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2008年4月 6日 (日)

日本の鯨肉食は戦後の一時期に急増した

新聞を既に回収袋に入れてしまったので、いつの日付けのものだったか分からなくなってしまったが、珍しく新聞社らしい記事が読めたので印象に残ったのが、タイトルのような事実の指摘記事だった。3月末の朝日新聞だったと思う。

その記事を探して検索してみたが、そのままの記事はヒットせず、朝日新聞の社説と、週刊朝日の書評記事が見つかった。どうやら、朝日新聞社として昨今の調査捕鯨問題に対するオピニオンが基礎になっているらしい。

どちらの論も無理がある 捕鯨論争(社説) (朝日新聞東京本社発行 5月19日付朝刊)
これはいつの年のものか明記されていないが、下関市でのIWC総会をきっかけに書かれたものだということが、検索して分かった。この社説と、以下の書評記事、そして最近の2008年3月ごろの記事は、ほぼ一貫している。

 捕鯨は日本の食文化だという声も強い。だが、沿岸地域のなかに昔からあった捕鯨・鯨食の伝統と、食糧難をきっかけに国民全体が鯨肉を食べるようになった戦後の経験は、区別して論じるべきだろう。

書評記事はこれ:捕鯨問題の歴史社会学 [著]渡邊洋之 2007年の記事だが、今回の3月の記事と主旨は同じだ。

 だが、本当に捕鯨と鯨肉食は日本人の伝統的な文化なのだろうか。日本人はいつごろから鯨を食べるようになったのだろうか。渡邊洋之『捕鯨問題の歴史社会学』は、この問題を研究した学術論文である。

 結論からいうと、捕鯨も鯨肉食も近代になって普及したものだ。明治になって爆薬を装填したモリを打ちこむノルウェー式捕鯨が導入され、捕鯨会社が いくつかできた。ただし、砲手はノルウェー人、作業員の多くは朝鮮人。これによって捕鯨が盛んになり、鯨肉も一般に食べられるようになった。それまでは網 による捕鯨が一部の沿岸で行われていただけ。

 捕鯨に対する感情はさまざまだったようだ。たしかに鯨を捕って食べる地方もあったけれども、鯨を神様に見立てて捕鯨をタブー視する地方もあった。

 明治時代には捕鯨に反対する動きが各地であった。本書には青森県で起きた捕鯨会社事業場の焼き打ち事件が紹介されている。死者・重軽傷者まで出したというから大事件だ。誰もが鯨肉を喜んで食べていたわけではない。

2008年3月ごろの記事はこれをもう少しまとめ、シーシェパードの船長への電話インタビュー(徹底的な菜食主義者ということが明らかになった)も含まれていたが、グラフなどで戦後の一時期だけ鯨肉消費があがり、その後商業捕鯨が原則禁止になったことで、鯨肉が給食や家庭から姿を消したことを書いていた。日本の伝統食文化であるというのは、どうやら感傷的な思い込みの面もあるようだ。

C.W.ニコルの『勇魚(いさな』は素晴らしい小説だったが、このような伝統的沿岸捕鯨は一部だけだったのだという。そして、最終段落の事件は、実際に八戸市で起きたものだったことが記事では書かれていた。

その意味では、久しぶりによい新発見の記事だと思ったが、2002年頃から主張は一貫していたわけだ。

私は、上記の『勇魚』や、『美味しんぼ』の影響で日本の伝統的な沿岸捕鯨と、戦後の食糧難対策としてのノルウェー式捕鯨による鯨肉摂取とを混同していたようだ。

伝統とは言え、和歌山太地の伝統と、鯨を神と崇める青森八戸の伝統のような対立するものがあり、また文楽人形のゼンマイにも鯨のヒゲが重要だったという『美味しんぼ』の指摘も重要だが、それはやはり近代的な商業捕鯨と分けて考えるべきだろうと思う。

欧米の側も特にエイハブ船長の『白鯨』や、米国の捕鯨船への薪炭・水供給要請がアメリカによる開国要求の背景の一つであったように、鯨油の取得が一時期欧米による鯨資源の浪費だった時代もあったことをよく肝に銘じておくべきだと思う。

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コメント

この記事で新聞報道を俯瞰すると、多層的な文化構造を覗き込むことが出来そうです。

要は、捕鯨中継基地を必要とした黒船来航開国に始まる日本の近代化のあり方であったり、西洋と東洋の近代の捩れ関係と思います。

前者の面も意外に西洋で知られていない面があって、その文化の捩れに気がつかない場合も多いようです。もちろん、似たような「開発の主張」は今中国が物議を起している所でもあります。

そうした状況を分かりにくくしているのは、産業面のみならず、日本が一度輸入したものは生きた変化をせずに、博物館的に文化受容をしているからであり、外から見ればだれも百何十年前の文化がそのまま保存されていまだに息づいているとは考えないからなのです。

投稿: pfaelzerwein | 2008年4月 6日 (日) 16:06

pfaelzerweinさん、コメントありがとうございます。現在、来日されているようで、記事を興味深く読ませていただいています。

日本の調査捕鯨とそれに対する欧米の反発については、以前書かれていましたが、最近の新聞記事に影響されて自分の考えが少し変わったので、それをまとめてみました。

明治以来の捕鯨に限っても日本人にとっては一つの重要な産業であり食文化でもあることは否定できないとは思うのですが、感情的な反発を乗り越えて国際的な理解を深めるべきだと思います。ただ、イギリス貴族の狐狩り、アフリカの野生動物の密猟など、鯨や海豚漁以外にも、野生動物保護の観点からは懸念すべき対象が数多くあるとは思うのですが、過激動物愛護団体の理論はどうも分からない部分があります。中国や韓国の食用犬についても同様でしょうし、その意味で文化的な寛容が求められるのではないでしょうか?

投稿: 望 岳人 | 2008年4月 6日 (日) 23:03

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