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2012年5月の33件の記事

2012年5月31日 (木)

吉田秀和『永遠の故郷 夕映』(集英社) 2011年1月10日第1版

日曜日に吉田秀和氏の訃報に接し、月曜日に河出文庫から出ている『フルトヴェングラー』を購入した。そこに集められた文章は、過去に発表されたもので、すでに読んだ記憶のあるものが多かったが、まとめて読んでみるだけの価値はあった。故丸山眞男氏との対談は、岩波新書の『フルトヴェングラー』所収のものと同じだったろうか?

さて、火曜日には、読みたいと思っていた『永遠の故郷』四部作の内の最終巻が書店にあったので購入した。最後のまとまった書籍として、歌曲が取り上げられ、その最後は、シューベルトの『菩提樹』だった。2010年11月5日付のあとがきの最後に編集者や世話になった人たちに向けてだが、「皆さん、これからもお元気で」と書かれているのがふと目に入った。

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この本の発刊の後の3月11日に大震災と大津波があり、それによって今も続く原子力災害が発生したのだった。朝日新聞の『音楽展望』は、奥様の死からの執筆意欲の復活の後、季節ごとに発表されていたのだが、それが途絶えたのは、この大震災とそれに続く原子力災害の甚大な被害の後でどのように読者に音楽の話題を届けられるかという気持ちからだったと聞く。『永遠の故郷』の最終巻は、当時96歳の人の手とは信じられないほど筆致も流麗であり、論旨も明晰で、取り上げた独仏英の歌曲を自ら訳し(蓮の花の「月の情人(いろ)という俗語は何と刺激的なことか!)、楽譜を手書きした丁寧な仕事でもあった。四部作というと、ヴァーグナーの指環楽劇四部作を想い起させられるようだった。

音楽を聴いて、音楽と詩とさまざまなことを題材に、これだけ豊富な文章を綴れる人はもうこの世を去ってしまったのだ。

火曜日の朝日の夕刊には、丸谷才一氏がこれ以上ないほどの最大限の追悼文を寄せていた。評論家としての文筆活動と並んで、実践家としての面、演奏家の早期教育、現代の作曲家たちの後援などを高く評価したものだった。

一ディレッタントの自分にも、音楽を聴き、愉しみ、それにとどまらず、自己満足ではあるが、それを文章化するというたのしみを教えてくれた。命日の5月22日は、リヒャルト・ヴァーグナーの誕生日(1813年)であり、ジュゼッペ・ヴェルディのレクィエムの初演日(1874年)でもあった。冥福を祈りたい。

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2012年5月30日 (水)

保元の乱の大義名分はどこにあったのだろうか?

5/27(日)の大河ドラマ『平清盛』に関連して、今回はドラマの脚本や演技ということよりも、平安時代の死刑をも忌み嫌った支配者層が、どのような大義名分を以て、武力抗争にまでいたったのだろうか、と疑問に思った。朱子学的な「大義名分論」はもちろん当時行われなかっただろうが、それに代わるような、自己の権威、権力の正当化の契機を、それぞれの陣営がどこに見出し、アピールしたのだろうか。いわゆる武力行使の正当化はどのようにして行われたのだろうか?

この乱により、いわゆる武者(むさ)の時代が幕開けになったのだから、おそらくそのような論考は出ているのだとは思うが、結構気になる。

日本の歴史で支配者層が武力で争った例としては、これ以前の飛鳥・奈良時代には天皇家や貴族層の勢力争いが武力によって決着を見た壬申の乱、薬子の乱、それより以前の大化の改新のクーデタ、それ以前の聖徳太子の若い頃の蘇我氏と物部氏の抗争(戦争)など、政治の中枢の支配権の争いが武力に頼ったことはそれなりにあった。しかし、そのような軋轢の解決方法を少なくとも支配者層においては、平安貴族たちは、保元の乱に至るまでは採用しなかったのではなかったか?

平氏、源氏が院政や摂関家に深く食い込んで、朝廷内での地位を高めていったのは、今回の清盛の父平忠盛でよく描かれてはいたが、それ以前にも八幡太郎義家や、さらにそれ以前の坂上田村麻呂もそれなりの地位にまで上ったのではなかったろうか?それでも、武力が直接政権奪取には使われなかったようだ。

古代の貴族政を脱して、中世の幕を開いた保元の乱ということが言えるのだろうが、このドラマでも描かれている、平氏による日宋貿易や、関東武士団による荒蕪地の開墾などによる農業生産力の上昇など武士団の経済的な上昇がその背景にあり、それに頼らざるを得なくなった堂上貴族たちが、その抗争にその力を用いたのだろう。

上皇とその弟の天皇の争い、藤原摂関家の関白と氏の長者である左大臣の争いを武力で決着しようと決断したのは誰なのだろうか?

参考になりそうなこのようなサイトを見つけた。保元から壇ノ浦まで

R0011600_2 (東京国立博物館 平治物語絵巻 六波羅行幸より)

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2012年5月29日 (火)

モスキート音(高音域)の聞こえ方 簡易テストのページ

歌心のないドグマの響き - Wein, Weib und Gesang のリンクから

考える葦笛 : 音楽家の方はぜひお試しを!を読み、そこからのリンクで

モスキート音のテスト視聴で(耳の)年齢チェック - 分類不定気味な日報を見つけ、試してみた。

実年齢よりも一世代低年齢の音(より高い音)を聞くことができたが、さらにそれよりも一世代若い人向けの音は聞くことができなかった。

朝起きてきたティーンエージャーの子どもに聞かせてみたらその年代向けの音が聞こえないようなので、PCのスピーカー自体の再生周波数に影響されるかもしれないとは思う。

帰宅後、再度20-20,000Hzの再生帯域のイアフォンで聞かせてみたところ、実年齢の一つ上の年代のところまでは聞こえたと言っていた。どうやらノートPCのスピーカーの帯域は狭いようだ。

この関係で、検索してみたところ、

可聴周波数域チェッカ http://masudayoshihiro.jp/software/mamimi.php

というダウンロードして使用するフリーソフトを見つけた。人気のあるソフトのようで、相当詳細に可聴範囲が測定できるようになっている。

この結果はモスキート音テストのものとあまり大差はなかった。

SACDは、滑らかさや自然さ、聴き疲れの無さといった特徴はあるようだが、こと高音域に関しては自分にとっては無用の長物かもしれない?

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クレンペラーのモーツァルト 交響曲 第38番、第39番

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聴く機会のなかったクレンペラーの録音を初めて聴くたびに驚かされてきた。ブラームスの第1やベートーヴェンの「田園」については、このブログに書いては来たが、改めて不明を恥じたいほどだ。

今回SACD用のリマスタリング盤として再発され、非常に廉価で入手できたクレンペラーとフィルハーモニア管とのモーツァルトの後期交響曲集(第35番から第41番)も、半可通の自分などは、時折誉める人はいるということは知りつつも、クレンペラーの音楽のイメージとモーツァルトとは合わないということで、これまで敬遠しがちだったものだ。

フィルハーモニア管は、ヴァイオリンを左と右に両翼配置で並べ、古典派が想定した通りの第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの掛け合いがくっきりと聞き取れる面白さに加えて、これはクレンペラーの趣味(解釈)なのかプロデューサーのレッグの趣味なのかわからないが、木管楽器群が音量バランス的に大き目に中央に浮かび上がり、音響的な明るさと明晰さをもたらしてくれるのはブラームスやベートーヴェンの録音で感じたのと同じだ。しかし、金管とティンパニのコンビを鳴らし過ぎないので、フォルテでも威圧感が少なく、風通しのよい軽やかさが音響的にも達成されているように感じる。

先入観的にしみついてしまっているテンポの問題も、物理的な遅さもなく、リズム的な重苦しさや野暮ったさも感じられない。

先日、パイヤールとイギリス室内管の録音も楽しんだばかりで、その流麗な演奏はとても品よく安心して作品そのものを聴けるように感じるものだったが、指揮者や作品の表現意欲を強く感じるものではなかった。その点、クレンペラーの録音は、クレンペラーでなければできない個性や作品が訴えかけようとするものが感じられた。上手く文字にすることはできないが。簡単にメモを。

第38番「プラハ」。ブッファ的な興奮を伴った対位法的な書法が目立つ曲だが、クレンペラー的な細部までの克明さにより、彫りの深い印象をもたらす。疾走感も感じられる。

第39番は、最近聞いたパイヤールの録音が美しく聞こえる不協和音を伴う序奏の演奏が印象にあるのだが、クレンペラーの演奏は、大きさと広がりを感じさながら、細部のニュアンスにも欠けていない絶妙なバランスを達成しているように感じる。ヴァイオリン群の輝かしさや冴えも特筆すべきだと思う。第2楽章は少々ゆったりしている。有名なメヌエットはうるさい音響になる演奏もあるが、表情に愛きょうがあり優雅さを感じる。ただ、フィナーレは、無窮動的な流動性よりもきっちりとした形式感を前面に出した演奏で、少々違和感を感じた。とはいえ、とても聴きごたえのある素晴らしい演奏だ。

LP時代や以前のCDの音質は知らないが、このハイブリッド盤のCDレイヤーの音質はとても聴きやすい。EMIでもクレンペラーの録音の音質は概してよいものが多いようだ。

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2012年5月28日 (月)

ブログのバックアップ

自分のこのブログも廉いながらも有料ブログであり、一応無料ブログにバックアップをするようにしているが、2008年にバックアップしたままになっていたのを思いついて、追加バックアップしてみようとしたら結構手こずった。どうやらアップロード容量に制限があるようで、ココログでは写真と同じく1MBが限度のようだと気づき、バックアップログのテキストファイルを年毎、それでも足りないものは期毎に分割してアップロードしたら読み込んでくれた。

ココログには愛着はあるが、少々扱い難いところがあり、最近よく見かける軽快そうなfc2というブログを使ってみることにした。さすがに9MBにも及ぶログの読み込みは一回ではできなかったが、1MBを超えても読み込んでくれるようだ。また、詳細カスタマイズ設定もココログよりも豊富であり、シンプルで操作も軽いので、結構使える感じがする。

miscellaneous records or magic harp

Photo_2
 

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2012年5月27日 (日)

ノリントン NHK交響楽団の『英雄』(2012年4月定期)は 倍管!

先日FM放送で生放送をやっていて録音したロジャー・ノリントンとN響の『英雄』交響曲だが、らららクラシックを見ていた長男が「あれ、倍管だよ!」というので、確認したら、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットは、各4名ずつではないか。

昔のカラヤン=倍管というイメージだったのだが、ピリオド奏法の先駆者もNHKホールの音響には妥協せざるを得なかったということなのだろうか?

対抗配置で、コントラバスを最後列にずらっと並べ、その後ろに反響板を並べての演奏。

スタイルはノンビブラート奏法で、ゲストのティンパニストが説明していたが、事前に小型のティンパニを用意していて、木製のマレットで叩くその響きを「軍楽隊のようだ」とノリントンが気に入って選んだのだというエピソードが語られていた。

ただ、倍管とピリオドのイメージが結びつかないので、ちょっと驚いてしまった。

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吉田秀和氏 逝去

ニュースによると吉田秀和さんがこの5月22日に亡くなったそうだ。98歳だった。ご冥福を祈りたい。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120527/t10015405321000.html

おこがましく思われようが、吉田秀和さんの音楽評論には私淑しており、お元気な長寿を保たれていたので、大変ショックだ。

鎌倉の街を時折散歩されていたとのことで、こちらに引っ越してきてから、鎌倉に遊びに行くたびに、もしかしたら姿を見かけられるかも知れないなどと、ミーハー的に思ったりもしていた。

先の「レコード芸術」の連載記事を走り読みしたのと、最近になってNHKFMの「名曲の楽しみ」を再び聞き始めてラフマニノフを扱った「名曲の楽しみ 吉田秀和です」を愉しみに聞き始めていた。5月26日の放送は、シューベルトだった。

朝日新聞の季刊になった音楽展望も読めなくなって久しかったのだが、この放送の言葉が思いのほかお元気だったので、よけい驚いている。

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追記:NHK-FM BLOG 情報

「名曲のたのしみ」の放送について:年内いっぱい放送

テレビ特別番組:『吉田秀和さんをしのんで』(仮題) Eテレ 6月2日(土)前0:00~1:45(1日(金)深夜)

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関連する自己記事:

自分のブログを改めて検索してみると、「吉田秀和さんがこう書いていた」「こう言っていた」等の記事が相当多い。その中から関連記事を選んでみた。

2012年4月 7日 (土) 吉田秀和 名曲のたのしみ

2009年6月13日 (土) グルダのモーツァルト ピアノ・ソナタ集K.331, K.333, K.545 & K.485 (amadeo盤) 

2008年7月23日 (水) 吉田秀和 季刊『音楽展望』 ブレンデルの引退

2008年2月 5日 (火) ヤナーチェク 歌劇『利口な女狐の物語』マッケラス/VPO、ルチア・ポップ、他

2007年7月 3日 (火) 7/1 ETV特集で吉田秀和氏が取り上げられた

2006年10月27日 (金) 吉田秀和氏(93)に文化勲章

2006年4月 5日 (水) 吉田秀和氏 復帰 「レコード芸術」で

2006年1月26日 (木) 井上太郎「モーツァルトと日本人」

2005年10月18日 (火) 私の座右の書 吉田秀和「世界の指揮者」など

2005年2月 8日 (火) 世界の指揮者 世界のピアニストなど

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2012年5月26日 (土)

万城目学 『プリンセス・トヨトミ』

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2011年の春、書店の店頭に平積みになった文庫を見て、面白うそうだと思い購入した。映画化とタイアップしての文庫化だったようだ。

この万城目学という作家の本を読むのは初めてだったが、京都大学出身で、『鴨川モルホー』とかいう奇妙な題名の小説で有名になったことは知っていた。その後、テレビドラマで綾瀬はるかと玉木宏が主演で、多部未華子と児玉清が重要人物で出演していた『鹿男あをによし』というのを数年前に面白く見た。

今回の小説『プリンセス・トヨトミ』は、冒頭を読んでみたところ、結構壮大な構想のものかと期待して読み進めた。途中までは確かに面白かった。ただ、次第に尻すぼみになっていく感があり、残念だった。

つい最近テレビで映画化されたものが放送されたが、主要登場人物の性別が変更されており、違和感があった(前述のドラマでも同じような脚色があったらしい)。今回の映画化では、小説の登場人物に適したキャスティングができなかったのかも知れないが、いわゆるよく最近使われる言葉でいうと作家の「世界観」と食い違いがあるやに思えた。この映画を見て、小説をパラパラと読み直してみたが、特にエンディングの部分のどんでんがえしの趣向が失われてしまってもいた。

なにはのことはゆめのまたゆめ、なのだから、これでいいのかもしれないが、ちょっと食い足りなかった。

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2012年5月25日 (金)

Hybrid SACD盤を購入

以前、2005年2月24日 (木) バルトークとiPodとSACDでちょっと言及し、その後 2009年11月18日 (水)ブルックナー 交響曲第0番 下野竜也指揮大阪フィル 2005年 でSACDとCDのHybrid盤を購入したが、それ以外はまったくSACDとは縁がなかった。狭い集合住宅で、大型スピーカーから音を鳴らして鑑賞するというのは、周囲の環境もあり当分実現しそうもなく、古いアンプはいまだにつないでいないほどなので(少々自嘲気味)。

ところが、最近Googleのリーダーで、あまり訪れていなかったブログを読ませてもらったところ、EMIジャパンがフルトヴェングラーのSACD(そのおこぼれのCDセットボックスを昨年入手した)に続いて、過去の名盤のリマスタリングをSACDにして発売を始めたという。さらに、同じSACDを輸入盤が Signature Collection というブックレット型のジャケットの組み物として、日本盤の数分の1の値段で販売をし始めたというではないか。(日本盤は1枚3,000円、輸入盤シリーズは、2枚組が1,450円、3枚組が1,950円ほど)

その中に含まれていたのが、以前からその音質が悩みだった、「オイストラフとセル/クリーヴランド管のブラームスのヴァイオリン協奏曲」。今回のシリーズはこれに、ブラームスのドッペルコンツェルト(オイストラフ、ロストロポーヴィチ、セル/CLO)、ベートーヴェンの三重協奏曲(リヒテル、オイストラフ、ロストロポーヴィチ、カラヤン/BPO)が組み合わされている。三重協奏曲の方はそれほど音質的には不満は無かったのだが、ドッペルの方もヴァイオリン響ほどひどくはないものの音が割れる傾向があった。

2011年10月 3日 (月) 以前音質的に不満だった音源を聴きなおしてみて(1)管弦楽, 協奏曲(EMI セル)編

2009年2月 5日 (木) ベートーヴェン ヴァイオリン、チェロ、ピアノと管弦楽のための協奏曲 ハ長調 作品56

今回のリマスタリングをSACDで聞けば、相当その不満が解消されているという期待がある。これまで重複買いをできるだけ避けてきたのだが、このシリーズでぜひ聞いてみたいものもあったので、まとめ買いをした。

モーツァルト 後期交響曲集 クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団 3枚組
ブルックナー 交響曲第8番、第9番 シューリヒト/ウィーン・フィル 2枚組
(届いたディスクが下の写真。左からブルックナー、モーツァルト、ベートーヴェン&ブラームス)

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今の環境では、CDレイヤーの部分しか聞けないが、それでもマスターテープからのマスタリングの効果はわかるだろうと期待している。届いたら、じっくり聞きたい。

参考:おやぢの部屋2(ブログ)

EMIジャパンのSACD((公式サイト)

EMI SIGNATURE SERIES (HMVサイト)

なお、ディスクがプラスチックケースや不織布のバッグに入っていないのを心配する向きもあるようだが、下の写真のように確かにむき出しで、紙製のケースに入っている。ただ、信号面の強度は強いはずで、この紙の程度の硬さではディスク信号面に傷がつくことは、あまりないだろうが、他の汚れなども考えて不織布に入れておけば間違いないと思う。

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2012年5月24日 (木)

池田清彦『新しい生物学の教科書』(新潮文庫)と福岡伸一『生物と無生物の間』(講談社現代新書)

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池田清彦『新しい生物学の教科書』(新潮文庫)は、2010年7月に苦労して読了した。こちらは、読者に対して高校卒業程度の生物科目の知識を求めるもので、盛りだくさんの上、記述も堅苦しく、ところどころ挟まるエッセイ的な検定教科書批判はわかったような分からなかったようなものでありつつある程度の面白さはあったが、肝心の記述は教科書的に読みにくいものだった。この本を読んで理解するためには、参考書・解説書の類が必要なくらいだと思った。

これに比べたら、ブルーバックスで出されているアメリカの生物学の教科書(カラー図解 アメリカ版 大学生物学の教科書 第1巻 細胞生物学 )のようなものの方が、一般読者にとって有益だろう。

福岡伸一『生物と無生物の間』(講談社現代新書)は、最近購入して一日もかからずに読了した。こちらは大ベストセラーでロングセラーになるだけあり、私のような一般読者にとって読みやすい。野口英世のエピソードと現代の公平な評価については、この本が種本だったのか、どこかで読んだり聞いたりしたことがあったが、もの悲しささえ覚える偉人伝となっていた。

この福岡伸一氏は、最近銀座のフェルメールセンターを立ち上げたり、その関連テレビ番組に出演したりしているが、ボストンのハーバード大学でポスドクとして研究に従事していたときに、いつか見ようと思っていたボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館所蔵のフェルメールの『合奏』が強盗にあって見れなくなったことも書かれており、現在のフェルメール熱もポーズではないようだとも思ったりした。ニューヨークの通奏低音のエピソードなど、非常にエッセイとしても気が利いており、なるほどこれほど堅苦しそうな題名なのにベストセラーになったのも無理からぬとも思った。

以前利根川進と立花隆の「精神と物質―分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか」をハードカバーで購入して読んだときに、インタビューながらさすがに難解だったので、その先入観があって、この『生物と無生物の間』は手に取らなかったのだが、それはあまりにも杞憂だった。

ワトソン・クリックの先駆者や、縁の下の力持ちとして知られずにいる女性科学者の話など、第一線の遺伝生物学研究にいる学者による現代生物学史として、とてもためになる本でもある。

この本によるとハーバードでの最後の研究は、福岡氏の生物への認識を深めたものの、「研究としては」成果が上がらなかった(ように思える)のだが、その代わりに、生命というものへの認識を素人にもわかりやすく教えてくれるこのような好著が生まれたのは僥倖であろう。エピローグの少年時代のとかげの卵のエピソードには感動させられた。

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2012年5月23日 (水)

5月20日 『平清盛』 平忠正の離反

2012年5月14日 (月) 5月13日の大河ドラマ『平清盛』はよく分からなかったと書いた翌週の『平清盛』だが、今度は保元の乱の前夜。

私が以前読んだ本では、源氏側は、当時の棟梁である源為義とその息子たちのグループと、為義の後継者とされていた源義朝のグループが大きく分裂して戦い、勝者の義朝が乱の後に父や兄弟の助命を願ったが許されなかったことで知られるが、一方平氏側でも、清盛の叔父(忠盛の弟)の忠正が、崇徳上皇・悪左府藤原頼長側について、清盛側とは離反して戦い、清盛は仲の良くなかった叔父の助命を行わなかったと書かれていた。

源氏にしても平氏にしても、その内紛・対立には単に人間関係がよい悪いとかの理由ではなく、領地や相続権、朝廷からの任官問題など現代にも通じる政治・経済の問題での対立がその背景にあって、後白河天皇、崇徳上皇の対立にそれぞれに与したということなのだが、ドラマではそのあたりをどのように描くかを注目していた。

前回の清盛の後白河上皇側への味方の経緯の描き方はあまりにもご都合主義的だと批判的に書いたが、今回の忠正の離反・裏切り(清盛側から言えば)も相当苦しい展開だったように感じた。

ドラマでは忠盛と池禅尼の息子の平頼盛が、天皇側につくと宣言した棟梁清盛に離反の意思を示し、それを諌めた池禅尼の意を察した(?)叔父忠正が、(心ならずも)頼盛の代わりに上皇側に付くことにし、それをひそかに清盛もやむを得ないものとして了解していた、というようなものだった。ドラマの最初の頃から、(ドラマでは白河法皇の息子である)清盛を平氏の一族だとは認めない意思表示をしていた忠正なので、忠盛亡き後に、離反させた方が自然だったのではあるまいか?

さらに史実にあるように、忠正が初めから兄忠盛、甥清盛等と、政治的な立場を異にしていて、不和だったとすればよかったのだろう。しかし、おそらく現代の家族、一族ドラマにするために、忠正を平氏を支える人物であるように描いたがための苦衷のシナリオだったのだろうが、やはり不完全燃焼の感があった。

保元、平治の乱は、本当に人間関係がややこしく、また平氏には「盛」の付く人物が山ほどいるために、今風の言葉で言えば脇役までもが「キャラの立つ」俳優でなければ区別が付かないほどだと思うので、先の清盛、義朝をライバル関係とした特別番組よりも、人間関係をもっと整理する方がよかったのではあるまいか?

なお、先の回で、義朝の弟で木曽義仲の父である源義賢が、義朝の長男でたった15歳の悪源太の異名を持つ義平に攻め滅ぼされた大蔵合戦の回が出たが、義賢が義仲の父であることをちらっとでも入れておくべきではなかったろうか?

ケチは付けつつも、いかにもリアルな風のさまざまな縅の色の大鎧の装束の着崩れた感じやなど、以前の芝居的な大河ドラマよりも臨場感は感じられたり、義朝の母(由良御前)と常盤御前の対面など興味深い場面などがあり、昨年のドラマよりはまだましなので興味深く見続けたい。

R0011599_2 (東京国立博物館 平治物語絵巻 六波羅行幸より)

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2012年5月22日 (火)

2012-05-21Twitterまとめ

  1. 横浜市、ズーラシアの近く。6時から7時半頃まで曇り空だったが、金環日食の頃奇跡的に雲が薄くなり、雲を通して金色のリング状の太陽を見ることができた。フィルターだと見えず、肉眼で見たので少し目がチカチカ? 
  2.  

 

 

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2012年5月21日 (月)

金環日食(日蝕)が辛うじて見られた

早朝の空は雲に覆われていて、期待していた金環日食が見られないのではないかとやきもきしていた。

テレビで各地の金環日食の欠け具合が報道されるのを見るにつけ、東京方面から流れてくる雲の切れ間が近づいて、太陽が顔を出してくれと思いながらときおり空を眺めて、見えなかった記録でもいいかと間歇的に写真を撮影していた。

最早7時20分を過ぎ、あきらめかけていたところ、金環日食のほんの直前の7時25分頃に次男が「見えそうだよ」と言うので、ベランダに出て見上げたところ、雲間に月に隠された円周がくっきりと輝いているのが見えた。

ちょうど雲がフィルター替わりになってくれて光度が相当弱まり、それでもと日食グラスを掛けるて見上げてみるとと何も見えないほどの弱さ。これならフィルター無し撮影できると思い写真を撮りまくった。(下の写真は、7時27分にすでに金環日食状態になった太陽が見えたところ)

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我が家のあたりは、ちょうど今回の金環日食の中心線が通っているとのことで、ほぼ同心円上に太陽と月が重なり、きれいな円周上に金のリングが浮かび上がった。

よろしければ、金環日食 2012年5月21日 写真アルバムをどうぞ。

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上橋菜穂子『獣の奏者』 外伝 『刹那』 (第5巻にあたる)

妻が図書館から借りてきてくれて、ようやくこの外伝を読むことができた。

前に正編の第3、4巻を読んでから3年ほど経ってしまったので、細部の記憶があいまいにはなっているが、なじみ深い主要登場人物たちの正編では描かれなかった物語がスピンオフとして書かれているもので、大変面白かったし、感動的でもあった。作者があとがきで書かれているように、正編にこれらを入れなかったのは納得できた。

『守り人』シリーズは少々長すぎてついていけなかったが、『獣の奏者』は物語として適度な長さであり構成感もあって、日本発のハイファンタジーとして多くの人に薦められるものだと思う。

2007年8月31日 (金) 上橋菜穂子のファンタジーが面白い

2009年12月23日 (水) 上橋菜穂子『獣の奏者』第3巻、第4巻

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2012年5月20日 (日)

金環日蝕を待つ

R0011749_3 5月21日月曜日の午前7時30分頃の金環日蝕(日食)観測のために、太陽観測用メガネを買ったり、子ども達が学校からもらったり自作したりした。

私が小中学生だった時代は、色つきの下敷きでの太陽観測が普通だった。その後、中学生の時に屈折式の望遠鏡を買ってもらったときには、太陽観測用の投影盤も付属してきたが、接眼レンズにねじ込んで使える色つきのフィルターが付いてきて、直接覗き込んで黒点観察をしたこともあった。誠文堂新光社の「天文ガイド」が懐かしい。

しかし、現在では、太陽光線に含まれる紫外線と赤外線を通さないフィルターが開発されており、今回はそれを使うように指導されるようになっている。上の写真のフィルターはすべてそのような効果を謳っているもので、これで蛍光灯を見ても全く光を通さず、太陽を見ると、それぞれ色合いが異なるものの、目に優しい照度に減光された太陽の円盤が見えるようになっている。

カメラでの撮影は、金環日食になった時点でもそれほど暗くならず、太陽光の直接撮影はカメラの受像素子を破壊する恐れがあるため、絶対やらないように呼びかけられている。写真マニアは、NDフィルターの相当強力なのを準備しているらしく、そのフィルターの機種は売り切れになっていると聞く。

自己責任で試してみようと、上の写真の手作りフィルターが適度に大きいので、デジカメの前にフィルタとして翳して撮影したのが、下記の写真(参考:星ナビ)。光学ファインダーは付いていない液晶モニターのみのデジカメなので、特に問題はないようだ。

倍率は等倍のままで、露光をマイナス2にして、ピントを∞にして撮影したもの。ほんの光点にしか見えない。

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これをトリミングして拡大したものがこの写真。この程度に拡大すれば、相当粒子が粗くなるが、なんとか蝕の模様もわかるだろう。

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当日の天気は、まだはっきりしないけれど、今のところ見られそうだ。

http://tenki.jp/forecaster/diary/

近隣の動物園では、チンパンジーなどの動物の行動観察も行われるそうで、そのため開園時間を午前6時からにしたそうだ。(よこはま動物園ズーラシア)

追記:2012/5/21 朝5時30分 残念。東の空は雲がかかっていて、太陽の姿は雲の向こう。

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2012年5月19日 (土)

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの逝去を悼む

今朝の新聞を読んでいた妻が、「ディスカウが亡くなった」と知らせてくれた。86歳だったという。フィッシャー=ディースカウの妻で同じく歌手だったユリア・ヴァラディによれば「安らかに永眠した」とのことだ。

F=ディースカウの歌唱を、生で聞く機会は無く、膨大な録音もたまたま縁があって入手したごく一部しか聞いていない。

ドイツリートではこのブログでも記事にしたエッシェンバッハのピアノによるシューマンの歌曲集『詩人の恋』『リーダークライス』『ミルテの花』の歌唱が一番印象に残っている。1976年の録音で、ディースカウ50歳ごろの歌唱だが、今聞き直しても高音の伸びが素晴らしく、声にも潤いがあり、知的で慎重な印象の強いディースカウにしては熱唱の部類に入り、思わず胸が熱くなる瞬間がある。

オペラでは、ベームの指揮、ポネル演出の『フィガロの結婚』映画でのアルマヴィーヴァ伯爵の演技と歌唱は見事だし、1954年のフリッチャイの『魔笛』での30代の若きディースカウのパパゲーノもユニークだった。

リストを書き出していて思い出したが、バーンスタインとウィーンフィルのマーラーの「大地の歌」の録音で、アルトで歌われることが多いパートをバリトンの彼が歌ったものも印象が強い。

宗教音楽ではリヒター指揮のバッハの受難曲とカンタータでも多く録音を残しているが、『マタイ』のバスのレチタティーヴォとアリア "Mache dich, mein Herze, rein" を聞き、その歌唱を偲びたい。

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ関係の記事

2006年4月20日 (木) シューマン 歌曲集「詩人の恋」ほか フィッシャー=ディースカウ、エッシェンバッハ

2007年1月12日 (金) シューベルト『冬の旅』 フィッシャー=ディースカウ、デムス

2012年3月 7日 (水) 以前音質的に不満だった音源を聴きなおしてみて(5) アンサンブル、声楽編

2006年11月 8日 (水) シューベルト 『白鳥の歌』 シュライアー&シフ

2008年4月26日 (土) モーツァルト 『フィガロの結婚』 3種類のベーム指揮を聴く

2007年8月 8日 (水) モーツァルト 生誕200年記念の名録音による4大オペラ全曲集 10CDボックスセット

2004年12月13日 (月) ハイドン 天地創造

2006年5月18日 (木) 連休の収穫6 マーラー「大地の歌」バーンスタイン/VPO ミュージックカセット

2007年6月 2日 (土) エルンスト・ヘフリガーを偲んでバッハの受難曲を聴く(マタイ受難曲)

2008年7月 5日 (土) 『四季』を題材にした曲集より『夏』の音楽 (ハイドンの「四季」)

☆白水社/ドイツグラモフォン シューベルト歌曲集 
HP音楽の茶の間のページより。ディースカウの著書(『シューベルトの歌曲をたどって』だろうか?)にLP10枚ほどがセットになったもの。1970年代に父が購入。

追記:2012年7月3日 6月22日に親戚の葬儀で帰省し、翌日の土曜日に『シューベルト 歌曲の世界』(白水社)を写真におさめてきた。『シューベルトの歌曲をたどって』は、収録されていなかった。その代わりといってはなんだが、DFD著の『シューベルトの人物像』、『わが生涯を語る』、ジェラルド・ムーア著の『フィッシャー=ディースカウとシューベルト歌曲』といった文章が収録されていた。

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シューベルト ピアノ五重奏曲『鱒』(ます) ルドルフ・ゼルキン, ラレード, 他

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2008年5月 3日 (土) リヒテル、ボロディン四重奏団の『ます』五重奏曲 も5月に聞いたのだったが、この爽やかな室内楽曲は5月の晴天によく似合う。

このCDは、 "The great collection of classical music" シリーズに含まれるもの。以前にホルショフスキーのピアノによる盤の時に触れたコントラバスのジュリアス・レヴァイン(ライナーの表記は、ジュリウス・レヴィンスだが、 Julius Levine という綴りで、指揮者のLevineがレヴァインなのでレヴァインでよいのだろう。2003年に逝去されているようだ。)が参加している。

他のメンバーは、ゼルキンやその義父アドルフ・ブッシュ等が主催していたマールボロ音楽祭の参加者で、ヴァイオリンはハイメ・ラレード、ヴィオラがフィリップ・ネーゲル、チェロがレスリー・パルナス。 1967年録音。タイミングは、CD表記で、13:36/7:07/4:04/8:19/6:19

この曲のピアノパートは、シューベルトのピアノの書法が上手かったのだろうが、どの演奏でもピアノの伸びやかな響きが楽しめることが多いのだが、CBS時代のゼルキンのピアノ録音としては、その美しい音色が味わえるものになっているように思う。

アンサンブルは、生真面目なルドルフ・ゼルキン主導なのだろう、とても誠実な音楽づくりではあるが、音楽祭の同僚たちの息もあっていて、暖かみが感じられる。ただ、録音の関係かどうかはわからないがホルショフスキー盤のときほどはコントラバスのレヴァインの重低音はここぞというとき以外は目立たない。

ところで、ゼルキンは、その容貌や演奏からも非常に謹厳で自己批判の強い人物だったようだが、2012年3月 3日 (土) 「小澤征爾さんと、音楽について話をする」(村上春樹著) の面白いインタビューによると、小澤氏はその謹厳なルドルフ氏になぜか(?)とても信用され、当時未成年だった息子のピーター氏の御守役のようなものを仰せつかったのだという。この本に書かれているトロントでのグレン・グールドとの交友などはとても意外なエピソードなのだが、紙面に載せられないような話題が満載だったらしく非常に意外な感を受けた。小澤氏がキャリアの初めのころから本当に多くのいわゆるのちにビッグネームとなるような音楽家との交流や共演が盛んだったのが非常にまぶしい。この本を読むと、録音はその音楽家の本当に一部を切り取ったものでしかないのだろうということに思いいたったりもする。

「ます」五重奏曲の他の記事:

2006年3月16日 (木) ホルショフスキー、ブダペストQの鱒五重奏曲

2008年1月16日 (水) シューベルト ピアノ五重奏曲『ます』 ブレンデル、クリーヴランド弦楽四重奏団員

2008年5月 3日 (土) リヒテル、ボロディン四重奏団の『ます』五重奏曲  

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2012年5月18日 (金)

その後の牛乳について

2011年9月15日 (木) なぜか牛乳が飲めるようになったという記事で、

もっとも気温が低くなり、腹部が冷え気味になると下痢になりやすくなるので、秋から冬はどうなることかわからないが。

と懸念を書いたのだが、この冬の厳寒にも関わらず、冷たい牛乳を飲んでも腹がゴロゴロする乳糖不耐性の症状はまったく出ず、初夏の現在は多いときには、朝昼晩飲んでいる。

痛風再発以来、動物性蛋白質とアルコールをほぼ摂取しなくなり、動物性蛋白質の方は家族が普通に食べていることはすでに書いたが、最近になって誘惑に負けて少しつまんだりしてはいるものの、いわゆる痛風前の普通の食事をしていたときより、胃腸の具合が悪くなることが大幅に減った。これには食べ過ぎが大幅に減ったことも大きな要因だとは思うが、アルコール飲料を取らないのが大きく影響しているように思う。というのも、飲み会などで泥酔までいかなくても相当飲んだ翌日には決まって、下痢気味だったからだ。

アルコールによる胃腸の不調と、乳糖の不耐性に直接的な因果関係があるのかは、多くの事例を集めてみなければ確かなことは言えないだろうが、私個人としては、急に牛乳が飲めるようになったのと、禁酒が軌を一にしているので、まるっきり無関係ではないとは思う。

なお、別の要因としては、これは完全な憶測だが、牛乳製造の品質管理が、2000年ごろの加工乳による食中毒事件を機にして、多少なりとも改善されたのかも知れないなどとも思っている。最近の牛乳にはほとんど感じないのだが、以前腹がゴロゴロするような牛乳は、きまって独特の臭いがしたような記憶があるのだ。そのような牛乳では、牛乳鍋や電子レンジで温めて飲んでも同じような臭いがしていて、腹の調子は同じようにゴロゴロになった。

思えば、あの事件は古くなった牛乳を回収したものを、加工乳として再利用したもので、食品偽装の走りのようなものだったが、それが明らかになる前にはいろいろなところで同じようなことが行われていたのだろうという疑惑はぬぐいきれない。

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2012年5月16日 (水)

5月18日 NHK総合で自閉症に関する浜松医科大の研究の番組

昨日記事にした5月14日のQさまの自閉症問題だが、自閉症を安易に「病気」に分類しさらにそのイメージイラストとして抑鬱状態(いわゆる「引きこもり」状態)を示すようなものを説明的に付け加えた件は、いつの間にやら番組ホームページにおわびと訂正が掲示されていた。

ネットでは相当話題になったようだし、このホームページのBBSにも多くの訂正依頼があったのだろう。(Yahooニュースの記事に出ていた)

さて、この問題のなりゆきをネットで見ていたら、自閉症関係ではこの5月18日にNHKが昨年の3月に発表された浜松医科大による自閉症の原因と血液検査でわかるという研究結果を元にした番組を放送することが分かった。内容を検索してみると相当衝撃的な内容らしい。

念のため検索すると、浜松医科大学の関係するページに下記番組の予告のほとんどの内容が出ていることが分かった。

NHKの番組ホームページは これで、

「友達の輪に入らず、一人でばっかり遊ぶ」「まわりの空気が読めず、突拍子もない発言をしてしまう」などという言動が目立つ“発達障害”。日本でも最新の調査で患者が105万人(ADHD患者)との推計が出されるなど、増加しています。中でも、アスペルガー症候群を含む「自閉症スペクトラム障害(ASD)」は、「性格の問題」として、見過ごされるケースが多く、早期発見が課題となっています。ところが、この課題が大きく改善されるかもしれません。浜松医科大学の研究チームが、これまではっきりと分からなかったASDの脳のメカニズムを解明。さらに子供時代にASDかどうか、血液検査で簡単に分かる方法を開発したのです。ASDの科学的な分析が可能になる上、早期発見の有力な診断方法になると、世界的な注目を集めています。 番組は、世界に先駆けて日本で開発された最新の血液検査によるスクリーニング方法について詳しく紹介、またASD社員を抱えるある企業の取り組みを取材する中で、なぜこれまで見過ごされてきたのか、どう対応していけばいいのか、考えます。

とある。

なお、この件は、以下の通り昨年の3月にすでに報道されていた内容らしいが、見過ごしていた。

毎日新聞 2011年3月8日自閉症患者の脳では、人の顔を認識する部位の神経の働きが低下していることを、鈴木勝昭・浜松医科大准教授(精神科)らのチームが突き止めた。患者は人の目を見ない傾向が強く、「相手の気持ちを読めない」などの障害が指摘されている。自閉症の特徴的な症状の原因の一端が明らかになったのは初めてで、症状の悪化防止に道を開く成果という。8日発行の米精神医学誌に発表する。チームは、18~33歳の患者20人の脳を、陽電子放射断層撮影(PET)という装置で撮影し、一般の人の脳の画像と比較。患者では、脳下部にある顔の認知にかかわる部位「紡錘(ぼうすい)状回」で、脳の活動を調節する「アセチルコリン神経」の働きが最大4割低下していることを発見した。鈴木准教授は「人と視線を合わせないことが、自閉症による脳の機能低下を示している。この症状に早く気付くことで、社会性を養う訓練開始など症状を重くしない対応が可能になる」と話す。【永山悦子】

なお、NHKの番組予告がADHD(Attention Deficit / HyperactivityDisorder)と自閉症を同列に扱っているように読めるが、どのような扱いになるか少し心配だ。

この番組を見てみないことには何とも言えないが、昨年の新聞記事以降、新たに血液検査による診断ができるようになったということだろうか。さらに自閉症水銀原因説とそのキレート治療などとも絡んで興味がある。

メカニズムや原因が分かってきたということは、「治療」の可能性はあるのだろうか?

現在、ASDの中では、アスペルガー症候群、サヴァン症候群のような特殊能力について世間の注目が集まっているし、いわゆる天才的な学者、芸術家、発明家など特定分野に創造的な業績を残した人には多かれ少なかれASDの傾向が見られたとの指摘も多いが、「治療」はそのような芽を摘むことにもなるのか?

また、「優生保護法」的な処置が行われる可能性も非常に懸念される。注目したい。

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追記:2012/05/20 「急増する"大人の発達障害"」という番組を見て

このNHK総合の「情報LIVE ただイマ!」という番組は初めて見たのだが、土日の朝の情報番組の金曜日の夜版といった趣で、MCを俳優としても活躍しているコメディアンの原田泰造(ネプチューン)が務め、女優の冨士純子やサンドイッチマンの富沢、有識者などがコメンテーターとして参加するものだった。前半は、東電の値上げ。

注目の浜松医科大のASD(自閉症スペクトラム障害)の研究成果は、番組全体として取り上げられたのではなく、50分ほどの番組の後半の23分からの特集的な取り扱いで取り上げられた。結果的には生放送らしく、あまり要領のよい十分なまとめ方ではなかったので、このようなデリケートな問題を生放送でやる意味があったのか疑問だった。また特集の前には、スタジオ内のおかしな座り位置で若い女性タレントがレポートするようなコーナーもあり、普通に見ていれば気にならないのだろうが、こういうシリアスな内容にはふさわしくないと感じた。ただ、それでも何気なしにこの番組を見て、正しい知識や関心を持つ人が増えることはあるのかも知れない。

主として、知的障害が無く、成人してからの職場での人間関係の躓きからASDと診断される例が最近多いという内容で、現在20、30代の人には子どもの頃にはASDを診断できる医師が少なかったことも、成人になってからのASD診断が増えているという紹介があり、薬剤師や、大学院中退など高学歴の男性の生育史の再現ドラマや昭和大学烏山病院での成人ASDの取り組みなどが実例として登場した。

注目の浜松医科大の血液検査は、8歳以下の子どもの血液中の中性脂肪に含まれる物質(VLDL超低比重リポ蛋白)の多寡によって、少ない場合にはASDの可能性があると早期判定できるというもので、5/19のカナダの学会で発表されるとのことだった。ただ、成人になってから判定できるようなものではないようだ。その幼児時に判定できることにより、「他人の心を読む」ような社会性の訓練を早くから行えるという効果を期待するということだ。人の顔を見る場合に、ASDの場合、目の周辺に視線をやる比率が「いわゆるそうでない人」(40%)に比べて圧倒的に低い(17%)というような研究結果も紹介された。治療法という段階までは研究は進んでいないようだ。その他、PET(ポジトロン断層法)による診断(上記毎日新聞の記事)も紹介された。

また、現在の日本の就活では、対人コミュニケーション能力が極度に重視されている(高倉健のような「不器用ですから」は許されない社会)が、その一方でデンマークのIT企業では、ASDの人の集中力、こだわりなどのパーソナリティを活用してプログラムのバグ取りに大きな効果を上げているなどの事例も紹介された。今回の研究が、レッテル貼りにならないような社会としていく必要がある、などのコメントも出されたりした。(番組冒頭の50代女性からのメール紹介がすべてを語っていた。)

これまで必ずしも科学的に語られることがなかったASD(心理学、精神医学はどうしてもそのような傾向があるのだろう)が、生化学や行動科学といった観点で有意なデータが得られてきたという点で、エポックメーキングなのかも知れない、と思った。


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2012年5月15日 (火)

5月14日 Qさまというクイズ番組(テレビ朝日)で気になったこと

http://www.tv-asahi.co.jp/qsama/

長男が好きなので毎回楽しみに見ているのだが、 5月14日の放送の問題で、「10年間で患者数が増えている病気を書け」というのがあり、その選択肢の中に「自閉症」「痛風」があり驚いた。

(他の選択肢は、「うつ病」「片頭痛」「脱毛症」「エイズ」「前立腺がん」「アルツハイマー病」「睡眠障害」「緑内障」「「痔核」で、上記2つを含めた全11の内、減っているものが一つだけあり、それを選ぶと「ドボン」でクリアならずというルール)

まずは、「自閉症」が、病気に分類されていることに驚いた。

この障がいについては、近年「成人の発達障害」に関する新書なども何種類か発行されていて単なる後天的な病気ではないという認識が相当広まってきていると思っていたが、テレビのようなマスメディアレベルでは単なる病気(治療により回復できる)だと認識されているようで、その証拠に回答の時に表示されたイメージイラストがその誤解をよく表していた。おそらくイラストレーターと番組制作者の認識は、「自閉症」という一般的な症状名からの連想で「引きこもり」「うつ状態」のようなものと考えているのだろう。

近年そのような誤解を避ける意味や、個々人によって異なる多様な状態を表すために自閉症スペクトラム(スペクトル、連続体、分布範囲)、「広汎性発達障害」と呼ばれるようになっているのだが、この「症状」自体が、広い意味では、個性や性格の一種であり、それが社会的に受け入れられるかどうか(その症状のどのあたりの段階までが社会的な適応ができるか)は、その社会の性格を逆にあぶりだすような「障がい」だと認識されているようだ。

現在の研究では、先天的な脳の「特徴」の表れであり、その意味でいわゆる一般人の性格や能力(知能、運動神経)が「治療」できないのと同じように、「治療」という概念があてはまるかどうかも分からない。アスペルガー症候群は、自閉症・広汎性発達障害の内、特定領域のIQが高いものを指し、あまりいい意味ではないがアスペという略語で語られることも増えている。

先の大阪維新の会に「自閉症は両親の愛情不足」であるというような条例案の存在が暴露され、維新の会の代表である大阪市長が撤回せざるを得なかったことともども、政治家、官僚、マスメディア関係には、熟慮を切に願いたいものだ。

ただ、後で調べてみると、厚生労働省のホームページの平成20年患者調査(傷病分類編)には、で自閉症が項目名として取り上げられていたので、いわゆる「病気」に分類したのは番組だけの責任とは言えないが、番組としての一家言ある取り上げ方が望ましかった。

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/kanja/10syoubyo/suiihyo19.html

また、このクイズでは、患者数が減っているものが誤答なのだが、痛風患者はこの10年間で減っているという。とても意外に思った。というのも、その予備軍である「高尿酸血症」は近年急激に増加していて、特に40代未満の若年層にも増えていると言われているからだ。

なお、これについても厚生労働省のホームページでは、

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/kanja/10syoubyo/suiihyo38.html

とされており、実際外来患者数は減っているとなっており、番組はこれに基づいているのだろうが、高尿酸血症が問題になっている昨今、この取り上げ方は、視聴者に誤解を与えるものだといえよう。

「日本痛風・核酸代謝学会ガイドライン改訂委員会編:高尿酸血症・痛風の治療ガイドライン(第2版),2010」

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2012年5月14日 (月)

5月13日の大河ドラマ『平清盛』はよく分からなかった

視聴率の低さがそのままそのテレビ番組の質の低さではないということで、2012年の『平清盛』を応援していたのだが、この日曜日の内容には少々疑問を持った。

前回、今回と、鳥羽法皇と崇徳上皇との仲の修復を熱心に取り持ったにも関わらず、義朝と信西の「守りたいもの」という示唆によって、あっさりと崇徳上皇を裏切った清盛の行動にはついていけなかった。崇徳上皇が危篤の鳥羽上皇を見舞うシーンでの清盛の態度には、苦悩の色は見えず、むしろ裏切りを後ろめたく感じている怯懦な風が見え、武家の棟梁としてはあまりにも卑小に感じられた。

前回までのあの熱心な崇徳上皇へのとりなしから、この先史実にあるようにどのようにして保元の乱で後白河天皇方になるのだろうとその描き方に興味を持っていたのだが、崇徳上皇方から後白河天皇方(鳥羽上皇方、信西方)への転向における逡巡や葛藤の心理描写を省略しすぎたように感じられ、自分としては、清盛=信用ならない男というイメージが強くなってしまった。これでは、感情移入ができない。

その一方清盛の父忠盛の妻池禅尼は崇徳上皇の皇子で後白河天皇の皇位を巡るライバルだった重仁親王の乳母でありながら、史実では保元の乱に先立って、平家一門に後白河天皇方への味方をアドバイスしたという、これもいうなれば裏切り的な行為があったのだが、このあたりも省かれていて、その反面清盛の叔父忠正に対して、それとなく、何らかの依頼をほのめかしていたが、果たして故忠盛の願いとは何だったのだろうか?

信西が後白河天皇の乳母の夫であったことや、前述の池禅尼が重仁親王の乳母であったこと、藤原家など堂上貴族と天皇家の姻戚関係などをきちんと描かずに、この複雑極まる人間関係を整理するのは困難であろうし、もう少し丹念に描いてほしかった。

崇徳上皇のうらみつらみの強さはよく描けていたが、逆に鳥羽上皇の女々しいまでの反省・後悔はそのように矛盾に満ちた人物だったとしてもくどかったし、清盛があくまでも天皇家の和を追及する「いい人」に描かれ過ぎていながらあっさりと裏切りを行ったのは、木に竹を接いだような違和感が湧いた。

後白河天皇の寵姫となる、平滋子の登場も少し作り過ぎだった。なぜ、天然パーマ?

こちらの脚本や演出への理解が不足なのか、それともしっかりした原作の無いNHKの大河ドラマ制作に欠点があるのか、残念ながらそんなことも考えてしまった。これだけ長大な歴史絵巻を、オリジナル脚本で対応しようというところに無理があるのではなかろうか。せっかく愉しみにしているドラマなので頑張ってもらいたいものだ。

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2012年5月13日 (日)

洗濯機の洗濯槽を洗う

R0011717 普通の全自動洗濯機にはカビや洗剤カスなどの汚れが洗濯槽の裏側(見えない部分)にいつのまにか付着し、洗濯をしたつもりでいても逆に衣類に裏側についていた汚れやカビが付いてしまうということがある。洗濯機もメンテナンスをしないでいると、その汚れが目立ってくるようだ。特に、シャツの襟の先端の部分にその汚れがつくと結構目立ってしまい、再度洗濯をせざるを得なくなるのが困る。

数年前のテレビ番組で、洗濯槽の裏側の汚れが報道されてからは、薬品、洗剤メーカーでも塩素系の洗濯槽洗剤を売り出し、ドラッグストアなどでよく見かける。これから梅雨の時期になるので、セールなども行われることだろう。

2から3か月ごとに一度この洗剤でのクリーニングを行い、洗濯槽を常時乾燥させるように心掛けることで、カビの発生は防げるようなのだが、それでも10年も使ってきた我が家の丈夫な日立製の洗濯機では、最近どうもその効果が薄れてきて、買い換えようかという話もでてきた。

そこで、インターネットで、いろいろな洗い方を調べてみたが、

このリンク:洗濯槽の正しい洗い方.

の内容に納得がいったので試してみた。

今回行ったのは、ここで紹介されている方法に完全準拠ではないが、終い風呂の後の残り湯を洗濯槽に一杯に張り、酸素系の漂白剤を相当大量に投入し、よく溶かして一晩おいておき、翌朝、数種類のモードで洗濯槽の水を回してみた。

黒くぬるぬるした昆布の切れ端のような汚れが相当大量に水に浮きだしてきたので、こまめに掬い取り、さらに水を換えて数度よくすすいだので、結構きれいになったようではある。

ただ、完全に取りきることは難しく、しばらくは逆に落ち切らなかったカスが特にタオル地のものには付着しそうなので、タオル地のいらない布に吸着されるなどしながら、一週間後くらいに再度洗浄してみる必要があるかも知れない。

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2012年5月12日 (土)

電子書籍は記憶に残りにくい? 脳科学から問う 紙の本VS電子書籍 (ダ・ヴィンチ) - Yahoo!ニュース

電子書籍は記憶に残りにくい? 脳科学から問う 紙の本VS電子書籍 (ダ・ヴィンチ) - Yahoo!ニュース

という記事を読んで、なるほどと思った。

R0011723 本格的な電子書籍ではないが、数年前に発売された任天堂DSというゲーム機用のソフトで著作権切れの日本文学が多数収録されたソフトウェアが出て、しばらくそれを楽しんだことはこのブログでも書いたが、


おそらく、ブログの記事にでもしていなければ、忘れてしまっていただろうと思うことが多い。

同じように音楽鑑賞でも、大量の音源が収録できるDAP デジタル・オーディオ・プレーヤーでの鑑賞は、ながら鑑賞になりやすいこと、飽きればすぐに別の音楽を選べること、などが相まって、音楽に集中するレベルが、実演やオーディオセットでのLPでの鑑賞とは比べるべくもないが、ポータブルCDプレーヤーでの鑑賞に比べても、劣るように思う。そのためか、記憶に残ることが少ないように思う。

R0011722 本にしても、読了した本を開架の本棚に背表紙を見えるように並べておくことによって、たえず記憶神経回路が刺激を受け、そのことによって内容や感想の記憶が定着すると言われ、それに比べて、感想文でも残しておけば別だが、図書館から借りて読んだ本は記憶に留まることが少ないと言われ、実体験でもそれを感じる。

また、記憶の鍵やトリガーになる周辺環境的な感覚(イメージ、色、臭い、味、感触など)を伴う記憶が残りやすいとされ、指揮者の故岩城宏之氏のエッセイ『楽譜の風景』に書かれていたように、『春の祭典』のような難曲の暗譜にはページのシミなどのイメージ情報、見開きの「風景」が役立ったとされるが、フォントの大きさや段組みなども自由にレイアウトできる電子書籍では、そのようなキイになる情報は所与のものとしては与えられないことになる。

電子化のメリットは、莫大なものがあることはあるのだろうし、これからの若い世代にとってはそのような情報環境の中で育つことで、また記憶のありようも変わってくる可能性もあるのだとは思うし、情報の複写、配布、検索という点では特に利便性があるのだろうが、一個人としての受容という意味では、問題があるのかも知れない。

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2012年5月10日 (木)

辻惟雄『奇想の系譜 又兵衛―国芳』(ちくま学芸文庫)

先日の東博のボストン美術館展では、伊藤若冲の作品は数点しかなかったが、それまで名前も知らなかった(ポスターの漫画的な龍の画は誰のものだろうと思っていたほど)曾我蕭白の作品が第2室の最後の方に大作がまとめて10点ほど展示されており、先の記事でも書いたが、初めて見たときには『久米仙人図屏風』などの奇怪な面相が違和感を強く感じさせる画風で抵抗感があり、なぜこのような画家の作品が大量に飾られているのか不審に思ったほどだったが、『商山四皓図屏風』の骨太な線とユーモラスさは好感をもった。緻密な山水画などや、ポスターにもなった巨大な龍の襖絵など、とにかくスケールも緻密さも併せ持った巨大な画家であるという印象を持った。

若冲の方は、近年展覧会も多く、テレビや一般向けの雑誌などでも取り上げられるので、それこそ我が家も含めて女子供でも知るようになった著名な画家になっているが、蕭白については今回の展覧会が初めてでみな一様に衝撃を受けたような面持だった。

そこで、東博地下のミュージアムショップで売られていた新潮社のとんぼの本シリーズで、伊藤若冲と曾我蕭白(狩野博幸著)を購入してきた。

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R0011725 その中で、辻惟雄(つじ・のぶお)『奇想の系譜』(1970年)でこの二人が取り上げられて近年の再評価につながったと書かれていたので、調べたところ、ちくま学芸文庫版が入手可能ということで、書店で購入してきて、一気に読み終えた。上記の二人以外は、先日テレビで紹介番組を見て猫のような虎の襖絵が気に入った長沢蘆雪も取り上げられていて、なるほどと思った。他には、岩佐又兵衛(信長に叛旗を翻した荒木村重の妾腹の子で、江戸初期には松平忠直にも仕えたという人物)、狩野山雪、歌川国芳。

脱線をも恐れない執拗とも言えるエネルギーは、通俗的な解釈ではあるが、縄文時代の土器、土偶を連想させるものがあるように思った。若冲も蕭白もいずれも大変なヴィルトゥオーゾであり、その強烈さは胸焼けがするほどで、特に蕭白にそれが著しいように思う。もしそれが可能だとしてもとても自宅に飾るようなことはできないだろう。

今回の東博でも平成館一階の考古学展示を見てきたのだが、特に土器では、縄文時代に比べると、弥生時代、土師器須恵器はより薄く、固く、実用的にはなっていて、プロポーションの整った落ち着いた美しさもあるのだろうが、ぐっと興味が薄れてしまい、近世の古伊万里など、中島誠之助氏など「いい仕事ですね」を連発しそうな名品でもまったく興味がわかなくなってしまうといういつもながらの鑑賞だったのだが、特に蕭白に感じる過剰さ、異形ぶりへの違和感と興味はどうも縄文への興味関心と似たところに肝があるように感じたのだった。

昨年の出光美術館の展覧会は、風流であり古雅であり過ぎてよさがわからなかったが、この春に見ることができた、雪舟、応挙(「鯉魚図」三幅、登竜門の滝登り)を初めとして、東博本館とボストン美術館展で、すっかり日本の古い絵画作品にも興味がわいてきた。本物の持つ迫力に中てられたのだろうか?

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2012年5月 9日 (水)

5月5日スーパームーンの満月

5月5日の夜は晴れてスーパームーンの満月を拝むことができた。

さて、写真をアップしようとしてファイルサイズを見たところ、拡大写真は、一様にファイルサイズが小さいことに気が付いた。ココログ写真は1MB未満にリサイズする必要があり、フリーソフトとリサイズしてからアップしているのだが、今回は不要なようだ。

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2012年5月 8日 (火)

荒れ模様の天気だった連休の最終日

フランスはサルコジからオランドに大統領が変わったが、ロシアはまたプーチンが大統領となった。フランス的変化とロシア的停滞だろうか?

一昨日の5月6日(日)の連休最終日の竜巻は恐るべき自然の猛威だった。当地では午前中から午後3時ごろまでは好天で、天気が不安定との予報は出ていたものの、いやに蒸し暑く、少し風が強いだけでこのまま天気は持つのではと思っていた。ちょっと外出して街路樹を撮影したときは初夏らしいいい天気だった。

皐月もレッドロビンも花盛り(14時ごろ)

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が、次第に西空が黒雲に覆われてきて、遠雷も鳴り始め、風が強まってきたので、天気が崩れそうなので洗濯物を取り込み始めた。15時ごろにいきなり大きな雨粒が落ちてきたかと思うと突風が吹き始め、南西側からの強風が雨粒とともに窓ガラスに吹き付ける嵐となった。白いものが混じっているので雹かと思いベランダを見てみると果たして雹だった。風と雨はこれまであまり記憶が無いほどの強さで、このまま続いたら大変なことになると思っていたら5分もせずにやんでくれてほっとした。

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テレビを付けると川崎の等々力競技場では、陸上競技大会がテレビでライブ中継されており、日本の一線級に交じって海外の一流選手も招待されて参加していたが、こちらからは30分ほど遅れて風雨に見舞われたようだった。

そのうち、NHKで関東地方の暴風情報とかいう青囲みの情報が出始め、北関東で被害が発生したとのテロップが流れたが、他の局ではその時点ではまったく緊迫感もないふつうの放送が行われていた。

17時ごろには東北の方向に虹がかすかに掛った。

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竜巻被害の報道が始まったのは6時のニュース頃からだったように思う。

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2012年5月 7日 (月)

蒲田の羽根つき餃子と『梅ちゃん先生』

5月4日に上野に外出したついでに、蒲田で下車して、以前から食べたいと思っていた蒲田名物の羽根付き餃子を昼食にした(列車や美術館で近くになった方々、一家揃ってニンニク臭がするのではないかと気になっていたけど、もし臭っていたら御免なさい)。

いくつか人気店、有名店はあるらしいが、このところ孤独のグルメ風に繁華街で旨そうな店のありそうな方面を勘で探り当てるような愉しみ方を覚えたので、あらかじめ下調べはせずに、今回もその流儀でやってみた。

蒲田は、以前在信州だった頃には何度も出張で訪れた街なのだが、主に西口方面しか知らず、以前一度東口のホテルに宿を取ったときに、周辺の食べ物屋の賑わいが印象に残っていたが、当時は餃子が有名だとは知らなかった。今回はJR蒲田駅の東口から京急の蒲田方面に足を延ばしてみた。(ただ、地元の名物料理というものは意外と目に入らないようで、以前横須賀で海軍カレーを食べようと少し歩き回ったのだが、なかなか見つからずにとうとう別の料理のどこにでもあるチェーン店で我慢したことがあった。)

京急蒲田駅方面につながるアーケード街に入ってみて、すぐに見つかったのがこの店で、金春本館(きんしゅんではなくて、能楽の方と同じく こんぱる と読むらしい)。

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とても派手な店構えだが、なんとなく旨そうな感じだったので、入ってみた。店内はちょっと狭かったが、名物の焼き餃子が安い。なんと一皿6個で300円也(税別)。とてもリーズナブルな値段で驚いた。

これを一人一皿で四皿分、韮餃子を四個、三鮮蒸餃子(10個)を一皿にそれぞれご飯(スープ付き)を頼んだ。色彩的には白系一色となってしまったが、羽根がきれいについた焼き餃子は肉汁たっぷりで、ご飯が進む美味しさだった。韮餃子は、韮と卵が具として入った珍しいもの。信州の田舎の韮せんべいというおやつと似通った感じ。蒸し餃子の具は海老が主体のようで、プリプリと美味しかった。

我が家の手作り餃子は大蒜を入れない野菜たっぷりの焼き餃子で、子どもたちの大好物なのだが、外食で食べる餃子はえてして具が少なかったり小さかったりであまり満足したことは無い。しかし、ここの餃子はとても好評だった。

R0011579 こげ茶色の羽根が何とも食欲をそそる。(大皿に四皿分載せられている)

 

ところで、蒲田と言えば、現在放送中のNHKの朝ドラ『梅ちゃん先生』を録画などして見ている。

最近の我が家では、あまりにもひどい脚本のドラマを、昨年放送されたドラマにひっかけて、『南極大陸』並みだと言っている。『南極大陸』は、題材的にはそれなりに力作で、結構面白かったのだが、犬たちの「演技」などがそれはそれは突っ込みどころ満載だった。これまで比較的好意的に見てきた『梅ちゃん先生』にも残念ながら馬脚があったようで、だんだんそれが目立ってきたようで心配している。

東京の医専に通う女子学生たちが、横須賀の旧海軍が保管していた薬品の放出品を引き取りに行く回は、あまりの非現実的な設定が見られて、あり得ないの連発だった。横須賀からの距離、大八車、運よく通りかかった親切なトラック運転手。医専に戻れた時間。

さらに、先週梅子が追試験を途中放棄してまで友人の結婚問題に首を突っ込み、すは落第で退学かという矢先に、あまりにもあっさりと友人たちのとりなしで再々試験が認められた回の、あまりのご都合主義。

最近は、わざと「下手」に作って味を出そうとするヘタウマがドラマ界でも流行しているようで勇者ヨシヒコ、南極大陸、家政婦のミタ、こども警察などはその類なのだろうが、上手いのかそれとも稚拙なのかの区別がつきにくいことが多くなっているのだが、このドラマはいったいどちらなのだろうか? 突っ込みどころがあまりない、もっと正攻法の脚本、演出が望まれるように思う。

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2012年5月 6日 (日)

スクロールと絵巻物 ボストン美術館 里帰り展(東京国立博物館)

5月5日の子供の日は、梅雨時末期のような大雨一過の「皐月晴れ」(衒学的には違うけど)となった。

せっかくの好天ながら、孤独のグルメ+美術館めぐりという最近の恒例のようになった家族小旅行で、5月4日に蒲田餃子+東京国立博物館に行き、その疲れで、体を労わる日となった(要するにグダグダしていただけ)。

R0011581 5月5日の夜の月は、スーパームーンと言われるらしく、月が地球を公転している軌道の中で近地球点(というのだろうか?最も地球に近づいた時)にあたり、普通の満月よりも相当明るいのだというが、確かに明るい月だった。その分引力(潮汐力)も相当強くなるようで、昨年の大震災の前にもこのスーパームーン現象があり、その関連性が取りざたされたことがあった。


さて、パソコン等では、スクロールする (scroll)という言葉が日常用語になっている。

Bostonmuseumfineart_ticket_2 この scroll という英単語だが、5月4日(金)のみどりの日に、東京国立博物館(東博)で開催中のボストン美術館展を見に行ったついでに、東博本館で展示中ということを聞いていた国宝平治物語絵巻「六波羅行幸」の方を先に見たのだが、その際の英語の説明に Scroll と書かれていて、ユーレーカ!となったのだった。何かが分かった-知っていること同士が結合した-ときの知的興奮というものは、まことにいいものだ。

辞書によると Scroll は、 Roll と同じ語源で、巻いたものという意味があるようだ。それでコンピュータのスクロールも、ちょうど巻物を見るように上下、左右に「巻きながら」見るという動作から来ているらしい。

今月は、これまで見たことのないようなScroll の傑作、名品を連続してみる機会に恵まれた。

一つは、つい先日の4月29日に鑑賞したサントリー美術館の毛利家の至宝に含まれていた雪舟の「四季山水図」

次に、今回見ることができた東京国立博物館の本館で展示されていた「平治物語絵巻 六波羅行幸巻」。

そして、今回ボストン美術館から里帰りした「吉備大臣入唐絵巻全巻」と「平治物語絵巻 三条殿夜討巻」。

久々に訪れた東博でもあり(前回は国宝阿修羅展)、平成館の特別展は相当混雑しているとのことだったので、まずは本館をじっくりみることにした。(東洋館は残念ながら工事中とかで閉鎖中。耐震工事などだろうか?)。なお、現在、世田谷の静嘉堂文庫美術館(三菱の岩崎家の宝物館)でも所蔵の平治物語絵巻が公開されているとのこと。

信西(高階通憲)・平清盛と藤原信頼・源義朝が争った平治の乱を描いた合戦絵巻の傑作、「平治物語絵巻」の現存する3巻が、この春、東京で揃って展示されます。またとない貴重な機会ですので、ぜひ3巻あわせてご覧ください。
・当館所蔵の「信西巻」(上図はその部分)は、本展前期にて展示(4/14~5/20。但し巻き替え  を行ないます)
・ボストン美術館所蔵の「三条殿夜討巻」は、東京国立博物館での特別展「ボストン美術館  日本美術の至宝」にて展示(3/20~6/10)
・東京国立博物館所蔵の「六波羅行幸巻」は、同館の本館2室・国宝室にて展示(4/17~5/27)

R0011597_3 本館2階は、日本美術史の流れをテーマに、長岡市出土の火焔型の縄文土器が出迎えてくれ、その後に、この5月27日まで展示されている平治物語絵巻 六波羅行幸を見ることができる。

先日見る機会を得た雪舟の大作の巻物に比べて、こちらは絵巻物であり、また著名な歴史的事件を題材にしていることもあって、分かりやすい。現代、爛熟を極めている日本の漫画、アニメーションのはるかな源流として、鳥獣戯画がよく挙げられるが、劇画としての源流には、これら戦記物の絵巻が源流になるのではなかろうかと思われるほど、緻密、精細であり、牛馬の躍動感、人物たちの多彩な容貌と表情、ポーズ、武者たちの鎧兜の縅の色の鮮やかさ、細やかさなど、まったくもって素晴らしいものだった。芸術的な感激とは異なるだろうが、絵巻物(Scroll)がこれほどのものとは、やはり実物を見ることで体感できる類のものだろうと思う。

H24_national_treasures その他さまざまな展示のある二階をぐるっと見て回った後には、平成24年に国宝・重文に指定された日本各地の重要な美術品が集められて展示されている特別室があり、その中にはなんと先日「電脳郊外散歩道」ブログの記事にコメントさせてもらった山形県の縄文時代の土偶の女神像の実物も展示されていた。写真でもその造形と欠損がほとんどない保存の素晴らしさは感じられていたのだが、実物の迫力は圧倒的だった。

ただ、この舟形町西ノ前遺跡出土の土偶も「縄文のビーナス」と称されることが多いようだが、長野県の茅野市棚畑遺跡出土で先に国宝に指定されていて「縄文のビーナス」と呼ばれていた土偶(これも現地の尖石遺跡での展示を見に行ったことがある)との混同が生じそうなので、呼び分けが必要ではあるまいか? 

この部屋は全面的に撮影禁止(基本的に東博所有のものは撮影禁止ではないが、個人所有、他館からの貸し出しなどで、所有者の了解の取れていないものは原則禁止のようだ)となっていた。新しく指定されたとは言え、他にも一階の特別室にも素晴らしい仏教彫刻等が多く、どうしてこれがこれまで指定されていなかったのだろうと思うようなものもあった。特に地元神奈川県のものが今回数点新たに重文指定されていたのは新聞記事で読んではいたが、実物が見られるとは思っていなかったので、不意打ち的で興味深かった。中でも、鎌倉の建長寺の開祖である蘭渓道隆の肖像彫刻は非常に見事なものだった。

本館でじっくり見学していたらあっという間に16時半になっており、17時で特別展の終了時間ということでうっかり見逃すことになりかねないと慌てて平成館の方に移動したところ、この日は金曜日で、なんと夜の20時まで観覧できるというアナウンスが流れていてほっとした(どうもスマートな鑑賞にはならない)。
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通常の順路は第一展示室の方からで、こちらに絵巻物が展示されているのだが、まだ相当混雑しているようで、係の女性も大変込んでおりますとアナウンスしていたので、先に第二展示室から見ることにした。
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このパンフレットにあるように、垂涎の名品が里帰りしており、目玉の絵巻物以外にも見ものは多く、この展覧会前には知らなかった曽我蕭白の作品が数多く展示されており、とても奇異な日本画だと最初は違和感を覚えたが、再度見直してみると非常に面白く感じた。

18時ごろに第一展示室に戻ると、混雑も相当緩和されていて、結構悠々と鑑賞できたが、さすがに絵巻物の展示では数珠つなぎ状態での見物を余儀なくされた。しかしむしろ牛歩のようなそのスピードが鑑賞には適しており、伴大納言絵巻と並び称される吉備真備の遣唐使行を題材とした奇想天外な超人伝奇譚的な絵巻には、劇画というよりもユーモラスな余裕が感じられ、大変面白かった。周囲の鑑賞者の人たちも楽しんでいるのが分かる感じだった。

平治物語絵巻は、藤原信頼と源義朝による後白河院の御殿の襲撃と拉致の様子を描いた部分であり、ちょうど放送中の大河ドラマ「平清盛」では、清盛が絶対的な権力を掌握する要となる事件でもありこれからの放送が待たれる場面なのだが、よく教科書にも載せられる地獄の業火のような火焔のすさまじさの場面や、戦の凄絶、残酷な場面なども、人物に動きは感じられないものの、やはり精緻、詳細に描かれており、その技術や構成力のすごさを思い知らされるものだった。保存状態も驚くほどよかった。

なお、地味ながら非常に貴重な仏教画としては、東大寺の法華堂(あの有名な日光月光菩薩像の安置されている三月堂)の曼荼羅図という8世紀制作のものも展示されていたのには驚いた。東大寺のような大寺院にも廃仏毀釈が及んでいたのだろうか。

先に読み終えた『夜明け前』第二部は、廃仏毀釈を行った側について多く触れられていたのだが、その裏面では、フェノロサ、ビゲロー、岡倉天心らの努力により、このような貴重な傑作が残されたということも忘れてはならないだろうと思った。これは大英博物館的な文化財略奪とは異なるものではあるだろう。

考古館の展示も久々に見て、本館に戻り外に出ると雨は上がっており、5月5日のスーパームーン前夜の月が皓皓と白く光っていた。

(20時閉館前の東博正面)

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追記:5月6日  NHKのEテレの日曜美術館が、今回のボストン美術館展を特集したのを見た。実際に見たり、見逃してしまったものを放送で見るというのも面白いものだった。なお、岡倉天心について触れないのは不思議だった。

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2012年5月 5日 (土)

眠っていたUSB接続PCスピーカーをテレビ用に

5月4日のみどりの日は、一応雨も上がり、五月の薫風が心地よい時間帯もあったが、午後にはまた雨が降り始め、せっかくの4連休の前半2日は外出には適さない天気だった。

以前購入してWINDOWS XP機のhp nx6120に接続してみたときにはあまりの雑音のためにお蔵入りとしたUSB接続のスピーカーの超廉価品(購入価格1000円未満)だが、先のflac関係で使い始めたfoobar2000の音がこれまでよりも一皮剥けた音質なので、これをプレーヤーとして外部スピーカーで聞いてみようかと思いつき、探し出してきて現在のEpson NY3000につないでみたところ、このPCの雑音源が以前のPCよりもきちんとシールドされているのか意外にも当時気になった盛大な雑音が聞こえず、普通に使えることが分かった。ただ、今の使用場所も狭く、イアフォンで聞けば十分なので、さてどうしようかと考えた。

一方、薄型テレビの音質はもう慣れたとはいえ、人の声(台詞やナレーション、アナウンス)が聞こえにくいことは変わりがない。そのため、我が家ではドラマなど字幕放送が現在ではほとんどなので、字幕を出すのが普通の使い方になっている(Blu-rayレコーダーに録画したものもきちんと字幕データは収録されており、字幕を出してみることがほとんど)。

以前調べたときに薄型テレビの裏面端子・ソケットエリアに、USBのソケットが整備用のソケットという名称でマニュアルには記載されていて、試しにUSB機器をつないでみたところ通電されているのがあったのを思い出し、そのソケットにスピーカーのUSBプラグを差し込んで電源を取り、さらに裏面の音声出力L/R端子にステレオピンプラグアダプタを付けてあるので、そこにピンプラグを差し込んでやって、テレビの電源を入れたところ、当然ながら音が出た。

軽いプラスチック製のスピーカーなので、ペラペラとしたそれこそ安っぽい音なのだが、テレビのスピーカーよりも高音が伸びるためか、小音量でも人の声が聞き取りやすいのには驚いた。

ただ、このスピーカーだけだと人の声はクロースアップされたように明瞭だが、背景になる音楽や効果音など引っ込んでしまい寂しいので、テレビのスピーカーを背景音的に使い、USBスピーカーを声ように使うとバランスがよいようだ。

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2012年5月 4日 (金)

モーツァルトの後期交響曲集(Nos.35-41) パイヤール/イギリス室内管

5月3日の憲法記念日は、昨夜からの大雨が続いていて、梅雨どきのようにじとじとしていた。外出せずに、身の回りの整理やテレビ番組のHDD録画のDVDへのダビングなどの作業をした程度。(写真は、5月3日朝7時頃の篠突くような雨)

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昨年11月にブックオフで購入。音楽記事は久々だが、まとめて聞く時間が取れたので、簡単にメモしておきたい。

R0011696 Mozart 交響曲集

第35番K.385「ハフナー」
第36番K.425「リンツ」
第37番K.444(425a)第1楽章(ミヒャエル・ハイドンの交響曲への補筆:序奏部分がモーツァルトの作品)
第38番K.504「プラハ」
第39番K.543
第40番K.550
第41番K.551「ジュピター」

ジャン=フランソワ・パイヤール指揮イギリス室内管弦楽団 (Jean-François Paillard / English Chamber Orcestra)

録音 1977年10月23日~28日、ロンドン、EMIスタジオ

Producer: Masamitsu Kurokawa, Recording Supervisor: Michel Garçin, Recording Enigineer: Christopher Parker

(RCA 2 for 1 series BMG VICTOR Inc. BVCC-8823-24, 1995/6/21)

ジャン=フランソワ・パイヤールが、自身が組織したフランスのパイヤール室内管弦楽団ではなく、隣国のイギリス室内管弦楽団(バレンボイムやブリテン、ペライアなどの指揮した録音が残されている)を指揮して、珍しい第37番の第1楽章(序奏部のみモーツァルトの作品で、それ以降はミハイル・ハイドンの作品)も含めて1977年に録音したもので、日本のリスナーからのリクエストにより録音されたものだと聞いたことがある。

室内オーケストラでのモーツァルトは、当時すでにマリナーやバレンボイムなどが先鞭を付けていたが、パイヤールのモーツァルトはランパルとラスキーヌとのフルートとハープ協奏曲のオーケストラを担当していることから、知名度の点では高かった。フランスと縁の深かったモーツァルトにしては、フランスのオーケストラが取り上げることが比較的少ないという印象なのも今から考えれば不思議だが。モーツァルトを得意としたフランス系といったら、モントゥーくらいだろうか?

先の経緯からして特に日本で評判の良かった録音だというが、今聞いてみても、悪くはない、というよりもむしろ高水準の演奏、録音だと思う。演奏スタイルは、モダン楽器による「伝統的な」モダンスタイルであり、配置もヴァイオリンは対抗配置型ではない。弦と管の音量バランスや風通しのよい響きから、比較的少人数のオーケストラと知れるが、きびきびとした軽快なテンポによるアンサンブルは大変好ましい。

解釈的には、とりわけ目覚ましいものがあるのではないが、力まず品よく美しくそしてここが肝心なところだが、奇を衒わずに誠実にリアライズしているとでも言おうか、さらにバロック音楽が得意な指揮者ゆえにだろう、対位法的な扱いに優れ、各声部が生き生きとしている。

それゆえにか、モーツァルトの交響曲における天才性、凄みが巧まずして、自然に立ち上ってくるように感じる。

構えなくても自然に心に染み入るようなこのような演奏が、あの時代のモーツァルト演奏の一つの理想だったのかも知れない。

昨年あたり RCAのxrcdシリーズで再発されたようだが、HMVを見ると廃盤になっているのは惜しい。

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2012年5月 3日 (木)

攻略英語リスニング Lesson 4 The Colors of the Rainbow

この講座も第4課。

今回のナレーションは、elementary schoolの高学年くらいの少女が母親へ語りかけをしたもの。第2課の The Age of Discovery の教師役を演じた女性 (Textには 英文吹き込みとして、Carolyn Miller という女性名が挙がっているがこの人だろうか)だろうか?

速さには慣れてきたが、何回聞いても聞き取れない部分は残る。dictation を4回修正しながら完成させて、その答え合わせ結果。

正; 誤の順で。

  1. guess what; this was    Guess what 「何だかわかる?」というくだけた言い方。日常的な表現なのだろうが、やはり普段使っていないと見当がつかない。
  2. Bet you don't know;  We don't know   I bet の I が略された言い方で、「きっと と思うよ」というくだけた言い方。これも見当がつかず We don't は苦し紛れの書き取り。
  3. Pritchard; Prichard      そいういえば、John Pritchard という指揮者がいたが綴りが思い浮かばなかった。
  4. We're supposed; We supposed   軽い命令形の be supposed to(することになっている、しなければならない、しなさいって言われた)。これが聞き取れなかったのは、ちょっとまずい?
  5. refracts; reflex    refract は屈折させる という動詞 (名詞は refraction)
  6. it's raining; it's rainy 話し言葉では語尾が弱い
  7. turn sprinkler on; turn sprinkler   弱く発音される on が聞き取れなかった
  8. It says here in; It is here     says と in が聞き取れなかった
  9. And there are more than; And their more than  there are  (there're) と their が混同
  10. a pot of gold; a part of the gold   pot が聞き取れず。part とは聞こえなかったが、苦し紛れ。
  11. It's where a leprechaun; It's there a Replacorne  ハリ・ポタでレプラコーンは知っていたが綴りが分からなかった。

そういえば、放送大学をたまたま見ていたら、発音をめぐる冒険('12) という講義があり、「標準的な」英語のみならず、世界各国のなまりのある英語も紹介する、ということで、私の見た回ではカリフォルニア州出身の50代から60代くらいに見える男性が発音の特徴について語っていたのが面白かった。

カリフォルニア州訛( accent と言っていた)は、単語を続けることで、しばらく日本で暮らしていて帰国すると、すぐに聞き取れないほどだという。本人の父母はイングランド出身で、父親は educated な明瞭なクイーンズイングリシュを話し、その発音で明瞭でゆっくりとした話し方を日本の語学学校では使っているので、カリフォルニア州に帰国したときに兄弟にその話し方をしたら、「俺は耳が不自由じゃないぞ」と反発されたと語っていた。

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2012年5月 2日 (水)

可逆圧縮の flac を試してみた

flac (free lossless audio codec) という拡張子の音声ファイルのことを先日コメントで触れた方がいて、どんなものだろう、ということで、 flac での ripping ができるソフトを調べてみた。

2011年10月 4日 (火) PCオーディオ、ネットワークオーディオに注目が集まっているらしいで取り上げた「麻倉怜士 『高音質保証!麻倉式PCオーディオ』」という本にも書かれていた方式。

検索してみると、Exact Audio Copy (EACと略されるらしい)というソフトが見つかり、これで flac と 非圧縮の wav で ripping してみたものを、以前 iTunesでrippingした mp3 と聞き比べてみた。

聴き比べの前には、flac が再生可能な foobar2000 というソフトプレーヤーをダウンロードして初めて使ってみた。出力デバイスをデフォルトと、WASAPIの排他モード とで選べるようにもセットしてみた。

結論から言うと、foobar2000の再生音が iTunes や WMP よりも精緻で引き締まっていると感じられた以外は、従来のiTunesでrippingした mp3 でも、CDをそのまま無圧縮でripppingした wav でも 可逆圧縮の flac でも、圧縮方式の違いはあまり気にならなかった。

ソースとして使ったのは、ギリレスのハンマークラフィーア 1983年録音 DG の 第1楽章 所要時間 12'24"

foobar2000で確認した各プロパティーは以下の通り:

  1. mp3 サンプルレート 44.1kHz, ビットレート 192kbps, ファイルサイズ 17MB
  2. flac サンプルレート 同上,  ビットレート 478kbps, ファイルサイズ 42.3MB
  3. wav サンプルレート 同上,  ビットレート 1411kbps, ファイルサイズ 125MB

まあ、軽くて音のよい foobar2000 が使えるようになったので、よしとしよう。

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2012年5月 1日 (火)

毛利家の至宝 国宝 雪舟の「四季山水図」 サントリー美術館

黄金週間。今年は、カレンダー通りだと5月1日(月)、5月2日(火)の平日で区切られた前半3連休、後半4連休となるが、この平日2日を年次休暇とする人の場合、なんと9連休という長期休みとなるのでうらやましい。

今年になって子ども達が幼かった頃の博物館(ミュージアム)詣りの習慣が久々に復活したかのように、昨日昭和の日4月29日(日)には、また美術館に出かけてきた。「春過ぎて夏来たるらし」のごとく、一挙に初夏の陽気となり、上着を脱ぎ、腕まくりをしながら井之頭五郎の沖縄料理の店が実在するのだろうかと東口側の路地を歩き、結局は見つからず、昼食は熱いものより冷たいものをということで入った中目黒のつけ麺の店(三ツ矢堂製麺)は、満員の盛況だった。

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この4月の初めの国立新美術館でのセザンヌ展に続いての六本木行きで、今度の行き先はこの前美術館に行くときに通って、帰り立ち寄った富士フィルムのミュージアムのあるミッドタウン内のサントリー美術館。そこで開催中の「毛利家の至宝」展を見てきた。(今回も大人は無料招待券だったが、高校生はクーポン割引で900円。中学生はここも無料)

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この防衛庁跡地の再開発地区の「ミッドタウン」は、江戸時代には長州藩の毛利家の下屋敷(といっても上屋敷が手狭になったため、実質的にはこちらが藩主とその家族の江戸での住居であり、実質的には普通いわれる「上屋敷」として使われたらしい)があった場所ということで、そういえば明治の海軍は薩摩であり、陸軍は長州と呼ばれたように、旧長州藩閥主導の陸軍創設(村田蔵六=大村益次郎、山県有朋、桂太郎の流れ。児玉源太郎、乃木希典などを輩出)だったがために、廃藩置県にあたり旧長州藩の屋敷を接収して、陸軍の歩兵第一連隊の駐屯地としたものではなかろうか?

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今回の展示は、そのミッドタウン竣工の5周年を記念して、旧毛利屋敷の縁により山口県防府市の毛利博物館が所蔵する主要な宝物を借り受けて展示したものだという。国宝、重要文化財が数多く、歴史や古美術に興味のある向きにはとても魅力的な展示だと思った。

白眉は、雪舟等揚作の大作国宝「四季山水図」(山水長巻)で、16メートルもある長大な巻物の隅から隅までが展示され、じっくりと鑑賞できたのは、まことに貴重な体験だった。

水墨画の良しあしはよく分からないが、一緒に見ていた次男が、建物などは平面的な描き方ではない一種の遠近法が使われていることに関心していたように、立体感があり、また遠景と近景は(これこそが水墨画の真骨頂なのかも知れないが)、遠景を「空気遠近法」的に描き、近景はくっきりと克明に描いているのが感じられもした。また、人工的な建築物などの描線はフリーハンドではなく、定規のようなものを使用しているのではないかとも見てとれたりもした。雪舟のどこがどのように優れているのかは、日本画の鑑賞眼が無いためよく分からないのだが、優れた眼を技術を持った画家ということは何となくわかった。中国の山水や人々の四季を描い、長い絵巻物ではあるが、その画面の移り変わりは実に自然で、その風景の中に溶け込むような幻想をも見る心地がした。

    山水長巻を紹介しているホームページ

その他、毛利家の家宝毛利元就の三矢の教えのもととなったような教訓状徳川家康の防長安堵状(起請文)などの貴重な古文書や、毛利家の祖とされる鎌倉時代の頼朝政府の官房長官的な役職(政所の別当)を務めた大江広元の大江家に関係のあるというような注釈がつけられた平安時代の史記の写本など、さまざまな書画骨董や武具、衣装、茶道具、什器などが展示されていたが、興味深い展示としては、足利義満が明の皇帝から日本国王に封じられたという、「義満さん、いくらビジネスのためのお墨付きがほしいとはいえそれはへりくだり過ぎでしょう」とか、「天皇になろうとした将軍」とか言われる元になった、「日本国王」の木の印鑑が、大内氏を経て毛利氏が受け継いで、家宝としていたとのことで、それが展示されていたのが面白かった。

昨年の出光美術館の雰囲気のことを先日辛口に書いたが、同じ古美術系でもサントリー美術館は、本業が扱っている商品がコンシューマー向けで企業イメージを重視し、また大阪商人系ということもあるのだろうか、係員の応対も品よくスマートで、気持ちよく鑑賞することができた。

混雑度は山水長巻のところが渋滞気味だったが、混雑というほどではなかった。3階からエレベーターで4階に昇り、そこから順路となっているのだが、一緒にエレベーターで昇ったグループとタイミングをずらせば、ゆったりと鑑賞できるように思う。

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地下鉄日比谷線の六本木駅への帰路に立ち寄った六本木ヒルズも、数年前に話題になった再開発地区だが、漫画の「ワンピース展」も行われていることもあるのか、まだ人々を引き付ける引力があるのか、ミッドタウンの落着きに比べて、少々雑然とした雰囲気だった。円形の巨大ビルで、丘(Hill)の地形を使っているせいもあるのだろう、初めての者には位置関係が把握しにくく、周囲をぶらぶらと歩き、テレビ朝日社屋のエントランスを見物して早々に退散した。

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