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2006年11月 9日 (木)

イエルク・デムスのシューベルティアーデ

"Demus_schubertiade Eine Schubertiade" シューベルティアーデ

シューベルト
1. 即興曲 ヘ短調Op.142-1
2. 同 変イ長調 Op.142-2
3. ピアノ小品 変ホ長調D.946
4. 即興曲 変イ長調Op.90-4
5. 同 変ロ長調Op.142-3
6. ハンガリーのメロディー ロ短調D.817
7. 楽興の時 ヘ短調Op.94-3
8. 同 嬰ハ短調Op.94-4
9. 「第一ワルツ集」Op.9 から12のワルツ
10.クッペルヴィーザーワルツ 変ト長調
11.「フランツ・シューベルトの祈り」
(詞:デムス、即興曲変ト長調Op.90-3による テナー:ゼーゲル・ファンデルステーネ)

イョルク(イエルク/イェルク)・デームス(デムス) Jörg Demus (ピアノ)
                    〔1993年録音 1913年製ニューヨークスタインウェイ使用〕

戦後、フリートリヒ・グルダ、パウル・バドゥラ=スコダとともに「ウィーン三羽烏」と称されたイエルク・デムス。グルダは、モーツァルト・ベートーヴェンを中心レパートリーにしながらジャズにも進出したが、最高のピアノ弾きとして君臨した。バドゥラ=スコダは、音楽学者として活動し、フォルテ・ピアノなどの演奏も手がけた。イエルク・デムスは、F=ディースカウと「詩人の恋」を録音、パツァークと「冬の旅」を録音、ウェストミンスター・レーベルにシューマンのピアノ四重奏曲、五重奏曲を録音など1960年代はバリバリの活躍をしていたし、バドゥラ=スコダとの連弾でも名声を博した。ただ、それぞれの道や資質は異なっており、ヴィーンゆかりのピアニストとしてひと括りにするのは乱暴だとは、吉田秀和氏の著書に書かれていた。

Demus_in_suzaka 1997年5月30日に彼の来日公演を聴く機会を得た。左の画像はリサイタルのチケットと、一緒に聴きに行った妻がリサイタル後に、上記のCDを購入しCDのブックレットにもらったデムス本人のサイン。

このときのデムスのプログラムのメインは、ベートーヴェンの最後のピアノソナタ第32番だった。彼の実演は、確かに左手は非常に怪しかったが、それでもあの難曲をハラハラさせながらも最後まで弾ききってくれた。(というのもプロのピアニストに対しては失礼な言い方だが)。

このリサイタルの前に、現在日本で編曲者・ピアノ演奏者として活躍している音楽家のポピュラーコンサートを同じホールで聞いたのだが、そのショパンなどの有名曲の演奏が、よく指は回るし音は綺麗なのだが、あまり心に伝わってこなかった経験を不思議に思っていた矢先だったので、それと比較して、デムスのピアノにはなんとも言えないメッセージが込められていたのを実感できたリサイタルだったことを思いだす。

これについて10年ほど前Nifty-serveというパソコン通信時代のFCLAというクラシック音楽の会議室にも投稿したことがある。

落語や戯曲の台詞を、意味や背景、様式を十分把握していない例えば来日した外国人のような人が日本語でそれなりの発音で流暢に話すのと、専門家の噺家や俳優がそれぞれのその人なりの癖のある語りぶりで話すのとでは、伝わる意味の内容や量が違うのではないかという仮定。それが、楽譜的には即物的に正しく確実に弾いた音楽(極端にはmidiの音楽)と、少々怪しいタッチでも様式や意味内容を十分踏まえた上で弾いた音楽との違いと同じようなものではないかと、書いたことがある。デムスの音楽には、ヴィーンを初めとしたヨーロッパで、多くの一流の音楽家たちの間で成長したピアニストの持つ音楽語というものはどういうものかを聞けたようなリサイタルだった。

学校教育でも伝達できるようにマニュアル化、組織化、グローバル化されている西洋クラシック音楽であり、音楽に国境はないとはよく言われることではあるが、例えば日本人があの相撲の拍子木の次第に間隔の短くなるリズムを特別な訓練がなくても見よう見真似で打てるのと違い、あのようなリズムの伝統のない西洋では、あれを楽譜に表すことも困難で、プロの打楽器奏者でも苦労するといことがある、という。また、蝉や鈴虫のような虫の音を聴く際に西洋人と日本人では、それを雑音と聴くか、意味のある音と聴くかという点で脳の使い方まで違うという有名な話があるが、洋の東西の音楽についての感性の差は以外に大きいものだとも言えるかも知れない。そういう考えは、西洋音楽を日本人である自分が聴くということについての懐疑にもつながり、なかなかつらいのだが。

このデムスのCDは、そのときのリサイタルの感慨を完全によみがえらせてくれるものではないが、味のある音楽を聴かせてくれる。大切なCDの一つだ。

1曲目の即興曲は、まさに「天国的な長さ」的な演奏。なお、10曲目の『クッペルヴィーザー・ワルツ』(Kupelwieser-walzer Ges-dur)は、シューベルトの友人クッペルヴィーザーの曾孫に口伝で伝えられたワルツをR.シュトラウスが採譜したものだという。

p.s. デムスが10月末に来日中ということで、コンサート記事を見つけてトラックバックを送らせてもらった。

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コメント

当方へお越しいただきありがとうございました。
近頃はあまりイェルク・デムスへの賛辞を目にすることが少ない中、こちらの記事に意を強くし、ファンとしてうれしく読ませていただきました。
確かに、彼の弾くウィーンの音楽家、とりわけシューベルトには独特の語り口の魅力があるように思います。

先日はTBの方法がよく分からず、無作法な書込みを残してしまい失礼しました。目障りでしたら削除なさってください。

投稿: hokuto77 | 2006年11月11日 (土) 22:33

hokuto77さん、こんばんは。コメントありがとうございます。

この記事にも書きましたが、バドゥラ・スコダとのシューベルトの軍隊行進曲の連弾やパツァークというテノールとの「冬の旅」の共演で、子どもの頃から親しいピアニストでした。そのデムスを生で聞けたのは今から9年も前で、その時すでに相当のお歳に見えましたが今年も元気に来日されたというのを知ることができて本当にうれしく思いました。気軽にコンサートには行けないので、そのことを知ることができたのもhokuto77さんのおかげです。

>先日はTBの方法がよく分からず、無作法な書込みを残してしまい失礼しました。目障りでしたら削除なさってください。

これについては、まったく問題ありませんので、特に気になさらないでください。

投稿: 望 岳人 | 2006年11月12日 (日) 01:31

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