J.S.バッハ 独奏チェロ組曲(無伴奏チェロ組曲) ヨーヨー・マとビルスマ
『考える人』の特集で、アンナー・ビルスマの健在ぶりを見ることができたので、以前から下書きに保存していたこの曲集について、少し書いてみようと思う。
ヨーヨー・マとアンナー・ビルスマの独奏チェロ組曲(無伴奏チェロ組曲)の聴き比べは、私にとっては、言うのもおこがましいが柴田南雄氏の追体験をするような感じだ。
演奏様式の変遷の存在と、演奏様式が異なるものを同一平面で比べても意味がないということを教えてくれたのが柴田南雄氏の著作だった。
『わたしの名曲・レコード探訪 続』(音楽之友社、1986年) 、『おしゃべり交響曲』(青土社、1986年) 、『グスタフ・マーラー』(岩波書店、1984年)程度しか単行本では読んでいないが、『レコード芸術』などでもよくその謦咳に接したことがあった。むしろ『わたしの名曲・レコード探訪』は、その連載をまとめたものではなかっただろうか?
実家においてあるはずなのだが、今のところ見つからずにいる『わたしの名曲・レコード探訪 続』では、その当時の新録音だったヨーヨー・マの録音(1982年)と、その少し前に録音されたアンナー・ビルスマの録音(1979年)を比較していたのをよく覚えている。そこで、演奏様式の違いというものが語られていたと記憶している。
当時は、マの録音もビルスマのそれも聴いたことがなく、いつかは聞き比べをしてみたいものだと思いながらいた。
その後、マの録音は比較的早く入手できた(66DC5141-3)。独奏チェロ組曲については、エアチェックで 全曲ではないが何種類かの演奏者の録音を耳にしていた。カザルス、ジャンドロン、トルトリエなどだった。それらに比べてマの演奏の滑らかさはCDで聴くようになってからも特に印象深いものだった。屈託のない嬉々としたバッハというイメージがマのバッハだった。購入以来本当に何度も聞き楽しませてもらっている。今回久しぶりに聴いたところ、モダンチェロが充分に鳴り切った深い響きと呼吸の演奏で、「練習曲」風のものではなく、非常に感銘が深かった。
そして数年前ビルスマの70歳祝賀のボックスセットをもとめたところ、収録されていたのが、モダン楽器を使った最新録音ではなく、柴田氏が言及されていたバロックチェロ、ピッコロチェロを使った1979年録音だというのもうれしかった。
さて、今回は、IMSLPを検索にいったところ、バッハのこの曲集の楽譜の中に先日も『考える人』関連で名前の出たアンナ・マグダレーナ・バッハが清書をした筆写譜がPDFで登録されており、それをダウンロードしてこれらの曲集を聴いてみた。非常に美しいマニュスクリプトであり、それを眺めるだけでも音楽の創生の現場に立ち会うかのようだ。

ビルスマの最初の録音は、バロックチェロによる(いわゆるエンドピンがないため膝で抱えて安定させながら演奏するため、モダンチェロに比べて演奏が難しいという)最初期のものだと思う。当時、ピリオドアプローチにはあまり興味がなかった(というよりも大学に入ったかどうかという年代でまだ俯瞰的に演奏を味わうというよりも、乱読ならぬ乱聴時代だった)ため、この録音の発売当時の反響はほとんど知らず、柴田氏の著作で初めて知った程度だった。録音以来30年近くも経過しているとは言え、私にとっては同時代の演奏家であり、その演奏を実演で聴いていることもあり、「練習曲的ではなく、語るバッハだ」と言われるこの演奏は、その独特の音色とあいまって非常に高カロリーであり、BGM的に聞き流せるようなものではない。ただ「語るバッハ」という先行イメージが高かったたため、相当訥弁なのかと予想していたら、そんなことはなく、バロックチェロの演奏の困難さにも関わらず、アルマンドやジーグなどの速い楽章では細かいパッセージも的確に音にされ、流動感もある。語るといわれるのでふさわしいのは、サラバンドなどの緩徐楽章で、ここではグールドのサラバンドと同じく、滑らかなレガートではなく、ぽつりぽつりと語りかけるような音楽になっている。ただ、正直に言うとマの録音が繰り返し聴いて「刷り込み」的になっていることもあり、この朴訥なビルスマの録音は初めは馴染めないものだった。
マとビルスマの音楽観は相当異なるもので、どちらが巧いとか下手とか言っても仕方がないものだというのは、柴田氏の著作から諭された事柄ではあるが、現代人の同じ音楽へのアプローチでも、これほど異なったものが聴けるというのは、また現代の面白さであり、難しいところなのだろう。
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