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2007年8月の21件の記事

2007年8月31日 (金)

上橋菜穂子のファンタジーが面白い

 現在、NHK BS2(BS11)で毎週土曜日の午前8時5分から『精霊の守り人』のアニメーションが放映されているが、この原作者 上橋菜穂子の『守り人』シリーズは、児童文学の世界では2000年頃から相当話題になっていたものらしい。作者は、立教大学で文化人類学を学び、現在大学にも籍を置いている女性作家で、ル・グゥィンを連想させるような経歴の持ち主だ。

昨年あたりから妻が図書館で本を借りてきたが、その頃は興味がなく、手にとることはなかった。しかしアニメーションがあまりにも面白いので、原作も読みたいと思っていたところ、新潮文庫から今年になって『守り人』シリーズの1,2が発刊されて容易に入手できるようになっており、最近読み始めた。

第1巻『聖霊の守り人』、第2巻『闇の守り人』を一挙に読んでしまった。

日本でのファンタジーの嚆矢ともいうべき『誰も知らない小さな国』を始め、ファンタジー小説は、児童文学分野で出版されることが多く、最初は子どもが手にとって楽しむのだが、次第にその読者層を大人にも広げていくという形をとることが多いようだ。上橋菜穂子の場合も同じで、児童文学に分類され、最初はちょうどその年代の子どもがいるような大人しかそれに触れることはないが、次第にクチコミなどで評判が広まり、人気が出てくるようだ。

彼女の作品は最近図書館での予約待ちではなかなか読めないほどになっており、妻が『獣の奏者』という新作ハードカバー(講談社)を2巻購入してきたので、読んでみたが、これも守り人シリーズ同様、アジア、特にチベットなどを想像させるような地域を舞台にしており、非常に読み応えのあるものだった。

子ども向きファンタジーなどと言っている人にも是非勧めたいものだ。

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2007年8月30日 (木)

季刊誌『考える人』続・クラシック音楽と本さえあれば

先のETV特集「吉田秀和」でのインタビューの全文が載っているということで話題になった雑誌『考える人』だが、最寄の書店で見かけたので手にとって見たら、アンナー・ビルスマが表紙になっており、インタビュー以外の内容も興味深かったので購入した。

まだパラパラとめくったり、ビルスマの旧盤の方の独奏チェロ組曲を聴いてみたりしているところ(solo を「無伴奏」と訳すのが日本の音楽用語では通例だが、伴奏があることが当たり前という意識が先にあるこの言葉は、歴史的でいかにもクラシック的なのだが普通に「独奏」とした方がいいのではなかろうか?)だが、少し気になった点があった。

特集 その3 音楽を読む愉しみ で、中野雄氏が【自伝・評伝の名作は?】という項を担当しているのだが、疑問符が浮かんだのが、フィクションであることが現在広く認められている『アンナ・マグダレーナ・バッハ著「バッハの思い出」』をアンナ・マグダレーナによる真作のように紹介していた部分だ。紹介されている講談社学術文庫自体を持っているが、その本の訳者の方自身が、これがフィクションであったことを知らずに訳出したらしいので、そのような誤解が生じることも仕方がないのだが、この特集「続・クラシック音楽と本さえあれば」全体としてはまあまあなので、ちょっと残念な瑕瑾だった。(中野氏の場合、あるいは確信犯なのかも知れないが、新潮社の編集者とは議論にならなかったのだろうか!?)

参考:bcc144 あんな本はいらない ---ペツォルト:2つのメヌエット

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2007年8月29日 (水)

8月28日夜の皆既月食

昨夜8月28日は、全国各地で皆既月食が観望できるはずだったが、関東南部はあいにくの曇り空で、我が家では皆既月食を見ることはできなかったが、ちょうど9時のニュースで北海道や九州での皆既月食の模様を映しているときに、外に出てみると、雲の切れ間から月が覗いており、向かって右半球が食で欠けているのが確認できた。皆既月食が終わり、次第に満月になる途中の状態だったようだ。その後10分ほどでまた月は雲に覆われてしまった。

皆既という言葉は、特殊な用語らしく、

■かいき【皆既】=かいきしょく(皆既食)となっており、 

かいきしょく【皆既食・皆既蝕】皆既日食または皆既月食のこと。皆既。 

という合成語でしか用いられないようだ。

<Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988>

英語では、

■かいき【皆既】 合成語  皆既月(日)食 a total eclipse of the 「moon (sun) 皆既食 (a) totality 

となっている。

<Progressive Japanese-English Dictionary, Second edition ゥ Shogakukan 1986,1993/プログレッシブ和英中辞典  第2版  ゥ小学館 1986,1993> 

ちょうど現在行われている大阪での世界陸上競技大会で、ロシアのイシンバエワという女子棒高跳びの選手が優勝を決める4m80cmを跳ぼうとしたときに、大阪の快晴の月が映されたが、まだ向かって右端の部分に影(食)が薄く見えたのは印象的だった。ちょうどその時間帯の世界陸上を見ていなかったのだが、長居の陸上競技場であれほど鮮明に見えたとすると、選手、役員はもとより観客もちょうど皆既月食のときには、一種不思議な世界の中にいたのではなかったかと想像する。

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2007年8月27日 (月)

南極の氷によりミランコビッチ仮説が実証

YAHOO ニュース

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070823-00000014-mai-soci

<氷期・間氷期>地球の公転・自転変化が原因 日米欧で実証 8月23日3時5分配信 毎日新聞  地球が約10万年間隔で氷期と間氷期を繰り返すのは、地球の公転軌道や自転軸の傾きの微妙な変化が原因との仮説を、東北大や国立極地研究所など日米欧の研究チームが南極の氷を使った過去の気候の解析で実証し、23日付の英科学誌ネイチャーに発表した。仮説は旧ユーゴスラビアの学者ミランコビッチが1920年ごろに提唱したが、過去の気候の精密なデータが得られず、1世紀近く論争が続いていた。論争に事実上の終止符を打ち、将来の地球温暖化予測にも役立ちそうだ。 (以下略)

以前から、氷河期と間氷期には関心があり、下記のような記事をエントリーしたことがあった。

ミニ氷河期(小氷河期)が到来するのだろうか? 2006/2/7記事

第四間氷期と温暖化ガスの削減 2005/2/25記事

今回の南極大陸での観測と解析により、ミランコビッチ仮説が実証されたという。その意味するものは、現在の第四間氷期がいつか終わりを告げ、氷河期が訪れることはほぼ確実だということになるだろう。

ただ、北半球の今年の夏の熱波、世界各地の旱魃、豪雨、巨大熱帯低気圧の発生、北極の極氷の大幅な減退という現象をみると、温暖化していることは紛れもない事実のようだ。これが温室効果ガス(CO2、メタンなど)によるものかどうかの因果関係は現在ではほぼ認められていることではあるが、氷河期への対策としては逆に温室効果ガスによる温暖化という選択肢が取られる可能性もあるのだろうと思う。

生物の生存条件は、非常に微妙なバランスの上に乗っているということを改めて思い知らされる。

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2007年8月26日 (日)

初めてのナイトズーラシア

よこはま動物園ズーラシアは自宅からクルマで10分程度の位置にあるので、これまでも何度も訪れこのブログでもいくつか記事にしているが、6年ほど前から始まった8月の土日に20時30分まで一般公開をするという「ナイトズーラシア」という催しのときにはこれまで訪れたことがなかった。開催されたばかりの数年は、非常に混雑するというご近所からの噂があったことと、8月の土日は様々な行事があり、なかなか適当な日がなかったのでナイトズーラシアには足を運ぶことはなかった。

土曜日の8/25はようやく家族のスケジュールも合い、駐車場が混雑して入れなかった場合にどうするかの相談もまとまったので暑さも相当和らいだ16時半頃出かけてみた。

さすがに8月も最終土曜日で、それに加えて土曜日が小中高生は無料ということもあり、17時頃の第1駐車場は満車(といっても数台の空きはあったようだった)で、第2駐車場に行くように指示された。そこからは園入り口までは無料シャトルバスが出ており、待ちもなくスムーズに移動できた。(シャトルバスで園入り口に着く頃は、第1駐車場に空きができて数台のクルマがそちらに誘導されていた。たった10分程度の差だったのだが。)

園内は、普段の日の数倍の入場者が詰め掛けている様子で、入り口最寄のインドゾウの観覧場所はちょうど飼育係りによるゾウの調教の披露が行われていたこともあり押すな押すなの混雑となっていた。その後、その混雑はほぼ全体に渡って続いていた。子どもたちは、何度も訪れているZOOが、いつもと違って自由きままに動物の姿を見られないのに初めは戸惑って、少々ご機嫌斜めだった。(ただ、この調教は3月に訪れたときのものと同じだったが、ゾウたちには生のスイカが丸ごとプレゼントされ、それを鼻を使って器用に食べるのを見るのは面白かった。)

P8250007_2 それでも、晩夏の夕暮れともなれば日中の暑さが嘘のように涼しくなり、動物たちの動きも日中よりも活発になっており、暑い日にはのんびりと木陰で眠っているマレーバクが水浴びの様子を見せるなど、これまで20回近く足を運んで初めてという動物の行動を見ることができて、面白かった。(左の写真は、ほとんど全身が隠れるほどのプールにバクが入って行くところ。)


P8250015_2 (これは、スマトラトラが水辺を歩きまわる様子。)スマトラトラはさすがに夜行性の肉食獣だけのことはあり、次第に動きが活発になってきて、広い展示エリアを大きく回り始めた。と思ったら、草陰の涼しい場所にごろりと横になった。次第に夕闇が濃くなると、夜空にはぼんやりとした12夜ほどの月が掛かり、それを横切るように野生のコウモリが飛び交うのも夏らしく、面白いものだった。

ウンピョウは普段はケージ内に渡された太い枝の上に腹ばいになって数頭が睡眠しているのが見られるのだが、暑さに参ったのか1,2頭が地面で休息しているようだったがよく見えなかった。

インドライオンは、夕暮れというのに活発ではなく、のんびり休息していた。ゴールデンターキンは観覧ができないように通行止めとなっていたが、恐らく昼行性の草食動物を怖がらせないためではなかろうか?レッサーパンダは、暑さにも参らず動き回っていて大人気だった。鳥類は、鳥目なので観覧できないように葦簾が掛けられていた。シベリア(アムール)トラは、活発に動いていた。ナイトズーラシアではカメラのフラッシュ、懐中電灯は使用禁止なのだが、おかまいなしにフラッシュ撮影する人が多く、シベリアトラはその光に対して怒ってうなり声を上げていた。まったくマナーの悪い(というか、自動フラッシュ撮影を切ることができない)人が多いようだ(ルーヴル美術館などでもフラッシュ撮影は禁止だが普通のカメラ撮影は自由となっているけれど、あのモナリザでさえフラッシュを浴びていたのを思い出す)。

オオワシは通行止め。しかし、ウミネコ、セグロカモメはまだ飛んだり水に入ったりしていた。フンボルトペンギン、ホッキョクグマ、ミナミアフリカオットセイはまあまあ動いていた。シロフクロウは夜行性なので見られるかと子どもたちも期待していたが、葦簾で覆われていた。カンガルーはちょうどえさの時間で夕暮れの中でも跳ね回っていた。キンシコウは結構活発で、チベットモンキーはじっとしており、ドールはぐったりしていた。そこに続く、アジア、日本の動物たちのエリア(モウコノロバ、コウノトリ、ナベヅルやハクビシン、タヌキ、アナグマ、キツネ、ツキノワグマ、ニホンザル)は全面的に通行止めだったのも残念だった。鳥類と獣類が一緒なのと、照明が十分ではないためではなかろうか?このため、アマゾンセンターまでの近道を初めて通ってみることになった。

P8250029 アマゾン地区にあり「ターザンの家」と我が家で呼んでいる樹上のツリーハウスは、雰囲気を盛り上げるためか、電灯で明るくなっていた。ここでは、オセロットとコモン・ウーリーモンキー、ヤブイヌが活発に動いており、オオアリクイは休み、メガネグマは姿を見せなかった。


最後のアフリカゾーンでは、タテガミヤマアラシは活発に動いており、オカピとアカカワイノシシの4月に生まれた子どもが大人気で、押し合いへし合いの混雑だった。またボールニシキヘビはいつもボールのように動かずにいるのだが、一匹は活発に動いており、頭部をブラブラさせていた。

P8250039 帰路には広場にイルミネーションが飾られていたり、ホールではトロンボーンと電子ピアノのコンサートが行われていたりで、いつもとは違う様々な趣向が楽しめた。ハトバスも駐車場に駐まっていた。ツアー名は八景島とナイトズーラシアというものだった。

我が家としてはようやく数年越しの課題をクリアできたという感じで妻も子ども達も満足したようだ。

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2007年8月24日 (金)

ザンデルリング フィルハーモニア管のベートーヴェン 交響曲全集

Sanderling_beethoven_complete_t Sanderling_beethoven_complete_b

ベートーヴェン 交響曲全集
 クルト・ザンデルリング指揮 フィルハーモニア管弦楽団
  シーラ・アームストロング(S), リンダ・フィニー(A), ロバート・ティアー(T),
  ジョン・トムリンソン(B), フィルハーモニア合唱団(合唱指導:ハインツ・メンデ)
   No.1 9:51/8:54/3:43/6:02
    No.2 14:17/13:31/3:58/6:51
    No.3 18:32/17:27/6:29/13:21
    No.4 12:36/10:40/6:04/7:34
    No.5 8:04/10:38/6:05/10:23
    No.6 11:12/13:20/5:57/3:53/10:37
    No.7 14:09/10:03/9:41/7:15
    No.8 10:04/4:28/5:51/8:31
    No.9 17:21/10:32/17:18/26:12 

〔1980年?,1981年 ロンドン アビーロード 第1スタジオ〕

DISKY HR704632 (5枚組み)

オランダのバジェットのもう一つの雄Disky によるボックス5枚組み。

まず驚いたのは、CD1の交響曲第1番の第4楽章が欠落していると思って探してみたら、CD5の第1トラックに収録されており、その後に第9番全曲が収録されているという非常に不思議な編集になっている部分。収録時間の関係もあるのだろうが、少々第1交響曲にとっては残酷な扱いで驚いた。また、マルピーマーク(P)が、それぞれのCDについているが、すべて同じ指揮者とオーケストラによる全曲録音なのに、第1から第6は 1981 Bat Ltd. 、第7と第8は1981 Meregate Ltd. で、第9のみ 1981 EMI Records Ltd. となっていること。そして、Bat と EMI の表記のあるものは、Recorded January & February 1981, No.1 Studio, Abbey Road, London とあり、Meregate の表記のものは、Recorded in England としか記されていないこと。しかしこの全曲盤のCompilation が 1998 Disky Communications Europe B.V.によるものであること。(なお、長いこと謎だった○Pのマークだが、日本では通常マルピーマークと呼ぶようで、「○P 初回発売年号、原盤所有者名」で表記されるもののようだ。参考サイト1参考サイト2

現品にはDDDのマークなどはどこにもプリントされてはいなかったが、HMVの紹介によれば、 1980年と1981年にディジタル録音されたものだということだ。また別情報では、元々はEMIからLPで発売されたもののようだ。なお、ネット情報によるとこの古いバージョンでは、第4交響曲がエラーでブランクになっているという話しもあったが収録されていて一安心だ。

1980年、1981年というとフィルハーモニア管弦楽団は、ムーティの音楽監督の最後期にあたるらしい。Wikipediaの英語版 Kurt Sanderling によると、ちょうどその時期にベートーヴェンの交響曲全曲演奏会を振ったらしく、それによりこの全曲録音が生まれたようだ。また、その後、彼は名誉指揮者に選ばれている。クレンペラー時代から関係があったようだが、ムーティの辞任後、2年ほどしてシノーポリが音楽監督に就任しているので、ザンデルリングはその間のリリーフ的な役割を果たしたのかも知れない。(なお、sanderling で検索したところ、トップにきたのは、ミユビシギ(学名Crocethia alba)という鳥類の名前だったのは新発見だった。)

早速、第3『英雄』と第9を聴いてみたが、深くゆったりとしたテンポ、重心の低い安定した音響で、途中で止めることができなく、結局2曲の大曲を一挙に聴いてしまった。

◇第3番『英雄」では、現在、明快さと鋭さに加えて、ベルリンフィルの一糸乱れぬアンサンブルが魅力のクリュイタンスの録音をよく聞き返し、自分にとってこれまでにない『英雄』の魅力を味わっているのだが、それとはまた別の魅力のある演奏で、しっかりとした手応えがあるものだ。

◇『第九』は、第1楽章から終楽章まで一貫性があり、終楽章のバリトンに多少癖を感じはするが、オーケストラ、合唱、ソリストとも熱気がありながら、細部までゆるがせにしない重厚な演奏を堪能できるもので、録音も透明感はないが各パートの細かい音まで聞き取れるものになっている。細部まで明瞭で伴奏パートと言えども背景にマスクされることなく、フレーズが明確だというこの立体感がある演奏は、ブラームスの第1番でも感じたザンデルリングの特徴ではないかと思うが、ここでもその特徴を十分味わうことができる。

◇現在、第2を聴いているところだが、全曲の中でも比較的影の薄いこの曲も楽しんで聴くことができる。あいまいさがない明快な演奏なのだが、非常に豊かな音楽になっているのだ。といっても音響的に残響が豊富というわけではない。やはりザンデルリングのテンポや音楽の作り方が、そのような印象をもたらすのだろうと思う。

この全集については、これまでほとんど知らず、たまたまブックオフで廉価で購入できたので、今までの評判はどうだったのかとネットで検索してみても、記事はあまり見かけなかった。ブラームスの交響曲全集では、旧盤のSKD(ドレスデン・シュターツカペレ)盤も、ベルリン響盤も、どちらも高い評価を得ているのとは対照的で、少々不思議な感じがするほど、充実した演奏、録音だと思う。

このところ、クリュイタンスブロムシュテットに次いで、ザンデルリングと、ベト全を結構続けて入手して聞いているわけだが、どれも比較的地味な存在ながらどの録音を聞いても興味深く面白いのが、自分ながら驚いている。

P.S. 小澤征爾も若い頃、1974年にニュー・フィルハーモニア管弦楽団を名乗っていたこの団体と第9を録音している(フィリップスレーベル)。また、内田光子は、ザンデルリングの指揮を高く評価し、引退前のザンデルリングに依頼して、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を録音しており、そのディスクは結構評価が高い。

◆追記:8/24(金)

◇第6番『田園』 mozart1889さんへの返事にも書いたが、ゆったりとしたテンポが特徴。嵐の迫力と、感謝の歌の盛り上がりは感動的。

◇第8番 一般的な小型交響曲ではなく、もっと雄渾な大交響曲として演奏されている。スケールが大きい。第2楽章はかわいらしく、メヌエットはゆったりとしており、第4楽章は、一転軽快でありながら緻密な演奏。

◇第5番 第1楽章の冒頭のモットーを二つで一組としてフレージングしている。要する一回目のフェルマータで切らずに続けて演奏しているように聞こえる。響きは、ほの暗いが底光りするような輝きもある。セル盤にあったコーダでのホルンによる音価拡大版の強調はなし。第2楽章は、落ち着いた丁寧な音楽。第3楽章のモットーを奏でるホルンの強奏は印象的。これも先へ先へと急かさない。トリオの「象のダンス」は、低弦を充分響かせ力強く明快。ピツィカートのスケルツォ主部の再現はひそやかさが際立つ。第4楽章の勝利の凱歌は、痙攣的な爆発ではいが、力感に満ちている。やはり落ち着いたテンポ。展開部では一歩一歩の歩みの確実さとクレッシェンドの効果がよく効いている。再現部の冒頭の立派さは何とも言えず素晴らしい。第2主題への経過部のピッコロのモチーフはよく聞き取れる。

◆追記:8/26(日)

◇第7番 昨日土曜日に第7番全曲を聞いた。軽快なテンポと弾むようなリズムという最近の演奏とは違い、非常に重々しい演奏だ。しかしこれが実に面白い。第1楽章の序奏からして物々しいほど遅いのだが、その中にモチーフの受け渡しの明確さという点がよく耳に入ってくる。主部もフルートの華やかさはないのだが、ホルン群が強力だ。第3楽章は遅くはない。第4楽章は切れ味鋭いというのではないが、グイグイ押してくる迫力と、やはり重要なモチーフの受け渡しの明確さと副次的なフレーズの処理など立体感があり、ザンデルリングらしいと感じた。ただ、残念なのは、コーダの低弦のオスティナートがそれほど明瞭ではないことくらいか。重厚なベト7だった。

◆追記:8/28(火)

◇第4番 日曜日には、第4番を聞いた。この曲の刷り込みは、LPのセル/クリーヴランド管のスリムで、その鋭利な感じの演奏により比較的大人しい表情の曲だというイメージのままで来たが、その後ようやくC.クライバー/バイエルン国立(州立)管のCDでこの曲の魅力に開眼したクチで、現在ではその熱狂的な4番がレファレンスになっている。ただ、そうは言っても、最近聞いたクリュイタンス、ブロムシュテットもそれぞれ面白かったが、このザンデルリングの4番は、雄渾、つまり雄大で勢いのよい筆勢の演奏だった。第1楽章の序奏部の重厚な響きからそれが感知できるほどだ。カルロス的な熱狂とは違うが、「ギリシアの乙女」という評語はもう過去のものなのだと思うし、逆に「ギリシアの乙女」的な均整の取れた初々しくたおやかな演奏のこの曲を聴いたことがないのだが・・・ 

なお、吉田秀和氏がザンデルリングについてどのような評価をしているか、『音楽-展望と批評-』(朝日文庫)の巻末の人名索引で、ザンデルリングを探してみたところ、第1巻にドレスデン・シュターツ・カペレとの1973年10月の来日についてのコメントがあり、オーケストラについては大絶賛(「すばらしいオケで、音色こそ地味ではあるが、柔らかくて無理のない、本当に音楽的な協和を感じさす。」)だったが、ザンデルリングについては酷評(「カザルスのような高さの欠けた、硬直した---つまり外面的なダイナミックの追求に躍起となっているところがあり、私は閉口した。」)だった。ただ、その後、1979年末の「この年のレコードから」では、ショスタコーヴィチの交響曲第15番についてザンデルリング指揮ベルリン交響楽団の演奏のものを取り上げていた(第3巻)。比較的最近のあのバルシャイのショスタコーヴィチ交響曲全集を取り上げた『音楽展望』でも、ザンデルリングの録音も併せて取り上げていたので、ショスタコーヴィチ指揮者としては相当評価されているようだ。

◇第1番 第1楽章序奏から主部に移行する下降音型がゆっくりなのがユニーク(と思っていたが、ブロムシュテット/SKDも同じだった。IMSLPでスコアを確認<pdfファイル>してみたら、序奏部最後のソファミレは主部のテンポではなく、序奏部のテンポで奏されるのが正しいようだった)。細かく対旋律の音量を調整し、聞こえにくいフレーズを聞こえるようにして、楽器間のモチーフの受け渡しがここでも精緻に行っているのがよく聞き取れる。ゆったりしたテンポでこのように精密だと動きがないように想像されようが、前進するエネルギーを失うことがないようだ。第2楽章Andante cantabile con moto のソナチネアルバムにも入っている素朴な対位法的な主題で始まるこの曲も、滋味溢れる音楽となっている。展開部の対位法的な各声部の入りが明確、丁寧で、細かい部分もゆるがせにしないこの指揮者の姿勢が垣間見られる。第3楽章のメヌエット(Allegro molto e vivace)、というよりも実質的にはスケルツォも、軽快ではないが力強さを感じさせる。(ここで、CD1をストップさせないと、次のトラックはエロイカの第1楽章になってしまう。CD5に交換!) 第4楽章は、短いAdagioの序奏がついた軽快なロンド風な主題によるソナタ形式の楽章。重い重いとは書いてきたが、この楽章などは楽想に応じて快活なロンド的終楽章の性格を損なってはいない。

これで一応全曲を聴いたことになるが、本当に楽しめた。

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2007年8月22日 (水)

『レコード芸術』2007年9月号購入

前回、レコード芸術を購入したのは、カルロス・クライバー追悼特集号2004年9月号だったから、すでにまる3年になる。今回、書店で立ち読みしていたところ、先日自分でも記事にしたフルトヴェングラーの「バイロイトの第9」再発見!!という特集が詳しくて面白そうなのと、グレン・グールド生誕75年&没後25年 という特集にも目を引かれ、購入した。値段は税込みで1250円。ずい分高くなったように感じたが、2004年9月号も同じ値段だったので、その頃とはあまり状況が変わっていない(広告量が少ない)ためだろうかとの危惧を感じた。今回は、吉田秀和氏のエッセイは休載だったようだ(編集後記などには案内もないのはどうしてだろうか?)。

特集1は、「究極のオーケストラ超名曲 徹底解剖4」というもので、ultimate, super, thoroughgoingなる形容詞の三連発。なんと大げさな題名かとびっくりしてしまったが、内容は、一曲一曲のオーケストラ曲を一人の評論家が様々な録音を挙げながらその曲を語るというもの。それほど面白くはなかった。

グールドの特集は、青柳いずみこ女史のグールドの演奏スタイルの微細な分析が非常に面白いものだった。調律師の回想もそれなりに面白かったが、レコード芸術としてのディスクの記事はどこかで読んだようなものの焼き直し的な内容で特集というにはちょっと物足りないものではなかろうか?

新発見のバイロイトの第九については、中村正行氏(フルトヴェングラー・センター会長)と桧山浩介氏のものは、バイエルン放送局盤を本番のライヴ録音とみなし、EMI盤をゲネラルプローベを元につぎはぎしたものという解釈で一致していたようだったが、特別寄稿の金子建志氏の解釈は、「バイエルン放送局盤」がゲネプロ盤で、EMI盤が本番ライヴ録音を元に編集したものではないかという一人だけ独特の解釈をしていたのが面白かった。EMI盤では、最終楽章の終結部の「崩壊」した「事故」が演奏の特徴として初めから有名だが、それをあえて差し替えずにそのまま残したのは、本番の記録だったからこそで、仮に本番ではアンサンブルや音程の乱れなくできたものをあのような形の「崩壊」をレコードとして発売すれば関係者からすぐに指摘されたのではないかという推測や、EMI盤の方が金管楽器とコーラスのバランスが改善されている点などの指摘は、なかなか穿った解釈だと思われた。

レコードプロデューサーの視点という連載では、カメラータの井阪紘氏が当時のレッグとフルトヴェングラー、カラヤンの緊張に満ちた三角関係の裏話を興味深く書いており面白かったが、EMI盤がレッグの『化粧』によるもので、バイエルン放送局盤が本番のライヴ収録という解釈だった。

これまでは、朝日新聞の記事の印象や他のネット情報の影響もあり、当然新発見のバイエルン放送局盤が本番のオリジナルライヴ録音だと思い込んでいたが、金子氏のような解釈もまた充分あり得ることが分かったのは収穫だった。

参考記事:

2007年7月30日 (月) フルトヴェングラー/バイロイト祝祭管の第九(東芝EMI盤)

2007年7月28日 (土) フルトヴェングラー バイロイトの第九のオリジナルテイク? 7/26朝日夕刊

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2007年8月21日 (火)

海音寺潮五郎『天と地と』を再読

20年ほど前に一度読んだことがあったが、最近の『風林火山』ブームもあり、再読してみた。この名作も、時代の波に洗われて、2004年に復刊になるまでは長いこと絶版だったようだ。海音寺潮五郎の作品は、たまたま父の蔵書の『武将列伝』が面白く、何回も読み直したり、最近では『日本名城伝』や『乱世の英雄』『悪人列伝』なども少しずつ読んでいる。

さて、記憶力とはあいまいなもので、『天と地と』を以前読んだときには、それほどじっくり読まなかったのか、上杉謙信(長尾景虎⇒輝虎)の幼少時代から関東管領就任までに相当多くの紙数が費やされていることに改めて驚いた。

また、クライマックスは、井上靖『風林火山』と同じく、川中島の戦いでの輝虎と信玄の一騎打ちではあるが、井上靖の作品が、山本勘助を主人公の一人としているのに対して、この『天と地と』は、山本勘助は実在したが山県昌景配下の身分の低い兵士説に基づいていた(下巻p.430)。

小学校2年生か3年生のときにちょうど大河ドラマ『天と地と』が取り上げられたのだったが、当時は放送局自体でヴィデオテープが貴重なものだったため、『ひょっこりひょうたん島』などと同じく、いまではその映像もNHKの資料として短時間残されているだけで、ほとんどが消滅してしまったらしい。自分としてもほとんど映像の記憶はないが、その後雑誌か何かで見た謙信と信玄の一騎打ちの場面が微かに思い出される。若き石坂浩二と渋さが魅力の高橋幸治の表情などは今でも目に浮かぶのだが。

謙信については、女性説のような奇説も唱えられるほどで、一風変わった性格の持ち主でもあったらしい。ついに生涯独身を通し、また子を残さず、北条家からの養子景虎と、姉の息子(実の甥)でやはり養子の景勝のどちらを後継者とするかを決めずに突然死(卒中と言われている)してしまい、その後の上杉家の飛躍を妨げたような部分もあり、最後の関東管領職として室町幕府並びに皇室への忠誠心を持つ権威主義者、保守主義者でもあったようだ。『天と地と』では、相思相愛ながらもついに結ばれることのなかった重臣宇佐美定行の娘との悲恋がこの小説の一本の筋糸のようになっているが、当時の武将として、なぜ子孫を残そうとしなかったのか。非常に不思議ではある。

また、激戦だった永禄4年(1561年)の第四次川中島の戦い(八幡原の戦い)での、海津城(松代城)を眼下にみおろすような敵の懐とも言うべき妻女山(この辺りは、以前長野に住んでいた頃、何度か訪れたことがあるし、現在上信越道が妻女山をトンネルで貫ぬいている)に陣を構えたというのも、戦術的には相当無謀ではなかったかと思われる。直線距離でたった2kmほどしかない。信玄が初めに陣を張った茶臼山は、現在長野市の動物園や恐竜公園になっているが、茶臼山と妻女山とも直線距離で約7kmしかない。謙信が第2陣を置いた善光寺は、海津城と茶臼山の線で連絡が途絶えるところにあるわけで、いったいどのような勝算があったのか、天才謙信の戦略は計り知れないものがある。乾坤一擲ともいうべき大勝負に出たというのがやはり真相なのだろうか?

我が家では、当時、父と弟は謙信びいきで、私は信玄びいきだった。自分の故郷を信玄に荒らされたという史実を知りながらもいまでもそういう傾向はあるのは我ながら不思議だ。

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2007年8月19日 (日)

ハイフェッツとライナー/CSO ブラームス ヴァイオリン協奏曲

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ブラームス(1833-1897)
 ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77

ハイフェッツ(Vn), ライナー/シカゴ響 〔1955,ステレオ〕
 18:44(カデンツァ:ハイフェッツ)/8:14/7:24

併録: ブラームス 交響曲第2番 ニ長調 作品73 トスカニーニ/NBC響(モノ) 14:33/8:27/5:24/8:56



関東も昨日は、最高気温が30度Cを下回り一息つけたが、今日はまた残暑が厳しかった。

いわゆる正規盤ではなく、日本での著作権切れによるパブリック・ドメイン的な「バッタもん」音盤で、あまりこの種の録音は求めないようにしているのだが、中古店で併録のトスカニーニのブラームスにも興味があったので、購入した。

ブラームスが避暑地ペルチャッハで作曲したこの二曲だが、同じ調性を取り、作品番号的にも近く、以前からその似た雰囲気を感じていたが、この非正規盤の組み合わせはそういう意味でなかなかナイスなものだと言えよう。

協奏曲も今から50年以上前のステレオ録音最初期の録音であり、非正規盤ではあるが、きちんと聴ける音質になっている。このハイフェッツとライナーのブラームスは、想像の通り硬派かと思うと、テンポこそは速いものの、ハイフェッツの滑らかで余裕のあるヴァイオリンの音に驚かされる。研ぎ澄まされた細く切れ味の良い音で、滑らかなレガートを聴くと、背筋がぞくっとするほどで、一般的には暑苦しいとされるブラームスの音楽らしからぬ涼やかな音楽を作っている。

現在、手持ちのCDでは下記のものがあるが、第1楽章ではカデンツァが違うので、単純な比較はできないが、各楽章とも非常にハイスピードの演奏になっているのが、いかにもハイフエッツと弾丸ライナーらしいところだ。ただ、テンポ設定は、下記のオイストラフの二枚を比べても分かるようにこのような協奏曲の場合には、ソリストに主導権があるのだと思うので、このハイテンポは、ハイフェッツのものなのだろうと思う。ハイフェッツのカデンツァは、一般的なヨアヒムのもの(これも充分技巧的だが)よりもさすがにヴィルトゥオーゾ ハイフェッツのものだけあり、フラジオレット的に高音部が盛んに用いられ、重音やめまぐるしいパッセージなどなかなか聴き応えがあるものだ。

第2楽章も取り立てて速さを感じさせるものではなく、シカゴ響のオーボエもホルンも表情的でありながらやはり涼やかな演奏になっていて避暑にふさわしい感じだ。中間部の短調の詠嘆の音楽は、夏の湖畔をさっとよぎる夕立ちのよう。

第3楽章は、さすがに避暑の音楽とは行かず、非常に熱気のある重音から始まるが、ハイフェッツ、ライナーともども切れのよい音楽を聞かせる。ハイフェッツの冴えた音とテクニックはまったく間然とするところのないラプソディックな歓喜の爆発を表現する。(ただ、このあたりは、冷静な熱狂というような矛盾した形容を思わせるところもある。)音質的には、トゥッティが多いのこの楽章は少々オケに混濁が聞かれる部分がステレオ最初期の録音でかつ非正規盤の限界かと思わせるが、ハイフェッツの音の冴えは曇ることがない。

D.オイストラフ(Vn),クレンペラー/フランス国立放送管〔1960〕
    22:32(カデンツァ:ヨアヒム)/9:46/8:25
◆D.オイストラフ(Vn),セル/クリーヴランド管〔1969〕
       22:29(カデンツァ:ヨアヒム)/9:35/8:28
◆ミルシテイン(Vn),ヨッフム/VPO〔1974〕
      20:52(カデンツァ:ミルシテイン)/8:54/8:00
ムター(Vn),カラヤン/BPO〔1981〕
      21:56(カデンツァ:ヨアヒム)/9:40/8:28  (2003年7月7日の記事)

トスカニーニのブラームスも興味深いが、それはまた別の記事で。

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2007年8月18日 (土)

リヒテルの『平均律』

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.S.バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第1巻、第2巻全曲

スヴャトスラフ・リヒテル(p:ベーゼンドルファー)

〔1972年8月,9月。1973年月。ザルツブルク、シュロス・クレスハイム(Schloß Klessheim, クレスハイム城またはクレスハイム宮)〕

グールドの『平均律』全曲の4枚組みのCDは、20年ほど前に購入したものだが、それ以来ずっと心の友だった。グールドによるこの多彩な鍵盤楽曲集を耳にすると、バッハの音楽の明晰性とグールドの挑発的な演奏により眠気が飛んでしまうので、カセットテープ4本に全48曲をダビングして、ドライブのときにはよく聴いたものだった。ただ、今聴いている曲が何番の何調ということを意識せずにもっぱら聞いてきたので、今でも第1巻の第1番と2番以外は、音楽と番号が結びつくことはないのだが、おそらくほとんどの曲をそれこそ何十回も聞いたのでは耳なじみになっている。ただ、それとは別の演奏、このリヒテルやグルダのものも手元においてじっくり聞いてみたくなり、探したところ、リヒテルのこの名盤が比較的廉価で入手できるので、購入した。

何十回となく耳に馴染んだグールドの音楽の記憶が「刷り込み」としてあるので、このCDでリヒテルの『平均律』を初めて聴くときは、さすがに緊張した。その演奏、録音の差異は相当よく分かった。これは素晴らしい演奏で、非常に楽しめた。

よく言われることだが、リヒテルの録音場所は、ザルツブルクのクレスハイム城内で行われたため、非常に残響が多く、音楽が滑らかでレガート気味に聞こえることが多い。ただ、ピアノは、ベーゼンドルファーであるというが、残響のためその特徴的な響きはそれほど実感できない。

グールドは、ノンレガートでの高速な楽章のめくるめくような明晰な運動性が特徴だが、リヒテルの方は、テンポの遅い曲の深沈とした響きの音楽にその真骨頂が発揮されているように思われる。HMVかAMAZONのコメントで、リヒテル自身が G.G.(グレン・グールド)の演奏を評価していたようなので、このような残響は、残響のない直接音主体のグールドのノン・レガートのアンチテーゼだということも考えられる。

音響上の特徴により、聴き始めこそ違和感を受けるが、しばらくするうちにそのようなことはまったく気にならなくなってしまう。

確か、先日の吉田秀和氏の特集番組で、奥様を亡くされて、音楽を何も聴きたくなくなったときに唯一耳に入ってきた曲ということで、バッハの平均律のことを話されていたが、そのときBGMで流されたのが、このリヒテルではなかったろうか?

クラシック音楽と癒しということがよく話題にされるが、深い悲しみの心の底にも届くような音楽こそがその人にとっての真の音楽なのかも知れないなどと思った。

以下は備忘録として。

このほかピアノ演奏では、グルダやシフ、、アファナシェフ、ソ連のバッハ弾きニコライエーワのものもあるし、最近はアシュケナージも録音したようだ。また、バレンボイムは最近の来日で全曲演奏をしていった。デムスは、ピアノだけでなく、フォルテピアノ、ハープシコード、オルガン、クラヴィコードでも弾いている。ジャズのキース・ジャレットの演奏もある。最近話題のアンジェラ・ヒューイットも。ホルショフスキーも。フィッシャー。ギーゼキングも。このほか、ケンプも弾いているはずではないか?ロシアのフェインベルクという人のものを高く評価する人もいるようだ。

もちろんハープシコードでは、ヴァルヒャ、レオンハルト、カークパトリック、ランドフスカも、ギルバート、コープマン、アクセンフェルトも、スコット・ロスも。

HMVの「平均律」のカタログでも見られるが、とにかく膨大な数の鍵盤楽器奏者が弾いている。

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2007年8月16日 (木)

8/12『風林火山』紀行 市川文書(市河文書)と栄村常慶院

夏休みに、実家で『風林火山』の放送を父母も一緒に見た。

本編は、山本勘助が、長尾景虎(上杉謙信)を鉄砲商人に化けて探索に行ったところ疑われて捉えられ宇佐美駿河守に預けられるという、少々脚本家の想像力が行き過ぎた内容で、父などはあまりに作り物、嘘話が多すぎると脚本家を批判していたが、確かに最近の『風林火山』は、勘助が主人公とは言え、行きすぎが目立つようだ。北条氏と関東管領上杉氏の河越夜戦に勘助が参加したり、今回のように細作(スパイ)として根来、堺、駿河と越後を往来したりするのはやりすぎだろう。井上靖の原作は、晴信と由布姫と勘助の三角関係的な感情に焦点をあてていた人間ドラマだったが、それだけでは一年間の大河ドラマは持たないのだろうから仕方がないといえば仕方がないが。

番組の最後に流される『風林火山』紀行は、それに比べて毎回淡々としており、楽しみにしているものだが、今回は『甲陽軍鑑』での山本勘助の活躍への批判として明治時代に唱えられた不在説を覆す唯一の史料である『市川文書』について紹介し、その市川(市河)氏が戦国時代に領有していた領地長野県下水内郡栄村の館跡とその菩提寺常慶院を紹介していたが、これを見て父母が驚いた。というのは、飯山線の横倉駅(栄村)が国鉄時代の父の勤務地であったことがあり、家族で一年以上暮らした土地だったからだ。父の話しによると、箕作(みつくり)というかつて私が一年生のほんの数日だけ通ったことのある堺小学校のあった地域にその常慶院があり、当時の栄村の村長も市川さんといい、市川氏の子孫だったという。また、市川氏が中世以来の豪族だったということは、当時地元の人たちにも聞いたという。私自身も、自分が暮らしたこともあり、自分が結婚した後も、懐かしくなって妻子を連れて村内を巡ったことのある地なので、非常に感慨深かった。

さて、『市川文書(市河文書)』が伝えられたその市川氏は、信越国境の微妙な位置にありながら一時武田信玄の傘下におり、その際に信玄の花押入りの書状が山本「菅助」により市川藤若(市河藤若)という人物にもたらされたのだという。武田氏滅亡後、市川氏は上杉景勝の傘下に入り、景勝の会津、米沢の移封に従って江戸時代を生き抜き、明治の世を迎え屯田兵として北海道に渡ったらしい。その子孫の方が大河ドラマ『天と地と』の放映を見て、信玄の花押入りの文書が映されたのをみて、家に伝わった古文書を確認したところ、自分の祖先が信玄から貰ったらしい書状を見つけ、鑑定してもらったところどうやら真筆らしいということになったのが、発見の経緯だという。その中に山本「菅助」なる人物の名前がはっきり書かれていたことで、歴史家や愛好者の間で話題を呼んで今日に至っている。(よくもそれほど古い古文書を信濃から会津、米沢を経て北海道まで大切に持っていかれたものだと思う!)

現在伝令将校(豪族への使者)が信玄側近のしるしという解釈が一般的なようで、それによって山本「菅助」が信玄側近とされてはいるようだが、その他の同様の有力豪族への使者が持っていった事例の文書には、著名な武将の名前が書かれているものが現存しているのだろうか?そうなれば、それは山本「菅助」が信玄側近だったという有力な補強証拠になるだろうとは思うのだが、そのような文書の存在はあまり喧伝されていないように思う。そこが少々疑問点だと思っている。

p.s. これに関連してwikipedia の「栄村」の記事を少々追加編集した。全国の無数の城跡をホームページで紹介されている方のページにはしっかりと、栄村内の市川氏の城郭が二箇所も紹介されており、リンクできるようにした。日本でも有数の豪雪地帯ではあるが、その雪と千曲川の恵みで、古来より相当米作が盛んだったようで、その経済力と千曲川の水運が、恐らく市川氏の基盤だったのではないかと想像したりしている。

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2007年8月15日 (水)

夏休みに小学館のモーツァルト全集をつまみ聞き

1991年のモーツァルト没後200年のモーツァルトイヤーに刊行が開始された小学館のモーツァルト全集(CDはフィリップスが中心となったもの)を全巻(別巻も)購入したのだが、現在実家に置いてあるので、簡単には聞くことができず、ほとんどのCDは予約購入後集中的に聞いてそのままになっている。

今回の夏休みに、久しぶりにその中のいくつかを聞いてみた。別巻は、『モーツァルトの父子とその周辺』だが、その中の父、レオポルト・モーツァルトのカッサシオン(おもちゃの交響曲入り)とW.A.のホルン協奏曲第1番を長男のリクエストでまず聞き、そのほか、ピアノ三重奏曲(ボザールトリオ)、弦楽四重奏曲第1番、ハイドンセット第1番(イタリア四重奏団)、ピアノソナタ(内田光子)、「のだめ」でも有名になった二台のピアノのためのソナタ・ニ長調(ヘブラー、他)、後期のオペラ(コリン・デイヴィス)などをつまみ聞きしてきた。コリン・デイヴィスのモーツァルト・オペラはあまり評価が高くはないが、虚心に聞いてみると、キビキビしていて結構好感度が高かった。

iTunes, iPodでもようやくトラックの継ぎ目にブランクが入らないようになったというので、次回の休みにはパソコンを持参して、iTunesでHDDに取り込んで、こちらでも聞けるようにしてみたいと思う。

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2007年8月12日 (日)

松本城天守閣

松本城天守閣
炎天下に松本城天守閣を見学した。

天守閣六階を見学するのに一時間掛かるほどの混みようだったが常念の脇に槍の穂先も見え絶景だった。

追記:2007/08/15 この記事は、携帯電話から投稿したもの。携帯電話付録のカメラで撮影したものだが、一応最高画質で撮影してみたため、結構美しく撮影できており我ながらびっくりした。

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2007年8月 9日 (木)

シューベルト 交響曲全集 ブロムシュテット/SKD

Skd_schubert_t このシューベルトの交響曲全集も、先のモーツァルトのオペラボックスセットと一緒に求めたもので4枚組みの紙ケースボックスセット。ベートーヴェン全集と同じドイツ・シャルプラッテン原盤だが、こちらはブリリアントとは違う廉価盤メーカー(Edel  Classics)のもの。未完成もグレートも8番、9番という昔風の番号になっている。

さて、この4枚組みのCDによって、ブロムシュテットとシュターツカペレ・ドレスデンによるベートーヴェンの交響曲全集と同じく、現代オーケストラによる美しい音楽をたっぷりと享受できた。この美しさは、カラヤン的な磨きぬかれた人工美の極致とも、セルのような厳しい訓練によってもたらされた玲瓏とした厳しい美しさとも違う。隅々まで充実した柔らかい音響が主体だが、各楽器群の細部があいまいになることなく、特に全合奏(トゥッティ)の音の素晴らしさは、恐らく純正調の響きが基本になり、倍音成分が豊富に含まれていることによる美しさではなかろうか?(ちょうど、タリス・スコラーズのアカペラコーラスのハーモニーが溶け合ったときに倍音効果による響きの美しさと同じ種類かも知れない。)。

これは、1970年代、ブロムシュテットの音楽監督時代の録音であり、これだけ充実した音楽が聴けるというのは、巷間伝えられるのとは違い、西側録音陣と協力して録音する時には弱いパートの補強に他のオケからトラ(助っ人)を呼び、そうでないときにはSKDのオリジナルメンバーで録音したというようなものではないと思う。やはり、オーケストラ自体(とブロムシュテット)が凄いのだと思う。

ただ、その反面、シューベルトの初期の曲も立派過ぎる音楽になっているのが、ないものねだり的な不満といえばいえるだろうか?

シューベルトの『未完成』が苦手なのは、このブログでも何度も書いたけれど、もし刷り込みとしてこのような美しい『未完成』を鑑賞の初期に聴いていれば、苦手な曲にはならなかっただろうと思うほど。といっても、『未完成』は単に美しい音楽ではなく、シューベルトの苦悩が聞こえてくる。

現在は、ブロムシュテット/SKDの美しい音色と表現に魅了されているところだが、それが耽美的過ぎる金太郎飴的なものかどうかは慎重に聴かなければならないかも知れない。楽想や指示に応じて、輝く音、渋い音、明るい音、暗い音など様々な音色的なイディオムや奏法が使い分けられてもしかるべきだと思うからだ。ザンデルリングのブラームスは、同じシュターツカペレの演奏で、立体的で美しいものだが、美しすぎるということはなかった。

p.s. ほんのしばらくBLOG更新を中断します。

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2007年8月 8日 (水)

モーツァルト 生誕200年記念の名録音による4大オペラ全曲集 10CDボックスセット

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昨年のモーツァルトイヤーにはほとんどモーツァルトの新録音(ムターのVnソナタや協奏曲などがめぼしいところだったろうか?)は聞くことがなかったが、EMIの宗教曲集を除いてモーツァルトのディスクとして欲しいと思っていたのが、mozart1889さん吉田さんのblogで紹介されていた激安の10CDボックスで、この名曲・名演・コストパフォーマンスの三拍子のそろったボックスセット(HMVのサイト)がようやく入手できた。

昨年来ときおり横浜駅周辺のメガストアを探して歩いてみたのだが、さすがにこれだけの内容を店頭に置けば他のレギュラープライス盤が売れなくなるを心配したのだろうか(冗談)、一点も置いてなくて、やむを得ず、最近禁断のネット注文を敢行してしまったのだった。

早速LPでよく聴いたE.クライバーの「フィガロ」の記憶と今回のCDを比べてみると、このCDの方が響きが少々固いように感じた。しかし、その後の展開は父クライバーの流れるような音楽と、当時のヴィーン・シュターツ・オーパーの名歌手陣の「ノリ」がよく、一気加勢に聞かせてくれる。(別記事でも書いたが、ちょうど同じ時期1956年にフィリップスは、ベームとヴィーン交響楽団により、同じ「フィガロ」を録音しており、こちらはモノ録音だ。これもオケは違うが当時のシュターツ・オーパーの歌手陣によるものだと聞いたことがある。)

また、これまでずっと苦手だった「コシ」も、さすがにこの曲を最大のおはこ(十八番)としていたベームの指揮のものだけあり、オケも歌手のアンサンブルも非常に美しく、途中で聴くのを中断できなくなるほどだ。ベームのコシ(コジ)には何種類もあるようだが、このヴィーン・フィルのものも歌手とオーケストラの素晴らしいアンサンブルを聴くことができる。

モーツァルトを得意とし、戦後のシュターツ・オーパーが混乱期を乗り切るのに尽力したことでも知られるヨーゼフ・クリップスの『ドン・ジョヴァンニ』は、最近のハーディングのような威圧的でハイテンポなニ短調ではなく、むしろ柔らかい響きの序曲で始まるが、当時の国立歌劇場の高水準を如実に表す音楽が繰り広げられ、これも途中で中断するのがつらいほど。

フリッチャイの『魔笛』だけVPOではなく、またステレオではないが、彼が手塩にかけた手兵のRIASベルリンでもあり、またヘフリガーのタミーノやディースカウのパパゲーノ!が聴けるなど、歌手も高水準。モノーラル録音なのは序曲の最初で気になるだけで、聴き進めるうちにまったく問題なくなる。(なお、上記のデッカステレオ録音によるモーツァルトシリーズでは、ベームがやはりVPOと「魔笛」を録音しているが、残念ながら台詞カット版なのだという。これは今でもCDで入手できるようだ。)

1950年代後半の録音(1756年のモーツァルト生誕年から200年後のモーツァルトイヤー)だけあり、少々固さを感じるが歌手の声には艶と輝きがある。もちろんリブレットやパンフレットなどは付いてはいないが、良心的に10枚のCDに曲ごとにきちんと分けられており(別の曲が同じCDにカップリングされていない)、また出演者などのつづりにも誤りはないようだ。難をいえば、モーツァルトの肖像(このフランス語サイトに様々な肖像が紹介されているが一番上段の右端がそれ)があまり一般的ではないモーツァルトらしからぬものが使われているのがもったいないが、これで単品でも2,000円程度で購入できるとは信じられないほどの桁違いの廉価盤だ。

<<参考>>モーツァルトのオペラ関連

*『フィガロの結婚』ベーム指揮ヴィーン交響楽団(1956)の記事

*『ドン・ジョヴァンニ』のDVD(CD) マゼール指揮パリ・オペラ座の記事

*『魔笛』 スイトナー指揮シュターツカペレ・ドレスデンの記事

*『フィガロの結婚』ヴァルター指揮ヴィーン国立歌劇場(1937年ザルツブルクライヴ)
 (2003年9月6日付けの記事

P.S. E.クライバー/VPOのLPについて、mozart1889さんの同録音へのコメントで、「4枚組み1万円程度で購入した」と書いたことがあったが、この夏休みで実家のLPを確認したら「3枚組みで、5400円」だった。何回も再発された名盤で、私が学生の頃購入したときには、1枚1800円の廉価盤(それでも立派な箱入り、対訳付き)だったらしい。どうも記憶違いだったようだ。

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2007年8月 7日 (火)

ストラヴィンスキー 『兵士の物語』 指揮:マルケヴィッチ 語り:コクトー

Stravinsky_histoire_du_soldat ストラヴィンスキー(1882-1971) 兵士の物語 Histoire du Soldat

ジャン・コクトー(語り手)、ピーター・ユスティノフ(悪魔)

イーゴル・マルケヴィチ指揮 

 アンサンブル・ド・ソリスト(トランペット:モーリス・アンドレ、他全7名の独奏者)

〔1962年10月4日-8日録音〕

台本:ラミューズ(本録音は、コクトーにより編集されたもので、そののコクトー版の対訳台本が付いている)

(1918年完成、初演は同年アンセルメ指揮による。)

大オーケストラによる三大バレエ曲により一世を風靡したストラヴィンスキーは、その後カメレオンのように(ピカソのように?)次々と作風を変えていったが、この曲は寓話的な台本を元にした小編成のオーケストラ(アンサンブル)による音楽劇で、新古典主義的な作品になるのだろうか?

ペローの童話集や星新一のショートショートにでも出てきそうな兵士と悪魔の対話劇だが、それを様々な楽器のソリストたちが一風変った音楽を奏でながら劇を進行させていく。

このCDでは、著名なジャン・コクトーが語り手を務めているのが特筆される。というよりもその語りの印象が強すぎて、トランペットのモーリス・アンドレ等を率いたマルケヴィチの指揮する音楽が少々押されぎみの印象を持つ。

非常にカラっと乾燥した音楽であり、情緒的な部分はほとんどないが、先入観なしに聞けば結構楽しめる。この台本はもちろんフランス語だが、日本語で上演すれば子どもたちにも相当受けそうな感じだ。

*アンサンブル・インカント(Cl,Vn&P)による『兵士の物語』の記事

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2007年8月 5日 (日)

漫画『のだめカンタービレ』#17,18など

自分のBlog離れの時期にちょうどあたったので、ドラマのフィナーレの感想とかも書かずに終わってしまったが、非常に面白いドラマだった。

その後、時間が経ち、関連商品でCDなども沢山発売されたようだが、現在ブックオフなどのドラマ関連のCDの棚に「千秋のブラ1」とか「のだめBGM集」などが大量に、それもそれなりの値段で陳列されているのが、少々寂しい。

原作に相当忠実でドラマほどのインパクトはなかった深夜放送のアニメーションも6月末に、日本編であっさり終わってしまったのだが、漫画の方は、#17が2月に、#18が6月に発売されており、パリ編も段々と進展してきている。

#17での新曲は、前巻のロッシーニ『ギョーム・テル』序曲、ブラームスのハイドン変奏曲、そして、ニールセンの『不滅』。チャイコフスキーの『ロメオとジュリエット』、バッハのクラヴィア協奏曲第1番ニ短調BWV1052(千秋の弾き振り)、ベートーヴェンの4番(以上、千秋の定期演奏会)。バッハのパルティータ2番ハ短調BWV826, ブラームスのピアノ小曲集作品118、ベートーヴェンの32番のソナタ(以上千秋雅之リサイタル)。

#18 トリスタン・ミュライユ『ラ・マンドラゴール』(のだめの楽譜だが、こんな曲はあるのだろうか?)。テルミンによる新曲(フィクションだが)も登場。スカルラッティのソナタ。バッハ『イタリア協奏曲』、メンデルスゾーン『無言歌集』から『甘い思い出』・『紡ぎ歌』・『胸騒ぎ』、ショパン『幻想ポロネーズ』、リスト『小鳥に説教するアッシジの聖フランシスコ』、アルベニス『イベリア組曲Ⅰ(聖体祭)』(以上、のだめのサロンコンサート)。

また、ブログ情報では、ドラマの特別編(パリ編)が、正月?に放送されるという情報を読んだ。

私の職場の周囲では、特に『のだめ』が話題になることもなく、CD売り場に『のだめ』関連商品の陳列が増えた程度で、クラシック音楽に対する一般の意識がこのドラマや漫画、アニメーションによって少し影響を受けたことはあろうが、遷ろう世間ではすでに過去のものになりつつあるようだ。

ただ、その後映画界では、『神童』や『ピアノの森』など、クラシック音楽=ピアニストものの上映が相次いだりしたのは、業界が二匹目のどじょうを探していた結果なのだろうか?それぞれの原作もそれなりに興味深い設定ではある。

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パスカル・ロジェのサティ ピアノ作品集

Roger_satie エリック・サティ 
 ・ジムノペディNo.1~3
 ・お前が欲しいJe te veux
 ・犬のための四つのしまりのない前奏曲(内奥の声/犬儒学派的牧歌/犬の歌/友情をもって)
 ・あやなす前奏曲
 ・4番目の夜想曲
 ・古い金貨と古い鎧(金商人の家-13世紀のヴェニス-/鎧の踊り-ギリシャ時代-/蛮族サンブリ人の敗北-悪夢-)
  ・ひからびた胎児(ナマコの胎児/甲殻類の胎児/柄眼類の胎児)
 ・グノシエンヌNo.1~6
 ・官僚的なソナチネ
 ・ピカデリー

パスカル・ロジェ(ピアノ) 〔1983年5月、キングズウェイ・ホール、ロンドン〕

台風5号(「うさぎ」)も通過し、久しぶりに夏らしい暑い一日になった。ただ、もう太陽の南中高度は6月の末に比べると相当下がってきており、7時を過ぎるともう日暮れになってしまう。残暑は厳しいことだろうが、夏らしい夏は短そうだ。

ロジェというピアニストは、このデッカレーベルでは、フランス音楽をよく担当しているようで、以前に記事にしたサン・サーンスのピアノ協奏曲集や、おなじくサン・サーンスの『動物の謝肉祭』などでもピアニストを務めていた。ただ、どのような経歴のピアニストかはほとんど知らないでいる。

このCDは、以前から持っていたアルド・チッコリーニのサティのピアノ作品集に収録されていなかった "Je te veux" と "Le Picadilly" が聞けるということで、求めたもの。

ジムノペディの物憂い単純な音楽を聴いていると次第に精神的に弛緩状態になってくるが、そのうち奇妙な題名の作品集になると次第に気分がいらついてくる。これは、チッコリーニの録音でも同じなので、サティの作品の特質と私の相性の問題なのだろうと思う。

『ピカデリー』は、例の『のだめカンタービレ』のドラマ版で使われて初めて知った曲だが、最初聞いたときは、スコット・ジョップリンの『ラグタイム』集のうちの一曲だと想像したところ、のだめファンのサイトでサティの曲だと知り驚いた。(なお、このCDの表記は、Le Picadilly であり、ロンドンのピカデリー・サーカスは Piccadilly Circusとあるので、仏英の違いかタイポかどちらかだろうか?)

ロジェのピアノは、デッカ録音のピアノによくあるような滲みのあるものではないが、冴えた音色とも違い、円く暖かい音色がする。 

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2007年8月 4日 (土)

エッシェンバッハの『インヴェンションとシンフォニア』(カセットテープ)

Eschenbac_inventionsinfonia J.S.バッハ

15曲のインヴェンションと15曲のシンフォニア 全曲

クリストフ・エッシェンバッハ(ピアノ)

〔1974年6月-9月、ラス・パルマス (スペイン領カナリア諸島?)〕

プロデューサー:フランツ=クリスティアンヴルフ
ディレクター、レコーディングエンジニア:カール=アウグスト・ネーグラー
ドイツ・グラモフォン Educational (ピアノ・レッスン・シリーズ) CEV-1010


梅雨も明けて暑くなると、長かった学生時代の夏休みに、実家でおぼつかない手つきでバッハのインヴェンションを少しずつかじって楽しんだ頃のことを思い出す。お手本にするほどピアノのメカニック的な技術があったわけではないが、参考にと先日のグールドのと並んでこのエッシェンバッハのものもよく聞いた。

現在は、パリ管やフィラデルフィア管などとのロマンチックな(主観的な要素の強い)音楽作りで指揮者としての著名度の方が圧倒的に強いエッシェンバッハ(ちょうどバレンボイム、アシュケナージと同じ音楽航路のようだ)だが、ドイツの戦災孤児として幼児を送りながら、その後の戦後のドイツのピアノ界を背負う皇太子的な位置につくほどピアニストとしての活躍は目覚しかった(小澤ボストンとの共演による『皇帝』は『皇太子』と評されたこともあった)。彼のモーツァルトのピアノ曲集はとても好意をもって迎えられ、ドイツ系の音楽への期待は高かった。

そのエッシェンバッハの全盛期に、どのような意図で企画されたのか、いわゆるドイツ系のピアノ教則本の曲集を彼に実際にお手本用に録音させて発売するという企画があったようで、このバッハの曲集を含め、ツェルニーの30番、40番や、ソナチネアルバム、ソナタアルバムなどに含まれた相当の枚数のLPが発売されたものだった。ただ、これらは、「教則用」という範疇にとらわれたためか、一般的な音楽評論の対象にならなかったように記憶している。このカセットは、先のグールドのカセットの音が非常に独特すぎるので、ピアノ演奏でもっと素直なものはないかと探してもとめたものだった。

Music_bach_inventions

 左の楽譜は、日本の地方の楽器店やピアノ教室でも容易に入手できる、全音楽譜出版社版の『インヴェンション』の楽譜。

エッシェンバッハの演奏は、もちろんこの楽譜に書き入れられたツェルニー、ブゾーニらの後世の校訂者による様々なピアノ演奏的な表情記号(p,f, cersc., dim., スラー、スタカート、フレージングなど)通りではなく、彼独自のアーティキュレーションによってはいるが、非常にストレートなピアノ演奏を聞くことができる。

グールドの軽快な指捌きによる歌うようなノン・レガート(矛盾した形容だが)のようなパッセージによる魅力はあまりなく、少々ゴツゴツした肌触りのフレージングではあるが、それもバッハの音楽は吸収している。

エッシェンバッハは、ケンプなどのドイツ派のピアニストにあたるわけで、グールドはもちろん、グルダとも違い、その後ピアノによるバッハの道を突き進めていったわけではないが、いわゆる当時の標準的なドイツのピアニストが、ピアノでバッハをどのように弾いたのかという点でもなかなか貴重な録音になっているように思う。

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2007年8月 3日 (金)

自動車のヘッドライトは通常上向きか下向きか?

しばらく前のYAHOOニュース(すでにニュースは消えているのでそれを紹介されているBLOGはこれ)を読んだときに、私自身は、仙台の自動車教習所で教育を受けて以来ずーっとロービーム(下向き)が規則だと信じ込んでいたので、非常に違和感を覚えた。道路交通法では、夜間走行ではハイビーム(上向き)が規則なのだという。

実際に法律とその施行令である政令にあたってみた。

 第十節 灯火及び合図

第五十二条  車両等は、夜間(日没時から日出時までの時間をいう。以下この条及び第六十三条の九第二項において同じ。)、道路にあるときは、政令で定めるところにより、前照灯、車幅灯、尾灯その他の灯火をつけなければならない。政令で定める場合においては、夜間以外の時間にあつても、同様とする。
 車両等が、夜間(前項後段の場合を含む。)、他の車両等と行き違う場合又は他の車両等の直後を進行する場合において、他の車両等の交通を妨げるおそれがあるときは、車両等の運転者は、政令で定めるところにより、灯火を消し、灯火の光度を減ずる等灯火を操作しなければならない。
   (罰則 第一項については第百二十条第一項第五号、同条第二項 第二項については第百二十条第一項第八号、同条第二項)
第十八条  車両等は、法第五十二条第一項 前段の規定により、夜間、道路を通行するとき(高速自動車国道及び自動車専用道路においては前方二百メートル、その他の道路においては前方五十メートルまで明りように見える程度に照明が行われているトンネルを通行する場合を除く。)は、次の各号に掲げる区分に従い、それぞれ当該各号に定める燈火をつけなければならない。
 自動車 車両の保安基準に関する規定により設けられる前照燈、車幅燈、尾燈(尾燈が故障している場合においては、これと同等以上の光度を有する赤色の燈火とする。以下この項において同じ。)、番号燈及び室内照明燈(法第二十七条 の乗合自動車に限る。)
 原動機付自転車 車両の保安基準に関する規定により設けられる前照燈及び尾燈
 トロリーバス 軌道法 (大正十年法律第七十六号)第三十一条 において準用する同法第十四条 の規定に基づく命令の規定(以下「トロリーバスの保安基準に関する規定」という。)により設けられる前照燈、尾燈及び室内照明燈
 路面電車 軌道法第十四条 の規定に基づく命令の規定に定める白色燈及び赤色燈
 軽車両 公安委員会が定める燈火
 自動車(大型自動二輪車、普通自動二輪車及び小型特殊自動車を除く。)は、法第五十二条第一項 前段の規定により、夜間、道路(歩道又は路側帯と車道の区別のある道路においては、車道)の幅員が五・五メートル以上の道路に停車し、又は駐車しているときは、車両の保安基準に関する規定により設けられる非常点滅表示燈又は尾燈をつけなければならない。ただし、車両の保安基準に関する規定に定める基準に適合する駐車灯をつけて停車し、若しくは駐車しているとき、又は高速自動車国道及び自動車専用道路以外の道路において後方五十メートルの距離から当該自動車が明りように見える程度に照明が行われている場所に停車し、若しくは駐車しているとき、若しくは高速自動車国道及び自動車専用道路以外の道路において第二十七条の六第一号に定める夜間用停止表示器材若しくは車両の保安基準に関する規定に定める基準に適合する警告反射板を後方から進行してくる自動車の運転者が見やすい位置に置いて停車し、若しくは駐車しているときは、この限りでない。
 車両等は、次の各号に掲げる場合においては、第一項の規定にかかわらず、それぞれ当該各号に掲げる燈火をつけることを要しない。
 他の車両を牽引する場合 尾燈及び番号燈
 他の車両に牽引される場合 前照燈

第十九条  法第五十二条第一項 後段の政令で定める場合は、トンネルの中、濃霧がかかつている場所その他の場所で、視界が高速自動車国道及び自動車専用道路においては二百メートル、その他の道路においては五十メートル以下であるような暗い場所を通行する場合及び当該場所に停車し、又は駐車している場合とする。

第二十条  法第五十二条第二項 の規定による燈火の操作は、次の各号に掲げる区分に従い、それぞれ当該各号に定める方法によつて行うものとする。
 車両の保安基準に関する規定に定める走行用前照灯で光度が一万カンデラを超えるものをつけ、車両の保安基準に関する規定に定めるすれ違い用前照灯又は前部霧灯を備える自動車 すれ違い用前照灯又は前部霧灯のいずれかをつけて走行用前照灯を消すこと。
 光度が一万カンデラを超える前照燈をつけている自動車(前号に掲げる自動車を除く。) 前照燈の光度を減じ、又はその照射方向を下向きとすること。
 光度が一万カンデラを超える前照燈をつけている原動機付自転車 前照燈の光度を減じ、又はその照射方向を下向きとすること。
 トロリーバス 前照燈の光度を減じ、又はその照射方向を下向きとすること。

YAHOO知恵袋でもこれに関する質疑を読むことができた。

どうも茨城県警が、ドライバーにアンケートをとったところ8割を越えるドライバーが、ロービームが規則にあっていると考えていたというのが発端らしい。

ただ、現実に対向車や「前方を走行する車」(これについては政令にはすれ違いしか言及がなよいようだ?)がいないような道を走ることなどめったにないし、もちろん山道を深夜に走るのような場合には当然ハイビームで走るようにしているが、現在の都市部ではロービームにするというのが、ローカルルールでもなんでもなく相互の安全のためには必須なのではあるまいか?どこかに書いてあったが、ハイビーム推奨よりも、スピードダウンを徹底させることの方が対歩行者、自転車事故抑止効果が高いだろうと思う。

これもなんだか本末転倒めいた話題のようだ。

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2007年8月 2日 (木)

ベートーヴェンの戦争交響曲『ウェリントンの勝利/ビトリアの戦い) マゼール/VPO

Wellingtons_sieg チャイコフスキー 大序曲『1812年』 作品49 (16:45)
ベートーヴェン 『ウェリントンの勝利』 作品91(16:17)
チャイコフスキー『スラヴ行進曲』作品31(8:20)

ロリン・マゼール指揮ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴィーン国立歌劇場合唱団(『1812年』)

〔1981年6月、ムジーク・フェライン・ザール、ヴィーン〕


ベートーヴェンの伝記を読むと、彼の生前の最大の人気曲だったとして必ず取り上げられる『戦争交響曲』(ウェリントンの勝利/ビトリア Vitoriaの戦い )だが、現在普通のコンサート、録音レパートリーとして扱われることはほとんどなくなってしまっている。(スペイン語のVi は、ヴィではなく、ビと表記したほうがよいようで、あの作曲家Victoria もビクトリアと書くべきだという。)

ロリン・マゼールがヴィーン・シュターツ・オーパーの音楽監督時代に、ヴィーンフィルとマーラー・チクルスを初めとして相当の数の録音を行ったが、その折に現代では駄作として無視されることの多いこの曲(古くはシェルヘンもウェストミンスターレーベルに録音していたり、カラヤン、ドラティも録音したが)を敢えて取り上げたもので、実際に大砲やマスケット銃を使用したということでも発売当時話題になったもの。

これは、19世紀以降のヨーロッパに多大な影響を与えたナポレオンの市民革命輸出戦争に関係するチャイコフスキーの『大序曲 1812年』と、クリミア戦争後のクリミア半島でのセルビア対トルコとの戦争にロシアがセルビアに加担した際の戦争慰問のためのオーケストラ曲『スラヴ行進曲』とカップリングさせて同時期に録音したもので、要するに戦争に関係する管弦楽曲集だ。

先にも述べたようにベートーヴェンの伝記関係に触れるたびに、この少々変わった録音を聞きたいものだと思っていたが、購入はついつい後回しになり、そのうちCBSソニーのカタログから外れて最近みかけなくなっていたものだった。それが、ようやく中古盤で入手できた。

イギリス軍を示す「Rule Britania」と フランス軍を示す(フランス民謡)「Marlbrough s'en va-t-en guerre マルボロ将軍は戦争に行く」(マルボロ公爵家は、例のチャーチルを輩出した家系で、イングランドの著名な軍人の家系のことらしいが、これがフランス民謡として引用されているのは皮肉だ) 及び、イギリスの勝利を示すイギリス国歌"God save the King(Queen)"が素材として用いられている。これには、この機会音楽の発案者、メルツェル(メトロノームの発明者)がプロデューサー的に働き、ベートーヴェンのイギリス旅行の持参曲としての意味もあったのだという。

このCDのライナーノートでは、マゼールがこの『戦争交響曲』擁護の論陣を張っている?が、それほど優れた曲だとは思えない。確かに、同じ題材を平凡な作曲家が作品化し、平凡な指揮者とオーケストラが演奏するよりもましという程度だろう。終結部の勝利の音楽は、『エグモント』の勝利の音楽に通じる輝かしさと効果的なオーケストレーションが聞き取れたりもするが、後期に入らんとするベートーヴェン(第7交響曲は作品92)の豊穣さ、深遠さ、崇高さを感じるとることは難しい。それでも、終結部でイギリス国歌が勝利の主題と組み合わされる部分など、イギリス国民とは縁もゆかりもない者にとってもなんとも言えない感慨が沸いてくる。

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