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2008年6月10日 (火)

グルダのベートーヴェン ピアノソナタ全集

Beethoven_piano_sonatas_gulda グルダのこのベートーヴェンのピアノソナタ全集(9枚組み amadeo アマデオ盤、まるP 1968年)は、新潮文庫の吉田秀和『世界のピアニスト』でのグルダの項で絶賛されていたのを読み、どうしても聴きたくなり、長野市のクラシックレコード専門店ディスク・アカデミーに注文して入手したものだった。注文から半年以上経って予約していたこともほとんど忘れていた頃、当時住んでいた独身寮に電話連絡が届き、ようやく手に入ったのだった。このような全集ものCDを購入したのはこれが初めてだったのでずっしりとした重さに感激した。

ベートーヴェンのピアノソナタには、結構ユニークな入門の仕方をした。ドイツ正統派のバックハウスやケンプがかろうじて現役だった1960年代に聴き始めた(といっても小学生だった)のだが、チャイコフスキーコンクール第1回に優勝したアメリカ人ヴァン・クライバーンが、優勝後の凱旋公演でのチャイコフスキーとラフマニノフの協奏曲だけのスペシャリストではなく、「本格派」ピアニストとして活動し始めた頃に録音されたRCAのベートーヴェン三大ソナタが田舎のレコード屋に入荷し、そのLPを父が買ってきたのを、まだ電機蓄音機で掛けてもらい聞いたのが初聞きだったと記憶する。今でもそのLPはスクラッチノイズが結構多いがそれなりに聞ける状態で実家にある。ただ、その頃は漫然と聴いていたようで、ようやくこれらの曲がそれなりに耳に入り始めたのは、中学生になってからだったと思う。ある日突然、いくつかのメロディーが耳にしみこみ始めたのだった。それでも、まだ鑑賞しているというのには程遠い状態だったと思う。

その後は、FM放送で聴ける音楽は、実家にあった音楽之友社の名曲解説全集や、弟のソナタ・アルバムの楽譜を参照しながら、本当に片っ端から聴いたが、やはり放送される曲は有名曲が多く、全集踏破は夢のまた夢だった。

学生時代には、『悲愴』『月光』『熱情』と『告別』『ヴァルトシュタイン』『テンペスト』の六大?ソナタを、バックハウスのステレオ録音LPの再発もので入手し、夏休みなどに帰省するたびによく聴いたが、刷り込みのクライバーンがスタンダードになっていた頃だったので、バックハウスの演奏は少々リズムが固いようにも聴こえた。

ようやく社会人になって入手できたのが、このグルダの全集。勿論、古くはシュナーベル、ケンプやバックハウス、当時の現役パリパリのブレンデル、アシュケナージなどの選択肢はあったのだが、『世界のピアニスト』でのグルダのこの全集の賛辞は最大級であり、ほとんど脇目も振らずに入手という感じだった。

この録音で使われたピアノは、パッケージにしっかりFluegel : Steinway と書かれているが、一部ではベーゼンドルファーではないかというようなことを読んだことがある。録音的には結構独特な音色がするのでそのような噂が生じたものか。録音は、オーストリア放送のStudio Klagenfurt という場所で行われたらしい。日本語解説パンフレットは、門馬直美氏によるもの。

追記:2008/12/7 この録音で聴かれるピアノの音はとても独特で、よく私が使う「滲み」のある音色、透明感よりも少し雑音的な響きが聞かれる音色だ。上記のように、解説書には スタインウェイの名が明記されているのだが、録音で多く聴かれるスタインウェイとは相当性格が違うこともあり、グルダが愛用したベーゼンドルファーという説とスタインウェイであるという説が混乱しているようだ。

参考: ベーゼンドルファーやぁ~い(巣窟日誌) で『グルダの真実』からの引用を読むとスタインウェイという可能性も捨てきれないし、グルダのベートーヴェン・使用楽器について分かったこと(DRACの末裔による徒然の日々) のピアノの専門家の「耳」による情報の集成を読むと、ベーゼンドルファーという可能性も捨てきれないように思われる。

なお、その後改善されたらしいが、このCDのトラック番号は、何と今は廃れてしまったindex番号であり、indexの頭だしができないCDプレーヤーでは、楽章をつまみ聞きすることはできず、1曲ごとにまるごと聴く(という正しい)聴き方を強いられることになっているのが面倒であり、また面白い。

大手レコード会社の統合で、このアマデオ原盤もユニバーサル傘下に入ったらしく、今では超廉価で、あのデッカのシュタイン/VPOがオケを務める協奏曲全集と一緒にこの名全集が一挙に入手できるのだというから驚いてしまう。

周辺的なことばかり書いてきたが、この全集で、初めて初期のソナタや、ソナチネ・アルバムにも入っている小曲作品49の1と2、そして後期の深遠なソナタ群も親しいものになった。そして、のりに乗った天才グルダの一筆書き的な録音により、中期のエネルギッシュな革新的な作品群はまったくものすごい様相を呈してくれている。前進するエネルギーがこれほどありながら、細部まで緻密に弾けている演奏は、そうはないと思う。

今晩は、昨晩アラウで聴いた作品27の1をグルダで聴いてみようと思う。騒がしいほどの音楽だが、質実剛健で地味なアラウもこのような陽気で豪快なグルダもやはりベートーヴェンだ。

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ディスク音楽04 独奏」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
ベートーヴェンのピアノソナタを聴き始めて頃はバレンボイムのEMI盤をLPで聴いていました。
最初に買った全集がグルダ盤。あまりの違いに面食らったものでした。芯がありながら一種の軽みを伴った、快感をもたらす音によるベートーヴェンには魅了されました。
その後にバックハウスを始めて聴いた時には「なんでこんな下手なのに評価が高いんだろう」なんてことを思ってしまったものでした。

クライヴァーンは一度だけ聴いたことがあります。
大学最後の年、上野文化会館の一番安い席で「熱情」を。
な~んにも覚えていません(;´_`;)

投稿: 天ぬき | 2008年6月11日 (水) 12:55

天ぬきさん、今晩は。コメントありがとうございます。

EMIのバレンボイムのLPといえば、当時新進気鋭で評判が高かったものと拝察します。今聴いても古臭くなく、失礼な言い方ですが「悪くない」と感じました(後期作品にも興味ありますが)。

そして、グルダの全集。私は吉田秀和さんの完全な影響ですが、当時もその評判は高かったのでしょうか。バックハウスが「下手」というのは、あのゴツゴツしたタッチや少し寸詰まりのリズム感から私も感じたことがあります。一般の音楽雑誌には書かれてはいないことですが、同じように感じられた方がいて安心しました。

逆にケンプのピアノを「下手」と書かれる意見をよく目にするのですが、ケンプは下手なのかどうかどうも私には非常に巧いと感じております。(何回か記事にしましたが)。

クライバーンの来日公演を聴かれたというのは本当に筋金入りですね。LPの「熱情」を聴いてみると本当に素直でナイーブな演奏ですので、逆にあれだけの大曲(チャイコフスキー、ラフマニノフ)を得意としながら、その後低迷してしまったのも、その辺のギャップにも遠因があったのかも知れないですね。

引き続き、ベートーヴェンのピアノソナタを聴いて記事にしてみたいと思っております。

投稿: 望 岳人 | 2008年6月11日 (水) 22:16

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