« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

2009年12月の10件の記事

2009年12月30日 (水)

経済先進国で日本だけがデフレというが

昨日の池上彰のニュース解説番組2時間スペシャル版はいつもながら様々な問題、課題が要領よく分かりやすく解説されていて子ども達と一緒に楽しんで見た。

経済先進国の中で、日本だけがデフレーションがこの4年ほど継続しているというが、それについては日本人特有のメンタリティーである「横並び」、「周囲に合わせる」という心理的な傾向が要因の一つではないかとされていた。

また、デフレを脱却するには、消費を活発化させること、消費に「環境保護」とか「発展途上国支援」とかの大義名分を与えればいいというようなことも意見として出されていた。確かにその通りなのだろうと思う。

しかし、現代の日本は、経済先進国の中でも、貧困化、老齢化の拡大の急速さがトップクラスであることも要因の一つだろう。貧困化して明日の収入、生活も覚束ない場合には、生活財を廉価で買うことしかできないし、老人達の相当の割合が金融資産を持っていても、既に満ち足りた生活を送っており、また「もったいない」精神からそれを積極的に消費に回すことはない。

「もったいない」精神で言えば、環境問題解決からの要請で、大量生産、大量消費という経済拡大、活発化のライフスタイル自体が既に社会悪とされつつあることも、消費を阻む要因であろう。

デフレスパイラルからの脱却は容易なことではないが、いくつかの経済施策によって、たとえば、老いた親から子への自発的な贈与(ちょうど鳩山首相と実母とのやり取りではないが)に、多額の税金をかけずに、それを消費に回せるようにするだけでも、消費が活発化するきっかけになるのではなかろうか?

また、国民の貯蓄率の高さについても、それを美徳とする考えは、国の社会保障のお粗末さを覆い隠しているだけでもあるので、これについても貯蓄を消費に回すようにするためには、国の社会保障の信用度を何としてでも上げる必要があるのだと思う。

年初までは携帯電話からの投稿になります。

それでは、皆さん、よい新年をお迎えください。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年12月29日 (火)

年末に世界史に親しむ

BOOKOFFで中央公論社の『世界の歴史』のシリーズを今年は数冊超廉価で購入できたのだが、積読が続きなかなか読めなかった。

今日から年末の休みに入り、先週ひいた軽い風邪がまた少しぶり返し、昨日の仕事納めの日も少しだるく、帰宅後体温を測ったところ37度ちょっとあったので、今日は静養させてもらった。子ども達は短い冬休みをゆっくり過ごすために、昨日今日と宿題に取り組み今日の夜までにはほとんど終わらせたようだ。それで私も布団に入ってうつらうつらしながらだが、アメリカの独立戦争(これを著者は革命と呼ぶ)とフランス革命を扱った第21巻『アメリカとフランスの革命』(五十嵐武士、福井憲彦著)をようやく読み終えた。最初にフランス革命の方を読み、その後アメリカ革命を読んだのだが、フランス革命はツヴァイクの『マリー・アントワネット』や、ディケンズの『ニ都物語』、アナトール・フランスの『神々は渇く』、コミック『ベルサイユのバラ』などの登場人物に焦点を当てた劇的な筆致とは異なり、淡々と複雑な事実を分かりやすくクロノジカルに積み重ねていくという書き方で、最後はナポレオンの敗北で終わるのだが、フランス革命が短い突発的な事件ではなく、現代政治にも通じるようなイライラするような紆余曲折や左右のブレの続く政治過程だったということが改めて痛感され、歴史の歯車は局面局面での無数の選択が形作っているのがよく分かった。

アメリカ独立戦争については、フランス革命ほどの予備知識はなく、通史としてはこの本が初めて読む内容が多かった。まず余談だが、アメリカの自動車の車名や船名や、地名になっているのが、ネイティブアメリカン(いわゆるインディアン)の部族名が多いのが今回改めて気が付いた。マサチューセッツもそうだし、ポンティアックとかチェロキーとか、ヨーロッパからの植民者がネイティブアメリカンを征服した歴史を考えると、結構複雑なものを感じざるを得なかった。

政治過程という面では、高校生レベルのアメリカ史の知識では、ボストン茶会事件、東部13州の独立戦争、合衆国憲法の制定とすんなりと歴史が動いたような印象しかないのだが、詳述されたアメリカへの入植から憲法制定までの過程は、フランス革命で感じたよりもさらに局面局面の複雑な選択の結果で、決して敷かれたレールの上を進むように歴史の歯車が回ったのではなく、賛否を取る投票でもギリギリの過半数で現代まで続く合衆国が成立したかしなかったかの岐路があったり、特にあれだけ広い領土での共和制の実現というのが世界史的に見ても初めての実験であり(通常は王政や帝政による)、近代憲法史上も特筆すべき合衆国憲法の成立が、やはり紆余曲折の後に制定されたり、大英帝国からの課税に反発が独立のきっかけになったというのに合衆国が成立した後の財政的な危機で国民に課税をせざるを得なくなったという状況など、まるで今の政治過程を見ているような感を持った。

時代は変われど、人間は変わらない。

次に余勢を駆って、第9巻の『大モンゴルの時代』(杉山正明、北川誠一著)を読み始めたが、これが予想に反して非常に興味深い「つかみ」(韓国木浦沖で発見された中国元時代のものと思われる難破船と中国の磁器の「染付」)から入っているのに加えて、モンゴル帝国が残したペルシア語の歴史書『集史』とそのビジュアル版とも言える『五族譜』というものの紹介が非常に面白いものだった。(Wikipedia には「集史」の項があった。)

モンゴル帝国の余波は、現在も遺伝学的に「酒が飲める、飲めない」という体質として伝わっている(コーカソイド人種であるハンガリー人やインド人にも、若干ではありますがD型遺伝子を持った人がいるというのは、歴史と照らし合せて考えると、かつてモンゴル帝国の支配がそこまで及んでいた証でもあるわけで、とても興味が湧いてきます。)ようだ。年末年始に酒を飲む機会が増えるが、そのことに思いを馳せるのも面白いかも知れない。

| | コメント (0)

2009年12月27日 (日)

年賀状を書き(作り)終わりフィギュアスケートなどをテレビ観戦

年々、年賀状を書く(現在は、パソコン操作で作成するというほうが適切な言い方か?)のが面倒になる。何、作り始めてしまえば、一日も掛からずに、約100枚程度の印刷まで終わってしまうのだが、着手に非常に時間が掛かる。重い腰がどんどん重い腰になるようで、今年はもう出すのを止めたいと思ったほど。それでも子ども達が出したいというし、女房も友達には出したいと、自分で手書きを始めるしで、親戚、知人宛にようやく今日の午前中から始めた。

来年は、庚寅 かのえ とら 年になるらしいので、毎年恒例の干支の動物写真がメイン。

面倒なのが、住所変更があったり、年賀欠礼だったりする知人をこの時期に改めてチェックすること。普段からこまめに住所録をメンテナンスしておけばいいのだが、マメな性分ではないので、どうしても後回しになってしまうのが、いけない。

土曜日のbe 読者とつくる 「今年はいい年だった?」というアンケートの解説的な小コラムに、「無力感と戦う人生」という少々風変わりな一文が掲げられていた(無署名)。「精神科医の春日武彦さんいよれば、人の行動原理や感情の多くが『無力感』に根ざしている」というこれまであまり聞いたことのない、心理学の考えが書かれていたのだ。とても興味深い説だと思う。この無力感というものと、なかなか課題に取り掛かれないという気持ちと、何か通じるような気もする。

日曜日の「重松清さんと読む百年読書会」で1月の本として「雪国」が取り上げられていたが、日々雑録 2003.1.15-6.18 の中で書いた以下の感想と似たものが多く載っていて面白かった。 「冒頭は知れれているが最後まで読まれたことがない名作ランキング」の上位常連という意見があったが、その通り。また、「こんなになまめかしい小説だったとは」という意見や、女性からは男性の身勝手という意見が多く、面白かった。先日読み終えた加藤周一「日本文学史序説」では、川端康成の多くの作品とこの「雪国」との差に言及しており、自分流に言うとモデル小説的な書き方ゆえにか、川端の多くの作品では、女性が人形として書かれているが、この小説では女性が自律的に描写されていて、生身の存在感が感じられるというところだろうか。

●2003年2月5日 (水)  読書と年齢

この年末年始に実家に帰ったとき、主に学生時代までに読みためた文庫本のなかから名作川端康成の「雪国」を手にとって読み直してみた。定評のある名 作ということで、中学生や高校生が読む機会もあるのだろうが、このような作品をその年代で理解できるものだろうか、と思った。私自身もその年代で読んだと は言え、ただ字面を追っていただけのような気がする。

妻子を東京に持つ男島村が旅先の雪国の温泉町の芸者駒子と深い仲になるというのが大雑把な筋書きで、極論すれば花柳小説の一種である。きわどい描写 は避けられているが、男女間の交渉のこともはっきり描かれている。確かにこまやかな描写力や抒情性は凡百のものではないが、そのような男女の機微的なこと は若い時代にははっきりと理解できないだろう。相当にませていれば別だが。

年齢にふさわしい読書というものがある。そういう意味で、雪国は、いかにノーベル文学賞作家の代表作とはいえ、中学高校生が読書するにはあまりふさわしいとは言えないだろう。

さて、司馬遼太郎原作のテレビドラマ「坂の上の雲」を見ていたので、その裏で「録画収録」で放送されていたフィギュアスケート女子の全日本選手権フリーの放送をリアルタイムでは見られずに、後でPCに録画していたのを見たのだが、見事浅田真央選手が四連覇を成し遂げた。完全な復調のようで、今シーズンの大スランプからようやく抜け出せたようでよかった。我が家では、ラフマニノフの『鐘』の弔鐘のような音楽がいけないのではないかというような意見も出るほどで、グランプリファイナルでも見ることができずストレスがたまっていたが、これでようやく吹っ切れた。鈴木明子選手と中野友加里選手の競い合いは本当に僅差だったが、鈴木選手が2位に入り、昨シーズンで世界選手権にも出場し、今シーズンを通して鈴木選手が中国杯で優勝し、グランプリファイナルにも出場するという鈴木選手の活躍に、復調した中野選手が僅かに及ばなかったというところで、中野選手は2回の五輪とも出場が叶わないという結果となり、かわいそうだったが、それが勝負の世界の厳しさなのだろう。安藤選手は先のグランプリファイナルでの2位で内定していたが、今回は4位ということで、トップ4人の実力差は僅差だった。ベテラン村主選手は、渾身の演技だったが、さすがに往年の切れがなかった。ご苦労様と言いたい。男子は、織田、高橋、小塚の3人が出場することになった。男女とも3名が出場という非常に贅沢な五輪となる。ただ、ペアは日本からの出場はない。ペア競技はまだまだ歴史が浅いということだろうか?アイスダンスは、リード姉弟(日米両国籍を持つ)が日本からの出場。

「坂の上の雲」の映像化は、なかなか素晴らしいが、正岡律と秋山真之のロマンスめいた扱いは原作にはあっただろうか?少し気になっている。原作には夏目漱石の登場シーンはあまりなかったと思うが、「坊ちゃんの時代」の関川夏央が脚本家陣に名前を連ねていたので、多分その影響もあったように思う。漱石の予備門時代の英語による数学の答案用紙を数年前の漱石展で見る機会があったが、予備門で子規、漱石、真之が同級生であり、英語教師として高橋是清が彼らを指導したというのは原作では気がつかなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月23日 (水)

上橋菜穂子『獣の奏者』第3巻、第4巻

現在、アニメーション化されて今週の土曜日に最終回を迎える『獣の奏者』(第1巻、第2巻)の続編が出るという噂はネットで知っていたが、数ヶ月前の新聞の一面広告で宣伝されたのには驚かされた。

もう一月ほど前になるが、妻が図書館に借り出しの予約を入れていたのだが、ようやく借りられる順番が回ってきて、第1巻、第2巻からファンになった長男と競うようにして読み終えた。次男はアニメは楽しんでいるので、家族から読め読めと奨められてもまだ読もうとしないのは不思議だ。

壮大な構想という点では、やはりアニメーション化された守り人シリーズの方が優れているのだろうが、獣の奏者は、闘蛇と王獣という魅力的な想像上の動物が物語の重要な部分を占めるので、その点が非常に魅力がある。人間の兵器として使われるそれらの獣の存在は、現代の核兵器、生物兵器などのアナロジーで、かつてその兵器である獣を使った戦争によって一国が壊滅するほどの悲劇が起こったという前史が、物語の基礎を形づくっている。

上橋菜穂子は、私とほぼ同年代のオーストラリアのアボリジニに造詣の深い文化人類学者であるが、その知識や経験を生かしたファンタジーは、文化人類学の影響からアーシュラ・ル=グィンに通じるものがあるが、ユング心理学的な深遠さは持ってはいない。舞台が架空の東洋の古代、中世あたりに設けられることが多いようで、その面からもアジア的なテイストが感じられる。アニメーションにもなった『十二国記』(小説は未読)も連想されるが、膨大な筆量は凄いと思う。

第1、2巻は、作者自身が言うように、完成した物語であるが、その大団円は、それまでの詳細な叙述に比べてあっさりとしたものだった。それが余韻を生んではいたのだが、やはりその謎、その先を望んでしまっていたので、第1、2巻で満足した読者でも、第3、4巻には満足することだろうと思う。

なお、アニメーションは、原作の第1,2巻をある程度翻案しているが、これは作者自身もこれに関っており、その取り組みが第3、4巻を生む下地にもなったとのことである。

以前の記事: 2007年8月31日 (金) 上橋菜穂子のファンタジーが面白い

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月22日 (火)

冬至の日に調べてみた

今日は、冬至。冬至南瓜と冬至蒟蒻は、私が子どもの頃から冬至の日には母が作ってくれたので、私の生まれた地方では、両方とも伝統的な風習だったのだろう。柚子風呂の風習は、柚子の取れない信州の寒冷地の田舎にはなかった。こちらは、江戸時代に江戸の風習となったものらしい。

冬至からいの節だけ伸びる
冬至十日は居座り〔=日の座り〕
冬至冬中冬はじめ
冬至粥冬至に食べる小豆粥(あずきがゆ)。《季・冬》
冬至南瓜冬至の日に食べるカボチャ。この日にカボチャを食べると中風にならないとされる。《季・冬》
冬至蒟蒻 冬至こんにゃく砂払い
冬至の柚子風呂

夏至と冬至が一年で一番昼が長い日、短い日ということから、素朴な演繹的な連想で、日の出(日出 にっしゅつ と読む)、日の入り(日没)の時刻も夏至と冬至が各極大値と極小値だと思い込んでいたが、暦(以前にこのブログで紹介した"Calend  Mate"というフリープログラム ) で一年間を確認してみたところ、実際の日の出、日の入りの時刻の早い遅いのチャンピオンがそれとは少し異なっていることに気づいた。

最も遅い日の出は1月初めに表れ、冬至の日の出よりも4分も遅い。また、最も早い日の入りは12月初めに表れこちらも冬至の日の入りより4分も早くなっている。他方、夏至では最も早い日の出、最も遅い日の入りと、夏至の日との差は各1分と小さい。

2009年の横浜付近(東経139.9度、北緯35.5度)では、最も遅い日の出は、1/3から1/11の06:51だが、冬至の今日は6:47。ちなみに初日の出は06:50で最も遅い日の出に近い。また、最も早い日の入りは12/1から12/11に掛けての16:28だが、冬至の今日は16:32となり、若干日の入りが伸びている。(単位の表示なので、秒単位にすると本当のチャンピオンはわかるのだろうが。)

*日本経緯度原点 東京都港区麻布台2丁目にある。原点数値は、経度が東経139度44分28秒8759、緯度が北緯35度39分29秒1572である(測量法施行令第2条第1項第2号。数値は世界測地系による)。

また、最も早い日の出は6/8から6/19に掛けての04:25で、夏至は04:26。最も遅い日の入りは19:01で、夏至は19:00となっている。

ただ、それでも、最も日の長い日と短い日は、それぞれ夏至、冬至というのは変らないが、単位での時刻表記も要因の一つだろうが、その前後の日も同じ昼間の時間となっている。冬至12/22が9時間45分だが、12/20と12/24も冬至と同じ昼の長さ。ちなみに12/21と12/23は9時間46分となっている。夏至6/21は14時間34分だが、同じ長さの日が6/17-6/20,6/22-6/23と6日もあり、6/17-6/23の1週間連続で最も昼間の時間が長い。

一方、太陽の正中高度でみると、冬至前後は12/18から12/25は31.1度で最小となり、また日の出と日の入りの各方位角では、12/21と12/22 が 日の出118.6度(北を0度として時計回りに角度が増える。東は90度。南は180度。西は270度。)、日の入り241.4度と最も南に寄る。

夏至では、6/17から6/26が正中高度77.9度で最大となり、方位角は、6/17から6/25の期間は、60.1度と299.9度で最も北に寄ることになる。

ちなみに、春、秋は、昼と夜の長さが同じ日というが、実際には日の出と日の入りの定義の問題も関係があるのだと思うが、それぞれ昼の時間12時間8分ということになっている。方位角1度以下の差はあるが、春、秋とも真東から日が昇り、真西に沈む(但しその一日の間も地球は公転で太陽の周りを動いているわけだ)。

ところで、秋の日はつるべ落としというが、冬から春夏にかけて日の入りが遅くなる傾きよりも夏から秋冬にかけての日の入りが早くなる傾きが急なので、そのように感じるのかも知れない。日の出、日の入りをエクセルで折れ線グラフにしてみるとかりやすいが、日の入りでは、最も遅い7/1の19:01から最も早い12/1の16:28まで約150日(153日)で2時間33分短くなるが、逆に最も早い12/12から最も遅い6/27までの約200日(198日)で2時間33分長くなるので、傾きの違いが50日の差という数値でもつかめる。また、夏の短夜の記憶が残っているうちに急に夜が長ってくるので、秋に夜長を感じるのかも知れない。

以上、要するに日の出時刻と日の入り時刻は一年を通じて一定のサイクル、割合、差で増減しているわけではなく、日の出は夏至前にピークが来て、日の入りは冬至後にピーク(逆ピーク)が来る。この現象は、地球の自転と公転のメカニズムや、地球の形状(ミカン型)、公転軌道の楕円型などが影響しているのだろうか?

Hinode_nitibotu

(エクセルグラフをコピーして MSペイントにペーストし、それをJPGでファイル保存したもの)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月21日 (月)

聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝 上野の森美術館 12/20観覧

Tibet_exhibition_ueno_2009 Tibet Treasures from the Roof of the World と名づけられた、いわゆる「チベット展」に、昨日日曜日出かけてきた。 新聞販売店からもらった招待券が2枚あり、長男と妻はそれぞれ外出したので、次男と一緒に観覧に行った次第。この冬は、暖冬という長期予報だったが、この朝は特に寒く、クルマにはビッシリと霜がおり、長男を送っていく早朝には、霜スクレーパーを取り出して使うほどだったし、上野公演も日陰ではひどく寒かった。

上野の森美術館は何度もその前を通り過ぎたことはあったが、入館したのは今回が初めてだった。こじんまりした美術館だが、今回の規模の展示にはちょうどよかったのかも知れない。

ほとんど展示物についての予備知識はなかったが、チケットが美麗な千手観音立像の写真だったことや、朝日新聞に多少紹介記事が出ていたこともあり、子どもには少々早いかもしれないとの危惧はあったのだが、果たして本当に少々妖艶過ぎる仏像が多かった。

かつてはラマ教と呼ばれ、現在はチベット密教と呼ばれることの多い仏教には、男女が抱擁する形の仏像が多いように聞いていたが、今回の展示にも「父母仏(ふもぶつ)」と呼ばれるそのような形の彫刻、絵画が何点も展示されていた。

解説によれば、このページで書かれているユガナッダ(YUGANADDHA)般若(知)と大悲(愛)の融合を男女の交合で表現したタントラの本尊)ようなことを具象化して象徴したものが、このような父母仏という形式なのだという。歓喜仏という言い方もあるようだ。

密教といえば、司馬遼太郎の『空海の風景』を高校生時代に読んだことがあり、その中で真言立川流を伝える「清らかな」僧侶のことが書かれていたように記憶している。その中で、理趣経について触れられており、禁欲を旨とする仏教にあって、密教のどこかしら怪しげで神秘的な様子の奥にはそのような考え方まで世俗化した思想があったのかと驚いたことがあった。また、その立川流を伝えた文観という僧侶に後醍醐天皇が帰依したということも最近知って驚いた。言ってみれば、チベット密教のこのような性的な密教の本家のような存在だったようだ。

理趣経的なこと http://www.daitouryu.net/1180876505715/

理趣経の問題点 http://www5.ocn.ne.jp/~ono13/

父母仏立像について http://junsky07.blog89.fc2.com/blog-entry-895.html

チベット展と理趣経 http://plaza.rakuten.co.jp/atsushimatsuura/diary/200908280000/

後期インド密教を受け継いだチベット仏教のエロチックな仏像については上記の通り聞き知っていたが、ポスターにも使われた父母仏という仏像とは違う2階に展示されていた巨大な父母仏立像(ヤマーンタカ父母仏立像 Standing Yuganaddha Yamantaka) では、赤裸々な交合までも表現されていたほどだった。理趣経では妙適というらしい。

だきにてん【荼枳尼天・  枳尼天】(お稲荷さんと習合)、またらじん【摩多羅神】など、日本に伝わって日本化した神々の像も展示されていた。

奔放な想像力、創造力による極彩色で精密、きらびやかな仏像は、日本的なわびさびに通じる古仏の魅力はまったくないが、非常に官能的であり、感覚に訴えかける力が強い。シャングリラ Shangri-la とは、このチベットを指すという説があるのかどうか、青、白、赤、緑、黄 の五色が、天、風、火、水、地の五大をさすように、とても色彩に溢れた場所ではあるようで、そのような世界の屋根の強烈なコントラストがこのような仏教美術の背景にあるのかも知れないなどと思った。

会場を出ると、この展覧会に反対する「侵略された聖地チベット ポタラ宮と天空の盗まれた至宝」というキャッチフレーズの団体が静かに抗議をしており、パンフレットをもらって読んだ。

まだ1年前のことなのに、2008年4月27日 (日) 北京オリンピック聖火リレー 長野 と書いたことでさえ、既に忘却し始めていた。オリンピック聖火リレーへの反対運動は、チベットでの独立運動への弾圧がきっかけだったのだった。

この展覧会は、中華人民共和国(中華文物交流会、中国チベット文化保護発展協会、中国国家文物局、中国大使館、中国チベット自治区文物局、中国文物交流中心)が名を連ね、朝日新聞社、TBS、文化庁などが主催者、後援者として同じく名を連ねている。

また、既にこの展覧会は、福岡、札幌で開催され、東京の後は、大阪、仙台でも開催されるのだというし、さらにはその前に欧米各国を巡回してきたらしい。

チベット仏教に触れるきっかけとしては、めったにない機会ではあるが、特に、中国がさらに経済的、政治的な重みを世界に示している昨今でもあり、いろいろな意味で複雑な感慨を持たされた展覧会ではあった。

今晩のBGM
Tibet

| | コメント (0)

2009年12月20日 (日)

廉価なUSB接続PCスピーカーはノイズが盛大

昨日書いた10年ものの東芝製の古いブラウン管(CRT)テレビの本体スピーカーの接触が相当以前から悪く、ここ5年ほどはビデオをアンプにつないで、音声はビデオ経由で音楽用の大型スピーカーを通して聴くようにしていたが、アンプも古くなったこともあり、テレビの買い替えも考えたが、まだ映像は綺麗に写るので、もったいなく、あれこれ考えて、安価なアクティブスピーカーをテレビのイアフォンジャックにつないで見ようとためしてみたらこれが成功で、テレビの元スピーカーよりもいい音がするし、1000円もしないスピーカーながら、テレビ寿命が延びて家計にも貢献してくれている。

柳の下の二匹目の泥鰌を狙って、電器量販店のポイントが溜まったので、今度はPC用の廉価なUSBタイプのスピーカーを購入してみた。

iTunesへのCD取り込みで、意外にもヘッドフォンでの音楽鑑賞がノイズもまったくなく、むしろ音楽専用の携帯CDプレーヤーよりもいい音なのは既に記事にしていたので、テレビの時のアクティブスピーカー同様の音で聴けるかと期待して接続してみた。

ところが、USBだけあって、出力も非常に低いこともあり、スピーカーのボリュームを上げるとひどいノイズがする。PC用スピーカーでも高級な製品はノイズは相当低減されるそうだが、特にUSBタイプの廉価品はテレビとは異なり、どうも思わしくないようだ。

これなら低音はまったく物足りないが、PCにビルトインされているスピーカーの方は設計が巧いのか、ヘッドフォン同様ほとんどノイズが載らないので、今回のスピーカーは購入失敗というところだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月19日 (土)

朝日新聞土曜be デジタルテレビの調査結果で考えたこと

今日付けの朝日新聞のbe on Saturday b10 の「地デジいれてますか?」というbeモニター6522人の調査によるとまだ地デジテレビまたは受信設備を入れていない人が38%にものぼったという。我が家もまだアナログテレビを見ている。

ただ、この記事でも地デジ機器について、廉価なデジタルテレビチューナーのことは書かれていなかった。(受信設備としては、チューナー付きの普通の地デジ対応テレビ、チューナー付きのハードディスクレコーダーなどが普通に考え付くが、この廉価なチューナーのことはほとんど普通の報道には出てこない。)

以前、 2008年6月28日 (土) 生活防衛術的なディジタルテレビ放送受信 という記事を書いたことがあったが、わが実家でこの夏休みに尋ねたところ両親も弟も、地デジを見るためには地デジ対応のテレビを買わなければならないと思っていたとのことで、実は廉価なチューナーを買うだけで、今のブラウン管テレビは壊れるまで使えるんだと話したところ、驚いていたほどだったので、世間一般にはあまり知られていないようだ。 現に、beの記事では東京79歳の男性や栃木50歳の女性が、「まだ使えるアナログテレビがゴミになる」という理由で地デジへの移行を躊躇っており、否定的な意見を述べているが、チューナーのことを恐らく知らないのだろうと思うし、記事も解説もチューナーの存在をフォローしていない。

現在は、さらに多くのメーカーが廉価で性能の向上したチューナーを発売しているのにだ。価格コムの表

デジタル対応の高性能高価格テレビを製造販売するメーカーの思惑ももちろん分かるが、地デジへの移行を急ぐ総務省としては、もっとこのチューナーを宣伝すべきではないのだろうか。そちらの方が、まだ使えるブラウン管テレビを捨てて新しいテレビを買うよりも、よほど地球に優しいはずなのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月14日 (月)

ヴリュンヒルデって何?

宮崎駿監督作品のアニメーション『崖の上のポニョ』のDVDを見た。

得てしてDVDのセリフの音量設定は低めのものが多く、それに音量を合わせて大きくすると、効果音がうるさくなる傾向があるようで、日本語の映画でも字幕が出るようにセットすることが多いのだが、このアニメでも同じようにして見たところ、ポニョの本名が「ヴリュンヒルデ」と字幕に登場したのだった。

誤植ではないようで、数回繰り返してヴリュンヒルデと表示される。

ヴァーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』の第1夜、第2夜、第3夜に登場するヴァルキューレ達の長女がブリュンヒルデで英雄ジークフリートの妻となるのだが、その綴りはBrünnhildeであり、日本語表記ではブリュンヒルデが適当だろう。

まさかヴリュンヒルデという表記は著作権の問題ではないとは思うが、久石譲の音楽もヴァーグナーのヴァルキューレの騎行のオマージュを使用していることもあり、その意味からもブリュンヒルデであることは紛れもないことなので、DVDが間違っているのか、原作の台詞が間違っているのか、よく分からないが、結構気になってしまった。

子どもの持っている映画のパンフレットの「ぷろだくしょんのーと」には、「ワーグナーのワルキューレを聴きながら」というコラムで、ポニョの本名が「ブリュンヒルデ」と明記されているので、より一層DVDが誤植だろうという疑いが濃くなってしまった。

追記:DVDでは、英語字幕が見られることに気が付き、チャプター6の問題の部分を見てみたところ、Can't you hear me, Brunhilde? となっており、「ブリュンヒルデ」 であるべきなのが明白になった。

関連記事

2008年8月 4日 (月) 『崖の上のポニョ』は父親に複雑な印象を与える

2008年8月28日 (木) NHKのドキュメンタリーを見て「ポニョ」の秘密が少し分かった

追記 2009/12/23  アクセス解析を見ていたところ、この記事とシューマンのヴァイオリン協奏曲の記事が、vodkaのコンサート日記 都響 サントリー定期@サントリーホール 大ホール(2009/12/18) で紹介されていることが分かり、お礼の挨拶をさせてもらった。 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年12月13日 (日)

ようやくメタボリックシンドローム該当から外れた

昨年2008年の11月の人間ドックで、見事初年度のメタボリックシンドロームに該当すると判定され、特定保険指導の積極的支援を2月から半年受けたのだが、その期間はあまり目立った効果はなかったのは、何度か書いた通り。

しかし、先週の金曜日、人間ドックを受診したところ、昨年に比べて大幅な数値の改善が見られた。

体重は9.1kgの減少で、BMIは26.6から23.4まで下げることができた。

腹囲も自分で何度か巻尺で測ったときには85cmのメタボ基準を下回ることがなかったのだが、測定者の手馴れた測定では、昨年よりも何と6.9cmも細くなっており、めでたくメタボの第一関門をクリアできたことになった。

血圧も拡張期が85以下となり、中性脂肪も半減。

悪玉コレステロールも正常値内で、善玉コレステロールも正常値の範囲。

空腹時血糖値とHbA1c(糖化ヘモグロビン、ヘモグロビンA1c:過去2ヶ月の血糖値の状態を示す指標)も正常を示した。(これは昨年も異常値ではなかったのだが。)

肝機能を示すGPTやγGTPも昨年は少し正常値を上回っていたが、正常値に復帰した。これには、アルコール飲料を飲む量や回数を相当減らしたことも効果があったものと思われる。

ただ、尿酸値が思ったより下がらず、未だ6.9mg/dl以下の正常値に復帰できていないのが残念なところだ。

腹囲が大幅に下がったのには驚いた。朝から朝食、水分抜きで、用便後(というのは昨年と同じ条件)ということもあるようだが、数字としてここまで細くなっているというのは、予想外だった。ズボンの腹回りが相当ゆるくなったので、細くなった実感はあったのだが、どうも巻尺で自分で測る腹囲測定では85cmを切ることがなかったので、少し釈然としない。昨年も今年も、人間ドックの測り方が腹囲の測り方のガイドよりも甘いということも考えられるので、これには少し注意しておきたい。

昨日も外出して1万歩歩き、今日は少しはりきって1万5千歩ほど歩いたように、いわゆる食事の制限であるダイエットよりも、有酸素運動(正しい意味でのエアロビクス)を自覚的に生活習慣に取り入れたエクササイズの効果が大きいように思う。この2ヶ月間はほとんど毎日1万歩以上のウォーキングを続けていることになる。

最近、体重の減りが停滞し、腹囲の減少が少ないことで、停滞期かと気にして調べたところ、エクササイズによって体力が付いた体では、以前の面白いように体重が落ちたころの運動不足の身体と違い、同程度の運動では心拍数(脈拍)の上昇(運動強度)が上がらないため、体への負荷が軽くなってしまっていて、体重が減るまでの運動になっていないということを知り、少し運動強度を上げた(早足の度を上げた)ところ、また体重も減るようになってきた。

ただ、腹囲を意識して腹筋運動も少し始めたところ、非常に腹筋が弱っていて、自分ひとりでは上半身を起こすことができないほどだったのにはショックを受けた。

今回の検診結果では、確かに内蔵脂肪は大幅には減ったようだが、尿酸値が高いことや、未だ高い数値を示す体脂肪計の数値のように、まだまだ改善する余地があり、また、ウォーキングに面白さを感じていることもあるので、冬場とは言え、現在の生活習慣を保ちたいものだと思う。

追記:12/19(土)の記録

Pc192333

体重計(両足測定)では、それほど高い体脂肪率ではないが。

Pc192334

両腕式体脂肪計では、結構高く、「かくれ肥満」という判定!

Pc192332


| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »