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2009年4月の9件の記事

2009年4月30日 (木)

『イヴの七人の娘たち』 (ブライアン・サイクス著)

大野晶子訳、ソニー・マガジンズ刊。2001年11月10日 初版第1刷。

ミトコンドリア・イヴ。

現代ヨーロッパ在住の人々の七人の母系先祖。

現代日本在住の人々には九人の母系先祖がいるという。

同じ著者の『アダムの呪い』をずい分以前に読んだことがあったが、その前に出版されて話題になっていたもので、長いこと読みたいと思っていたものがようやくブックオフで入手できた。

当時話題になり、女優の天海祐希が共通のミトコンドリア遺伝子を持つ女性を中国、シベリアに訪ねるという番組をみて面白かった記憶がある。

ただ、読了後、WIKIPEDIA での「ミトコンドリア・イヴ」の解説を読むと少し理解が混乱するようなところが出てくる。

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2009年4月26日 (日)

Doblogの今後の対応が決まったらしい

Doblog編集部です。

2009年2月8日の障害発生以来、皆様に御迷惑をおかけし大変申し訳ございませんでした。障害発生の前日の2月7日のバックアップデータを用いてサービスを一時的に再開させて頂きます。

<サービス終了のお知らせ>
Doblogのサービスを、2009年5月30日(土)をもちまして終了いたします。なお、終了にあたり、ブログ移転先の周知等のためにサービスを一時的に再開いたします。

Doblogは、2009年2月8日(日)午前10時頃よりハードディスク故障のためにサービスが停止いたしました。
故障発生以降、情報(記事データ、画像データなど)の復旧と、復旧した情報をダウンロードできる環境の構築作業を実施してまいりました。

一連の復旧作業により、故障発生の前日である2月7日未明時点のバックアップデータが復旧いたしました。
2月7日未明以降のバックアップデータは存在していないため、復旧作業を終了いたしました。
試算では99%以上の情報は復旧できたものと考えておりますが、全ての情報の復旧には至りませんでした。
復旧させることができなかった情報を投稿されたユーザーの皆様、長きに渡るサービス停止によりご利用いただけなかったユーザーの皆様にご迷惑をおかけいたしましたこと、深くお詫び申し上げます。

復旧作業の終了を受け、今後のDoblogについて検討した結果、Doblog開設時の目的である、ブログシステムを構築するための技術的知見、およびコミュニティサービスを運用・運営するためのノウハウの蓄積については十分に達成できたものと考え、サービスを終了するという判断をいたしました。

<一時再開について>
サービス終了にあたり、本日より5月30日(土)までの間、ブログの移転先を周知していただくなどの利用のために、従来のDoblogとしてのサービス(書き込み・閲覧など)を再開いたします。
(ただし新規ユーザー登録、ホットリンク機能、メール投稿機能に関しましては、ご利用いただけません。)

再発防止として、情報のバックアップ方式、及び故障検知機能についても社内の専門チームとの連携の上、見直しを行い強化いたしました。
再開と並行してこれまでご提供してきた記事・画像などのダウンロード機能も継続してご提供いたしますが、ダウンロードできる情報には再開後の情報は含まれません。
2009年2月7日までの記事に関しましてはダウンロードデータ(MTフォーマット)を順次ご提供させて頂く予定です。

サービスの終了および限定的なサービス再開のお知らせについては、ご登録いただいたユーザーの皆様へDoblog編集部よりメールにてお知らせいたします。

2003年11月4日より実験サービスとして開始したDoblogをご利用いただいたユーザーの皆様には感謝申し上げるとともに、故障発生以降、以前と同様のサービス再開を心待ちにされてきたユーザーの皆様のご期待に沿うことができず、また多大なるご迷惑をおかけしてしまいましたことを深くお詫び申し上げます。

2009年4月24日
Doblog編集部

今回のハード障害の相当前に更新を中止していた 身近な風物を写し俳句和歌を詠む だが、ダウンロード機能を使ってバックアップを取るかどうかは思案中。MTフォーマットがどんなものか分からないが、多機能なcocologでも完全なバックアップは取れないので、結構面倒そうだ。

クラシック音楽CDの人気ブログ mozart1889さん の クラシック音楽のひとりごと は、私もDoblog中断前は、毎日のように訪問させてもらっていたが、これだけの膨大な記事とコメント、トラックバックとなると、既に一つの情報資産のようなものであり、これがどうなってしまうのか、心配なところだ。

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2009年4月25日 (土)

カーペンターズ 結成40周年 (1969年4月22日命名)

4月22日朝7時台のNHK総合テレビのニュースで、その日がアメリカの1970年代に活躍した兄妹によるThe Carpenters の結成40周年ということで、朝の時間には珍しく、10分程度の特集的な放送をしていて、忙しい時間帯ながらつい見入ってしまった。(Wikipedia によると 命名日だそうだ。)

今日、CD棚を探したところ、1995年日本のテレビドラマのオープニングとエンディングが使われたときに妻が購入した「ベスト盤」が出てきたので、iTunesに取り込んで、聴き始めた。

中学生の頃、ちょうど彼らの全盛期にあたり、アメリカでのヒット情報がそのまま日本にも伝わり、当時はドーナツ盤で発売されたヒット曲のいくつかが、LP2枚組みのベスト盤とともに今でも実家のレコードケースに眠っている。L

今晩こうしてCDからリッピングした圧縮音楽情報で聴いてみていると、さすがに隔世の感はあるが、カレン・カーペンターのヴォーカルと、リチャード・カーペンターのアレンジは(自分にとっては)まったく古臭さを感じさせない。

先日、スーザン・ボイルの美声のことを書いたが、カレンのヴォーカルも声そのものが非常に魅力的だ。声域的にはアルトになるので、高音の輝きや透明感などよりも、穏やかで暖かな声質、そして幸福感の中に垣間見える憂いのような表情が非常に魅力的だと思った。

もうすっかりおじいさんに近くなったリチャード・カーペンターがインタビューに答え、一番好きな曲は、カレンが好んでいた「青春の輝き I need to be in love」と語っており、それに対してちょうど男性アナウンサーが「私は Close to you」という直前に、私も家族に「Close to youかな」と言ったばかりだったので、そのアナウンサーに親近感を覚えた。"I Won't Last A Day Without You", "For all we know" も久しぶりに聴いたがつい聞き入ってしまった。

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2009年4月24日 (金)

佐藤優(まさる)『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮文庫)

最近、J-CASTニュースというサイトを時々読んでいる。

テレビのワイドショーや新聞や電車の中吊りの雑誌の広告見出しにより世論が形成されているという時代でもあるので、その解説記事として読むと、なかなかメジャーなマスメディアが取り上げないような下世話な話題や裏話、与太話が興味深い。

なかで、傑作だと思ったのが、「中川元大臣「ウソ」暴いたのは 「質問主意書の鬼」鈴木宗男だった」というもの。あの田中眞紀子衆議院議員と鈴木宗男衆議院議員が相討ちのようにして外務省・外交の表舞台から姿を消し、その後、醜聞まみれにされ、マスコミと世論に叩かれながら衆議員に再当選した鈴木宗男という人物に驚きをもっていたことはもあり、先日もちらっとテレビに写ったのを見て、「まだ」何かやっているようだという感想をもっていたのだが、この記事を読んで精力的な政治活動のすさまじさを思い知らされた。

そんな矢先、ブックオフで面白そうな本はないかと探していたら、その鈴木宗男議員と一緒に逮捕された怪しげな「外務省」のラスプーチンこと佐藤優のノンフィクション『国家の罠』という本が目に留まったので、先般からの興味の導きもあり購入して読み始めた。

まだ係争中の事件の被疑者でもあるので、そちら側からの一方的な情報ではあるので、と当然割り引いて評価すべきものなのだが、読み進めるにつれて、この一連の事件のただ事でなさというものが伝わってきた。

小泉内閣当初の田中外務大臣の就任とそれに続く一連の外務省関係のスキャンダルについては、マスコミ報道というよりも、テレビのワイドショーや新聞や電車の中吊りの雑誌の広告見出しの影響で、あの少し関西の漫才師を想像させるような鈴木氏の風貌や語り口の軽さもあり、私も勿論その一員なのだが、彼およびそれにつながるとされた佐藤氏などを相当軽くあしらったような記憶がある。

今話題となっている検察による「国策捜査」について、検事とのやりとりが非常に詳しく書かれており、また容疑者として500日以上も東京拘置所(刑務所ではない)に拘留された様子がなまなましく書かれている。

自己弁護の書でもあるが、当時の日露平和条約締結に向け、ロシアと北方領土での駆け引き、外務省の情報戦略の第一線で、エリツィン後はプーチンだという情報を入手したくだりなどスパイ小説よりも事実に即しているだけあり、非常に引き込まれるものがある。

著者は、まだこの本に書かれた訴追理由による裁判の被告ではあるようだが、活発に論壇活動も行っているようだが、日露関係については既に過去の人となってしまっているのだろうか。先日の3.5島論などが飛び出すようではこの先も思いやられる。

ところで、J-CASTには、民主党が政権をとると困るのが外務省で、鈴木宗男が副大臣として乗り込んで来て、大掛かりな報復人事や機密費問題などを洗いざらい白日の下にさらすかも知れないというような記事も載っていた。政治の世界は闇が濃いようだ。

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2009年4月22日 (水)

You Tube で話題の47歳のアマチュア歌手を聴く

各方面であまりに話題になるので、You Tube で、スーザン・ボイルで検索してみたところ沢山の動画がアップされていて何がなんだか分からなかったが、7分という時間表示のを選んで聴いてみた。

日本でも昔のテレビがやっていた「スター誕生」のような素人喉自慢的な番組で、UK(英国)の番組の一部のようだ。日付としては、2009年4月11日となっていたが、これはアップロードの日付か、番組放映日のものか?

アップされている動画は既にこの女性の出番の前の裏舞台からの様子も、歌い終わって舞台裏に引っ込んでからもうまくつなげているので、放映されたものをそのまま録画してYou Tube化したのではないように思うが、前評判通りなかなか興味をそそる作り方になっていた。

動画としては前後のやり取りも面白く、それがやらせ疑惑にもつながっているのだろうが、この女性の伸び伸びとして微妙にハスキーがかった豊かな歌声はまさに聴きものだった。いわゆるベルカント的な発声ではなく、ミュージカル『レ・ミゼラブル』のナンバーを歌ったように、地声的、ポピュラー音楽的な発声だが、心に染み入る声質とでもいうのか、まず声の質に魅力を感じた。マイクロフォン、PAを使っているのだが、それでも豊かな声量のようで、フレーズも長く、声の表情の変化も素晴らしかった。

もうすぐ48歳の独身女性で、12の時から歌を始め、プロの歌手を目指していたという。これだけの歌い手でもこれまでの年月埋もれていたというのは、広い世界ではありうることだとは思うが、それが、このようにして世界中の人々にあっという間に知られるようになるというのも、今の世の中ゆえだろう。「一夜明けたら有名人」を地で行った動画だった。

ただ、この美声が簡単に「消費」され、使い捨てられないようになることを祈りたい。

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2009年4月19日 (日)

まだ続けているiTunesへの取り込み

今日、ブロムシュテットとシュターツカペレ・ドレスデンによるシューベルトの交響曲全集を取り込んで、累計の収録時間が30.7日となった。この中には、ネットで教えてもらったロイヤル・コンセルトヘボウ・アムステルダムの10曲の交響曲やハイティンクの3曲の交響曲も含まれている。ほぼ一ヶ月間毎日24時間途切れることなく音楽を流し放しにして、ようやく「聴き終える」という「時間」が持ち運びのできる小型HDDの中に収録されたことになる。

1枚60分として、手持ちが1000枚だと1000時間となり。約40数日となるわけだ。

当然といえば当然だが、このような音楽の記録は、収集しようとすればするほど容易に集まるが、もう既に現実問題としてとても一息に聞けるようなものではなくなってしまっている。

今回の試みも、引越しで整理がいきとどかなくなった音盤を確認する作業でもあったのだが、CD棚の背表紙を眺めると、聴いたときの記憶が一部反芻され、記憶の定着が図られていくようなのだが、背表紙を見ないCDは記憶のかなたに埋もれていく。しかし、このように演奏者、作曲家、録音年などで検索できるようなデータベースにしておけば、物体としての個性は失う代わりに、(ランク付けの機能はあるが)、一曲一曲がほとんど等価値の情報としてずらりと並べられていき、容易な検索によりいつでも好きな演奏・曲を楽しめるようになるだろうという期待があった。

しかし、取り込みしながら再度記憶の層を新たにしてはいても、リストの量の多さにそれも次第に押しつぶされていき、また渾然とした状況になってきているような思いもする。

そのような徒労にもなるような作業だが、この1月から少しずつの空きはあるが、もくもくと続けているのは、自分の自己確認なのかも知れないなどと思ったりもする。

ただ、重要な記憶とか感動とか、そのようなものは、このようなリストからは立ち上がって来ず、やはり何かLP(CD)だったらジャケットのデザインだとか、コンサートだったら、休憩時間のホワイエのざわめきだとか、何か具体的な記憶のよすがのようなものによって心の中に大切に仕舞いこまれるものかも知れず、データ化され、羅列されたこのような音楽で、たとえば、今、ギレリスによる『ハンマークラフィーア』の深遠なアダージョ・ソステヌートを「ながら聴いて」それなりに心を震わせていても、それは単なる消化に過ぎないのかも知れないという疑念がまとわりついたりもする。

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2009年4月13日 (月)

『阿修羅展』 東京国立博物館 2009/04/12(日)

Asura_kofukuji ガンダーラに端を発した仏像であるが、白鳳天平彫刻の傑作の多くは、その仏師、技法などなど中国、朝鮮を経由して伝来したためか、優美繊細さを極めたその美意識は現代人にも共感できるように思う。今回興福寺の国宝館からもったいなくも大挙して移されてきた写実的な釈迦十大弟子は当然のこととしても、異形な古代インドの神々が起源である八部衆の神々が何と美しく、また愛らしく、たおやかであることか。

ことに展覧会の名称にまで祭り上げられた『阿修羅像』は、特別展示として周囲360度からの観覧(つまり左右の二面の顔も背中も)が可能であるようにもったいなくも展示されており、ものすごい人込みではあったが、その人込みの中でも見る価値は十分にあった。

高校時代には、別に日本浪漫派をきどったわけではなかったが、和辻哲郎『古寺巡礼』、亀井勝一郎『大和古寺風物詩』、入江泰吉の写真集に相当入れ込んで、高校の京都奈良への修学旅行では、修学旅行的に青春している同級生を尻目に、日本古美術の粋を極めようとしていたような意気込みがあったように今から思えば思い出す。梅原猛『隠された十字架』などにも挑戦した。

この一時的な熱狂が過ぎてから、大学生時代にはほとんどそちらには興味がなくなっていたが、就職してから思い立って1月の当時の成人の日の連休に夜行列車で京都へ出て、室生から西ノ京、斑鳩、そして興福寺、東大寺、新薬師寺、春日大社界隈、冬枯れながら小春のような陽気の中、人気の少ない古都をのんびりと巡る一人旅で、改めて白鳳天平の仏達にじっくりと向き合うときを得たのだった。このときも、修学旅行以来の今回の興福寺の仏像たちや、三月堂の日光月光菩薩などもみることができたが、団体旅行には適さない東大寺戒壇院では、あの見事な四天王像の見学者が私一人だったり、新薬師寺の十二神将も、本当にこんな時空を一人占めしていいのだろうかととまどうような気持ちでじっくりと守護神たちに向き合うことができたのだった。

さて、今回の展示は、興福寺の西金堂の再建への勧進のようなものも兼ねているのか、その関係の展示もあった。そこで展示されている鎌倉の快慶による四天王像になると、荒々しく誇張された躍動感のようなものが「復活」しているように感じた。来迎崇拝の後、鎌倉、関東武士団の男性的な美意識は、アズマビトたちのかもし出したものかも知れず、そのルーツは古くは縄文につながるものがあるのかもしれないなどと、同じ平成館の縄文から古墳の名品群を見ながら思いついたのだった。

なお、阿修羅といえば、女流漫画家の萩尾望都が少年誌(チャンピオン)で連載して有名になった光瀬龍原作の非常に難解な「百億の昼と千億の夜」でのトリックスター的な役回りが非常に印象的だ。

ちなみに、四天王、八部衆、十二神将は、当然のことではあるが、東西南北を象徴し、四の倍数になっている。

⇒ 興福寺の八部衆

阿修羅、五部浄、沙羯羅(さから)、鳩槃荼(くばんだ)、乾闥婆(けんだつば)、迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、畢婆迦羅(ひばから) ということで、大辞典とは少々異動がある。

⇒ 興福寺の十大弟子(6体)

富楼那(ふるな)、迦旃延(かせんえん)、羅羅(らごら)、舎利弗(しゃりほつ)、目連(もくけんれん)、須菩提(すぼだい)。

参考:小学館 国語大辞典より

してんのう(‥ワウ)【四天王】(「してんおう」の連声)
Ⅰ 仏語。須弥山(しゅみせん)の中腹にある四天王の主で、東方の持国天、西方の広目天、南方の増長天、北方の多聞(たもん)天または毘沙門天のそれぞれを主宰する王の総称。八部衆を支配して帝釈天に仕え、仏法と仏法に帰依する人々を守護する。仏像彫刻の場合は、須弥壇の四すみに配され、甲冑をつけ、武器をとり、足下に邪鬼を踏む姿につくられる。四大天王。 

 ⇒ 東西南北 じぞうこうた

◇はちぶしゅう【八部衆】
仏語。仏法守護の八体一組の釈迦の眷属。天・竜・夜叉・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩  羅伽(まごらか)の称。天竜八部。


◇じゅうに‐じんしょう(ジフニジンシャウ)【十二神将】 仏語。仏法を守り、薬師経を読む者を守護する一二の大将。宮毘羅(くびら)大将(本地は弥勒で子神)・伐折羅(ばさら)大将(本地は弥陀で丑神)・迷企羅(めきら)大将(本地は勢至で寅神)・安底羅大将(本地は観音で卯神)・    羅(あにら)大将(本地は如意輪で辰神)・珊底羅大将(本地は虚空蔵で巳神)・因陀羅(いんだら)大将(本地は地蔵で午神)・波夷羅(はいら)大将(本地は文殊で未神)・摩虎羅(まこら)大将(本地は大威徳で申神)・真達羅(しんだら)大将(本地は普賢で酉神)・招杜羅(しょうとら)大将(本地は大日で戌神)・毘羯羅(びから)大将(本地は釈迦で亥神)。この内、宮毘羅大将は金比羅(こんぴら)神で、寅童子(とらどうじ)はその化身という。十二神。

◇じゅうだいでし(ジフ‥)【十大弟子】
釈迦の一〇人のすぐれた弟子。智慧第一の舎利弗(しゃりほつ)、神通第一の目連(もくけんれん)、頭陀(ずだ)第一の摩訶迦葉(まかかしょう)、天眼第一の阿那律(あなりつ)、解空第一の須菩提(しゅぼだい)、論義第一の迦旃延(かせんねん)、持律第一の優婆離(うばり)、密行第一の羅羅(らごら)、多聞第一の阿難(あなん)、説法第一の富楼那(ふるな)の一〇人。十弟子。

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2009年4月 6日 (月)

月影を遮る蝙蝠夕桜

帰路、春宵一刻値千金を味わうべく、電車では所要時間9分の距離を歩きて帰宅。

日の本有数のBODの値にて名の高き河岸の遊歩道なれど臭気はなく、人通り少なきたそがれ時、行きかう人の姿も定かならず。月中天に昇り、冷たき川風満開の桜の並木のこずえを揺らす。

かはたれ時は逢う魔が時とも、蝙蝠の一片二片、目の前を飛び交い、月影に照らされし満開の桜を遮らんとすなり。肌寒き宵なれど既に羽虫の類の飛び初めしにやあらん。蝙蝠はそを捕食するなり。歩める時の間は90分。常世とは別の時を過ごせる心地せり。

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2009年4月 2日 (木)

2009年度が始って2日目

通勤電車が混み始めた。3月下旬は学校も休みなので、学生、教師が通勤、通学に電車を使わなかったこともあるのだろう、朝晩とも結構空いていて快適だったが、さすがに新年度の4月1日からは特に夕方の帰宅時間の電車が混み始めた。

これも毎年のことだが、この時期はまだ電車に乗りなれない人が多いせいか、駅で停車したら、降車する人を通すためにドア周辺にいる乗客はいったんフォームに降りるとか、混雑時に他人と身体を密着するのを嫌う気持ちは分かるが、最大多数の幸福のために、自分だけ別の方向を向いて無用なスペースを作らないとか、なかんずく携帯電話の操作や雑誌・書籍・新聞を他人の背中を使って読むというような非常識な行動を謹んでもらいたいと思う。

冬の間は、それでもそのような非常識な乗客は減っていたのだが、春になってからはなぜか増殖しているのが不思議でもある。

さて、連日ニュースや週刊誌が話題にしている北朝鮮のミサイル(大陸間弾道弾ICBM)もしくは、人工衛星打ち上げロケットについて、非常にきな臭い雰囲気が漂って来ている。日本は政府が迎撃を命じ、打ち上げられたミサイルもしくはロケットのコースにあたる東北地方に迎撃用のパトリオット(湾岸戦争でよく名前を耳にした)を移設配備したというが、それに対して迎撃などをしたら日本に攻撃をするというような恫喝を北朝鮮高官が発したというニュースも伝わってきている。

このミサイルもしくはロケットの打ち上げ(実験)がたとえ北朝鮮の示威行為だとしても、それほど過剰に反応すべきことなのだろうか?いわゆる先進資本主義諸国は、ICBMを持たない日本でさえ、H2A型の連続成功で、実質的にミサイル大国に「加盟」しているし、いわゆる共産国の中国も宇宙飛行士搭乗の人工衛星を打ち上げて、飛行士を無事生還させるだけの技術を築き上げた。確かに北朝鮮はその特異な国家体制と外交戦略により、世界の孤児的な存在ではあるが、なぞこの国が「実験」を行ってはいけないのか?「核」開発にしても、冷戦時代から世界には全人類を何十回も滅亡させることができるだけの爆弾が製造、貯蔵されており、核大国である先進国は現在はその廃棄を少しは進めつつあるが、それでも自分達だけは既成事実として保有を続けている。さすがに最近は核実験のニュースは伝わってこないが、フランスなどは環境問題も言うもおかしくなるほどの、核実験を楽園のようなフランス領南太平洋で行ったのはいつのことだっただろうか?世界の人々はこれを強く非難はしたが、仲良しクラブ内のできごとととしていつの間にか記憶のかなたにかすんでしまっているほどだ。

確かに、領空の上空(といっても高度何メートルまでを領空というのか?)を、ミサイルもしくはロケットが通過するのは気持ちのいいものではないが、世界中をの上空を所狭しと軍事衛星が飛行(静止?)し、カーナビや携帯電話のGPSも、アメリカ軍の軍事衛星データであるのだから、嫌われ者の国のすることだから非難し、友好国のものだから少しは気になるが文句は付けないで置こうというのは、どうも未熟な国際社会を象徴するようなことのように感じてしまう。

もちろん、無事この「実験」だか「示威」が過ぎ去ってほしいものだし、北朝鮮高官も恫喝はやめてほしいものだが、このような未熟な国家関係が続く限り、似たようなことは今後も起こるのだろうと思うと、暗澹とした気分になる。領土紛争も、国内の隣人同士の醜い争いと似たようなものだし、少し歴史的なパースペクティブを長く取れば、取るに足らないことだと考えるべきことが多いように思う。

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