『カラマーゾフの兄弟』(亀山郁夫訳、光文社古典文庫版)の翻訳の読みやすさについて
光文社とえば、カッパブックスとかの実用的な出版社というイメージが強いが、このところこの『カラマーゾフの兄弟』の新訳が読みやすいという評判などで、急速にその印象が変わっているように思う。
我が家では、父が戦後の教養主義の影響を多大に受け、クラシック音楽関係の事典などの書籍も多く収集したが、本棚で果然異彩を放っているのが、河出書房版の米山正夫米川正夫訳の『ドストエーフスキー全集』の一そろいだ。私も高校生ぐらいの頃から、『罪と罰』『貧しき人々』『賭博者』『虐げられし人々』『地下生活者の手記』、そしてこの『カラマーゾフの兄弟』を手にとって見た。読んだと敢えて書かないのは、名作・傑作とされるそれらの作品が非常に難解であり、すんなりと、つまり物語りとして普通に理解できないという壁にぶつかり、多くの人々が傑作、名作として讃えているのに、未だ自分には内容的に高度過ぎて読みこなせないのだろうかと落ち込んだ経験があるからだ。大学になってからは、やはり主に工藤精一郎の新潮文庫版の『罪と罰』などを法学部生としての関心からも読んでみたが、そのストーリーの大まかな部分は理解できたとしても、なぜかすんなりと頭に入らず、むしろ江川卓の『謎解き罪と罰』などのエッセイが面白かったりした。その一方で、トルストイの『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』などは、読書としてそれほどの難解さを感じずに、ストーリーにどっぷりとはまることができた。『戦争と平和』は、自分が読んだ小説の中でも、トップクラスに面白かった。
確か、近年、東京大学の学生が『カラマーゾフの兄弟』の書名も知らないというような少し眉唾的なマスコミ好みの調査?が話題になったことがあったと思うが、ちょうどその頃この亀山郁夫の新訳が話題になったのではなかっただろうか?その話題性もあっただろうか1年ほど前に第1巻を購入して読み始めたところ、今から20数年前に米山米川訳で読んだときに印象に残ったゾシマ長老の場面などが結構スラスラと読めて驚いた。
翻訳でも、文章でもそうだが、たった一字の書き間違い(typo)が、意味を理解しながら読んでいる支障になることがある。適当な例が直ぐに浮かばないが、先日も職場のメールで、何とかいう用語が誤変換されていて、前後関係から違和感があり、そこで突っかかってしまったことがあった。その言葉が誤変換だということがわかり、正しい言葉と置き換えてようやく前後の意味のつながりが理解できたのだが、翻訳ではこのような不自然な言葉(極端な例では誤訳)が結構多いようで、それが普通の意味での理解を妨げるケースが多いと思う。論理的な法律文書の翻訳でも、翻訳している本人は原文の意味を理解しているから多少不自然な日本語訳でも、先立つ原文の理解を前提として意味が取れるが、日本語訳しか読んでない人には意味が理解できないということは、自分の仕事の中でも結構あった。そこが翻訳の難しさでもあるように思う。以前『超訳』という言葉が流行ったことがあったが、日本語だけで読者が理解できるためには意訳に近い自然な日本語が必要なのだと思う。ただ、そこに古典としての原文の存在があり、語学学者や翻訳家からの批判も当然あるのだろうから難しいところだ。
この亀山訳にしても、これほど読みやすいということは、米山米川時代よりも原文の理解度が非常に上がっていて、翻訳者の中で十分にこなれていることもあるだろうし、日本語としての自然さと、前にあげた誤訳の少なさ(多いか少ないかは原文をまったく読む能力がないので定量的には分からないが、理解しにくいセンテンスが少ないことでそう思う)が重要だと思う。
以前も、確かカントの『純粋理性批判』やダンテの『神曲』の新訳が非常にこなれた日本語になっていて、難解だと思われていたのは実は翻訳上の難解さで、古典として読み次がれてきたものは、いかに内容を理解するのが難解だとは言え、意味不明の文章で書かれているわけではないことが喧伝されたことがあったように記憶しているが、今回の翻訳の例でも分かるようにドストエースフキーの難解さというイメージも、実は翻訳の難解さだったのかも知れないと思った。
また、以前若い頃に名作として奨められて読んだ川端康成の『雪国』が、読んだ当時にはまったく意味もわかっておらずただ目を通したに過ぎなかったのが、ある程度人生経験を積んでから改めて読んで見て、何を描き、どのような意味を持っているのかがそれなりに分かったように、何でもかんでも若い頃に名作を読めと言っても、天才と賞賛される作家が若いとは言え全精力を傾けて書いたような内容の濃い、『カラマーゾフ』のような思想的、哲学的な小説は、やはりある程度の幅広い知識や経験があってこそ内容を熟読玩味できるようにも思った。若い時代に高峰にチャレンジすることは重要だが、その場合にもルートもはっきりしないようなめちゃくちゃな藪漕ぎが必要な場合には、途中でへばってしまっても当然だし、相当な高峰でも、有能なガイド(翻訳家、教師)が付けば、その年齢、経験に応じて頂上までたどり着ける(完読)できるのではないかとも思った。
p.s. 第1巻で興味深かったのが、第3編 『女好きな男ども』の第3章『熱い心の告白 - 詩』において、長男のドミトリーがシラーの『歓喜に寄せて』(ベートーヴェンの第九の歌詞となっている部分とそうでない部分も)の一節を朗誦し、その中の 原語では Wollust と Wurm いう私が以前から興味を持っている単語について、ドミトリーが自らの性格、性癖を自嘲するかのように、まさにこの詩句が自分を示しているというようなことを弟のアレクセイに対してしゃべる部分があって驚いた(p.285前後)。ドストエースフキーの原文では、この部分はシラーのドイツ語のままなのか、それともロシア語で「翻訳」されたものなのか。『虫けらには好色をさずけ』と訳されている。
以下は、上記サイトからのコピー&ペースト
3. Freude trinken alle Wesen
生き物は皆、歓喜を飲む、An den Brüsten der Natur,
自然の乳房によって。Alle Guten, alle Bösen folgen ihrer Rosenspur.
善人も、悪人も皆、自然のバラのふみ跡に従う。Küße gab sie uns und Reben,
自然は私達にくちづけとぶどう酒をくれた。Einen Freund, geprüfut im Tod,
(そして)死のなかで試された一人の友を。注:モーツァルトの魔笛の試練を想起させる
Wollust ward dem Wurm gegeben,
官能的な快楽は虫けらに与えられ、注:Wollsut は Freudeに対立する否定的な概念か?
Und der Cherub steht vor Gott.
そして智天使ケルビムは神の御前に立っている。
この連の訳が掲げられているが、どうも逐語訳ではないようだ。ドイツ語からロシア語、そして日本語という過程を辿ったのだろうか?
追記:2008/11/13
誤訳や誤記の問題についてこの記事で批判しているのに、この記事の「米川正夫」が「米山正夫」になっていたのに気がついた。慚愧に耐えない。客観性を持って、他人の文章を読むように推敲や誤字脱字のチェックが必要なのだが、自分の文章に対して客観的になれるのは一日以上経ってからなので、思いつきで投稿しているこのブログのようなものはどうも誤字、脱字、ミスが多い。「亀山郁夫」からの連想で、「米山」としていたようだ。なお「米山正夫」は、「リンゴ追分」などの作曲家だった。
なお、Amazon.co.jp のレビューに書かれていた誤訳騒ぎには驚いた。週刊新潮に掲載されていたというが、「ドストエーフスキイの会」というHPでの指摘だ。
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