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2011年8月の11件の記事

2011年8月31日 (水)

クラシック倶楽部 NHK BSプレミアム 月から金 朝6時

BDレコーダーを買ってから、読売日本交響楽団の深夜の音楽会(月に1回程度、日本テレビ深夜)、プレミアムシアター(毎週土曜日深夜 NHK BSプレミアム)、特選オーケストラライブ(毎週日曜日朝6時 NHKBSプレミアム)、そしておなじみのN響アワー(毎週日曜日夜9時、NHK Eテレ)を事前予約リストにセットしておき、好きなときに見ることができるようになった。

その中で、実家に帰省したときなどときおり目にしていた、「クラシック倶楽部 NHK BSプレミアム 月から金 朝6時」という番組をよく見るようになった。

この番組は、主に小中規模のホールで行われる独奏・独唱リサイタルや、室内楽、コーラスなどが取り上げられ、オーケストラ番組が多いその他のクラシック音楽番組とは一線を画しているもので、それも毎日1時間弱、主として2008年以降の来日演奏家の演奏会を収録したもの。

最近では、少人数コーラス(アンサンブル)の最高峰の一つであるピーター・フィリップス指揮のタリス・スコラーズの今年の演奏会が印象に残った(ビクトリアのレクィエム)。Gimmel レーベルのCDで親しんできた団体だが、映像でじっくり鑑賞するのは初めてだった。

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2011年8月28日 (日)

電車内英語放送のリスニング

JR東日本の電車では、山手線や京浜東北線などでは、車内アナウンスで、日本語に続いて英語で、次の停車駅やどちらのドアが開くかを知らせてくれるのだが、そのドアの開く方向を教えてくれる "The doors --- the right side will open. " の --- 部分が、それこそ何度聞いても明瞭に聞き取れないので気にかかっていた。

そこで、あるとき思いついて検索してみたところ、知恵袋や教えてサイト、ブログなどで いろいろなことが書かれていた。

on the right side というもの of the right side というもの、それに sudden という形容詞が入る(もし入るなら副詞であり、open suddenly とか suddenly open となるのでは?)というものもあった。

JR 英語 車内アナウンス THE DOORS での検索結果
http://www.google.co.jp/search?q=JR+%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E3%80%80%E8%BB%8A%E5%86%85%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%80%80THE+DOORS+&rls=com.microsoft:ja:IE-SearchBox&ie=UTF-8&oe=UTF-8&sourceid=ie7&rlz=1I7FTJA_jaJP400JP400&redir_esc=&ei=n6tETrf8HsGemQXOxvzUBg

on 説、of 説、some説:

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1412475979

sudden説:

http://questionbox.jp.msn.com/qa5760776.html

調べてみたら、鉄道マニア用なのか音源も発売されており、
http://www.teichiku.co.jp/JReast/cd25530.html

1.山手線 「車内 自動放送」
※車内アナウンス:三浦七緒子(日本語)クリステル・チアリ(英語)
例:「次は五反田 五反田です。お出口は右側です。………は乗り換えです。
The next staition is Gotanda.The doors on the right side will open. …….」

と書かれていた。

アナウンス担当:クリステル・チアリということで調べてみたところ、とても興味深い詳しい情報を発信しているブログを見つけた。(お客様を海外から呼ぼう! テンカイジャパン)

英語の車内アナウンスの謎

なるほど「英語の車内アナウンスの謎」の理由                   

さらに「英語の車内アナウンスの謎」

文法的にも発音的にも少々独特というのが実情らしい。ユニークでも何とか意味・意思が通じればいいだろうという考え方もあるとは思うし、同じネイティブといってもイギリス英語、アメリカ英語では、同じ意味で用いる言葉も異なることもあるし、そこまで厳密でなくてもよいとは思うが、それでも聴きとりにくいのが、少々日本的(?)な訛りのある発音が原因ということになると、なんだかなという感じになる。

http://www.inter-edu.com/forum/read.php?1335,1525219,1525219 の "The next station will be Ueno." については、最近は修正されているのだろうか? "The next station is Ueno."になっているようだ。

ちなみに、参考までに、最近読んだデイビッド・セイン(David A. Thayne)&森田修共著の「やり直し教養講座 英文法、ネイティブが教えるとこうなります」(NHK出版新書)の、p.76では、未来進行形として、 電車内のアナウンスを挙げ、We'll be arriving at Shin-Yokohama Station at 9:30 p.m.  は、「することになっている」(この例では、到着予定です)という、主語の意思ではなく、あくまでも「そういうことになっている」のニュアンスを表すと書かれている。

参考:乗り換えの英語アナウンスについての知恵袋

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1416962049

追記:

アメリカ東海岸が、ほぼ100年振りという地震に見舞われ、その後大型ハリケーンが襲来している。西海岸は地震の多発地帯だが、東海岸で地震が起きるとは知らなかった。また、メキシコ湾で発生するハリケーンが、台風のように東北方向にニューヨークからカナダまで進むというのも珍しいのではなかろうか?

アメリカの東海岸で地震が起きることは珍しい。あっても比較的小さな地震であることが普通だ。.実際、アメリカ地質調査所(USGS)によると、バージニア州中部で今回以前に記録されている最大の地震は、1875年に起きたマグニチュード4.8の地震だという。

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2011年8月27日 (土)

東日本大震災チャリティ チェコフィル演奏会 樫本(Vn), マリン(指揮)

2011年4月3日 チェコ プラハのプラハ城 スパニッシュホール

ブルッフ ヴァイオリン協奏曲 
ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界から」
アンコール: シベリウス 悲しきワルツ
 樫本大進(Vn)、イオン・マリン指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

7/23(土) BSフジでの放送

東芝グランドコンサートの30回目にあたる今年、チェコフィル日本公演(チョン・ミュンフン指揮、庄司紗矢香)が予定されていて、ちょうどあの3月11日の前にオーケストラは来日して数公演を行ったというが、チェコ政府の指示で帰国をやむなくされたのだという。そして、その後、チャリティコンサートが企画され、上記の公演が行われた。

昨日の記事で樫本大進のスペイン交響曲に続いて、上記公演の録画を以前見ており、そのときのメモをまとめてみた。

ベルリンフィルのコンサートマスターとしての樫本は先日の佐渡裕のデビュー演奏会などで映像を何回か見ていたが、ソロをきちんと聞いたのはこの映像が初めてかも知れない。

堅実で安定した技術で安心して聴ける演奏だった。録音の関係か天井が比較的低い会場(宮殿のホール)の影響かヴァイオリンがクロースアップされてよく聞こえ、音も美しかった。

ルーマニア出身のマリンの指揮(ずっとマリオンだと思い込んでいて長男に間違いを指摘された)は、このところ何度かテレビ放送で触れているが、思ったよりもユニークな解釈をする人ではないかと感じている。先日見る機会のあったN響とのブラームスのハイドンバリエーションもテンポや歌いまわし、楽器バランスが独特だったし、今回のチェコフィルとしては、おはこ中のおはこである新世界も、楽章の途中でテンポを少々恣意的に感じるほど緩めたり、フレーズのおしまいでリタルダンドを掛けたりする。第二楽章の有名なメロディーはとにかくゆっくり感情をこめて吹かせていたりした。

また、これも録音や会場の音響のせいかも知れないが、弦と管との音のバランスの取らせ方もユニークのように聞こえた。

テンポ感のユニークさは、アンコールの「悲しきワルツ」でも示され、ものすごく遅いワルツで始まり、最後はアッチェレランドをかけていた。

同じルーマニア出身の故チェリビダッケがテンポの設定では非常にユニークだったことを思い起こさせたりもした。

チャリティ演奏会という特別なコンサートということもあり、必ずしもこなれた演奏ではなかったと思うが、カメラワークもユニークで、十分楽しめる演奏だった。

この公演のCDが出ている (残念ながら樫本ソロは無し)
http://www.hmv.co.jp/news/article/1106230034/

外務省サイトに紹介あり!
http://www.mofa.go.jp/mofaj/saigai/episode/episode18.html#czech 

このテレビ番組の鑑賞記事:
http://yukitarowww.jugem.jp/?eid=1888

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2011年8月26日 (金)

N響アワー 8/21(日) 樫本大進のスペイン交響曲

ベルリン・フィルの第1コンサートマスターに就任し、すでに先の佐渡裕のベルリンフィルデビューでもその姿を見、さらにラトルやアバドの指揮による演奏会も数度NHKBSプレミアムで確認することができた樫本大進が、この7月に来日し、N響と共演したが、その模様が先日のN響アワーで紹介されたので、長男と見た。

オーケストラはN響初登場で、あのブーレーズが創設したフランスのアンサンブル・アンテルコンタンポランの指揮者を務める現代音楽が専門のフィンランド出身の若手女性指揮者のスザンナ・マルッキという人。

樫本大進のヴァイオリンは、実に細かいパッセージまで精妙に引ききり、かつ熱演だったが、残念ながらマルッキとN響、樫本とそのコンビとは相性があまりよくなかったのではなかろうかと思ってしまった出来だった。

このスペイン交響曲という名のヴァイオリン協奏曲は、CD(グリュミオー&フルネのモノ録音、パールマン&プレヴィン/LSO1968録音、チョン・キョンファ&デュトア)で親しんできたが、それらで聴く限り、スペイン風の独特なノリのよい弾力のあるリズムが特徴で、比較的流麗に流れる作品というイメージを持っている。

今回の樫本の独奏は結構リズムやテンポを揺らしたり、タメを作ったりするいうなれば演歌調の解釈で、通常のスペイン交響曲のイメージをよいほうに裏切り、深さを感じさせる部分もあった。

一方指揮棒を持たず両手で指揮するマルッキはそれに対してあまりフレキシビリティを感じさせない、つまりあまり楽天的でなく、リズミックでない雰囲気のどこかひと癖というか一家言ある鳴りのよくない音楽作りで、両者間の音楽づくりに齟齬が感じられた。さらにN響のマルッキに対する反応ももうひとつのようで、リズムもノリが悪く、アンサンブル的にも第一楽章の最後の終結のトゥッティなどは揃っていなかったほど。樫本も独奏で自由に弾けているかというと、オーケストラのコンサートマスター的な意識が次第に身についてしまったのだろうか、自らテンポを崩しつつも、ときおりオケとのズレを気にして合わそうとしているようで、結構不自由な感じを受けた。そういう点で三者がうまく噛み合わないように聞こえてしまった。

この曲は、安定したオケをバックにソリストが自由自在に振舞うという感じか、それとも逆にソリスト主導で指揮者とオケが絶妙のタイミングでそれに付けるというのが望ましいように思うのだが。

もし樫本が純粋な若手のソリストであれば、このような齟齬がなかったのかも、と思ったりもした。やはりベルリンフィルのコンサートマスターという存在は、音楽界、オーケストラ界では相当の地位であり、指揮者もオーケストラもそれに対してやや及び腰になってしまっているということもあるのではなかろうかと、あらぬことも考えてしまった。

メインプロの前にやった、樫本のリサイタルでのバッハのパルティータ3番は、楽器の鳴りもよく非常に精妙で力強い音楽がストレートに出ていたこともあり、それと対照すると、余計スペイン交響曲が欲求不満的に感じられたこともあるかもしれない。

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2011年8月25日 (木)

加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)

去年から大変評判になっていて興味を引かれていた。

痛風が出る前に、職場最寄の書店に立ち寄ったところ、特設コーナーに平積みされていた。(平積みの背景として、内容が横浜の私学の栄光学園中学高校の歴史クラブの生徒達を対象にした特別講座の筆記録を基にしたものなので、地元押しということもあるのかも知れない。)

新聞広告では、なぜ「一般の日本人」(庶民)が(多くの選択肢の中から)戦争という手段を選んだのかというイメージでこの本を宣伝していたという印象があり、そのようなことが書かれているのかと期待して読んだのだが、書かれていることは日清から第二次大戦までの通史で、専らエリート為政者(元老、政治家、官僚)や軍人、マスメディアの選択であるように読め、その点では拍子抜けした。

改めて、出版社のHOMEPAGEを見てみると、http://www.asahipress.com/bookdetail_norm/9784255004853/

かつて、普通のよき日本人が「もう戦争しかない」と思った。世界最高の頭脳たちが「やむなし」と決断した。

という惹句が書かれていたので、新聞広告から得た印象は必ずしも間違いではないと思うのだが、果たしてこの宣伝文句のような内容だったろうか?この宣伝文句はミスリードを誘うものではないか?そして「世界最高の頭脳」とは?

特設ページも絶賛にあふれている。http://www.asahipress.com/soredemo/

「普通のよき日本人」という表現も、ひどく情緒的な言葉だと思うが、かりにそのような存在があったとして、それらの人々が主体的な判断で戦争を選択したのかどうか?この本では、どうもそこまでは突っ込んで議論されていないように感じた。

この本では、有名な丸山真男の「超国家主義の論理と心理」などの日本特有の「無責任体制」(誰も責任を取らない仕組みで、現代でも続いている)については、特に触れていないようだが、主体的な選択をしないということが、日本社会の特徴であり、「それでも、戦争を選んだ」(他の選択肢があったのに敢えて戦争を選んだという意味だろう)というこの本の表題は、違和感を覚えた。その意味で丸山の分析に対しては挑戦をしているわけではないようだ。ただ、敢えて「選んだ」と書くのは、主体的な責任を持てと鼓舞しているのかも知れない。そうでなければ、日本社会は変わらないぞ、と。その点、大正デモクラシーと呼ばれた時代が転換点だったのかも知れない。

ネットで検索してみると、最近池上彰が加藤陽子と対談をしているのを見つけた。http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110802/221831/

原発もあの戦争も、「負けるまで」メディアも庶民も賛成だった?

全文は、こちらでも読める。

http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/d6593fbc2c1d960cae91ea990d3f19b0

ここでは、そのような集団的な無責任心理について、それとなく触れられているように思う。

威勢のいい「大本営発表」には乗せられてしまう。このような国民の姿を見ている為政者やマスコミは、ある意味で、国民を舐めてかかる気性が生ずるでしょうね。ここに、情報を握る政府や官僚や企業が、「本当のこと」や「都合の悪いこと」を隠したがる、という悪循環が生まれる。日本の国民は、本当の危機を、その危機のその渦中に、政府によって率直に吐露された経験がないのではないか。いつも後になって、ああ、瞞されたと嘆き、なぜ伝えてくれなかったと嘆くことになる。

 たとえば、1944年6月、日本は前線司令部を構えていたサイパンで米軍と激突し、7月にはほぼ全滅状態でサイパンが陥落します。この時点で日本が戦争に負けるであろうことは、天皇も近衛文麿首相も大本営も国家の中枢にいた人たちはみんなわかっていた。けれども、事実をひた隠しに隠し、まさに大本営発表を繰り返しました。なぜかといえば、国民の前に真実を伝えた時の国民の反応が恐い。そのような経験がないからです。敗北という事態を想定しないわけですので、合理的な敗け方がわからないのです。政府も国民も。

それでも、この本は面白かった。中国の「日本切腹、中国介錯論」を唱えて容易に降伏せず日中戦争を長期戦に持ち込み米ソの参戦を促した胡適という政治家のことは知らなかった。参加した歴史クラブの生徒も感想を述べていたが、このような政治家がいたことに驚いた。参考:http://pinhukuro.exblog.jp/11315594/

また、加藤陽子は、松岡洋右(日本の国際連盟脱退のとき首席全権として国際連盟総会に出席、のち満鉄総裁を経て第二次近衛内閣の外相。日独伊三国同盟・日ソ中立条約を締結)を自分でも言うように、相当評価(弁護)しており、意外だった。

なお、蛇足だが、本書では第二次大戦終戦までの日ソの航空戦力比較グラフを加藤著の岩波新書からの引用という形で紹介しているが、その岩波新書の該当部分を確認しなければ、このグラフが何を意味しているのか(配備戦力か、製造能力か)が分からず、その本を参照してようやく配備戦力ということが分かったように、もう少しかゆいところに手が届くような説明があったほうがよかったと思う。

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2011年8月24日 (水)

モントゥーかモントーか?

バレエ音楽の初演で音楽史にその名を残した Pierre Monteux 。昨日の記事で取り上げた『春の祭典』が有名だが、そのほかに『ペトルーシュカ』、ラヴェル『ダフニスとクロエ』、ドビュッシー『遊戯』など。

モントゥーと書くか、モントーと書くかの疑問を以前書いたことがあったような気がする。

「水」という単語は、フランス語では、eau オーなので、近いところでモントーかとも思ったのだが、改めて調べてみると pjɛʁ mɔ̃.tø という発音だった。

ø の音は、円唇前舌半狭母音 と呼ばれるらしい。ドイツ語の ö の発音と近いようだ。

◆円唇前舌半狭母音

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E5%94%87%E5%89%8D%E8%88%8C%E5%8D%8A%E7%8B%AD%E6%AF%8D%E9%9F%B3

◆Close-mid front rounded vowel

http://en.wikipedia.org/wiki/Close-mid_front_rounded_vowel

◆Voyelle mi-fermée antérieure arrondie

http://fr.wikipedia.org/wiki/Voyelle_mi-ferm%C3%A9e_ant%C3%A9rieure_arrondie

似たつづりの、フランス語の 2 deux は、日本語カナ表記では ドゥー [dø] でもあり、Monteux は、どうやら一般的な表記の通り モントゥー と表記するのが、自分としては適当だと思われる。

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2011年8月23日 (火)

『春の祭典』のバレエを初めて見た

ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場オーケストラの演奏、マリインスキー劇場バレエ団のバレエが7月30日(土)深夜NHKBSプレミアムシアターで放送されて録画しておいた。ストラヴィンスキーの『火の鳥』『春の祭典』『結婚』が演目で、これまで念願だった『春の祭典』のバレエを見ることができた。

少年の頃オーケストラ曲として聴き始めてから、いったいどれくらい同曲異演録音を聴いたことか分からないほどで、最も愛好している音楽のひとつかも知れない。

ピエール・モントゥーの指揮によるパリでの初演(これまでオーケストラ演奏会での初演というふうに思い込んでいたが、長男に尋ねるとバレエでの初演ということで、その後確認してみたところ、シャンゼリゼ劇場でのバレエ公演が初演だったという。永年の思い込みも訂正された)のスキャンダルが有名だが、今回放送された公演は、マリインスキー劇場で2008年に行われたものの映像とのことだ。

ゲルギエフは、このオーケストラとは既にフィリップスに録音しており、そのユニークな解釈で人気を博したが、今回の初演時のニジンスキー振り付けを復元にした舞台公演を見ると、例えばブーレーズ/CLO盤に代表されるようなコンサートピースとしてのスムーズな演奏よりも、テンポ変化や「ため」が多いゲルギエフの解釈は、バレエダンサー達のギクシャクした踊りに合っているのだということが確認できて面白かった。ギクシャクしてはいながらもそれほど踊りにくそうではなかったのは、稽古のたまものか、それとも曲と振り付けがダンスの生理のようなものにあっているのかは分からないが。

オーケストラ曲としては、30分強ほどで、変化が多く集中力は途切れない曲ではあるが、舞台の動きに眼を奪われると、あっという間に終わってしまうようで、さらに短く感じた。

曲だけを聴いているとあまり意識しないが、舞台を見ると、キリスト教が布教される以前の、原始宗教的な時代が舞台なので、モスクワ大公国の出自がモンゴルのハン国にあることを思えば、シャーマニズム的な宗教であることが想像でき、そうなると、この曲の一部に日本のお囃子的なフレーズ(ドラティの録音)が聞こえるのも、同じくアジア的なシャーマニズム伝統の共有のように思えたりもした。

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2011年8月22日 (月)

痛風を我慢しながら島崎藤村『夜明け前』第1部を読み終えた

金曜日には相当の痛みをこらえて、そろりそろりとした歩みで勤務してきた。

痛風の痛みの緩和に、生のタマネギが効果があるという情報があり、タマネギには血液をサラサラにする効果(その強い効能ゆえにイヌ、ネコには禁忌とされるのだろうか?)があることは以前から聞いていたので、痛風の英語goutの語源である「病んだ血液」という連想からも、血のめぐりをよくすることは効果があるのだろうと見当を付け、実家が夏野菜で送ってくれたタマネギをスライスして水にさらさず、マヨネーズ醤油で一個ほど食した。もともとオニオンスライスは好物で、サバの水煮缶をオニオンスライスの上に開けて、マヨネーズ醤油で食べるのはとても美味なのだが、今回は動物性たんぱく質をできるだけ摂取しないようにするために、当然食べなかった。

既に痛みのピークは過ぎていたこともあるだろうし、食品であるタマネギにそれほどの即効性は期待していなかったが、土日には鎮痛剤を服用しなくてもすごせるようになったのは多少効果があったのかも知れない。(それでもまだ腫れと痛みは引かない。)

ただし、タマネギの刺激性の成分は結構食道や胃を刺激するようなので、一日一食程度にしたほうが無難だと感じた。(ちなみにタマネギもその一種に含まれるネギ類「葷」の「不許葷酒入山門」についての面白いエッセイをみつけた。)

さて、今回の痛風の気晴らしに、「ジェノサイド」を読了した後、何を読もうかと思案し、購入以来30年近く「積ん読」だった島崎藤村『夜明け前』新潮文庫の暗紅色の四分冊を本棚から持ってきて読み始めた。

1985年に購入したもので、すでにページは薄く褐色に変色しており、また活字のポイントも最近のものに比べて小さめで少々読みにくい。(既に著作権保護期間の50年は経過しており、青空文庫などでも読めるようにはなっているし、その関連でDSソフトにも含まれている。)

以前はその文体の独特さ(「何々であるのは、何々だ」「何々だからで」など)になじめなかったことなどもあり、少々学校の課題図書を読まされるような義務的な感じで、購入以来第一部の上の巻を、断続的に相当の時間を掛けてようやく読み終えた程度だったのだが、今回寝床に伏せながらもう一度この第一部の上巻から読み始めたところ意外にもスラスラと読み進められた。

上巻では、訪れたことのある馬篭、妻籠、奈良井宿の風景やJR中央西線の風景など思い浮かべつつ、◆主人公青山半蔵の初めての江戸への旅と偶然判明した祖先のゆかりの地横須賀訪問(作中の青山家が平安・鎌倉時代に活躍した三浦半島の豪族三浦氏の末裔ということで、実際に作者の島崎家も三浦氏の末裔になるらしい)、◆先駆的な生糸貿易のために美濃の中津川から出向いた半蔵の国学の師匠の目を通して見るペリー来航と開港から間もない横浜の様子(西洋では重量ベースで金1に対して銀15が交換比率だったが、日本では1:5だったため、銀を仲介にして西洋の金1あれば、日本の金が3入手できることになり、金が大量に国外流出したことなども)が詳細に描写される部分、◆水戸天狗党の逃亡(佐久と諏訪の境界の和田峠を越える際の諏訪藩・松本藩による防御戦は実際にその慰霊碑跡を訪ねたこともある)など、その他これまでに触れてきた幕末史を扱った多くの小説、ドラマなどで登場してきた事件、人名がクロノジカルに次々に登場するなど、こんなに面白い小説だったのかと、長年の蒙が啓かれたような気がした。牛方騒動などの印象的な事件も。また、◆当時の交通行政(本陣、問屋)や村落行政(庄屋)が、組織ではなく、個人的な能力や義務感によって行われていたらしいことも驚いたし、◆綿密な帳簿付けで交通費用や交通量を記録して、それらを元にして幕府や代官所、藩への報告を行っていたという点にも驚かされた。

下巻では、読書ペースは少し落ちたが、◆当時の五街道制度を支えた街道周辺の農民による助郷制度が時勢の変化による参勤交代制の廃止やそれに伴う大名家族の帰国や大規模な幕府役人、大名の京都への上京などに対応できない不備を正すため助郷の常備(定助郷の設置)を江戸幕府の道中奉行に対して木曾の十一宿を代表して半蔵等が江戸に出張して訴えることや、◆数年前の大河ドラマ『篤姫』が詳細に描写した安政の大獄や14代将軍の座を巡る暗闘、◆和宮降嫁や桜田門外の変などから、◆主人公の半蔵が傾倒した真淵、宣長、篤胤にいたる国学(長野県の伊那、飯田地方では、現在でも神葬祭の風習が残っているところもあるらしい)、◆馬篭を襲った地震や暴風雨などの災害や飢饉や馬篭の宿役人や名古屋藩の対策などなど、そして◆大政奉還、王政復古を宣長の説く「自然」(神武天皇の御世)への復古(ルソーの自然に帰れや、マルクスの原始共産制を想起させる)であると期待を掛ける国学者たち、などなど誠に盛りだくさんで面白いものだった。また、◆窮民救済などの政治制度が幕末の名古屋藩できちんと働いていたというのも興味深く、◆江戸幕府のそれまでの権威は、葵の紋の提灯を下げていけば狐狸盗賊からも守られるほどのものだったと書かれているのも、庶民側からの歴史小説という面目躍如だと思った。◆公家による日光例幣使は、民話や伝承で「恐ろしいもの」の象徴になっているように聞いたことがかすかに記憶にあるが、そのゆすりたかりの実態についても書かれていた。◆横須賀のアジア初の近代造船所を開いた小栗上野介や、函館奉行、外国奉行を務めた喜多村瑞見(栗本鋤雲)についても書かれていた。その意味で、幕藩体制の行政組織の末端を務めていたという点で、倒幕側の情報よりも幕府側の情報が多く書かれているようだ(元の「大黒屋日記」の記述がそうだったのかも知れない)。

以前、実家に帰省したおりに高校時代に買った川端康成『雪国』の文庫本を読み始めたら結構面白くて驚いたことがあった(2003年2月5日 (水)  読書と年齢)のだが、どうやら古典的な名作と呼ばれるものを楽しめるようになるには年齢を選ぶらしい、と至極当たり前のことをそのとき実感として気がついたのだが、今回もそうだったのだろうか?

島崎藤村は故郷にゆかりのある作家で、「初恋」の若菜集や「千曲川旅情の歌」の落梅集の詩人で、小諸・佐久の風物を描いた「千曲川のスケッチ」や問題作『破戒』の小説家としては親しかったり、郷土にゆかりがある作家ということから実家の母が地元の著名な藤村研究家が主催する市民対象の「藤村講座」の熱心な受講者だったりしたのだが、どうも家族をテーマとした『家』や姪との不倫を告白した『新生』などは陰惨な印象が強く、明治の文豪としては、漱石、鴎外に比してもうひとつ親しめる存在ではなかった。その一方で、文芸評論家の篠田一士が「二十世紀の十大小説」に挙げている(松岡正剛の千夜千冊参照)こともあり、この「夜明け前」を読むことには義務的な意識が長いことあったのは、前段で書いた通りだ。

なぜ、以前は面白さを感じなかったのに、今回は面白みを感じるのか?

これも前段に書いた受容年齢のことだと言えばそれまでだが、今更ながら主に司馬遼太郎などの小説によって日本の「夜明け」の時代についてそれなりに広範な知識が蓄積されたことや、日本と欧米との接触史の問題意識などが次第に蓄えられたためではなかろうかと思う。(参考サイトによれば、徳富蘇峰の『近世日本国民史』という大部の歴史書も資料のひとつだという。)数多くの歴史上の登場人物について、この小説は詳しく触れることはないので、それらの人物について史的な知識を「ある程度」持っていることが、この小説を退屈せずに読み通すための十分条件なのかも知れない。

なお、この小説の第一部は「大黒屋日記」に多くを拠っていることで、その点が批判されることがあるようだが、たとえうずもれた「大黒屋日記」を重要な幕末維新小説の中に蘇らせ多くの読者の目に触れられるようにしたことだけでも、この小説の意義は高いのではなかろうか?(少々上から目線でおこがましいが)

参考:第42回「浅野晃先生のお話を聞く会」 ―島崎藤村の「夜明け前」―― 浅野晃先生の部屋より

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2011年8月18日 (木)

ジブリ映画『コクリコ坂から』(宮崎駿企画脚本、宮崎吾朗監督)

昨年公開の『借り暮らしのアリエッティ』は、原作の『床下の小人たち』(The Borrowers 直訳では、借りる人達)は読んだものの、映画は見に行かなかった。原作は、長編シリーズの第1作ということもあるのか、ストーリーの動きも少なく、背景や状況説明が多く、あまり惹かれることはなかったが、アニメーション映画の方は、ジブリ的な換骨奪胎により、それなりに面白いものになったようだ。

今回の映画は、前々回の壮大なファンタジーシリーズの映画化としてはその換骨奪胎が行き過ぎて、まったくテーマとはかけ離れた異形の作品(ゲド戦記)を作った宮崎吾朗(宮崎駿の息子)が、再び監督をしたというもので、興味半分、心配半分だった。昭和30年代の横浜が舞台ということもあり、本屋にはメディアミックス商法たくましく原作のコミックも売られていて、興味があったので、文庫版を求めてみた。題材的にはおもしろかったものの、構成があいまいなよくあるような感じの少女漫画だったので、これを基にどんな商業アニメーションを作るのだろうという危惧は高まり、チケット代が無駄ではないかと、前売り券を買った妻も心配したほどだった。

右足がほとんど治って安心した先週土曜日に近くのシネコンに久しぶりに見に行ってきた。(すでにこのときには左足の違和感はまだ痛みにはなっていないものの、結構強くなっていた。)

結論的は、こちらは、少々頼りない感じの原作を巧みに整理し、主人公のキャラクターを際立たせ、東京オリンピック開催前の一時代をくっきりと切り取ったすがすがしい青春譜になっていた。パンフレットは妻が買ったのだが、宮崎駿が書いた「企画書のような覚書」という文書が掲載されており、なるほどこのように原作をアニメ化するのかという教科書のような文章になっていて感心した。

ジブリ的に少々類型的となった仕掛けが随所には垣間見られたが、子が父にささげるオマージュとして見ることも可能かと思えた。

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『ジェノサイド』 高野和明(角川書店)

痛風は、一番症状が重くて熱が出て風が吹いても痛いときを除けば、歩こうとすると足が痛くて歩けない以外は、風邪などほかの病気のときに比べて他の体調は悪くはないので、痛みを紛らすためにも本を読んだりしている。

コミック "One Piece" を第1巻から読み直してみたりもして、そのはりめぐらされた伏線の多さとその回収模様に感心したのだが、読書の大物として、最近話題作となっている表題の本を妻が買ってきたので、いやな題名だとは思いつつ、読んでみた。

舞台設定上、伊藤計劃の『虐殺器官』を連想させるような部分はあったが、相当独創的な仕掛けが多く、SFエンターテインメント小説、サスペンス小説、国際政治小説、人類進化小説で、突っ込みどころもほとんどなく、良い出来だと思った。実際、600ページもの大部のハードカバーをほぼ一息で読んでしまったほどだ。

現在、アフリカ東部のソマリアなどでは大飢饉になっているようだが、この小説にも書かれているように、そのようなニュースはほとんど伝わってこないのが、日本の現状で、『虐殺器官』を読んだときにもショックを受けたが、アフリカの内線の悲惨さはとてもこの世のものとは考えたくないほどひどいらしい。

角川書店の雑誌「野生時代」に連載されていたものとのこと。

追記:少々ネタバラシになるが、アフリカでの重要な舞台は、この密林のポリフォニーが収録された熱帯雨林地域のようで、そのCDに登場する多声音楽についても触れられていた。

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2011年8月17日 (水)

痛風の痛みはきつい

追記:薬に頼らずに尿酸値が7.0未満に減少

2014年8月 7日 (木) 何が功を奏したか? (痛風対策:尿酸値の減少)

--- 元記事 ---------------

痛風持ちである。2000年の夏に初めての痛風発作を経験して、治療薬も1年ほど飲んだ。しかし、その後毎年の定期検査の尿酸値は基準とされる7.0以上だったが、水分をなるべく多く摂取することを心がけていたせいか、ときおり発作が始まりそうな疼きを最初の発症箇所の右足親指付け根の外側部分の関節に感じたことはあったが、大過なく過ごしてきた。

それが、この2011年の7月の下旬に、「大量の汗をかく時期には痛風に用心をしましょう」などという話題を職場でしていた矢先、就寝中に寝汗を多くかいた翌朝に、右足のその部分に強い痛みと腫れが出て、発作が再発してしまった。ただ、ぶり返しなどはあったもののこれは何とかこの1カ月ほどでほぼ痛みが治まったのだが、今度は先週金曜日、これまで発作が出たことが無かった左足の対称的な同じ部分に違和感が生じ、そのまま治まってほしいという願いとは裏腹に、どんどん痛みが強まり、腫れも大きくなってきて、日曜日から今日水曜日まで、痛みをこらえてかろうじてものにつかまってしか歩けけないほどの発作が起きてしまった。特に月曜日の夜と火曜日の夜は、まさに風が吹けば痛いほどの症状となり、立ち上がるのもままならず、足の位置を変えるだけでも激痛が走るほどとなってしまった。

発作が出てからあわてて水を飲んだり、プリン体(*)の少ない食事をしたりしたのだが、簡単には痛みは治まらず、痛みどめを飲み、患部を動かさないように安静にして休むしかないのがつらい。

肥満を解消して、減量すれば尿酸値は相当下がることが、実体験としてあるので、それに向けて生活を改めていくしかないようだ。昨年は、一昨年の減量の反動もあり体重管理や食事管理を怠ってしまったので、一年後にその反動が出てしまったようだ。痛風は、その対策がすぐに効果を現さず、その反面対策をしないような生活もすぐには発作につながらない遅効性の病気のため、管理がとても難しいように思う。

思いかえせば、痛風の前期症状のような症状が出たのは、2000年の夏が初めてではなく、1999年の12月にアイルランドのダブリンに出張に行き、毎朝ホテルでフル・イングリッシュ・ブレックファストを食べ、毎夜現地のパブで名産のギネスビールを痛飲し、1週間ほど過ごした後、帰国の前日両足がやけにはれぼったくなったことがあり、そのときは痛みはまったくなく、帰国後は腫れも引いたので、気にも留めていなかったのだが、その頃から高尿酸だったのかもしれない。

当時は、毎年2回の献血を行い、血液検査結果は至極良好だったのだが、残念なことに尿酸値は検査項目になっておらず、また30代までの定期検査でも尿酸値は検査されず、当時尿酸値が管理できていればと思うこともある。

痛風と言えば、帝王病と言われ、チンギス・ハーンのモンゴルの人々も動物性たんぱく質と乳製品を中心とした食生活のためか痛風持ちが多かったようだ。近世のヨーロッパ人が、利尿効果のある茶や珈琲を食生活に積極的に取り入れたのも、痛風治療や予防だったという説もあるほどで、痛風は歴史にも影響を与えていたようだ。

(帝王病について検索したら興味深いブログ1、ブログ2、ブログ3があった。訂正前にカエサル Caesar や贅沢なローマ帝国市民が痛風にかかっていたというようなうろ覚えを書いてしまったが、ローマ帝国市民の痛風はその通りだが、カエサルは痛風ではなかったようだ。彼の名前が医学に現れたのは、「帝王」切開だった。なお、若くして亡くなったアレキサンダー大王が痛風だったというのは不思議な感じがする。「痛風の歴史は医学の歴史」)

痛風は、摂取されたプリン体、また体内で合成されたプリン体(細胞内の核の核酸に含まれる)が代謝されてできた尿酸が、血液中から適切に排泄されず、または作られすぎにより、血液中濃度が高まり、過剰な尿酸が(なぜか)稼働が活発な関節部に結晶化して付着し、その結晶を異物とみなして、血液中の白血球が攻撃することにより生じる炎症である。

ビールやタラコ、レバー、ニボシ、鰹節、シイタケのような食品に多く含まれることが知られており、それらの過剰摂取により、尿酸の濃度がある期間高レベルとなって、その間、関節部分に結晶化した尿酸が付着することによって発症するとされてきたが、近年では、体内で合成(代謝)された尿酸の方が割合としては大きいものとされているようだ。

細胞一個一個には必ず尿酸のもとになるプリン体が含まれるため、鶏卵一個のように、細胞が1個の場合には含有量は多くないという。逆にタラコのような魚卵の一粒一粒にもプリン体は含まれる。要するに食品の細胞数が多ければ、それだけ尿酸がたまるということらしい。

ただ、Wikipediaにもあるように尿酸は、強力な抗酸化物質であるようで、要するに酸化=老化や劣化でもあるため、それを防止するために役立っている物質でもあるらしい。その意味でも、人間の健康にとってコレステロール同様善悪二面性のあるものであるようだ。

ところで、足の親指が痛みのために曲げられないというのは、歩行することにとって、大層支障のあることで、速足や駆け足などはまったくできない。いかに関節が痛みなく動いてくれることが重要かが実感でき、また親指の付け根関節がいかに歩行にとって重要かがわかる。

また、痛風の痛みだが、大の男が涙を流すとか、風が吹いても痛いので痛風というというように言われるが、私の場合は、鈍痛から始まり、ちょうど捻挫をしたときの疼くような痛みが続き、痛みの最高潮は皮膚の表面がヒリヒリして少しでも足を動かすとズキンとする痛みが脳髄を走るという感じのものだ。また、症状が少し改善して、何とか歩けるようになっても、完治していないと、体重をかけたり、関節が少し強く曲がったりすると、ズキッとする痛みが走ることがある。

最近では、食生活の影響はあまり強くないと言われてはいるが、自分の生活を振り返ると、いわゆるうまみのあるだし汁を好むという傾向があるように思う。魚介や肉類のスープにはプリン体が多く溶け出すと言われていて、痛風予防には避けた方がよいと言われ、最近はそのような食材はあまり食べないようにしてはいるが、自分の好みとしては鰹節でも煮干しでも、シイタケでも、昆布でも、うま味が十分出た味付けを好むので、そのような嗜好もプリン体を比較的多く摂取した要因になるのかも知れない。そこで、プリン体という点ではあまり影響の無いはずの昆布だしを多くとるようにしているが、このような出汁(スープ)好きには痛風は多いのだろうか? (このサイト「痛風を食事療法で治療しよう!」を読むと、どうやらだし汁やラーメンスープなどは要注意のようだ。)

また、モンゴルなどの遊牧民族は、チーズや乳製品を多く取るために痛風が多いとされたこともあるようだが、現在では、牛乳は血液の酸性度を低める働きがあるので、逆に尿酸の排出を助け、痛風予防にはよいとされるようなので、モンゴルでの痛風の多発は別の要因があるのかも知れない。

痛風は、すぐに生命に危険を及ぼすような病気ではないが、現在の日本では高尿酸血症という痛風予備軍はものすごく増えているという。明治時代以前の西洋人の記録では、日本人には痛風は無かったようだが、いまや「帝王病」ならぬ「庶民病」「国民病」のようだ。ネットで検索しても痛風体験記は山のように見つかるが、結局のところ、食生活と運動不足を改めるしかないのかもしれない。

参考資料:

*プリン体

 日本語のプリンは、英語の pudding プディングの訛り(ちょうど、イヌのポチがフランス語のpetit プチの訛りのような感じ)なので、プリン体というと、カスタードプリンに含まれる栄養素のようなイメージを持つ人が多いようだ。しかし、プリン体は、purin, purine とつづられ、ドイツの学者が 「純粋な尿酸」という意味で名づけた造語だという。高尿酸血症の原因物質とされる尿酸に含まれるのは当然だが、遺伝子そのものである核酸DNAやRNAを構成するアデニンやグアニンの骨格なのだそうだ。つまり細胞の核には必ず含まれるもので、細胞が多い食物には多く含まれているということのようだ。

また、不思議なことに、カフェインもプリン体を骨格としているのだという。

つうふう【痛風】
足や手の関節が腫れて、激しく痛む病気。手足の母指基関節に多く発する。蛋白質を多くとりすぎた場合、これが体内で消化される過程でできる尿酸が血液中にふえ、冷え・外傷・疲労などが誘因となって、尿酸塩が関節軟骨や鼻、耳朶の軟骨に沈着しておこる。

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988

gout
1 痛風.
2 (血などの)したたり,しずく,はね,しみ,かたまり.
語源 古フランス語←ラテン語gutta(一滴の液体).足の痛風は腐った体液(humor)のしずくによって生じると考えられていた

Progressive English-Japanese Dictionary, Third edition ゥ Shogakukan 1980,1987,1998/プログレッシブ英和中辞典  第3版  ゥ小学館 1980,1987,1998

gout (gout)  noun
1.Pathology. A disturbance of uric-acid metabolism occurring predominantly in males, characterized by painful inflammation of the joints, especially of the feet and hands, and arthritic attacks resulting from elevated levels of uric acid in the blood and the deposition of urate crystals around the joints. The condition can become chronic and result in deformity.
2.A large blob or clot: "and makes it bleed great gouts of blood"(Oscar Wilde).

[Middle English goute, from Old French, drop, gout, from Medieval Latin gutta, from Latin, drop (from the belief that gout was caused by drops of morbid humors).]

The American Heritageョ Dictionary of the English Language, Third Edition (アメリカン・ヘリテイジ英英辞典 第3版) copyright ゥ 1992 by Houghton Mifflin Company. Electronic version licensed from INSO Corporation. All rights reserved.

参考:「週刊朝日 尿酸値は下げなくてもいい」で論争(この週刊誌記事は読んだ) http://mimizun.com/log/2ch/news2/1099774099/

http://www.new-agriculture.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=152821

http://blog.livedoor.jp/yw1126/archives/cat_320215.html?p=2

http://blog.livedoor.jp/yw1126/archives/cat_320215.html

日本痛風・核酸代謝学会 http://www.tukaku.jp/

治療ガイドライン http://www.tukaku.jp/tufu-GL2.pdf

一般の記事:

http://2009.itainews.com/archives/cat3/archives/24330

http://www.health-info.jp/medical/karte/karte_36.htm

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追記:その後の試行錯誤

痛風関連記事:

2004年6月18日 (金) テレビ

2011年7月26日 (火) 尿酸値とメタボ

2011年8月17日 (水) 痛風の痛みはきつい

2011年9月27日 (火) 最近肉や魚をほとんど食べないのでマクロビオティックに近い食事になってきている

2011年10月17日 (月) 痛風のその後

2011年12月26日 (月) 5ヶ月継続した食餌療法と健康診断結果

2012年4月 5日 (木) 尿酸の排出は腸からも。それが低下? (痛風の原因が新たに確認?)

2014年7月24日 (木) まねごと糖質制限食の半年試行錯誤

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