« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »

2007年11月の22件の記事

2007年11月30日 (金)

カンボジアコーヒー、その後

10月30日に「カンボジアコーヒーを挽いて飲む」という記事をアップしたが、焙煎が非常に強く豆の色が黒くなっているので、そのままストレートで飲み続けるのは正直言ってきつくなってきたので、数回でリタイアした。

ただ、この機会にコーヒーミルを購入したのが、これまでしばらく飲んでいなかったいわゆるレギュラーコーヒーを豆の状態でスーパーやコーヒー店から購入してきて、スローライフよろしく自分で挽いて飲むきっかけになり、モカブレンドとブラジル(ストレート)を購入してきて、挽いて飲み始めた。平日はゆっくりした時間が、帰宅後しか取れないので、しばらくの間は夕食後に挽き立て、淹れ立てのコーヒーを飲むようにしたが、レギュラーコーヒーのカフェインの効果は緑茶や紅茶よりも強いのか、睡眠が浅くなったような気がした。

ところで、モカブレンドとブラジルは中煎り程度なので、酸味も残っており、モカは比較的酸味が強いので、カンボジアとこの2種類をためしに適当にブレンドして飲んでみたところ、なかなかよろしいようで、驚いた。素人の適当なブレンドでも結構おいしい。これまで試したところ、3種類をブレンドするよりも、モカブレンドとカンボジア、ブラジルとカンボジアとした方がよいようだ。もともとモカブレンドにはベースにブラジルが含まれていると思われるので、モカがストレートなら違う味になるとは思うのだが。

カンボジアコーヒーを活かす方法が見つかって満足だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月29日 (木)

『反音楽史』『音楽史ほんとうの話』

先週の日曜日、母方の伯父の告別式に列席してきた。大正14年生まれで、太平洋戦争に応召し、辛うじて生還し、農業に打ち込み、伯父や母の生まれた頃の高冷地の寒村を日本でも有数の農業村に築き上げた一角を担った一生で、村の多くの親戚、知人が列席する盛大な告別式だった。改めて冥福を祈りたい。

母方の親戚の多い村のため、名前を知らぬ列席者の顔立ちは、遺伝子の不思議さを象徴するかのように、多くの人々がどこかしら似ている風貌をしているのを見て改めて驚かされた。

その前の連休から風邪気味だったが、告別式へは列車で往復して、その疲れが出たものか、喉が痛む風邪を引き、火曜日から勤務を休んでいる。風邪で伏せりながら、買い置いてあった本を読んで過ごしている。

先日読んだランドンの『モーツァルト』の訳者である石井宏氏の『反音楽史 さらば、ベートーヴェン』(カバーを取ると Contre-histoire de la Musique L'adieu à Beethoven というフランス語が書かれているのが微妙)を読んでみた。前半は、非常に面白かった。

ドイツ人がプロイセンによる富国強兵政策と平行して、音楽史というジャンルを創設しそれを愛国主義的・ショーヴィニズム・ジンゴイズム的にドイツ寄りに書いていったという指摘は非常に面白く、主にパウル・ベッカーなる音楽史家が俎上に挙げられている。そして、有名なモーツァルト研究家であるアインシュタイン(ケッヘルカタログ第3版の編纂者で、ユダヤ系の音楽学者で後に遠縁とも言われる物理学者と同じく米国へ亡命した)も引っ張り出されて、その愛国主義的なドイツ中心主義(イタリア軽視主義)を批判されている。

まず、この反音楽史は、いわゆるバロック以降の音楽史がドイツ中心に記述され、本家本元のイタリアが無視されて来たことに憤っている。また、このドイツ的な音楽史がその後の音楽の歩みを機制して、ついには12音楽派により音楽が行き詰ってしまったことを嘆く。そして、温故知新的な観点及び演奏者優位の観点から西洋音楽史を見直すべきだとぶち上げる。

しかし、この最後の壮大な構想はこの343ページに渡る著作では実現されておらず、尻すぼみの様相を呈しているのが残念だ。最後には、ジャズを持ち出して、その即興的な音楽を称揚し、楽譜・原典至上主義に陥っているクラシック音楽界を嘆いているが、木に竹を接ぐ観があり、いったいこれまで延々と論じられたことは何だったのかという肩透かしを食ったような気がしてしまった。

それでもモーツァルティアンとして知られる石井氏だけのことはあり、イタリア人が隆盛だった「18世紀のオペラ界、音楽界」において、モーツァルトの位置が実際にどうだったのか、ハイドンの位置は、ベートーヴェンは?という面は非常に面白く、またヴィヴァルディ、ヘンデル、ロンドンのバッハ(J.C.バッハ)等の復権という面では啓蒙的であり、勉強になった。また、モーツァルトの『魔笛』のフリーメーソン性については、多くの面から非常に疑わしいということも示唆されていてこれも面白く、なぜグルックがオペラ改革者とされながら、その後のオペラはグルックの影響を受けていないのかという疑問もこの本によって説明が付けられていた。

このような細かい部分では、非常に説得力がある記述が多いのだが、全体の構想があまりにも壮大過ぎるようで、部分部分エッセイとしては面白いが、大風呂敷過ぎる点と結論の尻すぼみさには「さらば、ベートーヴェン」という訣別の言葉もむなしいように思えた。また、音楽評論家でもあったシューマンの言辞について、多く語られているが、この辺りになるとこちらの理解が届かないのか、それとも筆者の言わんとしていることが散漫なのか、どうも隔靴掻痒だった。というのも、ドイツ音楽のもう一方のメインストリームであるヴァーグナーについて充分に語られていないのが、その直接的な要因ではあるまいか? 筆者の言うシューマン的なドイツ音楽賞賛からヴァーグナーが出たのでもあるまいし、またその後の音楽の展開は、この巨人ヴァーグナーの影響とそれとの対決、克服なしには語られないと思うからだ。また、ピアノという楽器の登場による器楽の興隆ということと、ドイツ音楽の隆盛という歴史的な現実も看過されているようにも思えた。

その意味で、この本が17世紀から19世紀のイタリア音楽の復権という点に絞って書かれていればもっとまとまった印象が得られたのではないかと思う。『アマデウス』に登場するジュゼッペ・ボンノが本来はドイツ系であり、アドルフ・ハッセもドイツ人ながらイタリアオペラの大家で、また『ドン・ジョヴァンニ』に引用されるソレルやサルティのことなど、モーツァルト史の裏面史という(むしろこちらが表面史かも知れない)面を強調した方が、よかったも知れない。むしろ、全体的な散漫さにもかかわらず、この辺りにこの本の真骨頂があるのだろう。

また、これ以前に買ってありところどころ拾い読みをしたままになっていた西原稔『音楽史ほんとうの話』も改めて読み直した。これは桐朋学園の音楽史の教授である西原氏の書き下ろしのエッセイで、珍しいエピソードがちりばめられておりこちらもなかなか面白かった。興味のあったのは、ロッシーニの早い引退の理由だが、これはこの本の記述が納得できた。また、意外だったのはシューベルトの晩年の経済状態と社会的地位。なお期待はずれだったのは、サン=サーンスが特にフランスで嫌われ続けていることの理由の説明。非常に興味のある点だったが、あまり明快な解説になっていなかった。なお、冒頭のバッハの最初のコレクターであるフォルケルとネーゲリについては面白かった。

西洋音楽史については、先年中公文庫から岡田暁生氏による通史として面白いものが出版されたというが、未読なので、いずれこちらも読んでみたいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月28日 (水)

ホグウッドの『英雄』交響曲

Beethovennr3hogwood
これは、私のCD購入歴の比較的初期に買ったCD。当時は勤務先の独身寮に住んでおり、まだアンプとスピーカーの購入前で、CDプレーヤーにラジカセをつないで聴いていた頃だった。同じ寮に大学生時代の学内オケのトランペットを吹いていたという人が居て、彼がこのCDを聴きたいというので、一緒に聴いたところ、さすがにトランペットを吹いていただけあり、このCDの基準ピッチが約半音低いのではと指摘されて驚いたことを思い出す。幸いにして?そういう「絶対音感」はないので、この録音も別に違和感はなく聞けている。初期に買ったCDでもあり、相当耳タコになるほど聞いたものだが、ここ数年まったく聞いていなかった。

ところで、『英雄』では、現在最も好んで聞いているのが、昨年購入したDisky盤のクリュイタンスとBPOによる録音で、ときどき会社からの帰宅時に携帯電話のSDメモリーに入れてあるその録音を聴くのだが、オケの各パートが充実していること、アンサンブルが自発的で揃っていること、クリュイタンスの演奏解釈が特に快適なテンポとスフォルツァンドの狙い撃ちのような小気味よさを感じさせ、また木管の浮き立たせによる軽やかさ、主旋律と対旋律の対比などの立体感等々に感心しながら聞きほれている。その折にふと『英雄』の聞き比べをしてみようと思って、思い出したのがしばらく聴いていなかったこのCDだった。

第1楽章を聴いてみたところ、このピリオドアプローチで室内楽的なバランスの演奏が、クリュイタンスのスリムで小気味のよいテンポの録音と(気のせいか)よく似ているのに驚いた。

第2楽章は、モダンオーケストラと比べると少々滑稽な音色もするのだが、テクスチュアとも言うべき音の織りがその素朴な音色に慣れると見えてくる。また、その音楽は意外にも痛切であり、劇的でもある。

第3楽章は、やはり「トリオのホルンのトリオ」が聴き物だ。ヴァルトホルンに近い素朴なホルンであれを吹くのは難しいのだろうが、この録音ではしっかりと響き、聴き応え充分だ。

第4楽章は、この録音では、軽みが目立つ。『プロメテウスの創造物』の主題でもある、このエロイカ主題は、エロイカの終楽章としては軽すぎるという批判が初演当初からあったらしいが、この楽章をどう処理するかが、この大交響曲の一つのポイントではなかろうか?その点、このピリオドアプローチは十全の解答とはなっていないように思う。

ノリントンやホグウッドの後、数多くのピリオードアプローチが送り出され、新鮮味は欠けてはいるが、モーツァルト交響曲の大全集をなしとげた彼らの18世紀末から19世紀に掛けての音楽再現への貢献は覚えておこうと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月27日 (火)

ベートーヴェン 『ミサ・ソレムニス』 バーンスタイン コンセルトヘボウ管

Bernstein_missa_solemnis コンパクトディスク(CD)は、私が学生の頃に発売された。当時住んでいた東北地方の都市でもオーディオメーカーと音楽ソフト業界によるオーディオショーのようなものが開かれ、音楽好きの友人と聞きに行ったことを覚えている。それまで聞きなれたLPを初めとするアナログオーディオやホールで聴く生の演奏に比べると、雑音はないが突き通すような硬質な音だという印象を持ったことを覚えている。発売直後は、CBSソニー系のソフトが多く、4000円以上の定価が付いていた。

発売当時はハードもソフトも高価で学生の身には簡単に入手できる値段ではなく、ようやく自分で購入できたのは、就職して一番最初の寸志程度のボーナスをもらってからだった。そのとき購入したCDプレーヤーはヤマハの製品で、当時ヤマハのオーディオはスピーカーもアンプも楽器メーカーらしく誇張のない素直な音質だといわれていたことが購入の決め手になった。そのときに同時に求めたCDは何枚かあるはずだが、確実にそのときの購入だと覚えているのは、バーンスタイン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団によるベートーヴェンの『ミサ・ソレムニス』とマゼールの『ドン・ジョヴァンニ』だった。大曲とオペラを裏返すことなく聴けるというCDのメリットが憧れだった。

さて、それまであまり縁がなく聴く機会がほとんどなかった『ミサ・ソレ』だったが、当時大活躍だったバーンスタインがVPOとのベートーヴェンの交響曲全集に引き続いて、今度はACOと素晴らしい録音をしたという高い評判で既にLPで発売されていたものだったが、全曲が長いためなかなか全部がFMでかかることもなく、憧れのCDだった。また、当時はソフトが高かったため、一曲一枚主義が基本で、実家でLPで聴けるものは原則として買わないことにしていたため、自分にとっての基本ライブラリー的なCDをLPの曲目とダブリで買い始めたのは大分後になってからだったこともあり、LPで持っていないものから買い始めたのもこのCDを求めた背景だ。

自分のホームページに、簡単で小生意気な感想は下記のように書いてあるが、久しぶりに聞きなおしてみた。

☆ミサソレムニス バーンスタイン/コンセルトヘボウ (413 780-2) 1978年録音

これも発売当時大変話題を呼んだ録音である。この録音が全曲初体験。名曲、大作であるが曲としては全体のプロポーションがよくないためあまり好きではない。グローリアの膨大なエネルギーは後期のベートーヴェンに特有のものか、大フーガやハンマークラフィーアのフーガに共通する。またサンクトゥスの優美なヴァイオリンのオブリガートは美しい。宗教的なことに言及すると、ユダヤ系のバーンスタインは「カトリック的な様式の」ミサ曲の演奏に際して宗教的な戸惑いはないのだろうか? 宗教的に無節操な日本人の言うことではないが。

この『ミサ・ソレムニス』をを聞くのも久しぶりだ。というよりも、この演奏のほかは他の録音ではほとんど聴いたことがない。だから今のところ比較を絶した唯一に近い『ミサソレ』なのだが、今回ゆっくりとステレオ装置で聴いてみてもどうも相性が合わない感じだった。

違和感の一つは、ソプラノのエッダ・モーザーの発声。ちょうど同じときに購入したマゼールの『ドン・ジョヴァンニ』でドンナ・アンナを歌っているのも彼女で、大変評価の高いソプラノではあるが、どうも自分の好みではないようだ。

また、この曲の録音が、解像度が低く感じられるのも残念だ。ホールトーンを取り入れすぎなのか全体的にもやついており、音像がはっきりしないように感じる。また、音響のバランスがあまりよくないようにも思う。

それでも、ベネディクトゥスでのソロのオブリガートを奏でるヴァイオリンは非常に美しいもので、ACOの名コンサートマスターとして知られたクレッバースがそのソロを務めて、大変美しい音楽になっている。また、アニュス・デイに「戦争交響曲」的な描写的な戦闘場面を音楽で表現する部分があるが、印象に残る。

発売当初は、大変評判になったものなので、ブログなどで多数言及されているかと思って検索してみたが、意外にもこの演奏についての感想や評論はほとんど見当たらなかった。

余談だが、あのフルトヴェングラーは、この曲を若い頃は何度か指揮したというが、意外にもこの曲の録音を残していない。

ベートーヴェンが晩年に至って苦心惨澹して完成し、最も自信を持っていたという傑作ということで、他の演奏も聴いてみたいものだ。評判が高いのはトスカニーニやクレンペラー、ベームのものだそうで、最近のジンマンの指揮のものやガーディナーなどのピリオド・アプローチも興味深い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月26日 (月)

J.S.バッハ 『フーガの技法』

『音楽の捧げもの』に続く、バッハの絶筆となった作品。バッハの壮年期においても『フーガ』は既に古い技法とされ、少し先輩のヴィヴァルディなどは、通奏低音は用いてはいるものの、既に和声的な音楽を多数作曲していたし、同時代のテレマンも既にギャラント様式に傾き、ヘンデルでさえ、『メサイア』などでフーガ技法を効果的に用いてはいるが、バッハに比べるとより平明な感じの音楽を作っているように思われる。

その最晩年に、自らの記念碑を立てるかのように、バッハはフーガのありとあらゆる技法を網羅した曲集を作曲しようとし、そして未完のまま世を去った。この曲集には、特に楽器指定はなく、その意味でも、非常に抽象化、理念化された音楽だと考えられている。

実際の演奏では、下記のようにオルガン独奏によるものや、室内オーケストラ(アンサンブル)により演奏されることが多い。

私にとってこの曲は、モーツァルトのロマンティックな伝説に彩られた『レクィエム』とは異なり、非常に精緻な音の建造物ゆえに、作曲家の絶筆だという生命の終焉という観念には結びつかず、音による抽象思考の極致であるように思われる。それでも、12音技法とは異なり、情緒的・感覚的な聴く喜びをももたらしてくれるものだと思う。

学生時代に、FM放送でこの曲の全曲演奏があり、その際に全集版のポケットスコアを購入して、譜面を追いながら聞き入ったのを懐かしく思い出す。

その後、CDでは、以下のような録音を入手したが、このような音楽は、ヘッドフォンで深夜に一人静かに聴くのが似合っているようで、現在の騒々しい生活環境ではなかなか集中して聞く機会には恵まれていない。

◎カール・リステンパルト指揮ザール放送室内管弦楽団
ヴィンシャーマン(オーボエ)、ゴリツキ(オーボエ・ダモーレ)、グッチュ(コール・アングレ)、トゥルーク(ファゴット)、ヴェイロン=ラクロワ、ドレイフュス(チェンバロ) 録音不明 ○P1989(関連記事:フーガの技法の余白に

この演奏は、名オーボエ奏者のヘルムート・ヴィンシャーマンの校訂(楽器指定)版によっており、オーボエ属とでも言うのだろうか、チャルメラと同じダブルリードの楽器群のアンサンブルによってこの曲集の中のいくつかが演奏されているが、息の長い少々鄙びた音色の楽器によって演奏されるContrapunctusは、非常に美しい。全体的にテンポが緩やかで、静けさが部屋に満ちるような演奏である。Art_of_fugue_ristenpart


◎ラインハルト・ゲーベル指揮ムジカ・アンティクヮ・ケルン:弦楽合奏 録音1984年ハンブルク  

先鋭的なバッハ演奏で知られるMAKによる弦楽合奏とチェンバロによる演奏で、テンポが非常に速い。そのため全曲がCD一枚に収録されるほどで、リステンパルト等のものに比べると違う曲であるかのように聞こえる部分もある。彼らの演奏は、速いテンポによりエネルギッシュさと現代的な焦燥感を示しているかのように聞こえることもある。Art_of_fugue_mak


◎グレン・グールド:オルガン演奏 (Contrapunctus1-9) 録音1962年トロント(関連記事:J.S.バッハ クラヴィア協奏曲第3番ニ長調

珍しくグールドがオルガンを弾いたもの。オルガンに置いてもスタッカート、マルカート気味の演奏をする部分もあるが、さすがに音価が保たれる楽器だけあり、オルガン的な重量感のある響きが聴かれることが多い。ペダル演奏も専門のオルガニストではなくともさすがにグールドは達者なものだと思う。グールドによるバッハの他のオルガン曲の演奏は実行されなかったものだろうか?クラヴィア曲だけでなく、ペダル付きとは言え同じ鍵盤楽器の曲もグールドの手にかかればどのように聴けたものだろうか?

Art_of_fugue_gould

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月25日 (日)

J.S.バッハ 『音楽の捧げもの』

Marriner_musikalisches_opfer

上記は、ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー・オブ・セント・マーチン・イン・ザ・フィールズ

BWVでも『フーガの技巧』と並んで特殊作品に分類されているが、バッハの器楽曲としては、私にとって非常に親しみ深いものだ。この曲に一番初めに馴染んだのは、30年近く前にNHKFMで放送していた確か『現代の音楽』というような番組のテーマ音楽として、ヴェーベルンによる『リチェルカーレ』の編曲が用いられており、聴くとはなしにこの『フリートリヒ大王の主題』が耳なじみになったのだった。

学生時代には、エラートから廉価で発売されていたクルト・レーデル指揮&フルートのミュージックテープ(カセットテープ)を購入し、音楽之友社版のポケットスコアを参照しながらよく聴いたものだった。大バッハが晩年、息子が仕えているベルリンのフリートリヒ大王(フリードリヒ)の宮廷を訪れ、音楽愛好家の王から主題を貰い(これが『王の主題』だとされる)、その場で即興演奏を披露したが、それに飽き足らず、ライプツィヒに戻ってから今日残されている曲集を作曲し、『音楽の捧げもの』と名づけ、王に献呈したという逸話は大変有名なものだ。これに続く『フーガの技法』は、対位法的に展開するにはあまり適していなかった『王の主題』による曲集に飽き足らなかったバッハが、その全ての対位法技法を盛り込もうと集大成として創り、未完に終わったものということで、晩年のバッハに刺激を与えた出来事だったのだろう。

参考:

フリードリヒ(Friedrich)二世。プロイセン王(在位一七四〇~八六年)。オーストリア継承戦争・七年戦争によって全シュレジエンを領有し、ポーランド分割で西プロイセンを獲得。国内的には官僚組織を整え、重商主義政策を進めて富国強兵に努めた。「国家第一の下僕」と自称した啓蒙専制君主の典型。フリードリヒ大王。(一七一二~八六) Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988

さて、学生時代に繰り返し聴いたクルト・レーデル盤は、昨年実家の物置から持ち帰ってきたが、カセットテープレコーダーを接続しているアンプの調子がよくないためじっくり聴けないのが残念だが、つまみ聴きしても懐かしさが蘇るものだ。もともと飾り気の少ない質朴な演奏であることもその印象に寄与しているように感じる。

LPでは一枚も買わなかったが、CDになってからは、モダン楽器によるバッハ演奏の頂点を極めた指揮者・鍵盤楽器奏者のカール・リヒターがリーダーとなり、ニコレなど当時のバッハ演奏の著名奏者を集めたもので、現在でも名盤として著名なものが、DGの名盤シリーズに登場したものを求めた(後に、小学館の全集のうちオーケストラ・協奏曲集を購入したが、そこに収録されたのもこの録音だった)。レーデルの少々鄙びたとでも言えるほどよく力の抜けた録音に馴れていたので、この録音からは、襟を正した雰囲気を強く感じ、またニコレのフルートも少々禁欲的過ぎる感もあり、以前のレーデルの頃よりこの曲を聴く機会が減った。

ネヴィル・マリナー盤は、規範的とでも言うリヒター盤に比べてイギリスのバッハはどうだろうという興味で買ったもの。レーデル、リヒターは、通奏低音の鍵盤楽器はすべてチェンバロだが、マリナーは、ヴィヴァルディの四季でも用いたようにオルガンも用いている。くつろいだ感じの演奏だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月24日 (土)

ボロディン『だったん人の踊り』、『中央アジアの草原にて』

最近の長男のブーム(以前『春の祭典』がブームだったことがある)は、アレクサンダー・ボロディン(1833-1887)のいくつかの作品で、特に弦楽四重奏曲第2番の第1楽章(第3楽章の夜想曲ではなく)を好んで聴いているが、そのほかに『だったん人の踊り』、『中央アジアの草原にて』もお気に入りだ。そこで、CD棚から探してみると

だったん人の娘たちの踊り、だったん人の踊り
 セル/クリーヴランド管 (1958年録音、だったん人の踊りのみ、合唱なし) 10'37"
 ショルティ/ロンドン響    (1965,66年録音、合唱付き) 13'39"(デュトア『展覧会の絵』のフィルアップ)
  ケーゲル/ドレスデン・フィル (1970年発売、だったん人の踊りのみ、合唱付き) 11'18"(ケーゲル『展覧会の絵』のフィルアップ)
 アンセルメ/スイス・ロマンド管(1960年録音、合唱付き)13'47"
 チェクナヴォリアン/ナショナル・フィル(1977年録音、序曲、行進曲付き)
     娘の踊り: 2'15"、だったん人の踊り 11'29"

中央アジアの草原にて  
 アンセルメ/スイス・ロマンド管 (1961年録音) 6'43"
 サヴァリッシュ/バイエルン・シュターツ・カペレ (1987年録音) 7'21"
 チェクナヴォリアン/ナショナル・フィル (1977年録音) 8'03"

といったところが見つかった。

ボロディンのメロディーはどれも美しく、郷愁を誘うものが多い。

Ansermet_russian_orchestra Sawallisch_russian_orchestra 左:アンセルメ、右:サヴァリッシュ盤

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月23日 (金)

カラヤン、プライスのクリスマス・ソング集

Karajan_christmas_songs カラヤン/アヴェ・マリア Karajan presents Christmas

Members of Vienna Philharmonic Orchestra
Leontyne Price

と題するクリスマス・アルバム。

合唱は、ヴィーン楽友協会合唱団、ヴィーン・グロシュタット少年合唱団

11月になると商魂たくましい日本のスーパーマーケットではクリスマス商品の展示が始まる。また、横浜のみなとみらい地区のコンコースなどではクリスマスツリーが飾られる。世俗化の進んだ日本ではクリスマスはお歳暮などの年末商戦と同様に風物詩として語られるものになってしまっているようだ。

このアルバムは、帝王カラヤンとアメリカの黒人系の名ソプラノのプライスが組んだ珍しいものだが、ロンドンレーベルのクリスマスものとしてはロングセラーを続けてきたものだろう。

清しこの夜/天には栄え/あら野の果てに/もみの木/アヴェ・マリア(シューベルト、バッハ・グノー)/モーツァルトのアレルヤなどが収録されており、なかなか楽しいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月21日 (水)

レヴァイン/VPOのモーツァルト交響曲第25,29,31番

Levinemozartnr253931 先日のロビンス・ランドンの『モーツァルト』とベーム/VPOの『コシ』によって、一時的に耳がモーツァルト志向になったようで、これまで積んでおいたCDをいくつか聴き始めた。

このCDは、ジェームズ・レヴァインがヴィーン・フィルとモーツァルトの交響曲全集を1980年代に作った(結局完成したのだろうか?)中からの抜粋で、若きモーツァルトの傑作2曲と、パリでの交響曲が収録されている。

それほど期待せずに聴いてみたが、どうやらヴァイオリンを古典的な対抗(両翼)配置にしているようだ。いわゆるピリオド・アプローチでは対抗配置は普通だが、モダンオケでこれらのめまぐるしい曲調の3曲で、第2ヴァイオリンが右から聞こえるのはなかなか珍しいように思う。

小ト短調と呼ばれる第25番K.183は、ランドンによるとハイドンの疾風怒涛に影響を受けての作品だという。ブルーノ・ヴァルターなどは非常にロマンチックなアプローチでこの曲を演奏していたが、シュトルム・ウント・ドラングは、ロマン主義の先駆けでもあるそうなので、その意味であのような劇的なアプローチはありなのだと思う。第29番K.201は、モーツァルトがヴィーンに移住した後でも、よくコンサートに掛けたものだというが、彼自身相当この曲に自信を持ち、気に入っていたのだろう。第2楽章と終楽章が少々生硬な感じがするが、中では第1楽章のデリケートな息吹はまさに青春の象徴のようで、このレヴァインの指揮はなかなかいい。同じヴィーンフィルを指揮したケルテスのものも非常にいい演奏だが、モダンオケのものとしては甲乙付けがたいと思えた。

第31番はパリ交響曲と呼ばれているが、2種類ある第2楽章のどちらが最終版なのか、ランドンによれば今でも決着を見ていないのだという。これは、ベームとベルリン・フィルのCDの演奏が特にフィナーレの第3楽章のテンポがゆっくりで驚かされたのだが、レヴァイン盤は、ベーム盤の5:19に対して3:39と非常に快速な演奏になっている。それでも聞き比べると、無骨そうに思われるベーム盤は意外にも優美な風情があり、面白い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月20日 (火)

ズーラシアの植樹祭と再見キンシコウ

土曜日は、以前申し込んでおいたズーラシアの植樹祭に家族全員で参加してきた。


Pb170102_2


植えたのは、このヤマブキとユキヤナギ、そして我が家には割り当てがなかったがアジサイの三種類だった。池の周囲に約1500人が集まって植樹をしたので、10時開始だったが、11時前にはほとんど完了してしまった。

さて、ズーラシアでは、今年一杯で中国の幻のサル キンシコウが上海に帰されることになった。元々の貸与契約でそうなっていたらしい。1999年に開園したときから展示されていたので丸8年になったのだという。キンシコウはいつでも人気があるのだが、この報道があってから特に注目されているようで、大勢の人だかりがしていた。また、人が多いことがサルたちにも影響したのか、活発に活動して目を楽しませてくれた。メッセージを募集していたので、全員でキンシコウへのお礼を書いてきた。


Pb170086

また、最近ツシマヤマネコの展示を始めたとのことで、初めて見られるかと期待して行ったのだが、まだ人に慣れていないようで、展示室の方には姿を見せず実物を見ることはできなかった。この写真は、展示ケージのそばに張られていたもの。運がよければ見られるそうだ(ズーラシアはこの「運がよければ見られる」という展示が多い)。

Pb170091

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月17日 (土)

1789年 フランス革命 と ヴィーンでのモーツァルトの人気凋落に関係はあるか?

【フランス革命】 

1789年から1799年にかけて、ブルボン王朝の失政、啓蒙思想の影響、第三身分の台頭、下層民衆の行動力の形成などによって起こった、フランスの市民革命。

ブルボン王朝の失政をたて直すために召集された三部会が国民議会へと発展。

1789年7月14日のバスチーユ牢獄襲撃事件。

それを契機に、立憲君主制をとる1791年憲法が成立。
新しく成立した立法議会は共和派の進出がめだつ。

1792年、共和派のジロンド派内閣はプロイセン、オーストリアの干渉に対し
対外戦争に突入。

1792年9月立法議会にかわった国民公会は共和制を宣言。
1793年国王ルイ16世を処刑、山岳派の独裁による恐怖政治が布かれた。
1794年テルミドールの反動により革命政府は解体。 1795年総裁政府が組織されたが政局は安定せず。
1799年ナポレオンの軍事独裁により革命は終わる。

古典的な市民革命として世界各国の政治、社会、精神生活に強い影響を与えた。

----------------

先日2週連続で、フランス革命時のフランス王妃マリー・アントワネットのドキュメンタリー仕立てのドラマがNHK教育テレビで放映された。約1年前に放映されたものの再放送だったようで、ところどころ見覚えのあるシーンが出ていたが、ヴェルサイユ宮殿などでのロケを多用して、衣装・調度などの細部までにも神経を使い、また歴史的な人物を演じる俳
優たちも、肖像画で現在でも見られるそのイメージに相当近い人たちがキャスティングされるなどフランスのテレビの相当力作のようで、見ごたえがあった。(地球ドラマチックhttp://www.nhk.or.jp/dramatic/backnumber/84.html )

日本人の女性にとっては池田理代子の『ヴェルサイユのバラ』により非常に親しい歴史的事件と登場人物ではあるようで、その影響だろう、妻も『首輪事件』など小さいスキャンダル的な事件について細かく知っていた。(私が購入したシュテファン・ツヴァイクの評伝『マリー・アントワネット』や週刊誌に連載していた遠藤周作の『王妃マリー・アントワネット』なども愛読していたようだ。)

さて、1789年7月14日、バスチーユ監獄が襲撃されて、フランス革命が引き起こされるのだが、その勃発後も、上記の辞典の記事のように、ルイ16世とその家族は数年の間はチュイルリー宮殿などに軟禁されて生命を保っており、逃亡事件もそれゆえに引き起こされ、またそれがきっかけで王夫婦のギロチンによる処刑につながったのだが、周辺のヨーロッパ諸国、特に王妃の母国である神聖ローマ帝国(オーストリア)では、王侯貴族層は相当の衝撃が伝わったものだろう。

モーツァルトの伝記には、このフランス革命の余波についてはあまり印象的な記述は見られなかったように記憶している(私の認識不足かも知れないという可能性が大きい)が、まさに同時代の大事件の頃がモーツァルトの短い生涯の最晩年にあたっており、分けても1789年から1790年はモーツァルトにとって非常に寡作な年となっている。この時期は彼の生活が窮乏した時期にちょうどあたっている。

モーツァルトは、グルック亡き後の神聖ローマ帝国の宮廷作曲家として約5分の2の俸給800グルデンで雇われているので、宮廷そのものがモーツァルトを弾圧したということは、表面的にはないように思われるのだが、モーツァルトを持て囃したヴィーンの貴族たちは、例のバッハ、ヘンデルマニアのヴァン・スウィーテン男爵を除いて、予約演奏会にもまったく参加しなくなったというのは、単にモーツァルトの音楽が対位法や多彩な転調により深化し複雑化して「難しくなった」ことだけによるのだろうか?ランドンの著書にもあったように、彼の傑作オペラの題材が、貴族たちを刺激したということも考えられる。庶民が貴族をやっつけるボーマルシェの原作のフィガロは、演劇としては帝国内での上演を禁止されていたほどの挑発的な内容だったし、ドン・ジョヴァンニはその後のベートーヴェンが音楽の魅力は評価したが、その性的に不道徳な題材に反発したように、一般の教養ある階層には不評だったのかも知れない。また、同様に恋愛問題として遊戯的に過ぎるとも言えるコシは、ヴィーンの上流階層の実話をモデルにしたものとも言われ、もしそれが事実なら際物として敬遠されたということもありうるかも知れない。(まさにロココの発信地のルイ15世時代のヴェルサイユでは逆に受けたのではなかろうか?)

当時の人気は誰に向かっていたのだろうか?例のサリエリなどだったのだろうか?

ともあれ、もしかしたらという限定付きではあるが、フランス革命の余波がヴィーンの貴族層に与えた影響とその反発が、モーツァルトの凋落に影響し、その死に際して村八分のような新聞の扱いにも影響を与えたという可能性があるように思える。ランドンの著書では、モーツァルトの急激な凋落の理由は、ヴィーンの膨大な古文書(日本では江戸時代の寛政の改革の頃)に埋もれているかも知れないというが、フランス革命の余波がヴィーンの貴族層に与えた影響とその反発についてもっと知りたいと思う。(小学館のモーツァルト全集の書籍には、18世紀について詳しい連載があったので、後世に与えた影響では18世紀最大の事件でもフランス革命について当然詳細な記述があったと思うが、当時はそのような観点からは読んでいなかったので、あまり印象に残っていない。)

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2007年11月16日 (金)

『コシ・ファン・トゥッテ』をようやく全曲聴けた

モーツァルト 生誕200年記念の名録音による4大オペラ全曲集 10CDボックスセットに入っている『コシ・ファン・トゥッテ』(Cosi の発音は、コジと表記されることが多いがCD録音ではコシに聞こえる)をようやく全曲聴くことができた。ベームとヴィーンフィルの1955年録音(ステレオ!)。

後にも先にも、コシを全曲聴けたのはこれが初めてかも知れない。これまで、コシの録音は、小学館のモーツァルト全集のC.デイヴィス盤しか持っておらず、この録音もながら聞きで一度か二度聞いた程度だったので、今回のように序曲から終曲まで集中して聴けたのは初めてだった。上記の10CDボックスの全曲集はドイツ盤でもちろん対訳などは付いていないし(小学館全集には立派なものが付いているのだが)、音楽之友社の名作オペラブックスもすぐには入手できないので、ネットでオリジナルのリブレット日本語訳(なかなか読みやすいが実用的な省略もある)を探してプリントアウトして、歌詞を参照して筋を追いながら何とか聴けた。

オペラは、その音楽がいくら音楽として美しくとも、言葉が不可欠なので意味が分からないがゆえに余計にそれが気になり、純粋に音楽として味わうことがどうしてもできない。簡易な訳でも、今誰がどのような内容を歌っているのかをどうしても把握したくなる。フィガロやドン・ジョヴァンニ、魔笛のように他の演奏で何度も聴いて、およそ何が歌われているかが分かるようになってくれば、逆に純粋に音楽として味わうことも可能になるが、コシの場合はその前の段階で躓いていた。

今回は、先のロビンス・ランドンの本で、その蒙を啓かれ、大いに刺激を受け、また、改めて読んだ吉田秀和『レコードのモーツァルト』のベーム指揮<<コジ・ファン・トゥッテ>>、井上太郎『モーツァルト いき・エロス・秘儀』も参考になった。

また、これまでは、台本の原作が名作である『フィガロ』『ドン・ファン』は、それ自体の筋書きが面白かったのだが、この『コシ』は、ダ・ポンテのオリジナル台本で、内容的に現代のスワッピングのハシリとも言うべきプロットで、女性蔑視的であり、音楽は優れていても内容はとるに足りないものだという一般的な評価の影響を受けていた。それゆえ敬遠していた。

『コシ・ファン・トゥッテ』は、1789年の10月から12月にかけて作曲され、1790年に初演されたもので、『魔笛』『皇帝ティトの慈悲』に先立つ最後のオペラ・ブッファである。1789年には、ヴァン・スヴィーテンからの依頼によるヘンデルのメサイアの編曲、あの傑作クラリネット五重奏曲が生まれているが、1790年と並び非常に寡作の年である。

このオペラは、登場人物は、幾何的なシンメトリーを成しており、二組の恋人達、老哲学者と若い小間使いの計6人が様々な重唱を繰り広げるところにその特徴がある。そのため、他のモーツァルトの傑作のような、ソロアリアだけが取り出されて歌われることはほとんどない。しかし、重唱の魅力に気が付くとこのオペラが親しいものになる。フィオルディリージ(姉)とドラベッラ(妹)による第4番の二重唱 "Ah, guarda, sorella,"、アルバニア出身のトルコ貴族に扮したフェルランドとグリエルモによる第21番の二重唱"Secondate, auretta, amiche"では管楽器のアンサンブルが美しく、 第2幕第7場のフィオルディリージのレチタティーヴォと第25番のロンド "Per pieta, ben mio, perdona"ではホルンの活躍が目覚しい。 そしてフィオルディリージとフェルランドの第29番の二重唱は、この他愛ないと思われているプロットではあるものの、戯れの恋がフィオルディリージとフェルランドの間で真実の愛に曜変していく様が描かれ、非常にスリリングでもあり、むごい状況を知る観客としてフィオルディリージの心根が哀れに思えてくる。

昨日聴いてから、今日改めてつまみ聞きをしているが、一度「理解」できた後に再度聴くと、さらに味わいが深いような気がしてくるから不思議だ。

ベームのコシは、シュヴァルツコップフなどとのフィルハーモニア管によるEMI盤が名盤の誉れが高いもので、未だそれを聴いたことがないが、この盤のフィオルディリージ:リーザ・デ・ラ・カーザ、ドラベッラ:クリスタ・ルートヴィヒの名唱はもちろんのこと、デスピーナ:エミー・ルーズのフィガロのスザンナのようなコケットな歌唱も魅力的で、クンツとデルモータの男声陣も美しい重唱を繰り広げる。ドン・アルフォンソはパウル・シェフラーというバス・バリトン。なお、慣習的なのか第1幕の第13場すべてや、特に第2幕に相当大きい省略が何箇所かあった(第9場 第27番のカヴァティーナ、第28番のアリアの前後)。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年11月15日 (木)

のだめカンタービレ#19

ミルヒーの方が通りがいいのだめの指揮の巨匠シュトレーゼマンだが、久しぶりに吉田秀和『レコードのモーツァルト』(中公文庫)を読み返していたら、冒頭の「カラヤンのモーツァルトで・・・・・・maximum an legato 」の中に、当時(1970年代)ベルリンフィルのインテンダント(支配人、楽団長)であった(ヴォルフガング・)シュトレーゼマンが登場してきた。この人は、ドイツのヴァイマール期に首相を務め、ノーベル平和賞を受賞したグスタフ・シュトレーゼマン(以前、のだめのシュトレーゼマンで話題にした人)の息子だとのことだ。吉田氏は、訪独の折に、ベルリン・フィルのフルーティスト ブラウの演奏を聴き感心し、インテンダントのシュトレーゼマンと会話をした折にそのことを話すと、シュトレーゼマンも「彼は最近の団員の中での逸材だ」と答えたというエピソードだった。

のだめのシュトレーゼマンはもしかしたら、首相シュトレーゼマンではなく、ベルリンフィルのインテンダントの方から名前を借りたのかも知れないなどと思った次第。

さて、第19巻は、最近発売されたらしく、妻が11/14に購入してきた。ざっと読んだが、東洋人(日本人、中国人)の音楽学生の留学の悲哀が描かれていて、主人公のだめの奇跡的なコンセルヴァトアールへの留学への訂正記事のようだった。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年11月14日 (水)

西行と玉藻前

先日、DS文学全集の岡本綺堂の『玉藻の前』を読了した。この小説では、那須の殺生石と化した九尾の狐の前身である玉藻の前(たまものまえ)が、関白藤原忠通に仕えたとされていて、彼女を妨害する側として、忠通の弟である 悪左府頼長と信西(通憲)が登場する。

現在、朝日新聞で連載中の夢枕獏の『宿神』は、当初の私の予想とは異なり、西行を主人公として小説になっているが、ちょうど上記の忠通が非常に策謀に長けた宮中政治家として描かれている。

普通、忠通が温和な関白であり、頼長が悪左府と呼ばれるほどの策謀家だったとされるが、夢枕の小説では忠通を相当批判的に書いているのが面白い。西行が待賢門院璋子(たまこ、しょうし)を思慕していたという設定であるので、璋子に対立する美福門院得子(なりこ)側の忠通側を批判的に見ているのかも知れない。もちろん、悪左府とされる頼長や信西は、保元の乱の敗者側であり、敗者側からのこのような解釈もありうるだろう。(後日訂正:信西は保元の乱の勝者側でした。)

いずれにしても、この保元の乱の前哨戦とも言うべき時代は、関白家と天皇家の親子兄弟の複雑な人間模様が非常におどろおどろしくまた興味深い。そこに、庶民が中国伝来の妖狐伝説を付会したものが『玉藻の前』伝説だろうか。(モデルは、上記の美福門院とされる!)

岡本綺堂の小説は、今回『半七捕り物帳』『玉藻の前』と初めて読んで見た。後者は構成的に前半部の面白さに比べて少々尻すぼみ的なのが残念だったが、特に『半七捕物帳』は、WIKIPEDIAの解説にあるように、現代作家が書いたものと言っても信じてしまうほど文章が明晰であり、感心させられた。

P.S. 早速、光文社時代小説文庫で出ている本を数冊購入した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月11日 (日)

モーツァルト―音楽における天才の役割 (中公新書)

『モーツァルト―音楽における天才の役割 』(中公新書)を読んだ。これは、日本語版で、1992年に石井宏訳によって発売されたもので、モーツァルト没後200年の後のものだが、これまで読む機会がなかった。

ロビンス・ランドンは、ハイドンの研究家として著名であり、以前もセルのハイドンのエピソードで触れたことがあったが、これまで名のみを知る音楽研究家だった。最近、古書店で見つけて手にとってみたが、面白そうだったので、購入した。

これは、没後200年を記念したデッカレコードのモーツァルト選集(曲目の選択もランドンが行ったのだという)に付けられた解説POCL-2372/93)だというが、非常に充実したもので驚いた。最初にモーツァルトの生涯が手際よくまたランドンならではと思われる視点から語られ、次に、21章にわたってテーマ別にモーツァルト及び彼の作品について語られる。短いが、非常に刺激的で一息に読まされてしまった。

モーツァルトの人生での謎。ヴィーンでの人気の急降下とほとんど無名の人物のような淋しい葬儀について、P.156『モーツァルトのウィーンにおける凋落』、P.174『ドイツへの旅、モーツァルトの凋落』、P.201『モーツァルトの死』などで語られている。P.158には、「しかしモーツァルトが、こうした壊滅的な家計の状態に陥った理由についてはよく判っていない。つい先日までの人気者に対して、なぜウィーンの上流階級がこのように急激に掌を返してしまったのかは、謎に包まれている。もし、こうした急展開を解明する資料があるとすれば、それらは失われたのか、あるいはウィーンの膨大な古文書の中に埋もれているものであろう。」 また、P.162には、「1791年の12月にモーツァルトが死んだ時、ウィーンの新聞は、このできごとをほとんど報じなかった。それは極めて異常なことであり、多くの点でいまだによく判らない謎であるが・・・」とある。

ランドンの視野は、18世紀の音楽全般に広がっており、その中でのモーツァルトの位置づけという点で説得力があるものだと思う。同時代の多くの作曲家の中で、モーツァルトがなぜ現在でもこれほど「もてはやされているのか」というのは、実は難しい問題だと思うが、その理由の一つである神童であったことをランドンは率直に認めながら、その神童時代の作品の出来については、モーツァルトが手本にしたヨハン・クリスティアン・バッハやヨーゼフ及びミハイル・ハイドンの作品に比べて優れているわけではないと公平な評価をしていながら、作曲家としてひとり立ちしたヴィーン期の作品群について、やはり同時代の作品と比べてモーツァルトの独自性、プロフェッショナル性を的確に評価しており、信頼するに価するものだと思う。

これまで多くのモーツァルト論を読んできたが、アプリオリにモーツァルトの天才性を誉めそやすものが多く、特に神童性と傑作のどちらを誉めているのか区別が付かないような感じのものが多かったように思う。それに比べて、ランドンのこの小著は、一歩突き放した態度ではあるが、モーツァルトの何がどのように素晴らしいのかを冷静に明らかにしており、単なる賛辞とは違い、ここに書かれている作品をもう一度聴いてみたい気にさせてくれるものだった。特に、『コジ・ファン・トゥッテ』と『ティトゥスの慈悲』。

P.S. 石井宏氏は、音楽界の裏話などで辛らつな記事を書くジャーナリストでもある(『帝王から音楽マフィアまで (学研M文庫)』)が、この本でもモーツァルティアンの面目躍如で、『いつわりの馬鹿娘』と訳されたオペラを『見かけはすなおな娘』、『いつわりの女庭師』を『見かけは女庭師』というふうに、finta というイタリア語の形容詞を、「見かけは」と非常に巧みに訳しているのには驚かされた。

追記:2010年1月21日 岡田暁生氏の最近の著作 「音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉」を読みながら、やはり彼の『恋愛哲学者モーツァルト』評をネットで読み、関連してソロモンの『モーツァルト』と来て、このランドンの『モーツァルト』にたどり着いたのだが、WIKIPEDIAで見たところ、ランドン氏が昨年2009年の11月20日に逝去されたことを知った。冥福を祈りたい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年11月10日 (土)

河島みどり『リヒテルと私』

スヴャトスラフ・リヒテルのことは、クラシック音楽と付き合うようになった初期にカラヤンとのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のLPで何度も聴いてその演奏には親しんだが、長いことそこに留まり、未だにあまり聞き込めていないピアニストだ。

1990年代の来日の折にも、リサイタルのチケットが入手できたのだが、故障?か何かで来日がとりやめになったとかで、結局生演奏を聴くことはできなかった。

その後LPではマタチッチとのシューマンとグリーグの協奏曲、コンドラシンとのリストの二曲の協奏曲と言ったいずれも大曲、派手な曲の類から聴いてきたので、非常に腕達者で、集中力が凄い、というような漠然とした印象しかもっていなかった。

愛読書の吉田秀和『世界のピアニスト』ではプロ・コンの両面から書かれており、バッハやシューマンは誉められていたが、ブラームスのピアノ協奏曲第2番やアメリカ録音の『熱情』はけちょんけちょんだった。 この本は、数年前に出版され、吉田秀和氏の『音楽展望』でも紹介された本(●2003年10月21日 (火)  吉田秀和「音楽時評」 リヒテルのこと)だが、ようやく読むことができた。

リヒテルがヤマハのピアノを愛用していたこと(これはリヒテル生前の音楽雑誌の広告にヤマハCFモデルの広告でよく見た)、NHKのドキュメンタリーで日本人の調律師がリヒテル専属として活躍していたこと、日本に何度も来て日本びいきらしいこと程度は知っていたが、まさか通訳で付き人、マネージャー的な女性がいたということは知らなかった。

その女性がリヒテルの思い出を、クロノロジカルなものではなく、いくつかのテーマに沿ってエピソードを並べながら記したもので、読み物として、気楽に読めるものだ。

リヒテルの初来日は、ちょうどセルの初来日と同じで、1970年の大阪万国博覧会のときで、この河島さんはそのとき、初めてリヒテルの通訳として付き、それ以来20年以上の長きに渡り、リヒテル夫妻と家族的な付き合いをしながら、ピアニスト・リヒテルのサポートをしてきた。

リヒテルの伝記(が読めるのかは知らないが)には、当然書かれていることだろうが、この本はリヒテルの祖父から父母、母方のおじおばのことも詳しく書かれており、興味深い。父方の家系は、Richter というだけあり(あのバッハ演奏家のRichterと同じつづり)、ドイツ系であり、ソ連邦のパスポートには、民族はドイツ人と明記されていたという。そして、リヒテル本人も自分のドイツ人の血のことを強く意識していたようであり、また幼少の頃の環境からドイツ語は自然にしゃべれるようになっていたようだ。ロシア系のピアニストは、ドイツ音楽を得意とする人は多いが、ドイツ民族としての自覚が、彼の音楽を考える上で非常に重要だと思う。

日本では一部にリヒテルの茫洋とした田夫野人的な風貌から想像してのことだろうが、教養もデリカシーもないなどとひどい誤解をしている宇野功芳氏や福島章恭氏のような評論家がいるようだが、それが単なる思い込みであることもこの本が有力な反論となるだろう。ソ連時代に帝政ロシア的なサロン風の活動ができたというのもいい意味でも悪い意味でも凄いことだが、リヒテルの知性・教養は、日本の偉そうな評論家でそれと太刀打ちできる人がどれだけいるのだろうか、と思う。物を知らないにもほどがあるだろう。(『クラシックの名盤 演奏家篇』)

この『リヒテルと私』を読むと、リヒテルが、よく演奏家にある単なる目立ちたがりで自己顕示欲の強い性格とはまったく違う人格の持ち主であることがよく分かる。そして、ドイツ人の意識を持ちながらよきロシアを愛し、ソ連という社会の中で生きてきたということの意味の深さ。また、 この本の詳細な記述を読み、吉田秀和氏が『世界のピアニスト』のリヒテルの項で不満を漏らしているところを対比するとなかなか面白い。

聴衆は、舞台上で聞こえる音楽しか拠り所がないが、舞台裏には多くの(聴衆にとっては瑣末だが、演奏家にとっては重要な)事柄が数多くあるのが、分かる。 吉田氏が『音楽展望』で引いていたムラヴィンスキーのエピソードもこの本の最後の方で出てきたが、巨匠と呼ばれるような音楽家でも、絶えず恐怖と戦っているということが書かれている。気楽なリスナーとしては忘れてはいけないことだろうと思う。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2007年11月 8日 (木)

かぐや姫からの便りが届く

かぐや姫月へ旅立つという記事を以前書いたが、そのかぐや姫から素晴らしい便りが届いたとの知らせがあった。

JAXA の 「月周回衛星「かぐや(SELENE)」のハイビジョンカメラ(HDTV)による世界初の月面撮影の成功について」という記事とそのURL

http://www.jaxa.jp/press/2007/11/20071107_kaguya_j.html

このページからハイビジョン映像で月の世界をみることができる。

アポロの月着陸の時代をリアルタイムで経験した世代として、日本の技術でここまでのことができたというのはまことに喜ばしい。

月はなんと白く輝き、また漆黒の闇につつまれていることか。

P.S. 2007/11/14(水)夜8時からNHK総合で、「探査機"かぐや"月の謎に迫る」という特集番組が放送され、月から見た地球の「出」「入り」の美しい映像が放送された。「2001年宇宙の旅」の世界がそのまま現実化したような感じだった。アポロ12号のビーン飛行士がアメリカからゲスト出演したが、彼は人類で初めて月面から地球(の出と入り)を見た人物だという。まだ衛星の衛星であるかぐやは、観測機器等の調整をこれからまだ1ヶ月かけて行い本格的な観測は12月中ごろからだという。これにより、月の誕生(地球から分離したのかどうか)、月がいつも同じ面だけを地球に向けている理由(仮説では、月の現在の表の面の方に裏の面よりも重い物質が偏っており、そのため地球の重力で重い方が引っ張られるため同じ面だけを向けているのではないかと言われているようだ)などが確かめられるかも知れないという。

P.S. 2007/11/16(金) 月面から地球の出や入りが普通に見られるかどうかだが、月面定住生活をしている限りそれは不可能ではないかということだ。というのも、月はいつも同じ面を地球に向けているため、地球が自転により太陽や月など他の天体が地平線、水平線を出たり入ったりするように見えるのとは違い、地球が月の地平線を出入りすることはないからだ、という。かぐやの映像は、かぐやが月の北極と南極を結ぶ子午線上を表と裏を通過しながら飛行しているので、地球が出たり入ったりが見られたのだという。この辺の説明があったのか、なかったのか記憶が定かではないが、科学番組でより詳しく放送してもらいたいものだ。

JAXA ヴィデオ アーカイブズから 地球の入り

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月 6日 (火)

DS文学全集で『草枕』読了

先日購入したDS文学全集を通勤の往復などに持っていき、夏目漱石の『草枕』を読了した。(芥川の短編や、ダウンロードした岡本綺堂『半七捕物帖』1など合間合間に読んだものもあるけれど)

そして2年ほど前に読み直した川端康成『雪国』のことを思い出した。『雪国』も高校時代には読んでいたのだが、「当時はほとんど内容は把握できていなかっただろうな」と中年になりいろいろな経験を積んだ後に読み直し、それなりにこの小説を味わえたような気がしたときに思った。今回の『草枕』もさすがに漢文を幼少から得意としていた漱石の美文は難解な部分もあったが、若い頃読んだのとは違って、結構すっきりと頭に入ってきたし、細部の趣向も味わえたような気がする。漱石自ら古今東西の新趣向だと言うようなことを言っただけのことはあり、筋だけ追えば単純過ぎるものだが、画工の芸術観や、一風変わった温泉の出戻り娘との交流など、なかなかに味わい深かった。また、英訳のこの作品をあのグレン・グールドが愛読したというが、英訳ではこの漢詩や俳句や漢文調のフレーズはどう訳され、それをグールドがどう受け止めたのだろうかと想像しながら読むのも面白かった。

読書には適した時期があるという。ドストエーフスキーの『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』な難解な部分があると言っても青春のある時期に読んでおくべきだとは、誰の言だったか?

この『草枕』のような脱俗的な「非人情」の世界を描いたものは、漱石の初期作の一つとは言え、それこそ則天去私の境地ではないが、ある程度世知辛い世の中を経験してきたものでないと理解できないのかも知れない。

また、DSの文字はバックライト付きというのが、逆に目に優しいのか、細かい文字の文庫本を読むよりもいいかも知れない。ネット量販サイトのレビューに年配の人に結構受けているというものがあったが、これなら大きい文字の特別文庫を求めなくても老眼の進んだ人でも読めるので、そういう意味でテクノロジーの進歩がユニバーサルデザイン的な書籍を生んだとも言えるように思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月 4日 (日)

シュルレアリスムと美術 横浜美術館(9/29-12/9)

Photo
これまで一度も横浜美術館の展覧会を見たことがなかったので、秋晴れの一日、家族でドライブを兼ねてみなとみらいまで出かけてみた。

(上の写真は、グランドギャラリーに展示されているダリなどの彫刻)

横浜美術館前の広場にはこれまでにも何度も訪れたことがあるので皆馴染みの場所なのだが、数年前のルーヴル美術館展も子ども達が幼くて興味を示さないこともあり、中にはなかなか入らずにいた。

今回は、ポスターで私が以前から好きなルネ・マグリットの『大家族』が使われていたこともあり、見に行きたいと思ったので、子ども達の少しの抵抗を排除(?)して、とうとう中に入れた。今回この展覧会ならと思ったのは、シュルレアリスム絵画は、相当抽象性の高いものは別にして、比較的子どもにも面白いものだからという自分自身の実感があったからだ。案の定、具象的・写実的な絵画にはそれほど興味を示さない子ども達も、一通り見回った後は、「今日のは面白かったね」と言っていた。

展示は、第4から第6が企画展のシュルレアリスム作品。エルンスト、マグリット、ダリ、キリコ、ミロ、ピカソ、デルヴォー、マン・レイなどが並べられ結構見ごたえがあった。マグリットの「大家族」、「王様の美術館」・エルンスト「少女が見た湖の夢」(横浜美術館所蔵品)などが子どもにアピールしていたようだ。

常設展では、日本画で描かれた動物の特集があり、『宿神』の関係で今村紫紅の『鞠聖図』が興味深かった。また、下村観山が森狙仙という画家の『狼図』を模写したものが、ニホンオオカミの関係で面白いものだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月 3日 (土)

何と定価20万円のCD!? カラヤンの第九

昨日、帰宅時に最寄のCD店に立ち寄ったとき、何気なしに店頭のパンフレットを手にとったところ、カラヤン生誕100年を記念した定価20万円のCDの予約注文のパンフレットで、驚いた。

2万円の間違いかと思って数え直したが、税込みで200,000円となっていた! 

パンフレットによると、通常のCDはいわゆるプラスチックの基板にアルミ蒸着をしたものだが、この20万円の特製CDはガラス基板を使ったもので、プラスチックに比べて精度が桁違いなため、音質的に非常に優れているというようなことが書かれていた。

ネットで検索してみると HMVに詳しいニュースが載っていた。http://www.hmv.co.jp/product/detail/2625293

 「1962年ベルリン、イエス・キリスト教会で録音」が音源で、オリジナルマスターのリマスターからの制作のようだ。また、完全予約限定だという。

(ただし、ユニバーサルの公式サイトでカラヤンで検索してみたが、見つからなかった。 http://www.universal-music.co.jp/classics/ ) レーベル名が ユニバーサル ミュージックではなく、UM IMS となっているためだろうか?

ガラスCDについては、私はこれまでその存在も知らなかったので、このようなセンセーショナルなキャンペーンによって次第に認知されていくのだろうか、などと考えた。

それにしても、20万円とは・・・

別記事によると、ガラスCDの続編も予定されているというが、音質が従来フォーマットのCDより優れているというSACDでもないようだし、その辺りはどうなのだろうか?

追記:2007/12/3

今日になってこの記事へのアクセスが急増している。

解析ページ
1 日々雑録 または 魔法の竪琴: トップページ 3352
2 日々雑録 または 魔法の竪琴: 何と定価20万円のCD!? カラヤンの第九 4251

トップページに迫る勢いなので、検索してみたら、朝のテレビ番組(「とくダネ!」の小倉智昭)でこのCDのことが取り上げられたらしい。テレビや新聞の話題をネットで検索するということは私もやるが、これが結構普通のスタイルになっているようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月 1日 (木)

シュピルマンとヒトラーの映画

昨日、朝日新聞の夕刊でこのところ連載されているピアノを巡る物語で、あの『戦場のピアニスト』の主人公、シュピルマン http://ja.wikipedia.org/wiki/戦場のピアニスト の息子が数奇な運命によって現在日本の大学で、戦前の日本の右翼のことを研究しているということが紹介されていた。これを読み、先日、BS11で映画『ヒトラー ~最期の12日間~』 http://ja.wikipedia.org/wiki/ヒトラー ~最期の12日間~を見たことを思い出した。

後者では、ヒトラーも人間であることが描かれていたが、そのたった一人の人間のために、シュピルマンの家族に代表される多くの無辜の人々が、まさに虫けらのように虐殺されたのだ。前者の映画ではワルシャワのゲットーでドイツ軍人が無造作にユダヤ人をピストルで撃ち殺す様子や、シュピルマンの家族が黄色い星を付けさせられ強制収容所行きの列車に押し込まれるシーンは思わず目を背けざるを得ないほどだった。権力と思想の「非人間的」な側面をまざまざと見せ付けられた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ドヴォルザーク 交響曲第5番 ノイマン/チェコフィル

Neumann_dvorak_5 交響曲第5番ヘ長調Op.76,B.54(1875/1879初演/1887改訂)[4楽章]〔※本来Op.24(旧第3番)、現作品番号はジムロックによる〕(クラシック・データ資料館による

ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 (ディジタル録音)

漫画『のだめカンタービレ』第4巻p.109で登場したこの交響曲だが、ようやく聴くことができた。

1887年改訂とのことで、これは交響曲第7番ニ短調Op.70,B.141(1884~85/1885初演)[4楽章]〔※旧第2番〕の後の改訂となるため、旧全集版では第3番とされていたらしい。

先日、同じコンビの交響曲第6番ニ長調Op.60,B.112(1880/1881初演)[4楽章]〔※本来Op.58(旧第1番)〕も聞くことができたので、これでようやく旧全集の第1番以降を聴けたことになる。Neumann_dvorak_6


『のだめ』の実写ドラマでは、第5番の曲の登場する場面は省略されたが、アニメ版では原作に忠実に冒頭が少し演奏された。

ノイマンとチェコフィルの1980年代のディジタル録音(PCM録音)のもので、『新世界より』と同様、切れ味よりもチェコフィルの温和な音色が印象的なものだった。

曲自体は、通して聴くのは初めてだが、ヘ長調がベートーヴェンのSinfonia Pastorale を連想させる調性でもあるのか、『のだめ』ではドヴォルザークの『田園』と呼ばれるとコメントされていたが、ブラームス的な古典的プロポーションを持った作品のように思えた。楽想は、ドヴォルザーク的に人懐っこさを感じさせるものが多く、第2楽章で繰り返されるモティーフは、チャイコフスキーの有名なピアノ協奏曲第1番の序奏の冒頭の4音を連想させた。

P.S. 11月1日の夜、試しに家族にこのCDを聴かせてみた。第1楽章をかけながら、長男にこの交響曲は誰の作品かわかるかと尋ねたところ、「ベートーヴェン? (しばらく耳を澄ます) あ、思い出した。ドヴォルザークだね。のだめのドラマじゃなくてアニメの方に出てきた曲だよね。」と答えたのには妻ともども驚いた。長男は、のだめコミックには関心がないようで読んでいないし、アニメ(ビデオ録画してほぼ毎回見た)もそれほど熱心に見ていたようには見えず、普段は集中力が散漫でよく忘れ物をするほどなのだが、特定の分野(自分の興味のある分野)の記憶力は凄いものがあるようだ!

追記:narkejpさんのクーベリックとノイマン(私のと同じ音源)による記事を拝見してトラックバックを送った。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »