J.S.バッハ 平均律クラヴィーア曲集 グールド
グレン・グールド(p)
〔第1巻 1962-1965、ニューヨーク、ステレオ〕
〔第2巻 1967-1970、ニューヨーク&トロント、ステレオ〕
『指揮台の神々』によれば、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番をボストンで初演し、ヴァーグナーとブラームスの両陣営に深く関わった名ピアニストであり名指揮者のハンス・フォン・ビューローは、意外に虚弱な体質だったらしい。そのフォン・ビューローの名言に、この「平均律クラヴィア曲集は旧約聖書であり、ベートーヴェンのソナタは新約聖書である」というものがある。
原題の Das wohltemperierte Klavier は、英語では The Well-Tempered Clavier となり、直訳では「上手に調整された=適切に調律された鍵盤楽器」ということで、必ずしも「平均律」という調律法で調律された鍵盤楽器を用いろという意味ではないようだ。
調律法は、非常に複雑な理論で、素人である身にはよく分からないが、コーラスや合奏をやっていると純正律的なハーモニーの響きと平均律的なそれとの微妙な差異が少しは感じ取れるようになる。平均律は、オクターブを数学的に等しい12の部分に分割することで作り出された音組織だが、五度(たとえばド Cと ソGの音程差)の純粋な響きが犠牲になるのだという。それゆえ、純正律で調律した鍵盤楽器がある場合には、それによっては、ある調の音楽しか演奏できず、自由に転調しようとしてもできないという説明を読んだことがあるが、これについてはどうも実感を伴わずよく分からない。しかし、平均律に調律することで、このバッハの曲のように12音すべての長調と短調を用いた曲でも、自由に弾きこなせるのだという。
12音とは、半音階順に、ハ(C,c), 嬰ハ(Cis, cis),ニ(D,d),嬰ニ(Dis,dis),ホ(E,e),ヘ(F,f),嬰ヘ(Fis,fis),ト(G,g),変イ,嬰ト(As,gis),イ(A,a),変ロ(B,b),ロ(H,h)。バッハは12音それぞれの長調短調で24調の音楽を1セットとして、合計2セットを作曲し、第1巻、第2巻としてまとめた。なお、ショパンも24の前奏曲で12音すべての長調、短調を用いているが、Cとa,Gとeのように五度圏順で、長調とその平行短調が交代する順番になっている。
すべて、曲は前奏曲とフーガの組み合わせで作曲されており、前奏曲(プレリュード)は、大きく①アルペッジョ型、②器楽音型型、③トッカータ型、④アリア型、⑤インヴェンション型、⑥トリオ・ソナタ型に分類される。
なお、モーツァルトは、これらの内の数曲を「弦楽三重奏奏のための6つの序奏とフーガ」に編曲している(K.404a)し、「5つの四声のフーガ」K405も第2巻から4声のフーガを弦楽四重奏用に編曲したものだ。
また、ベートーヴェンは、ボン時代の師ネーフェにこの曲集全曲を習って、どの曲も自由自在に弾きこなせたという。よく知られたグノーの「アヴェ・マリア」は、第1巻ハ長調のプレリュード(アルペッジョ型の例)を伴奏として、その上にメロディーを付けたもの。
グールドは、バッハの鍵盤楽器の音楽はオルガン曲のほとんどを除き、そのおおよそを録音したのではなかろうか?このピアノによる録音も相当の期間に渡って録りためられたものの集成のようだ。
プレリュードなどは、独特なアーティキュレーションを用い、また歌声も盛大に入っている。特にアリア型の通常ならレガートで弾かれるプレリュードをポツリポツリと切りながら演奏するなど違和感を覚えることも多いが、ほとんどのフーガがその不満を解消してくれる。ピアノではリヒテルやグルダの優れた演奏もある。しかし、グールドの録音は私にとってはいつもながらの刷り込みで、実用的には眠気防止に役立つため自動車を運転するときにこの録音をカセットテープにダビングしたものをよく聴いたので、リヒテルの残響の多い響きの美しい演奏と比べるとプリペアードピアノ的な音色に閉口することもあるが、今のところ、唯一無二といっていいCDになっている。
弾けはしないのだが、ピアノ譜を参照しながらこの演奏を聴くのもまた一興だ。
CD初期の、まだSONY CLASSICALが、CBS SONYだった頃に購入したもの。4枚組み。
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コメント
「純正律で調律した鍵盤楽器」-音楽的な講釈は散々読まれているでしょうが、物理的にはパイプオルガンをイメージすると良いかもしれません。各ストップ毎に音階分だけパイプが並んでいれば、長さだけハモルように切っていけば良い。つまり、一つのパイプの音のピッチが基準になる。弦楽器や管楽器でも振動体の長さがあって基本振動が決まっていますから、弦を変えることの出来ないスコルダータ楽器やまたバルブの無い管などは持ち変えするんですね。
ですから古楽の演奏でも当時の演奏に使われたオルガンや楽器が残っているとそれを基準に考える。純正律は、ハモリの要素の倍音成分を司る自然の摂理ですから音響的には至極合理的です。それに引き換え何でも弾ける平均率の調律は、だからピアニストや調律氏によって癖が出る訳です。
しかし純正率を振動長比2:3の完全五度ずつ五度音程圏の冠*のように動かしていく場合、一巡しても元に戻らない。それはそのままピタゴラス音階を始めとする音階の問題でもあり、平均率が人為的に調整される理由でもあります。
http://www5.famille.ne.jp/~dr-m/TALKING/temper/temperam.htm
*http://en.wikipedia.org/wiki/Circle_of_fifths
投稿: pfaelzerwein | 2006年10月21日 (土) 01:25
pfaelzerwein さん いつもコメントありがとうございます。また分かりやすい解説のリンクを張っていただき参考になりました。
パイプオルガンの構造はほとんど知らないのですが、以前リサイタルで、マリー=クレール・アランのオルガンを聴いたことがあります。そのとき、それぞれ調性が異なるバッハの有名なオルガン曲、ニ短調、ト短調、ハ短調などを聞かせてくれたのですが、あまり問題がなかったように聴けました。これらは近親調でもあり、純正律で調律されているパイプオルガンでもあまり問題がなかったということなんでしょうね。
またたとえば、試みにパイプオルガンや純正律で調律されたハープシコードで、古典派やロマン派の鍵盤楽曲を弾く場合には、転調する場合には微妙な音程差(ピュタゴラス・コンマ)のために、和声を奏でると相当の不協和が生じてしまうということなんですかね。
投稿: 望 岳人 | 2006年10月21日 (土) 17:13
近親調に関連しますが、大まかな捉え方をすれば、例えば記譜法とか、またオルガンの音域(鍵盤でもあり)がC―g''' またはf'''とか云うのも疑問への回答の一つではないかと思うのです。つまり、歴史的なコンテクストで捉えるとと云うことです。
西洋音楽という枠に限る訳ですから、勿論ご存知のように基礎にはグレゴリオ聖歌の教会調の伝統があり、ある意味近代音楽は平均率故の一次的な発展でしょうか?
先の記事のパレストリーナとルッソーも、写真などでその譜面を見れば分かるようにネウマ譜からの記譜法の変遷に驚きます。実際に現代の演奏で聞いてみると後者の肉感的な和声や前者のそれを踏まえての禁欲に、純正律の威力が分かりますね。
反対に平均率の終止符を打ったかに見えるのがシェーンベルクらですが、演奏実践の伝統上でそう簡単には伝統的和声感覚(楽器等)から脱却するなどとは誰も考えていなかったでしょう。
パイプオルガンやチェンバロ系等の楽器が古典派以降暫らく影を潜めたのは当然のことかもしれません。こうしていつもの大風呂敷を広げた後でやっと、本題の平均律クラヴィーア曲集に戻ります。バッハの弾いた若しくはイメージした平均率楽器はどういう調律なのかと。少なくと上の批判点のグールドの意図はより以上理解出来るような気がしますが、いかがでしょう。改めて西洋音楽におけるバッハの重要な位置付けを再確認出来ます。プロテスタント音楽発祥に対する上記の二人の作曲家へのバッハからの繋がりも連想して終わりとします。
投稿: pfaelzerwein | 2006年10月21日 (土) 21:25
pfaelzerweinさん、詳しいご返事をいただきありがとうございました。単旋律、ポリフォニー、和声、12音の流れと、調律の関係は奥が深いですね。
ところで、現代のピアニストでも、そのピアノの調律法にこだわりのある人もいるようで、内田光子さんなどはヴェルクマイスターの調律法を使用しているというような記事を読んだことがあります。また、ヴィルヘルム・ケンプのピアノの録音が非常に美しいと感じているのですが、彼はオルガニストとしての経験もあるようなので、やはりそのピアノの調律に秘密があるのではないかなどと愚考しております。また、先のツィメルマンなども調律を自ら行うこともあるとのことです。
投稿: 望 岳人 | 2006年10月22日 (日) 08:03
引き続き平均律クラヴィーア曲集を楽しんでおります。
面白い話しを見つけました。アルンシュタットのバッハオルガンの修理復元の際、バッハが1703年から1707年の在籍で、その間に弾いた曲が問題なく演奏できるように調律したと云うことです。だからH-Dur、Fis-Durに外れが最も出るようです。
半音階における五度の優位を取れば、勿論、半音階的なまたは変化記号の多発するfis/gesなどで問題になってくるということで、先日の大雑把なイメージの傍証になるのではないかと思います。
バッハの平均律のアイデアへの通説は知りませんが、平均律化への流れの時代に、過渡期のオルガンの癖や外れを体のどこかに偲ばせながら、作曲を楽しんでいると見るのはどうでしょうか。
バッハを軸にして、その終結点を見る時、若しくはルネッサンス・中世へと溯ろうとする時、こうした考察は楽しみ方の土台となりそうです。
投稿: pfaelzerwein | 2006年10月30日 (月) 03:14
pfaelzerweinさん、コメントありがとうございます。
バッハのオルガンの調律の話は面白いですね。大分イメージができるようになってきました。
ピアノのような減衰しやすい発音の楽器の場合の響きの濁りよりも、声やオルガンや弦のように持続的に音が出る場合の濁りの方が耳に付きやすいように思いますので、オルガンがよく弾かれる純正律に近づけようとするのは重要な調律なのでしょう。バッハの作品表を見ると、オルガンでもフラット、シャープがせいぜい三つまでの調の曲が多いようですね。C-a,F-d,B-g,Es-c,G-e,D-h,A-fisの範囲に大体収まるようです。
響きの純粋さを味わえるルネサンス・中世への遡りは、ある種の必然なのかも知れないなどと考えながら、今晩はペルト『ヨハネ受難曲』を聴いております。
投稿: 望 岳人 | 2006年10月30日 (月) 22:51