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2010年8月21日 (土)

フルトヴェングラーの「第九」のコーダを集めたYoutubeを聴いて考えた

以前フルトヴェングラーのバイロイトの第九 1951年ライヴの新発見の録音テープのことについていくつか記事を書いたことがあった。

2007年8月22日 (水) 『レコード芸術』2007年9月号購入

特別寄稿の金子建志氏の解釈は、「バイエルン放送局盤」がゲネプロ盤で、EMI盤が本番ライヴ録音を元に編集したものではないかという一人だけ独特の解釈 をしていたのが面白かった。EMI盤では、最終楽章の終結部の「崩壊」した「事故」が演奏の特徴として初めから有名だが、それをあえて差し替えずにそのま ま残したのは、本番の記録だったからこそで、仮に本番ではアンサンブルや音程の乱れなくできたものをあのような形の「崩壊」をレコードとして発売すれば関 係者からすぐに指摘されたのではないかという推測や、EMI盤の方が金管楽器とコーラスのバランスが改善されている点などの指摘は、なかなか穿った解釈だ と思われた。

2008年10月 4日 (土) Orfeo盤 交響曲第9番『合唱』 フルトヴェングラー&バイロイト(1951バイエルン放送音源)

フィナーレの最終部分は、EMI盤ほどではないが相当加速(アッチェレランド)しているけれど、最後までオーケストラは音量を失わずにアンサンブルも崩壊していない。

そしてこれが今日「発見した」フルトヴェングラーの「第九」録音のコーダの部分だけを集めた労作。

Furtwangler Beethoven 9 Coda Comparison (ALL VERSIONS)

これを聴くと、EMI盤の1951年のバイロイトの第九のようなコーダの「崩壊」自体、フルトヴェングラーとしては「解釈」「演奏様式」であったように思える。「崩壊」としてはバイロイトよりもさらに凄いものが沢山あるのだ。

そうなると、やはり、バイロイトの第九では、崩壊の程度の大きいより即興的なEMI盤の方が本番のコーダであり、バイエルン放送盤の方がその比較的整った演奏からして、ゲネプロの録音という可能性が高まるという解釈ができる。

ただ、1954年のバイロイトのゲネプロの記録が2種類収録されているが、ゲネプロであっても奔流のような即興的「解釈」は変わっていないし、2回目は途中で停止してしまっている。そしてその本番は、比較的安全運転になっているということもあるので、少し確信が揺らいでくる。

1951年のバイロイトのバイエルン放送盤の比較的整った演奏は、さすがに戦後初のバイロイト音楽祭の最初を飾るものとして慎重なゲネプロを行ったもの、とも解釈できるし、逆に、ゲネプロで音量が細くなるほど煽ったので(EMI盤)、本番では少し慎重に演奏した(バイエルン盤)とも言いえるのだ。

ところでこのバイエルン放送音源の位置づけは、日本を含めて世界的にどのような結論が出ているのだろうか。

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ディスク音楽01 オーケストラ 」カテゴリの記事

コメント

第九に係わらず、戦前戦中の演奏スタイルと比較して戦後のそれはバランスがより優れたものになっていると私は考えていますが、誰がプロデューサーでもこの最後の部分も選んで継ぎ足せばやはりEMI盤の結果になるのは自明でしょう。その意味から、やはりEMI盤はゲネプロや実演の一番いいところ取りをした編集ものと考えます。

投稿: pfaelzerwein | 2010年8月22日 (日) 20:34

pfaelzerweinさん、コメントありがとうございました。EMI盤が実演、ゲネプロを編集したものというのはほぼ定説になっているようですが、2007年に「発見された」バイエルン放送保管テープが実演かゲネプロかについてはドイツでも確定的な情報や説が発表されていないようですね。

私などは、EMI盤のコーダの「崩壊」を相当なものだと感じていましたが、Youtubeのリンクのコーダ集を聴いてみて、さらに凄い「崩壊」があったことに驚きました。これならばコーダの崩壊具合だけでは、ゲネプロと実演の区別は付けようがないと感じています。

投稿: 望 岳人 | 2010年8月29日 (日) 18:31

私も長くEMI盤を七月二十九日の実況と信じていたのですが、こうして話を伺うとありえないと思い当たり、ネットを覗いてみました。フォールム情報ですから信憑性は分かりませんが、EMIは1956年になって初めて編集したものを発売しているようです。様々な点で、中継放送録音とは甚だ異なるものと確信しています。それに比べて、日本のフルトヴェングラー協会が新たに出した「バイエルン放送保管テープ」は、「実演」とするのには根拠があります。当時も現在も同じですが、放送局のアーカイヴは制作ものを除いて態々編集する労力もそれを保管することはありませんので、上のソースも27日のゲネラルプローべ?の時の試し録音か、本番29日の中継放送の録音のどちらかでしかないでしょう。もちろん楽章間の編集などはしてあるようですが。

上に書いたようにEMIのものは三楽章や四楽章ではこれ以上にない演奏になっていますが、逆に音楽的に流れが十分でない所もあるので十分な事故の編集は間違いなく存在している印象です。

ヴォルフガンクの書物を読むと分かりますが当時の権利をCBCに売ると同時に、放送局の放送権料も当てにした経済状態でしたので、EMIの録音も外国資本の金が動いていて、放送局は中継放送に備えたもののそれ以上に何が出来ていたのかと些か疑問です。EMIの録音の方は逆に練習の時の材料を多数活かしているかと思います。フルトヴェングラーの練習風景を聞くと分かりますが、部分的に上手く嵌ればそれはテンポさえあわせれば本番にも問題なく挿入できるものかと思います。

投稿: pfaelzerwein | 2010年8月30日 (月) 00:51

pfaelzerweinさん、コメントありがとうございます。

>当時も現在も同じですが、放送局のアーカイヴは制作ものを除いて態々編集する労力もそれを保管することはありませんので、上のソースも27日のゲネラルプローべ?の時の試し録音か、本番29日の中継放送の録音のどちらかでしかないでしょう。

ネットのForumなどで確認いただきありがとうございました。EMI盤がライブ録音そのものではなく、言葉はよくないですが「つぎはぎ」であることは、通説的なものになっているようですね。特に第3楽章はノイズなどのタイミングも含めてEMI盤とバイエル放送盤の一致が指摘されていますので。

「バイエルン放送」のアーカイブは、中継放送用の実況録音が残されたものか、中継放送に万一事故があったときに備えての事前に用意されたゲネプロ録音か、状況証拠だけでは判断が出来ないところがあるようですね。CDには Festspielhaus Bayreuth, 29, Juli 1951 と明記されているので、27日に?行われたゲネプロ録音というのは少し苦しいかとは思います。ただ、そうなると、29日のゲネプロにフルトヴェングラーが遅れてやってきて十分なゲネプロ時間が無かったというCDの解説記事との矛盾も出てきてしまい、バイエルン放送盤が真性なライブなのかも知れないとも思えてきます。

投稿: 望 岳人 | 2010年9月 5日 (日) 11:54

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