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2010年1月の27件の記事

2010年1月31日 (日)

池上彰氏の「そうだったのか!」シリーズ が面白い

NHK週刊こどもニュースを立ち上げ、現在では多方面で活躍中で、このブログでも時々言及している池上彰氏のことをネットで調べたら、相当膨大な著作をものしていることを知った。

(私は既に脱退したが)例のAmazonというネットショップの書籍の読者レビューでは相当評判が高いようだ。特に、『そうだったのか!中国』(発行ホーム社、発売集英社)については、現代中国史がこれほど明快に分かりやすく書かれたものはないのではないかと書かれており、興味を持った。

ブックオフなどの古書店にはまだ池上氏の著書はほとんど出回っていないようで、新刊書を売る普通のメガ書店で、店頭のタッチパネル式の在庫検索サービスで著者名をキーにして調べると、集英社文庫から数冊発行されていて、在庫もあるということだった。そんな中で、まず『そうだったのか!アメリカ』(集英社文庫、定価本体705円)を求めてみた(書店のポイントカードでポイントが溜まったので100円引き)。

もうほとんど内容を忘れてはいるが学生時代に英語による『アメリカ政治史』をとったこともあるし、先日のアメリカ建国当時の歴史を読んだり、この本にも出ている参考書のいくつか(本多勝一、司馬遼太郎など)にも目を通していたり、日々の報道で接していたりして、それなりに概要はわかっているつもりの国ではあるが、テーマをいくつか設定した切り口で、この大国をわかりやすく説明していて、大変面白かった。

また、昨日、久しぶりに市立図書館に用があり、図書館で蔵書を調べたところ、上述の『そうだったのか!中国』が意外にも相当大きな版のペーパーバックで書架にあり、早速借り出し手続きをして、読み始めた。

2000年頃から2003年頃まで仕事上の関係で2回ほど江蘇州を訪れたこともあり、当時の比較的親日的な雰囲気を覚えていたので、その後の反日暴動やサッカーアジアカップでの異様な反日の雰囲気などに対しては違和感を覚えていたのだが、その政治的な理由なども明確にこれに書かれていた。(以前、政治的な文脈など分からずに書いたアジアカップの記事はこれ。報道姿勢への疑念は今で変わらないが、作られ、用意された「反日」への洞察が我ながら欠けていた。東欧民主化の年であり、天安門事件の1989年の翌年の1990年から中国では、大学生に軍事訓練、中学高校では愛国教育が行われ、それが「反日」容認の党の態度表明により、2004,2005年の反日暴動が中国全土に飛び火したということのようだ。)

やはり学生時代に(この本でも触れられている)エドガー・スノウの『中国の赤い星』の日本語訳を、結構面白く読んだ記憶もあったが、その後の中国現代史については書籍を求めて通読することもなく、大躍進や文化大革命についてもNHKテレビドラマの『大地の子』(山崎豊子原作)程度で断片的にしか知らず、毛沢東死後の少々内幕ものの醜聞もの的な本の見出しや広告でその治世の様々な矛盾などを知っていた程度だった。そのようなことや先日書いたチベット仏教美術の中国政府による展示の問題も含めて、この一般向けの解説書は、立場的には比較的偏りがなく書かれていて、大変ためになった。

文化大革命世代(当時十代だった世代で、2007年当時には50代から60代の世代)は、中国では失われた世代と言われているようだが、ちょうど自分よりも少し上の年代であり、日本の団塊の世代と同年代になる。その後の四人組の失墜から鄧小平の復権、そして現代へと、自分の少年、青年時代に重なり、断片的な情報が蓄積されてはいたが、それらも相当整理された感じで頭に入った。台湾問題については、今日付けの朝刊で、アメリカが台湾に武器供与をすることに対して、中国が反発を強めているという報道があったが、その背景をこの本で通史として知ることで、ことの重大性が分かるように感じた。また、香港(マカオの返還が香港よりも遅かった理由も)の返還についても、分かりやすく書かれていた。

現在、集英社文庫のシリーズで、『そうだったのか!現代史』『現代史パート2』『日本現代史』も入手可能。文庫本としては2007、2008年に出版されたものだが、単行本としては、2000年ごろに上記のホーム社から出版されたもので、最新情報としては少し古いが(2007,2008年当時の付記、追記はあり)、中学、高校でも「はしょられる」ことの多い現代史についての副読本として使われてもいいような内容のようだ。これらについては、また読後感を書いてみたい。

ウェブでの連載もあり。

池上彰のウェブでの連載2005年: ニュース@イー・ウーマン

(この中の長文の対談記事は、池上氏がこのような啓蒙書を猛烈に書いている理由、動機がよく分かる内容になっている。)

現在読める連載を見つけた:Newsweek斜め読み

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2010年1月30日 (土)

2010年が記念年の作曲家

2009年は気早に2008年の12月の初めに記事を書いたのだったが、2010年はようやく今になって調べてみようと思った。

今回も歴史データベース on the Web のデータをお借りして、エクセルで検索してみた。

大物は、ショパンとシューマンの生誕200年。そしてマーラーやヴォルフ、アルベニスの生誕150年だろう。

◆没後50年(1960)

 ドホナーニ(Dohnanyi.Ernst von)没82歳(誕生:1877/07/27)ハンガリーの作曲家
 ケックラン(Koechlin.Charles)没93歳(誕生:1867/11/27)作曲家「パルティータ」を作曲した

◆生誕100年(1910)
 バーバー(Barber.Samuel) 誕生 作曲家「弦楽のためのアダージョ」を作曲した

◆没後100年(1910)
 ライネッケ(Reinecke.Karl)没85歳(誕生:1824/06/23)ピアニストで指揮者、作曲家ライプチッヒでメンデルスゾーンやシューマンに師事したゲンヴァントハウスの指揮者
 バラキレフ(Balakirev.Mily Alexseyvich)没73歳(誕生:1837/01/02)ロシアの作曲家

◆生誕150年(1860)
 ウォルフ(Wolf.Hugo) 誕生 作曲家「ゲーテ歌曲集」を作曲した
 アルベニス(Albeniz.Isaac)誕生 スペイン カンプロドンに誕生
 シャルパンティエ(Charpantier.Gustav) 誕生 フランスの作曲家
 マーラー(Mahler.Gustav) 7/7 誕生「大地の歌」などを作曲したオーストリアの作曲家
 パデレフスキ(Paderewski.Ignacy Jan) 誕生 ピアニストで作曲家「メヌエット」を作曲した再生ポーランドの初代首相を務めた

◆没後150年(1860)
 ジルヒャー(Silcher.Friedrich)没71歳(誕生:1789/06/27)音楽教育家で歌曲作曲家
 ツェルナー(Zoellner.Cark Friedrich)没60歳(誕生:1800/03/17)作曲家ライプチヒ男声合唱団を創設した

◆生誕200年(1810)
 02月08日ブルクミューラー(Burgmueller.Norbert) 誕生 ドイツの作曲家
 03月01日ポーランドの作曲家ショパン(Chopin.Fryderyk)誕生
 04月13日ダヴィッド(David.Felicien) 誕生「砂漠」を作曲したフランスの作曲家
 06月08日ドイツの作曲家シューマン(Schumann.Robert Alexander)がツヴィッカウに誕生
 06月09日ニコライ(Nicolai.Carl Otto Ehrenfried) 誕生 作曲家で指揮

◆生誕250年(1760)
 02月12日ドゥシェク(Dusik.Jan Ladislav) 誕生 ピアニストで作曲家
 09月08日ケルビーニ(Cherubini.Luigi) 誕生 イタリアの作曲家

◆生誕350年(1660)
 05月02日イタリアの作曲家アレッサンドロ・スカルラッティ(Scarlatti.Alessandro)誕生
 12月04日カンプラ(Campra.Andre) 誕生 作曲家「優雅なヨーロッパ」を作曲した

◆生誕600年(1410)
   ヨハンネス・オケヘム(Ockeghem.Johannes)誕生 カノンと対位法の技法を発展させたフランドル楽派の作曲家

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2010年1月29日 (金)

高校生の世界史未履修問題と「阿片戦争」と経済評論家、世界の歴史19「中華帝国の危機」

下記の下書きは、もう3年以上も前のものなのだが、最近読み始めた世界の歴史19の『中華帝国の危機』の付録の鼎談に面白いことが書かれていたので、少しは関係があると思い、アップしてみることにした。

松本健一という作家・評論家と、並木頼寿、井上裕正というこの歴史の著者が、鼎談をしているのだが、松本氏の香港での1996年の講演後に、香港の人が「香港人はアヘン戦争のことを知らない」と伝えに来たという話題が出されており、それでこの古い下書きを思い出した次第。

これは、英国支配下の香港では、英国のかつての悪行である「アヘン戦争」を香港の人々に教えないように歴史教科書を編集した結果らしい。

やはり歴史教科書というものは、特に自ら歴史を学ぼうという気持ちのない普通の人々には相当強い影響力があるものだと思った。

下記に書いた経済評論家の場合はどうだったのだろうか?

-----------2006年11月2日の下書き-------------

日々の展開が速いので、マスメディア的にはすでに旧聞に属することになっているが、日経BPネット 立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」第89回 東大生にも蔓延!履修漏れ問題 「ゆとり教育」が国を滅ぼす に昨今の主に世界史を中心として未履修問題が、いつもの立花隆らしく大上段に振りかぶり憂国の言辞で締めるというパターンながらまとめられている。

これを読みながら、以前たまたま民放テレビのクイズ番組で目にした経済評論家の世界史知識の無知を思い出した。これはその後ネット上でも相当に話題になったようだが、確か「アヘン戦争が清国とどこの国との戦争だったでしょうか」というような設問の答えを、東大卒のその経済評論家が回答できなかった場面だった。

WIKIPEDIAでは、経歴が、都立高校卒業、東大理二入学、東大経済学部卒業となっている。浪人、留年もせずに、また理科系から文科系への転籍のも関わらずストレートで学業を完了した「優秀な」学生だったようだ。(一部で帰国子女だったという話も聞いたことがある。そうなると日本では中学校の社会科でアヘン戦争に触れることもあったと記憶するので、それが遠因とも考えられないではない。)当時の高校の世界史は選択制だったし、いわゆる大学入学時は理科系なのでその部分について無知なのは一般人としてなら許されるだろうが、「アヘン戦争」の世界史的位置、その後の東アジア、特に日本に与えた政治的・「経済的」影響の重大性を見たときに、経済評論家として知りませんでは済まされないだろうと思う。もっともあまりにも初歩的な問題で裏があるのではと深読みしすぎて答えられなかったという、逆の深読み解釈もできないではないが。

いずれにしても、15・16世紀に始まった欧米列強の世界的な膨張・侵略の象徴的な事件であるアヘン戦争について、彼はどう考えているのか。経済が人間の営みである限り、歴史的な事件の記憶の連鎖のようなものも非常に重大で、それがために、現在でも世界各地で、恩讐の連鎖のような事件も続いている。

数学的な計量経済学では、人文的なそのような知識はあまり必要ないのかも知れないが、最低限の知識という意味で、日本史、世界史の知識は必要なのではあるまいか?

高校の履修漏れについては、大学受験体制とゆとり教育に原因が求められるので、高校や教育委員会だけを責めても仕方がない。まして、高校生には責任がない。

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2010年1月28日 (木)

spam コメントやトラックバックが急増

cocologが1/26 にバージョンアップされ、コメント、トラックバックでスパム指定したものが自動的に別フォルダに入るようになった。それはそれでいいのだが、なぜかそれ以来、スパムコメント、トラックバックが急増している。これまでホスト側でブロックしていたものをいったんそれぞれのblog側に送るようにして判断させるようにしたのかも知れないと疑うほど多い。

今日などは、コメントで7件ほど、トラックバックで9件ほどがスパムフォルダに入っていた。発信もとのIPアドレスが分かるので、検索してみると、他のサイトにもスパムを送りつける海外の札付きのサイトのものが多いようだ。

今日からコメントを受け付ける際に、コメントの検証画像をすべてのコメントに表示するように設定を変えたのだが、これをすり抜けてくるというのもよく分からない。

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2010年1月27日 (水)

モーツァルトの誕生日 1756年1月27日生まれ 生誕254周年

昨年は奇を衒って、生誕253周年のところを254回目の誕生日などと書いたのだが、2010年は、満で数えると254周年となる。

1756年から1791年に掛けての日本史を 歴史データベース on the Web(歴史データ大型版 Ver.9.03)で検索し、興味のあるところを抜書きしてみた。

同時代人ということでは良寛さんのことを以前書いた(2008年7月16日 良寛さんとモーツァルトは同時代人だった!。良寛さんの誕生日はこのデータベースには出ていなかった)が、池波正太郎の『剣客商売』はちょうど田沼意次の時代、『鬼平犯科帳』の長谷川平蔵は松平定信の時代というように、モーツァルトの同時代だったということが今更ながら分かった。

また、上杉鷹山も同時代人だったのだ! 

大国屋光太夫は、ロシアに漂流後、もしかしたら、ペテルブルグなどでモーツァルトの音楽を聴く機会があったかも知れないなどと想像するのは面白い。ちょうど、天正少年遣欧使(1585/03/23,天正13/02/22 日本の天正遣欧少年使節団一行が、グレゴリウス13世(83)に謁見する。)が、ローマでパレストリーナ(1525-1594)やビクトリア(1548-1611)の音楽を聴けた可能性があるあように。

1758/10/04,宝暦8/09/03
    田沼意次が加増されて大名となり、評定所へ出ることを許される。
1758/11/02,宝暦8/10/02
     良寛誕生。 江戸時代の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。
      (没年1831/02/18,天保2/01/06)

1760/10/10,宝暦10/09/02
    家重の長男徳川家治が第10代の征夷大将軍になる。政治の舵取りは田沼意次になる。
1760/10/31,宝暦10/09/23
   葛飾北斎となる中島時太郎(鉄蔵)が江戸本所の割下水に誕生。
1760/11/30,宝暦10/10/23
    我が国初の麻酔手術を行う華岡青洲誕生。
1762/03/18,宝暦12/02/23
    奈良が大火にみまわれ、東大寺戒壇院、興福寺などが焼失する。
1762/05/03,宝暦12/04/10
    平賀源内が江戸湯島で物産会を開催する。
1762/11/29,宝暦12/10/14
    安藤昌益、没。60歳(誕生:元禄16(1703))。思想家。
1763/06/15,宝暦13/05/05
    俳人・小林一茶誕生。
1763/07/05,宝暦13/05/25
    本居宣長が松坂で国学者加茂真淵と会う(この年の暮れ、宣長は正式に真淵の門弟となり、手紙のやりとりで教えを乞い、「古事記伝」の完成へと向かう。
1767/07/04,明和4/06/09
    作家・滝沢馬琴誕生。
1767/07/26,明和4/07/01
    幕府が側衆の田沼意次を御用人とする。
1769/09/17,明和6/08/18
    御用人田沼意次が老中格に、西の丸老中板倉勝清が本丸老中になる。
1769/11/09,明和6/10/12
    青木昆陽、没。72歳(誕生:元禄11(1698)/05/12)。甘藷先生と呼ばれた。
1769/11/27,明和6/10/30
    賀茂真淵、没。73歳(誕生:元禄10(1697)/03/04)。国学の大家。
1770/07/07,明和7/06/15
    鈴木春信、没。46歳(誕生:享保10(1725))。錦絵の創始などで浮世絵画法を革新した。
1771/04/18,明和8/03/04
    杉田玄白が浅草の茶店で中津藩医の前野良沢と会い、小塩原刑場に腑分けを見に行く。
1771/04/19,明和8/03/05
    解体新書の翻訳を開始する。3年6ヵ月を要す。
1771/06/14,明和8/05/02
    藩政改革に着手した米沢藩主上杉治憲(鷹山)が、儒学者細井平洲を招く。
1772/02/18,明和9/01/15
    田沼意次が老中に就任する。異例の抜てき。
1773/08/14,安永2/06/26
    米沢藩主上杉鷹山の藩政改革を批判して、重臣7人が訴状を提出する(七家騒動)。
1773/08/17,安永2/06/29
    平賀源内が秋田藩主佐竹曙山の招きにより秋田へ向かう。
1776/08/17,安永5/07/04
    平賀源内がエレキテルを完成させる。
1776/10/06,安永5/08/24
    国学者の平田篤胤が秋田藩に誕生。
1783/01/11,天明2/12/09
    [ロシア暦12月31日]伊勢国白子の船頭の大国屋光太夫の船神昌丸が江戸送りの米を積んでこの日白子の港を出帆するが、まもなく駿河の沖で遭難し、楫なしで8ヵ月漂流する。
1783/08/05,天明3/07/08
    浅間山、空前の大爆発。火砕流で鎌原村が埋り、死者466人。
1783/08/16,天明3/07/19
    [ロシア暦8月6日]大国屋光太夫らがアリューシャン列島に漂着する。
1784/01/17,天明3/12/25
    与謝蕪村、没。68歳(誕生:享保1(1716))。
1784/04/12,天明4/02/23
    志賀島の農民甚兵衛が、田から「漢委奴国王印」と刻まれた金印を発見する。
1786/09/19,天明6/08/27
    田沼意次が老中を解任される。
1787/08/02,天明7/06/19
    松平定信が老中に就任し、田沼政治の一掃を図る。寛政の改革に着手。
1787/09/04,天明7/07/23
    二宮尊徳が相模国足柄上郡栢山村に誕生。
1788/06/02,天明8/04/28
    長谷川平蔵が火付盗賊改の役を解かれる。
1788/10/30,天明8/10/02
    長谷川平蔵が再び火付盗賊改の役に就く。
1789/04/09,寛政1/03/14
    三浦梅園、没。67歳(誕生:享保8(1723)/08/02)。思想家で条理学。
1790/07/06,寛政2/05/24
    幕府が、朱子学を正学と定め、湯島聖堂での正学以外の異学の教授禁止を通達する。
1791/02/17,寛政3/01/15
    大国屋光太夫らがイルクーツクを出発し、帰国懇願のためペテルスブルグに向けて出発する。
1791/06/08,寛政3/05/07
    [ロシア暦5月28日]大国屋光太夫がツァールスコエ・セローで初めてエカテリーナ女帝に拝謁かなう。
1791/10/10,寛政3/09/13
    [ロシア暦9月29日]エカテリーナ2世が大国屋光太夫に同情しイルクーツク知事に対日遣使勅令を発する。
1791/10/31,寛政3/10/05
    [ロシア暦10月20日]大国屋光太夫がエカテリーナ2世に再度謁見を許され、手づから金牌を授与される。

今日は、モーツァルトの誕生ではあるが、コルトレーンの『至上の愛』 A Love supreme を初めて聴いてみたり、Queen の "A Night At the Opera" を聴いてみたりもした。

Coltrane_a_love_supreme

モーツァルトの曲は、マルコム・ビルソンのフォルテピアノ、ガーディナー指揮のイングリッシュ・バロック・ソロイスツによるピリオド楽器のモーツァルトとしては比較的初期の1987年の録音で、「クラヴィア」協奏曲第22番変ホ長調K.482と 有名な第23番イ長調K.488の2曲を寛ぎながら聴こうと思う。

Mozart_p_concerto_2223_bilson_gardi

下記は、珍しいリヒテルとブリテンの共演による第22番の第1楽章。(初めてYoutubeを貼り付けてみたが、結構簡単で驚いた。)

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2010年1月26日 (火)

皆声というブログ解析サイト

たまたま、皆声(みなこえと読むらしい)というブログ解析サイトを見つけた。

膨大なブログを分析して、ブログ偏差値とかいう指標でブログのランキングをするシステムらしい。その分析のための指標の計算方法がよく分からないので、何とも言えないのだが、少しリンクをたどっていったら、

ブログ・メディア・動画界勢力図詳細 なるものが出てきた。 
http://minakoe.jp/detail_stat.html 

投稿ブログ記事数という分析結果は、なかなか興味深いものがある。

Ameblo の投稿ブログ記事数がこれだけ多くのブログがありながら60%を越える圧倒的なシェアというのがにわかに信じがたいように思う。1日の記事数が40万件とか50万件で、2位以下とは、本当に「桁」が違っているのだ。2位はYahooだが、数万件であり、cocologにいたっては、1万件に満たない日が多い。

Amebloの記事シェアの統計に間違いがなければ、いわゆる寡占に近いモンスター的な存在ではなかろうか?

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2010年1月25日 (月)

文春新書の「クラシックCDの名盤」演奏家篇 (宇野、中野、福島共著)の改訂版 流し読み

文春新書の「クラシックCDの名盤」演奏家篇 (宇野、中野、福島共著)の改訂版(2009年11月発行だと思った)が本屋の棚に並んでいたので、手に取って流し読みをしてみた。

初版では、宇野氏と彼の影響下にあった福島氏の主導権ではないかと憶測されるのだが、論評対象のリストにセルやクリュイタンスの名前がなかったが、今回はどういう意見の修正があったものか掲載されていた。

福島氏が宇野氏の影響を脱したのか、セルのハイドンの交響曲集を初めて聴いてセルを見直したなどと評論家に似合わぬ正直なことを書いていて、セルについて東京ライブやドヴォルザークの熱い演奏(CBS)を誉めていて驚いた。評論家としての個性を売りにするためには、エキセントリックな物言いがときには必要だろうが、プロならば自分の気に入らない演奏家の録音やコンサートにも目を(耳を)配る方がよいと思う。

宇野氏は相変わらずセルを否定し続けたいようで、1970年の来日公演の「英雄」(吉田秀和氏が絶賛したもの)を完全否定し、中野氏が推奨している協奏曲のCDなどは見つからない(持っていないか、見つけるつもりがないのでは?)とまで書いている。ここまで固執すれば立派なものだ。唯一、ヴィーンフィルとのエグモントを推薦盤にしていた。

また、クリュイタンスについても宇野氏は語る言葉がないようなことを言っていたらしいが、福島氏は、これも古くから知られていたはずのクリュイタンスのベートーヴェン全集を、改めて最も素晴らしい全集の一つだろうと再評価していた。

これまで、福島氏は、むやみと入手しにくい音盤を推薦するきらいや衒いがあったが、ようやく肩の力が抜けて正直にものが言えるようになったのだろうか?

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2010年1月24日 (日)

小田急ロマンスカーMSEに乗って箱根まで

ロマンスカー連結部に傷 小田急、5編成の運転休止の影響があったためだと思うが、12:10町田発の箱根湯本行きは、60000形「MSE」の6両編成だった。子どもは新型に乗れて大喜び。

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2010年1月23日 (土)

岡田暁生『音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉』(中公新書2009)

2009年6月25日初版(2009年10月15日4版)の新書。帯には、第19回吉田秀和賞受賞となっている。

岡田暁生氏の中公新書の音楽書は、これまでにも『西洋音楽史』『オペラの運命』の2冊を読んでおり、どちらも明快な文章が読みやすく、また視点が新鮮で興味深く読んだものだった。

今回の「評論」?は、音楽リスナーに対する啓蒙のような表題だが、内容を読んでみると、これまで私もこのブログで断片的に考えて書き付けたような音楽の意味伝達や、形式把握の問題などがさすがに要領よくまた多くの参考文献や実例を元にして語られていて、改めて上手いものだと思った。この著者の本を読むと、頭の中で漠然と考えていたようなことがらが整理されて提示されているという感じで、その部分で共感できるし、面白いと感じる。

第1章 音楽と共鳴するとき - 「内なる図書館」を持つ では、「好み」が社会集団に属するもの(クラシックピアノ学習者の集団とジャズを愛好する集団の違い)という至極当たり前のことが語られていた。村上春樹の音楽エッセイ「意味がなければスイングはない」が、音楽を聴く究極の意味を伝えているものとして引用されていた。

第2章 音楽を語る言葉を探す - 神学修辞から「わざ言語」へ

音楽は言葉を越えるもので、言葉では音楽は語れないという言明はドイツロマン主義に淵源があるという指摘、特に音楽評論家としてのシューマンが多数引用されている。

ただ、それは分かるとしても、シューマンによるかどうか定かではないショパンの「お手をどうぞ」変奏曲への少し的外れな「ドイツ人による」賛辞をシューマンのよるものとして、ショパンがそれに対して毒舌を吐いているのを引用しているのは、いかがなものだろうか。

「このドイツ人(これをシューマンのことだとみなす意見が強い:望 岳人注)の想像には本当に死ぬほど笑った。」というショパンの言葉が、「諸君、脱帽したまえ、天才だ」で始る有名な評論に対して、ショパンが友人に送った手紙に載っているというのだ。

これには、実際はシューマンの評論に対してではないという意見もある。(このドイツ人というのは、シューマンの岳父 クララの父のヴィークであるという意見とショパンの作品2についての詳述。) 以前このことについては、下記のように書いたことがあった。

ショパンがポーランドを離れ、ヴィーンにデビューした頃、シューマンはショパンが作曲した『「ドン・ジョヴァンニ」の「お手をどうぞ」の主題による変奏曲  変ロ長調 (Variations on the theme "La ci darem la mano")Op.2』を、自分が筆を執っていた『一般音楽時報』で激賞し、2人の天才音楽家の間には交流が生じたようだ。(評論文は、シューマン著・吉 田秀和訳『音楽と音楽家』p.16 <<作品2>>で読める。)ショパンもシューマンには、バラード第2番を献呈している。(ただし、このサイトによると、ショパンはシューマンの「誤解」について冷淡だったようだ。しかし、その通説に対する反論もありこちらの方が説得力がある。この間のシューマンとショパンについては、海老澤敏『巨匠の肖像』バッハからショパンへ <<ショパンの肖像>>に要領よくまとめられている。) 2006年11月14日 (火) ケンプの シューマン 『クライスレリアーナ』

(この通説と反論のサイトはどちらもリンク切れ。私の考えは以下のコメントの通り。)

ショパンの伝記にはあまり詳しくなく、シューマン側の伝記しか知らなかったので、ネットで、「お手をどうぞ」変奏曲を調べていたところショパンのあまりの失礼な手紙にびっくり仰天して、その反論がないか探したらようやくあったというものです。

ショパン側の(なんだか敵対しているような書き方になってしまいましたが)評論家・伝記作家はショパンのために書いたことかも知れませんが、今と なってはシューマンの鑑識眼の高さとショパンの偏狭な趣味(彼らの音楽作品によく表れていますが)を彼らが逆に証明してしまっているのかも知れない、と少 々シューマン側に肩入れした見方もできるかも知れないと思います。

第3章 音楽を読む - 言語としての音楽

これについては、私も以前から吉田秀和氏の落語の名人とのアナロジーによるデムス評からのインスパイアで、似たようなことを考えたことがある。

2006年11月 9日 (木) イエルク・デムスのシューベルティアーデ

これについて10年ほど前Nifty-serveというパソコン通信時代のFCLAというクラシック音楽の会議室にも投稿したことがある。

落語や戯曲の台詞を、意味や背景、様式を十分把握していない例えば来日した外国人のような人が日本語でそれなりの発音で流暢に話すのと、専門家の噺 家や俳優がそれぞれのその人なりの癖のある語りぶりで話すのとでは、伝わる意味の内容や量が違うのではないかという仮定。それが、楽譜的には即物的に正し く確実に弾いた音楽(極端にはmidiの音楽)と、少々怪しいタッチでも様式や意味内容を十分踏まえた上で弾いた音楽との違いと同じようなものではないか と、書いたことがある。デムスの音楽には、ヴィーンを初めとしたヨーロッパで、多くの一流の音楽家たちの間で成長したピアニストの持つ音楽語というものは どういうものかを聞けたようなリサイタルだった。

学校教育でも伝達できるようにマニュアル化、組織化、グローバル化されている西洋クラシック音楽であり、音楽に国境はないとはよく言われることでは あるが、例えば日本人があの相撲の拍子木の次第に間隔の短くなるリズムを特別な訓練がなくても見よう見真似で打てるのと違い、あのようなリズムの伝統のな い西洋では、あれを楽譜に表すことも困難で、プロの打楽器奏者でも苦労するといことがある、という。また、蝉や鈴虫のような虫の音を聴く際に西洋人と日本 人では、それを雑音と聴くか、意味のある音と聴くかという点で脳の使い方まで違うという有名な話があるが、洋の東西の音楽についての感性の差は以外に大き いものだとも言えるかも知れない。そういう考えは、西洋音楽を日本人である自分が聴くということについての懐疑にもつながり、なかなかつらいのだが。

さて、この中で、第3章 「音楽を読む」 p.121-p.122 で シュナーベルによるシューベルトのD.959のイ長調ソナタ(第20番)の第4楽章(終楽章)の録音について、「『言語としての音楽』と『サウンドと しての音楽』の違いが端的に理解できる録音」として挙げられていた。「名優のモノローグ」のようだとされ、ポリーニやブレンデルの録音は「ラジオのDJ」 のようだとされていていて興味深く読んだ。シュナーベルの録音は幸い「シューベルティアーデ」というBoxに入っているので、聴いてみた。また、リファレ ンスとして、その前にケンプの録音も聴いてみた。

ケンプの録音は、以前に聴いたときは曖昧模糊とした印象しか抱かなかったのだが、第4楽章だけを取り出して聴いてみたところ、やけに親しみ深い音楽 として聞こえてきた。とても好みの音楽であり、演奏ではないか。そして、シュナーベルの方を聴いてみた。岡田氏の言う通り、確かに「言葉」としての分節や 抑揚が明瞭で、メリハリが利いているのだが、ケンプに比べてどうかといわれると、好みとしてはケンプかも知れない。

第4章 音楽はポータブルか?- 複文化のなかで音楽を聴く では、現在の音楽鑑賞が、様々な文脈(文化、時代、地理、思想などなど)の基で行われていることなどがまとめられている。ここでは、アドルノによるフルトヴェングラー(コン プロ)と、トスカニーニ(プロ コン)の論評の紹介が面白い。

この中のp.164 では、ポリーニのショパンのエチュード「黒鍵」が俎上に載せられているが、この曲のコーダの両手オクターブの、八分音符を3つに分けた3連符でのコーダ部分について、ポリーニのリズムがショパンの意図とは違うと指摘していて、あれっと思った。手元に楽譜がないのでIMSLPでダウロンードして楽譜を参照してみたところ、最後の3小節は、こうなっている。

Chopin_op10_5_3

「(3連符の)16分音符+16分休符+16分音符<この音符から両手オクターブの開始>(これで8分音符一拍分の音価)+3連符+3連符+3連符(これまでで1小節分)、8分音符+8分休符+4分音符、2分音符(フエルマータ付き)」 というリズムになっている。

これを擬音化すると「タ(休符)タ、タタタ、タタタ、タタタ、ターン」だろう。フレーズの切れ目の関係で、実際フレーズとして印象に残るのは、「タ(休符)」の後からのフォルテシモでのオクターブスケール降下「タ、タタタ、タタタ、タタタ、ターン」だろう。(読点で休符が入るわけではないので、実際には「タタタタタタタタタタ、ターン」とタがスタカートで10個続いて演奏される。)

これを岡田氏は、フォルテシモでの両手オクターブの開始の(3連符の)16分音符を「タン」と表して(いるのだと思うが)、8分音符を「ターン」として、「タン、タタタ、タタタ、タタタ、ターン」の「3割のリズム」で弾かれるべきだとしている。そして、同じ部分のポリーニの録音は、「タン、タタ、タタ、タタ、タタ、タ、ターン」と「2割のリズム」に変えていると書いてある。これだと、ポリーニの方は最後のターンの前のタが一つ多いことになる。誤植(原稿入力ミス)なのか、それとも詳細に分析的に聞くとそのように音が聞こえるのか、疑問だ。

興味があったので、実際にポリーニの録音、アシュケナージ、ホロヴィッツ(1971)のを比較して聞いてみた。(ただ、ここだけを取り出して聞いたことがなかったので、聞きなれないうちは音符が細かくは追えなかったことを正直に告白しなければならないが)アシュケナージはポリーニと同じように「2割のリズム」に聞こえるし、ホロヴィッツでもきちんと3連符(3割のリズム)が聞き取れるかと言うとそんなことはない。ホロヴィッツはコーダ直前のフレーズでいったんテンポを落とし、この下降両手オクターブで一気に終わらせるという演奏をしている。

この黒鍵エチュードの主部のように3連符が音程が異なっていれば「3割のリズム」の単位として聞き分け易いが、コーダのように下降のスケール(オクターブだが)になると連続して弾かれるのでどこが切れ目かははっきりしないように聞こえてしまうのだ。むしろ彼らのようなテクニシャン、ヴィルトゥオーゾではない、ポーランドの伝統を忠実に継承したショパン弾き(ハラシェビッチとかチェルニー・ステファンスカとか?)の演奏の方が、「3割のリズム」が聴き取りやすいのだろうか?

また、エチュード作品25の2のニュアンスについてのこの本でポリーニのリズムの区切りが「2割のリズム」と指摘されているのが正しいかよく分からないが、ポリーニとアシュケナージを比べてみると確かにアシュケナージの方がリタルダンドなどでテンポを落としていることもあり、3連符がはっきり聞こえるしニュアンスが豊かに聞こえる。ポリーニはテンポが速いこともあり、右手の3連符のまとまりがきこえにくく無窮動的につらなっているように聞こえる。

Op.25-2 の冒頭

Chopin_op252_2

シューマンとショパン、ポリーニのリズムへの言及については、このように物言いもあるが、全体を通しては、やはり示唆的、啓蒙的、刺激的な部分が多く、結構インスパイヤされた。

総じて、音楽の本質は人間同士でのコミュニケーシュン的な営為ということで、このようにステレオイアフォンで孤独に(感想を誰かと共有し合うこと なく)音楽を楽しんでいるような状況は、少し否定的にみなされているようで、(とはいえ、一応一方的ではあるが、このブログで関心を持つだろう不特定多数 の読者に向けて音楽の感想や印象を語ってはいるのだが)、友人知己などと生演奏で場を共有する努力を続けることは必要だろうとは思う。

アマチュアコーラスへの参加からも離れて、巣籠りリスナーになってしまっている自分を省みると内心忸怩たるものがある(^_^;)

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Cocolog 記事投稿トラブルのため Firefox 3.6 を 3.5.7 に戻した

追記2010/07/18 : 2010年4月14日 (水) ( XPの調子がよくなったので立て続けにバージョンアップインストール) で 再びFirefox 3.6 (3.6.3) に上げてみたところ、下記の問題はまったく生じなくなっていた。その後何回かの小さな改良があったらしく、現在のバージョンは 3.6.6になっているが、今のところ快調だ。

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昨夜、3.5.7 から 3.6 にアップグレードしてみて、動作の軽さは感じていたのだが、このcocologの記事作成後の保存(投稿)作業で、何度も異常終了してしまった。これまで特にそのようなトラブルがなかったので、別にテキストファイルを作成してからの記事のアップの習慣がなかったため、折角調べ物やまとめた記事が投稿時に失われてしまうのは、結構ショックなものだ。エラーメッセージは、画像ファイルなど容量オーバーの投稿になっている、というもの。そして、戻るボタンを押すと、元の記事には戻れず、喪失ということになってしまっている。画像などまったく付けていない平のテキストの保存だけなのだが。

問題の所在の切り分けができているわけではないが、Firefox 3.6にしてから突然生じた現象で、今朝ネットを検索したところ、3.5.7にダウングレードしても問題なく動いているという記事を見つけ、旧バージョンのダウンロードのページから3.5.7のセットアップファイルをダウンロードして、Firefoxのフォルダにそのまま上書きインストールしたら、簡単に元に戻せた。

「Firefox 3.5.x のセキュリティ更新は 2010 年 8 月まで提供されます。」とのことなので、しばらくは様子を見たほうがいいかも知れない。

なお、3.5.7に戻して作業をしているが、この記事の数回の保存中にはまったくトラブルが起きていない。

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2010年1月22日 (金)

Firefox 3.6をダウンロード

日本時間では1月22日からファイアフォックス バージョン3.6のリリースがあり、早速ダウンロードしてみた。

Windows 7 で使えるようにバージョンアップしたようなのだが、3.5よりもさらにスピードがアップしたとの紹介があったので、ためしてみたところ、特に Google Chrome に比べて劣っていた動作もようやく軽快になった。ただ、今回のバージョンアップでIEのレンダリングエンジンを使えるようにするアドオンが3.6未対応でしばらく使えないらしく、少し不便になっている。

IE7.0 もGoogleをターゲットにしたというガンブラーとか言うウィルスへの対策で急遽、パッチが提供されて、こちらも早速自動更新がかかったけれど、IEは狙われやすいのでやはり使用を躊躇ってしまう。

追記:cocologとの相性があまりよくないのか、記事作成をして保存をしようとするとエラーが発生して、これまでに2回も記事が消滅してしまった。


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2010年1月21日 (木)

1月21日に ベートーヴェン交響曲第1番ハ長調作品21を聴く

作品121, BWV121, K. 121 など、1月21日に語呂の合う曲はないかと、iTunesで検索をかけてみたが、残念ながらヒットしなかった。

21で検索すると、平均律の第21番、ショパン前奏曲集の第21番、ピアノ協奏曲第2番作品21だとか、シューベルトのピアノソナタ第21番、モーツァルトの第21番のピアノ協奏曲だとか、 冬の旅の第21曲「宿屋」などがヒットしてくる。メンデルスゾーンの「夏の夜の夢」の序曲も作品21だし、ヴェーベルンの交響曲も作品21になるようだ。

そんな中で、今晩は、ベートーヴェンの交響曲第1番ハ長調 作品21を 1、21という語呂で聴いてみることにした。

Beethoven_s1_6_gardiner 演奏は、ガーディナー指揮のOrchestre Révolutionnaire et Romantique によるもの。

ガーディナーの指揮は、バッハやヘンデルもそうだったが、軽快でサラサラと抵抗なく流れる演奏だ。リズムの軽やかさ、粘りのなさが、そのように感じられる要因なのだろうか?

ベートーヴェン30歳の年、七重奏曲や弦楽四重奏曲の初期6曲セット、ヴァイオリンソナタの第4番、第5番「春」と同じ頃の作曲なので、明朗快活さに満ち溢れている。

ちなみに、現代人なら壮年期、ベートーヴェンにとっては晩年だったが、43歳から53歳にかけては、(傑作が多いけれど)

43歳:戦争交響曲(ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い)Op.91

44歳:ピアノソナタ第27番

45歳:チェロソナタ第4、5番 「命名祝日」序曲、「静かな海と楽しい航海」

46歳:ピアノソナタ第28番

48歳:ピアノソナタ第29番「ハンマークラフィーア」

50歳:ピアノソナタ第30番

52歳:ピアノソナタ第31,32番/「献堂式」序曲

53歳:ディアベリ変奏曲/ミサ・ソレムニスOp.123 を苦しみながら発表している。

そして54歳から56歳までに第九交響曲、後期弦楽四重奏曲第12番から16番を作曲している。

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2010年1月20日 (水)

世界の歴史 12 『明清と李朝の時代』(中央公論社)

岸本美緒(中国明清史)、宮島博史(朝鮮社会経済史)著。1998年初版印刷、発行。

隣国である韓国、北朝鮮及び中国の情勢に、日々耳目を驚かされており、それについてああだこうだ言いながらも、肝腎のそれらの国の歴史、特に朝鮮史については高校生の世界史の教科書程度の断片的知識しかなく、日本の近世史、近代史にとっても様々な意味でかかわりのあったこれらの国の前史を知りたいと思っていたので、先日の「大モンゴル」に続いてこの本を手に取り、ようやく読み終えた。

数年前日本でも人気を博した韓国の歴史テレビドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」では、李氏朝鮮の中宗(1506即位-1545)の宮廷が舞台であり、そこに登場する政治家達は両班(ヤンバン)という階層に属し、また奴婢などの階層のことも描かれていたが、朝鮮の政治史ということで、特にヤンバンについては16世紀に生きた一人のヤンバン柳希春(1513-1577)という人物の『眉岩日記』という史料を元にしてて詳しく書かれており、興味深いものだった。ちょうど文禄慶長の役(朝鮮側からいうと壬申倭乱1592、丁酉倭乱1597という)の直前の時代の人物だった。

この歴史書の中では、第10章 ヒトと社会 - 比較伝統社会論 という章があり、一般の歴史叙述ではなく、東アジアの日本、朝鮮、中国の伝統社会比較についての考察が書かれているのが興味深かった。適当な抜書きだが、このようなことが書かれている。

 中国人にとっての家の意識の根本にあるもの:男系の血筋を通じて脈々と受け継がれる生命の流れの感覚=「気」。なぜ朝鮮半島の朝鮮民族が中国(漢族)に吸収されなかったのは、この「気」の感覚を持たなかったから、すなわち、漢族になるということは「気」の感覚を持つこと。
 日本のイエの強固さを支えたものは、究極的には、天皇制だった。それぞれの家業をもって社会的分業の一翼をになうが、その頂点に位置するのが天皇家だった。日本のイエが最も強固になったのは、近代天皇制(明治から敗戦まで)においてだったのは偶然ではない。
 朝鮮のチプ(家)ははるかに流動的だった。それは天皇制のような凝集力を欠いていた。李朝を開いた李成桂も成り上がりものであり、最高権力への道は可能性として、常に存在し続けた。

また、清朝時代に、清朝がチベットからジュンガル勢力を追い出し、清朝の駐蔵大臣とチベット側の支配者(ダライ・ラマ)が協力してチベットを統治するようになったのが、現在まで続く、チベットが中国の領土だったという根拠になっているとのことも書かれていた。「清朝とチベットとの間は、たんなる支配、被支配の関係ではなかった。チベット側からいえば、清朝皇帝はチベット仏教に帰依してこれを守る仏教の擁護者であり、そのような視点からみれば、清朝のチベット支配はチベット仏教の教えが清朝まで広まったということでもあった。」とされている。そして、「チベット仏教は、少なくとも、清朝を支える勢力の一つであるモンゴルを統合する重要な鍵であった。」とされている。先の、中国政府によるチベットの天空の至宝展覧会の歴史的背景をかなり遡れば、このような背景もあるのだという。これがそのまま、現代におけるチベット併合を正当化する根拠にはならないのは当然だが。

 

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2010年1月19日 (火)

暮れ果てし冬雨の降る夜の車窓街灯なべて光芒となる

放射状の線
http://hooktail.org/computer/index.php?%CA%FC%BC%CD%BE%F5%A4%CE%C0%FE%A4%F2%C9%C1%A4%AF

画像を作成する(放射状)
http://cg.xyamu.net/PhotoshopElements/entry90.html


光芒
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa427872.html

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2010年1月13日 (水)

節分の福豆と 「坂の上の雲」の秋山真之の好物 炒り豆

節分が近づいたので、コンビニでは恵方巻きのポスター、スーパーでは福豆を大量に売っている。この福豆は、炒り豆だが、昨年末に放送されたテレビドラマの「坂の上の雲」では、主人公の一人、秋山真之が大好物としていたものだ。

さて、この福豆は、毎年節分前には大量に店頭を飾るのだが、節分が過ぎるとたちまち棚から消えてなくなってしまう。我が家ではみなこの炒り豆が好物なのだが、手軽に食べられる福豆が常備されていればいいのにと思う。

大豆を買ってきて、適当に炒ればいいのだが、炒り加減が難しい。どのようにすれば、中心部までよく火の通った炒り豆を簡単に作れるのだろうか?

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2010年1月12日 (火)

指揮者のオトマール・スイトナー氏逝去

オトマール・スイトナー氏が逝去されたというニュース記事を読んだ。8日にベルリンで87歳の大往生だったとのこと。

氏については、下記の関連記事で書かせてもらったが、NHK交響楽団の客演指揮者としてFM放送で何度も聴いたことがあり、私にとって唯一の正規のN響のコンサート経験で、ブルックナーの交響曲第8番を聴く機会があった指揮者だった。

東西ドイツの統一とほぼ同時期に事実上の引退をしたことから、いろいろと憶測を呼んでいたのだが、近年、彼の息子さんが監督をつとめたドキュメンタリーが作成され、そこでパーキンソン病を患って闘病している様子が放映され引退の謎が解消したのは、こちらの記事に詳しい。内容は感動的ではあるが大変ショッキングなものだった。

今晩は、最後の手兵であるベルリン国立歌劇場管弦楽団 Staatskapelle Berlin とのベートーヴェンの交響曲全集から 「英雄」を聴いて、ありし日のスイトナーを偲ぼうと思う。

関連記事

2006年11月 2日 (木) モーツァルト 『魔笛』 スイトナー盤

2007年9月20日 (木) スイトナー/SKD モーツァルト後期交響曲集

P.S. 以前 Suitner の名前の発音について書いたことがあるが、

Pronouncing Dictionary of Music and Musicians

によれば、

Otmar Suitner : AWT-mar SVEET-nur だそうで、オートマル・スヴィートナーというのが近い発音のようだ。

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鯖の水煮の缶詰め

日本テレビ(読売テレビ)系で「カミングアウトバラエティ 秘密のケンミンSHOW」 毎週木曜21:00 - 21:54 は、家族でよく見ることの多いテレビ番組だが、2009年12月に放送された ヒミツのごちそう のコーナーで、山形県の内陸地方で冬によく食べられるという「ひっぱり」という名前の料理が紹介された。

料理としては、乾麺をつかった釜揚げうどんの一種で、そのつけ汁に使う具材がとてもユニークなので、出演者のほとんどが大変驚いていたが、実際に試食してみると、その美味しさにまた驚いたという様子だった。

そのつけ汁の作り方はいたって簡単で、納豆、鯖の水煮の缶詰(サバ缶、さば缶)、長ネギの小口切りを器で混ぜるだけ。乾麺のうどんに塩気があるため、つけ汁はこのままでもよく、また適当に醤油などで味付けをしてもいい。鯖缶をツナ缶に変えてもいいし、味付けにバターやチーズを入れるという家庭もあった。山形県の内陸地方の人々は、冬にはよく食べるということだった。

簡単で美味しそうなので、我が家でも早速作ってみたところ、結構好評だった。

私が以前から鯖の水煮缶が好物であり、また家内も同じく好き(信州北部では、根曲がりだけ=チシマザサの竹の子を山で収穫して、その場で鯖の水煮缶をだし汁として鍋に投入し、竹の子を煮て、最後に味噌で味付けて食するという竹の子収穫と野外食を兼ねた行事が5月頃に行われる)なので、子ども達も好きになったということもある。

この「ひっぱりうどん」は、元々は冬場の非常食を組み合わせて食べたもののようで、手軽で暖まり、栄養も取れるというのはなかなかの優れものなので、忙しいときなどには重宝しそうだ。

なお、子どもが同級生に尋ねてみると、鯖缶自体を知らない子どもが結構いたという。ツナ缶を知らない子はほとんどいないようなので、意外と言えば意外だ。スーパーマーケットでも特売コーナーによく積み重ねられているのに。鯖缶というと味噌煮缶の方がよりポピュラーのようだが、料理の素材としては水煮缶の方が優れているようだ。

ネットで調べてみたところ、この鯖の水煮缶の購入量は、「ひっぱりうどん」と「 竹の子汁」の食べ方が深く関っているようで、山形県と長野県が全国のトップを争っているらしい。

なお、wikipediaには、「チシマザサ」 の項に「竹の子の味噌汁」、「ひっぱりうどん」が項目として掲載されていた。

関連ページ:

鯖の水煮缶詰の画像多数はこちら

メーカーのページ

鯖缶の半数は青森県産というブログ

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2010年1月11日 (月)

オリオン座のベテルギウスが超新星爆発をするらしい

人類がそれまで生きながらえているかは分からないが、オリオン座のベテルギウスの観測からこの赤色超巨星が、超新星爆発を起こす兆候が現われているという。(地球から600光年ほど離れているので、今現在爆発を起こしても、それが地球に到達するのは600年後という天文学的なスケールの話だが。)

超新星爆発を起こした後は、巨大恒星のため、白色矮星とはならず、中性子星となり、その後ブラックホールになる可能性があるという。

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James Ehnes ジェイムズ・エーネス というヴァイオリニスト

昨日の「題名のない音楽会」に登場したカナダ人の若手ヴァイオリニスト ジェイムズ・エーネスという演奏家は初めて知ったが、大変安定した技巧の持ち主のようで、精確な音程とよく透る冴えた音色は、ヒラリー・ハーンを思わせ、大器の予感ではダヴィッド・オイストラフを思い出させるような音楽を聴かせてくれた。1976年生まれとのこと。今年33歳だ。

番組の構成は、少し悪ふざけが過ぎるコンビが登場し、少し鼻白む雰囲気を醸しだしていた。しかし、エーネスの演奏は、一部分だけだったが、ブラームスの協奏曲の重音を易々と弾いてしまうところなど、高島ちさ子が出演者の台詞とは言え「唖然」とするほどの巧さだった。

1月10日 「ブラームスはお好き・じゃない?名曲百選(9)ブラームス ヴァイオリン協奏曲」
ブラームスに青島広志さんが扮し、何にでも文句を言う新キャラクター「題名音楽大学 クレーマー・ちさ子教授」こと高嶋ちさ子さんとで、この作品について議論します。演奏はグラミー賞受賞ヴァイオリニスト、ジェームス・エーネスです。
              ゲスト:ジェームス・エーネス(Vn)、高嶋ちさ子、青島広志 
              指揮:佐渡裕 演奏:東京フィルハーモニー交響楽団

ネットで検索すると、既にヴァイオリン好きには、相当以前から注目されているようだ。

Naxos Music Library では、無料だとサワリのみ15分間のみだが、

パガニーニ:24のカプリース Op. 1 (エーネス)ONYX4044

J.S. バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ BWV 1001 - 1006 (エーネス)FL23147-8

フランス・ヴァイオリン小品集(エーネス)FL23151

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲全集(エーネス)SMCD5238-2

J.S. バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ集 2(エーネス/ボーセジュール)AN29830

コルンゴルト/バーバー/ウォルトン:ヴァイオリン協奏曲集(エーネス/トーヴィ)ONYX4016

バッツィーニ/ファリャ/エルガー/スコット/デニーク/ラヴェル/ヴィエニャフスキ:ヴァイオリンとヴィオラのための作品集(エーネス/ローレル)ONYX4038

ドホナーニ:ヴァイオリン協奏曲第2番/ピアノ協奏曲第2番(エーネス/シェリー/BBCフィル/バーメルト)CHAN10245

ダッラピッコラ:タルティニアーナ/2つの小品/小さな夜の音楽/管弦楽のための変奏曲(エーネス/BBCフィル/ノセダ)CHAN10258

クライスラー:作品選集 FL23159 ヴィエニャフスキ/サラサーテ:ヴァイオリン・ショウピース MVCD1168

フンメル:ヴァイオリン協奏曲/変奏曲 変ロ長調/ポプリ/アダージョとロンド・アラ・ポラッカ(シェリー)CHAN10255

ラヴェル/ドビュッシー/サン=サーンス:ヴァイオリン・ソナタ集 MVCD1138

愛と音楽 AN29764

を聴くことができる。

カプリースなどでもあまりにも易々と、また楽器がよく鳴るように弾けてしまうようで、むしろ平板に聞こえてしまうほどの凄さ、精確さを味わうことができる。

なお、グラミー賞を獲得したのは、コルンゴルト、バーバー、ウォルトンの協奏曲とのこと。

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世界の歴史第9巻 「大モンゴルの時代」

年末から読み始めた中央公論社版の新しい方の「世界の歴史」だが、第9巻「大モンゴルの時代」の冒頭の「つかみ」の部分にとりわけ感心したことは既にブログに書いたのだが、それは第1部はるかなる大モンゴル帝国(杉山正明著)の冒頭だった。この第1部は本当に面白く、一読の価値は十分にあるものだった。

特に、ヨーロッパ中心、中国中心の世界史観では軽視され続けてきたらしいのだが、大モンゴル帝国によるユーラシアのほとんどの地域の支配が後世に与えた影響は相当なものがあるようだ。よく言われるがロシアがタタールの軛を脱したというのは、このモンゴル帝国の影響をようやく脱したということだが、ロシア大公国自体がモンゴル帝国統治下に成立したことは紛れもない事実だった。エジプトのマルムーク朝については、いつだったかテレビ番組で面白く見たのだが、その出自がキプチャク草原出身の軍人奴隷(マルムーク)を中核としており、出身・言語・習慣ともジョチ(チンギス・カンの長男)ウルス(国)とは兄弟国といっていい面があった、という記述でなるほどと思った。

また、中国史においては、漢族による宋と明を重視し、その前の金とその中間の元を軽視しがちのようだが、元の統治下に、特に儒教が手厚く保護されたという事実や、日元の民間レベルでの交流が盛んであり、現代の日本文化につながる室町文化は元の影響が強いということ、異形の王権(網野善彦)である建武新政の後醍醐天皇の密教への志向がどうやら元の宮廷で重んじられた先日のこのブログでも触れたチベット密教の影響下にあったらしい、など非常に刺激的、示唆的なところが面白いものだった。

しかし、新知識が得られるかと期待していた第2部「モンゴルとイスラーム」(北川誠一著)の方は、第1部の分かりやすさや刺激的な挑発に比べるべくもなく、通読しても五里霧中的な感じしか得られなかった。

要は、現代のユーラシアのイスラム教国の多くがモンゴル帝国の版図の中にあり、当時の影響を今も受けているらしいことが何とか読み取れたが、細部になると新出する人名や地名のオンパレードであり、年代的にも時間順に記述されていない(ように読めた)ようで、ちょうど高校時代の世界史の教科書で「道に迷った」ときのような漠然とした分かりにくさを覚えた。著者の整理の仕方の責任なのか、読み手の予備知識が不足しているのか、とにかく分かりにくいことはなはだしかった。注目していたティムールについても分かりにくい記述だった。個人的な感想ではあるが、現代の中央アジアの把握しがたさに繋がっているのかも知れない。

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2010年1月10日 (日)

年末年始のテレビ番組を振り返って

寒さが格段に違う信州で、さらに普段はあまり雪の降らない私の実家でも雪に会い、初詣など外へもあまり出かけられなかったので、ついついテレビを見て過ごすことが多かった。その結果、年末に軽い風邪をひくまでほぼ毎日15,000歩近くまでいっていたウォーキング歩数もめっきり減ってしまい、暮れと正月の御馳走攻めもあり、体重が増加傾向になってしまった。また、腹回りが変化して脂肪が落ちたこともあるのか、腰痛が正月ごろから出てしまい、先週水曜日には年次休暇をとったほど。

さて、ここ何年かはまともに見ることのなかった紅白歌合戦だが、第60回ということもあり、またあのスーザン・ボイルが登場して生で歌うということもあって、大晦日の大御馳走を御馳走になってから、腰を据えて長時間見た。スーザン・ボイルの歌声は、期待を裏切らずやはり「音楽、歌の力」を存分に味わわせてくれた。そのおかげというか、前後の歌手たちの歌がすっかりかすんでしまったのは御愛嬌だったろうか?

出場者の中では、いきものがかり という不思議なグループによる「YELL」という歌が気に入った。この曲は、2009年度NHK全国学校音楽コンクール中学校の部課題曲だった曲ということで、どこかで一度聴いたことがあった。最近見ることが少なくなったNHKみんなのうたでも流されたらしい。

FUNKY MONKEY BABYSというコミカルなグループによる「ヒーロー」という曲の歌詞は、我々中年世代にとっては何とも言えずほろ苦いもので、元気をもらえるというコメントもあるが、少し世知辛すぎるようだし、揶揄されてもいるような被害者意識を持ってしまう自分は相当参っているのかも知れない。

白組は相変わらず、ジャニーズ系の出場が多く、人気があるとは言え歌合戦に相応しい選出かは疑問だし、矢沢栄吉のサプライズ出場も虚仮脅かし的で好感は持てなかった。また、クラシック系の歌手の出場が今回はなかったが、タレント性のある人材やヒットがなかったのだろうか。まあ、それでもこれだけの放送を生放送で行うというのは、大変なことだとは思う。

ニュー・イヤー・コンサートは、たまたま土曜日の昼過ぎのTBSラジオを聴いていたら、アナウンサーの久米宏が今年のこのコンサートに行っていたことをしゃべっていた。そういえばカメラでも多勢の東洋系の聴衆の姿が映されていたが、彼らしき人はいただろうか?

「芸能人格付けチェック」という正月特番を妻の実家で見ていたので、その終了後断片的にしか見れず、見逃しが沢山あり細かい部分まではよく聴けなかったが、80歳を越えた2回目の指揮のジョルジュ・プレートルは、いまだに矍鑠としており、アンコールの定番の「美しき青きドナウ」では、オーケストラを相当ドライブしており、その元気さには勇気をもらえた。東洋的に言えば、仙人的な境地に入っているのではなかろうか。何とも清冽ながら暖かい音楽を聴かせてもらったような感じがする。このような印象は、指揮者の外見やしぐさから受けることが多いのを我ながら実感する。そういえば、勤勉な小澤征爾氏が、ごく初期の食道ガンが発見されたため半年間療養するという発表があったが、是非プレートルのように元気な老人として復帰して欲しいものだ。ドナウ川のシュヴァルツヴァルトの源流からルーマニアの黒海へ注ぐドナウデルタまでの美しい映像が「ドナウ川」と一緒に流されていたが、通しての映像はこれまであまり見たことがなかったので、改めてEUの一体化というものが感じられた。

「芸能人格付けチェック」正月スペシャルは、このところ何回かみる機会があるが、今回は、一挺数億円もするヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ(ゴフリラーだった)の楽器と、一挺数十万円の同じセットをそれぞれ使って、モーツァルトの「ディヴェルティメント」K.563の一部の聞き比べが行われた。テレビのスピーカーを通して、また超一流の演奏家ではないようだったということもあったが、今回は高域の音色の差が歴然とあった。前者がまろやかな音色で、後者は尖っているというかフレッシュな音色だった。後者でも音楽として聴けないわけではないと思うが、恐らく大ホールなどでの演奏で相当の差がつくものなので、このような試みはやはりお遊びだろう。

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2010年1月 9日 (土)

F.グルダ シュタイン/VPO の ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番

昨年の正月のバックハウスのステレオ録音による『皇帝』に続いて、この新春も『皇帝』を聴いた。

フリートリヒ・グルダとホルスト・シュタイン、ヴィーナー・フィルハーモニカー(ウィーン・フィル)による有名な録音。

Beethoven Piano Concerto #5 in E Flat, Op. 73, "Emperor"(皇帝)

Friedrich Gulda (piano)
Horst Stein/ Vienna Philharmonic Orchestra

1. Allegro 21:12
2. Adagio Un Poco Mosso 8:51
3. Rondo(Allegro) 10:40 
 iTunesのタイミングによる

1970年録音。

音盤としては、何度も再発されたLPで廉価盤、書店扱いの廉価盤CD、そして今回のDecca Piano Masterworks(DPM)と 3種類の重複になる。Londonレーベルとなった再発廉価盤LPには、吉田秀和『世界のピアニスト』所収のグルダ賛が非常に細かい文字で掲載されていたのを思い出す。

バックハウスの透明感のあるピアノの音色と、安定した解釈、表現が刷り込みだったので、このLPの冒頭のカデンツァを初めて聴いた時には、レコードプレーヤーの針先にホコリが付着して音がビリ付いているのかと思ったほど独特なピアノの音色で少し戸惑ったのを思い出す。針先をクリーニングしても同じ音だったし、その後聴いている2種類のCDでも同じ傾向の音が聞こえるので、これがグルダのピアノの音であることは確実だ。

グルダのアマデオ原盤によるベートーヴェンのピアノソナタ全集での使用ピアノが何かは議論があるところだが、この協奏曲集は、議論を俟たずベーゼンドルファーとのことだ。(とすると、バックハウスの透明感のあるピアノの音はスタインウェーだろうか?)

DPMには、グルダとホルスト・シュタイン指揮ウィーン・フィルによる全集ではなく、第1番のみクラウディオ・アラウとハイティンク/ACOの演奏のものが収録されている。グルダの全集は名盤中の名盤であり、こういう収録もいいのかも知れない(DPMは、さすがに全集としての収録はさすがに避けているようだ。このような廉価で全集を揃えられたらたまったものではない。)

このところ、音楽を楽しむ機会がめっきり減り、落ち着いて音楽を聴くのが久しぶりなので、非常に音楽が耳に沁みるような感じがする。グルダのピアノの音色も冒頭こそユニークだが、単音でメロディーを奏でる部分などうっとりとするほど透明感がある。

第1楽章の勇壮さや豪快さはもとより素晴らしいが、第2楽章の静謐な Adagio Un Poco Mossoは、冒頭主題の5度上昇の動機をレナード・バーンスタインが「ウェスト・サイド・ストーリー」の"Somewhere"に引用したことも知られているが、音の少ないこの楽章を「聞かせる」のは難しいものだろうと思う。

1970年の録音といえば、今から40年も前の歴史的な録音になるのだろうが、iTunesで圧縮して小型ステレオイアフォンで聴いてもまったくビリ付きも埃っぽさもなく、十分音楽に没頭できるのはうれしい。この点、下記のギレリスとセルとの録音やフライシャーとのセルの録音などは、音質的に万全ではなく、演奏が素晴らしいので、余計にもったいないと思う。

この「皇帝」協奏曲は、ナポレオンの軍隊がヴィーンを攻撃しているさなかに作曲されたものだが、そいういえば先日の「フランス革命」(世界の歴史)には、文化・芸術的な記述はほとんどなく、詳しいとは言え、政治史が主だった。共和主義者だったベートーヴェンが、かつての共和制のアイドル、ナポレオン軍の攻撃をどのように感じながら、この勇壮で、美しく、活気があり、堂々とした協奏曲を創造したものだろうか、などと思いながら聞き入った。

参考記事:

2008年7月18日 (金) ルドルフ・ゼルキン、小澤/BSOによる『皇帝』

2007年7月12日 (木) セルとギレリスの『皇帝』(米EMI盤)

まだ取り上げていない音盤
フライシャー、セル/クリーヴランド管
アシュケナージ、メータ/VPO
ルービンシュタイン、バレンボイム/LPO

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のだめカンタービレ #22, #23(最終巻)

ここ数年漫画、ドレマ、アニメーションと楽しませてもらった「のだめカンタービレ」の原作がとうとう最終巻を迎えた。スペシャルドラマのパリ編が2008年の正月早々の放送で、昨年末からは最終楽章ということで、クラシック音楽ファンにとっては聖地の一つであるヴィーンのムジークフェライン・グローサー・ザール(楽友協会大ホール)での現地ロケを行ったとのことで、早速映画を見に行かれた方も多いようだ。

最終巻の後付を見ると、2009年11月27日第1刷発行とあるので、すでに1ヶ月以上経過してしまっているし、#22のほうは、2009年8月10日第1刷発行。

この年末に風邪で休養しているときに、全巻取り出してきて全23巻を通読してみた。カテゴリーに、漫画「のだめカンタービレ」などと年甲斐もなく作成しているので、ラスト2巻の感想を簡単にメモしておきたい。

第22巻は、2008年9月 4日 (木) のだめカンタービレ#21 での序奏的な部分に始まり、最終楽章のクライマックスが奏でられたという印象だ。既に発刊後相当経過しているので、ネタバレ的に書くと、#21のラストで暗示されたシュトレーゼマン(のだめには相変わらず「ミルヒー」)との共演が実現し、いきなりの世界デビューとなる。曲目はショパンのピアノ協奏曲第1番。このあたりの描写は、二ノ宮知子の真骨頂で、音楽が聞こえてくるし、音楽を聴きたくなる。この描写で連想したのは、アルゲリッチならぬ、ツィメルマンの弾き振りの有名なロマンチックな解釈のオーケストラが聴ける録音だった。(参考記事の中でちょこっとこの録音に触れている。) 最近聴いた中では、1994年録音のオリ・ムストネンのピアノとブロムシュテット指揮サンフランシスコ響のもの(DPM、こちらに的確な寸評記事あり)が、絶滅危惧種的なロマン派ではなく、新しいユニークなショパンを聴かせてくれていたが、のだめとミルヒーはこの路線ではないだろう。

鮮烈なデビューに世界中は大騒動、このところ体調が優れなかったミルヒーものだめのピアノに刺激されすっかり元気を取り戻したのだが、のだめはこのミルヒーとの共演で力を出しつくし、雲隠れ。しかし、のだめをパリに呼んでくれて指導中のオクレール教授がのだめの突然の休学、デビューにも関らずのだめを見捨てていないようなのが救いか。のだめのエジプト行きは、マーラーの交響曲第2番「復活」に掛けた「蘇り」への暗示だろうか?また、真一と父のピアニスト雅之との再開は?

そして、第23巻が最終楽章。のだめは、復活できるのか。

まだ、この巻は発売されてからあまり間がないので、ネタバレは自粛。これだけの長編だったが、フィナーレとしては、ベートーヴェン的なコーダの主和音の強調ではなく、ゴルトベルク変奏曲のように、最初のテーマや途中にエピソードが再現されたような形で、比較的あっさり終わり、余韻を残してくれた。私としては、それほど不満がない。あのエピソードも、このエピソードも膨らませれば・・・という希望はあったが、オクレール先生にも、ニナ・ルッツにも認められたので、・・・という風に、想像の余地がある終わり方もいいのではなかろうか?

なお、映画の公開に併せて、1月15日(00:45)からはフジ系の深夜アニメ「NOITAMINA」で、のだめカンタービレ フィナーレ が放映されるという。映画も見たいが、こちらで我慢か?

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2010年1月 4日 (月)

2010年NHK大河ドラマ『龍馬伝』第1回放送

予想外に面白かったというのが正直な感想だ。

福山雅治というイケメン俳優、歌手が主演ということで、少々色眼鏡を掛けて見始めた。
しかし、龍馬の臆病者で少々晩生の少年時代と上士による差別を象徴するような母の龍馬への献身的な愛と死。退嬰的な事なかれ主義の青年がその後、どのようにして北辰一刀流の剣客、倒幕運動の革命家・陰謀家、立憲君主制の政治思想家、海援隊の海運商社の主宰者となっていったのかの萌芽が少年時代にあったという設定のようだ。

また、山内一豊以来の郷士に対する上士の差別、下級武士である郷士の役職(龍馬の父と兄が藩主の墓守役をつとめていた)、さらに地下浪人である岩崎弥太郎の貧しさなどが意外にも率直に描かれており、結構興味深いものだった。

オリジナル脚本ということで、岩崎弥太郎の回顧談という枠組みをとっているのが、新しい試みだと思うが、基本は司馬遼太郎の『竜馬がゆく』に則っているようだ。

ただ、NHKがニュースの時間までを使って番組宣伝をするのは、公共の電波を私用するに近い所業のように感じる。少しやり過ぎだ。

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2010年1月 3日 (日)

寒かった年末年始

覚悟はしていたが、2009年末、2010年始の帰省は寒かった。

12月30日の午後に出かけたのだが、東信に入り、新幹線駅で下車すると、一気に寒さが身に沁みた。実家での最高気温は恐らく0度Cくらい。大晦日には朝から雪が降り、朝の温度は0度C程度だったが、日中は気温が下がりマイナス2度程になった。室温も、暖房のない部屋で計ると3度Cを下回るほど。廊下のカーペットを敷いていない部分では、霜焼けになりそうな冷たさ。これでも未だ寒の入りの程度の寒さなのだが、ここ数年続いた暖冬傾向よりも寒さが厳しいようだ。寝具には、電気アンカや湯たんぽが必須だった。

東信から北信へは、新幹線でほんの20分ほどなのだが、上田平と善光寺平を隔てる五里ヶ峰トンネルを抜けると、一挙に雪国の風情になる。1月1日に移動したのだが、東信ではチラチラした程度の雪が、北信では本降りだったようで、積雪していた。

2日は、午前中が晴れで、昨年に惜しくも天寿をまっとうしたアカカンガルー ハッチの遺児(未だ命名されていない、オス)に触れ合うことができるということで、正月とは言え開園している動物園を訪れた。雪解けで道も泥濘んだが、カンガルーの背中と尻尾に初めて触ることができた。体毛は非常に柔らかくポワポワという感じ。また尻尾は大変しっかりしており、第五の足といわれるのも宜なるかなというところだった。なお、飼育員の説明があったのだが、カンガルーの体臭は相当強い。触ると手がカンガルーの匂いになってしまうほど。犬や猫の比ではない。動物園では、様々な匂いがするが、動物との付き合いというのは、この匂いとの付き合いだと実感した。P1022474

昼頃までは左の写真のように日も照っていたのだが、次第に日の光も弱くなり、寒風に頬や耳が痛いほどの寒さになった。このような寒さをあまり経験したことのない子ども等は、改めて信州の寒さを実感したようだった。

2日の夜までは平穏だったが、3日の未明には知らないうちに降雪があり、短い間に10cmほど積もり、朝から寒さが厳しかった。

今回は3日が日曜日だったため特に短い冬休みで、3が日をゆっくりできるほどではなく、この日に故郷を後に新幹線で帰宅した。指定席は年末から既に満席だったが、始発駅の特権で自由席の座席は確保でき、それほど疲れることなく帰宅できた。ただ、途中駅の上田、佐久平、軽井沢からは多勢の乗客が乗車してきて、通路やデッキまで一杯だったこともあり、長袖下着やヒートテックのズボン下を履いた身には車内は暑いほどで閉口するほどだった。

東京駅手前では、箱根駅伝の選手、関係者がバスに乗車する様子が見えた。今年も新「山の神」の柏原が二年連続で、山登りの5区で大逆転を達成し、その余波もあり、東洋大学が二連覇を達成した。有力大学の、日大や早稲田は振るわなかったが、駒大や山梨学院はそこそこ頑張ったようだ。

関東地方は、曇り空であまり天気はよくなかったものの、やはり暖かい。ただ、この暖かく感じるのも数日だけで、また身体がこの気温に馴れてしまうと、それなりに寒く感じるようになるのが不思議だ。まあ、ヒートテック下着や長袖シャツを着こむことがないことも一因かも知れないが。

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2010年1月 1日 (金)

浅間山麓の雲

F1000111

信州で新年を迎えました。

ときおり風花が舞う天気です。

写真は今朝の浅間山方面。

標高800mあたりを境目に雲が掛かっています。

四季を問わず見られる気象現象です。

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2010年 明けましておめでとうございます

2010

本年もよろしくお願いします。

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