『船に乗れ!』 第1巻、第2巻、第3巻 藤谷治
2010年の7月。断章的な感想:主人公への感情移入、失恋を追体験。
中年も真っ盛りの今日 この頃、この青春小説には、嵌るべくして嵌ってしまったようだ。このところ、何故か近年の作家が書いた「青春小説」を読む機会が多く、これはその中でも相当の作品かも知れない。ただ、粗さや突っ込みどころは相当あるけれど。
ドイツには教養小説 Bildungs Roman というものの系譜があるが、作中、いみじくもフランスの大文学者ロマン・ロランの作ではあるが、「ジャン・クリストフ」が登場する。
第2巻、主人公がドイツに短期留学に行っている最中の、恋人南枝里子の行動と心理、感情は、普通の人ならこんなことをするか、とか、普通こんなふうになるとかの、通念、常識には外れたとこ ろが多々あるけれど も、その不自然でエキセントリックと思われるほどの存在、出来事こそが、この物語のキーであるのだろう。そのような性格、行動の意味付けは、無意味だ(トートロジー のようだが)。しかし、その意味では、このフィクションでの彼女は、主人公の心をずたずたにして、奈落の底に落とすための、単なるご都合主義的存在ではない、と思うようになってきた。そして生まれてくる子どもへの 愛情を最優先する母性愛により、目の前の恋愛に優先させて結婚するというあまりにも立派な行動 も必然的に思えてくる。
枝里子の結婚相手の男性像が少しおぼろげではある。情緒不安定な女子高生を妊娠させるような軽薄さや衝動性を持ちながら、 その女子高生と友人(鮎川)からその事実を突きつけられるとその場で「プロポーズ」をするという不自然さはあるが、16歳より7歳程度年上というから、まだ大学 を出たての新米社会人程度の年齢だろうに、おそらく多くの困難(枝里子の両親、自分の両親の説得)を乗り越え、結婚にまでこぎつけ、その 後も、鮎川からの伝聞ではそれなりに幸せにしているようだ。彼は、その日まで見ず知らずの女子高生におそらく一目ぼれをしてしまったので はなかろうか。そして、彼女の方が(幾分投げやりだったとしても)積極的な態度を示したがゆえ、少々衝動的な行為に及んでしまったのでは なかろうか? 枝里子にしても、鮎川の従兄という相手になり得る男性もいたのに、その友人の方を選んだというのは、まったく好意も何もな い捨て鉢な行動だったとは言えないのではなかろうか?この枝里子の存在がこの小説の最大の欠点でもあり、魅力でもある。
印象深い哲学の先生の授業の通り、この物語は主人公の眼を通してみた、「主観的」世界という構造を持っている。それが崩れることは一環してない。 神の視点からは書かれてはいないがゆえに、予定調和的でもなく、ハッピーエンドでもなく、カタルシスも得られはしないのだ。その意味で、 出来不出来という点では、相当未熟な小説のようにも感じられることはあるが、まるで自分の体験であったかのようにこれほど心が揺さぶられ続ける小説は自分にとってはそうはない。むしろ気恥ずかしいほどの粗さが青春時代だからなのかもしれない。
このような劇的なシチュエーションで、音楽学校のディーテイルが、失恋の痛み、苦悩を現実的なものにしているかもしれない。オーケストラ練習の場面、リストの交響詩「レ・プレリュード」がオーケストラプレーヤーにとってそこまで合わせにくく、個人的なテクニックも要求するものだとは思わなかった。すでに、別記事でも書いているが、第1巻で印象に残るのが、メンデルスゾーンのピアノトリオ第1番で、他の巻でもヴィヴァルディの『忠実な羊飼い』、ラフマニノフのチェロソナタ、モーツァルトの交響曲、バッハの無伴奏チェロ組曲、ブランデンブルク協奏曲などなど多くの作品が、他の小説家の作品によくあるディレッタンティズムとは無縁に使われている。
作者インタビューによると、第1巻の設定自体は、作者の半自伝的なものだというし、重要な事件であるドイツでの短期の夏季講習も作者の実 体験に基づくらしい。しかし、第2巻、第3巻はフィクションとは言っているが、ストーリーの主要部分が自伝的でないとは言い切れない。
仕事の関係で、この小説の舞台となった川崎市の武蔵溝ノ口駅が最寄りの洗足学園音楽大学の近辺に行ったことがあったが、作者が通学していたころとは違うのだろう、近代的でこぎれいな建物がいくつも見られるオシャレな音楽大学という雰囲気だった。
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(元記事 2010/7/7)
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