« のだめカンタービレ#19 | トップページ | 1789年 フランス革命 と ヴィーンでのモーツァルトの人気凋落に関係はあるか? »

2007年11月16日 (金)

『コシ・ファン・トゥッテ』をようやく全曲聴けた

モーツァルト 生誕200年記念の名録音による4大オペラ全曲集 10CDボックスセットに入っている『コシ・ファン・トゥッテ』(Cosi の発音は、コジと表記されることが多いがCD録音ではコシに聞こえる)をようやく全曲聴くことができた。ベームとヴィーンフィルの1955年録音(ステレオ!)。

後にも先にも、コシを全曲聴けたのはこれが初めてかも知れない。これまで、コシの録音は、小学館のモーツァルト全集のC.デイヴィス盤しか持っておらず、この録音もながら聞きで一度か二度聞いた程度だったので、今回のように序曲から終曲まで集中して聴けたのは初めてだった。上記の10CDボックスの全曲集はドイツ盤でもちろん対訳などは付いていないし(小学館全集には立派なものが付いているのだが)、音楽之友社の名作オペラブックスもすぐには入手できないので、ネットでオリジナルのリブレット日本語訳(なかなか読みやすいが実用的な省略もある)を探してプリントアウトして、歌詞を参照して筋を追いながら何とか聴けた。

オペラは、その音楽がいくら音楽として美しくとも、言葉が不可欠なので意味が分からないがゆえに余計にそれが気になり、純粋に音楽として味わうことがどうしてもできない。簡易な訳でも、今誰がどのような内容を歌っているのかをどうしても把握したくなる。フィガロやドン・ジョヴァンニ、魔笛のように他の演奏で何度も聴いて、およそ何が歌われているかが分かるようになってくれば、逆に純粋に音楽として味わうことも可能になるが、コシの場合はその前の段階で躓いていた。

今回は、先のロビンス・ランドンの本で、その蒙を啓かれ、大いに刺激を受け、また、改めて読んだ吉田秀和『レコードのモーツァルト』のベーム指揮<<コジ・ファン・トゥッテ>>、井上太郎『モーツァルト いき・エロス・秘儀』も参考になった。

また、これまでは、台本の原作が名作である『フィガロ』『ドン・ファン』は、それ自体の筋書きが面白かったのだが、この『コシ』は、ダ・ポンテのオリジナル台本で、内容的に現代のスワッピングのハシリとも言うべきプロットで、女性蔑視的であり、音楽は優れていても内容はとるに足りないものだという一般的な評価の影響を受けていた。それゆえ敬遠していた。

『コシ・ファン・トゥッテ』は、1789年の10月から12月にかけて作曲され、1790年に初演されたもので、『魔笛』『皇帝ティトの慈悲』に先立つ最後のオペラ・ブッファである。1789年には、ヴァン・スヴィーテンからの依頼によるヘンデルのメサイアの編曲、あの傑作クラリネット五重奏曲が生まれているが、1790年と並び非常に寡作の年である。

このオペラは、登場人物は、幾何的なシンメトリーを成しており、二組の恋人達、老哲学者と若い小間使いの計6人が様々な重唱を繰り広げるところにその特徴がある。そのため、他のモーツァルトの傑作のような、ソロアリアだけが取り出されて歌われることはほとんどない。しかし、重唱の魅力に気が付くとこのオペラが親しいものになる。フィオルディリージ(姉)とドラベッラ(妹)による第4番の二重唱 "Ah, guarda, sorella,"、アルバニア出身のトルコ貴族に扮したフェルランドとグリエルモによる第21番の二重唱"Secondate, auretta, amiche"では管楽器のアンサンブルが美しく、 第2幕第7場のフィオルディリージのレチタティーヴォと第25番のロンド "Per pieta, ben mio, perdona"ではホルンの活躍が目覚しい。 そしてフィオルディリージとフェルランドの第29番の二重唱は、この他愛ないと思われているプロットではあるものの、戯れの恋がフィオルディリージとフェルランドの間で真実の愛に曜変していく様が描かれ、非常にスリリングでもあり、むごい状況を知る観客としてフィオルディリージの心根が哀れに思えてくる。

昨日聴いてから、今日改めてつまみ聞きをしているが、一度「理解」できた後に再度聴くと、さらに味わいが深いような気がしてくるから不思議だ。

ベームのコシは、シュヴァルツコップフなどとのフィルハーモニア管によるEMI盤が名盤の誉れが高いもので、未だそれを聴いたことがないが、この盤のフィオルディリージ:リーザ・デ・ラ・カーザ、ドラベッラ:クリスタ・ルートヴィヒの名唱はもちろんのこと、デスピーナ:エミー・ルーズのフィガロのスザンナのようなコケットな歌唱も魅力的で、クンツとデルモータの男声陣も美しい重唱を繰り広げる。ドン・アルフォンソはパウル・シェフラーというバス・バリトン。なお、慣習的なのか第1幕の第13場すべてや、特に第2幕に相当大きい省略が何箇所かあった(第9場 第27番のカヴァティーナ、第28番のアリアの前後)。

|

« のだめカンタービレ#19 | トップページ | 1789年 フランス革命 と ヴィーンでのモーツァルトの人気凋落に関係はあるか? »

ディスク音楽06 オペラ」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

音楽」カテゴリの記事

コメント

驚いています。確かに未知なオペラは録音で聞くにはより勉強をしなければいけませんが、はもっともコンパクトで楽しみ易いものと思います。それも上のような筋書きの形式上のロココ趣味が原因となっていたとは。

私は他の二種類のベーム指揮盤を数限りなく聞きましたので、たとえ今手元にないものを鳴らしても、いつもの聴き所で同じように楽しめると思っています。しかし、ライヴ録音も素晴らしいのですがどうしても傷などが耳についてくるので最近は聞いておりません。またシュヴァルツコップ・レッグのも全曲は手元にありません。

さて上のものステレオとは嬉しい驚きですが、最初期のものでしょうね。これも聞いてみたいものですが、最新の古楽器の演奏などとの選択となるかもしれません。そのように、ザルツブルク音楽祭での体験などを含めて、通常の演奏では後にも先にもベームの解釈に勝るものはないようで、そのような時代趣味的な理由からこのブッファは再び演奏されなくなってきていると思われます。反対に時代趣味的に『皇帝ティトの慈悲』を代表とするオペラセリアへと関心が移って来ているようです。

投稿: pfaelzerwein | 2007年11月16日 (金) 15:50

pfaelzerweinさん、コメントありがとうございます。

恥ずかしながら書いてみました。どうも器楽や宗教曲に比べてオペラの鑑賞は苦手で、ヴェルディやプッチーニのような世界中の歌劇場の主要レパートリーとなっている作品でもほとんど聴いたことがないほどです。ヴァーグナーでも『パルジファル』などは全曲は未聴ですし、モーツァルト全集でいつでも聴ける頃にも『コシ』や『ティト』は、途中で投げ出したり集中力が続かなかったりしておりました。

ダ・ポンテとのコンビ作としては最終作になってしまった『コシ』ですが、プロットのあらすじを読んでみて、そのあまりの他愛なさに辟易したのがやはり敬遠の最たる理由で、結構楽しんで聴けた今でも、これがモーツァルトの音楽付きでなければ見向きもしないとは思っております。逆にオペラのリブレットで文学的にも優れたとまでは言わなくても、単純な設定、筋書き上でも演劇としては成り立たないようなものが多いような気がしています。

さて、このベームとVPOの1955年盤は、本当にステレオで、少々不自然なところはありますが、充分聴けます。リンクを張った過去の記事でも紹介させてもらった10CDセットに含まれているもので、日本ではHMVで簡単に買えましたが、本家ドイツでも
http://www.grosser-stein.de で入手できるようです。

投稿: 望 岳人 | 2007年11月16日 (金) 21:42

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/37411/17071184

この記事へのトラックバック一覧です: 『コシ・ファン・トゥッテ』をようやく全曲聴けた:

« のだめカンタービレ#19 | トップページ | 1789年 フランス革命 と ヴィーンでのモーツァルトの人気凋落に関係はあるか? »