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2008年3月の30件の記事

2008年3月31日 (月)

2007年度が終わる

この土曜日は、いい天気だったが、日曜日にも天気が続くだろうと思って、回転寿司スシローを家族で食べに出かけ、帰りにスーパーで6本セットのビールを買ってきて、帰宅後たまには昼酒もいいかと飲み始めたら、すっかり寛いでしまい、ブログの更新も怠ってしまった。

よく日曜日は、肌寒い日で、花見に出かけようかどうしようか迷っているうちにどんどん曇り空で寒くなり、コタツでビールを飲み始めてしまった。それでも子ども達も暇そうにしているので、この日が開通日の市営地下鉄の新線を見物かたがた乗車に行ってみた。非常に背の低い車体で、狭苦しいが市の北部の公共交通の空白地帯を埋める効果はあるようだ。帰宅後、ごろごろしていてこのブログも俳句ブログも更新しなかった。

さて、この3月31日で日本国の会計年度が終わる。通常の学校の学年度(というのだろうか)も終り、多くの会社の会計年度も終わる。4月1日のApril fool の日から新年度の開始だ。

4月1日生まれの人は、3月31日の24時ちょうどに、一歳年を取るので、4月1日が誕生日の児童は4月1日までに満6歳となるため児童を保護者は小学校に入学させなければならない義務が生じるわけだ。

欧米では、学校の年度は、6月に終り9月に始まるケースが多いようだし、会計年度は12月に終り、1月から始まることが多いようだ。日本のように、学校年度と会計年度は4月からとなっているのは、どのような由来があるものだろうか?最近では、4月始まりの手帳も増えてきたようだが、一般の会計年度で仕事をしていると絶対こちらの方が便利だと思うのだが、未だに書店販売や、企業の手帳は1月始まりが多いようだ。

どうも1月と4月のダブルスタンダードのようなものを巧く使いこなせていないなというのが、実感だ。



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2008年3月29日 (土)

ダン・タイ・ソンのショパン『夜想曲集』

Chopin_nocturnes_dang ショパン
 夜想曲全集
  ダン・タイ・ソン(ピアノ)

1986年9月23-28日 福島市音楽堂 ビクター音楽産業 VDC-5029-30

2005年10月17日 (月) ショパンとフンメルの命日で、ちょっと取り上げたが、ダン・タイ・ソンの演奏による『ノクターン』全集。ダン・タイ・ソンの姓名については、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の記事で書いたことがあるが、小林研一郎指揮モスクワフィルの演奏会(メインはショスタコーヴィチの第5交響曲だった)に、ダン・タイ・ソンがソリストを務めてラフマニノフの第2ピアノ協奏曲を弾くのを聴きに行き、その折に妻が購入したもの。

先日、ポリーニとアシュケナージでショパンを聴いたがその後しばらくショパンから離れてしまっていた。

1958年ベトナム生まれ。ベトナム戦争中、米軍の北爆の中、地下壕でピアノの練習をしたというエピソードが知られている。ソ連で勉強。ショパンコンクールで優勝(その回にポゴレリッチが落選しアルゲリッチがそれに怒って審査員を辞任した)。

このCDの頃は、まだ28歳。現在の貫禄のある風貌(公式サイト、いきなりピアノ協奏曲第1番のピアノの音が出る)とは大分異なり初々しい容貌だ。

このCDのピアノの音色は非常に美しい。アジア人ということもあるのだろうか、音が非常に繊細で透明。厚ぼったさや粘っこさはほとんど感じられない。植物的と言うような感触だ。ベトナムといえば、日本でも食べられるようになった米の麺フォーが有名だが、若い女性のアオザイの姿がそれと似通った楚々とした風情なのと合い通じるものがあるのだろうか?いわゆる一般的な民族的な特質で、音楽家の音楽を論じるのは粗雑過ぎるが、本当に透き通るようなしなやかな音色だと思う。

演奏スタイルは、モスクワで勉強したので、ロシアンスクールとも言えるのだろうが、やはり粘っこさがなく、サラサラとした音楽が聞こえる。その分、やや食い足りないというところもあるのだが、いわゆるいやみのない演奏だ。

同じアジア系として、多くの日本人ピアニストや中国系のフー・ツォン、近年のショパンコンクールで優勝したリ・ユンディなどと比較もできるのだが、彼らに比べてもダン・タイ・ソンのスタイルはケレンミが少ないことが特徴だと思う。

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2008年3月28日 (金)

厚生労働省の勇み足 にがり規制とその解除

十島のにがりピンチ 来月から出荷停止も (03/24 07:26) 南日本新聞 という報道が最近されていたが、3/26のテレビのニュースで、厚生労働省がにがりの規制施行5日前に規制を撤回したということを聞き、最近のお役所らしいと呆れてしまった。

新聞では、朝日新聞が天声人語で結構遠慮がちに伝統的な豆腐が食べられなくなるという意見を述べている程度でその及び腰はなぜかと思っていたが、このあほらしい規制が突然中止されたらしい。

規制の中止については、厚生労働省のサイトを見にいっても出ていないし、ニュースを検索してもTBSのはリンクが切れていて確認できないが、3/26のニュースでこれを知り我が家では、厚生労働省の行政のお粗末さ(医療行政、食品行政)の最近のお粗末さへの憤りで満ちてしまったほどだ。 

規制については、このサイトが詳しい。 国産自然海塩協議会という会のサイト。

また、塩の情報室というサイトも。

これが、その法令の通知らしい(pdfファイル)。 粗製海水塩化マグネシウムというのが厚生労働省流のにがりの別名だという。

TBSのリンク切れのGoogleニュース検索

厚労省、にがり業者への規制見直しへ
TBS - 2008年3月19日
厚生労働省は19日、にがり業者への規制の見直しをすすめることを明らかにしました。 厚労省は去年3月、「食品・添加物などの規格基準」を改正、豆腐を作る際 ...

厚労省、規格基準から「にがり」除外
TBS - 23時間前(2008/3/27 21:34時点)
国の規制強化によって、豆腐を作る際に使われるにがりの製造業者の廃業が相次いでいる問題で、厚生労働省は、にがりについて規制からはずすことを決めました。 ...


このニュース以外、他のマスコミが沈黙しているのはなぜだろうか?

wikipedia にがり には「規制直前の3月26日、厚生労働省はにがりを規制除外する方針だが、現場では混乱が生じている。」とある。

この社民党の衆議院議員のblogでは、規制除外については、ある衆議院議員の質問によってこのような規制除外の動きになったとされているが、マスコミはこの問題をどうも等閑視していたのではないのだろうか? 一野党の議員が動いただけで、簡単に規制が覆るというのはことの是非は別にして、これまたあまりにも異常だ。いったい行政府はどうなっているんだ?

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2008年3月27日 (木)

臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る』

3/25から3/26にかけてココログ(フリー以外)がメンテナンスに入っていたため、投稿はフリーのサブブログの方にしたが、そのときに書いた中公新書を早くも読み終えた。

実に面白い本だった。1992年に初版というのだが、これまで背表紙も見た記憶がないので、逆に驚いている。ネットを検索すると、結構この本の感想や書評が見つかるので、それなりに有名な本ではあるようだ。

コーヒーの歴史が人類史の中でも比較的新しく、イスラム神秘主義が生みの親だとは知らなかった。それが、ヨーロッパでは修道院で意識を覚醒し、欲望を沈静させるということで、尊重されたという経緯があるようだ。そして、これがイギリスではコーヒーハウスにより有名なロイズの保険を生み出し、一方でその欲望沈静化作用を言い立てられた結果イギリスではコーヒーは廃れ紅茶が飲まれるようになったとか、フランスではカフェがフランス革命のゆりかごとなったり、ドイツでは市民革命の鬼子ファシズムを生んだりと、またその背景に西インド諸島、東アフリカでの植民地と黒人奴隷労働があるなど、コーヒーというカフェイン嗜好飲料がとてつもない働きを近代史の上で残しているということが読み物として面白く語られていた。副題の『近代市民社会の黒い血液』というのは、言い得て妙だと思った。

またイギリス人の支配、ドイツ人による官僚による匿名性の支配という図式(p.188前後)の提示は非常に面白いものがあった。

近著で、『パンとワインを巡り 神話が巡る』というのも出ているようだ。こちらにも興味がある。

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2008年3月26日 (水)

音盤上屋での投稿 2編

2008年3月26日 (水)

ココログ(フリー以外)メンテ中

本ブログの日々雑録または魔法の竪琴のココログ(フリー以外)が3/25から3/26までメンテナンスなので、こちらに日記を書いておく。

3/24 臼井隆一『コーヒーが廻り世界史が廻る 近代市民社会の黒い血液』(中公新書 1095)を購入し読み始めた。非常に面白い。コーヒーについては、茶、 コーヒーのカフェイン飲料が世界史に与えた影響ということに関心があるので、ドンぴしゃりの本があったというところだ。起源から第二次大戦のファシズムま で、非常に想像力のある面白い世界史で、こういう切り口もあったのかという興奮がある。

2007年12月26日 (水) J.S.バッハ『コーヒー・カンタータ』とドリップコーヒー

また、3/25には、同じ中公新書で角山栄『茶の世界史 緑茶の文化と紅茶の世界』を購入。これも、同じ関心から興味深そうだ。

経済史の一分野になるらしいが、食品の歴史というものは、興味をそそる。

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2008年3月 4日 (火)

保守あげ

2008.03.03 1年間記事の新規作成のないココログフリーのアカウントについて

2008年4月1日より、ココログフリーでは、1年間記事の作成がないアカウントにつきまして、毎月自動的にココログのアカウントを削除させていただきます。

とのことで、第1ブログの記事を保存するためのブログだが、独自記事を一本投稿。

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2008年3月25日 (火)

大河ドラマ『篤姫』も面白い

日経の回し者ではないが、日経トレンディネットという サイトも結構面白い。

大河ドラマ『篤姫』の快進撃はこれからも続く! そう断言できる根拠とは? 2008年3月22日
という記事は、なるほどと思わせる予想記事になっている。

それほど期待せずに我が家でもこの大河ドラマを見始めた。歴史上の女性を主人公にしたものでは、永井路子原作の北条政子を扱った『草燃える』は、岩下志麻の迫力のある演技もあり、非常によい出来だったが、『女太閤記』のような通俗的なホームドラマに堕さずに、それなりの品格を保ったドラマになっているように思う。宮崎あおいは、少々庶民的な顔立ちだが愛嬌があり、幾島役の松坂慶子ともどもなかなか見せてくれる。

司馬遼太郎の多くの幕末史を扱った作品は、主に倒幕側を主人公としており(例外的に、『最後の将軍』があるが)、その裏面史である13代家定、14代家茂、15代慶喜将軍の様子についてはあまり知ることがなかった。

そこで、興味を持ち、宮尾登美子の原作(講談社文庫、上下巻)を購入して読み始めた。

歴史小説としては、少々野暮ったいが、宮尾登美子流の引き込むような筆力によって、現在下巻を読んでいるところだ。


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2008年3月24日 (月)

連続テレビ小説『ちりとてちん』が最終週

あまり朝日新聞が肩入れするので、茶化したこともあったけれど、我が家の毎朝の恒例行事となった朝7時半からのNHKBS11での『ちりとてちん』もとうとう最終週を迎えることになった。

福井県小浜市を実家とするヒロインだが、この間個人的には網野善彦の著作で日本海側の小浜市が中世には貿易港として栄えたということを「発見」したこと、その小浜市が例のアメリカ大統領選民主党候補者選挙でオバマ氏の絡みでクローズアップされたことなど、少し福井県というなじみのない県、小浜市、小浜の塗り箸、それに上方落語に興味を持った半年だった。

新聞の言うとおり、よくできた脚本で、伏線を張りまくっていたが、それがそれぞれなかなか巧みに解決されていく様は非常に面白く、人情味に溢れた筋も少し教訓的ではあったが、それなりに胸に染みる内容だった。

演技陣も、ヒロインのB子・喜代美・若狭を演じた貫地谷しほりは勿論のこと、特に母親役の元トレンド女優の和久井映見のとぼけたユーモラスな味わいの演技が意外性もあり、我が家では大好評だった。他の登場人物たちも、いわゆるキャラが立っており、埋没するような個性の人物は一人もおらず、非常に多彩で楽しませてもらった。そして最終週を残してはいるが、これまでずーっと喜劇調が失われず、NHK的な美徳の押し売りにならないいい意味での軽さが続いたことは評価されてもいいと思った。なお、B子の子ども時代を演じた子役は桑島真里乃(くわじままりの)という女の子だったことを上記公式サイトで知ったが、子ども時代の亡くなった祖父を偲んで号泣する場面は名演で、このドラマの特徴でもある回想シーンにもよく登場し、貫地谷しほりの演技にうまくつながっていって好印象を残した。

前期の『どんど晴れ』も面白かったが、この『ちりとてちん』も我が家としてはヒットだった。

p.s. 我が家では、フジテレビの木曜日10時からの『鹿男あをによし』もこの3ヶ月楽しませてもらった。のだめの千秋役の玉木宏が主人公を演じた不思議なドラマで、それもそのはず、あの『鴨川ホルモー』で話題を呼んだ万城目 学(まきめ まなぶ)が原作だったという。

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2008年3月23日 (日)

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第31番作品110を聴く

◎シュナーベル〔1932年1月21日、ロンドン、EMIアビーロード第3スタジオ、モノ〕6:33/1:55/9:51
◎ソロモン〔1956年8月20日、ロンドン、EMIアビーロード第3スタジオ、モノ〕 7:08/1:57/10:48
◎グールド〔1958年、ストックホルム、ライヴ、モノ〕 8:42/2:16/12:54
◎ケンプ〔1964年1月、ハノーファー、ベートーヴェン・ザール〕 6:18/2:16/9:44
◎グルダ〔1967年7-8月、ヴィーン〕 6:05/1:48/8:58
◎ヴェデルニコフ〔1969年、モスクワ〕 6:00/2:05/10:12

先日発売の『のだめカンタービレ#20』で、取り上げられていたこのピアノ・ソナタの名曲を、手持ちのCDを取り出してきて改めて聴き比べ、感激もし、また大変面白かった。手元にあるピアノ譜は、音楽之友社版(ペータース版?)だが、参照しながら聴いてみた。

この楽譜には、実演を大学の文学部の教室で招聘教授の奥様がジュリアード出身ということで何かの講義の折に聴いたことや、1985年にピーター・ゼルキンが来日?したときに後期3大ソナタを弾いたFM放送のこと(1月9日と日付がある)や、上記の録音のうち簡単なコメントが書き付けてあった。すっかり忘れていたが、以前からお気に入りで、聴き比べをしたらしい。

ソロモン:硬質な音、品格の高さ。

ケンプ:第2楽章のテンポが遅い。美しい響き。終楽章の盛り上がり。フーガの巧さ。

グルダ:テクニック的に安心感。先を急ぎすぎる、アリオーソの部分など。

ヴェデルニコフ:最も真摯な演奏、感動的。

ポリーニ(FM放送85/1/18):すごい。テクニック、形式感。

今回聴き直してもこれらの印象はあまり変わらなかったが、それ以降新たに入手したグールドシュナーベルについて簡単なコメントを書きとどめておきたい。

シュナーベルは、先日全集を買ったときにも聴いたのだが、細部にこだわらずに大局的に音楽を把握しているという印象を強くもたされる演奏が多いように思う。それに加えて、シューベルトの古い録音でも感じたが、ムジチーレンする喜びが率直に伝わってくるように思う。スケルツォ(2拍子)のトリオ(中間部)などは指捌きという点では苦しいものがあるが、上記のリストでもヴェデルニコフやグルダといった指捌き的な技術では並ぶもののないようなメカニックを持った人たちとほぼ同じテンポで弾き切っているのがすごいと思う。あるべきテンポを追求した結果だろう(同様に、ハンマークラフィーアでも、冒頭から信じられないようなテンポを設定している)。その結果として、前に述べたような音楽を大づかみにして聴き手に届けるということに成功しているのではないかと思われる。

1930年代の歴史的録音などというと、以前ブルーノ・ヴァルターのザルツブルクライヴの『フィガロ』を聴いたときにも驚いたのだが、普通は古色蒼然としたおどろおどろしいような演奏が聴かれると思うとまったくさにあらず。ヴァルターのはアセテート盤起こしでもあり、音質的にはどのような音楽が演奏されているのかが分かる程度だったが、このシュナーベルの録音は、楽章によってヒスノイズの量が違ったり、帯域は狭いものの、シュナーベルの清々とした音色が十分聞き取ることができ、また演奏解釈上も、新即物主義的といっても機械的なザッハリヒなものではなく、感情が十分含まれており、否むしろベートーヴェン的な勢いのある迫力を伝える演奏としてはこれに勝るものはそうなないのではないかというものだ。録音でまとまって聴くことができる最も古い全集のはずだが、本当にこれは聴く価値のあるものだと思う。

一方、グールドの演奏は、このようないわゆるドイツの伝統的な演奏に比べると、本当にユニークな演奏だと思う。グールドがヨーロッパでも高く評価されるようになった欧州ツアーのうち、ストックホルムでのライヴ録音。同じようにユニークなスタジオ録音の方はまだ聴いていないのだが、リサイタルでこのような演奏を聴いた聴衆は相当面くらい驚かされただろうと思う。各楽章とも2割程度遅いテンポを取っている。ノンレガートがグールドのトレードマークだが、ベートーヴェンではバッハのような演奏ではなく、美しい歌をレガートで聴くことができる。とにかくゆっくりしたベートーヴェンだが、これはこれで楽しめるので、その意味でもベートーヴェンの懐の深さが感じられる。

なお、これら6種類を聴き比べると、改めてヴェデルニコフの録音の過不足のない技術による透徹した演奏の凄さが感じられる。特にフィナーレのフーガの入り組んだ部分などの捌きは関心する。閉塞されたソ連の中でラジオ放送のためにこのような録音を残したというので、その意味でも凄いことだと思う。


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2008年3月22日 (土)

女子フィギュアスケートで浅田真央選手 世界選手権金メダル

先に韓国で開かれて四大陸選手権で、ライヴァルのキム・ヨナの不在の中、順当に優勝した浅田真央選手だったが、今回スウェーデンのイェーテボリ(ゲーテブルク、ゴーセンバーグ)での2008年世界選手権で、苦労の末見事優勝を飾った。東京で開催された2007年世界選手権で安藤美姫選手が日本の女子として四人目(伊藤みどり、佐藤由香、荒川静香に続いて)の優勝者となったときは、その最終滑走の安藤選手の逆転がなければ、浅田選手が世界チャンピオンだったというきわどい勝負だったことを思い出す。あのときは、浅田選手はショートプログラムで少し出遅れ、フリーの完璧な演技でトップに立ち、これで浅田選手が優勝かと思った矢先、安藤選手の驚異的な演技で逆転され、涙に暮れたのだった。

今回は、米国で指導を受けてきたコーチから離れ、一人で中京大学のアイススケート場で練習を積んできたのだという。そのため、素人目にはショートプログラムはほぼ完璧と思われたのだが、イタリアのコストナー選手に僅差で逆転され、二位発進となった。

そして、日本時間21日未明のフリースケーティングの序盤で、まさかの大転倒をおかし、トリプルアクセルの基礎点7.5点を失い、また転倒による減点1で、最初から8.5点を失うという瀬戸際に追い込まれてしまった。転倒の際には、切り傷も負ったのだともいう。しかし、そこからは、ほぼ完璧なジャンプとスピンなどを積み重ね、コストナーを逆転。追い上げたキム・ヨナ(フリーでは1位)をもかわして、堂々の1位となった。

中野友加里選手は、ショートプログラムで3位と好発進をしたが、惜しくも4位入賞。ただし、昨年より順位を一つあげ、実力が蓄えられていることをアピールした。安藤選手は、ショートプログラムで出遅れ、フリー当日の練習で足に軽い肉離れを起こしたが、強行出場。途中で棄権した。本当に波が激しい選手だが、調子のいいときは、浅田選手を凌ぐ内容を見せることもあるので、次の奮起を期待したい。

男子は、高橋大輔選手が日本男子としては、初の金メダルに挑戦する。実力、安定性からいっても金メダルは取れても不思議ではないと思うので、期待したい。

なお、地上波のテレビ放送は、フジテレビが独占放送で、実際の競技は21日の未明に行われたものを、21日の夜7時から放送した。しかし、CSのスカパーやケーブルテレビでは、スポーツ専門チャンネルによってライヴ中継も行われていたようだ。

フィギュアスケート関係のサイトとしては、今日見つけたこの@niftyのインタビュー記事やまとめ記事が読み応えがある。

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2008年3月21日 (金)

クリュイタンス/BPOの『英雄』交響曲

3月ということで、3に関係する曲を選ぼうと、先日はメンデルスゾーンの『スコットランド』を聴いたが、やはり3番では、『英雄』交響曲を外すことができない。

まだウラニアのエロイカ(フルトヴェングラー/BPO)など名演盤と呼ばれているもので聴いていないディスクも数多いが、現在最も気に入っているのが、以前にも簡単なコメントをしたDisky盤のクリュイタンス/BPOによる『英雄』だ。これまでも折に触れ、コメントを書いてみたが、3月の3番ということで、少しまとめて感想文を書いてみようと思った。

2006年11月20日 (月) ベートーヴェン 交響曲全集 クリュイタンス/BPO

第3、第5や第7といったむしろ世評の高くない録音の方が私には面白かった。特に第3番『英雄』の第1楽章の快適なテンポと胸のすくようなスフォルツァン ドの歯切れよさは、フルトヴェングラーにもカラヤンにもなかったもので、素晴らしい。モントゥー/LSOの7番でも同じで、これがフランス系の指揮者の ベートーヴェンの特徴の一つなのだろうか?

2006年11月26日 (日) クリュイタンス/BPOのベートーヴェン 交響曲全集の簡単な感想

第3番。クリュイタンスの『エロイカ』がこういう演奏だとは思わなかった。不意打ちで驚いた。スリムで引き締まった軽快な『英雄』像だ。フルトヴェング ラーのベルリン・フィルがこのようなアポロン的なエロイカを演奏したとは非常に意外だ。その直後のカラヤンの録音よりもこちらの方に共感を覚える。

2007年8月24日 (金) ザンデルリング フィルハーモニア管のベートーヴェン 交響曲全集

第3番『英雄」では、現在、明快さと鋭さに加えて、ベルリンフィルの一糸乱れぬアンサンブルが魅力のクリュイタンスの録音をよく聞き返し、自分にとってこれまでにない『英雄』の魅力を味わっているのだが・・・

2007年11月28日 (水) ホグウッドの『英雄』交響曲 

『英雄』では、現在最も好んで聞いているのが、昨年購入したDisky盤のクリュイタンスとBPOによる録音で、ときどき会社からの帰宅時に携帯電話の SDメモリーに入れてあるその録音を聴くのだが、オケの各パートが充実していること、アンサンブルが自発的で揃っていること、クリュイタンスの演奏解釈が 特に快適なテンポとスフォルツァンドの狙い撃ちのような小気味よさを感じさせ、また木管の浮き立たせによる軽やかさ、主旋律と対旋律の対比などの立体感等 々に感心しながら聞きほれている。

なお、これまで、音盤では次のような演奏を聴いてきた。私の入手した音盤では、『第九』についで多い枚数だと思う。(ほぼ録音年代順)
◆LP
フルトヴェングラー/VPO
トスカニーニ/NBC響
ワルター/コロンビア響
セル/クリーヴランド管

◆CD
ワルター/シンフォニー・オブ・ジ・エア 〔1957〕 15:07/15:51/5:47/11:48
カラヤン/BPO 〔1962〕 14:44/17:05/5:44/12:20
小澤/SFO〔1975〕 18:45/18:00/5:49/13:00
スウィトナー/ベルリン・シュターツ・カペレ 〔1980?〕 18:37/15:01/5:26/11:06
ホグウッド/AAOM  〔1985〕 17:46/14:57/6:07/11:01

◆CD全集

セル/クリーヴランド管〔1957〕 14:46/15:34/5:33/11:27
クリュイタンス/BPO〔1958〕 14:27/16:14/5:24/11:33 
ブロムシュテット/SKD〔1976〕 15:02/16:47/5:49/11:49
ザンデルリング/PO〔1980,1981〕 18:32/17:27/6:29/13:21  
バーンスタイン/VPO〔1978〕  17:40/17:35/6:11/11:44
ジンマン/チューリヒ・トーンハレ管 〔1998〕15:34/12:58/6:15/10:22
飯守泰次郎/東京シティ・フィルハーモニック管〔2000〕 16:22/13:12/7:39/10:59

クリュイタンス盤の第1楽章は、とにかくテンポが快適だ。トスカニーニの少々硬直した速さとは違い、伸び縮みはあるのだが、基本的なテンポ感が3拍子だけあり、スケルツォに近いような感じだ。フルトヴェングラーの大河のような印象の第1楽章とも相当違う。セルの録音が比較的所要時間的には近いが、セルの演奏には速さはあまり感じないのは不思議だ。(ただ近年の演奏では、提示部を繰り返しているにも関わらず他の提示部リピートをしない演奏と同じくらいの演奏時間になっているジンマンの猛烈なテンポよりは遅く、飯守の演奏もジンマンに継いで速い。)

何度も言うようだが、まさに各所で頻繁に用いられるスフォルツァンド、アクセントが非常に小気味良い。そして、アンサンブルが自発的なのだろうが、非常にこのテンポに乗って快調に進んでいる。冒頭から重々しい英雄というのではなく、若き颯爽とした英雄像がイメージされる。光彩陸離という言葉があるが、この演奏ほどそれを思い起こさせるものは少ない。気分を前向きに浮き立てくれる。

前にも書いたが、フランス系の指揮者に流れるベートーヴェン演奏の伝統は、ベルリオーズの時代から既に発しているといい、本家独墺にも勝るとも劣らないものだが、このクリュイタンス、モントゥー、そして実際にじっくりとは耳にしたことはないのだがミュンシュのベートーヴェン像は、明快で運動性があり、風通しがいいように感じる。軽快過ぎると思われる部分もあるが、コーダで第1主題の単純なモチーフが何度も何度も繰り返される部分など、胸が一杯になってくるのは不思議だ。ベートーヴェンが憧れた英雄ナポレオンのイメージは、フランス人、フランス系にとっては、相当肯定的な面が強いと思うが、ドイツ・墺太利、イタリア、イギリス、ロシアなどのヨーロッパの大国では、逆に侵略されたという負のイメージもあるのだと思う。ただ、ことはそう単純ではない。指揮者個人のイメージ、思想もある。楽団は、プロイセンの伝統を継ぐオーケストラでもある。しかし、このような一種の軽みを帯びた明るい響きがそのプロイセンの楽団から呼び出せたのは、指揮者の力のように思う。(残念なのは、提示部の繰り返しが収録されていないところ。)

第2楽章は、風通しのよさは同じだが、テンポ面では第1楽章に比べて相当遅いテンポを取っているが、その遅さによる重さ、鈍重な感じはまったくない。そしてここでは、フルトヴェングラーが残したものだろうか、オーケストラが一体となって有機的な音楽作りに奉仕している様を聴くことができるように思う。慟哭にしても、静かでさめざめとしたものに聞こえる。

スケルツォは、クリュイタンスの軽快なテンポ感にベルリンフィルがよく反応して、第1楽章と対をなす、明快でありながら沸き立つような生き生きとした感情に溢れた演奏を聴くことができる。ホルンによる三重奏も非常に巧みで、音を割った響きにゾクゾクとする感じを味わうことができる。

フィナーレも、全曲を通じての音楽作りは勿論共通しているが、変奏曲の様々な表情を各パートがこの音楽の隅から隅まで知悉したアンサンブルで音楽を作っている様子が伺える演奏をしていることに改めて感心する。ベルリンフィルとしては、フルトヴェングラーの元でそれこそ数え切れないほど演奏し尽くした曲だろうが、このクリュイタンスというフランコ・ベルギー系の新鮮な指揮によって、ほどよくリラックスして喜々として演奏しているような感情が伝わってくる。いつも微笑みを絶やさない演奏だという評はどこかで読んだことがあり、それが奥深いベートーヴェンの世界の再現としては少々楽天的に過ぎ、物足りなさを感じる向きもあるのだろうとは思うし、陰翳には欠けるところも確かにあるだろうが、それでもこのコーダの畳み掛けるような歯切れの良さを味わうと、この演奏の目指しているものが再び理解できるように思えてくる。同系統の歯切れのよい引き締まった演奏では、セル/クリーヴランド管のものがあり、本当に克明で壮大な演奏だが、微笑みや喜々とした浮き立つような感情を引き出すものではない。

古い録音だが、音質はそれほど聴きづらくはない。残響を多く取り入れているせいか、少々芯がないように聞こえることもあるが、細部まで明快な、歪みのない音楽を聴くことができる。

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2008年3月20日 (木)

2冊のクラシック入門書

3月19日は子どもの卒業式出席のため有給休暇を取得して出席してきた。非常に独特の個性を持った子どもなので、級友との付き合い、団体生活・行動等々、いろいろな心配はあったが、特に毎学年の担任の先生(毎年クラス替えがあり、6年間別の先生)のご指導のおかげで、何とかひどいいじめにも合わずに6年間を過ごすことができた。卒業式に列席し、長そうであっという間の6年間を回想すると、ビデオカメラで撮影しながらも時折ウルウルとしてしまった。これからは、そのような個性を矯めようとはせずに、マイペースで学習することのできる中学校へ進むことができることになったので、個性を生かして成長していってもらいたいと願っている。

昼過ぎに式も終り、少し雨模様の中帰宅後、久しぶりの週日の休日をのんびりと過ごした。昼寝も出来たので、風邪も大分治まってきた。

先日購入した樋口裕一『笑えるクラシック 不真面目な名曲案内』(幻冬社新書)は、ラ・フォル・ジュルネのアンバサダーを務める音楽愛好家の手になるもの。笑いを武器にいわゆる堅苦しいジャンルに切り込むものというと、宮田光雄『キリスト教と笑い』(岩波新書)を思い出させるが、名曲案内の方はより気楽にクラシック音楽に楽しんでもらおうという意図で書かれたもので、寝転んで読むのに最適な本だった。中ではラヴェルの『ボレロ』についての解説は、非常に納得のいくものだった。フランス音楽についての捉え方も鋭いと思った。また、リヒャルト・シュトラウスへの日本の一般的な音楽ファンの印象を踏まえての評価も、なるほどという感じをもった。前半は、このボレロを含んで、『第九』『英雄の生涯』『レニングラード』が詳細に論じられ、第2部は膨大な数のオペラが笑いをキーに紹介。第3部は思わず笑ってしまう名曲が列挙されていた。オーケストラ曲とオペラがほとんどだが、面白い視点からの名曲案内で結構啓蒙された。これからハイドンの交響曲第60番『うっかり者』を聴いてみたいと思う。まだ例の全集では聴いていない曲のようだ。

また、先日現役オーボエ奏者としては引退して指揮者・教育者として再スタートを切った宮本文昭『疾風怒涛のクラシック案内』(アスキー新書)も、入門書ではあるものの、特にドイツの一流放送オーケストラの首席を務めた名プレーヤーで、あのヘルムート・ヴィンシャーマンの弟子でもあるので、実際の音楽実践と、これからの指揮者としての抱負が混じった音楽案内も、結構興味深いものがあった。ただ、シューベルトの交響曲第2番のフィナーレへの妄想?は、改めて曲を聴きなおしたが、やはり妄想ではなかろうか? 交響曲第5番であのヴァントにしごかれた話も面白かった。こちらもオーケストラ曲とオペラを扱っているので、他のオーボエが活躍する室内楽曲についても書いて欲しいものだ。

「名曲案内」もいろいろ出ているが、やはり切り口が明快なものが面白いようだ。百科全書的にあれもこれもというとどうしてもくどくどしてしまうから。

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2008年3月19日 (水)

今日も風邪気味

3/18は、何とか仕事には行ってきた。帰宅して、食事を摂ったらまた具合が悪くなってきた。テレビでは、『でぶや』が最終回を迎えた。ホンジャマカの石ちゃんこと石塚とパパイヤ鈴木のコンビによる食べ物番組で、深夜放送の時代からときどき楽しんで来たが、とうとうこれで終りだという。でぶキャラの社会進出に果たした役割は大きいかも知れない!?

ところで、チベット暴動問題は非常に懸念されるところだが、全人代を標的に、それより前に新疆ウイグル自治区でも航空機テロ未遂があったのだという。民族・宗教対立が20世紀末から21世紀初頭の国際政治のキーワードだが、多民族大陸国家の中国でも北京オリンピックでの世界の注目をきっかけにして、外部アピールの意味も込めてそのような対立が表面化しているように思われる。

同じ多民族大陸国家であるロシアもチェチェン問題などではムスリム独立派を暴力で抑え込むという同様の対応をしながら、それほど西側からの非難は強くはなかったと記憶するが、潜在力ではスーパーパワーである黄色人国家の中国は、その比較からすると欧米側からの非難が強いのではないか?ビョークとかいう歌手がチベット問題を上海で取り上げたらしいが、欧米内でのそのような問題を取り上げることはないのだろうか?他人の粗はよく見えるが、自分の頭の上の蝿をまず追うのが先決ではないのか?かといって、中国内の少数民族の漢民族化による弾圧・強制が正当化されるものではないのだが。

音楽は今日も休みだが、ブックオフの年度末の書籍半額セールで、俵孝太郎『新・気軽にCDを楽しもう』(1993年)、宮本文昭『疾風怒涛のクラシック案内』(2007年)、樋口裕一『笑えるクラシック』(2007年)、相倉久人『ジャズの歴史』(2007年)という音楽関係の書籍を入手。政治評論家の俵孝太郎氏は、音楽愛好家だということは知っていたが、こんな本を書いていたとは知らなかった。

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2008年3月18日 (火)

少々風邪気味

先日来胃腸の調子がどうもよくなかったのだが、どうやら風邪を引いたせいだったらしく、3/17(月)の時点では、微熱があり身体が気だるい。

円高、原油高、チベット問題など心配ごとが多いけれど、今日は記事の作成は小休止。

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2008年3月17日 (月)

『のだめカンタービレ』#20

日曜日に『のだめカンタービレ』#20を購入して読み終えた。今回は、ターニャと清良のコンクール(世界的に有名なフランスのコンクールなのでロン=ティボーがモデルだろうか)が主に描かれ、のだめがそのコンクールに刺激を受けながら、真一とともに苦闘する様子が書かれていた。ターニャが弾く『クライスレリアーナ』は、アルゲリッチ的な演奏を連想させた。ただ、アルゲリッチには歯切れの良さは備わっているので、少し違うかも知れないが、全身全霊没入型としては同じ仲間かも知れない。

全体的に、これまでになく不穏な雰囲気が漂う巻だった。

相変わらず多くの曲が登場し、のだめがオクレール先生からレッスンを受けた多くの曲目リストが公開されたりもしていた。先日もちょうどポリーニの演奏で取り上げたショパンの3番や、まだこのBLOGではあまり書いていないが、ベートーヴェンの後期3大ソナタの中でも愛好する第31番のソナタが登場する本格的な展開で、それらの曲へののだめや真一のコメントの台詞がなかなか新鮮で「ため」になった。

このように独奏曲が主体だが、協奏曲もコンクールだけあって多く登場し、ベルクのヴァイオリン協奏曲ラヴェルのピアノ協奏曲も登場した。

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2008年3月16日 (日)

グアテマラコーヒーの香り

グアテマラ Guatemalaという国にはあまり馴染みがないが、2008年2月11日 (月) 最近の新聞記事から 「コーヒーの香り」とDVDの寿命で、ブルーマウンテンと並んで香りのリラックス効果が高い銘柄としてグアテマラが挙げられており、興味を持った。

そこで、帰宅時に最寄のコーヒー店に立ち寄り、グアテマラを探したところ、ブラジルなどの通常品と同じ程度の値段で売られており、早速買い求めた。ブルーマウンテンは、ハワイアン・コナと並ぶ高価さで、その5倍程度の値段だったので、ちょっと手が出ない。

早速、帰宅後ミルで挽いてみると、挽くときの香りからしてまず素晴らしい。少し甘みがある香りがするので、挽くだけでリラックス効果があるようだ。

いつも通りにドリップして飲んでみると、液体としてのコーヒーの香りも、味もマイルドで飲みやすい。これまで、モカ、ブラジル、キリマンジャロ、マンデリン、ジャマイカなどいろいろ試しながら楽しんで飲んできたが、このグアテマラはその中でも気に入った。

それを飲みつくした後、同じ店に立ち寄ったところ、普通のグアテマラの約2倍の値段で、グアテマラ・サンタバーバラという銘柄が売られていたので、購入。早速飲んでみたところ、通常のグアテマラとは結構性格が違うように感じた。香りも独特の甘さはないが、ドリップ後のコーヒーは、雑味がなく、非常にすっきりした味のようだ。むしろコクが無さ過ぎるようにも感じる。これはこれで、悪くはない。調べてみたところ、私の感じた印象とは違うが、結構高品質な銘柄のようだ。味や香りの比較表もあった。

前回のグアテマラは、一般品だと思うが、グアテマラコーヒーといっても農園ごとに非常に細かいようだ。

コーヒーの世界も奥深い!

ただ、最近、さすがに手で引くスローライフのコーヒー生活も時々面倒くさくなってきた。最近のコーヒーメーカーは、ステンレスポット(魔法瓶)が主流らしく、電気代もあまりかからないとの記事を読んだ。電動ミルと一緒に購入を考えてもいいかも知れない。

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2008年3月15日 (土)

amazonのウィッシュリスト(ほしい物リスト)からの個人情報「流出」

私もアフィリエイトに参加し、レビューをしたり、問題のwishlistに参加したり、また書籍を買ったりしていたネット販売の大手amazon の wishlist (欲しい物リスト)が、「非公開設定」をしていない場合、ネット内で誰でも検索できるようになっており、騒動になっていると、朝日新聞の報道で知った。(ネットの記事を探したらこれがあった。)

検索をしてみると、笑い事では済まないケースもあるらしい。現在、アマゾンのサイトからは検索はできなくなっているようだが、3/8の「欲しい物リスト」への名称変更から昨日あたりまで、特に2chあたりでは「祭り」状態だったとのことだ。

自分のwishlistを調べてみたところ、非公開設定だったし、家族や親戚、知人などにはこの被害を蒙った人はどうやらいないようで一安心だが、amazonのサイトは、どうもそのあたりの情報公開に対策が講じられていなかったらしく、レビューからのリンクなどでも問題があるらしい。元々wishlistの登録からして、非公開、公開についての説明が分かりやすくなく、単なるブックマーク(備忘録)として使っていた人が多かったところに今回のだまし討ち的な不愉快さを感じる。また、cookieを削除するログオフの方法も明確になっていないのも、情報管理にわざと手を抜いているかの印象も抱かせる。

ログオフしないと、次回アマゾンを開いたときにcookieにより自分の情報が表示されれるが、これはサインイン/ログオンしたままの状態が続いていることと同じであり、ネットセキュリティ上大問題だ。ほとんどの銀行はこのような不誠実なことはしていない。

サインオフ/ログオフのためには、「もしあなたが***さんではない場合、サインインしてください。」というおかしなメッセージで、サインインのリンクを開き、その状態で何も入力せずにブラウザを閉じるという動作が必要だ。私もこれまでこのログオフ方法を知らずにいたが、ブラウザのcookieを消す方法で対処していた。

ネットのブログで自分の思想信条的なことをあれこれ書き連ねているので、偉そうなことは言えないが、ネットの情報の公開の盲点を衝かれた感じだ。アマゾンという大手ゆえの根拠のない信頼感があったことも否定できない。

ただ、そうは言っても不愉快なので、自分の「ほしい物リスト」「レビュー」「持っているものリスト」「リストマニア」などの情報を削除した。また、このblogの記事に張ったamazonへのリンクも消そうと思う。

それに、2005年にもアメリカで個人特定ができる恐れがあるとして問題化し、指摘されていたことがあったのを思い出した(Amazon.com の「Wish List」機能、プライバシー保護上問題あり?)。だから、日米のウィッシュリストや個人情報の公開に対する較差をアメリカ企業が思い違ったというものではないのだと思う。個人情報を資源と見る企業の姿勢が、単にウィッシュリストを欲しい物リストに変更したとたんに噴き出たのだろう。

そんなわけで、このblogでも便利かと思ってアフィリエイトに参加してみたりしたが、記事を編集してリンクを消していこうと思っている。(2008/03/16までに リンクは削除した。)

ネットの専門家の日記は、結構参考になった。 高木浩光@自宅の日記

追記:この機能は恐ろしい。既に停止したらしいが。Amazonのすごいアクセス解析サービス

追記:2008/03/16 朝日新聞の記事に触れたが、現在はasahi.comで読めるようになっている。それによると

サイトを運営するアマゾンジャパンの広報担当者は「公開になるという説明は、必ず目につくような場所につけている。設定の変更もできるようになってい る」と説明。「そもそも、ほしい物リストは、アメリカの文化で、友人や家族にプレゼントして欲しいものをあらかじめリスト化する習慣に合わせてできた機 能。公開して使うことが前提になっている」としている。

という虚言を弄している。公開になるという説明は目につくような場所にはなかった。また現在アメリカサイトでは公開が前提になっていない。まったく不誠実である。

よくコメントをいただく"Wein, Weib und Gesang"にこの記事のことを取り上げていただき、トラックバックを送りコメントを書かせていただいた。

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2008年3月14日 (金)

今更ながら三角関数

先日の水平線までの距離で少し数学づいてしまい、サバンナやモンゴルのような大平原では5km先の地平線の辺りが見えるか見えないかが命の分かれ目だから、そこのネイティブの人たちの視力が恐らく非常に良いのだろうな、竹内久美子流に言えばそのような遠目が利く遺伝子を持った人がより多く子孫を残しただろうから、現代のネイティブの視力が良いのかも知れないなどと考えていた。

ところで、視力とは改めてどのような数値なのだろうか、と調べていくうちに(これについてはまた別に詳しく書きたい)、視力は、視角というものに関係しているのだという。5m離れたところから、ランドルト環(例の視力検査表のCのマーク)の切れ目の二点が作る角度(度を60分の1にした分単位)1分の視角(これはCマークの切れ目の間隔とCマークの線の太さが1.5mmに該当する)が見える場合(切れ目がどちらか示せる場合)、その角度で1を割った数(つまり角度の逆数)1.0が視力1.0ということになるのだという。1.2の場合は、視角は0.8333, 1.5の場合は0.6666、0.2の場合は視角が5分ということになるのだそうだ。

模式図に距離とランドルト環の切れ目の長さを2辺とする直角三角形が出てきて、視角θのtangentの計算が出てきて、三角関数につながった。そうこうして、いろいろ調べているうちに三角関数について長年疑問だったことの答えが偶然見つかった。

yahoo知恵袋のQ&Aにちょうどあったのだった。

三角関数のサイン、コサイン、タンジェントの和訳はなぜ、正弦、余弦、正接と言うのですか。
比率なのに、どうして円の一部を示す弦との言葉なのでしょうか。中国からの輸入言葉ですか?

学校では数学史を教えてくれないのです。
宜しくお願いします。

回答日時: 2005/7/10 16:37:02     回答番号: 18,702,151

円に直線を引いてできる長さになるからです。
江戸時代の言葉です。伊能忠敬は測量に使いました。

正弦は半径1の円の弦の半分の長さとして現れます。
正接は半径1の円の接線上の長さとして現れます。

http://www.uja.jp/modules/weblog/details.php?blog_id=470

「正弦は半径1の円の弦の半分の長さとして現れます。」
弦が関係していると思ったが、やはりその通りだった。半径1の円がポイントだったわけだ。

同じく「正接は半径1の円の接線上の長さとして現れます。」これも接線が関係している
とは思ったが、その通りだった!

余弦は、WIKIPEDIAの「余弦は"余りの角(その角と直角以外の角)の正弦"であるためこう呼ばれる」ということで、なんとなく分かるが、

より分かりやすい説明は、
http://wiigame.hp.infoseek.co.jp/other/sin.html にあった。

cos・cot・cosecですが、下の図のこの部分を「余角」というそうです。

で、この図の赤い線の長さが、余角のsin(→弦)になってるんです。余角の弦だから、余弦。cot・cosecもそういうことです。これ知ったときはちょっと感動した。

本当に私も感動した。まったく長い道のりだった。大学時代に数学科の友人に聞いても、「それは、そういうものだ。覚えるしかない」という感じで、なるほど数学ができるやつは違うわいということで、解決には至らなかった。サインとコサインの区別は数Ⅰの試験勉強の直前勉強では何とかなったが、その後はすぐに区別があいまいになってしまった。そこで、円の弦、接線に関係付ければ記憶の助けになると思ったのだが、いろいろな一般向けの解説本をひも解いてもこのような伊能忠敬らも使ったという歴史的なそれなりに意味の通った用語としての正弦、余弦、正接の説明はなく、ようやくネットが解決してくれたという次第である。(講談社現代新書『算数・数学が得意になる本』は分かりやすい本だが、このような説明はなかった。)

まったくお恥ずかしい話だが、これでようやく子どもにも三角関数の説明ができそうだhappy01

p.s.いろいろ調べていくと、視角から分解能まで話が発展し、見分けられるギャップ = ( 2 * 円周率 * 距離 ) / ( 360 * 60 * 視力 ) という式まで出てきた。この式に数値を代入すると、視力の計算式同じ結果が出るので、正しい式なのだろうが、どのようにしてこの式ができたのかが現在謎であるsign02

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2008年3月13日 (木)

デ・ラローチャのアルベニス『スペインの歌』など

Albeniz_de_larrocha イサーク・アルベニス(1860.05.29-1909.05.18) 

 ピアノ曲集 

 アリシア・デ・ラローチャ(ピアノ)

 EMI CLASSICS CDM 7 64523 2 (EMI ODEON, S.A. MADRID (ESPANA)

  〔1959年頃の初出〕


今日もショパンはお休み。

元々は、アルベニスの有名な『入江のざわめき』あたりを聴きたくて買ったもの。裏面の曲目一覧はスペイン語なので、『入江のざわめき』が収録されていないことはわからなかった。(確か、1990年代に長野の中古盤店『アンサンブル』で購入したものだと思う。)ちなみに、イエペス編曲・ギター演奏だが、『入江のざわめき』は後日入手。スペインの歌の第1曲『アストゥーリアス』のイエペス編曲・演奏も収録されている。

(新星堂の輸入・販売品の背表紙に曲名は書かれているが)いつもお世話になっているクラシック・データ資料館で曲名を調べさせてもらった。

1. 組曲「スペインの歌(Cantos de Espana*)」Op.232,B.44(1896頃/1896出版)[p][5曲]

 (1) 前奏曲ト短調(Preludio)Op.232-1〔※出版社がアストゥーリアスと改題して「スペイン組曲第1集」に使用〕
 (2) オリエンタル ニ短調(Oriental)Op.232-2
 (3) やしの木陰変ホ長調(Bajo la palmera)Op.232-3〔※キューバOp.47-8を参照〕
 (4) コルドバ(夜想曲)ニ短調(Cordoba*)Op.232-4
 (5) セギディーリャ嬰ヘ長調(Seguidillas)Op.232-5〔※出版社がカスティーリャと改題して「スペイン組曲第1集」に使用〕

2.スペイン組曲第2集(2 suite espanola*[Suite espanola No.2*])B.32(1890以前/1889出版)[p]より 第1曲「サラゴーサ(Zaragoza)」

3.組曲「スペイン(Espana[6 hojas de album])」Op.165,B.37(1890)[p][6曲]よりマラゲーニャ ホ短調(Malaguena*)Op.165-3

4.マジョルカ嬰ヘ短調(Mallorca[Barcarola])Op.202,B.41(1891出版)[p]

5.サンブラ・グラナディーナ ニ短調(Zambra granadina[Danse orientale])B.41(1890~91頃)[p]

6.ラ・ベーガ(草原)(La Vega)B.46(1887)[p]〔※組曲「アルハンブラ宮殿」(未完)の第1曲として作曲〕

7.アスレーホス(Azulejos)B.50(1909/1911=グラナドス完成/1922出版)[p]〔第1曲「前奏曲」のみ=未完/グラナドス完成〕

1959年以前のスペイン録音ということで、音質はちょっと悪い。ヒスノイズはタップリで、音割れもする。しかし、1923年の生まれのデ・ラローチャは当時30歳代で、そのピアノ演奏は生き生きとしており、ピアノの音色の美しさや明晰な解釈、レガートの美しさなどは味わうことができる。いわゆる本場物の最たるものだと思う。なかなか聴く機会のないアルベニスのピアノ曲をまとめて聴けるのはありがたい。中ではアストゥーリアスとマラゲーニャがギター的な同音連打を多用していて面白い(上記のイエペスのアストゥーリアスのギター編曲は、調性を変えているが、原曲が本当にギター的な発想で書かれたことが如実にわかるような気がする)。ラ・ヴェーガは一曲で13分を越える大曲。スペイン音楽的な語法は使われているが、転調の多い音楽はそれまでの曲とは趣を異にするようだ。

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2008年3月12日 (水)

水平線までの距離は意外に短い

ショパンは小休止。

この前の日曜日、お台場の建造物の中でも最も古い歴史をもつという「船の科学館」に家族で出かけてきた。

P3090028

横浜のみなとみらい地区にもマリタイムミュージアムという船関係の博物館があり、船の歴史や船舶模型、港湾や貿易などでは同様の展示があるので内容的にはそれほど目新しさは感じなかったけれど、全体としては規模が大きく展示内容も豊富だった。なかでも造船関係の展示が巨大な展示スペースを利用しており、結構充実していた。

さて、通常展示の最後の方に船や海に関する三択問題を答えるQ&Aクイズの立派な小ホール風のコーナーがあり、いくつかの問題に参加してみたら、その中に船のブリッジ(デッキ?、マスト?)から見える水平線までの距離はどのくらいでしょうという問題が出た。選択肢は12km、25km、50kmというものだった。私は勘で12kmを選び、一緒に参加した次男も適当に25kmを選んだ。このときの答えは12kmが正しく、その後の解説で平方根と視線の高さを用いた水平線までの距離の公式が示された。結構単純な式だったので、意外に思った。

そこで、帰宅後、ネットで地球の大きさ、水平線までの距離などで検索したところ、中学校程度の数学(三平方の定理)を使えば比較的簡単に近似値を計算できることが分かった。 なるほど、そういうことなのかという意味では、ユーレカである。(参考サイト:地球の科学 地球の形と大きさ)。これまでの数学の授業でそのような興味深い問題にあたったことがなかったので。以前も書いたが私はこのような実用数学(道具としての数学)が好きなようで、もっとそちらの方面から勉強をすればよかったように思う。

さて、(簡単な図を書いて見て自分なりに整理すると)水平線までの距離をx(km)、視線の高さをh(km)、地球を完全な球体としたときの地球の半径をR(km)とすると、三平方の定理により、xの二乗とRの二乗の和は(R+h)の二乗に等しくなり、これを整理すると x=SQRT(2Rh+h^2) となる。(エクセルでSQRTは平方根、^2は二乗をしめす。)

地球の北極と南極を結ぶ周囲の長さは、40,000km(メートル法の起源が北極と赤道の距離を10,000kmとしたことに由来するので、その4倍が地球の大円周)なので、Rは、約6,366kmとなる。このRの値に比べて一般的にhは非常に小さいので、これを無視してより簡単な式にすると x=SQRT(2Rh)となる。地上で最も高い場所、エヴェレストの頂上でも8,848m(約9km)なので、6,366kmに比べると非常に小さい。(実際に計算で生じる差も富士山で30m程度、エヴェレストで100m程度となった。)

これをエクセルの数式として入力して簡単に計算できるようにしてみると、海面からの高さ12m程度で、水平線までの距離が12kmになった。 上記の船の科学館の問題では、船のデッキ(?)の高さだったようだ。

このエクセルシートを使っていろいろな高さからの距離を計算してみた。視点が海抜1.7mの人は4.7km先しか見えない。つまり海岸の波打ち際に立って水平線を見るとほんの5km先が水平線ということだ。また、横浜のランドマークタワーの展望台は海抜273mということで、そこに視点があるとすると約47km先が見える。(トウキョウタワーの特別展望台も、標高23m+高さ250mなので海抜としてはちょうど273mになるらしい。)

なお、水平線までの距離をx(m)、視線の高さをh(m)、地球を完全な球体としたときの地球の半径をR(m)と、単位をmでそろえると、x=3569*SQRT(h)となる。つまり1mの視点では3,569mとなり、100mなら35,690mとなる。

富士山の山頂3,776mから見ると219km先が見えることになる。逆に219km離れた場所から富士山の山頂が見えることになる。(実際には空気による光の屈折などで多少変ってくるらしいが。)富士山の山梨県側の5合目は2,305mとされているので、5合目から上の富士山らしい形を見るためには、171km以内に近づかなければならないことになる。

P9160035

上の写真は、昨年の9月に江の島展望灯台の展望フロアから撮った写真。
Q. 江の島展望灯台の高さはどのくらいですか? A. 屋内展望フロアの高さは41.7m(海抜101.5m)になります。 とあり、この写真の水平線までの距離は、およそ、36kmとなる。

地図上で確かめてみたところ 熱海が36kmよりも少し遠くて見えない。房総半島方面も館山付近は40kmほどになるのでそれより近い陸地なら辛うじて見える程度。地図で見ると指呼の間のようだが、意外なほど見えないわけだ。

かつて富士山に登ったときに、遠くまで見えて感激した。さすがに日本一の展望台と賞されるわけだと思った。このときは、海側は、静岡方面や湘南海岸、房総半島まで眺められたが、このあたりまでの富士山頂からの距離はほぼ100kmなので当然といえば当然なわけだ。富士山からは視界の問題は別にして、計算上伊豆の大島あたりまでは見えるが、八丈島は見えないことになる。

ところで、東京と大阪の距離は、約400km。東京から大阪を見ても海抜0mからでは(まったく障害物がない大平原であっても)5km先しか見えないので、大阪を見るためには、海抜高度12.6kmまで上昇する必要がある。これは非常に意外な発見だった。地球儀で見れば当然のことなのだが、いつも平面図を見ることが多いので狭い日本と言っても地球の丸さによって水平線、地平線により見通しが利かないことをうっかり忘れがちだ。

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2008年3月11日 (火)

ポリーニ ショパン ピアノ・ソナタ第2番、第3番

Chopin_sonta_pollingショパン
 ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 Op.35

 ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 Op.58

ポリーニ(ピアノ)

〔1984年9月5-11日 ミュンヘン、レジデンツ、ヘルクレスザール〕

あのポリーニが久しぶりにショパンを録音したということで、田舎町のCD屋にもすぐに入荷して1985年の発売直後に購入したものだったと記憶する。新譜で出たポリーニのディジタル録音、CDのうちで初めて購入したものでもあった。

どんな凄い演奏が聴けるのかわくわくしながら、買ったばかりのヤマハのCDプレーヤーで聴いたのだが、研ぎ澄まされた鋭利な刃物のように凄みのあったポリーニが変わってしまったのではないかという危惧を抱いて、今日まで至っている。

もちろん、破綻のない技術は安定感がある。しかし、どこかよそよそしく空虚で、『エチュード』や『プレリュード』で聴いたポリーニはそこにいないように感じた。これは、その後1988年に録音されたベートーヴェンの『テンペスト』『ヴァルトシュタイン』『告別』、第25番でも感じられた。

今回本当に数年ぶりに取り出して聴いているのだが、やはり『エチュード』や『プレリュード』の延長線上の演奏ではないように聞こえる。言葉にならずもどかしいのだが、ピーンと張り詰めた緊張感が薄れているのではないかと愚考する。

1972年の『エチュード』、1974年の『プレリュード』から10年経過する間も、ベームなどと共演し協奏曲も録音し、次第に円熟していったとも言えるのだが、たとえば、この第2番の異様なフィナーレなど、もっと凄みをもって演奏ができたのでは?と思ったりする。

音楽としてより豊富な第3番のソナタでは、第1楽章の微妙なルバートがあまりポリーニらしくない、ポリーニは前進するリズムよりも細部への拘りが優先しているのではないかと思ったり、第2楽章のスケルツォの主部の滑らかで精緻な音楽は素晴らしいが、トリオの部分は生気がなく、第3楽章のラルゴの歌も透徹した抒情はあまり聴けず、左手の合いの手も平凡に聞こえる。言い方はひどいが、どこか空虚さが漂うのだ。それでも、フィナーレの音の充実は、1970年代のポリーニを彷彿とさせてくれるところもあるが、リズムの弾力性やしなやかさなようなものが少し欠けているようにも聞こえるところがある。ただ、この全部で8トラックの中では、このフィナーレの熱情的な音楽に最も聴き応えが感じられる。

誰か別のピアニストの演奏だということで、ブラインドテスト的に聴かされれば、逆に見事な演奏だと感じることはあるのだという予想はあるのだけれども、あのポリーニという先入観がどうしても頭を離れない。

まことにリスナーの身勝手な思い込みによる理想像を押し付けて聴くような姿勢になってしまっているのが、我ながらひどいものだと思うのだが、今回もそのような態度への傾斜を止めることができなかった。

なお、比較的初期のディジタル録音ということもあるのだろうが、音の鮮明さがそれまでのポリーニのアナログ録音よりも落ち、音の芯の実在感のようなものが少ないように聞こえるところも印象を相当左右しているように思う。

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2008年3月10日 (月)

アシュケナージのショパン『バラード』『スケルツォ』

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ショパン 
 バラード集
    No.1 ト短調 Op.23, No.2 ヘ長調Op.38, No.3 変イ長調Op.47, No.4 ヘ短調 Op.52

  スケルツォ集
    No.1 ロ短調 Op.20, No.2 変ロ短調 Op.31, No.3 嬰ハ短調 Op.39, No.4 ホ長調 Op.54

アシュケナージ(ピアノ) 〔1975-1985年録音、場所は様々〕

このところアシュケナージとポリーニで交互にショパンを聴いているような形になっている。

個人的には、このバラードとスケルツォが、曲目として一番聞き応えを感じるショパン作品かも知れない。そうはいいながら、税込み定価が2,297円だった頃のロンドンベスト100所収のこのCDを購入してからは、バラード全曲やスケルツォ全曲が入った他のCDやディスクを購入してはいないので、聴き比べ的にはほとんど収穫がない。

スケルツォに関しては、エアチェック時代に、リヒテルの2番と4番(1977年録音)がたまたま上手に録音できたので、よくそれを聴いたものだった。そのほかオムニバス盤では、ホロヴィッツのバラード1番、スケルツォ1番(CBS)、スケルツォ3番(RCA、モノ)。ルービンシュタインのスケルツォ2番がある程度。

先日の『前奏曲集』『即興曲集』同様、ショパン全集の一環としての録音だが、それらと同じく、録音場所、録音時期は、それぞれの曲集の中でも相当違うようだ。初出CDでもないため、録音データはそう詳しくクレジットされていないが、録音場所も5箇所書かれている。なかでは、バラードの1,4 とスケルツォの1,2,4がディジタル録音となっているので、1980年代の録音になるのだろう。

このようにまとまった曲集は、一般的にはまとめて録音するのが普通だと思うが、特に作品番号順というわけでもないようで、どのようなコンセプトで全集を作ったものだろうか。ただ、プロデューサー、エンジニアも違うのに、アシュケナージの演奏であるということは、どの曲からも伝わってくるのが不思議だ。特に、バラードは、リズムにも形式にも縛られず、比較的自由に書かれた作品であり、アシュケナージの(結構個性的だと思う)解釈や癖もそれほど目立たず、説得力ある演奏として違和感を感じることなく味わえる。ベートーヴェンなどでは、結構技術的な粗が感じられるような気がするのだが、このバラードでは、アシュケナージの巧さを感じることが多い。

スケルツォは、バラードに比べると拍子や形式的な枠組みがあるので、ある基準的な枠組みをもって聴くこともあるし、リヒテルというリファレンスとの比較で聴くこともあるためか、いつものアシュケナージの明朗な楽天性が少し感じられるように思う。

ただ、そうは言っても、曲目といい演奏といいこのCDは聴き応えのあるものだ。

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2008年3月 9日 (日)

ポリーニのショパン『練習曲集』Op.10&25全曲

Chopin_etudes_polliniフレデリック・フランソワ・ショパン(1810-1849)
 12の練習曲作品10
 12の練習曲作品25

マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)

1972年1月、5月 ミュンヘン(ヘラクレスザールのはず)




前日聴いたアシュケナージのショパンが結構面白く、またこのところショパンからは離れていたので、ショパン飢餓感とでも言おうか、また次々に聴いてみたくなり、恐らく現代のショパン演奏の中で最も有名な録音の一つだろうと思われるCDを取り出して聴いた。

このCDは、名曲ベストシリーズもの(再発もの)ゆえに、LPのライナーノートで書かれたあの吉田秀和氏の有名なひとこと「これは、この曲に関する、最高のレコードに属する」という文章は別の評論家のものと差し替えられてしまっているのが残念だが、吉田氏の評論は、そのまま『世界のピアニスト』の『ポリーニ』の項の『ショパンのエチュード』で読むことができる。(手持ちのポリーニの『前奏曲集』のCDは、LPと同じ萩原秋彦氏のライナーが読める。)

その文章は、そこに書かれていることに尽きてしまうほど、この演奏、録音の本質を衝いているので、今更屋上屋を重ねることもないのだが、吉田氏はアシュケナージの同じ曲の録音と並べて論じており、相当アシュケナージの演奏については好意的であるのが意外だ。

前日聴いたアシュケナージの『前奏曲集』とポリーニのそれとの違いは相当大きいと感じているので、アシュケナージによる『練習曲集』も聴きたいと思っている。今日聴いて印象に残ったのは、作品25の第2 ヘ短調の即興曲的な曲。憂愁を含んだ曲で、規模を大きくすればあの『幻想即興曲』につながるような曲だと思った。

今日CDによるこの曲集を聴きなおしてみて、やはり思うのは、LPで聴く音楽の鮮度や訴求力のことだ。

以前も書いたが、実家の古いコンポーネントステレオで、LPの冒頭の燦然たる第1番ハ長調の音階の練習曲を聴いてみると歴然としており、妻も同じ意見だった。そのときは、ためしに聴いてみようと、針を下ろしソファに腰掛けて聴き始めたところ、あまりの感動に、ついA面を聴きとおしてしまった。音の立ち上がりや安定感、雑音の少なさはCDが優れていることは確かで、ヘッドフォンで聴いてもまったく雑音に悩まされることがないのはすごいことだが、これはどうしようもない差のように感じてしまう。(ただ、耳は音の違いを識別することに長けてはいても、同じ音を聴き続けるとそれに順応しやすく、こうしてCDでも十分音楽を楽しめているのは確かではあるのだが。)

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2008年3月 8日 (土)

アシュケナージのショパン『前奏曲集』『即興曲集』

Ashkenazychopinpreludesimpromptus

今日入手したディスク 2007/05/18 に書いたときには一応通して聴いてみたのだが、以来なかなか記事にする機会がなかったこの『前奏曲集』『即興曲集』。ポリーニのLPをよく春に聴いた記憶があり、いよいよ春めいてきたこのごろ、なんとなく聴きたくなって取り出してみた。

ポリーニが『練習曲集』に続いてDGに録音した『前奏曲集』は、発売からそう遠くない頃に父が購入してきたのを覚えている。まだ、中学生だったか、もう高校に入学していた頃かははっきり覚えていないが、このLPは実に何度も繰り返し聴いた。

今、こうしてアシュケナージの録音を聴いていると、レファレンスとして頭の中でポリーニの演奏が鳴っているような感じがするほどだ。ただ、このポリーニ盤、どういう具合か、購入当初から盤面が反っていて、そのためかすかな針音に悩まされた盤でもあった。LPは実家に置いたままなので、『練習曲集』『前奏曲集』とも国内盤のCDを買い直したが、LPで聴かれる鮮烈な音はCDからは聴かれず、LPとCDの鮮度のようなものを意識したのは、ポリーニのCDからだったかも知れない。(先日記事にしたレーザーターンテーブルなら反りのある盤でもうまく再生してくれるらしい)

さて、なかなかアシュケナージの演奏に話が向かわない。このCDは、ブックオフで廉価で求めたものだが、Made in West Germany時代の欧州盤だ。

Ashkenazy_recording_data 録音データも綿密に記されており、この24曲の前奏曲を、どうやら一挙に録音したものではないことが伺われるような記載にになっている。1-24のトラックは、「1976年6月、9月、1978年9月、1978年2月にPetershamのAll Saints' Churchで。1976年6月と9月、1977年9月、1978年2月にロンドンのRosslyn Hill Unitarian Chapelで。1976年6月と9月、1977年9月、1983年2月にロンドンのキングズウェイホールで。」と読めるのだが、どの曲がどの場所でどのときに録音されたのかは分からない。ただ、CDケースの裏面には、1-24は丸ピーで1979年となっているので、録音データが混乱しているということも考えられる。(このような一環した作品を別々の場所で、別々の時に録音したというのは、このデータを信用する限りにおいて、非常に不可思議な録音データだ。通して聴いても不自然さは感じられないのだが、どうしてこのようなことをしたのだろうか?ミスの修正のためだけなら、同じ録音ロケーションで、プレイバック後にすぐにでもできただろうと思うのだが。ちなみに、ポリーニの同曲録音は、1974年6月と7月にミュンヘンのヘラクレスザールで行われている。)

第16曲の変ロ短調の猛烈な迫力。その次の変イ長調の夢見るような気分の転換は、ポリーニのストレートな表現の方をつい思い起こしてしまうが、アシュケナージの音楽はより柔軟な趣があるように聞こえる。しかし、第22番のト短調の劇的な曲は、少々暴力的なほどピアノが鳴りきっている。その対比として、分散和音のヘ長調の第23番は美しい。ニ短調の終曲第24番は、第23番とは録音ロケーションが違うように聞こえる。ポリーニはこの曲でも畳み掛ける迫力を持ちながら、冷静な音楽を奏でていたように記憶している。最後の低音の単音三音が凄いと思った。アシュケナージは、音を割りながら、曲に没入した演奏を聞かせる。ポリーニほど突き放した表現ではない。詩情という観点からみても、ポリーニの方は格調高い清冽な情緒を感じるが、アシュケナージはより暖かく人間的とも言えるが、少々甘さが残るように思う。

24の前奏曲のほかに嬰ハ短調作品45、非常に短い変イ長調の前奏曲も収録されている。

また、即興曲は、Op.29, 36, 51 の3曲に 有名なOp.66の『幻想即興曲』も聴くことができる。完璧とも言えるレファレンスに縛られた聴き方をしていないせいか、アシュケナージの演奏を純粋に楽しむことができるのは、こちらの4曲だろう。最初の3曲は、長調が主調。最後の曲は嬰ハ短調という調性。これらは、1983年から1985年の録音で、ディジタル。いわゆる人口に膾炙した『幻想即興曲』だが、アシュケナージの演奏は逆に真剣そのもので、なかなか聞き応えがあった。

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2008年3月 7日 (金)

8ミリビデオ、MiniDVテープビデオ

先日の東芝によるHD-DVDの撤退に関連して、過去の録音、録画メディアの規格競争のことに触れた記事に、撮り貯めた8ミリビデオを再生しようとして、ビデオカメラの内部のベルトの劣化などで見られなくなって愕然としている人も多いのではないかと書かれていて、自分もそれにあてはまるなと思い、少し調べてみた。

8ミリビデオ、Hi8(ハイエイト)、MiniDVどれも据え置き型デッキは、(ほとんど)売られていない。

既にビデオカメラ自体の新品が売られていない8ミリビデオやHi8(8ミリビデオの画質改善版)の再生には、受注生産のビデオウォークマンを購入する必要があるようだ。およそ6万円。

また、MiniDV(普通のデジタルビデオカメラテープ)用でも、ディスプレーがついた高価なビデオウォークマン約12万円が出ている(ビクターのものは20万円程度するらしい)のみ。再生もビデオカメラというのが普通だからなのだろうか?カメラでの再生は据え置き型に比べると使い勝手が大変悪い。現在のビデオカメラユーザーの約半数がこのMiniDVを使っているという調査結果が出ているが、据え置き型の需要はあまりないのだろうか?まだMiniDVカメラは比較的廉価で購入できるので、今のうちに購入しておく方がいいだろうか?(ダビングサービスはまだ8ミリでもMiniDVテープでもあるようだが。)

http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/news/20080229/1007525/

ビデオカメラの記録メディア、現在も5割が「miniDV」を利用2008年2月29日 カカクコムが価格比較サイト「価格.com」で行ったアンケート調査の結果によると、ビデオカメラ所有者のうち約49.1%は記録媒体として「miniDVテープ」を利用している。C-VHS、Hi-8といった「ビデオテープ」が18.0%とこれに次ぎ、以下フラッシュメモリーを採用した「メモリタイプ」の11.5%、「ハードディスク装置(HDD)」の10.9%と続いた。また「DVD」は7.3%、「ハイブリッドタイプ」は1.1%、「ブルーレイディスク」は0.4%だった。

■関連情報・カカクコムのWebサイト
http://kakaku.com/ http://kakaku.com/research/backnumber015.html

ちょうど、昨日書いたSP,LPという過去の膨大な資産がほとんど再生不能になっているのと同様、新たな技術が貴重な資産を過去に追いやることになっているようだ。

現在では、SP,LPを駆逐したCDそのものが、ネットからのダウンロードデータを収録する固体メモリプレーヤー(iPod)などによって駆逐されつつあるのだから、どこまでこのようなことが続くのだろうか、などと思ってしまう。

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2008年3月 6日 (木)

レーザーターンテーブルというものについて

消え行くアナログレコードに新しい技術で再度光を当てる - ビジネススタイル - nikkei BPnet

このレーザーピックアップによるアナログレコードプレーヤーについては、相当以前何かで読んだ記憶があるのだが、改めて日経bpのサイトで連載されたものを読んでみると、相当興味を掻きたてられる。 ここに書かれたアナログレコードに刻まれた情報量の凄さについての記事は、以前自分が書いたLPレコードと昨今のディジタル音源から得られる音楽鑑賞の感激度の差に通じるものがあるように思われるからだ。

周波数特性上の問題だけなのか分からないが、ディジタル録音は、何か大切なものを削ぎ落としているのではないかと感じることがたまにある。ブラインドテストをしてみれば、そんなものは幻想だということにもなりかねないのだが。

検索すると、エルプ社のサイトが見つかった。本社(埼玉県)で試聴が可能とのこと。また、針再生とレーザー再生のデモCDも無料で入手できるというので、早速申し込んでみた。

また、ジェトロのページでもこんな紹介がされているところが面白い。

針を使わない完全非接触方式のレコード・プレーヤー<< 内容 >>究極:夢と情熱とテクノロジーの粋。レコードの音溝を全く痛めないプレーヤー。それは、世界中のオーディオファン、レコード音楽愛好家、文化財保存関係者、そして技術者達が夢にも見、切望したものでした(完全非接触方式)。その夢を日本では弊社が情熱と最先端技術で実現。音情報はアナログ信号処理により、空気感から余韻に至るまで限りなく原音に近いリアルな音質で再生可能にした光学式アナログ・レコード・プレーヤー“レーザー・ターンテーブル”。息吹:全世界で保存されているアナログ・レコードは300億枚とも400億枚ともいわれています。“レーザー・ターンテーブル”はこの貴重な文化遺産1枚1枚を後世に残し、なおかつ活用する事です。音溝に刻まれた芸術と文化を余すところなく半永久的に再生できる夢を実現し、人類の文化遺産に新しい息吹を吹きこみます。実証:ご愛用者から、絶賛の声が数多く寄せられています。そして、利用される施設や人々もいろいらな分野に広げっています。● 業務用としてジャズ喫茶、中古レコード店、録音会社、PCM放送局● 盤を痛めずに音楽を楽しみたいレコード音楽愛好家● 世界的に貴重な盤、針では再生出来ない盤を再生させたいレコード収集家● レコードを研究資料として半永久的に活用したり、レコード音楽を存続させ るための公共機関自在:トレーにレコードを乗せて、ボタンを押して下さい。あとはレーザー・ピックアップ方式とマイクロコンピュウター制御により、CDプレーヤーなみの使い易さです。頭だし、リピート再生、スキップ機能なども自由自在。全て液晶パネルに表示されますから、だれにでも簡単に使いこなせます。<< 参考価格 >>US$8000

エルプ社のサイト

英語版wikipedia にも記事があった。

相当高価なものだが、是非聴いてみたい。また、入手できる機会があるかは分からないが、運がよければ購入したいものの一つだ。

なお、レーザーターンテーブルで検索すると、このプレーヤーを使ってLP,SPなどを再生し、それをCD化するという商売をしている会社もあるようだ。そういうのを利用するのもいいかも知れない。

追記:2008/03/06 

帰宅したら、クロネコメール便で、ELP社のパンフレットと試聴CDが届いていた。CDケースがA4の封筒にそのまま入れられていたので、荷扱いの荒さのためか、ケースの一部が割れていたが、中のCDは無傷だった。全部で60分ほど収録されていて、状態のよいLPのフルオーケストラのデモの後、傷ついたLPや反ったEP,割れたSP,磨耗したLPを針再生とレーザー再生したものがまず収録されていた。また、後半45分はいろいろなジャンルの音楽をレーザーターンテーブルで再生したものを収録していた。

特にSPの再生も見事に実在感のある音で鳴っているのは驚いた。針音がしない(おそらくELPで発売しているノイズリダクションを使っているのだろうが)のでまったく最近録音されたかのような生々しさだ。また、かつてLPでよく聴いた曲も収録されており、しばし懐かしさにひたれた。

ただ、不満のある再生の現行のCDプレーヤーとアンプ、スピーカーで聴くのだからあまり当てにはならないが、CDとして制作されたものより全体に元気がいい音になっているように感じた。

いつも使っているポータブルCDプレーヤーでヘッドフォンで聴いてみるとと、LPの再生時には微細な雑音(プチプチ)が残るようだが、チェロなどは指がネックに当たるような音まで聞こえ(たまたま同じ音源のCDを持っているがそこまでは聞こえない)びっくりした。また弦楽合奏では音場の広がり感やホールトーンもよく聞き取れる。ただ、この弦楽合奏のサンプルでは原盤に収録されている(と思われる)歪もそのまま色づけなく再生されるので、そのような録音では歪感のある音が少々聴きづらかったりもした。クラリネットと弦楽合奏の曲では、楽器の音色がCD再生よりもくっきり個性的に聞こえた。分解能も相当いいようだ。

元々LPは、それ自体癖のある様々なカートリッジの帯域特性を補うように調整されていると読んだことがあるので、ジャズのトリオなどでは、比較的低音が強めに再生されるようだ。女性ヴォーカルは、ヘッドフォンで聴くとと耳元でささやかれるような実在感があり、CD用にリマスタリングされたものの存在の希薄さとは一味違う。ロックグループのヴォーカルのハーモニーなどは、二人の声質の個性がよく聞き分けられ上のパートと下のパートがくっきり分かれながらハモッテいるのが聞き取れる。

なお、不要になったCDは返却くださいと書かれていたのには別の意味で驚いた。

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2008年3月 5日 (水)

モーツァルト『ポストホルン』セレナード、バレエ『レ・プティ・リアン』

Mozart_posthorn_boskovsky モーツァルト

 セレナード第9番ニ長調K.335『ポストホルン』〔1973年録音〕

 『レ・プティ・リアン』 K.299b(K.Anh.10) 〔1966年録音〕

 ウィリー・ボスコフスキー指揮 ヴィーン・モーツァルト合奏団  

〔ヴィーン、ゾフィエンザールにて〕

先日、新聞の新刊書紹介か、書店の本の背表紙か記憶があいまいなのだが、ハプスブルク帝国の遺産の一つとして、帝国が確立した郵便制度が有名らしい。それゆえにか、やはり先日のN響アワーでの青木やよひ氏によるベートーヴェンの交響曲第8番が郵便馬車に関係しているという指摘や、シューベルトの『冬の旅』の『郵便馬車』は、そのハプスブルク帝国時代の作品ということになる。そして、その系列として、モーツァルトのこの『ポストホルン』セレナードもリストアップされるだろうか?

ロビンス・ランドン監修のホグウッドの交響曲全集では、このポストホルンセレナードからも楽章を抜粋してジンフォニーに仕立てているほどで、結構充実した作品だと思うが、意外にも吉田秀和氏は『レコードのモーツァルト』の 「ジョージ・セル」の章で、このK.335の曲を「少し乱暴にいわせて頂けば、モーツァルトでは少し退屈な作品に属するのではないか」と書かれており、この曲を聴くたびに、繰り返し読んだこの章の文章が思い出されてしまう。

このボスコフスキーのディスクだが、フィリップス=小学館のモーツァルト全集もさすがにこのヴィーン・モーツァルト合奏団の「舞曲と行進曲集」ではデッカのCOURTESYを得て収録しているほどで、このセレナードと比較的珍しいバレエ音楽も彼らによる一連のモーツァルトのセレナード集録音からの抜粋盤だ。吉田氏の触れたセルの『ポストホルン』と『アイネクライネ』は未聴だが、相当以前に購入したボスコフスキーによる『ポストホルン』は結構楽しく聴くことができる。そして、それほど「霊感に乏しい」曲だとは聞こえないように感じている。ポストホルンの信号ラッパ音は、第6楽章メヌエット(この曲としては2番目のメヌエット)の第2トリオに出てくる。石井宏氏の詳しい解説によると、ポストホルンとしては名人芸的な技術を要求しているといい、このことがこの曲の成立にミステリアスな様相を与えているという。

K.299b(K.Anh.10)のパントマイム・バレエ『レ・プティ・リアン』のためのバレエ音楽は、例の悲劇的なパリ旅行の際にノヴェールというパリ・オペラ座監督であった音楽家からの依頼で「補作」したもので、当初ノヴェールの名前で出版されたため長いこと忘れ去られていたのだという!これが1872年のパリ・オペラ座の「古文書」の中から発見され、モーツァルトの手紙に書かれた音楽だということが判明したとたんに有名になってしまった!当時は有名でも歴史的には忘却されてしまった人物の作品は埋もれっぱなしになっててしまうのだが、モーツァルトの作品と確認されてからはこうして有名な指揮者と有名な演奏家(ヴィーンフィルのメンバー)によって演奏されるという幸運に恵まれる。まことに歴史の選択というものは不思議なものだ。

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2008年3月 4日 (火)

早春の鶴岡八幡宮を訪ねる

日曜日は久しぶりの穏やかな日和に恵まれ、数年ぶりに鶴岡八幡宮を訪れた。

改修後は赤銅色だった本殿の屋根も緑青色に変わってきた。

P3020018


八幡宮の八の字は、鳩の意匠だという。それにちなんだ銘菓 鳩サブレ を豊島屋本店で求め、田舎に送った。ちなみに、善光寺の山門(三門)の額の字にも鳩が隠れていると言われている。

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本殿向かって右の石段脇の早咲きの桜?

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本殿前から若宮大路方面を見晴るかす。残念ながら海は見えず。

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虎の浮き彫り。

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龍の浮き彫り。

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小町通りは観光客でごった返していた。帰路、「鎌倉ふるさとのおもちゃ館」に立ち寄り、子ども達は郷土玩具を購入。

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2008年3月 3日 (月)

ビゼー 『カルメン』を聴き、見る

Carmen_vhs_maazel Carmen_callas

初演カレンダーによると、

3/3/1875 ビゼーのオペラ「カルメン」がパリのオペラ・コミック劇場で初演される。

ということで、3月3日のひな祭りの日は、昨日取り上げたメンデルスゾーンの『スコットランド』交響曲のほか、この名曲『カルメン』の初演日にもあたっているという。

左のVHSヴィデオは、マゼール指揮、ロジー監督による映画で、例のモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』と同じコンビによるもの。管弦楽は、フランス国立管弦楽団 タイトルロールのカルメンは、野生的な容姿も魅力的なジュリア・ミゲネス・ジョンソン。ドン・ホセにドミンゴやエスカミーリオにはライモンディといった一流の歌手を揃えた上で、ロケの迫力もあり、非常に見ごたえのあるオペラ映画になっている。現在は入手困難のようだが、是非DVDでも再発売を願いたいものだ。

右は、言うまでもない、マリア・カラスがタイトル・ロールを歌ったもの。指揮は、あのジョルジュ・プレートル。カラスの独特の発声で好悪が分かれるものだが、それでもやはりその迫力は否定できない。私の『カルメン』入門であり、今聞いてもすごいと思う録音だ。

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2008年3月 2日 (日)

メンデルスゾーン交響曲第3番『スコットランド』 クレンペラー/フィルハーモニア管 

Klemperer_mendelssohn_scotch_italia メンデルスゾーン

交響曲第3番イ短調作品56『スコットランド』

クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団

〔1960年1月録音〕 15:11, 5:13, 9:33, 11:42


3月だから、3番の曲を聴こうなどと思い、初演カレンダーを確認してみると、

3/3/1842 メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」が、ライプチヒ・ゲヴァントハウスで初演される。

3/3/1875 ビゼーのオペラ「カルメン」がパリのオペラ・コミック劇場で初演される。

ということで、3月3日で3番とくれば、今日はまだ3月2日だが、久しぶりにこの名盤を聴いてみたくなった。メンデルスゾーンの『スコットランド』では、音盤的にはあまり縁がなく、この名盤もここ数年で購入したもの。それまでは、カラヤン/BPOのLPのエアチェックのカセットを結構長いこと聞いていて、刷り込みとしてはそれが基準になっている。

噂としては十分聞いていたが、このクレンペラー盤を購入して初めて聴いたときは、本当に驚かされた。美しい水彩画風の風景画だがそれほど心にぐっとくるところのない作品が、急に偉大な油彩画の傑作に生まれ変わったというような、不思議な感覚を味わった。もともとこの作品がそのようなものを内包していたと言うことはあるのだろうが、多くの指揮者のアプローチは、「美しい風景画」的にさらっと演奏することが多いように感じる。しかし、クレンペラーは、この作品をより深いメッセージを語りかけるものとして扱っているのか、その指揮が抉り出したのか分からないが、そのような作品として、伝わってくる。

重々しくゆったりと演奏するだけでは、単に不自然になるだけだと思うので、その加減が難しいのだろうと思うが、このクレンペラーの演奏・録音はそういう意味で奇跡的なバランスの上に成り立ったユニークな演奏だと言えるのだと思う。

なお、この作品は3番の番号が付いているが、完成順としては、メンデルスゾーン最後の交響曲になるのだという。

 

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2008年3月 1日 (土)

Firefox 2 の使用感はなかなか

先日2008年2月24日 (日) 新聞記事「持ち運べるブラウザー」を実験 という記事を書いて、試してみたところ、ポータブル版でもなかなか使い勝手がよい。IEからの乗り換えも簡単にできることもあり、ブックマークの移行もストレスなくできる。さらに、やはりIE7.0を一時的に使っていたときに便利だったタブブラウザー機能、RSS購読機能も使えるのが大きい。動作も非常に安定しており、cookie や パスワードなどの管理への配慮も行き届いている。

そこで、本家のFirefox をハードディスクに通常にインストールして使い始めた。

このところ、Windows update により、IE7.0 に自動アップデートされてしまうケースが多いのか2006年11月30日 (木) IE7.0からIE6.0に戻すを訪問してくれる人が相変わらず多いようだ。私の場合IE7.0の機能面やインターフェース面は不満がなかったのだが、ブラウズや記事の作成中にいきなり異常終了してしまうことが多く、安定性の面で使い物にならなかったので、やむをえずIE6.0に戻したのだが、上記のようにタブブラウザやRSS購読の便利さは忘れがたかった。

今回ポータブルで試してみたこともあり、乗り換えの心理的な障壁も低く、インストールしてみたところ、IE6.0と同時に使っても変に干渉し合うこともないようで、安心した。何よりその安定性が素晴らしい。なかには、IEを前提に設計しているサイトなどは、みえにくい場合もあるが、現在私の評価としては、FF2 > IE6.0 > IE7.0 だろうか。

なお、既に IE8.0 の概観が公表されたというニュースが出ていた。


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