生演奏による記憶喚起効果のようなもの
先日聴いた生演奏で、ブラームスの第1交響曲やラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のように隅々まで知っているような「気になっていた」なじみの名曲に、再び興味が湧いてきたような気がする。
頻繁に生演奏を聞くようになればどうなのか分からないが、生の演奏には音の缶詰とは違う何かがあるのかも知れない。
生演奏に集中するといっても、ときどき集中が途切れ、想念が別の方向に泳ぎだしてしまうような一瞬があるのだが、それでも耳と目から入ってくる情報量の多さは、オーディオ・ヴィデオの再生装置からのものとは格段の違いがあるのではなかろうか?
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コメント
たしかに、あると思います。生身の演奏家が一心不乱に演奏している場に立ち会っているという臨場感や、視覚を通じた楽器間の受け渡しの認識などの音楽に対する理解の深まり、聴衆との一体感による気分的な高揚などですね。
一方で、繰り返し何度でも楽しめるだけでなく、冷静に確かめるように聴くこともできるという、録音のメリットも感じます。
聴き飽きたように思えた音楽も、尽きない魅力があるのですから、やっぱり名曲なのだろうな、と感じます。
投稿: narkejp | 2012年3月 2日 (金) 07:01
narkejpさん、コメントありがとうございます。先日記事にしたコンサートは久しぶりの生演奏だったのですが、日常生活の中で音楽を「ながら」聴きするのとは、自分の集中度が違いました。ときおり生の演奏で音楽を聴くのはいいものですね。
投稿: 望 岳人 | 2012年3月 2日 (金) 22:59