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2011年9月の20件の記事

2011年9月27日 (火)

最近肉や魚をほとんど食べないのでマクロビオティックに近い食事になってきている

痛風予防、尿酸値の低下を心がけて食事をしていたら、最近よく耳にする「マクロビオティック」に近い食事内容になりつつあるようだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%93%E3%82%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF

このWikipedia の解説で、初めてこの面白いカタカナ語が、日本発祥のものだと知った。以下のように書かれていたので、ちょっと驚いた。いわゆる菜食主義者(ヴェジタリアン)よりも厳しいかもしれない。特に乳製品を取らないというのは驚きだ。

玄米を主食、野菜や漬物や乾物などを副食とすることを基本とし、独自の陰陽論を元に食材や調理法のバランスを考える食事法である。

おおむね以下のような食事法を共通の特徴とする。

  • 玄米や雑穀、全粒粉の小麦製品などを主食とする。
  • 野菜、穀物、豆類などの農産物、海草類を食べる。有機農産物や自然農法による食品が望ましい。
  • なるべく近隣の地域で収穫された、季節ごとの食べものを食べるのが望ましい。
  • 砂糖を使用しない。甘味は米飴・甘酒・甜菜糖・メープルシロップなどで代用する。
  • 鰹節や煮干しなど魚の出汁、うま味調味料は使用しない。出汁としては、主に昆布や椎茸を用いる。
  • なるべく天然由来の食品添加物を用いる。塩はにがりを含んだ自然塩を用いる。
  • 肉類や卵、乳製品は用いない。ただし、卵は病気回復に使用する場合もある。
  • 厳格性を追求しない場合には、白身の魚や、人の手で捕れる程度の小魚は、少量は食べてよいとする場合もある。
  • 皮や根も捨てずに用いて、一つの食品は丸ごと摂取することが望ましい。
  • 食品のアクも取り除かない。

翻ってみると、人間を含む動物は、近代に至るまでの「進化」の過程で、飢餓に強いという体質を遺伝的に強めてきたと言われている。私は、山国信州の高冷地の出身で、それこそ旧石器時代・新石器時代(縄文時代)の昔から、時代的にはつい近年である昭和も30年代になるまでは、豊富な食事などを取れる環境ではなく、そのような中で祖先たちが命をつないできたものと想像される。

ただ、父方の祖父が、調理上手で、近隣の冠婚葬祭には包丁を振るったと聞いたことがあるが、自分もいわゆる調理好きで、「美味」「旨い」ものには目がない性格であり、食い意地が張っている。まあ、この食い意地と、飢餓に強い体質というのはメダルの両面であろう。

さて、上記のマクロビオティックのリストを眺めてみると、いわゆる豊かではなかった時代の農村の日本人の食事そのものであるようだ。

7月の痛風発作以来、痛みがなかなか去らず、その痛みを早く治したい一心で、食事を大幅に「改善」し、もちろんアルコール類は一滴も飲んでいない。その食事内容が、乳製品と玄米を除くと、ほぼ上記のリストに一致するのが不思議だ。なお、コーヒーや緑茶などの嗜好品は、痛風対策のため相当摂っている。

人間の身体は、数世代ではそうは変わらないのだろうから、自分の身体もまだ飢餓耐性が相当強く、庶民レベルでは昭和30年代以降になって現代人が摂取するようになった動物性たんぱく質、油脂などは、おそらく過剰摂取なのだと思われる。

このままの生活が続くかどうかは分からないが、身体には悪くなさそうなので、引き続き試してみたい。

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2011年9月26日 (月)

N響アワー 辻井伸行と外山雄三指揮N響協演によるチャイコフスキー 

先日、読売日響のテレビ「深夜の音楽会」で、辻井伸行のピアノによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」を視聴し、堂に入った協奏曲演奏だと感心したが、9/25(日)夜9時からのN響アワーで、今度はNHK交響楽団との初協演となるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を聴き、ピアニストと指揮者、オーケストラの間の「協演」ぶりを堪能できた。

先日、このブログで少々辛口に、樫本大進とN響のスペイン交響曲について書いたのだが、それとはまったく対照的に、今回の演奏は、張り合うような競奏や方向性の違う競演ではなく、協力して奏でる協奏曲だった。

超有名曲、人気曲のチャイコフスキーのこのコンチェルトだが、実を言えばあまり好きな曲ではなかった。それはこれまで聴いてきた演奏や録音が、「競奏」の趣が強いものが多かったせいかもしれないと、今晩のテレビを見ながら思い至ったほどだ。

辻井のピアノに対する百戦錬磨のベテラン指揮者の外山雄三とN響のサポート振りは見事で、相当ややこしい難所でもきちんと「協奏」になっており、フレーズの受け渡しなどは実に自然で素晴らしかった。盲目であるハンディキャップなど全く感じられず、外山もアイコンタクトが無いのに、辻井のピアノをしっかり受けとめていたようだ。(チャリティーコンサートということらしく、N響アワーのアナウンサーがコンサート会場で、辻井にインビューしている模様が映し出され、辻井はリハーサルと違うように自由に弾かせてもらったが、指揮者・オーケストラが完全にぴったりと付けてもらってとても気持ちよく弾けた」と語っていた。)

辻井のピアノは、とても技巧に余裕があり、丁寧、誠実なもので、引き飛ばしなく、作品の形式感を解きほぐして再提示するかのような演奏ぶりで、よくある形式感の薄い猪突猛進型の爆演とは、一味違うものだった。三つの楽章とも、きちんと形式が提示された演奏は珍しいのではなかろうか?

ただ、この曲で全体的にあえて欲を言えば、たたみかけるような躍動的なリズムとさらなるダイナミックだろうか。その意味で、辻井のテクニック、メカニックは余裕のある見事なものではあるが、ラフマニノフやチャイコフスキーのような技巧的な難曲、大曲だけでなく、モーツァルトの協奏曲も聴いてみたいものだ。

アンコールは、チャイコフスキーの「四季」から「トロイカ」で、情景描写的ではない、印象としてのトロイカの演奏で、とても細やかな演奏だった。

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2011年9月25日 (日)

小山宙哉『宇宙兄弟』15(講談社 モーニングKC-2038)、光速を越える素粒子?

昨日本屋に立ち寄ったら、『宇宙兄弟』の最新刊が平積みされており、早速購入した。

(以下多少ネタバレ)

14巻には、兄ムッタはかろうじてようやく月基地への滞在クルー選抜への道が見えてきたが、一方初の日本人月着陸、月基地滞在者であり、人命救助の英雄でもある弟ヒビトの、月からの帰還後の精神状態に不安が見え始めたところまで描かれていたが、15巻は弟ヒビトの苦闘が描かれている。

このコミックは、とうとう映画化され、近日公開されるらしい。「はやぶさ」映画も公開されるようで、ちょっとした宇宙ブームだ。

ところで、日本の研究チームが、光速をわずかだけだが上回る素粒子を見つけた(観測した)というニュースが伝わった。実験精度の問題はあるらしいが、これが実在するとなると、タイムマシンも夢ではなくなるというようなことが話題になっている。

アインシュタインの相対性理論の絶対的な前提条件の一つが、光速を越えるものはないというものらしいが、この考え方には、光速に近いスピードで運動している宇宙船の上から、同じ程度速い宇宙船を発進させたら、光速を上回れるのではないかという中学生のころに読んだSFアンソロジー(複数の猿にタイプライターを与えてシェークスピア全集を書かせるというような奇抜なアイデアが満載だったが、もう一度読みたいものだ)に掲載されていた発想で打ち破れるのではないかと考えたことがあったが、それは相対性理論的には否定されているということで、少々残念だった記憶がある。

今回の実験(観測)の検証がどのような結果になるかは分からないが、宇宙の暗黒物質ダークマター、ダークエネルギー問題や、5次元が実在するかの問題と並んで、難解ではあるだろうが、興味は尽きない。

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2011年9月23日 (金)

NHK 「宇宙の渚」 ISSからのハイビジョン映像 生中継 9/18(日)

今日は、9月2回目の三連休の初日。秋分の日でお彼岸の中日。暑さ寒さも彼岸までのことわざ通り、先日9/21の台風一過以降、急に気温が下がり、昨夕などは半袖姿では涼しいほどだった。北海道の屋根、大雪山からは初雪の便りも聞こえてきたので、長かった夏もようやく終わろうとしているのかもしれない。窓から南に見える真言宗の寺(鎌倉時代からの古い城跡に立つ)の寺院林の蝉も、先日の台風の最中にも鳴き声を途絶えさせなかったが、今日あたりは相当鳴き声もおとなしくなってきた。

宇宙の渚 とは、聞き慣れない言葉だが、どうもNHKが使い始めたもののようで、陸水の境界のある範囲を渚というように、地球と宇宙との境界域をあらわすものらしい。NHKとJAXAが開発した宇宙用の高感度ハイビジョンビデオカメラによって、宇宙飛行士が肉眼で見ているのとほぼ同じ光景をお茶の間に届けようというテレビの企画番組で、ISS搭乗中の古川宇宙飛行士が、キューポラと呼ばれるのぞき窓からオーロラや雷、夜景、隕石(流れ星)などを撮影し、それを生中継するというもの。

真珠母雲の脅威は初めて知った。また、夜光雲というものがCO2の影響でできることも興味深かった。 

雷のエネルギーが地表、大気圏だけでなく、宇宙にも放出されている(スプライト, sprite 英語で、妖精の一種。sprit とか フランス語の esprit と同じラテン語語源とのこと)現象のことも映像が鮮烈だった。

オーロラ研究の紹介で、赤祖父さんという佐久市生まれで、東北大学出身の有名な研究者が出てくるのではと思っていたが、アラスカ大学のAkasofu 研究所が紹介され、本人が登場されたので驚いた。 (関係の有無は分からないが赤祖父という珍しい苗字だが、富山の地名で、その姓の豪農がいたようだ。

さて、今日か明日にも、アメリカNASAの気象衛星UARSの使用期限切れのものが、大気圏に突入し、その燃え残りの最大重さ160kgの破片が地球上に落下するという警告が出されている全世界人口約70億人の誰かに破片が当たる確率は、3200分の1なので、特定の誰かに当たる確率は、(3200×70億)分の1、つまり22兆分の1ということになるらしい(計算はあっているだろうか?) 宇宙時代のリスクではあるが、人工衛星開発において大気圏での燃え尽きは当初設計必須項目ではなかったのだろうか? 現在は、そのような観点を加味しての設計であってほしいものだ。

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2011年9月22日 (木)

2011-09-21Twitterまとめ

  1. 台風15号襲来中。暴風雨が15時半頃から18時過ぎの今も続いている。台風の中心は、埼玉県秩父市付近とのことだが、ここは中心より東側なので、風が強い。八王子では最大瞬間風速40m, 横浜では35mというので、おそらくそのくらいの風が吹いているのだろう。
  2. 神奈川県内の電車は軒並み運転見合わせ。帰宅勧告に従って早めに仕事を終えられたのだが、乗車した電車が途中駅で停車。路線の途中で風速が基準値を超えたという説明。タクシーに並び始めたら、最寄り駅までの折り返し運転をすることになり、何とか最寄駅にたどり着き、その後暴風雨の中徒歩で帰宅。
  3. 最寄り駅からのバスは、電車の運転見合わせのための迂回客が多く、乗り切れず。やむを得ず歩いたが、さすがにズボンと靴はびしょぬれ。傘は強風で何度も盃状になったが、ビニール傘とは違い壊れず。量販店で廉価で買った中国製だが、骨も作りもしっかりしているようだ。
  4. 台風は過ぎてしまえばうそのように空が晴れ渡る。昨日大雨だった名古屋地方にはもう雲がかかっていない。
  5. 関東地方も、9時になれば雨は上がり、風も吹き返しは別にして弱まるのだろう。この嵐で、実った稲穂もみんな倒れてしまったようだ。
  6. 今回の台風の西側にあたる実家の方では、あまり強い風は吹いていないようだ。リンゴやブドウなどの収穫期になるので、農家の人たちは心配なことだろう。
  7. 千葉県、神奈川県や東京都、軒並み電車が運転見合わせ。同じ時間帯に帰宅した同僚たちはどうしただろう?途中の駅や電車内で運転再開を待っている人もいるかもしれない。
  8. 雨音がしなくなったので、外を見てみたら雨がやんでいた。相変わらず風は強い。台風の進行方向前面に雨雲が固まっていたので、あっさりと雨はやんでくれたようだ。

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2011年9月19日 (月)

クルト・ザンデルリングが亡くなった

Google リーダーを漫然と見ていたら登録させてもらっている ブログ Taro's Cafe に、「クルト・ザンデルリンク逝去」の記事を見つけて読ませていただいた。

Googleで検索したところ、読売新聞朝日新聞共同通信が配信しているようだ。9月18日にベルリンで逝去、98歳だったとのこと。

ユダヤ系と言われてきたが、母がユダヤ人だったとのこと(当時のドイツの悪名高いニュルンベルク法では血統主義により決定されたので、ザンデルリングもユダヤ人とされたのだろう)。そのことで、ナチス政権奪取後、ソ連に亡命したのだという。当時ユダヤ人とされた人達の中で、東側に亡命した人も、ポグロムやソ連でのスターリンによる大規模な粛清・迫害があったわけで、ザンデルリングが、その後あのムラヴィンスキーとともにレニングラードフィルの指揮者として活躍できたのは、相当奇跡的なことだったのではないかと想像する。同じユダヤ系とされる指揮者ヴァルター(ワルター)や、作曲家シェーンベルクなど、当時のドイツ・オーストリアの「ユダヤ人」は多く米国に亡命することが多かったようで、そのような亡命は相当詳しく知られているが、寡聞にして東欧へ亡命したユダヤ人のことはこのザンデルリングについての少ない知識くらいしかない。

(広島大学 島谷謙氏の「第三帝国時代の亡命者をめぐる社会的考察」という論文を見つけた。pdfファイルへの直リンクだが、この117ページ目からソ連における当時のドイツからの亡命者について論じられている。

 http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/81936204/ningen13_shimatani.pdf )

このブログでも、シュターツカペレ・ドレスデンとのブラームスの交響曲第1番、フィルハーモニア管とのベートーヴェン交響曲全集、ベルリン響(東ドイツ)とのマーラーの第10番、同じオケとのシベリウスの第2番など多大な感銘を受けて取り上げさせてもらった。

ザンデルリングや指揮者である息子たちの信仰がどのようなものだったか分からないので、宗教的にどのような言い方をすればいいのか分からないが、謹んで哀悼の意を表したい。

*できるだけ現地発音に沿うことを目標にしているので、通常ザンデルリンクと称されているが、ザンデルリングと呼称している。

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2011年9月16日 (金)

NHK 「オオカミはこうしてイヌになった」 で考えたこと

このブログでは、以前からオオカミネタを書いてきたが、最近見たテレビ番組で驚くべきことを見聞した。調べてみると以下にあるように以前から知られていた話のようなのだが、びっくりした。

なんと、ロシアでは、イヌのように人に馴れたキツネが飼育・繁殖されており、実際にそのようなキツネをイヌやネコと一緒に家で飼っている人がいるのだ。キツネは、イヌともネコともフレンドリーに触れ合って暮らしていて、イヌやネコの方もキツネに対してまったく違和感を覚えていないようで、悠然と振舞っていた。

この番組のレポーターの生物学者の福岡伸一氏が番組内で確か語っていたと思うが、家畜化する、家畜化される ということは、よりネオテニー化するということらしいのだ。

Google + の投稿

  ここで書かれた、エピジェネティクス という考え方が重要なようだ。

エピジェネティックスとは分子生物学を考える上での基本的方向転換である。DNAは確かに生物を作る基本骨格であるが、DNAの情報はDNAの上を覆う化学物質の層にコントロールされているのが次第に明らかになった。(生物学を変えるエピジェネティックス
By Stephen S. Hall | NEWSWEEK ニューズウィークマガジーン 2009年7月13日号から)

ネオテニーの身近な例では、野良ネコが、「飼われているネコ」のように「ニャーニャー」鳴かないのは、野良ネコが家畜化されていないがゆえに、ネオテニー化していないことのあらわれのようだし、最もよく「家畜化」された動物である「人間」が極端にネオテニー化しているのもそのあらわれなのだろう。日本発とされるなんでも「かわいい」で形容する心理傾向も、大きな流れではこの一環なのかも知れない。

ナショナル・ジオグラフィック日本版 2011年3月号のWEB記事に、このNHKの番組の元になったような相当詳しい記事が掲載されていたのを見つけた。

Taming the Wild (直訳:野生動物を飼いならすこと) 野生動物 ペットへの道

http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/1103/feature01/ 以下5ページまである。

この記事を扱ったブログ:参考サイト:

http://karapaia.livedoor.biz/archives/51575413.html 2009年の記事

http://www.kotaro269.com/archives/51037540.html 2010年の記事

 参考:NHKの番組について書かれた記事

NHKの公式サイト http://www.nhk.or.jp/inochi/archives/archive110826.html

 (ちなみに これに関係がありそうなものでは、プードル-小型化の遺伝子- 9月28日(水)午後7時30分~7時59分 が放映されるらしい。)

Wikipedia イヌの起源

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90

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さて以下、相当本筋から逸れるが、ナショナルジオグラフィックの原題で使われたtameという英語【形容詞では、人になれた(反意語はwild)で、動詞では飼いならす、服従させる】で思い出したのは、2007年6月12日 (火) ETV特集・選「“星の王子さま”と私」 で触れたこの物語のひとつのキーワードである フランス語 apprivoiser という動詞 のことだった。

この単語の日本語訳については、議論百出のようで、google で検索しても

http://www.google.co.jp/search?q=apprivoiser+%E6%98%9F%E3%81%AE%E7%8E%8B%E5%AD%90%E6%A7%98&hl=ja&rls=com.microsoft%3Aja%3AIE-SearchBox&rlz=1I7FTJA_jaJP400JP400&biw=961&bih=437&sa=2

のように沢山でてくる。

その中に上記のETV特集で登場した 池澤夏樹氏のこの言葉に関するインタビューも読める。

「その言葉を、その言語では、どう定義しているのか。たとえば『星の王子さま』に出てくる、とても重要なキーワードにapprivoiser(アプリヴォワゼ)があります。僕は“飼い慣らす”と訳しましたが、日本語の飼い慣らすとは、少し違う。そのまま対応する言葉が、日本語にはないんです。飼い慣らすというのは、上下の感覚があるでしょう。上に立つものが下にいるものを飼い慣らすという。アプリヴォワゼは、その感じがあまり強くありません。積極的に働きかけて、よき仲を作ろうと意志する、みたいな感じかな。“仲良くなる”というのとも違うんです。“仲良くなる”のは、ほっとけば自動的になるわけでしょう。そうではなく、仲良し関係を育て上げる、というような。仲良くなることを提案して、実行して、仲良しになる……こうやって説明していくとキリがないんですけど(笑)」

また、2008年04月28日19:29 カテゴリ「星の王子さま」におけるapprivoiserの考察 というものもあった。

さらに、その訳語についての検討記事もあった。

2011/2/11 apprivoiser を「飼いならす」と訳したのは本当に誤訳なのだろうか?(星の王子さま) 

(その元になった比較サイト 新 訳 比 較 apprivoiser星の王子様総覧) )

星の王子さま「飼いならす」は誤訳とはいえない(パート2)

ところで、英語では、tame のほかに domesiticate 家畜化する 飼いならす があり、ラテン語domesticus (domus家+-ticus=家の) 由来の言葉らしい。上記の「誤訳なのだろうか?」では、イタリア語訳では、このラテン語由来の言葉を使っているらしいが、これには問題ないのだろうか?

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2011年9月15日 (木)

なぜか牛乳が飲めるようになった

牛乳を飲むとお腹がゴロゴロするのは 

「日本人の約8割は乳糖不耐、つまり大人になってから乳糖を分解できないといわれています。そのため程度の差はありますが、多くの大人は牛乳を飲むと下痢や腹痛が起きます。これは哺乳動物として自然な姿なのです。」とあるように、20代以降最近までは、よほどのことがなければ、冷たい牛乳を飲むのを避けていた。その代わりに、乳糖が乳酸菌で分解されたヨーグルトを日常的に常食してきた。(ただ、最近は少しその頻度が減っていた。)

乳糖不耐症の説明(財団法人山口県予防保健協会)

繰り返し牛乳を飲むことで乳糖不耐症が改善される!? (県立長崎シーボルト大学大学院 教授/保健学博士 奥 恒行/社団法人 日本酪農乳業協会 )

牛乳の成分に関するQ&A(社団法人 日本酪農乳業協会)

ところが、この夏の猛暑前に放送されたNHK「ためしてガッテン」血液からツヨくなる!熱中症で死ぬもんかSP 2011年07月13日放送をたまたま目にして、

最近の研究で、さらに効率的な方法が見つかったのです!それは、運動後に、あるモノを飲むこと。答えは、なんと牛乳。 ポイントは、牛乳に含まれるたんぱく質です。運動後にたんぱく質をとると、アルブミンが合成されます。アルブミンには水分を保持する働きがあるため、血液中にアルブミンが増えると、水分が引き込まれ、血液量が増えるのです。 血液は、汗の材料でもあるため、血液量が増えると、汗をかきやすくなったり、皮膚血流の増加による熱放散をしやすくなったりして、体温が上がりにくい体になるのです。※牛乳でなくても、たんぱく質を含むものには、効果が期待できると考えられています。

とのことで、手軽にできる対策として牛乳がいいことが分かった。

さて、7月の下旬に2000年以来ほぼ10年振りの本格的な痛風発作に見舞われ、食生活の改善として、野菜・海藻や乳製品などにより尿を酸性から少しアルカリ化をすることが大切だということを思い出し、また、乳製品は痛風・高尿酸血症には改善効果があるということを知り、関節痛で休んでいる日に、子どもたちが旨そうに牛乳を飲んでいるので、それではと牛乳を飲んでみた。

いつも通り下痢になるかと待ち構えていたところ、まったく平気の平左で、それ以来これまで、約2ヶ月にわたって牛乳を常飲するようになったが、今のところ牛乳が原因の下痢には見舞われていない。まったく不思議だ。

以前テレビの実験映像でみたが、牛乳を飲むと胃で胃酸と出会い、あっという間にヨーグルト状になる。小腸で乳糖分解酵素が働かないとこの固まった物質が消化されずに下痢になるらしいのだが、今でもこうなっているはずなのに、なぜか調子は崩れない。乳糖耐性が復活したのだろうが、不思議だ。(もっとも気温が低くなり、腹部が冷え気味になると下痢になりやすくなるので、秋から冬はどうなることかわからないが。)

ようやく、左に移っていた痛みも相当和らいで、ふつうに歩行ができるようになった今日この頃だが、体重もこの2ヶ月で3kgほど減った。今回は運動ができないので、ほぼ食生活だけで減ったことになる。ご飯茶わんを子どもが使っていた小ぶりのものに変え、卵や牛乳以外の動物性たんぱく質をほとんど摂らず、ほとんど菜食主義に近い食生活を続けている。昼食などは、握り飯一個に、バナナ一本程度なのだが、これに牛乳を飲んでいるだけなのだが、不思議と痛切な空腹感に襲われないでいる。多分、牛乳を消化するのに時間がかかり、空腹感を我慢できるのではないかと推測している。

参考:このような「異見」も

「牛乳を飲むと骨が弱くなる?!」(山田豊文 杏林予防医学研究所 所長/びんちょうたんコム)

「牛乳には危険がいっぱい?」フランク・オスキー,東洋経済新報社,2003 (ブログ Chase Your Dream!)

第67話 番外編 米国で「牛乳は危険!」は日本ではウソ!」(ブログ 栄養成分ブレンドコーヒーの手引き ← とてもディープなコーヒーの薬効の話が盛りだくさん)

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2011年9月14日 (水)

船曳由美『100年前の女の子』(講談社)

先日、島崎藤村の『夜明け前』第2部をようやく読了した。藤村が父の人生を縦軸にこの大作を描き切ったということからの連想で、昨年購入して読んだこの本のことを思い出した。(2010年6月14日第1刷発行、2010年12月1日第7刷発行)

これは、船曳由美という編集者が、自分の母親の一生を聞き書き的にノンフィクションとして描いたもので、今から約100年前の1909年に生れ、2009年に100歳を迎え、まさに20世紀を生きた「女の一生」とも言うべき作品。

書籍の帯にあったように、当時の栃木、群馬県境の庶民の生活を詳細に描いたという点で、民俗学的にも貴重なものだろうと思った。

丸谷才一(毎日新聞書評より) 民俗学的な記録、住民の風俗の描写、動物たちの生態の思い出など、まことに楽しい。しかし最も印象的なのは、健気な女の子の母恋いの物語だ。

新しい「遠野物語」の誕生


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2011年9月13日 (火)

ネットラジオの録音フリーアプリ Radika

語学番組をどう録音すればいいのかと思い、検索をしたところ、

ネットビジネス研Q室 Vol.469.NHKネットラジオ「らじる★らじる」がパソコンで録音できる無料ソフト

という紹介記事を発見して、早速ダウンロードしてみた。

Windows7では、

起動するには以下の環境が必要です。
     Microsoft .NET Framework 3.5 Service Pack 1
        *.NET Framework4.0以降とは別に必要です。
     DirectX 9.0c

とのことで、DirectXは、Microsoftのサイトからダウンロードしなくてはならなかった。

これで、radika と らじる★らじる が統合された環境で、ひとつのアプリで利用でき、また、番組表を取得して、予約録音もできるようになった。


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2011年9月12日 (月)

宮部みゆき『小暮写眞館』

昨日の三浦しをん『小暮荘物語』とよく似た題名の宮部みゆきの『小暮写眞館』。

昨年読んだものだが、題名がよく似ているのに気がついたので、簡単な感想文。

美しい風景写真をカバーに使った分厚いハードカバーの長編小説で、これも妻が図書館から借りてきた。

宮部みゆきは、『火車』で感心し、『蒲生邸事件』でうなったが、『理由』では肥大気味な分量に少し退屈した。この分厚い『小暮写眞館』も作者の力技なのか飽きることはなかったが、内容が少し薄く、少々ぜい肉が多すぎるような印象が残った。

ネタばれ的なことを書くと、いわゆる現代の少々レトロな舞台設定での幽霊譚。宮部みゆきの作品リストでは、最近は江戸時代を舞台にした幽霊譚が見かけられるが、その一連の作品なのだろうか?

『火車』は、社会性もあり、初読時には心底面白く、知人にも押しつけるように貸したほどで、『蒲生邸事件』も少々甘さを感じたが分厚いストーリーを読むのが楽しかったものだったが、だんだんと自分とは相性が合わなくなってきたように感じる。

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2011年9月11日 (日)

ベートーヴェン 合唱幻想曲 ハ短調 作品80 ブレンデル、ハイティンク/LPO

第九交響曲の先駆的作品であり、「歓喜の主題」の先取りでもあるとされる「合唱幻想曲」ハ短調作品80を聴いた。

「幻想曲」(fantasia) というのは、自由な形式による楽曲という意味なのだが、日本語では(他の言語では分からないが)「幻想」という語感が強すぎて、「幻想」的と言われると、シュルレアリムス絵画で表現されているような現実離れをした、夢幻的な様子をつい連想してしまうきらいがある。

この曲は、以前聞いたことがあるはずだが、冒頭のピアノ独奏部は記憶に残っていなかった。しかし、歓喜の主題に似ていると言われるピアノとオケによる主部の長調の旋律や、合唱による旋律の部分はさすがに覚えていた。

このCDは、久しぶりにブックオフに立ち寄り250円/500円コーナーを眺めていて見つけたPHILIPSの名曲全集シリーズ(An Excellent Collection of Classical Music)のMP-139という型番のもので、ブレンデルのピアノ独奏、ハイティンクとロンドンフィル・合唱団(ジョン・オールディス合唱指導)の1970年代の録音のもの。メインは、「皇帝」協奏曲なのだが、その余白に合唱幻想曲がフィルアップされていたので、購入した。

ところで、このCDのブレンデルのピアノが実に美しい音に聞こえるのには驚かされた。1976、1977年のアナログ録音だが、まったくびりつきやひずみもなく、透明感があり煌めくような高音部や、ずっしりと迫力のある低音まで聴くことができ、何よりも音に芯と実在感があるのが好ましい。それに比べるとオーケストラの録音も悪くはないのだが、少し舞台奥の背景的に聞こえ、若干雰囲気的な音になっているのが惜しまれる。なお、最後に登場する合唱は、発声の息擦れの音も聞こえるほどでとても明瞭な音で録られている。

メインの「皇帝」だが、第一楽章冒頭のピアノのアイガング的な部分の解釈というか演奏スタイルが自分としてはとてもしっくり来た。慎重で学究的なイメージのブレンデルだが、この曲の外連み的なこの部分の効果を自然に迫力をもって弾き切っている。今から30年以上前の壮年期のブレンデルの充実がうかがわれる好演だと思った。しばらく聞かないでいたが、音を含めて自分はブレンデルのピアノが好きなようだ。(2008年5月31日 (土) ブレンデルのベートーヴェン『月光・悲愴・熱情』(1970年代録音)

探したら、「皇帝」「合唱幻想曲」の一枚を含む70年代のソナタと協奏曲の全集が昨年廉価ボックスとして発売されているようで、少々食指が伸びそうになっている。

Youtube
Beethoven.- Fantasie für Klavier, Chor und Orchester op 80.
Alfred Brendel : Klavier
Stuttgart Lehrergesangverein
Stuttgart Philharmonic Orchestra
Wilfried Boettcher: Dirigent

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2011年9月10日 (土)

三浦しをん 『小暮荘物語』

小暮荘の住人とその関係者の主に性的な人間関係というものを真正面から扱った連作小説。

ほのぼのとしたタイトルに加えて、この作者の爽やかな青春もの『風が強く吹いている』以外読んでいないので、その予備知識からして意外感をもった。

ただし、登場人物たちとその行動は「あまりに人間的」であり、「人間喜劇」的な連関性や滑稽味もあり、読後感は悪くなかった。

女性作家ながら、主要登場人物の並木(男性)の心情吐露には迫真性が感じられた。

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2011年9月 9日 (金)

『シューマンの指』 奥泉光(講談社)

本屋大賞の記事でも取り上げたが、昨年のシューマン生誕200年の記念年に発売された長編小説。

作者の奥泉光が、シューマンのピアノ協奏曲の回のN響アワーに登場して、シューマンのファンとして熱心に語っていたのを記憶しているが、その後に妻が図書館で借りてきて読んだ。アップが相当遅くなったが、一応自分なりの感想を残しておこうと思って粗雑ながらまとめてみた。

シューマンの音楽が結構好きで、このブログにもシューマンの音盤のことで好き勝手なことを書いているほどなので、このミステリー小説の登場人物が熱く語るシューマン論、作品分析などを読み、作者のシューマンに関する知識やシューマンへの愛情、情熱は本当に半端でないことはよく分かった。(先述の通りこの本も妻が図書館から借りたものなので、ピアノ好きとは言えあまりシューマンを聴いたことのない妻が、小説に出てくる曲を多数リクエストするので、CDを紹介したほど。ただし、「ダビッド同盟舞曲集」は楽譜はあるが、CDはなく、これまで「天使の主題による変奏曲」は聴いたことがなかった。)

クラウディオ・アラウによる Davidsbündlertänze, op. 6 (1 of 4)

2of 4 http://www.youtube.com/watch?v=bODj9ahlQeg&NR=1
3of 4 http://www.youtube.com/watch?v=-_F_S3IhiJM
4of 4 http://www.youtube.com/watch?v=ghtpG0cP4hY

グレゴリー・ソコロフによる Die Geistervariationen (Thema mit Variationen in Es-Dur für Klavier) WoO 24

ただ、音楽論の充実を別としてみたときに、小説の主要部の出来はどうなのだろうと思った作品だった。

登場人物たちのシューマン論は、内容が濃く、まとめて読み直してもよい部分が多くあったのだが、クリスティの「アクロイド」を二度と読む気がしないというほどではないのだが、小説のラストの構成が最後に読者を裏切るようなものになっているように感じた。衝撃的ではあるが裏切られたという感が深く、カタルシスが感じられなかった。シューマンの音楽にも紆余曲折は多いが、結末で裏切られることはない。奥泉光は十分意識的過ぎる小説家のようなので、当然読者のこのような反応を意図した結末なのだろうと思うが、それが棘となって、再び読みたいという気持ちをおこさせない。残念に思った。

恐らく、編集者と作家との間では、シューマンイヤーを前に、作家のシューマン熱を作品化しようとして話し合いがあったのではなかろうかと思うが、あんな禁じ手のような無理な結末を書くのなら、村上春樹が書いているような小説家のエッセイ、音楽論でもよかったのではなかろうか?

と、まあ、随分否定的な感想を書き付けたところで、他の読者にはどんなレビューがあるのだろうと検索してみたところ、 「アクロイド殺人事件」的な叙述トリック、信頼できない語り手についてもっとつっ込んだ分析をしているブログを見つけた。

http://railway.cocolog-nifty.com/hyogen/2011/04/post-8146.html

http://railway.cocolog-nifty.com/hyogen/2011/05/post-5716.html

続きの(2)の方を拝読すると、自分の読みが相当浅かったことを痛感させられた。ちょうど、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』を読んでから、その訳者による解題を読んだときのようだ。

このような精緻な読みこみを読ませてもらうと、シューマン論の面白さにかまけて、飛ばし読みをしてしまい、肝心の小説のストーリーや、細かい仕掛けを読み逃したようにも思える。読みながら、ときどき感じたちぐはぐな感じは作品のつじつまの合わなさではなく、意図的な仕掛けだったという可能性が多分にある。

確かにシューマンは、ピアニストを目指し挫折し、一方で文学青年で自ら批評の筆を揮い、もちろん旺盛な作曲家であり、また実演家(指揮者)でもあり、天才ピアニスト クララ・ヴィークの夫であり、ブラームスの師匠であるという多面的な活躍をなし、また、批評においては、この小説でも取り上げられた「ダヴィッド同盟」を紙上で組織してオイゼビウスとフロレスタンという対照的な人格を演じ分け(このような二重人格は意識的にせよ、無意識にせよ多くの作品に刻印がある)、さらには(当時のドイツ人の多くが罹患したと言われる梅毒:シューベルトもニーチェも罹患:の影響とも言われるが)精神疾患を患い、あのライン川への投身自殺を企て、最後は精神病院で息を引き取るという波乱に満ちた人生を送った。振幅の激しさにおいては、まさにロマン派の権化とも言うべき人だったようだ。

そのような多面的で、言うなれば少々アンバランスな音楽家、作品も霊感に満ちた即興性と同時に、職人的な技巧性・人工性を兼ね備えた不思議な魅力を湛えている、といった特質と、少々座りの悪いと感じたこの小説のちぐはぐな感じは、作家が意図的に関連性を持たせたのかもしれないという読みもできるのかもしれない。

テーマの変容が分かりやすい変奏曲とは違い、シューマンの秘密の暗号(動機)をちりばめたような連作的な音楽作りは、「謝肉祭」にしても「子どもの情景」にしても、楽譜を読み、アナリーゼをしてみれば、どこに動機が隠れているかがようやくわかるような曲作りをしがちだったシューマンであるから、「仕掛け」が(上記のサイトにあるように巧妙に)隠されたこの小説も、その意味ではシューマネスクな作品だと言えるのかもしれない。

今手元にはないが、もう一度読み返してみたいものだと思った。

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2011-09-08Twitterまとめ

  1. ロンドンオリンピック、女子サッカーアジア最終予選。オーストラリア対中国の一戦。オーストラリアが勝つか引き分けで、日本の予選突破が決まる。オーストラリアがようやく堅いゴールをこじ開けた。van Egmond という選手。ベートーヴェンのエグモント序曲のゆかり?

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2011年9月 8日 (木)

BBCドラマ "SHERLOCK" Episode 3 The Great Game

9/5の晩に見終えた。スリルに次ぐスリルで面白かった。3本ともジェットコースタームービー的な作りか。その意味では、原作の雰囲気を忠実に再現したとされるグラナダテレビシリーズとの違いは大きい。

さて、作品中にそのまま登場するので明確に分かるCanon(正典)といわれる原作(ブルースパーディントン設計書と海軍条約文書事件)のミックスした引用は少々あからさま過ぎて少々木に竹を接ぐという感じであまりフィットしていなかったように思えて残念だったが、さりげなく使われた「唇の捩れた男」(レンタカーの中で見つかった大量の血糊)はなかなかよかったように思えた。

また、冒頭のベラルーシのミンスクの事件は、原作ではただ事件名だけがほのめかされる「ウクライナのオデッサでのトレポフ殺人事件」のパスティーシュなのかとも思わされた。ただ、東欧つながりというだけなのだが。

五つの爆弾は、「オレンジの種五つ」だったのか!下記にあるように、"based on works of Sir Arthur Conan Doyle" とあり、さりげなくさまざまな原作を用いているようで、そのようななぞ探しも面白い。

フェルメールの絵画の贋作騒動についての設定には無理があるのではないかと感じた。贋作者は、わざわざそのような年代が後世であることを特定できるようなものを書き込む必要がなかっただろうし、ホームズがたったあれだけの証拠からそのものを特定できるというのも「論理の」飛躍のように思え、少々不自然だったように思えた。

今回は、第1期(Series 1)ということらしい。Episode 3の最後は、「主人公絶体絶命の窮地!次回を待て」(トーキー映画風の古い作劇技法で、クリフハンガーというようだ)で終わっている。

ウェブ情報では、すでに第2期の撮影は進んでいて、当初BBCでは2011年中の公開予定だったらしいが、残念なことに2012年に持ち越しという。ただし、日本語版の作成は、画面に浮かぶ文字などの翻訳も必要なので、結構時間がかかるらしい(NHK)ので、本国で公開されてから1年後くらいだろうか?

http://cultfix.co.uk/sherlock-series-2-filming-begins-13018.htm によると、第2期のタイトルは決定しており、

1. A Scandal In Belgravia

2. The Hounds Of Baskerville

3. The Reichenbach Fall

とのこと。1は、ボヘミアのスキャンダル のパロディだろう。Belgravia は地名のようで、Wikipedia ではいつくか候補がある。3はThe Final Problemでのモリアーティとの対決場所の地名なので、「いったん」ここでシリーズは終結するということなのだろう。

問題は、2で、原作では "The Hound of the Baskervilles" であり、「バスカービルという一族の(所有する一頭の)猟犬」の物語だが、ドラマでは微妙にひねって The Hounds Of Baskerville (正確なニュアンスではないかも知れないが)「バスカービル(という土地)生まれの(複数の)猟犬 」ということなのだろうか?

第一期のちょっとした復習。

Sherlock [Episode 1] : A Study in Pink / directed by Paul McGulgan, written by Steven Moffat, based on works of Sir Arthur Conan Doyle.

題 名は、A Study in Scarlet(緋色の研究)のパロディ。Pinkは、以前「なでしこ」の記事で書いたことがあるが、なでしこ属の植物の総称でもあり、「桃色,ピンク。 日本語の「ピンク映画」などにみられるような'erotic'という意味はない」(プログレッシブ英和中辞典  第3版  小学館 1980,1987,1998)ようだ。実際にドラマの内容的にもそのような雰囲気は無かった。昨日から2回目の観賞に入っているが、じっくり見ると日本語でも会話についていけないときがあるのに気付く。頭の回転が悪いようだ。

Sherlock [Episode 2] : The Blind Banker / directed by Euros Lyn, written by Steve Thompson, based on works of Sir Arthur Conan Doyle.

タ イトルは、パロディではないようだが、日本語直訳では「目の不自由な銀行家」となるが、NHK版は「死を呼ぶ暗号」としていた。これは、暗号モノだったの で、The Adventure of the Dancing Men (踊る人形)を連想したが、The Adventure of the Creeping Man(這う男)の要素もあったかも知れない。中国の幇(結社)が関係する事件で、イギリスと中国の過去の歴史を思うと少々複雑な感じも覚える回だった。それと、ホームズか誰かが言っていた「中国人は、簡単に出国できない」という指摘は、2010年現在でも通用するものだったろうか?イギリス側が入国ビザを簡単に発行しないのでは?

Sherlock [Episode 3] : The Great Game / directed by Paul McGulgan, written by Mark Gatiss, based on works of Sir Arthur Conan Doyle.

参考: シャーロック・ホームズの世界 というサイトを見つけた。日本シャーロック・ホームズ・クラブ(JSHC)が運営しているものらしい。

また、Episode 1の「緑のはしご」を検索していたところ、今回のドラマに関する 「21世紀探偵」というブログも見つけた。「現代版シャーロック・ホームズのドラマ「SHERLOCK」と原作の比較」という副題が付けられていて、内容もディープだ。

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2011年9月 7日 (水)

PCセキュリティソフトのランニングコスト

今年6月に格安で新調したパソコンだが、付属していたネットセキュリティソフトMcAfee PC SecurityCenter 2011の3カ月の無料試用期間がそろそろ終了するというメッセージが出た。

そのメッセージに従ってそのまま有償で更新しようかと思ったが、割引でも1年で6,300円も掛るという。

そのサイトからはすぐに行けなかったのだが(この辺り、工夫しているようだ?)、回り道をしてマカフィーのトップページから製品サイトを見つけ、セキュリティソフトを眺めてみた。

いくつか機能のランクがあるようで、付属していたものは最高レベルのサービス内容のようだ。そこで、リストで比較したところ、手ごろなランクのセキュリティで、McAfee PC SecurityCenter 2011というのがあるのが分かった。これは3台までインストール可能で(上記のプレインストール版を継続使用するのは1台のみ)、かつ9月現在の今は、なんと割引40%で複数年契約ができるという。まさに渡りに舟で、3年契約を申し込んで、大幅にランニングコストを下げることができた。(ただ、それでも、1年3,000円弱。)

PC本体が格安なので、ランニングコスト率は結構高いものになる。ただ、まだ一応使える先代のhpのPCにもマカフィーを入れていて、それがずっと1年更新になっているので、今度は、そちらの自動更新を停止し、今回の3台までインストール可能のソフトを2台目として適用することで、ランニングコストはこれまでより大幅に廉くなる計算だ。

インストールは、現在入っているMcAfee PC SecurityCenter 2011をアンインストールして、ダウンロードしたMcAfee PC SecurityCenter 2011を入れるという手順。

なお、インストール後、ネット上のストレージサービス(1GB)を使ってみようかと、操作手順に従って導入してみたが、これが相当負荷がかかるし、1GBではまったく容量が不足し、つい、有料の無制限容量を導入したくなる仕組みになっているようだ。また、これを操作しているうちに、なぜかPCの画面の解像度が勝手に変わってしまうという変な現象が起き、元に戻すのに苦労した。また、このストーレージサービスは、更新を停止はできるが、このサービスだけをアンインストールすることはできないようだ。

不具合が続くようなら、契約期間中は、セキュリティソフトのインストールを3台までは再インストール可能なようなので、このストレージサービスいったんアンインストールして、ストレージサービスを初期状態に戻してから、再インストールしてみようかと思っている。

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2011年9月 5日 (月)

BBCドラマ "SHERLOCK" 3回シリーズの1~2を見終えたが面白かった

NHK BSプレミアムで8/22から8/24に連続放映されたBBCドラマ "SHERLOCK" 1~3 のうち、1と2を見終えたが、面白かった。リアルタイム視聴ではなく、昨日まで連日放送された世界陸上2011韓国テグの競技の合間、録画しておいたものをそれほど期待せずに見たのだが、よい方向に予想を裏切られた。

イギリスのホームズのテレビシリーズと言えば、グラナダテレビのジェレミー・ブレット主演のものがあまりに有名で廉価なDVDでも入手できるようになっている(ただしドイルの原作に完璧に忠実ではない)が、今回のBBCドラマは、現代ロンドンを舞台として現代人として活躍するホームズとワトソンという趣向。

そういえば昨年だったか、映画版のホームズが公開され、設定的にホームズとワトソンが同性愛的な関係であることがほのめかされ議論になったそうだが、今回のテレビシリーズは、それをあてこするかのように、周囲からそのような傾向についての疑念が彼らに表明され、ホームズからもワトソンからもそれがそれぞれ明瞭に否定されていたのも面白かった。ワトソンは、早速パートナーを見つけたようだし。

たった3回シリーズでは失敗作では?という疑念も、各回が90分という映画にも比すべき長さなので、凝ったストーリーが十分に堪能できることで解消される。脚本は、原作の非常に巧妙なパロディ&スティーシュのようで、主要登場人物も現代化された形で登場したり、その存在が台詞として明らかにされたりする。

現代生活に不可欠なさまざまな道具を自然に使い、彼らの職業もまったく現代に溶け込んでいるし、映画「マトリックス」を彷彿とさせる映像効果(頭脳の働きの可視化)も面白い。また現代では犯罪となるようなホームズの例の悪癖も巧みに現代化されている。

ただ、不満な点はある。初回放映は、いつものNHKBS契約拡大戦略のためだろう(きっと)、BSのみだった。これは地上波でも是非再放送をすべきであろう。有料のNHKオンデマンドで見ることもできるが、BSで放送して好評ならば、すぐに地上波でも放映しなければならないはずだ。それが恐らくBBCから、「契約者の皆さんの受信料」を資金として大枚をはたいて買った公共放送NHKの受信契約者への責務だと思うがゆえに。

さて、これから3を見ることにしよう。

なお、1から3は2010年シリーズであり、現在2012年放送予定のシリーズが撮影中のようで、(Wikipedia 英語版)期待大だ。

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2011年9月 3日 (土)

NHKラジオ放送のインターネット化 らじる★らじる

たまたまラジオを聴いていたら、この9月1日からNHKラジオのインターネット配信が開始されたとのことで、今日検索してみたら上記の「らじる★らじる」というサイトが見つかった。

鉄筋コンクリート住宅では雑音の入らないステレオ受信ができず最近では聴く機会もめったになくなっていたFM放送も、それなりにPCのステレオスピーカーを通して聴けるようになっている。

2010年7月 3日 (土) radiko.jp というインターネットラジオというネット放送は、民放系では始まっていたが、NHKではようやくといった感じだ。

英語などの語学放送は重宝するかもしれない。

それにしても らじる★らじる とは 変わった名前だ。

以前のradikoで使えていたアドオンは、使えなくなっているようだが、radikoもらじる★らじる も使えるアドオンがあればネットラジオを聴く機会も増えるだろう。

 

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2011年9月 1日 (木)

モーツァルト ミサ曲全集 ペーター・ノイマン&コレギウム・カルトゥジアヌム、ケルン室内合唱団

R0011700 EMIから出ていた選集を買い逃していて、残念に思っていたペーター・ノイマンのモーツァルトのミサ曲集が10枚組の廉価BOXで8/29再発されるということを知り、HMVに予約を入れていたところ、8/30に早速配達された。

1990年代にピリオドアプローチで録音されたもので、コーラスの水準が非常に高いという評判だったのでぜひ一度聴いてみたかったのだ。

すでにモーツァルトの宗教曲集は、PHILIPS/小学館の全集で主にヘルベルト・ケーゲルが指揮したものを聴いており、初期のミサ曲のうち特に孤児院ミサ曲ハ短調の素晴らしさに驚かされ、ヴェスペレや、ベートーヴェンの第九のメロディーを先取りしたかのようなオッフェルトリウム「ミゼリコルディアス・ドミニ」ニ短調K.222(205a)などを楽しんだが、実家においてあるので、なかなか聴ける機会がないままだ。また、白水社の文庫クセジュのカルル(シャルル?)・ド・ニの「モーツァルトの宗教音楽」も確か実家に置きっぱなしだ。

今回、改めて孤児院ミサ曲や、未完のハ短調の大ミサ、レクィエム、戴冠式ミサなど有名曲をざっと聴いてみた。ソロ歌手で知っている人は、テナーのプレガルディエンや、カウンター・テナーのマイケル・チャンス程度。コーラスはすっきりとしているが、ハ短調大ミサのッソプラノソロの歌手の声質は必ずしもそれに合っているとは言えない人もいるようだ。

ピリオドアプローチで、孤児院ミサ曲では、ところどころ個性的な管楽器の音色に驚かされたりもしたが、どれも非常にすっきりした解釈と音響で聴けるものだった。特に初期のミサ曲の演奏がよいようだ。CD1のK.49(47d)の冒頭のKyrie を聴くと一気にモーツァルトの天才と、この演奏の質の高さに引き込まれてしまう。

ところで、この録音もよく、質の高い演奏のCDを聴いて改めて思ったことなのだが、モーツァルトのミサ曲は、レクィエムを除いては一般的に音響分布的には少々ハイ上がりなのだろうか?これは、LP時代の少々録音がこもりがちなコリン・デイヴィスの「戴冠ミサ曲」を聴いて以来感じているのだが、もう少し低音をしっかり響かせた方が、上滑りしたような音楽に聞こえることなく、音響的に落ち着くように感じるのだが。低音不足はケーゲルでも感じたし、ガーディナーでも感じた。しかしレクィエムは、ベームもカラヤンもこのノイマンも低音の不足感は無かったけれど。

今回の、ノイマンも全体的に低音はあまり強調せず、ゆえに繊細な感じなのだが、曲が少々軽やかに感じすぎ、特に中期のケッヘル300番台では、その点を改めて意識したせいか、以前には思わなかった作品の世俗的な美しさに傾いた性格(つとに宗教曲としては「美しすぎる」と批判されていた)を感じさせるのかも知れないと思ったりもした。

今、K.192(186f)のヘ長調のミサ・ブレヴィスを聴いているが、クレドのテーマ(モチーフ)が、モーツァルトが好み(ハイドンのいくつかの交響曲にも出てくるので何か当時の時代の暗号的な象徴なのかもしれないという想像もできるが)、晩年の交響曲第41番の第四楽章にも使った「ジュピター音型」が使われていた。この記憶力がいい作曲家が、あえて何度も使ったテーマ(モチーフ)は、潜在意識や本能的なものとしてやはり重要なものなのだろう。

それにしても、ザルツブルクの少年音楽家時代のケッヘル100番以前、100番台の同じラテン語のテキストに付けた多くのミサ曲を続けて聴いてみても、それぞれ工夫が凝らされており、同工異曲と言えばそうなのだが、それぞれ独創的な作品に仕上がっており、やはりすごいものだと思われる。

なお、ミサ曲は、全集だが、アインシュタインが絶賛した有名な2曲のヴェスペレは、このシリーズには収録されておらず、K.339が別レーベルで録音されているようだ。
http://ginjatei.blog27.fc2.com/blog-entry-11.html

ミサ曲全集を作っただけでも素晴らしいが、このレベルで他の多くの宗教曲も録音してくれたらと思うのは、少々欲張りだろうか?

痛風は、左足にうつって2週間ほど経つが、いったん痛みが治まったあとのぶり返しが来ている。なかなか以前の生活に戻れないでいる。

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