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2008年4月12日 (土)

C.クライバー/VPO ブラームス交響曲第4番(1980年)

Brahms_4_kleiberブラームス
 交響曲第4番 ホ短調 作品98
  カルロス・クライバー指揮
   ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団

   〔1980年3月12-15日、ヴィーン、ムジーク・フェライン・ザール〕

12:45/11:49/6:04/9:12
 cf )ヴァント/NDR〔1985〕11:51/10:46/6:24/9:28
    カラヤン/BPO 〔1977〕12:48/11:05/6:04/9:57

このCDの録音は1980年、マルPマークが1981年で、ディジタルレコーディングとなっている。CDの日本発売開始が1982年10月から(wikipediaより)だから、発売当初はLPだった。『レコード芸術』の月評では、批評子の推薦は分かれていたように記憶する。

このCDをいつ購入したのかははっきり覚えていないが、CDプレーヤーを1985年に初めて買ったのだから、それ以後のことだろうと思う。カルロス・クライバーの指揮には、それまでにあの痛快なベートーヴェンの交響曲第5番、第7番で衝撃を受けていたので、セルのLPで耳なじみになったこのブラームスの交響曲をクライバーがどのように衝撃的な演奏をしてくれるかが興味の的だった。結果的には、あまりしっくりする演奏ではなく、長いこと手元にはあるが、あまり聴かない部類のCDだった。

上記のパンフレットのスキャン画像も、2005年にスキャンを始めるようになってからすぐにPCに取り込んだものなのだが、なかなか記事にすることができなかった。一つには、この録音の評判が一般的に非常に高く、敢えてそれに異を唱えるほどの意見を持っていないことがあったし、一つにはその意見が固まらないという理由でもあるのだが、どうにもつかみ所がない演奏に聴こえるからだ。それなら敢えて書かなくてもと思うが、この違和感を何とか解きほぐしたいという自分の欲求がある。

今回カラヤンの1977年の録音、ヴァントの1985年の録音と聴いてきたので、それらとの比較でこの「名盤」を聴いてみようと思う。(これまでは前置きだが相変わらず長い!)なお、このパンフレットの解説は黒田恭一氏だが、珍しく楽章ごとに詳細な分析を書いている。

第1楽章。冒頭からクレッシェンドとディミニュエンドの表情付けが徹底されているようで、それが結構煩わしく聴こえる。特にヴァイオリンにタップリとヴィヴラートを付け、ポルタメント的な表情を付けて歌わせているのが、どうも全体の統一性を破るように聴こえる。また、背後の副次的な声部がもやもやしていて明確でないのが、この非常に情緒的な音楽でありながら、構成的な音楽でもある楽章を十全に示していないかのように思えてしまう(評者によっては、副次的な声部がよく聴こえるという人もいるが)。恐らくこの辺りが私の気に染まない理由なのかも知れない。もちろん細部の木管の裏打ちリズムの部分など非常に繊細な手触りで音楽を作っていたりして、素晴らしい音楽は聴けるのだが。

クライバーとVPOはこの楽章全体としては、熱演を繰り広げているのだが、そうすればそうするほど、あのヴォルフの辛らつな「無内容、空虚さ、偽善」といった批評が頭をよぎると言うのは少々ひど過ぎるだろうか。フルトヴェングラー/BPOの48年ライヴはエアチェックでよく聴いたがフルトヴェングラー的な熱演で、思わず引き込まれてしまうものだったけれど、クライバーの少々主観的とも言えるこの第1楽章には疎外感を覚えてしまいがちだ。オーケストラのアンサンブルの微妙なズレも気になる。

第2楽章。ヴィーンフィルの独特の美感をよく出した演奏だと思う。カラヤンとBPOは、この楽章でタップリしたフルオーケストラの音響を味あわせてくれ、その楽天的とも言える表情は却って新鮮だった。しかし、クライバーは、この楽章を暗めの響きで満たし、非常に情緒に溢れた音楽にしているようだ。セルやヴァントは、この楽章をもっと淡々と清澄な諦念のような情緒を感じさせてくれたが、クライバーのこの録音は、音楽のどこからそのような感想が生まれてくるのか自分でもよく分からないのだが、より晩年のブラームスの音楽を思わせる人間的な哀愁を感じさせてくれる。

第3楽章。ここでも響きは曇り勝ちだ。フレージング的には、これまでの楽章でもそうだったが、いわゆるタメがところどころに入り、ここでも少し第1ヴァイオリンががんばり過ぎのように聴こえる。表情過多というのでもなく、オーケストラの音色が音楽の表情とつりあわないというのだろうか、どうもこの辺の齟齬が違和感の元になっているようだ。ここでも、クライバーとVPOは集中力のある熱演を繰り広げてはいるのだが。

第4楽章。8小節単位のパッサカリアの低音主題が繰り返され、その上で変奏技法が繰り広げられる。セルの録音は、冒頭から厳しいほど雄雄しく進んでいったと記憶するが、クライバーの指揮には、この音楽にところどころ逡巡気味の表情を加えているようだ。そのため、壮麗な伽藍を打ち立てるような第4楽章ではなく、低回的な音楽に聴こえる。テンポもゆっくりに聴こえるのだが、カラヤンやヴァントに比べると所要時間は短いのが不思議に感じる。タイミングで5分あたりからの一転して激しい変奏に急転換するところの場面転換は見事で、ここのテンポは急激に上がる。このような解釈では、この楽章は様式や形式感を明らかにする構築的な演奏というより、ハンガリーラプソディーにつながるラプソディックな音楽に聴こえる。

これまで、どちらかと言うと形式感をはっきりさせた古典的な演奏の方を好んでいたので(フルトヴェングラーは例外だが)、主観的な面が比較的強く感じられるこのクライバーの演奏がしっくり来なかったのだということがおぼろげながら分かった。大変優れた演奏だとは思うが。

なお、レコード芸術の2004年9月号の『追悼特集 カルロス・クライバー』の年譜によると、1979年12月のヴィーンフィル定期演奏会が、それまでにあのベートーヴェンの第5番、7番を録音しているにも関わらず意外にも定演デビューで、このブラームスの4番などを演奏して大成功を収め、そして、翌年3月にこの録音を完成させたのだという。

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コメント

すごくいい演奏。とはいえ他を圧するほど特別かっていうと疑問だ。ウィーンならこれぐらい、誰とやってもおそらく朝飯前だよ。ベームやバーンスティンもこれぐらいできている。なぜかバカにされるハイティンクと並べて聞いたんだけど、ハイティンクの方がロマンティック重厚狙いだけど、そんなに違いはない(ハイティンクも素晴らしい指揮者だよ)

もっと癖っぽいほうが好きだな。ひたすら劇的な戦争中のフルトヴェングラーとか、苛烈激烈でまるで黙示録のラッパみたいなマルケヴィッチとか、ハチャメチャミュンシュのライブとかね。そうそう、ただひたすら歌いまくるジュリーニも忘れないでくれたまえ。

投稿: gkrsnma | 2011年11月18日 (金) 20:45

gkrsnmaさん、コメントありがとうございます。

検索したら、以前クラウスのモーツァルトでコメントをいただいていたようで。
http://kniitsu.cocolog-nifty.com/zauber/2006/07/cbs_61d8.html

多彩なコメントいただき恐縮です。いろいろ聴かれているようですね。

投稿: 望 岳人 | 2011年11月18日 (金) 22:05

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