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2008年12月の26件の記事

2008年12月31日 (水)

よい年取りを

大晦日のことを、私の実家では「お年取り」とも呼ぶ。数え年での年齢の数え方では、正月を迎えると一斉に一歳年を取ることからこの「お年取り」という言い方が使われるようになったのだと思う。

東日本圏である実家では、新巻鮭と、鯉こくが 年取り魚として珍重される。新巻鮭は、遠方から塩鮭として輸送されて来るものだが、縄文人たちも千曲川を遡上する鮭を食料としていたということなので、それこそ原日本人の時代からの貴重な秋・冬の蛋白源だったのだろう。

それに比べると、鯉の歴史は比較的新しいもので、江戸時代に京阪地方からもたらされたもののようだ。あの佐久長聖高校のある佐久市の岩村田地区の小さな藩が、鯉養殖の初めらしい。私も母の手伝いで、30日か31日には、小諸市や佐久市の鯉専門店に出かけて、さっきまで水槽で泳いでいた鯉をその場で鱗を取り、胆嚢だけは除いて、内蔵は残したままのぶつ切りにしてもらったものを買い出しに行ったものだった。自宅に帰ると、大鍋にその鯉を入れて煮込み、味噌と少量の生姜で味を調える(このあたりは、結構アバウトな記憶)と、鯉こくの出来上がり。ベテランは、鯉の頭の部分が美味という。子どもの頃は、小骨が多い魚なので、慎重に小骨を外しながら食べないと骨が刺さるので、苦手だったが、いつの頃か、鯉専門店でそっくり残してくれる内臓の部分が非常に美味なのを知り、今でも好物だ。まったく苦味もなく、大変滋養のある味わいを持つ。

中途半端な田舎なので、郷社への二年参りの習慣や、地元の寺での鐘撞の習慣もなく、静かに大晦日は更けてゆくのだが、あたりがひっそりと静まり返り、冬の星座が満天を飾り、気温がマイナスをはるかに下るのが、信州の高原地帯の大晦日だ。

それでは、このBlog にお出でいただいた皆さんにもよいお年を。

2008年12月30日 (火)

2008年もあと2日 

夏には中国で北京オリンピックが行われ、秋にはアメリカ合衆国では初の有色人種系の大統領が誕生し(もしくは初の女性大統領の可能性もあった)、そして年末そのアメリカのサブ・プライム問題というまったくお粗末な金融テクノロジーの破綻に端を発した金融危機の影響で全世界が一挙に不況の波が襲い、100年間で最大の(ということは1929年の大恐慌をしのぐ?)恐慌の恐れがあるという経済情勢で2008年は暮れようとしている。

このブログでも書いたが、借金漬けの米国の消費者が嘘のような「お客様は神様です」の小売業に支えられて、膨大な消費を繰り広げ、そこを目指して世界各国が輸出を続け、資金を回すという状況が長く続いていたようだ。病める唯一の大国の経済が、とうとうその矛盾をさらけ出したというのが、今回の経済危機の真相ではあるまいか。

これからは、アメリカの行き過ぎた浪費に頼らなくとも成り立つような世界経済を模索していかなくてはならないのだろう。日本にしても、既に若者はクルマ離れを進めるなど(経済的に離れざるを得ないというのが本音かも知れない)、内需だけでどのような製造業も経営が成り立たなくなっているのは確実だろう。しかし、膨大な浪費に頼る経済は、今回のように必ず破綻が来るもののようだ。

いつがピークだったのか分からないが、既に経済的な繁栄というものは既にピークを越してしまい、今後は浪費(その最大なものが戦争である)に頼らずにどのようにしたら食っていけるかを模索すべきときに来ているのだと思う。日本航空の社長が、社長としては薄給で、社用車も使わずに通勤しているということが美談として報じられているが、経営リーダーが高給と高利便性を味わうという時代は終わり、ワークシェアにより、たとえ個人個人の生活の質は低下しても、社会全体として労働を分配することで、失業者を減らすというような仕組み、セーフティネット的なものを広めていかなければならないのではあるまいか?ヨーロッパ的なバカンスの多さというのは、日本から見ると不思議な感じがするが、それがワークシェアの一つの現れなのかも知れないなどとも思う。

2008年12月29日 (月)

ようやく年賀状を作成・投函とNHK教育テレビ放送停止

暦の関係で今年の冬休みは長い。12/27と12/28が土日になったため、12/26(金)が仕事納で、一般の企業も12/27(土)から冬休みを取るところが多いようだ。また、1月も4日が日曜日になるため、12/27から1/4までの連休は9連休にもなる。そんなわけで、帰省をするにしてもどうもピリッとせずに、ダラダラと過ごしてしまっている。(世界で、新暦の年末年始にこのような休みを国民の多くが取るのは、日本だけだ。中国文化圏のアジア諸国は、旧正月の前後に長期の連休を取るところが多いし、欧米はクリスマス前後は休みだが、正月は2日から出勤だ。)

面倒くさいが、既にインクジェット写真用の年賀葉書を100枚ほど買ってあったため、それでもと、今日は午前中から年賀状に取り掛かった。子ども達、妻、そして私の年賀状を「宛名職人」で作成し、同じく宛名職人に登録済の住所録を少しいじってプリントアウトするだけなので、やり始めれば数時間で終わってしまう作業なのだが、今年もついつい後回しになってしまった。11時ごろに、裏面のデザイン、使う写真などを決め始めて、家族分4種類印刷。それから表面(住所面)の印刷を始め、終了したのは4時ごろ。まあまあの出来栄えの年賀状が完成した。本来は25日までに投函すれば元旦に配達されるというのだが、北海道や東北地方の知人には三が日までに届くだろうか。

さて、今日は、何とNHK教育テレビが放送時間を短縮するという「暴挙」に出た。午前中の放送は停止で、0:30 から21:30まで放送し、21:30から翌朝5:00まで放送停止ということ。この一日、放送を停止することで、普段の日と比べてCO2を約9.4トン削減したことになると新聞のテレビ欄に書かれていたが、それならば深夜、早朝の放送を今よりも減らすことも考えるべきだし、BSアナログもBSデジタルもさらに視聴者が少ない時間帯には停めるべきではないのか?教育テレビを停めるという愚挙には開いた口がふさがらない。それでもって、CO2削減を声高に唱えるというのは、本気で視聴料の支払いを考え直すべきときに来たのかも知れないとも思う。

かつて、石油ショック時代に、深夜放送がNHKも民間放送も停止した時代があったが、今回のNHKの独りよがりの放送停止は、何のコンセンサスも得ていないのではあるまいか?

調べたところ、ホームページで意見を募っていた。どうしようもない。

2008年12月27日 (土)

全日本フィギュア2008 女子シングル 浅田真央三連覇、村主2位、安藤3位

上位6人の世界的なレベルの女性スケーター達の華麗な戦いは意外な結果が待っていた。

前日のSPで苦杯をなめた鈴木明子が、最終グループのトップでリンクに立った。これから始まるハイレベルの戦いの幕開けだった。前日の失敗が信じられないほどの集中力でジャンプはほとんどノーミス、多くの要素も確実に美しく決めて、素晴らしい出来だった。この時点でダントツの1位。長久保コーチ(荒川静香のコーチだった人)と感激のハグ。

続いて、全日本の優勝回数5回を誇る大ベテランの村主章枝(すぐりふみえ)。競技前の練習で、同じモロゾフコーチに師事する安藤美姫(あんどうみき)と接触して、安藤がダメージを負った様子で、少し幸先悪い雰囲気となっていたし、鈴木の素晴らしい演技で巻き起こったスタンディング・オヴェイションの余韻が冷め切らないうちに村主の演技はスタートした。ここ数シーズン、浅田、安藤、中野の三人娘の後塵を拝してきたが、モロゾフに師事したおかげか、ジャンプの質が向上し、ハラハラする場面はあったが、どのジャンプも何とかこらえ切り、最後まで集中したミスのほとんどない演技は、全盛期の村主を思わせるものだった。観客も大歓声で、FSの得点は何と120点台という高いもので、ここで鈴木を抜き1位に立った。モロゾフは、安藤の様子を気遣って、リンクサイドにいなかったが、村主会心の演技だった。

三番手は、前日のSPで首位に立った中野友加里。観客にも初優勝がちらついたが、そのためやはり無心の演技ができなかったのか、SPでのミスしそうもない集中しきった演技とは異なり少し不安定にジゼルが始り、いくつものジャンプでミスが連続してしまった。晴れやかな笑顔のスパイラルなどやトレードマークのドーナツスピンは素晴らしかったものの、ジャンプのミスが大きく響き、表情は晴れない。佐藤コーチも慰めようがない雰囲気で、この時点で何と三位という番狂わせ。初優勝の夢は潰え、世界選手権代表の座も危うくなってしまった。SP首位の持つ重圧!

四番手は、右足首に故障を抱えながら溌剌と滑った武田奈也(たけだなな)が、白鳥の湖を白黒の華やかなコスチュームで滑りきった。やはり本調子ではなかったのだろう、上位選手と比較しては、技の切れや難度などで見劣りした部分はあったが、晴れやかな表情と伸び伸びとした演技は、素晴らしいものだった。この時点で4位。

ラスト二人は、安藤美姫(あんどうみき)と浅田真央(あさだまお)の二人の世界チャンピオン(2007, 2008世界選手権優勝者)の演技。

故障の多い安藤だが、またしても直前の接触という不運に見舞われて、どうも右足を強く打ってしまっていたらしい。さすがに四回転には挑まなかったが、序盤のジャンプは切れのある回転と着氷は素晴らしいもので、ここまでの調子のよさが窺がわれたのだが、足の痛みのためか後半のジャンプでの転倒などもあり、村主をかわせず、この時点で第2位。それでも、前回のグランプル・ファイナルの時よりも、SP, FSともよい出来で、今回の故障の影響が少なければ、今後にも期待できそうな様子だった。

そして、最後に浅田真央が登場。直前の練習から5人×5分として25分も経過しており、さすがの浅田でもここまで緊張感と身体の切れを保つのは大変かと思っていた。リンクに入る直前の表情は、グランプリファイナルの時よりも緊張していて、表情から読み取れる(ような気がしている)演技の出来栄えが心配になるほどだったが、大ヒットとなって耳馴染みとなったアラム・ハチャトゥリアンの『仮面舞踏会』のワルツに乗って、出だしから華麗なジャンプを決め、その後はどんどん演技に引き込まれていった。トリプルアクセル2回は前回のGPFで自信になったようで、今回もいい出来だと思った(その後の解説で2回目が回転不足だったようだが)。途中、三回転がスッポヌケで一回転になったが、その後のトリプル・トリプルは久しぶりにきちんと決まって、この時点でほぼ優勝が決まったかと思われた。観衆も大歓声で、女王の演技を讃えた。

結果として、浅田が1位となり、全日本フィギュア三連覇の偉業を達成したが、フリー・スケーティングの得点では、村主の120点台に続く、117点という浅田にしては比較的低い点数で、SPと合わせての得点差はたった2点しかなかったほどだった。安心して見ていられる浅田だが、難度の高い技に挑むこともあって、僅かな回転不足などがダウングレードという罠に嵌り、得点を予想外に下げていたらしい(公式スコアを見ると、あれだけの難度の高い技の連続だった浅田のTotal Element Score が 54点台で、村主の62、鈴木の59、武田の54と比べていかに低いかが分かる。Base Value という基礎点もどうも納得がいかない。やはりこの得点方式自体、相当の欠陥があるように思えた)。

ただ、それだけベテラン村主の復活のレベルアップはすごいものだった。この後は、四大陸選手権、そしてアメリカでの世界選手権と連戦が続き、大変だと思うが、どの選手も故障せずにがんばってもらいたい。

男子は、織田が1位で文句のない初優勝、2位がホープの小塚、3位がこれからが楽しみの高校生無良(むら)だった。

p.s. 午前中、古いビデオテープを整理していたら トリノオリンピック2006の女子フィギュアスケート フリースケーティングのLIVE放送(NHK)を録画したものが出てきて少し見たら、やめられなくなり、安藤、村主、そして金メダルの荒川静香の演技を久しぶりにみることができた。サーシャ・コーエン、イリーナ・スルツカヤなどの今となっては懐かしい顔ぶれに加えて、ジョアニー・ロシェットや、コストナーなど、現在世界のトップクラスに名を連ねている選手達の滑りも見ることができた。その中、荒川の滑りは本当にオーラがあるほど完璧なものだった。観客が演技途中から立ち上がって拍手を贈ったのも無理からぬほどの出来で、ジャンプのレベルなどでは現在の選手達には劣るだろうが、伸びやかな手足の隅々まで神経の行き届いた繊細さ、姿勢のすっきりとした品格の高さ、余裕のある技術など、まさに女王の滑りだった。

追記:今回の選手権について検索していたところ、昨今のフィギュアスケートの採点法の問題点に鋭く切り込んだ非常に詳しいBLOG Mizumizuのライフスタイル・ブログ を見つけた。とてもためになる。回転不足判定によるダウングレード判定が、少し恣意的に運用されているらしいこと。またWRONG EDGE判定が急に厳しくなったことで、多くの選手達のジャンプが急に乱れてしまったことなど。制度のドラスティックな変更が、実際の状況にこれほど具体的に目に見えるような形で影響を及ぼすという事例として、フィギュアスケートの採点法の変更は記録されるかも知れない。

追記: おかしなフィギュアスケートの採点をなんとかしたい! という WEB署名が上記Mizumizuさんのブログで紹介されていました。私も、早速、署名しました。趣旨に御賛同いただける方は是非お願いします。これほど盛況になっているフィギュアスケート競技をより公正なものにするための活動だと信じています。

2008年12月26日 (金)

フィギュアスケート 全日本選手権2008 長野ビッグハット 男女SP

昨日は、男子のショートプログラム。エース高橋が故障で不在(来年5月には復帰できそうとの報道あり)の中、復活の織田が1位、今シーズンのMVPの小塚が2位に続いたが、結構大差が付いた。(男子は、ちょうど今頃フリーが行われているころだ。)

今晩は、フジテレビがゴールデンタイムで女子のショートプログラムを放映していたのを鑑賞(実際の競技は、14時から16時に行われた)。丁寧な演技が光った中野友加里が1位で、2位の浅田と3位の安藤に2点差を付けた。中野がこの二人をリードするのは、これまで見たことがないので、明日は中野の初優勝なるかという期待がある。それほど今回の中野の滑りは見事だった。安藤も悪くはなく、ミスらしいミスもなかったが、冒頭のトリプル・トリプルに失敗した浅田に僅かリードされ3位になってしまった。またしても「素人目」だが、浅田をリードしていたように見えたが、どうだったのだろうか?

(上位三選手は、選手権の結果はこの2シーズンまったく同じ順位だった。1位浅田、2位安藤、3位中野。世界大会でもよく見ているので、彼女達の競技前の表情で、その日の調子がおぼろげながら予想できるような気がしてきて、今回も妻と一緒に見ながら、「ミキティは落ち着いた表情で、調子の悪いときに見せる泣きそうな表情ではなかった」、「真央ちゃんは、少し眉間にしわがよるような険しい表情をしている。緊張しているのか、調子が悪いのか。直前練習でも尻餅をついていたし」、「ユカリンは、いつものにこやかな表情とは違い、すごく厳しい表情をしている。しかし、過度の緊張や不安はうかがわれない」などと話していたのだが、ほぼ直前の表情-- と言っても、生放送ではなく、テレビ局による編集、演出が含まれているのだが--と滑りの結果が結構当たっていて驚いた。)

今シーズン初めて村主の滑りを見ることができた。ジャンプも安定してきたし、調子はよさそうだったが、転倒などで2点引かれて57点台で5位。その上の4位に、調子を取り戻した武田奈也(なな)が入り、ジャンプの不安定さが惜しかった鈴木明子は6位と出遅れた。

これら上位選手は、いずれも世界レベルの選手達で、現在の女子のフィギュアスケート界の充実振りが伺われる。

浅田真央の姉、舞も大柄な身体を生かしたスケールの大きい優雅な滑りを見せたがあまり点数が伸びなかった。今年ジュニアからシニアに進んだ18歳の村元小月(さつき)は、西日本2位の実力を示し、ジャンプの確実性や身体の切れが素晴らしく8位につけている。なお、その上の7位にはジュニアの村上佳菜子が入っている。

なお、フジテレビ出身の内田というアナウンサーがインタビューアーだったが、相変わらず選手の答えを先取りしたような下手なインタビューで、選手たちは答えにくそうだった。フジの競技の映像は嫌いではないが、このようなインタビューは選手に気の毒だ。

シャトー・ジュリアンは美味く、マス・モニストロルはまあまあ

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クリスマス・イヴには、マス・モニストロル・ロゼを開けた。バブルの余波の時代に、ドン・ペリニョンを空けて二日酔いになったことがあり、発泡性ワインの高級品は二日酔いをしないという『美味しんぼ』の薀蓄に疑問を感じたことがあった。発泡性ワインは、炭酸が抜けてしまうので、ついつい貧乏根性で750mlを飲み切ってしまうのが、二日酔いの原因だろうとは思うが、どうもそれ以来発泡性ワインは苦手だ。

ロゼだが辛口だった。肉汁たっぷりの鶏の丸焼きには結構合ったけれど、単独の飲み物としては、少し物足りなかった。


Pc240671 翌日、クリスマスの夜には、それほど期待していなかったシャトー・ジュリアン2002を開けた。ボルドーワインをたまに飲むとは言え、大概リーズナブルなものなので、舌が肥えているとはとても言えないが、これは単に渋いだけでなく、ほのかに甘く、アルコールの刺激はまったくなく、まろやかな美味しさを味わえた。2002年というので、6年は経過しているわけだが、心配していた酸味も強くなく、なかなかよい飲み物だった。

日本製のカマンベール風チーズ、デンマーク製のブルーチーズをそれぞれフランスパンに載せ、ワインと味わうとなかなか結構なマリアージュが楽しめた。このワインは、リカーショップに結構並んでいたので、また購入したいものだ。

クリスマスの音楽は、もう20年近く前にヒーリングミュージックとして流行したスペインのシロス修道院の『グレゴリアン・チャント』、タリス・スコラーズの『クリスマスのキャロルとモテット集』のジョスカンとビクトリアの『アヴェ・マリア』、オルフェウス室内管弦楽団によるコレルリの『クリスマス協奏曲』といったところだった。

2008年12月24日 (水)

クリスマス用に買った赤ワイン、スパークリングワイン(ロゼ)

我が家では、妻がクリスマスの菓子作り、ケーキ作りに凝っているため、クリマスイヴの食事はそれなりに御馳走になる。そういうこともあり、毎年一応ワインを買うのが恒例になっている。イタリア、フランス旅行では安いテーブルワインしか飲まなかったのだが、それでも渋みと複雑な味の赤ワインの美味しさというものに少しは気づかされたので、以来ファッションではなく、結構美味しいと思いながら飲むことが多い。

今年の我が家でのクリスマスの食卓用にそろえたのは、CHÂTEAU JULIAN 2002 BORDEAUX SUPERIEUR というもの。フランスワインではボルドーとブルゴーニュの区別が辛うじて区別が付くくらいで、それより細かい産地やさらにシャトー名などになるとまったく疎い。そんなわけで、仕事帰りに買うときには、その店でお薦めのものとか、どこそこのコンクールでメダルを取ったとか言う中で、比較的リーズナブルなものを選ぶことが多い。

今回は、自宅の最寄駅の近くのリカーショップで、ロンドン・コンクール05金賞とかいうラベルに誘われて購入した。

このCHÂTEAU JULIAN、調べて見ると似た綴りで、 CHÂTEAU JULIEN というシャトーもあるようで、こちらはメドックのシャトーらしい。(このサイトで厳しい評価を受けているのは、このJulienの方)。また、USAのカリフォルニアにも CHÂTEAU JULIEN  というワイナリーも見つかった。日本語表記では、Julian も Julien もシャトー・ジュリアンで、原表記でも、a と e の差しかないので、ひどくややこしい。ネット検索すると、日本語でもアルファベットでも両方出てきてしまう。

直接 CHÂTEAU JULIAN では、検索がヒットせず、ようやく辿りついたのが、このサイト。ワインをよく見ると、VIGNOBLES DULON というシールがボトル上部に貼られているので、CHÂTEAU JULIANはこのワイナリーが所有しているワイン畑の一つのようだ。上記サイトの中のここに CHÂTEAU JULIAN が掲載されていた。

一応、手元の CHÂTEAU JULIAN 2002 BORDEAUX SUPERIEUR には、LONDON WINE & SPIRITS INTERNATIONAL COMPETITION  MÈDAILLE D'OR No.010412というラベルが貼られてはいる。しかし、このブログでは49点。まあ、飲んでみてのお楽しみではある。

また、スパークリングワインは、自家製ケーキ材料を買うついでに妻が買ってきたのだが、マス・モニストロル Mas Monistrol 2003 Cava Premium Reserva Rosé Brut というもので結構リーズナブルな値段だったらしい。ところが調べてみると、スペイン製で結構面白そうなもののようだ。どうも店頭のポップに、このクリュッグやドン・ペリニョン、ヴーヴ・クリコよりも好きというようなコメントが書いてあったらしい。

このような複雑膨大な選択肢のある嗜好品は、クチコミや店頭の推薦文、店員のお薦めなどでどうも選ぶことが多い。

2008年12月23日 (火)

12月22日と12月23日の歴史的な出来事

2008年が初演記念年の音楽作品で書いたように、昨日2008年12月22日はベートーヴェンの交響曲第5番と第6番(初演時には、現在とは番号が入れ替わっていたらしい)の初演日だった。

12月23日の今朝、TBSを見ていたら10時ごろのニュースで、ヴィーンの初演時の劇場でこれを記念したコンサートが行われた模様を放映していて、聴衆の一人が「私と妻にとって素晴らしいクリスマスプレゼントとなった」と語っていた。初演の時の演奏会は、4時間にも渡る長大なもので、不評だったともテロップで流れた。

天皇誕生日の休日で、少し暇をもてあましているので、改めて世界規模で200年前のこの日に何があったのかを 歴史データベース on the Web で 調べてみたところ、

1808/12/22,文化5/11/06 ベートーヴェンの第6交響曲「田園」と第5交響曲「運命」がウィーンで初演される。しかし惨憺たる失敗に終わる。
とあるだけだった。

そこで、単に12/22 に何があったのかを 12月22日のできごと という検索で調べてみたところ、結構興味深い事件が見つかった。 その内容は、上記リンクで検索することにより実際に見ることができるが、

先日読んだ『カラマーゾフの兄弟』所収の評伝にも記載されていたこの事件。
1849/12/22,嘉永2/11/08 ニコライ1世に死刑を宣告されたドストエフスキーら20名が首都ペテルブルグのセミョーノフ広場に引出される。銃殺の直前に恩赦となる。

自分にとってはあまり馴染みがないが、生誕150年のプッチーニの誕生日。
1858/12/22,安政5/11/18 イタリアの作曲家プッチーニ(Puccini,Giacomo)誕生。

初演で言えばこの曲もこの日だった。1894/12/22,明治27/12/22 ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」がパリで初演される。

などが見つかった。

ちなみに、今日12/23は、

1806/12/23,文化3/11/14 ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲が初演される。

1933/12/23,昭和8/12/23 昭和天皇の第1男子、継宮明仁(つぐのみやあきひと)親王誕生(125代天皇、今上天皇) 

という日になる。

12月23日を記念して、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を、グリュミオーとC.デイヴィス/アムステルダムコンセルトヘボウ管〔1974年録音〕で聴いてみた。

これは、以前聴いたときに、冒頭の重要なティンパニの動機の音がよく聴き取れなかったので、デイヴィスの指揮・解釈に疑問を持っていたものだが、今日聴いたところきちんと聴き取れて驚いた。特にヴォリュームを上げているわけでもないのだが、不思議な感じだ。

コンセルトヘボウ管のオーボエも弦の響きもホールトーンも美しく、少し不器用で響きが薄く感じられるこの曲のオーケストラ提示部が充実して聴けてうれしい。グリュミオーのヴァイオリンは、シェリングの端正で襟を正すようなすくっとしたヴァイオリンに比べて、冒頭のアイガングから美音を振りまいているが、今日はオーケストラがしっかりと支えているのが聴き取れるためか、それほど嫋嫋とした弱さを感じさせず、誠に麗しいベートーヴェンを聴くことができた。

村上春樹『意味がなければスイングはない』(文春文庫)

2006年3月11日 (土) 村上春樹「海辺のカフカ」とシューベルトのニ長調ソナタ という記事を書いたことがあったが、そのときのコメントで シューベルトのピアノソナタ第17番ニ長調について触れた筆者による音楽論集が出版されていることを知り、いつかは読みたいものだと思っていたようなことを書いたが、単行本はなかなか見つからなかった。ところが最近、書店にどうやらそれらしい文庫本が平積みになっていて、中をパラパラ捲ってみたところ、「シューベルト『ピアノソナタ第17番ニ長調』D850 ソフトな混沌の今日性」という章があり、これだと思って購入して読み始めた。

まずは、この注目の章。それから村上春樹がこれほどピアニストに詳しいとは意外だった 『ゼルキンとルービンシュタイン 二人のピアニスト』 と 『日曜日の朝のフランシス・プーランク』という クラシック関係のエッセイを読んでみた。

さすがに作家というものは文章が巧いと思いつつ、シューベルトを読み終えた。『ゼルキンとルービンシュタイン』では、二人の伝記を素材にして、東欧生まれのユダヤ系で壮年期以降はアメリカで活躍したこの対照的な二人のピアニストについて、実に面白いエッセイを書いている。ジョージ・セルがゼルキンのヴィーンでの少年時代の兄弟子だったとか(著者の作り話は少し下品)、ゼルキンが最も影響を受けたのがアルノルト・シェーンベルクだったとか、アドルフ・ブッシュ(ブッシュ・クァルテットのヴァイオリニスト)が渡米後にはあまり売れずにゼルキンがその女婿として彼ら一家を相当支援したとかのエピソードが興味深かった。

プーランクについては、なるほどという感じで、あまり聞いたことのない作曲家だが、小澤征爾のプーランクへの傾倒についても的確な印象が述べられており、参考になった。

ところで、このエッセイは、ポップスやジャズのミュージシャンについても多く書かれており、あまり馴染みのない音楽家が多いのだが、それでもと思いはじめから読み始めた。

第2章は、ブライアン・ウィルソンという名前が挙げられており、副題で 「南カリフォルニア神話の喪失と再生」 というものだった。誰だろうと思いつつ読み始めたら一応名前は知っている「ビーチ・ボーイズ」のリーダーだった人だった。この辺の音楽にはまったく疎い。彼らが一躍人気者になり次々にヒットを飛ばすが、その音楽的な深まりとは反比例して聴衆が彼らから離れてしまう様子を、著者はシューベルトと比較をしていたが、私には、モーツァルトの急激な人気の凋落を連想させるエピソードとして非常に印象に残った。

ビーチ・ボーイズ、ブライアン・ウィルソンの音楽についてはほとんど知らないので、自分自身の判断ではないが、このような急激な人気の凋落というのは、洋の東西、時代を問わずに似た現象が起こるものなのかも知れない。 

2008年12月21日 (日)

おめでとう 佐久長聖高校 高校駅伝 男子 初優勝

ここ数年、上位争いにほとんど絡んだり、大学駅伝のエース選手を輩出するなど駅伝の名門校としてすっかり知られるようになった 長野県佐久市にある 私立高校 佐久長聖高校が、昨年の同タイムながら2位という悔しさをばねにして、昨年敗れた仙台育英高校を見事大差で下して、2時間2分台という好タイムで優勝した。両角という監督が指導するようになってから急速に力を付けてきたようだが、選手達は非常にスマートなフォームで伸び伸びと快走していたのが印象的だった。

出場選手全員が日本人(いわゆる助っ人留学生が入っていないということ?)という意味だと思うけれど(番組の中ではそれよりも速いタイムの優勝チームの年度も紹介されていたが)、今回のタイムが日本最高記録として認定されたようだ。一区を留学生が走れなくするとかのルール改正も行われているようだが、プロ野球やJリーグ、そしてこの高校駅伝の外国人枠の問題は、純粋の日本人(日本国籍ならいいのか?)の問題も含めて、結構複雑なものだと思った。

うたの旅人「だれもが兄弟となる」朝日新聞 土曜版 be on Saturday Entertainment 2008/12/20

朝日新聞の日曜版が、土曜日版として、娯楽(Entertainment) と 商売(Business)の二つの "be" と称するものになり、そのうち日曜版として 科学とテレビの be も発行されるようになって相当時間が経過したように思う。

この週末の be on Saturday Entertainment の 1面の「うたの旅人」は、ベートーベン「第九交響曲・歓喜の歌」 という副題で 「だれもが兄弟となる」という記事だった。

第一次世界大戦で、中国のチンタオに駐留していた旧ドイツ帝国の軍隊が、戦勝国側の日本の捕虜となり、徳島県の鳴門市に敵国兵として収容されていたが、この捕虜のドイツ人たちの手によって、全曲演奏か、第四楽章か、またはその一部かは知らないが、とにかく、ベトーヴェンの第九交響曲の日本初演が行われたことは、相当以前からトリビア的に知られており、近年このエピソードが映画化されたようだ。(それにしても「バルトの楽園」というのは、どうしてもバルト海を連想させてあまりいい題名とは言えないように思う。wikipediaによるとバルトとはドイツ語で髭のことらしい。「敬愛なるベートヴェン」とかいう映画の題名もあったが、音楽系の映画の題名のいくつかは poor だと思ってしまう。)この戦争の末期にドイツ革命が起こり、共和制のヴァイマール共和国が誕生したのだが、それがまた鬼子であるNazi Nazional Sozialist を生み出したのだった。

さて、この記事は、伊藤千尋という記者が担当しており、東欧の革命当時この記者が実際に取材したチェコのプラハのビロード革命勝利記念の 1989年12月14日のチェコ・フィルによる第九のこと、ベルリンの壁撤去を記念するその10日後のバーンスタイン指揮による 『"Freiheit "に寄せて』のベルリンでの東西のオケ、ソリストによる第九(DGから発売された)に何と日本人声楽家が参加していて、その人が、現在上記の鳴門市にある鳴門教育大の教授を務めており、チンタオでの第九「里帰り」公演に参加したというようなことも綴られていて、つながりというものを辿って行くと結構面白い事例があるものだと感じた。

それら中心記事に添えられたエピソードの中に、戦後第九が広がった一因としての川崎市の市民合唱団の活動などが紹介され、そして、不意打ちで驚いたが、私の母校である長野県の高校で約20年前から途切れずに続いている文化祭(学園祭と書かれているが、『日輪祭』という名前の文化祭だった)での全校生徒による第九の合唱のことが紹介されていた。その合唱が始った当時、母校に赴任していた私の大学時代の友人がそのことを伝えてくれたが、私達が在学当時にはまだその伝統は作られておらず、普通のクラス別の合唱コンクールがあっただけだった。この継続も素晴らしいことだが、その後に紹介された郡山市の中学生創立60周年を記念してオーケストラと合唱を自前で組織して「第九」を演奏したというエピソードとその写真の迫力には影が薄いようだった。

Walter_beethoven9_2 今日は、ワルターがコロンビア響(第1から第3楽章はロスフィル主体で、第4楽章のみ別録音でニューヨークフィル主体のウェストミンスター合唱団との共演)を指揮した80歳過ぎのステレオ録音での第九を聴いた。10数年前に「第九」のバスパートを歌ったときに使った楽譜を持ち出してきて、そのパートの声を出してみたが、既に相当音程が怪しくなっていて驚いた。歌詞は忘れていないが、鑑賞では主旋律(通常最も高い音域)を耳にすることが多く、バスパートの音は普段意識しないので、あれだけ歌ったものでも忘れてしまうようだ。ワルターの録音は微温的というイメージがどうしても付きまとうが、高齢の巨匠の指揮による第九の録音は、上記のような珍しい録音ではあり、21世紀の今では少し大時代的ではあるけれど、重心の低い音響的な特徴もあり、大変豊かな気持ちになれる演奏だった。


p.s. 今更ながらの灯台もと暗しというものだが、上記の高校の校歌は、作詞が詩人草野心平、作曲があの小山清茂によるもので、どうして今まで意識しなかったのだろうと思うほどの大物によるものだった。ただ、校歌の歌詞自体は地名羅列的で格調は高いがそれほど詩的なものでもなく、メロディーも普通に西洋音階をつかったもので言われなければ小山清茂作曲とは分からないようなものだった。どのような伝手があり、詩と音楽の大家に校歌の制作が依頼されたのかは知らないが、今更ながら意外なことだった。

Wolfgang の 日本語での表し方は?

学生時代に第2外国語として履修して、辞書を使ってドイツ語のハンス・ケルゼンの憲法学の論文などを購読(輪読)した経験はあるが、いまやそれも霧のかなただ。

さて、ドイツ語の綴りで、文末の g を k (日本語表記では ク)と発音するということは、ドイツ語初級の教科書には必ず出てくる。

それで、学生時代から相当時間が経った一時期、Der Ring des Niebelungen を日本語的に表記すると デル(デア)・「リング」・デス・ニーベルンゲン か 「リンク」になるのだろうか、ニーベルングかニーベルンクか と迷ったことがあった。また、指揮者のKurt Sanderling については、雑誌やネットでは ザンデルリング と ザンデルリンク が混在している。これも 語尾の -ng の表記の問題だ。

さて、Wolfgang Amadeus Mozart や Johann Wolfgang von Goethe の 名前で知られる Wolfgang だが、こちらは ヴォルフガング と 最後の -ng が 「ング」とされる表記が一般的だ。これについては、 ヴォルフガンク という表記は、目にしたことがなかったが、中野雄『モーツァルト 天才の秘密』(文春新書 487)を読んでみたところ、「ヴォルフガンク」 という表記になっており驚いた。ヴォルフガンクという珍しい表記についての注釈はどうも見当たらない。ヴィーンの著名な環状道路のことは「リング」(環状線) p.240 と記述されているのにも関らずである。

この著者の著書は文春新書で『丸山眞男 音楽の対話』『ウィーン・フィル 音と響きの秘密』、宇野功芳などとの『CDの名盤』などを読んでおり、内容はそれなりに面白いとは思いつつ、どこで自分と波長がずれるのか分からないが、重箱の隅的な部分が目に留まることが何度かあり、自分にとってのその著書全体の信頼度が低下するということがこれまで結構あった。

『ウィーン・フィル』では、ジョージ・セルとヴィーンフィルの『エグモント』全曲の録音年の間違いや、『CDの名盤』では安易にドホナーニをハンガリー系の指揮者として分類していること(自分でもうっかりそうしてしまいがちだが、この人の場合、祖父が著名なハンガリー出身の作曲家だからハンガリー系とされてしまうので、仮に二代前の血筋を問題にすれば独墺系の音楽家でもハンガリー系とされる人は結構多いはずだ)とか、『考える人』の音楽特集での『アンナ・マグダレーナ・バッハ』の『バッハの思い出』をアンナ・マグダレーナ自身の筆になるもののように紹介していたこととか、つっこみどころが多いように感じている。(著名な演奏家の漏らした言葉など誰かの権威に頼る癖とかも気になる。)

モーツァルト生誕250周年の2006年に出版されたこの新書を最近入手して読み始めたところ、早速上記のような瑣末な表現が気になってしまった。

海老沢敏の大部の『モーツァルト』では、通称ナンネルとか表記されているヴォルフガングの姉の愛称を、ネンネルルとか、ヴォルフガングの愛称 ヴォルフガンゲルルとか特別な呼称で表記していて、そのこだわりがすごいと思っていたのだが、中野『モーツァルト』はあくまでも一般向けの読み物なので、どのようなこだわりがあったのか分からないが、普通の表記にしておいた方が、このようなつっこみがなくてよかったのではあるまいか?

まあ、それでもこのような表記の不統一については、自分でもうっかり知らず知らずでやっていることだろうし、外国語をそもそも日本語表記すること自体に不完全さが常に伴うので、その著書の中で一貫していればいいのかも知れないが。

p.s. 映画『アマデウス』はよくできた映画だったが、モーツァルトの有名な歌劇が英語台詞で歌われていたり、コンスタンツェがモーツァルトの愛称を呼ぶときに英語風の「ウルフィー」と言ったのは少し鼻白んだ。なお、漫画『のだめカンタービレ』で主人公ののだめが「モツアルト」「ベトベン」と舌足らず気味に言うのは主人公のキャラクター造形上の設定がそうなので違和感はあまりないが、それを他の人が真似するのは少し見苦しい。NHKやマスコミの社内規定表記の「ベートーベン」「バイオリン」問題もあるにはあるが、のだめ的な表記はオリジナリティの問題も絡むので。

追記:2008/12/23

中野雄『モーツァルト 天才の秘密』(文春新書 487)を通読した。2006年2月25日の第3刷だが、不思議な表記があった。モーツァルトの晩年を金銭的に支えたフリーメーソン仲間の商人Puchbergのことだと思うが、p.224ではプーホベルクと表記されており、p.248ではプフベルクとある。予備知識がなければ、この二つの表記では別人だと思ってしまうだろう。(私が知らないだけで、別人という可能性もあるのだが。) また、p.250 では、ワルター/ニューヨークフィルの『レクィエム』のモノーラル録音の録音年が1956年のはずが1965年と二回も繰り返されて記されている。1965年は既にステレオ録音時代なので、「モノラル」と書かれているので新発見の録音でもあったのかと思ってしまった。

読み物としては、中野氏特有の読みやすい文体でスラスラと読めるというのは、『丸山眞男 音楽の対話』『ウィーン・フィル 音と響きの秘密』と共通するところだったが、重箱の隅をつつくような指摘なのだが、表記の問題、あっさりと年代を間違えているようなところなど、あとがきで「遅筆、締め切り無視」などと弁解をしているが、編集者がまともに校正の仕事ができていない証拠ではあるまいか、とも感じてしまった。当時の時代背景や他国情勢、音楽家の地位などに記述を及ぼして、分かりやすい評伝になっているのは感じたが、「遅筆、締め切り無視」などをせずに、編集者とじっくり想を練れたら、もっと信頼性が置ける一般向けの伝記になったのだろうと思うと惜しい気がした。父レオポルトへの従来の俗説的な批判に対する擁護は結構読ませるものがあったが、なぜレオポルトが法律専攻の大学生から音楽家への道をあえて選択したのかの説明に(史料も乏しいのだろうが)十分な説得力がなかった。

『天才の秘密』については、最近流行りの脳科学を援用しているが、素質(遺伝)と環境の合成であるという議論に特に目新しいものはなかったし、旅がモーツァルトを育てたというのも従来から言われていたことだった。

晩年の『落魄』については、貴族制への批判が含まれるオペラ『フィガロ』『ドン・ジョヴァンニ』『コシ』が貴族層の反感を買っていたのではないかということが、はっきりとではないが語られていた。また心情をあらわにした晩年の諸傑作が「難しすぎて楽しめない」という理由で貴族層を中心とした聴衆、素人演奏家から見放されてしまったという点は従来の説通りだった。ただ、ここの書きかたは、自分の記事にも引用したがロビンス・ランドンの『モーツァルト - 音楽における天才の役割』の方がより納得のできるものだった。

P.158には、「しかしモーツァルトが、こうした壊滅的な家計の状態に陥った理由についてはよく判っていない。つい先日までの人気者に対して、なぜ ウィーンの上流階級がこのように急激に掌を返してしまったのかは、謎に包まれている。もし、こうした急展開を解明する資料があるとすれば、それらは失われ たのか、あるいはウィーンの膨大な古文書の中に埋もれているものであろう。」 また、P.162には、「1791年の12月にモーツァルトが死んだ時、 ウィーンの新聞は、このできごとをほとんど報じなかった。それは極めて異常なことであり、多くの点でいまだによく判らない謎であるが・・・」とある。

ハイドンは、当時滞在していたロンドンでモーツァルトの死去の便りを聞き、大変嘆いたというが、当時モーツァルトは神聖ローマ帝国の宮廷作曲家(楽長ではない)の地位にある公人でもあったので、現代の我々から見れば非常に不思議なことではある。

晩年、ロッシーニなどに人気を奪われて、ヴィーンでは人気音楽家ではなくなっていたベートーヴェンの葬儀にあたっては数多くの市民がその葬列に連なり、あのシューベルトが棺を担ぐなど音楽史的に見ても非常に印象的なものだったので、後世偉大な音楽家とされる人物の葬儀はすべからくこうであるべしという風に思ってしまうのだが、全欧から尊敬されていたハイドンにしてもそれほど盛大な葬儀ではなかったようなので、逆にベートーヴェンの葬儀自体が特別のことだったのかも知れない。

2008年12月20日 (土)

シフはもちろんだがコチシュもなかなか DPM22,39&40

2008年も残すところ10日余りだ。明日21日は冬至。

the winter solstice

midwinter

冬至から いの節だけ 伸びる

冬至 十日は 居座り〔冬至 十日は 日の座り〕

冬至 冬中 冬はじめ

さて、DPMには、これまでまったくCDを持っていなかったゾルターン・コチシュ(コチシュ・ゾルターン Kocsis Zoltan )の録音が数枚収録されている。ショパンのワルツ集(17曲)、そして大物がラフマニノフのピアノ協奏曲全集(第1番-第4番、パガニーニ変奏曲。ヴォカリーズのピアノ編曲版)がエド・デ・ワールト指揮のサンフランシスコ響との共演での録音だ。

コチシュは、1970年代に シフ・アンドラーシュ、ラーンキ・デジェーとともにハンガリーの若手ピアニスト三羽烏として紹介されたうちの一人で、当時はよくその名前や演奏を聞いたのだが、いつの間にか音盤的にはシフ一人飛びぬけた存在になっていたように感じていて、ラーンキとコチシュは私には「あの人は今・・・」的な状態だった。ところが、今回のDecca Piano Masterworks には上記のような大物が含まれていて今更ながら驚いたところだ。

気軽に聞いたショパンのワルツの、ストレートで鮮烈な演奏にも驚いたが、もっと驚いたのがラフマニノフのピアノ協奏曲第3番の攻撃的とも言えるようなテンポの速い演奏だった。

自作自演のラフマニノフ盤が快速だというのはよく知られているが、私の持っているキーシン・小澤盤などは特に第一楽章が非常にゆっくりしており、全編少し緊張感がない音楽だと思っていたほどだった。ところが、コチシュの演奏は猛烈に速く、速度としての緊張感が保たれ、この速度で細部まで音楽を表現できるのかと心配していると、猛烈な指回りで難所も難なく乗り切ってしまい、あっけに取られてしまったほどだ。第1楽章の第1主題は、このくらいのテンポ感で演奏される方が憂鬱と憧れが綯い交ぜになったこのメロディーの意味を把握しやすいように思う。また、第2主題との対比も鮮やかになり、この第1楽章がキーシン・小澤盤を何度も聞いても馴染めなかったのと違い、形式感も自然に出てくるように思う。

この第3協奏曲には難しい版と少し難度を下げた版があるといい、それにより演奏時間も多少左右されるとのことだが、コチシュ盤はどちらだろうか? ともあれ、陰鬱でもやもやしたラフマニノフとは異なるデリケートな魅力のあるラフマニノフがここにはいる。

ツィメルマン・小澤の第1番と第2番も明晰さでは優れていたが、それよりも期待していなかった分だけむしろこのコチシュとデ・ワールト盤には驚かされた。もちろん、この淡白で明晰なこの録音がラフマニノフ的ではないという意見も多いとは思うが、逆にラフマニノフが苦手な人にはラフマニノフ再発見となるような気もする。

(ピアノ協奏曲第3番 フィリップスレーベル 1983年録音)

なお、ここで収録のヴォカリーズは コチシュ自身の編曲によるもので、この編曲自身結構人気のあるもののようで、他のピアニストも録音しているようだ。(上記キーシン盤にもピアノ独奏が収録されているがこれとは異なる。)

2008年12月15日 (月)

フィギュアスケート GF2008 韓国高陽でのエキシビションで見えた感情

日曜日の夜は、大河ドラマ『篤姫』の最終回とグランプリファイナルのエキシビションが重なってしまったので、ドラマを優先させてエキシビションはビデオ録画しておいた。

大河ドラマの最終回はなかなか難しいと思う。昨年の『風林火山』は、膨大に撮った川中島の戦いの映像がもったいなかったということで本編が一回分伸びたのだが、それまでのそれなりの緊張感が相当間延びした感じになってしまい、延長は失敗したように思った。今回の『篤姫』は、江戸城の無血開城までの盛り上がりに比して、最後の2回分は、小説ならばエピローグとしてそれなりに趣があるのだろうが、このような映像作品では、篤姫晩年のエピソードをクロノロジカルに積み重ねるだけの淡々とした演出は、回想シーンもあまり入らず、少し説明調に過ぎて物足りないものがあった。来年は、『天地人』という題名の直江兼続(なおえかねつぐ)を主人公とした戦国時代ものになる。越後、会津、米沢が主要舞台となり、また秀吉、三成、家康などの大物も数多く登場する。これまで脇役としては知る人ぞ知る直江兼続で、原作の小説は未読だが、童門冬二の小説『直江兼続—北の王国』で知り、藤沢周平の『密謀』でも、司馬遼太郎の『関ヶ原』でも興味深く描かれた稀代の大補佐役の生涯は楽しみではある。ただ、『篤姫』並みの人気(視聴率)はどうだろうか?

さて、主題のエキシビションの方だが、男女のシングルの上位とペア、アイスダンスの上位が競技では見られない華麗な演技を披露する娯楽性の強いもので、競技よりもこちらを楽しみにするファンも多いようだ。テレビ番組の順番なので、実際の順序がどうだったかは定かではないが、2位の小塚が男子の最初の方で滑り(本家ドリフターズの"ラストダンスは私に")、そしてトリで浅田真央が『タンゴ』(誰の曲?)で素晴らしい演技を見せてくれた。その前がキム・ヨナで『ゴールド』という曲。こちらの出来も素晴らしく、会場からはものすごい歓声と拍手が聞こえていたが、浅田の演技では、見事なジャンプやスピン、ステップにもほとんど喝采らしい喝采が聞こえて来なかったのには驚いた。ブーイングはさすがになかったが、ジャンプで少しバランスを崩したときに口笛が聞こえたようだ(家族の談)。

会場の多くを占める韓国の人たちの気持ちを分からないではない。『ゴールド』で、キム・ヨナの金の舞を見たくてこのエキシビションのチケットを入手した人が多いのだろうとは思う。しかし、シーンとした少し異様な雰囲気の中で、誇り高く精一杯の女王としての演技をする浅田の姿勢に、逆に感動させられた。金メダリストに許されたアンコールでは、『仮面舞踏会』のステップシークエンスでのフィナーレを滑ったが、ここでも大喝采はなかった。

『国民の妹』を負かした日本のライヴァルに対して拍手喝采をすることをストレートに拒否する人もいるのだろうし、また紳士淑女的に拍手をしようとしても周囲の雰囲気のプレッシャーで結構躊躇いがあるのかも知れない、などとも思った。これが、まったく逆の立場で、日本開催でキム・ヨナが逆転で優勝し、浅田や安藤、中野などが後塵を拝した場合には、日本の観衆の反応はどうだろうかとも想像したが、恐らく優勝したキムにも惜しみない拍手喝采を送るのではなかろうか? なかなか考えさせられるシーンだった。

2008年12月13日 (土)

グランプリファイナル2008 女子シングル浅田優勝、男子シングル小塚2位

韓国 高陽市(調べたところソウル市の北西にある町で北朝鮮国境に近い)で行われたISUフィギュアスケートの女子シングルで、浅田真央選手が見事優勝を飾った。また、男子で日本人選手初の優勝を期待された小塚選手は惜しくも2位だった。

前夜のショートプログラムで僅差ながら、地元韓国のスター金 妍兒 (キム・ヨナ Kim Yu-Na)に点数面では遅れをとった浅田だったが、同年齢ライヴァル対決を制して見事3シーズン振りのグランプリファイナル優勝を飾った。浅田が前回優勝したグランプリファイナルは、ちょうどトリノオリンピックのシーズンにあたり、彗星のようにシニアの部に登場した浅田は一躍実力世界一にランクされたのだが、15歳というオリンピックの出場制限にわずかに達せずに、トリノオリンピック出場がかなわかった。その後の2シーズンは、キム・ヨナがグランプリファイナルの頂点を維持していた。ただ、2007/2008の世界選手権では、浅田が世界女王の座を獲得したのだった。

ここ数年、まだハイティーンの極東生まれの二人のスケーター、浅田とキムの対決が女子シングルのハイライトだったことは確かで、今シーズンはキムは絶好調、浅田も徐々に新コーチタラソワとの意思の疎通もスムーズになり演技もジャンプも調子が上がっていた。今回の対決は、来シーズンのカナダ・ブリティッシュ・コロンビア州でのヴァンクーヴァーオリンピックのプレシーズンということもあり、事実上のトップ二人のライヴァル対決に注目が集まっていた。

昨夜のショートでは、素人である我が家には不可解な判定で、浅田がキムの後塵を拝したこともあり、今日のフリースケーティングは祈るような気持ちでテレビ放送に見入った。

前回のグランプリシーリーズの日本でのNHK杯で挑んだが惜しくも2回目のジャンプが回転不足を取られてしまったトリプルアクセルを2回入れるプログラムに今回も果敢に挑み、浅田は上々のスタートを切った。少しスケーティングにスピード感を欠くように見えるほど、優雅なすべりだった。また、それだけ慎重に滑っていたのかも知れない。大技のトリプルアクセルの2回のチャレンジを今回は文句なく達成し、その後コンビネーションもスパイラルも順調にこなしてはいたが、ふと音楽が途切れた瞬間、トリプルジャンプにチャレンジしての着地時に久しぶりに転倒をしてしまったときには、思わず悲鳴をあげてしまった(後でスローを見ると回転軸が相当ぶれていたように見えた)。しかし、その後はそのショックも尾をひかない見事な精神力で、ストレートラインステップもこなし、最後まで集中したスケーティングだった。この時点では、コストナー、ロシェットが前夜の失敗から大きく挽回し、細かなミスがあった中野と、新プログラムのサンサーンスの交響曲第3番にチャレンジして決して悪くはなかった安藤をリードしていたが、浅田は彼女達を大きく上回る得点ながら、自己ベストやシーズンベストには及ばない比較的低い得点123点で、ショートとの合計が188点程度。190点台を数度出している浅田とキムのレベルではあまりよい得点とは言えず、少し暗雲が漂った雰囲気になった。(何しろ、浅田は女子初の200点越えを目標としているとのことだから。)

最終滑走は、キム。今シーズンの彼女のフリースケーティングは通して見るのは初めて。曲目は、R=コルサコフのポピュラーな『シェエラザード』を巧くパッチワークしたもので、曲想と演技がよく合っていて見ごたえがあった。今晩も昨晩と同じく、キムはトリプル・トリプルを前半で完璧に決めたので、いつもなら自分の応援する選手のライヴァルとは言え、失敗を祈ることなどないのだが、その後、キムも緊張感から珍しく転倒したり、前夜と同じく、スッポヌケの一回転が出たりしたときには思わず「やった」と声が出てしまい、次男に「父ちゃんが昨日母ちゃんに言ったことと違う!」と批判を受けるような言動をしてしまった。反省。キムが演技を終え頃には満員の観衆から盛大な拍手と歓声が巻き起こっていたが、キムの表情はもう一つさえない。浅田がトリプルアクセルを2回成功させていたことは恐らく知っていただろうし、それを凌ぐために彼女が絶対してはならない演技のミスをしてしまったことを強く自覚していたからだろう。結果が出るまで、また不可解な得点が出るのではないかと恐れていたが、ISUのフリーの公式スコア最終順位と得点の通りで、特にテクニカルな面で浅田がキムをリードして、最終スコアでは2点リードして浅田の優勝が決まった。(参考 WIKIPEDIA フィギュアスケートの採点方法

ホームディシジョンがあるかどうかは分からないが、浅田の優勝は、国際大会としては女子初の2回のトリプルアクセルの成功という、誰にも後ろ指をさされない圧倒的なアドバンテージをアピールできたことが大きかったと思う。

男子の小塚は、精一杯の演技だったが、アメリカのアボットのほぼノーミスの演技の前に惜しくも二位となった。これは昨年の高橋と同じ順位。高橋も非常に惜しかったが、小塚はまだ19歳で、これからに期待できる。

ともあれ、素晴らしい演技を見せてくれた選手達にありがとうとおめでとうを言いたい。

p.s. 最近の音楽のリズムが一本調子なものは少ないせいか、先日のNHK杯での手拍子も、今回の韓国での手拍子も、音楽とのズレが相当聞き苦しく、選手の応援になっていないように感じた。浅田はワルツのリズムということもあり、外部の応援でもあるが雑音にもなりかねない手拍子を意図してかどうか分からないがカットしていたが、キムはずれた手拍子に少し滑りにくそうだった。

ブラウザ Google Chrome 正式版にアップグレード

ネットニュースで Google Chrome の正式版がリリースされたことを知り、β版の設定メニューの Google Chrome について という項目をクリックしたところ、自動的に正式版 1.0.154.36 がダウンロードされた。

操作性はβ版のままだが、セキュリティや速度の点で改善があったという。

以前 β版をインストールして以来、グーグルのpicasa2(写真管理)、グーグルリーダー(RSSリーダー)、ドキュメント(オンラインビジネスソフト)、Gmail、カレンダーなどを使うようになったので、グーグルの戦略に乗せられてしまったのかも知れないとは思うが、Chromeを入り口にしたこれらのオンライン系と自分のPCの境をあまり感じさせない使い方は相当の利便性があるようには思う。

ただ、単体のウェブブラウザとしては、この cocolog の記事編集画面のプレーン、リッチテキストの二重使用などが出来ないので、上記のような Google ファミリーを使う以外の時にはもっぱら Firefox3 が出番になっている。 IEは6のまま。

Chrome の速さは非常に魅力だが、それでもカスタマイズという点では使いにくい。基本的なブックマークの管理が非常にプアであり 「最近追加したブックマーク」などと言う余計な機能を自分で削除、編集したりも出来ないのは、Googleは一体何を考えているのだろうか、というふうにも思う。

Google は、検索にしても、Earth にしても、Google desktopにしても、ストリートビューにしても、度肝を抜くような斬新さを発揮してはいるが、それが必ずしも世間の良識・常識に沿っているとは限らないように、USAのモンロー主義的独善性があるようで、どこか注意が必要な企業のように思う。

2008年12月12日 (金)

フィギュアスケート グランプリファイナル ショートプログラム 浅田僅差の2位

韓国 高陽市で今日開催されたフィギュアスケートのグランプリファイナルの第1日目、ショートプログラムでは、今シーズンのグランプリシリーズの上位6名の男女が参加して演技が行われた。

男子は、日本の小塚崇彦(こづかたかひこ)選手が、エースの高橋、復活した織田が出場できない穴を大きく埋めて、ショートプログラムをほぼノーミスで滑り、第1位で明日のフリースケーティングを迎えることになった。今シーズンは、アメリカンカップで1位、フランスカップで2位と昨年から大幅にステップアップして、世界の第一線の選手にランクインしている。この選手も、愛知県の出身とのことで、男女ともに愛知県が生んだフィギュアスケートの一流選手の数は特筆される。

さて、注目の女王対決、浅田真央とキム・ヨナのショートプログラムの演技では、素人目にはわかりにくい点数で、最終滑走のキム・ヨナがトップに立ち、僅差で浅田が2位になった。

最近ショートを苦手としてきた浅田だが、この夜の演技は、ほぼノーミス(三回転、三回転が少し回転不足だったらしい)で、ノーミスの演技者だけが持つ観客が思わず息を呑むような集中した演技を見せ、最後はライヴァルのキム・ヨナの母国開催とは言え、観客からは思わずため息が漏れるほどの素晴らしい出来だった。少し気になったのは、スパイラル・シークエンスに移動するときに片足を上げる際に少しぎごちなさが感じられた程度。ジャンプは三本とも上出来で、ステップはキム・ヨナを凌駕していたと思う。『月の光』の音楽とコスチュームの淡い紫色と水色の中間色、そしてスケーティングが相俟って見事なものだったと思う。

キム・ヨナの演技は、最初の三回転三回転は素晴らしく、これはまたも完璧な演技で浅田を大幅にリードしてしまうかと思ったが、さすがのキム・ヨナも母国開催でのプレッシャーがあったものか、次のルッツ(?)が一回転になってしまい、その後もそのミスを引きずった雰囲気で、シークエンスなどもいつもの安定感がそがれていたように感じた。それでも終盤の多彩な高速スピンの威力は素晴らしく、サン・サーンスの不気味な『死の舞踏』を用いてゴシックホラー的な黒い衣装を身にまとったキム・ヨナのスケートもやはりすばらしかった。

ただ、採点の基準は非常に細かく、素人には分からないミスや加点要素もあるのだと思うが、明らかな一回転ジャンプというミスのあったキム・ヨナが、ほぼ完璧な浅田をわずか0.5点程度でも上回ったのは解せないところだった。二人とも65点台という高得点だが、キムは芸術点で上回ってわずかにリードしたというところだったようだ。芸術点は、非常に主観的な要素の強いもので、細部の洗練さや技の切れなどの積み上げ的な部分ではキム・ヨナがわずかに上回るだろうが、全体的な印象という面では、ほぼ完璧な演技を見せてプログラム全体を滑りきった浅田の方に加点があってもよいのではないかと思う。まあ、ここは難しいところで、細部の積み上げの部分をおろそかにすると、全体の印象だけで点数が決まってしまうという大雑把な採点にもなるだろうから。

ただ、ISUの公式スコアを見ると芸術点と呼ばれるProgram Component Scoreを構成する5つの要素すべてで、キムが浅田を少しだけ上回っているというのは、解せない。

中野友加里は自己ベストの62.08点で3位。ロマンチックなショスタコーヴィチの『ロマンス』が印象に残った。直前の練習では素晴らしいジャンプを決めていた安藤美姫だったが、一番滑走ということもあり緊張したのかスピードが少し不足するような印象で、ジャンプで転倒してしまうなど55.44点で5位と出遅れた。イタリアのコストナー、カナダのロシェットは、集中力に欠けたのか振るわなかった。

明日のフリーでは、小塚の快挙、浅田とキム・ヨナの頂上対決が楽しみだ。

追記:2008/12/13 14:23 

今回の採点については、日韓のナショナリズム絡みでも相当問題視されるなどスポーツ界を越えた問題になっているようで、偏向採点かどうか調べているところ、2008年12月13日 新採点システムの落とし穴?コンビネーションジャンプにかかるGOEの不思議(blog EVERGREEN) という専門的で冷静な記事を見つけた。

これはこの採点システムについてときおり指摘されていたように思うがが、難しい技に挑戦して不完全になるよりも、より低いレベルの技を確実に決めた方が得点が高くなるということ非常に詳しく説明した記事で大変参考になった。

器械体操競技、新体操や飛び込み、シンクロナイズドスイミングなども技術の高さと正確さ、美しさが採点要素になっている点でこのフィギュアスケートと共通性があるが、今回の浅田の不完全だとは言え3回転3回転と、キムのスッポヌケの1回転ルッツでこのような得点の矛盾が生じるのは、それらの競技との比較でも不合理すぎるように思える。

2008年12月11日 (木)

ジャヌカン(没後450年)とセルミジのシャンソン集

Janequin_sermisy

クレマン・ジャヌカン(Clément Janequin, 1480年頃 – 1558年)

クローダン・ド・セルミジ(Claudin de Sermisy 1490年ごろ - 1562年10月13日)

シャンソン集 "Les Cris de Paris" (直訳では、『パリの叫び』だが・・・)

Ensemble Clément Janequin  ( Dominique Visse : contre-ténor, Michel Laplénie : ténor, Philippe Cantor : baryton, Antoine Sicot : basse, Claude Devôve : luth)

(harmonia mundi FRANCE HMC901072)

今年が没後450周年のクレマン・ジャヌカンと、その同時代の作曲家 クローダン・ド・セルミジのシャンソン集の録音。

ジャヌカンと言えば、アマチュア合唱団がよくやる『鳥の歌』とか『狩り』などは、私が以前属していた合唱団の先輩達は結構歌ったらしいが、私が属していた数年は残念ながら歌う機会はなかった。合唱団のロッカーには、楽譜はあったのだったが。

さて、このCDは、ハルモニア・ムンディのものだが、今年大いに売れたドイツ・ハルモニア・ムンディのものではなく、ハルモニア・ムンディ・フランスレーベルのもの。ただ、製造は made in W. Germanyとなっているのが面白い。

シャンソン(フランスの多声世俗歌曲)が19曲収録されているが、残念ながらこのジャヌカンの名前を冠した男声のみのアンサンブルによる『鳥の歌』は収録されていない。その代わりといってはなんだが、このCDを買うまでは名前も知らなかったセルミジという作曲家の曲を聴くことができる。ジャヌカンのように多声部の騒々しく忙しい音楽ではなく、リュートのみやびな響きを伴ったいかにも15、16世紀という雰囲気の落ち着いた音楽を聴かせてくれる。その反面、第5曲の"La, la maistre Pierre"のようにいかにも陽気なジャヌカン的な表現も見せる。

クレマン・ジャヌカン・アンサンブルは、カウンター・テナーのドミニク・ヴィス(日本語のホームページあり)により設立された団体で、今年30周年とのこと。上記のメンバー表によるとカウンターテナー、テナー、バリトン、バスの四重唱アンサンブル。

その点では、それより10年前に設立され今年40周年のUKのキングズ・シンガーズ(The King's Singers) はカウンターテナー2、テナー、バリトン2、バスの六重唱を基本としている。

世俗曲の歌唱ということもあるのだろう、特にカウンター・テナーには結構地声的、喉を閉めた発声も聞こえるが、有名な『戦争』(La Guerre とも La Batiile とも書かれている)などは非常に目覚しい。洗練された?フランス語の響きと、粗野な発声の対比が、意味も分からぬ歌詞から伝わってきて面白い。

15世紀末から16世紀前半を 歴史データベース on the Web で概観すると、欧州は大航海時代の幕開け、日本へは鉄砲、キリスト教が伝わり戦国時代への突入、ドイツはルターの宗教改革、イギリスはヘンリー8世からエリザベス一世の時代、フランスはユグノー教徒(1572年にはメディチ家出身のカトリーヌ・デ・メディシスによる聖バルテルミーの虐殺)、イタリアではマキアベリやレオナルド達が生きていたルネサンスの最盛期だった。

2008年12月10日 (水)

マリアン・アンダーソン 黒人霊歌集

アメリカの生んだアルト(コントラルト)歌手、マリアン・アンダーソンの名前を初めて知ったのは、高校の英語のリーダー(Reader)のText所収のアンダーソンに関する小伝だったと思う。もう記憶はあいまいになっているが、確かトスカニーニの名前も登場した。Contraltoという女声では最も低い音域からソプラノ並みの高い声域まで数オクターブに渡るムラのない美声が特徴だったというようなことが高校生向けの英語で書かれていたような気がする。

昨夜、12月になったというので、クリスマスに縁のあるCDを棚から居間に持って来て少し聴いたのだが、それをきっかけにこども達に『黒人霊歌』のことを少し話した。

『黒人霊歌』は、コーラス団体に入って歌っているときに、"Swing low, sweet chariot"や"Deep river" ,"Sometimes I feel like a motherless child" ,"Nobody knows the trouble I see" , "Joshua Fit The Battle Of Jericho" など、定期演奏会で歌ったことがある(少しうろ覚えだが)。そのときには、ロバート・ショー合唱団ロジェー・ワーグナー合唱団(Roger Wagner Chorale) の『黒人霊歌集』のCD(確かEMIのSeraphimレーベルの廉価盤)を持っていて、合唱団の仲間と回し聴きをして楽しんだものだった。誰かに貸したまま、そのまま行方不明になっている。今では廃盤のセラフィム盤(現在では全く同じものではないが黒人霊歌集の国内盤が入手可能)は10曲以上収録された結構素晴らしい録音のもので、その当時乗っていたホンダシビックフェリオに取り付けたアルパインのカーステレオでよく聴いたりしたが、合唱団の団長もいい録音だと感激してくれたものだった。(同じ Rで始まるUSAの合唱指揮者なので、ついつい間違えてしまう。Robert Shaw の方は、トスカニーニの第九での合唱指揮者も務めており、後にオーケストラも指揮した人だった。)

さて、このマリアン・アンダーソンの Spirituals (以前の言い方では Negro Spirituals と差別的なニュアンスのある表現をしたものだった。先に取り上げたドヴォルザークの弦楽四重奏曲第12番『アメリカ』も今ではほとんど忘れられているがかつてはなんと"Nigger"という今では考えられないようなニックネームを付けられていた時代もあった。)だが、マリアン・アンダーソンを本格的に聴くのは、このCDが初めて。1936年から1952年に掛けてのピアノ伴奏による独唱曲として歌われているもので、もちろんすべてモノーラルだが、当時のRCAの技術の高さか、それともリマスタリングが成功したのか、1950年代の録音ではほとんどスクラッチノイズもなく、深深としたマリアン・アンダーソンの歌唱をストレスなく味わうことができる。

なお、このマリアン・アンダーソンの甥にあたるのが、日本でも活躍したアメリカの黒人指揮者 ジェームズ・デプリーストであるということは、このCDで初めて知った。のだめファンには、あのルー・マルレ・オーケストラの音楽監督で、シュトレーゼマンの唯一の指揮者の親友であり、唯一の実名登場人物で、作中では「デプさん」と呼ばれている。

2008年12月 9日 (火)

2009年が記念年の作曲家

今日は昼過ぎから雨が降り始め、夜には相当雨脚も強まった。

少し気が早いが今回も歴史データベース on the Web のデータをお借りして、エクセルで検索してみた。

書き出して(というよりコピーアンドペーストして)みると、ハイドンの没年にメンデルスゾーンが生まれたというのに気が付いた。また、ヘンデルの没後250年に当たる。

生誕100年の著名作曲家は見つからなかった。しかし、2008年にはカラヤンや(最近知ったが)オイストラフが生誕100年だったように、恐らく演奏家では生誕100年の大物は何人かいるのではないかと思う。

◆没後50年 

・1959/07/15没 ブロッホ(Bloch.Ernest)没78歳(誕生:1880/07/24)作曲家「シェロモ」を作曲した
・1959/08/28没 マルティヌー(Martinu.Bohuslav)没68歳(誕生:1890/12/08)作曲家「大騒動」を作曲した
・1959/11/17没 ヴィラ=ロボス(Villa-Lobos.Heitor)没72歳(誕生:1887/03/05)ブラジルの作曲家
・1959/11/26没 ケテルビー(Ketelbey.Albert)没84歳(誕生:1875/08/09)イギリスの作曲家

さすがに50年前に亡くなった作曲家となるとスイス(後にアメリカ)のブロッホ、チェコのマルティヌー、ブラジルのヴィラ=ロボス、そしてライトクラシックの作曲家だがイギリスのケテルビー(サー・クリフォード・カーゾンのおじに当たる)など多彩だ。

◆没後100年
・1909/05/18没 アルベニス(Albeniz.Isaac)没48歳(誕生:1860/05/29)スペインの作曲家

◆生後150年
・1859/11/19生 イッポリトフ=イワーノフ(Ippolitov-Ivanov.Mikhail)  ロシアの作曲家

◆没後150年
・1859/10/22没 シュポーア(Spohr.Louis)没75歳(誕生:1784/04/05)「イェッソンダ」を作曲した作曲家

◆生後200年
・1809/02/03生 ドイツの作曲家メンデルスゾーン(Mendelssohn.Felix)誕生

◆没後200年
・1809/05/31没 ハイドン(Haydn.Franz Joseph)没77歳(誕生:1732/03/31)オーストリアの作曲家

◆没後250年
・1759/04/14没 ヘンデル(Haendel.Georg Friedrich)がイギリスで没74歳(誕生:1685/02/23)ドイツの作曲家

◆没後300年
・1709/02/08没 トレリ(Torelli.Giuseppe)没50歳(誕生:1658/04/22)作曲家でヴァイオリニスト (トレルリ)

追記:奇しくも「2005年2月11日 (金) ヘンデルとハイドンの不人気」で取り上げた大作曲家の2人の記念年になる。ハイドンでは、早速ドラティ指揮のフィルハーモニア・フンガリカによる先駆的な交響曲全集の廉価ボックスが発売されて注目を集めているようだが、ヘンデルはどうだろうか?

2008年12月 8日 (月)

12月の12番はドヴォルザークの弦楽四重奏曲第12番『アメリカ』

1941(昭和16)年の今日、日本とアメリカは交戦状態に入った。映画『トラトラトラ』で描かれた真珠湾攻撃がおこなわれ、1945(昭和20)年8月15日の敗戦に至るまで巨大国United States of America と日本が総力戦で戦った第二次世界大戦の火蓋が切られた日にあたる。こども達に、父(こどもにとっては祖父)は当時幼かったが「大本営発表のラジオニュース」を聞いた記憶があると語ってくれたという話を夕食の時にした。

そして、我が家では、私の母方の祖母の命日にあたる。

さて、12番という番号で直ぐに思い当たるものがなく、ネットで検索したところ、有名曲では、作品12では、シューマンの『幻想小曲集』、第12番ではショスタコーヴィチの交響曲第12番『1917年』、そしてこのドヴォルザークの有名な弦楽四重奏曲の『アメリカ』が見つかった。

シューマンの曲も書きたいところだが、すでにアルゲリッチの録音を入手できたときに喜んで書いてしまっている。

『アメリカ』四重奏曲は、弦楽四重奏曲の入門編としてよく挙げられる非常に親しみやすい曲だが、しばらく向き合って聴いたことがないので、じっくり聴いてみたい。

手持ちのCDは2枚。一枚は既に相当以前に記事にしたスメタナクァルテットのEMI録音(1966年)。もう一枚もカップリングのボロディンの弦楽四重奏曲第2番を記事にしたことのあるCDに収録されているヤナーチェククァルテットのもの(1963年録音)

LP時代には、この短い曲をLPの両面にたっぷりと余裕を持って録音したDENONレーベルの日本でのPCMライヴ(岐阜)盤を愛聴していた。このLPは、カッティングに余裕があったためか、実に生々しい音色で録音されていた。当時絶大な人気のあったスメタナ四重奏団の特別盤として発売されたものだったと思う。1978年の録音だったはずだ。

それに比べてCDの録音はいずれも古いものだ。スメタナ四重奏団は1966年、同じチェコのヤナーチェク四重奏団のは1963年。

                               SmetanaQ       JanacekQ
Allegro ma non troppo  6:55                7:00
Lento                        7:55                8:05
Molto vivace               3:26               3:52
Vivace ma non troppo  5:45               5:49

タインミングを比較すると、ほとんど瓜二つの所要時間で驚いた。いずれもチェコの団体なので、規範的なテンポ感覚があるのかもしれない。

スメタナQのは、この曲を何度も録音しているこの団体としては、相当古い方に属する録音であり、聴きなれたDENON盤とは違うEMI録音だが、自分にとっては親しみやすい。上記にリンクした旧記事では、リマスタリングに対して文句を連ねたが、ここ数ヶ月聴いている廉価なソニー製ステレオイアフォンで聴くと高音の鮮度もそれほど失われているようには聞こえず、四本の弦楽器のアンサンブルを十分楽しめるものになっている。特にヴィオラの活躍がよく聴かれるのがうれしい。ドヴォルザークは、プラハの国民劇場のオーケストラでヴィオラ奏者だったこともあるためか、ヴィオラが主要旋律を歌うことが結構多いようで、それがくっきりと聞き取れる。

ヤナーチェクQの録音は、このCDで初めて聴いたのだが、スメタナQの(十分に表情豊かなのだが)よく整った趣きに比べて、より柔軟であり、またスメタナQに比べて(この演奏が基準になっているので)、少し崩しがあるようにも感じられるが、楽器バランスなどの違い、音色の違い、歌いまわしの違いから、耳慣れたこの曲の別の面も味わえるような感じだ。

19世紀末のUnited States に、チェコのプラハ音楽院の教授職を休職して、ニューヨークの音楽院院長として赴任したドヴォルザークは、ホームシックにかかりながらもここで彼の畢生の名作を作曲したのだから、人生というものは分からない。彼の最もよく聴かれる『新世界』交響曲、傑作チェロ協奏曲、そしてこの『アメリカ』というニックネームのつけられた弦楽四重奏曲はどれもアメリカ滞在中に作曲された。

速筆だったドヴォルザークだが、この充実した傑作がたった15日ほどで完成したというのはモーツァルト並みのスピードだと思う。アイオワ州のスピルヴィルというボヘミアからの移住者たちのコミュニティーを訪れ、郷愁の感情が高まったものか、それともホームシックが癒されたものか、この弦楽四重奏曲には、ノスタルジアとも癒しとも言える感情が満ち溢れているようだ。

しかし、第四楽章だけは、郷愁や望郷というよりも非常に運動性の高いあるものを連想させる音楽になっている。上記のLPを聴いていた頃、ドヴォルザークの伝記を読んでいたところ、彼がボヘミアに居た頃から大の機関車マニアで、ニューヨークでも暇さえあれば操車場の機関車を眺めに行ったというエピソードが書かれてあり、この楽章の快適なリズムと弾むようなメロディーは、機関車での快適な旅の様子を描いたものではなかろうかと思ったことがある。これは以前更新していたホームページにも書いたことがあった。印象とエピソードという間接的な状況証拠とも言えない根拠しかない単なる思い付きだが、疾走する蒸気機関車の「シュシュ・ポポ、シュシュ・ポポ」と快適に刻むリズムがどうしても聞こえてくる。

先日、DENONの2枚組みで、ボドとチェコフィルによるオネゲルの交響曲全集を求めたのだが、その中に以前から一度耳にしてみたいと思っていた交響的運動『機関車パシフィック231』という曲が収録され聞いてみた。重量級の機関車が静止状態から動きだす様子がオーケストラによって克明に描かれてはいたが、疾走する情景は残念ながらないようだった。ドヴォルザークの『アメリカ』の終楽章ほど機関車(鉄道)の疾走感が味わえる音楽はそうはないような気がする。

2008年に一応書いてきた月番号と同じ数字に関係する曲の記事一覧:

11月 ショスタコーヴィチの交響曲第11番『1905年』

10月 マーラーの交響曲第10番

09月  ドヴォルザークの交響曲第9番ホ短調『新世界から』

08月 シューベルトの交響曲第8番(第7番)『未完成』D.759

07月 ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第7番

 プレヴィン/LSOのヴォーン・ウィリアムス『南極交響曲』(交響曲第7番)  

06月 DHM-6,7 J.S.バッハ ロ短調ミサ曲 (6月の6番は

05月 ベートーヴェンの交響曲第5番

04月 ブラームスの交響曲第4番
    カラヤン(77-78),  ヴァント(85),  C.クライバー, ベーム(75)小澤(89) 
    (4月ということで4に因む曲に想いを馳せる)
    ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲第4番

03月 メンデルスゾーン 交響曲第3番『スコットランド』

02月 ニールセン 交響曲第2番『四つの気質』    ラフマニノフ 交響曲第2番 初演満100周年
     

01月 ブラームス交響曲第1番 , ブラームス ピアノ協奏曲第1番 , シベリウス 交響曲第1番

ちなみに、2008年は、誕生年がプッチーニが生誕150年、ルロイ・アンダーソンとメシアンが生誕100年を迎えた。没年では、古いところでは、ジャヌカンが没後450年、リムスキー=コルサコフとサラサーテが没後100年、ヴォーン=ウィリアムスが没後50年、と年初に記念年を書き出したが、これらの作曲家の作品を集中的には聴いてみていないので、落穂拾いではないが、12月に少し聴いてみようと思う。

2008年12月 7日 (日)

加藤周一氏 遠藤実氏逝去

昨日の新聞の夕刊一面に、加藤周一氏が89歳で逝去された記事が掲載されていた。

氏の著作では、高校時代に岩波新書の青版の『羊の歌』を読んだことがある程度で、近年は朝日新聞の夕刊『夕陽妄語』を読んでいたくらい。本格的な著作には触れたことがない。

2008/12/8 追記:加藤周一氏の著作リストを見ていたところ、『日本人とは何か』(講談社学術文庫)、『日本人の死生観』(岩波新書)も読んだことがあるのを思い出した。前者は大学のゼミでの輪読の題材で、このほかに中村元、木下順二、丸山真男などを読んだのだった。後者は何の折に求めたのか、やはり日本人論をいろいろ読み漁っていた頃だったかも知れない

高校の時に読んだ『羊の歌』には旧制中学校時代に軽井沢に疎開していた氏が、その疎開中に私の家の近所にある旧制岩村田中学校に一時期通学していたことが書かれていて、高校のクラスでも話題になったことがあった。どうもこの題名が中原中也の詩集『山羊の歌』と似ているので、混同してしまうことがあって困ったことがあるが、これは意識的につけたものだったのだろうか?本文に題名の由来は書かれていたように思うのだが。

主著である『日本文学史序説』は、自分では読んだことがなかったが、私が就職した後、大学で日本文学関係を専攻していた弟にプレゼントしたことがある。今でも読んで見たい本の一つだ。

今朝の朝刊では、大江健三郎が寄稿し、井上ひさしが加藤氏逝去について談話を寄せていた。

作曲家の遠藤実氏の逝去は、同じ夕刊の社会面に掲載されていた。島倉千代子の『からたち日記』、千昌夫の『星影のワルツ』、『北国の春』、渡哲也の『くちなしの花』、舟木一夫の『高校三年生』、森昌子の『先生』など彼の作曲した曲の題名を見ると、演歌・歌謡曲ファンとは言えない私でも、すぐにメロディーが浮かんでくるようなヒット作揃いで、これまで遠藤氏の曲だということを知らずにいた曲がほとんどだった。どれも個性的な作品だと思う。

お二人の冥福を祈りたい。

2008年12月 6日 (土)

寒冷前線が通過した日

昨日は西から寒冷前線が急速に接近して通過して行った。

仕事上特に冬季は交通状況や天候状況をときどき確認するのだが、降水状況を確認している気象庁のサイトで解析雨量と天気図を一緒に見てみると、ちょうど静岡県付近で寒冷前線の位置に赤い降水量のしるしが一直線上に重なっているのが見えた。

気象の教科書に載るような典型的な寒冷前線ではないかと思っていたところ、関東南部でも、午後4時ごろからにわかにかき曇ってきて風雨が強まった。北西側の窓から見ると、西側から黒い雲の塊が次第に押し寄せてくるのが分かった。午後6時ごろには雨も風もおさまったようで、帰宅にはまったく支障がなかったが、最寄り駅から自宅に帰る途中、一昨日の朝方はようやく木全体が黄葉して美しく照り映えていた神社の二本の公孫樹の大木がほとんど葉を落としていて、その下の歩道に黄色い葉がじゅうたんのように敷き詰められているのに気が付き驚いた。ここの公孫樹は銀杏が成らない雄木のようで、この公孫樹の下は臭くならないのだが、今日は公孫樹の葉の甘い香りが漂っていた。

携帯電話のカメラで写真を撮ってみたもの。夜間モードにしてもボケボケになってしまったが、一応記録として。
F1000043 歩道のイチョウの葉。


F1000044 半分以上葉を落とした公孫樹の大木。

帰宅してニュースをつけると、横浜市では最大風速30m/s近くを記録するなど、大荒れの天気だったようで、ちょうど帰宅時間と重ならなくて助かった。


200812051210

下の天気図とほぼ同時刻の降雨状況。前線と降雨の位置が見事に合っている。

08120512

2008年12月 3日 (水)

シューベルト ピアノソナタ 第16番イ短調 D845 ルプー DPM44

このところ音楽は、DECCA PIANO MASTERWORKS(DPM)ばかり聴いている。昨夜は、ラドゥ・ルプーのピアノで、シューベルトの ピアノソナタ第16番イ短調 を聴いた。

1979年1月録音ということだが、私が苦手とするデッカ的な滲みのある音色はあまり気にならず、聴くことができた。

このソナタは、漫画「のだめカンタービレ」ファンにはおなじみの曲で、それまで幼稚園の先生を夢見ていた主人公のだめが、一念発起してコンクールに挑戦したときに弾いた曲だ。この曲を弾いたのだめは、すっかりコンクールの聴衆を魅了し、審査員たち、特に後に師匠となるオクレール教授の注意を引くきっかけにもなった。

シューベルトのソナタは、のだめではないが、ベートーヴェンなどに比べてなかなかとっつきにくく、ブレンデルの録音で馴染んだ最後のソナタ第21番と、リヒテルの東京ライヴの第13番イ長調が比較的親しく、そのほか「海辺のカフカ」の第17番ニ長調 を少し興味を持って聴いた程度。後期三大ソナタの第19番、第20番もケンプのCDで聴いたが未だピンとこない。

この第16番イ短調のソナタも「のだめ」のアニメで第一楽章冒頭が使われたが、いかにもシューベルト的な少し野暮ったいような飄々としたメロディーで始まるソナタは、モーツァルト、ベートーヴェン的な構成的・論理的なソナタ書法とは相当異なる類の音楽という趣きで、一種不思議な魅力のあるものだった。

今回、このDPMの44枚目にたまたま収録されていたので、じっくり聴く機会を得た。2度ほど通して聴いてから、IMSLPを検索すると、この曲の楽譜も収録されており、PDFでダウンロードして参照しながら聴いてみた。アナリーゼは適当だが、一応メモとして。

第1楽章 Moderato イ短調 2分の2拍子。12:28 ユニゾンで奏でられる不思議な雰囲気なメロディアスな主題がこの不可思議な情緒の楽章のテーマとなっており、第2主題の八分音符のリズミカルな主題と組み合わされ、ソナタ形式を形づくっているが、テンポがモデラートということもあり、既にモーツァルト、ベートーヴェン的な推進力や疾走感のある方向性が明確な音楽ではなくなっている。誠に不思議な音楽だ。

第2楽章 Andante, poco mosso ハ長調 8分の3拍子。11:56 第1楽章のとらえどころのない情緒の音楽と比較すると、古典的で、ベートーヴェンの後期のソナタの一楽章といわれても違和感のないように聞こえるが、唐突な転調がシューベルトらしい。第3変奏のハ短調に聴かれる悲劇的な感情と第4変奏の変イ長調(フラット4つ)の流麗なパッセージはシューベルト的だ。第5変奏はハ長調に戻って狩のホルン的な五度が聴かれる三連符の連続による変奏。ここまでで24分ほどになる大ソナタだ。

第3楽章は、Scherzo(Allegro-vivace) - Trio(un poco piu lento) ハ長調 4分の3拍子。7:15 イ短調とハ長調を行き来する不安定な雰囲気のスケルツォ主部。その後転調の多い、展開的な部分が長く続き、途中イ長調まで転調する。トリオはヘ長調で穏やかな雰囲気になる。動機的にはスケルツォ主部をひきずっているが、転調が多く不安定なスケルツォとの対象がなかなか印象的だ。

第4楽章 Rondo Allegro vivace イ短調 4分の2拍子。5:02 これもとらえどころがない感じのロンド。ひそやかなロンド主題で開始する。リズム的には、一定な拍節ではなく、変化をつけた工夫が凝らされている。相当劇的な表情も見せたり、ころっと表情が変わったり、モーツァルト以上に情緒の転換が激しい感じの音楽だ。全体では35分を越えている。コンクールでのだめが全曲演奏したとすると、長すぎるのではなかろうか?

単に聞き流してしまうと、不思議な曲というだけで印象にそれほど残らないかも知れないが、これも「のだめ」の千秋の台詞ではないが、「きちんと曲に向き合って」「聴く」ことによって、少しはこの曲、作曲家の言いたいことも分かるのかも知れない。

曲の成立事情や、作曲当時のシューベルトについてはよく知らないが、ピアノの腕前があまり達者ではなかった(といっても大ピアニスト揃いの大作曲家たちに比べてだろうが)と言われるシューベルトは、誰による演奏を目当てにこれら一連の大ソナタを書いたものだろう?

2008年12月 2日 (火)

12月1日夜 18時頃 南西の空に 木金月揃い踏み

F1000039_2 昨日の帰宅時、駅の歩行者デッキを歩いていると、すれ違った人たちが「ジュピター」が綺麗に見えると洒落たことを言うので、振り返ってみると、上から木星、金星、月が狭い範囲に寄り添うように輝いていた。

左のぼけぼけの写真は、携帯電話のカメラを一応デッキの手すりに固定して撮影したのだが、少しよくばって望遠にしたのでボケてしまったようだ。

今日の朝刊の一面にちょうど同じような読者投稿?の写真が掲載されていた。「三重奏」と洒落た題が付いていた。

金星と木星は、最近ではこの日に最も近づいたのだという。

天空上は、仮想の天球に存在するように見えるが、太陽系では金星と木星は大変離れている。

それでも、ゼウス(ジュピター)とアフロディーテ(ヴェヌス)とアルテミス(ダイアナ)が、このように寄り添うのはなかなか意味深い、ように思えた。

2008年12月 1日 (月)

今日から12月

先日録画しておいたムーティ指揮のヴィーンフィル来日公演の模様は結局ほとんど見なかった。プログラムがどうしてチャイコフスキーの第5番なのだろうか。アンコールは全曲通してみたが、ヨーゼフ・シュトラウスのヴァルツ『マリアの思い出』とかいう曲。ムーティ先生は、楽譜を見ながら指揮していたが、ヴィーン・フィルのコンマスのキュッヘル?(相当太った?)が主にリードしていたように見受けられた。生演奏を聴けばそれなりに感動できのだろうとは思うが、何とも「必然性」を感じさせない贅沢なコンサートのようだった。

その後に続けて放送された神奈川県立音楽堂での収録のラ・プティットバンドのコンサートは面白かった。先日「無伴奏チェロ組曲全曲 寺神戸亮(ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ)」が話題になったが、彼の師匠であるジギスヴァルト・クインケンが同じくヴィオロンチェロ・ダ・スパッラを演奏してヴィヴァルディのチェロ協奏曲を聞かせてくれた。妙に大きいヴィオラ?と思っていたら、これが噂の楽器だったわけだ。曲そのものは聴き応えがなかったが、興味は満足できた。それにしてもあの巨大な楽器を肩に掛けてヴァイオリンのように弾くのは相当の体力が必要ではなかろうかと思わされた。復元楽器だというが、古楽もとうとうここまで来たのかと思った。

ところで、このところ、先々週の土曜日に届いたDECCA のPIANO MASTERWORKS(DPM)をこのところ毎日のように聴いて楽しんでいる。これは本当にいい買い物だった。比較的最近の録音が多く、またCDの質がいいのか、ざらついた音質のものが少ないので楽しんで聴ける。

ただ、驚いたのは、楽しみにしていたグルダのバッハの『平均律』が、第1巻、第2巻がそれぞれ2枚づつではなく、第2巻が第1巻が収録されたCDの後に3曲収録されているのだ。収録的にはCD5 69:52 で、第1巻のNo.1からNo.15。CD6は67:31で第1巻のNo.16からNo.24と第2巻のNo.1からNo.3。CD7は71:24で第2巻のNo.4からNo.14。CD8 67:52 は、第2巻のNo.15からNo.24。

グールドのCDは、第1、第2巻がちょうど2枚づつに分かれていたし、グルダのCDでもフィリップスのDUOシリーズの2セットは第1巻、第2巻をちょうど2枚づつに編集しているようだが、こちらは相当無理な収録の仕方なのだろうか?第2巻のNo.1からNo.3は合計すると13:07になるので、CD7とCD8に割り振っても結構無理な収録時間になってしまうようだ。

さて、今日またHMVのサイトを覗いてみたところ、今度はDVMとでも表せる Violin Masterworks 35CD が二匹目の泥鰌?で発売されていた。リーラ・ジョゼフォヴィッツというヴァイオリニストは知らないが、ラインナップは結構聴き応えがありそうなものになっている。なお、今更だが、DHMもそうだったが、このようなオムニバス・ボックスセットは、どうも作曲家のアルファベット順で収録されているようだ。ベートーヴェンのソナタ全集は、モノーラルながらグリュミオーとハスキル。モーツァルトは勿論選集だが、シェリングとヘブラー。

さて、とうとう師走。アメリカの金融危機から始まった不況は、世界経済にこれから相当大きい爪あとを残しそうな様相になって来た。戦後最大の不況になるかも知れないという巷の声も聞こえる。私の親の世代は、子どもの時に戦争を経験し、肉親を戦争で失くしたりもしたり、食糧難で栄養失調にもなった経験を持っている。その子どもの世代である私たちは、特にこの日本では交通戦争や公害問題、受験戦争にはもまれてきたが、それなりに戦後の繁栄を謳歌してきた世代だった。ここに来て、この不況の足音は、これまでにないものになるかも知れないように感じ始めている。景気の問題は、個人レベルでどうこうできるような問題ではないが、過去の経済学者たちの多くがこの景気の循環の謎に挑み、またそれへの対策を講じてきたことを、昨今の金儲けに走ったノーベル賞まで取った経済学者たちはどう考え、自分達の責任をどう取るつもりなのだろうか?デリバティブとか言われる金融派生商品は、現代の金融にはなくてはならないものだというコラムを読んだけれども、サブプライムなどという基盤の脆弱なものに投資を集中させたという点だけ見てもお粗末極まりないような気がしてならない。

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