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2010年3月の30件の記事

2010年3月31日 (水)

ブルックナー 交響曲第4番

ブルックナー 交響曲第4番 変ホ長調

Bruckner_s4_boehm_vpoベーム/ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団 《1973/11/19録音》 1886 (aka 1878/80) - Ed. Leopold Nowak [1953]

- 1. Bewegt, nicht zu schell 20:10
- 2. Andante quasi allegretto 15:33
- 3. Scherzo. Bewegt - Trio: Nicht zu schnell, Keinesfells schleppend  11:08
- 4. Finale. Bewegt, doch nicht zu schnell 21:03
Bruckner_sym_4_kubelicクーベリック/バイエルン放送交響楽団 《1979/11/18録音》1886 (aka 1878/80) - Ed. Leopold Nowak [1953]

- 1. Bewegt, nicht zu schell 19:25
- 2. Andante quasi allegretto 15:11
- 3. Scherzo. Bewegt - Trio: Nicht zu schnell, Keinesfells schleppend 11:03
- 4. Finale. Bewegt, doch nicht zu schnell 21:31
Bruckner_s4_blomstedt_skdブロムシュテット/ドレスデン・シュターツカペレ《1981/11/9録音》 1881 (aka 1878/80) - Ed. Robert Haas [1936] 

- 1. Bewegt, nicht zu schell 18:28
- 2. Andante quasi allegretto 16:32
- 3. Scherzo. Bewegt - Trio: Nicht zu schnell, Keinesfells schleppend 10:53
- 4. Finale. Bewegt, doch nicht zu schnell 21:04

Bruckner_sym_4_haitinkハイティンク/ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団 《1985/2/21録音》 1881 (aka 1878/80) - Ed. Robert Haas [1936]

- 1. Bewegt, nicht zu schell 20:51
- 2. Andante quasi allegretto 15:29
- 3. Scherzo. Bewegt - Trio: Nicht zu schnell, Keinesfells schleppend 10:39
- 4. Finale. Bewegt, doch nicht zu schnell 21:49

この第4番も第3番同様、版の問題がややこしいことになっているようだ。解説を読んでもいまいち頭に入らない。また、第3番のセルの使用楽譜のように、いくつかの版を参考にして組み合わせたり、独自にオーケストレーションに手を入れたりということがあるようなので、どれに基づいているかというのを分類するのは、実際には難しいもののようだ。

上記の分類は、海外サイトのブルックナーディスコグラフィーによったものだが、70年代の録音が比較的新しいノヴァーク版で、80年代の方が比較的古いハース版というのも面白い。一番聞きなれているのが、ベーム/VPOのものなので、それとの比較で聞くということになるのだが、同じVPOによるハイティンク盤を初めて聞いたときに、どこか違うと思ったのは版のせいだったのかも知れない。

ブルックナーの交響曲第4番の版について(ジュラシックページの詳しい解説)

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2010年3月30日 (火)

時ならぬ低温に春野菜の出来が悪いという

ニュースで見たのだが、ハウス栽培も露地栽培も、どちらも不作だそうだ。

地球温暖化、地球寒冷化(と太陽活動の不活発化)。気象はこれからどうなるのだろうか?

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2010年3月29日 (月)

川崎市岡本太郎美術館

P3280018                     ( 美術館と母の塔 )

昨日、日曜日、浅田真央選手の優勝で夜更かしをしてしまったのだが、普通の時刻に起床し、以前から約束していた川崎市の岡本太郎美術館を訪れた。

今年は岡本太郎生誕99年ということで、来年は生誕100年とのことだ。

次男は、横浜そごうの屋上にある太陽の顔が幼い時からお気に入りで、そのせいか今でも岡本太郎のファンだと言っていたが、今回初めて鑑賞できて喜んでいた。
Pb050216                        (横浜そごう 太陽の塔?)

昨日も今日と同様、3月にしては記録的な寒さで、向ヶ丘遊園駅から約20分の生田緑地公園までの道のりが遠く感じたし、桜も咲き始めているというのに、公園は厳冬のような冷たい雰囲気だった。

岡本太郎美術館は、生田緑地公園の小さな丘陵を利用して作られており、建物自体もユニークで、最初「母の塔」の下まで行ってみたが、入り口が分からず、少し彷徨いながらようやく見つけたほどだった。絵画、彫刻、写真、日常用具(椅子など)が多数展示されており、強烈な色彩、ユニークな造形、父母である岡本一平、かの子の略歴なども展示されていた。

なお、特別展として、第13回岡本太郎現代芸術賞展の展示があり、ユニークな現代美術が楽しめた。特に紙と鉛筆のみでミサイルや拳銃の質感を見事に表現した作品には驚かされた。

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2010年3月28日 (日)

トリノ フィギュアスケート 2010世界選手権 浅田真央会心のFS

ネット中継でライブ放送を見ている。(Radio-Canada ありがとう!ケベックが本拠?のフランス語放送)

日本時間の3/28 午前0:20 、たった今浅田真央選手のフリースケーティングが終わった。会心の演技だったが、得点はシーズンズベストには及ばなかった。だがミスらしいミスもなく、本人も満足そうな表情を浮かべる完璧な出来に近い。なぜかまた採点が辛い。得点はフリー129.50、合計197.58。(ショート 68.08) これで約190点のキム・ヨナを抜いて1位となった。

キム・ヨナはSPで大失敗し、FSでも転倒したのだが、得点はフリー130.49、合計190.79も出たという。解せない。(ショート60.30)

トリプルサルコウの着氷で転倒、尻もちをついた。ダブルアクセルでバランスを崩し飛べず。 

ショート4位のコストナー(イタリア)も悪くはなかったが、点が伸びず、地元である場内からブーイング。

この時点で、ショート1位(70.40)の長洲未来と3位のフィンランドのレピスト(64.30)の結果次第。

東洋風の容貌のレピスト、合計178点で暫定3位。

いよいよ、米国代表の長洲未来。最初のジャンプがステップアウト。次のコンビは巧い。スピンの連続は凄い。トリプルルッツでスッテプアウト。転倒!緊張か体力が持たないか?スピンのラストは迫力があった。やはりこれからのトップクラスの選手だろう。FS105.08で合計175.48となり7位に大きく後退!オリンピックでの伸び伸びした動きがプレッシャーの掛かった状況でこれからも出せるかどうか。

滑走最後は、ロシアのマカロワ(ショート 5位62.06)。切れのいい動きだが、途中惜しくも転倒。

これで、浅田真央選手の2回目の世界選手権優勝が決まった! (0:53) おめでとう!2位キム・ヨナ。3位ラウラ・レピスト。

安藤(11位)も鈴木(20位)も挽回して、安藤は4位、鈴木11位は立派。しかし、安藤の順位は悔しいものだ。まともな採点ならば彼女が3位になり、キムが4位以下でもおかしくない。

これで男子の高橋の金メダル。ジュニア男女の金メダルで、シングルは全種目日本選手が制覇という快挙!

またしてもフリーの不可解な採点で、キム・ヨナが銀メダルになったのが疑問。

競技に続きすぐに表彰式。浅田真央選手が表彰台の中央に。そして揚がる日本国旗と流れる国歌。浅田選手は歌詞を口ずさんでいる。ただ、満面の笑みはなく、ぎこちない微笑が表われるだけ。それはそうだろう。自身ほぼノーミスの演技をしたのにも関らず、大ポカをしたキム・ヨナにフリーでの点数を下回ることがあるとは思ってもいなかっただろうから。

追記:01:20 Radio-Canada では、レピストとコルピのフィンランド選手のインタビューが流されている。フィンランド語、初めてしっかり聞いたように思う。

02:20 Radio-Canada まだ放送している。浅田真央選手も、英語でのインタビューに答えていた。

追記: 3/28(日)朝8時。 日本のテレビ局は、フジテレビの今日夜の録画放送があるのだろう、動画映像でのトリノ世界選手権の結果は放送はなく、浅田優勝、キム2位の結果だけ。日本テレビの8時の報道番組では、冒頭でなぜキムが浅田に負けたかを、まるでキムの母国であるかのようなスタンスで報道していた。素直に浅田の優勝を祝う報道姿勢がないのは、どうみてもおかしい。

ISUの結果サイト http://www.isuresults.com/results/wc2010/index.htm

フリースケーティングの得点リスト。キムが1位!http://www.isuresults.com/results/wc2010/SEG004.HTM 技術点は浅田が辛うじて上回っているが、プログラム・コンポーネンツ・スコア(PCS)は、またもやキムが不可解な高得点。一部審判は、キムがどんなスッポヌケ、転倒をしてもどの要素も高い点を与えている。公平性が確保されていないことは明らか。

追記:3/28 21:57 Radio-Canada は、エキシビジョンも放送してくれている。現在、ペアの川口組が「美しく青きドナウ」で演技していた。続いて、安藤美姫がモーツァルトのレクィエム ラクリモサを前後に挟むアップテンポのテクノ系の音楽で演技。編曲は二重音声のようで少し違和感があったと思ったら、会場の音声と放送音声が時間差で聞こえてしまうようだ。競技のときは問題なかったのだが。

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2010年3月27日 (土)

ストラヴィンスキー バレエ『ペトルーシカ』 1911年版、1947年版

「ペトルーシュカ」という書き方の方が一般的だが、「マトリョーシカ」などの関連で、つい「シカ」と書いてしまう。

ところで、『春の祭典』の録音には版の記述があることは少ないように思うが、『火の鳥』と『ペトルーシカ』には、1911年版だとか1919年版だとか1947年版とかの楽譜のバージョンがあるようだ。

手持ちのペトルーシカには、1911年版と表示されているものと1947年版とされているもの、があった。

1911年版は、オリジナル版であり、楽器編成が4管編成という大きなものになっている。

一方1947年版は米国亡命後の改訂版で、オリジナル版よりも楽器編成を小さくして3巻編成にしているのだという。打楽器の種類はほぼ同じだが、数を減らしている。また、グロッケンシュピールは1947年版では用いられていない。

解説によると、三大バレエを相次いで作曲したストラヴィンスキーの初期の音楽観が現れているのがオリジナルの1911年版であることは理の当然であり、その後の新古典主義的な音楽観を通過した後のオーケストレーション改訂では、新旧の音楽観が折衷してしまっているのではないかという懸念がある。楽器法上ではグロッケンシュピールの有無は結構よく分かるし、あったほうがいいように感じる。

LP時代には一枚も持っておらず、エアチェックも成功しなかったので、放送では耳にしたがそれほど聞き込んではいない曲だ。むしろ、ピアノ独奏用の「ペトルーシカからの三楽章」の方をよく聴いた。以前、ドホナーニ/VPOによるCDを入手して聴いたときにも、少し聴きなれない楽器法のような印象を持ったほどで今の手持ちの音盤数としては1947年版が多いのだが、むしろブーレーズによる華麗な1911年版の方がしっくりするように感じる。また、アバド/LSOの1911年版を基本とした演奏も面白いのだが、ブーレーズの方が好みだ。

1911年版
◎Pierre Boulez/New York Philharmonic 〔1971年録音〕
 第1場 謝肉祭(Shrovetide)の市           10:15
  第2場 ペトルーシカの部屋   3:58
 第3場 ムーア人の部屋       6:52
 第4場 謝肉祭の市(夕景)  13:14

Boulez_clo_spirng


1911年版を基本として1947年版を取り入れた折衷版)
  参考:「geezenstacの森」ブログより 
◎Claudio Abbado / London Symphony Orchestra 〔1980年録音〕
 第1場 謝肉祭の市                 【10:03】
            導入- 人形使いの見世物小屋             7:16 
              ロシアの踊り                                    2:47 
 第2場 ペトルーシカの部屋                            【4:20】
 第3場 ムーア人の部屋                 【6:32】
               ムーア人の部屋/バレリーナの踊り      3:22 
               ワルツ(バレリーナとムーア人の踊り)   3:10
 第4場 謝肉祭の市(夕景)                              【13:40】
              * 謝肉祭の市(夕景)                          1:01                
              * 乳母の踊り                                    2:34   
              * 熊を連れた農夫の踊り                     1:29   
              * 行商人と二人のジプシー娘               1:09
              * 馭者と馬丁たちの踊り                      2:07   
              * 仮装した人々                                  1:28   
              * 格闘(ペトルーシュカとムーア人の喧嘩)0:43
              * 終景:ペトルーシュカの死                    0:55
              * 警官と人形使い                                1:22
              * ペトルーシュカの亡霊                        0:55

Stravinsky_abbado_lso


1947年版 
◎Christoph von Dohnanyi Wiener Philarmoniker 〔1977年録音〕
 第1場 謝肉祭の市           10:06
 第2場 ペトルーシカの部屋   4:32
 第3場 ムーア人の部屋       7:02
 第4場 謝肉祭の市(夕景)  14:31

Stravinsky_petrushka_bartok_mandari


◎Colin Davis; Royal Concertgebouw Orchestra 〔1977年録音〕
 第1場 謝肉祭の市                  【9:44】
            導入- 人形使いの見世物小屋             6:59
              ロシアの踊り                                    2:45
 第2場 ペトルーシカの部屋                            【4:17】
 第3場 ムーア人の部屋                【6:29】
               ムーア人の部屋/バレリーナの踊り     3:19
               ワルツ(バレリーナとムーア人の踊り)  3:10
 第4場 謝肉祭の市(夕景)                             【13:22】
              * 謝肉祭の市(夕景)                          1:10          
              * 乳母の踊り                                    2:43
              * 熊を連れた農夫の踊り                     1:23
              * 行商人と二人のジプシー娘               1:09
              * 馭者と馬丁たちの踊り                       2:07
              * 仮装した人々                                  1:30
              * 格闘(ペトルーシュカとムーア人の喧嘩) 0:40
              * 終景:ペトルーシュカの死                    0:45
              * 警官と人形使い                                1:08
              * ペトルーシュカの亡霊                         0:47

Stravinsky_printemps_petrouchka_cda


◎Antal Dorati: Detroit Symphony Orchestra 〔1980年録音〕
 第1場 謝肉祭の市            9:45
 第2場 ペトルーシカの部屋   4:28
 第3場 ムーア人の部屋       6:38
 第4場 謝肉祭の市(夕景)  13:19

   追記:1911年版のグロッケンシュピールを取り入れているとのこと
       参考:クラシックCD聞き比べブログより 

◎Riccardo Muti/Philadelphia Orchestra 〔1981年録音〕

 第1場 謝肉祭の市                  【9:33】
            導入- 人形使いの見世物小屋              6:53
              ロシアの踊り                                     2:40
 第2場 ペトルーシカの部屋                            【4:30】
 第3場 ムーア人の部屋                 【6:06】
               ムーア人の部屋/バレリーナの踊り      3:12 
               ワルツ(バレリーナとムーア人の踊り)  2:54
 第4場 謝肉祭の市(夕景)                               【13:20】
              * 謝肉祭の市(夕景)                           1:04          
              * 乳母の踊り                                      2:33
              * 熊を連れた農夫の踊り                       1:17 
              * 行商人と二人のジプシー娘                 1:06
              * 馭者と馬丁たちの踊り                       2:03 
              * 仮装した人々                                   1:29
              * 格闘(ペトルーシュカとムーア人の喧嘩) 0:50
              * 終景:ペトルーシュカの死                    1:00
              * 警官と人形使い                                1:13
              * ペトルーシュカの亡霊                         0:48

Stravinsky_firebird_dorati_detroit


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2010年3月26日 (金)

ヴァーグナー 序曲、前奏曲集 小澤征爾/ベルリンフィル

Wagner_ovetures_preludes_ozawa_bpo


Der fliegende Hollaender Overture 歌劇 さまよえるオランダ人 序曲 11:21
Lohengrin Prelude to Act Ⅰ歌劇 ローエングリン 第1幕への前奏曲 10:49
Die Meistersinger von Nuernberg Prelude 楽劇 ニュルンベルクのマイスタージンガー 第1幕への前奏曲 10:42
Tannhaeuser Overture 歌劇 タンホイザー 序曲 15:12
Tristan und Isolde Prelude 楽劇 トリスタンとイゾルデ 前奏曲 10:23
Tristan und Isolde Liebestod 楽劇 トリスタンとイゾルデ 愛の死 7:25

Seiji Ozawa /  Berlin Philharmonic Orchestra〔1989〕

今は昔の歴史と共に死す - Wein, Weib und Gesang で、バイロイト音楽祭の監督ヴォルフガング・ヴァーグナーの逝去を知った。ヴァーグナーの孫ということで、それは即ち、フランツ・リストの娘コジマの孫であり、フランツ・リストにとっての曾孫にあたる人物ということになるようだ。リストの人気曲についてちょうどトリビアルな話題に淫していた頃だったので、リストの曾孫ということに、なるほどと思った次第だ。

さて、日本を代表する指揮者小澤征爾氏は現在病気療養中だが、今から約20年ほど前に、ヴァーグナーの有名な序曲、前奏曲集をベルリンのフィルハーモニーによって録音したCDがこれだ。

日本人とバイロイトといえば、数年前、現在の大阪フィルハーモニー交響楽団の常任である大植英次氏が抜擢されて「トリスタンとイゾルデ」を指揮したことが特筆されるが、飯守泰次郎氏が長らくバイロイトでシュタインなどのアシスタントを務めていたことも重要な貢献だと思われる。

とにかく長丁場のバイロイトの歌劇、楽劇は、ゲルマン民族の体力、忍耐力を思い知らされ、東洋人である日本人にもバイロイト詣でをするほどのファンは多いようだが、残念ながら私はその片隅にもいられないほどヴァーグナーの楽劇には縁遠い。

小澤征爾の指揮するベルリンフィルのこれらの歌劇、楽劇の序曲、前奏曲などは大変立派で丁寧な演奏であり、ベルリンフィルも好調のようだ。

縁遠い人間が語るべきことではないかも知れないが、過日のリヒャルト・シュトラウスのあざといまでの自己顕示欲的な剥き出しの天才性の発露において、カラヤンの完璧主義と疲れを知らぬ体力に圧倒されたのと同様に、そのようなあざとさを避けた謙譲でマイルドなこの小澤の解釈、指揮は聴き疲れはしないものの、彼我の間にある差を実感させるものにもなっているように感じられる。小澤征爾氏のキャラクターでさえ、一般の日本人にとっては十分に自己表現に巧みで得手のようには思うのだが、その彼にして、ねじ伏せ、鷲掴みにするような強烈さは避けているのだろうか。

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2010年3月25日 (木)

モーツァルト 交響曲第39番変ホ長調 K.543 クーベリック/BRSO

モーツァルト 交響曲第39番変ホ長調 K.543

ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団〔1980〕

 11:29/9:13/4:16/5:46

比較参考: 
トスカニーニ/NBC交響楽団    〔1950〕 7:28/6:10/3:10/3:45
ワルター/コロンビア交響楽団 〔1960〕  9:21/9:15/4:03/4:06
カラヤン/ベルリン・フィル   〔1975〕 8:17/8:14/4:08/4:02
スイトナー/SKドレスデン        〔1975〕  8:25/8:06/4:03/4:03
ベーム/ベルリン・フィル 〔1976ライヴ〕 8:27/8:25/4:05/4:21

モーツァルトの後期三大交響曲は奇跡的な名曲揃いと言われている。以前のロマンチックな歴史解釈時代には、モーツァルトは極貧の中、発表のあてもなくこの三曲の名交響曲を短期間で書き上げ、この第39番の交響曲は、どういう由来か、白鳥がその死の直前に美しい歌を歌うという伝説に基づいて『白鳥の歌』と呼ばれていたことがあった。

しかし、現代の歴史研究では、特に第40番にオリジナルのクラリネットなしのバージョンと、クラリネットを追加したバージョンの2版あるということなどの状況証拠や、当時のコンサート記録などから、これら三曲が公開の席で演奏され、モーツァルト自身(通奏低音のチェンバロかフォルテピアノに向かいながら?)指揮をしたのではないかと想像されているのではなかっただろうか?

第40番ト短調K.550 と 第41番ハ長調K.551(『ジュピター』)は、ベーム/BPOのLP(1960年代の全集録音からの分売)を中学生の時に父に買ってもらったときから、音楽鑑賞の基礎的な要素になって身体に染み込んでいるような音楽だが、3曲セットのうちのこの第39番については、これまであまり満足できるリスニング体験が得られてこなかったように思う。

この曲自体、ヴィーン後期のモーツァルトの作品らしく、非常に充実した音楽であることは言うをまたないが、仲間であるト短調とハ長調のあまりの超絶的な名品に比べてどうしても影が薄い存在であることは無理からぬところで、指揮者、演奏家もこの曲を3曲の中で第一に押す人はそれほどいないのではないかと、個人的には想像する。

ただ、小林秀雄は『モオツァルト』の中で、ト短調の終楽章がナニワの雑踏の中で轟いたという幻聴と並んで、この変ホ長調の無窮動的な細かいモーチフの楽譜を文章中に引用して、夕焼けの切れ切れの雲のようだといううような印象的な書き方でオマージュを捧げている。(確か、最後のハ長調については触れてはいなかったと思った。)

古い音楽解説の本では、第1楽章が3拍子で変ホ長調というベートーヴェンの英雄と同じ調性と、信号ラッパ風の第1主題部後半により、英雄との連関に触れたり、第3楽章のメヌエットが「モーツァルトのメヌエット」として有名だというようなことも書かれていたが、現在ではあまりこのようなことを書く人もいないように思う。

このクーベリック指揮の後期交響曲集の中の第39番は、取り立てて特徴のある演奏ではないが、所要時間を見てもわかるように、珍しく第1楽章の提示部をリ ピートしている。数種類ある中でこれが唯一だ。ト短調では、ライヴ以外はリピートするのが当たり前のようなのだが、(古い時代のモダン楽器の録音ばかりだ と言え)この点にもこの曲への指揮者たちの接し方が見えるように思うのは考えすぎだろうか?

第2楽章のところどころに慟哭的な楽想が印象的だが比較的落ち着いた雰囲気の音楽、第3楽章の壮麗というより親しげなメヌエットと柔和なトリオのクーベリックとバイエルンの演奏も素晴らしいが、小林秀雄ではないが、この曲のクライマックスは、やはりフィナーレにあるように思う。クーベリックの後期交響曲集のテンポは概して遅いものが多く、ト短調はクリップスほどの悠揚迫らぬ遅さというのではなく、少し遅めという感じで、少し中途半端な感じがするのだが、この変ホ長調のフィナーレは、取り立てて遅くはない。他の演奏よりも1分ほど長い所要時間なのは、これも提示部のリピートを忠実に行っていることによる。

クーベリックの楽器配置のポリシーは、ヴァイオリンの対抗配置(両翼配置)だが、この曲の場合、それほど第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが掛け合い的に動くことは多くないようなので、特に効果的な部分は聞かれないが、それでも古典配置は面白い。

この録音など、自分の同時代の演奏だという気がしていたのだが、それが今では30年も昔のものとなってしまった。そして、現在、モダン楽器によるこのような演奏が録音でも実演でもほとんど聴かれなくなって久しい。現在では、このような滋味のある演奏を録音で聴くことができるので、寂しいわけではないが、このような演奏が古きよき時代の演奏ということになってしまうのだろうか。

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2010年3月24日 (水)

またasparaの科学記事に注目 「現代の錬金術」

朝刊の科学欄で読んだが、「現代の秘術でチチンプイ」は驚くべき内容だった。

asparaで読める、と記事の最後に注釈されていた。

コメント欄に、ノーベル賞クラスと書かれていたが、物質、元素の概念の大転換なのかも知れない。

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2010年3月23日 (火)

リヒャルト・シュトラウス 交響詩『ツァラトゥストラはこう語った』

Richard Strauss : Also Sprach Zarathustra, Op.30

スタンリー・キューブリック監督作品の『2001年宇宙の旅』 "2001: A Space Odyssey" (1968年作品)で冒頭の導入部が使われたことで一躍有名になった音楽。

ヴァーグナーに傾倒し、後に訣別した哲学者フリートリヒ・ニーチェの哲学小説(副題に Ein Buch für Alle und Keinen , A Book for All and None 全ての人のための本、且つ誰のためでもない本)にインスピレーションを受けた音楽とされる。リヒャルト・シュトラウスの音楽万能主義とでも言うべき自負心が作り上げた作品といえようか。

竹山道雄訳の『ツァラトストラかく語りき』(新潮文庫)が自宅にあり、高校生時代に冒頭を少し読んで見たことがある程度で通読はできていないので偉そうなことは言えないのだが、Übermensch(Overman, Overhuman, Superman, Superhuman 「超人」)、いわゆるキリスト教を超克した超人主義の哲学を唱えたもので、音楽がその哲学を語っているというよりも、音楽万能主義を主張していたような作曲家、リヒャルト・シュトラウスの存在自体が超人主義の象徴なのかも知れない。

Rstrauss_karajan_bpo
カラヤン/ベルリン・フィル〔1973〕 Total 35:01

1. Einleitung 導入部(日の出) 1:49
2. Von den Hinterweltlern 背後の世界の人々について 3:28/5:17(累計)
3. Von der großen sehnsucht 大きな望みについて 2:07/7:24
4. Von der Freuden und Leidenschaften 喜びと情熱について 2:05/9:29
5. Das Grablied 墓の歌 2:42/12:11
6. Von der Wissenschaft 科学について 4:32/16:43
7. Der Genesende 回復期の患者 5:09/21:52
8. Das Tanzlied 踊りの歌 7:59/29:51
9. Nachtwandlerlied 夜を彷徨う人の歌 5:10/35:01

ジュラシックページによると映画「2001年宇宙の旅」で使われたのは、カラヤン/ヴィーンフィルの1959年のデッカ録音 だったということだが、これは黄金の1970年代の豪華なカラヤン/ベルリンフィルによるもの。飛ぶ鳥を落とす勢いのカラヤンの「超人」的な音楽を聴くことができる。特に7部の「回復期の患者(病より癒えてゆく者)」のフーガ的な部分の重厚さは聞き応えがある。


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小澤征爾/ボストン交響楽団〔1981〕 33:43

カラヤンの弟子でもある小澤征爾がボストン響で、『英雄の生涯』とたて続けに録音したリヒャルト・シュトラウスもの。この日本盤をCD収集初期に購入したが、友人にプレゼントしたので、しばらく聞く機会がなかったが、最近ブックオフで輸入盤を見つけて購入。

冒頭の格好よさはこれが一番かも知れない。

<<全体的には丁寧な演奏で、カラヤンに比べると線が細く、ダイナミズムが少し物足りない感じがする。あざといまでの永劫回帰の「超人」よりも、東洋風の輪廻転生からの「解脱」を感じさせる。>> と記憶に残った印象を初め書いたのだが、改めて聴き直してみると、相当意志的な力が感じられる演奏、録音だった。第4部の迫力など大したものだ。

しかし、カラヤンで迫力があった第7部は、指揮者もオケも少し息切れ気味なところがある。また、第8部などは細部が磨き上げられていない。ライヴ録音的な未整理な印象もある。ボストン響の名コンサート・マスターとして知られたシルバースタインのソロもベルリンのシュヴァルベやヴィーンのヘッツェルに比べると音色や洗練の度合い的に辛いものもある。第7部、第8部の中間の辺りの出来のレベルや線の細さや散漫な印象につながったのかも知れない。

録音は、分解能がよく、低域から高域までバランスよく録られている。ほぼ一発録りだと思うが、ベルリン・フィル、ヴィーン・フィルに比べて、細部までよく聞こえることもあり、ボストン響のところどころの弱さが少し覗くような気もする。

なお、元々LP発売だが、CDとしてはトラック分けしてもらいたかった。

 

Rstrauss_zarathustra_previn_vpo
プレヴィン/ヴィーンフィル〔1987〕 34:57

テラークのディジタル録音による珍しいヴィーン・フィルの録音。

プレヴィンは、比較的品のよい演奏で、無遠慮なまでに「超人」思想を謳いあげてはいない。それほど哲学小説の内容に捉われることはないだろうが、善悪を超越したほどのキッパリとしたメリハリが欲しいような気がした。

ただ、8部の「踊りの歌」でのヴァイオリン独奏は、ゲルハルト・ヘッツェルとのことだが、ここは見事。クライマックスを冒頭に置かずに、7部、8部と次第に調子が上がっていくような演奏スタイル(解釈)になっているのかも知れない。

こちらは最初からCD発売だと思うが、やはりツァラトストラにトラック分けがないのが、やはり惜しい。

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2010年3月22日 (月)

昨日は彼岸の中日 春分の日 前日は春の嵐

1685年3月21日がヨハン・ゼバスティアン・バッハの誕生日。2010年の春分の日は、バッハの満325歳の誕生記念日だった。

前日の3月20日の昼ごろからときおり強風が吹き荒れる嵐で、3月21日の朝方は横浜でも暴風状態だった。

テレビのニュースでは、強風による被害、影響が広範囲であったことを伝えていた。またユーラシーア大陸から黄砂が飛来して、特に午前中は日本全国で視界が数キロという狭さになり、強風とあいまって飛行機の離着陸にも大きな影響があったという。今朝のニュースによると、この低気圧は、「爆弾低気圧」という物騒な名前のものに分類されるほど、急激な発達をしたものらしい。

お彼岸の中日だったが、田舎は春も秋も農繁期のせいなのだろうか、お彼岸のお墓参りの記憶はほとんどないほどで、我が家ではせいぜい牡丹餅、お萩を食べる程度の年間行事になっている。

2006年に東京タワーを見物に行ったときには、芝の増上寺の境内の桜がちょうど開花し始めていたが、ニュースでは今年も今日東京や横浜で染井吉野が開花したという。気象庁が開花宣言をしないと言っていたような記憶があるのだが、観測はきちんとしているらしい。

さて、早朝に列車の日帰り旅行に出かける長男を駅まで送っていき、朝食が早かったので早お昼を食べた後は、次男が大人用の自転車がそろそろ必要だというので近所のホームセンターまで買いに行って来た。数年前、妻のママチャリを買ったのだが、廉価だった割には3段変速付きでタイヤの横腹に当たる重いダイナモではなくタイヤの中心部に発電機が組み込まれている発電機内蔵のもので、それと同等の男性用のを探したのだが、変速が外部変速だったり、古いタイプのダイナモ式だったりで適当なものがなく、結局少し奮発して有名メーカー製のものを買ってきた。乗り比べてみると少し堅牢さが違うような気がする。

その後、午後は未だ取り込み終えていなかった Deutsche Harmonia Mundi 50枚組み の26枚目から取り込みを再開して28枚目まで取り込んだ。折角入手したこのボックスセットだが、真剣に聴いたものはそう多くはない。ミチョランマ状態だ。

iTunesへの取り込みも、作曲者や曲名などをセットものとして統一が取れるようにチェックしながら取り込んでいたり、ジャケット画像をスキャナで読み込んだりしているので、気分が落ち着いて前向きのときでないとどうもやる気がなくなってしまう。

ベートーヴェンの交響曲全集程度の枚数と長さなら、聴きなれた曲ではあるし、演奏に集中できるので、比較的短期間で聴くことができるのだが、ハイドンの交響曲全集にしても集中的に聴いては、相当の間を置かないと再開までに時間がかかるという自分の心理的な傾向があり、今回も2008年6月に購入して、まだ半分もきちんと聴いていない体たらくだ。

それでも改めてリストを眺めてみると面白そうな作曲家、曲、演奏が目白押しなのだから、これは聴かない手はない。

本日の取り込み:

Disc26
・リュリ:ディヴェルティスマン集
 スキップ・センペ(指揮&cemb)
 カプリッチョ・ストラヴァガンテ

Disc27
・マショー:ノートルダム・ミサ
・ペロティヌス:グラドゥアーレ『支配者らは集まりて』
・作者不詳:コンドゥクトゥス『あわれみ深きわれらの父よ』
・シャンスリエ:『コンドゥクトゥス:言いたまえ、キリストの真実よ』
・ペロティヌス:グラドゥアーレ『地上のすべての国々は』
・作者不詳:『アレルヤ,よみがえりたまいしキリストは』『クラウズラ:死は』
・ペロティヌス:『アレルヤ,乙女マリアのほまれある御誕生』
 アルフレッド・デラー(指揮)
 デラー・コンソート
 コレギウム・アウレウム団員

Disc28
J.S.バッハ以前の聖トーマス教会のカントールの作品集
・ゼバスティアン・クニュプファー:Ach Herr, strafe mich nicht
・ゼバスティアン・クニュプファー:Es haben mir die Hoffärtigen
・ヨハン・シェッレ:Das ist mir lieb
・ヨハン・シェッレ:Ach, mein herzliebes Jesulein
・ヨハン・シェッレ:Barmherzig und gnädig ist der Herr
・ヨハン・シェッレ:Aus der Tieffen rufe ich, Herr, zu dir
・ヨハン・クーナウ:Gott, sei mir gnädig nach deiner Güte
・ヨハン・クーナウ:O heilige Zeit
 コンラート・ユングヘーネル(指揮&リュート)
 カントゥス・ケルン

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2010年3月21日 (日)

リスト ハンガリー狂詩曲第2番(ピアノ独奏原曲)とオーケストラ編曲

リスト ハンガリー狂詩曲第2番を聴いてみた。

ピアノ独奏原曲については、第2番嬰ハ短調ということで問題ない。

しかし、よく聴かれるオーケストラ用の編曲版は、これほどの有名曲ながら、編曲者、番号(管弦楽版の第2番か4番か)、調性(ハ短調、嬰ハ短調、ニ短調)については、音盤付属の楽曲データの表記にかなり混乱がある。

Naxos Music Library(リストのページ)には様々な編曲者(後述する、リスト/ドップラー、ミュラー=ベルクハウス以外にもシュレーカー、ダルヴァシュ、ベイツなど)による編曲版が登録されているが、その編曲者名も恐らく誤り(カラヤントフィルハーモニア管がベイツ版となっている)であったり、調性(嬰ハ短調としているものが多い)の表記の点で混乱している。

*このノーマン・ベイツ編曲で登録されいる一覧表は、明らかに編曲ではないものがほとんどであり、また、この一覧表を見ると、編集もののコンピレーションアルバムがほとんどで、短縮収録などの編曲を行っている人物で、大本の編曲とは異なるのに誤ってクレジットされているのかも知れない。なお、このNorman Bates はヒッチコックの「サイコ」の主人公名と同じである。


ピアノ原曲としては19曲が登録されているが、公式の管弦楽曲編曲版は6曲が残されている。

クラシックデータ資料館 (この貴重なサイトは閉鎖されたらしく残念ながらリンク切れ)の管弦楽編曲の一覧表は、下記の通り。

18-11 ハンガリー狂詩曲(Rapsodie hongroise)S.359[Orch][6曲]〔←S.244〕
18-11-1 ハンガリー狂詩曲第1番ヘ短調S.359-1[Orch](p原曲第14番ヘ短調)〔←S.244-14〕
18-11-2 ハンガリー狂詩曲第2番ニ短調S.359-2[Orch](p原曲第12番嬰ハ短調)〔←S.244-12〕
18-11-3 ハンガリー狂詩曲第3番ニ長調S.359-3[Orch](p原曲第6番変ニ長調)〔←S.244-6〕
18-11-4 ハンガリー狂詩曲第4番ニ短調S.359-4[Orch](p原曲第2番嬰ハ短調)〔※通常第2番で知られる、←S.244-2〕
18-11-5 ハンガリー狂詩曲第5番ホ短調S.359-5「悲愴的な叙事詩」[Orch](p原曲第5番ホ短調)〔←S.244-5〕
18-11-6 ハンガリー狂詩曲第6番ニ長調「ペストの謝肉祭」[Orch](p原曲第9番変ホ長調)〔←S.244-9〕

番号の混乱の原因だが、本来の管弦楽版の第2番(S.359-2)の原曲はピアノ用の原曲第12番(S. 244-12)で、ここで取り上げている「第2番」とは全く別の曲。

そして、管弦楽用の第4番(S. 359-4)が、ピアノ原曲第2番との関係で通常「第2番」と呼ばれるようになり、さらにオーケストレーション時に移調されている場合でも、ピアノ原曲の「嬰ハ短調」をそのまま表示することが多い。

(S.で始まる作品番号は、イギリスの音楽学者ハンフリー・サールによる作品表の番号だが、英語版やフランス語版Wikipediaでは、混乱を避けるためかどうかわからないが、S.244-2 が S.359-2 に対応し、S.244-12がS.359-4に対応するように訂正?されている。)

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手持ちの音源などを聞き比べて整理してみた。

◎ピアノ独奏用原曲:第2番 嬰ハ短調 S.244-2  

Liszt: Hungarian Rhapsody #2 In C Sharp Minor, S 244/2

György Cziffra 〔1956〕 10:17 Blue Sky Label にパブリックドメイン音源あり
Roberto Szidon〔1972〕 9:14 
フジ子ヘミング(Ingrid Fuzjko Hemming)〔1999〕 9:29

  (IMSLPによるとリストによるカデンツァ付きもある)

◎オーケストラ用:

(1)ミュラー・ベルクハウス版 原曲をハ短調に移調

カラヤン指揮ベルリンフィル

Liszt: Hungarian Rhapsody No.2 in C minor S 359/4 (Orchestrated by Müller-Berghaus, Piano original: S 244/2 in C sharp minor)

(訂正前のiTunesデータ表示: Liszt: Hungarian Rhapsody No.2 in C sharp minor S.359-4 ,Orchestrated by Liszt & Doppler, Piano original: S.244-2 in C sharp minor) 

  Herbert von Karajan / Berliner Philharmoniker 〔1967〕 11:23

Karajan_liszt

このCD所収の福本健一氏の解説では、使用版はリスト=ドップラーの編曲と記載されていた。それに基づき、私のiTunes登録時の従来の表記ではリストとドップラー版で嬰ハ短調としていた。(以前から聴いているのでこの演奏が一番耳に親しい。)

*ちなみに、2019/2/16追記:ドイツグラモフォンのカラヤン盤のデータではいまだに以下の通りとなっていて徹底されていない。

Hungarian Rhapsody No. 2 in C-Sharp Minor, S.244/2
Composer:

Franz Liszt (1811-1886), Composer

Title:

Hungarian Rhapsody No. 2 in C-Sharp Minor, S.244/2

Orchestral version: Franz Doppler

ところが、このカラヤンのCDを上述のピアノ版とを比較して聴いてみたところ、冒頭の弦楽合奏の音高が違うことが分かった。念のためピアノで確認してみると、カラヤン盤はハの音で始まるので、ハ短調であることが分かった。調性だけをみると ミュラー=ベルクハウス(Karl Müller-Berghaus)版であろうと想像したが、この時点ではスコアが確認できなかったため、確信はなかった。しかし、最近になりIMSLPでスコアを確認できるようになり、カラヤン指揮ベルリンフィル盤はミュラー・ベルクハウス版であることが確信できた。

この版の方が後述の(2)の編曲版よりも、原曲ピアノ版の装飾音符にも忠実であり、またオーケストレーションが華やかで、聴き応えがある。

なお、ミュラー=ベルクハウスという人物は二重姓のようだが、Karl Müller-Berghaus で検索をしてみても適当な項目がヒットしなかった。ノイマン指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管(テルデック)のこの曲には明瞭にミュラー=ベルクハウスがアレンジャーだと謳われているようだ。

2019/2/16追記:IMSLPで確認できた、ミュラー=ベルクハウス版:

For Orchestra (Müller Berghaus)

編曲者 Karl Müller Berghaus (1829-1907)
出版社情報 Leipzig: Bartholf Senff, n.d. Plate 1102.
再版 Berlin: N. Simrock, n.d.(after 1908). Plate 21102.
著作権 Public Domain
その他注記 Transposed to C minor. (ハ短調に移調ということ)

*2019/2/19追記 元記事以降に入手した音源はミュラー=ベルクハウス版

  • Herbert von Karajan: Philharmonia Orchestra 1958年
  • Arthur Fiedler: Boston Pops Orchestra 1960年 
  • Leopold Stokowski / RCA Victor Symphony Orchestra 1960年 
     ミュラー=ベルクハウス版を元にストコフスキー(?)が独自編曲した版(?)

(2)リスト編曲/ドップラー協力編曲版(一般的にはドップラー単独編曲版?) ニ短調に移調

これが、S. 359としてカタログに載っているものになる。

IMSLPでは以下のように登録さている。

For Orchestra (Liszt/Doppler)

Orchestration first published as No.4 (S.359/4) and transposed to D minor. Many later editions change the numbering to correspond to the piano originals

編曲者 Franz Doppler (1821–1883), co-orchestrator

CD: シノーポリ指揮ウィーンフィル

Liszt: Hungarian Rhapsody No.2 in D minor (S 359, No.4) (Orchestrated by Doppler, Orignal: #2 in C sharp minor, S 244/2) 

  Giuseppe Sinopoli / Wiener Philharmoniker  〔1996〕 12:22

IMSLPのニ短調ではパート譜しか見られないが、確認してみるとどうやらこの録音が使っている楽譜だ。 
原曲の嬰ハ短調から半音移調しており(フラット一つにしている)、冒頭が弦楽器ではなくトランペットとなっている。
この編曲は、初めてこのシノーポリ版で聴き、それまで耳に馴染んでいたカラヤン/BPO版との違いに戸惑ったのを思い出す。(自分のホームページのアーカイブ)。

IMSLPでの記述: 共同編曲者のドップラーだが、備考ではドップラーの編曲への貢献の正確な性質についての議論があるとされているのも気になる。

For Orchestra (Liszt/Doppler)
Orchestration first published as No.4 (S.359/4) and transposed to D minor. Many later editions change the numbering to correspond to the piano originals.

編集者: Franz Doppler (1821-1883), co-orchestrator 出版社情報: Leipzig: J. Schuberth & Co., n.d.(ca.1875) 著作権: Public Domain 備考:There is some dispute about the exact nature of Dopppler's alleged contribution. These files are part of the Orchestra Parts Project.

(3)リスト&ドップラー?版(嬰ハ短調?) 

Naxsos Music Library でもあたってみたりYoutubeでも検索してみたが、こちらは存在自体が不明。作品表でも、ハンガリー狂詩曲第4番ニ短調S.359-4[Orch](p原曲第2番)〔※通常第2番で知られる、←S.244-2〕となっているので、この相違がよく理解できない。

参考サイト: リスト 管弦楽曲 ハンガリー狂詩曲(Kenichi Yamagishi's web site)

「音楽之友社1996年版作曲家別クラシックCD&LD総目録」によれば、・・・「第2番S359-4」にはリスト&ドップラー版(嬰ハ短調)の他に、ドップラーが単独で編曲した版(ニ短調)、カール・ミュラー・ベルクハウス版(ハ短調)など別の編曲もある。それぞれ調が半音ずつ違うのだが、その表記も間違っていたりするので困ったものである。

果たして、オーケストラ編曲は3種類あるのだろうか? ドップラー単独編曲というのがあるのか?

Wikipedia English ではこの曲の項目が立てられており、フランツ・ドップラーがリストに協力した編曲のことは書かれている。

Composed in 1847 and dedicated to Count László Teleki, Hungarian Rhapsody No. 2 was first published as a piano solo in 1851 by Senff and Ricordi.

Its immediate success and popularity on the concert stage soon led to an orchestrated version, arranged by the composer in collaboration with Franz Doppler, and published by Schuberth.

この記述によると、上記(2)の出版社は Schuberthであるのは合っているが、出版の時期が1875年ごろとされているので、1847年に作曲されて好評につき直ぐにオーケストレーションが行われたという記述と食い違うようなので、一層混乱に拍車が掛かるような感じだ。

フランツ・ドップラー(Franz Doppler,1821-1883) は、「ハンガリー田園幻想曲」(Fantaisie Pastorale Hongroise, Op.26)の作曲者として知られるハンガリー生まれの音楽家。

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◎Youtubeでの確認:

◆上記の(3)に該当する可能性のある「嬰ハ音」で始まる編曲を以前Youtubeで見つけたが、今はリンク切れ。 (残念ながら演奏者情報はなかった)。編曲は(1)と似た感じだったが、嬰ハ音開始という点から、これが上記の(3)の編曲にあたるものだろうかと考えたのだった。

◆ この動画はD minor と書かれているが、実際はハ音で始まる。
冒頭がトランペットとは異なる金管楽器で奏でられるなど(1)のミュラー=ベルクハウス版とは異なるし、(2)のドップラー版のニ短調の編曲とも異なる。

編曲者は誰か?

Conductor: Andras Korodi,Orchestra: Budapest Symphony Orchestra (2005 Capriccio)

◆2019/2/16追記 数種類 ニ短調表記のものが登録されている。

https://www.youtube.com/results?search_query=liszt+hungarian+rhapsody+2+in+D+minor

これは、(2)のシノーポリ盤と同じ編曲。ニ短調。
Matyas Antal指揮Hungarian State Symphony Orchestra,

 

◆これは、マズア指揮ゲヴァントハウス管弦楽団によるもので、(2)編曲版。ニ短調と明記されている。

◆Sidney Torchという人の編曲におる珍しいバージョン。
  Barry Wordsworth BBC Concert Orchestra

◆Peter Wolfによる(?)弦楽合奏版。ホ音から開始。
  Franz Liszt Chamber Orchestra

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追記:2012/04/22、一部変更2019/2/16
アクセスを見ると この記事を見ていただいたようだが、そのリンク元がどうやらこれらしく、少々複雑な気分だ。(Wikipediaの記載も改善されていた。)

ところで、この記事を書いた後、音楽関係のブログのリンクを張らせてもらっている アマオケホルン吹きの音盤中毒日記 さんに 2007年9月 9日 (日) リスト、ハンガリー狂詩曲オケ版の混乱という同様の内容の記事があったのを見つけていたので、こちらを参照されることをお勧めしたい。

その後少し調べてみたが、ミュラー=ベルクハウス版のポケットスコアは、全音から出ているようだ。(2019年現在は、IMSLPで参照可能)
http://www.zen-on.co.jp/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=23031

リストの代表的な名曲《ハンガリー狂詩曲第2番》の管弦楽版スコアです。
弦楽器の深いユニゾンの音で始まるこのミュラー=ベルクハウス編曲版は、カラヤン、ストコフスキーなど往年の著名な指揮者たちが使った演奏効果の高い大変魅力的な編曲です。
これまで耳にする機会が多くても編曲者の実体を含めて謎の多かったこの編曲版が、詳しい解説を伴い、整理された新しいスコアで出版されます。

《ヘルベルト・フォン・カラヤンのリスト演奏史》総覧 にも、編曲版について触れられていた。

本記事で紹介したシノーポリ盤については、ユニバーサルミュージックの公式ページ(2019年リンク切れ)に以下の紹介があった。 

リスト:ハンガリー狂詩曲 第2(4)番 S.359の(管弦楽編曲:フランツ・ドップラー)

2019年2月現在のDeutsche Grammophonの公式カタログ 情報では、以下の通りで、嬰ハ短調と記されているが、やはり、冒頭は、嬰ハ音やハ音ではなく、二音で開始されているのは間違いない。

Composer: Franz Liszt (1811-1886), Composer

Title:Hungarian Rhapsody No. 2 in C-Sharp Minor, S.244/2

Artists:Wiener Philharmoniker, Orchestra

Giuseppe Sinopoli, Conductor

Recording date:October 1996

Live / Studio:Studio

Recording Location: Grosser Saal, Musikverein, Wien, Austria

また、この録音について、UKのグラモフォン誌のレビューでは、ニ短調とされていて、ドップラーの管弦楽編曲についてのクレームが書かれている。

but Doppler’s restless orchestration changes colour with alarming frequency and plays havoc with Liszt’s original.

(しかし、ドップラーの落ち着きのないオーケストレーションは、驚くべき頻度で色を変え、リストのオリジナルに被害を引き起こします。)

ドップラー単独の?編曲版の楽譜もあるようだ。
http://gakufu.shop-pro.jp/?pid=22944587

WIKIPEDIA 英語版の ドップラー の項には以下の記述があった。出典はどこだろう?単独編曲と共同編曲のことには触れられていない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Franz_Doppler

He is best known for the orchestral arrangements of six of Franz Liszt's Hungarian Rhapsodies published under his name. He was a student of Liszt, and Liszt set Doppler the exercise of orchestrating six Rhapsodies. Every single bar of these orchestrations was revised by Liszt upon publication, but he graciously allowed Doppler's name to remain on the title page.
ドップラーの名前は、その名前で出版されたリストのハンガリー狂詩曲6曲のオーケストラ編曲によってよく知られている。リストは生徒の一人であったドップラーに6曲の狂詩曲のオーケストレーションの練習をさせた。その出版にあたり、リストはこのオーケストラ編曲の各小節を校訂したが、出版譜の表紙にドップラーの名前を残すことを慈悲深くも許したのだった。

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2010年3月19日 (金)

太陽が冬眠する?

3月19日付けの朝日新聞朝刊の科学面に 『太陽、まもなく「冬眠」』 という地球温暖化、寒冷化に関して注目すべき記事が掲載されていた。

当然、asahi.comでも読めるものと思い、検索してみたが出てこない。

そこで、Google で検索してみたところ、朝日新聞の無料会員サービスページ asparaでこの記事が掲載されていた。(その記事)。(2012/4/20現在はこちらの一覧にはなく、そこからのリンクなしだが当該記事は読めるようになっている。)

印刷、販売している新聞の記事のほとんどをネットでのその新聞社のサイトがカバーしているような先入観があったが、このような例もあるようなので注意が必要だろう。

さて、ヨハン・ゼバスティアン・バッハや徳川吉宗が生まれた頃、17世紀から18世紀初め(1645-1710)は「マウンダー極小期」と呼ばれる太陽活動の非常に不活発(静穏)な時期で、ロンドンのテムズ川が凍結するような寒い時代だったことで知られている時期だが、今回の記事によると日本の国立天文台は、太陽がまもなく「冬眠」期に入るという複数の兆候を観測したということらしい。このブログでも太陽黒点が昨年夏に消えたという報道について取り上げたが、それに引き続き、さらに太陽が不活発になるということらしい。およそ100年のサイクルがあるという。

しかし、地球の気候変動については、太陽活動が主要因かどうかも未だわかっていない(!)ため、このことが地球寒冷化に結びつくかは断言できないらしい。

地球温暖化への懸念が叫ばれて久しいのだが、寒冷化の方が食料生産には打撃が大きいという。現在の中緯度に位置する穀倉地帯が低温に襲われれば、世界の食料事情は大きく悪化してしまうことが懸念される。

このブログでも、温暖化についての懐疑論への興味関心を語ってきたが、温暖化に警鐘を鳴らす科学者たちも、先入観(信仰)に捉われずに、常に正しい懐疑を保持して、是非この太陽活動の地球気象への影響をもっと研究して欲しいものだ。それによって、寒冷化対策も可能となるように思う。備えあれば憂いなしだ。

関連記事

2008年10月 4日 (土)「地球温暖化の原因は太陽の活動」説を否定 2007年7月

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2010年3月18日 (木)

ブルックナー 交響曲第5番

三寒四温で、春の訪れはまだ一進一退というところだろうか。それでも梅は既に散り、こぶしの木がそこかしこに白い花を咲かせ始め、花桃も鮮やかな桃色を見せてくれている。

さて、ブルックナーの交響曲では、ひとまず4番を飛び越して5番を聴いてみた。4番は珍しく題名付きでもあり、古くからポピュラーな曲で、このブログでも何回か触れたことがあった。

Bruckner_sym_5_schurichtブルックナー 交響曲第5番

 カール・シューリヒト指揮ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1963年 放送録音(モノーラル)

21:58/17:36/12:33/25:26

1878 Version Ed. Leopold Nowak [1951(1952)] - No significant difference to Haas(1935)(**)



Bruckner_sym_5_tintner

ゲオルク・ティントナー指揮ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団(*)

Georg Tintner / Royal Scottish National Orchestra

Recorded at the Henry Wood Hall, Glasgow
April 19-20, 1996 Naxos 8.553452

20:20/16:24/14:11/25:20

1878 Version Ed. Leopold Nowak [1951(1952)] - No significant difference to Haas(1935):シューリヒト盤と同じ版による

(*)通名による。直訳だと、王立スコットランド国立管弦楽団というような複雑なものになるが、Royalの名称は必ずしも王立というわけではなく、英王室の助成を受けている団体の称号とのことのようだ。

(**) 1878 Version Ed. Robert Haas[1935] - No significant difference to Nowak(1951) ノヴァーク版とハース版に特筆すべき違いはないとのこと。

さて、この2枚は同じ版による演奏だが、まったく印象が異なる。

シューリヒト/VPOの録音は、相当前に中古店で求めたヴィーンフィル創立150周年記念盤で、オーストリア放送協会によるモノーラルの放送録音が音源というもの。突き放されるように非常に厳しい音楽で、クラシック音楽を聴き始めた中学生時代、初めてブルックナーの交響曲をFM放送で耳にした時のつかみどころやとらえどころのない破天荒な音楽という印象をよみがえらせるものだ。これは今聴いてもあまり変わらない印象だ。ひとつには広がりのないモノ録音のせいもあるだろうし、さらには、ブルックナーを得意とした偉大なシューリヒトの厳しい即物的な音楽づくりの特徴でもあるような気がする。

ところが、最近入手したティントナーの出世作の第1作で、この曲に対する私の印象がすっかり変った。ナクソスにより発見されて見事交響曲全集を録音し遂げた(とは言え、病に苦しまなければ、ブルックナーのすべての版の録音のプロジェクトがあったのだという)ティントナーによるブルックナー録音の記念すべき最初の録音がこの第5番だという。

スコットランド国立管弦楽団という比較的ローカルなオーケストラによる演奏だが、広がり感のある録音ということもあり、伸びやかなブルックナーを聞くことができる。難物の第4楽章についても、曲の構造自体が複雑なものであるため、この演奏でも決して聴き易いものではないが、音響的なストレスはなく、音楽そのものを楽しむことができた。

なお、有名なクナッパーツブッシュのものは、未だ聴いたことがないが、"1896 Edition [Doblingler] Revision by Franz Schalk(フランツ・シャルク改訂版)"によるものだという。ブルックナーはこの改訂にほとんど関わっておらず、フィナーレに大きなカットがあるものだが、クナッパーツブッシュのこの録音は是非聴いてみたいものだ。

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2010年3月17日 (水)

日本科学未来館を見物

3月14日の日曜日は、前日土曜日の強風とは打って変わって好天に恵まれ、子ども達が「船の科学館」にいったときから興味を示していたお台場の「日本科学未来館」に行ってみることにした。

久しぶりの土日の好天だけあり、新橋駅からのゆりかもめはどの車両も満員のようだったが、多くの人がお台場海浜公園や台場で降車してしまうので、それ以降の最寄り駅のテレコムセンターまでは空席もできるほどだった。ゆりかもめが日の出桟橋からレインボーブリッジに掛かる地点では、北の方はるかに、新東京タワー“スカイツリー”の建築中の姿も見えた。すぐ間近に見える本家東京タワーの高さほどにはなっているらしい。

さて、日本科学未来館だが、日本初の公式な宇宙飛行士である毛利衛さんが館長をつとめていることでも知られ、2001年に開館して今年で10年目になるのだという。開館直後は、ものめずらしいお台場の風景とともに、巨大な宙吊りの地球儀が話題になったものだった。

どんなものかと訪れてみたわけだが、ガラスを多用した建物は大変立派なものだった。また、巨大な宙吊りの地球儀は真下に立派な仰向けになれるベッドが設置しており、次々に移り変わる地球の雲の様子、温度の様子などを見ているのは楽しかった。

P3142661

しかし、他の展示コーナーはそれほど充実していたとはいえないように感じた。人型ロボットや量子コンピュータやインターネットの原理などの展示、地球物理や宇宙関係の展示、ヒトゲノムの解析の展示など、「最先端」の科学を「展示」するということの難しさが表われたような展示だった。パネル類もよほど先端分野に詳しくなければ理解できないような内容のものが多く、一般人の科学知識と最先端のそれとの断絶を悲しいかな感ぜざるを得なかった。それでも、実験、解説コーナーにはそれなりの人数の親子連れが詰め掛けていたし、ドームシアターの予約も午後まで満員という状況だったので、それなりに人気はあるようだった。

約2時間ほどここで過ごしたら、まだ1時過ぎという時間だったので、無料巡回バスでお台場めぐりをした後、前回訪れた船の科学館をもう一度みたいという子どものリクエストで、そこに向かった。私は、入場せずに海浜公園をぶらついたり、屋外展示の宗谷や羊蹄丸を眺めたり、練習船海王丸を見たりして過ごした。子ども達は、前回ゆっくり見られなかった展示船や展望台も見られて楽しめたようだ。

お台場の埋め立て地再開発も既に10年以上立つが、まだ空き地も多く(有料駐車場になっている)、マンションとオフィス、博物館、ホテル、商業施設などがうまく分離されておらず、また中途半端に観光地化しているようで、見かけの華やかさとは違うように感じられた。

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2010年3月16日 (火)

モーツァルト『フィガロの結婚』をつまみ聴き 文化の相互理解について考えた

昨年の1月頃に開始し、ちょうど今頃から熱中していたのだが、途中12月頃に中断していたiTunesへのCDの取り込みを1月末ごろから再開した。

最近、ようやくモーツァルトのオペラのCDを取り込み終えた。Gracenoteのトラック名が不完全なので取り込み時に訂正が面倒なため、後回しにしていたものだ。取り込んだのは、

マゼールの『ドン・ジョヴァンニ』(パリ・オペラ座)

 スイトナーの『魔笛』(SKD)

 ベームの『フィガロの結婚』(ベルリン・ドイツオペラ)

なお、モーツァルト生誕200年(1956年)記念録音の10枚組みは既に取り込み済み。

まだ、『フィガロの結婚』ヴァルター(ワルター)指揮ヴィーン国立歌劇場(1937年ザルツブルクライヴ)が残ってはいる。

さて、このところ、耳なじみのない曲に挑戦したりしているので、久しぶりにおなじみの『フィガロ』のアリアを頭だしして何曲かをつまみ聴きしてみたところ、じーんと感動してしまった。特にケルビーノの2曲の青春のアリア。若かった頃には、親が懐メロを愛好するのが不思議だったが、それと同じような感覚を自分も持つようになったらしい。

それにしても、このように、18世紀末の西洋文化の精髄であるようなこれらの音楽作品と、その20世紀後半での「再現」演奏・歌唱を聴き、それを21世紀初めの極東人が心を振るわせるというようなことがあるのだが、逆に若い頃には感じなかったことだが、洋の東と西の相互理解はなかなか難しいように昨今思うようになっている。

否、むしろ、先月のヴァンクーヴァーオリンピックがきっかけで表面化したように、隣国同士の理解も難しいのも最近実感しつつある。自分の中で、楽天的な寛容さがどんどん消失してきているような気がしてならない。これは世界を覆うような大きな時代の雰囲気なのか、それとも多くの社会問題を山積している現代日本がかもし出している雰囲気なのか、それとも自分自身固有の問題なのだろうか?

イルカ問題(ドキュメンタリー映画"The Cove" 〔入り江という意味〕の米国でのアカデミー賞ドキュメンタリー部門賞の受賞)と、クジラ問題(シー・シェパードというオーストラリアやニュージーランドに本拠をおく反捕鯨団体による日本の調査捕鯨船への妨害行為で妨害船の船長が日本の海上保安庁に逮捕された)が相次いで世界的に報道されている。また、地中海、大西洋のクロマグロの絶滅を防ぐ名目でのクロマグロの国際取引がワシントン条約で禁止される恐れが高まっている(これに反対しているのは、日本、韓国、オーストラリアくらいらしく、欧米各国は禁止賛成とのことだ。)

突然のように巻き起こったトヨタへのバッシング問題と絡めると、このような大合唱には日本に住むものとしては被害者意識を持ってしまいがちだ。このような感覚が、第二次大戦前のABCD包囲網ではないが、日本の国際連盟脱退の頃にもあったのかも知れない、などと少し非歴史的で、論理性のないことも考えてしまう。ただ、これが島国的な僻み根性も入っているものではあると意識していても、「なぜ、日本だけが責められるのか?」という意識がわきあがってくる。

一方、米国、豪州、ニュージーランドという国々は、ものすごく粗雑に言うと、いわゆる英国人アングロ・サクソンが、先住民を追い払い建国した国なのだが、その英国人の動物愛護の歴史もそれほど古いものではないということも、先日も触れた『ロンドン 旅の雑学ノート』というエッセイを再読して驚いたことだった。

19世紀の英国人は、パブで犬にネズミ殺しをさせるショーを賭けをしながら楽しんでいたという。それ以前の時代には、牛や熊をつないでおき、それに闘犬を飛びかからせて弱らせるという牛いじめ、熊いじめが人気抜群の見世物であり、闘鶏は当然のように行われていた。また、貴族のスポーツといわれる「キツネ狩」は、元々害獣であるキツネを退治するのが目的だったというが、それをスポーツ(娯楽)にしてしまったのが彼らだ。さらには、犬を鉄串につなげた金属性の回転籠に入れて、その熱で犬が苦しがって籠を回してローストビーフを焼かせるという装置まであったという。キツネ狩りが今でも行われているのかは知らないが、現在ではそのような娯楽への反省や罪滅ぼしからか英国人は猛烈な動物愛護精神を発揮しているようだ。(ただ、その時代の英国人は、動物は愛護したかも知れないが、残酷な植民地政策を世界各地で繰り広げていて、本国はその収入で豊かだったということも忘れてはならないだろう。要するに動物は愛護したが、植民地の人間にはその精神は及ばなかったのだ。)

そして、かの国の船乗りたちは、ドードー(『不思議の国のアリス』にも登場)やオオウミガラスを大虐殺してついには絶滅においやった過去を持つ。オーストラリアでは、かつて1965年までは白豪主義(White Australianism)を唱え、先住民(アボリジニ)を差別し、タスマニア・デヴィルに不名誉なデヴィルなどという名前を付けて差別し、野生カンガルーをステーキとして食い、ニュージーランドではキウイ(鳥)を絶滅させてもいる。

そこに、アメリカ的な正義の世界への押し売り「など」が絡んで、いわゆる日本バッシング的な状況を呈しているようにも解釈しうる。

現在、オーストラリアはマルチ・カルチュラリズム(多様な文化を尊重する思想、多文化主義)が公的に唱えられているというが、それが全世界的に広められなければならないはずだ。もし、オーストラリアが、「野生カンガルーを狩猟して食肉にする」行為を映画に撮られて、全世界に「非難」を目的に公開されたらどう思うのだろうか?

伝統文化、固有文化というものは、他の独自性があるからこそ存在意義があるというところがあり、欧米的な世界観を世界中に及ぼそうとする昨今のグローバリズムの動きとは相反するものではある。主体が欧米諸国なので、彼らの「固有文化」があまり批判や非難の対象になることは少ないので、逆に彼らに「非難」「批判」される側の痛みが感じられないのではないかと想像する。

脱亜入欧が、明治以来の国是だった日本で、日本の江戸時代頃の西洋音楽に心を奪われている自分が言うのもなんだが、一方的な文化の輸入ではなく、相互作用、相互理解が健全な関係にとっては重要ではないか、と当たり前のことを考えてしまう。

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2010年3月15日 (月)

ベートーヴェン 交響曲第9番 第4楽章 Alla Marcia のテンポ

前日に引き続き、ベートーヴェンの交響曲のテンポについて気が付いたことを自分なりにまとめてみた。

今度は第9交響曲。

第4楽章 独唱と合唱が歓喜のテーマを歌い "vor Gott" をフェルマータで伸ばした後、Alla Marcia(マーチ風に) Allegro assai vivace (かなり快活に、生き生きと) 8分の6拍子のリズムの「Froh, wie seine Sonnen fliegen, 走れ、恒星が飛ぶように」のテノールソロに率いられるマーチの部分になる。

8分の6拍子は、八分音符3つを1拍に数える2拍子のリズム。つまり、1拍の音価(半小節)は付点4分音符。2拍分(1小節分)は付点2分音符となる。

ベートーヴェンは、発明されたばかりのメトロノームで84という値(分速)を楽譜に書き入れたが、これが付点4分音符に付けられた(これが従来の出版符 〔IMSLPへのリンク〕の解釈)のか、それともその倍速(*)の付点2分音符に付けられたものか、それこそ200年もの間ずっと問題になってきたという。

これによって、マーチとそれに続くフーガの部分及び歓喜の合唱の再現のテンポが決まるからで、楽譜に忠実に演奏すると、この箇所では一貫してAllegro assai vivaceが適用され、テンポの変化は楽譜上はないことになっているはずなのだ。 

Beethoven_s9_4mvt_alla_marcia

 

参考にピアノ編曲もIMSLPには登録されているので、あたってみた。

For Piano 4 hands (Meves)                  付点四分音符=84
For Piano solo (Liszt ブライトコプフ版)  同上
For 2 Pianos (Liszt ショット版)             メトロノーム表示なし 
For 2 Pianos (Singer)                         付点四分音符=84

(*)1拍分が1分間に84回よりも、2拍分が1分間に84回の方が倍のスピードになる。後者だと1拍分の回数は1分間に168回になる。

しかし、これまでの多くの伝統的な演奏のテンポは Allegro assai vivace という指定を無視するかのように大変遅いマーチが演奏されていた。

これについては、ベーレンライター社の新版の出版前にこの研究に協力したとされるガーディナーが1990年代の彼のベートーヴェンの交響曲全集録音について話したインタビューを掲載しているサイトがあり、それによるとガーディナーは「2拍分が84」という従来の「1拍分が84」より倍速の説が妥当としている。

実際に彼の指揮した演奏をCDを聴くことができる(1992年録音)

テンポをiBPMカウンターで実測してみた。マウスのクリックで測るので、結構誤差があるようだが、傾向はつかめる(付記)。

ガーディナーの録音を聴くと、マーチの(従来よりも)速いキビキビしたテンポ(付点四分音符=約140)が、その後に続くフーガでも維持され(約138)、クライマックスの全体合唱による歓喜のテーマの再現もそのまま生き生きとした活発なテンポ(約140)が保たれ、もたれることのないスッキリした演奏になっている。(付記:iBPMでマニュアル測定した結果では、付点四分音符=168という楽譜上正しいはずのテンポの8割りほどのスピードになっていた。)
  マーチ140、フーガ138、合唱140

これまでこの点を意識せずに漫然と聴いていた頃にはやけに淡白な第九だと文句を付けたことがあった。それは、実際に第九のコーラスに参加して伝統的なテンポの変化の激しい演奏スタイルに馴れてきたものにとって、少々理性的過ぎるようにも聞こえたことによる違和感だったのだろう、と今となっては思い当たる。(いまだに違和感はあるのだが、理性の方が、このアプローチに納得を始めているので、違和感は薄まってきている。)

○一方、1992年に録音されたピリオドアプローチ派のブリュッヘン指揮18世紀オーケストラは、伝統的なテンポ(付点四分音符=120。ちょうど普通のマーチのスピード)。そしてこのマーチの最後に特にテンポを上げろという指定はないのだが、フーガへ近づくにつれてテンポをあげる(フーガは約130)という従来通りの解釈を採用している。ただ、これが効果的でもある。合唱は125程度。
  マーチ120、フーガ130、合唱125

なお、私の手持ちで、ベーレンライターの新版に基づくとされるのが、 ジンマンの1998年録音と飯守の2001年録音。

ジンマンは、ガーディナー同様、かなり速いテンポを設定している。
   マーチ132、フーガ138、合唱134

飯守の方は、従来より比較的速いが、これも倍速まではいっていない。
   マーチは意外に速く140、フーガも140、合唱も134で、意外にも聴感より速かった。

○また、ラトル/VPOの録音は2002年で、ベーレンライター新版に準拠しているはずだが、Alla Marcia以下は、伝統的な対応。
  マーチ120、フーガ136、合唱134

○面白いのが、ピリオドアプローチ派の初期に活躍したホグウッドの指揮による演奏。本当に停まりそうなくらい遅いテンポでマーチを演奏している。1拍=60位だろうか? 1拍(付点4分音符)=92程度だった。84よりも速いのだが、聴感上、これでは遅すぎるのだ。いかに付点4分音符=84が遅いかがこれでよく分かる。続くフーガの部分もこのテンポ(M.M.=98)で押し通し、その後に続くこの楽章のクライマックスの一つである全体合唱での「歓喜のテーマ」も同じ遅いテンポ(M.M.=98)で一貫しているので、さらにユニークさが際立っている。
   マーチ92、フーガ98、合唱98

○伝統的な演奏では、トスカニーニ/NBC響(1952年)はどうかと思ったが、iTunesになぜか取り込めないでいるので、CDプレーヤーで聴いてみた。演奏自体は引き締まった速めのテンポ設定で、音楽に前進するダイナミックな力感が溢れていて、改めて大変感心した。ただ、Alla Marciaは、遅すぎはしないが普通の行進曲の歩行の速さの(Allegro assai vivaceではない)テンポが取られていた。マーチからフーガへの切り替えでは、アッチェレランドせずに、フーガに入るとテンポが突然上がるように演奏されていたのがユニークだった。
  マーチ121-129、フーガ136-145、合唱137-141

メンゲルベルク/ACO (1940年録音)
 マーチ121-126、フーガ132-140、合唱136-140。 

フルトヴェングラー/バイロイト祝祭管 (1951年録音)
 マーチ130-134、フーガ140-144、合唱131-138。 

ワルター/コロンビア響(1959年)
 マーチ107-114、フーガ118-125、合唱110-115

シュミット=イッセルシュテット/VPO (1965)
    マーチ120、フーガ126、合唱111。 

参考サイト:横浜フィルホルン奏者の方の「田園」の記事が面白かった。

追記:リッピング、音楽管理ソフトの iTunes にある Beats Per Minute (BPM) 一分間あたりの拍 という項目がある。この機能へのアドオンソフトが出ていて、実際に計測してみた。(iBPMカウンター フリーソフト

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2010年3月14日 (日)

ベートーヴェン 交響曲第1番 第1楽章 序奏部最後の2種類の演奏の仕方

以前、クルト・ザンデルリング指揮フィルハーモニア管弦楽団のベートーヴェン交響曲全集を聴いたときに、交響曲第1番の第1楽章の序奏部(Adagio molto 八音符=88と指定)最後の32分音符4個による下降音階(ソファミレ:ハ長調読み)がゆっくりしているのに驚いて、IMSLPのスコアで確認したことがあった。

◇第1番 第1楽章序奏から主部に移行する下降音型がゆっくりなのがユニーク(と思っていたが、ブロムシュテット/SKDも同じだった。IMSLPでスコアを確認<pdfファイル>してみたら、序奏部最後のソファミレは主部のテンポではなく、序奏部のテンポで奏されるのが正しいようだった)。

Beethoven_sym1_1mvt

先日ガーディナーの指揮によるピリオドアプローチの第1番を聴いたときはあまり意識していなかったが、改めて聞いてみるとこちらは下降音階の部分は第1楽章主部の速いテンポで演奏されていて、まったく違和感がなかったので、「ゆっくり」で演奏しているのはどれだろうと、改めて手持ちを聴き直してみた。すると、

ゆっくり派
○ブロムシュテット/SKD 〔1976年録音〕
○ザンデルリング/フィルハーモニア管 〔1981〕

のみで、

速い派
○クリュイタンス/BPO 〔1958〕(第1&2番のカップリングはLP時代から聴いている)
○セル/CLO 〔1964〕
○バーンスタイン/VPO  〔1978〕(CD時代に最初に求めたもの)
○ガーディナー/オーケストル・レヴォルショネール・エ・ロマンティク 〔1993〕
○ジンマン/チューリヒ・トーンハレ 〔1998〕
○飯守泰次郎/東京シティ・フィル  〔2000〕

となった。ジンマンは第九以外は使用している版の問題があるが、飯守は新ベーレンライター版での演奏だとはっきり謳っている。その新版楽譜を持っていないので、そこでの指定かどうかははっきりしないが、この「速い」解釈はこの中でもっとも古い1950年代末のクリュイタンスや、1960年代前半のセルも採用しており、こちらの方が私の手持ちでは多数派だったといことから、解釈の問題という可能性が強いように思う。 

IMSLPに登録されている楽譜はいずれも、コピーライトに問題がないほどの旧版だろうと思うが、これを杓子定規的に解釈すると「ゆっくり派」の方が妥当だと思う。序奏部のAdagio molto 八分音符=88のゆっくりしたテンポがこの最後の32分音符4つ(8分音符一つ分)まで適用されるからだ。4分の4拍子1拍分になおすと、四分音符=44の遅さになる。

一方「速い派」として、この旧版楽譜に基づいた場合に「速く」する理由としては、提示部(Allegro con brio 2分の2拍子 2分音符=112と指定)の第6小節目に、こちらは16分音符4つでラソファミと出てきてから、何度もこの16分音符4つの下降音階が動機として活用されるのと、再現部での対応する箇所との「速度的な」整合性をとっているのかも知れないとも思う。

改めて意識してみると「速い派」が聴きなれてきたもの(いわゆる「刷り込み」)だと分かったので、自分にとっては「速い」方が自然なのだが、「ゆっくり」の方も下降音階が印象に刻み付けられるという意味では捨てがたいように感じた。ただ、実践(演奏)する人(指揮者)としては、どちらかを選択しなくてはならないのだから、大変なものだと思う。

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2010年3月13日 (土)

山形県と鳥取県の食のコラボレーション

一昨日の木曜日放映の『県民ショウ』で、鳥取県西部の学校給食で出される「スタミナ納豆」が紹介されていた。

西日本では、納豆はあまり好まれないといい、鳥取県自体納豆の消費量は少ないらしいが、20年ほど前のある栄養士さんが考案した「スタミナ納豆」が子ども達に大人気で、給食でその料理が出る前日にはウキウキするという子どももいたほどだった。

紹介されたものとは微妙に異なるかもしれないが、記憶している作り方は以下の通り。

鶏の挽肉を適量、フライパンで炒める。(試してはいないが、豚や合い挽きだとくどくなりすぎるように思えるので、鶏肉がベストのようだ。)

炒める際にはおろし生姜とおろしニンニクを少し加える。

別に、挽き割り納豆をボールに出し、ネギと醤油適量を加えて混ぜ合わせる。

先ほど炒めた挽肉をボールに入れて混ぜ合わせ、そこに少量のタバスコを隠し味に入れ、さらに混ぜて完成。

これをご飯のおかずとして食べるのが普通の食べ方で、今では鳥取県西部では普段納豆を食べないお年寄りでも好んで食べるほどの家庭料理になっているらしい。

同じ番組で昨年紹介された山形県内陸部のひっぱりうどんは、簡単で美味しいので我が家では忙しいときのレパートリーに完全に加わって大好評だが、今晩は私が思いついてスタミナ納豆をひっぱりうどんの「つけ汁」として作って家族で食べてみたところ、これが美味しかった!

鯖ほどダシが出るわけではないが、中華風のまろやかな味に、タバスコの隠れた辛味がマッチして、うどんとの相性もばっちりだった。

テレビを通じて、山形県の食文化と鳥取県のそれが、関東地方で出会ったという図であった。

ついでに、北海道で好まれているという焼酎の番茶割りを、薩摩の芋焼酎で試してみたが、これも美味しかった。

ご馳走様でした。

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2010年3月12日 (金)

フランス系の交響曲を聴く(その2) ルーセル 交響曲第3番 アンセルメ/スイス・ロマンド管

Roussel_ansermet

アルベール・ルーセル
 交響曲第3番 ト短調
  エルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団


Albert Roussel (1869-1937) 
  Symphony No. 3 in G minor
   Ernest Ansermet / L'Orchestre de la Suisse Romande 〔1956 Recorded in the Victoria Hall, Geneva〕

- 1. Allegro vivo           5:13
- 2. Adagio                 8:50
- 3. Vivace                 3:04
- 4. Allegro con spirito  6:01

今晩も続けてフランス系の交響曲。

2010年2月11日 (木) フランス系の交響曲を続けて聴いてみようと思う

これもアンセルメとスイス・ロマンドによる録音。

昨日のマニャールより4歳年下。マニャールやカントルーブなどと同じダンディ門下生。1929-1930年の作品。

第1楽章は、激しいリズム。フランスの作曲家というよりも、ロシアやプロコフィエフを連想させるような暗くて激しい音楽。

第2楽章のアダージョもテンポの割りには、特に中間部などは煩わしいほど細かいリズム割りで落ち着かない音楽となっているが、終結部はヴァイオリンソロなども聞け、静寂な音楽になっている。

第3楽章ヴィヴァーチェは、比較的伝統的なスケルツォ風の音楽。調性的には長調に傾いているようだ。分厚いオーケストレーションが特徴とされるルーセルだが、この楽章ではソロイスティックな動きも聞かれる。

第4楽章は、続いて活発な音楽。これも短調というより長調気味か?乾いた感触は、やはりプロコフィエフを連想させる。コーダが相当ユニークで陽気に終わる。

全体的には、マニャールよりもさらにモダンな感じの音楽だが、響きが開放的ではないようで、これがルーセルの特徴なのかも知れない。

この印象は、録音のせいもあるのだろうが、録音は1956年で、初期のステレオ録音。たださすがにデッカだけのことはあり、細部まで録られているが、音の伸びやかさや滑らかさは物足りない。詰まったような音響。プレゼンスもさすがに不満足。

スコアは、IMSLPではすでにファイルとしては登録されているようだが、保護期間の適用が国によってまちまち(USAは未だ保護期間中)のためか、公開されていない。

Wikipedia 日本語版はもとより、フランス語版も内容が充実していない。(項目が立っているのはこの2言語しかないようだ。英語版もないとは!)

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2010年3月11日 (木)

フランス系の交響曲を聴く(その1) マニャール 交響曲第3番 アンセルメ/スイス・ロマンド管

Chausson_magnard_symphony_anserme_2 アルベリック・マニャール
 交響曲第3番 変ロ短調作品11
   エルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団


Albéric Magnard (1865-1914) 
  Symphonie no. 3 en si bémol mineur op. 11 
       1. Introduction et ouverture. Modéré – Vif – Mouvement de l’introduction  12:30
       2. Danses. Très vif – Dédoublez – 1er mouvement  6:34
       3. Pastorale. Modérée  9:53
       4. Finale. Vif   9:23
   Ernest Ansermet / L'Orchestre de la Suisse Romande [1968]

2010年2月11日 (木) フランス系の交響曲を続けて聴いてみようと思う

マニャールという作曲家の存在は、このCDを購入して初めて知った。アンセルメの芸術というデッカレーベルのシリーズの一枚にショーソンの交響曲変ロ短調が収録されており、その併録作品として収録されていたものだ。

世代的にはショーソン(1855-1899)とほぼ同世代の作曲家らしい。

著名作曲家で1860年代生まれの人をリストアップしてみたら次のようになった。

1860 Wolf, Mahler, Albeniz (2010年生誕150年のメモリアル・イヤー)
1862 Debussy
1864 R.Strauss, Delius
1865 Sibelius, Nielsen, Glazunov, Dukas, Magnard
1866 Satie, Busoni, Kalinnikov

マニャールという名前もその作品も学生時代によく聴いたFMラジオ放送でも聴いた記憶がなく、恐らくこのCDで聴いたのが初めてだったと思う。買ったときに一通り聴いてみたのだが、それほど強い印象も持たず、そのままになっていたので、今回自らにフランス系の交響曲を「じっくり」聴いてみようという課題を課して(笑)、改めて聴いてみようとしている。

さて、この交響曲だが、主調は変ロ短調(フラット5つ)とされているが、曲調は相当明朗だ。変ロ短調というと、ショパンのピアノソナタ第2番やチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を思い出すが、それらとは相当印象が異なる。(主調への違和感は、よく考えてみると、単純な先入観だった。というのも、ベートーヴェンの第5のハ短調などはハ短調が用いられる時間は短く第2楽章と第4楽章は長調で、特に第4楽章は同主調のハ長調をこれでもかというように強調する作りだった。また第9でもニ短調だが終楽章が同主調のニ長調が基本になっている。)

IMSLPではここにスコアあるので、スコアをPCの画面に出しながら聞いてみよう。1896年の出版のようだ。

楽器編成は、2Fl, 2Ob(Cor anglais持ち替え)、2Cl(B管)、2Fg、4Hrn(F管)、2Trp(F管)、3Trb、Timp、弦楽5部 というもの。

第1楽章は、「導入部と序曲」と名づけられ、「穏やかに」 -  「速く」 - 「導入部のテンポで」 とされている。 Introduction et ouverture. Modéré – Vif – Mouvement de l’introduction  

導入部は木管を中心とした少々東洋風に聞こえるコラールに続くヴァイオリンのトレモロを背景にコールアングレ、ヴィオラとチェロのユニゾンで幅広い旋律が続き、そのセットが再び繰り返され、再度コーラルが戻ってから「速く」の主部に入る。

高い弦に出る速い旋律(第1主題)は調性が安定せず、続いてヴァイオリンに出るゆったりとした旋律(第2主題)が奏でられるが、こちらも長調、短調があまり明確ではない。続いてまた「速い」部分になるが、ここは主部冒頭の部分が展開されている。木管の三連符に続いて低弦にレチタティーヴォ風の旋律が出てくる。第2主題が展開された後、再現部で第1主題が再現され、第2主題も再現される。最後に冒頭の導入部のテンポに戻り、弦のざわめきの上にコラールが奏でられ、おだやかに長調で終結する。

第2楽章 Danses. Très vif – Dédoublez – 1er mouvement  踊り。とても速く、分離(という意味だろうか?) 最初の速さで(テンポ・プリモのことだろう)。

とても速くの部分は、長調。8分の6。スケルツォ楽章的。バグパイプ風の音楽も出てくる。分離の部分はいわゆるトリオ的な部分。2分の2拍子で、ゆったりとしたテンポでコラール的な短い部分。それから主部が再び戻ってくる。フランスの田舎の踊りという感じで親しみ易い楽章だ。

第3楽章 Pastorale. Modérée  パストラーレ。穏やかに(Moderatoのことだろう)。ここで短調らしい短調がようやく出てくるが、調性的には不安定な感じがする。穏やかな弦に乗ってオーボエの長いソロが続き、途中低弦の短い動機が脅かし、その後ヴァイオリンがオーボエのメロディーを敷衍したような長い旋律で応える。続いて、オーボエが別の長い旋律を吹く。脅かすような動機が聞こえ、そこから展開部風の激しい音楽となり、再びオーボエの旋律が登場し、穏やかな音楽が続いていくき、ヴァイオリンのシンコペーションの長い旋律が静かに奏でられ、時折脅かす動機が奏でられながら静かに終わる。

第4楽章 Finale. Vif  フィナーレ。速く。変ロ長調で明るく開始される。フルートとヴィオラの対話のような経過句のような部分が続き、提示部が終わる(リピート記号はあるがこの録音では省略)。展開部は、冒頭の動機が使われる。その動機と金管によるコラールが奏でられ、突発的なクライマックスが挟まれる。再現部は再び明るく開始される。第2主題部は、オーボエと弦により、第1楽章冒頭の木管のコラールの再帰(循環)を思わせる音楽が奏でられ、変ロ長調で明るく終結する。

ところどころ魅力的な部分もあるが、どこか過渡期的な感じのする音楽だった。コラール的な書法が好みのようだ。また、調性的にはどうか分からないが、旋律的にはソナタ形式を墨守しているようにも見受けられた。現在では、それほど演奏されず、この音盤でアンセルメが録音したことで比較的聴かれているという状況のようだ。

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2010年3月10日 (水)

鶴岡八幡宮の大イチョウ倒れたというニュースに驚愕

asahi.comのニュースによると、

2010年3月10日10時13分 神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮で10日未明、境内にある大イチョウが倒れた。同市が原因を調べているが、同八幡宮によると、強風で倒れたとみられるという。  大イチョウは樹齢1千年余りとされ、高さ約30メートル、周囲6.8メートル。鎌倉幕府三代将軍の源実朝を暗殺した公暁(くぎょう)が、この木の陰に隠れたという伝説から「隠れ銀杏(いちょう)」とも呼ばれ、大仏と並ぶ同市のシンボルだった。1955年に県の天然記念物に指定されている。  同八幡宮によると、10日午前4時15分ごろ、5分おきに「ドンドン」という音が鳴り、同40分に雷が落ちるような音がして警備員が駆けつけたところ、大イチョウが倒れていたという。境内は開門前で参拝者はおらず、人への被害はなかったという。

写真:根元から倒れた大イチョウと、おはらいをするために大石段を下りる神職=10日午前8時2分、神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目の鶴岡八幡宮、 山元一郎撮影

写真:倒れた大イチョウの根元の直径を測る消防署員=10日午前7時49分、神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目の鶴岡八幡宮、山元一郎撮影 

また、毎日新聞(3月10日11時35分配信 毎日新聞)によると

 八幡宮によると、大銀杏は幹回り6.8メートル、高さ約30メートルで樹齢は1000年とされる。午前4時15分ごろ、当直の警備員が3回ほど「ドンド ン」という音を聞いた。警備員は「積もった雪が落ちる音だと思った」という。その後、落雷のような音がしたため、様子を見に行くと大銀杏が倒れていた。市 消防本部によると、当時の最大瞬間風速は12メートルだった。

 大銀杏をみた東京農業大の浜野周泰教授(造園樹木学)は、2月以降の雨で地盤が緩んでいたことに加え、9日夕からの強風が原因と指摘。雪まじりの風は、 通常の数倍の力がかかるとされ、傾きを支えられずに折れたとみられる。石段脇の土壌が薄い斜面に立っていたことも影響したらしい。浜野教授は「根元の状態 から回復は不可能」とのコメントを出した。

 八幡宮では09年末から保全に向けた検討を始め、浜野教授が診断したが、生育に問題はなかった。

とのことで、回復は難しいようだ。

2年前のちょうど今頃鶴岡八幡宮を拝観したのを思い出した。そのときの記事がこれだが、この記事には、春を迎えこれから葉を茂らせようとしている大イチョウが枝を天に向かって伸ばしている姿が写っている。

大変驚いた。

台風の強風にも1000年間も耐えてきたのに、毎日新聞で書かれているように、昨夜の重たいみぞれ混じりの雪が強風で生い茂った枝に付着するなどしたところに、さらに突風にあおられて相当な力が加わったのではないだろうか?

倒れたイチョウを早速紹介してくれているブログ(いにしえの情景)。

縄文杉は近年有名になってはいるが誰もが見られる木ではなく、この八幡宮の大公孫樹は恐らく日本で最も有名な木ではなかったろうか?樹齢800年とも1000年とも言われ、鉄道唱歌にも

7. 八幡宮の石段に 立てる一木(ひとき)の大鴨脚樹(おおいちょう)      別当(べっとう)公暁(くぎょう)のかくれしと 歴史にあるは此陰(このかげ)よ

とある程。私が中学の修学旅行で見ただけではなく、父母も若い頃見たものだったはずだ。祖父母も見たことがあったかもしれない。少なくとも数百年の星霜を見続けてきて、いつまでも立ち続け、葉を茂らせてくれていた、いわば心のふるさとのような木だった。

残念だ。

昨夕の民放のニュースで、気象予報士が「明日は積雪はないでしょう。東京都心は、ですね。」と伝えていたのを、「このニュースは少なくても関東1都6県の住民は見ているので、そういう東京中心主義的な言い方はまずいんじゃないの、現にここでも積もり始めているし、NHKの関東地方向けの天気予報では盛んに積雪注意といっていたよ」と話したのを思い出した。ただ、どうも日本の気象庁、気象協会は、台風以外の低気圧については警戒が緩いようで、別に天気予報はそれを予報し伝えるだけなので責任があるというわけではないが、このイチョウの倒木のように雪交じりの強風で各地で被害が出ているのだから、もっと真剣味をもって天気を予報し、伝えてほしいものだと思った。実際、台風以外の低気圧で予想外の被害が起きているケースは結構多いように思う。

参考:Twitterの Tweet 

湘南は強風と激しいみぞれ。吹きだまりは白くなってます。わが家の被害、ベランダの日よけ倒壊(台風の時も平気 だったのに)。&傘一本全壊して飛んでった。明朝どうなっているやら。 約15時間前 via web

「みぞれ 強風 被害」で検索したらヒットしたもの。湘南地方の3月9日夜のつぶやき。台風にも耐えた「日よけ」が倒壊とのことで、やはり相当の力 が加わったもののようだ。学生時代に、湿雪が高圧の送電線にくっついて送電線が切断され、東北地方の広域が停電になったことがあった。滅多にあることではないが、気象予報士には少なくとも湿雪の注意喚起などが求められる。

樹齢について 日本の巨樹・巨木より 鶴岡八幡宮の大イチョウ

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2010年3月 9日 (火)

時ならぬ春の雪

この土日ははっきりしない曇りと雨の週末で、昨日は一転して春らしい一日だったが、それが今日は再度一転して、夕方から本格的な降雪になった。雪といってもふわふわと降る綿雪ではなく、湿気を帯びたほとんど霙のような雪なのだが、これが北西の冷たい強風に吹かれて降ってくるので、吹きさらしの通勤路を歩いて帰ってくる途中、すっかり靴とズボンが濡れ、むき出しの顔が痛いほど冷たくなるほどで、閉口した。東京都心では積もらず、明日はまた春の暖かさになるというのだが、午後10時現在の横浜内陸部ではぐしゃぐしゃの湿雪ながら1センチほど積もっている。

寒い冬だったという印象があるのだが、実は「平均気温」では例年より暖かいのだという。寒さを感じさせたのは、突然暖かい日が訪れた翌日に気温が急降下し平年を大幅に下回ることが何度もあったためだと先日の天気予報が解説をしていたが、そのような変動の大きい気温で、平均気温を計算しても意味があるものだろうか、と疑問に思ってしまった。

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2010年3月 8日 (月)

ブルックナー 交響曲第3番 を聴く

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ブルックナー 交響曲第3番ニ短調

 ジョージ・セル指揮シュターツカペレ・ドレスデン ザルツブルク音楽祭ライヴ1965

Bruckner: Symphony No.3 in D minor
  - 1. Mehr langsam, Misterioso    19:11
    - 2. Adagio, bewegt, quasi Andante 13:45
    - 3. Scherzo. Ziemlich schnell - Trio 7:15
    - 4. Finale. Allegro 12:00

Salzburger Festspiele 1965
Live Recording: Grosses Festspielhaus on August 2,  1965, monaural

ジョージ・セル指揮のシュターツ・カペレ・ドレスデンによるザルツブルク音楽祭でのライヴ録音。1965年の収録だが、残念ながらモノーラル録音であり、音質もハイあがり気味で潤いが不足する。

スイトナーやブロムシュテットの指揮した1970年代以降のシュターツ・カペレ・ドレスデンの潤いのある音響のステレオ録音をいろいろ聴くことができるので、この録音が万全であったならと余計なことを考えてしまう。同じセルのザルツブルク音楽祭でのライヴでも1969年収録のオルフェオレーベルでのギレリスとのベートーヴェンプログラムは、少し音質が粗いとは言え適度な残響を伴った広がりのあるステレオ録音で聴くことができるから、惜しい。

とにかく、どの楽章でも金管の強奏の部分が激しい音楽が聞こえる。耳を叱咤するような感じで、音楽を楽しめるという風ではなく厳しすぎるのだ。ブラスがいらついて演奏しているようにも聞こえてくる。第2楽章のシューマンを連想させるような弦を中心にした穏やかな楽想は穏やかに演奏されているので、ブラスの峻厳さはセルの要求だったのかも知れない。ライブ録音だけあり最後に拍手が収録されているが、少し恐る恐るという風に聞こえる。そして、拍手の音が相当ハイ上がりの音になっている。

この曲に関しては、ベームとヴィーン・フィルによる1970年録音の音響の美しい音盤を以前から聴いていたので、余計音質面での差が気になってしまいがちだ。

こちらもセルの他流試合の録音を聞いてから改めて聞いてみると、美しい響きで細部も丁寧に仕上げられているのだが、特に第1楽章の見得を切るような激しさがあるのに気が付いた。

Bruckner_sym_3_boehm

カール・ベーム指揮ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団

Bruckner: Symphony No.3 in D minor
  - 1. Mehr langsam, Misterioso    22:00
    - 2. Adagio, bewegt, quasi Andante 14:49
    - 3. Scherzo. Ziemlich schnell - Trio 6:59
    - 4. Finale. Allegro 12:43

Recorded: September 1970, Sofiensaal, Vienna (Wien)

付記:narkejpさんからコメントをいただいたが、ブルックナーの音楽には切り離すことができない改訂と校訂、版(バージョン)の問題は以前からとてもわかりにくいものだと思っていた。これを機会に少し調べてみようと思って、検索してみた。

海外サイトのブルックナーディスコグラフィーでは、膨大な録音が細かく分類されている。

これによると、セルとドレスデンの録音は、"1890 Thorough revision Bruckner with Joseph and Franz Schalk Ed. Theodor Raettig" とのことで、ブルックナー伝記に必ず登場する協力者・弟子のヨーゼフ・シャルクとフランツ・シャルク及びブルックナー本人による1890年の「全面改訂版」とでも言うのだろうか。エディター(出版社)はテオドール・レッティヒという人らしい。これが第2番目の出版譜ということだ。そしてブルックナーによる「第3稿」というものにあたる。(ここまでで随分過ぎるくらい複雑だ。)

ただし、narkejpさんに紹介していただいた記事によると、後述のベームと同じ「ノヴァーク版第3稿」とされている。その一方で、このCD付属の藤田由之氏の解説では、「基本的には1888~89年版にもとづいているが、1876~77年のエーザー版からも示唆を得、さらにまた、一部で独自のオーケストラ処理も見せている。もっとも、現在では、基本的に"ノヴァーク版"と呼んでも、とくに誤りとは云えまい」と書かれている。(こうなると「同定」作業は非常に困難を極める。)

また、ベームとヴィーンフィルの録音は、"1889 Version (aka 1888/89) Ed. Leopold Nowak [1959]" 1889年版(別名1888/1889版)によるもので、エディターはレオポルト・ノヴァーク1959年。いわゆる「ノヴァーク版第3稿」。「1889年版=第3稿によるノヴァーク1959年校訂版」と言いかえれば私には分かりやすい。

それでも、この二つの版は、「基本的には」同じもので、ノヴァークの版は「校訂版」と呼ばれるものとのことだ。

ちなみにオリジナルの第1版(1873年完成)は、ヴァーグナーの楽劇からの引用が多く含まれ、1873年にヴァーグナーに献呈された。このために「ヴァーグナー交響曲」の別名があるという。上記のディスコグラフィーによれば、第1版の録音も結構あるようだ。

日本語のページではこちらに第3番の版の比較と聞き比べがあり参考になる。

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2010年3月 7日 (日)

玉村豊男『ロンドン 旅の雑学ノート』の左側通行

別に、シャーロック・ホームズの新作映画が公開されるからというわけではなく、先月からホームズ熱がぶり返して、このブログにもいろいろ書き綴っている。昨夜の世界不思議発見でのホームズ特集で、子ども達が「映画公開があるからね」と言っていたので、ああ、そうかと思った次第。深層心理的に、映画の予告編が影響していたのかも知れない。

これまで未読だった「恐怖の谷」「事件簿」を含めて、一通り正典60篇を読み終え、英国関連について、本棚から以前読んだ本を探し出して読み直している。また、先日のダウランドもホームズ時代ではないが、イギリス関連。フランスの交響曲シリーズはまだ道遠しだ。

さて、玉村豊男は、現在は信州の東部町(現在の東御市)にワインヤードとレストランを経営しているそうだが、この本は1980年のコピーライトマークが付いているので、既に30年以上も前のロンドンということになり、情報的には古い。まだ、同時多発テロやそれに引き続く「文明の衝突」的な事件が無い頃だ。そういう意味では、まだ穏やかな時期のロンドンのような気もする。

ところで、この本を読み、以前書いた2007年6月29日 (金) UKとヨーロッパ大陸とのGAPはなぜ生じたのか?  の一つの答えがここに載っているのを読み、改めて自分の記憶の鈍さに驚いた。Ⅲのキングダムの構造に英国の左側通行と大陸の右側通行が、英国の二頭立て馬車と、フランスの4頭立て馬車の御者の乗る位置が異なるということから説き起こしている。概ね右利きの御者の場合、二頭立ての馬車で鞭を振るうためには、御者台の右に座り、すれ違う際には、左に寄りながらすれ違ったことから左側通行が次第に確立し、逆にフランスを初めとする大陸では、四頭立て馬車の後列の左側の馬に御者はまたがり、鞭を振るったということから左側に乗り、右に寄ってすれ違ったということから右側通行ということらしい。ただし、英国風を何でも嫌ったナポレオンが左側通行を嫌い、右側を大陸に広めたという説もあるらしい。慣習がどうして成立したかは、後追いは困難なので、多くの想像があるようだが、馬車の御者台の説には感心した。

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スピードスケート 清水宏保氏 引退

スピードスケートの清水宏保氏が引退会見を行った。

その前日に、「新たにす」という新聞三社(日経、読売、朝日)の共同ポータルサイトの新聞案内人のコーナーに 吉井妙子(スポーツジャーナリスト)『清水宏保コラムと記者のため息』という「新聞案内」が載った。

長野オリンピックで500m金と1000m銅、ソルトレークで500m銀(金を獲得した地元アメリカ代表 の疑惑のフライングがあっての上で合計タイムたったの0.03秒差で銀。http://tanupack.com/tanupack/aic/8.htm が非常に詳しい。このような克明なディジタル記事が保存されていることの価値!)を獲得し、500mの以前の世界記録保持者でもあった超一流スケーターの清水宏保氏のコラムをオリンピック期間中に読み大変感心た。

銅メダル獲得の加藤選手への叱咤激励、キム選手と浅田選手のショートプログラムでの息詰まる対決への清水氏ならではの観点からのコメントについてはこの「新聞案内人」でも触れられていたが、中では今回のオリンピックへのJOC役員、メンバー派遣の多さ、主役である肝心の選手の待遇などを告発したコラムが強く印象に残った。

これまで多くのマスコミの記者たちが知っていて知らぬ振り、または多くのしがらみで発言できなかった問題を、一流アスリートの勇気が白日の下に晒す結果になった。それはちょうど、イタリアでの記者会見を朦朧状態で行った大臣の様子を、既存体制と持ちつ持たれつの日本の同行記者たちは当初報道しようともせず、外国メディアによる報道によって日本国民に知らされた例と似通ったものだと思った。現在の日本のマスコミへの私の信頼は低下している。

さて、このオリンピックで日本代表選手が、リュージュやスケルトンで、選手の体重オーバーやソリへの認証ステッカーを剥がしてしまった問題での失格があった。これは、同行した役員が選手第一を旨としてきちんと任務を果たしていれば起こりえなかったのではないかと思う(ただ、このソリ競技では開会式前のグルジア選手の練習中の死亡事故や、その後のスタート地点変更などにも関わらずボブスレーでさえ裏返し走行になるような、極度に危険なコースではなかったかと思われ、それが普通の大会ではありえないと思うような不可解な体重やシール騒動の一因なのかも知れない)。

不況下の日本で、スポーツ予算の潤沢な国に比べては潤沢ではない血税を選手の活躍のためではなく、本来は選手に奉仕すべき「御偉い役員様」のために使っているというのが、上述の持ちつ持たれつと同様に、現在日本が陥っている多くのしがらみや既得権益による歪み、閉塞感、「上に立つものの」公正さの欠如を象徴しているのかも知れないと思った。

ただ、清水氏の勇気をもった告発を掲載した新聞の英断を評価する(外部権威の利用という評価もあるかも知れないが)とともに、マスコミとしてそれを単発的なガス抜きにしない何らかのフォローや取組みが必要だろう。そうでないと、清水氏は梯子をはずされた形になってしまう。

なお、「新聞案内人」で取り上げられた現場のマスコミ関係者への奮闘を垣間見た清水氏の、自らのアスリート時代の取材への対応の悪さへの真摯な反省は素晴らしいものだが、勝負、記録に全力を賭している現役のアスリートにそれを期待するのは、まずは最大限の実力発揮が至上命題なので、周囲やマスコミに過剰に気を遣う必要はないのではないかと思う。マスコミも職業意識をもったプロであり、彼らもそこを理解しているはずだから。少なくとも、第一線を退いた後の感慨としてはいいが、後輩のアスリートたちにそれを求める必要はないだろうと思った。

とはいえ、162cmという小柄な体格と喘息というハンディを乗り越え、真にスピードスケート短距離の世界の頂点を極めた清水宏保氏の引退を寂しく思うとともに、これからの活躍を願いたい。

参考:2月26日の夕刊紙のサイトに清水氏コラムを紹介している記事があった。スポーツ予算をムダ食いするJOCの役員メンバー 夕刊紙だけあり、少々脱線もあるが。

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2010年3月 5日 (金)

ダウランド リュート曲集

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John Dowland (1563-1626) ジョン・ダウランド

◆Anthony Bailes(Lute)  Melancholy Galliard/ Sir John Smith, His Almain/ A Dream/ Mr. Dowland's Midnight /A Fantasia

◆Jakob Lindberg(Lute) The Most Sacred Queen Elizabeth, Her Galliard/ Come Away/ Lachrimae/ Galliard To Lachrimae/ Semper Dowland, Semper Dolens

◆Nigel North(Lute) Lady Hundson's Puffe/ Go From My Window/ Lord Willoughby's Welcome Home/ Piper's Pavan/ Captain Digorie Piper's Galliard

◆Christopher Wilson(Lute) Earl Of Derby, His Galliard/ Fortune/ Orlando Sleepeth/ Robin/ Forlorne Hope Fancy

◆Anthony Rooley(Lute) The King Of Denmark, His Galliard/ Sir Henry Umpton's Funeral/ Mrs. Vaux's Jig/ Mrs. Winter's Jump/ Farewell Fancy

(L'Oiseaux-Lyre POCL-2535)

ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)とエリザベス一世(1533-1603, 在位1558-1603)の同時代の音楽家といえば、ウィリアム・バード(1543or1544-1623)のことを以前取り上げたことがあった。この、ダウランドもちょうど彼らと同時代になる。そのせいか、シェークスピアの戯曲にこれらの音楽の雅で鄙びたという相反するような雰囲気がよく合うような感じがする。いや、これは映画やドキュメンタリー、シェークスピア映画から知らず知らずに植えつけられた条件反射なのかも知れない。

ダウランドといえば、『涙のパヴァーヌ』と条件反射的に出てくるが、リュート独奏による原曲がここに収められている。Lachrimae と その変奏であるGalliard To Lachrimae (Galliardについては これを参照)がそれである。レクィエムのラクリモサと同じ語源で、「落涙」という意味らしい。その元になったのが有名になったこの原曲に歌詞をつけたのが、歌曲(マドリガル)『流れよ我が涙』(Flow my tears) ということだという。

ダウランドの音楽は、イングランドのみならず、欧州で愛好されたというが、その表れとして、エイク Jacob van Eyck (1589/90-1657)による Pavane Lachrymae とその変奏については、以前聴いたブリュッヘンのリコーダー音楽集にも収録されていた。

白鳥英美子の"Amazing Grace" 所収の "Flow My Tears" もリュートのみを伴奏とした恐らく原曲に近い形での歌唱だと思うが、伸びやかで哀愁のある美声が心に沁みる。

さて、このリュート音楽集だが、5人のリュート奏者による25曲のリュート独奏曲を収めたもの。以前アイルランドのことを書いたときに、ユーラシア大陸はずれの極東の島国日本と同じく極西のグレートブリテン及びアイルランド島の極東と極西の不思議な対応関係について触れたが、このダウランドを聴くときに、何故か懐かしさのようなものを感じる。七つの海を支配する前のグレートブリテン及びアイルランドには、このような雅と鄙びが共存するような不可思議さが漂っていたのかも知れない。

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2010年3月 4日 (木)

One Piece 初版300万部 発行の驚異

2005年2月 8日 (火)少年マンガ界のお化けという記事で、『ワンピース』という女性の衣服のような不思議な名称の少年漫画のことを取り上げたことがあるが、今日発売のこの漫画の単行本第57巻は、何と初版で300万部を発行し、あの『ハリー・ポッター 不死鳥の騎士団』の日本語版の290万部をしのぎ日本一の初版数だという。

家人がこの漫画のファンで、単行本が出るたびに買い求めてきたのに御相伴に預かって私もファンとなっている。今回物語は最高潮で、確かに300万部の注目度が実際あるわけだが、作者の力の入った絵が単行本の版の大きさに入りきらないほどで、その点読みにくい印象がある。元の雑誌連載時にはこの絵の大きさ、スケールでよかったのだろうが、小型の単行本だと少し読みにくくなっているのが、玉に瑕というところだろうか。

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2010年3月 3日 (水)

ジュリアードカルテットのスメタナ『わが生涯から』

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ベドルージハ・スメタナ Bedřich Smetana (1824-1884)
弦楽四重奏曲第1番ホ短調「わが生涯から」 (作曲1876年)
Smetana: String Quartet No.1 in E minor "From My Life"
 - 1. Allegro vivo appassionato  8:03
 - 2. Allegro moderato ala polka  5:39
 - 3. Largo sostenuto 9:27
 - 4. Vivace  6:19
ジュリアード四重奏団
    The Juilliard Quartet (Robert Mann, Earl Carlyss, Raphael Hillyer, Claus Adams)
  Recorded on: January 4, 5, 18 & 19, 1968
  (CBS SONY 22DC 5568  丸C1989)

スメタナの著名な弦楽四重奏曲で、私がFM放送を友としていた高校、大学時代にはよく聴く機会があった曲だが、これまで音盤的には縁ががなく、ようやく最近中古CDでジュリアードカルテットの演奏によるドヴォルザークの「アメリカ」とのカップリングを求めることができた。

悲劇的なスメタナの人生を反映した曲ではあるが、必ずしも標題音楽的に聴かなくてはならないというわけではなく、古典的な楽章構成をもつ比較的聴き易い平明な音楽だと感じる。といっても、つい標題音楽的に聞こうとしてしまうのだが。

スメタナは、ベートーヴェンがそうであったように、この曲の作曲前というから50歳ごろには耳の病に悩み、それがこの曲を生み出す動機だったようだ。

第1楽章は、ホ短調の悲劇的な幕開けを思わせる動機で幕を開くが、しばらくすると長調で穏やかで美しいメロディーが奏でられる。この二つの主題による典型的なソナタ形式で、展開部は第1楽章の動機が主に展開される。ピチカートで余韻を残して終結。

第2楽章は、一転しておどけた感じの楽想で始り、民族舞踊的な楽想がそれに続く。発想表示に、ポルカと書かれているので、ボヘミアの出身スメタナのノスタルジーであろうか?ただ、中間部(トリオ?)は和声的に不安定に聞こえる部分も登場し、意味深な雰囲気だ。

第3楽章は、ラルゴ・ソステヌート。チェロのレチタティーヴォ風のモノローグから始る昔話のような雰囲気の音楽。主調は長調だが、ソステヌートというだけありたっぷりと伸びた息の長いメロディーとたっぷりとした和音の響きが聞こえる。そして、美しい響きが次第に悲劇的な曲調に遷っていく。これが収まると、今度はピチカートを伴ったヴァイオリンの憧れに満ちたメロディーが流れ出すが、重音による重厚な響きで邪魔され、再度穏やかなメロディーが戻ってくる。幸福な日々への追憶だろうか?

第4楽章は、民族音楽的な活発なリズムで始り、民謡風のご機嫌な音楽が奏でられる。ここはまったく悲劇味は感じられない。しかし、この陽気な音楽の途中、耳鳴りの音がヴァイオリンによる高音で始まり、第1楽章冒頭の悲劇的な雰囲気が戻ってきて、続いて第3楽章の穏やかな音楽も回顧されるように登場し、静かに曲を閉じる。

スメタナのこの第1番のほかの四重奏曲は聴いたことがない。しかし、今回改めてこの第1番をじっくり聴いてみて、堪能できた。

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2010年3月 2日 (火)

鬱憤が溜まった日本と韓国

オリンピックの女子フィギュアスケートの結果は、韓国の金、日本の銀、カナダの銅となったが、その影響がまだ続いているようで、下記のような報道があった。

また、パシュートの記事の最後の部分に付記したが、某衆議院議員がブログで不用意な記事を書いたところ、それに対して特にフィギュアスケートファンからそれに対する多くの意見が1000件以上もコメントされ、そのほとんどが批判意見で、それに対する議員本人名による拙劣な返答が火に油を注いだ形になり、いわゆる「炎上」状態になっている。

84番のコメント みなさまのコメントありがとうございます。いやあ驚きました。本当にインターネットの世界の誹謗中傷はこわいですね。人権擁護法案(インターネット規制法案)の是非について真剣に再考してみたいと思いました。 (注:ブログによると、人権擁護法案は、この議員が命を懸けて廃案に追い込んだものというが、今回の騒動でそれを再考しようとしているらしい。)

パシュート決勝の結果は、日本チームとドイツチームがそれぞれ実力を出し切っての勝敗なのだが、フィギュアスケート競技は、ちょうど芸術に関するコンクール、特にクラシック音楽コンクールの審査がしばしば紛糾する技術の評価と主観的な印象の入り混じったアナログな判定というものとも共通性が高いのだが、、これが2002年のソルトレークオリンピックで明るみになった審判団の「不正」「裏取引」のスキャンダルが完全に収束せず、いまだに続いている疑惑があり、現在続いているような紛糾状態が日本を覆い、それに対して韓国が反応しているという図式なのだろう。

http://www.asahi.com/national/update/0302/TKY201003020174.html?ref=any

日韓サイト、一時接続困難に ヨナ選手非難発端か

2010 年3月2日11時28分 朝日新聞

【ソウル=牧野愛博】

ネット掲示板2ちゃんねるなど日韓両国のサイトで1日、一時的に利用が難しくなる騒ぎがあった。政府機関の韓国インターネット振興院などが明らかにした。日本の一部のネット利用者がバンクーバー冬季五輪女子フィギュアスケートで金メダルに輝いた金妍児(キム・ヨナ)選手を非難したことなどに、韓国側が反発し、集中的にアクセスしたことが原因という。

同院関係者らによると、韓国のコミュニティーサイトが「
韓国を見くだす書き込みがよくあるサイトを攻撃しろ」と呼びかけた。日本の植民地支配からの独立運動記念日にあたる1日、約1万2千人が参加し、集中的にアクセスする方法で2ちゃんねるへの接続を難しくしたという。2日も日本では2ちゃんねるへの接続が困難な状態が続いた。

一方、韓国でも1日午後、日韓で領有権を巡って争いがある竹島(
韓国名・独島)の領有権を主張する韓国側サイトや大統領府のホームページで、一時的に利用が難しくなる騒動があった。日本側からの集中アクセスと見られる

Is Figure Skating Fixed?

ソルトレークシティー五輪での不正問題を教訓に新採点システムを採用したフィギュアスケートだが、審査員の母国びいきと裏取引はむしろ悪化している

2010年02月17日(水)18時57分 レイ・フィスマン(コロンビア大学経営大学院教授)

追記:2010年3月27日(イタリア、トリノ現地時間) 女子のフリースケーティングが行われ、ショートプログラムで2位につけた浅田真央選手が、ほぼ完璧に近い選手自身満足のいく演技で見事優勝を飾った。これで2回目の世界女王。2位には、ショート7位のキム・ヨナ選手が入った。ただ、フリーでは転倒、ジャンプのスッポ抜けがあったにも関らず、フリーのみの得点は浅田選手を上回り、全選手中1位という不可解な結果となったのは、議論を呼ぶことだろう。

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2010年3月 1日 (月)

睡眠についての「新しい」知見

引用した記事は、睡眠についての「新しい」知見だという。

人生の3分の1を占めるという睡眠時間。我が家で飼っている生後6年のクサガメも夜は水槽の底で目をつぶって眠っているのが見られる。今はいないが、水槽の魚も夜は眠っている。いわゆる高等生物である脊椎動物に限らず、昆虫でも睡眠をとる。現代人の陥っている精神的な危機は、心地よい睡眠が失われていることにあるのかも知れない。

http://www.afpbb.com/article/life-culture/health/2700318/5382139

【2月23日 AFP】高齢者になると昼間に必要で、若いときには足りないとドラッグにも走りかねないものとは?――答えは睡眠。米国科学振興協会(AmericanAssociation for the Advancement of Science、AAAS)の年次総会では、睡眠に関するさまざまな新発見が発表された。

■夜中の目覚め、脳の働き悪化するのは若者

カリフォルニア大学サンディエゴ校(University of California San Diego、UCSD)の研究では、平均年齢68歳の高齢者と、平均27歳の若年者の2グループの睡眠と記憶の関係を比較した。結果、高齢者では睡眠時間が長いほど記憶が維持され、若年者では睡眠時間あたりの眠りの深さ、つまり睡眠効率が記憶のパフォーマンスを左右した。

研究を率いた同大のショーン・ドラモンド(Sean Drummond)教授(精神医学)によると、年を取るとともにこの睡眠効率が下がり、「入眠後覚醒」のないぐっすりした眠りはまれになり、「真夜中に起きたり、途中で何度も起きたりする」。こうした睡眠パターンでも、高齢者だと翌日の脳の働きには影響が出ないが、若年者では明らかに鈍くなるという。

■1時間半の昼寝は1晩分の効果

また同大精神医学部サラ・メドニック(Sara Mednick)氏は、昼寝の目覚しい効果を報告した。

昼寝と夜間の睡眠効果を視覚学習効果などを比較して調べたところ、1時間半の昼寝は、1晩分の睡眠に等しい効果を示した。

■ダブルエスプレッソよりも20分の昼寝

しかし日中、昼寝のぜいたくを味わえる人はそういまい。コーヒーを飲んで、カフェインで眠気を飛ばそうとする人のほうが多いはずだ。ところが濃いダブルエスプレッソを飲んでも、20分の昼寝の効果にはかなわないのだという。

感覚情報に基づく知覚に関する記憶ではカフェインも昼寝同様の記憶効果を発揮するが、海馬で処理され意識的な操作が可能な記憶、例えば単語や電話番号、名前を覚えたりといった顕在記憶は、カフェインを摂取するとかえって悪くなるという。

■10代のドラッグ使用、7時間睡眠でライン

もうひとつの興味深い発表が、実際に医療と公衆衛生の分野で問題になっている10代の睡眠障害と薬物使用の相互関係の研究だ。

1日あたりの睡眠時間が7時間以下の10代の若者は、よりドラッグに手を出しやすいうえ、まわりの友人や兄弟にも睡眠不足とドラッグ使用が広がりやすいという観察が報告された。

UCSDとハーバード大学(Harvard University)の共同研究によると、7時間以下しか睡眠時間を取っていない10代では、同じく7時間以下しか睡眠していない友人がいる確率が、そうでない10代に比べて11%高かった。また大麻の使用では、7時間以下睡眠のグループのほうが19%多かった。

米国立睡眠財団(US National Sleep Foundation)が勧める睡眠時間は10代では8.5時間以上、成人では少なくとも7時間以上だ。

(c)AFP/Karin Zeitvogel

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