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2008年1月の32件の記事

2008年1月31日 (木)

オイストラフ&オボーリンの『クロイツェル』『春』

Oistrakh_beethoven_5_9_2 ベートーヴェン(1770-1827)

ヴァイオリン・ソナタ第9番 イ長調 作品47『クロイツェル』
 11:43/15:26/7:00

ヴァイオリン・ソナタ第5番 ヘ長調 作品24『春』
 10:13/6:06/1:19/7:00

ダヴィッド・オイストラフ(Vn), レフ・オボーリン(p)  〔1962〕

そろそろ春の暖かさが恋しくなってきた。「春」を題材やテーマにした音楽は数多いが、このベートーヴェンの「春」は、作曲者本人があずかり知らぬものらしい。しかし、この第5番ヘ長調(田園と同じ調性)の全体に流れる暖かい情緒は、「春」という季節とそう遠くはないのかも知れない。

そこで、フィリップスのAn Excellence of Classic Music シリーズからの分売ものではあるが、古くから名盤と知られたダヴィッド・オイストラフとレフ・オボーリンによる少々古い時代の録音を取り上げてみた。

私の盤歴では、パールマンとアシュケナージによるデッカ録音LPの「春」と「クロイツェル」をまず聴き、その後、シェリングとヘブラーのベートヴェンのソナタ全集のLP(父が購入)で聴き、CDになってからクレーメルとアルゲリッチ(このコンビの「春」の生演奏を長野の県民文化会館という大きなスペースで隔靴掻痒なイメージだが聞いたことがあった)のCDを購入した。また、「クロイツェル」では、シゲティとバルトークによる歴史的な録音もCDとして求めて、以前記事にしたことがある。

また実演歴では、上記の超一流とは別に、長野の丸子町(現在の上田市)のかわいらしいホールで、男性のヴァイオリニストと女性のピアニストのデュオによる一日で全10曲をマラソンコンサートで演奏するというのにつきあったことがある。いろんな意味で大変な聞き物だった。

さて、ベートーヴェン時代のヴァイオリンとピアノのソナタの書法が、現代のグランドピアノの大音量を前提にしていたのかは議論の多いところで、どうしてもピアノのバランスが大きめになってしまう。モーツァルトの時代までは、ヴァイオリンのオブリガートが付いたピアノソナタという書法が主で、必ずしもヴァイオリン主体のヴァイオリンソナタではなかったというが、ベートーヴェン時代はちょうどその過渡期だったのかもしれない。後のブラームスやフランクによる素晴らしいヴァイオリンソナタを聴くとバランス面ではほとんど不満がないが、特にベートーヴェンでは、どうしてもピアノの音量がポイントだと思う。

この点、オイストラフとオボーリンのコンビは、初期のステレオ録音ということもあるのだろうが、ピアノがでしゃばりすぎることもなく、ヴァイオリンのバランスもよく、相当安心して楽しめるものになっている。特に「春」が、オイストラフの柔和で穏健な表情のヴァイオリンの演奏もあり、楽しめるように思う。「クロイツェル」は彼らの祖国の先輩であるトルストイが、ベートーヴェンの音楽から受けた衝撃への反発のような形でものした小説があるが、それほど激しい絡み合うような演奏ではなく、どちらかといえば「春」寄りの演奏のように聞こえる。

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2008年1月30日 (水)

藤沢周平『用心棒日月抄』シリーズ読了

1月3日のトランヴェールに始まった藤沢周平『用心棒日月抄』シリーズ全4作読破計画もようやく一昨夜完了した。

第2作『孤剣』、第3作『刺客』と快調に短編集を読み進めてきたが、第4作『凶刃』にいたって少々これまでのリズムとはなんとなく違い話の筋がすんなり頭に入って来なくなってしまった。少々、デプレッション気味のときには、難解な書籍の読解力が急激に落ちるのでそれかとも思ったが、相変わらず藤沢周平の文章め平明で明瞭なのでどうしたことだろうと思いつつ、この第4巻を読み終えるまで約1週間ほどかかってしまった。

現代の大きめな活字の文庫で400ページほどなので、調子のいいときは一晩で読んでしまう分量なのだが、これまでのリズムとの齟齬があってこうなってしまったらしい。というのも、うかつな話だが、ようやく終盤になってから、この第4巻がこれまでの連作短編とは違い長編だということに気が付いたのだ。

また、第3巻と第4巻との間にある10数年という時間差も、それまでの小気味よさとは違うものを醸し出していたのかも知れない。

ともあれ、トランヴェールできっかけをもらった読書も一通り終わった。池波正太郎や岡本綺堂など江戸の情景描写の先達のせいか、藤沢周平のこのシリーズで江戸の風景や季節感、情緒をあまり感じたことはなかった。それよりも、もっと濃厚で普遍的な人間模様を味わうことができたように思う。そういう意味でトランヴェールの特集へは仇をなすようだが、江戸の地名や風物を求めさせる点では、池波正太郎の方が吸引力は強いように思った。逆に藤沢周平の小説は、土地の匂いよりももっと人間に力点を置いているように感じる。

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2008年1月29日 (火)

クリップス/ACO のモーツァルト交響曲第40番、第41番

Kripsmozrt4041 モーツァルト
 交響曲第40番 ト短調 K.550
    9:31/7:31/4:44/7:05

交響曲第41番 ハ長調 K.551
   12:32/8:15/5:24/6:49

ヨーゼフ・クリップス指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 〔1972年6月録音〕

(Shinseido 1000 classics ⑤ SDMP-5)

現在は、フィリップスのスーパーベスト100で容易に入手できるクリップスのモーツァルト:交響曲第40番&41番だが、それまでなかなか自分の手元には訪れてくれなかったものだった。

昨夜、みー太さんの音楽日記728 セル(16) モーツァルト 交響曲 第40番 のセルの来日公演の録音の記事にコメントをつけさせてもらったが、セルのモーツァルトの玲瓏で微妙なニュアンスを湛えたモーツァルトの魅力とは違う魅力を楽しめる最右翼がこのクリップスのものかも知れないと聴くたびに思う。

学生時代、クリップスの残したモーツァルトの評判を聞き、エアチェックが成功した「パリ」交響曲を何度も楽しんだが、20番台や今回のような後期の交響曲の録音にはなかなか触れることができないでいた。現在では、なぜかフィリップスレーベルではなく、デッカレーベルの6枚組みが入手できるが、どうもリスナーの間ではフィリップスレーベルの音質の方が評判がよいようだ。

この新星堂による廉価な復刻特別盤の音質も、これが30年以上昔の録音だろうかと思わせるほどの自然で伸びやかな音色で素晴らしい。

演奏は、セルのモーツァルトとは違う魅力と書いたが、クリップスはあまり厳しい指導をしなかった人らしく、アムステルダム・コンセルトヘボウの自発性に任せているのだろうか、非常におおらかで伸びやかなアンサンブルなのだが、かといって乱れもなく、内声部のちょっとした味付けや楽器のバランスにクリップスの解釈や個性が見えるし、何よりもセカセカしないテンポ感がなんとも気持ちいい。ゆっくりなのだが、遅いとかじれったさを感じさせないのだ。

余談になるがクリップスといえば、クリップス指揮の廉価盤LPのベートーヴェンの「第九」が実家にあり、第九の全曲を初めてレコードで(NHKの年末の放送でなく)聴いたのはこのクリップス盤が初めてだった。今聴くと大層ユニークな演奏に聞こえるのだが、先にクリップスとVPOによるモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』も例の生誕200年記念名盤で聴くことができたように、クリップスはモーツァルトには非常に相性がよかった指揮者だったようだ。

追記: その後、HMVのサイトで、オリジナルのフィリップス盤も出ているのが分かった。2007年の発売で6枚組み6000円と、少し高価だが、欲しい。

よく訪問させてもらっている「クラシック音楽のひとりごと」さんでも、このCD(まったく同じ新星堂の特別盤)を取り上げられているのに気が付いて、トラックバックさせていただいた。先日のベルグルンドのシベリウスといい、今回のクリップスのモーツァルトといい、同じ音源を取り上げておられ、まったく違う再生装置ながらよく似た感想も見受けられて、面白いものだと思う。

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2008年1月28日 (月)

江藤俊哉氏の実演を聴いた思い出

この1月22日に亡くなったヴァイオリニスト江藤俊哉氏の実演を聴いた思い出を一リスナーとして記録しておこうと思う。あとを読んでもらえれば分かるが、演奏自体に感心したことよりも彼の責任感の強さに強い印象を持った。

東北大学の川内講堂での東北大学交響楽団の定期演奏会には、山田一雄さんだとか、あのズデニェック・コシュラー氏だとか、この江藤俊哉氏だとか、意外な一線級の大物が客演してくれたもので、学生だった頃にはオケの楽器などできもしないのに単純な音楽好きという理由からオケへの入団も憧れだったが、流石にヴァイオリンンやオーボエ、ファゴットの経験者の同級生などが入団するのを横目で眺めつつ、定演を友人とときどき聴きに行ったものだった。

大学生活中の江藤俊哉氏の来演は1回だったか2回だったか記憶があやふやになっているが、友人とエアチェックテープでタップリ予習して出かけた期待のブラームスのヴァイオリン協奏曲の演奏が、一体何が起きたのかびっくりするくらいメロメロだったのに驚いたことを今でも鮮明に覚えている。しかし、そのコンサートの後、関係者の友人から江藤氏は持病の内臓病の痛みをおして出演し、痛みに耐えながら演奏してくれたということを伝え聞いた。比較的舞台に近い席で聞けた演奏会だったが、身をよじり脂汗を流しながらの熱演だった。

今、客観的に考えれば、学生オケの定期演奏会は、学生たちにとってはかけがえの無い経験ではあるが、プロの音楽家にしてみれば、体調不良でキャンセルしてもそれほど音楽的な経歴上も問題がないように思えるのだが、そのような功利的なことを考慮せずに、学生たちの熱い音楽への思いに応えようと無理をしたのではないだろうかと、想像する。相当の痛みを押しての熱演は、とまどいはあったが、今でも心に残っている。

ベストコンディションのときの江藤氏の演奏は、ベートーヴェンの協奏曲をその後か前に聞けたのだったように記憶するのだが、記録がウェブでは確認できないので、どうも確信がない。もしかしかたら聞けなかったのかも知れない。

彼の音色はいわゆる弓と弦の立てる擦れが多い音ではなく、脂の乗った滑らかな音色が特徴だったと思う。体格的にもオイストラフを想像させ、恰幅のよい演奏をしてくれる印象があったが、あの苦吟ともいうべきブラームスは今でも忘れることができない。

冥福を祈りたい。

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参考に東北大学交響楽団のオフィシャルページより当時の演奏会の記事を抜粋してみたが、1980年代の詳細な記録は掲載されていないようだ。ただ、メインがドボ8だったのを覚えているので第99回の演奏会だっただろうと思う。

http://www.tohokuuniv-orch.com/concerts/regconcertlist.html

95回 1980年12月6日 チャイコフスキー 交響曲6番「悲愴」他 高宮誠
96回 1981年7月11日 ショーソン 交響曲他 ズデニェック・コシュラー 
97回 1981年12月5日 シューマン 交響曲3番他 大町陽一郎
98回 1982年6月17日 ブラームス 交響曲三番他 山田一雄  

99回 1982年12月11日 ドヴォルザーク 交響曲8番他 菊地俊一  
  <<このときが江藤氏のブラームス?>>

100回 1983年6月18日 ベートーヴェン 交響曲9番 高宮誠
101回 1983年11月26日 ブラームス 交響曲1番他 山田一雄

なお、このうち、川内の講堂が改修工事のため、宮城県の県民文化会館(という名前だったと思う、定禅寺通りに面していた古いホール)で開かれた演奏会で、山田一雄さんが、『火の鳥』の組曲を指揮された記憶がある。

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2008年1月27日 (日)

傷ついたCDの修復に成功した

2006年10月28日 (土) モーツァルトの弦楽四重奏曲 ABQ の記事を書いたが、これは、(最近まったく更新していない)ホームページに載せてある以前から大切にしているCDだ。

☆弦楽四重奏曲集 アルバンベルクQ (TELDEC 72P2-2803/6) 4枚組み 1976年から1978年録音

第14番 ト長調 K.387 (ハイドンセット第1番、通称「春」)
第15番 ニ短調 K.421(417b) (同第2番)
第16番 変ホ長調 K.428(421b)(同第3番)
第17番 変ロ長調 K.458(同第4番、通称「狩り」)
第18番 イ長調 K.464 (同第5番)  
第1楽章終盤と第2楽章初めがCDの擦り傷のため再生できず。
第19番 ハ長調 K.465(同第6番、通称「不協和音」)
第20番 ニ長調 K.499(通称「ホフマイスター」)
第21番 ニ長調 K.575(プロシャ王第1番)
第22番 変ロ長調 K.589 (プロシャ王第2番)
第23番 ヘ長調 K.590 (プロシャ王第3番)

もう数年前だが、上記の赤のメモのようにCDケースを開けるときにうっかりストッパーから外れていたCDが落下してしまったため、その勢いで円周方向に擦り傷がついてしまい、音飛びや繰り返し状態になってしまい、ここずっとその部分を聞くことができなくなっていた。そのCDを試しにスキャナーでスキャンしてみたのが、下記の写真。

Photo
この写真の中心部から左上方の約45度、記録部の内側の端から約5分の1ほどのところにある薄い傷だ。ちょうど第1楽章の最後と第2楽章の初めにかかっていて、第1、第2がほぼ同じ動機で始められるユニークなこの曲をしばらく聴けないままだった。

今日、近所のショッピングセンターに理髪と買い物に行ったついでに、電気店をウロウロしていたら、ディスク売り場のところに「ディスクの救いの星」なることが謳われた左下のEUPA TWI-DR02 Disk Repair & Cleaner が売られており、CDレギュラープライス一枚強の値段だったので、ものはためしと購入してみた。帰宅して確認したら中国製だったので、どうかとも思ったが、日本語表記で結構丁寧な日本仕様?包装でもあるので、まずは試しにと、この大事なディスクをセットしてみた(最悪、そのCDだけ単売ものを買おうかと思った)。

商品紹介のコメントではあまりいい評価が付けられていないが、使い方もそれほど難しくなく、幸い初期不良もなかった。

結果といえば、1度のリペア作業では効果なし。手近なポータブルCDプレーヤーではまだ音飛び状態。

次に、思い切って研磨してみたところ、派手に研磨模様がつきはしたが、ポータブルCDプレーヤーでは以前より音飛びが少なくなっている。(後で思ったが、ポータブルやDVDプレーヤーの方がエラー補正機能が、据え置きのオーディオ専用CDプレーヤーや、PCのCDドライブより優れているようだった。)

もういちどリペアしたらもう少し改善し、さらに研磨したところ、ポータブルプレーヤーでは完全に再生できるようになっていた。

これで大丈夫だろうと、バックアップを取る為にPCでiTunesやMediaPlayerで読み込ませると、傷のエラーのためか?PCがダンマリ状態になってしまう。これを据え置きCDプレーヤーに掛けてみるとやはり音飛びがする。DVDプレーヤーで試したら、きちんとトレースしたのだが。

そこで3回目の研磨をし(相当の研磨跡がついた)とリペア(特殊な液体を塗る)をして、表面についたカスをクリーニングをしたところ、今度はPCでもきちんと読め、据え置きプレーヤーでも問題なく再生できるようになってくれた。

実は、第18番 イ長調 K.464 (同第5番)と第19番 ハ長調 K.465(同第6番、通称「不協和音」)のカップリングは、この後期四重奏曲集セットを買う前に単独で持っていたのだが、このセットを買ったのを機に友人(現在は遠方に住んでいる)にプレゼントした経緯もあり、特にこのイ長調の曲が派手さはないが好きだったので、聴けないのは長年の胸の痞えだったのだった。これがようやく改善できたので非常にうれしかった。

追記:そういえば今日1月27日は、モーツァルトの252回目の誕生日にあたる日だ。快晴だが、外は寒いし、家族の用事があり丸の内の凍結マンモスのリューバを見に行くこともできないので、ゆっくりと自宅で蘇ったK.464を聴いてみようと思う。ちなみに解説書によると、このイ長調はベートーヴェンが好んだ曲だったという。専門的には全楽章の主題的な統一が見事なのだという。またベートーヴェンは、このほかK.466のニ短調のピアノ協奏曲を自分でも愛奏してカデンツァまで残したのだった。

追記:2013/10/20

イ長調 K.464の生演奏を聴かれたという narkejpさんの山形弦楽四重奏団第49回定期演奏会でハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンを聴く 2013年10月20日 にトラックバックを送らせてもらった。

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2008年1月26日 (土)

ブラームス アルト・ラプソディー『冬のハルツの旅』 ルートヴィヒ、ベーム/VPO

Brahms_symphonies_boemvpo ブラームス

ゲーテの詩『冬のハルツの旅』からの断章による アルトと男声合唱とオーケストラのための『アルト・ラプソディ』 Op.53

クリスタ・ルートヴィヒ(アルト)、ヴィーン・ジングフェライン(男声合唱)

カール・ベーム指揮ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 1976年6月 ムジークフェライン グローサーザール

とうとう水溜りに氷が張り、霜柱も見られた。高村光太郎ではないが、「冬が来た!」だ。

冬を題材にした音楽と言うと、やはり情景描写的な標題音楽か、詩が冬を扱ったものになることが多い。このブラームスの『アルト・ラプソディ』も、ゲーテの詩が冬のハルツ地方の旅を扱ったものということで、やはり冬の曲に入るのだろう。

この交響曲全集のフィルアップとしては、このほかにハイドン・バリエーション、悲劇的序曲が収録されているが、普通大学祝典序曲が入ることが多いので、この選曲はなかなか得がたいものだと思う。ただ、このコレクターズエディションは、解説記事は(英独仏)結構詳しいが、せっかくのこの「アルト・ラプソディ」のテキストが掲載されていないので、困ったときのWikipedia 頼みで、英語版Wikipedia を参照しながら聴いた。

低音を主体としたオーケストラによるものものしいスフォルツァンドが繰り返され暗鬱に曲は始まる。木管と高弦がそれを受け静まり、アルトソロが無伴奏で歌いだすと、再び冒頭の部分がオーケストラで再現される。次第に高まった後、3:40頃曲調が少し穏やかに変わり、淡々とした歌がしばらく続き半終止。

4:50頃から短調で新しいエピソードが歌い出され、フルートも加わり次第に高揚していき、長調に達するのは 6:15頃。しばらくアルトは半音階的に動き、オーケストラが再び高まると、第二部分が繰り返され?、長調的にホルンで落ち着く。

9:30からは、男声合唱を伴うアルトによる長調の中間部。穏やかな曲調。11:00から転調し少し動きを伴う。すると美しいオーボエソロが先導し、合唱による中間部に入り、オケが高揚、11:50中間部が変形して戻り、満ち足りたクライマックスに達し静まる。

14:09からは木管の明るい先導が始まり、アルトと合唱が高揚して、また静まっていく。15:40からは、一息おいて最後の和音が伸ばされる。約16分。

つい聴きながら別のことを考え勝ちな曲なので慎重に2回聴いてみた。暗鬱な威嚇するような音楽で始まるのでいったいどうなることかと思ったが、ダカーポ形式ではなく、冬の厳しさから次第に春の明るさへと向かうような曲調の変化が感じられた。

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2008年1月25日 (金)

ホッターの「冬の旅」

Hotter_winterreise  

シューベルト 歌曲集『冬の旅』(ヴィルヘルム・ミュラー詩)

ハンス・ホッター(バス・バリトン)、ハンス・ドコウピル(ピアノ)<1969年東京ライヴ>

参考:
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)とイェルク・デムス(ピアノ)<1965年 ベルリン>
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)とアルフレート・ブレンデル(ピアノ)<1985年 ベルリン>

1/23には関東でも2年ぶりの積雪、その後低気圧が西から東に発達して移動し、強い冬型の気圧配置になり、東北日本では暴風雪警報が出るほどで、ここ南関東でも帰路の暗い道を辿ると北風が身に沁みる。大寒も過ぎたが今が寒さの底で、光の春ではないが、12月20日ごろの冬至から数えると既に1ヶ月を過ぎすこしずつ日が延び、春が遠くないことを感じさせてくれる瞬間もある。

このような寒い日にまったく「ベタ」な選択ではあるが、三種類の『冬の旅』を聴きなおしたり、過去の感想を思い出したりして鑑賞してみた。180年前1828年の1月10日、作曲家の死の年にこの『冬の旅』の第一部が初演されたのだというのでそれにもちなんではいるのだが。

フィッシャー=ディースカウとブレンデルのコンビのものは、このCDが発売されてすぐに求めたものだと思う。それ以来何度となく聴いたが、最近しばらく遠ざかっていた。以前にも書いたが、ディースカウの美声に陰りが出始め、ブレンデルとのアンサンブルもあまりしっくり行っていないように感じてきた。

ディースカウがデムスと組んだ1965年盤は最近入手したもので、簡単なコメントを書いたが、心を鷲掴みとまでは行かなかった。

テナーの歌唱が耳をよぎるのは、少年の頃からユリウス・パツァークとイェルク・デムスのLPをそれこそ擦り切れるほど聴いたためだろうし、高校の音楽の授業の教材で冒頭の"Gute Nacht"をテナーの声域で歌ったことも影響しているだろう。これについては、もう何度も繰り返していて、自分には一種の固定観念になっているようだ。今では、ボストリッジだとか(参考:ボストリッジの興味深いビデオ作品の記事)、ブレカルディエン、もう少し前ではシュライアー、ヘフリガーなどのテノール歌手もこの曲を取り上げていた。シューベルトのオリジナルがテナー用だったということもあるのだろうし、やはりミューラーの詩が、最後には霜置く髪のように老年を想起させるとは言え、本質的にさすらう若者の歌なので、テナーの歌唱が絶望した若者のイメージには合うように思う。

数年前に入手してたホッターの東京ライヴは、CBSソニーのカタログには以前から載っていたもので、あのヴァーグナー歌手のホッターの貴重なライヴ録音として有名なもので、コレクションシリーズの分売で買ったもので、子ども達には「格好のいい声」と受けたのだが、バス・バリトンの声質が自分のこの曲の経験上異質なものを感じたこともあり、あまり馴染めないものだったが、今回腰を据えて聴いてみている。

暗く深く重い声質の、ヴァーグナーの神々の長、ヴォータンを得意とした歌手なので、ヴィーダーマイヤー的な軽さはまったく望むべくもなく、最も有名な「菩提樹」でも、夏の日の憩いも寒風吹きすさぶ目前の景色の方に重点が置かれる。第10曲の「憩い(休息)」では、非常に大きなダイナミックの幅で、若者の旅というよりも、別のより巨大な風景が眼に浮かぶ。第11曲の『春の夢』の甘い夢想にも留まることは決して出来ない。しかし、第1部終曲の第12曲「孤独」は、バスの声質によく合い、心に沁みる。第13曲は、郵便馬車、先日のN響アワーのベートーヴェンの不滅の恋人でも第8交響曲のメヌエットのトリオのホルンがポストホルンを模したものだという話が出たが、当時のヨーロッパの交通機関で、郵便馬車は非常に重要だったのだろう(モーツァルトのポストホルンセレナードもいい曲だし)。

第14曲の「霜置く髪」と第15曲の「からす」、第20曲「道しるべ」、第21曲「宿屋」が個人的には好きな曲だ。このあたりまで聴き進むと、バス・バリトンの声質の世界に引き込まれているかのようだ。もう若者の恋愛と失恋と夢想の世界から、別世界へやってきてしまったのだから。

最終曲の「ライエル回し」(辻音楽師)は、やはり高校の時に、教育実習生の高校の先輩が実習授業でピアノ伴奏して歌ったものだが、当時若かりし頃の淡い憧れのようなものが今でも残っていて、この曲自体の底知れぬ虚無感と齟齬を来たすようなところがある。個人的な思い出も曲の鑑賞にはいろいろあるものだ。決して妨げになっているわけではないのだが・・・。

録音(自分の再生装置)は、ホッターのエネルギーの大きい声には少し非力だったようで、音量ピークの部分で少し音割れがするが、それほど聞き苦しくない。ドコウピルのピアノは明瞭に録音されている。

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2008年1月24日 (木)

ゲルギエフ マリンスキイの『白鳥の湖』(NHK芸術劇場)

先週金曜日の夜の芸術劇場は、2006年の白夜の公演と名づけられた?サンクトペテルブルク(旧レニングラード、ペトログラード)のマリンスキイ劇場で、音楽監督の今や泣く子も黙る強面のワレリー・ゲルギエフが、久々に上機嫌そうなこざっぱりした面貌で、ロシアバレエ界のトップスターたちと、伝統の『白鳥の湖』を公演してくれた。NHK,デッカ等の共同制作だったようなので、そのうちDVDなどで発売されるだろうとは思ったが、ヴィデオに収録して、子どもが毎日宿題をやったらご褒美だといって?少しずつ鑑賞した。

妻は昔少しバレエを習っていたとのたまい、長男は幼い頃からフィギュアスケートのペアのダンス競技を好んでいることもあり二人ともバレエには非常に熱心。それに長男はチャイコフスキーの音楽も大層愛好している。次男も悪魔ロットバルトや黒鳥の怪しい魅力にひかれたらしく、細切れで4日に渡る鑑賞だったが、結構楽しめた。

音楽では、マリンスキイのコンサートマスターだろうか、ヴァイオリン独奏がそれは見事で、うっとりとさせられたし、名プリマによるオデット王女の白鳥と黒鳥、ジークフリート王子役も道化役も実力者、ロットバルトはメークアップと衣装が凄い(フクロウの化身とのこと)ものだった。また三羽の白鳥のコミカルな踊りもさすがに素晴らしく、群舞もそれぞれ実力者揃いなのだろう、素晴らしい出来だった。

2006年の夏至の頃の収録だというが、短い夜をペテルブルクの人々はこのようにして楽しんでいるらしい。

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2008年1月23日 (水)

グリュミオーの『スペイン交響曲』、サン・サーンス ヴァイオリン協奏曲第3番

Grumiaux_lalo_sainsaens ラロ(1823-1892) スペイン交響曲 ニ短調 作品21
  7:25/4:12/6:16/8:11  (間奏曲省略版) 

サン・サーンス(1835-1921)
 ヴァイオリン協奏曲第3番 ロ短調 作品61
 8:36/8:15/10:50  〔1954年6月21-23日、パリ、モノーラル〕

 序奏とロンド・カプリチオーソ 作品28 8:44

  ハバネラ 作品83 9:34  〔1956年11月26-29日、パリ、モノーラル〕

アルテュール・グリュミオー(Vn)
ジャン・フルネ指揮 コンセール・ラムルー管弦楽団 

ラロの『スペイン交響曲』とサン・サーンスの3番のヴァイオリン協奏曲は、以前からよくカップリングされており、この古い録音の名演奏盤の入手前には、このブログの記録では2003年にチョン・キョンファの同じ曲目のCDを購入して楽しんだことがある。また、LP時代には、パールマンの演奏による『スペイン交響曲』とラヴェルの『ツィガーヌ』のカップリングを父親が買ってきて、このスペイン情緒のたっぷりした(自分にとってはポピュラー音楽に近い感覚の)親しみやすい音楽を楽しんだものだった。

ラロのこの曲は、オリジナルは五楽章制だが、古い時代には(フランチェスカッティ盤もそうだったと思うが)第3楽章のイテンテルメッツォを省略する形で演奏されることが多かったようで、このグリュミオー旧盤でも同じく省略されており、少々もったいない。

さて、この録音は、モノーラル末期でまだステレオに移行する前のもので、当時父が購読していた『藝術新潮』の当時のバックナンバーが実家に保管してあり、高校時代にそれを棚の奥から引っ張り出して、アポロンのトスカニーニ、ディオニュソスのフルトヴェングラーというような音楽評論を読んだのを思い出すが、モノーラルからステレオへの移行期にも、SPからLP, LPからCDへの移行期と同じような音質議論があったのが分かる。初期のステレオは、両側の立体感を強調するために、中抜け的なバランスがあり、それならば良質のモノの方がよいというような主張が幅を利かせていた時代もあったらしい。

閑話休題。グリュミオーは好きなヴィオリニストで、このブログでもこれまでにヘンデルとバッハや小品集を取り上げたことがあるが、これほど古い録音は初めてかも知れない。1921年生まれの彼がまだ30代半ばの新進気鋭の頃の録音ということになる。オーケストラは1913年生まれのフランス指揮界の名匠だったジャン・フルネの指揮によるコンセール・ラムルー管弦楽団。現在では日本の佐渡裕(ゆたか)が指揮者を務めていることでも知られ、ハスキルとマルケヴィッチのモーツァルトのピアノ協奏曲21、24番の名録音でも自分にとっては親しい。(「のだめ」関連では、千秋真一とジャンのオケのどちらかがこのラムルーをモデルにしており、もう一方はコロンヌなのだと思う。)

モノラール論議ではないが、聴き始めは多少違和感があるが、艶やかなグリュミオーの美音をたっぷり楽しめるもので、メインの2曲のほかに、サン・サーンスの佳曲「序奏とロンド・カプリチオーソ」「ハバネラ」をオケ伴で聞けるのもお得な感じだ。

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2008年1月22日 (火)

シベリウス 交響曲第1番 ベルグルンド/ヘルシンキフィル

Sibelius_symphonies_berglund ヤン・シベリウス(1865.12.8-1957.9.20)

交響曲第1番 ホ短調作品39(1899年完成)
パーヴォ・ベルグルンド指揮 ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団 
  1986年5月 ヘルシンキ、文化ホールでの録音

2006年4月19日 (水) シベリウス 交響曲第3番 ベルグルンド/ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団 の記事で書いて以来、この交響曲全集のリスニングはほとんど進んでいない。昨年は没後50年ということもあり、寄り道をして「カレリア組曲」などを楽しみはしたが、一度基本に戻って(?)愛好曲であるこの第1番を改めて聴いて感想をまとめてみようと思う(その前の作品『クレルボ』交響曲は、また特殊な作品なのでひとまず棚上げをしておく)。

第4番から第7番の交響曲についてほとんど理解が進んでいないのだが、この第1番は第2番にも増して比較的古典的とも言える把握しやすい形式を用いながら、作曲者独自の音楽が奏でられているように思え、冒頭からひきつけられる。聴きながら自分的な聞き取りを書き付けてみよう。

クラリネットによる不思議な呼びかけのような序奏にティンパニのトレモロ、そして弦のトレモロの上にいきなり曙光が射し込むような第1主題が登場する。この第1主題は、印象的で、初めて聴いたときからすっかり魅了されてしまった。この第1主題ががっちりと確保された後、ハープに乗って木管が森の小鳥たちのような第2主題を奏で始め、息の長い木管のメロディーを導き出し、クライマックスを作り、その後ブラスによる嵐のような楽想が展開される。このあたりが展開部だろうか?(経過6分前後)。素材的には第1主題はあまり用いられず、第2主題群が使われるようだ。7:20頃から弦楽合奏による明快な世界への再現を予告し、8分前後から第1主題が感動的に再現する。第2主題群は、提示部の順序では再現されず、木管によるリズミカルな音が積み重ねられアッチェレランドしてブラスによるクライマックスから低弦であっさり終わる。比較的分かりやすいソナタ形式だ。

第2楽章は、長調の穏やかな弦楽から始まりエコー的な木管にシベリウスの特色が見えるようだ。続いてファッゴトなどの木管によるエピソードが次第に劇的に高まっていく。再びハープに乗ったホルンの柔らかな情景が現れるが、その後また鳥の鳴き交わしのような部分が現れる。楽想の展開がめまぐるしく、突発的なクライマックスが現れたりもする。その後、木管のグリッサンドのような音型を伴い、弦による逡巡するようなテーマが現れ、再びクライマックスを作り出し、闘争的な様相を呈する。その後、冒頭の穏やかな弦楽合奏に戻り、エコーも聴かれる。大雑把に言えば三部形式なのだろうが・・・。

第3楽章は、伝統的なスケルツォ楽章だが、主題も楽器法も個性的で面白い。主題はいかにも洗練されていない民俗的なものを使用したようで、ナマの面白さを感じる。2:45頃からいわゆる長調のトリオの部分に入ったようだがラプソディックな性格を残す。そして主部の再現。コーダ4:40頃からは輝かしく盛り上がり終わる。

フィナーレは、いきなり弦による嘆きの歌から始まる。そこにシベリウス的な金管のエコーが続き、トレモロが加わる。解説によるとオーボエやフルートで奏でられる冒頭部は、第1楽章のクラリネット序奏の変形だという。楽器群が会話をするような主部に入る。短いモチーフでの会話がシベリウスのお得意だ。その後、チャイコフスキーの影響を思わせるドラマチックなエピソードに入る。劇的なエピソードの後は、慰撫のような穏やかなメロディーが続く。チャイコフスキーで言えば、ロミオとジュリエットの愛の場面に通じるだろうか?金管と木管によるコラール風のフレーズが終わると、再び騒々しい焦燥感のある部分になり、ドラマチックに闘争が繰り広げられるかのようだ。8:00前後からは、先ほどのロマンチックな美しいメロディーが弦楽合奏主体にたっぷりと歌われる。コーダは、シベリウス的なブラスの強奏とティンパニのトレモロで高まり、静かに終わる。この楽章は、交響曲のフィナーレというよりも、交響詩や幻想的序曲という風にに名づけられる方がふさわしいような性格を持ち、少し晦渋で分かりにくい。

シベリウスとしての性格があまり出ていない若い頃の作品(といっても、有名な『フィンランディア』と同時期)と言われているが、他の作曲家との違いは明らかで十分シベリウス的だと思う。個人的には、お気に入りの第1楽章第1主題の世界が展開されていればと思ったりもする。

あまり聞き比べはしたことはないが、本場ヘルシンキのフィルハーモニーと左利きの指揮者フィンランド人のパヴォー・ベルグルンドによるこの演奏は、録音のせいもあるのか、大変清涼感と伸びやかさのある演奏で素晴らしいと思う。

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2008年1月21日 (月)

西本晃二『モーツァルトはオペラ 歌芝居としての魅力をさぐる』

先に、モーツァルトオペラの往年の名録音集を入手し、ようやく難関『コシ・ファン・トゥッテ』へのとっかかりができたばかりだが、その後、下記の本が目に留まり求めてみた。

参考: 2007年8月 8日 (水) モーツァルト 生誕200年記念の名録音による4大オペラ全曲集 10CDボックスセット

参考:2007年11月16日 (金) 『コシ・ファン・トゥッテ』をようやく全曲聴けた

この本は、ローマの日本文化会館館長なども歴任し、バーンスタイン関係の訳書もあり音楽にも造詣の深いフランス語・イタリア語学者の西本氏が、モーツァルトのオペラについて深く語ったものだ。

特に、音楽面の素晴らしさに屋上屋を架すよりも、自分の専門のイタリア語におけるリブレットへの深い知識により、「歌芝居」としてのオペラを取り扱ったもので、これまでこのような本があったのか知らないが非常に興味深い。2006年に初版が発売されたばかりのもので、一応モーツァルト生誕250年を機に出版されたもののようだ。

どこも面白いのだが、特にp.25で、三大オペラ「フィガロ」「ドン・ジョヴァンニ」「魔笛」「コシ」の中では、フィガロを最も完成したものであり、<<それに四大傑作として付け足す「コシ」は一般的ではく、少し分かり難い>>と喝破しているのは、わが意を得たりといった感じだった。

また、文学作品としてのオペラリブレット「魔笛」についての言及は、先のランドンの指摘と同様、興味深いものがあった。 どれほど話題になった本なのか知らないが、大変面白かった。

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2008年1月20日 (日)

内田光子のモーツァルト ピアノ協奏曲第23番イ長調 K.488

Uchidamozartnr2223 モーツァルト

ピアノ(クラヴィア)協奏曲第23番イ長調K.488
内田光子(ピアノ)
ジェフリー・テイト指揮イギリス室内管弦楽団

(1986年7月、ロンドンでの録音)

この曲は、Köchel 第6版によれば、1786年モーツァルト満30歳の多産な年、いわゆるフィガロイヤーに完成された。

この年には、『フィガロの結婚』を初め、劇場作品ではサリエリ等との競作の『劇場支配人』、ニ短調協奏曲と並ぶ短調の傑作ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491や珍しい編成(ピアノ、クラリネット、ヴィオラ)のケーゲルシュタット・トリオK.498、やはり珍しい楽章編成で後期3部作に勝るとも劣らないプラハ交響曲K.504, 晴れやかな傑作ピアノ協奏曲第25番K.503ハ長調、ピアノ四重奏曲K.493,ピアノ三重奏曲K.496&502,ホルン協奏曲第4番K.495,ソナチネにも収録されている明朗なニ長調のピアノのためのロンドK.485などが完成され、それらに関係する草稿的なフラグメントも相当カタログに含まれているうようだ。

大傑作の大作『フィガロ』の年の作品ではあるが、このイ長調もハ短調も非常に完成度の高いピアノ協奏曲で、モーツァルトの一連のピアノ協奏曲の中であり、冒頭が行進曲風ではなく始まり、またカデンツァまで完全な形で書かれた曲は、このイ長調の曲くらいではなかろうか?(ハ短調の曲も木管楽器の扱いが極度に効果的に使用されていてピアノと木管のための協奏交響曲のような味わいがある)

このイ長調協奏曲は、いつもの軽快で少し軽薄な軍隊ラッパ的なリズムではなく、後年のクラリネット五重奏曲やクラリネット協奏曲を想起させる優美な第一主題で始まる。自身による初演のために急いで完成させたようなところはなく、非常に緻密に書かれており、特にカデンツァが完全に楽譜に書き起こされている。また、第2楽章嬰ヘ短調(イ長調の平行短調)は、モーツァルトの緩徐楽章の中でも珍しいアダージョの短調の音楽で、第9番や第18番、第22番などと同じく社交的な音楽である協奏曲の中で、物静かに短調で真情を吐露しているかのようだ。そして第3楽章は、軽快なロンドによるフィナーレだが、これも非常に緻密に書かれており、ピアニストにとってはモーツァルト的名人芸を会得する必要があるらしい。

この曲は、学生時代、ようやくモーツァルトの魅力に開眼し始めた頃、今は亡きヴァルター・クリーンが、同じく今は亡きロヴロ・フォン・マタチッチ指揮するNHK交響楽団と共演したときの演奏が、小ト短調交響曲と一緒にFM放送され、エアチェックが巧くいったので、スコアを買って幾度となく聞き入った思い出深い曲だ。諸井誠氏が司会をしていたNHKFMのリクエスト番組にこの曲をリクエストしたところイングリッド・ヘブラーによるイ長調のトルコ行進曲付きのソナタに同じイ長調だからということで変更されてしまい残念だった苦い思い出もある。

さて、この曲は、そんなわけでLP時代にはポリーニとベーム/VPOによる19番と23番のカップリング、CDになってからはブレンデル、マリナーのピアノ協奏曲全集(その後小学館版が同じ演奏だったので、単独の全集は友人に廉価でゆずった)、単売ではハイドシェックとヴァンデルノート、ペライアのECO弾き振り(1984年録音)、カサドシュとセルグルダとアーノンクールなどいろいろ聞き比べて楽しんでいる。

内田盤は、フィリップスレーベルのブレンデル盤に続く新しいモーツァルトピアノ協奏曲全集(ピアノソナタは立派な全集になっている)の一環として録音されたもので、指揮者には当時のイギリスの若手のジェフリー・テイトが起用されて話題になった。

百花繚乱のこの曲の競演の中で、内田盤は、非常に安定しており、グルダ盤やハイドシェック盤のような目だった特長が感じられる演奏ではないが、デリケートでしっとりした美しさでは1,2を争うものだと思う。テイトの指揮も内田の解釈(テンポや表情付け)によく合わせている。

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2008年1月19日 (土)

サヴァリッシュ/バイエルンSKのロシア管弦楽曲集

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「中央アジアの草原にて」/管弦楽名曲集1
グリンカ『ルスランとリュドミラ』序曲
ボロディン『中央アジアの草原にて』
ムソルグスキー『禿山の一夜』
カバレフスキー組曲『道化師』
プロコフィエフ『三つのオレンジへの恋』より「行進曲」と「スケルツォ」
リムスキー=コルサコフ『スペイン奇想曲』


ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮バイエルン国立歌劇場管弦楽団 ヴァイオリン・ソロ:ルイス・ミハル

1987年11月 ミュンヘン、ヘラクレスザールでの録音 (EAST WORLD レーベル、バイエルン放送局との共同製作)

あの謹厳実直でドイツ音楽の権化のようなサヴァリッシュが手兵だったバイエルンのシュターツ・オーパーのオーケストラを使って、ロシアのオーケストラ曲の人気曲を総ざらいしたかのような曲目になっている。(チャイコフスキーは含まれていないが)。

昨日、電網郊外散歩道のnarkejpさんのリムスキー=コルサコフ『スペイン奇想曲』の記事を読ませてもらい、コメントとトラックバックさせてもらったが、その際に聞きなれたセル/クリーヴランド管のものではなく、新顔のこの曲を聴いてみた。

アルボラダ 1:14, 変奏曲 4:27, アルボラダ 1:18, シェーナとジプシーの歌 5:09, アストゥリアのファンダンゴ 3:23 合計 15:31

生真面目なサヴァリッシュがロシア音楽をどう料理するかというところだが、予想通り生真面目に演奏しているが、意外といっては失礼だが、すごく様になっている。カバレフスキーなどではリズミックで軽やかだし、スペイン奇想曲でもロシアとスペインが混交した不思議な感覚の音楽をたくみに演奏している。オーケストラも、普段はあまり演奏しないだろうこれらのショーピース的な音楽をしっかりしたアンサンブルと技術で手を抜くことなく演奏しているように聞こえる。

例の東芝EMIの新・名曲の世界の53という分売ものだが、EMIの名盤だけでなく、なかなか面白いものも含まれているようだ。

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2008年1月18日 (金)

ブレンデル、アバドのブラームス ピアノ協奏曲第1番

Brahms_pc1_brendel_abbado_bpo 先日のシューベルトの『鱒』五重奏曲に続いて、今回もブレンデルのピアノを聴いた。

これは、当時ドイツグラモフォンの専属だったはずのアバドが特別にブレンデルとの共演をフィリップスに収録したもので、確かザルブブルクかベルリン芸術週間か何かで共演して大変評判になり、その後にスタジオ録音されたものだったものではなかろうか。確かその演奏の録音をNHKのFM放送で聴き、カセットテープの時間切れで全曲エアチェックをしそこなった覚えがあるが、この録音データは1986年となっているので記憶違いかも知れない。(違う時期1979年のロンドン響との録音だが、ヴェーバーのコンツェルト・シュトゥック 小協奏曲が併録されている。)

アバドのベルリンフィルの音楽監督就任は1990年なのだが、カラヤン時代のベルリンフィルにはカラヤンに認められた多くの指揮者が指揮台に立ち、それがNHKFMでもよく放送され、聴くのが楽しみだった。その放送と前後するかのように、新録音も出たりしたように記憶している。(これもその一種だったと思うのだが・・・としつこい。)

記憶の美化作用だと思うが、そのとき聴いたブラームスの1番は凄かった。音盤で言えば、重戦車のようなギレリスとヨッフム/BPOと双璧をなすような豪壮な演奏だった。ブラームスのものものしい挑戦的な冒頭から、ロマン派盛期の甘ったるいとまで言えそうな楽想まで表現の幅が非常に広い演奏で、ブレンデルは彼らしい明晰で誠実な演奏でブラームスの若さに対応しているようだったし、アバド、ベルリンフィルも相当気合が入っていた記憶がある。

さて、このディスクだが、その年の『レコード芸術誌』のレコード・アカデミー賞を受賞したことでも知られるCDで、上記のような(間違っているかも知れないが)記憶のよすがとして最近購入したもの。それまでこの曲のCDは、珍しいシューマンの「赤とんぼ」が聴けるNaxosのものしか持っておらず、ハイティンクとの2番が好ましい演奏だったので期待して聴いてみた。

ギレリス盤や、放送で何度も聴いたR.ゼルキンとセル(まだ音盤は未入手なのでこれも記憶の美化の危惧はある)のガッツに溢れた物々しいともいえる演奏などに比べて丁寧過ぎるように感じこともある。また、アバドの指揮は緻密なものだし、ベルリンフィルは巧い(がホルンがあまり調子がよくなかった?)し、ブレンデルは誠実にブラームスのピアニストの苦行とも言える要求を過不足なくこなし、熱気を込めて演奏しているしで、普通の意味で文句の付けようがない。ただ、まったくの好みの問題なのだが、外連みや伸びやかさがどこか足りないように感じるのかも知れない。生真面目なブレンデルやアバドに外連みを求める方が間違っているのかも知れないが。

次は、ハイティンクとの2番を聴いてみたいと思っている。(モーツァルトのピアノ協奏曲全集が手元にないので、数えてみたらブレンデルの音盤の手持ちは意外に少なかったが、しばらくまとめて聴くつもりだ。)

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2008年1月17日 (木)

メリタとカリタと自家焙煎

ネルドリップ、サイフォン、パーコレーター、水出し、煮出し、エスプレッソなどなどコーヒーの抽出方法にはいろいろあるようだが、もっとも手軽なのはペーパードリップ方式だろう。中でも、ドイツの主婦メリタ・ベンツの名前が付いたメリタと、非常によく似た名前の日本のカリタが日本ではよく知られているようだ。

大学生時代にレギュラーコーヒーのペーパードリップを飲み始めてから、大体カリタを使うことが多かった。途中、メリタも使ってみたが、そのとき買ったメリタの樹脂製のドリッパーがドイツが本家というのに何だか薄っぺらでチャチで形も歪みがあるようで、サーバーの上でも不安定になり使わなくなってしまったのだ。まがい物だったのだろうか?

現在では、普通のスーパーや量販店の販売スペースではカリタの方が優勢だろうか?

このところ、毎日自家挽きコーヒーを飲んでいるので、たまにはメリタも使ってみようかと、先日350円で2杯用のドリッパーを買ってきた。今度は樹脂製でもしっかりしている。

カリタはコーヒーの落ち口が三つ穴で、お湯の注ぎ方も、何回かに分け、最後に残ったドリップ中の部分はコーヒーサーバーに完全に落とさないうちにドリッパーを引き上げるという手順で、使う粉の量も付属の軽量スプーンが大きいので若干大目になり、味わいも濃厚な味になるようだ。

一方最近使用を再開したメリタは一つ穴が特徴で、ドリップの仕方も(蒸らしは同じだが)杯数分のお湯を一度に回しいれ、コーヒーがドリップ穴から全部落ちきるまで絞りきるという方法が一般的のようで、こちらで淹れるとすっきりした味わいで安定した味になるが、少々コクが薄くなるようにも感じる。

まあ、これこそ気分次第、濃い目を飲みたいときにはカリタでじっくり淹れるもよし、またメリタでも数度に分けてお湯を注げばその調整は可能だ。

さて、コーヒーではまた一歩進んで、生豆を買ってきて家庭で焙煎をすることも可能なようだ。私がたまに焙煎済のコーヒー豆を購入する店でも、少し薄緑色の生豆を販売しているので、それなりの需要があるのだろう。本来は、焙煎したて、挽きたて、淹れたてが望ましいのは理の当然のようだが、最も技術を要するのも焙煎だとも言うので、現在家庭用の焙煎機も出回ってはいるようだが、そこまで凝るかどうかは思案中というところだ。

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2008年1月16日 (水)

シューベルト ピアノ五重奏曲『ます』 ブレンデル、クリーヴランド弦楽四重奏団員

Brendel_trout_quintet シューベルト(1797-1828)

ピアノ五重奏曲 イ長調作品114 D.667 『ます』

アルフレート・ブレンデル(p) クリーヴランド弦楽四重奏団員、デマーク(Cb) 〔1977〕

13:25/7:05/3:54/7:42/6:10

一昨日のハイドンのピアノソナタに続いて、今回はよく知られた名盤を聴いてみた。LP時代からブレンデルをクリーヴランド弦楽四重奏団のメンバーが仲良く囲んだジャケット写真で知られたものだが、これは、フィリップスの名曲全集 An Excellent Collection of Classical Music. シリーズの分売ものだ。この冬枯れの風景のようなジャケット写真は、初夏を感じさせるこの室内楽(及び原曲のリート)とはまったくイメージが違うのだが、このシリーズの製作者はどのような心境だったのだろうかなどと変な想像が働いてしまう。

そんな茶々入れは閑話休題。

以前、ホルショフスキーとブダペスト四重奏団員による親密なアンサンブルのCDを記事にしたことがあった。こちらはピアノだけがでしゃばらず、ブダペストという重厚なアンサンブルの団体がピアノを囲んでがっしりとした室内楽を聞かせてくれたものだったが、ブレンデルが今から約30年前の彼の40歳台の壮年期に、当時気鋭とされたアメリカの若手四重奏団と録音したこのCDでは、多少趣が異なる。

当時ブレンデルは、シューベルトのピアノソナタを初め、リサイタル、録音でも大活躍中だった。元々生きの良さが際立つ音楽だが、ブレンデルたちの演奏では、一層それが際立つように聞こえてくる。月並みな言い方だが、どちらかといえばピアノ協奏曲風の演奏で、ピアノが前面に出てピチピチした若鮎のように音楽を奏でている。

ホルショフスキー・ブダペスト盤もいいが、ブレンデルたちのこの華麗で明朗な演奏もこの曲の魅力を十分アピールしてくれているようだ。

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2008年1月15日 (火)

JR 大回りというレジャー

大回り乗車とはなんぞや? というページに詳しくあるように、最近の鉄道ブームで、大回りという「レジャー」が知られるようになってきた。私もその理屈を知らない前も、数回実行したことはあるが、今回は子ども達が段々「鉄」化してきたこともあり、猛烈に寒い寒の入りの三連休の最終日、華麗な振袖姿の妙齢の女性の姿を横目に、近郊区間をミニ大回りしてきた。

最寄駅-(横浜線)--東神奈川-(京浜東北線)--川崎--(南武線)--府中本町--(武蔵野線)--西国分寺--(中央線)--八王子--(横浜線)--最寄り駅の隣駅 という一筆書き路線を乗ってみた。

隣駅までは大人130円、子ども60円。乗車時間は、約3時間程度。食事は、最寄駅のコンビニに飲み物とサンドイッチ、おにぎりを買い込み、空いている座席でひっそりと食べた。 (追記:「駅すぱあと」という路線探索ソフトを使って調べてみたところ、この大回りの料金は大人130円と見事に表示された)

P1140098_3
これまで南武線には乗ったことがないというのと、特に中央線では、E233系という新型車両が昨年から投入されたといい、昨年の秋にも乗ったのだが、駅のメロディーの確認のためにも本格的に乗ってみたいということで一両目に乗り込んでみると、何とまだ14日しかたっていないのに、平成20年製造のピカピカのまだ新車の香りがする車両に乗れて、子ども達は大満足だった。

ところで、長男はJR各駅の発車時のメロディーに関心があるということで、昨年のクリスマスプレゼントは、中央線のメロディー入りの目覚まし時計をリクエストされ、購入した。Pc290030 今回の乗車で、いろいろな駅の実際のメロディーを聴けたのだが、子ども達によるとこの時計に収録されているメロディー(たとえば、八王子では「夕焼け小焼け」)と実際の駅のメロディーは微妙に音程が違っているのだという。


今日は、本州の岩手県の盛岡近くで、 http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/mdrr/rank_daily/data00.html

日最低気温の低い方から
順位都道府県観測所観測値昨日までの
観測史上1位の値
昨日までの
1月の1位の値
統計開始年
時分年月日年月日
1 岩手県 藪川 -22.8 ] 07:00 -27.6 1988/02/17 -26.6 1985/01/07 1976年
2 北海道 十勝支庁 本別 -22.0 ] 05:50 -28.1 1978/01/29 -28.1 1978/01/29 1976年

という低い気温を記録したということが、最新型E233系のドア上部のディスプレーのニュースで映し出されていたが、関東地方もまるで信州の寒さのように寒風が耳や頬に冷たく、せっかくの美しい晴れ着のお嬢さん達は寒さで顔がこわばっているようで、同情した。首回りのショールだけでは、パンツ(ジーンズ)とブーツに慣れた彼女達には足元がひどく寒かっただろうと思う。

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2008年1月14日 (月)

ブレンデルのハイドン ピアノソナタ 第37、40、52番

Brendelhaydnnr374052

はつらつとした透明感のある音色で、ハイドンのソナタが奏でられる。1985年7月ロンドンでの録音なので、既に20年以上前のものだが、私にとっては、学生時代の終り、社会人の初めの頃なので、まだ同時代という感覚だ。1月14日(月)は、ちょうど成人の日にあたる。自分は20数年前の成人の日以来少しは成長しているのだろうか?日々成長していったことが確認できるハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなどの作品を聴くにつれ、内心忸怩たる思いがよぎる。

ブレンデルは、2001年に聴いたリサイタル(ブレンデル)で記事にした通り、生演奏を聴いたことのある数少ない一流ピアニストの一人だが、このときのリサイタルでもハイドンの第44番(ホーボーケン番号)のソナタを演奏してくれた。

ヨーゼフ・ハイドンは、伝記的にはモーツァルトやベートヴェンのように特に名ピアニストだったということが話題にのぼることがないように思うのだが、それでも数多くの独奏クラヴィア(クラヴィコード用も)のためのソナタを作曲した。その中のあるものは、いわゆる「ソナチネ、ソナタ」アルバムというドイツ伝統的なカリキュラムの楽譜に収録されて、日本のピアノ教育にも用いられており、私の弟が(音大は目指さなかったが)近所のピアノ教室に中学まで通っていてソナタ・アルバムまで進んだときに、ハイドンのソナタをいくつか弾いていたのを覚えている。

音盤的には、ハイドンのピアノ(クラヴィア曲)は、アルゲリッチがロンドン・シンフォニエッタを弾き振りをしたピアノ協奏曲(チェンバロ協奏曲)ニ長調Hob.XVIII-11(1780頃/1784出版)[3楽章]を所有して聴いたことがある程度で、以前ブリリアントで少し評判になった日本の鍵盤楽器奏者も参加した全集もウィッシュリストには入れてあるが未聴なのだが、以前ハイドンのピアノ三重奏曲のどの曲か(膨大な作品の内どれか記憶していないが魅力的な作品だった)を実演で聴いたとき、ハイドンもピアノ(クラヴィーア)が結構達者だったのだと思ったこともあった。しかし、ハイドンは、これらのソナタを自演したのか、献呈したのか、どのように公開演奏されたのか、そのような基本的な知識がハイドンについてはよく知らないままだ。

ソナチネアルバムにある曲は、ピアノ・ソナタ第35番ハ長調Hob.XVI-35(1780頃)[3楽章]〔第48番〕。

また、ソナタアルバムには何曲も収録され、
第1巻
第1番 - ピアノ・ソナタ第35番ハ長調Hob.XVI-35(1780頃)[3楽章]〔第48番〕
第2番 - ピアノ・ソナタ第27番ト長調Hob.XVI-27(1776頃)[3楽章]〔第42番〕
第3番 - ピアノ・ソナタ第37番ニ長調Hob.XVI-37(1780頃/1770~75頃)[3楽章]〔第50番〕 ◎
第4番 - ピアノ・ソナタ第36番嬰ハ短調Hob.XVI-36(1780頃)[3楽章]〔第49番〕
第5番 - ピアノ・ソナタ第34番ホ短調Hob.XVI-34(1784頃)[3楽章]〔第53番〕


第2巻
第16番 - ピアノ・ソナタ第40番ト長調Hob.XVI-40(1784頃)[2楽章]〔第54番〕 ◎
第17番 - ピアノ・ソナタ第49番変ホ長調Hob.XVI-49(1789~90/1791出版)[3楽章]〔第59番〕
第18番 - ピアノ・ソナタ第28番変ホ長調Hob.XVI-28(1776以前)[3楽章]〔第43番〕 である。

上記のデータはクラシックデータ資料館のハイドンの作品表のページを参照したものだが、クラヴィアソナタは正確な数は分からないまでも、ホーボーケン番号では52番まで、そして(新全集?)では62番まで番号が付けられているようだ。このCDはホーボーケン番号で表示されており、この作品表によるとブレンデルが弾いている曲は下記の4曲になる。

ピアノ・ソナタ第52番変ホ長調Hob.XVI-52(1794)[3楽章]〔第62番〕

ピアノ・ソナタ第40番ト長調Hob.XVI-40(1784頃)[2楽章]〔第54番〕

ピアノ・ソナタ第37番ニ長調Hob.XVI-37(1780頃/1770~75頃)[3楽章]〔第50番〕

アンダンテと変奏曲ヘ短調(Andante con variazioni)Hob.XVII-6(1793)[p]〔原題ディヴェルティメント〕

第40番と第37番は、ソナタアルバム所収のものなので、結構広く親しまれているものだ。また4曲目の「アンダンテと変奏曲」ヘ短調は、パノラマシリーズに収録されているものと同じ録音で少し親しい。

1732年生まれで1809年没のハイドンなので、第52番変ホ長調のソナタは既にモーツァルトも亡くなった後のハイドン晩年の作品で、ロンドンセット交響曲の後半6曲の頃にあたる。円熟した大ソナタの趣を備えながら年齢を感じさせない溌剌とした魅力のある曲だ。しかし、アダージョなどでは、モーツァルトやベートーヴェンのように息の長いメロディーが聴かれるわけではなく、モノローグと劇唱のような不思議な音楽を聴くことになる。フィナーレのプレストは、いかにもオペラブッファの幕仕舞いという雰囲気の音楽で軽快に別れを告げる音楽だ。ブレンデルは軽快なフレーズを現代ピアノの重さを感じさせず鮮やかに弾ききっている。

第40番は、ニ楽章形式の曲で、手持ちのピアノソナタアルバムの第2巻を見ながら聴いてみた。1784年と言えば、モーツァルトはハイドンに捧げることになるハイドンセットの弦楽四重奏曲を苦吟しているころにあたる。ハイドンは交響曲では、パリセットの直前の時代。第1楽章が、Allegetto e innocente という珍しい発想指示。無邪気に、無垢に、という指定だろうが、確かにのんびりした音楽で8分の6拍子の音楽冒頭の主題が変奏曲とまではいかないものの少しずつ装飾されて何度も姿を現す。だが、中間部はト短調に移調して陰りを示す。この楽章の前にもっと快速の第1楽章が付いていてもいいようにも思う。第2楽章のフィナーレは、一転プレストの明快な音楽となる。主題はハイドン風の器楽的な明朗なもの。付点8分+32分音符*2の動機が活躍する。ここでもブレンデルのピアノは重さを感じさせない冴えがある。

第37番のニ長調は、1770年-75年ということで、モーツァルトはまだザルツブルク在住。ヨーゼフ・ハイドンの弟ミハイルとは同僚として親しく付き合っていただろうから、ミハイルから兄ヨーゼフへモーツァルト家の神童の噂を手紙で伝えたことがあったかも知れない。1774年には若きモーツァルトは初期の第1番から第5番の魅力的なピアノソナタを発表している。このCDの中では最も早い頃の作品で、交響曲では、「マリア・テレジア」「帝国」「校長先生」の頃。第40番の終楽章に似た感じの第1楽章の雰囲気のAllegro con brio。第2楽章はLargo e sostenutoの短調による重々しい音楽だが、悲哀よりも落ち着きを感じさせ半終止で第3楽章のPresto, ma non troppo、再び陽気なフィナーレとなる。

第4曲目は、アンダンテと変奏曲ヘ短調(Andante con variazioni)Hob.XVII-6(1793)[p]〔原題ディヴェルティメント〕という題名の不思議な曲。アンダンテの主題は、トボトボと歩むような悲愴な感じのもの。変奏曲とは言うが、冒頭の短調主題のほかに長調の装飾的な主題も間に挟み、変奏されていくように聞こえる。その意味では、ベートーヴェンの第9の第3楽章の変奏曲と同じような二重主題によるヴァリエーションなのだろうか?劇的に盛り上がり、後をひくように終わる。(どこが、ディヴェルティメントなのだろうか?)

ハイドンの曲は、作品表を眺めると交響曲、弦楽四重奏曲以外にも室内楽など膨大な作品があり、そのほか以前盛んに吉田秀和氏が賞賛したように『月の世界』というような面白いオペラや、宗教曲も沢山あるようだが、そのほとんどを聴く機会がない。ただ、このソナタ集も、心をわしづかみにするような強烈な魅力はないものの、聴いている最中は非常に充実した時間を過ごしたという感じを味わうことができる。

なお、このCDを含んだブレンデルのハイドン ピアノ作品集は4枚組みのものが入手可能のようだ。

P.S. 気になるニュースが見つかった。2008年12月をもってブレンデルが引退する予定とのこと。詳しくは2007年11月21のロイターのこの記事を。

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2008年1月13日 (日)

藤沢周平『用心棒日月抄』第1作

正月の帰省からの帰りに新幹線の車内誌トランヴェールの「藤沢周平 用心棒日月抄の世界へ」を読んだことは、1月3日の携帯電話からの投稿で書いた。相当以前、父の本棚にあった文庫本で読んだ記憶があったが、書店で手にとってパラパラめくってみるとあまり覚えていなかったので、購入して読み始めたところ、すっかり面白く、シリーズ全4編の残り3冊も一度に購入して今、第2冊目「孤剣」を読んでいるところだ。

第1冊目は、読んでいるうちにおおまかな記憶が蘇ってきた。赤穂浪士の吉良討ち入りがこの用心棒稼業を務めざるを得ない脱藩浪人の生活の背景に絡んでくるのだが、その大石内蔵助や吉良、幕府の裁きなどの書き方が、このほかにもこのような傾向のあるようなものは知らないが、実に地に付いており、なるほどと思わせるものになっていた。前回も確かこのあたりに感心したように思う。当時は藤沢周平についてあまり知らず、時代小説にも現代的な作家がいるものだと感じた記憶が蘇ってきた。特に「内蔵助の宿」での江戸城中での刃傷沙汰の記録を大石が調べさせた下りは、さらっと書かれており、歴史的な研究では正しいのかどうかは知る限りではないが、こういう設定なら、その後の行動の説明が非常に合理的だと思った。

トランヴェールでは、将軍綱吉の時代の分かりやすい解説、日月抄の舞台を歩く(本所深川など)という特集になっているが、原作自体は、池波正太郎の江戸三部作「鬼平」「剣客」「梅安」ほど当時の江戸の街についての記述は少ないように思う。

ただ、この用心棒でも池波ものでも、岡本綺堂の半七でもそうだが、現在では電車や地下鉄で移動する距離を当時の人々はほとんどが徒歩で、時には駕籠、武士なら馬で、移動したわけで、まったく足が達者だったのだろうと感じさせてくれる。昨年は、1月の浅草観音参りの時に浅草寺とその界隈を歩いたが結構疲れたし、今年は帰省帰りに東京駅で途中下車して、箱根駅伝のゴール付近から皇居の御濠端を歩いたが、少し歩いただけですぐに足が疲れてしまった。勤務先への通勤には最寄の駅と自宅間の約1km強は、バスも通っているのだが、結構早足で毎日往復しているようにしている。それでもその体たらくで恥ずかしい。下の写真は、1月3日に御濠端で写した写真だが、ちょうどトランヴェールの 「『特集ページの写真:夕暮れの江戸城(現皇居)』 内堀通りから桔梗濠沿いの巽櫓を望む(写真/呉 敏晴)」の構図とほぼ同じものになっていた。

P1030088

とはいえ、そんなことは抜きにして、第3作「刺客」、第4作「凶刃」も楽しみだ。

藤沢周平の作品は、ときおり思い出したように読み、昨年は、関ヶ原の戦いを背景にした『密謀』を読み、その前には、絶筆『漆の実のみのる国』(上杉鷹山が主人公)を読んだ。そのほか『一茶』、映画化もされた『たそがれ清兵衛』、映画・テレビドラマ化の『蝉しぐれ』、『三屋清左衛門残日録』などを読んだことがあるが、市井ものでも池波正太郎の作品の明朗さに比べて陰りのようなものがあり、そこがまた魅力となっているようだ。

p.s. 以前から、藤沢周平について多く記事を書かれている narkejpさんのブログ「電網郊外散歩道」の 藤沢周平『用心棒日月抄』を読む 記事にトラックバックさせてもらった。

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2008年1月12日 (土)

2008年が初演記念年の音楽作品

2006年7月31日 (月) 音楽史 初演 カレンダー などという記事を以前アップしたことがあったが、これは、「歴史ウェブデータベース」を使わせてもらって作成したもの。

そこから10年単位で記念年にあたるものをピックアップしてみた。

特筆すべきは、やはり泰西名曲(古い言葉だが)の筆頭に挙げられるベートーヴェンの通称「運命」と「田園」がちょうど200年前に初演されたことだろう。(1808年の12月22日のことだったという。「ベートーヴェンの第6交響曲「田園」と第5交響曲「運命」がウィーンで初演される。しかし惨憺たる失敗に終わる。」)

また、100年単位では、ラフマニノフの交響曲第2番が満100周年を迎える。

以下の初演もも並べると面白い。
◆10/21/1858 オッフェンバックのオペレッタ「天国と地獄」がパリのブッフェ・パリジャン劇場で初演される。カンカン踊りが披露される。 初演150年周年。
◆6/21/1868 ワーグナーの「ニュルンベルグの名歌手」が初演される。 初演140年周年

10年単位でピックアップした場合、面白いのは下記の90周年。彼我の差を感じさせる。
◆4/**/1918 この月、プロコフィエフの「古典交響曲」がペトログラードで初演される。
◆5/24/1918 ブダペストで、ベラ・バルトークの「青ひげ公の城」が初演される。
◆5/25/1918 東京音楽学校で、ベートーヴェンの「交響曲第5番」が日本初演となる。

また、80周年も面白い。
◆8/31/1928 ベルリンで、クルト・ワイル作曲「三文オペラ」が初演される。
◆12/13/1928 ガーシュインの「パリのアメリカ人」が初演される。
が戦間期の時代を感じさせて興味深い。

その他の10年単位では、

◆4/29/1798 ハイドン作曲のオラトリオ「天地創造」が初演される。 初演210周年
◆1/10/1828 シューベルトの「冬の旅」の第1部が初演される。 初演180周年
  この2件は意外に近接している。

◆11/17/1888 チャイコフスキーの「スラブ行進曲」がモスクワで初演される。 初演120年

などがある。

その他詳しく調べればまだまだ記念の初演作品はあるのだろうが、こんなところか。

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2008年1月11日 (金)

どんど晴れ、ちりとてちん、篤姫

2007年度は、比較的テレビドラマを見た年だった。家族で熱中したのは、2007年度上半期の朝のテレビ小説『どんど晴れ』、そして今熱中している下半期の『ちりとてちん』。そのほかは、大河ドラマの『風林火山』くらいだっただろうか?妻も韓国ドラマのマイブームは過ぎたようだが、ときおり興味のある日本のドラマはビデオ録画して見ているようだ。

1月9日の朝日新聞の朝刊文化欄に珍しく『ちりとてちん』が取り上げられた。それも結構の文字数のある署名のある賞賛記事で驚いた。観流というコーナの記事で大西若人という記者のものだ。「時計代わりにならぬ充実度」と題されている。我が家では毎朝出勤前のあわただしい時間帯、NHKBS2(11)では7時半から見ることができるので、朝ごはんを掻き込みながら見ている。ヒロインは、以前「スイングガールズの女優がブレーク」という記事でも触れた貫地谷しほり。署名記者は相当思い入れがあるのかベタ誉めなので、自分達が見ているドラマが誉められるのは悪い気はしないが、逆にそれほどのものだろうかという気もしてしまう。登場人物も多彩でユニークだが、上方落語界というプロフェッショナルな世界を描いたものとしては少し奇麗事過ぎるのではないかという感じもする。記者は視聴率が上がらないのは、時計代わりにならないほどの充実度だからという意見だが、少しひいきの引き倒し気味かも知れないとも思う。(なお、ヒロインの故郷福井の小浜は、先日読んだ網野善彦の「日本の歴史をよみなおす」にも登場したが、中世頃には大陸や東南アジア!方面との交易で非常に栄えた町だったという点にこのドラマの面白みも感じた。恐竜の化石も福井県は凄いし。)

上半期のテレビ小説は、前向きのヒロイン比嘉まなみの『どんど晴れ』で、勧善懲悪ともいうべき古典的なドラマでもあり爽やかなドラマだった。作り物としてのドラマ、朝の気分を作り出すという社会的な機能を持つ連続テレビ小説としても悪くなかったと思う。

『風林火山』の終了した後、テレビ東京では特別ドラマで『天と地と』を長時間ドラマとして放映していたが、録画したのをまだ見ていない。あまり視聴率は芳しくなかったようだが、あまり成功しなかった『風林火山」の落穂拾い、二匹目の泥鰌という企画が少々飽きらたのではなかろうか。

『篤姫』は、江戸時代後期から幕末にかけての歴史ドラマで、第13代将軍の正室となった薩摩の島津家出身の女性の生涯を描くもの。初回は、鹿児島の現地ロケで桜島や開聞岳の姿が多く登場し、なかなか見ごたえがあった。ヒロインは、数年前の同じNHKの連続テレビ小説のヒロインを演じた宮﨑あおい。なかなか芸達者な若手女優だと思うが、少々庶民的な容姿で、江戸の市井ものの町娘役などが似合いそうだと思っていたら、大抜擢だ。心身ともに虚弱だった第13代将軍徳川家定の亡き後、大奥に君臨し、皇女和宮を迎え、勝海舟と西郷隆盛とともに江戸城無血開城を成し遂げた傑女とされるが、一方で薩摩藩から幕府に送り込まれたスパイ的な役目をもった女性だったとも言われているようだ。脚本家はそのような複雑な性格の女性をどのように描き、女優はどのように演じるのか。注目したい。ただ、幕末に至る多彩な人物が登場してくるようで、それにも興味が湧くが、是非尻すぼみ的なドラマにならないように期待したいものだ。

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2008年1月10日 (木)

ドラマスペシャル「のだめカンタービレinヨーロッパ」補遺、ランラン

のだめのピアノ音源が誰のものか調べていたら、アマゾンで今回のBGMが発売されており、その中のレビューに非常に詳しい情報が載っていた。

それによると
 マゼッパは、上野真氏(京都市立芸大)
 ラフ3、道化師の朝の歌は  野原みどり氏(ロン・ティボー優勝者)
 モーツァルトは 三輪郁
などが使われたらしい。

寡聞にして野原氏は名前を聞いたことがある程度で、他の方は知らないピアニストだが、ホームページを閲覧すると実力者揃いらしい。特に上野氏は、超絶技巧のCDも録音している。

また、コンクール時の演奏は、ウラディーミル・ヴァーレク指揮のプラハ放送交響楽団が行い、チャイコフスキーのソリストは、パヴェル・エレットというヴァイオリニストだったようだ。

それと、少々ドビュッシーを想起させた 「もじゃもじゃ組曲」の 第1曲「もじゃもじゃの森」は、大島ミチル氏の作曲で、沼光絵理佳氏のピアノだったようだ。

ところで、原作の孫ルイを見て現役の中国出身の男性若手ピアニスト ランランを思い出したと以前書いたことがあったが、ちょうど日曜日の題名のない音楽会でランランが特集されていて面白かった。( 「のだめカンタービレ」第9巻から第11巻(最新刊)第11巻p.128 、「ハーンとランラン」

彼は幼い頃、何とアメリカアニメ「トムとジェリー」の短編"The Cat Concert"(ピアノ・コンサート)を見てピアニストを志したのだという。 また、バレンボイムに師事した際、ショパンの「黒鍵」をオレンジを転がす曲芸を教わったとのことで、妙技?を披露。ただ、『猫のコンサート』で用いられたリストのハンガリー・ラプソディー第2番をホロヴィッツ編の音の多い版で演奏したが、結構難しいらしく音が怪しいところが何箇所かあった。なお、ランランはピアニストを志した子供時代から平日は6時間、休日は8時間の練習をしていたという。タレント系のヴァイオリニストだが、高島ちさこも先日テレビで、子供の頃は親に叩かれながら練習したと語っていた。プロになれるだけの技量は一朝一夕では身につかないもののようだ。

ランランはチェロのヨーヨーマに通じる楽天性と超絶技巧の持ち主ゆえに、柴田南雄の『マとビルスマ』のエッセイが参考になる。

なお、トムとジェリーでは、ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世の飼い猫をトムが演じる短編"Johann Mouse"(ワルツの王様)もあり、なかなかよくできている。製作者が結構音楽好きだったようだ。

ところで、「のだめ」という言葉については、「のつぼ」と「こえだめ」の合成語を連想してしまうのが普通らしいが、改めて国語辞典で「のだめ」を調べてみたところ結構興味深い言葉が見つかった。

のため【箆撓・箆矯】
(「のだめ」とも)矢竹の曲がりをため直すこと。また、その具。細い木にすじかいに溝を彫り刻み、箆を入れて撓める。

のだけ【箆竹】
矢の箆に作る竹。箆(の)。

の【篦】
1 植物「やだけ(矢竹)」の異名。
2 矢の竹の部分。矢竹で製した矢柄。

(以上、Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国
語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988 より)

竹の曲がりを矯正するというような意味で使われる言葉のようだが、天然の才能(天才)を持った少女が、クラシック音楽というconservative (コンセルヴァトワールと同じ語源)な伝統継承と楽譜(テキスト)重視の世界で、野性味は保ちながら次第に成長していく、というような。狼少女エレーヌ・グリモーも連想させる。

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2008年1月 9日 (水)

ミュンシュ/パリ管のブラームス交響曲第1番

Munchbrahmsnr1

ブラームス 交響曲第1番ハ短調作品68
 シャルル・ミュンシュ指揮パリ管弦楽団

 〔1968年1月8日、12日 パリ。シャンゼリゼ劇場?〕
  14:37/9:45/5:02/18:14
  東芝EMI CC33-3417 (X~87・4・22) EAC-81032


外国に赴任している友人から年賀状をもらい、電子メールで返信したところ、ブラームスの1番についてのコメントが返ってきたので、それを機会にこれまで眠らせておいた音盤を聴き直して記事にしてみようと思いついた。

このミュンシュ指揮の録音は熱演型の名演として古くから知られた名盤で、アルザス地方出身のシャルル・ミュンシュ(フルトヴェングラーの指揮するライプツィヒ・ゲヴァントハウス管でコンサートマスターを務めていたことがある)が、アンドレ・マルローによってミュンシュのために結成されたパリ管弦楽団をお披露目するために録音した一連の録音のうちの1つだが、この年11月のパリ管とのアメリカ楽旅中にミュンシュが77歳で急逝したため彼の遺作的なものになってしまった。しかし、そのような高齢、急逝を感じさせない最もエネルギッシュなブラ1ともいえる録音だ。

この名盤もEMIレーベルの旗頭として、いつもレコード店の店頭にあったものだったが、長らくその評判を知りながら聴く機会のなかったもので、昨年ようやく求めることができたものだ。

同じ一連の録音である「幻想交響曲」はその熱狂的な演奏が有名で、古くからLPで聴いていたものだが、ブラームスの1番については、ベーム/BPOの刷り込みが強く、小澤/サイトウキネン盤を友人から引越し祝いのお返しにプレゼントされるまでその他の音盤は(同じベームのVPOとの来日ライヴLP以外は)持っていなかったほどだった。それ以降ここ数年で下記のリストのようなCDが手元に集まり聞き比べを楽しんでいる。

古くは、フルトヴェングラーのやはり流動的で熱狂的な録音があり、今でもその録音は高く評価されているが、このミュンシュがパリ管を指揮した録音は、その衣鉢を継ぐものと語られてきた。

確かに、冒頭からの確信を持ったフォルテ、低弦の雄弁さなどはミュンシュ自身の半分ドイツ系の感性を感じさせる。横の線を重視した流動的な部分は、第3楽章などで少し縦の線のアンサンブルのバラケが聞こえるけれど、だらけていて合わないのではなく、音楽には集中力が保たれているのが、感慨深い。また火の玉的な部分は、猛烈なクレッシェンンド、ティンパニの一発などフィナーレ楽章の最初の序奏部分から強く表れるようだ。アルプスの峰よりの挨拶のホルンの音色は少々明るい(軽い)が、これは深深としたドイツ風のホルンが懐かしくなる。しかし、それに続く冴えたフルート、ゆったりしたトロンボーンのコラールはなんとも味わい深い。主部のブラームスの歓喜の主題も堂々とした力強い音楽だ。最後まで息切れせずに、まるで幻想交響曲の終楽章の再現であるかのように、コーダに向かって突き進むのは圧巻だ。

ミュンシュは、第二次大戦前には上記のようにライプツィヒで名門オーケストラのコンサートマスターと活躍し、その後フランスに戻り、マルセル・カルネの映画『天上桟敷の人々』(1945)の音楽担当などにも名を連ねフランス文化の粋を称揚する立場となるなど、独仏両国の対立に引き裂かれそうになる音楽人生を送ったことになる。そのミュンシュが既にボストン響とは録音を残してはいたが、最晩年にパリ管とブラームスの1番という最もドイツ的な音楽を奏でるのにはどのような感慨があったものだろうか。

なお、小澤征爾は1959年の第1回ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝したときの審査委員だったミュンシュにほれ込み、彼の後を慕ってアメリカのボストン(タングルウッド)に向かったという(『音楽武者修行』)。その小澤が若い頃DGに入れたボストン響とのブラームスの1番はかつて聴いたことがあったが、マーラーの1番と並んでいい演奏だった。

クレンペラー/PO〔1955-1957年〕         14:05/9:23/4:40/15:54
セル/クリーヴランド管弦楽団〔1960年代〕   13:05/9:22/4:41/16:20
ジュリーニ/PO 〔1961年1月〕           14:11/9:28/4:55/18:08
◇ミュンシュ/パリ管〔1967年1月8,12日〕      14:37/9:45/5:02/18:14
ザンデルリング/SKD〔1971年3,6,11月〕     14:22/9:50/5:05/17:15
ベーム/VPO〔1975年5月〕             14:13/10:41/5:05/17:52
ショルティ/CSO 〔1978年5月〕           16:45/9:48/4:40/17:19
バーンスタイン/VPO〔1981年10月〕        17:31/10:54/5:36/17:54
小澤/サイトウキネンオーケストラ〔1990年8月〕 13:02/8:16/4:50/16:30

これで、手持ちのブラ1のCDで記事にしていないのは、カラヤン/BPO(1970年代録音)とヴァント/NDR(1980年代録音)となった。

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2008年1月 8日 (火)

キーシンのラフマニノフ3番-録音の音量レベルの低いCDの鑑賞

Kissin_ozawa_rachmaninoff3 のだめスペシャル第2夜のラフマニノフの3番コンチェルトのフィナーレが面白かったので、これまであまり感心していなかったキーシンと小澤/ボストン響のRCA録音(ライヴ)を少し音量をあげて聞きなおしてみたところ、ライヴとは思えない精度があり熱気も感じる演奏だという風に印象が変った。

このCDは、小澤の他のボストン録音と同様、どうも録音時の音量レベル設定が低すぎたもののようで、通常のボリューム位置で聴くと、音響のよくないホールの2階席のはるか彼方で聞いているような遠い音に聞こえてしまい、これまでずっと敬遠していたのだった。ところが、同じく録音のあまり良くないとされるテンシュテット/ロンドンフィルのマーラー(スタジオ録音)もボリュームを通常よりも上げて聴くことでまったく違う印象になるということを読み、同様な録音の今回は相当ボリューム位置を上げて聞いてみようと思っており、今回そのようにして聞いてみた。

このラフマニノフの3番CDは、CDの批評記事などでは結構評判の高いもので、また実演時の評判も高いものだったようだ(フィナーレ後の盛大な拍手は演出の可能性もあるとは思うが)。それが、これまでは自分の耳には寝惚けたような演奏にしか聞けずにいて、少々いらだたしいものだった。フィルアップのキーシンのリサイタル録音はずっと鮮明に録音されているのにと思ったものだ。相当のdBの差だと思う。

ボリュームを上げるだけでこんなに違って聞こえるとは思わなかった。ただ、いつドカンという耳を聾する音がするかビクビクものだったことは確かだが。

物凄く細かい音符が散りばめられたこの音楽は、意外にロマンチック(というようりセンチメンタル)なメロディーの宝庫であることも分かった。オケの音は少し軽めに録られているようだったが、キーシンのピアノの達者なことや小澤の指揮するオケでの木管がぴったりとピアノに寄り添うところなどぞくぞくするようだった。フィナーレも力演で、ビシっと決まったエンディングだった。 このほか小澤盤では、ロストロとのドヴォルザークも音量レベルが低いので、これも少し持ち上げて聞いてみようと思う。

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2008年1月 7日 (月)

J.S.バッハ 『クリスマス・オラトリオ』(ガーディナー)を聴く(6of6)

Weihnachts Oratorium BWV248 (クリスマスオラトリオ)

指揮:ジョン・エリオット・ガーディナー
管弦楽:イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
合唱:モンテヴェルディ合唱団
アルジェンタ(S),ホールトン(S),プリングル(S),フォン・オッター(Ms),ブロッホヴィッツ(T),ジョンソン(T),ベアー(B)

1987年1月、ロンドンでの録音(場所は不詳)

第1部 降誕節 第1祝日(12月25日)用 全9曲
第2部 降誕節 第2祝日(12月26日)用 全14曲
第3部 降誕節 第3祝日(12月27日)用 全13曲
第4部 新年(1月1日 キリストの割礼と命名記念日)用 全7曲
第5部 新年後の主日(日曜日:1月2日から5日の間の日曜日に限る)用 全11曲
第6部 主顕節(顕現節 1月6日)用 全11曲

第6部 主顕節(顕現節 1月6日)用 全11曲(通し番号第54曲から第64曲)

これで全6部をすべて聴くことになる。第5部と同じく、マタイ伝を主なテキストにしており、内容的にも相当重複があるのは、第5部が曜日の関係で2008年のように演奏されないことを考えてのことだろう。ただし、主調は、第1部と同じくニ長調になっており、古典派の提示部と再現部ではないが、調性的にはダカーポして安定するということになるのだろう。また楽器編成的にも同じく第1部で用いられたD管のトランペットとティンパニが用いられれ、明るく華やぎのある曲調が主となっているようだ。

1.合唱:主よ、勝ち誇れる敵どもの息まくとき
2.福音史家とヘロデ:ここに、ヘロデひそかに博士らを招きて-いざ行きて幼な児のことをくまなく尋ね
3.レチタティーヴォ(ソプラノ):汝いつわり者よ、思うがままに主を倒さんとうかがい
4.アリア(ソプラノ):その御手のひとふりは無力なる人の子らの勢力を倒す
5.福音史家:彼ら王の言葉を聞きて行きしに
6.コラール:われはここ馬槽のかたえ汝がみ側に立つ
7.福音史家:ここに神、夢にてヘロデのもとに引返すなと
8.レチタティーヴォ(テノール):さらば行けよ、足れり、わが宝ここより去らずば
9.アリア(テノール):さらば汝ら勝ち誇れる敵ども、脅せかし
10.レチタティーヴォ(ソプラノ、アルト、テノール、バス):陰府の恐れ、いはまなにするものぞ
11.コラール:いまや汝らの神の報復はいみじくも遂げられたり

このクリスマス・オラトリオは、バッハの既作の諸作品からのパロディー(援用)が多いことで知られているが、この第6部はこのCDの解説によると、ほとんどが失われてしまった教会カンタータ BWV248aからの転用だと考えられているようだ。

第1曲の合唱は、非常に華やかなファンファーレから始まる。これほど華やかな曲調はバッハの曲の中でも稀ではなかろうか?

第2曲から第4曲は、ヘロデ王によるイエスの捜索のことを歌っている。さすがにこのクリスマス・オラトリオでは、ヘロデによるベツレヘムの幼子の虐殺のことには触れていない。

第5曲は、ヘロデが使わした学者(マギ?)のことを歌い、第6曲のコラールは敬虔な感情に溢れる。

第7曲の福音史家、第8曲の長いレチタティーヴォ、第9曲のアリアはテナーが活躍する。アリアはロ短調で書かれ、オーボエ・ダモーレがオブリガートで装飾する。ここは、先のヘロデの残虐な命令を暗示しているかのようだ。

第10曲のレチタティーヴォはソリスト全員ソプラノ、アルト、テナー、バスによる。そして冒頭の第1曲と同じ楽器編成による華やかな第11曲のコラール(ヴェルナー作)でこの6日に渡る長大なクリスマス・オラトリオは幕を閉じる。「キリストにより、死と悪魔と罪と陰府はことごとく牙を抜かれた」。

これで、クリスマスの12月25日から1月6日までの期間、ルター派のWeihnacht の典礼の音楽を聴いてきたわけだが、このように実際には細切れでなくても、せめて前半3部と後半3部は少し時間をおいて聞くほうが理解しやすいかもしれないと感じたのは確かだ。

やはり同じオラトリオ形式のバッハ作品とは言え、このクリスマス・オラトリオと名づけられた作品は、特にマタイ受難曲のようにいくら長大なものだとは言えその物語の劇的な筋と変化に富む音楽の力により一挙に聞かせるものとは違うように実感された。ガーディナーのCDの解説所収のエッセイにも書かれているように、この録音の前にこのガーディナー率いる団体もクリスマス期間の6日に分けて、ブランデンブルク協奏曲とペアを組ませてこのオラトリオの各部をロンドンの別々の教会で演奏したことがあったそうで、指揮者のそのような考え方が、一貫性よりも、個別性に影響しているのかも知れないとも思った。

このようにまとめた記事を書くのは結構面倒でもあったが、こうして少し丁寧に聴いておくと、次回からはある程度通しても飽きずにきくことが出来そうだ。自分で言うのもなんだが結構いい経験だった。

第 5部 新年後の主日(日曜日:1月2日から5日の間の日曜日に限る)用 全11曲 に戻る

第 1部 降誕節 第1祝日(12月25日)用 全9曲 に戻る

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2008年1月 6日 (日)

ドラマスペシャル「のだめカンタービレinヨーロッパ」第2夜

金曜日の夜の第1夜に続いて、土曜日の夜も第2夜を堪能した。

こちらは期待以上にシリアスなドラマに仕上がっていた。天然ピアノ大好き娘の「のだめ」の壁・苦悩と努力、そして(少々安易ながら)苦悩を突き抜けて歓喜へのストーリーが原作のエピソードをそれなりに上手く組み合わせて表現されていたのがよかった。日本人が敢て西洋音楽を演奏し、聴く意味というところまでは踏み込まれてはいなかったが、そこまでは娯楽ドラマとして仕方がないだろうなとは思った。

原作のイメージに合っていたのが、若手ピアニストナンバーワンの中国系美人、孫ルイを演じた山田優で、彼女の弾くリストの超絶技巧練習曲集から第4番 ニ短調「マゼッパ」は、誰の演奏が音源かは知らないが、CMの間に取り出して確認した小菅優のSonyへの録音の超絶技巧練習曲集の相当凄い演奏と遜色のないほどだったように聞こえたほどだった。(のだめがルイのビデオをコピーして練習をしている演奏はさすがにそれなりの演奏だったし、オクレール教授の前の演奏も楽器の鳴りの点ではルイの演奏に比べると違っていたのは面白かった。) それにアップで、この難曲の指使いを何回も見られたのはすごく面白かった。ルイの母が片桐はいりだったのは意外だったが、中国人のピアノ学生ユンロンが登場して来ないのは少々淋しかった。

のだめの苦悩の解決として、ルーアン?の教会でのリサイタルとまさに西洋の城(宮殿)はかくやと思わせる古城でのモーツァルトパーティは、なかなか見ごたえがあった。原作でも印象的だった「キラキラ星変奏曲」(ああ、ママに言うわ)とモーツァルトの最後のソナタニ長調、そして(原作ではラヴェルの「水の戯れ」だったが)ラヴェルの「道化師の朝の歌」は、本当にあのロケをおこなった教会で録音したのだろうか、残響が見事に聴かれた。さらに、宮殿内でのモーツァルトパーティ(城主は、ダニエル・カール!、執事はパンツェッタ・ジローラモ)での、野武士黒木君のモーツァルトのオーボエ四重奏曲もよかった。(ターニャのイ短調ソナタも聴きたかったが、ターニャの黒木君への軽侮が思慕に変わるのはうまく演じられていた)。

また、のだめ苦悩中のノエルの教会での賛美歌、バッハやモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム」はなかなかのものだった。

真一の日本での代役デビューは、川崎のミューザのシンフォニーホールでだっただろうか?山田優のルイとのラフマニノフの3番のフィナーレも結構迫力があったが、コンクール優勝記念のヨーロッパデビューコンサートのブラームスの第1番は、パリでのコンサートという設定だが、第1夜のスメタナホールでのロケだっただろうか?(クレジットでは、プラハ放送交響楽団がオケを務めたらしい。) コンマス、ホルニスト、フルーティスト、バスーニストもいい味を出していた。

原作では、この後も彼らの活躍やドタバタは続くのだが、テレビドラマとしては、連続ドラマの続きをたくみにつないで巧く盛り上げて大団円を形作ったというところだろうか?

原作のドタバタを知らないいわゆる免疫のない人には、「ぷりゴロタ」や「砂漠のプロメテウス作戦」、「ワンモアキス」などでのシュトレーゼマンの女好きなどの極端な描写は首をかしげるものだったかも知れないが、その意味で原作ファンにとってはよくぞここまでという面はあった。出演者、スタッフ御一同にお疲れ様をいいたい気分だ。

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J.S.バッハ 『クリスマス・オラトリオ』(ガーディナー)を聴く(5of6)

Weihnachts Oratorium BWV248 (クリスマスオラトリオ)

指揮:ジョン・エリオット・ガーディナー
管弦楽:イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
合唱:モンテヴェルディ合唱団
アルジェンタ(S),ホールトン(S),プリングル(S),フォン・オッター(Ms),ブロッホヴィッツ(T),ジョンソン(T),ベアー(B)

1987年1月、ロンドンでの録音(場所は不詳)

第1部 降誕節 第1祝日(12月25日)用 全9曲
第2部 降誕節 第2祝日(12月26日)用 全14曲
第3部 降誕節 第3祝日(12月27日)用 全13曲
第4部 新年(1月1日 キリストの割礼と命名記念日)用 全7曲
第5部 新年後の主日(日曜日:1月2日から5日の間の日曜日に限る)用 全11曲
第6部 主顕節(顕現節 1月6日)用 全11曲

第5部 新年後の主日(日曜日:1月2日から5日の間の日曜日に限る)用 全11曲(通し番号では第43曲から第53曲)

2008年の新年後の日曜日は1月6日なので、バッハの指定通り 「新年後の主日(日曜日:1月2日から5日の間の日曜日に限る)用」とすると、今年は演奏されないことになるのだが、前回書いた通り1/5(土)に聴き始めたが所用で中断し、日曜日に第1曲から聞きなおした。

1.合唱:栄光あれと、神よ、汝に歌わん
2.福音史家:イエス、ユダヤのベツレヘムにて
3.合唱とレチタティーヴォ(アルト):この度生まれたまえるユダヤ人の王は-その君をわが胸のうちに求めよ!
4.コラール:汝の光輝はすべての闇を呑み
5.アリア(バス):わが暗き五感をも照らし
6.福音史家:ヘロデ王これを聞きてうろたえおののく
7.レチタティーヴォ(アルト):いかなれば汝らはうろたえおののくか?
8.福音史家:王、民の祭司長ら、ならびに律法学者らをみな集めて
9.三重唱(ソプラノ、アルト、テノール):ああ、その時はいつ現るるや?
10.レチタティーヴォ(アルト):いと尊きわが君はすでに統べ治めたもう
11.コラール:かかる心の部屋は、美わしき王侯の広間にあらずして

この第5部は、#3つのイ長調が主調ということだ。バロック時代には、調の選定には様々な寓意があったようだが、第4部の穏やかなヘ長調からは相当の気分転換であるが、第1部のニ長調の属調なので、非常に近い近親調のようだ。

第1曲(通し番号では第43番)は、オーボエとオーボエ・ダモーレを加えた弦楽合奏による浮き立つような伴奏を背景に、同じく合唱が浮き立つ喜びを明るく歌い、神の栄光を讃える。

第2曲、第3曲は、東方の三博士(マギ)の訪問を歌う。アルトのレチタティーヴォが印象に残る。(この2曲はマタイ伝による)

第4曲のコラールはイ長調だが、慎ましやかな表情である。

第5曲のバスのアリアは、オーボエ・ダモーレの甘いソロオブリガート付き。イ長調の平行短調 嬰ヘ短調による。この演奏では、通奏低音のファゴットが用いられれ、オーボエ・ダモーレとファゴットがバスの歌唱を包むようだ。

第6曲から第8曲は、ヘロデ王がイエスの誕生を知りうろたえおののく様を語る。

第9曲は、珍しいソプラノ、テノール、アルトによる三重唱アリアで、ヴァイオリンのソロオブリガートが付く。ロ短調(全体の主調ニ長調の平行短調)なのだが、全体的に明るい雰囲気の曲想になっている。イエスを待ち焦がれる気持ちが表されているためだろうか?

第10曲アルトのレチタティーヴォに続き、第11曲のイ長調のコラールによって閉じられる。

約10年ほど前に邦訳が出版され話題になった小説「聖書」新約篇(ウォルター・ワンゲリン、徳間書店)が手元にあるが、イエスの誕生はP.43-P.55あたりに描かれており、それをこの第5部を聞いた後に読んでみた。

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2008年1月 5日 (土)

ドラマスペシャル「のだめカンタービレinヨーロッパ」第1夜

昨夜は、子どもが正月休みの宿題を切りのいいところまで終えるのを待ち、ようやく「のだめ」のスペシャル第1夜を見ることができた。

1月2日、3日とフジテレビは異例の全話連続一挙再放送までを行い前景気を盛り上げていたので、相当期待したのだが、その期待は完全には叶えられなかった。とは言え、費用と時間をかけてじっくり作っていたのは伺えた。

真一のプラティニ指揮者コンクールが、南仏のブザンソン国際指揮者コンクールがモデルなのは知られているが、このドラマでは指揮者のヴィエラ先生役にチェコのズデニェク・マカールを起用したことで、原作からの軌道修正を図らざるを得なかったのか、プラハを指揮者コンクールの舞台として、ウィルトゥール管弦楽団というフランス風の名前のオケがコンクールのオーケストラという少々ちぐはぐさも生まれてしまったようだが、美しい百塔の街プラハとモルダウ川(ブルタバ川)の風景も写され、あまつさえ、スメタナホールの豪華な会場でのコンクールが長映しされ、贅沢な内容だった。

驚いたのは、真一やジャン、片平役の俳優達の指揮に合わせて、オケ(実体はどこだろう?)が、それなりに「ティル・オイゲンシュピーゲル」や「新世界」を熱演し、録音もホールトーンも非常に美しかったり、特に真一の決勝の最終曲目のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のソリスト(誰?)が熱演していて相当上手だったのは感動した。

間違い探し(新世界)では、真一もジャンも相当の数の間違い(音程、楽器法、リズムなど)を指摘していたが、あれは本当にそのように演奏されたのだろうか?とてもじゃないが分からなかった。

演技的には、ジャン役の日本語の上手い白人系俳優は相当イメージに合っていたが、ゆうこ役はちょっとイメージが違っていた。ベッキーがターニャを演じるのは聞いていたが、メークも含めて結構はまっていたために子ども達は志村動物園でおなじみのあのベッキーだとは最初思えなかったようだ。ウェンツのフランツもまあまあだったか?また、ウィルトゥールのヴィオラ奏者の千秋真一ファン(黒王子の命名者)は、ファゴットに変更されていたのはなぜか?アップを多用するためだろうか?配役では、何といっても「ありとキリギリス」の石井君が片平役をうまくこなし、持ち前の器用さ?でジャンプ入りの指揮をぴったり決めていたのには驚いた。指揮としての動きは彼が一番リズム的にも合い、自然で上手かったように思うし、玉木浩二も本編よりも上達していたようだった。

のだめ役の上野樹里はもう完全に板に付いた感じというよりも地のままの演技なのかと思うほどだった。最後ではのだめも相当ワインで酔っていたが、我が家でも妻と二人でゴルゴンゾーラチーズを肴にクリスマスの時に買っておいたCHÂTEAU LES REUILLES 2005 というボルドーワインを一本全部開けてしまった。

第1夜は海外コンクールを本格的にドラマ化したものとしても結構成功していたように思うので、今夜のコンセルヴァトワール編は、数多い日本人音楽留学生の生活(パロディー的だが)がどのように描かれるのか興味深い。のだめ達のサンマロでのモーツァルト扮装も楽しみだ。

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2008年1月 4日 (金)

J.S.バッハ 『クリスマス・オラトリオ』(ガーディナー)を聴く(4of6)

Weihnachts Oratorium BWV248 (クリスマスオラトリオ)

指揮:ジョン・エリオット・ガーディナー
管弦楽:イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
合唱:モンテヴェルディ合唱団
アルジェンタ(S),ホールトン(S),プリングル(S),フォン・オッター(Ms),ブロッホヴィッツ(T),ジョンソン(T),ベアー(B)

1987年1月、ロンドンでの録音(場所は不詳)

第1部 降誕節 第1祝日(12月25日)用 全9曲
第2部 降誕節 第2祝日(12月26日)用 全14曲
第3部 降誕節 第3祝日(12月27日)用 全13曲
第4部 新年(1月1日 キリストの割礼と命名記念日)用 全7曲
第5部 新年後の主日(日曜日:1月2日から5日の間の日曜日に限る)用 全11曲
第6部 主顕節(顕現節 1月6日)用 全11曲

第4部 新年(1月1日 キリストの割礼と命名記念日)用 全7曲 (通しでは第36曲から第42曲)

ここからCDの2枚目に入る。元日に聞くべきものだが、一日一曲で、1月3日の帰省から帰宅後に聴いた。

元旦は、より享楽的にフランスの83歳の指揮者ジョルジュ・プレートルの指揮によるヴィーナー・フィルハーモニカーによる新年演奏会を少し聞くことができた。プレートルの登場は以前からアナウンスされていたにもかかわらず、容貌を知らなかったので、どこか東野英治郎やクナパーツブッシュに似ている老人は誰だろうとしばらく分からなかったが、ああこの人がプレートルかという感じだった。最近ではヴィーンフィルが最も楽しそうに演奏していたように聞こえた。プレートルは、私にとってはカラスによる『カルメン』(1964)の指揮者として親しい人だが、44年前といえば、プレートルもたった39歳だったわけで、隔世の感がある。

なお、実家にある、昭和30年代発行の音楽之友社版の名曲解説全集「歌曲」篇をひも解き、この「クリスマス・オラトリオ」の解説をざっと読んでみたが、既に1960年代において現在通常この曲集について書かれている必要十分な内容が簡潔に記されており、驚いた。

1.合唱:ひれ伏せ、感謝もて、ひれ伏せ、讃美もて
2.福音史家:八日みちて、幼な子に割礼を施す日となりたれば
3.レチタティーヴォ(バス)とアリオーソ(ソプラノとバス):インマヌエル、おお甘きことばよ!-イエス、こよなく尊きわが生命よ
4.アリア(ソプラノとエコー):答えたまえ、わが救い主よ-いな!
5.レチタティーヴォ(バス)とコラール(ソプラノ):さらばいざ!汝の御名のみ-イエス、わが喜びの極み
6.アリア(テノール):われはただ汝の栄光のために生きん
7.コラール:イエスわが始まりを正し

第1曲、ヘ長調の穏やかな合唱で始まる。まさに、明けましておめでとうの雰囲気に合致する「めでたさ」を寿ぐ気分に満ちている曲調である。歌詞の内容は、人々に、救い主、贖い主、神の御子の前にひれ伏せ(Fallt)と呼びかける。ヘ調のホルンが柔和な気分を醸し出す。

第3曲は、バスのレチタティーヴォとソプラノとバスによる二重アリオーソで、ソプラノのコラールが慎ましやかで美しい。

第4曲は、ソプラノによる美しいアリアで、エコーが遠くから響き、オーボエソロがオブリガートを奏でながらアリアに寄り添っている。死をいとうべきか、喜び迎えるべきかという自問自答が歌詞であり、元日であり幼な子イエス・キリストの割礼の祝いの日というのに、厳しい内容である。

第5曲は、第3曲と同じ編成のバスのレチタティーヴォとソプラノとバスによる二重アリオーソ。コラールも第3曲と同じ曲。

第6曲は、テナーによるアリアだが、二提のヴァイオリンによる協奏曲的な器楽伴奏が印象的な曲である。これは主調のヘ長調の平行短調であるニ短調による。

終曲である第7曲は、第1曲と同じくヘ長調。J.リストによる新年コラールに基づく。

この新年の第1部は、ストーリー的な展開は、第2曲目の福音史家による割礼を施したということにつき、その他は誕生したイエスへの祈りに尽きるようだ。

なお、第5部は1月2日から5日に日曜日がある場合に演奏されるものだが、今年は1月6日が日曜日のため、もし今年指定通りに聞くとすると聞けなくなってしまうので、土曜日に聞き、1月6日指定の第6部をその当日に聞こうと思っている。

第 3部 降誕節 第3祝日(12月27日)用 全13曲 に戻る

第 5部 新年後の主日(日曜日:1月2日から5日の間の日曜日に限る)用 全11曲 に進む

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2008年1月 3日 (木)

藤沢周平の江戸を歩く特集

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現在新幹線あさま号で帰宅の途についている。

JR東日本のトランヴェール2008-1月号の特集記事に藤沢周平の江戸を歩く『用心棒日月抄』の世界へ が掲載されていたので興味深く読んだ。

江戸東京博物館の館長と学芸員が監修したなかなか本格的なものだ。

藤沢周平のこの作品は元禄時代を舞台にしたものだそうだ。池波正太郎の田沼時代や岡本き堂(携帯の変換ではだせない)の幕末とは時代が多少違うが大川(隅田川)右岸の下町界隈が舞台のようで馴染みの地名が美しい写真付きで紹介されているのはうれしい。(携帯電話 moblogでの投稿)

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2008年1月 2日 (水)

正月2日に川中島の戦の旧跡見物

北信にある妻の実家を年始に訪れ、今日は須坂のインターチェンジ近くにあるトレインギャラリーという鉄道模型館に子どものリクエストでまた行った後、時間もあるので川中島の古戦場八幡原史跡公園に足を延ばしてみた。

途中、長野電鉄金井山駅付近に山本勘助の墓という看板があり、車で行って見たところ堤防の河川側に立派な墓碑が建立されていて対岸の八幡原史跡公園を望んでいた。参拝の後、八幡原に向かい古戦場跡の八幡神社を参詣して有名な武田信玄と上杉謙信の一騎打ちの場面の銅像前で記念撮影した。首塚がその傍らにあり冥福を祈った。

天気はよかったが、元旦の雪が周囲の山山を白くし寒気厳しく足速に古戦場を後にした。(携帯電話 moblogでの投稿)

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2008年1月 1日 (火)

2008年が記念年の作曲家

謹賀新年

おとそ気分の中、今年が記念年(50年、100年単位)の作曲家をリストアップしてみた。

まずは、誕生年がプッチーニが生誕150年、ルロイ・アンダーソンとメシアンが生誕100年を迎える。

没年では、古いところでは、ジャヌカンが没後450年、リムスキー=コルサコフとサラサーテが没後100年、ヴォーン=ウィリアムスが没後50年というところのようだ。

新年早々から濃厚な官能性に包まれるのもなんだが、小澤征爾による若き日の畢生の名演でもある『トゥーランガリラ』交響曲を聴いて2008年を始めようと思う。

今年もいろいろ雑録を書き付けて行く所存。よろしくお願いする次第である。(挨拶言葉はですます調を使わないとやはり偉そうに読めて少し鼻白むが、今年もこの調子を持続。)

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