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2011年8月26日 (金)

N響アワー 8/21(日) 樫本大進のスペイン交響曲

ベルリン・フィルの第1コンサートマスターに就任し、すでに先の佐渡裕のベルリンフィルデビューでもその姿を見、さらにラトルやアバドの指揮による演奏会も数度NHKBSプレミアムで確認することができた樫本大進が、この7月に来日し、N響と共演したが、その模様が先日のN響アワーで紹介されたので、長男と見た。

オーケストラはN響初登場で、あのブーレーズが創設したフランスのアンサンブル・アンテルコンタンポランの指揮者を務める現代音楽が専門のフィンランド出身の若手女性指揮者のスザンナ・マルッキという人。

樫本大進のヴァイオリンは、実に細かいパッセージまで精妙に引ききり、かつ熱演だったが、残念ながらマルッキとN響、樫本とそのコンビとは相性があまりよくなかったのではなかろうかと思ってしまった出来だった。

このスペイン交響曲という名のヴァイオリン協奏曲は、CD(グリュミオー&フルネのモノ録音、パールマン&プレヴィン/LSO1968録音、チョン・キョンファ&デュトア)で親しんできたが、それらで聴く限り、スペイン風の独特なノリのよい弾力のあるリズムが特徴で、比較的流麗に流れる作品というイメージを持っている。

今回の樫本の独奏は結構リズムやテンポを揺らしたり、タメを作ったりするいうなれば演歌調の解釈で、通常のスペイン交響曲のイメージをよいほうに裏切り、深さを感じさせる部分もあった。

一方指揮棒を持たず両手で指揮するマルッキはそれに対してあまりフレキシビリティを感じさせない、つまりあまり楽天的でなく、リズミックでない雰囲気のどこかひと癖というか一家言ある鳴りのよくない音楽作りで、両者間の音楽づくりに齟齬が感じられた。さらにN響のマルッキに対する反応ももうひとつのようで、リズムもノリが悪く、アンサンブル的にも第一楽章の最後の終結のトゥッティなどは揃っていなかったほど。樫本も独奏で自由に弾けているかというと、オーケストラのコンサートマスター的な意識が次第に身についてしまったのだろうか、自らテンポを崩しつつも、ときおりオケとのズレを気にして合わそうとしているようで、結構不自由な感じを受けた。そういう点で三者がうまく噛み合わないように聞こえてしまった。

この曲は、安定したオケをバックにソリストが自由自在に振舞うという感じか、それとも逆にソリスト主導で指揮者とオケが絶妙のタイミングでそれに付けるというのが望ましいように思うのだが。

もし樫本が純粋な若手のソリストであれば、このような齟齬がなかったのかも、と思ったりもした。やはりベルリンフィルのコンサートマスターという存在は、音楽界、オーケストラ界では相当の地位であり、指揮者もオーケストラもそれに対してやや及び腰になってしまっているということもあるのではなかろうかと、あらぬことも考えてしまった。

メインプロの前にやった、樫本のリサイタルでのバッハのパルティータ3番は、楽器の鳴りもよく非常に精妙で力強い音楽がストレートに出ていたこともあり、それと対照すると、余計スペイン交響曲が欲求不満的に感じられたこともあるかもしれない。

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