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2010年7月19日 (月)

年末の「第九」演奏習慣の誕生秘話 東京音楽学校学生の学徒出陣の際の演奏に由来!

仕事帰りに最寄駅の駅ビルの本屋に立ち寄るのが習慣になっている。新刊書の棚を眺めると、最近はやりの社会人の「お勉強」シリーズ的な歴史シリーズの中で『図解太平洋戦争 (普及版)』というのを見つけて、手に取ってみると、図解入りで「太平洋戦史」がなかなか詳しく書かれているようだったので、廉価でもあり購入した。(監修者 後藤寿一 2010年8月5日発行(ママ) 西東社(せいとうしゃ) 歴史がおもしろいシリーズ!)

梅雨も明けたこの三連休、家族の用事で少し外出などしたが、レジャーにも出ず、家で過ごしたので、この本をほぼ通読してみた。

見開きの2ページずつで一つのテーマ(「松代大本営」だとか「日本分割統治案」など)が読めるような構成になっているのだが、そのp.226-227の 「戦時下の国民 学徒出陣」という項目のp.227に 「学徒出陣と音楽」という囲みコラム記事(秘話でたどる太平洋戦争)というところに興味深い内容が書かれていた。 

・・・ ところで、毎年年末に必ずと言っていいほど聞こえてくるベートーベンの「第九」も学徒出陣を深い関係があります。1943年の学徒出陣の際、東京音楽学校(現在の東京学芸大学 ママ)で出陣する学生のために壮行音楽会が開かれ、「第九」が演奏されました。やがて終戦後の1947年12月30日、生きて帰れなかった学生たちのために再び「第九」が東京音楽学校の学生たちによって演奏されました。これが毎年開かれるようになり、全国へ波及していったのです。

ということだそうだ。「年末の第九」の由来については、これまでも興味を持っていたのだが、このようなエピソードもあったのを初めて知ることができた。

そこで、ネットで検索してみたところ、日本での第九初演の地とされる鳴門の「なるとの第九」というページにも同様のことが書かれているのを見つけた。

 国内の「第九」といえば年末恒例のものがあまりにも有名です。年末の「第九」のことの起こりは、昭和18年、東京音楽学校(東京芸術大学音楽部)の奏楽堂で行われた出陣学徒壮行の音楽会といわれています。

 太平洋戦争の状況が悪化する中、法文系学生で満20歳に達した者へも徴兵令がくだったのです。彼らは入営期限を間近に控えた12月の初旬、繰り上げ卒業 式の音楽会で「第九」の4楽章を演奏したといわれています。

 やがて太平洋戦争も終わり、出征した者のうち多くが戦死し、生きて帰ってきた者達で奏楽堂の別れに際に演奏した「第九」を再び、ということになりました。つまり「暮れの第九」の出発は戦場に散った若き音楽学徒への鎮魂歌(レクイエム)だったのです。

第一次大戦の鳴門の捕虜収容所のドイツ兵捕虜が日本で初めての第九を奏でた物語は映画化されて(「バルトの楽園」)人口に膾炙するようになった。

東京音楽学校の学徒出陣で、「人類平和」を希求する歌詞をもった「第九」が演奏されたというエピソードは歴史の皮肉のようでとても苦い味がするのだが、このような機会に「第九」が演奏され、そして敗戦後に戦死者達への「鎮魂」の意味を込めて年末に再び「第九」が演奏されたということは、なかなか重い。年末の第九の意味が自分の中では大きく転換してしまうように感じている。

p.s. もう20年近く前だと思うが、ロシア(ソ連)の指揮者エフゲニー・スヴェトラーノフがNHK交響楽団に来演して年末の第九を指揮したことがあったが、その第1楽章からまるで「葬送行進曲」のような沈鬱さを感じたことがあったことを思い出した。

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