3月ということで、3に関係する曲を選ぼうと、先日はメンデルスゾーンの『スコットランド』を聴いたが、やはり3番では、『英雄』交響曲を外すことができない。
まだウラニアのエロイカ(フルトヴェングラー/BPO)など名演盤と呼ばれているもので聴いていないディスクも数多いが、現在最も気に入っているのが、以前にも簡単なコメントをしたDisky盤のクリュイタンス/BPOによる『英雄』だ。これまでも折に触れ、コメントを書いてみたが、3月の3番ということで、少しまとめて感想文を書いてみようと思った。
2006年11月20日 (月) ベートーヴェン 交響曲全集 クリュイタンス/BPO
第3、第5や第7といったむしろ世評の高くない録音の方が私には面白かった。特に第3番『英雄』の第1楽章の快適なテンポと胸のすくようなスフォルツァン
ドの歯切れよさは、フルトヴェングラーにもカラヤンにもなかったもので、素晴らしい。モントゥー/LSOの7番でも同じで、これがフランス系の指揮者の
ベートーヴェンの特徴の一つなのだろうか?
2006年11月26日 (日) クリュイタンス/BPOのベートーヴェン 交響曲全集の簡単な感想
第3番。クリュイタンスの『エロイカ』がこういう演奏だとは思わなかった。不意打ちで驚いた。スリムで引き締まった軽快な『英雄』像だ。フルトヴェング
ラーのベルリン・フィルがこのようなアポロン的なエロイカを演奏したとは非常に意外だ。その直後のカラヤンの録音よりもこちらの方に共感を覚える。
2007年8月24日 (金)
ザンデルリング フィルハーモニア管のベートーヴェン 交響曲全集
第3番『英雄」では、現在、明快さと鋭さに加えて、ベルリンフィルの一糸乱れぬアンサンブルが魅力のクリュイタンスの録音をよく聞き返し、自分にとってこれまでにない『英雄』の魅力を味わっているのだが・・・
2007年11月28日 (水)
ホグウッドの『英雄』交響曲
『英雄』では、現在最も好んで聞いているのが、昨年購入したDisky盤のクリュイタンスとBPOによる録音で、ときどき会社からの帰宅時に携帯電話の
SDメモリーに入れてあるその録音を聴くのだが、オケの各パートが充実していること、アンサンブルが自発的で揃っていること、クリュイタンスの演奏解釈が
特に快適なテンポとスフォルツァンドの狙い撃ちのような小気味よさを感じさせ、また木管の浮き立たせによる軽やかさ、主旋律と対旋律の対比などの立体感等
々に感心しながら聞きほれている。
なお、これまで、音盤では次のような演奏を聴いてきた。私の入手した音盤では、『第九』についで多い枚数だと思う。(ほぼ録音年代順)
◆LP
フルトヴェングラー/VPO
トスカニーニ/NBC響
ワルター/コロンビア響
セル/クリーヴランド管
◆CD
ワルター/シンフォニー・オブ・ジ・エア 〔1957〕 15:07/15:51/5:47/11:48
カラヤン/BPO 〔1962〕 14:44/17:05/5:44/12:20
小澤/SFO〔1975〕 18:45/18:00/5:49/13:00
スウィトナー/ベルリン・シュターツ・カペレ 〔1980?〕 18:37/15:01/5:26/11:06
ホグウッド/AAOM 〔1985〕 17:46/14:57/6:07/11:01
◆CD全集
セル/クリーヴランド管〔1957〕 14:46/15:34/5:33/11:27
クリュイタンス/BPO〔1958〕 14:27/16:14/5:24/11:33
ブロムシュテット/SKD〔1976〕 15:02/16:47/5:49/11:49
ザンデルリング/PO〔1980,1981〕 18:32/17:27/6:29/13:21
バーンスタイン/VPO〔1978〕 17:40/17:35/6:11/11:44
ジンマン/チューリヒ・トーンハレ管 〔1998〕15:34/12:58/6:15/10:22
飯守泰次郎/東京シティ・フィルハーモニック管〔2000〕 16:22/13:12/7:39/10:59
クリュイタンス盤の第1楽章は、とにかくテンポが快適だ。トスカニーニの少々硬直した速さとは違い、伸び縮みはあるのだが、基本的なテンポ感が3拍子だけあり、スケルツォに近いような感じだ。フルトヴェングラーの大河のような印象の第1楽章とも相当違う。セルの録音が比較的所要時間的には近いが、セルの演奏には速さはあまり感じないのは不思議だ。(ただ近年の演奏では、提示部を繰り返しているにも関わらず他の提示部リピートをしない演奏と同じくらいの演奏時間になっているジンマンの猛烈なテンポよりは遅く、飯守の演奏もジンマンに継いで速い。)
何度も言うようだが、まさに各所で頻繁に用いられるスフォルツァンド、アクセントが非常に小気味良い。そして、アンサンブルが自発的なのだろうが、非常にこのテンポに乗って快調に進んでいる。冒頭から重々しい英雄というのではなく、若き颯爽とした英雄像がイメージされる。光彩陸離という言葉があるが、この演奏ほどそれを思い起こさせるものは少ない。気分を前向きに浮き立てくれる。
前にも書いたが、フランス系の指揮者に流れるベートーヴェン演奏の伝統は、ベルリオーズの時代から既に発しているといい、本家独墺にも勝るとも劣らないものだが、このクリュイタンス、モントゥー、そして実際にじっくりとは耳にしたことはないのだがミュンシュのベートーヴェン像は、明快で運動性があり、風通しがいいように感じる。軽快過ぎると思われる部分もあるが、コーダで第1主題の単純なモチーフが何度も何度も繰り返される部分など、胸が一杯になってくるのは不思議だ。ベートーヴェンが憧れた英雄ナポレオンのイメージは、フランス人、フランス系にとっては、相当肯定的な面が強いと思うが、ドイツ・墺太利、イタリア、イギリス、ロシアなどのヨーロッパの大国では、逆に侵略されたという負のイメージもあるのだと思う。ただ、ことはそう単純ではない。指揮者個人のイメージ、思想もある。楽団は、プロイセンの伝統を継ぐオーケストラでもある。しかし、このような一種の軽みを帯びた明るい響きがそのプロイセンの楽団から呼び出せたのは、指揮者の力のように思う。(残念なのは、提示部の繰り返しが収録されていないところ。)
第2楽章は、風通しのよさは同じだが、テンポ面では第1楽章に比べて相当遅いテンポを取っているが、その遅さによる重さ、鈍重な感じはまったくない。そしてここでは、フルトヴェングラーが残したものだろうか、オーケストラが一体となって有機的な音楽作りに奉仕している様を聴くことができるように思う。慟哭にしても、静かでさめざめとしたものに聞こえる。
スケルツォは、クリュイタンスの軽快なテンポ感にベルリンフィルがよく反応して、第1楽章と対をなす、明快でありながら沸き立つような生き生きとした感情に溢れた演奏を聴くことができる。ホルンによる三重奏も非常に巧みで、音を割った響きにゾクゾクとする感じを味わうことができる。
フィナーレも、全曲を通じての音楽作りは勿論共通しているが、変奏曲の様々な表情を各パートがこの音楽の隅から隅まで知悉したアンサンブルで音楽を作っている様子が伺える演奏をしていることに改めて感心する。ベルリンフィルとしては、フルトヴェングラーの元でそれこそ数え切れないほど演奏し尽くした曲だろうが、このクリュイタンスというフランコ・ベルギー系の新鮮な指揮によって、ほどよくリラックスして喜々として演奏しているような感情が伝わってくる。いつも微笑みを絶やさない演奏だという評はどこかで読んだことがあり、それが奥深いベートーヴェンの世界の再現としては少々楽天的に過ぎ、物足りなさを感じる向きもあるのだろうとは思うし、陰翳には欠けるところも確かにあるだろうが、それでもこのコーダの畳み掛けるような歯切れの良さを味わうと、この演奏の目指しているものが再び理解できるように思えてくる。同系統の歯切れのよい引き締まった演奏では、セル/クリーヴランド管のものがあり、本当に克明で壮大な演奏だが、微笑みや喜々とした浮き立つような感情を引き出すものではない。
古い録音だが、音質はそれほど聴きづらくはない。残響を多く取り入れているせいか、少々芯がないように聞こえることもあるが、細部まで明快な、歪みのない音楽を聴くことができる。
最近のコメント