスタコーヴィチを聞いたが、今回は、やはり先日ベームで聞いたブラームスの交響曲第1番を聞いた。

ベーム/VPO〔1975年5月〕は、14:13/10:41/5:05/17:52 というテンポだが、バーンスタインの方が第1楽章が時間が長い。序奏部を除く提示部(2:47-6:09)の繰り返しをしていることにより、繰り返しを除くと約14:09となる。また、その他の三つの楽章の所要時間は、ベームとほとんど同じだ。また、コンサートマスターもベームと同じゲルハルト・ヘッツェルが務めているものと思われる。

ベーム盤からほんの6年後の録音だが、ちょうどベームが亡くなった(1981/8/14)直後の録音になる。バーンスタインがVPOに客演したのは、1966年ということだが、それ以来彼の1990年の死まで客演指揮者としての密接な関係が続き、初期のマーラーの『大地の歌』、1970年代末のベートーヴェンの交響曲全集、このブラームスの交響曲全集、それぞれの協奏曲全集、シューマンの交響曲全集、モーツァルトの交響曲集など多くの録音を残した。そしてマーラーの交響曲全集の映像版ではマーラー演奏に抵抗を示したVPOにマーラー演奏を植え付けたりもした。またこの時期は、1982年にBPOとの関係が悪化したカラヤンが盛んにVPOに客演した時期にもあたり、1989年の死去までカラヤンはVPOを数多く指揮した。

ベーム/VPOとは、まったく同じ演奏会場であり、また各楽章の所要時間もほとんど変わらない。録音もアナログでレーベルも同じドイツ・グラモフォンである。しかし、録音から受ける印象は相当異なる。ベーム盤は、いくら柔軟でしなやかなVPOを相手にしているとは言え、基本的にはあの厳格なBPO盤と同じ解釈であり、造形的にはがっちりした音楽作りをしている。それに対して、バーンスタインは、滑らかなレガートを多用した音楽作りをしており、テンポはベームとほぼ同じはずだが、メリハリが意外にも少ないためによりゆっくりしたテンポの音楽に聞こえるのが不思議だ。また、ベームの方がザンデルリングなどに共通したモチーフの楽器群の受け渡しなど立体的な音楽を感じたのだが、バーンスタインの方はその点それほど精緻に音楽を組み立てていないように聞こえる。柔和な響きで流動的で滑らかさが特徴だ。それでも、終楽章の主部のストレッタの部分のダイナミックな迫力はさすがにバーンスタインというところだろうか。

◆セル/クリーヴランド管弦楽団〔1960年代〕   13:05/9:22/4:41/16:20
◆ジュリーニ/PO 〔1961年1月〕           14:11/9:28/4:55/18:08
◆ザンデルリング/SKD〔1971年3,6,11月〕     14:22/9:50/5:05/17:15
◆ベーム/VPO〔1975年5月〕             14:13/10:41/5:05/17:52
◆ショルティ/CSO 〔1978年5月〕           16:45/9:48/4:40/17:19
◆バーンスタイン/VPO〔1981年10月〕        17:31/10:54/5:36/17:54
◆小澤/サイトウキネンオーケストラ〔1990年8月〕 13:02/8:16/4:50/16:30

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2006年10月 8日 (日)

ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 バーンスタイン東京ライヴ、バルシャイ

ショスタコーヴィチ(1906-1975)  交響曲第5番 ニ短調 作品47

Shostakovich_s5_bernstein

レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック
 〔1979年7月2,3日録音、東京文化会館、ライヴ録音〕

モデラート 17:43/ アレグレット 5:23/ ラルゴ 16:02/ アレグロ・ノン・トロッポ 10:12


Shostakovich_s56_barshai

ルドルフ・バルシャイ指揮 WDR交響楽団
 〔1995年7月3日-8日, 1996年4月26日録音* ケルン〕

15:29/5:33/13:19/11:14

(* 3/8-7-1995 7 26-4-1996 という不思議な誤植?で表記されている)


かつて日本フォノグラムのフォンタナという廉価盤LPシリーズがあり、ショスタコーヴィチの第5交響曲は、そのシリーズの中のスタニスラス・スクロヴァチェフスキ指揮ミネソタ管弦楽団(ミネアポリス交響楽団)の録音(併録は、ロヴィツキ/ヴィーン響の『古典』交響曲だった)で初めて聴いた。それまでチャイコフスキーくらいまでしか聞いたことのない中学生の耳には小難しい音楽に聞こえたが、次第に親しめるようになった。その後、この録音が名録音のマーキュリーによるものだと知り、録音の明瞭さはそのせいだったかと得心がいった。現在はフィリップスの1000円のCDシリーズで発売されているがCDはまだ入手していない。

スクロヴァチェフスキはポーランド生まれで、クリーヴランドでセルのアシスタントを務めて薫陶を受けた指揮者だ。広い意味ではセルも職人的な指揮者に分類されるだろうが、弟子であるMr.Sもその仲間だろう。その彼がここ数年ザールブリュッケンとのブルックナーシリーズなどで俄然注目を集めてきているのは面白い。そのスクロヴァチェフスキのショスタコ5番は、非感傷的なアプローチで、曲に特に演出を加えていないのだが、音楽そのものを十分味あわせてくれるというもので、その意味でこの交響曲の本質は通俗的なこけおどしではないのだろうと想像させてくれる。1960年代というショスタコ受容としては比較的早い時期、USAの中部の田舎ミネソタ州(ミネアポリス)でポーランド指揮者によりこのような厳格なアプローチがなされていたのは興味深い。また、この時期のステレオ録音としては細部まで明瞭でありながら、トゥッティの迫力も失われていない素晴らしいものだと思う。

さて、バーンスタインの録音は、東京での1979年の演奏会のものでディジタル録音。バーンスタインがニューヨークフィルを率いてソ連を訪問し第7交響曲を作曲者の前で演奏し賞賛を受けたこともあり、バーンスタインのショスタコは作曲者お墨付き的な評価を与えられていたようだ。そのためニューヨークフィルとの古い方のスタジオ録音もよく聴かれたものだったらしい。その後、新時代のショスタコの第5番として発売されたのが、このライヴ録音で、レコード誌などでも高い評価を得ていた。確かに魅力のある音楽ではあるが、すっかりMr.Sに刷り込まれていたためか、この演奏との相性はもうひとつだ。

第1楽章はテンポが遅く瞑想的なモデラートになっている。アレグレットは、比較的明るい表情のスケルツォ。ラルゴは非常にねっとりと深沈とした音楽が奏される。CDではほとんどアタッカであるかのように、やや速めのアレグロの猛烈な行進が開始され、息をつがさぬ音楽が繰り広げられていく。中間部ラルゴ的な瞑想からコーダで「勝利」のティンパニと金管の雄たけびをあげる。ライヴとしてはバーンスタイン/NYP的な粗さもほとんど聴かれないが、この録音がそれほど伝説的な凄演の記録なのだろうか。自分の好みの問題だが、疑問だ。

バルシャイ盤は、例のボルコフの『証言』が1979年秋にニューヨークで出版されてから相当時間を経過し、ソビエト連邦も消滅してからの録音。あの『証言』の信憑性はまだ決着がついていないようだが、解釈や演奏とその受容への影響は大きかった。その影響下、初演以降賞賛された社会主義体制に迎合した「苦悩を突き抜けて勝利へ」の音楽、ではなく、「墓碑銘」であり、フィナーレは「強制された行進」とこの曲を規定する向きもある。作曲者の弟子でもあり、ソ連から亡命を余儀なくされたバルシャイの解釈はどうであろうか?鮮明な音色のカノンにより開始さいれる第1楽章モデラートは痛切なユニゾンが印象的である。克明な表現だ。第2楽章も管楽器群がソロイスティックに活躍するのが目立つ。サーカスティックな作曲家の自嘲が聞こえるようだ。第4楽章が有名な交響曲ではあるが、第3楽章のラルゴは、最も真正な音楽だろう。バーンスタインよりもダイナミックの振幅が大きく粘らずに感動的である。第4楽章は、駆け出さないテンポで着実に前進する音楽になっている。コーダもテンポは上げずに、恰幅のよい輝かしい金管とティンパニのコラールで終結する。

ソ連という難しい国だったということもあるが、現代に生きていた作曲家の作品のテンポがこの曲のコーダほど論議にのぼることはやはり異常なことだ。メトロノーム記号の四分音符にひげをつけて八分音符にすると、四分音符換算で一分間に半分の拍数、つまり倍速2倍に伸ばされた遅いテンポになるが、それが自筆譜ではどうなっていたのか。西側には、八分音符の印刷譜が流れてきたとのこと。鉄のカーテンと呼ばれた東側諸国の奥の院のマルクス=レーニン主義的な祭祀の音楽に二通りのテンポがあったということ、模範的な演奏とされるムラヴィンスキーは、テンポの間違いを知っていながら、速い方のテンポを取っていた節があること。どうしてこのようなことが起きたのか?

なお、余談だが、ショスタコーヴィチの交響曲がBGMに使われた映画『戦艦 ポチョムキン』だが、オリジナル版に使われたのではないという。

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2006年10月 7日 (土)

J.S.バッハ 独奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ シゲティとグリュミオー

J.S. バッハ 独奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ(全曲)BWV.1001~6
        (無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ)

Bach_szigeti_solovn

ソナタ第1番ト短調 BWV.1001   5:10/5:48/3:50/3:37
パルティータ第1番ロ短調 BWV.1002 6:45/6:28/6:40/7:51
ソナタ第2番イ短調 BWV.1003 5:19/8:28/6:17/5:37
パルティータ第2番ニ短調 BWV.1004 3:12/2:34/3:30/3:14/15:56
ソナタ第3番ハ長調 BWV1005 5:56/11:34/3:56/3:35
パルティータ第3番ホ長調 BWV1006 3:55/4:18/3:22/5:37/1:40/1:57

ヨーゼフ・シゲティ
〔CD記載1959年6月~1960年4月だが、現在は1955年7月から1956年3月録音 ニューヨーク モノーラルと訂正されている〕


Bach_grumiaux_solovn

ソナタ第1番ト短調 BWV.1001   3:40/5:12/2:20/2:33
パルティータ第1番ロ短調 BWV.1002 4:24+1:55/2:28+2:31/2:01+1:26/2:28+2:24
ソナタ第2番イ短調 BWV.1003 3:41/7:41/3:27/3:55
パルティータ第2番ニ短調 BWV.1004 3:06/1:58/3:05/3:06/13:17
ソナタ第3番ハ長調 BWV1005 4:04/10:41/2:58/2:38
パルティータ第3番ホ長調 BWV1006 3:45/2:45/2:55/2:32/1:13/1:27

アルテュール・グリュミオー
〔1960年11月~1961年7月録音 アムステルダム ステレオ〕

昨日は、風も雨も強い日、嵐の一日だった。仕事で山下埠頭方面に出かけ、取引先の事務所の窓から見える横浜港に白波が騒ぐのが見えた。吹き降りが激しく、傘では脚部は覆えず、ズボンがびしょぬれになってしまった。ビル風が吹く界隈では、ビニール傘の残骸が数十本も散らばっていた。収穫の季節、すでに稲刈りが済んでいればいいが、まだ刈り取られていない実った稲は相当倒れてしまったことだろう。台風が二つ消滅したようだが、その余波の風雨はひどいものだった。

記念年ということで、モーツァルト、シューマン、ショスタコーヴィチを結構意識して聴き始めたが、先日久しぶりにJ.S.バッハの「ミサ曲 ロ短調」を聴き、その知情意のバランスが取れた音楽に、耳が洗われたような感覚を味わった。その余勢を駆って、『独奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』の手持ちの2セット全曲をじっくりと聴いた。

ヨーゼフ・シゲティの録音は、モノーラル。シゲティのこのヴァンガード録音は、毀誉褒貶の振幅が激しいものの一つのようで、ヴァイオリン演奏のテクニックにこだわる向きにはこのアマゾンのレビューのように概して評判が悪いようだが、このように評価する意見もある。また、HMVのレビューでは比較的好評だ。このシゲティの演奏では学生時代にパルティータ第2番をエアチェックしてそれこそ何度も聴いたため、すっかりその音楽作りに親しんでしまい、後日技術面の悪評を知ったときに、これだけ立派で感動的な音楽を単に技術的に退けてしまうのはいかがなものかと思ったことがあった。ただ、私にしても、グリュミオーのような安定したテクニックのスムーズな美音での演奏により最初に刷り込まれていれば、同じように感じたかも知れないとは思う。というのも、パルティータ第2番以外は実のところなかなか聴こうという気が起こらないのだ。

シゲティは、バルトークやプロコフィエフとの交友でも知られるハンガリー出身の大ヴァイオリニストで、あのブラームスの盟友ヨーゼフ・ヨアヒムのピアノ(!)でデビューを飾ったのだという。新即物主義の思潮に属する演奏家として、従来のアクロバティックな技巧、ヴィブラートを掛けた美音の追求と言った伝統的な演奏習慣を忌避したことも、彼が「下手な」ヴァイオリニストとされた背景のようだ(WIKIPEDIA)。『クラシックCDの名盤 演奏家編』(文春新書)には、評論家中野氏により、シゲティの腕が長過ぎたことが彼のヴァイオリン演奏技術に影響を与えたという挿話も紹介されていた(p.285)し、シゲティの来日公演での彼の奏でる音色が「純銀の糸を張り詰めたように美しかった」ということも書かれている(p.258)。シゲティが技術的に衰えたという面もあるかも知れないが、現代の鬼才クレーメルも優れた技巧と美音の持ち主だが、自らの音楽解釈や音楽表現のためにそれを敢えて抑制しているという評を読んだことがあるが、シゲティにもそのような傾向があったとも考えられるのではないだろうか。このCDのシゲティの音は美しくないかも知れない。が、表現主義に反発する新即物主義的アプローチの代表者であるにしても、そのユニークとも言える音は非常に「表現主義」的で、肺腑を抉るかのような痛切な音楽を作り出す要素になっているようだ。

余談だが、ニューヨークのあるパーティーで、ハイフェッツのヴァイオリンに何とクライスラーがピアノ伴奏を務めたというエピソードを読んだことがある(前掲p.244)が、過去の大ヴァイオリニスト(クライスラーは作曲家でもあったわけだが)の音楽的な能力の凄さを物語るものとして印象に残っている。

シゲティの録音が、残響が少なく、音がかすれ、揺れ、美しくない、音程が不安定(ボウイングの不安定?)で、たどたどしい、という批判を受けるのに対して、グリュミオーの録音は、毀誉褒貶は激しくない代わりに、美音の演奏ということだけで片付けられる傾向がある。ベルギー生まれでフランコ=ベルギー派の典型と称されるヴァイオリニスト グリュミオーの音楽は、今でも特にモーツァルトのヴァイオリン協奏曲やソナタでの評価が高いことからも分かるようにムラのない美音と過不足のない安定した技術での繊細な表現に特徴があるようで、技巧のひけらかしや美音の洪水という外面的な虚栄は少ないように思う。

彼のバッハの「無伴奏」全曲は、「音楽とはいかなるときも美しくなくてはならない」と語ったモーツァルトの音楽観的な演奏で、清潔で凛とした佇まいでありながら拒絶するような峻厳さの少ない音楽になっている。LPのクレーメルの旧盤(フィリップス)でもパルティータ2番以外はときおりパルティータ3番を聴く程度だったが、私にとってグリュミオーのこのCDでは全曲どれも音楽を聴く喜びを味合わせてくれるものになっている。ただ、やはりシゲティのパルティータ第2番にはまると、グリュミオーの美しい同曲の演奏が滑らか過ぎて聞こえてしまう。

パルティータ第2番、なかんずく「シャコンヌ」の感動の深さではシゲティを取るが、全曲を楽しみながら聴くにはグリュミオー盤の方、というところだろうか。

参考:ペトレ盤この曲の膨大な録音の聴き比べ

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2006年10月 6日 (金)

J.S.バッハ ミサ曲 ロ短調 ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラ

Bach_mass_hmoll_bruggen J.S. バッハ(1685-1750)
    ミサ曲 ロ短調 BWV232

フランス・ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラ
 オランダ室内合唱団
スミス(S), チャンス(C-T), ファン・デル・メール(T), ファン・デル・カンプ(B)  〔1989年3月、オランダ ライヴ録音〕


この前の記事で、リコーダー奏者としてのフランス・ブリュッヘンについて書いたが、このCDはそのブリュッヘンが、自ら組織したピリオド楽器オーケストラ 『18世紀のオーケストラ』を指揮して演奏したJ.S. バッハの傑作『ロ短調ミサ』の録音である。この大曲を演奏する前に、すでにハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの交響曲といったヴィーン古典派の音楽に取り組み、指揮者として高い評価を得ていたブリュッヘンは、いまやリコーダー奏者としてより、指揮者としての方が有名になっている。

このオーケストラは、いわゆる古楽器(ピリオド楽器)を使っているが、その奏法はホグウッドやアルノンクール(アーノンクール)などに比べて我々現代人の耳にも奇異に感じないもののようで、耳になじみやすいのが特徴だ。これは、イギリス人のガーディナーやピノック、日本の鈴木雅明などと共通する特徴だと思う。また、ガーディナーがバロックの喜遊性、舞踊性を強調するように、ブリュッヘンの演奏にもリズミカルな躍動感が聴かれる。

ブリュッヘンの指揮によるこのミサ曲ロ短調の録音だが、カウンターテナーが担当するアルトパートの音色的な不調和が感覚的に気にはなるが、透明で刺激的過ぎないオーケストラの音色と快適なテンポによって、大作で近寄りがたいイメージのあるこのバッハのカトリック的な大ミサ曲が比較的親しみ易い音楽になっているように思える。それにも関わらず気品が失われているわけではなく、明朗で前向きな音楽になっている。

バッハの声楽曲の大曲といえば、カール・リヒターによる厳格で緊張感の高い「マタイ」や「ヨハネ」などの名演がまず第一に思い浮かび、めったに聴くことはないのだがたまにじっくり聴いたときの感銘は勝るものはほとんど無いほどなのだが、ブリュッヘンの演奏は同系統のガーディナーのものよりもこのリヒターに近い精神性の高さを感じさせてくれる。(主観的な感想だということは分かっているし、錯覚という可能性はあるのだが、高尚と俗というものはなぜか音楽から聞き取れるように思う)

このバッハの録音については、CD入手以来10年以上経つが年に一度くらいのペースで聞き続けている。最近まで、なかなか馴染めなかったのだが、最近ようやく曲そのものを楽しめるようになってきた。磯山雅氏の講談社新書の『J.S.バッハ』などではこの楽曲の十字架構造や音符と数字の対応の神秘学などが紹介されているが、キリスト教の信仰には縁のない私のような無宗教の日本人にとっても、そのような知的な興味が生じるのはもちろんのこと、荘厳、浄化、崇高という感情を引き起こされることは不思議だ。

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2006年10月 5日 (木)

ブリュッヘンのリコーダー名曲集

Bruggen_recorder_music 涙のパヴァーヌ ~ リコーダー名曲集 ブリュッヘン
(Famous Recorder Music  Frans Brueggen)

◆エイク(1589/1590-1657) 涙のパヴァーヌ
◆コレルリ(1653-1713) ソナタ ト短調作品5-12 『ラ・フォリア』
◆クープラン(1668-1733) 恋のうぐいす
◆テレマン(1681-1767) リコーダー・ソナタ ヘ長調 TWV41:F2 『忠実な音楽の師』から
◆オトテール(1674-1763) 組曲第1番 2つのリコーダーのための
◆クヴァンツ(1697-1773) トリオ・ソナタ ハ長調
◆テレマン 四重奏曲 ニ短調TWV43:d1 『ターフェルムジーク第2巻』から

フランス・ブリュッヘン(リコーダー) アンナー・ビルスマ(チェロ)、グスタフ・レオンハルト(チェンバロ)、他

欧米では、学校で音楽を授業科目にしていない国が多いのだというが、日本では幼稚園から高校(選択制が多いが)まで音楽の授業があり、小学校ではリコーダー(縦笛)は必須になっている。つまり日本には膨大な数のリコーダー経験者がいるわけだ。かえってこのことが、日本でのリコーダーの位置を微妙なものにしているのではなかろうか、などとこのCDを聞きながら思った。誰でも簡単に音が出せ、指使いも比較的に単純なため、音楽入門用の楽器とみなされ、この楽器ならではの素晴らしい音色、音楽を聴く機会が逆に少なくなっているのではなかろうか、と。

さて、現在は指揮者として著名になったブリュッヘンによるリコーダー名曲集。オランダもイギリスと同様、このような「古楽」を引っ張ってきた国で、この比較的古い1960年代の録音のCDにも、現在では大家として名を成したビルスマやレオンハルトなどのメンバーも参加している。このCDを自宅のステレオでかけたところ、子どもたちもこれが今自分たちが音楽の時間に習っているリコーダーの音だとはすぐに思えなかったようで、「この音楽はリコーダーだよ」と言ったところ驚いていた。それほど透明で魅力的な音色になっている。また、細かいパッセージのすばやい動きやムラのない音色、レガート奏法やタンギングも素晴らしい。

中では、ダウランドの歌曲(リュート曲)《流れよ、わが涙 Flow my tears》に基づくエイクによる無伴奏の『涙のパヴァーヌ』(主題と変奏)や、コレルリの有名な『ラ・フォリア』のリコーダー編曲(ブリュッヘン版)が聴き応えがある。また、クープランの『恋のうぐいす』は、まさに鳥のさえずりそのものになっている( WIKIPEDIAによれば リコーダーとは記録するもの、鳥のさえずりを記録するもの、という語源があるのだという)し、テレマンやクヴァンツ、オトテールなど音楽史の本で見かける作曲家たちの音楽も楽しい。

「大編成音楽も一吹きの笛に如かず」という東洋趣味ではないが、近代の刺激の多い大編成音楽に疲れた耳を癒してくれる。

P.S.小中学校で学校で一括購入したソプラノとアルトのリコーダーを今でも大事に持っており、簡単な楽譜を買ってきて吹いたりもしている。子どもができたらリコーダーアンサンブルをやってみたいというのが独身時代の夢だったが、そろそろその夢に近づく年代になっており、実現に向けての発進が必要だ思っている今日この頃だ(^^♪

参考:リコーダーについてのWikipedia 記事

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2006年10月 4日 (水)

ベーム/VPO ブラームス 交響曲第1番

Brahms_symphonies_boemvpo

ブラームス 交響曲第1番ハ短調作品68
 カール・ベーム指揮ヴィーンフィルハーモニー管弦楽団

 〔1975年5月ヴィーンムジークフェラインザール〕
  14:13/10:41/5:05/17:52


1975年3月に来日公演を行ったベーム/VPOは、NHKホールなどで「歴史的名演」(吉田秀和『音楽 展望と批評2』朝日文庫 p.104 『ベームの「音」』)と評される演奏を繰り広げた。そのときのNHK放送録音がDGによりLPとして発売されたのは私が学生時代で、購入して聞いた。来日公演から帰国して録音したのが、このブラームスの交響曲全集で、録音データは1975年の5月と6月となっている。

このブラームス全集の方は、1976年にLPで発売になり、当時その評判は高いものだった。ベームのブラ1では、すでにBPOとの硬質な名演盤を愛聴していたので、それに比べて少々柔和だというこの全集はFM放送などでは聴いたが、これまでついぞ音盤には縁がなかった。

これが廉価で入手できたので、早速第1番から聴いてみた。先入観があったためあまり期待せずに聴き始めたところ、冒頭のUn poco sostenuto の序奏部から実に気合の入った充実した音楽になっているのに驚き、つまみ聴きのつもりがとうとう最後まで通して聴いてしまった。フィナーレあたりには少々疲れや弛緩のような部分もあったように感じたが、全体的には私のいわゆるつぼにはまる演奏と録音で、すっかり気に入ってしまった。

これにはベームの作り出す音楽が、すっかり耳なじみになり刷り込まれた1950年代末のBPOとのこの曲と変わらない点も大きいと思う。ザンデルリング/SKDも素晴らしいと思うが、ベーム/BPOが私の中ではいわゆるリファレンスとして君臨していることも大きいと思う。

また、ヴィーンフィルの演奏が素晴らしい。柔和という当時読んだレコード評が固定観念になっていたため、つい敬遠していたのだが、十分なエネルギーを持ち、響きも美しく、ソリスティックな部分でもまったく不足がない。また晩年のベームは、レコード評では老人性のリズム硬化ということをよく言われていたのを覚えているが、今聴いてみてもあまりそのようなことは気にならない。ベーム晩年とは言え、この後の来日も1977年、1980年に果たし、亡くなったのは1981年だった。

ベームの人気は死後急速に衰えたと言う話をよく読むのだが、自分の音楽経験の中では一種の規範的な位置にある音楽家となっているのは間違いないようで、モーツァルトにしてもベートーヴェンにしてもこのブラームスにしても聞き終えた後の充実感を得られることが多い。

参考:ブラームス 交響曲第1番についての記事
 ◆小澤/サイトウキネンオーケストラ
 ◆ジュリーニ/フィルハーモニア管弦楽団
 ◆セル/クリーヴランド管弦楽団
 ◆ショルティ/シカゴ交響楽団
 ◆ザンデルリング/ドレスデン・シュターツ・カペレ

P.S. mozart1889さんからTB、コメントをいただいた。同じ音源の全集の第4番の記事にTBを送らせてもらった。

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ツィメルマン リサイタル NHK芸術劇場

10/1(日)の夜にNHK教育テレビの芸術劇場で、今年来日した Zimerman ツィメルマン (NHK風にはツィマーマン。ジメルマンの表記もあり)のサントリーホールでのリサイタルの模様が放映され、録画しておいたのを昨夜鑑賞した。

曲目は、モーツァルトのK.330, ベートーヴェンの『悲愴』、ラヴェルの『高雅で感傷的なワルツ』。アンコールにガーシュインの『3つの前奏曲』という珍しいレパートリーを一曲ずつ。(ポーランドの現役の女性作曲家のソナタは放送割愛?)

ツィメルマンのモーツァルトソナタ集は、デビューしてからすぐDGからLPで発売(若きツィメルマンが正面を向いているポートレート写真がジャケットだった)されたのをFM放送で聴き、澱みのないさわやかなモーツァルトに感心したのだが、いつの間にか廃盤になってしまった。今回のリサイタルのモーツァルトは、タッチは相変わらず清潔でテレビの音ながら冴えた音色も分かったが、ところどころ大きなリタルダンドを入れたり、フィナーレのコーダの最終和音の直前に空白が生じたかのような盛大なゲネラルパウゼを入れたりで、全体のフォルムが恣意的に感じてしまい、どうもモーツァルトを味わう上には支障があった。

次の『悲愴』は、第一楽章提示部を冒頭のGraveからリピートするという(R.ゼルキンのCDもそう)解釈により、若きベートーヴェンのパセティックな大ソナタを奏でていた。食事をしながら視聴していたのであまり細かくは聞けなかったのだが、出来とすればあまり印象に残らない演奏だったように思う。ピアノの音もモーツァルトよりは魅力的ではなかった。ただ、映像的には、あの冴えてにごらない音響を作り出す秘訣と言われているペダリングの妙技を見ることができた。ツィメルマンは協奏曲をバーンスタイン/VPOと録音しているが、ソナタの録音はこれまでDGからは出ていなかったのではなかろうか?レパートリーについて慎重派の彼のことなので、全曲録音などはのぞむべくもないが、現在の脂の乗った時期に、是非中期と後期のソナタのいくつかを録音して欲しいものだ。

三曲目でこれがメインなのか、ラヴェルの『高雅で感傷的なワルツ』は、オーケストラ曲としてはクリュイタンス/PCOで数度耳にした程度、ピアノ演奏ではフランソワの録音を聞いたことがある程度だが、音楽としてどうも散漫な印象しかなく、せっかくのツィメルマンの演奏もあまり楽しめずただ聞き流しただけになってしまった。

アンコールは、珍しいガーシュインのソロピアノ曲。ツィメルマンも寛いだ表情で楽しげに演奏していた。

現在最も人気のあるピアニストの演奏会だけあり、サントリーホールも満員の盛況だったようだ。

なお、ネットのコンサートレビューで論争になっていたが、ツィメルマンの「日本のイラク戦争派兵への抗議の演説」は流石にカットされていた。

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マルティノンのサンサーンス交響曲第3番、フランク交響曲

Martinon_saintsaens_franck サン・サーンス 交響曲第3番ハ短調(『オルガン付き』)〔1970年録音〕 
   10:06 / 9:57 / 7:27 / 7:42

フランク 交響曲ニ短調〔1968年録音〕
    18:04 / 11:38 / 10:51

ジャン・マルティノン指揮 フランス国立放送管弦楽団
      オルガン:マリー=クレール・アラン(サン・サーンス)

フランクの交響曲ニ短調は、LP時代にあのイギリス名物指揮者トーマス・ビーチャム卿が珍しくもフランス国立放送管弦楽団と入れたセラフィムの緑色のジャケットのもの(父購入)、および上記CDにも収録されているマルティノン指揮のサー・トーマスと同じオーケストラによる録音(私が購入)を聴いていた。ビーチャムが手兵のロイヤルフィルではなく、フランス国立放送管を指揮したことにはどういう経緯があったのかは分からないが、これにより奇しくも同じ曲を同じオケで違う指揮者により聞き比べできたのは面白かった。(マルティノン盤のレギュラープライスには、フランクの交響的変奏曲も収録されていたように記憶するが、廉価盤には交響曲1曲きりだった)。

さて、このCDだがワーナークラシックスのベスト1000シリーズのうちの一枚。録音は古いとは言え、フランス系の交響曲の名曲2曲が廉価で入手できるのはうれしい。

手持ちのフランクの交響曲のCDは、以前購入したオーマンディとフィラデルフィア管のものしかなく、フィラデルフィア管の録音にしては音響的に少々不満があったので、カラヤン/パリ管かこのミュンシュ、クリュイタンスなどを聞きたいと思っていたところ、たまたまこのマルティノン盤が目に付き懐かしさもあり購入した。

この交響曲は一般にフランクのオルガニストとしての経験の影響によりオルガン的な重厚さを持つ音響になっていると言われるが、同じくオルガニスト出身のブルックナーの透明感のあるオルガン的なオーケストレーションとは違い、より渋くくすんだ音響だ。マルティノンのいわゆる「本場もの」の演奏では、音色的には渋いのだが、聞こえてくる音楽が明晰な表情を持っている。また、金管の強奏の部分では思い切って音を割ってもおり、ダイナミックだ。この曲の場合フルトヴェングラー的にドイツ的情念によって彩ることも可能だと思うが、マルティノンの場合には細部までゆるがせにしない知的な感触を受ける。先に記事にしたマルティノン/VPOの『悲愴』とは印象が異なるが、それと同じCDに収録されていたボロディン交響曲第2番の明晰さとこのフランクの曲での指揮とは印象が重なるように思える。

サン・サーンスの『オルガン付き』は、先日デュトア/モントリオール響のCDを入手したばかりだし、バレンボイム/シカゴ響のCDは以前から聞いておりこれで3枚目になる。デュトアの華麗さに比べて、マルティノンの方が品位があるように聞こえる。音楽における俗っぽさ、高尚さというのは主観的な要素だと思うので、どこがどうとは言えないのが苦しいところだが、敢て言えば第1楽章第2部のPoco adagio の歌わせ方などにマルティノンの作り出す音楽の高雅な魅力が感じられる気がする。なお、この「オルガン付き」交響曲には、フランスの名オルガニスト、マリー=クレール・アランが参加しているのも花を添えている。

◆フランク 交響曲のタイミング比較(ビーチャム盤は手元にないため別途調査予定)
  オーマンディ〔1961〕 18:29 / 10:51 / 10:34
  マルティノン〔1968〕   18:04 / 11:38 / 10:51

◆サン・サーンス 交響曲第3番のタイミング比較
  マルティノン〔1970〕     10:06 / 9:57 / 7:27 / 7:42
  バレンボイム〔1975〕    19:26          / 7:26 / 7:23
  デュトア(デュトワ)〔1982〕  9:27 /6:47  / 7:45  / 6:56

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2006年10月 3日 (火)

シューマン 序奏とアレグロ作品134、序奏とアレグロ・アパッショナート作品92

Schumann_introduction_and_allegro_op134 シューマン 序奏と協奏的アレグロ ニ短調(コンツェルトシュテュック)(Introduktion und Allegro concertante)Op.134 〔1996年録音〕 14:42

イェネ・ヤンドー(p) アントニ・ヴィト指揮ポーランド国立放送管弦楽団

シューマンは、有名な作品54のイ短調のピアノ協奏曲のほかにオーケストラとピアノの協奏的作品を2曲(遺作はのぞき)残しており、これはそのうちの一曲。有名な作品ではないため、このように他の作品とカップリングされていることが多いので、あまり耳にする機会がないのだが、日本人なら一度聴くと忘れることができなくなる印象深いフレーズが登場する。山田耕筰の歌曲『赤とんぼ』のメロディーが登場するのだ。このCDの帯には、コード進行もそっくりだと書かれている。山田は、シューマンゆかりのライプツィヒベルリン音楽院に留学しているので、もしかもするとという考えも浮かんでくる。真相はどうなのだろうか?

Schumann_introduction_and_allegro_appass シューマン 序奏とアレグロ・アパッショナート ト長調(コンツェルトシュテュック)(Introduktion und Allegro appassionato[Konzertstuck*])Op.92 15:44

ルドルフ・ゼルキン(p) ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフア管弦楽団 

〔1964年録音〕

こちらは、前記の曲のような面白さはないが、同じように序奏とアレグロの単一楽章の形で書かれたコンサート用の作品。

作品番号的には、イ短調の協奏曲よりもこれら2曲の方が相当後年の作品だが、シューマンとしては、協奏曲第2番、第3番を残そうという意図はなかったのだろうか?この曲などは、ルドルフ・ゼルキンのピアノも美しく、作品134よりも耳になじみやすい。まとまった協奏曲の形ならばもっと人気が出たのではないかと思う。

2006/10/03 追記:DRACの末裔による徒然の日々ブログに「赤とんぼ騒動」という記事を見つけて、コメント、トラックバックさせてもらった。

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2006年10月 2日 (月)

ショスタコーヴィチ 交響曲第1番 M.ヤンソンス/BPO, バルシャイ/WDRso

ショスタコーヴィチ(1906-1975)

Shostakovich_pc12_s1jansons交響曲第1番 ヘ短調作品10

マリス・ヤンソンス指揮

ベルリンフィルハーモニー管弦楽団〔1994年6月〕

Allegretto --- Allegro non troppo 8:20, Allegro 4:56, Lento 9:08, Allegro molto 9:29

Shostakovich_s123_barshai 交響曲第1番 ヘ短調作品10

ルドルフ・バルシャイ指揮

WDR(旧ケルン放送)交響楽団〔1994年9月30日-10月3日〕

Allegretto --- Allegro non troppo 8:10, Allegro 4:45, Lento 7:43, Allegro molto 8:38

この2枚を聞き比べてみた。奇しくも、同じ1994年の録音で、それも旧ソ連にゆかりの指揮者が、旧西ドイツの楽団を指揮したことも共通している。また、ヤンソンスは、ショスタコーヴィチの初演を数多く行ったムラヴィンスキー/レニングラードフィルで育ったような指揮者であり、一方バルシャイはショスタコーヴィチに直接師事したこもあり、第14番の初演者でもあり、弦楽四重奏曲のオーケストラ編曲を作曲者公認で行っているほどの存在である。いずれも演奏解釈上作曲家直伝に近い情報を得、影響を受けているものと思われる。

ソ連に天才作曲家が出現したと報道され、ブルーノ・ヴァルターが賞賛を惜しまなかったというこの交響曲を聞き比べてみた。

総論的に言うと、ヤンソンスの方は地味でバルシャイの方が派手である。演奏解釈だけでなく録音も楽器バランスには相当影響しているとは思うが、ヤンソンスの方がソリスティックな動きが全体に埋没気味だが、バルシャイではオケコン的に各ソロ楽器が浮き出している。そのため、聞き比べるとバルシャイ盤の方が面白い。

コンドラシン盤は聴いたことがあるが、ムラヴィンスキーやロジェストヴェンスキー、スヴェトラーノフなどのいわゆる本場ものをあまり聴いたことがないので、ヤンソンスとバルシャイのどちらの楽器バランスが伝統的なのかは分からないが、スクロヴァチェフスキ/ミネアポリス交響楽団によるショスタコの5番(近年フィリップスからCD廉価盤が出た)でショスタコ入門をした者としては、マスの響きよりもソリスティックな方が親しみやすいのかも知れない。また、前半2楽章はほとんどタイミングは同じだが、後半2楽章はバルシャイの方が速いことも特徴的だ。

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ラモー クラヴサン名曲集 ヴェイロン=ラクロワ

Rameau_clavecin_veyronlacroix ジャン=フィリップ・ラモー(1683-1764) クラヴサン名曲集

1.土人 Les Sauvages    2.鳥のさえずり Le rappel des oiseaux   3.キュクロープス(ひとつ目の巨人たち) Les Cyclopes  4. サラバンド Sarabande   5.めんどり Le poule    6.やさしい輝き Les tenderes plaintes    7.ラ・ドフィーヌ(王太子妃)La Dauphine   8.ソローニュの痴れ者 Les Niais des Sologne   9. プレリュード Prelude   10. タンブラン Tambourin    11. エンハーモニック L'Enharmonique   12.ガヴォットと変奏 Gavotte variee  13.トリコテ Les Tricotes  14. エジプト女 L'Egyptienne   15.ミュゼット・アン・ロンドォー Musette en rondeau   16.3つの手 Les trois-Mains   17.ミューズの女神たちの会話 L'entretien des muses

ロベール・ヴェイロン=ラクロワ (クラヴサン* 1755年製)   *:ハープシコード、チェンバロ

後期バロック時代の「性格的小品」集。

『めんどり』は比較的ポピュラーだ。中では、『エンハーモニック』(同名異音)は、『図解音楽辞典』(白水社)P.314-315において「この曲はその洗練された和声において複雑な情緒を描き出す。これはこの時代末期の精妙な現象で、[多感様式]でもある。」と紹介されている。

ここで、ヴェイロン=ラクロワの弾いているクラヴサンは、1755年にエムシュの製作したものだという。まさに、ラモーの存命中の楽器である。このCDの録音年代は不明だが、雅やかなその音色を捉えた録音で、さすがにエラートレーベルのものだと思う。

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2006年10月 1日 (日)

モーツァルト 交響曲集 ベーム、アバド指揮のライヴ盤

Mozart_boem_abbado_live_recording_list モーツァルト 

交響曲第39番、第41番

ベーム/ベルリンフィル 1976/9/14ライヴ(ベルリン)

交響曲第35番 アバド/ヨーロッパ室内管 1987年ライヴ(ヴィーン、モノーラル)

交響曲第38番 アバド/RAIトリノ交響楽団 1965年ライヴ(トリノ、モノーラル)

ブックオフの出物で見かけて購入(ライブ・クラシック・ベスト100、LCB-103)。2枚組み。1枚目は、1960年代に交響曲全集を残したベーム/ベルリンフィルのライヴ録音とのこと。放送録音のエアチェックのCD化だろうか?テープの歪みなどで起こる微妙な音揺れなどが聞き取れる。音そのものには魅力がないが、音楽は楽しめるレベル。第39番は緊密なアンサンブルが聴かれるが、第41番は冒頭では合奏が乱れるように聞こえる。しかし聴き進むうちに音質への不満、わずかなキズは気にならなくなる。

1976年なので時期が違うとは思うが、ベームがこれに第40番を加えた後期3曲のコンサートを振り、それがFM放送で流されたことがあるような記憶がかすかにあるので、検索してみたら、Mozart con grazia のCDページCD.365-366)に当てはまるものがリストアップされていた。LCB-102の方に第40番も収録されているようだ。

もう一枚のアバド指揮のものは、1987年録音の『ハフナー』もなぜだかモノーラル収録になっているのは興醒めだ。音質も篭り気味でAM放送を聴いているよう。演奏自体は歯切れがよいもので好演だと思うのだが。1965年録音の『プラハ』と音質的には同じ程度。1965年のイタリアの放送オーケストラを振っているアバドの清新なモーツァルトは、なかなか聞かせる。その後のアバドの活躍も当然だと思わせるところがある。

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シューマン 5つの民謡風の小品集 Op.102

R.シューマン(1810-1856) 5つの民謡風の小品集 作品102 Fuenf Stuecke im Volkston Op.102 (1849年)

Rostropovich_britten_schubertムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(Vc) ベンジャミン・ブリテン(p) 〔1961年 ロンドン キングズウェイホール〕

No.1 "Vanitas vanitatum" Mit Humor イ短調 2/4拍子 3:26

No.2 Langsam ヘ長調 2/4拍子 3:29

No.3 Nicht schnell mit Viel Ton zu spielen イ短調 6/8拍子 5:35

No.4 Nicht zu rasch ニ長調 4/4拍子 2:30

No.5 Stark und markiert イ短調 2/4拍子 3:04


Bylsma_schumann

アンナー・ビルスマ(Vc) ラムバート・オーキス(p) 〔1995年 発売〕

No.1 3:26 / No.2 5:34 / No.3 3:58 / No.4 2:10 / No.5 3:08


以前から、ロストロポーヴィチとブリテンによる録音で親しんできた曲。ただこの録音では、シューベルトのアルペジオーネとドビュッシーのチェロソナタという2曲の大曲にはさまれた間奏曲的な扱いで聴いていたこともありそれほど印象が深くない。

シューマンには、チェロ協奏曲という大曲もあるが、このような親しみやすいチェロ曲を書けるというのは誰か友人に優秀なチェリストがいたのだろうか?民謡風というだけあり、シューマンのピアノ曲ほどは洗練されていないが、しみじみとした味わいのある小曲集だと思う。

今日改めてビルスマとオーキスの録音と聞き比べてみた。

ロストロポーヴィチの方が感情移入が少ない感じで、端正に奏でている。それに比べてビルスマの方はノンヴィヴラートながら、よりテンポもゆったりと動かし、ダイナミックスも大きくとりロマンチックに表情豊かにいつくしんで弾いているようだ。併録のブラームスの二曲のソナタはそのノンヴィヴラート奏法に違和感を覚えたのだが、シューマンのこれら小品では逆にでしゃばらないピアノとの素朴な対話が味わい深い。

没後150年の命日も過ぎたが、モーツァルトイヤー、ショスタコーヴィチイヤーと並ぶシューマンイヤーでもあり、未聴の曲をもう少し聴いてみたいものだ。

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